2013年1月31日木曜日

うまいことせやんといて。

「xfreさんからkillを取り"うまいことせやんといて"とエセ関西弁で苦情を出される」の実績を解除。勝ったか負けたかについては考えたくない。というか勝てない。相手は3人パーティ+2人パーティなのにこっちは全員1人プレイ。xfreさんだけでもしんどいのにChuaNまで居る。ひどい。シャッフルして。

なお、自分が死んだ際にチャットログを読み返してみると、xfreさんの英文を完全に読み間違えて受け答えしていた部分があり、会話のちぐはぐさが酷い有様になっておりせつなかった。



アジアサーバーでマッチングされた事の無い最後のビッグネームがxFreさんだったので、これでアジアはコンプリート。dota allstars時代に人名として認識していたアクティブな人とは全員マッチングされた。アクティブじゃない人なら、LGDのsylaや、元MUFCのlingなどが残ってる。sylaさんなんてここ2ヶ月で4ゲームしかpubで遊んでないので、エンカウントする可能性自体が無い。あとミザリー。ミザリーを引けばLGD.intコンプリートだったのに、出現率が他のLGD.intプレイヤーよりも少し低くてエンカウント出来なかった。現在帰国中。

回る回る世界が回る。

元気な時にだけdota2を起動するというスタイルを、元気じゃない時だけdota2を起動するというスタイルに変更したら、内部レートが低下した。当たり前である。平均7ページくらいから平均15ページ近くまでゆっくりと下がり、そこで踏みとどまった。それが適正レートであるかはさておいて、元気な時は8~10ページ、元気が無い時は15ページ前後というのが僕のレートだと思う。

そんなわけでレートが低下すると、当然ヌルゲーになり、solo midで好き放題出来たりして7連勝し、自己新記録の8連勝に挑んだら3ページでシャーキー+ティファニーという血も涙もないエンカウント。味方にもchopperさん(本物の方)とxroboさんという2人の5ページプイレイヤーが居た上に、自分自身solo mid行って5-2-10くらいまでは持って行き、あとは勝つだけという所までは行ったもののシャーキーとティファニーにぐでんぐでんにされて逆転負け。

誰が悪いって、fb取り損ねてfb取られた自分と、pl管理が遅れた自分と、ミクロミスってsharkyを2度殺しそこねた自分が悪く、戦犯は誰って言われると完全に自分であり、痛恨過ぎて心のもやもやが未だに晴れない。chopperのランダム運がaxeと完全に終わってたのも辛かったし、味方に相手がsharky+ティファニーという事を理解していない人が居たのも酷かったんだけれど……。シャーキー+ティファニーってエンカは厳しいとは言え、勝たなければならない展開だった。

そこから3連敗してしまい、完全に心折れて、そもそも元気な時には遊ぶつもりがなく、幸いにも元気だった事もあり、しばらく放置していたら、突然回る世界が回る。三半規管がおかしくなって横になっていられない。頭もがんがん痛い。たまにある症状なので慣れてはいるものの、眠ろうにも眠たくないのでどうしようもない。

眠たくなるまで時間を潰そうとdota2を立ち上げたら、さくっと1敗。直後にorange対orangeの内戦に巻き込まれ、世界が回るせいで何が起こってるのかもわからず、理解不能なプレイをしていたらwinterさんに「あんた、なにやっとんよ」って嘆かれる。正直、自分でも何が起こってるのかわからなかった。画面見えないしマップ見えない。

相手はラクチ、kyxy、x含む5人パーティーという事もあり、チームバランス的に完全に終わっており、一番元気な自分であっても結果は同じだったと思うんだけれど、それにしても申し訳ない事をしてしまった。とは言え、2ゲームしたくらいで眠たくなるわけも無し、また元気になるわけもなしでしばらく続けていたら、10連敗してさらにそこからまだ負けて、倒れるようにして横になりました。




10連敗めのゲームなんて、これ。
0キル11デス、ラストヒット14って……。
わざとやったとかじゃなく、必死に頑張ってこれ。

「今は弱体化された強キャラを使い続けてレートあげたくせに、そこでランダムとかふざけてる」とか言っている人には、「元気な時にレートあげたくせに、そこで元気じゃないどころかしんどくて横になってさえいられないときにゲームするとかふざけてる」と反論すべき。同じチームになってしまった人達には、本当に申し訳ないことをしてしまった。







10連敗すると内部レートも思いっきりさがり、最低で68ページまで落ちた。(ここまで落ちると探すのも大変)。そこまで落ちると流石に楽勝。安定して好き放題して大活躍といった感じのぬるいマッチングになり、39勝19敗で遂に5ページ復帰。ここまで来ると欲が出て、1ページで遊びたいなーとか思ってしまうけれど、人生にはゲームよりも大切なものがある。それが何であるかを知りうるゆとりが今の僕にはまったくない。


10~20ページで安定していた(たまに5ページ以内も混ざっていた)上に、orange対orangeの内戦は1ページだったのに、そこから6連敗(合計10連敗)しただけで68ページまで落ち、5ページ復帰までに39勝19敗必要だった、というのは尋常な事ではない。

連勝時と連敗時のレート変動には、明らかに異常なまでの大きな補正がかかってる。イメージ的には、1×連勝数×連勝数くらい上がってる感じがする。1勝だと1しか上がらないけど、5連勝すると25上がり、10連勝すると1ゲームで100、合計すると385上がる感じ。自分のレートよりも10人全員の平均レートが高いゲームで勝つと大きく上がってるのも間違い無いと思う。どちらも、dota allsarsから移行した熟練プレイヤーを適正レートに強引に誘導する為の対策だろう。


なので、外部企業の勝手営利サイトである、dotabuff.comのレーティングは実体とかなりずれているように感じる。正確な内部レートを調べるには、ローディング中にliveを1ページから順番に探して、自分のページ数を確認し続けるしかない。









一応自分のdotabuffのレートはこんな感じだった。flash eSportsループで頭抱えたり、パジャもういいよシャーキーやめてkyxyふざけんなとか言ってた頃はdotabuffのレートも高くなっており、サードパーティーが勝手に算出した独自レートとは言え、有料化しようとしていただけあって、数学の出来る頭のいい人達が頑張って計算していたんだという事は見て取れる。途中思いっきりレートが落ちているのは、明らかにやる気なくしてランダムで適当にふざけたプレイをしていた頃。そこから上がっているのは助けてあげたい人が居て、テキストを書くならば自分で証明しないと説得力がないと思い、少し頑張って遊びだしたんだけれど、テキストが書かれる事など未来永劫なかったのである。

2013年1月27日日曜日

寒い寒いとても寒い。

寒すぎるから起きていようという甘ったるい考えは寒さによって壊されて、寒すぎるから寝ていようという考えもまた寒さによって壊された。冬になれば暑さの実在を信じることが出来ず、夏になれば寒さの存在を信じることが出来ない。同じようにこの一生の中では愛の存在を信じることなく憎しみの中で呪いながら死んで行く。

2013年1月25日金曜日

おはようございます。

おはようございます。
おはようございます。
言葉が意味する意味は知らない。


目が覚めるとがっかりする。少し前まではあんなに気持ちよく眠っていたのに、眠ったからにはもう眠れない。起きたからには起きねばならない。そしてここで言葉は尽きる。何を考えているのか分からない。

2013年1月24日木曜日

最近付けられた難癖。

tri laneをトリレーンと書くな、fearをフェアーと書くな、という難癖を付けられた。トリスメギストス、トリクロロエチレン、トリハロメタン、トリニトロン、トリプルあたりにも文句を言うべき。tri laneは特殊な状況を指し示す為に作られた造語。それ以前の最大の問題として、実況者や解説者の中にもトリレーンと発音する人が居る。フェアーは人名を現地読みする気がないだけ。毛沢東の現地読みはわかるけど胡錦涛やシュウキンペイ、温家宝、曹操劉備項羽劉邦の現地読みは知らないし知ったこっちゃない。レミンド、グルービー、トド、ジュウサンベイベー、アンゲル、アウイ、パジャキャット、ヒーヒィ、キーシィ、クロキー、デンチ、ヨンサンマル、ハチニイマル、ハチケー、エスフォー、イントアール、ジョートコレジョーシ、全部現地読みなんか知らないし知ったこっちゃない。フェアーの現地読みも知らないし知ったこっちゃない。現地読みしたければマオツァートンとかセンロンとかリーリェンヂェとかホナウドとかホナウジーニョとかヒバウドとか勝手に言っててください。知ったこっちゃないので。しかもこれが「俺にとって問題なんじゃなくて、初心者が間違えたらどうする」という完全に意味不明な、羊の威を借る狐戦法の難癖だから輪を掛けてめんどくさい。文句を言いたいが為に架空の羊を捏造して持ち出すやり口には毎度の事ながらうんざりする。

嫌われるというゴールを目指す人。

誰かに好かれたい、誰かに愛されたいと思う事は、人間にとって一般的なよくある感情である。けれども、誰もが誰も、そのよう事を願い目指しているわけではない。中には、人から嫌われたい、人から憎まれたいと願っている人も居る。




彼等はどうして、嫌われたいと思うのか。
どうして、人から憎まれたいと願うのか。



それは、嫌われるという現実は、他人の心への干渉を意味するからである。負の感情は人の心を覆い、その奥底に覆い忍び込み、そしてやがては破壊する。憎しみという感情は、他の誰かの何かではなく、自らの心を壊してゆく。赤の他人を支配する為の最も簡単な手段。それが嫌われるというゴールであり、憎まれるという目標なのだ。


インターネットには、そういう人達が大勢潜んでいる。現実世界では極めて僅かな割合でしか存在しないそういう人達も、インターネットでは有り触れた存在。インターネットというこの世界は、現実世界ではあり得ないくらいの、膨大な人間が詰め込まれた狭い居間。人があまりに多すぎて、かわいさをアピールしてもかまってもらえない。頭を捻って面白い事を言ってみても、相手にされない。どれだけ優しさをアピールしても、褒めてくれる人はいない。どんなに素直でいい人も、インターネットでは有り触れた存在。けれども、嫌われるという行為は違う。人の心に簡単にアクセスできる。誰かの人生に簡単に干渉出来る。そして、支配する事が出来る。


