2012年12月30日日曜日

目が憎い

寝ていても良い事はないけれど、目が覚めても良い事はない。何か良いことを捏造して、それに近づこうと企んでも、まず良い事が思い浮かばない。ただ憎悪で心が回る。インターネットには不愉快な事しかない。インターネットの外にも、不愉快なことしかない。睫毛が目に刺さり目が憎い。

2012年12月27日木曜日

起きて一つ息。

何も考えていない。自分の未来についても自分の心についても自分の明日についても自分の昨日についても。逃げていない逃げてすらいない。何もない。この体には何もない。この心には何もない。冷たさで指が赤く膨らむ。そこをそっと撫でる。

そんなことをしてなんになる。

「そんなことをしてなんになる」なんて事を軽々しく言う奴らにこそ、「そんなことをしてなんになる」って言ってやりたいね。そんなことをしてなんになる。

2012年12月26日水曜日

ライオンがいない。

水牛を喜ばせるのは難しい。水牛というからには水が必要で、水牛というからには草が必要だ。清らかな水を湛える巨大な池も、草を育む広大な大地と太陽も、僕の手には如何ともし難い。他方、ライオンを喜ばせるのは簡単である。肉をくれてやればよい。




水牛に追突されて人が死んだというニュースは毎日のように聞こえてくる。けれどもライオンに喰われて死んだという話はもう随分と目にしていない。水牛で死ぬのも、ライオンで死ぬのもどちらも同じ死だ。けれども水牛とライオンは違う。砂埃を上げて一人の人間に向かって突進する水牛を突き動かしているものは、怒りだ。人間に対する不信感と憎悪を募らせた末の激昂。耐えに耐え、耐えきれなくなった怒りの渦が忿怒となって、水牛を人へと走らせる。

ライオンは違う。ライオンはそうではない。ライオンを人へと走らせるものは喜び。生きる喜び。幸せ。幸福感。肉を食べられるという根源的欲求。生の愛おしさ。水牛のそれとは違う、完全にポジティブな感情。水牛を不機嫌にして呪われながら死んで行く人がいる一方で、ライオンを喜ばせて死んでいく人が居る。幸か不幸か、世界は水牛で溢れている。ライオンではなくて、黒くて、巨大で、二本の角の、水牛に溢れている。

怯えながら歩く。誰かを不愉快にはさせていないか。誰かのストレスになってはいないだろうか。怒りを買っているんじゃないか。目障りなんじゃないだろうか。水牛の群れに混じって、こんな所を歩くことが、果たして僕に許されるのだろうか。追い詰められて夢に見る。そして時々夢想する。ライオンに溢れた世界を。誰もが僕を望み、誰もが僕を夢に見て、1秒の猶予もなく飛びかかられる世界を。そんな夜道はこの国には無い。




この国にはライオンが居ない。ライオンが見あたらない。いつの日か居たはずのライオンが、どこを探しても見つからない。ライオンの居ない国で、ライオンを喜ばすのは至難の業だ。ライオンの居ない国で、ライオンに食べられるのは不可能である。それでもライオンを信じる僕は、毎日を水牛に怯えながらライオンを探している。少しでも油断をすれば、水牛の角が腹に刺さる。少しでも居眠りをすれば、水牛の蹄が頭を割る。苛立ち、腹を立て、機嫌を悪くした水牛の荒い鼻息が、こうしてる間も耳たぶを舐める。僕はそれに萎縮して、それでもまだライオンを夢見る。




年の瀬はかくも無情で、我が身は見るも無惨だ。たとえばこの国にライオンが居れば、ライオンは何に心を躍らせ、ライオンは何を喜ぶだろう。それを思い浮かべるのは、心が晴れる夢想ではない。この貧弱な体の、この貧弱な肉と血では、ライオンを喜ばす事は出来ないだろう。ライオンの胸を熱くし、ライオンを走らせるのは、僕ではなくて水牛。少しだけかわいい水牛、少しだけ弱った水牛、少しだけ小さな水牛。かわいげのある水牛。存在しないライオンが、仮に存在していたとしても、僕が喜ばす事の出来るライオンは存在しない。存在しないライオンだけでなく、存在しないライオンもまた、存在しないのである。




僕に出来るのはせいぜい障害物。ライオンが水牛を襲う邪魔をする、目障りな障害物。ライオンが僕を食べてくれません。ライオンが僕を喜んでくれません。ライオンが僕を望んでくれません。ライオンが僕を襲ってくれません。水牛に揉まれ、水牛に突き飛ばされながら、死にたくない、まだ死にたくないと藻掻く。ライオン、ライオンと呟きながら。この国にはサバンナが無い。喜んでくれるライオンは居ない。あぶり出されるのは傲慢さ。




蛆じゃ駄目なんですか。蠅じゃ駄目なんですか。君が死ねば肉は腐り、蠅が飛んでくる。蠅は君の体に卵を産み付け、そこでは白く健やかな蛆が無数に育つ。君の肉だったものは蠅の肉となり、君の血だったものは蠅の血になる。君の死は水牛ではなく、ライオンでもなく、蠅を喜ばせる。蠅を幸せにする。蛆を育む。それじゃあ駄目なんですか。蛆じゃあ駄目なんですか。憎み続けて生きてきた、自らの体の血と肉が、ライオンに値するという思い上がり。どうして蛆じゃあ駄目なんですか。夜通し問うても回答はない。もう動かない。

2012年12月24日月曜日

椅子の上。

元気になれば元気になったで体中の痛かった所をいぶかしげにさすったり押さえたりしながら、椅子の上によじ登りビデオゲームをする自らへの憎悪と嫌悪が交互に一枚一枚積み重なって高く、高く天を突く。頭痛が去った時に訪れる正体不明の非生産的な万能感はそこにはなく、体のどこか胴体の内側が、今も人知れず痛みを感じているような気がして不安と心細さが打ち消えず、そこから逃れようにも行く当てはない。痛くもない頭が痛いように思え、痛くもない胴体が痛いように思える一方で、痛むはずの心はもうない。心ない人よ、君の言う未来とは何、希望は何、君の夢は何。

そして回復へ。

食欲が全く無い状態で無理矢理にご飯いっぱい食べたら具合がよくなった。そういえば、ここ5日ほど何かを食べた記憶がない。このところの体の不調って、ただ単に飢えてただけなんじゃという疑惑が浮上してしまった。これで少し横になって完全回復してたら逆に情けない。未知の症状から来る巨大な不安と戦って心細く無駄に疲弊してたのはなんだったのか。とりあえず胴体は痛くなくなった。良かった。

ああ、あああ。

ここしばらく元気がない。椅子に座るのも自由ではない。でも、今年一番ってほどじゃあない。3番目か4番目くらい。全然たいしたことはない。もっと具合が悪い時はあって、そこからきちんと回復してきたわけで、どうせ10日もすれば何事も無かったかのようによくなっているんだろうということは、経験上わかっている。わかっているから平気かというとそんな事はなくて、弱気になるものは弱気になるし、しんどいものはしんどい。症状が違うのもやな感じ。何をする気力も起きないとか、何をする体力も残っていないとか軽々しく言うけれど、元気な時もぼけえっと過ごしてきた人が言っても聞く耳持たない。眠たいし、眠る体力はないし、遠い遠い真冬の空の風のように低いうなり声を声も出さずに静かに発して丸くなってるだけ。もっと生産的に生きたい。

2012年12月23日日曜日

albさんのことのこと。

albさんのことについて書くのは、気が進まない。ずっと、気が進まなかった。だから、今日までずっと書かずに居た。今日になって突然、albさんのことについて書こうと思ったところで、やっぱり気が進まない。書ける事は何も無いし、書く資格はないし、思う事もない。なんの意見もないし、なんの情熱もないし、伝えたいこともない。思う事すらない。




それでも、2012年があと10日で終わるという。

僕も人並みの凡人根性で、2012年にやり残した事を全て片付けてしまおうと思った。確かに、今年中にやろうと思っていた事は幾つも思いついた。けれども、それより前に、2008年にやろうやろうと思いつつ、やり残したまま手も付けられなかった事が残っていた。とにかくどうにかしないと、それを片付けないと、2008年を終わらさないと、2012年など夢の又夢。息をする事も出来ない。前に進む事なんて出来やしない。だから、自分の為でもなく、誰かの為でもなく、何かを書き残したいわけでもなく、何かを伝えたいわけでもなく、ただ2008年を終わらせる為だけに、albさんのことのことについて、人間の心の存在しない、空虚で意味のない文章を、ここに書き残しておこうと思う。




僕はブリザードエンタテイメントという会社のゲームが好きで、これまで随分と遊んできた。同じように、インターネットでゲームについて書かれた文章を読むのが好きで、これまで随分と読んできた。どうしてか、この2つの好きなことは、なかなか重ならなかった。「この人のゲーム文が好き」と思う人は、ブリザード社のゲームをプレイしないのだ。

FPSが好きだったり、シューティングゲームが好きだったり、レースゲームが好きだったり、そんな人達ばかりだった。我が国では、ブリザード社のゲームはとてもマイナーな存在だ、という事もあったのかもしれない。好きなゲームと、好きなテキストは、滅多な事では重ならなかった。一生触る事すらないようなジャンルのテキストを読み、それとは全く別の、狭い範囲のゲームばかり遊んで居た。

