はてなブックマークはなぜ改悪されたのか。

あの日、はてなは希望になった。
それから、はてなは希望だった。

この夢の無い国の、光の無いインターネットで、
輝き続ける、たった一つの、希望だった。









はてなブックマークが改悪された。
あちこちから悲鳴が聞こえてくる。

それこそがはてなの狙いだった。
はてなの目的は達成されたのだ。














はてなブックマークはもう随分と、日本のインターネットのうんざりとする光景の頂点に立ち続けていた。我が国のインターネットの最もくだらない部分。2ちゃんねるまとめブログ。揚げ足取りと揉め事の嘲笑合戦。それを通り越した扇情的な罵倒。ネットで拾ったURLを並べただけのノイズ。何人にも一切の光明をもたらさないライフハック。ブックマークしただけで痩せた気分になるダイエット。同じくお勉強。英語学習。晒し上げられるTwitterでのたわいもない失言。そしてくだらない自慢。くだらない自虐。くだらない見下し。インターネットの最もくだらない部分。はてなブックマークというウェブサイトは、僕にとって、見るに値しないウェブサイトだった。



それでも、意識の高いインターネッターである僕は、どうにかしてはてなブックマークを利用しようとした。僕が読んでいる幾つかのブログは、はてなブックマークを経由して辿り着いたものだし、はてなブックマークを介して面白いウェブサイトを発見した経験もある。はてなブックマークを完全に切り捨てる事は、自らが時代の流れ、情報の流れから取り残されてしまう、愚かな行為のように思えたのだ。











その結果がこの画像である。
インターネットの技術者達がフィルタリングに使うような、小洒落たツールを導入する能力を持たない僕は、Yahooi pipesという既成のサイトを用いて、はてなブックマークの新着エントリーをフィルタリングして読んでいた。





Yahoo pipesには、1フィルタでフィルタリングできる最大数が存在しており、その制限を超えるとエラーが出る。その仕様を回避する為に、仕方が無しに2段階、3段階、4段階と複数のフィルタを多重にかける事で対応した。明らかに自分に不要だと思うウェブサイトや、明らかに自分には不要だと思うブログ、そして明らかに自分の興味の無いキーワードなどを、片っ端からpipesのフィルタに投げ込んだ。フィルタリングをすり抜けて来るサイトの中で、不要と思われるものをテキストエディタにメモし、定期的に追加していった。そうすれば、面白いウェブサイト、自分にとって必要なブログだけが、フィルタリングをすり抜けて来るはずだと思っていたのだ。




ところが、結果は無惨だった。

改善に改善を重ねて作り上げたフィルタリングを通り抜けて来たのは、スパムだった。スパム、スパム、スパム。ブログを書いたブロガー本人が、複数のはてなアカウントを取得し用い、自ら自演ではてなブックマークをして、「新着エントリー」のリストに、自らのブログを送り込む。はてなブックマークという膨大なページビューを持つウェブサイトのトップページに、一円の広告費を使う事なく、僅かな手間で、自らのブログの宣伝をする。pipesのフィルタを通り抜けてくるのは、そういうサイトばかりだった。




ボーガスニュース、バンクーバーのウェブ屋、高橋慶彦、バズ部、幕末ガイド、セレブスタイル、数え上げればきりがない。どれもこれも、スパム、スパム、スパム。2ちゃんねるまとめブログや、海外翻訳サイト、ライフハックといった類のものになると、もはや例外を探す事が困難で、どれもこれもがスパムだった。それらのブログのURLをメモし、定期的にフィルタに追加する。その結果、進化したフィルタリングをすり抜けてきたのは、新しいはてブスパムサイト。そして、また新しいはてなブックマークスパムサイト。






あまりにも、フィルタリングが思い通りの効果を上げないばかりか、「これは面白いな」と思えるサイトにまるで出会えないので、フィルタリングのキーワードが強すぎたのかと疑うようになった。そして新しく、カテゴリー別のフィルタを作り、カテゴリー別に新着エントリーを読むようになった。すると、そこでは、奇妙な出来事が起こっていた。





本来ならば、「生活・人生」というカテゴリに入るはずの、クックパッドのレシピや、生活の知恵、あるいは食材や料理のサイトなどが、他のカテゴリに時々紛れ込んでいた。

いったい誰がそんな無意味な行為をしてるのだろうか。疑問に思った僕は、少しだけ調べてみた。そうすると、犯人はすぐに判明した。「わかったブログ」というブログの、かん吉と名乗る運営者である。

