2018年7月31日火曜日

amazonギフト券 10万円 プレゼントキャンペーンやります。

amazonギフト券 10万円分プレゼントキャンペーンをやります。
発動条件は、8月15日までに僕が下記の目標を1つでも達成出来なかった場合です。



・ネットサーフィンを1秒もしない。
インターネットは地球上で最も不要な存在なので、hostsファイルでブロックしたウェブサイトにアクセスしません。どうしてもアクセスが必要になるサイトはメインブラウザでブロックして、他のブラウザでアクセスするようにしていますが、他のブラウザでもネットサーフィンを1秒もしません。



・ビデオゲームを1秒もしない。
あらゆるビデオゲームを1秒もプレイしません。



・動画を20個アップロードする。
8月15日までに、動画を20個編集してアップロードします。



・ブログを10個投稿する。
8月15日までにブログを10個投稿します。



・毎日走る。
体力作りの為に毎日走ります。



以上です。
応募条件は発動時に告知します。
発動させないように頑張ります。

The International 2018 プレイヤーレビュー

毎年恒例のプレイヤーレビューですが、今年ほどつらい年は記憶にありません。何故ならば、この一年間のdota2シーンは、dota allstars16年の歴史の中で最悪の一年だったからです。

今年のバージョンの勝者になるはずだった、世界最強のmid lanerであるEGのSumaiLは、最悪のチームマネジメントの犠牲者となってmid laneから居なくなるし、同時代にライバルが居らず、歴史に挑んでる段階にあった光武帝レソリューションはでたらめなコーチの被害者となり低迷した挙げ句に耐えかねてチームを離脱後に輝きを取り戻す始末。LGDはトップシーンにおけるワーストプレイヤーを論功行賞の為に昇格させて低迷し、VPは勝てば勝つ程に自ら武器を投げ捨てて弱くなり続けるという酷い末路を辿りました。全てのeSportsプレイヤーの中で第一位の生涯賞金額を誇るkurokyは、「eSportsは勝ち負けの為ではなく、美意識の為に存在する」と全盛期kurokyである事を辞めて茶聖化してしまい、Liquidという最強チームは最強チームでありながら、100万ドル規模の大会であっても勝ち負けにこだわらずに戦うという姿勢を明確してしまいます。

実を申し上げると、このような問題点は現在ではほとんど解決しています。この一年間は史上最悪のつまらない一年間だったけれど、幸いにして今日の時点では面白いdota2シーンが戻ってきています。されど、わたしのプレイヤーレビューは一年間のプレイヤーレビューです。困りました。困っています。困っている中で書いていきます。







◆星5
・miracle-

プレイヤーレビュー史上初めての星5二連覇。最強アクションゲーマーという出自を持つmiracle-のミクロを見てしまうと、他のプレイヤーのミクロがmiracle-と比較して数段階劣っているという事実が浮かび上がってしまう為、dota2シーンを見るのがつまらなくなってしまうという諸刃の剣。世界最強のポジション1も、世界最強のポジション2も、世界最強のポジション3も、miracle-には遠く及ばない。現段階において3つのポジションで世界最強のプレイヤーである事は疑う余地のないところ。

miracle-が一人で誰も居ないレーンクリープだけの相手からラストヒットをとるだけのゲームこそがdotaのオールスターズマッチ。文字通りのone man dota allstars。長く「歴史上最強プレイヤー」という称号を維持し続けたrtzから、その看板を既に奪い取ったと見るのが正しいだろう。dota16年の歴史の中で、断トツの最強プレイヤー。後の時代に生まれたが故に最強なのではなく、同時代における傑出度においても、rtz、kuroky、dendiの三者を凌ぐ、相対的にも絶対的にも時代的にも全て最強の、問答無用の最強プレイヤー。

SumaiL、sccc、レソリューションという、miracle-を上回る部分を所持したプレイヤーが、揃いも揃ってチームマネジメント問題で低迷した為、miracle-時代を止める事の出来るライバル候補すら見当たらない一年間だった。そして、そのmiracle-を止めたのが他ならぬkurokyの「私達は賞金100万ドルレベルの大会では勝ち負けでは無くて美意識を追求します」という姿勢であり、世界最強のmiracle-が負けても、それはkurokyが勝ち負けを度外視して美意識を追求しているが故に負けたのだという展開になってしまい、「最悪の一年」を象徴する最強プレイヤーだった。

miracle-に非ずは、dotaプレイヤーに非ず。dotaの最強プレイヤーを問われたら、一切の躊躇なく即答できるいい時代。Liquidというチーム自体が強すぎることもあり、ti8後に発生するであろう再編により、世界中にドリームチームが複数生まれたとしても、miracle-時代はあと1年は続くだろう。miracle-の星5は、二連覇ではなく三連覇である。





◆星4

・ACE

この一年。2017~2018というシーズンが、誰のシーズンだったかと問われれば、ACEである。極めて平凡なプレイヤーでしかないACEが、side solo carryという10年前のdota解釈を復活させたppyによって、世界的な名手を全て踏みつぶす所から始まった一年だった。

マップ改変を含むpatchにより、武器となる戦略を悉く奪われてもなお、ppyに託されたタスクを完璧とも言える非常に高い成功率でこなし続け、個としての能力は極めて低いにも関わらず、他のどんなプレイヤーよりも強く見える、奇跡的なと言ってよい内容を残し続けた。

このレビューはあくまでもプレイヤーレビューなので、プレイヤーとしては平凡なppyの名前をあげる機会には恵まれないが、決して強いとは言い難い平凡なプレイヤーであるにも関わらず、secretの最強プレイヤーは断トツでACEという状況を作り上げたのは、ti7後のsecretを即座に勝てるチームとして完成させ、2017年こそがppyの全盛期なのではと思ってしまうほどの会心のリプレイを残し続けたSecretを率いる、puppey the Destroyerの手腕は素晴らしいものだった。

トップシーンでは通用しないはずのACEが、「世界で勝てるチームのポジション1」としてsecretを文字通りcarryする形でトップシーンでのキャリアを開始し、その勢いは最後まで衰えなかった。dotaは未だ、極めて平凡で魅力の無いプレイヤーでも、工夫と努力次第で世界で勝ててしまう、素晴らしいゲームだと思う。

プレイヤーとしての特色としては、建物を殴るというゲーム解釈をnotailから引き継ぎ、失敗の少なさと小ささではravenに次ぐ地位にある。生み出せるリターンの規模こそ小さいタイプのプレイヤーではあるものの、ACEよりも大きなリターンを安定して生み出せるプレイヤーは片手で数えて事足りる知恵度にしか存在していない。

残念ながらpatchにより、時空を超えて蘇ったside solo carryという斬新な地位は失ってしまったものの、ACEが星4筆頭に居るのは、patchでside solo carryを完全に潰されてからも、世界四位相当のSecretというチームにおける最強プレイヤーであり続け、トップシーンに足跡を残し続けることに成功したが故である。

本来ならば星4筆頭に置くようなプレイヤーではないが、世界的名手の多くが、半年間行方不明になるような特殊状況に助けられたとは言え、この一年はACEの一年だった。




・マイコン

scccが手にするはずだったti7のMVPを、newbeeの酷いpick&banによって棚ぼた式に手に入れてしまったti7のMVPは、この一年間も強かった。kurokyとfataで勝つという異常なチームだった5jangoの、臭いのしないパクチー程度の添え物でしかなかったあの日のマイコンは、もうどこにも存在しない。他のライバルの失速もあって、世界最強のポジション3の座を、一年通じて維持する事に成功した。

ただし、圧倒的に世界最強というわけではない。pickプールやプレイスタイル面では、9pasの方が面白い部分もあり、fata-はずっと素晴らしかった。未だにdota allstarsはポジション3が強いとチームが強く見えるという単純なゲーム。昔は添え物だったという出自が故のスケールの小ささこそ最近は気にならなくなったものの、リターンのとり方は唯我独尊タイプのそれではなく、1人でゲームを勝利に導く能力は他のプレイヤーよりも低いものの、dota allstarsは5人でやるゲーム。

Liquidの塩。
塩、The solt。
マイコンである。




・fy

fyが3人居ればというのは、今も尚LGDにとっては絶対に叶わぬ夢。前半期をポジジョン3で過ごし、後半期をポジション4としてプレイしたが、共に素晴らしい内容でポジションコンバートは完全に成功していた。チームマネジメントの犠牲になる形でポジションを再び4に戻されてからも、fyというプレイヤーが持つ個性の不安定さを感じさせぬ安定感でLGDを世界最強チームへと押し上げる事に成功した。

ポジション3で強く、ポジション4で強く、ポジション5で強く、pick&banが出来てキャプテンも出来る。もはやキャプテンfyは、中国最大のタレントなどではなく、現代シーン最大のタレントと言ってよい。あの日からずっと実は最強であり続けたfyが、チームマネジメントの犠牲になることなく、順風満帆のキャリアを過ごせていたのならば、中国は今のような惨状に陥っていなかっただろう。

プレイヤーとしての個性は今のバージョンに向いていないが、そこはfyである。メタというのはレベルの低いプレイヤーの間で流行っているただの流行でしかなく、一部の特別なプレイヤーはメタというくだらない低次元の流行を完全に無視することが出来る。そしてfyは特別なプレイヤーである。

fyが世界最強チームのキャプテンとしてThe Internationalに挑むのはこれが二度目。前回はきっちり優勝している。xiao8の居ないシカゴならば……、果たして。





◆星3


・rodJER

VPから消去法で選ぶならばぎりぎりでrodJER。VPは前任者のlilで十分に強かったと思うし、naviが強かったのは蘇生者sonneikoというCIS史上最強のキャプテンに率いられていたからで、rodJERの功績は決して大きくはなかった。

とは言え、pickプールが0にまで落ち込んだ経験を持つlilのプレイヤー特性的な問題により、VPに存在していた戦略的な足枷を、左右に対する意識が高く、心も強い、平均的なポジション4としての特性を持つrodJERが取り除いたのものまた事実。9pasが現在のバージョンに少し合わない感じを醸し出していることもあり、VP筆頭となるとrodJERでいいのかな、というあくまでも消去法の星4つ。正直rodJERはそんなに強くなかったし、とても苦しい。

不幸にもVPは迷走してしまい、2018年の8月を世界最強チームとして迎える事は叶わなかったものの、それはrodJERの責任ではなく、rodJERの関われない所で発生したチームマネジメント上の問題。まだVPには大量の伸び代が残っています。





・9pas

本来ならば星4に置くべきプレイヤー。
バージョンに嫌われた。
VPが迷走してしまった。

VPは2017-2018のサーキットポイントランキングで一位だったのだけれど、それでもこの一年間のVPは世界で最も見応えのある負け役でしかなく、終ぞ能動的に勝てるチームにはなれなかった。それもこれも、picker変えすぎ。picker適正の無い人にpickerやらせすぎ。コーチが戦略に無駄に介入しすぎ。プレイヤーの個性を殺しすぎ。

9pasもまた、VPが魅力を失っていくのと同時にプレイヤーとしての輝きを失っていったものの、かつてはポジション1をやっていたという出自を思い起こさせるような内容で度々チームをcarryしていたし、バージョンによりメタの変化にもきっちりと対応出来ていた。

敗色濃厚なゲームを1人で互角の展開へと戻すという、かつてポジション3に要求されていたタスクこそ少し弱いものがあるが、今のdota allstarsは5人でプレイするゲーム。チームメイト全員の位置を把握する目の良さ、敵の挙動を推測する頭の良さは、VPが9pasの長所を宝の持ち腐れとして殺す戦略を選択し続けてなお、「VPのリプレイに外れ無し」というVPの確かさを支える最大のプレイヤーだった。VPは確かに最強でした。最強だったんです。




・ヤプゾル

「けったいなことをやります!」
という道化でしかなかったヤプゾルも今は昔。

ヤプゾル躍動せずしてsecretに勝利なしとまでうたわれる、世界で最も見応えのあるポジション4へと成長した。依然としてヤプゾルは曲芸師であり、強い弱いという外側に足を置いている部分を持つプレイヤーであるが故に運用が難しく、高い頻度でゲームから完全に消えてしまうのは大きくネガティブなポイント。ppyの無茶ぶりに対応しきれず負けていくゲームが多い。

とは言え、相手を煙に巻くミクロ自慢のプレイヤーという特性を持ちながら、抑揚の効いたプレイが出来るのが最大の魅力。あの手先の器用さだけが取り柄の自信過剰なヤプゾルを、隙の無いポジション4に育てたppyは凄い。育ったヤプゾルはもっと凄い。

チーム力的にsecretは厳しい立ち位置にあるものの、2017-2018シーズンを決定的な失速を迎えることなく乗り越えた、最優秀チームsecretの最優秀プレイヤー。




・abed

Fnaticに加入する以前に既に世界で戦えるプレイヤーとしての地位を完全に確立させていたabedですが、envyはそれに満足せず、abedをdendiに、跳刀跳刀に、そしてsingsingにしようと試みました。その試みは現段階においては成功を見ておらず、バージョンに右往左往させられた影響もあり、envyとabedは一年間を無駄に過ごしたという見方も不可能ではありません。

けれどもそんな一年をFnaticは、アジア3強の末席の座を決して誰にも譲ること無く切り抜けました。残念ながらabedが革新的な進化を遂げることはありませんでしたが、abedはFnatic以前から十分に魅力的なプレイヤーであり、Fnaticで試行錯誤を繰り返す中でも常にプレイヤーとしての魅力に溢れる内容を残し続けました。

既に強く、美しく、魅力的で、悪い個性も持っていません。あとは勝てるプレイヤーになれるかだけです。が、それはチーム事情というものがありますから、ti8では難しいという話にどうしてもなってしまいます。残念なことに、abedは旅に値しますが、Fnaticは旅に値しません。




・raven

異常者、無敵のravenです。

ravenが無敵だったのはもう思い出せません。失敗を恐れるようなそぶりを見せないにもかかわらず、失敗を回避する為の異常とも言えるロジックを持ち、得られるものは少ないけれど、失うことは決して無いというタイプのポジション1です。

このタイプのポジション1は、確固たるものを持つ強いポジション2と組む事で生きるのですが、TNCはポジション2をKUKUからarmelに変更するなど少し迷走してしまい、ravenの強さは生きていません。特に1437を放出してからのTNCは迷走してしまい、ravenの輝きも若干色褪せてしまいました。

とは言え、一年通じてどのリプレイを見てもravenは外れの無い挙動をしており、全てのポジションを顧みても、世界で一番失敗率の低いプレイヤーです。ravenを見る為にTNCを見よう、という話には決してなりませんし、TNCがravenで勝つという事は滅多と起こりませんが、それでもravenは世界最強のポジション1の一角を成しています。世界中の誰もがみんな迷走して消えていた最悪の一年において、ずっと強かったというだけの理由の星三つです。





◆星2

・fata-

pos3転向後に精彩を欠いたs4と比較すると、ブランクがあったにもかかわらずpos3に転向した瞬間から素晴らしかったfata-の特別さが際立ちます。この一年間のsecretはサイコロの出目が良くて身の丈以上に勝ちすぎていたというのが私の見立てなのですが、少しかみ合えば勝ちまくれるだけのチーム力が間違い無くありました。それを支えていたのは他ならぬfata-です。

現代に蘇ったside solo carryとしてACEが運用される中でfata-はtri lane hitterを務めていたわけで、その運用に耐えうるプレイヤーパワーと、その運用に耐えうる信頼感があったからこそsecretというチームは成り立っていたのです。この一年間通じて最後まで決して失速しなかったsecretの快進撃は、fata-の確かさによって支えられていたのです。


・fade

一年通じてfadeは強いというリプレイを残し続けたプレイヤー。チームの勝ちに繋がっていないではないかという部分は中国予選という特殊な事情があるが故であり、過疎化が進み衰退する一方の中国という地域においては唯一と言ってもよい明るい話でした。2-1-2になってプレイヤーとしての個性が失われたように見えるのは残念です。多くのpos4pos5が2-1-2になって魅力を失ったのと同じように、2-1-2になって違いが作れなくなったのが気がかりですが、バージョンの問題だと思います。


・ラムゼス666
Liquidと共に世界最強チームとしてこの1年間のdota2シーンを牽引したVPが誇る最強プレイヤー。ただし、星4筆頭に置くには、強い違和感があったので星4筆頭には出来ず、気がついたら星2の筆頭になっていた。これはラムゼス666の責任ではなく、何故かラムゼスがpickerをやって迷走してしまったというVPのチームマネジメントの犠牲者。


まず第一に、VPが強かったのはラムゼスの強さによるものではない。VPが強かったのは、VPこそが世界で最も洗練されたチームであり、他のチームとはレベルの違う戦略と連携を持ったチームだったからである。ラムゼスは世界最強のポジション1の一人ですが、他の世界的なポジション1よりも上というわけではない。素晴らしい個性を持っているものの、VPその個性を完全に殺す戦略を選択している現状では、ラムゼスは特別な魅力のない平凡なプレイヤー。

pickerを担当する度にVPに暗黒時代をもたらした過去を持つにも関わらず、何故か今もVPのpickerはラムゼスであり、ずっとpickが酷い。ラムゼスが必要以上に悩んでしまったという要素は見え隠れするものの、pick&banの酷さはラムゼスの責任ではなく、チームマネジメント側の問題だとは思う。



この一年間世界で一番勝ったチームは確かにVP。けれどもそれは、世界中のチームがマネジメントにより迷走していたが故。SumaiLがpos3をやったり、レソリュを追い出すコーチが居たり、チームの功労者に対する論功行賞でワーストプレイヤーを用いたり、そういった外部的要因がなければ、VPはここまで勝てなかったと思う。事実2018年の8月においてVPは世界最強の一角から既に陥落してしまっている。



この1年間のラムゼスに星4はおかしいよね。この1年間のラムゼスに星3はおかしいよね、という話に自分の中ではなってしまった。確かに星4のポテンシャルはある。けれどもこの一年間は違った。ti8のプレイヤーレビューを書き始めるまでは、頭の中ではラムゼスを星4筆頭に書くつもりだった。けれども、ti8用の下調べで色んなリプレイを見て、冷静に一年を振り返りながら考えてみると、ラムゼスを星4筆頭に置く事は出来なかった。

ここ数ヶ月、VPの状態は非常に悪い。「ラムゼスで勝った」と言えるパターンが皆無に等しいので、とにかくpickerを変えて欲しい。今のラムゼスは、自らの歴史に残るキルプレイヤーという特性を押し殺すpickしかしない。悩みに悩んで工夫と努力をしているのは見て取れるのだけれど、全て悪い方に努力してしまっている。努力の方向音痴。pickerを変えない限りラムゼスの復活はありません。僕等はラムゼスに飢えています。




・ghg

この人もバージョンとkurokyの犠牲になったように見えた一年間でした。特に2-1-2が固定化されるゲームになってから、ghgが他のプレイヤーとの違いを作っていた部分の多くが死んでしまい、本人の能力とは外れたところで一時の輝きを失ってしまいました。

Liquidは一年通じて強かったわけではありませんが、常に世界最強チームとしての役割をぎりぎり果たすところには達しており、ghgはその力強さを支える大きな要素でした。世界最強のポジション4として、cr1tやfadeやヤプゾルに追いつかれないようにしていただきたいです。その為にはまずpatchかな、とも思います。外部要素ですね。現在のバージョンは明確に向いておらず、レーンでちんたら2on2をやるべきプレイヤーではなさそうです。




・maybe

maybeはずっとmaybeであり、強くも弱くもあったのですが、シーズンの最後も最後でやっとこさ、LGDは勝てるチームへと生まれ変わりました。トップシーンにおけるワーストプレイヤーであるyao先生を使うなどという意味不明なチームマネジメントの犠牲者でした。

maybeに関しては特に何も無いでしょう。歩いて行くだけで地球上の全てのプレイヤーが吹き飛んでいた時代の感覚が完全に染みついており、現代シーンにおけるmaybeは、強いは強いものの世界で一番雑なプレイヤーでしかありません。

とは言え、LGDの復活に際し、china pubの覇者だった頃に培ったmaybeの個性がポジティブに働いたこともまた確か。LGDの快進撃は現代シーンにおいてはマイナスにしか働かないと思われていたmaybeという個性によって成し遂げられたものです。なお、昨年のプレイヤーレビューの段階で既にわたしはmaybeを、上にはSumaiLしか居ない中国最強のポジション2として記述しています。世界中誰1人としてmaybeのことなんて完全に忘れていましたが、maybeはずっとmaybeだったのです。dendi時代を終わらせるはずだった中国が遂に手に入れた真の才能は、天下を取り損ねた今も尚、幸いにして強さを意味するIDです。



・pj

北米のチームが悉く弱体化したという外部要因こそあれ、2018年にpjが五指に入るポジション1になると誰が想像していたでしょうか。dota2シーンの過疎化と地盤沈下を嘆く前に、pjの素晴らしさを称えるべきです!

kurokyとlodaの時代を終わらせるはずだったpj、13baby、dendiの中で筆頭に位置していたはずのpjは、dendiの天下が終わっても尚も世界で戦えるプレイヤーとして世界中を放浪しています。ppdを勝たせたpjというよりは、pjを勝たせたppdという要素が色濃いのが癪ですし、pos1としての挙動は没個性な事大主義者でしかありませんが、pjがそれだけに留まらないプレイヤーであった事は私達が知っています。一年通じて安定したリプレイを残し続けたことにより、pjの世界的名手としての地位はもはや揺るぎないものになったと言っていいでしょう。ローカルレベルの最強プレイヤーでもなければ、往年の名手でもありません。2018年にも関わらず、今や世界のpjなのです。




・iceiceice

低迷どころの騒ぎではない低迷は過去です。シンガポールが世界に誇る変態プレイヤーは復活を遂げました。かつての世界最強pos3、DK dreamteamのベストプレイヤー、iceiceiceです。アジアチャンピオンシップで優勝したのは大会期間中のpatchというvalveの言語道断の所業によるものであり、iceiceiceどうこうという話ではありませんが、それを除いてもiceiceiceは世界的な名手としての地位を取り戻したように見えます。

iceiceiceは個性としての不安定さを内包しているが故に、LoL化してしまった現在のバージョンは彼の個性がプラスに働くバージョンではありませんが、それでも十分な強さがあります。




・ori

ポジション1としての拒絶者が完全に行き詰まっており、折を見てポジション2に転向すべきなのですが、残念ながらviciのポジション2には世界的なプレイヤーが居ます。oriです。「中国人は誰もdota2なんかやらない」という現実の中で中国に強いタレントが生まれなくなって久しいですが、本格化したoriは世界で勝てるプレイヤーになりました。長い経験によりpickプールも広がって、以前のような制約もなくなり、ライバルの武器を奪う為のpickや、有利キャラをかぶせるpickもそつなくこなせるようになっています。

中国予選という特殊事情から、常に国際大会に辿り着けたわけではありませんが、ori自身は安定して強かったし、2-1-2化したバージョンでも十分な強さを保ち続けていました。




・nb

ameにしようと思ったのですが、このプレイヤーレビューは2017-2018シーズンのプレイヤーレビューです。LGDは実働半年、Mineskiは一年間ずっとそれなりに強かったです。「ポジション5で勝てないバージョン」になって久しいdota allstarsですが、ポジション5で負けるチームが多い中でMineskiのnbはチームから絶対的な信頼を置かれており、Mushiとiceiceiceが立案したであろうMineskiの特殊な戦略に花を添え続けました。「dotaはポジション5で勝てるゲーム」というあの頃のdota allstarsに最も近い位置でプレイし続けた一年でした。



・レソリューション

ご存じ光武帝レソリューション。一年通じてのプレイヤーレビューに、実働3ヶ月で乗り込む男。「これはdota2史上最悪のシーズンとなった、2017-2018の一年間のレビューだから」というこれまでの言い訳はなんだったんでしょうか。

昨年のti7の時点では、同時代のライバルが完全に不在で、歴史に挑むフェイズにあったレソリューションでしたが、チームマネジメントの犠牲となって行方不明になり、"最悪の一年"を象徴するIDとなってしまいました。最終的にはでたらめなコーチに愛想を尽かしてチームを離脱。移籍先のVGJSで輝きを取り戻し、VGJSを世界的なチームへと生まれ変わらせ、ti8の出場権を北米予選一位で獲得してしまいました。

現在はVGJSでポジション1と2を兼任しており、ポジション2においては世界のトップには見劣りしてしまいます。ポジション1は流石に素晴らしいですがポジション1で勝てるバージョンでもなく、尚且つmiracle-の方が強いという現実が待ち受けてしまっています。帝国は滅んで、歴史は遠く、天下はどこにも見えません。








ということでThe International 8のプレイヤーレビューでした。

2017-2018シーズンは世界中のチームが滅茶苦茶になる最悪の一年だった為、現在のシーンを反映したものではありません。この一年間が歴史上最も退屈でつまらない最悪の一年だったのは疑う余地のない事実ですが、幸いにして今はそうではありません。茶聖kurokyは茶道具を投げ捨て刀を手に取り、ti8を目前にして世界中で再編がなり、「今は面白いんだよ」と言える状況が出来ました。dota2シーンを見始めるには、今日が吉日であります。


繰り返しますが、このプレイヤーレビューは2017-2018シーズンの貢献度を元に書かれたレビューであり、2018年の8月の実情を反映したものではありません。

2018年7月28日土曜日

デトネーター江尻勝は何故eSports詐欺に手を染めたのか。

デトネーターが「本気でThe Internationalを目指す」と言って作ったdota2チームのメンバーを見て、私は目を疑いました。デトネーターが作ったチームは、喩えるならば高校の県大会レベルのチームであり、The Internationalを目指すチームなどとは口が裂けても言えない低レベルなチームだったからです。

わたしは、すぐに理解しました。
誰かが、誰かを、騙しています。
誰かが、誰かに、騙されています。

そうでなければ、「本気でThe Internationalを目指す」と言って、高校の県大会レベルでしかないチームを作るわけがありません。誰かが、誰かを騙しています。これは、eSports詐欺です。では、誰が誰を騙しているのでしょうか。考えられるパターンは次の3つです。

1, デトネーターが吉本興業を騙している。
2, コーディネーターがデトネーターを騙している。
3, 吉本興業とデトネーターがスポンサーを含めた一般人を騙している。

デトネーターの行った、あるいは巻き込まれたeSports詐欺が、上記の何れの結果によるものなのかを解き明かすのがこの文章の目的です。



dota2のeSportsは、いくつかの点において、他のeSportsとは違っています。
1,リーグが存在しない。
dota2にはリーグ戦がありません。リーグ戦はプレイヤーに対して出場権を保障してくれます。マンチェスターユナイテッドやアーセナルに所属していると、プレミアリーグの試合に出場する事が可能です。けれども、dota2にはリーグ戦が存在しない為、予選を突破しない限り国際大会に出場することは出来ません。
リーグ戦というプレイヤーに対して出場権を保障するシステムが存在しないことにより、強くなり続ける為のプレイヤーの入れ替えを怠ったチームは強いプレイヤーに見限られ、強いプレイヤーは数か月単位で勝てそうなチームへと移籍して行きます。
2,国籍の縛りが存在しない。
dota2には国籍の縛りが存在しません。北米予選を突破し続け、国際大会の常連だったcloud9というチームには、北米のプレイヤーが1人しか居ませんでした。また、Immortalsというチームに至っては、韓国人5人という構成で北米予選を突破し、韓国人5人なのに北米代表として国際大会に出場しました。
3,特定の国が強くない。
dota2には、強いプレイヤーが集中して存在している地域が存在しません。唯一の例外は中国ですが、それ以外の国において、単一国籍で成功しているチームは存在しません。