件に漏れず、僕はalbさんのテキストが好きだった。ゲームについて大量のテキストを真面目に書き続けている人、というのはインターネットを探しても、そう簡単には見つからない。そういう、とても珍しいテキストが大量に読める場所であり、尚かつけっこーアクティブに新しいテキストも追加されるので生きている感があって、いちいち面白かった。




なので、そこに、ディアブロ2のテキストが追加された時は、超面白いと思った。これは超ヤバイと思った。随分前の事なので、どんな風に消費したのかは覚えていないけれど、ちらっとさわりを読んだだけで、2008年に一番面白かったと思うテキストはこれだろうなあ、と思った事だけはなんとなく覚えている。二番目に面白かったのはどこかのblogで読んだ、StarCraftの代打ちがapm解析でバレて追放される話だった。2008年ってのは、そういう年だった。

好きなテキストを書く人が、自分の知っているゲームについて書く、というのは滅多に無い事だったから、ディアブロ2のリプレイを、ニヤニヤしながらたのしく読んだ。石橋を建造するように真面目に進む様や、1周目でごちそうさまでしたする辺りは、っぽいなあ、と思った。ディアブロ2という3周してからがスタートという不埒なビデオゲームが、albさんのプレイに耐えうるゲームだった事はちょっとした驚きだった。




"albさんのこと"というのは、そういう話ではない。
じゃあどういう話なんだ、というとやっぱり気が進まない。


とにかく、albさんは2008年に、自らのサイトを、限定公開にしてしまった。ディアブロ2のテキストも読めなくなったし、アルファケンタウリのテキストも、レイルロードタイクーンのテキストも読めなくなった。全部読めなくなった。何もする気力が湧かないときに気張らしにテキストを読みに行く場所が1つ消えた。完全に閉め出されてしまったのだ。よくわからない無念さを感じた。僕はもう一生この先死ぬまでこれからずっと、albさんのテキストを二度と読む事が出来ない。まあ、そんなものだろうね、と納得した。


何故そんなものだろうと思ったのかというと、僕自身がディアブロ2を違法ダウンロードしまくってきた、という過去があるからだ。同じように、WarCraft3も違法ダウンロードしまくってきた。故に、albさんがご自分のテキストをインターネットから削除してしまった事について、何かを思う資格はないし、何かを言う資格もない。何故気が進まなかったかというと、端的に言うと、それが原因だろう。資格だけではなく、何かを思うつもりはないし、何かを感じるつもりもない。何かを書くつもりもない。


違法ダウンロードを目当てとした検索があるとか、違法プレイを目的とした検索があるとか、そういう検索エンジンからのアクセスが不愉快だという事で、テキストは全部非公開になった。それは自然なことだし、筋の通った行動だと思う。自分が買っているものをただで遊ぶ奴がいて、そういう類の人間が寄ってくるという現実を、不愉快に感じるのは、当たり前の事だ。


ようするに僕は、僕という人間は、僕という人間の半生は、その存在をもって、誰かを不愉快な気持ちにさせるものだった。そしてその相手がalbさんだったということは、とても残念な気分だった。


一応、なんの弁解にもならない自分語りをしておくと、僕はゲームが好きだからゲームをするとか、ゲームが趣味だからゲームをするといった類の人間ではなく、ただ特定のゲームをインストールしてはアンインストールするだけの人間、いわゆる完全なゲーム中毒者で、ディアブロ2は6個くらい買っているし、WarCraft3は10個以上買っている。先日部屋を片付けて引き出しいっぱいの重たい重たいWarCraft3の説明書の山を紙袋に詰めた上でゴミ袋に詰めたのだけれど、こんなものの為に頑張って働いてたのかな、と徒労感だけが募った。この人生において、僕の努力は自分を含め、何人をも幸せにはしなかった。もちろんdota2も高い金を出して買った。

だからと言って、いっぱい買ったからといって、そのソフトを違法ダウンロードしていいのかというとそれは違うわけで、なんの慰めにもならないし、なんの言い訳にもならない。自分の存在が誰かを、それもalbさんを不愉快にするだけの存在だったという事実は何も変わらない。一方的に消費して楽しんできただけで、不正に貪っていただけ、不正に消費していただけの、存在そのものが害悪の、招かれざる客だったという事をよく理解した年だった。自分の存在というのは、害悪以外の何物でもなかったのだと、はっきりと認識した年だった。2008年というのは僕にとって、そういう年だった。




インターネットで文章を書いていると、嫌いな人が寄ってくる。嫌いな人から好かれる。嫌いな人に付き纏われる。その一方で、好きな人からは好かれない。それどころか、好きな人には読まれる事すらない。視界にも入らない。思った事や感じた事を、苦労して文章に変換して、やっとの事でインターネットに書き残しても、それを読むのはやなやつばかり。ろくでもない人達の、好ましからぬ人達の、酒のつまみにもならない、柿の種の一粒にも劣る、一瞬のくだらない娯楽として、消費されていく。何よりもそれを象徴してるのが他ならぬ僕自身の存在で、こういう人間に有り難がられてしまった事は、インターネットのくだらなさを象徴する、albさんにとって何よりも不幸な現実だと思う。


嫌いな人に読まれ、嫌いな人から評価され、嫌いな人に好かれる。嫌いな人に粘着される。自分の努力は嫌いな人を利する為だけの行動であり、自分という人間は嫌いな人を喜ばせる為の機関として存在している。その現実は、何よりも不愉快なものだ。全て憎むようになる。何も書きたくない。何の努力もしたくない。全てを呪うようになる。解決方法は2つしかない。嫌いな人を皆殺しにするか、自分が書くのをやめるか。albさんは後者を選んだ。インターネットから自分の書いたテキストを全部削除して、インターネットで文章を書くことをやめてしまった。それは取り得る唯一の選択肢であり、とても自然な正しい選択だと思う。




僕等が遊んで居るビデオゲームは、趣味で作られたものではない。仕事として作られたものであり、労働の結果として出来上がった代物である。消費者は金銭を支払い、それと引き替えにビデオゲームを手に入れる。その契約は美しく完結している。生産者の商品を売り、お金を手に入れて生活を続けるという目的と、消費者のゲームをプレイして娯楽として消費するという目的は綺麗に噛み合っている。

けれども、インターネットで文章を書くという行為には、そんな完結は存在しない。ビデオゲームには存在していた、生産者と消費者のwinwinの関係は、インターネットで文章を書くという行為には存在しないのだ。

好きだから書いている。書きたいから書いている。インターネットに文章を書いた時点で、生産者は勝利している。そんなふうに主張するのは簡単な事だ。けれども現実は違う。文章を書いた段階では何もはじまらない。何も終わらない。それは誰かに読まれ、誰かに消費される。そしてその消費者は、艶のある黒髪の美少女じゃあない。そればかりか、招かざる客であり、望まざる読者だ。手元に残るのは拭いきれない不愉快さと、得体の知れない疲労感だけ。




もちろん、商売としてインターネットに書いている人達もいる。その金額の大小はさておいて、収入を得ている人にとっての書くという行為と、一銭の収入を得ずにインターネットに文章を書く行為は、まったくの別物である。前者には勝利が存在している。winが存在している。けれども後者には勝利がない。winが存在しない。そこには敗北しか見あたらない。

albさんの場合は収入どころかサイト運営費に身銭を切っているわけで、インターネットという存在はalbさんにとって、お金を払って不愉快な気分を味わう、という手詰まりの息苦しいアトラクションだったのだろうと思う。全てを非公開にするのは、ほんとうに自然な事だと思う。

僕もまた一銭の収入も得ずに、持ち出しでインターネットで文章を書いてきた。悲しい事と、苦しい事と、不愉快さと憎しみとを得て、以前よりも自分を嫌いになり、自分以外の全ても嫌いになり、他人の幸せを願えなくなり、自分の幸せも望めなくなった。albさんと自分自身との間に共通項を見出そうとする事が正しい行いだとは思わないのだけれど、インターネットで文章を書くという行為は、ろくでもないものだと思う。




昨今のインターネットは、まるでビデオゲームの世界のように、回収するシステムに満ち溢れている。googleアドセンスで回収し、amazonアソシエイトで回収し、アフィリエイトで回収し、PVも金銭に返還される。インターネットで文章を書くという行為は、今やただの労働だ。ある時点では無報酬であっても、それはただ投資段階にあるだけ。いずれ回収フェーズに入り、マネタイズされ、現金として回収されていく。あるいは人間関係などのソーシャルな、他の何かで回収されていく。インターネットで就職し、インターネットで転職する時代なのだ。


そんな世界は、ほんとうに素晴しいと思う。そこは、生産者が勝利出来る世界。文章を書く人間が、勝利出来る世界。はっきりと明確な勝利が存在する世界。そんな世界は消費者にとっても楽だ。消費者には、生産者を勝利させる方法が提示されている。お金を払えばいい。ただそれだけでいい。ただそれだけで、生産者と消費者は繋がる。winwinの関係で繋がる。それはまるで、ビデオゲームの販売者と、購入者が、winwinで繋がる当たり前の光景のようなもの。


