2012年6月29日金曜日

藤沢生活さんは訂正記事を出すべき

デモなんてって言ってたじゃん

リカバリー

心が折れたり痛んだりすれば直せばいいと簡単に言うが、折れた箸は直されないし痛んだ魚は食べられない。このような生活をしていると脳が壊れて馬鹿になるまで座して待つより術はない。果たしてリカバリーして何になるのか。何が戻るのか。何も戻らない。壊れていくばかり。

一日に二万回くらいブログを書きたくなって二万回くらい書きたくなくなる

二万回ずつ心が痛む

2012年6月28日木曜日

タイムリー

legionTD遊んでたら前触れもなく包丁渡されて殺してこいと言われる夢を見た。ああこれで殺人犯かと思った

2012年6月24日日曜日

2012年6月20日水曜日

好きな人がブログを読んでくれません。

ブログを書いても、書いても、好きな人に言及してもらえず、「僕のブログってそんなにつまらないかなあ」などと、落ち込んだり沈んだりする毎日を過ごしていたのです。けれども、よく考えてみると、好きな人など存在しなかったのです。僕の好きな人はインターネットには居ないのです。大好きな人なんて居ないのです。インターネットはおろか、インターネットの外の世界にも居ないのです。好きな人なんて、存在しないのです。大好きな人なんて、存在しないのです。


好きな人自体が存在しないのだから、好きな人に言及されないのは当然の事です。好きな人に捕捉されないのは当たり前の事だったのです。だって、そんなもの、はなから居ないんですから。僕は悩む必要の無い事で悩み、くよくよする必要の無い事でくよくよいじけていたのです。まったく馬鹿な話です。好きな人に呟いてもらえないのは、僕のブログがつまらないからではなかったのです。好きな人にはてブしてもらえないのは、僕のブログのエントリーがつまらなかったのではなかったのです。


どれだけ面白いエントリーを書いても、あるいは逆にどれだけつまらない事を書いても、どれだけ間違った事を書いても、どれだけ正しい事を書いても、好きな人に読んでもらえる可能性は存在しないのです。好きな人に言及される可能性は存在しないのです。好きな人に捕捉される可能性は存在しないのです。こんなに頑張ってブログを書いているのに、好きでもなんでも無い人達に読まれたり、言われたりするばかりで、好きな人にまったく捕捉されないのはどうしてだろうなんて、めげてばかりいたのですが、それは、間違いだったのです。全て、間違いだったのです。


それでも僕は凡庸な男ですから、好きな人に褒められたいなと思うわけです。好きな人に好かれたい。好きな人に言及されたい。好きな人に名前を出してもらえるだけで、素敵な一日になるだろうなんて、考えちゃったりするわけです。いいねボタンを押されれば、素敵な一日どころか、素敵な1年になりそうな気がします。ただそれだけの事だけで、うきうきるんるんと生きて行けそうな気がします。好きな人にリンク貼られたり、好きな人からメールが来たりする人生は、さぞかしハピネスだろうな、なんて悶々として生きています。憧れだけで生きています。それを夢見て生きています。


なのに、その日は訪れません。僕の好きな人は、僕のブログを読んでくれません。僕の大好きな人は、僕の書いたエントリーをはてブしてはくれません。twetterで言及してもくれません。リンクも貼ってはくれません。何もしてはくれません。クリック1つで僕は幸せになれるのに、僕を幸せな気分にしてはくれません。僕の好きな人は大好きな人は、僕を幸せにしたくはないのです。僕の事など興味は無いのです。僕なんて死んでしまえとでも思っているのです。いや、そんな事すら思っておらず、気にもとめてはいないのです。


ところがです。
違うのです。
そんなではなかったのです。


僕には、好きな人なんて存在しなかったのです。大好きな人なんて居ないのです。元々存在しないのだから、捕捉されないのは当たり前です。当然なのです。そんな事くらいわかっているのです。何度も自分に言い聞かせてはいるのです。好きな人が居ないのだから、好きな人に言及されないのは当たり前の事だよと、重ねて重ねて自らに、よく言い聞かせてはいるのです。それでも僕はまぬけな男ですから、自らに強く言い聞かされた事を、すぐに忘れてしまうのです。