人が嫌がる事を、繰り返して行う。嫌がられる事を、長きにわたって粘着して続ける。書き続ける。言い続ける。繰り返して続ける。嫌われるという目標に向かって、嫌がられるというゴールに向かって、気が向いたときに片手間で続ける。すると、自ずから嫌われる。すると自ずから憎まれる。当たり前の話だ。嫌がらせを続ける人を、好いて愛する人は居ない。執拗に粘着して嫌がらせを続ける人を、興味が無いと見過ごす人は滅多といない。故に彼等は勝利する。今日も勝利に、勝利を重ねる。


同時に彼等は、敗北を持たない。嫌われる事、憎まれる事、うざがられる事、煙たがられる事、鼻つまみにあう事、軽蔑される事、軽んじられる事、無視される事。それらはすべて勝利を意味する。誰かの心に付け入り、アクセスし、コミットメントし、見ず知らずの誰かの心を間接的に、支配した事を意味する。

そればかりか、好かれる事、面白がられる事、有り難がられる事もまた、彼等にとっては勝利なのだ。自らの手を汚して、労力を費やして、誰かに嫌われる為に粘着する事は、少しめんどくさく、そしてまた正常な精神を持っている人間にとっては多少参入障壁の高い汚く醜い泥だらけの場所だ。だからこそ、自らの手は汚さずに、嫌われようとしている人が嫌われる現場、憎まれようとしている人が憎まれる現場、粘着し続ける人間が煙たがられる現場を目にして、愉快だねとニコニコと笑う大勢の観衆が居る。

観衆は、嫌われようとしている人が嫌われる現場を面白がり、憎まれようとしている人が憎まれる現場をエンターテイメントとして楽しむ。それもまた、勝利を意味する。嫌われるというゴールを目指し、ありもしない話をでっちあげ、真面目に頑張る人を小馬鹿にし、罵詈雑言を並べて誹謗中傷を延々と繰り返し続ける事で、嫌われ、憎まれ、煙たがられ、鼻つまみに合うだけではなく、さらに好かれ、愛され、重宝がられる。嫌われることも、好かれることも、軽蔑されることも、有り難がられることも、その全てが彼等にとては他人の心にアクセスしたという成果であり、人の心に進入したという勝利なのだ。

自らの手を汚したくはない多くの人が、嫌われるというゴールテープを切って颯爽と駆け抜けるランナーを目にし、歓声を上げ、拍手喝采を送る。そして今日もまた誰かが俎上に上がり、誰かが馬鹿にされ、誰かがいじめられ、誰かが袋叩きにあう。そして憎しみが生まれる。人の心が壊されていく。浮かび上がるのは勝利の二文字。




彼等は嫌われるというゴールを、自らの勝利としてしか認識していない。彼等にとって、誰かに嫌われたり、憎まれたりするという事は、当然の権利であり、生き甲斐であり、快楽であり、そして勝利なのだ。

嫌いという感情は心に染み渡り、憎しみは心にどっしりと居座る。そして人間を破壊してゆく。それを見た彼等はさらに増長し、やったぞ嫌われたぞと喜んで、もっともっと嫌われようと、さらに人の心を支配しようと、粘着し続ける。何ヶ月でも、何年でも、飽きることなく執拗につきまとい続ける。

結果は目に見えてる。さらに嫌われる。さらに憎まれる。それは、さらなる勝利を意味する。未だに嫌われているという現実は、さらなる快楽をもたらし、未だに誰かを不愉快にしているという事実は、さらなる興奮を彼等に与え、その結果、より嫌われようとする。より憎まれようとする。ありもしない風説を流布したり、誹謗中傷を繰り返したり。もっと、もっと、嫌われようとする。人の人生を踏み躙り、人の心を破壊し、執拗に粘着して続ける。




一度そのループに入ってしまえば、彼等の快楽は、そして彼等を取り巻く連中の勝利は、無限大に増幅し続ける一方で、そのターゲットとなった人間の精神は、生活は、人生は、その全ては、完全に崩壊してゆく。現実では稀にしか起こりえない事だけれど、インターネットではそれが簡単に起こる。「嫌い」という感情による干渉。「憎しみ」という感情による支配。

電気とバイトが作り上げたこの世界は、全てが繋がる夢の世界。一度狙われれば最後、逃げ場はない。一生粘着される。1人の人間の一生は、嫌いな誰かを勝利させる為だけの機関になり、1人の人間の一生は、憎いだれかに快楽を与える為だけの存在に成り下がる。






人の心に干渉するにはどうすればいいか。
他人の心を支配するにはどうすればいいか。




それは単純。
嫌われればいい。
憎まれればいい。
不愉快にさせればいい。
不快感を植え付ければいい。


その嫌悪は一生残り、その憎悪は一生続く。負の感情を通じて人を支配し、誰かの人生を破壊する。それこそが彼等の喜びであり、彼等の快楽であり、彼等のゴール。全てが透明に繋がってしまった、健やかな地平のインターネットの、光が導くリザルト画面は、どんな願いをも簡単に叶えてしまう。嫌われるという最も簡単な勝利はさらに簡単になり、憎まれるという最も簡単な快楽はより簡単になる。今日も誰かが馬鹿にされ、今日もどこかで嫌いが芽生える。彼等は嫌われて、憎まれて、勝利して、快楽を得て、今日も誰かが破壊されてゆく。

2013年1月23日水曜日

今日も落ちて、

脳味噌がとろけ落ちて、心がとろけ落ちて、体もとろけ落ちて床にへたり込むけれど、決して眠たいわけではなく、頭が痛いわけでもなく、何かを求めているわけでもない。喉が渇けば水を飲めばいい。頭が痛ければ頭痛薬。歩きたいなら足が必要で殴りたいなら手が必要。足を丸めてフコー、フコーと息を吐く。光はない。闇もない。

2013年1月22日火曜日

毎日を裸で過ごせば

毎日を裸で過ごせば、醜いところや汚れた所をすぐに見つけられるわ。いいえ、毎日を裸で過ごせば、美しさに目がくらんで、近づきたくなって、そうして近づいて、しまいには、真っ暗闇が訪れて、何も見えなくなってしまうのよ。待っているのは破滅、服を着ましょう。誤って近づきすぎないために。

はてなブックマークはなぜ改悪されたのか。

あの日、はてなは希望になった。
それから、はてなは希望だった。

この夢の無い国の、光の無いインターネットで、
輝き続ける、たった一つの、希望だった。









はてなブックマークが改悪された。
あちこちから悲鳴が聞こえてくる。

それこそがはてなの狙いだった。
はてなの目的は達成されたのだ。














はてなブックマークはもう随分と、日本のインターネットのうんざりとする光景の頂点に立ち続けていた。我が国のインターネットの最もくだらない部分。2ちゃんねるまとめブログ。揚げ足取りと揉め事の嘲笑合戦。それを通り越した扇情的な罵倒。ネットで拾ったURLを並べただけのノイズ。何人にも一切の光明をもたらさないライフハック。ブックマークしただけで痩せた気分になるダイエット。同じくお勉強。英語学習。晒し上げられるTwitterでのたわいもない失言。そしてくだらない自慢。くだらない自虐。くだらない見下し。インターネットの最もくだらない部分。はてなブックマークというウェブサイトは、僕にとって、見るに値しないウェブサイトだった。



それでも、意識の高いインターネッターである僕は、どうにかしてはてなブックマークを利用しようとした。僕が読んでいる幾つかのブログは、はてなブックマークを経由して辿り着いたものだし、はてなブックマークを介して面白いウェブサイトを発見した経験もある。はてなブックマークを完全に切り捨てる事は、自らが時代の流れ、情報の流れから取り残されてしまう、愚かな行為のように思えたのだ。











その結果がこの画像である。
インターネットの技術者達がフィルタリングに使うような、小洒落たツールを導入する能力を持たない僕は、Yahooi pipesという既成のサイトを用いて、はてなブックマークの新着エントリーをフィルタリングして読んでいた。





Yahoo pipesには、1フィルタでフィルタリングできる最大数が存在しており、その制限を超えるとエラーが出る。その仕様を回避する為に、仕方が無しに2段階、3段階、4段階と複数のフィルタを多重にかける事で対応した。明らかに自分に不要だと思うウェブサイトや、明らかに自分には不要だと思うブログ、そして明らかに自分の興味の無いキーワードなどを、片っ端からpipesのフィルタに投げ込んだ。フィルタリングをすり抜けて来るサイトの中で、不要と思われるものをテキストエディタにメモし、定期的に追加していった。そうすれば、面白いウェブサイト、自分にとって必要なブログだけが、フィルタリングをすり抜けて来るはずだと思っていたのだ。




ところが、結果は無惨だった。

改善に改善を重ねて作り上げたフィルタリングを通り抜けて来たのは、スパムだった。スパム、スパム、スパム。ブログを書いたブロガー本人が、複数のはてなアカウントを取得し用い、自ら自演ではてなブックマークをして、「新着エントリー」のリストに、自らのブログを送り込む。はてなブックマークという膨大なページビューを持つウェブサイトのトップページに、一円の広告費を使う事なく、僅かな手間で、自らのブログの宣伝をする。pipesのフィルタを通り抜けてくるのは、そういうサイトばかりだった。




ボーガスニュース、バンクーバーのウェブ屋、高橋慶彦、バズ部、幕末ガイド、セレブスタイル、数え上げればきりがない。どれもこれも、スパム、スパム、スパム。2ちゃんねるまとめブログや、海外翻訳サイト、ライフハックといった類のものになると、もはや例外を探す事が困難で、どれもこれもがスパムだった。それらのブログのURLをメモし、定期的にフィルタに追加する。その結果、進化したフィルタリングをすり抜けてきたのは、新しいはてブスパムサイト。そして、また新しいはてなブックマークスパムサイト。






あまりにも、フィルタリングが思い通りの効果を上げないばかりか、「これは面白いな」と思えるサイトにまるで出会えないので、フィルタリングのキーワードが強すぎたのかと疑うようになった。そして新しく、カテゴリー別のフィルタを作り、カテゴリー別に新着エントリーを読むようになった。すると、そこでは、奇妙な出来事が起こっていた。





