2004年11月30日火曜日
恥ずかしい話
9時から何かをしようと思ってテトリスをゴミ箱に突っ込み、ゴミ箱を空にしてインターネットエクスプローラを開いてお気に入りを適当にクリックする。
どこも更新されていないので、真性引き篭もりをクリックしてみると、ここも更新されていない。「なんだよ!はやくなんか書けよ!」と少し苛立ってみたものの、よくよく考えてみれば真性引き篭もりを書いているのは僕自身であり、更新されていないのは当たり前の事である。
悔しいので何か書こうと思ったのだけれども、9時までにとなると少し難しい。xyzzyのインストールに10時間ほどかかって空腹と苛立ちで倒れそうになったとか、p47が未だに動かせずに非常に腹立たしいとか、「フリーセル」というやつが面白いらしいという文章を読んで、トライしてみたものの全然ルールがわからず、どこが面白いのかまったく理解できず
「ああ、僕もゲームをつまらないと思えるような所
まで成長出来たんだ。 これでもうゲームなどという
くだらない事で時間を浪費する事もなくなるんだ!」
と、物凄く幸せな気分になった次の瞬間にはピンボールを7時間程遊んでいたとか、ドラクエ8をもしプレイする機会が訪れたならば、勇者の名前はプンペンにしよう!と固く心に誓っただとか、真性引き篭もりブログで公開したメールアドレスに「セックスしてください」などというスパムメールが届き、笑いながらもそのメールをしげしげと読み返し、危うくそのようなものに縋りそうになってしまう自分を見て嘲り笑いが止まらなくなっただとか、テトリスをゴミ箱に突っ込んで削除したつもりが間違ってブログの下書きをしているフォルダを削除してしまい、今日投稿しようと思っていたブログが全部おじゃんになってしまったとか、「酢を単独で飲んだから咽るんだ」と、牛乳に砂糖とインスタントコーヒーの粉を入れたものを電子レンジで20秒して、そこに酢を入れて飲んだら物凄くまずく、酢を単独で飲んで咽たときよりも悲しい気分に陥ったとか、そのような、書こうと思えばブログに書ける事象はいくつかあるのだけれど、僕はこのブログというものをそのようなくだらぬ愚痴、あるいはくだらない思いを適当に振りかざす場所としては使いたくないので、書かない。
では、何を書こうかという段になり、「恥ずかしい話」を書こうと思ったのだけれど、幸いにも時計が9時を指し示し通り過ぎてくれたので、こっぱずかしい話をウェブ上に公開せずに済み、一安心して投稿ボタンを押すに至る。
タイトルは適当なのをあとから適当に考えて適当に直せばいいか。
昨日の23時過ぎ、29日はまだブログを書いていなかった事に気がついたので、何か書こうかと思ったのだけれど、30分でまとめられるような題材を持ち合わせていなかったので少しだけテトリスをしようと思い立ち、ダウンロードしなおして遊んでいたら、のっぺりと6時間半が消え去った。なんのドラマも無く。皆勤が久々に途絶えたわけで、少し悲しい。
困った。何もない。これではブログが書けぬと少し悩みつつインターネットエクスプローラを眺めていたら、誰かが「んー。」とか書いていたので、検索エンジンで顔文字を探して貼り付けてみたりしたが、どうにも満たされない。
真性引き篭もりというものにはなにげない一言だとか、なんでもないような事だとか、些細な幸せなどというものは存在しない。アニメーションを見た、本を読んだ、散髪をした、などといった事が書かれているブログを読むどブログを目にして、なるほど、散髪やアニメーションで一つ書けばいいのか、などと思ってみたところで、そのようなものでブログは書けぬ。
テレビは一年以上見ていないし、読書も同じくらいご無沙汰である。
散髪は先日行ったばかりであるが、新聞紙をこそっと取ってきて部屋広げて敷き詰め、毛が飛び散りつかぬように全裸になって洋服をたたみ、ぐわっと毛を束ねて掴んでジョキっと切り落とす事を数回繰り返してから凍えながら洋服を着なおす、といった退屈なものであり、ブログに書けるようなイベントでは無い。時間があれば書きたい事はたくさんあるのだけれど、夜明けというのはあまりにも鎮痛で最も苦手な時間帯なので今は書けない。
となるとやはり身近であったドラマをそのままブログに書き綴るのが最も手っ取り早い方法であるのだけれど、昨日今日で僕にあった出来事といえば、お酢を飲んで咽て咳き込んでいるところを怪訝な表情で除き見られて恥ずかしかった、といった事くらいである。
なぜお酢を飲もうと思ったのかは、一切書く気は無いので聞かないでくれ。
なんか、ものすごく、飲めば強くなれそうな気がしたんだ。
2004年11月28日日曜日
23時0分までに。
目を覚まして最初に時計を見たのが13時であった。
14時からブログを書こうと思ってテトリスをやっていたら14時2分。
15時からブログを書こうと思ってテトリスをやっていたら15時。
16時からブログを書こうと思ってテトリスをやっていたら17時半。
18時からブログを書こうと思ってテトリスをやっていたら空腹。
20時になったら手洗いにと思ってテトリスをやっていたら21時。
22時からブログを書こうかなと考えていたら22時を回っていた。
失敗した。
しくじった。
何時から、というのが間違いだったんだ。
常に時計を見ていなければ指定の時刻は通り過ぎてしまう。
「何時から」と決め事を守る機会は二度と訪れず、何かを行う事など出来ぬ。
どうしたものかと悩んでいると、それらを一発で解決する事の出来る画期的なアイデアを思いついた。やっぱり天才は違うね。凄い、本当に凄い。あらゆる面で。あらゆる意味で。
まず、行うべき事を決める。
「大統領になる」
次に、何時までに行うかを決める。
「11月28日23時0分までに」
つまり、僕は11月28日の23時0分までに大統領になる。
いやはや、簡単な事だ。
本当に簡単な事だ。
「ゲームを金輪際やらない」
だとか、
「マッスルになる」
などといったものは夢でしかなかった。
ところが、これに期日、期限を定めてしまえば、それは夢ではない。
現実という奴になる。
もう少しマイルドに表現すると、目標というやつになる。
あとは、その期日期限に間に合うように、なにかしらを行えばよい。
簡単な事である。
僕は非現実の象徴としての夢であった「大統領になる」という事柄に、期日期限を定めるという極めて単純で簡単な事を実行しただけで、非現実の象徴たる夢を現実世界に引き戻す事に成功したのである。
あとは、11月28日の23時までに大統領になればよいわけだ。
と、時計を見ると11月28日の23時を過ぎていた。
「これが大統領の書く文章かい?」
と少し自分を問い詰める。
いや、まあ、アミンやブッシュ、シラクだって大統領だし、といった類の言い訳を用意するのは簡単であるのだけれど、アミンやブッシュ、シラクと自分を同格に扱うのは物凄くいやなので、そういう言い訳は書かない。
どうしたものか、と少し困っていると、11月28日の23時まで、というだけで年度は指定していなかった。ああ、そうか。なら、こうしよう。
「11月28日の23時半までに、年度を定める」
よし、完璧だ。
もう夢などではない。
期日を定めてしまえば夢は幻と消えて、現実だけが残る。
あとはその目標を目指して努力を行えばいいだけである。
たゆまぬ努力を。
夢を目標に変換する、非現実を現実に変換する、という段階では完璧であったのだけれど、ブログを書くのに夢中であったが為に、23時半を過ぎてしまった。
HOLY SHIT !!
いや、大丈夫だ。
まだ、'11月28日の23時半までに、年度を定める'という目標に向かって突き進む事が出来る。その目標を失敗という結果でなく、目標達成という成功に導く事は出来る。
よし、頑張ろう。
やる気が出てきた。
夢を現実にする術を得た。
「11月28日の23時半までに、年度を定める」
これだ。
目標が出来た。
素晴らしい。
これが生きるという事なのだろう。
とても充実している。目標に向かって突き進む僕は物凄くかっこいい。
とりあえず、約1年ほど、頑張ってみる。
まずはテトリスで10万点だ。
やれる気がするぞ。
きっと、成せる。
頑張れ、頑張れ。
81700点
ビヒダスを半分食べてからテトリスをダウンロードし、数度の削除を間に挟んで15時間ほどプレイしていた。
15時間という響きは耐え難いものであるのだけれど、ついこの間まではそれが日常であったのだからたいした数字ではない。それに、なにより、昨日の18時間と比べれば3時間も改善されている。物凄い進歩だ。僕にとっては小さな一歩だけれど、人類にとっては大きな進歩だ。大丈夫、この調子。この調子。これが30時間とかになってしまったら、少し焦ろう。
このような、文章とも呼べぬようなキーボードを叩いている間も、頭の中ではテトリスがドカン、ガシャンと列を並べて消え続けている。
「10万点取ったら金輪際やらない」
という曖昧な誓いに従ってデビルモードをプレイしていたのだけれど、81700点が限界だった。とりあえず、もう金輪際やらぬと心に決めてから、何か食べて眠ろうと思う。目を閉じても目を開けても眼球に焼きついたテトリスが絶え間なく消え続けており、ブログを書くにも苦労する。もうゴミ箱を空にしたし、大丈夫だ。ゴミ箱を空にしたときのグシャっという音は物凄く気持ちがいい。CDを伴わないフリーゲームソフトをテトラポットから投げ捨てる事は出来ないので、デスクトップの右下に表示されたゴミ箱のグラフィックが私立のダーマの神殿だ。
寝よう、もう。
ウインドウズを終了して椅子から立ち上がれば、天井から僕が9人落下してきて、10列揃って拍手喝采、それと同時に十人の真性引き篭もりは跡形も無く消え去り、3000点だけが残るのだ。多分、おそらく、この調子だと。
あー、楽しいな。
ゲームはいいよ。
とてもいい。
2004年11月27日土曜日
どざえもん
のど元に引っかかっていた小倉ゆう子を書き終えて、よし眠ろう、という段取りになったのだけれど、僕と眠りの間にはまだ大分の距離があり、このまま布団に包まっても時間を無駄にしてしまうだけだと判断して、しばらくは起きている事にした。
当然の結論である。ぬくぬくとよろしくやって時間を浪費するような事はなんとしてでも避けねばならぬ事柄なのだから。
布団に足を入れる余裕も無いくらいに「ぁゎうう、」などと呻きながら倒れこみ、そのまま一秒と待たずに寝付いてしまうくらいが丁度よい。布団の中というものは、世界と遮断されており、そのあまりの距離に動揺してよからぬ事ばかりが頭の中で芽生えてはすくすくと育つ。その木という木、ジャングルと呼ぶに相応しい邪念を片っ端から伐採しようと悪戦苦闘するうちに、当然の結果として頭が冴えてしまい、やがては目も冴え、眠ろうにも眠られず、起きようにもジャングルの蔦という蔦が僕に覆いかぶさって瞼に絡みつき目に光を入れる事すら出来ず、そうしている内に僕の体の中で最も我侭な部位である背中の素肌が干上がってシャツと喧嘩をし始める。
そうなってしまうと、DOTA allstars以外の手立ては無くなり、DOTA allstarsから綺麗さっぱりと足を洗い、ゲーム中毒者のブログであったという過去を知らぬ読者が大半を占めているウェブログの管理人である真性ヒキコモリとしては、そのような極地に追い詰められぬよう、安全地帯をセーフゾーンに駆け抜けて、睡眠へと向かわねばらならぬわけである。それが僕に求められる義務であり、最低限度の責務である。
しかしながら、DOTA allsatarsから完全に切り離された僕が、
「卓上で寝入ってしまいそうな程に眠たいのだけれど、
横になったらおそらくは眠れないであろう程度の眠さ」
というものを抱えながら行える事はそう多くは無い。
まず、ブログを書くのは無理である。
僕は睡魔が過ぎ去った果ての眠さ眠りの崖っぷちで、さくさくと文章を書けるような人間ではない。先生あのねの、先生あのねすら書き躓く人間なのだ。パソコンモニタに映る原稿用紙、というかテキストエディタを見つめては立ちすくみ、一行も書き出せぬままで「ああ、」「あ、あ」などと頭の中でどもっている程度のブロガーなのである。
ブロガー、ブロガーって言うとかっこいいね。
もっと言って。
ブロガー。
ブロガー。
ローレン・ブロガー。
ランディ・ブロガー。
トレバー・ブロガー。
真性引き篭もり・ブロガー。YEY!!YEY!!
そこで僕が眠りを待つ間行うことにしたのは、ブログを読むという行為である。
僕は出来うる限り他人のブログは読まぬようにしている。
「その理由は」と問われると書いても書きつくせぬ程のものがあるのだが、一言で言うと、よろしくやりたい、よろしくやりたい、と過去ログ全てを読みつくし、日に10度は訪れていたブログの管理人が彼氏持ちであった、というか、同性愛者の男性であったというショックが抜け切っていないのである。正直、かなり堪えた。
あの日の僕の二の轍は踏まぬ。と固く心に誓った僕が読むことにしたのは、女学生とは程遠いブログであり、それを僕は適当な感想で噛み砕きながら睡魔を待っていたのである。
ところがである。
「ブログ」というフォルダの、女学生とは程遠いブログの真下で、こともあろうか女学生のブログがじっとこちらを見つめていたのであり、僕はついうっかりとそれをクリックしてしまうに至ったのである。
そのブログは正真正銘の女学生が書いているであろうブログで、日々の出来事を3日に一度程度のペースで赤裸々に語っており、女学生ともセキララとも程遠い僕としては、興味津々で過去ログ全てを読み尽くし、日に10度くらいは訪れてみたり、ハンドルネームを検索エンジンで検索してみたり、メールアドレスを検索エンジンで検索してみたり、出てくる地名を片っ端から検索しては学校名を推移してみたり、オフラインでの友達っぽい人のブログの過去ログを全て読みつくしてみたり、といった、まあ世間一般ではよくあるレベルのお気に入りであったのだ。
その女学生ブログを久々に訪れてみると、やはりその女学生は乱れに乱れた生活をしており、お金がどうとか、寝ずに学校へ行って昼前に学校を抜け出しただとか、楽しければいいだとか、自分を安売りしている日常をブログに書き綴っていたのである。それを読んだ僕はというと、「真面目に学校行きなさい。」などと幾重にも間違いが折り重なったコメントを心の中で投稿しては物凄くせつない気分になり、とりあえず未読のブログ投稿を全て読んでから憑き物に追われるようにしてそのブログから逃げ出したのである。
そのせいか、眠気は一向に追いついてこない。
逃げようとしたのは、女学生のせきららからなのに、それは同時に睡眠をも遠ざけてしまったのである。
困った。
さあ、どこへ行こう。
ブログは絶対駄目だ。
そこでふと「将棋でも」と。
なぜそう思ったのかは今でも謎だ。どうしてなのかはわからない。とにかく僕は「将棋をさせば眠たくなりそう」という意味不明な希望を抱いて、以前どこかのブログで目にした将棋24というウェブサイトを検索エンジンから辿り、そのウェブサイトにたどり着き、新規登録をクリックしてみると、何やら貴方の棋力を診断します、などと言ってくる。
その最初の質問を見て、将棋24はやめておこうという結論に達した。
「有段者に勝った事がありますか?」
ありません。
弟相手に飛車角落ちでも勝てません。
まったく、世界はどうして僕にこのような残酷な質問を投げかけるのだろうかと悲しくなり、他人の関わらない、自分との対話たる行動を持って睡眠までの時間を潰さねばならないと強く言い聞かせた僕がとった行動が、「テトリス フリー 凄い」と検索エンジンに打ち込むという行為であったというのは、至極正当なところであり、誰もが納得出来る満場一致なのである。
さすがに、「テトリス フリー 凄い」では何も出なかったものの、10分程で目当てのものを探し出し、ダウンロードし、解凍し、睡魔を待つために1ゲームだけ、あるいは2ゲームくらい、という感じでテトリスをプレイし始めたのである。
ところが、このテトリスというゲームが凄いやっかいなのである。
■ ■
■■ を待っていたら、■■ が来るし、
■ ■
■ ■
■■ でも ■■ でも来い!と構えていたら ■■
■ ■ ■■
が来るしで、全然楽しくない。
しかもこのフリーのヘボリスというテトリスは、Lvが上がると0.1秒くらいで上から下まで落ちてくるのでゆっくり考えている暇が無く、まるでぷよぷよをプレイしている小学生のように、とにかく右へ、右へと積み、右がてっぺんまで埋まってしまったら今度は左へ、左へ、と積んで延命し、やがては中央も埋まってしまってゲームオーバー。
今度こそ!と思ってやっても、落下速度が速すぎて「あそこに入れよう!」と思ったときには既にそのブロックは穴ぼこに埋まってしまっていて左右に動かす事は出来ず、そのまま一気にゲームオーバーだとか、あそこにテトリス棒を入れてやる!と思っても、そのテトリス棒が穴へと向かう途中に
□
□
□
■□■ このように落とし穴にハマってしまい、動かせない。
■■■ 物凄いストレスが溜まる。
うわー、となりながらもなんとなく段々判ってきた頃に、少し眠たくなって、「今なら寝られる!」と手洗いへ立とうとしたら、弟が帰宅した。
真夜中に弟のテニスラケットを勝手に持ち出してシュティフィグラフになっている所を見つかってからというもの、弟とはあまりよろしく行っていないので、弟が帰宅したという事は手洗いに行けなくなった事を意味し、それ即ち眠れないという事になる。
実を言うとテニスラケット以前からいい塩梅ではなく、先に風呂に入っては怒られ、「ユンケル飲んだ?」と問い詰めては逆切れされ、視界に入っては視界に入るなと言われたりと、散々であるのだけれど、問題の根本はこちら側にあり、彼自体は結構いい奴だしいい男なのである。人には相性というものがあり、あわぬものはあわぬし成らぬものは成らぬのだ。それが彼の身に降りかかった不運というやつなのだ。
昔は実況パワフルプロ野球などで勝負をしたりしていたのだけれど、僕の繰り出す投手陣は弟の阪神とか日ハムとか、そういう変なチームの変な控え選手ばかり集めてわざと変な打順に並べ替えた変な打線に流し打ちの連打を浴びて、2回の表を終えて8-0などという滅茶苦茶なスコアとなっては仕切りなおすを繰り返したり、格闘ゲームで待ちガイルのような事を延々やっても負け越すを繰り返したりをしていると、「つまらんから」などと言って弟はいつからかゲームをまったくやらなくなった。
あれはどうすればよかったのだろう。もっと練習して対等に戦える程に強くなればよかったのだろうか。いや、それは違うか。そういう問題では無い。とにかく、僕はずっとゲームをやり続け、弟はゲームをまったくやらなくなった。
そしてその僕はある日を境にDOTA allstarsからきっぱりと足を洗い、ゲーム中毒者であったという事実を過去のものとするべくブログを書いていたのだ。
が、気がついたら18時間ゲームをしていた。
OH MY GOD HOLY SHITだ。
一応、DOTA allstarsというゲームを知らない方の為に上のフレーズがなんたるかを説明しておくと、DOTA allstarsにおける最も象徴的な失態時に流れる音声が、「HOLY SHIT」であり、OH MY GODはなんとなく付け足しただけだ。
実のところ、薄々は感じていた。
こうなる事を予感していた。
心がふわふわと朝から晩まで浮いていて、本体はDOTA allstarsと共に海底深く眠っているような感覚が常にあった。色々と、僕はこれを、僕はこれの、僕はこれが、というものを無理やりに探して海底から肉体を、僕自身を引き上げようとキャプスタンをぐるぐるしていたのであるけれど、結局は船ごと海に飲まれてしまった。
一応、もう、テトリスは海に沈めた。
しかしながら、海へと投げ込まれて黙って沈む者などいない。
なんとかして空気を吸おうともがき、なんとかして浮かび上がろうともがく。それが人間というものであり、生きるという事なのだから。
しかしながら、これはそれらとは違う。
腐っている。
腐りきっている。
せめて、もがけ。
2004年11月26日金曜日
2004年11月25日木曜日
Top of the wolrd
おかしい。
なにかがおかしい。
きたちょうせん
きたちょむせん
きたちよむせん
きやちよむせん
やちよむせん
ばんざーい!
ばんざーい!
ばんざーい!
どうして、種明かししたのに誰一人として万歳三唱していないんだ。
おかしい。
かなりおかしい。
僕の付近では物凄いムーブメントなのに。大流行なのに。
それと比べて真性引き篭もりのコメント欄はかなりおかしい。
真性引き篭もりをご覧になっている方々は、かなりおかしい。
これだけではない。
あれもそうだ。
僕自身は完璧なブログを投稿したのに、世界はそれをスルーした。
「春の凄く後ろ」
ちょうど今時分
それはハウルの動く城じゃなくて、春の凄く後ろ!
春の凄く後ろはちょうど今時分だから、
ハウルの動く城はえっと、アニメっていうか、
ってことは、春の凄く後ろってことだし、
じゃなくて、タイトルは春の凄く後ろだから、
それは即ちちょうど今時分って事で、
っていうか、結局の所あってるじゃねえかよ!
そのままかよ!
おもむろにそのままだよ!
コメントのしようがないよ!
そのままだよ!
一回転!
一周遅れ!
周回落ち!
いや、っていうかハウルの動く城!
みたいな展開はどこへ行ってしまったのだろう。
僕の周囲では物凄い盛り上がりなのに。
もう、凄まじいムーブメントとなっているのに。
僕が真性引き篭もり史上初めて、流行事に関するブログを渾身の力を込めて書き綴り、「まいったか!」と完全無欠の投稿ボタンを左クリックしたというのに、世間というものは冷たいもだ。まったく、狂っている。おかしい。
映画、アニメ、大ヒット、と、盛り上がるに相応しいキーワードを全て織り込んだブログ投稿を完全なまでにスルーするあなた方は明らかにおかしい。トラックバックとか70個くらいくると思ってたのに。なんなんだ。なんでアフィリエイトスパムのような腐ったものしか来ぬのだ。せめて罵ってくれ。あのような人間の屑にも値せぬ糞ブログからの糞トラックバックを受けては、憤慨を通り越して虚しくなるばかりだ。物凄く悲しい。
とにかく、真性引き篭もりをごらんになっているかたはおかしいのだ。
一度世間に出て世界の空気を吸って勉強した方がよいのではないか。
いや、手遅れだ。
既にあなた方は世界から完全に取り残されている。
「流行の歌でも聴いてリハビリでもした方がよいのではないか。」
と、強引に持っていこうかとも思ったのだが、あまりにも強引過ぎると判断し、他の方法を模索する事にしたのであるが、結局の所導き出された文章が、
既にあなた方は世界から完全に取り残されている。
流行の歌でも聴いてリハビリするべきだ。
流行の歌といえば、トップオブザワールドである。
あれはかなり流行っている。
間違いなく流行っている。
あの歌は素晴らしい、と僕は常々思っていた。
初めてトップオブザワールドを聞いたのがいつ頃であったのかは忘れたが、とにかく気がついた時には僕はあの歌の魅力に囚われていた。
なにしろ、タイトルがよい。
「世界の頂点」
また、歌詞がよい。
全部書くのはめんどくさいので、トップオブザワールドを知らない方の為に要約しておくと、
「私は世界の頂点に立つものだ!
