2004年11月22日月曜日

透明人間を見た。



目を覚ますと、透明人間が窓べりに掛けていた。

僕が、「あっ、すみません、何をしているんでしょうか?」と問うと、「透明人間を」と彼は即時に答えた。「あ、はい、わかりました」

そうじゃない、そうじゃない。
そういう事を聞いているのではない。

そこで何をしているの?と問うたのに、まったく関係のない、筋違いな回答を僕によこした。これだから言葉は嫌いだ。曲用され、曲解され、あらぬ方向へ飛んでいく。

しかしながら、その明らかに間違った解答により、彼が何者であるのかが判明した。
透明人間か。
なるほど。

けれども、見えている。
あきらかに見えている。
全然透明ではない。
滅茶苦茶見えている。



「え、見えてますよ」
「半人前なんで」

一つ賢くなった。
半人前の透明人間とは、見えるものなのだ。
一人前になってやっと、何も見えなくなるものなのか。


僕は、「あのっ、何をなさっているんでしょうか?」と問うた。
すると、「引き篭もりを」と彼は即時に答えた。「あ、はい、わかりました」

そうじゃない、そうじゃない。
そういう事を聞いているのではない。

そこで何をしているの?と問うたのに、まったく関係のない、筋違いな回答を僕によこした。これだから言葉は嫌いだ。曲用され、曲解され、あらぬ方向へ飛んでいく。

しかしながら、その明らかに間違った解答により、彼が何者であるのかが判明した。
引き篭もりか。
なるほど、この男は僕と同じ引き篭もりなのか。
そう納得しかけたが、おかしな点に気がついた。
ここは僕の部屋であり、僕の天領である。
なぜおまえはここにいるのだ!
引き篭もりだと自称しているのに。


「え、あ、引き篭もってませんよね?」
「ええ。どちらかというと、引き出もり、かな。」

明らかに笑いを期待したトーンで彼はよこした。
笑えない。ぜんっぜんわらえない。この男は引き篭もりを馬鹿にしている。おそらくは、僕を嘲いに来たのだろう。ふざけるな。


「透明人間も色々大変なんですよ」

知らない。
知りたくもない。
自分語りなど聞きたくない。
よりによって、何故僕を相手に自分語りを始めるのだ。透明人間のくせに。


しかし、仕方なしに聞いていると、色々な事が判った。

透明人間も色々と大変らしい。
透明人間社会では、透明人間でないと半人前であるとして馬鹿にされるらしい。しかし、透明人間は透明人間になってしまうと、何も見えなくなってしまうので、透明人間が透明人間を馬鹿にするには、透明人間でない必要が出てくる。そこで、透明人間は透明人間でない透明人間を監査役として透明人間グループに1人置いておくのだけれど、透明人間社会の大多数を占める透明人間側はその、たった1人の見る事の出来る半透明人間の言葉を信じる以外に世界を見る方法が無く、本来は支配者階級であるはずの透明人間は半透明人間の掌の上でもてあそばれているような現象が起こっているそうだ。しかしながら、透明人間側は半透明人間の言う事を信じきっており、世界の現状と透明人間が半透明人間の言葉を通して見ている世界との間には、大きな乖離が見られるそうだ。


「僕はいやなんです。透明になるのが。
 あんな奴の掌の中で弄ばれて生きるのは。」


透明人間も大変なのだな、と少しだけ僕は彼に同情した。が、とりあえず、この部屋から出て行け。お前邪魔だから。そこにいると視線がうっとおしくてブログも書けぬから、本当に出てってくれ。頼む。うざい。


「透明人間も色々大変なんですよ」

それはさっき聞いた。
と思っていると、彼は違う話を始めた。

透明人間社会には、半透明人間の目を通じて世界を見る事をよしとせず、透明人間のみで自立した社会を作ろうと努力している透明人間集団もいるらしい。

あるものなどは芸術的感性を利用して、「透明人間」という自画像を書いて画廊に持ち込んだものの、「透明人間じゃねー、あんた、夢見るのも大概にしな、な。真面目に就職しなって、はははははまったく。まったく。」などと罵られて、しょげ返って帰ってきたりもしたそうな。また、あるものなどは、透明人間vs透明人間という映画を撮って映画会社に持ち込もうと試みたものの、8ミリカメラがどこにあるのかを見つける事が出来ずに苦労して、手探りでやっとこさ8ミリカメラを見つけ出し、それで透明人間vs透明人間という大スペクタクル映画を撮り、日活株式会社に持ち込んだものの、「うちエロないと駄目」と一言で片付けられ、彼が人生のすべてをかけて取り終えた透明人間vs透明人間は日の目を見る事もなく、彼は「エロか」「エロか」と死ぬまでうわ言のように繰り返し続けたらしい。