本来ならば、「生活・人生」というカテゴリに入るはずの、クックパッドのレシピや、生活の知恵、あるいは食材や料理のサイトなどが、他のカテゴリに時々紛れ込んでいた。

いったい誰がそんな無意味な行為をしてるのだろうか。疑問に思った僕は、少しだけ調べてみた。そうすると、犯人はすぐに判明した。「わかったブログ」というブログの、かん吉と名乗る運営者である。

わかったブログは、何故そんな奇妙な行動をとったのか。それを解く鍵は、はてなブックマークの、トップページの新着エントリーリストにあった。新着エントリーリストは、カテゴリごとにわかれていた。そして、カテゴリによって、はてなブックマークのトップページに掲載され続ける期間に大きな差があった。

たとえば、右も左も2ちゃんねるまとめブログという、非常に競合者が多い「おもしろ」カテゴリや、1つのニュースが出る度に、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞、そしてYahoo Newsといったサイトのほとんど同じ内容のニュース記事が次から次へと新着ブックマークを塗り替える「政治・経済」といったカテゴリのウェブサイトは、あっという間にトップページから消え去ってしまう。

その一方で、「生活・人生」というカテゴリは競合者が少なく、長い時間、はてなブックマークのトップページに居座る事が出来る。それにより、アクセス数も増えるし、はてブ数も稼ぎやすくなり、人気エントリー入りも簡単になる。

何某は、その目的の為に、自らの書いた記事を他のはてブスパマー達と同じように、自作自演ではてなブックマークのトップページに送り込むだけでは飽きたらず、自らのエントリーを過疎カテゴリーである「生活・人生」に変更した上で、さらに、本来ならば「生活・人生」というカテゴリの新着ブックマークを塗り替えてるはずの料理サイトやレシピサイトを、片っ端から他のカテゴリへと追放する事により、自らのブログをはてなブックマークのトップページに長時間掲載し続けていたのだ。




わかったブログほどに悪質なケースは稀であったけれど、はてなブックマークという巨大なアクセスを持つウェブサイトは、広告収入目当てのスパマーとスパマーが凌ぎを削り合う、くだらない、日本で最もくだらない、ただの戦場だった。それはまるで、今では完全に失われた、あの、遠い日の、インターネットのように。
















もちろん、今でも、インターネットは戦場である。
けれども、かつて、インターネットは戦場だった。


















検索エンジンで言葉を1つ打ち込む。
Enter Keyを押す。


そこに表示されるのは、スパム。
スパム、スパム、スパム。
そして、スパム。






言葉を2つ打ち込む。
Enter Keyを押す。

そこに表示されるのは、スパム。
スパム、スパム、スパム。
そして、スパム。








僕等は頭を捻って考えた。検索結果にスパムが表示されない、検索ワードの組み合わせを。唇に手を当てて考えた。検索結果からスパムを排除出来る、巧妙な文章を。考えに考え、考えぬいて、熟慮の末に言葉を選び、Enter Keyを押す。そこに表示されるのは、スパム。スパム、スパム、スパム。そしてまた、スパム。検索エンジンの結果画面は、右も左もスパムの山だった。そう。それはちょうど、あの日のはてなブックマークのトップページと同じように。







そんなスパムに対抗すべく、ネット企業が選択した戦術。
それは、人力だった。


アメリカンオンライン、マイクロソフト、ヤフーといった、検索エンジンサイトを運用するインターネットの巨大企業が、スパムとの不毛な戦争を回避すべく、「ポータルサイト」という人力選別の羅列サイトを作り、運用しはじめた。機械的にインターネットを調べて回ると、どうしうてもスパムサイトが引っかかってしまう。それを排除する為の究極にして最高の手段。それが、人力だった。人々は検索エンジンとは名ばかりの人力選別サイトを利用して、何かの気紛れで時々検索エンジンの小窓に言葉を打ち込み、Enter Keyを押した。そこに表示されるのは、スパム。スパム、スパム、スパム。そして、スパム。








そこに2人の大学生が居た。
ラリー・ペイジ。
セルゲイ・ブリン。




一人考えた。
これは金になる。

一人は企んだ。
これは商売になる。




ポータルサイトを謳歌する人々が求めていたのは、人力選別された選りすぐりの情報が並べられたとても役に立つポータルサイトなどではなかった。彼等が本当に求めていたもの、それは検索エンジンだった。本物の検索サイトだった。趣味、嗜好に応じた人それぞれの言葉を小窓に打ち込み、Enter Keyを押し下げれば、それ相応に望ましい検索結果が表示される、本物の検索サイトだった。Enter Keyがスパムで埋め尽くされない、役に立つ本物の検索エンジンだった。そして、ペイジとシュミットは、それを作った。検索サイトとは名ばかりのポータルサイトではなく、本物の検索エンジンを作り上げた。その名をGoogleと言う。




Googleは世界を覆った。
その影で彼等は息絶えた。
その命脈を絶たれた。






スパムは、死んだのだ。






土俵には金が詰まっているという言葉を信じた若羽黒は夜中に土俵の土を掘り起こして10日間の謹慎処分を受けた。ボールには金が詰まっているという言葉を信じたジョングレイグは夜中に40個ものボールをナイフで切り裂いてカークルディスタジアムから追放された。グラウンドに金が詰まっているという言葉を信じた江川卓は甲子園の土を掘り返した。それはぐだらないデマだった。それはくだらないでたらめだった。けれども、インターネットは違った。インターネットには、本当に、金が詰まっていた。人々は額に汗してスパムした。一生懸命スパムした。頑張って、頑張って、努力に努力を積み重ねてスパムを続けた。

インターネットの隆盛は世界中の名も無き人々の希望を沸立たせた。世界は希望で埋め尽くされた。スパムをすれば金になる。スパムをしよう頑張ろう。これで食いつなげる。これで生きていける。夢を見る場所。努力をする場所。希望を胸に抱く場所。それがあの日のインターネットだった。失意と絶望に溢れた現実世界とは対称的な、夢と希望に溢れた空間だった。今とはまるで様相の違う、夢と希望の場所だった。死んだ目をしてなまずのように現実世界を生き続ける、絶望と苦しみの人々が、インターネットという魔法の機械によって蘇った。その人生を。その希望を。その夢を。その全てを。蘇らせたのだ。インターネットに詰まった金を世界中の人々が追いかけ追い求め掘り起こし、一生懸命スパムした。




幸福に満ち溢れた国ではない貧しい地域の一人の男が決して安くはないラップトップのコンピューターを買い込んで、現実という絶望とインターネットという希望の間で揺れ動きながら一人前のスパマーになるべく、その長からぬ人生において初めての熱意を持ってスパマーとしての産声を上げた。それは全て徒労に終わった。その世界にはGoogleという絶望的な巨人が君臨していた。全ては手遅れだった。夢と希望の世界は音を立てて崩れていった。スパマーになるべきであった男は死んだ。スパムは死んだ。

検索エンジンの検索結果目掛けて懸命にスパムを生産し続けた幾多の人生を奪い、彼等の希望を奪い、夢を奪い、その未来を奪い、それだけでは飽きたらず、インターネットに詰まった金を全て機械的に持ち去りジェット機で空を飛ぶ2人の男。ペイジ。ブリン。邪悪な2人の才能によって、希望は叩き潰され、夢は踏み躙られた。幾億の人生がそこで潰えた。世界は闇で覆われた。Googleという名の絶望の闇で。














人は悲しい生き物である。
そして何かを求める。





たとえば、
利便性。





イオンが我が国の地域経済と商店街を破壊し、Amazonが我が国の書店や小売店を破壊し、ドンキホーテが我が国のモラルと静寂を破壊する。Googleはその邪悪さを持って世界中の人々からその情報を盗み取り、インターネットを自らに都合良く造り替える。人はそれを喜び、それを歓迎する。そして言う。便利になったと。かくして世界は閉ざされていく。富は集められ、夢は集められ、希望は集められ、僅かな僅かな極めて一部の人達によって独占される。人々はそれを知らず知らずに受け入れる。自らの未来が奪われている事、自らの可能性が奪われている事、自らの希望が今まさに奪われている事に気がつかず、「便利になった」の一言で、この世界を塗り替えていく。

役に立つ検索エンジン。役に立つEnter Key。役に立つ情報。望んでいたもの。欲しかったもの。誰もがそれを歓迎する。これこそが求めていたもの。これこそが未来。その影で奪われていく自らの人生。幾億の夢、未来、希望。消えて行く笑顔、可能性、スパム、生活の糧。そんな血塗られたアメリカンドリームに踏み潰されたインターネットの遙か東の果ての果てに、日本という国があり、そこに1人の男が居た。伊藤直也である。伊藤という名のその男は、希望の化身であり、愛の具現化した姿だった。伊藤は考えた。そして思った。ペイジとブリンによってその命脈を絶たれた幾千の夢を、その人生を閉ざされた幾万の希望を、その未来を奪われた幾億の人生を、自らその手で救おうと考えたのである。

考えるだけなら、誰にでも出来る。
夢見るだけなら、誰にだって出来る。
けれども、彼は、そうではなかった。





本当に救おうとしたのだ。
本当に救おうとしたのだ。






夢を救う。
希望を蘇らせる。
幾多の人生を救済する。









ニフティサーブという巨大な企業で安住した生活を送っていた伊藤は、ただそれだけの為に会社を辞めた。Googleによって奪われた夢。奪われた未来。奪われた人生。生きる希望。それを救うという途方もない目的だけの為に、伊藤は自らの人生を投げ捨てた。そんな彼が辿り着いたのが、株式会社はてなだったという事実は、今にして思えば、世界の歴史の中でも五指に入る不幸な出来事の始まりだった。
