そして、いつもと同じように、どうしてこんなにブログを書いても、好きな人は僕のブログを読んではくれないのだろうかと、くよくよといじけて気が滅入り、落ち込んでばかり居るのです。まるで学習能力の無い、あさはかな自分に嫌気が差して、さらに心が沈みます。そして落ち込んで肩を落として「好きな人がブログを褒めてくれたりなんかしちゃったら、こんな気分はすぐにでも飛んでいってしまうだろう」なんて考えるのです。堂堂めぐり。


僕がブログを書いている場所は、好きな人の居ない空間なのです。僕が呼吸をしている場所は、好きな人の居ない世界なのです。好きな人なんて居ないのです。大好きな人なんて居ないのです。どれだけ頑張っても、どれだけ努力をしても、どこまでも強く邁進しても、僕の大好きな人は、僕のブログなんて読んでくれやしないのです。だって、居ないんですもの。好きな人なんて存在しないんですもの。


けれども僕は馬鹿な男で、それが理解出来ないのです。頑張ってブログを書き続ければ、いつか好きな人に捕捉されたりなんかしちゃうんじゃないか、なんて淡い恋心を抱いて螺旋の弛んだジェットコースターみたいに、好きな人の存在しない場所でブログを書いたりしているのです。歩いても、歩いても、決して喜びには辿り着けない場所で、僕は歩いているのです。探しても、探しても、幸せも、笑顔も見つけられない場所で、愚かに生きたりしているのです。


好きな人に捕捉されるには、まず誰かを好きにならねばなりません。大好きな人に好意を持たれたいならば、誰かを大好きにならねばなりません。そのハードルを越える事が出来ないのです。僕の心はいじけてしまって、誰かを好きになる事が出来ないのです。どれだけインターネットをしても、好きな人には辿り着けません。大好きな人は現れません。その壁を乗り越える事が出来ません。


まだ見ぬ僕の大好きな人は、どこに居ますか。ツイッターですか。フェイスブックですか。mixiですか。steamですか。どこに行けば出会えますか。どに行けば会えますか。インターネットをどこまで行けば、誰かを好きになれますか。素敵な人に会えますか。僕がブログを書いている場所には、好きな人なんて存在しません。好きになれそうな人も見あたりません。だからどれだけブログを書いても、僕の大好きな人は決して、僕のブログなんて読んではくれやしません。ブログなんて書くだけ無駄なのです。いいことなんて何もないのです。いいことなんて決してないのです。

2012年6月18日月曜日

身も蓋もない突っ込み。

もの凄い頭痛が来ると、「僕が何か悪いことしましたか!?!?!?」という機嫌の悪くなり方をして、「僕が何か悪いことしましたか?悪いことしましたか?はい???」と心の奥底で不機嫌に当たり散らすのだけれど、頭痛が去って冷静になると「悪いことしただろ。」という身も蓋もない突っ込みだけが残ってしまい、立つ瀬がない。

這いつくばって助けて助けてと

這いつくばって助けて助けてと懇願し続ける頭痛が去った。解き放たれた痛覚は根拠の無い万能感を脳へと伝えてくる。痛みも喜びも今では同じ毒。

希望の有る無し。

「この人生には希望がない」と軽々しく言うが、希望が無いのはこの人生に限った話ではない。どの人生だって似たようなものだ。にも関わらず、この人生には、という常套句が口を突く。問題は希望の有る無しではなく、他の何かの有無なのだろう。この人生に欠けているものが希望ではないとすれば、一体なんなのか。眼球を脳魂に向けてぎろぎろと動かしてその正体を探ってみたが、めぼしい物は見あたらず、結論らしきものには辿り着けず。むしろこの人生には、希望というものが存在しているが故に僕の人生は上手くいかないのではないかと思うに至った。当人が希望などではないと思っているものを全て奪い去り、存在していないはずの希望を踏み躙り、二度と希望などというものを抱けぬように追い詰めてやれば、この人生はそこではじめて未来が開けるのではないか。邪魔をしているものは儚い希望であり、淡い夢なのだ。有りと有らゆる手を使い、それを叩きのめして完膚無きまで、そこが初めてのスタートラインなのだ。