リーグが存在せず、
国籍の縛りも存在せず、
特定の国が強くない。
これが、dota2のeSportsの特徴です。
その為、プレイヤーの移籍が非常に流動的です。
流動的であるが故に、強いチームを作りたければ簡単に作れます。では、なぜデトネーターが強いチームを作らなかったのかというと、デトネーターには強いチームを作る気など更々なかったからに他なりません。


次に、デトネーターが「本気でThe Internationalを目指す」と言いながら、喩えるならば高校の県大会レベルのチームを作った、東南アジア地域の2017-2018シーズンを、具体的に見てみましょう。
次に記載するのは世界大会の東南アジア予選の決勝戦です。
左が勝利チーム、太字がMineski、TNC、Fnaticのアジア3強です。
2017年 9月12日,  Mineski 対 Execration, PGL ブカレスト
2017年 9月17日,  Mineski 対 TNC, SLiL3
2017年 9月24日,  HappyFeet 対 Clutch, ESL one ハンブルグ(注1)
2017年 9月27日,  Mineski 対 Fnatic, Dota PIT
2017年 9月30日,  Mineski 対 TNC, Perfect World Masters
2017年 10月29日,  WGUnity 対 Execration, ROG MASTERS
2017年 11月 5日,  Mineski 対 TNC, Captains Draft 4.0
2017年 11月12日,  Fnatic 対 Mineski, Summit 8
2017年 11月15日,  TNC 対 Mineski, MDL マカオ
2017年 11月18日,  Fnatic 対 TNC, DreamLeague 8
2017年 11月28日,  Mineski 対 Fnatic, Galaxy Battles II
2017年 12月12日,  TNC & HappyFeet, WESG(注:単一国籍制限大会)
2017年 12月22日,  TNC 対 Clutch, ESL One ゲンティン
2018年 1月12日,  Mineski 対 TNC, SLiL4
2018年 1月12日,  Fnatic 対 TNC, ESL one カトヴィツェ
2018年 1月15日,  TNC 対 Execration, Bucharest Major
2018年 1月18日,  Fnatic 対 GeekFam, GESC インドネシア
2018年 1月25日, デトネーターがdota2チームを結成。
2018年 2月 9日, Mineski TNC, Asia Championships 2018
2018年 2月12日, Mineski 対 TNC, EPICENTER XL
2018年 2月14日, Fnatic 対 Execration, DreamLeague 9
2018年 3月 7日, 吉本興業株式会社と提携して吉本デトネーターになる。

吉本デトネーターが出来るまでの、東南アジア予選の結果です。2017-2018シーズンの東南アジアは、Mineski、TNC、Fnaticのアジア3強が、国際大会の出場権をほぼ全て独占しました。東南アジアのチームでThe International 2018の出場権を獲得したのも、Mineski、TNC、Fnaticのアジア3強でした。

東南アジア3強は、全てが複数国籍チームです。
Mineski
マレーシア
マレーシア
シンガポール
タイ
フィリピン
吉本デトネーターと同じように、フィリピンに拠点を置く東南アジア最強のMineskiは、かつては全員フィリピン人のプレイヤーで構成されていましたが、アジア予選を突破する事すらままならず、国際大会で大きな実績のあるプレイヤーを世界中から掻き集め、4度に渡ってプレイヤーを大きく入れ替える事により、やっとのことで強くなり、国際大会初優勝を果たしました。
TNC
フィリピン
フィリピン
フィリピン
フィリピン
カナダ→フィリピン
結成して一週間しか経過していないチームから主力プレイヤーを引き抜いて解散に追い込むなど、ルール無用のdota2シーンを象徴する強引な補強を繰り返し、ライバルチームを4つも崩壊させながら完成したTNCは、今年の1月26日にカナダ人をフィリピン人に変えて以降、現在のdota2シーンにおいては異色とも言える単一国籍チームを実現しましたが、低迷中です。
Fnatic
カナダ
フィリピン
マレーシア→米国
スウェーデン
フィリピン
Fnaticは、世界最強carryのカナダ人を筆頭に、国際大会で実績のあるプレイヤーを複数獲得し、北米へと流出していたフィリピン人を東南アジアに呼び戻す事によって東南アジア3強の末席に滑り込むことに成功しました。現在はマレーシアに拠点を置いているにもかかわらず、唯一のマレーシア人をアメリカ人に変更してしまった為に、マレーシア人が1人も存在しないチームになっています。

東南アジアに拠点を置いて、The Internationalを目指すならば、上記の3チームに勝てるチームを作らねばなりません。それは、デトネーターが結成された2018年1月15日の時点でわかっていたことです。ところがDeToNatorが作ったdota2チームは、箸にも棒にもかからないレベルのチームでした。
では、デトネーターが本気でThe Internationalを目指すには、どうすればよかったのでしょうか。わたしは対案の存在しない言いがかりを付けているのではありません。実は、デトネーターにその気があれば、デトネーターはThe Internationalに出場出来たのです。


The International8の出場権を獲得した16チームの中に、2017-2018シーズンをアマチュアチームとして戦っていたチームが2つあります。デトネーターが、そのうちのどちらかをスポンサードしていれば、デトネーターはThe International 8に出場出来ていました。

1つはThe Direという北米に拠点を置くチーム。
2017年9月26日に、OpTicとしてプロになっています。
もう1つはFlyToMoonというCISに拠点を置くチーム。
2018年6月20日に、Winstrikeとしてプロになっています。

デトネーター結成が1月15日。吉本デトネーターが3月7日ですから、現OpTicをデトネーターが所有するチャンスは存在しなかったと言っていいかもしれません。けれども、FlyToMoonというアマチュアチームがプロ化したのは6月20日。デトネーターがFlyToMoonを獲得していれば、デトネーターはThe International 2018に出場出来ていました。

FlyToMoonを所有する為のコストとして、各国の最低賃金を見てみましょう。FlyToMoonは3人のロシア人と、2人のウクライナ人から構成されている多国籍チームです。
フィリピンは月給1万1604円。
ロシアは月給1万1804円。
ウクライナは月給1万5546円。
日本は月給12万6000円。
フィリピンとロシアの賃金水準はほぼ同じです。ウクライナは少し上ですが、日本よりも遙かに賃金水準の低い国です。もしもデトネーターが、本気でThe Internationalを目指すつもりがあるのならば、彼らがFlyToMoonを所有する事は簡単だったということがわかります。
デトネーターがdota2チームを作ったのは最激戦区の東南アジア、それも弱いフィリピン人を雑に集めた目も当てられないような酷いチームでした。TNCというフィリピン人のチームが強いのは、3年以上の歳月をかけて、ライバルチームを4つも崩壊させながらフィリピン最強プレイヤーを強引な手法でかき集めたからです。もうフィリピンには世界で戦えるプレイヤーは残っていません。
もしもデトネーターに、dota2のeSportsを真面目に行う気があったのならば、彼らがチームを作る地域は、世界中から名だたるプレイヤーが集まり、アジア3強によって完全に支配されてしまっている、最激戦区の東南アジアではなく、最も予選レベルの低い地域であるCISだったはずです。
また、デトネーターは2月15日に、julzというプレイヤーを獲得しました。このjulzというプレイヤーは、一言で言うと酷いプレイヤーです。現代シーンにおいては、国際大会というレベルではなく、アジアレベルにおいても獲得するべきではないプレイヤーです。
真面目にdota2のeSportsをやろうというチームが補強として獲得するようなプレイヤーではありません。補強としてjulzを獲得したという事実だけを持っても、デトネーターに真剣にeSportsをやろうという気が無かったことは明らかです。

最初に説明したとおり、dota2の世界ではプレイヤーが流動的に移籍し続けます。世界的な名手であっても、新しいプレイヤーに押し出される形でチーム構想から外れ、フリーエージェントとなるプレイヤーが大勢出ます。
1月5日にデトネーターがdota2への参戦を発表して以降を見ても、世界最強のcarry兼midと、世界最強のポジション3がフリーエージェントになりました。世界最強のcarry兼midを獲得したチームは、世界最強のcarry兼mdiを獲得したというだけの理由でThe International8の出場権を確保し、世界最強のポジション3を獲得したチームはThe International8の東南アジア予選を一位で突破しました。

dota2シーンは非常に単純な世界です。
強いプレイヤーを補強する。

それ以外に大事なことはありません。
デトネーターにその気は全くありませんでした。
上記の2人以外にも、The Internationalで準優勝したmidや、The Internationalで3位になったmid。さらにはThe Internationalで準優勝したキャプテンや、全てのポジションで実績のある元世界最強carry、歴史上最強候補のポジション4などをはじめとして、各サーバーのMMR一桁プレイヤーが大勢フリーエージェントとして長期に渡り所属チーム無しの状態で存在しており、幾らでも獲得可能でした。そんな中でデトネーターが獲得したのはjulzという、話にならないプレイヤーでした。
結果として「デトネーターにeSportsに真面目に取り組むつもりはない」という事が誰の目にも明らかとなってしまい、真面目にdota2をやりたいと願うプレイヤーの離脱を招き、元々アジアはおろかフィリピンで戦う事すら困難なレベルでしかなかったデトネーターは、僅か3ヶ月で崩壊しています。

このような事実から、dota2シーンを見続けてきた人間にとっては、デトネーターが、真面目にdota2に取り組む気が無かった事は明確です。デトネーターがdota2チームをフィリピンで作ったのは、誰かが誰かを騙そうとした結果であり、誰かが誰かに騙された結果なのです。


さて、誰が誰を騙したのでしょうか。
デトネーターは、誰が誰に騙されて出来たチームなのでしょうか。

1,デトネーターが吉本興業を騙す為に作った。
まず考えられるのは、デトネーターが吉本興業から金を引き出す為に作ったという説です。吉本興業はアジア地域で商売を展開しています。一方で、ロシアやウクライナは活動していません。dota2のチームを所有するのに最も適している地域であるCISではなく、最も不可能性を孕んだ地域であるフィリピンにデトネーターが作った理由は、「吉本興業からお金を引き出す為」という解釈をすれば合点が行きます。吉本興業からお金を引き出す為には、吉本興業が活動している地域にチームを作らねば成りませんでした。その為に選ばれたのがフィリピンだったのです。
デトネーターが、吉本興業という金づるから現金を引き出す為に作られた。
これが第一の説です。

2,吉本興業とデトネーターがスポンサーを騙す為に作った。
デトネーターが吉本デトネーターとなる発表が行われたのは、DeToNator dota2が結成されてから2ヶ月後です。けれども1月の段階で既に吉本興業とデトネーターは提携するという話がついていたのかもしれません。そうであるならば、吉本興業が主体となってデトネーターと共謀し、dota2シーンに関する知識を全く持たない無知な日本人とスポンサーを騙し、「賞金20億円の大会があるゲームのEスポーツチーム」として、世間の注目と、金を集める為に、低賃金のフィリピン人を5人集めてチームを作った、というのであれば筋が通ります。
吉本興業が、無知な日本人とスポンサーを騙す為に作った。
これが第二の説です。

3,コーディネーターが吉本興業とデトネーターを騙した。
デトネーターの江尻勝代表は、dota2には詳しくなさそうです。尚且つ、過去に私よりも弱いレベルの日本人を集めてチームを作り、「本気でThe Internationalを目指す」と言ってることからもわかるように、dota2に関するリテラシーを全く持っていない事は明らかです。その上で、今回フィリピン人5人によるDeToNator DOTA2が出来るに際し、コーディネーターが存在していた事が告知されています(注2)。コーディネーターがスポンサーに役に立たない選手を売り込むというのは、様々なスポーツで日常的に見られる光景です。江尻勝のリテラシーからして、簡単にだませそうです。
コーディネーターが、無知な江尻勝を騙して金を稼ぐ為に作った。
これが第三の説です。

4,江尻勝がまぬけだった。
私はデトネーターの江尻勝代表という人について全く存じ上げていませんが、江尻勝という人が稀に見るうつけである可能性があります。
うつけというのは、バカという意味です。世界はおろかアジアでも全く通用しないレベルのチームをフィリピンに作り、補強としてjulzを獲得したDeToNator dota2というチームが、本気でdota2シーンで戦えると思い込んでいる正真正銘のバカである可能性が僅かに存在します。流石に、そんなにもまぬけな人間が存在しているとは思えないので、このケースはまず無いとは思います。誰1人として、騙しても、騙されてもいない、唯一のパターンです。
江尻勝が超弩級のまぬけだった。
これが第四の説です。



さて、真相はどうなのでしょうか。
誰が誰を詐欺にかけたのでしょうか。
わたしは、「デトネーターが吉本興業を騙す為に作った」なのではないかと思っています。フィリピンの最低賃金は日給410円と極めて低いです。また、DeToNator dota2には、世界レベルはおろかアジアレベルのチームが欲しがるようなプレイヤーすら1人も居ません。吉本興業から少しの現金を引き出すだけで、十分に黒字になるでしょう。
その為には、吉本興業が商売を展開している地域にチームを作る必要があり、だからこそ、フィリピンという、少しでもdota2シーンを知っている人間からすれば、絶対に有り得ない地域にチームを作り、julzという少しでもdota2シーンを知っている人間からすればありえない補強を行ったのだと考えられます。
dota2にはリーグ戦が存在しないため、参入障壁が一切存在しません。作りたいと思えばその瞬間にチームを作る事が出来ますし、国際大会で優勝を成し遂げたアマチュアチームも複数存在します。The International 2017で優勝し、現在も世界最強チームとして知られているTeam Liquidも、Liquidになる前の段階で、アマチュアチームとして国際大会で優勝しています。
「プロチームを作りました」と宣言するだけで、作れてしまうのがdota2なのです。故に、吉本興業から「私達はeSportsをやっています」と、お金を引き出す為の道具として、dota2が選ばれたのでしょう。


もちろん、違うかもしれません。
デトネーターが吉本興業を騙したのではなく、吉本興業がデトネーターを利用してスポンサーや無知な日本人を騙したのかもしれませんし、デトネーターはコーディネーターに騙された被害者なのかもしれません。あるいは、デトネーター江尻勝氏が、すごいまぬけだっただけなのかもしれません。




さて、最後に少し話は逸れますが、アジアに拠点を置いて真面目にeSportsをやろうとしたチームが幾つか存在していたことだけは記述しておきたいと思います。
それは、TNC Tigersと、Entity Gamingです。

TNC Tigers
TNC TigersはTNCの2ndチームであり、The International 8の東南アジア予選でTNCを後一歩の所まで追い詰めましたが僅かに及ばず、ti8出場権を逃しています。
ベトナム人、インドネシア人、マレーシア人、シンガポール人、そしてTNCから放出されたカナダ人という構成で、東南アジアサーバーのMMR一位プレイヤーをはじめとして、将来有望な実力のあるプレイヤーと、The International3位という実績のある、かつての世界最強ポジション3兼midを、TNCでキャプテンを務めていたカナダ人に率いさせた構成です。真面目にeSportsをするとはどういうことなのかを体現した素晴らしいチームでした。
Entity GamingEntity Gamingはインドに拠点を置くチームであり、元々は全員がインド人のチームだったという時点で、成り立ちはDeToNatorに近いものがあります。彼らがDeToNatorと違ったのは、国際大会を目指す為には何をすればいいかをきちんと理解していたことであり、国外からプレイヤーを招き続け、今年のThe International 8の予選を戦った段階では、ドイツ人、スロベニア人、デンマーク人、デンマーク人、フィリピン人という構成でした。
過酷な東南アジア予選を勝ち抜く為に、違うサーバーの強豪プレイヤーをインドに呼び寄せて、真剣にdota2のeSportsをやっていた素晴らしいチームですが、2位までが出場権を獲得出来るThe International東南アジア予選ではTNC Tigersに敗れる形で4位に終わり、ti8出場は叶いませんでした。

同じ東南アジアのチームでもこのように、真面目にeSportsをやろうというチームが存在する一方で、eSports詐欺でしかないチームが2018年にもなって大々的に飛び出してくる日本という国が、日本人としてとても恥ずかしいし、情けないです。




真相は藪の中ですが、デトネーターがdota2というビデオゲームを道具として用いるeSports詐欺に手を出したか、あるいは被害にあった事は確かです。憤りこそ感じませんが、それはそこはかとなく、なんとなく、とても残念なことでした。まるでEスポーツみたいに。


(注1)唯一アジア3強が全て東南アジア予選で敗れたESL one ハンブルグは、出場権を獲得したHappyFeetがビザ問題から出場を辞退し、Fnaticが代替出場しています。(HappyFeet weren't able to attend the event due to visa issues. They were replaced by Fnatic.)

2018年7月26日木曜日

強くなる為に必要なことと少しの誇張

僕が4K.Grubbyを知った時、彼は既にせかいの頂点に居た。
けれども、今ほど高い位置に居たわけではなかった。




その頃のGrubbyはdeadmanというロシア人と欧州最強の座を争っていた。

deadmanという人間は一言で言うと犯罪者だ。
プロになるまでに幾度となくチートを使い、何度もBANされたという経歴を持つ、筋金入りの極悪人だ。当時から今に至るまで、世界中のWarCraft3プレイヤーから嫌われまくってきたプレイヤーであり、WarCraft3界における最大の悪人である。だから僕はdeadmanがもの凄く好きなのである。。

対するGrubbyも素行不良で有名なプレイヤーだ。各地のBBSでやんちゃをしたり、チャットで自分から喧嘩を仕掛けたり、気に入らない戦略に対して人格批判という対抗策を用いたり、相手がちょっとした挨拶のつもりで言った言葉に罵詈雑言を返したりと、行儀の良い人間ではない。だから僕がGrubbyがもの凄く嫌いなのである。



当時世界の頂点にいたGrubbyとdeadmanという2人のバカは、いくつかの重要な大会の重要な試合で何度か闘った。世界中のゲーマーの、チーターに対する強い怒りと憤りから生まれた野太い声援を背に受けたGrubbyは彼らの期待に応える形で、毎回々々deadmanを粉々に粉砕し続けた。それはもう、完膚なきまでに。4K.Grubbyの伝説は、deadmanの息の根を止めた英雄として始まったのである。

それからというもの、deadmanは鈍く輝く事しか出来なくなった。deadmanがチートを使ってまで強くなり、勝ち続けることで溜め込んだ貯金を全て、Grubbyが持ち去ってしまったのである。





Grubbyの所属する4Kというチームは当時、それほど強いチームではなかった。5対5のチーム戦で行われるWarCraft3Leagueという大会において、4Kは3勝2敗という際どいスコアを繰り返し、時として2勝3敗という形であっさりと、格下のチームに敗れて負けた。
何故ならば、当時の4KはGrubbyのワンマンチームだったからだ。




それでも4Kは勝ち続けた。
いや、Grubbyは勝ち続けた。
リーグ戦ではそれなりに負けていても、プレイオフではGrubbyが絶対的な強さを発揮して、1vs21で1勝、2vs2でも1勝と、Grubby1人で2勝をあげ、残りの3試合で誰かが勝てばチームは勝利するという状況を作り出し続けた。


そして、4Kは栄光を手にし続けた。
いや、Grubbyは栄光を手にし続けた。




そんな4Kには、「Grubbyだけのチーム」という嘲りが常に付きまとっていた。

当時の2vs2におけるGrubbyのタッグパートナーは素人目に見ても明らかに、もの凄く弱いプレイヤーで、プロリーグで優勝を狙うようなチームでプレイする実力が無かった。けれども、Grubbyはその誰よりも弱いチームメイトと共に、「2vs2でも世界最強はGrubbyだと誰もが認めざるを得ない勝利を記録し続けた。誰もGrubbyを止めることは出来なかった。



ある時、チームメイトの試合をインターネットで観戦している歓談の中で、共に観戦していたプロゲーマーの1人が言った。

「4Kのメンバーは楽で良いよな」
「3試合に1勝するだけで金が稼げるんだから」

Grubbyは激怒した。本当に怒っていたのかどうかは知らない。けれどもGrubbyはしばらくの間、チームメイトをえらい剣幕で褒め続けた。僕はますますGrubbyが嫌いになった。




ある時、同じようにGrubbyがチームメイトの試合を観戦していると、共に観戦していたプロゲーマーの一人が言った。


「(2vs2のGrubbyのタッグパートナー)は、弱い」

Grubbyは即座に言い返した。
「彼は世界で最も優れた2vs2プレイヤーだ」
「証明してやるからこのあとすぐに対戦しろ」

そこには、Grubbyのタッグパートナーもいた。
僕はますますGrubbyが嫌いになった。






それからしばらくして、MaD_Frogというプレイヤーが世界の頂点に躍り出た。

韓国に招待されたMaD_Frogは、欧州よりも遙かにレベルが高い韓国の並み居る強豪を相手に奇跡的な成績を収めて欧州へと帰国した。それは文字通り、凱旋帰国だった。




誰もがMaD_Frogの時代が来たと考えた。

欧州に舞い戻ったMaD_Frogは鬼神の如き強さで勝ち続けた。当時MaD_Frogのゲームを観戦していたプロゲーマーの一人が動揺して「どうやったらMaD_Frogに勝てると思う?」と皆に問うたが、誰一人として言葉を返せず、黙り込んでしまった。まるでグロ画像のような強さだった。通夜のような重い沈黙が欧州を覆った。




MaD_Frogと対戦したプロゲーマーの一人は試合の半ばで心が折れて、「ちょっと待ってくれ、どうやったらMaD_Frogと戦うことが出来る?」とMaD_Frog本人に問いかけてしまう程だった。当時のMaD_Frogは、対戦相手に戦う事すら許さないほどの、圧倒的な純然なる暴力で満ち溢れていた。かつては世界最強を争った欧州トップのプロゲーマーを向こうに回し、コールドゲームで勝ち続け、相手の心を折り続けた。






悪夢の到来であった。

誰もが思った。

Grubbyの時代は終わった。
deadmanという巨悪を葬った英雄の時代は、
あっという間に過ぎ去ってしまったのだと。




MaD_FrogとGrubbyのどちらが強いかなんて、誰も語ろうとはしなかった。やる前から、結果は既に見えていた。MaD_Frogは圧倒的で、Grubbyはただの人だった。僕らはMaD_Frogという伝説の目撃者だった。


両者は遂に相見えた。
それも、大きな大会の決勝戦で。




試合形式は3本先取。

人々が注目したのはどちらが勝つかのかではなく、MaD_Frogがどのようにして勝つのかだった。いつものように相手にゲームをプレイさせないまま、試合として成立させずに勝ってしまうのか、Grubbyが辛うじて試合としての体裁を保つ事が出来るのか。それだけが注目されていた。MaD_Frogの優勝は約束されていた。




Grubby対MaD_Frogの幕が開けた。

MaD_Frogは圧倒的だった。
Grubbyの操るユニットは何も出来ずに片っ端から死んでいった。
Grubbyの操るヒーローは蘇る度に悲鳴と共に昇天していった。

もはやその空気は試合のものではなかった。
偉大なるヒーローの追悼イベントだった。
Grubbyは何も出来ずに一本目を失った。




2試合目もMaD_Frogは同じだった。
韓国という虎の穴を経て完成した強さは本物だった。

Grubbyは第1ゲームと全く同じように、何も出来ないままで負けた。それを見たプロゲーマーの誰もが「明日は我が身」と死に行くGrubbyの姿を怯えながら見ていた。Grubbyに煮え湯を飲まされ続けてきた欧州のトッププロ達は、MaD_Frogと同じ種族を使ってMaD_Frogのスタイルをコピーすれば、自分もGrubbyを小石のように蹴飛ばせるのかもしれないと考え始めていた。

Grubbyは何も出来ずに2本目を失った。




けれども、GrubbyはGrubbyだった。
残念なことにMaD_Frogはその他大勢でしかなかった。

2-0とMaD_Frogが優勝に王手をかけて迎えた第三ゲーム。誰もが目を疑う光景がそこにはあった。Grubbyは凱旋帰国以来、全ての対戦で相手にゲームをさせることなく連勝街道をひた走ってきたMaD_Frogにゲームをさせずに完勝した。何が起こったのかを理解している人は世界中でたった一人、4k.Grubbyだけだった。「まぐれだ」誰かが言った。世界中がそう考えた。




4試合目。
GrubbyはGrubbyだった。
世界中がとろけていった。

あのMaD_Frogが消し飛んで行く。
何も出来ずに負けてゆく。
目の前で起きてる現実を、
誰一人として理解出来なかった。





何よりもそれを理解出来ていなかったのは、MaD_Frog本人だった。負けるはずがないマッチアップ。負けるはずのない相手。事実スコアは2-0。栄光はMaD_Frogの手中にあった。

4試合目の趨勢が誰の目にも明らかになった時、MaD_Frogは言った。
「5試合目はお互いの種族を逆にしてやろうぜ」

OVER。
「なあ、5試合目はお互いの種族を逆にしてやらないか?」

全ては幻だった。
「4K.Grubby、5試合目はお互いの種族を逆にしてやってみない?」








欧州に平和が戻った。
玉座にはGrubbyがいた。
彼はみんなのヒーローとして、何度も何度も大きな大会の重要な試合でゾンビのように蘇っては復活を目指してしつこくしつこくGrubbyまで辿り着き続けていたdeadmanを、毎回ストレートで打ち破り続けた。人々は笑顔を取り戻した。deadman LoL。幸せな時代だった。

1つの悪夢が訪れるまでは。







それは、本物の悪夢だった。
誰もが目を疑った。




プロゲームというのは、過酷な世界である。
試合のリプレイが一瞬にして世界中に広まり、キーボードの細かい操作方法や、作戦の手順、あるいは傾向までが全て筒抜けになる。強いプレイヤーの作戦は世界中のプロゲーマーから研究され、穴を見つけられ、あるいはコピーされて広まる内に誰かが対策を編み出して、あっという間に過去へと飲み込まれ、一人また一人と消えて行く。けれども、Grubbyは消えなかった。それどころかその輝きを失わないままで、過酷な生存競争を生き延び続けた。彼の所属する4kというチームには少しずつ、強いプレイヤーが加わって行った。
他のチームもGrubbyの栄光を黙って見ていたわけではない。
4kというチームはその貧弱なウェブサイトと所属プレイヤーの少なさを見てもわかるように、資金力の乏しいチームだった。Grubbyがいなければ凡百の弱小チームで有り続けただろう。4kはWC3Lで勝ち続けてはいたものの、世界的な強豪プレイヤーを補強する事は出来なかった。

それでもGrubbyはチームメイトの事を「彼は強い」「彼らは強い」と言い続けた。誰もがそれに反論を試みたが、正論は結果の前では無力だった。4kはWC3Lという大舞台で勝ち続けていた。Grubbyは1vs1と2vs2の2勝を4kにもたらし続けていた。




どのような補強を行っても4kの後塵を拝し続けていたライバルチームは遂に、禁断の扉に手をかけた。韓国である。WC3Lは一夜にして韓国人の晴れ舞台と化した。山を越え、海を越え、世界中から化け物共が集結した。第5の種族sprit_moon。100戦100勝sweet。達人remind。あげればきりがない。時差の関係上あまり参加してこなかった国の強豪達も、韓国人の後を追うようにして次から次へとWC3Lに参戦しはじめた。Grubyはそれでも強かったが、4kはあっという間に埋もれ、中堅以下の弱小チームへと落ちぶれた。Grubbyは終わらないにせよ、4kは終わった。誰かが言った。




「ここからが本当のWC3Lだ」
これまでは子供のお遊戯、ここからが本物の戦いだとばかりに人々は胸を躍らせた。




悪夢はそんな時に訪れた。

Zacard。
Grubbyと同じオークという種族の使い手である彼は、韓国最強という称号を手にしていた。韓国最強という称号は即ち、世界最強を意味していた。そして「世界最強オーク=Grubby」という定義の崩壊を意味していた。WC3Lが欧州のリーグから世界のリーグへと変貌を遂げると同時に、1つの時代が終わろうとしていた。