私こそが世界の王だ!ひれ伏せ!」
といった内容である。
当時僕の身の回りには、そのような勇敢で勇ましく勇気が溢れるような荘厳な歌は存在していなかったので、このトップオブザワールドのみが僕を勇気付け、希望を与えてくれる歌たる、歌であった。世界の底辺たる生活をしながら、世界の頂上を心の中で歌い続けて生きてきたのである。トップオブザワールドルキン、トップオブザワールドルキン、とやり続け、世界が僕を通り越して深みへと落ち行き去りてを待っていたのだ。通り過ぎるのを。
ところが、ある日買ったカーペンターズのCDアルバムの訳詩にはこのように書かれてあった。
>あなたとの愛が私を
>世界の頂上に舞い上がらせたの
あなたって誰だよ。
そのような輩は知らぬ。
噂すら聞いたこともない。
ふざけるな。
誤訳だ。
これは絶対誤訳だ。
あなたなどおらぬし、愛など無い。
僕は常に1人であり、舞い上がってもおらぬ。
あるのは世界の頂上だけであり、そこには僕がいるわけである。
まったく、この訳詩はおかしすぎる。
「訳者は英語とかわからぬ馬鹿なのではないのか!?」
と、訳詩を書いた人物の名前を確かめると、
「小倉ゆう子」
とあった。
ビンゴ。
予想通りだ。
この訳詩を書いた人間は大馬鹿ものだ。
意味不明な一人称を使い、意味不明な星から来たと自称し、意味不明なぴょんを喋る、天下無双の大馬鹿ものだ。大嘘つきだ。どっか変な惑星から来たらしいからして、人間ですらない。人間以下だ。今すぐ消えうせるべきだ。今すぐよろしくお願いしたいくらいだ。どちらかというと年上の豊満な人の方が好みなのであるけれど、この際そんな事はどうでもよい。宇宙人め。インベーターめ。詐欺師め。
賢明な読者であれば、小倉ゆう子と僕のどちらが正しい翻訳を行えるかどうかという事くらいすぐにおわかりになるであろう。トップオブザワールドはトップオブザワールドなのだ。小倉ゆう子に正当性などないのだ。あのような奇妙奇天烈な人間にまともな翻訳など出来るわけが無い。
僕こそが正統な世界の頂点であり、世界の頂点から世界へとお届けするブログこそがこの真性引き篭もりブログであり、世界の頂上の空気を吸ったものにしか知りえぬ世界をこのブログより読み取っていただければ光栄である。
そうして、また歌うであろう。
こうして、まだ歌い続けるのだ。
世界の頂点に立ち続ける限り。
そして、僕はブログを書き続ける。
世界の頂点から、世界へと。
繰り返す。
見よ!
I'm on the top of the wolrd
2004年11月24日水曜日
季節外れの味噌トマト
冷蔵庫に、トマトがあった。
季節外れのトマトである。
今の季節に相応しくない。
朝食にも相応しくない。
賞味期限を1日過ぎた牛乳を飲み干してから、少し考えた。
11月末に最も相応しい朝食というのはどのようなものなんだろう。
カレーに相応しい調味料、とか、カキフライに相応しい調味料、といったような所であれば、既に結論は出ている。
しかしながら、11月末に最も相応しい朝食というのは、未だに誰1人として具体的に提示できてはいない。
そこで、やはりここは僕が11月末に相応しい朝食というものを決定せねばならぬと強く思い、今から11月末に相応しい朝食を発表するのである。
11月といえば、やはり柿だ。
柿以外には考えられぬ。
よって、メインは柿だ。
渋柿にはまだ少し早いので、冷凍庫で一晩寝かせてから解凍してジュクジュクになった甘い甘い甘柿だ。あれは物凄くおいしい。縦に筋を引く繊維がゼラチンのようになって、プニプニとしていて、甘さをまとって口の中で暴れる。種の周りの甘みの溜まり場などは新手のグミだ。ぷにぷにだ。甘柿だ。甘柿こそが11月に相応しい。
メインディッシュは決まった。
甘柿だ。
しかし、困った。
甘柿に相応しい副菜というものがまったく浮かばない。
季節柄、という事で大根はどうかと思い悩んではみたものの、甘柿に相応しい大根料理というものが見つからない。白菜はどうだ、白菜も駄目だ。となると、と思い浮かんだのが甘柿だ。冷凍庫で一晩寝かせてから解凍してジュクジュクになった甘い甘い甘柿だ。
よって、11月末に最も相応しい朝食は冷凍庫で一晩寝かせてから解凍してジュクジュクになった甘い甘い甘柿と、冷凍庫で一晩寝かせてから解凍してジュクジュクになった甘い甘い甘柿の組み合わせ、という事になった。
なった、のであるが、冷蔵庫にあるのは柿ではなくてトマトだった。
そこで、トマトを冷凍庫で一晩寝かせてから解凍してジュクジュクにして食べてみようかとも思ったのだけれど、僕が求めているのは明日の昼食ではなく、今日の朝食。
これでは埒が明かぬと、トマトを朝食として食べる事にした。
ついでにトーストを焼こうかと思ったのだけれど、トーストに相応しい飲料である賞味期限を1日過ぎた牛乳を飲み干してしまった事に気がつき、少し後悔してから諦めた。
そこで、また悩む。
季節外れのトマトに相応しい調味料とは何であろうかと。
「塩?」
とまず思ったのだけれど、これは少し違う。
トマトに塩は夏の食べ物であり、11月末には相応しくない。だいたい、塩にトマトは似合わない。スイカも駄目だ。塩に相応しいのは力士である。
そこで味噌が目に付いた。
これだ。
大豆製蛋白だ。発酵食品だ。畑の大豆だ。いや、畑の味噌か?いや、畑の、畑の、豆?畑の豆じゃあ、範囲が広すぎる、それではえんどう豆も鞘いんげんも枝豆も大豆になってしまうではないか、おかしい。大豆は、それだ。畑の大豆だ。いや、畑の味噌だ。いや、畑の、なんだ?畑のキャビアだ。いや、それはなんか違うプチプチしたあんまりおいしくないやつだ。畑の、うん、あれだ。大豆は大豆であり、味噌は味噌なのだから、畑の大豆は畑の大豆であり、畑の味噌は畑の味噌なのだ。いや、畑に味噌というのはおかしい。味噌は冷蔵庫だ。冷蔵庫の味噌だ。凍りかけた愛だ。
僕はトマトと味噌を朝食に選んだ。選んだんだ。
もう畑などはどうでもよい。
とにかく、今僕は味噌トマトにかぶりつきながら朝一番のブログを投稿しているのだけれど、これはブログを投稿しながら食べるには相応しくないようだ。キーボードに物凄く赤い汁。少し痒い。
このようなブログを投稿してよいのだろうか。
味噌トマトを食べながら投稿するブログの内容というのは、どのようなものが最も相応しいのだろうか。もっと味噌トマトの持つ潜在能力を活かす方向でのブログ投稿というものが存在するのではなかろうか。例えば、味噌トマトから読むウクライナ情勢、とか。
いや、そのようなものは僕に相応しくない。
例え、味噌トマトに最も相応しい題材がウクライナ情勢であったとしても、僕は身の丈にあったブログを投稿するべきであり、ウクライナ情勢などを書くべきではない。
相応しくないブログは書くべきではないし、相応しくない歌は歌うべきではない。相応しい夢を見るべきであるし、相応しい朝食を取るべきであり、相応しく生きるべきだ。
その点では、11月末の味噌トマトというものは真性引き篭もりにとって最も相応しい朝食であるな、と少し優しい気分になり、心が落ち着く。
相応しくならねばならぬという思いは、生きる力の源である。
警察官に相応しい規律を、と強く自らに訓ずるものは警察官に相応しい人間になれるであろうし、教育者に相応しい佇まいを、と強く自らに訓じる教師は恩師となり得る資格を得るであろう。
では、真性引き篭もりが自訓する事としては、何が最も相応しいのであろうか。それさえ見つけられれば強い生きる力の源を手に入れられるであろう。真性引き篭もりから、真・真性引き篭もりくらいまで進化出来る。おそらくは。
つまり、真性引き篭もりに最も相応しい自訓を、相応しい規範を見つける事が今の僕に求められている課題であるのだけれど、それが思い浮かばない。
真性引き篭もりに最も相応しい事というものが思い浮かばない。
もし僕が労働者であれば、サービス残業をとか、会社上司になんとかを、などとあっさりと片が付くし、もし僕がアイルランド人であれば、じゃがいもとか、大陸横断鉄道を、とか色々ある。しかしながら僕はサラリーマンでもなくアイルランド人でもない、真性引き篭もりであるからして、そのようなお手軽で身近な自訓は存在しない。
「真性引き篭もりに相応しい真性引き篭もりになるには」
困った。
既に真性引き篭もりだし。
これを少し書き換えて、僕に相応しい僕にする、などとしてしまえば、いくらでも思い浮かぶのであるが、それでは自戒が強すぎて動揺してしまい、食後のひと時がかき乱されるので駄目だ。やはり、僕は真性引き篭もりに相応しい真性引き篭もりになるべきであり、真性引き篭もりに相応しい真性引き篭もりにならねばならぬと思う。
相応しく生きねばならぬ。
身分相応というものを。
2004年11月23日火曜日
2004年11月22日月曜日
透明人間を見た。
目を覚ますと、透明人間が窓べりに掛けていた。
僕が、「あっ、すみません、何をしているんでしょうか?」と問うと、「透明人間を」と彼は即時に答えた。「あ、はい、わかりました」
そうじゃない、そうじゃない。
そういう事を聞いているのではない。
そこで何をしているの?と問うたのに、まったく関係のない、筋違いな回答を僕によこした。これだから言葉は嫌いだ。曲用され、曲解され、あらぬ方向へ飛んでいく。
しかしながら、その明らかに間違った解答により、彼が何者であるのかが判明した。
透明人間か。
なるほど。
けれども、見えている。
あきらかに見えている。
全然透明ではない。
滅茶苦茶見えている。
「え、見えてますよ」
「半人前なんで」
一つ賢くなった。
半人前の透明人間とは、見えるものなのだ。
一人前になってやっと、何も見えなくなるものなのか。
僕は、「あのっ、何をなさっているんでしょうか?」と問うた。
すると、「引き篭もりを」と彼は即時に答えた。「あ、はい、わかりました」
そうじゃない、そうじゃない。
そういう事を聞いているのではない。
そこで何をしているの?と問うたのに、まったく関係のない、筋違いな回答を僕によこした。これだから言葉は嫌いだ。曲用され、曲解され、あらぬ方向へ飛んでいく。
しかしながら、その明らかに間違った解答により、彼が何者であるのかが判明した。
引き篭もりか。
なるほど、この男は僕と同じ引き篭もりなのか。
そう納得しかけたが、おかしな点に気がついた。
ここは僕の部屋であり、僕の天領である。
なぜおまえはここにいるのだ!
引き篭もりだと自称しているのに。
「え、あ、引き篭もってませんよね?」
「ええ。どちらかというと、引き出もり、かな。」
明らかに笑いを期待したトーンで彼はよこした。
笑えない。ぜんっぜんわらえない。この男は引き篭もりを馬鹿にしている。おそらくは、僕を嘲いに来たのだろう。ふざけるな。
「透明人間も色々大変なんですよ」
知らない。
知りたくもない。
自分語りなど聞きたくない。
よりによって、何故僕を相手に自分語りを始めるのだ。透明人間のくせに。
しかし、仕方なしに聞いていると、色々な事が判った。
透明人間も色々と大変らしい。
透明人間社会では、透明人間でないと半人前であるとして馬鹿にされるらしい。しかし、透明人間は透明人間になってしまうと、何も見えなくなってしまうので、透明人間が透明人間を馬鹿にするには、透明人間でない必要が出てくる。そこで、透明人間は透明人間でない透明人間を監査役として透明人間グループに1人置いておくのだけれど、透明人間社会の大多数を占める透明人間側はその、たった1人の見る事の出来る半透明人間の言葉を信じる以外に世界を見る方法が無く、本来は支配者階級であるはずの透明人間は半透明人間の掌の上でもてあそばれているような現象が起こっているそうだ。しかしながら、透明人間側は半透明人間の言う事を信じきっており、世界の現状と透明人間が半透明人間の言葉を通して見ている世界との間には、大きな乖離が見られるそうだ。
「僕はいやなんです。透明になるのが。
あんな奴の掌の中で弄ばれて生きるのは。」
透明人間も大変なのだな、と少しだけ僕は彼に同情した。が、とりあえず、この部屋から出て行け。お前邪魔だから。そこにいると視線がうっとおしくてブログも書けぬから、本当に出てってくれ。頼む。うざい。
「透明人間も色々大変なんですよ」
それはさっき聞いた。
と思っていると、彼は違う話を始めた。
透明人間社会には、半透明人間の目を通じて世界を見る事をよしとせず、透明人間のみで自立した社会を作ろうと努力している透明人間集団もいるらしい。
あるものなどは芸術的感性を利用して、「透明人間」という自画像を書いて画廊に持ち込んだものの、「透明人間じゃねー、あんた、夢見るのも大概にしな、な。真面目に就職しなって、はははははまったく。まったく。」などと罵られて、しょげ返って帰ってきたりもしたそうな。また、あるものなどは、透明人間vs透明人間という映画を撮って映画会社に持ち込もうと試みたものの、8ミリカメラがどこにあるのかを見つける事が出来ずに苦労して、手探りでやっとこさ8ミリカメラを見つけ出し、それで透明人間vs透明人間という大スペクタクル映画を撮り、日活株式会社に持ち込んだものの、「うちエロないと駄目」と一言で片付けられ、彼が人生のすべてをかけて取り終えた透明人間vs透明人間は日の目を見る事もなく、彼は「エロか」「エロか」と死ぬまでうわ言のように繰り返し続けたらしい。
透明人間でなくてよかった、といった感想を自分の中でこねくり回していると、一つの疑問が生まれたので、彼にぶつけてみた。
「透明人間って、どこから透明なんですか?」
彼は質問の意味を理解出来なかったようだ。
何も答えず、聞かなかったふりをして窓べりに掛けたままだった。
透明人間がカフェオレを飲むと、カフェオレはやがて透明人間になる。
カフェオレはいつまでカフェオレで、どこから透明人間になるのだろう。
「ちょっと、僕を食べてくれます?」
無礼な奴だ。
僕が真面目に提案したのに「プッ」だと。
おそらくは、かなりおいしいのに。
僕自身も僕自身を食べた事が無いから僕自身は僕自身の味を知らないのだけれど、僕自身は多分、おそらく、かなりおいしいのに。もし彼が僕を食べたならば、僕はやがて彼になる。つまりは、透明になる。その感覚を味わいたくて僕は「食べてくれ」と提案したのであるが、彼は嘲笑の一つを返したのみだった。透明人間社会について自分語りをする時はあのように雄弁であったのに、人の話には「プッ」か。これだから透明人間は嫌いだ。
いや待てよ。
透明人間に食べられるとなると、食べられる前に料理されてしまう。胡麻和えとか、八宝菜とか、金平にされてしまう。その時点で僕は僕としての生涯を終えてしまい、透明になる事など出来ぬのだ。透明人間になど、決してなれぬのだ。
そこまで読んで、彼は「プッ」と噴出したのだ。
僕の馬鹿さを嘲って。
悔しい。
透明人間に馬鹿にされた。
引き篭もりのくせに。
ちくしょう。
人の部屋に勝手に進入してきたこの男に、僕は朝っぱらから惨めな気分にさせられている。本当に惨めだ。
出てってくれ。
今すぐに出てってくれ。
お前なんかとゆっくり話していられるような暇人ではないのだ。
僕の1秒は高く尊く、お前なんかに邪魔されていいようなものではないのだ。
「これから、どうするんですか?」
「ふはっ」
微笑むな。
息を吐き出して微笑むな。
ふはっ、じゃない。
ちゃんと答えろ。
「透明になりますよ」
え?透明に?
延々、「僕は透明になりたくない」という事を匂わせながら、透明人間社会の病理を僕に話し続けていたのに、その男が唐突に「透明になります」などというものだから、僕は呆気にとられた。
「もう決めたんです」
強い決意のようだ。
透明人間を馬鹿にしながら、透明人間がいかに駄目なものであるのかを知りながら、それでも彼は透明人間になる道を選んだようだ。半透明人間の彼には、それしか道が無いのかもしれない。遅かれ、早かれ、という事なのだろう。選択肢の無い彼の人生に少し同情する。
「なりますよ」
透明人間が透明人間になる瞬間を目撃できるのかと思うと少し緊張し、左肩の筋肉が硬直してきた。世紀の一瞬だ。
「なります」
透明人間が透明人間になる瞬間を目撃するのは、おそらくこの広い世界長い人類の歴史上でも僕が初めてだろう。ラッキーだ。ついてる。
「なりました」
まだ見えてますよ。
「なりました」
見えてますよ。
「僕は透明人間です」
見えてますよ。そちらからも見えてますよね?
「物凄い透明です」
物凄く見えてますよ。
「もう何も見えません」
いや、見えてるでしょう?
「見えないなー。透明だし」
こちらから見えているんだからそちらからも見えているでしょう?
「なーんにも聞こえないな。凄く透明」
見えてますよ。
「すっごい。これすっごい。透明」
全然透明じゃないですよ。見えてます。
「透明人間!透明人間!とーめーにんげんーあらわるあらわるー」
透明じゃないですよ。
「透明だなー」
見えてますよ。
「透明だなー」
見えてますよ。
「透明人間なんだなー」
見えてますよ。
「透明人間なんだよー」
見えてますよ。
「なーんにも見えない。」
見えてますよ。
「なーんにも見えない。」
見えてますよ。
「うん、なーんにも見えない。透明だ。」
いや、見えていますよ。
追記、あるいはコメントに対するコメント
11/22/3:17
1時間ほどブログを投稿してみたものの、どうにも上手く書けず、今は書くべきではないと諦めてコメントに対するコメントを全て書いてから寝ようと思ったものの、それすら書けずに遁走しようと思う。
おやすみなさい。
心変わりして、一つだけ書いてかこうと思ったけれど、その一つすら書けず。無能の極み
追記。(2004/11/18 11:30 )
世界が寝静まっている頃は寝静まっているふりをして小さく静かにしているのが僕の日常であるのだけれど、世界が出払い、僕にとっての緊張感を伴わない静寂さが訪れたので何か食べねばと思い立ち、うどんを茹でるに至る。
少しの鰹節と中国産の干しワカメを水で戻して放り込み、包丁で袋ごと半分に切断され、切断面が少しひからびはじめているうどん玉を投げ入れてから丼に移し変え、パソコンの前に戻り、キーボードを横にどかして食事空間を作ろうとした所、キーボードと丼が喧嘩して、うどんが椅子に撒き散らされた。とても悲しい。
うどんと鰹節とワカメを拾い集めて丼に戻し、醤油を取ってきて少しかけて、なんとも豪華なサラダうどんという気分で食べてみたのだけれど、箸がなかなか進まない。
食べ終わった頃には心身ともに疲れ果てており、食事という重労働をなんとかして日常から切り離せないだろうかと、少し考えてみたものの、無理だろうなという結論に達する。もう少し楽なのがいいのだけれど。少しうどんでは無い味のするうどんを食べおえて少し吐き気。
気を取り直し、先日500円玉と共に牛乳お願いしますというメモを卓上に残しておいたら、誰かは知らぬが、牛乳を買ってきていてくれたので、3センチほどコップに入れて、それに粉末のコーヒーを入れて、電子レンジで20秒して飲む。4センチ入れてしまっては胃を壊す。牛乳は毒だ。筋肉が流れてゆく。
牛乳を手に入れられた事はマッスルことhankakueisuuにとって喜ぶべき事柄であるのだけれど、卓上に放り投げられるように置かれた4枚の100円玉が少し気分を重くさせる。触らない。そのまま。とにかく疲れた。動ける時間はそう長くは無いのに、その時間をうどんを食べるなどという無駄な事に使うのではなかったと、深く落ち込み後悔する。もっとどうしようもなく、身動きの取れぬ時に食事を取ろう。
コメントに対するコメント。
コメントに対するコメントを下さいというコメントに対するコメント。
僕はコメントには非常に感謝している。
その種類のいかんに関わらず、僕の投げた平らな石が水を蹴って跳ねているのを見ると、とてもありがたいという気持ちになり、非常に感謝している。
誤読を招くように、というか書いている本人すらへそがどこにあるのかわからぬ文章を誰かが読んでくれているだけでも非常にありがたく、それをどのように読み取ったかというコメントを寄せてくれるのを読んでは、なるほどと頷き、そのような読み方をしてくれたのか、と非常に嬉しい気分になる。
これまで寄せられたコメントを2つに分類し、僕がどのように受け取ったかを少しだけ書く。これまで真性引き篭もりに寄せられたコメントは2つに分類する事が出来る。コメントの内容に心の底から感謝したものと、コメントをしてくれた事自体に心の底から感謝したもの。gg、と、それ以外。
僕はまだ、ggと言わない。
明白でも、続ける。
以下原文。
コメントを書き込んで下さっている方で、コメントに対するコメントが欲しいという方はその旨を適当に書くか、ハンドルネームに米とでもつけといていただければ、適当に丁寧にコメント致しますので、よろしくお願いします。ninja dog様とか、ninja dog様、ninja dog様、あるいはninja dog様、あと、ばーかばーか真性引き篭もりの相手なんかして損したわさーて、ゆっくり風呂入って飯食ってよろしくやって寝よーっとわーいわーいコメントなんかいらねーよーfrom ninja dog様など、どうかよろしくお願いします。あと他の方々もどうか。
と、これを書き出しとして使うつもりだったのだけれど、こんな書き出しではなんか、というかかなりいやだし相応しくない事を書いてしまいそうな不陰気になってきたので無かった事に。コメント希望コメントが来たら、ここでお返事します。書いた時は更新日時変更して一番上に持ってくるから、大丈夫。大丈夫。僕はちゃんと建設します。
あー、もしくは、ここにコメントつけてくださればコメントします。
パクってはいないし、意識もしてないけど、トラックバックされた時に3か月分くらい調査の為に読んだから影響は受けてると思う。
けど、隊長にやられる前からワンパだった。DOTA allstarsプレイ記録もずっとこんな感じの繰り返しぐだぐだ。建設予定地はもちろん100%パクリフレーズ。
2004年11月21日日曜日
それ、北朝鮮じゃなくて八千代ムセン
失敗した。
まったく、どうかしていた。
まったく、どうかしている。
僕はあまり眠るのが上手ではないので、いつものようになかなか寝付けないままで「この時間を有効利用したいのに」などと悶々とした思いを抱えながらゴロゴロしていると、ふと頭の中に「北朝鮮」という文字が浮かび、沈み、こびりつき、
北朝鮮
北朝鮮
北朝鮮
北朝鮮
北朝鮮
八千代ムセン
と、もうお祭り状態で、どうにも収まりが付かなくなってしまい、寝る前に思いつきしっかりと覚えたはずの事柄を、起きては完全に忘れて振り出しに戻ってしまい後悔するという日々を繰り返している、記憶力という面では相当他人に見劣りする真性引き篭もりは、
「今のうちに投稿しておかねば!」
という強い思いに襲撃されて、寝なければ、寝なければ、眠たいよ、眠たいよ、もう寝れる、寝られる。と自己暗示を繰り返せば繰り返すほど、北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮八千代ムセン祭りが始まり、体中の毛という毛が興奮で逆立っては眠れなくなり、
北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮八千代ムセンという投稿さえ行ってしまえば、すぐに眠れてそこはもう夢の国。北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮八千代ムセン祭りはすぐに終わり、寝付けぬ悪夢からも逃げ出せるだろう!と、僕は希望に満ち溢れた人生の中で希望に満ち溢れたブログ投稿を行ったのである。
KITATYOUSEN、とか、GIGASUKE-DENKIなどと打ち込んでいる間中も、この真性引き篭もりブログ史上最も完璧で最も崇高で、最も完成されたブログを投稿しているという事実に、鼻の穴という鼻の穴は興奮で「このままじゃふくらみすぎておっぱいになっちゃう!」くらいの危機感を思わず抱いてしまうほどにふくらみにふくらみ、物凄い充実感の中で「投稿する」をクリックして、パソコンの電源をオフにして布団の中へと駆け込んである。
ここまではよかった、はずなのだ。
しかし、ここからがどうも上手くはいかなかった。
北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮八千代ムセンという歴史上最高とも思えるブログ投稿に対し、どれ程のコメントがついているか、ついているか、そう悩んでいる最中も世界中のブロガーというブロガーが「コメントを投稿する」をクリックしているのだという事実が僕の眠りを妨げ、一向に眠れぬ。
失敗であった。
北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮北朝鮮八千代ムセンという完全無欠の投稿を、眠らなくてはいけない時間帯にしたのは大いなる失敗であった深く反省し、僕は眠るのを諦めた。
そうして、パソコンの電源を立ち上げて今に至る。
失敗した。
僕は眠るのに失敗した。
もうおしまいだ。
なにもかもがめちゃくちゃだ。
これだから日曜日は嫌いだ。大嫌いだ。
読み手のいない雑感
0-4か。
tentiなどは、平均amp115、最高Lv22の僕が2人いて、2レースvs1レースのハンデキャップマッチをしても負けるのではないかと思うくらいに昔見た時は強かったのだけど、それでも捻られるとなると、本当に世界は高いところにあるようだ。嵐が去る頃には元に戻そうと思って外したりしたのだけれど、このままにしておいた方がいいかな。未練がましくネットサーフィンしている僕も僕だ。駄目だ。なにをしているんだ。
>ところがhexenがreMatchを受諾。
>キャプテンとして一勝欲しかったのですが・・・。
から
>ところが私の1win貰おうという試みを良しとせず、
>hexenがスポーツマンシップを見せてreMatchを受諾。
へ。
のどかだ。
心情ばくろを引っ込めてチームメイトを称えている。
寝る前に書いた文章を起き掛けに読んでは、書こうと決めた3っつの事柄全てを書き忘れているのを見て唖然としたり、「一体この人は何を言いたかったのだろう?」と狐につままれたような思いにとらわれたり、時にはおもいっきり添削、というか書き直したくなる日々を送っている身としては、物凄い親近感を抱いて好感度が少し上がったのであるが、書いてる内容自体は駄目だ。やっぱりあの男は嫌いだ。大嫌いだ。馬鹿の阿呆!hexen好きhexen好き結婚してください
現在、ゲームで日本が世界と戦える種目は無いのだろうか。こんな時期になってザカードという超人が現れる韓国は凄い。halenという不世出の超人が去ってしまった事は今もなお悲しく思う。あれだけの人はもう出ないか。