わかったブログは、何故そんな奇妙な行動をとったのか。それを解く鍵は、はてなブックマークの、トップページの新着エントリーリストにあった。新着エントリーリストは、カテゴリごとにわかれていた。そして、カテゴリによって、はてなブックマークのトップページに掲載され続ける期間に大きな差があった。

たとえば、右も左も2ちゃんねるまとめブログという、非常に競合者が多い「おもしろ」カテゴリや、1つのニュースが出る度に、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞、そしてYahoo Newsといったサイトのほとんど同じ内容のニュース記事が次から次へと新着ブックマークを塗り替える「政治・経済」といったカテゴリのウェブサイトは、あっという間にトップページから消え去ってしまう。

その一方で、「生活・人生」というカテゴリは競合者が少なく、長い時間、はてなブックマークのトップページに居座る事が出来る。それにより、アクセス数も増えるし、はてブ数も稼ぎやすくなり、人気エントリー入りも簡単になる。

何某は、その目的の為に、自らの書いた記事を他のはてブスパマー達と同じように、自作自演ではてなブックマークのトップページに送り込むだけでは飽きたらず、自らのエントリーを過疎カテゴリーである「生活・人生」に変更した上で、さらに、本来ならば「生活・人生」というカテゴリの新着ブックマークを塗り替えてるはずの料理サイトやレシピサイトを、片っ端から他のカテゴリへと追放する事により、自らのブログをはてなブックマークのトップページに長時間掲載し続けていたのだ。




わかったブログほどに悪質なケースは稀であったけれど、はてなブックマークという巨大なアクセスを持つウェブサイトは、広告収入目当てのスパマーとスパマーが凌ぎを削り合う、くだらない、日本で最もくだらない、ただの戦場だった。それはまるで、今では完全に失われた、あの、遠い日の、インターネットのように。
















もちろん、今でも、インターネットは戦場である。
けれども、かつて、インターネットは戦場だった。


















検索エンジンで言葉を1つ打ち込む。
Enter Keyを押す。


そこに表示されるのは、スパム。
スパム、スパム、スパム。
そして、スパム。






言葉を2つ打ち込む。
Enter Keyを押す。

そこに表示されるのは、スパム。
スパム、スパム、スパム。
そして、スパム。








僕等は頭を捻って考えた。検索結果にスパムが表示されない、検索ワードの組み合わせを。唇に手を当てて考えた。検索結果からスパムを排除出来る、巧妙な文章を。考えに考え、考えぬいて、熟慮の末に言葉を選び、Enter Keyを押す。そこに表示されるのは、スパム。スパム、スパム、スパム。そしてまた、スパム。検索エンジンの結果画面は、右も左もスパムの山だった。そう。それはちょうど、あの日のはてなブックマークのトップページと同じように。







そんなスパムに対抗すべく、ネット企業が選択した戦術。
それは、人力だった。


アメリカンオンライン、マイクロソフト、ヤフーといった、検索エンジンサイトを運用するインターネットの巨大企業が、スパムとの不毛な戦争を回避すべく、「ポータルサイト」という人力選別の羅列サイトを作り、運用しはじめた。機械的にインターネットを調べて回ると、どうしうてもスパムサイトが引っかかってしまう。それを排除する為の究極にして最高の手段。それが、人力だった。人々は検索エンジンとは名ばかりの人力選別サイトを利用して、何かの気紛れで時々検索エンジンの小窓に言葉を打ち込み、Enter Keyを押した。そこに表示されるのは、スパム。スパム、スパム、スパム。そして、スパム。








そこに2人の大学生が居た。
ラリー・ペイジ。
セルゲイ・ブリン。




一人考えた。
これは金になる。

一人は企んだ。
これは商売になる。




ポータルサイトを謳歌する人々が求めていたのは、人力選別された選りすぐりの情報が並べられたとても役に立つポータルサイトなどではなかった。彼等が本当に求めていたもの、それは検索エンジンだった。本物の検索サイトだった。趣味、嗜好に応じた人それぞれの言葉を小窓に打ち込み、Enter Keyを押し下げれば、それ相応に望ましい検索結果が表示される、本物の検索サイトだった。Enter Keyがスパムで埋め尽くされない、役に立つ本物の検索エンジンだった。そして、ペイジとシュミットは、それを作った。検索サイトとは名ばかりのポータルサイトではなく、本物の検索エンジンを作り上げた。その名をGoogleと言う。