誰もZacardを止められなかった。
人々はZacardをGrubby2.0だと考えた。

事実ZaqcardはGrubbyより操作量が多く、Grubbyよりも繊細で、Grubbyよりも大胆で、Grubbyよりも丁寧で、尚且つGrubbyよりもレベルの高い国でプレイし、多くの修羅場を潜ってきており、Grubbyよりも名のある相手と戦い、そして勝利し続け、それ故に韓国最強の称号を手にしていた。





「Grubbyの時代は終わっていない」
人々はそのようにGrubbyを擁護した。


欧州はGrubby、アジアはZacard。
それでいいじゃないかと、物事を丸く収めようとした。




けれども世界は1つだった。
GrubbyとZacardは同じ大会にエントリーし、同じように圧倒的な強さで勝ち進み、同じように決勝戦へと駒を進めた。オーク対オーク。欧州対韓国。欧州最強対世界最強。


結果は3-0でGrubby。

「どうしてGrubbyは勝ったのか?」世界中で論争が行われた。けれども誰一人としてそれに対する明確な答えを出せずにいた。そうして人々はその3-0という結果を理解する事を諦めた。考えるのをやめたのだ。「Grubbyだから」。他の理由は見つからなかった。他に言葉はいらなかった。

それ以降、それまでは絶対に傷のつかないプレイヤーだったZacardはチームにとって重要な試合で勝てなくなったし、格下のニューカマー相手に頻繁に星を落とすようになった。どこにでもいる凡百のトッププロへと成り下がってしまったのである。魔法は解けて、悪夢は去った。





悪夢は去ったが、4kの死は確定していた。
韓国人の草刈り場となったWC3Lで、他のチームよりも遙かに見劣りする4kの面子が勝ち続けられる可能性は無かった。何よりもエースのGrubbyですら勝ちを計算出来ない強豪プレイヤーが、大勢流入していた。4kのライバルチームは、オフラインで行われるプレイオフ(決勝大会)に韓国人を呼び寄せる事くらい簡単にできるだけの資金力を有していた。4kは終わった。




そう、4kは終わった。
誰もがそう思った。

あの頃は良かった。
人々は昔を懐かしんだ。

けれども終わったのは4kではなく、deadmanの所属するaTだった。




誰がaTを終わらせたのかって?
そんなの、言うまでもないよね。





綺羅星の如きタレントを世界中から掻き集めたaT DreamTeamを終わらせた男。
それが、かの、aT.deadmanだ。




極悪人deadmanを抱えたaTは、deadmanが引き起こす数々のトラブルにより空中分解した。傷心のMaD_Frogが色欲に溺れて行方知れずとなってからも、欧州のトップ戦線で最大の悪役としての地位を保ち続け、Grubbyには相変わらず負け続けていたものの、地味な進化を続けていたdeadmanを欲しがるチームはいくつも有り、すぐに新しいチームへと移籍していった。けれども、deadmanほどの実績を持たない幾人かの同僚の所属は宙に浮いた。




韓国屈指のアンデッド使いaT.FoV。
次第に当確を現しはじめていたフランス人のaT.ToD。

そんな彼らを拾ったチームがあった。
Grubby率いる4kである。




誰も、そう、誰もFoVを止められなくなった。
Grubbyとトレーニングを続けたFoVは4kに加入後、まるで別人のように強くなった。

GrubbyはToDのトッププロという肩書きをもすぐに剥がした。
ToDは世界最強ヒューマンとして名実共に誰もが認める存在となった。

なったのではない。
Grubbyがそうしたのである。




自分よりも遙かに弱く、ライバルチームよりも遙かに安価な選手を率いてWC3Lを勝ち続けてきたGrubbyは、過去のチームメイトとは段違いの才能を所持しているFoVとToDを瞬く間に世界的名手へと成長させ、4kを真の最強チームへと生まれ変わらせた。もう誰も4kを止める事は出来なかった。




先日、WC3Lシーズン8のプレイオフが行われた。

FoVはスケジュールが合わず、4kはFoV抜きでプレイオフに挑んだ。4kのアクシデントはそれだけではなかった。プレイヤーの1人が選手登録後に参加出来なくなり、全5試合で行われるWC3Lのプレイオフで4kは、常に1本を失った状態で始まるという不利を受けた。しかも、GrubbyとToDに続く3人目のプレイヤーであったZeusは、かなり苦しい弱いプレイヤーだった。Zeusが4kに加入したいきさつはよく知らない。あまりWarCraft3の盛んでは無いクロアチアの選手だから、先進国のプレイヤーよりも獲得しやすかったのかもしれないし、操作量の多さを見込んで育てるつもりだったのかもしれない。とにかく、aTの空中分解によって奇跡的に4kに加わったToDやFoVとは違い弱いプレイヤーであり、Zeusが勝ち星を拾える可能性はかなり低かった。


4kが優勝する方法はただ一つ。

Grubbyの1vs1。
ToDの1vs1。
Grubby&ToDの2vs2。

その3試合で勝ちづけること。
2人きりのプレイオフが始まった。





当然の如くGrubbyは勝った。
1vs1は2-0。
2vs2も2-0。
誰も驚かなかった。



そして、ToDは負けた。
4k.ToD 対 mYm.hanbit.Strom。
相手はMYMというデンマークのチームと、habitという韓国のチームが合体して出来たMYM.hanbit。スコアは1-2。選手はStrom。もちろんkorean。誰も驚かなかった。





無論、Zeusも負けた。
相手は当然韓国人。
誰も驚かなかったがフォーラムは荒れていた。
「Zeusは良いプレイヤーだが、4kには相応しくない」
もちろん僕も頷いた。




FoVは招けず、チームメイトが1人現れず、デフォルトで1敗が付き、Zeusは戦力にならない4k。対するMYM.hanbitは出場選手全員が韓国人。現地でブートキャンプをし、万全の体制でプレイオフに挑んでいた。敵はhanbit。即ち韓国そのものだった。WC3Lという巨大な大会のタイトルが、韓国人によって持ち去られようとしていた。




けれども、GrubbyはGrubbyで、WC3LはGrubbyの為の大会だった。

WC3Lのプレイオフはダブルイリミネーション方式。
即ち、一度負けても優勝のチャンスはあった。

4kは当たり前のように決勝戦へと駒を進め、ウイナーズサイドを勝ち上がったhanbitとの決戦に挑んだ。hanbitが1勝すればhanbitの優勝。4kが2連勝すれば4kの優勝。




そして、一戦目。
Grubbyは1vs1では2-1で勝利し、
ToDと組んだ2vs2も2-0で勝った。

4kの命運はToDに託されたはずだったが、後にeSports World Cup 2006ででGrubbyに勝利することになるZeusが、Stromに2-1で勝ち、ToDがプレイすることなくリセットに持ち込んだ。





それはもはや伝説などではなく、ギャグの領域だった。
WC3LはGrubbyの為の大会で、4kにはGrubbyがいた。





グランドファイナル最終戦。
Grubbyは2-0で勝った。
ToDも2-0で勝った。
Grubby&ToDの2vs2も2-0で勝った。
どれも、一方的だった。

海越え山越え訪れて、キャンプまではった高給取りの傭兵達は、4kの2人になにもさせてもあえないままで、WC3Lシーズン8のプレイオフを終えた。

皮肉にも、Grubbyが最も嫌うdeadmanが崩壊させたaTから移籍したToDが、Grubbyに幾つ目かのタイトルをもたらしたのである。欧州で一番の嫌われ者が、韓国から欧州を守ったのだ。まったく、お笑いである。






4k.GrubbyはFoVとToDという、世界最強クラスのチームメイトを手に入れた。けれども、かつてGrubbyが「強い」「素晴らしい」と言い続けてきた、安くて弱いがたまに勝つチームメイトは、もう1人として4kには残っていない。それどころか、WC3Lの優勝メンバーだった彼らは全員、eSportsシーンから完全に消えてしまった。まるで最初からGrubby1人しかいなかったかのように。

いや、事実、4kにはGrubbyが1人居ただけなのだ。
即ちGrubbyはずっと1人だった。
そしてこれからもそうだろう。




4kと他のチームの差違は"Grubbyが居たか、居なかったか"という違いでしかない。10人20人と大量のトップランカーと契約して囲い込んだ有力チームは全て、たった1人の人間に粉々にされてしまったのだ。

もしも仮に世の中に「金では買えないもの」があるとすれば、Grubbyと、Grubby的なものだけだろう。仮に4kにGrubbyが居なければ、資金力のない4kは今でも弱小チームだっただろうし、他のチームにGrubbyが居れば、そのチームがWC3Lを連覇し続けていただろう。




それを思うと、以前どこかの誰かが「強い人と練習しないと強くはなれない」「弱い奴は強い人と練習しても弱いままだ」と言っていたのを思い出さずにはいられない。Grubbyが強いままで居られたのは、4kというチームがその時点で買える範囲の中から最も強いプレイヤーを買い続け、少数精鋭で不要なものを捨て続けてきたからに他ならない。必要でないもの以外は不要であると、捨てられる事こそが強さなのだろう。




不要な物を捨てて。
不要な情報を捨てて。

不要な人を捨てて。
不要な時間を捨てて。

不要なRSSを捨てて。
不要なブログを読むのをやめて。

さあNOW、全部捨てちまいなよ。
全てゴミ箱に放り込んで投げ捨てて。

違う世界違う場所違う人生違うインターネット。そうすれば誰だってGrubbyになれるし、そうした所で誰もGrubbyにはなれやしない。例えば僕が今ここで真性引き篭もりhankakueisuuを投げ捨てたならば僕が失うものは僕だ。grats、Grubby。
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2018年7月18日水曜日

夢の中

夢の中でブログを書こうと持っているはずもないiMacを探し始めたのでこれは夢だと気がついて起きてブログを書いている。ブログを書きたいわけでも、iMacが欲しいわけでもなく、iMacという符号はどこか遠くへ行きたい事を表しているのだろうなどと無駄な考えを張り巡らしてはみるが、どこへも行かず死んでいく。

なにもなし

コンマ一秒を無駄にしないとか、不眠不休不断の努力でだとか、勇ましいかけ声が響き渡るが何も動かずただ冷たくなるばかり。倒すべき鬼畜米英は居てもその向こう、手に入れるべき恒久平和が見当たらず、全ての行動に枷がかかって3日で作られた98円のクソゲーのように狭い世界が見えている。その向こう、その向こう、と言ってはみても、行きたいと思うその向こう無し、ただ平穏に暮らしたいという心もなしなにもなし。

2018年7月15日日曜日

朝の3時間と夜の3時間は違う。

朝の3時間と夜の3時間は違う。朝の3時間は未来を形作る3時間だ。朝は希望に溢れ気力も満ち足りている。朝はやりたいことをやる為の時間であり、成し遂げたいことを成し遂げる為の時間である。夜の3時間は現実を形作る3時間だ。夜は誰もが草臥れている。疲労は脳を重くして、具現化していない自らの夢を現実のものとする創造の力は大きく失われている。夜はルーチンワークで現実を積み重ねて自分自身を高める為の時間だ。草臥れているからと堕落して過ごすのではなく、ゴールの見えない徒労に思える努力を積み重ねることで現実を少しずつ変えていくための時間だ。僕の人生には朝も夜もない。起きたいときに起きて、眠りたいときに眠る。朝の3時間も、夜の3時間もない。ここは人生の明けない夜。土の中に居る。

2018年7月10日火曜日

League of Legendsはなぜ、dota2に完全敗北を喫したのか。

「dota allstarsは死んだゲーム」
有言実行の野望の男はそう言い残して死にました。


















League of Legendsがdota2に勝ち続けていたあの頃を、僕らは今でもときめきと共に覚えています。けれどもそれは、遠く過ぎ去った昔の出来事。これから先、League of Legendsがdota2に勝利する事は決してありません。少なくとも僕はそう思っています。League of Legendsは完全に敗れ去ったのです。輝ける栄光の日々は、もう二度と戻りません。ここからは、dota2の時代です。League of Legendsは所詮、League of Legendsでしかなかったのです。
























League of Legendsは世界中ほとんど全ての地域でdota2に対して完全なる勝利を収め、覇権mobaとしての地位を完全に確立させました。けれども、世界中で一つだけ、dota2がLeague of Legendsに勝利した奇妙な地域が存在します。

それが、ソビエトロシアです。

ソビエトロシアにおいて、dota2がLoLに勝利できたのには幾つかの理由があります。まず第一にソビエトロシアでは、WarCraft3のmodが世界中どの地域よりも盛んに遊び続けられました。今なお大勢の人達がWarCraft3のmodをプレイしており、対戦相手に困らないくらいのプレイヤー人口が確保されています。それほどまでに、ソビエトロシアではWarCraft3のmodが人々に愛されたのです。




WarCraft3のmodの中で最も人気だったのは、もちろんdota allstarsです。そして、dota2はdota allstarsのベタ移植です。dota2がvalveからリリースされた当時、既に世界中の多くの国と地域では、dota allstarsは完全に廃れていました。Riot社からリリースされたLeague of Legendsが、膨大なプレイヤー人口を確保していた事は言うに及ばず、多種多様なオンラインゲームが市場には大量に出回っていました。

そんな時代において、十年遅れで場違いな、10年前のゲームであるdota allstarsのベタ移植とは名ばかりの劣化コピーをリリースしたvalveが、生き馬の目を抜く過酷なオンラインゲームの市場でシェアを確保出来るわけがありません。誰もdota2など遊ぼうとはしませんでした。

けれども、ソビエトロシアでは話が違いました。dota2がリリースされた当時のソビエトロシアは、世界で唯一dota allstarsが未だに遊び続けられていた地域でした。

それ故に、dota2がリリースされた瞬間から、ソビエトロシアは強豪地域としてdota2シーンに大きな爪痕を残し続けました。NAVI、Empire、Virtus Proといった、ソビエト地域のeSportsチームが世界最強を争い続け、彼らの熱闘がソビエトロシアのdota2熱を支える好循環が生まれました。世界中の人々が他のゲームを、そしてLoLを遊ぶ中で、ソビエトロシアの人民だけが、dota2を遊び続けたと言っても過言ではありません。

けれどもソビエトロシアはそれ故に、dota2の世界では嫌われています。圧倒的なプレイヤー人口の多さから、どのサーバーにも出没し、cykaとblyatを繰り返し、ボイスチャットでダバイを叫ぶロシア人は、世界中の様々なサーバーのdota2プレイヤーから、同じチームになるとうんざりする、意思疎通の出来ないめんどくさい存在として、嫌われ続けてきました。


その影響でdota2は、
「ロシア人が遊び、
 ロシア人が見て、
 ロシア人が負けるゲーム」
と揶揄されるに至りました。

そう。
ロシア人は負け続けたのです。







ソビエトロシアは負け続けました。

NAVIは負け続け、
Empireも負け続け、
Virtus Proも負け続けました。






The International 2013で準優勝に終わったNAVIのFunn1kは言いました。

「ロシアにおいてdota2は娯楽だが、
 他の地域におけるdota2は仕事だ。」

だからソビエトは世界で勝てない。
Funn1kはそう続けました。





Funn1kの言葉が真実であるかはさておいて、ソビエトは常に負け続けました。いいところまでは行くものの、結局どこかで勝ちきれず、dota2シーンの負け役であり続けました。NAVIが崩壊し、Empireは崩壊し続け、Virtus Proも遂に崩れました。ソビエトでは、世界で戦える強いチームが生まれる度に、お互いがお互いのプレイヤーを引き抜き合って力を失い、離合集散を繰り返した挙げ句、複数のプレイヤーがモチベーションを失いフェードアウトして行き、同時に多くのプレイヤーが国外へと流出してしまいました。フランス、北米、中国、東南アジア。名だたるプレイヤーは我先にと、ソビエトから亡命して居なくなりました。dota2がLoLに唯一勝利した地域であり、圧倒的なプレイヤー人口を誇るソビエトロシアは、dota2強豪地域としての地位すら保てなくなりつつありました。

その現状を危惧したvalveは、圧倒的なプレイヤー人口を誇るソビエト人民の興味をdota2に繋ぎ止めておくために、それまでは欧州と同じ1つの地域として扱っていたソビエト地域を、CISとして新たに分離し、ソビエト地域のチームが必ず国際大会に出場出来るように策を弄して工作を行いました。ソビエトロシアの為の優待枠を用意したのです。それほどまでにソビエトは、苦しい地域に落ちぶれつつありました。

そんな時です。

一つのニュースが飛び込んで来ました。総資産150億ドルのアリシェル・ウスマノフという大富豪が率いる投資会社が、eSportsに1億ドルの投資を行ったのです。投資を受けたのは、ロシアはモスクワに拠点を置くVirtus Pro。このニュースこそが、全ての始まりでした。







「ロシアではdota2は娯楽だが、
 他の地域のdota2は仕事だ。」

そんな時代が、この日を最後に終わりました。



ソビエト中の強豪チームから主力プレイヤーを引き抜く事で完成した新生Virtus Proは、そのデビューとなった大会で、後にメジャー大会3連続優勝という前代未聞の偉業を成し遂げることになるOGを3勝0敗と圧倒し、国際大会初優勝を成し遂げます。ソビエトが仕事をする時代の幕開けでした。それはdota allstarsの誕生以来、14年もの長きにわたり負け続けたソビエトロシアが、遂に勝利する時代の到来を意味していました。













dota allstars(≒dota2)はクソゲーです。

dota allstarsはWarCraft3のmodとして誕生しました。当時のWarCraft3には、有象無象のmodが雨後の竹の子のように乱立していました。「modの時代が来る」だなんて囁かれていたあの頃です。そんなmod戦国時代において、modがプレイヤーを集める為の最大のアピールポイントは、コンテンツの大きさでした。キャラクターの数は多い方がよく、アイテムの数も多い方がいい。レベル上限は高い方がいいし、敵の数も多い方がいい。1ゲームは長い方がよく、マップは広ければ広い方がいい。巨大さこそがmodにとって、プレイヤーを誘因する為の唯一にして最大の武器だったのです。

その時代においては、面白さだとか、バランスのよさだなどという、取るに足らない無意味な要素を気にする人はいませんでした。何故ならば、面白いゲームが遊びたいならばWarCraft3tftをプレイすればよく、バランスのよいゲームを遊びたいならばWarCraft3tftをプレイすればよかったからです。そこには、ゲームの歴史にその名を刻むBlizzard Entertainmentというゲーム会社が作り上げた最高傑作にしてRTSの金字塔、WarCraft3tftというあまりにも偉大なビデオゲームが存在していました。




故に、dota allstarsはクソゲーでした。そして、クソゲーの極北でした。プレイ可能なキャラクター数は他のどんなmodよりも多く、作成可能なアイテムの数も同じように多く、マップはべらぼうにだだっ広く、両軍の本陣は堅固な要塞に守られ過剰に堅牢で、攻めても攻めても本陣は破壊出来ず、1時間かけてもゲームが終わる気配の見えない、今にして思えば、なぜあんなものが流行っていたのか理解に苦しむほどの、全く異常なゲームでした。

そこには、バランスという概念はなく、面白さの欠片もありませんでした。でも、楽しかったのです。私達にはそれが楽しかったのです。バランスのとれた面白いゲームであるWarCraft3の合間に息抜きとして遊ぶmodとしては、これ以上無い楽しさでした。みんなケラケラと笑いながら楽しく遊んで、気が済んだ人から順に挨拶をして抜けていきました。誰も、ゲーム中に途中で抜ける事を怒ったりはしませんでした。当時はそういうものだったのです。mobaというものは元来、勝ち負けなんて誰も気にしない、そういう楽しいゲームだったのです。




故に、dota allstarsは巨大化し続けました。
それが、mod戦国時代を勝ち抜くための道筋だったのです。

故に、dota allstarsは巨大化し続けました。
巨大化し続けたが故にmod戦国時代を勝ち抜けたのです。





「面白いゲームを作りたい」
そんな情熱を持って制作に取り組む人は誰も居ませんでした。少なくとも、僕の目にはそのように映りました。かつて存在していたDefense Of The Ancientという伝説的なmodの名前を無断で流用し、でたらめに要素を追加し続けたが故に多くの人々に遊ばれるようになっていたdota allstars。クソゲーの中のクソゲー。救いようのないクソゲー。そんなmodの開発チームに加わろうとする人は、有名なmodの開発チームに居る自分自身という地位から来る万能感を手にしたいだけの、名誉欲に捕らわれた人ばかりでした。dota allstarsの開発は、そんな烏合の衆によって行われていました。

故に、dota allstarsはアップデートの度に滅茶苦茶な方向へとその姿を変え続けました。それは、クソゲーと呼ぶのもおこがましいほどの、まともに動かないバグの塊でした、更新時に「バグを修正しました」と書かれている場合、そのバグが修正されないままで新しいバグが追加された事を意味していました。「新しい要素を追加しました」と書かれている場合、新たなバグと、新たなバグが原因となって発生する新たなバグが追加された事を意味していました。故にdota allstarsは他のmodに勝利しました。

mod戦国時代を勝ち抜くためには、スピードが肝心でした。他のどんなmodよりもはやく、巨大になる必要がありました。dota allstarsの開発チームは偶然にも、それを誰よりもよく理解していました。dota allstarsに関わる人がそれぞれがみんなでたらめに、手を動かしてコードを書いて持ち寄って、とにかくdota allstarsを巨大にしようと務めました。

そしてdota allstarsは巨大化し続けました。世界中からアイデアを公募し、そのアイデアをでたらめに取り入れ、他のmodから新しいキャラクターをパクって追加し、新しいアイテムもパクって追加し、マップはより巨大になり、新しいゲームモードも追加されました。dota allstarsは塊魂のように、でたらめに巨大化し続けたビデオゲームでした。それが面白いか、なんて些細な事は誰も気にしません。それでよかったのです。なぜならば、dota allstarsはクソゲーではありませんでした。クソゲーですらありませんでした。




dota allstarsは闇鍋でした。
世界最大の闇鍋でした。

おいしい鍋より、闇鍋はたのしい。
面白いゲームより、闇鍋はたのしい。




面白いゲームをやりたければ、WarCraft3をやればいいのです。バランスのとれたゲームをやりたければ、WarCraft3をやればいいのです。誰も、面白いゲームなんて求めません。誰一人としてバランスのいいゲームなんて求めていません。とにかく巨大で、要素がたくさんあって、頻繁に更新されて、そして何よりも大勢の人が居る。そこに行けば誰かが居るでたらめで巨大な闇鍋。WarCraft3という完璧なビデオゲームに疲れ果て、mod戦国時代を亡霊のように彷徨い歩く人々が求めていたものは、まさしくそういう空間でした。勝ち負けなんて気にせずに、楽しくケラケラ笑える闇鍋でした。闇鍋をケラケラと、明るく朗らかに笑いながら、囲んでつつける仲間でした。







それは、とても楽しい最高の闇鍋でした。

クソゲーはクソゲーとして存在し続ければいい。
闇鍋は闇鍋として存在し続ければいい。
僕は、そう考えていました。

けれども、世界はそれを許しませんでした。





闇鍋が闇鍋のままであり続けるには、dota allstarsはあまりにも巨大化しすぎていました。ゲームの話ではありません。プレイヤー人口の話です。dota allstarsのプレイヤー人口は、WarCraft3tftの売り上げを遙かに超えて、400万人とも、500万人とも言われるようになっていました。WarCraft3tftの売り上げは僅かに320万本。WarCraft3tftを購入しなければ遊べないはずのdota allstarsは不思議なことに、WarCraft3tftを遙かに上回るプレイヤー人口を抱えるまでに至っていました。

当時は違法ダウンロードの全盛期。WarCraft3は2018年の今も尚、世界で最も違法ダウンロードされたゲームの1つとして、ビデオゲームの歴史に暗い影を落としています。その数1億回以上。今は廃れてしまったと書いても決して過言ではない規模の違法ダウンロードが、dota allstarsのプレイヤー人口増加を強く、強く支えていました。

プレイヤー人口の急速な増加は、闇鍋に新しい材料を投入したいと考える人々の楽しい楽しい提案の場に、新しい議題をもたらしました。ゲームバランス論争です。「dota allstarsはクソゲーである」「クソゲーはおもしろくない」「dota allstarsをまともな対人ゲームにするべきだ」そんな声は日に日に勢いを増し続けました。

闇鍋に新しい材料を投入しようとする誰かを見つける度に、彼らはそれを睨み付け、こっぴどく叩きました。「俺達はゲームがしたいんだ。闇鍋を食べたいんじゃない。闇鍋を食べたいなら自分で闇鍋でも作って食べてろ。俺達dota allstarsプレイヤーを巻き込むな」




それが正当性のある主張であったのかどうか、僕には今でもわかりません。あの頃のdota allstarsは、ビデオゲームなどではありませんでした。クソゲーですらありませんでした。ただ、そこに行けば誰かがいる場所であり、ケラケラと笑って楽しい時間を共に過ごせる仲間の存在が保証されている空間でしかありませんでした。そこには罵倒などありませんでした。暴言などありませんでした。何をやっても「noob」と煽られる事は決してなく、ゲームの途中で誰かが抜けていなくなったって、気にする人はいませんでした。pingを連打されることもなければ、「fuck this stupid」と罵られることもなく、「report please」という単語自体が存在していませんでした。あの頃のdota allstarsは、人々の笑い声が響き合う、楽しいだけの空間でした。

僕等はビデオゲームなんて求めていませんでした。なにしろ、そこにはWarCraft3という傑作が存在していました。ビデオゲームを遊びたいなら、WarCraft3を遊べばいいのです。だからこそmod戦国時代は面白さが問われることのない時代であり、だからこそdota allstarsは、人々の夢と希望で膨れあがった、バグだらけの、ありのままの姿で、クソゲーにすらなれぬまま、ひたすら巨大化し続けたのです。巨大な巨大な闇鍋だったのです。




けれども、闇鍋は許されませんでした。
時代が闇鍋を許しませんでした。




「彼らは無能だ」
そう主張する新たな人が、俺にdota allstarsの開発をやらせろと、立候補し続けました。俺にやらせろ、俺ならバグを修正出来る。いや、俺にやらせろ、俺ならdota allstarsをまともなゲームに変えられる。誰もが口だけでした。膨れあがり続けるdota allstarsの開発チーム。彼らがやっていたことと言えば、世界中のdota allstarsプレイヤーから寄せられる提案をバグだらけの雑さで実装し、闇鍋へと投入することだけでした。

時代が闇鍋を許さなくなって尚、dota allstarsは闇鍋でした。バグフィックスと称して、新たなバグを投入し続ける開発チームに対して、世界中から罵詈雑言と冷笑が浴びせかけられました。彼らの民度はお察しの通りです。なにしろ、dota allstarsプレイヤーというのは平然と、フルプライスのビデオゲームを違法ダウンロードする神経の持ち主なのです。誰一人として、無報酬でdota allstarsをメンテナンスし続ける開発チームに対する敬意など、持ち合わせてはいませんでした。いつの時代も暴言は、人の心を砕きます。dota allstarsにおいても、それは同じでした。