ゲームセンターのゲームはよくわからないので、ちょっと詳しくないのだけれど、ちび太は今でも世界最強なのだろうか。ブンブン丸は胡散臭かったから、間違いなく消えているだろう。借金取りに追われて沖縄辺りに逃げているのではないかと思う。風体からして飯野のような臭いを醸し出していたいし。
ぷよぷよやドドンパチ、なんかくねくねしたのを使って弾を金貨に変えるシューティングゲームのようなものが競技として採用されるくらいまで普及すれば、日本もかなりいい線行くのにね。多分。バイオハザードの早解きなんかは海外でも凄いのかな。AMP70あたりが、「シベリア送り」とか「スターリングラード」などと名づけられた怪しいテクニックを用いて7分くらいでクリアしてそうだけれども。
超人類鉄の人で1000回勝利するまでにかかった時間を競う競技などがあれば、真性引き篭もりブログを放り出してでも日の丸を背負って戦いたいと思うのだけれど、そのような競技は存在しないので、このような読み手が1人として存在せぬ、僕自身すら読み返す気の起きないブログを投稿している事実がとてもせつない。
休憩、終わり。
また、走ろう。
「追記」
あー、忘れてた。
そうだ。
タイトル変えた理由のコメントを書くつもりだったのだ。
最初、「日曜日」で投稿して、読み返してそれは違うと思い、「神」に直してからPCの電源を切ったのだけれど、ウインドウズの終了中に神+日曜日の何かいい表題が浮かんで、起きたらそれに変更しようと思っていたのだけれど、いざ起きてみると綺麗さっぱり忘れてしまっており、適当に考えたのが「神様の日曜日」という事です。
2004年11月20日土曜日
日曜日の神様
火曜日と言われて真っ先に思い出すものは、思い出すものは、
火曜日に思い出など無い。
火曜日などという平凡な曜日に、何かしらの思い出を持つ人間などいないだろう。せいぜい、算盤の日、とか、ドラゴンボールの日、とかその程度ではないか。
僕は算盤ともドラゴンボールとも無縁の生活を送ってきたので、火曜日に対するブログを投稿しようと思い立ったところで、何一つ書けないという事になってしまう。
では、水曜日は、となると、これまた何も無い。
火曜日と水曜日の違いなど、散髪屋さんが営業しているか営業していないか程度の違いしか無い。そのような事は僕にとっては重要ではない。僕にとっての散髪屋さんとは僕自身だ。僕は休まない。正確には、その逆であるのだけれど、ここで書くに相応しい単語を繋げて表現するとすれば、僕は休まない。僕は休まない。
曜日というものに思いいれのある人間は少ないだろう。
月、火、水、木、金、すくなくとも、ここまでは。
「あんたは間違ってる!一週間は日曜日から始まるんだよ。」
そうかもしれない。
それが正解なのかもしれない。
週の始めに神様に感謝する。
そんなものは信じない。
そのようなものは熱心な信徒だけが行えばいい。
ビルローパーに懐疑心を抱くような不信心者には関係無い。
では、どうして一週間は月曜日から始まるものであり、火曜日から始まるものではないのかとなると、月曜日から金曜日まで、というのが世間一般では労働期間であり、曜日、というものは労働スケジュール管理に用いられる道具と化しているからなのだろう。
月曜日は労働。
火曜日は労働。
水曜日は労働。
木曜日は労働。
金曜日は労働。
土曜日はまちまち。
日曜日は休み。
書いたところで、これが世間というものかと少し唖然とする。
引き篭もりの中の引き篭もり、真性引き篭もりという人種にとっての一週間とは、そのようなものではない。だいたい、引き篭もっているからして労働などというものも、休みなどというものもなく、もちろん、まちまちもタムタムもチャムチャムも無い。
労働も休みも無いのだけれど、日曜日というものは存在する。
日曜日というものは明らかに世界中の空気が違う。
労働という重圧から開放されたひと時の幸せを世界全体が謳歌している。
その陽気さが僕にはとてつもなく重い。
その重さを受けて、血という血が糊の佃煮のようになる。
呼吸をするのにも苦心しながら埃まみれのキーボードを叩いていると、僕が日曜日というものの陽気さを享受する日は一生来ぬのであろうとの確信を持ち、この重さから開放される事など無いのであろうと思う。
そこで、ふと考える。
神にとっての日曜日とは何なのであろうかと。
世界は日曜日という日に、一斉に声をあらげて神に感謝する。
声をあらげるのかどうかは知らぬが、とにかくキリスト教徒というものはおそらく、日曜日が来ると一斉に神に感謝する。キリスト教徒などというものは大体からして、マクドナルドとかケンタッキーフライドチキンとか、そのようなジャンクフードをトマトケチャップで流しこんで満足しているようないい加減な人種である。
そのような一般的キリスト教徒が神に感謝するのは、下痢と便秘が過ぎ去った時くらいで、あとの全ては日曜日という事になるのであろう。
とすると、下痢と便秘の時のみに神様に
「ごめんなさいごめんなさい。真人間になるから許してください」
と心の底から懇願する僕も潜在的にはキリスト教徒なのではないかという疑いが浮上するも、無理やり東京湾に沈めて続きを書く。
世界中のキリスト教徒というキリスト教徒に感謝されるというのはどのような気分なのであろうか。「ありがとうごぜーますだ神様~」などと感謝しながらも、大抵の輩はそれに伴い「給料上げてくだせ~神さま~」などというお門違いな祈りを投げかけているのであろう。
それらを一身に受け止めて、神という男はどのような気持ちで日曜日を捕らえているのであろうか。
もちろん世界には不心得者もいて、朝からパンくずをまぶした脂ぎったサラダを食べながらよろしくやっているような人もいるのだけれど、キリスト教徒というキリスト教徒の声に押しつぶされそうな神という男は、日曜日だからといって自分自身に声を投げかける事の無い、不信心者の存在自体に感謝しているのではなかろうか。
日曜日が訪れる度に祈りという祈りに押しつぶされて、神なる男に流れる血という血が糊の佃煮のようになっているのではなかろうか。その重圧たるや。
ああ、なんだ。
神とはその程度の男か。
イエスキリストも所詮は人だ。
たいした事など無い。
真性引き篭もりとたいして違わぬではないか。
労働もせず、学業にもつかず、人々の願いを叶える事も無い。
はは、なんだ神。
おい、神。
神よ。
働かず、
学ばず、
偉そうに、偉そうに。
真性引き篭もりめ。
革命家にでもなったつもりか。
「全知全能」
などとお前は思い上がっているようだが、
世間一般ではおまえのような男の事をなんと言うのか知っておるか?
おい、神。
NEETだ。
ニート。
おい、ニートよ。
本日のアルビトロはロペスニートさんです。
ニートよ。
神よ。
HAHAHAHAHA。
なんだかとても親近感が沸いてきた。
神もどこかで「神」とかいうブログを立ち上げて、毎日毎日、内容の無いキーボードを叩いておるのだろう。きっとそうだ。
いや、神であるからして、キーボードなど叩かぬとも、ブログくらいは書けるのであろう。例え人のささやかな願いを叶える事すら出来ぬ無能極まりない神というニートでも、ブログくらいは書けるであろう。
神か。
神も真性引き篭もりか。
しかし、あのような男と一緒にされたくはない。
僕は真性引き篭もりであり、神などではない。
下品でもなければ、不誠実でもない。
真性引き篭もりである。
ハァ、吐く息全てがため息に化ける。
深呼吸一つ、それもため息に化ける。
気分が重い。
日曜日が憎い。
世界中の日曜という日曜が他の曜日に攻め滅ぼされればよいのに。
月月火水木金金でよいのに。
しかし、もしそうなるとなにがなんでも休日というのを求める、ある意味では真性引き篭もりという人種と同じメンタルを持つ健康的で労働により世界を支える誠実で評価に値する人々は、火曜日、あるいは水曜日に日曜日としての役割を果たせと押し付けて、朝から仮面ライダーを見てダイエーで新米を買いつけるのであろう。ソフトクリームを舐めながら。
ここまで書いた所で、今日は土曜日であると気がついた。
ああ、土曜日か。
それならいいや、と少し気が軽くなり、今日が日曜日で無い事を神に感謝したのであるが、今から僕は眠るわけであり、目を覚ませばそこは日曜日。
神よ、ああ、神よ。
主なる神よ、イエスキリストよ。
願わくば僕にもうひとたびの月曜日を。
「27番のお客様~27番のお客様~」
あ、月曜日お願いします。
「えーっと、月曜日の方は今ちょっとォ……」
あ、じゃあ、
「となるとえー、少々お待ち下さい、
ショショ、はい。お掛けになって(笑)
お待た せしましたあ。
お客様!お客様、日曜日になりますがよろしいでしょうか?」
あ、じゃあ、それで。
2004年11月19日金曜日
スクール水着が似合う女学生
一行も書かぬ時点所で、もっと低俗でない表題にするべきだったと深く後悔する。
とりあえず、そんな思いはどうでもよい。
当面の悩みは、コメントに対するコメント建設予定地にコメントがいっぱいついていて、コメントに対するコメント建設予定地についたコメントには全てコメントすると宣言してしまった手前、寝る前にコメント建設地についたコメントに対するコメントをなんとかしてひりだそうと努力していると、寝るに寝られなくなってしまったので、自棄になってブログを投稿してみようと思い立つも、そのようなメンタルではまともなブログを投稿出来るはずが無いと自嘲して笑い悩むも、まともなブログで無い真性引き篭もりにブログを投稿するに当たり、最も相応しい精神状態であると判断してブログを投稿するに至る。駆けているとミシン目が太ももを擦って縫い破る。
大昔、というわけではないのだけれど、コメントの波に押し流された遥か彼方のコメントによると、スクール水着の似合う女学生を好いておったフェチがおったそうな。変態だ。まさか、あのようなものが期待してくれているような読み手を持っているとは思いもよらなかった。
一度などは、自分で読者登録をしようとして、
「不正な読者です」
と罵倒されたりもした。
僕が書く文章における最大にして唯一の理解者であり、読者であるのは僕自身であろうに!と嘆きつつ、ふざけるな!と、嘆いた。
しかしながら、そう言われてみて気がついたのであるが、自らの書く文章を不正なく読む事など出来ぬわけで、不正といえば不正であるかと納得し、なるほど、と頷いてみたりもした。
スクール水着の似合う女学生に関しては、需要を読めなかったスクール水着の似合う女学生自身にも責任があるし、1日1時間ほどを割いてしまうのはもったいないというぼく自身の心理もあったし、アメーバブログに対する嫌悪感と敗北感もあった。ここまでは、スクール水着が似合う女学生を知らない人間にとってはまったく無意味で支離滅裂で、台風に屋根を飛ばされた体育館のような文章であり、ここからがスクール水着が似合う女学生を知らない人間にとっても、とても重要な意味を持ち、支離滅裂な台風に屋根を飛ばされた屋外プールのような文章になるものと思われる。
そのような事を書いていると、スクール水着の似合う女学生はスクール水着が似合う女学生であるという事に価値を見出しているのであろうかと悩むに至る。
スクール水着の似合う女学生はスクール水着が似合っていると思っているかどうかはかなり疑わしい。スクール水着が似合っているかどうか、というものを判断するのは一部のスクール水着の似合う女学生愛好家であり、そのような人々はスクール水着の似合う女学生との接点を持たない。
となると、スクール水着の似合う女学生がスクール水着の似合う女学生である事に価値を見出せる機会は一生訪れず、スクール水着が似合う女学生にスクール水着が似合う女学生としての正当な評価を与える事の出来る一部好事家のみがその価値を知りうる。
僕は過去にスクール水着が似合う女学生をやっていたのであるが、今は女学生ではなくなってしまったので、僕はスクール水着に価値を見出せないスクール水着であり、スクール水着に価値を見出す事の出来る好事家、あるいはスクール水着に価値を見出せない健康的で朗らかな青少年のみが、スクール水着に対して客観的で正当な評価を下せるのであろう、と、スクール水着はかく語りき。
2004年11月18日木曜日
堀井雄二は泥棒だ。
馬鹿だ。
僕は馬鹿だ。
馬鹿に馬鹿といわれる筋合いは無いのだけれど、馬鹿だ。
いや、馬鹿って言う奴が一番馬鹿だから、馬鹿なのは僕じゃなくて僕だ。馬鹿だ。
http://www.square-enix.co.jp/dragonquest/eight/
ドラゴンクエスト8のプロモーションムービーの第二段を見た。
ちょっと酔った。
けれども、ちょっとだけであったし、もう一度見たいと思ったので、もう一度見たらもう少し酔った。
カメラが鳥のように飛ぶ所とフラッシュが眩しすぎるシーンさえ目を伏せながら見ればば酔わないだろうと思ってもう一度見てみたら、目を伏せるのを忘れて酔った。馬鹿だ。五臓六腑がくねくねしている。
あの男は悪人だ。
いや、極悪人だ。
堀井雄二は、僕の穏やかな平日の午後をそのままそっくり盗んで行った。なんの怨みがあって、僕の午後を盗むのだ。
いや、盗みというのは堀井雄二のライフワークなのだろう。
怨みがあろうと無かろうと、堀井雄二は盗むのだ。
そして、今日一番の被害者が僕だ。
まぶたの上の裏側でカマキリが孵化している。
カマキリキリカマキリと。
堀井雄二は盗むのだ。
日本国中を駆け巡り、盗んで回る魂胆だ。
堀井雄二だけではない。
皆泥棒だ。
日本国中が泥棒で満ちている。
日本だけではない。世界中が泥棒だらけだ。
苫小牧、アメリカ、ロシア、ウランバートル、ミシシッピ、オーストリア、オーストラリア、台湾、フランス西岸部、世界中が泥棒だらけだ。
今では盗まれぬように錠前を下げて暮らす事も出来ない。どのような盗難対策を講じても、盗られる日々が待っている。
善良な市民も悪人も極悪人もDOTA allsatars中毒者も、皆盗まれる。
一億総、盗難被害者だ。
憎きは堀井雄二だ。
頭痛が耳たぶに降りてきた。
これがディアブロ2のプレイ中であれば、「頭痛が酷い時の方がいいアイテムを拾える」といった馬鹿げたジンクスがあるので、かろうじて我慢出来るのだけれど、ディアブロ2と別離していしまった今の僕にとって、頭痛は泥棒でしかない。吐き気が酷い。大丈夫、いつもの事だ。
泥棒だ。
堀井雄二は泥棒だ。
泥棒に泥棒といわれる筋合いは無いのだろうけれど、泥棒だ。
どれだけ盗めば気が済むのだ。
人は盗む。
盗み盗まれる。
盗まれている最中は盗まれている事には気がつかない。
「HOLY SHIT!」と人が叫ぶのは、盗まれてから随分と経ってからだ。
盗んでいる最中に盗まれていると気がつく人もいるけれど、それは例外的で、たいていの場合はあれもない、これもない、と、随分と後になってから盗まれたものの多さに気がつく。
「堀井雄二は泥棒じゃないよ!」
ああ、そうだろう。
そうだろう。
それ以外の何物かだろう。
でも、それは仮面だ。
仮面の裏に潜むのは、泥棒という正体だ。
ドラゴンクエスト8が発売される。
300万本売れて、平均20時間プレイしたとして、6000万時間だ。6000万時間あれば、おさげ眼鏡の利発な学級委員長が90000万個のリンゴを剥ける。器用にだ。長野も青森もバーモンドも真っ青だ。
僕は泥棒だ。
盗んでいる。
ブログを書いては人から時間を盗っている。
これは社会に対する復讐であり、聖戦だ。
盗んで盗んで盗みまくってやる。
罪悪感など無い。
しかし、思う。
日本中に満ち溢れている泥棒を見て思う。
もう盗むのはよしてくれと。切に願う。
盗まれたものの大きさに気がついた時には、手遅れなのだから。
日本を盗んだ大泥棒は、今幸せだと感じているのだろうか。
短辺が70センチ程もある黒鉛まみれの紙の束をサングラスの奥から眺めていたあの男は、今幸せだと感じているのだろうか。
同じ泥棒仲間として、幸せであってくれればいいなと思う。
俺と海
僕は実の所、一人称を持たない。
ブログで文章を書くに置いて、どうしても一人称が必要となってしまうので、無理やりに僕という言葉をレンタル使用しているだけであり、僕は僕ではない。拙者でもなければ俺でもなければ自分でも私でもミカでもあたいでも朕でもない。「では何であるのか」と問われても、何者でもないからして、答えようが無い。
そのような中で海について書こうという段取りになり、
「僕と海」
という表題をつけてみたのだけれど、これから書き込むであろう内容にはあまりにもそぐわない女性的な言葉の響きになってしまったので、無理やりに「俺と海」という表題をなづけ、「俺と海」で書こうと思うに至る。他にしっかりとした幕引きを書いておくべきかなどとも思ったのであるが、もう過ぎ去った事はもはやどうでもよい。
だいたい、あれは戦友であり同じ趣味を愛する同好の志なのだ。このような趣味を愛する人間に、悪人など存在しないのだ。いわば僕自身とラプターは同じ穴の狢である。愛すべき戦友であり、部下であり、大学の後輩なのだ。かわいいものだ。いとおしくてたまらない。
海だ。
海について書く。
僕以外の誰かにとっての海とは、海水浴場であり、水着であり、よろしくやる場であり、花火大会であり、バーベキュウーであり、焼酎であり、また誰かにとっては永遠の半分であり、人によっては趣味の場である。
しかしながら、僕にとっての海とは宗教施設のようなものである。
懐にゲームソフトを忍ばせて、少しねじ止めが緩んでいるせいか、一段登る度に金属音を発するはしごを登り、テトラポットを降りて辿り着く場所が海というものなのだ。
それ以外の海に関する思い出など何も無い。
あるといえばあるのだけれど、あまり良い物ではないので書かない。
そのように海というものを神々しき聖なる領域として捕らえていた所、あるコメントが目に付いた。
>海にゴミを投げ捨てる
OH MY GOD HOLY SHIT
何という事だ。
確かにその通りだ。
そのような捕らえ方は及びもせぬ所にあった。
事実として、僕は購入したゲームソフトをある時などは開封せずに投げ捨てており、客観的に見るとそれはまさしく「海にゴミを投げ捨てている」でしか無かったわけで、酷く反省している所である。
もう海にゴミを投げ捨てるのはやめようと思うと共に、海にゴミを投げ捨てた話をブログに書くのは金輪際止め様と思う。やがて言葉の波に流し清められるように人は僕が海にゴミを投げ捨てるようなモラルの欠片も無い極悪人である事は忘れ、やがてはその存在をも忘れてゆく事だろう。
もう書かぬ。
書かぬぞ。
ごめん、海。
2004年11月17日水曜日
ブロックブログのススメ
>海外ボツニュースはそもそもブログじゃないんだぜ?
>そーいうネットの常識判ってんの?
はい。
>http://e-words.jp/w/E38396E383ADE382B0.html
こちら。
>あんたも緩慢な態度と言われたくないなら、
>その部分の常識的な事実を訂正しとけよな。
どうぞ、ごゆっくり。
上手く眠れなかった。
起きてから5時間くらいは体も指も動かないので、中身の無いブログを投稿して体が起きるまでの時間を潰そうと思い立つも、こんな悪趣味な書き出しでブロックブログのススメなどというものを書いていいんだろうかと少し悩む。まあ、いっか。
竹内克仁が心配だ。
これで大丈夫なんだろうか。
現時点におけるブロックブログの唯一の収入源は、月額200円のファイルアップロードオプション(画像が使えるようになる)なのだけれど、20人くらいしか使用していない。とすると、月の収入が4000円だ。ブロックブログのようなサーバーを維持するのに月額4000円で黒字収支というのはいくらなんでもありえないと思うのだけれど、本当に大丈夫なのだろうか。
しかも、このブロックブログというのはウェブ上で広告を出している。
当然、その広告がクリックされたらブロックブログは出費を支払う事になる。
4000円で、広告代持ち出しで、いつか黒字になると考えているのだろうか?大丈夫なんだろうか、これは。なかには、ブロックブログユーザーがブロックブログの有料広告を貼っているものなどもあり、滑稽さを通り越して物悲しくなるので、通ってはクリックしているわけである。他の場所でも見かける度に愛おしさを感じてクリックしてしまっているので、僕vs竹内克仁の収支成績は、250円くらい勝ち越していると思う。物凄い優越感だ。極悪人だ。
http://dream.bblog.jp/
上が竹内克仁ブログであるのだけれど、URLを見ただけで泣ける。
ドリームだ。
ドリーム。
各地のブログリンク集を見て回ったのだけれど、「社長ブログリンク集」といった類の所でその名を見つける事も出来なかった。更新は週に一度かそれ以下だし、アクセス数は1日約30程度。これでは夢というより幻だ。
しかも今見てみると健気にアフィリエイトなどを貼り付けている。そんな。1日20アクセスくらいなのに、社長がアフィリエイトって。と、また悲しくなる。貼り付けたアフィリエイトの単価が、560円というのを見て、さらにまた悲しくなる。負け組み社長というものは本当にせつないものだ。小声でつぶやく失敗というエントリータイトルを見て、「失敗したのはブロックブログそのものじゃない?」などと無粋な突っ込みをしてしまい、さらにせつなくなる。
とはいえ、同じ京都に本社を置く某ブログサービスの社長のように「私たちは寝ずに頑張ったんです!だから苦情とかすんな!stfu!」と雪印理論を展開するような事もなく、
>各サイトに掲載された情報の知的所有権に
>つきましてはご利用者様各自にあるものといたします。
とあるように、ライブドアのように著作権をどうこうしようと企んでいる節も無い。
とりあえず、別に何を書きたいとかは無いのだけれど、バリューコマース社提供のブロックブログの広告を見かけたら、みんなも一緒にクリックしようよ!とかそういうのではなくて、ブロックブログでブログを作りませんか?と、おそらくまったく広告効果のないであろう広告文章を半分寝ながら書いてみた。まだ、眠たい。
追記。
http://www.blockblog.jp/company.html
>そうすると、BLOCKBLOG以外の事業も行っており
>現金収入があると考えるのが妥当ではないですか。
手放している。
あきらかにルート選択を間違ってる気がする。OTDBBSで作った貯金を食い潰、そう、うん。dreamでBBSからblogへ。賃料が重く圧し掛かり大阪から京都へ。などと深読みしてしまうと、涙でモニタが見えない。いや、おそらく幼馴染とよろしくやってめでたくなって大阪を捨てたに違いない。きっとそうだ。もう、新婚ほやほやで幸せの絶頂で漫画喫茶で湯けむりスナイパーを読んでいるんだ、多分。
昔は重かったらしいけれど、今の重さは許容範囲内だし、使い勝手のよさも中位くらいにはつけていると思うのだけれど、駄目なものは駄目。ライブドア社などに買収されるのが想像しうる最高のハッピーエンドなのかもしれぬ、などと考えてしまうと、とても悲しい。体力を消耗する前にさっさと手を引いた方が、などとは1ユーザーとしては絶対に言えぬし。悲しい。これは、もう。
夢破れてブログ有り。
プンペン首相
「首相!首相!どうしてブログを、ブログを書いているのですか?」
などと問われたとする。
仮定である。
そのような質問を僕が受ける事は無いと思うのだけれど、もしも、という事で、「首相!首相!どうしてブログを、ブログを書いているのですか?」と問われたと仮定して、という事を少しだけ書く。
「いやっ……なんとなく」
一行で終わってしまった。
駄目じゃん。
無理やり書き足すとすれば
「暇、、、、だし。。。」
それでも2行か。
朝から朝までゲームをしている人間にとって、「首相!首相!どうしてブログを、ブログを書いているのですか?」という質問から生み出せる文章など、たったの2行しかないのだ。
真性引き篭もりとはそれ程までに薄っぺらく中身の無い人間なのである。のである。
例えば僕が「NPOは宗教だ。能力のあるNPO関係者は高給を得て当然。上手く書けなかったけど、以上。おしまい。」というブログを投稿したとして、世間はそうは読まぬかもしれない。
「世間がそう読み取れるように3行で書ききれ」
というご指摘はごもっともであるのだが、ここで先日首相が記者団に語られた言葉を引用して使わせてもらうと、
>「暇、、、、だし。。。」
という事になる。
そもそも、僕は書きたい事を伝えようとしてキーボードを叩いてはいない。「お願いだから伝わって!」という願いを込めて書いているわけではない。どちらかというと、「お願いだから誤読してください」といったような方向で書いている。
もし、世間に100%伝わるような文章を書いてしまうと、僕自身という人間が極めて薄っぺらく中身の無い人間であるとバレてしまう。伝わらないように書けば、僕が薄っぺらく中身の無い人間であるという事実はばれずにすむ。
僕が何をしている人間かという事を度々書いてきたのだけれど、おそらくはそれらも伝わってはいないだろう。よって世間は「この人の趣味ってなんなんだろう」みたいな空気を持っていて、僕が「お願いだから誤読してください」といった類のブログを投稿し続ける限り、DOTA allstars中毒者であったという過去が白日に晒される事は無いのである。永遠に。
寝る前に何か書いておこうかなと思い、上のような事を書こうかなと思ったのだけれど、このような内容の文章を睡魔とよろしくやりながら書くのはたいへん問題であると判断し、カンボジアについて何かいい方向の、肯定的な、幸せな、希望を込めた、そういう文章を書こうと決意して今に至る。
そこで、そのようなカンボジア賛歌を書くにあたり、カンボジアについて知っているキーワードを全て挙げてみた。
「ポルポト」
「クメールルージュ」
「シアヌーク国王」
「プンペン首相」
4っつか。
片手にも満たない。
困った。これでは書けぬ。
関連するキーワードを思い出せれば何か思い出せるかもしれないと検索エンジンで上の四つのキーワードを検索してみた。
「ポルポト」約14300件
「クメールルージュ」 約6550件
「シアヌーク国王」 約4100件
なるほど。
「プンペン首相」
プンペン首相に該当するページが見つかりませんでした。
ちょっと待て。
いや、大丈夫だ。これは僕のミスだ。
>プ・ンペン首相に該当するページが見つかりませんでした。
>プン・ペン首相に該当するページが見つかりませんでした。
>プンペ・ン首相に該当するページが見つかりませんでした。
ちょっと待て!