2012年6月17日日曜日

頭痛の種

動いていた物が壊れたならば誰かが壊したのだし、存在するはずの物が無くなっているならばそれは誰かが持ち去ったのだ。当たり前すぎるが。

独裁者か、殺人犯か。

体が重い。肩が重い。吐く息が重い。全て間を置かず地に落ちる。首も瞼も座らず垂れる。薄い薄いまるでレイヨンのビニールシートが空から舞い降りてだらしなく椅子を覆う体を覆う。呼吸が出来ない。困ったことに。明るい話でも思い出そうとするがそんな記憶はない。そんな人生を生きてはいない。生まれ変わったら独裁者になって気に入らない奴を無差別に片っ端から粛清して回りたいという夢と、生まれ変わったら殺人鬼になって気に入らない奴を無差別に片っ端から殺して回りたいという夢の間には、どのような差異があるのかについて、昔からよく考えていた。結論としては独裁者には金があり、殺人鬼には金が無い、というあたりに落ち着いたのだが、それは僕の想像力の貧相さに起因する間違った結論であり、金をもった裕福な連続殺人鬼というのも存在するだろう。ただ、殺人犯という想定は現実の僕自身との距離が近いが故に、衣食住満ち足りた殺人鬼というものを上手く想像することが出来ない。そういった自らの人生経験の未熟さから来るノイズを振り払うと、最終的に殺人犯と独裁者の間に残る差異は、死への不安であるという結論に辿り着いた。粛清に狂う独裁者は人々を死の恐怖へと追い立てる。そして吹き荒れる粛清の嵐は、人々に死の恐怖をもたらすだけではなく、独裁者自らにも同じように死の恐怖をもたらす。はじめは憎しみの一心で、ざまあみろの一心で、むしゃくしゃして粛清をはじめたにも関わらず、やがては粛清の嵐の張本人であるはずの独裁者自らをも、突然殺されるのではないかという恐怖へと巻き込んでいく。そうなればもはや粛清という名の殺人は、本来の快楽殺人、営利殺人利己殺人の領域を離れ、義務であり、責務であり、生きる為の術になる。一方の殺人鬼はそれとは無縁である。連続殺人鬼が娼婦を1人殺す度に娼婦は恐怖で怯える。若い女も怯えるだろう。その殺人が老いた資産家に及べば老人も怯える。幼児に及べば幼児へと、青年に及べば青年へと死の恐怖は小さな嵐となって世を奔る。私もいつか殺されるかもしれないという不安が人々の間を颯爽と行く。しかしその死への恐怖は、殺人犯には届かない。世を騒がせる連続で人を殺しているのは他ならぬ自らである。日の高いうちは平気な面でいかにも不安そうな表情で「ひとごろしですか、連続殺人だそうで、おそろしいですねえ」などと言っておきながら、それは嘘である。明かな嘘である。殺人鬼は自らが殺人鬼であるというそれだけの理由により、不安の輪から逃れる事が出来る。この点が、決して輪を逃れられぬ粛清の独裁者とは決定的に違う。人々の不安は独裁者にとって自らの不安であり、人々の不安は殺人鬼にとっては自らの快楽である。

2012年6月16日土曜日

不正な利用

ここしばらくあまりにも惨憺たる状況で遂に進退窮まった感があったのだが一つだけ思い出して少しネットサーフィンをしたら幸いにして上書きすることに成功したがこれほどまでに不正な利用は他に無いわけで、遅かれ早かれ利己心による一時凌ぎの不正な利用が自らに牙を剥くのは火を見るよりも明らか。また自分が嫌いになる。頭が完全にいかれてオーバーフローでもせぬ限り、せぬ限り、