かつては情熱的に「私がバグを修正する」「私がdota allstarsを普通のビデオゲームにする」とdota allstarsの開発チームに立候補した人々が、一人、また一人と、やる気をなくして消えて行きました。dota allstarsとは、提案とは名ばかりの罵倒を行う500万人ものユーザーを抱えた、収益化する見込みがないまま無報酬で働く開発チームによる、完全に炎上した救いのない、出口の見えないプロジェクトだったのです。mod戦国時代の勝者でありながら、いえ、mod戦国時代の勝者であったが故に、dota allstarsは死に体でした。







dota allstarsの歴史は、そこで終わるはずでした。
けれども、終わりませんでした。

dota allstars(≒dota2)は、今なお続いています。
何故ならば、一人の男が現れたからです。











男は宣言します。
「ここをeSportsとする。」
世界が彼を嗤いました。





eSportsというのは高尚なものです。

StarCraftやCS1.6、あるいはWarCraft3のように、世界最高のビデオゲームでこそ成立するものです。世界最高のゲーム会社が、世界最高のゲームデザイナーと、超一流の開発チームによって作り上げた、本物かつ最高のビデオゲームにのみ許されるものなのです。長い長いビデオゲームの歴史の中で、ゲームのジャンルが紡がれて、研ぎ澄まされたその果てに、遂に完成した本物のゲームでのみ、成立するのがeSportsです。

dota allstarsは本物のゲームではありませんでした。ビデオゲームですらありませんでした。それどころか、クソゲーですらありませんでした。それは、闇鍋でした。ただの闇鍋でした。誰もが改善を諦め匙を投げた、救いようのない闇鍋でした。その闇鍋を大事そうに抱えて、その男は言いました。「ここをeSportsとする」

世界中が彼を嘲笑したのは、当然の成り行きでした。
嘲笑だけならまだしも、僕等は彼を罵倒しました。




「なんでこんな奴がメンテナーなんだ」
「mobaがeSportsになるわけないだろ」
「減らず口叩いてないでバグなおせ」
「誰がmobaなんか真面目にやるか」
「口じゃあなく手を動かせ手を」
「コイツ脳味噌いかれてるな」
「馬鹿も休み休み言え」






その頃、eSportsは空前絶後の盛り上がりを見せていました。

スタークラフトの帝国である韓国から無傷で生還する事に成功した人類最初のプレイヤーである"伝説の空飛ぶアンデッド"ことmad_frogが、後に"The one"と呼ばれる事になる悪童4K.Grubbyに2勝0敗からの3連敗という伝説的な敗北を喫する一方で、長い長いシルクロードの果てから欧州へと進出した韓国最強プレイヤー達人ReMinDは名門SK-Gamingのエースとして欧州を震撼させました。eSports不毛の地である中国から突如として現れたWE_IGE_Skyは、ゲーム中最弱とされ続けていた種族を用い、全ての種族の最強プレイヤーを悉くなぎ倒す事により、WarCraft3のリリース以来、世界中のトッププロから可能性の無い最弱種族とされ続けていたヒューマンが、実はリリース以来ずっと、ゲーム中最強種族であったという驚愕の事実を完全に証明してしまいます。4つの種族しか存在しないゲームにおいて、"WarCraf3第五の種族"の異名を取ったspirit_moonは、ただのトリックスターであるという前評判を完全に覆し、ビデオゲームの無限の可能性を体現しながらWarCraft3シーンの覇者としての階段を一歩一歩着実に上り続けました。あまりの地球の巨大さが故に、それまでは決して相見える事の無かった遠い国のプレイヤー同士が、バスと電車を乗り継いで飛行機で空を飛び欧州へと降り立ち、巨額の賞金を賭けて真剣勝負を繰り広げるeSportsの絶頂期が到来していたのです。






「ここをeSportsとする」

荒唐無稽な妄言を誇らしげに宣言した男もまたおそらくは、そんな時代の瘴気にあたり、悪い方へと感化されてしまったのでしょう。無理もありません。あの頃は世界中がそんな空気で覆われていました。それは、この先もう二度と訪れないであろう、eSportsの黄金時代でした。その熱によって、誰もが触れる事もままならぬほど熱くなり、eSportsは前代未聞の盛り上がりを見せていました。RTSと双璧を成すFPSというジャンルを別とすれば、たとえStarCraft2が発売されたとしても、これほどまでにeSportsが盛り上がることはもう二度とないと囁かれていました。

巨大化するeSportsに伴い、eSportsの賞金額は際限なく跳ね上がり続けました。オンライントーナメントの賞金額は50ドルを突破し、100ドルを跨いで越えて、遂には300ドルにも達しました。オフライントーナメントに至っては、それをも遙かに上回り、500ドルの壁を突き破り、遂には1000ドルという大台にまで到達しました。

それどころの話ではありません。オフライントーナメントに至っては、会場を埋め尽くす観客を集め、スタークラフト狂国である韓国でしか実現しないと思われていた規模の世界大会が世界の各地で度々開催され、その賞金額はなんと1万ドルという途方も無い金額にまで達したのです。

一方その頃dota allstarsはというと、5ドル、10ドル。精々20ドル。mobaの大会なんて、世界のどこかの変人が、趣味で気まぐれで行う程度。それも当然です。当たり前のことです。当時のdota allstarsはクソゲーですらない、勝ち負けが成立しないレベルの酷いバグがたくさん詰まった闇鍋であり、勝ち負けを気にする人なんて、ほとんど存在していませんでした。そんなものをeSportsにするだなんて、まったくもって馬鹿げた話です。mobaがeSportsになどなるわけがありません。そんなこと、どんなまぬけにも分かります。

mobaはeSportsに成り得ない。
それは、自明の理でした。










ただ一人、男の考えは違いました。
彼には野望がありました。

dota allstarsをeSportsにするという、
野望が彼にはありました。

男は世界を造り替える作業へと取りかかります。それは、闇鍋をクソゲーへ変える作業などではありませんでした。男が取りかかったのは、彼が宣言したとおり、dota allstarsをeSportsへと生まれ変わらせる為の作業でした。クソゲーですらない闇鍋を、かのBlizzard Entertainmentが社運をかけて送り出したAAAの超大作、WarCraft3に匹敵するビデオゲームに造り替えるという、絶対に実現不可能な、荒唐無稽な野望の作業でした。

彼は世界中から浴びせられる英語未満の罵詈雑言を全て無視しながら、dota allstarsに関わった様々な人々の思惑と無責任さが複雑に折り重なって生まれた、闇鍋が闇鍋たるゲームの致命的な欠陥の数々を、独断と偏見でぶった切って捨て去って、片っ端から刷新されていきました。

めんどくさいからと誰も手を付けず、「いつか誰かがやるさ」と、お空の星のようにただただ眺められていたバグの数々は、あっという間に修正されて、混沌で黒く濁りきっていた闇鍋は、瞬く間に澄みわたっていきました。500万人の船頭が、それぞれ違う方向へと持ち去ろうとしていた、行く当ての無いゲームバランスは、大きく改変されながら、明確な方向へと導かれてゆきました。そうです。男の言葉通り、eSportsの方向へと。

それは、僅か数ヶ月。
一瞬の出来事でした。
男は有言実行でした。










男が「ここをeSportsとする」と自らの野望を世界に向けて語った瞬間に、あるいはそれよりもずっと以前、男が地球上に存在していたという事実をもって、闇鍋の滅亡は約束されていたのかもしれません。それは強烈なリーダーシップであり、強烈な行動力でした。

成功は運によってもたらされるとされています。能力を持った人間が大勢いる中で、成功するのは運の良かった人。今では成功はそのように科学されています。けれども僕は、それを信じません。僕は科学を信じません。なぜならば、この目で見たからです。運のよさでは解決不可能な、問題と呼ぶにはあまりにも闇が深すぎる闇鍋を、運のよさによってではなく、自らの野望の大きさと、まるで魔法のような一心不乱の努力によって、ビデオゲームへと造り替えた男を、僕はこの目で目撃したからです。


僅か数ヶ月前に世界中から嘲笑された有言実行の野望の男は、まるでビデオゲームの歴史にその名を残す巨人のように、僕等の前に立っていました。誰も知らない闇鍋をクソゲーへと作り替えた彼の名が、世界に知られる事は決してないでしょうが、僕等の目には光輝いて見えたのです。あの日の彼は、僕等にとって、たった一人の名も無き英雄でした。

彼は進みます。まだ進みます。道無き道を突き進みます。dota allstarsを世界最高のビデオゲームとするべく、徒手空拳たった一人で、世界最高のゲーム会社であるBlizzard Entertainmentに闘いを挑んだのです。敵はあまりにも巨大でした。風車とキホーテならまだしも、月と一円玉くらいの戦力差がありました。

そこには、ビデオゲームの歴史に今も渾然と輝くRTSの最高傑作、
WarCraft3 The Frozen Throneが存在していたのです。

勝てるわけがありません。
勝ち目はありません。
敵はBlizzardです。
WarCraft3tftです。
世界最強のゲーム会社です。





けれども、数ヶ月前とは様相が違っていました。
彼はもう、一人ではありませんでした。

他の誰もが為し得なかった仕事量でdota allstarsを改善し続けた男を、全世界1000万人のdota allstarsプレイヤーが、手の平を返し、声をからして応援しました。応援するだけに止まらず、彼の野望を現実のものとする為に、一心不乱にdota allstarsを遊び続けました。男が闇鍋を破壊して全く新しく作り替えた、全く新しいdota allstarsは、人々の心を完全に捉えていたのです。捉えて放さなかったのです。

3日に一度、酒に酔いながら、ケラケラと笑いながら楽しく仲間と闇鍋を囲む為の空間でしかなかったdota allstarsは僅か数ヶ月後、各自が力を振り絞り、味方と心を一つにして、真剣に勝利を目指す為の決戦のバトルフィールドへと変貌していました。

それは未だクソゲーではありましたが、もう闇鍋ではありませんでした。「ここをeSportsとする」男の夢は未だ叶いません。けれども、その夢は、野心は、男の野望は、僅か数ヶ月にして急速に、現実味を帯びていました。もはや時間の問題でした。




闇鍋時代からもう既に、圧倒的なプレイヤー人口を誇っていたdota allstarsは、その姿を闇鍋からクソゲーへと変化させるに従い、加速度的に勢いを増し、プレイヤー人口を爆発的に増加させ、mod戦国時代の主役だった幾多のタワーディフェンスやアリーナ、ラインディフェンスなどをねじ伏せて、mod戦国時代を終焉させます。男が作り替えた全く新しいdota allstarsは、WarCraft3のmodどころか、WarCraft3本編をも含めたビデオゲームの覇者として、僕等の世界に君臨します。

世界の各地で、それまでとは全く違う真剣さを帯びたdota allstarsのオンライントーナメントが開催されるようになったのは、当然の成り行きでした。そのうちの幾つかには、闇鍋時代には夢として語られる事すら憚られたような、巨額の賞金が賭けられていました。50ドル、100ドル、多いときには300ドル。時は2004年。web2.0の時代です。




それでも、dota allstarsはクソゲーでした。

確かに賞金額は、闇鍋時代の数十倍にまで増えました。大会の数も増え、全ての大会をあわせた賞金総額は、100倍以上にも膨れあがっていました。けれどもそんなもの、所詮子供の駄賃です。何倍に膨れあがろうとそれは、元の値が小さかっただけです。dota allstarsは、eSportsとは程遠い、場末の賭けドンジャラみたいなものでした。結局のところ、「ここをeSportsとする」なんて妄言は、妄言でしかなかったのです。mobaがeSportsにだなんて、なれるわけがなかったのです。だから僕等はWarCraft3を見ていました。一日中dota allstarsをプレイし続けていた僕が、心を躍らせてeSportsを観戦するのは、dota allstarsなどではなく、WarCraft3でした。Blizzard Entertainment社の最高傑作でした。





それでも、僕は可能性を感じていました。

いつの日か、WarCraft3には遠く及ばないまでも、mobaが十分なeSportsとして世界中の人々を楽しませる日が訪れる可能性を。何故ならば僕達は、強い男に率いられていたからです。誰一人としてまともに改善出来ず、闇鍋は闇鍋のままであればいいとまで思われていた、ビデオゲームですらないバグの塊。「100万人ものプレイヤーが居るdota allstarsという有名なmodに関わっている」という高揚感を手に入れる為だけに開発チームに加わった、功名心以外の何も持たない、なんの役にも立たない人々。バンドメンバーを募集する「当方Vo」が群れをなしてでたらめに材料を投入するだけの、誰もが違法ダウンロードというドラッグを決めた、暴動寸前の闇鍋フェス会場に、突如として現れ、人々に、それどころか同じ開発メンバーにすら嘲笑されるだけの野望を語った挙げ句、誰一人としてビデオゲームとしての面白さなど求めていなかった闇鍋を、未だクソゲーではあるにせよ、ビデオゲームへと造り替えた男。そんな男によって、僕達dota allstarsは率いられていたのです。凄まじい仕事量と信念でdota allstarsを生まれ変わらせた男によって、我々は導かれていたのです。




けれども、dota allstarsはeSportsにはなりませんでした。
dota allstarsはeSportsになれませんでした。

なぜならばまず第一に、WarCraft3tftは神ゲーで、dota allstarsはクソゲーだったからです。男が確かな信念の元で万難を排してdota allstarsに手を加えようとも残念ながら、元の値が闇鍋でした。真剣勝負が成り立つだけの、まともなビデオゲームへと作り替えようとしても、素材が悪すぎたのです。改善に改善を重ねても、限度というものがありました。それだけではありませんでした。




dota allstarsがeSportsになれない理由。
その最大の理由は、プレイヤーの人数です。





WarCraft3は1対1のRTSです。

世界中から8人のプレイヤーを招待するだけで、本格的な国際大会を開催する事が出来ます。たったの8人で十分です。けれどもdota allstarsは違います。5人対5人で戦うゲームです。1チーム5人。2チーム必要ですから10人。8チームともなれば、40人ものプレイヤーを世界中から呼び寄せなければなりません。これはeSportsにとってはあまりにも絶望的で、mobaが決してeSportsに成り得ないという証左たる、未来永劫改善不可能な欠点でした。




人の移動にはお金がかかります。

dota allstarsの大会を開催する為には、単純計算でWarCraft3の5倍の費用がかかるのです。いったいどこの誰が、ぎりぎり闇鍋ではなくなっただけの酷いクソゲーに、そんな大金を投じるでしょうか。twitchはおろか、youtubeすら存在しなかった時代の話です。誰一人として顔も名前も知らないような、dota allstarsが上手いだけの若者を、世界中から40人も集める。そんなくだらない事に大金を投じようとする人など、世界中どこにも存在していませんでした。




eSportsが成り立つ可能性があるのは、1対1の対戦ゲームだけです。

5対5の対戦ゲームは、eSportsというジャンルにおいて、圧倒的に不利どころの騒ぎではなく、不可能性を孕んでいるのです。eSportsなんて、ゲームで勝利する能力を持たず、ゲームをプレイする体力すらも失った、負け犬の老人共が暇つぶしとして、老後の余生に見るものです。

mobaというジャンルは、1ゲームに1時間かかる、5対5の対戦ゲームです。そんなニッチなジャンルのビデオゲームの大会が、人々の注目を集められるわけがありません。mobaがeSportsだなんて、どれだけ突き進んだとしても、叶わぬ夢にすぎなかったのです。

誰も旅費を出さない。誰も交通費を出さない。誰も滞在費を出さない。世界中からプレイヤーを集める事の出来ないeSports。需要など存在しないが故に、オフライン大会を開催する事など決して叶わぬeSports。そんなもの、eSportsではありません。dota allstarsの敗北は必然でした。




WarCraft3の大会には、アキュラやソニーやシーメンスといったような、今と変わらぬ大企業がスポンサーにつき、eSportsプレイヤーの旅費や滞在費を工面していました。けれども、やっと闇鍋を脱したばかりのdota allstarsには、そんなスポンサーがつくわけもありません。そもそもです。youtubeすら存在しなかった当時において、スポンサーというものは、オフラインでの決勝大会を前提としてつくものでした。収入のあてが存在せず、大会開催の見込みも存在しない以上、dota allstarsは死んでいました。








dota allstarsには、それ以上の致命的な欠陥が存在していました。

課金システムの欠如です。

WarCraft3のmodでしかなかったdota allstarsには集金手段がありませんでした。

仮にdota allstarsが任天堂やBlizzard Entertainmentであっても容易には作れぬような、世界中の人々から愛されるビデオゲームになろうとも、modでしかないdota allstarsは一円にもなりませんでした。どれほどの熱意と労力を注いだところでその仕事には、一銭の対価も伴いませんでした。だからこそ、それまでのdota allstarsは、開発に加わった烏合の衆の人々が無責任に好き勝手、バナナと靴下を投げ入れ続けるだけの、ゲームとしての体裁を成さぬ闇鍋だったのです。人生の貴重な時間を費やして、報酬の存在しない仕事に真面目に取り組む人なんていません。だからこそdota allstarsはクソゲーにすらなれない闇鍋であり続けたのです。


世の中は金です。
世界は金で動いています。
僕等は金で生きています。
お金が無くては生きていけません。
お金で買えない幸せなど存在しません。
生きるには金が必要なのです。
現金が必要なのです。

そして、dota allstarsにはそれがありませんでした。
dota allstarsにはお金がありませんでした。




dota allstarsは所詮modです。

modであるが故に集金手段がありませんでした。課金システムがありませんでした。dota allstarsの公式サイトで、僅か数百KBのmodファイルを数十秒でダウンロードすれば、全ての要素がプレイ可能でした。mobaというジャンルが抱える、決してeSportsにはなれないという構造的な欠陥と、集金手段が存在しないことによって閉ざされた未来は、一人の男の心を折るには十分なものでした。




「ここをeSportsとする」

実現不可能な夢に挑み続けて僅か半年。僅か半年で、バグだらけのまともに動かない闇鍋を、世界中で愛されるクソゲーへと作り替えることに成功し、プレイヤー人口を400万人から1000万人へと倍増させた男は、罵詈雑言にも見える捨て台詞を残してdota allstarsを去りました。「dota allstarsに未来はない」「クソゲーを改善してもクソゲーにしかならない」「Blizzard Entertainmentがmod開発者をサポートする課金手段を用意する気が無い以上、dota allstarsの死は約束されている」「dota allstarsは死んだゲーム」




僅か半年。
それは、あっという間の出来事でした。

その半年の間に起きた出来事と言えば、World of WarCraftという後に人類の歴史の中で最も成功したMMOとなるビデオゲームがBlizzard Entertainmentからリリースされ、それまでは親会社の会計不正に端を発した内紛により衰退の一歩を辿っていると思われていたBlizzard Entertainmentが完全に復活したことと、それともう1つ。

世界で最も有名な闇鍋が完全に消え失せ、世界で最もプレイヤー人口が多く、世界で最も活気に溢れた、世界で最も愛されながらも、決してeSportsには成り得ないクソゲーが、僕等の前へと姿を現したことくらい。

dota allstars。それは、終ぞeSportsを作れなかった、一人の男の野望の亡骸でした。mobaというゲームジャンルは、果てしない野望を胸に抱いて戦った、誰もその名を知らない無名の一人の英雄の墓標なのです。





dota allstarsはeSportsになれませんでした。

何故ならば、大金を投じてリスクを背負い、クソゲーの国際大会を開催しようと企む人など、世界のどこにも存在しなかったからです。それ故に、男はdota allstarsを去ったのです。「クソゲーは、どれだけ手を加えてもクソゲーにしかならない」という暴言だけを残して、失意の内に去ったのです。




ところが、です。

決して存在しないはずの、dota allstarsの国際大会を開催出来る場所が世界に一つだけありました。スウェーデンです。スウェーデンにはDream HackというLANパーティーがありました。LANパーティーとは、人々がパソコンを持ち寄って、みんなでビデオゲームを夜通し遊ぶだけのイベントです。参加者の一人一人が主役となって、ビデオゲームをプレイする、ビデオゲームのフェスティバルです。Dream Hackは、大会主催者が旅費を負担してプレイヤーを集めずとも、世界中からパソコンを抱えたゲーマーが勝手に集まってくる、世界で唯一の特別な空間でした。




世界中からゲーマーが集まる。

dota allstarsには、それで十分でした。何故ならば、dota allstarsはもう既に、世界で最もプレイヤー人口の多いビデオゲームの一つだったからです。男の手によって闇鍋からビデオゲームへと変貌を遂げたdota allstarsは、WarCraft3のmodの頂点に君臨し、1000万人を優に超えるプレイヤーを擁していました。その多くは、暇つぶしの為の闇鍋としてではなく、勝ち負けを競い合う真っ当なビデオゲームとしてdota allstarsを楽しむ、新しい世代の人々でした。然り、DreamHackにおいて、dota allstarsのトーナメントが開催されるのは必然の流れでした。

数万人のゲーマーを周辺地域から誘引する世界最大のLANパーティーで行われる、他のどこにも存在し得ないdota allstarsの国際大会というあまりにも斬新なイベントは、世界中のdota allstarsプレイヤーの注目を集め、その心を虜にしました。Dream Hackは年に2回。半年後にまた再び必ずdota allstarsの大会が開催されるという事実と、それを待ちわびる人々の熱気が、それまでの常識を打ち破り、瞬く間に世界を変えて行きます。

SK-Gaming、Mousesports、MeetYourMeekersといった世界的な強豪eSportsチームが、dota allstars部門の立ち上げを発表したのです。それは、一瞬の出来事でした。あっという間の出来事でした。けれども、遅すぎたのです。あまりにも遅すぎたが故に、間に合わなかったのです。

「ここをeSportsとする」という荒唐無稽な野望によって、ローディングスクリーンが一生続くレベルのバグを多数抱えたクソゲーですらない闇鍋を、eSportsに耐えうるビデオゲームへと作り替えた男はもう既に、そこには居ませんでした。彼の野望は叶いました。夢は成りました。けれども、そこに彼は居ませんでした。そのかなしい事実は今でも、僕等の心の中に、重く苦しい記憶として残り続けています。




あの時、あと2年、いや1年だけでも、男の心が持ちこたえていたならばと、今でも悲しく思います。僕等は彼を引き留めるべきだったのです。「あなたの夢は私達が必ず叶えてみせるから、もう少しだけdota allstarsに居てくれ」そう彼に伝えるべきだったのです。そうするべきだった僕達世界中のdota allstarsプレイヤーが彼に対してやったことと言えば、売られた喧嘩を買っただけ。「dota allstarsに未来はない」「クソゲーは改善してもクソゲーにしかならない」そうdota allstarsを罵った彼に対し、僕等は罵詈雑言を浴びせかけ、後足で砂をかけて彼を嗤ったのです。「俺達こそがdota allstarsだ」「おまえはもうdota allstarsじゃねえ」世界最強のeSportsチームとして知られていたSK-Gamingがdota allstarsに参戦するのは、彼が居なくなってから僅か一年後の出来事でした。




もしも彼がdota allstarsと決別することなく、dota allstarsに残っていれば、彼の名は今では後任の手によってdota allstarsの歴史から完全に抹消されてしまったdota allstars最大の功労者としてだけではなく、ビデオゲームの歴史に巨大な一歩を刻んだ偉大なゲームデザイナーとして、富と名声を手に入れられていたでしょう。eSportsの歴史にも、渾然とその名を残していたでしょう。けれども、そうはなりませんでした。




彼はビデオゲームの世界におけるロナルド・ウェインです。アップルコンピュータの創業メンバーの一人でありながら、今では100兆円にもなる株式をジョブズに僅か800ドルで売り払いアップルを去った、ロナルド・ウェインみたいなものです。いえ、遠い昔に打ち棄てられた一番最初のアップルのロゴと、アップル製品に関する幾つかの文章を作っただけのロナルド・ウェインなどではありません。

彼はdota allstarsを闇鍋からビデオゲームへと作り替えたエンジニアであったという点においてはウォズニアックであり、「dota allstarsをeSportsにする」という今も息づく方針を定めたジョブズでもあったのです。彼の情熱が途絶えるのと同時に、僕等が大切な何か以上の存在を失ったのと同じように彼もまた、2018年の今もなお世界中で1000万人以上のプレイヤーに愛され続ける、dota allstars(≒dota2)という他に類を見ない奇跡のビデオゲームを失ったのです。アップルコンピュータがジョブズを追い出したのと同じように、僕等ジョブズを追い出したのです。ジョブズだけではなく、ウォズニアックをも追い出したのです。追い出したなどという生やさしいものではありません。彼はそれを最後にもう二度と、僕等の前にはその姿を現しませんでした。殺したのです。私たちdota allstarsプレイヤーが彼を殺したのです。




僕は今でもあなたを愛しています。貴方が作ったクソゲーを遊び続けています。もう3万時間は遊んだでしょうか。僕の短い人生は、あなたが闇鍋からクソゲーへと作り替えたdota allstarsというビデオゲームをプレイし続けることにのみ、費やされてきました。dota allstarsが私の人生です。dota allstarsをプレイして、dota allstarsを見るだけが私の人生です。時々食べたり寝たりしますが、それすらもよく忘れます。わたしの人生にはdota allstars以外に何もありません。

友達は一人も居ません。お金もありません。楽しい事はdota allstars以外になにもないと言いたいところですが、もうdota allstarsを楽しいと思えるだけの余裕すらなくなってしまいました。残されたのはdota allstarsだけです。わたしにはdota allstarsしかありません。他に何もありません。あなたにはあるでしょうか。僕にはないものがあるでしょうか。おいしいご飯を食べれていますか?あたたかいお風呂に入れていますか?清潔な布団で眠れていますか?心許せる友はいますか?素敵な仲間に囲まれていますか?飢えてはいませんか?孤独ではありませんか?いつでも言ってください。わたしはあなたの味方です。僕はあなたが作った無料のビデオゲームを、一円の対価も支払う事無く、3万時間もプレイしました。僕だけではありません。他にも大勢います。世界中のdota allstarsプレイヤーが、あなたが作り替えたビデオゲームを、あなたが居なくなってからもずっと、遊び続けて生きてきました。世界中のdota allstarsプレイヤーの誰もが、あなたの幸せを願っています。鈴木裕や宮本茂、あるいは小島秀夫のように、ビデオゲームの歴史にその名を刻んでいたのかもしれないあなたがdota allstarsを去ってから既に、15年もの歳月が流れました。過ぎ去ったときは戻りません。あなたは今どこで、何をしているのでしょうか。僕等の退屈な毎日に、唯一の真剣さをもたらしてくれたあなたの幸せを、僕等は今日も心のどこかで願っています。願っています。
















愚かな野望を抱いた男が去ってすぐ。
dota allstarsはeSportsとして、
華々しく立ち上がっていました。

それはどんな出来事よりも喜ばしく、
どんな出来事よりも悲しい記憶です。







その地はもちろんスウェーデン、DreamHackでした。

あの時代のDreamHackにおいて、dota allstarsは参加した人々の共通言語でした。dota allstarsは最も簡単に遊べるゲームであり、最も気軽に遊べるゲームでした。尚且つ、最も公平なゲームでした。WarCraft3のmodでしかなかったが故に、インストールした瞬間に、全てのキャラクターが使用可能でした。スキンすら存在しない、完全な平等が実現されていました。

dota allstarsの対戦を成り立たせる為には1チーム5人、合計10人ものプレイヤーが必要になるという、dota allstarsのeSports化を阻んでいた障壁は、ここではプラスに働きました。1対1のゲームより、5対5のゲームの方がお手軽で、1対1のゲームよりも5対5のゲームの方が気楽なのです。FPSでは問題になっていたようなaimの差も、WarCraft3では問題になっていたような操作量の差も、dota allstarsには縁がありませんでした。dota allstarsは完璧で最高なパーティーゲームでした。未だ、闇鍋の匂いを色濃く残す、時間を共有する10人が、画面を見ながらケラケラと、朗らかに笑えるクソゲーでした。たのしさ、その一点においてdota allstarsはWarCraft3を越えました。既にその場には存在しない、敗れ去り失意の中で暴言だけを残して消えて行った男の野望は、遂にBlizzard Entertainmentの尻尾をを捉えたのです。