まったく、どうかしている。
この国際貢献時代だとかナサだとかアムダだとか国際宇宙事業団だとか、事ある毎に世界と日本との関係の重要さ、国としての形が日本というものに問われている国際化時代21世紀において、プンペン首相を知り、それについてインターネット上で書き綴っている人間が1人もおらぬとはどういう事だ。
僕もプンペン首相についてはあまり詳しくないので、確かな事は何も書けないのだけれど、推測から少しだけプンペン首相について書いてみると、
「エドワード・ニョンカムラック・プンペン」(1937~)
エドワード・ニョンカムラック・プンペンは1937年頃、カンボジア人の父とカンボジア人の母の間に生まれた。エドワードという苗字は植民地時代の名残であるとされているが、その由来の真相は公にはされていない。これについては検索していただければそれについて書かれた文章が見つかると思うので、ここでは、はしょる。
エドワード・ニュカンラムック・プンペン(以下、プンペン首相)は1937年頃、カンボジア人の父とカンボジア人の母の間に生まれ、カンボジア激動の21世紀を駆け抜けた偉大な軍人として、また、西欧との太いバイブを持つ唯一の国際人として、長きに渡ってカンボジア外交を1人で担ってきた政治家として非常に有名である。
17歳までの経歴ははっきりせず、象使いとしての修行を積みながら象糞を堆肥として闇市に流し、華族を養っていたとされているが、これについては本人も語っておらず、真相は闇の中である。当時カンボジアでは象糞は全て国が管理しており、プンペンがやっていた事は当時の法律では犯罪という事になるので、語るに語れないという事情もある。
1993年にチョムラック陸軍中尉が軍事クーデターを起こした際に、精鋭部隊として東アジアにその有名を轟かせていたチョムラック象兵部隊(80象騎兵/170人)の攻撃を大統領宮殿にて二男のエドワード・シャンソンション・プンペンと2人で迎え撃ち、全ての象を手名づけて撃退した事は、プンペン最大の軍事的功績であり、この一件がプンペンの名声を不動のものにした。
この敗戦は東アジア全域、如いては世界全体に衝撃を与え、それを受けた中国が旧式の軍隊組織を大きく見直し、軍隊の近代化を推し進めたエピソードはあまりにも有名であり、東アジアの軍事バランスを大きく変化させる要因となった歴史的金字塔である。
なお、その際に二男のシャンソンション(当時16歳)は象に踏まれて命を落としており、その名前はシャンソンション・プンペン陸軍士官学校としてカンボジア史に刻まれている。
妻である、エドワード・マ・プンペンとの間に4男2女を設けており、子沢山一家としても有名である。その中で最も有名なのはダイムラー自動車会社の強力を得てカンボジア自動車鉄鋼業を起こし、巨万の富を築き上げた長男のマド・プンペンであるのだが、最近は競馬レース観戦旅行にうつつをぬかし、世界中の大きな競馬レースという競馬レースを観戦して回る日々が続いており、カンボジア国民の間では、「マドはもう駄目だ」という見方が広がっているようだ。
しかしながらこれも西側国際情勢研究家の間では違う評価をされており、父、プンペンの外交的パイプをそのまま維持するために、競馬レース名目で世界中を駆け巡る影の外交官としての役割を果たしているとされており、プンペン親子のこの外交力、外交的パイプをうっとおしく思っている中露が、プンペン親子の名声を落とす為にネガティブキャンペーンを張っているという事も、事情通の間ではまことしやかに噂されている。
父プンペン首相の政治的な立場を敬称したのが四男のエドワード・トンドムラック・プンペンであり、現在は内務国家特殊調整議会議長としての職務につき、5年以内には首相職につくのではないか、といった所が西側シンクタンクの予測する所である。
しかし、トンドムラックには黒い噂が無数に付き纏っている。
プンペン21世紀大学に入学した際に、正当な手続きを取らずに父のコネを利用して裏口入学したのではないか?という疑惑がその中でも最も大きく重要なものであろう。
とはいえ、トンドムラック自身が大学生活において常に主席であったこと、また、成績優秀者に送られる奨学金の全てを大学に寄付した、などというエピソードから、トンドムラックの首相就任における大きな妨げにはならないであろう。
その全学年で主席という成績自体も怪しいものだ、などと噂されているがそれらは政敵が流したデマだ。騙されてはならない。
また、プンペン首相は親日家としても知られており、猫舌。
現在はカンボジア草木とか再生委員会名誉代表の職務につくが、名義貸しであり勤務実態は無く、10メートル*7メートルのプール付きマンションで水泳に勤しむ日々を過ごしているようだ。草木とか再生委員会自体が実体の無いものであるのではないかとの声もあるが、詳細は不明。
以上がプンペン首相のあらかたである。
まったく、最近の日本人はプンペン首相も知らぬのかと僕は絶望し、憤慨している所であるが、滅茶苦茶眠たく血小板という血小板がウニか栗のようになっているので、眠ろうと思う。
結論から言ってしまうと、プンペン首相を知らない人間がこの「真性引き篭もり」を読んだところで、僕の書いている事をそのまま理解出来るわけがないという事である。
「プンペン首相を知っているよ!」
という方は、僕と同じ世界を見て、僕と同じ知識を持ち、僕の文章から僕の考えている事を100%読み取とれるだけの素質があるわけで、稀有な存在であり、ある意味ではプンペン首相そのものである。
おめでとう!
プンペン!
2004年11月16日火曜日
あなたは何を信じますか?
藤沢生活さんのトラックバックを読んで、NPOは宗教であると思うに至る。
ボランティアは善行であり、社会貢献は善行、正義、善行。
宗教だ。
坊主はベンツを車庫に隠してカブに乗るし、坊主の妻は緑色の指輪をする。
ベンツを車庫に隠してカブに乗ってはいけないという決まりは無いし、妻に緑の指輪を買ってはいけないという決まりもない。
そのように一部NPOの関係者が私腹を肥やしている事がNPO自体の信頼を落としているからといって、法で何かを出来るわけではない。私腹を肥やすな、などというものを法で定める事は出来ない。また、他の仕事をすれば大金を手に入れられるような能力を持った人間にNPO活動をさせるには、大金が必要となって当然である。
うまく書けなかった。困った。余裕があれば後で加筆修正します、と書きたいのだけれど無理だ。身の丈にあったブログを書こう。書けぬものは書けぬし、まとめられないものはまとめられない。それだけのバックボーンを持たない。僕は無知をひけらかしてぐだぐだを書けばよいし、そうするべきなのだ。
自分の行動により、なにかしらがよくなると信じる。
何かを信じるという事は物凄く幸せなのだ。
大学に行けば素晴らしい大学生活が待っていると信じる受験生は幸せであるし、それを信じられずに疑いを抱いてしまっている受験生は不幸せである。
恋人は今も自分を見てくれていると信じている人は幸せであるし、恋人が他の人を見ているのではないかと疑いを抱いてしまっている人は不幸せである。
宗教こそが自分を救ってくれていると信じている熱心な信者はそう信じる事自体が救いであり、幸せそのものである。
輝かしい未来が待っていると信じて労働している労働者は幸せであるし、そうでない労働者は、労働という点だけを取り出せば不幸であるといえる。
おいしいものを食べた、よろしくやった、叩きのめして勝った、鹿を撃った、などという事は快楽を招きこそすれ、それが幸せに繋がるとは限らない。
美食は時として人を破滅に導くし、恋だ愛だなどといったものは言うに及ばず。
勝者、受験戦争の勝者、就職戦争の勝者、誰もがうらやむ大金を掴んだ社会的勝者が幸せであるかといえば、それも違う。幸せである人もいるし、幸せでない人もいる。
幸せである人は自分の手に入れたもの、あるいは手に入れていないものをひたむきに信じているのである。幸せであると信じているから幸せなのである。
夢を信じている人間は何一つ手にしていなくても幸せの絶頂にあるし、夢、つまりは未来を疑ってしまった人間はとても不幸だ。
それに加えて現在と過去までをも疑ってしまうと、もう目も当てられぬ。
つまり、幸せになりたいと願うなら、何かを信じればいいのである。
とても簡単な事だ。
なんでもよい。
イエスキリストでも、ロックンロールスターになった5年後の自分の姿でも、片思いの人との未来でもよいし、自分は天才だと信じるのもよいし、ナポレオンの生まれ変わりであると信じるのも、またよいであろう。
なにかを疑いを抱くことなく信じていれば、幸せなのだ。
まことに残念な事に、今の僕には何一つ信じられるものはない。
自分自身の過去における正しさなどとうものは疑い以外の何者かを抱いて見られるものではないし、信じられる未来など当然存在しない。
では現在はというと、これも疑われて然り。
つま先からつま先までを疑っているのである。
幸せになるには、信じられるものを見つけねばならぬのだが、今の僕には何も無い。見渡す限りの嫌疑がある。
それだけ。
なにより、幸せというものを信じられない。
幸せになりたいとまったく思わない。
吹奏楽部の女学生のクラブ活動が終わるのを待ち、「持つよ」などと声をかけては牛歩で夕暮れを進み、帰宅してはハンバーグの横に並ぶバターで炒められた緑色の細長い豆を食べながら「カレーがいいって言ったのに~」などと不平不満を漏らし、「明日作るから」などという返答を聞きながら友人からのメールを受信してそれに左手一本で返事を書き、「食事中なんだから!」などと小言を「うっせー」などと回避して、テレビではクイズミリオネアなどを見ながら「出てる人って馬鹿ばっかだなー。オレが出たら絶対800万は取れるよ」などと兄弟と戯れてから、ONE PEACE、いや、デスノート、ああ、グラップラーバキでも、まあなんでもよいのだが一般大衆受けをしている少年漫画などを寝転がって読み、清潔なシーツで眠るなどといった生活を送りたいとは思わない。それ以外の全てのパターンも、まったく思わない。
バーテンダーの振るひょうたん型の鉄器の中にいるように、飛び交う氷に身を砕かれ、粉々になって、「ああ失敗だ」などとキッチンシンクに捨てられて下水道に達してはどぶねずみの小便となって生きればよいし、そうするべきであると信じている。
結局のところ、僕は不幸せを信じている。
実際の所はそうでないのだけれど、そうだという事にして自分を納得させている。幸せであると感じる事こそが不幸せであり、不幸せであると信じ続ける事こそが幸せなのだ。
ああ、なんと汚らわしい。不誠実で不潔で、醜く穢れきっている。卑屈偏狭の全てだ。その嫌悪感自体が不幸せだ。卑怯者めが。
つまり、今の僕は幸福の絶頂にいる。
自分自身を信じきっている。
とても満たされている。
あなたは幸せですか?
紫キャベツを探す旅
書ける事柄が無いからといって、適当な表題を用意しては泥沼に陥るという実例を示すためだけのブログ投稿を行うというわけではない。今僕はむしょうに、むしょうに紫キャベツを見つけたいのだ。あるいは、紫キャベツを探したいのだ。
心労である。
ショックである。
マグネシウム不足である。
ここ数日間、女学生のブログであると頑なに信じて、よろしくやりたい、よろしくやりたい、出来ることならいますぐにでもよろしくやりたい、と思いながら必死になって過去ログ全てを読み、今か今かと更新されるのを待ち望んでいたブログの書き手が彼氏持ちだった。
というか、同性愛者の男性だった。
失恋したので、紫キャベツを探す旅に出ます。
100%
100%、つむじの上まで肥溜めに使っており、右もうんこ左もうんこ、下も上もぜんぶうんこという状況にある社会の最底辺のそのまた下、真性引き篭もりという身分であるからといって、うんこを衝立にしてその隙間から無責任に唾を吐いてよいなどとは考えてはいない。真性引き篭もりもそれ以外の人間も同じインターネットにいるのであるからして、相応のこころづもりと誠実さを用意しておくべきであるというような事をあとで書こうといった事や、人間の屑というどうやらかなりマイナーであると判明した言葉を使わずに人間失格という一般大衆にも27歳というものが浸透している言葉ならばあの世代の人間でもわかったかな、いや、あの調子なら鋼の錬金術師でも無理か、というか鋼の錬金術師は違うだろ、といったような事を考えて少しにやつきながらタイピングゲームに耽り、一段落ついたので真性引き篭もりを見てみるとコメントが物凄いついていた。すげー。
前述の通りコメントにはコメントしないと書いていたのでコメントにはコメントしません、などと逃げを打つもりはないのだけれど、処理能力の限界を思いっきり越えている。いやーここまできますか!笑った。
最初見たときは真面目に不真面目をやろうと思っていたんだけどさすがにここまで来ちゃうと無理。というか、約3つのコメントを読んでへこみにへこんだ。あ→も→兆やんなっちゃう、って感じだけど、とりあえずこれについては少し収まってからきちんと書くので今は後回し。
一応終わってしまいましたが、コメントにコメントしてほしいという方がいらっしゃればその旨を書いていただければ追ってコメントを返します。
という事で、適当に寝ようかと思っていたのだけれど、トラックバックを下さった方の質問に答えて、置きます。
とは言ったものの、どこに重心があるのかいまいち読めない。
たとえ話がすきではないのに、例え話を持ち出しているからして、きっとそこなのであろうととりあえず引用してみる。
>白い杖をもって歩いている人にぶつかって
>「どこみて歩いてるんだ!」って言われて
>いるような気がします。あ、そうそう私は
>目は見えますし、五体満足で生活していま
>すので、はい。トラックバックもコメント
>も受け付けれます。
なるほど上手いと感服。
僕が気狂いの罪人であるというのは再三再四このブログに書いてきた事そのままであるし、'白い杖をもって歩いている人'というのも見事だ。盲人(あるいはめくら)と書かずに白い杖をもって歩いている、というあたりでラプター氏を言い表しているのか。なるほど。
その上で、「私は目は見えます」「トラックバックもコメントも」とまで来られてはこりゃもう、。なるほど。それならばしっかりと返答しなければならない、と910度間違った読み解きをしてみてから、さらっと忘れてご返答。
>特定人物が文章を書くという事はそれだけの責任が
>発生するのだとおもいます
その通りです。そのこころづもりは出来ております。
って、ここまで書いた所でラプターさんが書いていたのみつけちゃったので、おしまい。あー、「一族郎党あつめてヤッヂィマイナ!」とか「これが本当のめくら撃ち」とか、いくつか使いたいワードがあったのに。
今回の件で導火線となったのは僕が書いた不誠実な文章であり、それが原因で不誠実から不誠実に不誠実して、どうにかなった、といった所で終局を迎えたわけでありますが、コメント欄が物凄い事になっててちょっと悔しいので、そちらでBBSなりコメント欄なりできたら40連続投稿くらいして頑張って荒らします!などとまた不誠実な文章を書きそうになり、ぎりぎりで思いとどまり今に至る。
海外ボツニュース、というサイトは、その表題に「ニュース」と入っている事、グーグルでもWorld > Japanese > ニュース > オンライン・メディア > テキスト配信と分類されている事、行っている内容が日本には伝えられていないニュースを翻訳し、それに寸評をつけて公開しているとい事、商業サイト上でという事から受ける印象からも、少なくとも2万人に1人はニュースサイトであると感じ取れる内容であり、文章に対する責任として報道に対する批判をうける覚悟くらいはなさっておいた方がよろしいかと思います。
たかが真性引き篭もりに笑われたくらいで、広告もアフィリエイトもないブログを前にして一族郎党あつめてヤッヂィマイナ!は勘弁してください。と思ったけどいいや。楽しかったし。
ぐだぐだ。トラックバック、ああ。そうだ。
>が、しかし真性引き篭もり氏がblogをどう
>とらえているんでしょうかね。トラックバ
>ックを許可していないといけないのでしょ
>うか?コメントをつけれないといけないの
>でしょうか?その前に、blogってそんなに
>たいそうなものなのでしょうか?FTPでテキ
>ストをちまちまアップしている人はどうな
>るのでしょう。
FTPでテキストをちまちまアップしているのも、いわゆるブログでブログを書いているのも、同じブログだととらえております。商業サイトが非商業サイトと戦うならば、せめて少しはルール調整してやろうよ、という事だけであります。別に40連続投稿して荒らすつもりだったとか、そういうのは一切ありませんが、とりあえずちょっとは歩み寄ろうよ、といった所からの「トラックバックを」であります。
ちなみに僕は海外ボツNews!をこれからも楽しみにしています。では。ご一層のご活躍を。あー、駄目だ。不誠実だ。
この度はどうもすみませんでした。ごめんなさい。以上。
忘れてた。
物凄く笑ったコメントがあったので、それを。
>このサイトよりも海外ボツのほうが数段面白い
そんな、大阪の小学生が持ち出すような面白さ原理主義で批判されても笑う以外の対応が思い浮かびません。ほんま、100%ね、100%僕がおもんないんです。ほんま100%、いや、100%僕がおもんないんです
癒されて、寝る。
ほんま、100%
2004年11月15日月曜日
募金パーク(高麗和男)は寄付金詐欺、義援金詐欺をしているのではないかという疑惑(終了)
とりあえず募金パークはこれで終了。
なにか変化が無い限りこれで最後です。
・http://bokinpark.com/募金パーク
サイト管理者が現金を得られるアフィリエイトが山ほどある。
運営は高麗和男氏約1名
・http://www011.upp.so-net.ne.jp/cambodia/カンボジアスクールNGO
NPO法に基づく法人格を所持していない。
サイト管理者が現金を得られるアフィリエイトが山のようにある。
法人格は所持しておらず、運営は高麗和男氏約1名。
・http://ngo.air-nifty.com/カンボジアスクールNGOブログ
募金パークからのリンクは削除された。
全てのコメントとトラックバックを拒否。
・募金パークにはアフィリエイト広告が山のように張られており、それらをクリックして得られる報酬は全て高麗和男氏の懐に入る。
・カンボジアスクールNGOにはアフィリエイト広告が山のように張られており、それらをクリックして得られる報酬は全て高麗和男氏の懐に入る。
・高麗和男氏募金名目でアフィリエイトをクリックさせていた(いる)のは規約違反。
・ホームページで皆様から募った協力金(原文より)を*全額*寄付するとはどこにも書いていない。
・高麗和男氏は寄付名目で70万以上の金をかき集めており、それらが放出されたように伺える記述は、本人の旅費、生活費と3万円のみ。
・また、協力金名目で90万以上をかき集めており、85万円を寄付しても高麗和男氏の手元には5万円が残る。
>カンボジアスクールNGOでは、寄付金により
>数人の子供を就学させたとあります。
>にもかかわらず、収支明細が
>一切記載されていないのはなぜですか?
この質問に対する募金パーク(高麗和男)さんの回答。
>全ての会社が収支報告を開示記載していますか。
>例えばどこかのネットショップさん
>例えばどこかの個人経営の事業者さん。
>これは開示義務はありません。
>当然寄付を頂いた方からの要請にも開示義務はありません。
・高麗和男氏の趣味は「海外旅行」。
>日本政府のODAは現地では決して機能していません。
と募金パーク(高麗和男)は書いているのだけれど、これは他のカンボジア系ウェブサイトによる日本評とは大きく食い違う。それらのサイトによると、カンボジアでは日本のODAが非常に効果的、唯一無比といっていい程に機能しており、国民は非常に親日で、紙幣には日本のODAによって建設された橋が印刷されているとの事。
>私たち日本人の1000円は彼らの約5万円の価値に相当します。
事実は約10万円である。
>http://plaza.rakuten.co.jp/hiro0210/diary/200410300000/
募金パーク(高麗和男)脱税疑惑。
この日本語学校に通っていると明記されている。
その日本語学校は、アンコール・トム日本語センター
・http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=PAH00363&n=dare
そのアンコール・トム日本語センター教師、佐藤瑠美氏日記。
関連をうかがわせる記述は一切無し。
・http://www.angkor-ruins.com/diary_log/index.htm
そのアンコール・トム日本語センター教師、いでみわこ氏。
同上。
・アンコールトム日本語学校の学費は、無料である。
・その無料で通えるアンコールトム日本語学校に、
>子供一人の2年度目以降の学費 15,000円
どうして、カンボジア人の7か月分の収入に相当する学費が必要なんだろう。
高麗和男の旅費+高麗和男の生活費+学費=15000円?
・http://www.eskimo.com/~2nd-hand/shien/nagare.html
ここを見ると、300万で学校というのは妥当な金額か?
・アンコールトム日本語センターと高麗和男氏の接点が見つからない。
>子供達は英語、日本語を勉強しています
アンコールトム日本語センターの運営に高麗和男は本当に関わっているの?
・カンボジアに自転車を送るプロジェクト
自転車は不足しているらしい。僕も自転車盗まれてからは、歩いてテトラポットにゲームソフトを投げ捨てに行っている。同じ不足でも天と地。
自転車が5000円というのは公務員の2ヶ月分の給料との事なので、妥当。
公務員の給料は30ドルに満たないとどっかにあった。
高麗和男氏コメントのまくらがこれ。
>私は非常に混乱しています。
>正直なところ本当に混乱しています。
>今、焼酎を入れてきましたんで、ちょっと飲みますね。
笑わせるのもたいがいにしてください。
>また私が日本を離れるというなんと無責任な行動を
>取らなければならならないという現実もありました。
なんと無責任な。
でも、日本を離れねばならない事情があったんなら仕方ないか。
>ご支援をして頂いた皆様のご芳名
という欄に、
>カンボジアスクール代表 大阪市生野区 500,000
自分で自分に寄付?しかも、
>事務・送金経費の費用は、ご支援いただいた
>金額の10%を計上しています
どうなってんの?