透明人間でなくてよかった、といった感想を自分の中でこねくり回していると、一つの疑問が生まれたので、彼にぶつけてみた。


「透明人間って、どこから透明なんですか?」

彼は質問の意味を理解出来なかったようだ。
何も答えず、聞かなかったふりをして窓べりに掛けたままだった。

透明人間がカフェオレを飲むと、カフェオレはやがて透明人間になる。
カフェオレはいつまでカフェオレで、どこから透明人間になるのだろう。


「ちょっと、僕を食べてくれます?」

無礼な奴だ。
僕が真面目に提案したのに「プッ」だと。
おそらくは、かなりおいしいのに。
僕自身も僕自身を食べた事が無いから僕自身は僕自身の味を知らないのだけれど、僕自身は多分、おそらく、かなりおいしいのに。もし彼が僕を食べたならば、僕はやがて彼になる。つまりは、透明になる。その感覚を味わいたくて僕は「食べてくれ」と提案したのであるが、彼は嘲笑の一つを返したのみだった。透明人間社会について自分語りをする時はあのように雄弁であったのに、人の話には「プッ」か。これだから透明人間は嫌いだ。


いや待てよ。
透明人間に食べられるとなると、食べられる前に料理されてしまう。胡麻和えとか、八宝菜とか、金平にされてしまう。その時点で僕は僕としての生涯を終えてしまい、透明になる事など出来ぬのだ。透明人間になど、決してなれぬのだ。
そこまで読んで、彼は「プッ」と噴出したのだ。
僕の馬鹿さを嘲って。

悔しい。
透明人間に馬鹿にされた。
引き篭もりのくせに。
ちくしょう。
人の部屋に勝手に進入してきたこの男に、僕は朝っぱらから惨めな気分にさせられている。本当に惨めだ。


出てってくれ。
今すぐに出てってくれ。
お前なんかとゆっくり話していられるような暇人ではないのだ。
僕の1秒は高く尊く、お前なんかに邪魔されていいようなものではないのだ。


「これから、どうするんですか?」
「ふはっ」

微笑むな。
息を吐き出して微笑むな。
ふはっ、じゃない。
ちゃんと答えろ。


「透明になりますよ」
え?透明に?
延々、「僕は透明になりたくない」という事を匂わせながら、透明人間社会の病理を僕に話し続けていたのに、その男が唐突に「透明になります」などというものだから、僕は呆気にとられた。


「もう決めたんです」
強い決意のようだ。
透明人間を馬鹿にしながら、透明人間がいかに駄目なものであるのかを知りながら、それでも彼は透明人間になる道を選んだようだ。半透明人間の彼には、それしか道が無いのかもしれない。遅かれ、早かれ、という事なのだろう。選択肢の無い彼の人生に少し同情する。


「なりますよ」
透明人間が透明人間になる瞬間を目撃できるのかと思うと少し緊張し、左肩の筋肉が硬直してきた。世紀の一瞬だ。


「なります」
透明人間が透明人間になる瞬間を目撃するのは、おそらくこの広い世界長い人類の歴史上でも僕が初めてだろう。ラッキーだ。ついてる。



「なりました」
  まだ見えてますよ。

「なりました」
  見えてますよ。

「僕は透明人間です」
  見えてますよ。そちらからも見えてますよね?

「物凄い透明です」
  物凄く見えてますよ。

「もう何も見えません」
  いや、見えてるでしょう?

「見えないなー。透明だし」
  こちらから見えているんだからそちらからも見えているでしょう?

「なーんにも聞こえないな。凄く透明」
  見えてますよ。

「すっごい。これすっごい。透明」
  全然透明じゃないですよ。見えてます。

「透明人間!透明人間!とーめーにんげんーあらわるあらわるー」
  透明じゃないですよ。

「透明だなー」
  見えてますよ。

「透明だなー」
  見えてますよ。

「透明人間なんだなー」
  見えてますよ。

「透明人間なんだよー」
  見えてますよ。

「なーんにも見えない。」
  見えてますよ。

「なーんにも見えない。」
  見えてますよ。


「うん、なーんにも見えない。透明だ。」








いや、見えていますよ。