WarCraft3tftが発売されてから既に3年。人々はWarCraft3という、手垢の付いたコンテンツへの興味を、急速に失いつつありました。誰かが言いました。「あれは老人のゲームだ」。RTSというジャンルは、ビデオゲームが間違った方向へと過剰に進化してしまった1つの悪例です。行き過ぎたジャンルの進化が新規プレイヤーの参入を阻むという今もよくあるパターンです。WarCraft3は万人が楽しめるゲームなどではなく、その筋のマニアが操作量を競うコンテストとなっていました。dota allstarsというクソゲーが、WarCraft3という神ゲーに奇跡の逆転勝利を収めるその瞬間が近づいていました。




まだ誰も、世界最強のdota allstarsプレイヤーが誰なのかをしりません。どのチームが最強で、どの戦略が最強なのか、全てが未知との遭遇です。人々の注目はDreamHackで開催されるdota allstarsのトーナメントへと向かいました。未だ誰も目にした事のない最強論争。今なお続くdota allstarsシーン(≒dota2シーン)が、遂にその幕を開けました。

それは、残念な幕開けでした。
だれもが苦笑いしてしまう、
がっかりな幕開けでした。




何故ならば、dota allstarsはクソゲーだったからです。男の見果てぬ野望によって闇鍋であることをやめたdota allstarsは、確かにビデオゲームではありました。けれども、クソゲーだったのです。その事実は他ならぬ彼がdota allstarsを去る時に言い放った言葉にも表れています。「クソゲーにどれだけ手を加えても、クソゲーはクソゲーにしかならない」。dota allstarsは残念なクソゲーであり、DreamHackで行われたdota allstarsのトーナメントは、その事実を再確認する場所にしかなりませんでした。




けれども、そんな残念な、dota allstarsのトーナメントが開催されたことにこそ、大きな意味がありました。何故ならばそのトーナメントにより、dota allstarsというビデオゲームのどこに問題があるのかが、浮き彫りになったからです。DreamHackという巨大な舞台への世界中の注目は、トーナメントに参加した人々に真剣さをもたらしました。それまでは真剣に勝ち負けを競うのではなく、ただ楽しくゲームを遊んでいた人達が、dota allstarsというクソゲーで、真剣勝負を始めたのです。その真剣勝負によって、dota allstarsのどこに、ゲームバランス上の致命的な問題が潜んでいるのかが、白日の下へと晒されたのです。




dota allstarsはmodでした。
WarCraft3のmodでした。

modであるが故に、統計データがありませんでした。どのアイテムが強いのか、どのキャラクターが強いのか、誰にもわかりませんでした。キャラクター毎の勝率を知る方法もありませんでした。開発チームは、インターネットで騒ぎ立てる声の大きな人達に流されながら、なんとなく雰囲気ででたらめに、バランス調整をしていました。そんな時代にDreamHackが終わりを告げたのです。真剣に勝利を目指す人々によって開催されたトーナメントは、どのキャラクターが強すぎるのか、どのアイテムが強すぎるのか、そしてどのような要素がゲームバランスを壊しているのかを、如実に照らし出しました。



DreamHack。
SummerとWinter。

年に二度必ず開催される、1万人以上の観客を集める、dota allstarsの巨大な国際大会は、dota allstarsのゲームバランスを急速な勢いで改善していきました。dota allstarsを真っ当なビデオゲームに、そしてeSportsにしようと夢見た男がたった一人で挑んだ、「世界で最も熱い対戦ゲームを作る」という難題に、全世界1500万人のdota allstarsプレイヤーが一丸となって総力をあげて挑んだのです。男はもういませんでしたが、「ここをeSportsとする」という男の野望は僕等の血となり肉となり、世界中で受け継がれていました。

modであるが故に統計データが一切存在しないというdota allstarsの致命的な欠陥は、男が匙を投げるに十分な欠陥でした。「dota allstarsはeSportsたりえない」そう言って男は去りました。けれども皮肉なことに、男がその人生の中で最も情熱的な時間を費やした夢と希望の仕事によって、dota allstarsはeSportsとなってしまったのです。

そしてeSports化こそが、dota allstarsがビデオゲームとして進化を遂げる為の唯一の道筋でした。真剣勝負が行われることによって問題が浮き彫りとなり、その問題を次のバージョンで修正することで、dota allstarsは確実に前へと進めたのです。DreamHackのトーナメントが、dota allstarsを急速な勢いで改善し、歯車と歯車、全ての歯車が噛み合って、猛烈な勢いで加速し始めました。

改善されたdota allstarsは、世界で最もカジュアルで、世界で最もハードコアな、5対5の対戦ゲームとしての地位を完全に確立しました。スウェーデンから遙かに離れた世界の各地で、dota allstarsのオンライントーナメントが開催され、アジアではネットカフェが主導する形で、大勢の観客を集めたオフライントーナメントまでもが開催されるようになりました。もう、データの為のサンプルはDreamHackだけではありません。世界中でトーナメントが開催され、その度にそのリプレイがインターネットでシェアされます。貴重な統計データが次から次へと、世界各地から集まって、開発の手へと渡りました。フィードバックがゲームを改善するという、好循環のサイクルが回り始めたのです。

英語がで物怖じせずに意見を言うという共通した特性を持つだけの、得体の知れない人達が、「俺が考えた最強のdota allstars」を披露し合う場にすぎなかったフォーラムは、世界中で開催されるトーナメントのリプレイから集計された統計により、データに基づき論理的にdota allstarsの問題点を語り合い、その改善策を議論し合う場に化けました。

彼らには怒りがありました。内なる怒りがありました。「クソゲーはクソゲーにしかならない」という罵詈雑言を残した男に対する怒り。「dota allstarsは死んだゲーム」という捨て台詞を残してdota allstarsを去った男に対する怒り。だからこそ僕等は真剣に、より素晴らしいdota allstarsを、より完璧なビデオゲームを求めて、dota allstarsについて考え、dota allstarsについて議論し、dota allstarsをプレイしたのです。男が去り際に言い放った罵詈雑言を否定しようと必死だったのです。





加熱するeSports。
加熱するdota allstars。
けれどもそれを、冷たい眼差しで見つめる存在がありました。

Blizzard Entertainmentです。




人々から愛されるゲームを作りたい。
真剣に勝ち負けを競い合えるゲームを作りたい。

dota allstarsという闇鍋を、WarCraft3を超えるeSportsに作り替えることによって、その夢を成し遂げたい。そんな情熱によって作り替えられたdota allstarsは、瞬く間にプレイヤーを5倍にまで増やし、推定1500万人とも、2000万人とも言われるプレイヤー人口を確保しました。けれどもです。

どれだけdota allstarsが盛り上がろうとも、Blizzard Entertainmentはその存在を完全に無視し続けました。男の熱い思いがBlizzard Entertainmentを動かす事は終ぞありませんでした。だからこそ、男は去ったのです。世界中のdota allstarsプレイヤーに向けて、罵詈雑言の捨て台詞を残してdota allstarsを去ったのです。「dota allstarsは死んだゲーム」そう言い残して。




当時のBlizzard Entertainmentは、フランスの水道会社によって支配されていました。親会社の不正会計に端を発した混乱の中で、Blizzard Entertainmentはフランスの出版社へと売却され、そこからさらに水道会社へと転売されていきました。ビデオゲームとはかけ離れた業界の会社に支配されてなお、Blizzard Entertainment社がその輝きを失わなかったのは皆様ご存じの通りです。

World of WarCraft、ディアブロ3、ハースストーン、オーバーウォッチといった、ビデオゲームの歴史に渾然と輝く超大作を世に送り続けたBlizzard Entertainmentは2013年、自社の株式を親会社から買い取ることによって、水道会社の支配を逃れ、アクティビジョンブリザードとしての独立を果たします。

けれどもあの頃は事情が違いました。あの頃のBlizzardは、今とは違い、吹けば飛ぶような軽い存在でした。そして同時に、帳簿だけを見て買い叩いたゲーム会社の転売を目論む親会社の、巨大な官僚組織によって支配された打てど響かぬ存在だったのです。

それ故に彼らは、dota allstarsがどれ程多くのプレイヤーを抱えようとも、dota allstarsを助けようとしませんでした。野望の男を助けませんでした。ビデオゲームのなんたるかを全く理解していない転売屋によって支配されたあの頃の、死んだ目をしたBlizzardの冷淡さと鈍重さが、野心と才能に溢れ、自らコードを書いてdota allstarsのバグを片っ端から修正していった、勇敢で有能な一人の青年の未来を奪ったのです。Blizzard Entertainmentが、彼を殺したのです。野望の男を殺したのです。










もしも、そうであったならば、
どれほどよかったでしょうか。













僕は知っています。
僕等が隠したい本当のことを。













2018年。
世界はゲームで溢れています。

ビデオゲーム産業は、あの頃とは比較にならない程の巨大な規模へと成長しました。そんな僕等の世界には、2つのタイプのゲームがあります。

1つは、有料のゲーム。
そしてもう1つは、無料のゲーム。








かつてビデオゲームは有料でした。
高いお金を払って買うものでした。

スーパーファミコンのカセットは、9800円がざらでした。プレイステーションがそれを5800円にまで下げ、ファミコン初期の値段へと戻したけれど、それでもゲームは僕等にとって、高い買い物であり続けました。ゲームをプレイするということは、ゲームを購入するということを意味していました。あの頃のゲーム産業はまだ、小さく弱い存在でした。




けれども今では違います。
ゲームは壁を越えました。
誰もがゲームをプレイします。




その最大の要因。
それは、価格です。





確かに、あの頃と同じように、高いお金を支払って遊ぶビデオゲームは、今も存在しています。ゼルダの伝説や、大鷲のトリコ、世界樹の迷宮などといった、あの頃と同じようにお金を支払って購入するビデオゲームは、今でも多数を占めています。オーバーウォッチや、ディアブロ3も同じように、対価を支払って購入して遊ぶゲームです。けれども現代には、有料ゲームよりも巨大な規模の、ビデオゲーム群が存在しています。それが、無料ゲームです。





無料ゲーム。

有料ゲームと比較して遙かに簡単にプレイヤーを集められるという利点と、人々を課金に導くだけのビデオゲームが元来もっていた強烈な魅力の組み合わせは、巨大な波となってビデオゲームを飲み込みました。無料ゲームの市場規模が有料ゲームのそれを逆転したのは、5年以上も前のこと、2012年にまで遡ります。

今では基本無料こそが、ビデオゲームの世界標準です。パズドラが、モンストが、グラブルが、コトダマンが、基本無料のゲームが我が世の春を謳歌しています。ビデオゲームは永遠に、人々の心を強く捉えて放しません。即ち、この春はずっと続きます。ゲームは春の女王なのです。任天堂も今ではポケモンGOのように、無料のゲームで稼いでいます。Blizzard Entertainmentも同じです。ハースストーンは無料のゲームです。ワールドオブタンクスも、フォートナイトも、王者栄耀も、無料のビデオゲームです。世界中の人々が、無料のゲームに夢中です。

そんな無料ゲームの始祖たるビデオゲームがかつて存在していました。無料ゲームが有料ゲームの市場を逆転するよりも、10年も前。最初のiPhoneが発売されるよりもさらに5年も前のこと。ビデオゲームの歴史の中で、最も成功した無料ゲームが発売されました。


















2002年に発売された、
歴史上最も成功した無料ゲーム。
その名を、WarCraft3と言います。













WarCraft3は無料ゲームでした。
僅か80ドルの無料ゲームでした。













WarCraft3tftの売り上げは僅か380万本。
dota allstarsのプレイヤー人口は4000万人。

何かがおかしいと思いませんか。
計算が合いません。

dota allstarsはWarCraft3tftのmodです。
WarCraft3tftを購入しないと遊べません。

WarCraft3本体は50ドル。
拡張パックThe Frozen Throne(tft)が30ドル。
合計80ドルです。

dota allstarsは合計80ドル支払わないと、
遊べないビデオゲームでした。

けれども、です。
実体は違いました。

WarCraft3は無料のゲームで、
dota allstarsも無料のゲームでした。













dota allstarsは、無料ゲームでした。
当時は、違法ダウンロードの全盛期だったのです。

違法ダウンロードしたWarCraft3では、Blizzard社が運営するオンラインプラットフォームのbattle.netを利用することは出来ませんでした。一人用モードをプレイする事は可能でしたが、battle.netに接続出来ないので、オンライン対戦は遊べなかったのです。WarCraft3のmodであったdota allstarsも同じでした。WarCraft3のmodで他の誰かと遊ぶ為には、battle.netに接続することが必須でした。けれども、抜け道がありました。




WarCraft3にはLAN対戦モードが存在していました。インターネットを介在せず、ローカル環境でLANケーブルを繋いで対戦する為のモードです。LAN対戦機能は、DreamHackのようなLANパーティーや、大学の寮の一室、あるいはeSportsのオフライン大会などを想定して作られていました。当時はまだ今のように高速のネット回線が普及していなかったこともあって、高いレベルのeSportsゲームには、LAN対戦機能が必須だと思われていたのです。



その、LAN対戦モードが脆弱性として悪用されます。

仮想LANです。インターネットを介在しているにも関わらず、パソコン側にはLANケーブルを用いて対戦を行っていると認識させる仮想LANソフトウェアを用いることで、Blizzard社のオンライン対戦プラットフォームであるbattle.netを介在することなく、オンライン対戦が可能となってしまったのです。数多く存在していた仮想LANツールの中でも、シンガポールの企業が作ったgg clientという仮想LANツールは決定的なものでした。Blizzard社がmodの為に用意出来ていなかった数々の便利機能がそこにはありました。戦績の記録や、途中棄権の履歴、フレンド登録やプレイヤーのping表示など、modプレイヤーが望んでいた様々な機能が完備されており、かつ頻繁にアップデートされていました。それは、battle.netの完全上位互換とも言える、オンライン対戦ツールでした。そして、もちろん無料でした。




本来ならば80ドルも支払わなければ遊べないはずのdota allstarsは最終的に、4000万人ものプレイヤーを擁する、人類の歴史の中で最も成功した有料の無料ゲームとなりました。それは、基本無料などという生やさしいものではありません。完全に無料です。dota allstarsに課金要素は一切存在しません。広告すらも表示されません。基本無料などではなく、本当に無料の、完全に無料のビデオゲームだったのです。WarCraft3tftは僅かに380万本しか売れませんでしたが、そんなゲームのmodが4000万人ものプレイヤーを集める事が出来たのには、違法ダウンロードという、僕達dota allstarsプレイヤーがひた隠しにしなければならないからくりが存在していました。WarCraft3は1億回を遙かに上回る違法ダウンロードをうけたのです。dota allstarsは、1億回もの違法ダウンロードによって生まれ、そして育ちました。

dota allstarsの膨大なプレイヤー人口を支えていたのは、ソビエトロシア、中国、東南アジアといった、決して豊かでは無い地域の違法ダウンロードユーザーでした。WarCraft3という、Blizzard Entertainmentが作ったAAAの、80ドルもするビデオゲームを、1セントの対価も支払う事無く手に入れ楽しむ人々でした。













なぜ、Blizzard Entertainmentは、
dota allstarsに冷淡だったのでしょうか。

支援して欲しいという、dota allstarsを開発する人達による、再三再四の陳情を、無碍に拒み続けたのでしょうか。今にして思えば不思議なことです。なにしろ、WarCraft3のmodに端を発したdota系ゲームは、完全に天下を獲りました。dotaという単語を忌み嫌うriot社によって「moba」という捏造されたカテゴリを与えられたゲームのジャンルは、2018年の今も尚、世界で最も活気のあるジャンルとして、ビデオゲームの世界を牽引しています。Blizzard Entertainmentは馬鹿でした。Blizzard Entertainmentはまぬけでした。いずれ世界最大のゲームジャンルとなるdota allstarsという金の卵を、足で踏んで潰したのです。けれども、僕等は知っています。Blizzard Entertainmentがそうした理由を。Blizzard Entertainmentが、dota allstarsに冷淡だった理由を。









それは、私たち全世界4000万人のdota allstarsプレイヤーが、WarCraft3を違法ダウンロードした不正なユーザーだったからです。Blizzard Entertainmentが社運をかけて作り上げたAAAのビデオゲームを、インターネットを通じて盗み出した、泥棒だったからです。もちろん僕だってそうです。WarCraft3を違法ダウンロードした不正なユーザーでした。当たり前です。あの頃はみんながやっていたんです。ただで手に入るものにお金を出して買うなんて、馬鹿か貧乏人のやることです。本来ならば80ドルも支払わなければ遊べない、Blizzard Entertainmentが生み出した歴史に残るRTSの最高傑作のAAAゲームが、無料で遊べるからこそ、みんなこぞってダウンロードしたんです。だからこそ、僕等はdota allstarsへと辿り着いたんです。

dota allstarsプレイヤーは皆全て、違法ダウンロードでした。僕達は無法者だったんです。Blizzard Entertainmentが巨額の投資を行い作り上げたAAAのビデオゲームを盗み出した、泥棒だったんです。dota allstarsの開発チームは言うならば、泥棒の親玉みたいなものでした。果たして、です。自分達が苦心惨憺して作り上げた80ドルのビデオゲームを違法ダウンロードした人達の、親玉であるdota allstars開発チームに、それを盗まれた側のBlizzard Entertainmentが、救いの手を差し伸べようなどと思うでしょうか。







違法ダウンロードと仮想LANツールの組み合わせにより、プラットフォームを丸ごと乗っ取られてしまった事に懲りたBlizzard社は、それ以降に発売されたゲームからLAN対戦モードを完全に削除しました。StarCraft2にも、Diablo3にも、オーバーウォッチにもハースストーンにも、LAN対戦モードは存在しません。WarCraft3はゲーム業界に、オンラインゲームにLAN対戦モードは不要であるという、現代まで続く重要な教訓を残したのです。それ故にWarCraft3は人類史上最大にして最後の、有料であるにも関わらず、無料のオンラインゲームだったのです。

いえ、違います。WarCraft3ではありません。彼らはWarCraft3をプレイする為に、WarCraft3をダウンロードしたのではありませんでした。私たちは、dota allstarsをプレイする為に、WarCraft3をダウンロードしていたのです。世界中の違法ユーザー達は、WarCraft3をダウンロードはしたものの、一度としてWarCraft3では遊びませんでした。当然の話です。WarCraft3は極めて退屈な、RTSという滅び行くジャンルに最後に咲いた、ただの神ゲーでしかなかったのです。死んだジャンルの死んだゲームでした。

一方で、dota allstarsは違いました。生きているビデオゲームでした。未来のビデオゲームでした。2018年の今も尚、世界で最も成功しているジャンルの中興の祖たる、dota allstarsという伝説のビデオゲームでした。一人の男が野望の力で作り替えたdota allstarsという偉大なゲームの存在によって、mobaというゲームジャンルには巨大な未来が広がっている事が明らかになりつつありました。mobaの成功は約束されていました。それは、誰の目にも明らかでした。にもかかわらず。Blizzard Entertainmentはdota allstarsを見殺しにしたのです。Blizzard Entertainmentがdota allstarsを殺したのです。

男が救いの手を差し伸べてくれとBlizzardにコンタクトを取ったときも、門前払いにしました。後にdota allstarsの開発チームが何度もBlizzardにコンタクトを取ったときも、「私たちはmod開発者をサポートする」という謎のプレスリリースを読み上げながら、ぶぶ漬けを頭からぶっかけて叩き返しました。Blizzardは捨てたのです。ビジネスチャンスを捨てたのです。自社の潜在的顧客を捨てたのです。巨大な商機を捨てたのです。

男がdota allstarsを去ってから5年以上後。Steamで有名なvalve社がdota allstarsの権利を掻っ攫って行きます。それから更に5年後。Blizzard Entertainmentは愚かにも、自社で独自のmobaを開発し、Heroes of the Stormというタイトルでリリースします。けれども、Heroes of the Stormのmoba系ゲームにおけるシェアは、リリースから3年を経過してもなお、未だに1%未満です。Blizzard Entertainmentは間違いを犯したのです。












ここに1つの大きな疑問があります。
なぜ、ブリザードは間違いを犯したのでしょうか。

Blizzard Entertainmentは度重なるdota allstarsからのアプローチを全て、無視よりも酷い形で見殺しにして潰したのでしょうか。dota allstarsを作り替える事に成功した男の心を完全に折り、彼を引退へと追い込んだのでしょうか。Blizzard Entertainmentは、ただ、まぬけであったが故に、dota allstarsを見殺しにするという間違った判断を犯してしまったのでしょうか。







僕等は知っています。






その理由を知っています。












dota allstarsを見殺しにした理由。
それは、殺したかったからです。

WarCraft3を違法ダウンロードした1億人の、不正なユーザーを殺したかったからです。ビデオゲームのプレイヤーなんて、ろくなものではありません。僕等はゲームにお金を払おうだなんて、これっぽっちも思っていません。ゲームなんてただの暇つぶしです。所詮子供のおもちゃです。そんなものにお金を払うやつは馬鹿です。僕が言ってるんじゃないです。あの頃はみんなそう思っていたんです。いえ、あなた方だって心の中では今もそう思っているでしょう。ゲームに金を払うなんて無駄な事だって思ってるんです。僕は知っています。よくわかります。あなたがたの気持ちがわかります。毎朝無料でガチャを回せたらって考えているでしょう。それと同じです。WarCraft3は無料だったんです。無料だったからBitTorrentでダウンロードしたんです。無料だったから遊んだんです。無料じゃなきゃあんなゲーム遊んでません。カプコンが出していた日本語マニュアル版の価格をしっていますか?8800円ですよ?そんな金額だれが払うんですか。英語版そのままのゲームにぺらっぺらの日本語マニュアルをつけただけで8800円ですよ。馬鹿です。あんなもの買う奴は馬鹿です。無料のゲームに金を払うなんてのは、馬鹿のやることです。WarCraft3は無料だったんです。だからダウンロードしたんです。みんなダウンロードしたんです。全世界4000万人がダウンロードして、WarCraft3など1秒も遊ぶ事無く、dota allstarsを遊んだんです。あの頃はみんなやっていました。僕だけじゃありません。あの頃ゲームをしていた人間はみんなやっていました。当時は一介のゲームブロガーにすぎなかったオレ的ゲーム速報の刃なんか、自分のウェブサイトでtorrentリンク付きでゲームレビューを書いていました。今では悪評にまみれている刃ですが、あの頃はまだ良心的で、糞ゲーの場合はtorrentリンクを貼らず、面白いゲームの場合にだけ1クリックでダウンロード出来るようにと、torrentリンクを貼ってくれていました。おそらくは自分で流してくれてたんでしょう。インペリアリズム2も、レイルロードタイクーン2も、鋼鉄の咆哮も、コロナイゼーションも、アルファケンタウリも、aocも、刃のところからダウンロードしました。あの頃はそういう空気だったんです。そういう時代だったんです。日本中が、いえ世界中が、そういう空気に包まれていたのです。現代の価値観で過去の罪を裁くことは出来ません。楠木正成は現代の価値観ではただの人殺しです。それと同じです。違法ダウンロードの蔓延によって、幾つものゲーム会社が倒産し、いくつものゲームスタジオが解散しました。PCゲーム業界は大きな混乱に陥り、少なからずのゲーム会社が身売りされて行きました。「私たちは違法ダウンロードに耐えられない」「PCゲームは滅ぶ運命にある」そんな話が国外のニュースとして飛び交っていました。けれども、そんなの、僕等には知ったことではありません。名前も知らない外国のゲーム会社がいくつ潰れたところで、私達には日本が世界に誇る任天堂がありました。外人の作るゲームなんてどうせ糞ゲーです。どうでもいい話です。だから僕達は毎日毎晩インターネットで、アナル男爵の映画を見ながらkick ass torrentを彷徨って、無料のゲームをダウンロードしたんです。あの頃はそんな時代でした。誰もが皆、そうしていました。違法ダウンロードしていないPCゲーマーなんて、一人も居なかったんです。そういう時代だったんです。







だから。
だから。
Blizzard Entertainmentは、
僕等を殺したかったんです。






殺し合いでした。
それは、殺し合いでした。

まずはじめに僕達が、Blizzard Entertainmentを殺そうとしたのです。もちろん、殺そうとなどしていません。そんなつもりは全くありません。ただ、WarCraft3が無料だったので、WarCraft3をダウロードしただけです。逮捕もされていなければ、罰則もうけていないわけで、違法であったかどうかすら疑わしいです。無料の面白そうなゲームがあったから、ダウンロードしてみただけです。悪意はありませんでした。

けれども、WarCraft3を作った彼らにとって、私たちdota allstarsプレイヤーは、彼らの生きる糧を奪い、干殺しにして殺そうとする、明確な悪意を持った言葉も通じぬ4000万人のならず者の集団でした。事実、違法ダウンロードはBlizzard Entertainmentを殺しかけたと言っても過言ではありません。Blizzardは売られ、転売され、diablo2やWarCraft3の開発者らは業績の低迷からくる混乱の中で社を追われ、Blizzardの根幹であったBlizzard North Studioは閉鎖され、数年かけて開発していた開発中のゲームは完成間近で開発中止へと追い込まれました。今のアクティビジョン・ブリザードを知る人には想像も出来ないでしょうが、確かに違法ダウンロードは、あのBlizzard Entertainmentをも殺しかけていたのです。




だから僕等は知っています。
なぜBlizzard Entertainmentが、
dota allstarsを殺そうとしたのかを。




dota allstarsとは、WarCraft3を違法ダウンロードした不正なユーザーが遊ぶ、完全無料のビデオゲームだったのです。それ故に、dota allstarsの開発チームがBlizzardに助けを求めたとき、Blizzardは冷淡に対応し、一切のサポートを行わずに見殺しにしたのです。




Blizzard Entertainmentは、
僕等を殺したかったんです。

Blizzard Entertainmentは、
僕等を殺そうとしたんです。
















Blizzard Entertainmentは勝ちました。
殺し合いに勝ちました。

dota allstarsを殺す事に成功しました。
けれども僕等は死にませんでした。








Blizzard Entertainment社が全世界4000万人のdota allstarsプレイヤーを干殺しにしようとしていたその頃、Steamで有名なValve Corporationが、dota allstarsを開発チームごと強奪しました。いま、dota2という名前で知られているビデオゲームは、dota2などではありません。dota allstarsというゲームのベタ移植です。故に僕等は生き残りました。dota allstarsプレイヤーは生き残りました。全世界4000万人の、違法ユーザーは生き残りました。僕等は正しかったのです。僕等がdota allstarsを盛り上げ、僕等がdota allstarsを作ったのです。mobaというジャンルは、私たちdota allstarsプレイヤーこそが、力を合わせて作り上げたのです。









僕等は殺し合いをしました。
Blizzard Entertainmentと殺し合いをしました。

私たちdota allstarsプレイヤーは、彼らが生きる糧を得る為に人生を費やして作り上げたAAAのビデオゲームを違法ダウンロードする事により、Blizzard Entertainmentを殺そうとしました。Blizzard Entertainmentは、dota allstarsの開発チームから何度も何度もよせられた助けを求める嘆願を全て煙に巻いて処理することで、dota allstarsを殺そうとしました。僕等を殺そうとしました。