>通学の為の募金金額 429,000 円
429000円の寄付を受けて、教師はボランティアのアンコール・トム日本語センターに生徒を通わす事に成功したのは
>http://www011.upp.so-net.ne.jp/cambodia/child/child1.html
13名。カンボジア平均年収の10年分で13人を無料学校に通わせたのみ。
メールなさった方のコメント欄より
>非難メールも書き込みもトラバもグループの仕業だ!
>テレパシーが飛んできた!くどいも今回トラバした
>ヤツもその一味かもしれない!許せない!
テレパシー受信中!?
海外ボツ!News管理人のラプターは人間の屑だ。についての謝罪と釈明と再質問。
http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0411/15er.html
まず、トラックバック出来ないのでURL。
>間違ったデータを知らずに翻訳して紹介したこと、
>そしてしばらく訂正しなかったことで、誰かをここ
>まで怒らせたなんて想像もしていなかった。
海外ボツニュース(ラプター)様へ。
まったく読み違えておられます。
>「でっち上げに釣られてバカなヤツ」と嗤われる覚悟はしていたが
僕はそのような類の批判は一切しておりません。
>この男がユタ州が馬鹿だと書き、Richstyles!さんの反論を受け
>てからブログに投稿した内容はというと、「コリン・ファレル、
>巨根伝説の真偽」だとか、「この振動がたまらない」だといった
>ようなものばかりで、「デマを掴まされておいて、それがデマで
>あった事の説明責任も謝罪もせずに低俗でお下劣なブログをユタ
>州の上への中傷の上に書き綴っているお前が一番馬鹿だろ!」と
>突っ込まずにはいられないので、
と、あるように海外ボツニュース(ラプター)が
「説明責任も謝罪もせずに低俗でお下劣なブログを書き綴っている」
事をあげて、ニュースサイトを運営するに相応しいだけの誠実さ、資質を持ち合わせていない馬鹿だ、と書いているのです。
>しかしながら、これまで幾人かのまともな方々にも「馬鹿である」
>という誹謗中傷を行ってきた過去があるので、このラプターという
>男に対して「馬鹿である」とは、書けぬのでこのような表題になっ
>たわけである。
馬鹿だと書かなかった理由は以上の通り、他の方への配慮から。
次に、言い訳に終始し、と僕が書いた部分について。
>引用部の翻訳をする暇がなく、訂正が遅れてしまいました。
では、改めて。主題。
僕が海外ボツニュースを批判したのは、
・デマをつかまされたという情報を知りながら
・それを数日間に渡って放置し
・放置した理由は、"引用部を翻訳する暇がなかった"
・その間中も、巨根伝説等のニュース配信は続けていた
事からです。
どうして巨根伝説を翻訳し、5つ6つもの投稿を行う余裕があったのに、引用部を翻訳する暇はなかったのですか?
報道機関(ニュースサイト)には、誤った報道を行った場合は迅速に訂正する義務があるのではありませんか?
デマを掴まされたり、ちょっとした英文を読むにも手間取る程度のつたない英語力で家族を養わなければいけないというやむにやまれぬ事情があったとはいえ、貴方が数日間にも渡り訂正を行わなかった事は、明らかにニュースサイト運営者の取るべき行動としては問題があったと考えております。
報道機関、ニュースサイトとしての最低限度の責務も果たさぬままで巨根伝説を翻訳し続けるその人間性、報道機関運営者としての資質に深く疑問を持ち、馬鹿だと断定した投稿を行うに至ったわけであります。
以上。
確かに、人間の屑という単語を使用した点については、行き過ぎだったかもしれません。この言葉を表題に選択したのは、決してラプター様をより汚い罵詈雑言により罵倒したかったからではないのですが、その「人間の屑」という単語がラプター様を傷つけてしまった事については、深くお詫びします。
でもね、僕が人間の屑にこめたのは貴方が勘違いしているよな酷い罵倒の感情ではありません。人間の屑という言葉、表題に込めたのは人間の屑(町田康)から僕が読み取った滑稽さのようなもの、具体的には「デマを掴まされる程度の英語力しかないのに、お金を稼ぐ為に頑張っているというのは本当に大変そうで哀れでかわいそうだな」といったような、社会に出ずにのうのうとゲーム三昧の日々を過ごしている真性引き篭もりが、社会に出て働いている真人間への畏怖を込めたものであります。
繰り返しになりますが、「人間の屑」というあまり一般的共通認識のない言葉がラプター様を激昂させ、その日常を乱し、傷つけてしまった事につきましては、重ねてお詫び申し上げます。
また、僕がメールにて「人間の屑」を送信しなかった事を責められているようですが、報道機関がデマを流しておきながらそれを数日間に渡り放置し、巨根伝説を更新し続けたならば、嘲られて当然でしょう。その程度の覚悟も出来ていなかった!などと言われても、ギャグにしか読めません。トラックバックを受け入れるように改変すれば、インターネットメディアの優位性である、即時フィードバックがあるというメリットをすぐに享受出来ます。ニュースサイトが非営利の個人ブログに対して垂れ流し、一方向、言い捨てというのは誠実さに欠く行為でもあります。もし、デマを掴まされる程度の英語力が無いにもかかわらず、やむにやまれぬ事情でニュースサイトの運営を続けなければならないのでしたら、一瞬で読者からのレスポンスを受けられるように、トラックバックを受け入れるように改変するのが最善の選択であると考えております。
では。ご一層のご活躍を。
インターネットは広すぎる。
ブロックブログの素晴らしさを称えようかと書いてみたものの途中で折れてしまい、それでも何か書かねばとDOTA allstarsのヒーロー解説でも書き始めれば50投稿は持つな、などと馬鹿げた皮算用をしてみたりしているとTorus Trooperがやりたくなり、「今なら大丈夫!」と自分に騙されてぐでんぐでんになった。もう駄目だ、と机にうっぷしていると、インターネットの広さに困惑するに至る。
正直、僕にとってインターネットは余りにも広い。
広すぎる。宇宙の始まりで例えると、ビッグバンくらい広い。
DOTA allstarsを辞めてから、ネットサーフィンというものを始めたのだけれど、これは僕には向いていない。無数のホームページがあり、それらは行き止まり無く繋がり、クリック一つで金太郎飴のように新たな活字が現れる。これを左クリックでさまよい続けていると、さらにさまよい続けていたい誘惑にかられる。
それらを際限なく読み続けていると、自分自身が無くなってしまうのではないかという恐怖に囚われた。
他の人が書いた文章を読むと、どうしてもその人の文章が脳みそにこびりついてしまう。これが新聞や小説、あるいはゲームの台詞といったものならば、距離を置くのは簡単なのだけど、直接書き手が見えてしまう文章を読んでしまうと、語り掛けられているような錯覚を覚えて、どうしても影響されてしまう。
影響、というよりも、汚染されてしまう。いや、穢れているのは僕の方なのだから、浄化されてしまう、といった方が正確だろう。
それが、途轍もなく怖い。
僕はDOTA allstars中毒者、あるいはゲーム中毒者として汚れたままの姿でいたいのに、人様の文章は物凄く幸せではつらつとしており、「こっちに来い、お前も綺麗になれ」と言ってるように聞こえる。
いやなのだ。
僕はこのままぐだぐだのブログを投稿し続けたい。
その為にもうインターネットはするまいとインターネットエクプローラをアンインストールしたい衝動にかられたのだけれど、それではブログが更新できぬということに気がついて、思いとどまる。
とりあえず、もう少し。
2004年11月14日日曜日
トラックバックとコメントありがと
ありがと。以上。
ではあまりにも不誠実なので、
ありがとうございました。以上。
ではあまりにも不誠実なので、
本当にありがとうございました。以上。
ではあまりにも不誠実なので、
http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/84955/
>農協が「タバコは毒」って言っていたのか?
勘弁してください。エイトマンを引いた僕が悪かったです。
>マグネシウムを摂った方がいいよ。
ありがとうございます。コーヒー飲んでみます。
頭痛の原因はマグネシウム不足、とだけ考えておきます。
>アルファケンタウリ
このゲームをプレイする上で重要なのは極小マップで遊ぶ、という事です。
マップのサイズが大きくなると、必要な都市数が増えてしまい、その防衛と管理に追われて展開が遅くなってしまいます。極小だと、6都市もあれば十分すぎる程ですし、防衛管理、生産管理、土壌改良なども非常に楽です。
難易度はノーマル(平民?)か、ちょっと難しい(司書?)あたりで開始して、領地内に資源が2つ以上存在するまでマップをよりごのむとよいです。オールランダム超人類鉄の人にハマってしまうと、もうおしまいです。カスタマイズで最弱の党派と最強の党派を作り、自分は最弱党派(しかもエイリアン)で自分以外最強党派でプレイするところまでいくと、真夜中にテトラポットを踏みしめたくなります。
土壌改良にはバグがあり、本来畑を作れない地形にも畑を作れたり、土地の上げ下げをするのに、本来必要となるコストを払わずに0エナジーで上げ下げできたり、といったイカサマじみたtipsも方法を覚えていれば伝えてあげたいのですが、あいにく記憶にございません。
違うゲームですが、川+小麦*4+牛*2+鉄という鬼マップを出した事があります。ニタニタ笑いながら内政王プレイに勤しんでたら、アステカに一瞬で滅ぼされました。
>海外ボツ!News絡みの一件について
ブログを書けば書くほど穢れてゆくのが感じられます。
明日からは小ぢんまりに戻れれば、と考えております。
滑稽になり転落し破滅するまで、などとは考えていま、
トラックバックとご助言ありがとうございました。
募金パーク(高麗和男)が寄付金詐欺、新潟震災義援金詐欺疑惑を払拭する方法。
募金パーク(高麗和男)にかかっている疑惑は以下の通り。
1、カンボジアスクールNGOと募金パークは、高麗和男が生活費と趣味の海外旅行を行う為の旅費を稼ぐ為のサイトではないのか。
2、被災者という言葉を食い物にし、寄付金で私腹を肥やしているのではないのか。(本人が、HPに記載していない協力金の存在を明言している)
これらの寄付金詐欺、義援金詐欺疑惑を払拭するのは極めて簡単です。
1、ホームページ開設時からの入金履歴を全て公開する。
2、その上で、全額を即時寄付する。
その上で、信頼を回復するのも極めて簡単です。
3、質問を募集し、それらに全てに明確に回答する。
例えば、コメント欄で質問がなされていたにも関わらず無視した、
>3.またこのように「預かり金がすぐに募金されるわけではない」
>ということはサイトに明記されていますか?
>もしくは、協賛者は了解している、と高麗さまはお考えでしょうか?
といったものや、
・カンボジアスクールNGOのホームページには、学費が無料であるアンコール・トム日本語センターに生徒を通わしたとの運営実績が明記されておりますが、無料の学校に子供を通わせるのに
>子供一人の2年度目以降の学費 15,000円
どうしてカンボジア人の平均年収の半年分以上の金額が必要なのですか?
といった明らかに回答責任があると思われるようなもの。
あるいは些細な、
>また私が日本を離れるというなんと無責任な行動を
>取らなければならならないという現実もありました。
50万円を越える預かり金を懐に入れたままで、善意を放置してまでニュージーランドに行かなければならなかった理由をお聞かせいただけますか?
>女 高麗さん仕事は大丈夫なんですか??
>男 僕の仕事は完全にストップ状態ですよ・・もう一週間近く仕事してない・・
>女 ご飯食べれなくなったら大変ですよ
>男 大丈夫・・神様はちゃんと見てる・・
失礼ですが、ご職業は?
一週間前までのお仕事の内容はどのようなものですか?
>私は決して善人ではありません。
>以前悪いこともしました。人には言えない悪いことです。
一体なにをなさったんですか?
まとめます。
1、ホームページ開設時からの入金履歴を全て公開する。
2、その上で、全額を即時寄付する。
3、質問を募集し、それら全てに明確に回答する。
以上で募金パーク(高麗和男)への寄付金詐欺、義援金詐欺疑惑を完全に払拭する事が出来ます。上記の3点を実行なされる事を期待しております。
/* 追記 */
上記の質問に対して募金パーク(高麗和男)が行った事は、
不都合な全トラックバックログ削除と、トラックバック拒否、コメント拒否です。
1、カンボジアスクールNGOと募金パークは、高麗和男が生活費と趣味の海外旅行を行う為の旅費を稼ぐ為のサイトではないのか。
2、被災者という言葉を食い物にし、寄付金で私腹を肥やしているのではないのか。(本人が、HPに記載していない協力金の存在を明言している)
これらの寄付金詐欺、義援金詐欺疑惑を払拭するのは極めて簡単です。
1、ホームページ開設時からの入金履歴を全て公開する。
2、その上で、全額を即時寄付する。
その上で、信頼を回復するのも極めて簡単です。
3、質問を募集し、それらに全てに明確に回答する。
例えば、コメント欄で質問がなされていたにも関わらず無視した、
>3.またこのように「預かり金がすぐに募金されるわけではない」
>ということはサイトに明記されていますか?
>もしくは、協賛者は了解している、と高麗さまはお考えでしょうか?
といったものや、
・カンボジアスクールNGOのホームページには、学費が無料であるアンコール・トム日本語センターに生徒を通わしたとの運営実績が明記されておりますが、無料の学校に子供を通わせるのに
>子供一人の2年度目以降の学費 15,000円
どうしてカンボジア人の平均年収の半年分以上の金額が必要なのですか?
といった明らかに回答責任があると思われるようなもの。
あるいは些細な、
>また私が日本を離れるというなんと無責任な行動を
>取らなければならならないという現実もありました。
50万円を越える預かり金を懐に入れたままで、善意を放置してまでニュージーランドに行かなければならなかった理由をお聞かせいただけますか?
>女 高麗さん仕事は大丈夫なんですか??
>男 僕の仕事は完全にストップ状態ですよ・・もう一週間近く仕事してない・・
>女 ご飯食べれなくなったら大変ですよ
>男 大丈夫・・神様はちゃんと見てる・・
失礼ですが、ご職業は?
一週間前までのお仕事の内容はどのようなものですか?
>私は決して善人ではありません。
>以前悪いこともしました。人には言えない悪いことです。
一体なにをなさったんですか?
まとめます。
1、ホームページ開設時からの入金履歴を全て公開する。
2、その上で、全額を即時寄付する。
3、質問を募集し、それら全てに明確に回答する。
以上で募金パーク(高麗和男)への寄付金詐欺、義援金詐欺疑惑を完全に払拭する事が出来ます。上記の3点を実行なされる事を期待しております。
/* 追記 */
上記の質問に対して募金パーク(高麗和男)が行った事は、
不都合な全トラックバックログ削除と、トラックバック拒否、コメント拒否です。
3D酔い。
ゲーム酔いだけには自信がある。
ゲーム酔いだけならば誰にも負けないという自負がある。
ゲームをプレイしない方にゲーム酔い(3D酔い)というものを説明しておくと、主にレースゲームなどの3Dゲームで、実際に車やジェットコースターにのった時のような吐き気、頭痛、ふらふらになる、等の症状が出る事を、ゲーム酔い(3D酔い)という。
このような不真面目なブログ投稿を連発しているのは、きちんとした内容のあるブログ投稿から逃げているのではなく、ちょっと頭痛が収まるのを待っているだけなので、寝ませんし逃げも隠れもしないので、少し時間を下さい、といった事もあわせて書いておく。きちんと書きます。
ゲーム酔い(3D酔い)。
僕は、これだけは本当に物凄い。
マリオカートやエフゼロで酔うとかそういうのは当たり前で、完全に2Dグラフィックのゲームであるディアブロ2でも酔うし、視点変更が無い3Dゲームであるウォークラフト3でも酔うし、スーパーロボット大戦の必殺技でゲッターロボが遠くへ飛んでいっては舞い戻り、敵に当たった瞬間にピカッと光るのを見てKOされてしまうし、牧場物語というゲームでは移動しただけで酔い、風来のシレンアスカ来訪で敵のボスを倒した時に画面がガタガタと揺れたので画面を見る事が出来なくなり、エンディング内容をよく見られなくなるくらいに酔う。
とにかく、酔う。
そんな僕に、また新しいゲーム酔いの原因が見つかった。
それはゲームですらない。
エンターキーを押した衝撃で酔う。
薬指でトン、トンと叩き続けていると、数分でゲロゲロ、ふらふら。
頭痛の原因も偏頭痛の原因も酷い頭痛の原因も酷い偏頭痛の原因も全部判明した。エンターキーを押した衝撃で酔っている。
あまりにも悲惨な現状から抜け出すためにエンターキーを外し、裏側に溜まったホコリをシャツで拭い、出来るだけ丁寧にキーボードを叩くように心がけたら、少しはマシになった。
にしても酷い。
なんだこの耐性の無さは、虚弱体質は。
と少し落ち込み、インターネットで筋肉トレーニングについて書いてあるサイトを検索し、正しいフォームで腕立て伏せをしてみたところ、1回も出来なかった。
ちょっと待ってください。
これではスティーブンセガールになれぬではないか、とまた少し落ち込んで、無理やり間違ったフォームで腕立て伏せをしてみたら、2回出来たので非常に満足し、ブログを書いている。
多分、もうだいぶ筋肉質になったと思う。
明々後日頃には、僕が道を歩けば人々は思わず目を疑いながら振り返り、「マッスル!」「マッスル!」と声を上げずにはいられなくなるだろう。それくらいに今の僕は筋肉だ。
ここで浮上してしまう最大の問題は、僕は真性引き篭もりであり、自室出られぬという事で、こればかりはどうしようもない。
よって、真性引き篭もり管理人hankakueisuu(通称マッスル)が「マッスル!」と呼ばれる事は無いだろう。
その事実だけが僕を悲しくさせる。
2004年11月13日土曜日
募金パーク(高麗和男)は寄付金詐欺、義援金詐欺をしているのではないかという疑惑についての覚え書き。
・http://bokinpark.com/募金パーク
サイト管理者が現金を得られるアフィリエイトが山ほどある。
運営は高麗和男氏約1名
・http://www.dff.jp/info/index.htmlクリックで救える命がある。
企業のイメージ向上を主要とした広告による運営を行っている。
運営は株式会社ディ・エフ・エフ。
・http://www.ekokoro.jp/イーココロ
ポータルサイトとして運営を行っている寄付サイト。
運営は株式会社ダビンチ。
・http://www.cambodia.npo-jp.net/カンボジアNGO
カンボジアの復興と教育支援を目的としたNGOのサイト。
広告は多数あるが、それらによって得られた収入は寄付、運営に回すと明記されている。
NPO法に基づく法人格を所持している
・http://www011.upp.so-net.ne.jp/cambodia/カンボジアスクールNGO
NPO法に基づく法人格を所持していない。
サイト管理者が現金を得られるアフィリエイトが山のようにある。
法人格は所持しておらず、運営は高麗和男氏約1名。
・募金パークにはアフィリエイト広告が山のように張られており、それらをクリックして得られる報酬は全て高麗和男氏の懐に入る。
・カンボジアスクールNGOにはアフィリエイト広告が山のように張られており、それらをクリックして得られる報酬は全て高麗和男氏の懐に入る。
・アフィリエイト広告によって得られた報酬を*全額*寄付するとはどこにも書いていない。
・高麗和男氏募金名目でアフィリエイトをクリックさせていた(いる)のは規約違反。
・高麗和男氏は寄付名目で70万以上の金をかき集めており、それらが放出されたように伺える記述は、本人の旅費、生活費と3万円のみ。
・また、協力金名目で90万以上をかき集めており、85万円を寄付しても高麗和男氏の手元には5万円が残る。
・高麗和男氏の趣味は「海外旅行」。
・http://www.7net.com/company/annai.htmこちらにお勤め?
・株式会社セブンネットhttp://www.sevennet.com/corporate/index.htmlは、
株式会社セブンネットhttp://www.7net.com/とは別の会社組織である。
・株式会社セブンネットは実は有限会社なの?
http://www.tryforce.net/database/it/database_osaka_01.html
・http://www.7net.com/soho/index.html
これって、ぱっと見た感じマルチみたいな印象。あくまでも私見。
・http://www.7net.com/company/annai.htm取締役の新倉崇子さんは、
http://24.bitcube.net/biz/wlnews.cgi?id=biz0309&では手塚崇子さん。
ご結婚おめでとう。
ところで、この会社社員何名なんだろう。普通書いてるものだけど。
その2.
・http://groups.yahoo.co.jp/group/Cambodiaschool/messages/3?expand=1
英文読みきれず。あとでゆっくり読む。
・募金パーク管理人の高麗和男氏は、自サイトでカンボジアの物価を事実の2倍強であると記載している。
>日本政府のODAは現地では決して機能していません。
と募金パーク(高麗和男)は書いているのだけれど、これは他のカンボジア系ウェブサイトによる日本評とは大きく食い違う。それらのサイトによると、カンボジアでは日本のODAが非常に効果的、唯一無比といっていい程に機能しており、国民は非常に親日で、紙幣には日本のODAによって建設された橋が印刷されているとの事。
>私たち日本人の1000円は彼らの約5万円の価値に相当します。
事実は約10万円である。
>疲れた。
そろそろやめよっか。このままじゃおかしくなっちゃう。
>http://plaza.rakuten.co.jp/hiro0210/diary/200410300000/
募金パーク(高麗和男)脱税疑惑。
>http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0411/13c.html
海外ボツニュースはちょっと落ち着いた。一切の謝罪もなく言い訳に終始する最、もうやめとこう。こういう言葉の羅列は。
>http://mokumoku.bblog.jp/
マルチ。竹内克仁さん、出番ですよ。あと、ごめんね。
>http://sideline.bblog.jp/
マルチ。竹内克仁さん、出番ですよ。あと、お世話になりました。
>http://jitsuroku.bblog.jp/
がんbれ!せめてブログぐらいは書ききろう!僕も。
その3
この日本語学校に通っていると明記されている。
その日本語学校は、アンコール・トム日本語センター
・http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=PAH00363&n=dare
そのアンコール・トム日本語センター教師、佐藤瑠美氏。
>「先生はどんな人ですか?」
>「人気があります」
>「経験があります」
>「美人です」
よろしく、
・http://www.angkor-ruins.com/diary_log/index.htm
そのアンコール・トム日本語センター教師、いでみわこ氏。
同上。
両者の日記を超絶斜め飛ばし読みしたところによると、
そのアンコールトム日本語学校の学費は、無料である。
・その無料で通えるアンコールトム日本語学校に、
>子供一人の2年度目以降の学費 15,000円
どうして、カンボジア人の7か月分の収入に相当する学費が必要なんだろう。
高麗和男の旅費+高麗和男の生活費+学費=15000円?
取り分凄いね。
・http://www.eskimo.com/~2nd-hand/shien/nagare.html
ここを見ると、300万で学校というのは妥当な金額か?
・アンコールトム日本語センターと高麗和男氏の接点が見つからない。
>子供達は英語、日本語を勉強しています
アンコールトム日本語センターの運営に高麗和男は本当に関わっているの?
・カンボジアに自転車を送るプロジェクト
自転車は不足しているらしい。僕も自転車盗まれてからは、歩いてテトラポットにゲームソフトを投げ捨てに行っている。同じ不足でも天と地。
自転車が5000円というのは公務員の2ヶ月分の給料との事なので、妥当。
公務員の給料は30ドルに満たないとどっかにあった。
・http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/9425/index.html
・http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/9425/newpage7-2-2.htm
法人格無し、明細の報告有り。
高麗和男氏コメントのまくらがこれ。
>私は非常に混乱しています。
>正直なところ本当に混乱しています。
>今、焼酎を入れてきましたんで、ちょっと飲みますね。
笑わせるのもたいがいにしてください。
>また私が日本を離れるというなんと無責任な行動を
>取らなければならならないという現実もありました。
なんと無責任な。
でも、日本を離れねばならない事情があったんなら仕方ないか。
募金パーク(高麗和男)は寄付金詐欺、義援金詐欺をしているのではないかという疑惑についての質問。
先日から、ブロックブログのアクセスランキングにリンクされていた、
http://pokan.bblog.jp/
ポカンブログを読み、募金パークという所を知った。
ぽかん管理人である方の文章は、募金パークの運営を批判されてはいるものの、それは組織運営が未熟だからであり、悪意、あるいは私利私欲は無いんだよ、というスタンスである。
僕はそれとはかなり違う印象を持ったので、カンボジアスクールNGOの代表者であり、募金パークの運営者である高麗和男さんにいくつか質問させて頂きます。
・疑問点その1。
カンボジアスクールNGOがNPO法に基づく法人格を取得していないのは何故ですか?