Googleは世界を覆った。
その影で彼等は息絶えた。
その命脈を絶たれた。






スパムは、死んだのだ。






土俵には金が詰まっているという言葉を信じた若羽黒は夜中に土俵の土を掘り起こして10日間の謹慎処分を受けた。ボールには金が詰まっているという言葉を信じたジョングレイグは夜中に40個ものボールをナイフで切り裂いてカークルディスタジアムから追放された。グラウンドに金が詰まっているという言葉を信じた江川卓は甲子園の土を掘り返した。それはぐだらないデマだった。それはくだらないでたらめだった。けれども、インターネットは違った。インターネットには、本当に、金が詰まっていた。人々は額に汗してスパムした。一生懸命スパムした。頑張って、頑張って、努力に努力を積み重ねてスパムを続けた。

インターネットの隆盛は世界中の名も無き人々の希望を沸立たせた。世界は希望で埋め尽くされた。スパムをすれば金になる。スパムをしよう頑張ろう。これで食いつなげる。これで生きていける。夢を見る場所。努力をする場所。希望を胸に抱く場所。それがあの日のインターネットだった。失意と絶望に溢れた現実世界とは対称的な、夢と希望に溢れた空間だった。今とはまるで様相の違う、夢と希望の場所だった。死んだ目をしてなまずのように現実世界を生き続ける、絶望と苦しみの人々が、インターネットという魔法の機械によって蘇った。その人生を。その希望を。その夢を。その全てを。蘇らせたのだ。インターネットに詰まった金を世界中の人々が追いかけ追い求め掘り起こし、一生懸命スパムした。




幸福に満ち溢れた国ではない貧しい地域の一人の男が決して安くはないラップトップのコンピューターを買い込んで、現実という絶望とインターネットという希望の間で揺れ動きながら一人前のスパマーになるべく、その長からぬ人生において初めての熱意を持ってスパマーとしての産声を上げた。それは全て徒労に終わった。その世界にはGoogleという絶望的な巨人が君臨していた。全ては手遅れだった。夢と希望の世界は音を立てて崩れていった。スパマーになるべきであった男は死んだ。スパムは死んだ。

検索エンジンの検索結果目掛けて懸命にスパムを生産し続けた幾多の人生を奪い、彼等の希望を奪い、夢を奪い、その未来を奪い、それだけでは飽きたらず、インターネットに詰まった金を全て機械的に持ち去りジェット機で空を飛ぶ2人の男。ペイジ。ブリン。邪悪な2人の才能によって、希望は叩き潰され、夢は踏み躙られた。幾億の人生がそこで潰えた。世界は闇で覆われた。Googleという名の絶望の闇で。














人は悲しい生き物である。
そして何かを求める。





たとえば、
利便性。





イオンが我が国の地域経済と商店街を破壊し、Amazonが我が国の書店や小売店を破壊し、ドンキホーテが我が国のモラルと静寂を破壊する。Googleはその邪悪さを持って世界中の人々からその情報を盗み取り、インターネットを自らに都合良く造り替える。人はそれを喜び、それを歓迎する。そして言う。便利になったと。かくして世界は閉ざされていく。富は集められ、夢は集められ、希望は集められ、僅かな僅かな極めて一部の人達によって独占される。人々はそれを知らず知らずに受け入れる。自らの未来が奪われている事、自らの可能性が奪われている事、自らの希望が今まさに奪われている事に気がつかず、「便利になった」の一言で、この世界を塗り替えていく。

役に立つ検索エンジン。役に立つEnter Key。役に立つ情報。望んでいたもの。欲しかったもの。誰もがそれを歓迎する。これこそが求めていたもの。これこそが未来。その影で奪われていく自らの人生。幾億の夢、未来、希望。消えて行く笑顔、可能性、スパム、生活の糧。そんな血塗られたアメリカンドリームに踏み潰されたインターネットの遙か東の果ての果てに、日本という国があり、そこに1人の男が居た。伊藤直也である。伊藤という名のその男は、希望の化身であり、愛の具現化した姿だった。伊藤は考えた。そして思った。ペイジとブリンによってその命脈を絶たれた幾千の夢を、その人生を閉ざされた幾万の希望を、その未来を奪われた幾億の人生を、自らその手で救おうと考えたのである。

考えるだけなら、誰にでも出来る。
夢見るだけなら、誰にだって出来る。
けれども、彼は、そうではなかった。





本当に救おうとしたのだ。
本当に救おうとしたのだ。






夢を救う。
希望を蘇らせる。
幾多の人生を救済する。









ニフティサーブという巨大な企業で安住した生活を送っていた伊藤は、ただそれだけの為に会社を辞めた。Googleによって奪われた夢。奪われた未来。奪われた人生。生きる希望。それを救うという途方もない目的だけの為に、伊藤は自らの人生を投げ捨てた。そんな彼が辿り着いたのが、株式会社はてなだったという事実は、今にして思えば、世界の歴史の中でも五指に入る不幸な出来事の始まりだった。
