違法ダウンロードに端を発した殺し合い。
この話はハッピーエンドで終わります。

皆様ご周知の通り、Blizzard Entertainmentは生きています。死んでなどいません。死んでいないどころか、世界最高のゲーム会社の1つとして、その名を世界に轟かせています。同じように、dota allstarsの開発チームも死にませんでした。Valve Corporationによって掠われて、いまではdota2を作っています。私たち4000万人のdota allstarsプレイヤーも死にませんでした。今ではたのしくdota2をプレイしています。誰も死にませんでした。これはハッピーエンドです。違法ダウンロードに端を発した殺し合いは、一人の死者も出す事無く、バラ色の未来を迎えたのです。















一人。
ただ一人。

















一人、死んだ男が居ます。
大団円で終わるには、一人足りません。













「ここをeSportsとする」
彼の夢は打ち砕かれ、
彼の野望は潰えました。


不滅に見えた男の野望は、Blizzard Entertainmentに全ての嘆願を見殺しにされ、僅か半年しか持ちませんでした。Blizzard Entertainmentが彼を殺したのです。いいえ、わかっています。僕等が彼を殺したのです。違法ダウンロードで殺したのです。








そう。
僕等が殺したのです。
僕等が彼を殺したのです。
僕等がdota allstarsを殺したのです。







「ここをeSportsとする」という荒唐無稽な野望を抱き、dota allstarsのコードを改善し続け、それまで放置され続けていたバグを片っ端から可能な限り取り除き、今なお世界中の多種多様なmobaに色濃く残るゲームの根幹要素に関わるアイデアを幾つも実装し、mobaというゲームジャンルを形作った彼を、彼の夢を、野望を、未来を、私たちdota allstarsプレイヤー、即ち違法ダウンロードユーザーが殺したのです。僕等が彼を殺したのです。「ここをeSportsとする」という、本来ならば実現可能だったはずの、巨大な夢を殺したのです。いえ、それは、実現可能だったはずの夢などではありません。男が去ってすぐ、dota allstarsは最も成功したeSportsタイトルとして花開いて行くのです。

そこに男は居ませんでした。男はdota allstarsを去る間際、自らが改善したdota allstarsのソースコードを、暗号化を外した状態で後任へと託していきました。男からそれを受け継いだのは、現在もdota2のデザイナーをしているice_frogです。あれから、もう、10年以上の歳月が流れました。男の夢は叶いませんでした。野望は儚く潰えました。僕等が殺したんです。彼を殺したんです。違法ダウンロードによって、誰かの夢を殺し、必ず約束されていたはずの輝かしい、男の未来を奪ったのです。




そして僕等は今も尚、殺し合いを続けているのです。












































DreamHack。
スウェーデン。

eSportsの中心。
dota allstarsの首都。



DreamHackが開催される度に、世界中でdota allstarsが盛り上がり、DreamHackによってdota allstarsは改善されていきました。Lodaが、H4nn1が、AngeLが、Maelkが、世界中のトッププレイヤーが、DreamHackを舞台に壮絶な死闘を繰り広げました。今よりも遙かにバランスが悪く、統計データすら存在しないゲームで相手の裏をかくために、誰も見た事のないような斬新な戦略がDreamHackで披露されました。東南アジアや中国でも、DreamHackに触発される形で、ネットカフェ主導型の大会や、ゲーム系ウェブサイト主導型の大会が多く開催されるようになりました。男が去って僅か数年後。dota allstarsは世界中で、eSportsとして花開いたのです。







そんな中で、eSportsの熱狂から完全に取り残されてしまった地域がありました。ソビエトロシアです。

スウェーデンという小さな国の世界最大のLANパーティーでこそあるものの、小さな小さなLANパーティーに過ぎなかったDreamHackが、国際大会としての地位を完全に確立できたのには、大きな理由がありました。シェンゲン協定です。欧州統合の流れの中で、ヨーロッパの人達は自由にスウェーデンへと入国する事が出来ました。

ドイツから、フランスから、デンマークから、ノルウェーから、エストニアから、オランダから。スウェーデンの周辺地域から、その国最強のdota allstarsプレイヤーが、国境に妨げられることなくスウェーデンへと入国し、DreamHackに馳せ参じました。SK-Gamingが、Meet Your Meekersが、Mousesportsが、Evil Geniusesが、国籍に縛られることなしに、欧州最強のプレイヤーを集めて国際色豊かなドリームチームを編成しました。けれどもそこに、ソビエトロシアのプレイヤーは一人も居ませんでした。









DreamHack周辺地域である北欧を例外として除けば、dota allstarsが盛んだった地域には、違法ダウンロードと貧しさという2つの共通点があります。当時の中国や東南アジアは、違法ダウンロードが非常に盛んな地域でした。そして、貧しさも重要でした。豊かな国のゲームプレイヤーは、数年前に発売されたWarCraft3を違法ダウンロードせずに、高い性能のPCでないと遊べないような、新しいゲームを違法ダウンロードして遊んだり、Xboxやプレイステーションのような家庭用のゲーム機で、ビデオゲームを遊んでいました。dota allstarsが盛んだったのは、xboxやプレイステーションが普及しなかった貧しい地域。そして、違法ダウンロードが盛んだった地域です。ソビエトロシアはその両方に当てはまっていました。

そうです。

ソビエトロシアは世界でも最大規模の、dota allstarsプレイヤーを抱えていました。ソビエトロシアはdota allstarsの国であり、違法ダウンロードされた、WarCraft3の国だったのです。

DreamHack2006で初めてdota allstarsがメイン競技として採用されるよりも前の時代。ソビエトロシアには大勢の名手がいました。彼らはdota allstarsがまだインターネットの世界に留まっていた頃の主役でした。ソビエトロシアは世界最強のdota allstars大国だったのです。けれども、そんな時代はDreamHackと共に終わりました。ソビエトロシアのプレイヤーは、DreamHackから僅か1000キロしか離れていませんでした。東京と福岡くらいの距離です。けれども彼らはDreamHackへと辿り着くことが出来ませんでした。

ソビエトロシアはシェンゲン協定の外側に位置しており、ソビエトが崩壊してもなお、人の往来を妨げる、鉄のカーテンが横たわっていました。ソビエトロシアのプレイヤーは、DreamHackでの勝利はおろか、敗北すらも叶いませんでした。参加自体が出来なかったからです。ソビエトロシアのチームにとって、それはあまりにも致命的でした。




DreamHackが開催される度に、DreamHackに参加可能な人達は、DreamHackに向けて真剣にdota allstarsに取り組みました。DreamHackという世界最大の大会が生み出すモチベーションは人々を切磋琢磨させ勝利へと駆り立て、dota allstarsの戦略を進化させ続けました。そんなDreamHackが引き金となったdota allstarsの進化から、ソビエトロシアは完全に取り残されました。

SummerとWinter。

年に二回のDreamHackが開催される度に、世界最強のdota allstars超大国であったソビエトロシアはその地位を低下させていきました。DreamHack以前、オンライントーナメントの時代においては主役だったソビエト。世界の最先端を走っていたソビエトロシアのdota。それらはDreamHackというeSportsによって、あっという間に陳腐化して行きました。

もしもソビエトロシアがヨーロッパから1万キロの彼方に存在していたならば、まだ救いはあったでしょう。けれども僅かに1000キロ。DreamHackで華々しい活躍を見せ、世界中から脚光を浴びたプレイヤー達は、普段オンラインにおいては、ソビエトロシアのプレイヤーと共に遊んでいた人達でした。「参加出来れば私たちの方が強いのに」という無念さは、ソビエトロシアのプレイヤーとチームを、あっという間に腐らせていきました。他の地域のチームが栄光の為に、金の為に、人生の為に、dota allstarsをeSportsとしてプレイするのを、ソビエトロシアのプレイヤーはただ指をくわえて眺めているばかりでした。

国境という無用の長物が、ソビエトロシアを凋落させたのです。国籍という、ビデオゲームには最も不要な概念が、ソビエトロシアを凋落させたのです。第一次世界大戦という人類にとって最も暗い時代と、ナショナリズムという支配者が国民を都合よく扇動する為の道具によって生まれた国境という壁が、ソビエトロシアという世界最強のdota allstars大国を、過去へと消し去ってしまったのです。




僕はあの悲しみを覚えています。
僕の体にはあの悲しみが染みついています。

国境によって遮られるまでのソビエトロシアには、きら星のようなプレイヤーが大勢居て、強豪チームがひしめき合っていました。DreamHack以前の世界において、ソビエトロシアは世界最強の地域でした。彼らが見せる大胆で剛胆な挙動と圧倒的なmicro、それでいて統制の取れたチームワークは、僕等の血を熱くたぎらせました。「これがdota allstarsなんだ」僕はそう思いました。

もしも国境という障害がなければ、ソビエトロシアはあのままずっと最強だったでしょう。もしも国籍という障壁がなければ、ソビエトロシアは今でも最強だったでしょう。けれども、そうはなりませんでした。彼らは闘う事すら許されず、沈んで消えて行きました。プレイする事すら許されませんでした。彼らが繰り広げるはずだった、壮絶なeSportsを、僕は見る事が出来ませんでした。国境。国籍。eSportsにおいて最も不要な概念に、彼らは阻まれてしまったのです。かなしいです。僕はいまでもかなしいです。










だからこそ僕は今でも強い確信を持っています。

eSportsは国境に制限されてはいけません。
eSportsは国籍に縛られてはいけません。
eSportsは元来平等なものなのです。

インターネットに接続可能な環境さえあれば、生まれた国や、住んでいる国がどこであろうと、誰もが平等に参加出来る。それがeSportsなのです。世界は一つです。ゲームに国境はありません。本物のeSportsには、国境はありません。世界は一つであり、人類は皆平等なのです。特定の国のプレイヤーのみが参加出来る大会や、国籍や居住地によって参加制限が存在する大会は、eSportsではありません。eSportsの紛い物です。それはeSportsに対する冒涜であり、侮辱であり、eSportsの簒奪なのです。

今ではeSportsは巨大化し、あの頃のようにDreamHackに参加しようにも旅費を捻出することが出来ないといった悲しい事例は減りました。わりとビザも出るようになりました。そんな時代だからこそ、eSportsに国境は不要です。eSportsに国籍は不要です。ビデオゲームに国境はなく、僕等は皆、平等なのです。僕はこの先可能な限り、あの日のソビエトロシアを代弁します。そうしたいと思っています。あの日の彼らの悲しみが、僕を今でも駆り立てるのです。











DreamHackが開催される度に、ソビエトロシアはdota allstarssの進化とeSportsから、取り残されていきました。dota allstarsの大会の賞金額は際限なく暴騰を続け、遂には5000ドルを突破しましたが、ソビエトロシアは蚊帳の外でした。ソビエトロシアのプレイヤーが参加出来るのは、僅か200ドルのオンライトーナメントだけでした。アメリカで開催された大会にも、マレーシアで開催された大会にも、ソビエトロシアのチームは出場出来ませんでした。ソビエトロシアのチームが弱かったからでもありません。ただ、彼らの生まれた国が悪かったのです。彼らの住んでいる国が悪かったのです。彼らの国籍が悪かったのです。

それでも、ソビエトロシアのプレイヤーは、dota allstarsを愛し続けました。ゲームは勝ち負けの為にではなく、楽しむために存在する。ソビエトロシアのプレイヤーこそが、dota allstarsを最も楽しんでいました。ビデオゲームは楽しむものであるというDAICHIの言葉を借りるならば、ソビエトロシアこそが真のdota allstarsだったと言えるでしょう。ソビエトロシアの人民は、勝利の為にではなく、人生を楽しむ為にdota allstarsをプレイしていたのです。、






それから10年後。
The International 2013で準優勝に終わったNAVIのFunn1kは言いました。

「ロシアではdotaは娯楽だが、
 他の地域のdota2は仕事だ。」

だから、ソビエトは世界で勝てない。
Funn1kはそう続けました。

ソビエトロシアにおいて、dota allstarsはずっと娯楽でした。他の地域のプレイヤーが仕事としてのeSportsを選択し、スポンサーマネーで飯を喰い、巨額の賞金を巡って死闘を繰り広げている間中ずっと、ソビエトロシアはdota allstarsを楽しさの為だけにプレイし続けました。長い歳月が過ぎ去って尚、ソビエトロシアのdota allstarsプレイヤーは、dota allstarsを見捨てなかったのです。















あれから随分の時が流れ、dota系ゲームの地図は大きく変わりました。

Riot Gamingという会社がリリースした、dota allstarsと同じように基本無料でありながら、課金システムとpay2winを取り入れたLeague of Legendsというゲームが、世界中様々な地域で大きなシェアを獲得しました。WarCraft3のmodであったが故にdota allstarsでは実装不可能だった、個人の力量に応じた自動マッチングシステムや、プレイヤーの実力がレートとして表示される機能など、人々がdota allstarsに求めていた機能がLeague of Legendsには有りました。

野望の男がかつて言ったように、dota allstarsは死んで行きました。

男が死に際に放った「Blizzardがdota allstarsをサポートしない限りdota allstarsは死ぬ」という予言自体は、Valve Corporationがdota allstarsをBlizzardから強奪した事により完全に外れてしまいましたが、dota allstars(≒dota2)が死ぬという男の予言の大筋は外れませんでした。League of Legendsは世界中でdota allstarsを圧倒する人気を獲得し、2018年、遂にdota allstars(≒dota2)のdota系ゲームにおけるシェアは、5パーセントを割り込みました。

かつては「dota系ゲーム」と呼ばれていたビデオゲームの1ジャンルは、dotaという単語を不自然なまでに忌み嫌ったRiot Gamesによって、「moba系ゲーム」と呼ばれるようになっていました。男の言う通りに、dotaは死んだのです。dota allstarsは死んだのです。

「ここをeSportsとする」という野望の力で走り続けた男の野望は、男がBlizzard Entertainmentに殺されても死ぬことなく生き続け、その力は世界を完全に塗りつぶしました。唯一の例外がロシアでした。ソビエトロシアは、世界中をたいらげた野望の男の夢の力が通用しない唯一の、例外的な不毛の地でした。ソビエトロシア。それは、「dota allstarsは死んだゲーム」という野望の男が残していった呪詛の言葉が唯一通用しない、dota allstarsの聖域でした。








DreamHackによってeSports化したdota allstarsは、僅か数年でその勢いを急速に失いました。最大の要因は、dota allstarsがWarCraft3のmodであったことです。modであるが故に拡張性がなく、modであるが故にWarCraft3というRTSのゲームエンジンに縛られていました。dota allstarsにはWarCraft3由来の不具合が幾つか浮上しましたが、Blizzard Entertainmentは当然それを修正しませんでした。dota allstarsを殺したかったブリザード社には、それを修正する気など、更々ありませんでした。

DreamHackの正式種目としてdota allstarsが採用されてから僅か2年と半年。2008年を最後に、dota allstarsはDreamHackから姿を消しました。それを機に、DreamHackを舞台として活躍していたプレイヤー達は雪崩を打ったように、一人、また一人とdota allstarsをやめていきました。「dota allstarsに未来はない」呪いの言葉がdota allstarsに渦巻いていました。DreamHackを失った欧州のdota allstarsは、完全に死んでしまいました。



けれども世界には、dota allstarsが死ななかった地域がありました。
ソビエトロシアです。




DreamHackにおけるdota allstarsの終了と共に、完全にdota allstarsが過去の物となった欧米とは違い、ソビエトロシアではdota allstarsは人民の娯楽として遊ばれ続けました。ソビエトロシアのプレイヤーにとって、DreamHackからdota allstarsがなくなろうと、なくなるまいと、そんなの全く関係ありませんでした。

なぜならば、ソビエトロシアの人民は、金の為ではなく、勝利の為ではなく、栄光の為ではなく、生活の糧としてではなく、ただ純粋に楽しみの為にdota allstarsをプレイしていたからです!身も蓋も無い話をしてしまえば、ソビエトロシアは終ぞDreamHackに参加出来ませんでした。DreamHackが終わろうと、終わるまいと、ソビエトロシアには関係ありませんでした。

やがて、Steamで有名なValve Corporationがdota allstarsのベタ移植であるdota2をリリースした時、欧米にdota allstarsのチームは残っていませんでした。皆死に絶えていました。けれども、ソビエトロシアでは事情が違いました。ソビエトロシアでは、50ドル100ドルのオンライントーナメントがあれからも定期的に開催され続けてしました。DreamHackの終了と同時に欧米においては完全に過去のものとなったdota allstarsという死んだゲームを、ソビエトロシアの人民だけが、あれからもずっとプレイし続けていたのです。






初めて開催されたdota2の世界大会、The International。その時点において、欧米のdota allstarsは完全に死んでいました。けれども、ソビエトロシアでは事情が違いました。dota allstarsが生きていました。




3万ドルとも、5万ドルとも噂されたThe Internationalの賞金額は蓋を開けてみれば100万ドル。dota allstarsをやめていたプレイヤー達が慌ててdota2を触り始めましたが、DreamHackで活躍しその名声をほしいままにしていた彼ら欧米のプレイヤーには、巨大なブランクが存在していました。DreamHackで最後にdota allstarsのトーナメントが開催されてから、既に3年の歳月が流れていました。3年間dota allstarsをやっていなかった人達と、3年間dota allstarsが人民の娯楽として遊び続けられていたソビエトロシア。結果は火を見るよりも明らかでした。

国籍という障害、
国境という障壁。

eSportsに不要なものが、valveによって取り除かれたソビエトロシアに、敵は居ませんでした。The International 2011で優勝したのは、ソビエトロシアのNavi。DreamHackには一度として参戦出来なかったプレイヤー達でした。けれども、これには1つのからくりがありました。












確かに、ソビエトロシアだけがdota allstarsを娯楽として遊び続けていました。DreamHackを失った欧米のチームが悉く活動を停止し、欧米のプレイヤー達がdota allstarsをやめてなお、彼らはdota allstarsを遊び続けていました。けれどもそれは、娯楽としてでした。そんな中で、仕事としてdota allstarsをプレイし続けた国が世界に1つだけ存在していました。その国はソビエトロシアの5倍の人口を誇り、決して豊かではなく、違法ダウンロードが盛んな国でした。dota allstarsの為に存在するような国でした。

中国です。

DramHackに触発される形で、中国でもdota allstarsがeSportsとして立ち上がりました。時は2006年。当時はまだ動画配信サイトなどなかったので、ネットカフェ主導型の大会や、ウェブサイトが主催する大会などが主でしたが、その結果はリプレイとしてインターネットで公開され、世界中のdota allstarsプレイヤーを震撼させました。中国のdota allstarsのレベルは明らかに、世界で一番高かったのです。それも頭一つなどというレベルではありませんでした。飛び抜けていました。

DreamHackにまだdota allstarsがあったころ、幾つか世界的な大会でdota allstarsが主要種目として取り上げられたことがありました。そこでは中国のチームが必ず勝ちました。DeramHackで我が世の春を謳歌していた欧米のチームは、中国のチームに全く刃が立ちませんでした。世界は知りました。dota allstarsは中国のものだと。そして皆口々に言いました。「中国のdotaはつまらない」




「中国のdotaはつまらない」

そう言って、英語のインターネットはDreamHackを称えました。欧米のチームは面白いdotaをするけれど、中国人のdotaつまらない。中国人は英語を喋れません。ロシア人も英語を喋れません。ソビエトロシアはeSportsの世界に存在していなかったので、誰からも攻撃されませんでしたが、中国は違いました。中国にはeSportsとしてのdota allstarsが存在し続け、そのリプレイが世界に広まってしまいました。中国で独自の発展を遂げたeSportsは中国のdota allstarsチームに経済的な余裕を与え、ソビエトロシアのチームが鉄のカーテンに阻まれている間もずっと、中国のチームはは国際大会に参加し続けました。そして優勝し続けました。その度に中国は英語圏のインターネットから同じ言葉を投げかけられ続けました。「中国人のdotaはつまらない」





「中国人のdotaはつまらない」
それはただのレッテルでした。
いわれなき誹謗中傷でした。





けれども英語の世界において、それは常識として語られ続けました。僕には欧米の人間、即ち英語の人々が、いったい何を持って「中国のdotaはつまらない」と言っているのか、終ぞ理解出来ませんでした。私見として述べさせて頂くならば、それらは完全に負け惜しみと人種的偏見から生まれた誹謗中傷でしかありませんでした。けれども、「中国のdotaはつまらない」と暴走する英語圏のdota allstarsコミュニティにおいて、その流れが止まる事はありませんでした。




今でこそ、中国は力を持っています。

ハリウッド映画には中国人が善人として登場し、中国企業が善良な存在として登場します。なぜならば、中国は世界最大の商圏だからです。ビデオゲームの世界においてもそれは同じです。中国で人気のキャラクターがゲームに登場し、中国の正月である旧正月には特別なイベントまで開催されます。12億人という膨大な人口と、飛躍的な経済発展を背景に、ゲームの成否の命運を、中国という巨大な商圏が握る時代が訪れたのです。

けれども、dota allstarsにおいては、話が違いました。
dota allstarsはそもそも、商売では無かったのです。






dota allstarsはただのmodでした。

ただのmodであったが故に、1円の収入も生みませんでした。1円の収入も生み出さないということは、中国人の財布を気にする必要がないといことです。「ここをeSportsとする」という見果てぬ野望と高い志を持っていた男からdota allstarsを引き継いだ後任の人物には、「ここをeSportsとする」などという、高い志はありませんでした。その後任者は、大会で身内を活躍させるために、身内の人物が得意としていたキャラクターを大会の直前に突然強化するような、小汚い男でした。そして彼は、中国人ではありませんでした。「中国のdota allstarsはつまらない」欧米のdota allstarsコミュニティが英語のインターネットで中国人を口汚く罵るのに呼応して、アップデートの度に中国の戦略が片っ端から潰されていきました。




それが頂点に達したのは2010年。
LGD.sgtyという中国のチームが世界大会で優勝した時でした。




「中国人はつまらない」

2018年の今もなお、dota16年の歴史の中で最強のチームの候補としてその名を挙げられるLGD.sgtyは、全てのゲームで対戦相手を完封し、事実上1ゲームたりとも敗れることなく優勝します。それは、伝説的としか表現できない強さでした。

もしも彼らが欧米のチームであったならば、世界中、即ち英語のインターネットから、手放しの称賛を受けたであろうその圧倒的な優勝劇は、英語のインターネットから「つまらない」の一言で切り捨てられて終わります。「中国人のdotaはつまらない」






中国人はつまらない。
中国人はつまらない。

5年間もの長きにわたり繰り返された英語のインターネットによる誹謗中傷は遂に臨界点に達し、中国にまで伝わりました。dota allstars史上最強かつ最高のチームが、つまらないの一語で切り捨てられる現状に、中国はついに怒りました。「自分達の国のチームが勝てないことを、英語圏のインターネットはつまらないと言ってるだけ」正論でした。けれども、「ここをeSportsとする」という崇高な志を持った野望の男を失ったdota allstars開発チームの前では、正論は無力でした。彼らは中国の戦略を潰す為のアップデートを繰り返し、中国人が勝てないゲームを作ろうと苦心惨憺を重ね続けました。中国で、dota allstarsが急速に人気を失って行くのは当然の帰趨でした。時は2010年。Riot GamesがLeague of Legendsをリリースするより、ちょうど1年前の出来事でした。




中国を勝たせたくないという彼らの思惑がどの段階で成功したのかには、諸説が入り乱れています。確かなこととして残っているのは、dota2最初の世界大会となったThe International 2011において優勝したのは、世界最強のeSportsを誇った中国ではなく、ソビエトのチームだったという事実です。

The International 2011において中国のチームは、LAN対戦モードが存在せず、サーバーを介してしか練習すら出来ないdota2というゲームにおいて、中国サーバーが存在しないという理不尽な状況下で、予選も行われないまま無理矢理参加させられ、中国では未だdota2がプレイ不可能なことを理由に招待を辞退するチームが出る中で、練習はおろか、自身のパソコンにdota2をインストールしたことさえ無いプレイヤーを抱えながらグランドファイナルまでは辿り着くものの、ソビエトロシアのNaviに敗れて優勝を逃します。




dota2はdota allstarsのベタ移植です。

The International 2011の時点で、dota allstarsには110のキャラクターが存在していました。けれども、dota2に実装されていたのは、そのうち僅かに46キャラクター。中国チームは自国サーバーが存在せずプレイはおろか練習すらも不可能だったというだけではなく、彼らが最強のdotaを行う為に必要だったキャラクターが、悉く実装されていなかったのです。

stamユーザーの8割が中国人となった、2018年の今では信じられないことですが、当時はまだvalveにとっての中国、あるいは欧米のゲーム会社にとっての中国なんて、存在しないに等しい、チートと違法ダウンロードという名の疫病が蔓延するだけの、触れたくもない暗黒の大陸だったのです。

「中国人のdotaはつまらない」という、5年以上の長きにわたり英語圏のインターネットで繰り返された、一切の論拠を持たない中国バッシング。その声に呼応して繰り返された中国チームを潰す為のアップデート。明確な悪意を持って意図的に用意されない中国サーバー。Blizzard Entertainmentとは比較対象にもならないようなレベルの低い3Dモデルと3Dアニメーション。半分にも満たない実装キャラクター。明確なdota allstarsの劣化コピーでしかないdota2。そんな中で開かれたThe Internationalという中身の無い世界大会。valveが制作した、最強の悪役中国がnaviに正面から敗れた事になっている捏造のドキュメンタリー映画。積み重なった中国に対するdota allstars開発チーム(=valve)の行いは、dota allstarsが中国人民の支持を失うに十分なものでした。







そんな中国に、一人の男が降り立ちました。

太古の昔、荒唐無稽で実現不可能な野望に基づいて、クソゲーですらなかった、まともに動かないバグだらけの闇鍋を、世界で最も愛されるビデオゲームへと作り替え、僅か半年でdota allstarsのプレイヤー人口を3倍にまで拡大させるも、Blizzard Entertainmentによって見殺しにされ、「クソゲーはどれだけ手を加えてもクソゲーにしかならない」とdota allstarsを罵りながら苦悶の中で死んでいったあの男です。自らの名前をつけたguinsooという名の最強武器をdota allstarsに実装し、そのあまりの強さから彼がdota allstarsを去ってからも長きにわたり、大会においては1チームに1つまでという購入制限がついたり、その使用自体が禁止されたりといった禍根だけを残して僕等の前から消えて行った、あの男です。そして降り立った中国で、まるであの日と同じように、野望の男は言いました。「ここをeSportsとする」

























The International 2011を最後に、
ソビエトロシアは負け続けました。



ソビエトロシアのチームには、致命的な弱点がありました。確かに、ソビエトロシアではdota allstarsが盛んでした。けれども、それはeSportsとしてではありませんでした。仕事としてではなく、娯楽として盛んだったのです。ソビエトロシアのプレイヤーは、他の地域でdota allstarsが廃れてもなお、楽しむ為だけにdotaをプレイし続けました。

そんな時代があまりにも長く続いたせいで、ソビエトロシアのdota2チームには、他の地域のチームのような真剣さがありませんでした。真面目に練習をしないし、戦略も行き当たりばったり。5人のプレイヤーそれぞれが、自分のやりたいことをやろうとするだけ。そんなソビエトロシアの惨状を見て、naviのfunn1kは言ったのです。「だからソビエトは世界で勝てない」

中国サーバーが稼働して以降、dota2においてソビエトロシアが優勝する事はありませんでした。世界最大のdota2人口を誇り、dota2がLeague of Legendsに勝利した唯一の地域として知られるソビエトロシアは、それからずっと負け続けたのです。だからこそdota2は、「ロシア人が遊び、ロシア人が見て、ロシア人が負けるゲーム」と揶揄されたのです。