死んだインディアンだけが良いインディアン

前例が無いほど心が重い。完全に固形化した水銀のように横たわって眠ろうにも眠れない。あまりの重さに床を突き抜けてフォースの暗黒面に落ちそうになる。フォースの暗黒面とは掻い摘んで言えば要するに人殺しENDなわけで、それを寸での所で押しとどめているのは自分はしんせいひきこもりはんかくえいすうであるという幻想とプライド。幻想とは書いたもののその実態は妄想であり、プライドというよりは虚栄心である。間違って生まれた間違った人生の間違った日常の間違った原因によって生じた間違った動機を間違った心で押しとどめてさあ、何が残るその先に何がある。何かの拍子で折れはしそうだが向こう3日は持ちそうでもあるから、一度ならず眠らねばならぬし、それ以上に食べねばなるまい。憎しみにうっぷして沈んでいるだけなのにぐるぐると腹が減る。眠る気力には随分と足りない。

2012年6月15日金曜日

藪から棒に酷い気分へ

振り返っても何時以来か思い出せないくらいに酷い気分で最悪で、眠るも起きるもままならない。酷い気分には慣れているつもりだし、普通の酷い気分には文法というものがあるから対処のしようもあるが、一切想定していなかった前触れも因果応報も無い予想外の酷い気分であるからして手の打ちようがない。なら観念して諦めるか、というわけにもいかずより酷い気分であった日の事を思い出して、その酷い気分で今の気分を上書きしてしまえ、という事で懸命に過去を振り返って今よりも酷い気分を探してみたものの、一向に見つからない。上書きできない程度の酷い気分は幾つか見つかったけれど、それらは上書きできる程のインパクトを持たないからして、今の気分を刷新することなく、ただ加算されて行くだけ。自動車とガソリンと人混みがあればこれ幸いと突っ込むところだけれど、そのどれもを持たないからして、不幸せは加速する。ビデオゲームでもやるかなあとかもアイデアとしては思いつきはするが、流石にこの規模ともなるとそんなしみったれたものではどうにもなるまい。電話一本で打ち上げてくれるドイツ製の原潜でもあればなあ。

ろくでもない

一日中活字にするのも憚られるような最悪な気分と戦い続け、それが肉体的及び精神的な疲労困憊と共に体感温度としては薄れてゆき、この程度の塩梅ならばこの最悪な一日の終わりに僅かでも、ほんの少しでも前に進めるのではないかと、寝る前にほんの少しだけ頑張ろうなどと安易な考えで何かをすると、どつぼに填るばかりでろくな結果を生まない。今日一日に限った話ではなく、生まれも育ちもそうなのだから全て悪い方にしか転がらない、とまでは考えたくはないが、事実はそんなもんだろう。想像しうる中では最良の最悪の一日だった、という事で肯定的に評価すべきか。ああもうほんとくだらない。

2012年6月14日木曜日

フューチャーフューチャー

フューチャー。
フューチャー。
二度唱える。
一度目は口で。
二度目は心で。

もう六月も半ば。
梅雨の真っ只中。
散らかった卓上。
心の中、モニタの中。
似たような惨状。

2012年6月12日火曜日

夜を細切れにしてさ。

頭痛で、空腹で、小便で、夜を細切れにしてさ。小さく切り取って手にとって、こんなんじゃ足りないんだって文句を付けては捨てていく。本当の夜はもっと大きい、本当の夜はもっと素敵だ。安っぽい妄想を並べながら、夜を小さく千切っては少しだけ見て投げ捨てる。こんなのは夜じゃない。これも違う。これも。それから、顔をしかめて夜を見る。音もなく息を吸ってから、わざとらしく溜息をつく。ごらん、夜は小さすぎる。頭痛で、空腹で、小便で、朝を細切れにして、昼を細切れにして、そすうる事で人生を細切れにする。大きすぎるものを千切って捨てる。小さすぎると捨てていく。

