新しい朝が来た。希望の朝だ。

眠れない夜を超えて辿り着いたのは新しい朝だった。眠れない朝だ。

眠れない夜は辛くない。眠れない夜は苦しくない。そんな夢物語は終わってしまった。眠れない夜は辛い。眠れない夜は苦しい。なぜならば、僕にはもはやゲームが無い。ゲームにときめく心が無い。ゲームは全ての夜から僕を救ってくれた。けれども、もうそんな夜は来ない。二度と来ない。ゲームはもう助けてはくれないし、僕を救ってもくれない。今の自分がゲームから受け取れるものは、ただ罪悪感だけである。罪の意識と、悲しみと、憎しみになりきれない呆れの感情だけである。一秒でもゲームをプレイしようものなら、「それは間違いである」と正される。一秒でもゲームの事を考えようものなら、「それは間違いである。」と律される。幾つもの眠れない夜を乗り越え、幾つもの眠れない朝を追い返したこの僕が、その経験の中で得た結論が、それであるらしい。即ちゲームは間違いである、という事だ。

僕は知った。遂に知った。1つの物事を知った。間違いを知ったのだ。ゲームは間違いである。そしてそれに頼り縋って夜と朝とを乗り越え続ける事もまた、間違いである。僕は間違いたくはない。もう1つも間違いたくはない。何故ならば、間違いは悲しいからだ。間違いは、辛いからだ。間違いは憎しみしか生まない。だからこそ僕はもう1秒たりとも間違いたくない。正しい時間に眠り、正しい言葉でググり、正しいブログを読み、正しい夢を見て、正しい指使いでキーボードを叩きたい。なぜゲームが間違いであるのかは知らない。知らないけど、それは自明の理なのだ。僕にとっては自明の理なのだ。もしもゲームが間違いであるという事を理解出来ない人間が居るとすれば、その人間はただ疎かである。自明の理である事実を理解出来ないような、軽くて薄っぺらい人生しか歩んでいない不知の人なのである。ようするに、馬鹿であり、まぬけであり、あんぽんたんなのだ。脳味噌がおてんとさまなのだ。

僕はゲームを知っている。ずっとゲームをしてきたし、ゲームの事ばかり考えてきた。それ以外の事は何もしてないし、それ以外の事は何も考えず生きてきた。つまり、僕が知っているのはゲームのことと、そしてそのゲームが間違いであるという事だけである。何がどう間違っているかはしらない。どこがどのように間違いであるのかはしらない。しらないけれど、百戦錬磨の僕によると、ゲームは明らかに間違いであるそうだ。ゲームをしてはならないし、ゲームの事を考えてもいけないそうだ。僕は必ずしもそうであるとは思わないけれど、僕自身が「ゲームが間違いである事は自明の理である」と言っているのだから、きっとそうなのだろう。あれだけゲームをしてきた人間がそういうのだから、きっとそれはそういう事なのだろう。

本当にゲームは間違いなのだろうか。悪を探し求める正義の心が犯人捜しに奔走した結果、手近にあった唯一の存在であるゲームというものを悪玉に仕立て上げて、それを間違いであると決めつけて糾弾しているだけなのではなかろうか。本当はもっと悪いものが何か存在しているのに、そのもっと悪いものから目を逸らし、もっと悪いものを大切にして守り抜く為にゲームという偽の真犯人をやり玉に挙げているだけなのではなかろうか。だとすれば何が悪いのだろう。何が間違いなのだろう。もしもゲームが正しくて、ゲーム以外の何かが間違いであるならば、僕は何を恐れ、何を憎めばいいのだろう。ゲームが憎い。ゲームが嫌いだ。ゲームは間違いである。そして僕はゲームに毒されている。間違いによって間違いに染められてしまったのだ。全てはゲームのせいだ。たとえばこのエントリーだって、ゲームについて書こうだなんて気持ちは微塵もなかったのに。

新しい朝が来た。正しい朝だ。間違いの無い朝だ。もう二度と間違いは起こさない。間違いだけを積み重ねて生きてきたが明日からは違う。正しい事だけを積み重ねて生きる。けれども、僕は正しい事について何一つ知らない。正しい事をただの1つもした事がない。明日から正しい事だけを積み重ねて生きる為に、何が正しいかを知らねばならない。正しい事を探さねばならない。最低でも1つ、たったの1つでも正しい事を見つけるまで、眠るわけにはいかない。決して眠るわけにはいかない。微睡む事すら許されない。正しい事が見つからない。眠るわけにはいかない。新しい朝が来た。間違いの無い朝だ。新しい夜が来る。眠れない夜が。