伊藤直也は何故、はてなという企業に入ったのか。
その問いのは、明快な回答が存在している。




株式会社はてな。
その創業者の近藤淳也。

彼は、スパマーだった。
近藤は、スパマーだった。

それも、ただのスパマーではない。
近藤は、特別なスパマーだった。




ペイジとブリンという名のアメリカンドリームが作り上げたGoogleという精巧なウェブサイトによって、検索エンジンの検索結果からスパムが排除され、従来のスパマーが息絶えてゆくと同時に、「一見するとスパムではないスパム」を目的としたウェブサイトがアメリカで芽生えた。その1つに、Q&Aサイトというものがあった。

誰かが疑問に思った事を説明する。誰かがそれに答える。その質問の一語一語が、その回答の一語一語がGoogleの検索収集ロボットによって拾われる。そして、人々が同じような質問や単語を検索エンジンでEnter Keyすると、そこに表示されるのは見事に、Q&Aサイト。かつてスパマー達が手に汗し、努力に努力を積み重ね、懸命に行っていたスパムという作業を、他人の手によって代行させる。自らの手を汚さず、スパムとしてGoogleから爪弾きに合う事もない、新時代のスパム。それがQ&Aサイトだった。近藤は、それをパクった。

アメリカで成功したインターネットビジネスを、そっくりそのままコピーして、盗み取り、日本に輸入する。近藤の商売は、それであった。それだけならば、有り触れた話だ。どこにでも転がっている。けれども、近藤淳也の卑劣さは、それとは別の所に宿っていた。近藤は、自らが起業した「株式会社はてな」という会社を、「タイムマシン商法のパクリ企業」である事を隠蔽する為に、ありもしないストーリーを作り上げ、それをしたり顔で騙り始めた。

「わたしの父が知りたい事をうまく調べられなくて困っていた。」
それをなんとかしてあげようと、困っている父の事を思って作ったのが人力検索はてなだ、という嘘偽りの物語を捏造し、世間に向かって騙り始めた。今更僕が書き記すまでもなく、はてなというビジネスモデル、近藤淳也というビジネスモデルは、海外で成功した商売をそのままパクリ、日本語というマイナーな言語圏にパテントを無視してあくせくと輸入するだけの盗人商売である。しかもその正体はスパムビジネスだった。



だからこそ、伊藤ははてなに行き着いた。
だからこそ、伊藤ははてなに入社したのだ。









伊藤が蘇らそうとしたのは、スパムという夢。
伊藤が救おうとしたのは、スパムという希望。

夢の無い人生。
希望の無い人生。
未来の見えない人生。

死屍累累、世界中に溢れている、どんな無惨な人生にでも、「いつかはスパム」という救いの手をもたらしたインターネット。「いつかはスパム」という夢を授けたインターネット。「いつかはスパム」という希望に満ち溢れたインターネット。実際に人がスパマーに身を落とすかどうかはさておいて、何も頼れる物の無い多くの人々にとって、その存在こそが、夢であり、その存在こそが希望だったインターネット。最後の最後の拠り所。唯一逃げ込める場所。たった一つの可能性。それがGoogleによって滅ぼされたインターネットであり、それがGoogleによってジェノサイドされたスパムだったのだ。伊藤が蘇らそうとした愛。伊藤が蘇らそうとした希望。伊藤が復元しようとした、在りし日のインターネット。それは、スパム企業であるはてな、スパマーである近藤と、親和性の高いはずのものだった。その、はずだった。







伊藤は人々の夢を愛した。
伊藤は人々の希望を愛した。
そして、この世界の全てを愛していた。

だからこそ、救おうとしたのだ。
本当に、救おうとしたのだ。





ペイジによって殺された夢。
ブリンによって消された希望。

彼等を救う。
命を授ける。
生き返らす。
希望を。
夢を。
そして愛を。

あの日のインターネットを。
人々の生活を。
人々の人生を。
そして人々の心を、夢を。
その野心を、伊藤は胸に秘め続けた。












美しい五月を作るはずの冷たい雪が降るある日の朝に、いつものように出社した伊藤直也は突然、意味不明な事を口走った。





「俺は今から。」
そして、続けた。
「山に籠もる。」






それは弁護の余地のない、職場放棄だった。
社会人としてあるまじき行為だった。
周囲の人間はあっけにとられた。
狐に抓まれたようだった。




そして伊藤は居なくなった。
どこへともなく、消えてしまった。

ある人は、伊藤直也は遂に頭がおかしくなったのだと噂した。ある者は、あいつはもともとおかしかったんだと言い放った。あらかた気でも狂ったのだろうが、仕事が出来ればそれでいいという人も居たが、「居なくなってる時点で仕事が出来てない」という当たり前の反論を受けて言い返すでもなく皆で一緒にくすくすと笑った。近藤などは怒り心頭で、明日の朝出社しなければ首だと宣う始末だった。そんな俗世の喧噪から遠く離れた山の奥の寂れた小屋の一室のノートパソコンのモニタの中で、希望の化身の手によって、愛の具現化した姿によって、他ならぬ伊藤直也の手によって、一つのウェブサイトが作られていた。はてなブックマーク。そのウェブサイトの名は、はてなブックマーク。







驚くべき事に、伊藤直也は僅か一日でそのウェブサイトを完成させてしまった。そして再び、はてなに出社した。ノートパソコンを左手に持ち、高く掲げて伊藤は言った。「これが、世界だ。」伊藤は首を免れ、はてなは1つのウェブサービスを手に入れた。そのウェブサイトの名は、はてなブックマーク。




それは、全く新しい画期的なウェブサイトだった。日本のウェブサービスというのは、基本的にどれも皆似たようなもので、海外で成功したビジネスモデルや、海外で成功したアイデアをコピーし、パクリ、日本語という極めてマイナーで特殊な言語圏に持ち込み、多少のローカライズを加えてリリースする。それが我が国のインターネットであり、それが我が国のネットビジネスだった。近藤淳也が作り上げた、いやパクリ上げた人力検索はてなや、はてなダイアリーは、正にそれであった。けれども、伊藤のそれは、全く違った。はてなブックマークというウェブサイトは、世界でも他に類を見ない、我が国初の全く新しい、画期的で革新的なウェブサービスだった。その偉業を成し遂げたのは、夢と希望の力だった。世界に対する愛の力だった。

僅か一日、いや深い深い山の奥の薄汚れた不潔で小さな小屋に辿り着くために必要となる時間を差し引きすれば、伊藤は僅か一晩でそれを完成させたのである。それはもはや人の所行ではなかった。愛の化身伊藤直也。具現化した希望伊藤直也。宇宙の夢スペースドリーム伊藤直也。けれども信じがたい事に、伊藤直也は人間であった。ホモサピエンスの男性であった。皆様ご存じの、「ふぃとう」という伊藤直也の俗称は、この時生まれた。

一夜城の建設で知られる羽柴秀吉についてコスメデトーレスが書き残した表記「ファシバフィデヨシ」にあやかって彼は、「フィトウナオヤ」と呼ばれるようになったのである。ふぃでよしが作り上げた一夜城は自らを守り、誰かを害する為の要塞であった。けれども、ふぃとうなおやの作り上げたそれは、自らの安住と睡眠を犠牲にして、見ず知らずの誰かを救うために作られた、全く新しい革新的な愛と希望の結晶であった。




伊藤が作り上げたはてなブックマークという夢は、少しの時を経て伊藤が目指した在りし日の、インターネットを再現し始めた。はてなブックマークの人気エントリーはあの日のEnter Keyのように、スパムサイトで埋まり始めた。2ちゃんねるまとめブログ。翻訳元の記述も無いライフハック翻訳サイト。自称950点の英語学習。ネットで拾ったURLを並べただけのノイズ。くだらない自慢。くだらない見下し。くだらない賢さアピール。エロ画像。エロ動画。エロサイト。日本を美化するナショナリズムの恣意的翻訳。鮪も跨いで通る書評。






それこそが、伊藤の夢だった。

どんなにくだらないウェブサイトにも、巨大なアクセスを流し込む機関。その構築を伊藤は目指した。Googleによって滅ぼされた、かつての検索エンジンがそうであったように、はてなブックマークはどれほどのくだらないブログでも、どれほどのくだらないウェブサイトでも、僅か数クリックの手間でスパムを行う事が出来る。トップページに掲載する事が出来る。はてなブックマークとは、そういう場所だった。素晴しいウェブサイトを作る事が不可能で、素晴しいブログを書く事が出来ない人間であっても、簡単に巨大なアクセスを得る事が可能な夢の場所。夢のアクセス供給機関。それがはてなブックマークだった。夢と希望のウェブサイトだった。




希望もなく、夢もなく、生活に行き詰まり、もはや頼れるものがなく、生存する空間を持たない哀れな多くの人々に提示された、最後の最後の一筋の希望。一筋の愛。一本の細い救いの糸。それがはてなブックマークだった。

はてなブックマークという巨大なアクセスを持つ巨大なウェブサイトに、自らのブログを掲載する為の方法は単純にして簡単なものだ。スパム、である。複数のアカウントを取得し、自らの手でブックマークする。ブックマーク数が3、ないし5を超えると、膨大なアクセスを持つはてなブックマークのトップページに、自らのウェブサイトが掲載される。それは夢のような話であり、それは現実であった。そこから流れ込むアクセスは金を生み、収入を生み、人々の命を繋ぎ止める。それは、政府によるセーフティーネットが崩壊し、生活保護を受給するだけで非国民と罵られ、年間5万人もの人が自殺してゆくこの絶望に満ちた破滅の国で、唯一正常に機能している、最後の最後のセーフティーネットだった。この国に存在する、たった一つの真実の愛だった。




それから、誰もがこぞってスパムをはじめた。はてなブックマークでスパムをはじめた。そこはあっという間に、欲深い人や、意識の高い人、あるいは邪な人や、ろくでもない人で溢れかえった。あるいは、元から安定した生活を維持している人達で賑わった。「スパムくらいしか生きて行く方法の無い人達を救う」という伊藤の試みは、一見すると失敗したかのように見えた。けれども、そうではなかった。はてなブックマークは成功したのだ。ただその存在だけで、成功したのだ。人はパンのみにて生きるに非ず。「全てが駄目になったなら、はてブでスパムをすればいい」。その保険の存在だけで、その命綱の存在だけで、人々はかろうじて希望を抱き、かろうじて夢を持ち、かろうじて命を繋げるようになった。