たとえばalbさんが1記事100円で過去ログを売ってたならば、僕はalbさんを勝利させる事が出来る。僅かだけれど、ほんの少しだけ、貢献する事が出来る。お金を払って、過去ログへのアクセス権を買えば、albさんの勝利に貢献する事が出来る。


けれども、そんなものは存在しない。僕には、一人の読者として、albさんの何かに貢献する方法は存在しない。まったく存在しない。僕に存在する選択肢は、一生死ぬまで口をつぐんだままで居るか、インターネットに文章を書いて誰かを不愉快な気分にさせるか。どちらにしろ、勝利は存在しない。ありとあらゆるものが勝利の為に存在し、勝利の為に作られ、勝利の為に運営されている2013年のインターネットにおいて、勝利の見あたらない虚しい空白地帯。




僕がかつてまだ、完全な重度のビデオゲーム中毒者だったころ、アンインストールしてインストールkeyを捨ててしまったり、ゲームディスクを割ってしまってからの、再注文した次のインストールkeyやゲームディスクが届くまでの僅かな時間や、具合が悪くてビデオゲームすらプレイ出来ないようなしんどい時期に、一時凌ぎとして、何かから逃げるようにして読んだ、インターネット上の文章の1つに、albさんのサイトがあった。

僕という人間は紛れもなく、albさんが名指しした不愉快な読者像そのものだったわけで、自分は拒絶されて当然だし、悲しくもないし、残念でもないし、辛くもないし、何も思わない。また再び読みたいと思っているわけでもないし、何かを伝えたいわけでもないし、何かを感じてるわけでもない。

ただ、2008年という年は、そんな年だった。僕は一切の勝利に貢献出来ず、何の力にもなれなかったばかりか、不愉快にさせ、苛立たせ、むかつかせ、人を不幸にしたばかりで、その結果として拒絶された。そういう年だった。2009年は少しでも、何かいいことがあるといいな。

2012年12月21日金曜日

五本足の蜘蛛。

掃除をすれば綺麗になるという幻想は世間一般でも広く共有されているし、実際に掃除をすれば綺麗になる。けれども綺麗になることがイコールよいことなのかというとケースバイケース。綺麗になった。片付いた。で。それで?なにも。金目のものは出てこない。オークションで売れそうなものもない。プラスチックの容器の真ん中に、干涸らびて死んだ巨大な蜘蛛の死骸があった。それは足が5本しか無い蜘蛛で、生きている所を目にした覚えがある。こんな部屋の片隅で水も飲めずに死んだのだろう。わけもなく悲しい気分になる。一度目にしたものが視界から外れると、順調に行っているのだろうと無責任に思う。人間とはそういうものだ。足が5本しか無い時点でうまくいくわけがないなどとは思わない。目に入らないものは全て順調だと信じる。そういう生き物なのだ。パン屋は小麦粉を吸って肺癌で死ぬという。部屋を綺麗に掃除して、今までを全てゴミ袋に詰める過程で僕は何をどれだけ吸い、どれだけ近づいたのだろう。喉の奥ではいつものように血が滲み、空っぽの内臓が気分の悪さで膨らんだまま揺れる。全世界に張り巡らされた不愉快さの罠。たとえ完全な爆弾で世界を爆破したとしても、それだけは綺麗に残るだろう。この人生には希望が無い。どこかのブロガーが斉藤祐は顔が出来てないと意味不明な文句を書いていたが、部屋で拾った長方形に切り取られた顔写真を見ているとその意味がなんとなくわかる。時期違いのが三種ほどあったが、どれもなんとなく顔が出来ていないような気がする。今日同じ写真を撮れば財務大臣はきっと言ってくれるだろう。これは気違いの目だと。けれども無念なにも変わらずほんの少しだけ綺麗になった部屋の椅子の上のモニタの前で平穏無事な日はのっぴきならずに夜が明けてもまだ続く。掃除をすると、文字通りのゴミと、正真正銘ゴミ以外のなにものでもないものが次から次に出てくる。必要なものは一つも出てこない。何かの間違いで札束でも落ちてはいないかと思ったが、そんなものあろうはずもない。読むに値する本も聞くに値するmp3も遊ぶに値するゲームディスクもこの部屋にはない。文字通りのゴミと、正真正銘のゴミだけがいやという程落ちている。掃除というものは、元来、要らないものを捨てる一方で必要なものを保存する為の仕分けなのだけれど、僕の場合は捨てるものと捨てるべきものしか出てこない。そもそも、どのような人物の、どのような要らないものにしても、一時は要るとされていたものだ。いると思ったから買った。いると思ったからしまった。いると思ったから置いておいた。かつては要るとされていた、要るはずだったものだけれど、冷静に考え見直してみると要らないから捨てる。空のペットボトルにしたって、かつては重要なタスクを担っていた大切な何かだったのだ。それが、もう要らないと判断されたから捨てられる。ペットボトルだけではなく、何にしたって同じこと。あの蜘蛛にしたって、ある時気がついたのだろう。足は八本も要らない。そんなタコみたいな事をしている場合ではない。だから右の2本と左の1本は捨てられた。しかし蜘蛛はしょせん節足動物。低能である。5という数字が奇数であると、まとまりが悪い数字であると気づかずに歩き続けたからこんな場所に迷い込んで干涸らびて死んだのだ。いかなる世界においても常に、頭の悪さは罪なのだ。近頃、ふいに、愛が足りないとか、愛されないとか言うようになった。まあ、ブログに書くわけでもないし、実際に口に出して誰か言うわけでもない。独り言として呟くでもない。ただ愛が足りない、愛が足りないと口うるさく思うようになった。たいして気にしてはいなかった。部屋を片付けている最中にその愛というものについて考えていると、僕の言う誰も愛してくれない、といった類の言葉は、ようするに、誰も僕を養ってくれない、という意味なのだとわかった。あんたの言う愛ってのは、三食昼寝と暖かい布団の事だったのかと、方頬をしかめて軽蔑する。自らへの侮蔑だけが積み重なって成長する。よしんば純粋に(いわゆる)愛が足りないと心の底から思っていたという事が判明したならば、そちらの方が萎えるかもしれないが、ここまでの軽蔑は募るまい。どちらにしろ似たようなものだが。薄さ、浅さ、それ以外の様々なことに辟易する。大切なものを全て大切にすれば大切なものだけが最後に残り、捨てるべきものを全て捨てれば捨てるべきものだけがそこに残る。透明のプラスチックの器の蓋の上で足を丸くして干涸らびた捨てるに捨てられぬ五本足の蜘蛛が口も効かずに居座って、空の心が困ったと呟く。

2012年12月20日木曜日

あるmodの誕生と、あるeSportsシーンの死。

それは糞ゲーだった。
目も当てられないクオリティの、酷い馬鹿ゲーだった。


dota allstars。
それは、WarCraft3というゲームのMODであり、糞ゲーだった。








ビデオゲームの歴史上、最も偉大なリアルタイムストラテジーゲームの1つである、WarCraft3。そのWarCraft3に付属していた、カスタムエディタというツールを用いて、一介のユーザーが作り上げた、5対5の対戦ゲーム。それが、Defense of the Ancientsだった。そう、dotaだった。




dotaは、WarCraft3というゲームを購入していないと遊べない。極めて一部の人達の為の「フリーゲーム」だった。けれども幸いな事に、WarCraft3は500万本ものセールスを記録していた。極めて一部と呼ぶには、十分すぎるだけの母数だった。







WarCraft3は、確かに優れたビデオゲームだった。
StarCraftよりも優れているという人も居るし、匹敵するという人も居る。見る分にはStarCraft2よりも上だという人が居たり、1対1ならWarCraft3が上という人や、逆に2対2ならWarCraft3が上という人も居る。WarCraft3とは、そのような、素晴しい完成度を誇る傑出した、優れたビデオゲームだった。



そんなWarCraft3にも、致命的な欠点が存在していた。

WarCraft3は、難しいのである。息が詰まるのである。疲れるのである。そのゲームは、娯楽としてのゲームである以上に、真剣勝負の為のツールだった。たのしいけれど、苦しく辛い、1対1の差し迫った戦場だった。




最初の頃、人々はそれを面白いと思って楽しんでいた。
これだ、これこそが求めていたものだ、神ゲーだ。



けれども、である。

辛いのだ。
苦しいのだ。
勝てないのだ。

僅かなミスで自分の軍隊が半壊し、僅かなミスで自軍の将を失う。

学校からの帰り道ではMAXだったモチベーションも、ゲームを立ち上げて僅か12分後、1ゲーム終了した段階で随分と低下し、僅か25分後、2ゲームを終了した時点で大きく息を吐いて、「もういいか」という気分になる。それはまるで苦行だった。面白いという免罪符こそあれ、面白いだけの苦行であった。タワーディフェンスというWarCraft3のmodの一大ジャンルは、そんな空気の中で栄えた。辛くない、苦しくない、勝てるゲームとして、それは人々の支持を集めた。





WarCraft3にはMODというシステムがあった。

付属のエディタを用いて、WarCraft3のグラフィックやモーション、あるいはサウンドなどを利用して、ユーザーが自由にゲームを作る事が出来た。そして、それをゲーム内で自動ダウンロードする事で、あるいはゲーム外で各自がダウンロードする事で、自由に遊ぶ事が出来た。