・疑問点その2。
年間予算30万円で1400人を一年間通学させているNPOが存在します。
高麗和男さんが運営するカンボジアスクールNGOでは、
>子供一人の初年度学費+自転車 20,000円
>子供一人の2年度目以降の学費 15,000円
となっており、価格差は200倍です。
どうしてこのような差額が出るのですか?
・疑問点その3
http://zai.chu.jp/cambodiaschool/pro1.htm
では、100人の生徒を受け入れられる学校を建てるのに500万円の資金が必要となっていますが、1000人以上の生徒を受け入れている学校の賃料は年間5万円です。
カンボジア人の平均収入は3万円以下で、
500万円とは、200人が1年間働けるだけの金額です。
なぜ、そんなに高くつくのですか?
・疑問点その4
カンボジアスクールNGOでは、寄付金により数人の子供を就学させたとあります。
にもかかわらず、収支明細が一切記載されていないのはなぜですか?
他にも多数あるのですが、お忙しくお時間もないようにお見受けしますので、とりあえず以上の4点で質問を終えさせていただきます。
よろしくお願いします。
http://pokan.bblog.jp/
ポカンブログを読み、募金パークという所を知った。
ぽかん管理人である方の文章は、募金パークの運営を批判されてはいるものの、それは組織運営が未熟だからであり、悪意、あるいは私利私欲は無いんだよ、というスタンスである。
僕はそれとはかなり違う印象を持ったので、カンボジアスクールNGOの代表者であり、募金パークの運営者である高麗和男さんにいくつか質問させて頂きます。
・疑問点その1。
カンボジアスクールNGOがNPO法に基づく法人格を取得していないのは何故ですか?
・疑問点その2。
年間予算30万円で1400人を一年間通学させているNPOが存在します。
高麗和男さんが運営するカンボジアスクールNGOでは、
>子供一人の初年度学費+自転車 20,000円
>子供一人の2年度目以降の学費 15,000円
となっており、価格差は200倍です。
どうしてこのような差額が出るのですか?
・疑問点その3
http://zai.chu.jp/cambodiaschool/pro1.htm
では、100人の生徒を受け入れられる学校を建てるのに500万円の資金が必要となっていますが、1000人以上の生徒を受け入れている学校の賃料は年間5万円です。
カンボジア人の平均収入は3万円以下で、
500万円とは、200人が1年間働けるだけの金額です。
なぜ、そんなに高くつくのですか?
・疑問点その4
カンボジアスクールNGOでは、寄付金により数人の子供を就学させたとあります。
にもかかわらず、収支明細が一切記載されていないのはなぜですか?
他にも多数あるのですが、お忙しくお時間もないようにお見受けしますので、とりあえず以上の4点で質問を終えさせていただきます。
よろしくお願いします。
マグロのようなもの。
「水を得た魚」ということわざはおかしい。
水を失った魚が水を得た所で、元気にはならぬ。
そもそも、魚にとって水は失うものなどではない。
水と魚は切っても切れぬ関係であり、水こそが魚そのものであり、魚こそが水そのものなのである。
そのようなあきらかに間違った結論を導き出しながらデスクトップをさ迷っていると、僕という存在はマグロのようなものだと思うに到る。
いや、マグロには程遠い。
あのような高級魚ではない。
赤身の深海魚にサラダ油を混ぜた程度ではある。その程度なのだけど、僕は確かにマグロのようなものであるのだと思う。24時間ゲームをしていないと落ち着かない。横になってもゲームがしたくて寝られないし、目を閉じてはゲームの残像が鮮明に浮かび上がり、寝ては夢中でゲームに夢中。
マグロのようなものでもある上に、いわゆるマグロのようなものでもある。ただゲームを受け入れる。そこに快楽などない。寂しさだけだ。
2つほどブログを投稿しようとしてみて、結局書いているうちになにを書きたいのかわからなくなり、消しては書き、消しては書きとしていると
Torus Trooper
こんなものを見つけた。
物凄く幸せだ。幸福の絶頂だ。
もう、触った瞬間に頬肉がとろけそうなくらいに微笑んでしまった。
これだ、僕に必要なのは一心不乱のゲームだ。
と思った40秒後にカレーうどんを吐いた。
凄まじい頭痛。
吐き気が収まらない。
駄目かもしれぬ。駄目だ、頭痛薬3つぶ。水が欲しい。
no title
5日で30ブログ投稿というのはいくらなんでもやりすぎた。
完全に書くことが尽きた。
もはや、何も無い。
TVは見ない、ネットサーフィンもしない、本は読まない、馬鹿。
趣味は無い、ゲームもない、他者との交流も一切無い、愚か。
このような人間がブログを更新するなどという事がそもそも無茶だったのである。
今日は朗らかで爽やかな朝の投稿は無しです。
4時間ほど探してみたけど駄目でした。
爽やかで朗らかでない内容のものならば、いくつか書きたい事がまだあるので、そちらのぐだぐだ乱文の方はまた頑張ります。
申し訳ない。
2004年11月12日金曜日
アトランティスは無かった。
アトランティスは無かった。
邪馬台国は無かったとか縄文時代は無かったとか月面着陸は無かったとか南京大虐殺は無かったとかホロゴーストは無かったとかそのような共通認識は存在していない。
しかしながら、アトランティスは無かったというのは誰もが知りえる所であり、共通認識であり、世界の常識である。
あ、実はアフィリエイトはこのブログを書き始める前に取ってあったものの使ってなかったんだけど、
>真正引きちゃんのブログを読んで気になって
>シドマイヤーズアルファケンタウリ買っちゃったよ。
ってのを読んでなんとなくせつなくなったから張っとく。
このブログ投稿には山ほどの糞ゲーや糞本が出てくるだろうけど、それらは張らないよ。張るのはこれだけ。
シドマイヤーズアルファケンタウリ完全版
このソフトも1度海に投げ捨ててしまったので2度買ってしまったという事になり、約11000円を投じたのだけれど、それが今では2079円で買えるのか。実は2枚目も海に投げ捨てて今は所持していないのだけれど、この値段だと買い戻してしまいそうなくらいだ。
いや、もうこりごりだ。
aikoにとってのテトラポットとは恋愛の対象であり缶コーヒーやら、といった温かみのある所のようだが、僕にとってのテトラポットとはゲームソフトを投げ捨てる場所でしかない。大抵夜中の2時45分過ぎに家を抜け出して、ふらふらになりながら防波堤に辿り着く。そして甲殻類の腐ったような臭いが漂う中で、25メートルプールによくあるような鉄梯子を登り、テトラポットを少しづつ降りてゆく。
そして、廃棄された釣り餌の臭いとひからびた釣り餌が散乱するテトラポットの上から、全力でゲームのCDを投げると、そのディアブロ2や、アルファケンタウリや、トロピコや、エイジオブエンパイアや、Jリーグサッカークラブをつくろうや、ファンタシースターオンラインやアドバンスト大戦略やらは銀輪を描いて灯台からの光をくるくると回しながらすぴゃんと水面に飲み込まれ、その瞬間リアルに生きているという事を感じ取る事が出来、その結果として僕は生まれ変われるのである。
いや、正確には生まれ変われるのではなく、変身するのである。
その後の約15分間だけは希望に満ち溢れたスーパー引き篭もりに変身するのである。
15分が経過したらテトラポットの魔法は解けて、僕は再びゲーム中毒者へと戻ってしまい、高価なゲームソフトを海に投げ捨ててしまった己の愚かさを深く後悔し、再び購入へと走るのである。
一度などは秋の海に転落した。
なぜ秋の海に転落したのかというと、スズキ、スズキかどうかはわからぬが、緑色のバイクに乗った男と女がよろしくやっており、それを避けていつもとは違う防波堤へ行ったところ、いつものテトラポットとは違い丸く足場の無いようなタイプのテトラポットであったため、足を滑らせて落ちた。
とても悲しかった。
ゲームソフトを投げ捨てるのにもってこいのテトラポットの防波堤で真夜中によろしくやるのはやめてください。以上、真性引き篭もりからのお願いでした。
つまり、結論から言ってしまうと、アトランティスなどなかったのである。
まったく、存在すらしていなかったのである。
アトランティスの存在を信じた、あるいは信じているふりをしている愚か者は、アトランティスの存在こそが己を救ってくれ、世界の上と下を入れ替えてくれる希望であると、その存在しないアトランティスにすがっているのである。
僕はアトランティスを信じている。
いや、アトランティスの存在を信じているふりをする。
今も尚、これからも、アトランティスの存在を信じているふりをする。
僕を救ってくれるのはアトランティスは絶対に存在するという希望のみなのだ。
http://www.4gamer.net/specials/Flagship/flagship.html
元・ブリザードエンタテイメント社の重鎮、ビル・ローパーインタビュー
そういう事なのだ。
ディアブロ1、ディアブロ2、ウォークラフト3、あるいはそれらをつかってネット上でプレイする事が可能となるバトルネットというようなものを作り上げた人達は、随分と前にブリザードエンタテイメント社を退社しているのだ。
もはや、ブリザードエンタテイメント社からこれまで僕を救ってくれたようなソフトウェアが発売される事は無い。ビル・ローパー1人ではなく、開発チーム全てがビルローパーと時を同じくして辞めてしまったのだから。
デァイブロ3は出ない。
発売される事はない。
永遠に。
それでも僕は待つ。
アトランティスの存在を信じて。
DOTA allstarsを失った今の僕に出来る事はそれしかないのだ。
大丈夫、夜が明ければまた信じて笑えるさ。
真性引き篭もり全面リニューアルのお知らせ。
まったくどうかしている。
率直に申し上げると、まったくどうかしている。
>身の丈でのんびりやれ。
と言われても、これが身の丈である。僕からDOTA allstarsを取り除いてしまうと、何も残らない。あの時DOTA allstarsに戻っておくべきだったと思っても、あとの祭りである。底なし沼にどっぷりつかってしまった気分である。しかし、これはこれで悪くない。いい湯加減だ。もう、これでいいのだ。なるようになれ。
「朝から朝までDOTA allstarsをしていた頃よりは幾分かマシだ」
と見え透いた嘘で自分自身を説き伏せる。
しかしながら、ぐたぐた乱文系ブログとしての真性引き篭もりはもう限界に来ている。よって、ぐだぐだ乱文系ブログとしての真性引き篭もりを完全に捨て去る事を決意した。ぐだぐだ乱文系の真性引き篭もりは閉店店じまいであり、今これから全面リニューアルするのである。
そう、まさにこのブログ投稿を書き込んでいるその時点から、真性引き篭もりは出会い系ブログとして生まれ変わるのである。超絶マイナー洋ゲー系ブログからぐだぐだ乱文系を経て、対に真性引き篭もりがメインストリームの中心に打って出る日が来たのだ。
それが今日だ。
では、誰と誰が出会うのか?という事になる。
結論から言うと、僕とララフリンボイルである。
という事で、このようなブログを無理やり書いてみたわけであるが、余計に泥沼にはまりこんでいるように思えてならないのは僕だけであろうか。
いや、確かに現時点では僕は日本のビルゲイツなどではない。
しかし、そのようなものは大した問題ではない。
これから数日、あるいは数週間の間に名実ともに日本のビルゲイツとなってしまえばいいだけの話であり、今の僕ならばそのような事は簡単に成し遂げられるのだ。恋は無敵の力なのである。
もし仮に、日本のビルゲイツとかまでは行けずに、飛騨高山のウィルライトとか、河内長野のビルローパーとか、その手は桑名の焼きハマグリとか、西中島3丁目の飯野賢治あたりで限界点を迎えてしまったとしても、それはそれで構わぬと思っている。もしその程度で止まってしまったならば、所詮僕というものはその程度の男であり、それらを受け入れる準備は出来ているが、受け入れるつもりは無い!
とりあえず、真性引き篭もりは出会い系ブログとして生まれ変わる事となったので、僕がララ・フリンボイルとよろしくやるまでの道のりをリアルタイムで目撃できるあなた方は、ものすごく幸せなのです。
喜んでください。
おめでとう!
for Lala Flynnboyle!!
I am a Bill Gates from japanese!!
Conglatuslaishon Lala Flynnboyle!!
ur my wife!!
Give me mailaddress and mail!!
wait for yoroshiku!!
ブロックブログ既知の不具合。
1、色々試してみたけれど、カテゴリーの削除が出来ません。
削除したいです。
2、左部分にURLや特定の英文文字列が表示された時に、表示が大きく崩れます。
これは結構よく見かける光景で、今現在この真性引き篭もりも大枠の横幅を大きく取る事によって強引に表示の崩れを防いでいます。なんとかなりませんか?
3、ブロックの除去を行ったときに、自動でそのブロックをトップ、カテゴリーなどから削除するように改良してはいただけませんか?手動で5つも削除するのはちょっとしんどいです。現在は赤文字で「そのブロックはありません」という真っ赤な英文が表示されるのですが、そのちょっと毒々しい表示を桃色にする程度の微調整でもいいです。
4、アメーバブログへのトラックバックが文字化けします。
あちら側の問題だろうし、これは別にどうでもいいのですが、一応なんとかなりませんか?
と、非常にほのぼのとしたブログを投稿してみる。
アメーバブログとの比較も書こうかなと思ってたんだけれど、もう少し落ち着いてからにしよう。トゲトゲしすぎている。反省せねばならない。
海外ボツ!News管理人のラプターは人間の屑だ。
書くべきか、書かざるべきかと悩み続けてきたのだけれど、書く。
その理由は激昂したからであり、今も尚激昂しているからである。
http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/
リンクを張るのも吐き気がするのだけれど、書くにあたって張らないわけにもいかないので張るが、上のURLが海外ボツニュースというブログである。
話を変える。
僕はウォークラフト3というゲームを延々プレイし続けてきた、ちょっと少しおかしなゲーム中毒者である。毎日朝から朝までプレイし、ゲームをしながら寝る事が出来るという特技を持っているため、横になるのは2~3時間という生活を続けており、それ以外はずっとウォークラフト3をプレイし続けていたのである。
ゲームの中では100を越えるアカウント(ハンドルネーム)を作成し、そのアカウントのうちのいくつかはグループ(クラン)に所属しており、そのクランの仲間とウォークラフト3を遊び続けてきたのである。
その中で、最も長い間お世話になり、午前8時頃にログインして、毎朝顔を出していたのが、ユタ州の高校生がクランリーダーをやっている、小さな小さな弱小クランである。
よく顔を出すメンバーが、リーダーとリーダーの同級生の2人、という極めて身内身内とした非常に小さなクランであったのだが、そのリーダーは英語の出来ない僕を勧誘し、顔を出しても色々と気を使ってくれたので、僕はそのクランのチャットルームに半年以上の間居座っていたのである。
そこで行われる会話は、僕の英語力ではまるで内容が読み取れぬものばかりであったのだが、洋楽の話やら、よろしく女優の話やら、テレビ番組の話やらをなんとか解読しては、にやついておったのである。
まあ、話が盛り上がってる最中に僕がなんとか会話に加わってみようと勇気を出して発言すると、
「stfu!」
「stfu!」
と口を揃えて言われる状態だったのだが、僕が1時間以上も英語のログを読み続ける事に飽きて、「今日は落ちるよ」と言うと、彼らは口をそろえて「待て!ゲームして遊ぼうぜ!」と言ってくれる、そのクランは僕にとって非常に居心地のよいものでり、当時はそのクランのチャットチャンネルこそが僕にとって唯一他人と会話出来る場所であったのである。
話を戻す。
http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0411/09a.html
>知能指数と政治行動の関連を調べるために、
>「IQ and Politics」というサイトが「IQ
>and the Wealth of Nations」から引用した
>州ごとの平均知能指数と大統領選挙の結果を
>照らし合わせた表を作成しました。
>
>驚いたな。ここまではっきり出ますか!
そして、その表の下位3州が、これである。
>アイダホ 87 ブッシュ
>ユタ 87 ブッシュ
>ミシシッピ 85 ブッシュ
僕が最も親近感を抱いている、というか郷土であり、故郷であり、愛していると書いてしまってもよいユタ州が、全米で2番目に頭の悪い州として紹介されている。
その上のコメントやこのラプターという男が書いた他の日の特定の思想に満ち溢れた記事などと合わせて読むと、ブッシュに投票する奴はIQの低い低学歴、頭の悪い馬鹿であり、ユタ州はそのような馬鹿の巣窟である、と上の表は語っているのである。
それだけであれば、僕は自分の愛していた州が「実は馬鹿の巣窟だったんだ」という事を確認し、新たな知識を得られたという事で、残念な事実ではあるが知れたことは喜ぶべきことだ、と判断したであろう。
しかし、この話には続きがある。
http://www.richstyles.net/archives/2004/11/cceeaceaiqaceaa.html
Richstyles!というブログの投稿には、こうある。
>日本のブログでも一人歩きしだした「アメリカ大統領選とIQの関係」
>ははっきり言って何の根拠もないデマです。
こちらのサイトによると、僕が毎朝2~3時間を過ごしたユタ州という場所は、馬鹿の巣窟ではない、という事だそうだ。
僕にはどちらが真実であるかを調べられるだけの英語力は無いし、どちらが真実であるかを判断出来るかという力もないので、この、「ユタ州は馬鹿の巣窟である」という海外ボツニュース管理人のラプターが書いた記事を読み、それがデマかもしれないという情報を得てからも尚、不安と動揺の中で揺れていたのである。
しかし、このラプターが書いた時より既に2日が経過した。ユタ州は馬鹿の巣窟であるというデータは根拠のないデマだ、というRichstyles!さんのブログが投稿されてからも、1日以上が経過した。
その間中、このラプターという男は海外ボツニュースなるブログを延々と更新し続けている。しかもこの海外ボツニュースというブログはトラックバックもコメントも許可していない、夕刊フジという夕刊紙よりも遥かに傲慢なブログである。
このラプターという男は一切の説明責任も果たしておらず、物書きとしての最低限の礼儀も持ち合わせていない。
この男がユタ州が馬鹿だと書き、Richstyles!さんの反論を受けてからブログに投稿した内容はというと、「コリン・ファレル、巨根伝説の真偽」だとか、「この振動がたまらない」だといったようなものばかりで、「デマを掴まされておいて、それがデマ出合った事の説明責任も謝罪もせずに低俗でお下劣なブログをユタ州の上への中傷の上に書き綴っているお前が一番馬鹿だろ!」と突っ込まずにはいられないので、僕は今まさに突っ込むのであり、突っ込んでいるのである。
しかしながら、これまで幾人かのまともな方々にも「馬鹿である」という誹謗中傷を行ってきた過去があるので、このラプターという男に対して「馬鹿である」とは、書けぬのでこのような表題になったわけである。
>「Web of the Year 2004」にノミネートされました
そんなもの知るかよ。
海外ボツニュースとその編集者であるラプター、またダイナマイトTVには、人間の屑オブザイヤーを僕が独断と偏見により授ける事に決定致しましたので、そのお知らせを含めてのブログ投稿であるからして、海外ボツニュースさん、DynamiteTVさん、ラプターさん、おめでとうございます。今後とも尚一掃のご活躍を真性引き篭もりは心の底から願っております。
(注1)
stfu=シャット・ザ・ファック・アップ(黙れ小僧)
一応、その後の事も書いておこう。
そのユタ州発のクランには新しい常連さんが出来て、僕はその人にいじめられてしまったので、ユタ州専用アカウントを封印し、またどこのクランにも所属しない1人のゲーム中毒者としての日々を再開し、今日に至るわけである。
幸せは罪である。
幸せは罪である。
などという事を書いてしまうと
「そんなのあたりまえーじゃーん(--#」
などという賛同を山のように得られて困っちゃうんだろうけれども、僕はとにかく世界中の賛同という賛同を一身に集めたくてならないという感情からこのブログ投稿を行い、「幸せはどれ程までに人を不幸にするか」という事を書き、それと同時に「不幸はどれ程までに人を幸せにするか」という事を書くのである。
その為に、「幸せが人を不幸にした例」と「不幸せが人を幸せにした例」を探しているのであるが、見つからないので適当に捏造しようとおもっているわけである。
このような捏造を行うときに重要となってくるのは、
「よくわからないけどなんか凄そう」
というキーワードをこれでもか!というくらいに詰め込む事であり、それこそが文章の誠実さと正しさと心強さを強化してくれるのである。
ということで、僕が「幸せが他人を不幸にした例」と「不幸が他人を幸せにした例」を捏造し、十指を備えるゴッドハンドにより書き上げるにあたり、入れるべきキーワードをとりあえず羅列しようと思い、今から羅列する次第である。
「フードリヒ大王」
「noob」
「煙草は毒」
「ピットイン」
「人文学的見地から」
「ザメンホフ」
「ポロリ」
「シャンゼン!」
「桂べかこが今なんという名前なのか思い出せない」
このくらいで十分であろう。
つまり、僕が上記のここのつのキーワードを入れて「幸せが他人を不幸にした例」と「不幸が他人を幸せにした例」を書き綴ることに成功したならば、この真性引き篭もりの賢明なる読者諸君はころっと騙されて
「幸せは他人を不幸にするんだ。
あ~、じゃあ僕は他人を不幸にしたくないから、不幸になろう。」
などという慈愛と真実に満ちた感情を抱く事になるのである。
「桂べかこが今なんという名前なのか思い出せない理由を人文学的見地から考察する。」
私がフードリヒ大王である。みんな、ご清聴するように。
古くは、山瀬まみが「ビヨンビヨン」などと、ビットインアルファのCMをしていた事はまぎれもなき事実であり、有名な真実である。知らないとか言う奴は全員noob。
では、ここで福井さんから今日の一句。
しゃんぜんと!
そらにかがやく!
あきのそりゃ!
では、ここで福井さんから明日の一句。
ジャジャマル!
ピッコロ!
ポロリ!