ペイジとブリンによって制圧され、技術もアイデアも無い人間が成功を掴めなくなった夢も希望も存在しない闇に包まれたインターネットで、僅か1分足らずで達成可能なはてブスパムという単純技術がこの世界に齎した希望の総量は幾億千万。それが伊藤の見た夢だった。それが伊藤の狙いだった。それが伊藤の願いであった。どんな才能の無い人間でも簡単にアクセスを集める事が出来る。どんなくだらない記事にでも、簡単にアクセスを集める事が出来る。簡単にネットで稼ぐ事が出来る。その可能性の提示。その存在の証明。その夢の未来機関こそが、はてなブックマークだった。






今にも死にそうな人間に向かって、「死ぬ気があればなんでも出来る」と軽口を叩く人が居る。けれども、その"なんでも"が何であるのかを、人は指し示さない。無責任に"なんでも出来る"と言うだけなのだ。言うだけなら誰にでも出来る。けれども、伊藤は違った。伊藤は提示した。実在していなかった"なんでも"を僅か一晩で完成させ、そして高く掲げたのだ。「はてなブックマークスパム」という"なんでも"を。人生がどうにもならなくなったら、はてブでスパムをすればいい。それは恥ずかしい事でもないし、ださいことでもない。かっこ悪い事でもないし、間違った行為でもない。はてなブックマークは、それをしていい場所なんだ。それが伊藤の思いであり、伊藤のメッセージであり、伊藤直也という思想だった。言うまでもなく、その正体は純粋な愛だった。

一度も愛された事のない、呪われながら生まれきた僕等に差し伸べられた、この星に存在するたった一つの愛だった。もちろん、その愛は伊藤が意図したようには伝わらなかったのかもしれない、伊藤が意図した人達には届かなかったのかもしれない。彼の愛はOZPAや、ごとうたろうや、kensuuといった類のくだらない連中に強奪された。伊藤が作り上げた愛と希望の生存空間は、これみよがしに得意気に自慢や自虐の馴れ合いを繰り返し、嘲笑と罵倒を続ける連中に占拠されてしまった。それでも、はてなブックマークは、希望だった。いや、その事実こそが、希望だったのだ。

あんなにもくだらないブログでも、スパムをすれば稼げる。あんなにもくだらない連中でも、スパムをすればちやほやされる。あんなにもくだらないテキストでも、スパムをすれば人に読まれる。あんなにもくだらないブログでも、スパムをすれば認められる。その事実こそが、希望の根幹だった。食べていける。生きていける。緩される。認められる。はてなブックマークでスパムをするだけで、それらは簡単に実現する。そんな希望が、そこにはあった。人は夢を無くせば呆けて死ぬ。希望を無くせば老けて死ぬ。それを阻止する場所。それを阻止する存在。未然に防ぐ為の防波堤。最後の不滅の蜘蛛の糸。それがはてなブックマークという希望であり、伊藤直也という名の愛だった。

はてなブックマークでスパムをするという行為が、現実のものとしてではなく、可能性として存在しているだけで、それは希望の存在を意味し、夢の存在を意味していた。誰もが生きる希望を信じられなくなるこの国で、希望の存在を証明する為のウェブサイト。それがはてなブックマークだった。はてなブックマークがくだらない連中にいいようにスパムされ、いいように利用され、いいように飯の種にされ続ける間も、その影で、見えないどこかで、この広い広いインターネットのあちらこちらで、はてなブックマークから一円の利益も得たことの無い大勢の人達にとって、それは夢であり、希望であり、人間の掛け替えのないたった一つの命を支える、貧者が貧者を差別し嗤い虐げるこの国に存在する、たった一つの唯一の、混じりっけのない愛だった。
















そのはてなブックマークを快く思わない人間が居た。
男の名は近藤淳也。株式会社はてな取締役代表社長である。




近藤は狂人であった。
邪心の化身であった。

Q&Aサイトというパクリとコピーのタイムマシン商法を「父が答えを探そうとしたが見つからなかった」という捏造のエピソードで誤魔化し、キーワードリンクというパクリとコピーのタイムマシン商法を「日本伝統のやさしい繋がり」だとか「日本人にはブログよりも日記」という支離滅裂で意味不明な捏造のキーワードで世を騙した男、それが近藤であった。近藤淳也という人間は、人の醜さ、人の汚さ、人の邪さだけをピンセットで取り出し、ペーレの中で純粋培養したような、悪の化身の結晶であった。

近藤は、自らの会社がペイジとブリンのそれに劣るのは、社屋が京都に有るからだという妄想に取り憑かれ会社を東京に移転した狂人であった。近藤淳也は、自らがペイジとブリンに劣るのは社が日本に有るからだという妄想に取り憑かれて会社をカルフォルニアに移転した、完全に頭のいかれた狂人であった。それは近藤という邪さの結晶が抱いた妄想以外の何物でもなく、東京移転は何の成果も上げる事なく「時代は地方」という意味不明な妄言により株式会社はてなは再び京都へと移転した。カルフォルニアでも同じように何の成果もあげることなく、生ハムを抓んでワインを飲んだだけで帰国した男である。その近藤は、自らの妄想の中で、自らこそがGoogleのペイジになるべきだった男であり、自らこそが新時代のGoogleのブリンになる男だと定義していた。その妄想に追い立てられた、近藤の魔の手がはてなブックマークに迫った。






近藤は、はてなブックマークを奪おうとした。
伊藤が作り上げたはてなブックマークを。

伊藤は、はてなブックマークを守ろうとした。
自らが作り上げたはてなブックマークを。






近藤にとって、人々の夢や希望などはどうでもよかった。
自らの欲望、自らの野心、自らの妄想、自らの銭。
それが、近藤の全てだった。




伊藤は違った。
伊藤は愛の人だった。
伊藤は希望の化身だった。

この国の、いやこの世界の未来そのものだった。






かくして、伊藤は自らが作り上げた、はてなブックマークを守ろうとした。近藤の干渉を阻止する為に、言い訳程度のマネタイズを懸命に積み重ね、本意ではない位置に広告を差し入れ、自らの思惑からは遠く離れた不本意な回収を何度も何度も繰り返した。あらゆる手を尽くし、あらゆる詭弁を呈し、近藤の魔の手から自らの愛と希望の聖域を死守し続けた。伊藤直也の成果物を奪い取り、自らの欲望と野心と妄想と金の為に造り替えるという近藤の目論見は全て失敗に終わった。そして、伊藤直也は追放された。伊藤は全会一致の決議により、株式会社はてなを追われた。












確かに、である。
伊藤にも非があった。

その朝、大西が提示した「伊藤直也はバイトの女性に片っ端から手を出し、インターンの女子大生に片っ端から手を付けている」という訴状は紛れも無い事実であった。弁解の余地の無い真実であった。しかし、その事実を持って伊藤を社から追放するなどという蛮行が許されて良いはずがなかった。伊藤が自らの全てを注ぎ込んで作り上げた夢と希望の聖域であるはてなブックマークを、奪い取って良いはずがなかった。全ては謀られたのだ。それは、伊藤からはてなブックマークを奪い去る為に、近藤が仕組んだ罠であり、謀略だった。

世界中で強化されるタバコ規制の流れにより焦りを抱いたJT、日本たばこ産業は、1つの企業に目を付けた。冷凍うどんで知られるカトキチという会社である。彼らは販売協力の名目でカトキチの内部に取り入り、僅かな経理のミスを捜し出してそれを不正経理であると告発した。カトキチの創業者は書類送検され、そして追放された。社は完全に乗っ取られ、カトキチという社名までをも消し去り、今ではテーブルマークと名を変えた。それは謀略であった。同じように堀江という革新的イノベーターが逮捕されて社会から抹殺された。同じように我が国を栄光の未来に向かわせるであったろう小沢一郎という天才政治家が謀略によって潰された。悪の手によって。邪さによって。欲望によって。人々の夢を奪い、未来を奪い、希望を奪い、乗っ取り、自らのものとする輩が居る。パクリと嘘偽りの捏造エピソードで世にでた株式会社はてなの近藤という人間は、そういう類の人物であった。そう、それはまるでGoogleがそうであったように。同じ事を近藤はしたのだ。

そして伊藤は追放された。たかだか、まかない担当のバイトの女性を片っ端から摘み食いしたというだけの理由で。たかだか、面接に来た入社希望者を片っ端から手込めにしたというだけの理由で。たかだか、インターンの女子大生を片っ端から弄んだというだけの理由で。たったそれだけの理由で、たったそれぽっちの理由で、伊藤は社を追われ、はてなブックマークは近藤の魔の手に落ちた。その日、愛の命運は尽きた。











伊藤が手塩をかけて育て上げた莫大なアクセス数を誇るウェブサイト。はてなブックマーク。そのトップページ。誰もがスパムをするだけで、簡単に自らのウェブサイトを掲載させられる場所。愛と希望の自由の王国。その場所に、近藤の手によって、広告記事が強制的に掲載されるようになった。広告記事にはメレ子とか、べにちょとかといったような、自らの利益と欲望の為ならどんな事でもするような、近藤と似通ったパーソナリティーを持つ連中が起用され、広告エントリーがトップページの不動の位置に掲載され続けるようになった。

けれども、はてなブックマークのトップページで勝利したのは、スパムだった。伊藤がその思いの全てを注ぎ込んで作り上げた革新的なウェブサイトは、数年の歳月を経て不動の堅牢な要塞と化していた。はてなブックマークという聖域は、伊藤直也の手を離れ近藤の魔の手に落ちて尚、揺らぐことがなかった。人は誰もが簡単にスパムをして稼ぐ事が出来る。簡単に扇情的な中身の無い人気ページを作り上げる事が出来る。それは、ちょっとやそっとの改変ではびくともしない、堅牢な空間であった。伊藤の費やした歳月は盾となりそこに宿り、伊藤の情熱は矛となってそれを守った。この世界に希望よりも強固なものは存在しない。この世界に愛よりも確かなものは存在しない。城主の居なくなったはてなブックマークという堅牢な人造の一夜城は、その事実を如実に証明し、世界に喧伝し続けていた。