WarCraft3に矢折れ、疲れて、草臥れたユーザーを癒す慈母のような存在。それがmodだった。そこにはタワーディフェンスが有り、キャッスルディフェンスがあり、ヒーローアリーナがあった。操作量も、技術力も、知性すらも不要な、簡単で、単純で、それでいて刺激的な、多種多様なMODが溢れていた。そして僅か10秒でそれらユーザーが作った無数のMAPをゲーム内で瞬間的にダウンロードする事が出来た。

人々は1日2ゲームから3ゲームだけWarCraft3を遊び、毎日のように打ち拉がれて、MODを漁り、世界中のユーザーが睡眠時間を削って作り上げたくっだらない、完成度の低い、くだらなくてくらだなくて、それでいてたのしい糞ゲーを遊び、陳腐なゲームで癒されていた。

WarCraft3という神ゲーではなく、勝負の世界ではなく、勝ち負けではなく、ただFUNの世界を謳歌していた。たのしいは正義。そんな世界に、そのゲームは現れた。Defense of the Ancients。そう。dotaである。






dotaの最大の特徴。
それは、完成度だった。

良くできていたのだ。
本当に、良くできていた。

dotaは神ゲーだった。
奇跡的な完成度を誇る異様なmodだった。



MODというのは、基本的に、BAKAゲーの世界であり、KUSOゲーの世界だった。ケラケラと笑い、カラカラと遊び、キャッキャウフフする為の世界だった。くだらない砂場のおままごとや、ちょっとした空き地の戦争ごっこみたいな世界だった。そんな世界にあって、dotaは元から傑出した完成度を誇り、バージョンアップを重ねる事で、遂には異常とも言える完成度を誇るに至った。dotaは、究極の5対5対戦ゲームだった。WarCraft3の本編は、せいぜい3対3までしか遊べない。けれども、dotaは5対5だった。みんなで遊べて、操作は簡単で、尚かつBAKAゲーでもなく、KUSOゲーでもない、面白くて気軽な対戦ゲーム。素晴しい完成度の素晴しいゲーム。それがdotaだった。



ブリザードエンタテイメント社のゲームは、パッチによって要素が追加されたり、バランスが調整されたりという事を何ヶ月、何年にも渡り繰り返されてゆく。ブリザード社のゲームソフトは、発売された段階では得てして酷いゲームバランスなのだ。WarCraft3もその例外ではなかった。

WarCraft3本体が、対戦ツールとしては未完成と言っていいほどの未熟だった時期に、完全に完成し、完全に成熟し、これ以上修正する場所が存在しないという域にまで達していたのがdotaだった。かくして、当時のdotaは、「WarCraft3よりも優れたゲームだ」という評価すらされるほどの、唯一無比の存在だった。




dotaは評判を高めた。
知名度を得た。
不動の名声を手にした。

一番のMOD。それがdota。
世界の頂点。それがdota。
MODの中のMOD、それがdotaだった。

WarCraft3を購入する事で遊べる究極のゲーム。
その時代におけるそれは、WarCraft3本編ではなく、dotaだったのだ。




インターネットの世界では有志が50ユーロもの自腹を切って賞金をかけたトーナメントを開催した。各国で攻略サイトが芽生えた。WarCraft3は本編を遊ぶ為ではなく、dotaとタワーディフェンスをプレイする為だけにでも購入する価値がある、というレビューまで書かれた。WarCraft3の為にではなく、dotaを遊びたいが為にソフトウェアを違法ダウンロードする、という人達までが出現しはじめた。




WarCraft3の世界は、dotaを楽しむユーザーで溢れかえった。
5対5の対戦席は、僅か10秒で満席になった。

WarCraft3を購入した人間は、誰もが一度は遊んだ事がある。
dotaとはそういう存在だった。WarCraft3をも超えた、究極の存在だった。










そんなdotaが、ふいに死んだ。
dotaの歴史は、あっけなく終わった。




The Frozen Throne。
氷の玉座。
TFT。

ウォークラフト3、ザ・フローズンスローン。
WarCraft3の拡張パックが発売されたのである。









WarCraft3と、その拡張版のWarCraft3、The Frozen Throne。
両者には、互換性が無かった。




WarCraft3は「war3.exe」。
WarCraft3 The Frozen Throneは「war3tft.exe」。


WarCraft3を遊ぶためにクリックするexeと、The Frozen Throneを遊ぶ為にクリックするexeファイルは、別のものだった。「遂に完成したWarCraft3」だとか、「事実上のWarCraft4」とまで言われた、伝説的なビデオゲームであるWarCraft3TFTが世に出た事で、WarCraft3の世界は僅か1日で過疎ってしまった。WarCraft3ユーザーの95%はTFTに流れ、20倍の人口差がついてしまった。それは、死であった。突然死であった。modの中のmod。dotaの、あっけない死であった。




WarCraft3で作られたMODは、WarCraft3TFTでは遊べなかった。
両者には、互換性が無かったのだ。

もちろん、dotaを遊ぶ為に「war3.exe」をクリックする人達も居た。けれども、敵は「事実上のWarCraft4」であり、「遂に完成した歴史上最も偉大なリアルタイムストラテジーゲーム」だった。それは決して抗う事の出来ない、時代の移り変わりだった。常に新しいものを求める人々の習性も、dotaには逆風だった。伝説のゲームであり、究極のゲームだったdotaは、その地位を追われた。玉座は空いた。知る人ぞ知るゲーム。かつて偉大なゲームだったもの。それが、dotaだった。「dotaは良かった」人々は口にしたが、それは遠く過ぎ去った過去の歴史の出来事だった。









そして、一つのコメントが出された。

僕はね、xboxで遊びたいんだ。
だからさ、dotaをTFTに移植する作業には関わらないよ。
dotaはさ、もうみんなのものだし、好きにしていいよ。
今までいっぱい遊んでくれて、ありがとうね。





こうして、1つのゲームが死んだ。
dotaは死んでしまったのだ。












かくして、新たな時代が到来した。
新世紀TFTである。




新世紀TFTには、dotaは存在していなかった。

modの中のmodたるdota、絶対的存在たるdota、最高のmodであるdota、modの頂点であるdota。WarCraft3よりも優れたゲームであったdota。そのdotaは存在していなかった。超える事の出来ない壁たるdotaの存在しない場所で、世界中のmod制作者達は考えた。「今modを作れば、modの頂点に立てる」。dotaの存在する世界では決して不可能だったmodの頂点。人々はそれを夢見た。目を血走らせ、一銭にもならない成功を夢見た。自らの能力を証明する為に、他の誰かから愛される為に、mod制作に身を投じていった。戦いの火蓋は切って落とされた。誰もがぎらつき、野心と欲望でエディターを立ち上げ、自らの青春を夜通し費やした。








そこに、一人の男が居た。
野心的な男である。




男は考えた。

有名になる方法。
誉めそやされる方法。
成功する為の最短ルート。





男の頭に1つのフレーズが浮かんだ。
「dota」

男の頭に1つの名案が浮かんだ。
「パクリ」






彼は、パクった。パクったのだ。
パクって、パクって、パクりまくった。





世界中のMODをパクった。

あるmodからはキャラクターをパクり、あるmodからはアイデアをパクった。
あるmodの内部を覗いてコードをパクり、あるmodからはシステムをパクった。
アイテムをパクリ、魔法をパクり、必殺技をパクり、3Dモデルをパクった。






そしてそのパクりにパクりを重ねた自作のMODを、こう名付けた。
「dota allstars」





たしかに、である。
確かに、オールスターだった。


そりゃあ、そうだ。
盗んだのだから。

そりゃあ、そうだ。
パクったのだから。


世界中の優れたMODのキャラクターを盗み、
世界中の優れたMODのアイテムを盗み、
世界中の優れたMODのアイデアを盗めば、
自然、それは、自ずから、オールスターになる。


当たり前である。
当然である。




パクったのだから。
パクってパクってパクりまくったのだから。
そりゃあまあ、オールスターみたいな雰囲気にはなるのだ。






けれどもね、所詮はパクり。
パクりはパクり。




そんな行為で、面白いMODが完成するわけがない。
当たり前だよ。志が低いんだ。心が汚れてるんだよ。

出来上がったのは、ゴミだった。
正真正銘の、ゴミだった。





クリックされると死ぬ。
そういうゲームだった。
いや、ゲームじゃない、ゴミだった。

dota allstarsってのは、ゴミだった。
パクってパクってパクりまくった、正真正銘のゴミだった。






けれども、男には野心があった。
TFTという新世界で、王になるという夢があった。




そのくだらない夢に向かって、男は努力を重ねた。

毎日コードを書き換え、毎週数度のバージョンアップを重ね、さらに、パクり元を探してmodの世界を旅し、dota allstarsと名付けたゴミを改良し続けた。そのゲームは、ゆっくりだけど、少しずつ、よくなり続けた。その頃、dota allstarsよりも優れたmodは無数に存在していた。けれども、それら優れた素晴しい完成度の楽しく遊べる良くできたmodと、dota allstarsというゴミの間には、決して超えられぬ壁があった。