つまり、僕が何を言いたかったのかというと、煙草は毒であるというのが世間一般の認識となりつつあるのだが、事実はそうではない。という事である。
日本の歴史を遡ってみれば、煙草を吸う事によってその持てるべき全ての力を取り戻し、新幹線よりも速く走る事が出来るようになった男もいるのである。そのような事実を無視して、「煙草は毒」などとのたまう輩は、JAの手先であると思ってよい。騙されてはいけないのだ。
PS:僕がフードリヒ大王ってのは嘘で、実はザメンホフでした。
2004年11月11日木曜日
さよならを言う。
物凄くどうすればよいのかわからない。
ハイテンションを装って全然面白くない文章を面白いふりをして書いてみた所で、だからどうしたのだ、という感じである。
このブログを書き始めた目的は、自己との対話であり、自分がどれほど「このゲームは糞ゲーだ」と思いながらも、そのゲームから抜け出すことも出来ずに、「このゲームは糞ゲーだ」という絶望感から僕を救ってくれるのは、その糞ゲーそのものをひたすらプレイし続けるという行為しかない、という事実を確認する為である。
という事を何度もDOTA allstarsプレイ記録の中で度々書いていたつもりなのだけど、本当にそのような事を投稿していたのかどうかという確信が持てなくなるくらいに、僕はDOTA allstarsプレイ記録とはかけ離れたブログを書き続けている。
このブログを書き始めた頃は、検索エンジンで一日あたり約1人の方がDOTA allstars目的で検索して飛んできてくれていた。
そのうちの2人に1人は日本人ではなかった。
台湾人であり、カナダ人であり、香港人であり、アメリカ人であった。
彼らの目的は、DOTA allstarsの最新バージョンをダウンロードする事であり、このホームページではその目的を果たす事が出来ず、苛立ち、悔しい思いをしたに違いないと思うと、僕は本当に悲しくなり、「sry this site is japanese only!! this click is DOTA allstars here!!cya!!」といったような文章を添えてDOTA allstars最新バージョンダウンロードページへのリンクを張ろう、張ろう、と何度も思っていたのであるが、そのような作業をする余裕すらない程に僕はDOTA allstarsから抜け出せないでいた。
たったその程度の文章も書けず、リンクも張れない程にDOTA allstarsをプレイし続けずにはおられずにいた。
引き篭もり、あるいは他のゲームについてのブログを投稿していたのは、罪悪感と嫌悪感に追い立てられてウォークラフト3をアンインストールしてしまい、慌ててウォークラフト3の再インストールをしている僅かな時間を利用しての事だった。大前研一は馬鹿だを書いた時も、アンインストール後のゲーム中毒症状がピークに達して、気が狂いそうだった。
そのような中で、2日に1人は確実にDOTA allstarsプレイ記録を目的とした読者が増えているという実感を得ていて、その喜びだけが僕をDOTA allstarsをプレイするという罪悪感から救ってくれていおり、この真性引き篭もりブログでDOTA allstarsプレイ記録を書き綴る事だけが、僕にとって唯一の救いであり、癒しであったのだと今は感じている。
しかし、僕は完全にDOTA allstasrsへの衝動を失ってしまった。
DOTA allstars中毒症状から、完全に開放されてしまった。
それは、DOTA allstarsプレイ記録を目的として訪れ、楽しみにしてくれていた読者に対して、彼らが求めるコンテンツを提供する事が出来なくなってしまった事を意味する。
一日70ヒットのうち50ヒットが僕自身、15ヒットはブロックブログのトップページからなんとなくクリックして迷い込んできてしまったような方で、残りの5ヒット、その5名の読者に向けて、僕は国内最強にして唯一無比のDOTA allstarsプレイ記録コンテンツを作成していたのである。
今、僕はその5名のDOTA allstarsプレイヤーを完全に切り捨ててしまった。
幸いにも、このホームページは約500人くらいの読者を現時点では得る事が出来たという実感はあるのだけれど、僕の人生におけるイベントはDOTA allstarsをプレイするという事くらいしかなく、もはやブログ更新できる書き込み内容は残っていない。
その中で僕が何をもってこの真性引き篭もりを維持してきたのかというと、赤の他人を嫉妬という、泥まみれの醜く理不尽な感情のもとで「馬鹿だ」「馬鹿だ」と連発し、誹謗中傷を繰り返す内容の投稿で維持してきたのである。
DOTA allstarsプレイ記録を書いていた頃に僕が「馬鹿だ」あるいは「愚かだ」と批判していたのは、僕自身のみであった。
それに対して、今の僕は自分自身に「馬鹿だ」「愚かだ」といった類の言葉を投げかけることは一切せずに、1000アクセスオーバーの巨大サイトの管理人であるという腕掛けつきのソファーの上にあぐらをかいてふんぞりかえり、傲慢に他人を罵倒し続け、客観的に見ればたいして面白くも無い文章をさも、さも何かしらの何かしらがあるかのように垂れ流し続けているのである。
このままではおそらく僕は、これからも自分の愚かさと馬鹿さを完全に棚に上げたままで赤の他人を「馬鹿だ」「愚かだ」と罵倒する投稿を行い続けるであろう。
もしも、今すぐウォークラフト3の再インストールを行い、DOTA allstarsをプレイし続ける日々に時計を戻せば、自分自身以外の誰かを傷つける事のない、対戦相手に暴言を吐かず、チームメイトの一人一人に細心の気遣いを行い、時としてあまりにもつたない英語でプレイに関するハウトゥーを助言し、自分のお金で味方にアイテムを購入してあげ、敗戦時には相手の腕を褒め称え、ゲーム解散時にはゲームをクリエイトしてくれたホスト(部屋主)に感謝の言葉を述べる素晴らしい人格者、素晴らしいDOTA allstars中毒者に戻ることが出来るのだ。
しかし、残念な事に僕はウォークラフトの再インストールは出来ない。
もうこりごりなのだ。
支離滅裂になってしまった。
まあ、いつものことだけれど。
DOTA allstarsプレイ記録を楽しみにしてくださっていた方々に心の底からの感謝とお詫びを申し上げるとともに、さよならを言う。
もうDOTA allstarsプレイ記録を書くことは出来ない。
今、これから、僕は延々と意味不明な文章を垂れ流し続け、今日現在では3000アクセスあるアクセスが2000アクセスになり、1000アクセスになり、100アクセスになり、50アクセスになり、20アクセスになり、やがてブログを更新し続ける気力を失い、ウォークラフト3を再インストールし、DOTA allstarsを再び1日に20時間プレイしながら、「DOTA allstarsプレイ記録ブログをやり続けておくべきだった」と後悔しながら、ブログというものに再び近づくことすら出来ずプレイ記録もつけぬまま、DOTA allstarsを延々プレイし続けて朽ち果ててゆく。
そのような道を歩むのであろう。
いや、歩むかもしれない。
先のことはわからない。
とりあえず今はさよならと言う。
(注1)
cya!!とは、シーユーアゲインの略である。
(注2)
ブロックブログのカウンタは、同じ人は1日に1カウントしかされないのだけれど、一度更新する度に1カウント増えてしまう仕様があり、当時は1日に約20回の投稿と約30回程度の修正をしていたので、約50ヒットは僕自身という事になる。
僕は間違った場所にいる。
begin;
僕の行動が意味不明な動揺を僕にもたらしてくれた。
まったく、支離滅裂な日常が続いている。
もしも僕が美人であまり視力のよくない眼鏡をかけた女学生であれば、ドジでおっちょこちょいで朝食のトーストを食する時間などなくても、眼鏡を捨ててコンタクトレンズに切り替えた時点で我が世は栄光と幸福、その他もろもろ人類が望む全ての欲望という欲望を簡単に満たす事が出来るようになるであろう。
しかしながら、僕は美人でもなければ眼鏡をかけてもおらず、女学生でもない。
いや、視力は両眼ともに0.001くらいで、DOTA allstarsの必殺技の解説英文を読むのにも苦労するくらいなのであるが、モニタに顔を思いっきり近づければきちんと読む事が出来るので、僕の人生において眼鏡などというものはおそらく一生不要の道具であろう。
つまるところ、僕がドジでおっちょこちょいでかなり焦点のづれた支離滅裂な行動を取ったならば、それはドジでおっちょこちょいなどという丸みを帯びた言葉で表現出来るようなものではなく、「馬鹿」「阿呆」「超馬鹿」「超阿呆」「物凄い馬鹿」「物凄い阿呆」「スーパーバカ」「スーパーアホウ」、今気がついたんだけど、馬鹿もスーパーまで行くとスーパーハッカーみたいでかっこいいね。どうせ僕が生きている限り馬鹿であるという嘲りの視線を回避出来る自体など訪れないわけであるからして、どうせならスーパーバカでも目指してみようかな。
いや、あ、スーパーアホウはいやだよ。
そんな、東北の日本海側を深夜に走る寝台列車つき夜行特急の名前のような称号を授かる事だけはとことんごめんだ。絶対いやだ。2番線に宇都宮発、大台ケ原着の夜行列車、スーパーアホウ203号が到着します。お忘れ物、あといろいろないようにご注意ください。
駄目だ。
電車に乗ったことの無い僕が電車関係の事柄をリアルに書けるはずがない。まあ、多分こんな感じであろうという事をせいいっぱい書いてみた結果がこれだ。醜態を晒しただけだ。
話を元に戻そう。
と思ったのだけれど、ちょっと別の事を思い出したからそっちへ行こう。
http://jyokakusei.ameblo.jp/
スクール水着の似合う女学生のゲームに捧ぐ青春は削除されていなかった!なぜか一時繋がらなくなっていただけだった。おそらくは緊急メンテナンスかなにかであろう。物凄く幸せな気分だ。
だって、真性引き篭もりである1人の男が
「ゲロマン」
「ゲロマン」
などと日中から真剣に真剣を重ねて丁寧に書き上げた文章が日の目を見ることなく埋もれてしまったなどという事がもし、もしもあったならば、それはあまりにも悲しすぎる事態なのだ。その悲しすぎる悲劇を回避出来たという事が僕は嬉しくてたまらない。やれるぞ!僕はまだもうしばらくはドラゴンクエスト8で遊べるという事なのだ。
あー、やっぱりこの事は書くんじゃなかったな。この一文は真性引き篭もりの品位をいたずらに低下させてしまっただけだ。もっと高潔な文章を書かねばならぬ。
という事で、何故僕が動揺したかという事を結論からスパッと書いてしまおう。
僕がD言語だと思って一生懸命説明書を読んでいたものは、実はD言語ではなくてDelphiという代物であり、D言語とDelphiの間は僕と美人女学生くらいかけ離れたものであり、この数日間やってきたことはまったくの無駄であり、徒労であった。
という事なのである。
OH MY GOD!
僕は一体あとどれくらいすれば、ABA."Saba" as 長 健太からその名声と栄光と栄誉と女学生の全てを奪い取れるのだろう。いや全てとまでは行かなくとも2%を奪い取り、「ABA2%配合」というような、ペプシコーラ社製のオレンジジュースのようなプロフィールを書けるくらいになればよいのだが、それが到来するかどうかすら疑わしい。
いや、なんかこれソースコードの文体と微妙に違うんじゃないかな?みたいな空気は薄々感じてたんだけど、Dって頭文字、あるいは略称だと思うよ、普通は!
だって、一文字なんておかしいよ。
イブラヒムがもしバだったとすれば、
「バってのは~そうだな~、バルデラマの略だろうな。」
みたいな空気になって当然であろう!
もしマリアがゼだったとすれば、
「ゼってのは~そうだな~、ゼブラーマンの略だろうな。」
みたいな空気になるでしょう!なるでしょう!ね、なるでしょう、普通は!
もしジョンユンがペだったとすれば、
「
つまり、結論から言ってしまう事すら出来ない。
もう僕の人生は滅茶苦茶だ。
戻ってきてくれ、DOTA allstarsよ。
なぜかはわからないが、DOTA allstarsをやりたいという欲望すら失ってしまった。なぜなんだろう、物凄く悲しい。
もうDは諦めてCにしようと思い、Cをダウンロードしながらこの文章を書いていたのであるが、突如「インターネットインタレスティグディスコネクト」なる英文が表示されて、70%ほど終了していたダウンロードが再び0%へと巻き戻されてしまったのである。
商品名
真性引き篭もり
成分概要
愚かさ(100%)(無ABA)
end;
コメントにコメントしない理由と、アメーバのスクール水着女学生ブログが削除された件を添えて。
僕はこの数日というもの、コメントにコメントをしていない。
このホームページを作った頃はコメントにはコメントをしていた。
今も、コメントにはコメントを返すべきであると考えている。
しかしながら、コミニケーションを取れず、人間関係を構築する能力を欠いた僕自身には、現時点でコメントにコメント出来るような体力がない、とうのが実情である。
それでも、はいつくばってでもコメントにコメントするべきなのであろうが、まことに申し訳ないのだけれど、残念ながらコメントにコメントは出来ない。
よって、今後もし僕が「このコメントを無視するのは卑怯者であり、誠実さと公平さ、ブログの書き手として人として、最低限度の責任を欠いた態度である。」と判断した場合は、ブログの投稿によってコメントにお返事をする。
今まさに、このブログ投稿自体がそうなのである。
http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/83408/
>セガのボーボーダウンはいかんだろ。
申し訳ない。
グレブ社のボーダーダウン、と書くべきであった。
僕とボーボーダウンの接点はといえば、ABA Gamesのみであり、ゲームセンターに行ったこともなくプレイステーション2も所持していない僕としては、ABA Gamesにおけるボーボーダウン関連の記事は強い嫉妬を持って必死に目をそらし、読みそらす事しか出来ない内容のものであり、そのタイトルも開発元もよく把握出来ていなかったため、事実と違うブログを投稿してしまった。深くごめんなさいと申し上げます。
ということで、以上を持ちましてコメントにコメントしない理由、コメントに対してのブログを添えて、は終了します。え、これだけ?うん、これだけ。ごめんなさい、また書きますので。
いや、あと一つだけ書いておきます。
http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/83702/
>山前研一って?
大前研一、と書いたつもりだったのですが、山本一郎が少しだけ混ざってしまいました。他意はありません。
そんなことはどうでもいいのだ!
今重要なのは、
http://jyokakusei.ameblo.jp/
スクール水着の似合う女学生の、ゲームに捧ぐ青春。
がアメーバブログの悪魔、奥菜恵とよろしくやっているからあげ君の手によって削除されてしまった、OH MY GADES HOLY SHITだ!せっかく頑張ってドラクエ8のこういう事を書こう、というものを頭で整理しながらTUMIKI FIGHTのソースコードを書いていたのに。
架空の人格で架空のドラクエ8をプレイする事すらも僕には許されないというのか。
もういい。僕にはディアブロIIIさえあればいい。
他には何もいらない。
じっと待つ。
ディアブロ3を。
僕の初恋。
このブログを日々閲覧してくださっている方のなかには、真性引き篭もりの管理人であるhankakueisuuは少しおかしいのでは無いかと思っている方もいらっしゃるであろう。
僕もひそかにちょっとだけおかしいのではないかと疑っている。
しかしながら、僕はけったいな人間などではなく、人並みの青春を送り人並みの幸せを得て人並みの生活をし、人並みに真性引き篭もっているのである。
極めて平凡、平常、普通の1人の人間なのである。
だから何是というわけではないのだが、初恋の事でも書いてみようかと思う。
僕にだって人並みの初恋をした過去というものが存在しているのである。
時期はというと小学校の2年生、という事になる。
僕の人生において女学生などというものが僕の周囲に存在した事はない。僕自身の存在は何かといえば、そのようなものには触れてもならぬし、視線を送ってもならぬし、顔を向けてもならぬし、近づいてもならぬし、喋りかけてもならぬし、言葉を返してもならぬし、給食の時間が来ても机を寄せてもならぬというのが僕という存在であったのである。
そのような状態では初恋など成らぬではないか、と言われてしまえばそうなのであるが、僕の世界に女学生なるものは存在していなかったのは事実なのだが、男子学生というものは存在していたので、僕に初恋の相手は自然と男子学生、という事になるわけである。
いや、僕はそのようなものではなく、正真正銘の異性愛者である。
全裸よりはブルマがよいし、ブルマよりはスクール水着がよいし、スクール水着よりは競泳水着の方がよいといった極めて平凡で正常な価値観を有した1人の男なのである。
しかしながら、初恋の段階では僕の周囲に全裸もブルマもスクール水着も競泳水着もぐら乳頭も存在していなかったので、自然と、やむおえず、消去法という形で僕の初恋の相手は男子学生、という事になってしまったのである。本意ではない。
ではなぜ僕がその男に惚れたのかという事になるが、その男は僕よりも勉強が出来て明朗闊達に喋り、運動も出来る健康そのものなリーダーであり、なおかつ僕に一切の危害を加えなかったので、いつからかは忘れたが僕はその男に惚れて好いておったのである。
しかしながら、初恋というものは成就せぬのが常である。
成就せぬものと決まっている。いや、成就されても困るので、僕としては願ったりかなったりの結果ではあるのだが、結局の所僕の初恋は失恋という形で終わったのである。
秋口の遠足の出先の公園で、僕はその男のばらまく、というかその男が友達にお菓子を分け与えているところへ僕ももらおうとよっていったのであるが、僕の初恋の相手であるその男はたまたま虫の居所が悪かったのか、僕の首周り、背中の部分の衣服を掴んで僕をくるくると振り回し、池に投げ捨てたのである。
秋口に遠足先でびしょぬれになってしまったので、母親を呼び出されてしまい、母親は平身低頭して教師に謝ってから僕を家へと連れ帰り、「なんで落ちたの」「ちょっと滑った」「なんで」「遊んでて」「あんたなんか死んでたよかったんよ」「ごめん」などとひとしきりやられたのである。首周りに服の跡がついていたので、それについて何か問答をしたような記憶もあるのであるが、よく覚えていない。
これが僕自身の初恋の全容である。
いわば、甘酸っぱい失恋の記憶である。
いや、このような事だけを書いてしまうと僕が惨めな男であると思われてしまうではないか!そうではないのだ。
僕にだって、幸せな恋愛をしていた時期があったのだ。
実の所、本当の事なので書いてしまうと、僕は二股をかけておったのだ。
いや、これは悪いことだとは自分自身でもわかっているのだけれど、下半身がいう事を聞いてくれずにやむおえず二股をかけていたのであり、本当に2人には悪い事をしたと反省しているのだけれど、2人ともを心の底から愛していたのも事実であり、もし我が国が一夫多妻制を認めていたならば、僕は迷わず二人と結婚したであろうというくらいに愛していたのだ。結局、僕が二股をかけていた事などが原因となり、2人ともと別れてしまい、僕の人生における最も幸せな期間は失恋という形で幕を閉じてしまったのであるが、こればかりは自業自得といえるもので仕方が無い。今頃何してるのかな、ビアンカとフローラ。幸せになってるといいな。まあ、大丈夫だろう。きっと。
竹内克仁は馬鹿だ。
僕は夢の話を他人にする人間というのを毛嫌いしている。
ここでいう夢とは、ドリームではなくてナイトメアの方である。
なぜこのような入りをするかといえば、それはこれから夢の話をするからである。
いや、やはり夢の話どうこうではなくてブロックブログは駄目だ。
アフィリエイトがどうとか、ノージャンルの投稿をすれば表示がバグるとか、たまに上部のツールバーがバグるとか、社長のブログへのアクセスが一日13ヒット程度しかないとか、そのような事は別として、写真が載せられるというのはサービスとして致命的だ。終わっている。僕がDOTA allstarsの写真を載せてDOTA allstarsとはどのようなものであるかを世界中の人々に伝えようにしても、ブロックブログにいる限りはそれを成すことなどできぬわけだ。
いや、問題はそこではない。
ブロッグブログの社長である社長ブログへのアクセスが一日20ヒットというのは一体どういう事だ!そのようなもの、社長でもなんでもないではないか!
たとえば、どこぞのおじいさんが「今日食べた梅干の種の写真をアップし続けるブログ」などというものを作り、実はそのおじいさんは梅干を食べずにさくらんぼを食べ続けてさくらんぼの写真を延々「今日の梅干じゃわい、いやはや~。酸っぱかった~」などと2週間に渡り更新し続けた結果、どこかの神経質なインターネットエクスプローラー閲覧者の目に留まってしまい、「おじいさんに質問です、わたくしが見た限り、おじいさんが梅干の種の写真であると書いてアップし続けている写真は、全てさくらんぼの種の写真であると思われます。そのような嘘偽りは今すぐにでもおやめになった方がよろしいと存じ上げます。拝啓。」みたいなコメントをつけて、それにぶちきれた梅干おじいさんが「ふじゃけるなわい!わしはもう、もうろくしきっとって完全にボケておる!梅干とさくらんぼの違いも判別できぬのだ!死ね!」などと罵倒を返し、それがどこかの著名ブログを運営するインターネッターの目に留まり、
「梅干さくらんぼ戦争勃発」まるで金万福vs周富照
などという一行コメントと共にリンクを張ったとすれば、その後のたった1時間で梅干おじいさんのブログ、いや、うめぼしおじいさんのふりをしたさくらんぼおじいさんのブログには200アクセスものアクセスが殺到に殺到するだろう!
そのようなもうろくじじい、いや、おじいさん、もっと正確に丁寧に事実を申し上げるならば、我々が過ごしておる日本という国を作り上げた世代である建国の英雄であろううめぼしのふりをしたさくらんぼにでも成し遂げる事が出来る200アクセスというものを達成するのに、この社長が要する期間は10日というべらぼうなものなのだ!
こんなもの、社長ブログなどとは呼べぬ!