そして、はてなブックマークは当然の帰趨を辿る。










近藤淳也。
それは、害悪そのものだった。

近藤の妄想。
それは、害悪そのものだった。




近藤は、妄想に取り憑かれていた。
自らこそが、Googleになるべきだた男だと。
自らこそがペイジであり、ブリンであると。
そして自らこそが、未来のGoogleになる男だと。










コピーとパクリと捏造のストーリーという近藤のお決まりのパターンは、ここでも発揮される。彼はかつてGoogleが行った事をコピーしようと考えた。Googleが行った事を、そのまま真似しようと企んだ。そうして近藤は、何の根拠もなく、ただGoogleがそうしたというだけの理由で、はてなブックマークのトップページからスパムを排除する事に決めた。そして、DO NOT EVELを自称するインターネットの巨悪であるGoogleが、Googleの検索結果に行ったのと同じ邪悪な行為を行うとした。「広告費の大小によって検索結果の順位を内密に入れ替える」というGoogleのやり口を、そのまま真似しようとしたのだ。それこそが「はてなブックマークのリニューアル」であり、それこそが「はてなブックマークの新しいトップページ」なのだ。

これまでは、広告費によってはてなブックマークのトップページに埋め込まれたものは、一目でそれとわかる形だった。けれども、これからは違う。はてなブックマークのトップページの一番上には、「ブックマーク数による人気ブックマークページ」が来るのではなく、「独自のアルゴリズムにより選出されたページ」が来るようになった。そして、その独自のアルゴリズムとは、Googleの検索結果と同じように、広告費の大小を意味している。

それと同時に、はてなブックマークのトップページからは、これまで存在していた新着ブックマークリストは削除されてしまった。誰もが簡単に自作自演のはてブスパムで簡単に自らのウェブサイトを掲載する事の出来る場所が、無くなってしまったのだ。はてなブックマークが希望であった日は、終わった。伊藤直也という名の愛は、その日を最後に息絶えた。





新しいはてなブックマーク。そこに表示されるのは、かつてスパムをしていたサイトと、広告費の大小によって選ばれたウェブサイト。今から新しくはてなブックマークでスパムをしようと思っても、それは完全な徒労である。まったくもって、意味の無い行為である。伊藤直也という1人の傑物によって生み出されたスパムと希望の聖域は、近藤淳也の手によって、完全に破壊し尽くされてしまったのである。そこはもはや希望の場所ではなく、既得権益の場所であり、夢の場所でもなく、現金の場所であり、そこは愛の聖域ではなく、醜悪さの歴史を誇る場所になった。





僕等はもう、失ったのだ。はてなを、失ってしまったんだ。
はてなブックマークという、最後の希望は奪われたんだ。








いつかは、はてブでスパム。
いつかは、はてなブックマーク。
そんな最後の命綱は、血塗られた近藤の手によって千切られた。









夢は、死んだ。
希望は、終わった。
この世にはもう、何も無い。







伊藤直也は、希望の化身だった。
伊藤直也は、愛の具現化した姿だった。
伊藤直也は、世界全人民の偉大な夢の結晶だった。

けれどもそれは、遠い、遠い、昔の話。






はてなブックマークが希望であった日は、過去の話。はてなブックマークが未来であった日は、過ぎ去った歴史。もちろん、そんなものは、最初から存在しなかったのかもしれない。実際のはてなブックマークは誰かを助けたわけではなく、誰かを救ったわけでもなく、はてなブックマークなど存在しなくても助かったであろう人達を助け、はてなブックマークなど存在していなくても救われたであろう人達を救っただけ。「いつかはスパム」という幻の夢の空想の架空の未来が、実際に現実世界の誰かを救うなんてのは、世間を知らない幼さの残る澄んだ目をした伊藤直也の、夢見がちな思い込み。勘違い。若気の至り。僕等が行き場を失って、たとえばはてなブックマークに辿り着いたとしても、得られたであろうものは精々、三途の川の渡し賃。それでも、それでも。





それでも、はてなブックマークは希望だった。
そして、はてなブックマークは改悪された。

愛は失われ、希望は失われ、夢は奪われた。
世界を覆うのは食い荒らされた欲望の残壊。









































ペイジ、ブリン、シュミットの三頭政治よりも少し前。人々から自由と未来を奪い取る事を目論んだカエサルという男が暗殺された。その才能によってではなく、カエサルと同じカエサルという名前によってその跡を継いだカエサルを名乗るカエサルは半島を制圧し、自由主義者の討伐に向かった。何人も独占すべからず。希望は全ての人に。その思想に基づいてカエサルを殺害し、世界の東半分の支持を集めたたカシウスは大軍を率い、ギリシアの地において、東進する偽のカエサルと戦い、緒戦の痛み分けを敗北と見誤り絶望し、自刃して果てた。

その日、東軍を率いていたのが老いた歴戦のカシウスではなく、あの薄汚れた山小屋の一夜の伊藤直也であったならば、彼は自刃することなく、僅か一晩ではてなブックマークを作り上げる事によりカエサルに対抗し、その軍勢を撃ち破り、そして勝利し、ローマの、いや世界の王となったであろう。しかし不幸にも伊藤直也が生まれたのは1977年。偉大なる神の悪戯により、伊藤直也の生誕が僅か2000と100年遅れてしまった事により、この星に存在する希望は、この星に存在する未来は、この星に存在する夢は、この星に存在する富は、そしてこの星に存在する愛は、ごく少数の特権的な、極めて僅かな一部の人達によって独占され続ける事が決定づけられてしまったのである。

六本木のなかむらで2万7000円の回らない寿司を抓みながら伊藤は言う。未来は奪う者だと。伊藤は言う希望は俺のような人間だけに許された特権だと。愛は特別に選ばれた者だけが得られるものだと。近藤の手によってはてなを追放された伊藤は、それまで買い集めていた技術書を全て捨て、自らの成長の為に続けてきた努力を全てやめた。技術者同士の勉強会にも、めっきり顔を出さなくなった。そして京都から姿を消した。ある人はこれまで大切にしていたものを手放したり、引っ越したりするのは自殺の前兆ではないかと深刻に心配し、匿名でウェブマネーを送りつけたりしたが、幸いにも、あるいは不幸にも、伊藤直也は人知れず生きていた。そして再び俗世へと、戻ってきた。

彼が選んだ新しい職場はグリー。その傲慢さと詐欺的な商法で人々から金を奪い取り、それにより日本中の家庭に怒号と罵声を響き渡らせ不和を生み、人々の悲しみと憎しみを増幅させる事を商いとして平然として行い続ける犯罪的企業。その中枢に伊藤直也は平坐していた。麻薬の売人の親玉の総元締めの用心棒の悪玉の親玉の顧問という立場にまで成り上がり収った伊藤は言う。俺の知った事か。伊藤は言う。自己責任だろ。伊藤は言う。喜んでやったんだろ。伊藤は言う。そんなの、親が悪いんじゃねえの。伊藤は言う。どうせ元から、そんなだったんだろ。かつてふぃとうと呼ばれた男は繰り返す。俺の知った事か。

それでもあの日、伊藤直也は本当に、人々を愛してたのだ。それでもあの日、伊藤直也は本当に、あなた方を愛していたのだ。伊藤直也はこの国でただ1人、いやこの世界で、宇宙でただ1人、あなた方を愛し、あなたを愛し、あなたを救おうとしたのだ。あなたに希望をもたらそうとし、その為だけに自らの安泰の生活を投げ出し、山に籠もり、一睡もせずに、はてなブックマークを作り上げたのだ。今日と明日の伊藤直也がたとえどのように汚れた醜い存在であったとしても、それでもあの日、伊藤直也は本当に希望の化身であり、夢の権化であり、この腐敗した世界に産み落とされた、たった一つの唯一の、具現化した愛だったんだ。

2013年1月21日月曜日

ほら人生は楽しい。

頭の後ろ首の後ろに何かもやもやしたものを感じるただの寝過ぎ。頭の上額の裏に霧が立ちこめるただの寝過ぎ。胴体の中体のどこかがカボスを絞るように痛むただの空腹。思いすぎ、感じすぎ、考えすぎ、全てをややこしくしてこんがらがせすぎ。シンプルに息を吸ってシンプルに息を吐いてシンプルに笑ってシンプルにお喋りして。シンプルに働いてシンプルに食べてシンプルに眠ってシンプルに笑おう。悲しむこと悔いること悔しがること、痛恨の極み自責の念口惜しいことそんなものはない。そんなものはない。ほら人生は楽しい。毎日が楽しい。

2013年1月19日土曜日

空を飛んで参りました。

僕が見る夢のパターンは大きく分けると2つしかなくて、殺したはずの人間が死んでなくて殺しに来るパターンと、殺されたのに死ななくて仕方が無く逃げ回るパターン。そんな中で例外的に、飛ぶ夢を時々見る。飛ぶと言っても空を飛べるわけではなく、1メートルから2メートルくらい浮かぶだけ。調子の悪い時は30センチくらいしか浮かべないし、推進力も存在しない。やっこらひっこら空気を漕いだり、壁や階段を蹴ったりして前に進む。そういう夢を久しぶりに見た。あたりは緑一色の春の田園で、電信柱を蹴って進んだ。頭上には電線があり、その中をもの凄いスピードで人々が走っていた。電信柱は蹴って進む為に作られた構造物ではないという現実が重く伸し掛かり、自らのまぬけさを呪い焦ったが、飛んでいるからには電信柱を蹴る以外に無い。凄まじい頭痛で目が覚めて夢精した。目覚めたばかりの憔悴の中で乾いた唇を宙に浮かべる。頭痛薬はない。水もない。