それは、名前である。
「dota allstars」
その名前だった。




これを超える命名は無かった。

dotaという歴史上最も有名で、最も偉大で、最も支持されたmodの名前を取り込み、さらにallstarsとまで名付ける図々しさ。野心。欲望。そのどす黒さ、さもしさの勝利であった。野心と欲望の勝利であった。この卑劣極まる命名が、希望に満ち溢れたmodクリエイター達のTFT世界を黒く醜く覆って行った。




少しずつ、少しずつながら改善され続けたdota allstarsは、そのゲーム内容や完成度によってではなく、その命名によって、氷の玉座に平坐した。「クオリティの高いオリジナルの新しいmodを作ってTFTのmodの頂点に立つ」といった純粋な野心を持った世界中のmod制作者達にとって、それは受け入れがたい光景であった。パクって、パクって、パクりまくって、出来上がったゴミ、いや出来上がってすらいない、まともに遊ぶ事すら出来ないバグの塊に、「dota allstars」と名付ける卑しさが、その世界に君臨してしまったのだ。無数の優れたmodを差し置いて、勝利してしまったのだ。




それは悪夢であった。
押しとどめる事の出来ない、悪夢の巨大なうねりであった。




他のmodが夢見ても決して叶わないような莫大なユーザーを抱え、他のmodが1年かけて達成するようなプレイ人数を僅か10分で達成してしまう。その巨大な人口を背景に、膨大な数のバグ報告が寄せられた。ゲームの致命的な欠陥に関するレポートも寄せられた。さらには新しいアイデアが寄せられ、新しいパクるべき要素の提案まであった。それらを少しずつ消化して行く事で、dota allstarsは進化し続けた。その過程の中で人々はある思いを胸に抱いた。「俺がdota allstarsを育てた」。いや「俺がdota allstarsを作ったのだ」と。




かくしてdota allstarsは一人の男の野心ではなくなった。dota allstarsは世界全人民の夢であり、世界全人民の希望であり、世界全人民の野心となった。人々の夢は、人々の希望は、人々の成功と未来を願う強い心は、折り重なり、絡み合い、dota allstarsというゲームを発展させ続けて行った。







そして、dota allstarsは一定の水準に達した。
かろうじて、ぎりぎり遊べるゲームになった。




それは糞ゲーだった。
目も当てられないクオリティの、酷い馬鹿ゲーだった。







かつてWarCraft3の世界で栄光を極めた素晴しい完成度の見事なゲームであるDefense of the Ancientsと、TFTの世界に君臨する正真正銘の糞ゲーであるdota allstarsの間には、天と地ほどの差があった。それでも、dota allstarsは、一定のクオリティには到達していた。ぎりぎり、かろうじて、どうにか、たのしく、うんざりしながら遊ぶ事が出来た。





「これはdotaではない。allstarsなんだ。」
人々はその糞ゲーを、巧妙な言い訳で受け入れた。




「そうだよ。確かに糞ゲーだよ。だからどうしたの?それが何?」
ゲームの面白さと、プレイヤーが感じる楽しさに相関性なんて無かった。





dota allstarsには大勢のユーザーが居た。

誰かと遊べる。
誰かと同じ時間を過ごせる。
くっだらねえなとケラケラと笑って遊べる。

それだけで十分だったのだ。






ゲームの完成度。
ゲームの面白さ。
よく出来ているかどうか。

そんな事はどうでもよかった。
ゲーマーは寂しかった。
ゲーマーは孤独だった。
誰かと一緒の時間を過ごしたかっただけなのだ。

誰かに愛されたかった。
誰かに認められたかった。
ただthank youと言われたかった。

その為の最短手段。
その為の最善のツール。
それがdota allstarsだった。

5対5の対戦ツールであったDefense of the Ancientsとは違う価値観。
10人で糞ゲーをケラケラと眺めてカラカラと笑うという世界観。

それがdota allstarsだった。







糞ゲーであった事はむしろメリットだった。

究極の完成度を誇り、5対5の真剣勝負ツールと化していたdotaとは違い、dota allstarsはパーティーゲームだった。気楽に遊べて、おもしろくて、おもしろくなくて、たのしくないけどたのしくて、くだらなくて、本当にくだらなくて。dota allstarsとは、糞ゲーであり、誰もが笑える場所だった。






一方のWarCraft3TFTは、WarCraft4と呼ばれる程の完成度を誇っていた。
ゲームの中のゲームであり、ビデオゲームの極北であった。
真の対戦ツールであり、真剣勝負のコロシアムだった。




TFTの世界には、スポンサーが付き、定期的にリーグ戦が行われ、トーナメントが開催され、プロチームが生まれ、プロゲーマーは世界的名声を手にし、人々はその試合の様子を観戦し、その凄まじい技術レベルに酔いしれた。そして、人々はプロの試合の観戦の、今見た興奮冷めやらぬ、熱々ホットなハイテンションで、TFTの世界に身を投じ、1対1の真剣勝負であるWarCraft3TFTをプレイし、その難しさに心を折られ、自分の限界を知り、軽くうなずいて諦めて、馬鹿ゲーに手を伸ばした。ケラケラ笑える5対5の糞ゲーの世界に身を投じた。それは癒しであり、チャットツールであり、傷つき矢折れた僕達に差し伸べられた、やさしいやさしい救いの手だった。











馬鹿ゲー。
糞ゲー。
ゴミゲー。
くっだらねえゲーム。
dota allstars。




そんな糞ゲーのトーナメントなんて、開催されるわけがなかった。賞金がかかり、真剣勝負として観客を集めて行われるeSportsの大会において、「dota allstars」という競技が採用される事は無かった。eSportsと呼ばれる類の巨大なビジネスの世界で採用されるのは「WarCraft3TFT」というあまりにも偉大なリアルタイムストラテジーであり、dota allstarsなんて糞ゲーは、箸にも棒にもかからなかった。













ところが、世界中にただ1つだけの例外が存在していた。
デンマークである。







「Dream Hack」
世界最大のLANパーティー。

普段はインターネットで遊んで居るゲーマー達が、自らパソコンを持ち寄り、夜通し遊ぶ。夜を通してゲームをプレイし続けるだけの、ゲーマーによる、ゲーマーの祭典。ゲーマーのお祭り。ゲーマーの為の巨大なパーティー。Dream Hack Winterと、Dream Hack Summer。年に二度のゲーマーのヘヴゥン。


その巨大な夢のLANパーティーの中のちょっとしたイベントとして、WarCraft3TFTや、カウンターストライクといったような、「真の対戦ゲーム」の大会は当然の如く開催されていた。高額の賞金を争い行われる、プロゲーマー達のトーナメントは開催されていた。それと同時に、dota allstarsなる糞ゲーのトーナメントも小さく些細に行われていた。


糞ゲー、ゴミゲー、単独では大会なんて行えるようなクオリティではないdota alsltars。eスポーツワールドカップだとか、ワールドサイバーゲームスなんていったような、世界的な大会では決して採用されない駄目ソフト。けれども、DreamHackはゲーマーの為の場所である。なんの制約もない、自由な空間である。どれだけ出来が悪くても、どれ程酷い糞ゲーであろうと、多数のプレイヤーが存在しているというだけで、トーナメントのはじまりである。Dream Hackとは、そういう場所だった。人民が作り上げた、人民の為の夢、人民の為の人民の糞ゲー。dota allstars。そのトーナメントが開催されるのは、当然の成り行きだった。







WarCraft3TFTの大会なんて、なんの希少性も無かった。
カウンターストライクの大会なんて、人々はもう見飽きていた。
「dota allstars」というなによりも有名な糞ゲーの真剣勝負トーナメント。

それは、新しいコンテンツだった。
人々はそれを見た。
それに注目した。

未知の世界。
未知のイベント。
未知の体験、未踏の地。
新たなる歴史の幕開けに立ち会っているという興奮。

世界中で、ここにしかない大会。
ここにしかないトーナメント。
それがDream Hackにおけるdota allstarsだった。




大勢の視聴者を集め、世界中から取材が訪れる巨大な場所で、トーナメントが行われ、それが大勢の人民の注目を集めるという事実は、プロチームの誕生という結実を迎えた。Meet Your Makers、MYMというデンマークのeSportsチームが「dota allstars部門」の立ち上げを決めたのだ。デンマーク中から最強プレイヤーが集められ、デンマークオールスターとも言える最強のチームが完成した。デンマークに栄光と歓喜をもたらす為の、無敵の5人が集まった。


















ソビエト、という国がかつて存在していた。
その国は寒い。その国は貧しい。その国は巨大。




スウェーデンよりも、デンマークよりも、遙かに多い人口。
冬には雪が積もり、ゲームくらいしかやる事がない。
そこはビデオゲームの国。
ゲーマーの連邦。




糞ゲーであり、ゴミゲーであり、ひっどいひっどいゲームだったdota allstarsにおいて、世界で一番強い地域はソビエトだった。疑う余地の無い最強の地域であり、最強の国家だった。WarCraft3tftというゲームは、非常に低いスペックのパソコンでも動くように作られており、それもソビエトに味方した。ドイツ、フランス、あるいは北欧といった大国のゲームユーザー達が、ハイスペックでしか動かない新しいビデオゲームを移り気に摘み食いしている間も、決して豊かではない地域のソビエトでは、WarCraft3TFTとそのmodは、大勢のアクティブユーザーを抱え続けた。