壁を見る。

なんの前触れも無しに意味もなく右上を眺める仕草が何かに似ていると常々思っていたのだけれど、デンマークオランダを見てわかった。レドナップだ。あれは何を見ているんだろう。僕の場合は壁を見ている。

2012年6月11日月曜日

心にもないこと

心にもないことを適当にでっち上げて、心にもないことを適当に書けば、心にもないことで適当に開拓された、一反ぶんの畑になって、耕さられず植えられず、ただの一度も目を向けられず、打ち棄てられて荒れ果てた、人目に付かぬその場所で、遠く忘れた時を経て、困難さの遠い先祖が息吹いて芽生えて生い茂り、蟻を纏い鳥を纏い、そよ風で巻き起こる巨大なざわめきをまとい、先へと、先へと、新緑の初々しさを武器に侵略してゆく。

2012年6月10日日曜日

ハイパーデフレにしてくおれ。

一昔前の外国のどこかの遠い国では、物の値段が3日で2倍、ハイパーインフレになったらしい。頑張って1日働いて、6000円の現金を稼いでも、1年も経てばその現金は、一兆分の一の価値。文字通り一銭の価値もない。硬貨とは名ばかりのゴミ。そんな世界では、働く気になれない。ハイパーインフレはこわい。おそろしい。ろくでもない。けれども、これが逆ならばどうか。ハイパーデフレになったならばどうか。

6000円を稼いで1年間寝かせれば1兆倍。欲しい物はなんでも買える。買いたい放題好き放題。テレビも車もパソコンも家もジェット機もメガドライブもパソコンも航空母艦も女も家族も幸せも、なんでもとにかく全てが買える。6000円の現金が、1年後には6000兆円以上の価値になる。6000兆円。それだけあれば世の中の争いごとは全てなくなる解決する。戦争とか貧困とか全部過去。死んだ人すらも生き返るだろう。もう、頼みの綱はハイパーインフレだけ。僕を救うにはハイパーインフレしかない。いや、世界を救うにはハイパーインフレしかない。どうか、たのむ。ハイパーインフレにしておくれ。そうなれば働く。僕も働く。一生懸命働く。真面目に働く。

2012年6月9日土曜日

もういいや、全部諦めよう。

希望を抱かせておいて叩き潰す。夢を見せておいて叩き潰す。もういいや、全部諦めようというのが一番信用出来ない言葉。起き上がりこぼしのように叩き潰される為だけに蘇る。何一つ手にする事はない。ただ叩き潰される為だけに。

2012年6月7日木曜日

じゃあねバイバイ人殺し

目が覚めて眠たい。とても眠たい。もう駄目だ、という言葉だけが朝時に勃起して排尿を拒む陰茎のように隆起した希望に伴われて出社する。まずは希望を殺害すること。まずは希望を撃ち殺すこと。全ての向上心を排除して腐敗した有毒の粘性の高い毒液になって人生の忘れ去られた古い地下墓地の片隅に溜まれば、もっと素直に、そしてもっと幸福に生きていけるのではないかとその度に思う。けれども現実は無情でこの星をすっぽり覆う蜘蛛の糸に覆は何をするにも全身に絡みつき口も鼻も耳も目も遮り、「愛さえあれば生きていける」とか、「先立つものは金」、「努力は君を見捨てない」といった類の矛盾した、警句ですらない言葉の羅列が希望の後ろ、もう駄目だの後方、ずらずらと列を成して戸を叩く。その一つ一つに心を動かされ、応対するだけで1時間、2時間失われる人生のありがたさ。無念さ。幸せはありませんか。この人生に幸せはありませんか。心の痛まない幸せはありませんか。そうやって泣く子を紐で絞め、肥溜めに向かって5キロも歩く。板張りの床も、箪笥の引手も、幾何学模様の天井も、「人殺し」「人殺し」と心ない言葉を投げつけてくる。反骨心に満ち溢れた僕は、「だからなんだ」と反発する。迷惑なものを殺して捨てて、やがて忘れて何が悪い。心の痛みも良心の呵責もこの人生には寄与しない。大切なのは自分自身だ。自分自身の夢であり、希望であり、未来だ。そんなものを信じられる無邪気さはもう無い。朝起きて、心が死ぬのを待つ。奴らが全て疲れ果てて巣に帰り眠ったならば待ち望んだ僕の時間。けれどもその頃にはもう既に憎しみが心を曇らせ草臥れて、眠たかった前半生よりもさらに眠たい。起きている事が出来ない。かと言って、繰り返される睡眠と起床とそれからの方へ、近づいて行く気はもちろん起きない。眠たさが通り過ぎた眠たさの中を手探りで探す。徒労に終わりまた眠る。腹が鳴る。どうでもいい。眠たい。どうでもいい。今のお前に必要なものは、必要な物は。