時は2016年。

永遠に続くかに思われたソビエトが敗れ続ける時代を終わらせる、1つのニュースが飛び込んで来ます。総資産150億ドルのアリシェル・ウスマノフという大富豪が率いる投資会社が、eSportsに1億ドルの投資をしたというニュースです。投資を受けたのは、ロシアはモスクワに拠点を置くVirtus Pro。このニュースこそが、全ての始まりでした。

「ロシアではdotaは娯楽だが、
 他の地域のdota2は仕事だ。」

そんな時代は、この日を最後に終わったのです。
ソビエトが仕事をする時代の幕開けでした。




Virtus Proは、The International 2016の出場権を獲得することすら出来なかった既存のチームを解体し、新しいチームを作ります。他のチームからソビエトロシアの最強プレイヤーを引き抜いて掻き集め、強引に新しいポジションへと配置転換することで、ドリームチームを作り上げました。最高のプレイヤー、最高のコーチ、最高の環境、最高のマネジメント。世界で最も潤沢な資金を背景にVirtus Proは、ソビエトがeSportsの世界で勝利する為の全てを行いました。

ソビエト中の強豪チームから、主力プレイヤーを引き抜く事で完成した新生Virtus Proは、その結成と同時に圧倒的な完成度でdota2シーンに登場し、「敗者を何人引き抜いても敗者」という世界中の皮肉屋を黙らせる勝利を収め続けます。以前のVirtus Proが勝てなかった相手に打ち勝って欧州予選を突破し続け、国際大会の出場権利を、1つも取り逃すことなく片っ端から手に入れていきます。そこで積み重ねられた勝利という結果よりも重要だったのは、彼らのプレイ内容でした。新生Virtus Proは、それまで誰も目にした事のなかったゲーム解釈とチームワークを見せ、「チームワークで勝つのは弱者、個の強さで勝つのが強者」というdotaの常識を完全に覆してしまいます。

彼らはそのままの勢いで無敗のまま、初の国際大会となったThe Summit 6において、後にメジャー大会3連続優勝という偉業を成し遂げるOGを向こうに回し、勝者側決勝で2連勝、グランドファイナルで3連勝と、尋常ならざる異次元の強さで5連勝。dotaのそれまでの常識を、完全に否定して見せました。





「グループアップする」
「オブジェクトをとる」
「チームワーク」
「寄りの速さ」

dotaにおいては完全に
否定されていた要素でした。





dota allstars(≒dota2)はWarCraft3tftのmodでした。

かつてのdota allstarsは、mod戦国時代を勝ち抜くために、ゲームデザインという信念を持たぬまま、でたらめに巨大化し続けた闇鍋でした。そして驚くべき事に、dota allstarsは闇鍋時代から一度として大きなリメイクを受けていません。ゲームの基本構造はそのままで、様々な改修が続けられてきました。

グループアップはしないほうがよく、チームワークは意味をなさず、味方が戦闘をはじめても寄らず、オブジェクトは取らないほうがよく、キルを取ると損をする。dotaはそんなクソゲーとしての姿を原始から、ずっと残し続けてきました。「クソゲーはクソゲーにしかならない」という、野望の男の捨て台詞は正しかったのです。

その常識を、Virtus Proは否定して見せました。彼らはグループアップしたら負けるクソゲーでグループアップをして勝ち、寄ると損をしてゲームに負けるdotaにおいて寄りの速さで勝ちました。オブジェクトを取ると損をするゲームで5人でオブジェクトを取りに行き、チームワークが意味を持たないdota allstarsを、チームワークで制したのです。

事件でした。
衝撃でした。
常識が覆されたのです。

dota allstarsの世界では、未だ誰も目にした事のない、まるで別のゲームをやっているかのような、Virtus Proの異常とも異端とも言える異様な戦略は、人々の胸に一つの単語を浮かび上がらせました。リーグオブレジェンズ。




誰かが言いました。

これは、League of Legendsだ。
Virtus Proは、League of Legendsだ。















リーグオブレジェンズ。

The Summit 6の圧倒的な優勝を境に、Virtus Proはそう呼ばれるようになりました。商業的にはLeague of Legendsがdota2に敗れた唯一の地域であるソビエトロシアのモスクワに拠点を置くVirtus Proが皮肉にも、League of Legendsという名を以て称えられ、League of Legendsという看板を背負って闘うことになったのです。これが悲劇の始まりでした。







Virtus Proは世界で一番美しいdotaをし続けました。

ソビエト中から集められた最強の5人が見せる、流れるようなチームワーク。濃密なトレーニングによってのみ成し遂げられる、全ての歯車が咬み合い回る精密機械のような集団挙動。1億ドルという世界最大の資金力によって召集された高度な数学のバックボーンを持ちコンピューターサイエンスの博士号を持つ世界最強のバックアップチームにより、全てのオブジェクトは数値化された目標として共有され、その数値に基づいて行われる理論に基づく確かな意志決定。それを成し遂げる為に用意された他のチームとは全く違う思想を持ったpick&ban。チームワークは溺れる弱者が縋る水面に浮かんだ一本の藁のようなものだと言われ続けていたdota allstarsというゲームにおいて、勝利の為に掻き集められたソビエト最強の5人であるという誇りから生まれた信頼関係が、完璧な形で成り立っているからこそ成り立つ薄氷を踏みコペンハーゲンはおろかヨンショーピングまで滅ぼす勢い、僅か2秒で相手チームを全滅させる、一糸乱れぬ奇跡的なチームワーク。見る者全てを魅了する、世界で最も洗練された、世界で最も真面目なチーム。美しくて強く、強くて美しいVirtus Proのdota。それは、世界で最も多くのプレイヤーを獲得したビデオゲームを持って言い表されるに十分な、世界で一番のdotaでした。そして彼らは、負け続けました。









The Summit 6の優勝を最後に、
League of Legendsは敗れ続けました。









何故Virtus Proは負けたのか。
そして負け続けたのか。

その問いに答えるのはとても簡単です。dota2はLeague of Legendsではなかったのです。かつて野望の男が「クソゲーを改良してもクソゲーにしかならない」と匙を投げた、バージョンをどれだけ重ねても、クソゲーにしかなれないクソゲーでした。グループアップをすれば負けるクソゲーだったのです。キルを取れば損をし、チームワークをとれば損をし、オブジェクトを取ると負けるゲームだったのです。純度100パーセントの金無垢の、紛うことなきクソゲーだったのです。それ故にVirtus Proは負け続けたのです。あの時は純粋な畏敬の念を持って呟かれた「League of Legends」という言葉が、誹謗中傷としての色を帯び、Virtus Proを襲いはじめました。Virtus Proが国際大会で、グループアップという概念も、寄りの速さという概念も、オブジェクトを取るという概念も持たない、岩の上を這う粘菌のような戦略で戦う他のチームに惜敗する度、「This is League of Legends」という品性の無い流行語がインターネットを飛び交いました。

ご存じの通り、League of Legendsというゲームは、dotaプレイヤーの間では、なぜだか少しだけ敵視されています。同じように、ソビエトロシアという国もまた、dotaプレイヤーの世界で敵視されています。ここでいう世界とは、あの日、中国が見せた最強のdotaに対して「つまらない」と言いがかりを付け、アップデートによって中国の戦略を片っ端から潰させた、英語のインターネットのことを指します。League of Legendsという僕等の世界で敵視される文字列と、ソビエトロシアという世界中から嫌われている国が一体化したことにより、人々の心は一つになりました。Virtus Proを嘲笑おう。Virtus Proを馬鹿にしよう。Virtus Proが負けるのを見よう。




世界で一番美しいdotaをするチームとなったVirtus Proは、世界中の人々の慰み者となりました。かつて5年以上もの昔、同じように世界で一番美しいdotaをしていた、歴史上最強のdotaチームである中国のLGD.sgtyは、そのあまりの強さが故に、潰す為にはpatchが必要でした。ゲーム本体の改変が必要でした。世界中、即ち英語のインターネットによる後押しを受けて、今もdota2を改変し続けるdota allstarsの開発はLGD.sgtyが二度と勝てないようにと、手を変え品を変え中国を潰しにかかりました。けれどもVirtus Proは、あの時とは全く違いました。世界中の嘲笑を浴びながら、勝手に自壊していきました。

そもそも、dota allstarsというクソゲーにおいて、グループアップして勝つとか、オブジェクトを取って勝つとか、練習で鍛え上げた精密なチームワークで勝つとか、そんなもの、夢物語だったのです。数学的知識で凝り固まった、現場を知らないコーチとデータサイエンティストによる卓上の空論だったのです。dota allstarsは紛う事なきクソゲーで、dota2はdota allstarsのベタ移植です。しかも同じ人間が作っています。即ちdota2はクソゲー。それも救いようのないクソゲーだったのです。

そのクソゲーにおいて決して勝ち得ない戦略を、Virtus Proは選択してしまっていたのです。故に彼らは負け続けました。ソビエトの膨大な人口を背景とした圧倒的な個々の技量と、断トツの練習量から生み出される異次元のチームワークは、Virtus Proを優勝を狙える位置へと辿り着かせ続けます。けれども、終ぞ彼らは勝てませんでした。Virtus Proは負け続けました。世界中の誰よりも優れたプレイをし、素晴らしい内容を残しながら、惜しくも敗れたVirtus Proに寄せられたのは、彼らの健闘と弛まぬ努力を称える声援などではなく、1つの罵声でした。「This is League of Legends」

彼らは自国開催となったキエフメジャーにおいて、グランドファイナルまでは辿り着く事に成功します。けれどもグランドファイナルで彼らに待っていたのはいつもと同じ敗北でした。

ペテンと呼ばれたスーパースターJerAxというフィンランド人によって作られた、海より深く空より広い、作った本人にすら誰が作ったのかわからぬような、脱出どころか理解も不可能なクソゲーの迷宮へと迷い込んでしまったVirtus Proは、自分達の居場所をも完全に見失ったままで、まるで念仏のように「チームワーク、チームワーク」「グループアップ、グループアップ」と唱えながら右往左往を繰り返し、でたらめにその辺の道ばたで拾った石にマヨネーズをつけてばくばく食べてるだけのチームワークどころか戦略という概念すらも持たないような連中に、フルセットの果てに、誰もが己の目を疑うまさかの敗北を喫して散りました。飛び交ったのはもちろんあのフレーズです。This is League of Legends。

また、彼らは他の大会の予選において何者かからのDDOS攻撃を受け、プレイが不可能であると棄権してルーザーズに落ちる事を選択します。プレイヤー全員にSNSを禁止させ箝口令を敷いて軟禁状態で疎開地へと逃げ、誰も知らないはずの秘密の場所からプレイしたルーザーズのゲームにおいても、何者かからのDDOS攻撃を受け、1ゲームもプレイすることすら叶わずに、メジャー大会から姿を消しました。それは世界の誰かにとっては素晴らしいニュースでした。なぜならば、ロシア人が消えたのです。League of Legendsが消えたのです。






Virtus Proは負けました。
負け続けました。

それでも彼らはめげませんでした。挫けている場合ではありません。彼らには勝たねばならぬ理由がありました。dota allstarsは仕事でした。もはや娯楽ではなかったのです。結果が求められました。何よりも勝利が必要でした。

世界で一番完璧なグループアップをしても勝てない。世界中の誰よりも早く寄っても勝てない。どのチームよりも迅速にオブジェクトを取っても勝てない。断トツのチームワークで動いても勝てない。クソゲーという現実の高く立ちはだかる壁によって行く手を完全に阻まれた彼らは、勝利の為にこれまでの戦略を捨てて、新しい戦略に基づいて戦う事を決断します。

完璧なグループアップをしても勝てないのなら、もっと完璧なグループアップを。誰よりも早く寄っても勝てないならば、それよりもっと早く寄る。迅速にオブジェクトを取っても勝てないなら、もっとはやく、もっともっとはやく、光の速度でオブジェクトを取る。世界最高のチームワークを実現しても勝てないのなら、5人のプレイヤーが心を1つにして、もっと素晴らしいチームワークをとる。


沼でした。
それは沼でした。
底なしの沼でした。





責任のないものが責任を負わされ、善処が怠慢として扱われる中で他ならぬ自らの責め苦を受ける、自らを責めなくていいものが自らを責め、自責の念で心を壊して瓦解していく、そんなどこにでもあるような、人間が作った致死性の、運の無いものが嵌って沈む、ありふれた底なしの沼でした。勝てないのは練習が足りないから。勝てないのはチームワークが足りないから。そんな幻影に捕らわれてしまったVirtus Proは、国際大会に出場して敗れる度に、その敗北を振り返って反省し、敗北の原因を修正しながら、さらなる進化を続けました。彼らは道無き道を切り開き、間違った方向へと進み続けました。

Virtus Proが世界に誇る歴史上最強のキルプレイヤー捕食者ラムゼス666は、キルレ8のキャラクターを封印し、キルレが3に満たないキャラクターに奔りました。オブジェクトを取る為です。かつてはソ連をcarryしたVirtus Proの最強プレイヤー9pasは、勝率80%近いキャラクターを封印し、見ていて眠たくなるような退屈なタンクをプレイし始めました。チームワークの為です。

5人のプレイヤーそれぞれが、得意としていたキャラクターを捨て、得意としていたプレイスタイルを封印し、チームワークに特化しづけました。グループアップに特化し続けました。そしてdota allstarsというクソゲーは、グループアップをすると負けるゲームでした。Virtus Proは必然的に負け続け、あの日の標語が蘇りました。「dota2はロシア人がプレイし、ロシア人が見て、ロシア人が負けるゲーム」

「This is League of Legends」
彼らに救いはありませんでした。

Virtus Proが見せる一糸乱れぬチームワークと理論に基づく強い確信から来る決断力は、ケラチンとキチンではなく、光と空で出来た孔雀の羽根のように美しく見る者の心を魅了しましたが、その美しさは戦場においては決して勝利へと繋がらないという一点において無用の長物であり続けました。世界中を黙らせたThe Summit 6 におけるたった一度の奇跡的な優勝を最後に、Virtus Proは負け続けました。グループアップとオブジェクトと寄りの速さという三種の神器によって成り立つチームワークをランタンの灯して彼ら突き進む細く長いシベリヤ行きの片道通勤快速は、出口が見えないだけではなく出口などどこにも存在しない蛸壺であるが故に、絶望という言葉をもって言い表される、Virtus Proの解散が発表される為にだけ作られた墓標であり、League of Legends臨終の地でした。












けれども、神は彼らを見捨てませんでした。

死に行く運命にあったLeague of Legendsに、
一筋の光が空から射します。

光の正体は、League of Legendsでした。











League of Legends。

何故かDotAという文字列を忌み嫌うRiot Games社によって、moba系と言い換えられてしまった、かつてはDotA系ゲームと呼ばれていたジャンルの覇権タイトル。そのビデオゲームを作ったのは、あの男でした。Blizzard Entertainmentによって、いや全世界4000万人のWarCraft3を違法ダウンロードしたdota allstarsプレイヤーによって殺された、あの日「ここをeSportsとする」という荒唐無稽な野望でdota allstarsを世界で最もプレイヤーの多いオンラインゲームへと、ソビエトロシアで最も愛され続けるビデオゲームへと造り替えた男が、「クソゲーを改善してもクソゲーにしかならない」という彼自身が看過したdota allstarsの構造的欠陥から逃れて作ったビデオゲームでした。

guinsooという名で知られるその男が、dota allstarsの欠点と反省を踏まえて、新しくデザインしなおしたLeague of LegendsというDotA系ゲームは、その高い志とあの日僕等を熱く滾らせた、そしてdota allstarsをWarCraft3tftのmodの覇者たらしめた猛烈な情熱と仕事量によって、guinsooの後釜にたまたま座っていただけの、能力も信念も情熱も野望も持たず、英語のインターネットによるチャイナバッシングに便乗してdota史上最強の戦略を誇ったLGD.sgtyを懲罰的なpatchで潰した、dota allstarsの無能なデザイナーが作ったdota2を完全に駆逐し淘汰して、DotA系ゲームの、いえ、moba系ゲームの頂点に立ちました。いいえ、違います。

あの日dota allstarsを造り替えた野望の男が作ったゲームが立ってたのは、moba系ゲームの頂点などではありませんでした。それは、オンラインゲームの頂点であり、ビデオゲームの頂点でした。彼が作ったLeague of Legendsが、負け続けるソビエトロシアを体現する死に体の、美しく弱いLeague of Legendsを窮地から救い出しました。














時は2017年。

それまでは小さな増減を繰り返しながらも、steamという1億5000万人もの圧倒的な人口母体を持つプラットフォームの底力と、プラットフォームを握った者にのみ可能な、クライアント内で露骨に展開される広告の力を背景として、かろうじて増え続けていたdota2のアクティブプレイヤーが遂に減少へと転じます。DotAというジャンルを作った元祖のDotAと、野望の男が造り替えたdota allstarsという貯金をすり潰す事だけで生きながらえてきた、無能な人々によって作られ運営されるdota2というビデオゲームが必然として迎えて辿る、当然の落日でありました。




dota2はdota allstarsのベタ移植でしかないにも関わらず、キャラクターの移植が全て完成したのは開発開始から8年後。その8年間でLeague of Legendsにおいて実装された新キャラクターはおよそ100。一方で同じ8年間でdota2に実装された新キャラクターは僅かに1。100倍の差がありました。

その唯一実装されたキャラクターは、もはやdota2になど誰一人として興味を持たなくなっていた中国に媚びを売るためだけに、pickした時点で勝率が20%上がるというでたらめな調整で実装され、それまでアクティブだった多くのプレイヤーをインアクティブへと追い込んだ、孫悟空を摸したキャラクターのみでした。

valveが主催する大会においては、dota allstarsの開発チーム(≒dota2の開発チーム)とのコネがある古くからの知り合いが運営する特定のチームが優遇され続け、直前の三ヶ月で国際大会を複数回の優勝を遂げたチームが招待されない一方で、一度として優勝していないものの、valveにとっての経済的なメリットが存在する地域のチームが予選を免除されて招待されました。

また、ダブルイリュミネーションとは名ばかりの、勝者側を勝ち上がったチームが何故か1ライフしかないという、勝ったチームが損をする理不尽で意味不明な運営が、そこに出場するeSportsプレイヤーからも異議を唱え続けられながら、8年もの長きにわたって継続され続け、今もそれは続いています。

valveの商売にとって重要な地域のプレイヤーはどのような違反行為を行ってもすぐにBANを解除され平然と国際大会に出場し続ける一方で、valveの売り上げに貢献しない地域のプレイヤーのBANは、軽微な違反であっても永久に解除されませんでした。

dota allstarsからの移植とは名ばかりの、意図的にゲームバランスを崩壊させるレベルでの強化が行われたキャラクターが度々実装され、その度に世界中のdota2プレイヤーがvalveに悲鳴にも似た苦情を陳情として上げ続けましたが、その陳情に対してvalveは一切取り合わず、「大会用のバージョンでは使えないから安心して」という意味不明な答弁だけが私たちに向けて行われました。なお、私たちが普段dota2を遊んでいるパブのマッチメイキングにおいて、大会用のバージョンを選択することは出来ません

。valveの行いは全てが理解不能でした。私たちに理解出来たのは、dota2というのは、ただ偶然そこに居たというだけの理由によってguinsooが造り替えたdota allstarsの開発の後任の座についた、完全に無能な人達によって開発運営されているのだという、揺るがぬ事実だけでした。

当然の結果としてdota2のプレイヤーの増加のペースは鈍り、valveが自社のプラットフォームであるsteamを利用して無理矢理ブーストを行っても、プレイヤー人口の維持すら難しくなっていました。この期に及んでdota2の開発チームがとった選択肢は、私たちを唖然とさせるものでした。彼らはパクリました。後発のゲームをパクりました。









パクリ元は、世界最強のゲーム会社。
Blizzard Entertainmentでした。


Blizzard Entertainmentは独自のmobaを開発し、dota2から遅れる事さらに数年後、リリース時期の遅れから商業的には完全に失敗してしまったHeroes of the Stormというゲームを世に送り出しました。

差し迫った予測可能で回避不可能なプレイヤー人口の減少という未来を間近に控え、無能な男に指揮されたdota2の開発チームは、世界で一番の名声を持つゲーム会社が作ったmobaを、露骨に、そして雑にパクりました。そのパクリはあくまでも表面的なものでした。

Blizzard Entertainmentがなぜそのようなゲームデザインを行ったのかという、ゲームの面白さの根幹の部分は完全に無視され、ただ雑に、でたらめに、適当にガワだけをパクってdota2へと実装したのです。

それは、クソゲーの終わりでした。
dota allstarsの終わりでした。












かつて野望の男の明確な意志と、荒唐無稽という単語を持って言い表されるべき崇高な目標によって、闇鍋からクソゲーへと造り替えられたdota allstarsという人類史上最も成功したクソゲーの歴史が、遂に終わった瞬間でした。

男によってビデオゲームへと造り替えられたdota allstarsという闇鍋は、12年の歳月を経て、どのような目標に基づきどのようなゲームを作るのかという明確な意志を持たない人達が、インターネットで面白そうなゲームを探して見つけ、でたらめに様々な要素をパクって練りもせずそのまま投入するだけの、元の木阿弥闇鍋に、再び戻ってしまったのです。

1つのゲームが死にました。
1つのクソゲーが死にました。
dota allstarsが死にました。












それは、男の予言の通りでした。
あの日、彼は言いました。

「dota allstarsは死んだゲーム」
そう言って死んで行きました。













そして、dota allstarsは死んだのです。
偉大なるクソゲーは死のだのです。











いえ、dota allstarsは死んだのではありません。
dota allstarsは殺されたのです。
あの男に殺されたのです。















私たち全世界4000万人のdota allstarsプレイヤーが、battle.netには接続不可能な違法ダウンロードしたWarCraft3で、仮想LANツールを用いて不正にdota allstarsをプレイし続けることにより、自ら手を下すことなく、Blizzard Entertainmentに見殺しにさせる事により、間接的に殺したはずの、たしかに殺したはずのあの男によって、dota allstarsというクソゲーは、その生涯を終えたのです。

そこに残されたのは1つの闇鍋。ちょうどあの頃と同じような、どこにも救いのないでたらめに、材料を放り込まれるだけの、出口の見えない闇鍋でした。唯一あの頃と違っていたのは、2018年のdota allstars(≒dota2)は、もはやあの頃とは違い、ケラケラ笑ってたのしく遊べる代物ではなくなっていた、ということくらいでしょうか。それと、肝心なことがもう1つ。野望の男が居ませんでした。







もう二度と。
あの男は戻りません。

未来永劫。
dota allstarsに存在しません。





















あの日。
僕等は無法者の集団でした。
良識などどこにもありませんでした。

380万本しか売れなかったWarCraft3tftのmodが4000万人ものプレイヤーを集める事が出来たのは、僕等が人を人とも思わず、法を法とも思わない、購入することなしにビオでゲームをプレイし、購入することなしにビオでゲームを語り、購入することなしにビデオゲームを消費する、無法者の集団だったからです。

dota allstarsプレイヤーとは、違法ダウンロードしたフルプライスのビデオゲームを、不正な仮想LANツールを用いて遊ぶ人々の総称だったのです。guinsooがdota allstarsを去ると言いはじめたとき、彼等の反応は非常に素直なものでした。彼等はguinsooを、口だけの男として扱い嘲笑いながら罵倒しました。「おまえはここをeSportsにするんじゃなかったのか?舌先三寸の法螺吹きが」。それは、DreamHackのメイントーナメントにdota allstarsが採用される僅か1年前の出来事でした。「dota allstarsは死んだゲーム」という男の発言もそれに輪をかけましたが、全世界1000万人のdota allstarsプレイヤーがguinsooとの決別を決断するのに決定的だったのは、男が最後に残していった、違法ダウンロードへの強い非難でした。「違法ダウンロードはビデオゲームを殺します」そう言ったのです。それは私たちにとっては、決定的な宣戦布告でした。許されざる発言でした。

なぜならば、そもそも私たちdota allstarsプレイヤーこそが、彼をスターにしたんです。guinsooを有名にしてやったんです。私たち全世界1000万人のdota allstarsプレイヤーが、朝も夜もお構いなしに一心不乱にdota allstarsをプレイし続け、リアルの友人に、あるいはネット上のフレンドに、torrent linkを送信してダウンロードさせて布教して、世界中にdota allstarsを広めたんです。

誰かの後を継いだだけの名前も知らない男が造り替えようとするも、未だ闇鍋とクソゲーの境界線上を彷徨っていたdota allstarsを、他ならぬ私たちこそが世界的なビデオゲームにしてやったんです。男はその恩を忘れ、俺達を罵倒したんです。「おまえらがビデオゲームを殺す」と罵ったのです。馬鹿にするのもいい加減にしてください。私たちはguinsooに感謝されて然るべき立場だったのです。私たちdota allstarsプレイヤーが、あいつを有名にしてやったんです。奴はその恩を忘れただけでなく、こともあろうか私たちを罵ったのです。

そもそもguinsooはアメリカ人です。私たち世界中に散らばったdota allstarsプレイヤーとは違い、裕福な国に住む先進国の人間です。WarCraft3tftはフルプライスで80ドル。そんな大金を無料でダウンロード出来るゲームに支払うのは、脳味噌の足りていないまぬけな馬鹿と裕福な金持ちだけです。日本語翻訳版は80ドルなんて生やさしいものではありません。本体だけで8800円。拡張パックtftも含めれば14000円です。無料でダウンロード出来るゲームに、14000円という法外な値札をつけて売っていたのです。犯罪企業カプコンによる悪徳商法以外の何物でもありません。俺達が育ててやった恩を忘れて私たちを罵った人間にかけてやる情けなどありません。guinsooは私達dota allstarsプレイヤーから、罵詈雑言を浴びせかけられて然るべき事をやったのです。俺達ではなく先に向こうが、私達を罵ったのです。

当然僕等は、guinsooに後足で砂をかけて追い出しました。二度と帰ってくるなと、塩も撒いたと思います。けれども、その男は帰ってきました。League of Legendsとなって帰ってきました。

そして僕等は死にました。
dota allstarsは死にました。





















かつて、dota allstarsの開発者だったguinsooは、League of Legendsを作りました。実は、dota allstarsの開発者でありながら、他のゲームを作ったのはguinsooだけではありません。他にもdota allstarsの開発者でありながら、同じように別のゲームを作った人物が存在します。それが、dota allstarsの開発をguinsooから引き継いだ、ice_frogという名前で知られている人物です。




guinsooとice_frogには、
決定的な違いがあります。




guinsooはdota allstarsを去り、League of Legendsを作りました。自らが書いたソースコードを後任のice_frogに全て差し出し引き継いで、新しいゲームを作る為に、僅か半年でdota allstarsを去りました。そしてLeague of Legendsを作りました。

一方のice_frogは、dota allstarsを去らずして、Heroes of Newerthを作りました。dota allstarsの公式サイトには、HoNをプレイするように誘導する為の広告リンクが貼られ続けていました。ice_frogはguinsooから引き継いだdota allstarsのメンテナーの地位を、決して手放そうとしませんでした。

それどころかice_frogは自分の正体を隠し続けることで、自らがHoNに関わっていないように装い「知り合いがHoNを作っている」と公称し続け、HoNとの関わりを指摘して疑問視する人々を、管理者権限による言論弾圧で潰しました。そしてice_frogは今も尚、dota allstarsを去っていません。今もdota2(≒dota allstars)の開発としてタクトを握り続けています。