2013年1月18日金曜日

たのしそうなブログは読む気がしないね

たのしくなさそうなブログは読む気がしないね
だって、読んでいてもたのしくないんだもん。




たのしそうなブログは読む気がしないね
だって、読んでいてもたのしくないんだもん。




だって、たのしくないんだもん
たのしいことなんて無いんだもん。

2013年1月12日土曜日

これが詐欺でなくてなんなの。

リプレイをダウンロードする権利を9ドルで売るけれど、再生できません。
再生できないという事は内緒で、告知も一切しません。現在も絶賛販売中。


This is ridiculous, to be honest...
マジで。

2013年1月6日日曜日

指も心も動かない

とても寒い夜に頭痛で起きて、眠たくもないのに眠たい眠たいと助けを請う。指も心も動かない。

2013年1月5日土曜日

でたらめの妄言をご丁寧にも日本語に翻訳して流布する人達。


DotAでは、典型的なチーム編成はこんな感じになる。late-game carryが一人、そいつのためのbabysitterが一人、roamer一人と強力なmid-game carryが二人。babysitterの仕事は単純なもので、carryのお守りと、あとはwardを置きまくるだけだ。League of Legendsでは、junglerが五人チームのうち一枠に収まる。


へー、そうなんだー。








昨日行われたGリーグプレイオフ準々決勝。
勝ちチーム全てトリレーンもしくはトリレーン系。
負けチームも全部トリレーンもしくはトリレーン系。




DotAでは、典型的なチーム編成はこんな感じになる。late-game carryが一人、そいつのためのbabysitterが一人、roamer一人と強力なmid-game carryが二人。babysitterの仕事は単純なもので、carryのお守りと、あとはwardを置きまくるだけだ。
ってどのゲームの話なんでしょう。
空想の世界に生きる人の妄言を翻訳して広めるとか大概にして頂きたいのですが。








dotaで何故tri laneが優れているかというと、その理由は極めて単純です。

チームとして育てたいlate carry+ベビーシーッターの2人組と、tri lane特化の3人組が対峙すれば、tri lane特化が勝ちます。それも、ただ有利だというレベルの話ではありません。

Lv1から相手を蒸発させる事に特化したtri laneの3人組は、何か一発当てれば相手を蒸発させる事が出来ます。よって、2人側は一切動けません。carry+sitterという構成だけではなく、対tri lane特化の2人組ですら、一切動けません。

LoLと違いdotaにはdenyが存在するので、自軍の塔から遙かに離れた場所で、敵クリープは一匹も残らず死んでしまいます。ラストヒットどうこう以前に、1の経験値も得る事は出来ません。Lvは永遠に1のままです。

LoLではタワーの後方で生存のみに注力していれば、幾らかのクリープが流れて来ます。経験値と金を得られる。けれども、dotaは違う。一匹のクリープも流れてこない。1の経験値も得られない。一匹のラストヒットも取れない。これがtri laneです。






一番最初に明確にtri laneゲームだという事が明らかにされたのはsmm2008という大会です。「tri lane強いよね。」「うん、どうしよっか。」というのを、LoLの最初のバージョンがリリースされる前から、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと延々やり続けてきたのが、dota allstars、所謂dotaなんです。




想像してみてください。tri lane特化の3人に、2人で対抗出来る構成が存在すると思いますか?tri lane相手に取り得る選択肢は、そのレーンを完全に諦めて逆レーンで有利を取るか、tri laneにtri laneを被せて3on3に持ち込むかの2パターンだけなのです。




late-game carryが一人、そいつのためのbabysitterが一人
ってどこの、どのゲームの話をしてるんでしょうね。





原始のdota allstarsには、確かにsitterという役割が存在していました。

その最大の理由は、原始時代のdotaには回復アイテムが存在しなかったからです。木を食べてHPを100回復する使用回数3のtango、HP400回復のpot、本陣で水を汲む事でHPとmanaを回復する使用回数3のbottle。そういった回復アイテムが、全て存在していなかったんです。

回復アイテムが無い時代のcarryには、「回復してくれる人」あるいは「被ダメージを阻止してくれる人」というのが必要だったのです。必須の存在だったのです。それがsitterです。

しかも、回復アイテムが存在しないという事は、サイドレーンsoloが不可能に近かった、という事を意味します。回復出来ないので、サイドレーンsolo側は少しハラスされたら動けない、近づけない、経験値も得られない、という状況に陥ってしまいました。一部の例外的な回復スキル持ちや、HP reg持ちのキャラですら、サイドレーンsoloは非常に困難で、非現実的なものだったのです。

さらに、当時のdota allstarsはアイテムを運び届ける為の小鳥でワードを置ける、という謎の仕様があり、しかもワードが売り切れない仕様だったので、sitterは簡単にワードを置けました。今はワード置きに行くと死ぬ上に、ワード不可視化のアイテムがあり、しかもワードは売り切れるので”sitterはwardを置きまくるだけ”というゲームではありません。

おまけに、sitter時代のdota allstrsには、タワーを破壊すればチームメイト全員にgoldが入るという仕様がありませんでした。また、アシストでgoldが入るという仕様もありませんでした。よって、全く稼げない5人目のプレイヤー、というのが存在していました。5人目のプレイヤーが装備を調える事は不可能でした。なけなしの金でワードを買う事くらいしか、出来なかったのです。




回復アイテムの導入に加えて、topレーンの横とbtmレーンの横にサイドショップが導入されます。これにより、装備の更新が簡単になり、さらにサイドショップで靴とHPとマナを回復出来るbottleまで買えてしまうという変更までなされ、2対1のレーン事情は完全に様変わりしました。一部のキャラはサイドレーンsoloでも、carry+sitterに対して五分ないし有利を取れるようになりました。2対1が簡単になった事で、プレイヤーを余らせてジャングルに送ったり、逆に3人を固めてtri laneを行うという選択肢が、現実的なものとして浮上したのです。

そして2-1-2に対する研究が進む事により、2-1-2の弱さだけが明確になり、2-1-2というレーン構成が基本であった時代は終了しました。





そして、tri laneの強さが明確に世界に示されたのは、smm2008です。それからずーーーっと「tri lane強いね」「うん、どうしよっか」というのをやってきたのがdota allstars、俗に言うdotaなのです。




2009年のsmmでは、LGD.sgtyという中国のチームが、3 carryという戦術を完成させて、3 carry戦術を採用したゲームはたったの1ゲームも落とさずに優勝します。3人のcarryは自レーンに張り付いたまま、15~20分もの間denyとfarmに徹し、相手のgangに対しては、3人レーンの3人が同時にテレポートスクロールの巻物を使って瞬時に4人レーンを作り上げて対処します。gang対象となった人はTPで逆レーンに飛び、3-1-1を1-1-3に切り替える事でfarmを続けます。

決して川を越える事なく15分ほどfarmして装備を調えたら、あとは雪崩れ込むだけ。3人の殴りcarryで同時に殴って全て溶かします。これがdota allstarsシーンの歴史上、最も誉れ高く、最も悪名高い3 carryという戦術です。

なぜ悪名高いかというと、ゲームを決めにかかる時しか能動的に川を越えない、極めて守備的なtri lane戦術だったからです。この時期のLGD.sgtyの強さを象徴する出来事に、carry+sitter構成で、12分代でradを完成させたEHomeの最強プレイヤー820が操る最強最悪carryキャラを何の苦もなく処理してしまう、という異常なゲームがありました。

基本的にtri laneというのは相手の一番育てたいレーンに対して、執拗なレーンチェンジをしてでも被せるものなのですが、被せずにcarry+sitterを完全に放置しても、3人組のレーンを完全に封殺する事で、チームとしては圧勝出来る、という事が明確になります。




3 carryは、中国を快く思わない心ないインターネッターどもから、「あれは守備的すぎる」という批判を受けます。そして、その批判に応じたdota本体のアップデートにより、テレポートスクロールに改悪が入り、同時テレポートが不可能な仕様に変更されます。メタ更新ではなく、dota本体の更新によって、3 carryと3 carry派生戦術は封じられ、3 carry時代は終焉を迎えてしまいます。




けれども、「carry+sitter」に対して「tri lane特化3人組」が圧倒的に有利だという事実は変わりません。尚かつ「carry+sitter」を完全にfree farmさせてもtri lane側が勝つゲームなのです。よって、3 carry以前から続いたtri laneという基本戦術は、その後もずっと続いて行く事になります。


tri laneに対しては、様々な戦術が試されます。全てのレーンを守備的にプレイしてジャングルで稼ぐ。全てのレーンをsoloにして残る2人は相手側ジャングルを奪いマップコントロールする。サイドを諦めてmidでtriをやり、mid towerを速攻潰してマップコントロールする。結局のところ、tri laneに対して最も有効に機能したのは、tri lane戦術でした。「tri laneにはtri lane」。dota allstarsは局地的な3on3ゲームになります。




3carry終了後のtri laneに起こった変化は「tri lane特化3人組」のさらなるtri lane特化でした。最序盤において、「tri laneで機能するcarry+tri laneに特化した2人」という基本構成よりも、「tri laneに特化した3人」の方が強いのは明確です。よって、3人レーンから、carryが消えます。3人レーンは育てる事を諦めて、3on3ガチに特化してゆきます。3対3で優位に立った側が、ゲームを支配する事が出来るのです。





消えたcarryが行き着いた先は最も安全なレーンであるmidでした。このmidの仕事はfarmです。gangをしません。動きません。20分間farmして、DPSを極限まで高めて、それ以降に備えるのが仕事でした。頂点に立ったのは、LGDで3 carryの一角を務めたzsmjというプレイヤー。全てのクリープを一人で食べ、45分でラストヒットを600取るとか、そういう酷い事をして相手を殴って勝ちます。3 carryをゲーム本体側で封じられて一時的に低迷したLGDがこの戦術で再び蘇り、天下を取ります。これが世に言うzsmj時代です。




zsmj時代のLGDは、中国を快く思わない心ないインターネッターどもから、「あれはゲームじゃなくてfarm」という批判を受けます。その批判に応じたdota本体のアップデートにより、zsmjの持ちキャラは弱体化され続ける事になるのですが、それはそれ。zsmj時代が終わった理由は、本体の更新ではありません。820というEHomeのエースプレイヤーのサポート転向でした。




押しも押されぬ不動のcarryプレイヤーだった820は、zsmjに苦汁をなめさせられ続けた末に、サポートに転向します。まず最初にやったのは、solo midサポートでした。midにfarm特化のcarryを置いた相手チームに対して、midにサポート(nuker)を置いて7~8分から能動的に行動する事で、4対3や、5対4の局面を多く作り出す事が出来ます。