2012年6月3日日曜日

貧しさ。

貧しさの中にいる。
出口の無い、貧しさの中に居る。

僕の貧しさは、心の貧しさ。
喜びを、喜べない心の貧しさ。
幸せを、為合はせない心の貧しさ。

どんなものを手に入れても、
これじゃないんだと、文句を言う。

不平を口にして、口をひん曲げて、
頬を釣り上げて、前歯を剥き出しにして、
顎を少し引いて、酷い目で睨み付ける。

6億円を手にしても、
美しい人に好かれても、
才能のゲームで遊んでも、
素晴しい人達に愛されても、
懸命に手を伸ばし、
掴んで握りしめてから、
それじゃないんだと、文句を言う。

どんなものにも手を出して、
どんなものにも満足しない。

僕の貧しさは、心の貧しさ。
欲望の貧しさ。夢の貧しさ。

心の底から喜べる未来を、
無くしてしまった心の貧しさ。

心はこぼれてどこかに消えた。
僕の幸せは、僕の幸せではない。
僕の喜びはもう、僕の喜びではない。

何をしてもからっぽ。
何を得てもからっぽ。

からっぽの人生のからっぽの余生。
僕の貧しさは心の貧しさ。
喜びを無くした人生の貧しさ。

なにもしてないのに。

dota allstarsしてないしdota2もしてないし、ディアブロ3もスタークラフトもxboxもプレステも存在しないし、ニコ生も見てないし、インターネットもしてなくて、ブログも書いていないのに、何故か時間だけが過ぎていく。なにもしていないのに、どうして。なにもしてないのにこの仕打ち。どうしてだろう。どうしてなんだろう。寝食を忘れてビデオゲームに勤しんでいた方がまだ健全なんじゃないかとすら思う。最も不健全と思われる健全さにすら見捨てられたのか。そうなのか。

2012年6月2日土曜日

蚊はあまり上手く行っていない。

蚊はあまり上手くいっていない。蜂のように速くは飛べないし、羽音がうるさくてすぐに居場所がばれる。おかげですぐに叩かれて死ぬ。刺すなら刺すでもっとばれないように上手く刺せばいいのに、血が固まらないように変な液を注入する為に、すぐに刺したとばれて叩かれて死ぬ。血を吸わずに生きれれば一番いいのだろうけれど、血を吸わないと死んでしまう。だから仕方が無しに血を吸って生きるのだけれど、嫌われて叩かれて死ぬ。そうならないように、問題と向き合って考えて努力して進化すればいいのに、蚊は馬鹿だから血を吸って憎まれて叩かれてまぬけに死ぬ。蚊は上手くいってなくて、完全に失敗していてるのに、夏が来る度に懲りもせず、同じように生まれてきて同じようにうるさく飛んで同じように血を吸って、嫌われて叩かれて死ぬ。蚊は明らかにうまくいってない。

雑記。

季節が変わって小鳥が鳴くから、今が朝なのか夕方なのかがわかるようになった。朝だ。急いで寝よう。