社長ブログというのは、一日に10万アクセス、20万アクセスを達成し、巨万の富を築いては札束で女学生の横っ面を叩き、「奥まで気持ちいい♪」などといったような歯磨きのCMソングかとも思われるような昭和歌謡を歌わせながらよろしくやってこそ、社長と呼べるものなのだ。
一日たったの20アクセスなどという竹内克仁が書いておる社長ブログなどという、零細コンテンツなど、社長ブログと名乗るのもおこがましいのだ。このようなものは「社長ブログ」というジャンルではなく、「シャチョサーンブログ」という、フィリピン人の客引きに捕まったブログ、という括りに分類されるべきであり、決して社長ブログなどというジャンルに割り振られるべきではないのだ。
いや、決してフィリピン人の客引きを馬鹿にしたいわけではない。彼女らには彼女らなりの理由があり我が国に不法滞在して然るべきなのである。だいたい、真性引き篭もりというものは不法滞在者よりも悪く、電熱と回線を占有するばかりで悪人のきわみといってもよい。そのような犯罪者である真性引き篭もり管理人hankakueisuuはフィリピン人の客引きを批判する権利などまったくないのだ。だいたい、僕はフィリピンを愛しておる。もしフィリピン人の女学生にシャチョサーンなどと呼ばれたら、今すぐにでもDOTA allstarsの攻略情報という攻略情報、僕が知っている知識の全てを教えてあげながらよろしくやりたいくらいに女学生が好きなのだ。僕は心の底から比日友好を望んでおるのであるのだ。
つまり、結論から言ってしまうと、ブロックブログは駄目なのだ。
なぜこのようなブロックブログなどという末端でサービスも劣悪な今すぐにでも滅びるべきブログに僕はブログを作ってしまったのだろう。これは悪夢だ。ナイトメアだ。決してドリームなどではない。
僕がブログに求めたのはドリームなのだ。
僕がブログを書き始めた2日目、あるいは3日目にディアブロ3の発売日がブリザードエンタテイメント社から発表され、僕は歓喜に溢れながら希望に満ち溢れたブログを書き綴りディアブロ3への期待と欲望と嫉妬とその他全ての情熱をぶつけながらブログを更新する、そのような未来を僕はドリームっておったのに、ブロックブログが僕に与え授けたものはといえばナイトメアそのものなのだ。
いや、違うんだ。
そうではない。
僕がブロックブログを選択したのは自らの意思によるもので、竹内克仁なる1人の男にはなんの罪もないのだ。いや、あるのは功績ばかりだ。
僕がブログサービスを選ぶにあたって重要視したのは清潔さなのだ。写真でもアクセスでもアフィリエイトでもなんでもない。僕が望みぬいたのは下品、よこしま、悪徳商人の対極に位置するというただ1点のみなのだ。
アフィリエイトを貼り付けて極悪なブログを運営するakisayaなどと比べれば僕は聖者だ。マザーテレサだ。マリーアントワネットだ。ヘレンケラーだ。アルベルトシュバイツァーだ。野口英世だ。マハトマガンジーだ。賞金の分け前で仲間と揉めた天然パーマのカナダ人のおばさんだ。僕こそが正義であり、人類唯一の希望なのだ。
http://jyokakusei.ameblo.jp/entry-a3bc445613aa11035f77791661ddb477.html
そのような事を、上のようなブログを書きながら考えていると、「もしかして僕は少しおかしいのではないか?」というような気がしてきたのであるが、僕はマザーデレサであり、マリーアントワネットであり、ヘレンケラーであり、アルベルトシュヴァイツァーであり、野口英世であり、マハトマガンジーであり、賞金の分け前で仲間と揉めた天然パーマのカナダ人のおばさんであり、正義であり、人類唯一の希望なのである。
2004年11月10日水曜日
切込隊長は馬鹿だ。
大変だ。
大変なコメントがついていた。
http://jyokakusei.ameblo.jp/
こんなものを書いている場合じゃないぞ、僕。
まずはそのコメントを引く。
>GTにスマブラにFFXって何年前のゲームだよ。
>そのデータって、2004年の売り上げTOP10じゃなくて、
>PS2世代機の歴代売り上げTOP10ってだけじゃん。あたかも
>2004年の売り上げかと思わせて騙す詐欺行為はやめようぜ。
>切込隊長もよくこんなインチキサイト持ち出して理論武装
>したつもりになってるなw
>
>ちなみに2004年の売り上げランクを持ち出すといまのとこ
>ろTOP10にポケコロ1本しか入ってない。さらに悲惨な状況
>になるから、
>「うぇ~ん、日本のゲームは世界市場で売れてないってのはウソだ~い」
>って論理も崩壊するんだよなw
データ間違えてた。
上記の通りだ。
現役ゲーマーならばパッと見て一瞬で引くデータ間違ってるってわかるんだろうけど、残念ながら僕も切込隊長も現役コンシューマゲーマーでは無かったのでこのような醜態を晒してしまった。
どう言い訳しよう。困ったな。
いや、大丈夫、大丈夫。
だいたい、僕はそのようなデータを主体としたブログを投稿したのではないのだ。
>大本の部分でという事なのだが、アメリカで
>爆発的売り上げを記録するゲームはアメリカ
>人にしか作れないはずであり、全米市場で今
>もなお国産ゲームが売れているという事の方
>が異常とも呼べるような驚異的な事態なのだ。
ここ、ここ。
つまり、異常な事態は終わったという事で、2004年の売り上げトップ10に日本製ソフトは実はポケモンコロシアムただ1本だった、というのは正常な姿であり正しく「大前研一は馬鹿だ。」で書き綴ったとおりなのである。
僕自身は日本ゲームは世界市場で売れて然るべき、といった論調は一切取っていない。よかった。危うく2Dシューティングゲームや3Dアクション(非FPS)、2Dアクションを持ち出して日本擁護をしてしまうとこだった。マジ危なかった。
http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/82866/
>was I want says
>"fun is not country line"
>and
>"sales have country line"
僕の書いたのはこういう事。
とてつもなくみっともない自己弁護はこの辺で切り上げよう。
たいちょう、ほんまごめん。
こんな読みづらい文章の中にマジカル頭脳パワーの-200万みたいな地雷を仕掛けて、おもむろに踏ませてしまってほんとごめんね。
このような地雷を仕掛けられて踏まぬものなどおらぬだろう。絶頂期の所ジョージでも踏んでしまうだろう。即50キロメートルオーバーでドボンだ。
よって、切込隊長は馬鹿ではなく、おっちょこちょい、口八丁手八丁の真性引き篭もりに騙された被害者であり、「切込隊長は馬鹿だ。」などというブログを投稿するのは本意ではないのだが、もしここで「切込隊長は馬鹿だ。」と書かぬままに終わってしまったならば、
「お前(真性引き篭もり管理人のhankakueisuu)は切込隊長シンパであり大前研一の悪口を書くために切込隊長が自作自演で作り上げた仮想人格なのではないのか?」
といった類の疑惑がどろどろと渦巻き浮上してしまう可能性すらある。
だいたい、切込隊長はhttp://kirik.ameblo.jp/晴れるといいねっ!を見てもわかるように、仮想人格を構築するプロのようなものであるのだという事は広く知れ渡ってしまっておるのだ。
つまり、僕は切込隊長を世界中の疑惑の目から守り抜く為に馬鹿だ、という表題でブログを投稿したのであって、決して切込隊長は馬鹿だ、などとは思っていないし、事実馬鹿などではないのだ。
切込隊長は馬鹿だ、と書くに当たり我が心中でも葛藤があり、
「本心にあらざる嘘を書いてはならぬ」
との強い思いから、
「切込隊長は童貞だ。」
と書こうと思ったのであるが、切込隊長は童貞だというブログを書き始めた時点では確かに童貞であったかもしれぬが、相当のやり手である切込隊長であるからして、僕が極めて遅筆なるこの腕でブログ投稿を書き上げた頃には、女学生とよろしくやり終えた後であり、これはこれで事実とは違うものになってしまうかもしれぬという事で童貞だ、などというブログを書くことは出来ぬという結論に達したし、
「切込隊長は阿呆だ。」
「切込隊長はまぬけだ。」
と書こうとも思ったのではあるが、そもそも馬鹿と阿呆とまぬけの違いもわからぬし、切込隊長は関東在住の人間であるからして、ニューヨーカーである僕がいくら「馬鹿よりもまぬけの方が言葉的には柔らかいよなー」と思ったとしても、切込隊長はまぬけと言われたことにより馬鹿と言われた時よりも深く傷つき立ち直れぬようになってしまうかもしれぬから、切込隊長は阿呆だ、とかまぬけだ、というブログを書くことは出来ぬという結論に達したし、
「切込隊長は山本だ。」
とも書こうと思ったのであるが、切込隊長は相当のやり手であるからして、僕がブログを書き終えた頃にはアリエンティ一郎などという姓名になっておる可能性があり、山本だなどとは書けぬという結論に達したし、
「切込隊長は一郎だ。」
と書こうとも思ったのであるが、まあこれは理由が思いつかぬのでなんとなく雰囲気でやめておこうという結論に達したし、
「切込隊長は包茎だ。」
と書こうとも思ったのであるが、仮性包茎なので事実とは違うし、もし「切込隊長は仮性包茎だ。」と書こうとも思ったのであるが、それでは語呂が悪い上になんともインパクトのないものになってしまうのでなんとなくやめておこうという結論に達したし、
「切込隊長は男前だ。」と書くのは悔しいし、「切込隊長はハゲだ。」と書くにはふさふさだし、「切込隊長が好きだ。」と書くのは少々照れる。
よって、僕は「切込隊長は馬鹿だ。」というブログを強き信念の元で投稿しようと決めたわけであり、このような地雷を踏ませてしまって本当にごめんなさい、と謝るわけである。
こればかりは、真性引き篭もりなる人物は胡散臭くて近寄ってはならぬという物凄いオーラを漂わせていたはずであるのに、それを嗅ぎ取れず見誤った切込隊長の人物鑑定眼の無さがある意味では責任であり、切込隊長の周囲には戦々恐々の思いを抱えた怪しく、僕などよりもはるかに極悪な人間がうようよとおるわけであり、そのようなものに地雷を抱えさせらぬよう今後は最新のご注意を払われてゆく事を真性引き篭もり管理人hankakueisuuは願っております。僕の地雷は殺傷能力などなく少しのおかしさと滑稽さを残すのみだが、世間の地雷はそう甘くもありますまい。
結論としては山前研一さん、間違ったデータを持ち出して馬鹿って言ってごめんなさい。貴方が馬鹿なのは事実だけれども。
それと、切込隊長さん、貴方はまったく悪くない。理不尽な地雷踏ませてちょっとだけ名声に傷をつけてごめんなさい。
本当に2人ともごめん。
読者の方もリンクしてくれた方もみんなごめんなさい。
もし3人して生活に困ったら、平成の3馬鹿トリオ、とかそういう適当な名前でお笑いグループを組んで、お笑い界に殴りこみをかけようではないか。CDとかも出してメディアミックス路線で行こう。こう、あの娘はサーファーにぞっこんだから僕も丘サーファーになってみたんだけど、やっと丘サーフィンが出来るようになったと思ったらあの娘はスノーボーダーにゾッコンだった、OH MY GOD SAFEN USA みたいな歌を出そう。僕歌うまいからメインボーカルやってあげるよ。
袖触れ合うも多少の縁である。
こんな閉めでいいのか?
いいんだ。
懇願。2曲のBGMについての。
おそらく今、このタイミングこそがこれを書ける最後のチャンスである。
大前研一がくれたこのチャンス、このタイミングを逃してしまうと、僕は一生このブログ投稿を書けないまま朽ち果ててゆく事だろう。
であるからして、僕はこのタイミングでうまく書ける自信は無いのだけれど、このブログを全力で書き投稿しようと思いつめてかれこれ2時間になるのである。
僕は一年以上、一日16時間程度をウォークラフト3に費やしてきた。
ウォークラフトには国内のゲーム、たとえばドラゴンクエストやファイナルファンタジーのような壮大でメロディアスなBGMは存在しておらず、環境音のような雑音がだらだらと流れるだけである。
これは日本人ゲーマー、ばりばりのドラゴンクエスト5ニスタとしては耐えられるものではなく、僕はある2曲の音楽をBGMとして流し続けながら、ウォークラフト3をプレイしてきたのである。
その2曲について、今から僕はブログを書くのである。
僕はその2曲の音楽が優れている、と書くのではない。
僕はその2曲の音楽が好きである、と書くのだ。
その点だけは間違えのないように書かねばならぬし、読み違いを招かぬようにしっかりと書かねばならぬと思っている。
先にURLを示してしまうと、下の2曲である。
///////////////
と思ったけど、駄目だった。
>Q.muzieへのリンクを貼ることができますか?
>A.MP3ファイルやRealAudioファイルへの直接リンクは認めません
との事らしい。
http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a008215
の下の方にある「我が戦場に光あれ」と「旅立ち~新世界へ~」の2曲です。
/////////////
結論から言ってしまうと、「結論から言ってしまうと、」という前書きをよく使う。しかし、結論から言ってしまうと、「結論から言ってしまうと、」と言った時に限って結論を見事に言えたためしが無い。
あら、完結しちゃったよ。
まとまってしまった。
袋小路に入ってしまって行き止まりである。
結論など何一つ導き出されてはいない。
いや、結論から言ってしまうとといった時は結論から言えたためしがなく、事実として今も尚結論から言ってしまうと、というフレーズを使いながらも、結論から言ってしまえずにいる、という結論を僕は得ている、という結論だ。
「意味がわかりません。」「僕もです。」
つまり、結論から言ってしまうと、僕にとってウォークラフト3というのは上の2曲なのである。
ドラゴンクエストから、
>ソーソドーレーミーファーソードーシシララソソヴァヴァラーソーミー
>ミミミーファソーラーラシドレーララードードーシーラーソー
>ミーファミレーどーラードーレーミレドドーシードーソー
>ミファソラーファドーファーーーーーミーーーードーーー
という音楽を取り除いてしまうと、それはもはやドラゴンクエストなどではない。
ウォークラフト3から上の2曲を取り除いたものなど、僕にとってウォークラフト3ではなく、DOTA allstarsなどではないという事である。
しかしながら、世間一般ではそうではない。
上の2曲、boco-という人間が作った2曲の存在など誰も知らず、その音楽を聞く人間などいない。
僕の人生の2年近くを支配した「旅立ち~新世界へ~」と「我が戦場に光あれ」の2曲は僕を幸せと満足感に導くのみで、他に誰1人と幸せを与えてはいない。
僕はそれが悲しくて仕方が無い。
確かに、この2曲はたいした曲ではない。
よくあるクラシック歌謡曲であるし、そんなものはゴミのように有り触れている。昨今ゲーム関係でもてはやされているジャンルはテクノックスであり、ロックンロールであり、電子音楽である。このようなクラシック歌謡曲は平凡で退屈極まりないといっていい。おそらくこの程度の曲を片手間で作れる人間など、5万といるだろう。これは、「ごまんといる」のではなく、国内に5万人はいるだろう、という推測の文章である。
しかしながら、この2曲が僕以外の誰一人として幸せとしなかったというのはあまりにも悲しすぎる。この2曲を作ったboco-という人物自体が絶望しているという事が僕には長く耐えられぬ事態であり、直視出来ぬ現実であったのだ。
この2曲を作ったboco-という人物は、なにやらどっかのmp3コンテストにこの2曲を出したものの、見事に落選し、失望し、失意の文章をホームページで語っておるのだ。
こんな事が許されてよいのか!
この男は間違いなく僕などとは比べ物にならぬ努力をしており、その努力に報う正当な評価、あるいは報酬を得るべきであるのに、この男のホームページは1年間でわずか3500ヒットしかしていない。
しかもこの男のホームページのアクセスカウンタは、同じ人物が2回訪れてもカウントされる形の極めて粗悪で旧式なものである。おそらく、ホームページの凄まじいまでの廃れっぷりから、3500カウントのうちの2800カウントくらいはホームページの管理人であるboco-自らが踏んだものであろう。
悲しすぎる。
あまりにも悲しすぎる。
ここで僕が普通の人間であったならば、boco-という男のホームページを訪れて
「あなたの曲は素晴らしい」
とでも書けばよいのであるが、残念な事に僕はまともな人間ではない。明らかにほんの少しだけとはいえ狂気をはらんでおり、対人関係というものをなんとかする能力を完全に欠いている。いわば僕という人物に関わられた人間にとって僕という存在は、ただのマイナスイベントにしかならない。
であるからして、僕はこのboco-という男が些細なものでも良いからプラスイベントに出会ってもらえればと願っているのであるが、僕自身はどうする事も出来ないのである。僕が何かをすればそれはマイナスイベントになってしまう。
そこで、僕以外の何者にこの2曲に対してそれ相応の評価を下して欲しいのだ。
誰でも良い。たいした曲ではないので大抵の人は「たいした曲ではない」との評価を下し、書くとすれば「たいした曲ではなかった」となるだろうから、そのような事はどこにも書かないでいただきたいし、胸のうちにしまっておいて欲しい。
しかしながら、よろしい曲であると思ったならば、なんとかしては頂けないだろうか。この事故のようなアクセス数が完全に収まりきる前に、僕自身からの懇願であり、平身低頭を伴う心の底よりのお願いである。
またあの男の事をストーカーのように書くのか、と思われてしまうのはいやであるし困るのであるが、あの男はゲームを作っているようではないか。あるいは、パソコン弾幕シューティング界のリアルゴッドでもよい。いや、シューティングゲームやネットゲームに相応しい音楽ではないという事はわかっているのだが、この最低限度のレベルには達していると僕自身は感じておる2曲をなんとか日の目の当たる場所へと連れ立ってやってくれないだろうか。駄目だと思ったならば駄目だのままで放置していただきたいのであるけれど、もしこれらの2曲がよろしいと思われたのであれば本当にお願いする。
これを作ったboco-という人物はこの2曲で才能、あるいは情熱の全てはかれ果ててしまったようで、ピーターモリニュー状態、坂口状態、ウィルライト状態であり、以後はたいした曲を作っていないのであるが、少なくともこの2曲は僕にとって大いなる救いであり、幸せと充足をもたらすものであった。
その2曲が、作曲者のboco-にとって、「自分自身には才能がない」という事を認識させるだけのツールでしかないかのように見て取れる現状はあまりにも悲しすぎるのである。
だから、どうだというのだ。
一体僕は何が書きたかったのであろう。
DOTA allstarsだけをやり続けている人間は、永遠にDOTA allstarsをしながら女学生やドラゴンクエスト8、ディアブロ3とは無縁の生活を過ごし屍となりゆけばいいのである。
しかしながら、対価を費やしてまで努力をし、結果を出している人間がそれ相応の評価、あるいは報酬も得られずに朽ち果ててゆくなどという現実を僕は認めたくないのである。
最後にもう一度だけお願いする。
誰でもよいのだ。
本当に。
面白そうなブログを見つけた。
http://jyokakusei.ameblo.jp/
スクール水着の似合う女学生の、ゲームに奉げる青春。
ぱっと見、DOTA allstarsのプレイ記録をつけるような感じのブログのようだ。というかこんな落としどころでいいのか?これが藤沢生活さんのような誠実さの極みにあるブログリストから読んでもらっているブログページの誠実さだけが唯一の頼りどころであり誇りである真性引き篭もりの管理人hankakueisuuの妥協点なのか?
というか、もうhankakueisuuとして書ける事など何一つないのだ。
僕の人生はDOTA allstarsとDOTA allstarsのみから構成されており、他にサプライズもイベントも何もない。何もない自分自身を切り売りのようにブログに書いてゆくと、結局の所元のDOTA allstarsプレイ記録以外には書く事が無くなる。
そして、元の1日70アクセス(内50アクセスは自分)という数字に戻るのだろう。おそらく、明日明後日くらいにはそのような数字に戻るのだ。それまでにあと2つくらい書いておきたい事があるので、急がねばならない。このようなくだらなくよこしまで欲の面にかられて鼻の下を伸ばすような事をしている場合ではない。
いや、そこではない。
突っ込むべきところは他にある。
女学生をローマ字で綴ると、
「jyogakusei」だろう。
なのにこのリンク先のホームページは
「jyokakusei」だ。
おそらく、このスクール水着の似合う女学生は
「どうして今作ったばかりの私のブログにアクセスできないの?」
「どうして今作ったばかりの私のブログにログインできないの?」
と本気で悩んで20度ほどのログインを繰り返したに違いない。
相当泣き顔で悩みながら想像できるかぎりの様々なパスワードを入力し続けたに違いない。
きっとこのリンク先のスクール水着の似合う女学生はかなりおっちょこちょいなのだろう。きっと守ってあげたくなるタイプだ。出来ることなら、今すぐにでもよろしくお願いしたいくらいだ。
弾幕シューティングとは何か。
いや、この表題は相応しくないだろう。
「ABA Games」とは何か、がもっとも相応しいのではないかと思う。
しかしながら、弾幕シューティングとは何か、という表題でブログを書き始めてしまったのであるから、初志貫徹頑固一徹に僕は弾幕シューティングとは何か、という事について書くふりをしながら、ABA Gamesとは何かについて書く。
http://www.asahi-net.or.jp/~cs8k-cyu/
ABA Gamesとは、上記のサイトである。
弾幕シューティング(敵がいっぱい撃ってくる弾をよけながら敵を殺しまくるゲーム)のインターネット上における第一人者であり、創造主であるABA."Saba" as 長 健太という人物が開設しているホームページである。
切込隊長という人間の取り巻きからしてみれば信じられぬだろうが、このABAという人物は切込隊長という人物よりもずっと有名であり、ずっと偉大で伝説的な男なのである。少なくとも、僕と僕自身と僕の周辺においては、であるが。
というか、話を変える。
>その悩みを解決すべく僕が行った努力というのが、
>春秋(日本経済新聞の天声人語のようなもの)を毎日
>ノートに書き写すという事だったのだ。これを小学
>校4年生の時に行ってからというもの、僕はこのブロ
>グに象徴されるように、理路整然とした規律正しい
>日本語の文章を正確に書き連ねる事が可能となった
>のである。
これには誰も突っ込まないのか!
物凄い感動だ!
僕の文章は理路整然としており、規律正しい日本語であると世間一般には理解されていたのだ!。これは本当に感動ものであり、僕は今幸せの極地にいる。僕は長くの間、というか今も尚であるが、まともな文章を書くことが出来ない人間であると信じていた。僕の書く文章は「テ・ニ・オ・ハ」が滅茶苦茶であり、時系列も滅茶苦茶であり、主語が存在していな述語と述語が存在していな主語のみで構成された、まるで宇宙人語のような奇妙奇天烈で、誰にもその意味が通じぬ悲惨極まりない悪文であると信じており、それが僕の人生、インターネット人生における非常に重い重圧として圧し掛かり、メール、BBS、ゲストブック、その他もろもろ一切のコミニケーションというコミニケーションから自分を隔離し、ただ1人のインターネットエクスプローラ操作者としていくつかのホームページを閲覧し続けるのみに自分の行動を制限してきたのである。
それが、まったくの杞憂であったというのだ!
僕の書く文章は理路整然とした規律正しい文章であると世間一般では認識されており、文筆能力というその一点に置いては切込隊長氏もABA氏も僕の足元にもおよばず、誤字脱字、脱稿などというものは一切ない見事極まりないブログニストこそがhankakueisuの正体であり、あと半日もすれば筆聖というあだ名で通るくらいの名文書き手こそが僕自身なのだ。。まごうことなき事実だ。
いや、このブログは弾幕シューティングのブログだるので、話を元に戻さねばなるまい。
戻すよ。書こう、書くぞ。
ではこのABA Games なるものが作り出したNoiz2saが僕にどのような影響を与えたのかというと、僕が一度ウォークラフト3を捨ててしまった時に、僕をWinMXでダウンロードすればCDキーもネット接続に必要なIDも完全に記憶しているのだから遊ぶことが出来るという強い欲望から救ってくれたのが、エンフォソフトからウォークラフト3が到着するまでの70時間にわたりほとんどまどろむ事もなく、頭痛薬を飲みながら延々遊び続けたNoiz2saだったのである。
これが僕とABA GamesのNoiz2saというゲームソフトの関係である。
勘違いしていらっしゃる方がいるようなのであるが、僕はABA氏とチャットした事など一切ない。ABA Gamesで公開されているNoiz2saのソースコード(プログラムのようなもの)を模写した17時間の作業を指して、対話と書いておるのであって、ABA氏は場末の引き篭もりと17時間にわたって2人きりでチャットをするような暇人ではない。
ABA氏という人物がどのような人物であるかというと、とにかく弾幕シューティングという弾幕シューティングをやりまくりながら作りまくっており、しかもそのソフトには全てソースコードが公開されているのである。
おそらく、そのソースコードを見たプログラムの出来る女学生などはABA氏のプログラムソースを見た瞬間に腰砕けとなり、ABA氏にメールをしては実際に逢い引きしてよろしくやっているに違いない。
ABA氏は文体とホームページの造りから推測するに相当な二枚目であり、高身長であり筋肉質とは行かないまでもいい体をしてい事は疑う余地のない所で、弾幕シューティング界に関わる女学生という女学生の全てとよろしくやっているのだろう。
ABA氏の弾幕にメロメロになった女学生などは、おそらく「ちょうだい!ちょうだい!けんちゃん(ABA氏はその名をKentaという)の弾幕もっと一杯ちょうだい!かわしきれないくらいの白い弾幕君(注1)をわたくしに頂戴!」などと呼びかけられては、「僕のボーボーダウン(注2)がブレイクショットを今まさに解き放つぜ!」などと笑顔で弾幕シューティングをよろしくやっているに違いない。
(注1)白い弾幕くん
ABA氏関連の弾幕ゲーム。
http://shinh.skr.jp/sdmkun/
(注2)ボーボーダウン
SEGA社が発売しているシューティングゲーム。
http://www.am.sega.jp/utop/closeup/border_d.html
あれ、書き終わってしまったぞ?
こんなまとめでいいのか?
弁解として弁護として、言い訳としてのブログの最後が「僕のボーボーダウンがブレイクショットを今まさに解き放つぜ!」でいいのか?これでは、清廉も潔白もないではないか。まるで僕自身が女学生に「ちょうだい!ちょうだい!よしくんの弾幕もっと一杯ちょうだい!かわしきれないくらいの白い弾幕君をわたくしに頂戴!」と言われたいというい願望を持っている変態であるかのような文章に読めてしまうではないか。
そのような事はまったくない。
僕は清廉潔白、純粋にしてバンビの瞳のような嫉妬という非常に人間らしい純粋で純朴な感情からABA Gamesについて記述しているのであって、よこしまで下品おげれつな気持ちなど、生まれてこの方所持した事がない、物凄い好青年であり、ブログニストである。
10-0/25-20、勝ち、Holy Knight
このような表題でブログを投稿してしまうと、DOTA allstarsに興味のない多くの読者様には読んでいただけないのではないかという物凄い不安感があるのだけれど、このブログは僕が自分がどのような気持ちでどれくらいDOTA allstarsをプレイしているかを確認する為にプレイ記録を書くために開設したブログであり、当初の定型に従いった表題でブログを投稿する。
しかしながら、DOTA allstarsの純粋なプレイレポートにはならないだろうから、この投稿はDOTA allstarsファンの方にも、DOTA allstarsファンでない方にもご理解頂けぬ、求められてはいない内容になるだろうから、書く人間としては非常に悲しい。
しかしながら、書く。
ホーリーナイトは、回復魔法を持ったヒーローである。
僕が遊んでいると、ダメージを受けて体力を減らした味方が僕に向かって、「heal」と言う。おそらくアメリカ人であろう外人にそう言われた僕がキーボードの「t」キーを押してから、その外人プレイヤーを左クリックすると、シャキーン♪という音とともに外人プレイヤーの体力が回復し、その外人プレイヤーは僕に向かって「ty」(thank youの略)といい、それに僕は「np」(ノープロブレム)と答える。
これが、僕の人生における他人との唯一のコミニケーション手段であり、僕がDOTA allstarsに癒され続ける大本の理由である。
では、僕が他人とのコミニケーションを望んでいるのか?と問われれば、答えは間違いなく「NO!」だ。僕は他人とのコミニケーションなど望んでいない。誰とも関わりたくない。お願いだから近づかないでくれ。
僕は他人との距離感がはかれず、まともなコミニケーションの取れない人間である。もし誰かが僕に近づいてきた時に僕自身が抱く感情は、煩わしさと無力感からくる嫉妬と、それをトラブル、ストレスとしか認識できない事から来る恐怖の2つである。
癒しなどというものは一切感じ取れない。
ディアブロ2におけるメフィスト狩り(よいアイテムを落とすボスを殺し続ける事)や、DOTA allstarsにはそのような嫉妬や恐怖を伴うコミニケーションは一切必要ない。ただ敵を殺して味方を助け、それによりいくつかのアイテムやゴールド、勝利という結果を得られるだけの、まさに僕にとっては究極の癒しの手段であり、最強にして最高、完全無欠のコミニケーション手段であり、僕の人生そのものなのである。
この1ゲームによって、僕を救ってくれるのはDOTA allstarsしかないという事をしっかりと再認識する事が出来た。僕はDOTA allstarsから逃げない。一生いちDOTA allstarserだ。
ゲームの方は、ブーツ+小枝4本でスタートし、中立モンスターを15匹くらい仲間にしておいてラッシュをかけて終了。爽やかなグッドゲームだけど、このブログを投稿している間に操作ミスでインターネットエクスプローラが暴走し、書き込みを消してしまったのでスコアは正確なものではない。
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