820はラストヒットの化け物であり、あらゆるプレイヤーのsolo midに対して、ラストヒットで五分以上を取る事が出来ました。サポートでラストヒットを取り、10分前後にblink(短距離瞬間移動アイテム)を買って東へ西へ走り回り、殺して殺してゲームを支配する。もちろん、どつぼにはまって惨敗する事もありましたが、結果的に「サポートsolo mid」によってzsmj時代は終了し、zsmj820時代が訪れます。




820はさらにプレイスタイルを変化させ、solo midをチームメイトに譲り、完全なroam専門サポートに転向します。自分はどれだけ死んでも良いので、とにかく右へ左へ動き回り、ゲーム展開を混乱させるという、リスクとリターンが見合わない820の立ち回りは大成功を収め、時代はzsmj820から820zsmjへと移り変わります。

左右に動くという事は、イコールtri laneを放棄するという事です。3on3レーンは2on3になってしまい、その時点でチームは不利になります。けれども、左右に動いた820を処理するには相手も左右に動かなければなりません。820はゲームを動かす為の囮であり、スコアを動かす為のトリガーになっていたのです。

820のroamというスタイルが成功した最大の要因は、彼自身が誰よりも上手く、またチームメイトも強かった、という点です。元々は世界最強チームのcarryだった人が5人目の役割を担い、他のプレイヤーも非常に優れていた。だからroamで囮になるという異常なスタイルが偶然にも奇跡的に、一時期だけ機能したのです。




820の1-1-2+roamというスタイルは、ライバルであったLGDにまで波及して1-2-2対1-2-2という奇妙な展開をも見せますが、tri lane特化の3人に2人で勝つ事は不可能という今更すぎる事実を指摘してtri laneを徹底する他チームの前にzsmjのLGDと820のEHomeは両チーム揃って敗れ去り凋落し、dota2という未完成ながらvalveが金を散蒔くゲームのリリースと、中国におけるeSportsストリームビジネス巨大化の影響により、820は遂に引退してコメンテーターに転向、zsmjもLGDを脱退してしまいます。




余談になりますが、3 carry時代、zsmj時代、820zsmj時代といった中国の流れは欧米でも受容され、独自の解釈と改変改悪改良が行われる中で、「sitter solo mid」や「healer solo mid」といった意味不明な戦術が試され、しかも成功していました。もちろん「サポート solo mid」も取り入れられました。

時代錯誤のsitter+carryでKuroKy以外には遅れを取らなかったLodaみたいな例外も居ますが、pgg、フェアー、kuroky、puppy、といったpickerは真面目にtri laneとtri lane派生戦術を取り入れていました。

欧州対中国という意味では、現NaViのキャプテンであるpuppyが、morp+darkseearという構成で中国のtri lane相手に2v3を試みて、Lv1から1の経験値も得られず、仕方が無しに2人でジャングルに籠もるというゲームもありました。tri laneの絶望的な強さを象徴する出来事でした。





3人レーンにはtri lane特化の3人。midにはゲームを支配出来る特殊なキャラ(サポートnuker、ult屋)。となると、carryの行くレーンは1つしか残っていません。それがサイドソロです。

tri対triの3on3が行われているレーンは、ポジショニングに注意を払いながらのじりじりとしたお見合いが基本で、その場を離れる事が出来ません。820のような例外的なプレイヤーですら、その意図と行動パターンが出回ってしまうと対策され、roamが不可能になって行きます。

3on3は一人でもポジショニングをミスれば総崩れ。よって、彼らはレーンに張り付いたまま慎重にポジション調整を繰り返すばかりで動けません。この3on3の存在により、逆レーンの1vs1は、かなり安全な存在になります。ゲーム展開にもよりますが、10分近くもの間、チームファイトから離れて1v1を継続する事が出来ます。そこにcarryを操るチーム最強プレイヤーを配置するのは当然の成り行きでした。

原始のdota allstarsにおいては守られる存在であり、ある時代においては一番安全なmidレーンでプレイしていたcarryが、最も危険であったはずのサイドソロに追いやられた瞬間です。




それからもずっと、tri laneは全ての戦術の基礎です。「tri特化の3人にはどんな構成であっても2人では太刀打ち出来ない」という基本があります。これは絶対に揺るがない事実です。

とは言え、一時期の3on3ゲームから考えると、tri lane以外の選択肢が随分と通用するようになってきました。新アイテムの導入、trilane強キャラの弱体化、tri lane弱キャラの強化により、相対的にtri laneが弱体化され、またtri laneに対抗可能なsolo、というのが幾つか発見され、実証されます。

味方クリープを殺害するスキルを持つヒーローで、tri lane側のレーン管理を阻止する。召喚ユニットで敵クリープを誘導し、tri lane側のレーン管理を破壊する。あるいは、3対1のレーンを諦めて逆側は1対2に特化したpickを行い、残る1人をジャングルに回して稼ぐ、などです。

もしも相手が2-1-1+ジャングルをプレイするならば、こちらも3-1-1をプレイする必要がなく、2-2-1や2-1-1+ジャングル、あるいは2-1-2で五分以上を取る事が可能になります。もちろん、それらの選択肢は3-1-1に対して不利になってしまいます。

「ジャングラーをpickし、ジャングルをやると見せかけて、ジャングラーをサイドソロに送ってtri laneをやる」というトリックは、現在のdotaにおいて相手を出し抜く為の最大にして唯一に等しいオプションです。







繰り返しになりますが、昨日今日たまたまtri laneが流行った、という話ではありません。denyが存在するゲームにおいて、tri lane特化3人組に明確な有利が付く構成は存在しません。そして、2人組では殺しきれない相手でも、3人組なら殺しきれるのです。よって、tri laneはdotaの必然であり、真剣勝負のdotaはtri laneという基礎から決して逃れる事が出来ません。

言うまでもなく、LoLにおいてtri laneが基本になる事は絶対にありません。dotaのtri laneは、相手ヒーローを経験値0、レベル1のままで完全に固定する事が可能ですが、denyの存在しないLoLでは、タワーの後方に隠れ続ける敵に経験値が入る事を阻止出来ないからです。








DotAでは、典型的なチーム編成はこんな感じになる。late-game carryが一人、そいつのためのbabysitterが一人、roamer一人と強力なmid-game carryが二人。babysitterの仕事は単純なもので、carryのお守りと、あとはwardを置きまくるだけだ。League of Legendsでは、junglerが五人チームのうち一枠に収まる。

で、こんな妄想と中傷で成り立っているでたらめの記事原文が放置されているのはなんでだろうと翻訳元のサイトを見てみると、なんてことはないLoLのサイト。なるほど、dotaについてでたらめ書いてもなんのコメントも付かないわけだ。そもそもdota allstars(所謂dota)の元ネタであるdota(通称元祖dota)自体が、ジャングラー必須のゲームで、その元ネタはもちろんジャングル必須のWarCraft3本編なんですが、WarCraft3の存在自体が無かった事になってるんですかね、この元記事書いた人の頭の中では。妄言でdotaは糞だけどLoLは面白いぜと宣う、でたらめでまかせ妄想妄言のブログエントリーについたコメントは「どうやったら勝てますか」とか「おっしゃるとおり」みたい酷いコメントばかり。と思ってコメント遡って見たら1つだけ指摘してるコメントがついていました。




The current meta game being tri-lane based, 

と、自称RGC dotaのランカーが書いてた。
いや、dotaの基本戦術はトリレーンだって書いてるじゃん。





この日本語翻訳が何故不愉快かというと、プロフィールを見てもdotaをまともにプレイした形跡が無く、dotaシーンを一度として見た事も無いことが明かなLoLのプロが、LoLは優れたゲームだという事を主張する為に、妄想で作り上げた存在しない架空のdotaとLoLを比較して、dotaはアレですがLoLはいいゲームですと書いた、中傷目的の妄言以外の何物でもない記事を、LoLユーザーにとって都合の良い英文記事を探して翻訳してるだけのLoL翻訳ブロガーが、一切の検証もせずにそれを翻訳して日本語で配布しているという事実。あまつさえ、「dotaの基本はトリレーンです」というコメント欄の指摘すら完全に無視してそれを垂れ流すという無責任さ。

何かと比較しないと何かを褒める事の出来ない元記事のプロも大概不愉快だけれど、俺は翻訳してるだけだからって無責任に妄言まで翻訳して日本に垂れ流すブロガーもどうにからなないんだろうかね。クルーグマンとか全部妄言のでたらめなのに。

2013年1月2日水曜日

もっと面白いゲームやればいいのに

5万円以上するグラボを積んで、最新のPCゲームを最高環境でfps150とかでプレイ出来て、他のゲームではかなりの強プレイヤーで俺TUEEしまくれるような人が、dota2を何故か250ゲームも遊んでて、しかも見てられないくらいに弱くて、k+a/dが2以下で、naixの勝率なんて20%しかなくて、理解不能を通り越して申し訳ない。dota allstarsを代弁して謝りたい。その上で、なんでこんな糞ゲーやるんですか?って問い詰めたい。何が楽しくてdota2なんかやってるんですか?どこがどう面白いんですか論理的に説明してくださいよって尋問したい。「おまえうざいからdota2やめるわ」って言われてもいいくらい申し訳ない。もっと面白いゲームやればいいのに、って思う。人生は有限なんだからさ。

2013年1月1日火曜日

ぼんやりと。

憎しみから逃れようとキーボードを手に取るが浮き上がってくるのは憎しみばかり。人と人とを無意味に繋ぐ欲望の糸が張り巡らされたインターネットは夢の世界ではなく悪夢の続き。宇宙が消し飛ぶほどの核爆発か、さもなければ四、五人の血を流して倒れる人の群れを思い描くが何れも遠い。存在しない愛の誕生を望むより、今ここに確実に存在する憎悪を昇華する事を望む方が現実的だろう。怒号が憎いように嬌声もまた憎く、雑踏が憎いように静寂もまた憎い。