その巨大なユーザーの母数を背景に、ソビエトはdota allstarsの最強地域として不動の地位を築いていた。けれども1つの不幸があった。デンマークは、遠い彼方に有り、ロシアは欧州統合の外側に位置していたのだ。それはあまりにも絶望的な現実だった。






5対5のdota allstarsというゲーム。

Dream Hackという唯一無比のオフライントーナメントに参加するには、5人のプレイヤーをデンマークに送り込む必要があった。自分の育った町から一度も出た事が無い、僅か15歳の天才プレイヤーが、「賞金がかかったトーナメントに参加する」という為だけにビザを取得し、列車と飛行機を乗り継いで、物価も言語も違うデンマークに辿り着く。それは途方もない困難であった。これが仮に、1対1の対戦ゲームであれば、ソビエトにも可能性はあった。けれども5対5である。5人である。5人もの人間が、それを行わねばならないのである。

飛行機代。
電車代。
ホテル代。
ビザ。
国境。
言語。

全てが逆風であり、全てが障壁であり、全てが障害であった。





かくして、DreamHackに辿り着けず、ソビエトは臍を噛み涙した。

デンマークから僅か100マイルの距離しかないエストニア人すら、DreamHackに辿り着く事は出来なかった。確かに、彼一人ならばデンマークに行く事は出来たかもしれない。けれども無念、dota allstarsは5対5。彼のチームメートはロシア人であり、ウクライナ人であり、モルドバ人だった。一人でデンマークに乗り込んだ所で、彼に出来る事は何も無かった。







そして、ソビエトは崩壊した。
世界最強地域たるソビエトは、身悶えながら死んで行った。




スウェーデン、ノルウェー、ドイツといったデンマーク周辺地域のプレイヤーは、DreamHack Summerと、Dream Hack Winterという、年に二度開催される、膨大な観客を集めるトーナメントに向けてモチベーションを保つことが出来たし、スポンサーも付いた。けれども、そのような大会の存在しないソビエトにとって、5人のプレイヤーがモチベーションを保ち練度を高め続ける事は不可能だったし、真剣勝負の場すら存在していなかった。オンラインの大会で最強を誇っていたソビエトは、DreamHackが開催される度に技術の進化から取り残され、その地位を落とし、あっというまに中堅国、やがては弱小国にまで落ちぶれてしまった。それ以降、ソビエトという地域がdota allstarsにおいて強国の地位を取り戻す事は終ぞ無かったのである。Dream Hackを守る鉄のカーテンが、1つの最強国家を死に追いやってしまったのだ。









その大会。
そのトーナメント。
それは、デンマークの栄光の為の大会であった。

デンマークが勝つ。
デンマークが喜ぶ。
デンマークが光り輝く。

Meet Your Makers。
デンマークの象徴。
デンマークの栄光。
最強のチーム。それがMYM。

世界中のdota allstarsプレイヤーの注目を、デンマークが浴びる。
強いMYM。勝つMYM。決勝に進出するMYM。
dota allstarsシーンの幕が開ける瞬間。











決勝の相手は、隣国スウェーデンから自費で訪れたアマチュアチーム。
そのチームには一人のプレイヤーが居た。
ジョナサン・ベルグ。
Lodaである。





Lodaは、デンマークが全てを手にするはずだったトーナメントの決勝で、事もあろうかMYMを木っ端微塵に粉砕した。粉砕して、粉砕して、粉砕しまくった。キャンプをはって、トレーニングにトレーニングを重ねた、プロゲーマーの集団である、デンマークオールスターの5人を千切っては投げ、千切っては投げ、誰が一番強いか、誰が最強であるかを完全に証明した。そのあまりの衝撃に、人々は酔いしれた。あるものは言った。Lodaこそがヒーローだ。Lodaこそがdota allstarsだと。





確かに、そのトーナメントで優勝したのはMYMというチームだった。


けれども、そんな事はどうだってよかった。誰1人としてMYMの事など気にはとめなかった。世界中のdota allstarsプレイヤーの記憶に刻まれたのは一つの名前、Loda。その名前だけだった。それは物語が始る瞬間であり、歴史が始る瞬間だった。そして、dota allstarsシーンのはじまりでもあった。





かくしてDream Hackの終了と同時に、Lodaという男に率いられたアマチュアチームは、SK gamingのdota allstrs部門としてプロチームとなった。それ以降、Dream Hackとは、Lodaによる、Lodaの為の場所だった。Lodaの為の大会だった。Lodaは様々なチームを渡り歩きながら常に最強チームのエースであり続けた。世界中のdota allstarsプレイヤーの模範であり続け、Dream Hackのヒーローであり続けた。

MYMは世界一の座を手に入れようと、「この人は強い」と噂になったプレイヤーに片っ端から節操なく手を伸ばし、メンバーを入れ替え続けたが、その試みは全て失敗に終わった。唯一例外的にMYMが世界一のチームだと認識されていたのは、Lodaというスウェーデン人を僅かな期間だけ入団させる事に成功していた時期だけである。







Dream Hack Samar。
Dream Hack Winter。
年に二度開催される、巨大な聴衆を集めるイベント。
その存在は、dota allstarsを「デンマーク周辺地域の国技」へと変えていった。




大会に向けたモチベーション。
舞台が引き寄せるスポンサー。
ノックアウト式のトーナメントがもたらす経験。



ソビエトにはそれが無かった。
目指すべき場所も、戦うべき場所も存在していなかった。

エストニア人のpuppyというプレイヤーが、ネット対戦でLodaと壮絶な死闘を繰り広げた末に勝利し、終了直前にLodaからkillを取り、Lodaに向かって発言した「noob」というコメントがちょっとした話題になったりしたけれど、誰一人としてソビエト人の発言をまともに取り合おうとはしなかったし、ソビエトを評価する人も居なかった。dota alsltarsシーンとはDream Hack Winterであり、dota allstarsシーンとは、Dream Hack Summerだったのだ。そしてそこにLodaという人物が存在し、輝き続けている限り、彼こそが世界のヒーローだった。







Dream Hackがdota allstarsをソビエトの国技からデンマーク周辺地域の国技へと変貌させると同時に、Dream Hackはdota allstars本体をも、まったく別のゲームへと造り替えていった。






馬鹿ゲー。
KUSOゲー。
くっだらないゲーム。

そんなゲームであったdota allstarsは、「Dream Hackの為の対戦ツール」へと造り替えられていった。少しずつ馬鹿ゲー要素は削除され、少しずつKUSOゲー要素は削除され、少しずつ、少しずつ、くっだらないゲームではなくなっていった。普通のゲームへと、普通の対戦ツールへと造り替えられて行った。

巨大な聴衆を集めるトーナメントを背景としたプロプレヤーとeSportsチームが先に存在していて、その存在に向けてdota allstarsは擦り寄せられて行ったのだ。Lodaが1勝する度に幾つもの問題点が明らかになった。「これはひどい」「あれはひどい」「このゲームはLodaに相応しくない」。少しずつ改良され、少しずつ変化し、それはLodaの栄光に値する、相応しいゲームへと姿を変えていった。くっだらないゲームから、eSportsに相応しい普通の対戦ゲームへと変貌を遂げていったのである。

完全な馬鹿ゲー、完全な糞ゲー、ケラケラ笑うだけのくっだらないアトラクション。そんなdota allstarsはもうどこに存在していなかった。dota allstarsという犠牲の上に、dota allstarsと引き替えに完成したdota allstarsという新しいmodは、その命名とパクリによって不正に手に入れた「TFTのmodの頂点」という地位を、世界中全ての人に認めさせる事に成功した。こともあろうか、dota allstarsこそがmodの頂点に立っていた。そうして訪れた新たな時代のユーザーの多くは、dotaというmodがかつて存在していた事すら知らなかった。dota allstarsの略称は、いつの日からか「allstarts」から「dota」へと変化してしまっていた。皇位簒奪は完結した。





そうしてdota allstarsが「対戦ツール」に変化していくと、世界中でdota allstarsが真面目に遊ばれるようになった。特にその傾向が強かったのは中国やアジアで、ネットカフェやウェブサイト主体の大会が行われ、チームが生まれ、特に中国という地域は、レベル的にはデンマーク周辺地域を完全に上回っていた。極稀になにかの間違いで世界的なeスポーツイベントに採用されたdota allstarsの大会では、中国が他の地域に勝つという光景が当たり前の出来事として繰り返された。

けれども、dota allstarsプレイヤーの視界の中心にあったのは、あくまでも年に2度、定期的に開催されるDream Hackであった。そして、Dream HackのヒーローLodaだった。やがてLodaから数年遅れて現れた、KuroKyという悪魔の化身がLodaの地位を脅かしたが、人民のヒーローは常に変わらずLodaだった。dota allstarsシーンの開幕を告げた、Dream Hackの英雄だった。
















dota allstarsシーン。
それは、死につつあった。

dota allstarsというゲームは、WarCraft3本体の違法ダウンロードを背景に、2000万人とも3000万人とも言われるプレイヤーを得ていた。同時接続だけでも300万とも言われるくらいのゲームだった。けれども、時の流れは残酷である。時間の流れと共にその勢いは失われて行った。




dota allstarsのメンテナーがriot gameに入社して作り上げたLeague of Legendsというゲームは、基本プレイ無料という強みにより、多くのユーザーを集めた。一方でdota allstarsは廉価版で30ユーロもするWarCraft3tftというゲームを購入しなければプレイする事が出来ない。あるいは、違法ダウンロードしなければ遊ぶ事が出来ない。