片や、不退転の決意で背水の陣を敷き僅か半年でdota allstarsを去り、筋の通った思想の元で全く新しいmobaであるLoLをゼロから作り上げたguinsoo。一方で、身分を隠して偽名を用いる事で、公然の秘密であったHoNとの関わりを隠蔽しながら、HoNにdota allstarsに存在するヒーローをそのままコピーして登場させ、dota allstarsのヒーローをオリジナルキャラクターで一方的にボコボコに出来る事を最大の売りとしてプレイヤーを集めようとしたice_frog。Valve Corporationがdota allstarsの囲い込みに乗り出すやいなや、鳴かず飛ばずのHoNを見捨てて、dota2を仕切り出すice_frog。






野望の男が存在するゲームと、
野望の男が存在しないゲーム。

両者の差は歴然でした。
dota2とLeague of Legendsの差。

それがguinsooが存在するゲームと、
guinsooが存在しないゲームの差でした。
















いえ。
現実はそれよりも悪かったのです。

guinsooからdota allstarsの開発を引き継いだice_frogは、私達が目を疑うほどの、無能で有害な人物でした。プレイヤー人口でLeague of Legendsに10倍の差をつけられ、アクティブユーザーは減少に転じ、明確な余命が彼方から迫り始めたdota2は、ice_frogの手によって、Blizzard Entertainment社のゲームを表面だけ露骨にパクることで、再び闇鍋へと戻されました。

その結果。
dota2の衰退はさらに加速します。

dota2をやりこみ続けてきたdota2廃人の中からも、「このバージョンで負けてレートが下がるのはあほらしいから、次のバージョンまではやらない」と、dota2に愛想を尽かす人が出現しました。世界3位にまで登り詰めた日本人最強プレイヤーdaidaiも、「ice_frogがdota2に関わっている限り金輪際dota2はやらない」と三行半を突き付けてdota2から足を洗い、シャドウバースのプロゲーマーを目指し、71%という圧倒的な勝率でグラマスまで駆け上がりました。かつてcloud9が誇る世界最強のmid lanerだったsingsingは「これならLeague of Legendsをやった方がまし」と、フレンドを誘って巻き込んで、League of Legendsをやり始める始末でした。

露骨にBlizzardのゲームを表面だけパクったという事が誰にも明らかな、あまりにも酷いpatchの影響でdota2は急激に過疎り、レートの高い層においては、マッチング開始ボタンを押してから1時間経過してもdota2を遊ぶことが出来ないという悲惨な事態に陥りました。誰かが「dota2はguinsooによって殺されたのではなく、ice_frogによって殺された」と言いましたが、もう、そんなのは、どうでもいいことでした。「dota allstarsは死んだゲーム」有言実行の野望の男が15年前に放った言葉が、僕等の脳裏に浮かんでは消えました。

dota2プレイヤーの急激なアクティブ率低下は、プレイヤーの課金によって賞金を積み増しすることで、これまでは上がり続けてきたThe Internationalの賞金額が、遂に今年は下がってしまうという事を意味していました。世界中にdota2が明確に死に行くゲームであるという事実が知れ渡り、それがdota2の過疎をさらに加速させてしまうという事を意味していました。

そこでice_frogは一つの名案を生み出しました。それまでは年に4回発売されていたシーズンパスを全て統合し、年に一回のシーズンパスにしてしまったのです。それにより、他の大会の賞金額は大きく下がりましたが、The Internationalの賞金だけはぎりぎりで下がらないようにしたのです。

更にです。

Blizzard EntertainmentのHeroes of the Stormというmobaをパクった事により、ice_frogの脳内では増加に転じるはずだったdota2のプレイヤー人口の減少が、さらに加速してしまったことでice_frogは、「パクるべきゲームを間違えたのだ」と考えました。

そして、新たに別のゲームから、ゲームの要素を悉くパクり始めました。ブリザードからパクった時と同じように、表面だけをコピーして真似た模造品としての劣化コピーを始めました。ice_frogが新たにパクリ元に選んだゲーム。それは、かつて有言実行の野望の男が、dota allstarsを離れて作ったビデオゲームでした。League of Legends。moba系ゲームの覇権タイトルでした。






ice_frogはLeague of Legendsをパクりはじめました。

それまでは、スキルダメージが完全に固定値だったdota2に、キャラクターの通常攻撃力を参照するスキルをLoLからパクって導入しました。また、アビリティパワーという値でスキルダメージが上がるというLoLの要素を、完全にコピーする形でdota2に導入しました。

味方の状態異常を即座に治療するアイテムをLoLからパクり、LoLのサモナースペルからIgniteをパクり、同じようにSmiteをパクり、さらにはGhostもパクリました。集団戦用の強力な回復アイテムをパクり、集団戦用のバリアアイテムをパクりました。

けれども、ice_frogがLoLをパクり続ける中で最も重要だったのは、そのような仔細なパクりの数々ではありません。ice_frogは、LoLがdota2よりも売れているのは、LoLがLoLであるからだと考え、ゲームの根幹を成すゲームバランス自体を、可能な限りLoLに近づけようとしたのです。

タワーを割ると負けるクソゲーだったdota2を、タワーを割るだけで大歓声が巻き起こるLoLにしようとしたのです。グループアップをすると負けるゲームだったdota2を、グループアップすれば勝てるLoLにしようとしたのです。roshanを倒すと不利になるdota2を、バロンを倒すと勝てるLoLにしようとしたのです。

guinsooとは違い、dota allstarsの構造的欠陥を認識する能力を持たず、どのようなビデオゲームを作りたいかという未来図も持たないice_frogは、恥も外聞もなしにLoLを露骨にパクり続け、dota2をLoLへと造り替えようとしたのです。




dota2の衰退はさらに加速し、長年首位を維持していたsteam上でのプレイヤー数ランキングでで一位から転落しただけに留まらず、csgoにプレイヤー人口で逆転される日が数学的推定から予想されるようにまでなりました。当然の話です。Heroes of the Stormをパクったdota2をやるくらいなら、最初からHotSやります。League of Legendsをパクったdota2やるくらいなら、最初からLoLやります。

「dota2は死んだゲームなのではなく、ice_frogに生きたまま埋められたゲーム」「dota2というビデオゲームは、もはやdota2ではない」そんなことが囁かれるようになりました。ブリザード社のゲームとriot社のゲームを、表面だけ見よう見まねでコピーして出来上がった新しいバージョンのdota2は、プレイヤーに多大なストレスを与えるだけの意味不明な闇鍋となり、dota2の衰退はさらに加速しました。

トップレベルにおける過疎化は特に顕著なもので、twitchでdota2の配信をしていた強豪プレイヤーの中では、dota2のマッチングの待ち時間中にPUBGでドン勝つをするという、dota2ドン勝つチャレンジという謎の流行が巻き起こるほどに、dota2という、かつてdota allstarsと呼ばれていたdota系ゲームの金字塔の臨終が、誰の目にも明らかになりました。






ice_frogという無能で支離滅裂な男によって、LoL化していくdota2。

グループアップすれば勝てるゲームになっていくdota2。オブジェクトを取れば勝てるゲームになっていくdota2。チームワークが優れたチームが勝つゲームになっていくdota2。以前のような90分ゲームが完全に姿を消し、15分で終わるゲームが見られるようになっていくdota2。寄らないチームが勝つゲームから、寄りのはやさで勝てるゲームへと生まれ変わったdota2。5対5の集団戦で勝てば勝てるゲームになっていくdota2。複雑怪奇なクソゲーから、世界中のプレイヤーに「これやるくらいならLoLやるわ」と見捨てられるような、ゲームデザインという概念を放棄し他のゲームからなんとなくその場の雰囲気で表面だけをパクって投げ入れる闇鍋へと先祖返りしたdota2。League of Legendsの劣化コピーと化していくdota2。

















そんなLeague of Legends化するdota2が、
1つのチームを救いました。

League of Legendsです。















League of Legendsと呼ばれたeSportsチーム。

Virtus Proです。













世界で最も美しいチームワークを持ち、最も論理的な戦略を持つチーム。オブジェクトを重視し、グループアップを重視し、チームワークとコンビネーションを武器に戦うチーム。それ故にdota2においては勝てなかったチーム。負け続けたチーム。「This is League of Legends」と嘲笑され続けたソビエトロシア。出口の見えない脱出不可能なシベリア行きの宵闇の中でもがき続けたVirtus Pro。dota allstarsというクソゲーにおいては未来永劫勝ち得ないLeague of Legends。そこにLeague of Legendsという光が射し、dota allstarsは滅びました。




2017年。

The International 2017の後に当たった大型アップデート、通称LoLアップデートは、それまでのdota2シーンで覇を争っていた強豪チーム同士のパワーバランスを完全に一新しました。

グループアップすれば勝てるゲームへと変貌したdota2において、Virtus Proは無敵でした。負け続けた時代がまるで嘘のように思える圧倒的な快進撃で優勝を重ねてポイントランキングを独走し、僅か半年足らずで、The International 2018の出場権を、史上一位の早さで手に入れます。





もう誰も、彼等の事を「This is League of Legends」とは言いませんでした。

Virtus ProがLeague of Legendsと呼ばれる事は、もう二度とありませんでした。なぜならば、Virtus Proが勝ったからです。Virtus Proが勝利し続けたからです。はじまりこそどうあれ、私達dota allstarsプレイヤーがVirtus Proのことを"League of Legends"と呼んでいたのは、彼等が惨めに負け続けていたからです。なにしろ私達dota allstarsプレイヤーというのは、 「laugh out loud」という「(笑)」を表す英語の略語をLoLとタイピングすることを忌み嫌い、LuLと書くような偏狭な集団です。そんな私達が、Virtus Proの勝利を受け入るはずがありません。

ましてやLeague of Legendsが勝利するなど、決して許されないことなのです。しかも、ロシアです。ソビエトです。世界中のdota allstarsプレイヤーから嫌われ続けた国です。自国サーバーからはみ出る形でcykaとblyatをキリル文字で喚き散らす人々です。そんな世界で最も嫌われている地域であるソビエトロシアから無敵のチームが現れてしまったという現実は、dota2というビデオゲームから人々の興味を更に失わせて行きました。ロシア人が勝つゲームなど、ロシア人以外のいったい誰が、見たいと思うものですか。dota2はさらに衰退しました。唯一の例外はソビエトロシアでした。







Virtus Proの優勝を「This is League of Legends」と言いたくない人々は、ただ苦虫を噛み潰したような顔でVirtus Proの快進撃を地団駄を踏みながら睨めつけていました。いつの日かVirtus Proが、あの日のように惨めに敗れ去るのではないかという人々の期待は常に裏切られ続けました。dota2本体の側がVirtus Proの戦略に擦り寄り、なおかつそれがdota2のLoLに対する商業的敗北から来ている以上は、dota2が元のバランスへと戻る事は決してないという事を意味します。即ちVirtus Proによる、世界を黙らせながらソビエトロシアを熱狂させる栄光の日々は、これから先、ずっと、ずっと、続くことを意味していました。僕らはもう二度と、Virtus Proを指さして、League of Legendsとは言いませんでした。







Virtus Proは、
新しい名前で、
呼ばれました。







神の怒り。














神の怒り。
Virtus Pro。














神の怒り。

















原語では、
guinsoo's rage。












guinsoo's rage。
Virtus Pro。

Virtus Pro。
神の怒り。
































時は2016年。

The International 2016を、dota allstars十四年の歴史の中で、史上最強とまでうたわれた、Wingsという中国のチームが制しました。

当初は世界はおろか、中国でさえ名前の通っていなかった無名のプレイヤーによる無名のチームでしかなかったWingsは、歴戦の猛者達でひしめき合う中国予選を、持てる全ての戦略を使い尽くしながら番狂わせで突破し続け、満身創痍で辿り着いた世界大会で敗北という貴重な経験を積み重ね続けました。世界がそれをほほえましく見守っていたのもつかの間、気がつけばWingsは、不動の世界最強チームとしてeSportsシーンに君臨していました。

彼らは「私達は対戦相手と戦っているのではない、valveと戦っているのだ」と自らの戦略を語りました。

野望の男がdota allstarsを去って以降、中国は開発チームに敵視され続けました。今では多くのビデオゲームにおいて中国は尊重されています。なぜならば、ビデオゲームが商業的に成功するかどうかの鍵を、12億人という膨大な人口を抱える中国が握るようになったからです。もはや現代のビデオゲームは、中国という国を無視する事は出来ません。

ワールドオブタンクスには中国戦車がゲーム中最強の戦車として実装され、ハースストーンにはパンダを摸したかわいいキャラクターが中国の出で立ちで登場します。LoLでは中国で最も人気のある架空のキャラクターである孫悟空がそっくりそのまま登場し、PUBGでは中国製の銃がゲーム中最強の銃として実装されました。ハリウッド映画に中国人が善良な側の役柄で登場するようになったのと同じように、ゲーム業界もまた、中国という巨大な市場を無視できない時代になったのです。

けれども、あの日のdota allstarsにおいてそれは違いました。dota allstarsは無料のゲームであったが故に、中国人の財布を気にする必要が全くありませんでした。LGD.sgtyという無敵のチームが中国から現れ、欧米のチームを全て壊滅させました。puppeyが、kurokyが、fearが、AZENがpajkattが、DreamHackが生み出した欧米の最強プレイヤー達が、中国人によって悉く、毎回糞味噌に薙ぎ倒されました。

その現状に、英語圏のインターネットでは中国バッシングが盛り上がりました。「中国人のdotaはつまらない」という意味不明な批判です。彼らに言わせると、中国人の戦略に対する批判だったそうですが、私にはまったくもって理解不能なものでした。自分達のお気に入りのプレイヤーが、見ず知らずの連中に負けたから叩いたというだけの話でした。

その世界中のチャイナバッシング、即ち英語圏のインターネットによるチャイナバッシングに呼応するかたちで、dota allstarsの開発即ちice_frogは、中国人の戦略が根本から成り立たないようにと、システムを改造し、アイテムを改変し、キャラクターを弱体化させ、見事に中国人のdotaを潰して見せました。中国の人々はdota allstarsに失望し、ice_frogに失望し、その失望こそが、世界最強にして最大のdota allstars大国だった中国で、dota allstars(≒dota2)が完全に廃れ、Riot Games社のLeague of Legendsが大きな成功を収める礎となったのです。

Wingsはそれを忘れていませんでした。
あの出来事を忘れていませんでした。





それ故に彼らは言ったのです。LGD.sgtyが潰されたときも、そして2018年の今もなお、あの日からずっとdota2を作っているice_frogに対して言ったのです。「私達は対戦相手と戦っているのではない、 valveと戦っているのだ」と。故にWingsというチームは、世界中他のどのチームにもないユニークな特徴を持っていました。それは、戦略を決して固定しないことです。

世界中誰一人として、Wingsのメイン戦略が何であるのかを説明できないくらい、彼らは1ゲームごとに全く違う姿を見せました。他のチームがそのバージョンで強い戦略を見つけ出し、それをメイン戦略として仕上げていたのに対して、Wingsはそのバージョンにおいては弱いことをあえてやってみたり、2つ前のバージョンにおいては強かったことを突然やってみたり、もっと酷いときは4年前に一世を風靡した戦略を突如として用いたりしました。当初、それはWingsというチームが弱者であるが故に、メタから外れた様々な戦略を奇策として用いているものだと思われていました。

世間が、それは奇策などではなかったのだと気がついた時にはもう既に、Wingsは世界最強のチームとしてdota2シーンに君臨していました。Wingsはice_frogと戦っていたのです。あの日、世界最大のdota allstars大国を潰したice_frogと戦っていたのです。LGD.sgtyを崩壊させたice_frogと戦っていたのです。

Wingsというチームが選択した無謀とも思える「メインメタには背を向ける」「1ゲーム毎に違うことをやる」「戦略を決して固定しない」といったテーゼは、どのようなpatchが当たっても、どのようなバージョンが訪れても、Wingsの強さは決して損なわれないという事を意味していました。それどころか、メインメタを追う事を否定したWingsは、メタが変わって得をする事が確定している世界でたった一つの特別な、唯一無比のチームでもありました。





2018年の今もなお、「dota2のオールスターマッチはmiracle-が一人でやるbot戦」とまで言われるTeam Liquidが誇る世界最強プレイヤー"miracle-"を、一方的に鴨に出来る中国史上最強にして世界で唯一のmid lanerだった"跳刀跳刀"を擁したWingsは、彼ら自身が選択して自らに課したテーゼの困難さから来る様々な苦難に対処しながらそれを乗り越え強くなり、出場した国際大会の全てで優勝するという圧巻の内容を残しながら、The International 2016へと挑み、その前評判そのままで、最後まで他のチームに付け入る隙すら与えぬ強さで、毎ゲーム見せる千変万化の戦略で世界中のdota2プレイヤーを魅了しながら、ウイナーズ優勝からの完全優勝を成し遂げて見せました。

そして、彼らが「私達は対戦相手と戦っているのではない、 valveと戦っているのだ」と言い続けた真意がそこで明らかにされます。Wingsが目指していたのはThe Internationalの優勝などではありませんでした。Wingsは、dota2の歴史上初めての、The International連覇を目指していたのです。それ故にメインメタに背を向けて、戦略を一切固定せずに闘い続けていたのです。対戦相手と戦うと同時に、連覇をする為には必要不可欠な巨大な相手と戦っていたのです。

patchと戦っていたのです。
バージョンと戦っていたのです。

valveと戦っていたのです。
ice_frogと戦っていたのです。








それは、古の昔に失われた幻の、dota allstars最強国を取り戻す為の戦いでした。The Internationalを史上初めて連覇して、中国を取り戻す為の戦いでした。けれどもそれは叶いませんでした。The International 2016の優勝を最後にWingsの5人のプレイヤーは跡形もなく、その痕跡すらも残さずに、eSportsシーンから完全に姿を消したのです。




















League of Legends。
中国で最も成功したビデオゲーム。










League of Legends。
世界で一番成功したeSportsタイトル。










WingsというeSportsチームのオーナーは、The International 6の優勝賞金と、契約上はプレイヤーに支払われるはずだったti6優勝に伴うスポンサー収入を、全てLeague of Legendsチームにぶち込みました。そして、一瞬で、全部、擦りました。Wingsが優勝バブルで得た金は、僅か二ヶ月ですっからかんです。

5人のdota2プレイヤーには、大会を優勝して得たはずの賞金すら振り込まれず、契約上彼らに分配されるはずのスポンサー収入も支払われず、個人スポンサーの収入すらも掠め取られ、挙げ句にはti6の優勝によって出場権を得た大会の航空機のチケットと宿泊費までプレイヤーの一人が自腹で振り込んで支払い、練習相手に支払う報酬すらも自分達の口座からプレイヤー自らが支払うにまで至りました。

The International 2016に至るまでの国際大会を悉く優勝し、本番のいても無敵の内容で優勝を成し遂げたWingsは、The International 2016後のシーズンオフが明けた時には、まるで別のチームを見ているような、世界では1勝も出来ないレベルの弱小チームへと落ちぶれていました。






Wingsがなぜ突然弱くなったのか。
ただ弱くなったわけではありません。
国際大会でまともに勝てなくなったのです。

世界は困惑しました。









ある者は、
「Wingsには慢心があった」
と言い、


ある者は、
「ti6後のpatchに対応出来ていない」
と言いました。



ある者は跳刀跳刀の不調を指摘し、またある者はti6の優勝によって世界中から追われる立場となったWingsは、世界中のチームに対策をされてしまったのだと言いました。Wingsは、見る所なく負け続けました。The International 2016における痛快な優勝が嘘のように負け続けました。














半年後。
世界中がその真相を知ります。










Wingsのプレイヤー5人が内情を全て暴露し、Wingsとの契約無効を訴えて、アマチュアチームとして独立したのです。彼らが連覇を目指したThe International 2017まであと半年。彼らにはもう、時間は残されていませんでした。ぎりぎりのタイミングでした。そして、彼らの訴えは潰されました。それを最後に、The International 2016で優勝した5人のプレイヤーはeSportsシーンから忽然と姿を消しました。

僕等は今でも覚えています。miracle-をカモにした跳刀跳刀の勇姿を。ppdもpuppeyもkurokyも歯が立たなかった、iceice&innocenceによる、wingsの戦略を。5人は消えました。跡形もなく消えました。









彼らを潰したのは中国のeSports協会でした。
それは、eSports協会とは名ばかりの組織でした。

eSportsチームのオーナーとゲーム会社が支配する、自分達の既得権益を守るための組織でした。彼らは利益団体として国家とも結びつき、自分達に都合のよいルールを作り、選手を契約で雁字搦めにして、奴隷のように扱いました。



彼らはまず、Wingsのオーナーの「経営者が利益を得る為にリスクを選択して投資を行うのは当然」という発言を受け入れました。dota2は完全に死んだゲームですが、LoLは中国で最も成功したeSportsタイトルなので、そこに投資するのは経営者として自然なことである、偶然失敗しただけだというオーナー側の主張を認めました。そして、支払いは確かに滞っているものの、Wingsのオーナーは選手に対して支払いを行う意志があるのだから、チームとプレイヤー間の契約は今も有効であると裁定しました。

真相を暴露してWingsを離脱した5人のプレイヤーは、有効な契約を不法に打ち切るという契約不履行を行ったのだから、この問題が平和裏に解決しない限り、5人のプレイヤーはeSports協会が関与する全ての大会から永久追放される事が決まりました。永久追放の対象となるのは、中国で開催される大会だけではありません。世界各国で開催される大会の中国予選も、全て彼らが仕切っていました。

5人のプレイヤーは、valveに助けを求め、他の地域に拠点を構えて他の地域の予選を通過する事で国際大会に参加する方法を模索しましたが、dota2のみならず他の全てのビデオゲームのeSportsを支配する、最大の顧客を抱える中国という大国の協会の圧力を受けたvalveに協力を拒否されたことで、その案も潰されてしまいました。5人は独自にスポンサーを探しましたが、政府と強く結びつく協会の圧力の中で、火中の栗を拾おうというスポンサーは現れませんでした。

The International 2016の優勝によって彼らが得ていた幾つかの国際大会の招待権利にも、「Wingsが招待されたのであって、Wingsを離脱した5人によるアマチュアチームが招待されたのではない」という協会からの圧力がかかり、元Wingsの5人に対する招待が取り消されるという騒動に発展し、最終的に彼らは出場を辞退しました。

そのような苦難にあっても、ti6を制覇した無敵の5人で、たとえマレーシアなどの第三国に移住してでもThe International連覇を目指そうとするプレイヤーがいました。一方で、Wingsに戻る事で五芒星旗を背負い中国からThe International連覇を目指そうというプレイヤーもいました。さらには協会の中枢を担う強豪eSportsチームから、事実上の分断策とも言える引き抜きの勧誘を受けて、移籍を希望するプレイヤーまでもが出始めました。かくして、The International6を制覇した無敵の5人は粉々になって砕け散り、宇宙の塵と消えました。












patchと戦い、
バージョンと戦い、

valveと戦い、
ice_frogと戦った、

dota史上最強の5人は、
他の何かに負けました。




















確かにWingsのオーナーがThe International 2016の優勝バブルで得た大金を、全て投資して失ったのはLeague of LegendsというゲームのeSportsでした。「The International 2016を制した無敵の5人もLeague of Legendsに殺された」と書き記すのはとても簡単なことです。そうした方が盛り上がるのかもしれません。けれども、跳刀跳刀がまだ名もないpub stackの親玉をやっていた時代から彼のpubのリプレイを見続け、遂には最強アクションゲーマーmiracle-や、未来から来た天才少年SumaiL、果ては中国が遂に手にれた真の才能maybeをも、一方的にカモれるプレイヤーへと成長する、決して順風満帆ではなかった苦難に満ちた道のりを、胸をときめかせながら見続けてきた僕には、「跳刀跳刀もまたLeague of Legendsに殺された」などと軽々しく書くことは出来ません。事実として、League of Legendsというビデオゲームが中国で最も成功したeSportsとなっていなければ、こんな出来事は発生しなかったでしょう。けれどもこれは、それとは全く関係のない、まったく別の話です。この話には救いはありません。ここから先、ti6を制覇した5人がこの文章の中で登場する事はもう二度とありません。

























2018年、4月。

LGDが新しいスポンサーを発表します。それは、パリ・サンジェルマンでした。日本代表監督ヴァヒド・ハリルホジッチもかつて所属していた事で知られる、フランスのフットボールクラブです。




フランスの歴史有る強豪フットボールクラブにすぎなかったパリ・サンジェルマンは、カタール投資庁の投資を受けて、レアルマドリードやバイエルンミュンヘンに並ぶ規模の、世界最大のフットボールチームとして、その地位を大きく向上させます。彼らは昨今のeSportsの流行をうけて、若者に対して自分達のフットボールチームをアピールする為に、他のフットボールクラブと同じようにeSportsへと進出し、League of LegendsというゲームのeSportsチームを作り散々に負けまくり、ほうほうのていでLoLから撤収しました。LoLでは散々に終わったパリ・サンジェルマンが次に目を付けたのは、世界最大のサッカーファン人口を抱える超大国、中国のdota2チームでした。

かつてLGD.sgtyとして世界最強のチームだった、LGDというdota2チームのメインスポンサーとなり、それと同時に、それまでオーナーのコネでLGDの編成に入っていた、足枷でしかなかった世界最弱のプレイヤーが即座に追い出されました。PSGのスポンサードと同時に、それまでとは違う新しい、世界で戦う為のLGDが完成しました。その瞬間からLGDは、世界最強のdota2チームとなり、League of Legendsを蘇らせます。

もうLeague of Legendsと呼ばれなくなって久しかった無敵のVirtus Proを鎧袖一触粉砕し、「This is League of Legends」を蘇らせたのです。神の怒りで世界を恐れさせながらThe International 2018を迎えるはずだったVirtus Proは、再び5人で30人31脚をするような惨めなグループアップ戦略で右往左往する哀れな敗北を繰り返しては、これがLeague of Legendsだと嗤われる存在へと、巻き戻されてしまったのです。

それは世界最悪のマネジメントによって、中国の若い才能を悉くすり潰し浪費し続けてきたLGDが、PSGという外資によって、外圧によって、遂にまともなマネジメントを持つ真のeSportsチームへと生まれ変わった瞬間でした。

今もdota allstars 16年の歴史の中で最強のチームとしてその名を挙げられる、もはや神話となった伝説のLGD.sgtyが、所属する5人のプレイヤー全員の引き抜きを受けてあっけなく崩壊してから、10年近くもの歳月が流れていました。当時LGDのスポンサーだったsgtyは、東南アジアの小さな小さな魚醤会社。あの頃のLGDにもう少しまともなスポンサーがついていたならば、eSportsの歴史は全く違うものになっていたでしょう。







PSGのスポンサードを受けて生まれ変わった新しいLGDは、神の怒りと恐れられていたVirtus Proを粉々に粉砕し続け、同一カード4連勝という、これまでの文脈を全て水泡に帰す無茶苦茶な強さでdota2シーンをあっという間に完全に制し、世界最強の地位を不動のものとしました。

そんな今。
The International 2018を目前と控えた今。

League of Legends即ちVirtus Proが、なぜLGD(dota2)に同一カード4連敗という完全敗北を喫してしまったのかを、11ゲーム全てのリプレイを詳細に振り返りながら解き明かそうというのがこのブログ記事の趣旨であります。










けれども、わたくしにはその本文を書ききるだけの気力がありません。dota2(≒dota allstars)は死んだゲームです。それも、10年以上前に死んだゲームです。死んだゲームの解説なんて、どこにも需要はありません。誰も読まないテキストを書く体力は残念ながら、わたくしにはもうありません。その意味でわたくしもまた、遠い昔にもう既に、死んでしまった人なのでしょう。League of Legendsはなぜdota2に完全敗北を喫したのか、ここまではその序文です。ここからが本文です。序文は読み飛ばして下さい。