伊藤直也は何故、はてなという企業に入ったのか。
その問いのは、明快な回答が存在している。




株式会社はてな。
その創業者の近藤淳也。

彼は、スパマーだった。
近藤は、スパマーだった。

それも、ただのスパマーではない。
近藤は、特別なスパマーだった。




ペイジとブリンという名のアメリカンドリームが作り上げたGoogleという精巧なウェブサイトによって、検索エンジンの検索結果からスパムが排除され、従来のスパマーが息絶えてゆくと同時に、「一見するとスパムではないスパム」を目的としたウェブサイトがアメリカで芽生えた。その1つに、Q&Aサイトというものがあった。

誰かが疑問に思った事を説明する。誰かがそれに答える。その質問の一語一語が、その回答の一語一語がGoogleの検索収集ロボットによって拾われる。そして、人々が同じような質問や単語を検索エンジンでEnter Keyすると、そこに表示されるのは見事に、Q&Aサイト。かつてスパマー達が手に汗し、努力に努力を積み重ね、懸命に行っていたスパムという作業を、他人の手によって代行させる。自らの手を汚さず、スパムとしてGoogleから爪弾きに合う事もない、新時代のスパム。それがQ&Aサイトだった。近藤は、それをパクった。

アメリカで成功したインターネットビジネスを、そっくりそのままコピーして、盗み取り、日本に輸入する。近藤の商売は、それであった。それだけならば、有り触れた話だ。どこにでも転がっている。けれども、近藤淳也の卑劣さは、それとは別の所に宿っていた。近藤は、自らが起業した「株式会社はてな」という会社を、「タイムマシン商法のパクリ企業」である事を隠蔽する為に、ありもしないストーリーを作り上げ、それをしたり顔で騙り始めた。

「わたしの父が知りたい事をうまく調べられなくて困っていた。」
それをなんとかしてあげようと、困っている父の事を思って作ったのが人力検索はてなだ、という嘘偽りの物語を捏造し、世間に向かって騙り始めた。今更僕が書き記すまでもなく、はてなというビジネスモデル、近藤淳也というビジネスモデルは、海外で成功した商売をそのままパクリ、日本語というマイナーな言語圏にパテントを無視してあくせくと輸入するだけの盗人商売である。しかもその正体はスパムビジネスだった。



だからこそ、伊藤ははてなに行き着いた。
だからこそ、伊藤ははてなに入社したのだ。









伊藤が蘇らそうとしたのは、スパムという夢。
伊藤が救おうとしたのは、スパムという希望。

夢の無い人生。
希望の無い人生。
未来の見えない人生。

死屍累累、世界中に溢れている、どんな無惨な人生にでも、「いつかはスパム」という救いの手をもたらしたインターネット。「いつかはスパム」という夢を授けたインターネット。「いつかはスパム」という希望に満ち溢れたインターネット。実際に人がスパマーに身を落とすかどうかはさておいて、何も頼れる物の無い多くの人々にとって、その存在こそが、夢であり、その存在こそが希望だったインターネット。最後の最後の拠り所。唯一逃げ込める場所。たった一つの可能性。それがGoogleによって滅ぼされたインターネットであり、それがGoogleによってジェノサイドされたスパムだったのだ。伊藤が蘇らそうとした愛。伊藤が蘇らそうとした希望。伊藤が復元しようとした、在りし日のインターネット。それは、スパム企業であるはてな、スパマーである近藤と、親和性の高いはずのものだった。その、はずだった。