それに、dota allstarsは所詮modだった。modであるが故に、マッチングシステムは存在していなかった。技術レベルが近い人同士が遊べるレーティングシステムを採用したLoLと違い、dota allstarsは同じくらいの強さの人達と遊べるシステムが無かったのだ。

dota allstarsはDream Hackという大会によって、かつての「誰もがけらけらと笑いながら気軽に遊べるBAKAゲー」ではなく、「プロ同士の真剣勝負に値する、よく出来た対戦ツール」に進化してしまっていた。それは「楽しく遊べるくだらないゲーム」が「初心者は熟練者に狩られるだけの対戦ツール」になってしまっていた事を意味した。








そうして、dota allstarsは消えて行った。

League of Legendsが大量の新規ユーザーを獲得し、一気に盛り上がる一方で、dota allstarsは順調にやせ細り、dota allstarsシーンも衰退し続けた。あるトーナメントが終わり、あるチームが解散し、有名なプロも引退したり、別ゲーに行ったり、復学したりして、シーンと呼べるだけの姿すら維持出来なくなりつつあった。dota allstarsシーンと言えるものが生きていたのは、中国やマレーシアシンガポールといった、極めて例外的な地域だけだった。世界の中心であったはずのデンマーク周辺地域は、完全に廃墟と化していた。






そんな時期に、steamで有名なvalve社が、dota allstarsのメンテナーを入社させ、「dota2」というdota allstarsのコピーゲームを作った。それは、dota allstarsの完全なコピーを目指していたが、まったくもって未完成だった。見るも無惨な劣化コピーだった。

そのdota allstarsの30%にも満たない、酷い酷い劣化コピーを用いてvalve社は、100万ドルトーナメント、なるものを開催した。ある者は歓喜し、ある者は激怒した。「あの伝説のプロが現役に復帰するって!」「なぜ未完成のゲームで大会などやるのか」




然りである。

そのdota2の大会において優勝したのは、誰もが認めるdota alllstars最強の無敵地域であった中国のチームではなく、NaViというソビエトのチームだった。valveが湯水の如く広告費を散蒔いたお抱えメディアの提灯記事によって、5人のソビエト人は、一夜にして大スターになった。dendiというウクライナ人は、国で最も有名なスポーツ選手の一人にまでなった。

仮に完成度30%にも満たないdota2という未完成の劣化移植ゲームではなく、dota allstarsというコピー元のWarCraft3の操作性を受け継ぐ完成したゲームで大会が開催されていたならば、優勝したのは間違いなく中国のチームだっただろう。100万ドルを手にしていたのは、まったく別の人達だっただろう。それに僕等は、賞金総額200ユーロの大会で、素晴しい名勝負を繰り広げた幾多のプロゲーマー達を思い出す事が出来る。そしてLodaを思い出す事が出来る。



そんな世界で大スターになってしまったソビエト人達を、僕等は上手く受け入れる事が出来なかった。僕がNaViに無関心で、消極的なアンチNaViになってしまったのは、安い安い、チープなdota allstarsシーンをずっと楽しみに見させてもらった、その刺激と興奮の記憶が今も生きているからなのだ。




数年後には完全に消滅してしまうはずだったdota allstarsシーンが、valveによる劣化コピーと、卑劣な課金商法と、膨大な広告宣伝費によって復元され、生き返った事については、喜ぶべき事なのだ。それは理解している。それでも、僕はまだ、dota2という現実と、NaViという現実を、うまく受け入れる事が出来ていない。





でも、思い出してみるべきだよね。

dota allstars自体が、欲望に塗れたパクりだったんだから。dota allstarsというゲーム自体が、元来どす黒い野望によって生まれた存在なのだから。valveの課金商法が酷いとか、広告宣伝費によるお抱えメディアの提灯記事が酷いとか言うのは、完全に筋違いだ。dota allstarsってのは、始まりからしてそうだったんだから。きたなく薄汚れていたんだから。それに、ありし日のスターがお金を儲けるのはよいことだしね。大抵の人生の苦しみなんて、お金があれば解決するんだ。



























先日、Dream Hack Winterが開催された。

極めて僅かな賞金額のその大会に、dota2で不動の名声と、巨額の賞金と、不朽の栄光を手にしたNaViというソビエトのチームが目の色を変えて参加した事に、違和感を覚えた人も居たかもしれない。NaViの大スターであるdendiが、NaViのチームリーダーであるpuppyが、並々ならぬ決意を語る事に、違和感を覚えた人も居たと思う。ヨーロッパ周辺のチームしか参加しない、極めてローカルな大会に、どうして世界中の人々が注目するのか、理解出来ない人も大勢居ただろう。






けれども、僕等は覚えている。
悲しい、悲しい出来事を。
あの日のソビエトを。




1円の賞金も存在しない大会で輝き続けた続けたソビエト。Dream Hackというオフラインではなく、インターネットのオンラインヒーローだったソビエト。KUSOゲーのオンライントーナメントで大活躍し、世界中の憧れだった髪を赤く染めた10代半ばのロシア人。15歳の天才少年。ビッグマウスの高校生。彼らの未来を奪った、国境という壁。国境という現実。Dream Hackという表舞台。雪に閉ざされた裏世界。重く冷たい無数の屈辱的な敗北の積み重ね。無敵を誇ったソビエトが、鉄のカーテンに遮られ、凋落していった歴史を僕達は知っているのだ。



ソビエトの悲しみ。ソビエトの無念さ。それを晴らす為の舞台。
Dream Hack Winterとは、復讐の場だったのである。





そこで起こった出来事は、いつかの夜明けと同じくらい、皮肉なものだった。

NaVi、Evil Geniuses、Mousesports、Fnatic、Absolute Legends、そしてMYM。ソビエト、アメリカ、ドイツ、フランス、デンマーク。多くのプロゲーマーを抱える高名なeSportsチームが多数参加したDream Hack Winter 2012で優勝したのは、隣国スウェーデンから自腹を切って訪れた、名もないアマチュアチームだった。そのチームのエースプレイヤーは、Jonathan Berg。お察し、他ならぬLodaである。なんてこったい。Lodaって人は、生きていたんだ。今日も元気に生きていたんだ。



ずっと死んだと思っていたのに。
それは、生きていたんだ。



死んだと勝手に思い込んでるだけで、たぶん生きているんだよね。
きっとどこかで幸せに、今日も元気に生きているんだろうよ。

2012年12月17日月曜日

だいたい2000兆人くらい殺したい人がいるけれど

夢は叶わないし希望は成就しない。

今日はとても辛かった。

昨晩寝る前に紙に

あきらめない
心をそらさない
ゆだんしない。
しんじる自らを、

って書いて寝て凄い頭痛で夢精した。
全てが情けない。明日は良い日になりますように。もう何も書かない。

2012年12月11日火曜日

滑稽さ愉快さを装う事の虚しさ。


上の画像を見て、次にマッチングされる相手を答えよ。(配点5)
















直近13戦、2勝11敗のプレイヤーにこの仕打ち。
pajkattとマッチングされました!とか無邪気に書いてたあの日すらもう戻らない。



2勝中の1勝はzsmjが味方に居て楽勝かと思いきや、全力でfeedしてチームバランスを取るベトナム語のハンドルネームの人のせいで何故か熱戦になってしまい、激戦を経てやがて泥仕合に陥るも、zsmjさんが読み合いを制し、完璧なmicroで頑張って、相手のTinker(zsmjさんのフレンド)を綺麗に刺し殺して勝負が決まり、長く続いた8連敗がついに止まるという心痛な勝利。

もう1勝は、相手側に超級の有名な地雷プレイヤーが居て、その地雷プイレイヤーがnaixでsolo midに行って立て続けに死んで、gg言ってアイテムを全て壊してfeedし続けるという無価値な勝利。パジャとは合計5回もマッチングされてしまい、もう有り難みも何も無くなった。ところで、パジャとマッチングされたらブログ頑張って書くとか言ってた人はどこへ行ってしまったんでしょう。夢はどこですか。野心はどこですか。これが君の言うブログですか。かくあるべき未来の姿ですか。

2012年12月10日月曜日

どなたかがいつの日か仰っておられましたね。画像が載ってるブログはクソブログだ、って。

真性引き篭りhankakueisuuさんがいつの日か仰っておられましたね。
画像が載ってるブログはどれも糞ブログだ、って。

今日になってしみじみ思います。
あなたの仰っていた事は正しかったと。









liveの一番上のゲームで、ここまで僕が0勝7敗か0勝8敗か、トラウマレベルの敗北を喫しまくっているflash eSportsのDSFさんご一行様5人パーティーが、longDD、YYF、SanShen、Faithの4人(おそらく4人パーティーではないはず)とマッチングされていて、これは愉快だと見に行くと、壮絶に負けていた。


「ああ、いいものが見れた。」
と機嫌を良くして、マッチングボタンを押すと……







いや、だからそれ無理ですから……。
これで対flash eSports戦は0勝8敗ないし0勝9敗。



この敗北に凹みながらマッチングボタンを押すと……。










pub最強クラスの66%プレイヤーを含む強パーティーに遭遇して即絶望。
しかし、味方に見覚えのあるアイコンが……、あれは、iceiceiceさん!


うまい!うますぎる!動きが我儘すぎてフォロー出来ずに焦っていたら、1vs4で2人殺して逃げ帰ったりしてる。ただものじゃあない、っていやあ、そりゃあ、ただものじゃあないんですけどね!なんか相手の66%プレイヤーが「noob team」とか言ってましたけど、あなたiceiceiceさんに100%殺されない場面、しかもスタン当てれば殺せる場面でミクロ負けして逆に殺されてましたよね。それって、。そんなこんなで、楽勝ってレベルじゃない楽勝劇に、気をよくし、AmazingMSがなんぼのもんじゃい!と上機嫌でマッチングボタンを押すと……。









こうなりました。
ごめんなさい。
ごめんなさい。



これにテンションだだ下がりで、同じ人達とマッチングされないように5分くらい放置してからマッチングボタンを押すと……。











これはひどい。
yao一人でも勝ち確クラスの引きなのに、yyfまで居る。
それどころか、pug強プレイヤーの雷元甲さんまで居る。
どうせなら相手もプロでも良かったのに級のオーバーパワー。

3回マッチングされて全て味方、全てsolo mid、全て勝利という神プレイヤーのyaoさんはiceiceiceさんと並んで現在好感度NO1のプロ。

ところが、このゲームの記録がサーバーの不調で飛んでる。
1ページ目の一番上で勝ったのに記録無しとか悲しいです。
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それから。

なんか、うざ強いご一行様5人パーティーに3連敗して「アジアpubって強い人居るんだなー」「プロに負けるのはまだしも、見た事の無いハンドルネームの人達に連敗は堪えるな」などと落ち込んでたら、なんてことない、orangeのWinteR様ご一行だった。そりゃあうざ強いはずだ。3戦目はk/dだけは10差リードをキープしてたんだけれど、WinteRがfrionに乗ってるとしんどい。散々な人生の散々な一日だった。7連敗。途中で味方にpro引いたら「ごめん、ディナーに出かけなきゃなんないんだって」って抜けられてローディングフェイズで解散とかついてない。

WinteRご一行様5人パーティーと3戦連続マッチングされるって喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。自分のk/dはプラスだったしよく立ち回ったし、それなりに動かせたしで頑張れた方なんだけれど。流石に無理かな。自分の中ではまだ強くなってる実感があるのだけれど。

2012年12月8日土曜日

インターネットで愚痴ばかり書いてる人にろくな奴はいない。

プロが敵になってばかりで勝てないとか、マッチングシステムに文句を付けてる人が居るけれど、ああいう人ってプロが味方に居ても勝てないタイプのプレイヤーだと思う。





























念のため。全部負けました。

幸せだった頃

夜通し戸を叩く何か突風、乾いた両眼と重い頭痛、口で息して少しの間だけ、叶っても変わらぬ絶望しかない夢を真夜中に一人情熱で語る。鼻で息して目を強く結んで懸命に、幸せだった頃を思いだそうとする。自分にはそれが無いので、自分以外の素敵な誰かが幸せだった頃を。その思い出もまた、僕には無い。

2012年12月5日水曜日

LGD.int衝撃のデビュー。

LGD.intがデビュー戦でorangeに2-0。

「パジャとミズ以外は微妙な面子」とか、「パジャとミズすらも微妙」とまで言われ、客寄せパンダだとか、LGDの為の高額なサンドバッグだとか、インターネッターのおもちゃ同然の前評判だったLGD.intがorange相手のデビュー戦で18分と26分の完全勝利。たった1戦とは言えorangeに完勝してしまったという事は、明確に上だと言えるのは中国3強とNaViだけ。

パジャは2ゲームともMR。とくに2ゲーム目は確実にkillを取れる状況下で何故かult撃たず、二度続けて好機を逃したかと思いきや10秒後にultでダブルキルとか、目が良いとか頭が良いとかそういうレベルの誉め言葉が許されるのかどうか不安になってしまう。


この大会はLGD.int、LGD、MUFC、orangeの4チームで、ルーザーズ有り。マレーシアダービー、LGD内戦、アジア最強の万能タイプsharky 対 スカンジナヴィア最強の万能タイプパジャキャットと見所満載。Eスポーツにおいては、「世界大会」よりも「ちょっとしたイベント」の方が面白いという典型例。普通に考えればLGDによるLGDの為の大会なわけだけれど、下手したらintが勝ってしまうのではと思わせる衝撃のデビュー戦だった。


orange視点で見れば、mushiが居なかったという逃げ道が残されているし、LGD.intがどういうチームなのか誰も知らないという不公平さは有った。それでも、今日の内容ならmushiが居ても結果は同じだし、1ゲーム目は20分以内に負け、2ゲーム目も20分以内に上陸されている時点でチームとしての差は歴然。

1ゲーム目ではsdとchenで敵ncに居座り、TAにガン有利取るbeamという、いつかどこかで見た展開(820、longDD、EHome)。2ゲーム目はorangeが再序盤を取りながら、NS+clockでgdgdにされてMRとNSがBKB持って即攻められて1度返すも即終了。LGD.intの急戦が強すぎた。

iceiceiceとかkyxyとかyamateとか、根本的には外様なプレイヤーが大勢居る大所帯のorangeと、デビュー戦に向けて5人できっちり完璧に仕上げてきたLGD.intでは完成度が違いすぎた。Loda対パジャがそれに相応しい場所で実現するまで、Loda側とパジャ側が共にこの完成度で居てくれればいいな。
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MUFC対LGDは2-0でMUFCの辛勝。

DSを嫌がってsharkyのSGをmidに回し、gdgdになってしまうMUFC。けれどもDSに当てたOhyのsfがdsを殺して即lother。お味方が総崩れして敗走中のルートにlotherドーンで飛び込んで3殺するなどして泥試合に持ち込み、RKと熊に怯えるsfという展開。sfも苦し紛れのbuybackなどで順調とは言えず、さらにはsf以外全員凹んでいるMUFCに対して頭数で優位に立つLGD。ところが、undyの墓石を処理し損ねて逃走するLGDをMUFCが捕らえて大惨事。再び試合は泥沼に。

MOM持ったRKにトンタンドンで2度の壊走を喫し、aegisも取られてLGDのうざすぎる最強っぷりを痛感させられながらも、BKB、butterと買いそろえたsfが射程500の圧倒的有利さを強引に押しつけて熊もRKも2秒で処理して勝ち。dagger一本で有用スキルを片っ端から盗みまくって使い切るlingのrubickが凄かった。


2本目はLGDのTAに3rdスキルを上げたthdをぶつけるどこかで見た展開。taとthdで1v1すればthdが有利だという所までは理解している。けれども、3rd全振りしたTHDとTAじゃ5分過ぎればもうTA。ところが、何も出来ずに突っ立ってただけのMUFCのTinkerが、VSの度重なる献身やchenのmekaとultによる二重の回復などで奇跡的に0死で序盤を生き延び、15分頃にブーツオブトラベルを持って事態は一変。dagger持ってぴょんぴょんとうざい具合に飛び回るTInkerにLGDは打つ手無しのじり貧ムード。

sharkyのMRは頓死してbuy backして即TAに狩られて、という見所の無いプレイングに終始していたものの、thdがfsを持ち、Tinkerが太り、MRはBKBといった具合に整ってゆくMUFCに対して、LGDはぬくぬく育てたnecが没存在感な上にbeamも全裸で万事休す。最後の望みを託してスモークを使い切るも100goldを投げ捨てただけ。さらにはチームファイトでOhyのTHDが神立ち回りを連発し、壊滅に次ぐ壊滅を喫してそのままgg。sharkyは全体的に低調。まあ、勝てばいい。

ここまで強い内容で中国3強を押し切るMUFCは久しぶり。Tinkerは隣国からの助っ人xFre。これが当たっていた。Net、ling、xFreならば名前的には十分。シンガポールはマレーシア2強の草刈場。


ウイナーズファイナルはMUFC対LGD.int。
共にchenとMRで勝ち上がったチーム同士の対戦。
シャーキーもパジャもMRに乗っていたが果たして。
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lingと言えば、meepo完全弱体化後も最後まで競技レベルでmeepoをたまに使ってた人なんだけれど、dota2では全然使ってない。実装後に少し試して放置。lateもulterも悉く理不尽に強化されてfarmしてult使って殴りましょうというゲームになってしまった以上、meepoは上では厳しいか。

2012年12月3日月曜日

何も見たくない何も知りたくない

知りたいことを調べないこと、近づきたいものを見ないこと、伝えたいことを飲み込むこと。離れる事、遠ざかる事、逃げる事。自分などは、まるで存在していないように振る舞うのが一番正しいのだと信じて生きる事。何かを守ろうと懸命に堪えてきたはずが、何も守れず全て壊れていくこと。時々とても酷い気分になるのは、貧弱な脳の認識力が時間に追いついていないだけ。真っ暗闇で目を閉じて、浮き沈む動揺としばらく踊れば、酷い気分と酷い現実が少しずつ擦り寄り、やがてマーブル底に沈んで、渇き以外はどうでもよくなる。