伊藤は人々の夢を愛した。
伊藤は人々の希望を愛した。
そして、この世界の全てを愛していた。

だからこそ、救おうとしたのだ。
本当に、救おうとしたのだ。





ペイジによって殺された夢。
ブリンによって消された希望。

彼等を救う。
命を授ける。
生き返らす。
希望を。
夢を。
そして愛を。

あの日のインターネットを。
人々の生活を。
人々の人生を。
そして人々の心を、夢を。
その野心を、伊藤は胸に秘め続けた。












美しい五月を作るはずの冷たい雪が降るある日の朝に、いつものように出社した伊藤直也は突然、意味不明な事を口走った。





「俺は今から。」
そして、続けた。
「山に籠もる。」






それは弁護の余地のない、職場放棄だった。
社会人としてあるまじき行為だった。
周囲の人間はあっけにとられた。
狐に抓まれたようだった。




そして伊藤は居なくなった。
どこへともなく、消えてしまった。

ある人は、伊藤直也は遂に頭がおかしくなったのだと噂した。ある者は、あいつはもともとおかしかったんだと言い放った。あらかた気でも狂ったのだろうが、仕事が出来ればそれでいいという人も居たが、「居なくなってる時点で仕事が出来てない」という当たり前の反論を受けて言い返すでもなく皆で一緒にくすくすと笑った。近藤などは怒り心頭で、明日の朝出社しなければ首だと宣う始末だった。そんな俗世の喧噪から遠く離れた山の奥の寂れた小屋の一室のノートパソコンのモニタの中で、希望の化身の手によって、愛の具現化した姿によって、他ならぬ伊藤直也の手によって、一つのウェブサイトが作られていた。はてなブックマーク。そのウェブサイトの名は、はてなブックマーク。







驚くべき事に、伊藤直也は僅か一日でそのウェブサイトを完成させてしまった。そして再び、はてなに出社した。ノートパソコンを左手に持ち、高く掲げて伊藤は言った。「これが、世界だ。」伊藤は首を免れ、はてなは1つのウェブサービスを手に入れた。そのウェブサイトの名は、はてなブックマーク。




それは、全く新しい画期的なウェブサイトだった。日本のウェブサービスというのは、基本的にどれも皆似たようなもので、海外で成功したビジネスモデルや、海外で成功したアイデアをコピーし、パクリ、日本語という極めてマイナーで特殊な言語圏に持ち込み、多少のローカライズを加えてリリースする。それが我が国のインターネットであり、それが我が国のネットビジネスだった。近藤淳也が作り上げた、いやパクリ上げた人力検索はてなや、はてなダイアリーは、正にそれであった。けれども、伊藤のそれは、全く違った。はてなブックマークというウェブサイトは、世界でも他に類を見ない、我が国初の全く新しい、画期的で革新的なウェブサービスだった。その偉業を成し遂げたのは、夢と希望の力だった。世界に対する愛の力だった。

僅か一日、いや深い深い山の奥の薄汚れた不潔で小さな小屋に辿り着くために必要となる時間を差し引きすれば、伊藤は僅か一晩でそれを完成させたのである。それはもはや人の所行ではなかった。愛の化身伊藤直也。具現化した希望伊藤直也。宇宙の夢スペースドリーム伊藤直也。けれども信じがたい事に、伊藤直也は人間であった。ホモサピエンスの男性であった。皆様ご存じの、「ふぃとう」という伊藤直也の俗称は、この時生まれた。

一夜城の建設で知られる羽柴秀吉についてコスメデトーレスが書き残した表記「ファシバフィデヨシ」にあやかって彼は、「フィトウナオヤ」と呼ばれるようになったのである。ふぃでよしが作り上げた一夜城は自らを守り、誰かを害する為の要塞であった。けれども、ふぃとうなおやの作り上げたそれは、自らの安住と睡眠を犠牲にして、見ず知らずの誰かを救うために作られた、全く新しい革新的な愛と希望の結晶であった。




伊藤が作り上げたはてなブックマークという夢は、少しの時を経て伊藤が目指した在りし日の、インターネットを再現し始めた。はてなブックマークの人気エントリーはあの日のEnter Keyのように、スパムサイトで埋まり始めた。2ちゃんねるまとめブログ。翻訳元の記述も無いライフハック翻訳サイト。自称950点の英語学習。ネットで拾ったURLを並べただけのノイズ。くだらない自慢。くだらない見下し。くだらない賢さアピール。エロ画像。エロ動画。エロサイト。日本を美化するナショナリズムの恣意的翻訳。鮪も跨いで通る書評。






それこそが、伊藤の夢だった。

どんなにくだらないウェブサイトにも、巨大なアクセスを流し込む機関。その構築を伊藤は目指した。Googleによって滅ぼされた、かつての検索エンジンがそうであったように、はてなブックマークはどれほどのくだらないブログでも、どれほどのくだらないウェブサイトでも、僅か数クリックの手間でスパムを行う事が出来る。トップページに掲載する事が出来る。はてなブックマークとは、そういう場所だった。素晴しいウェブサイトを作る事が不可能で、素晴しいブログを書く事が出来ない人間であっても、簡単に巨大なアクセスを得る事が可能な夢の場所。夢のアクセス供給機関。それがはてなブックマークだった。夢と希望のウェブサイトだった。




希望もなく、夢もなく、生活に行き詰まり、もはや頼れるものがなく、生存する空間を持たない哀れな多くの人々に提示された、最後の最後の一筋の希望。一筋の愛。一本の細い救いの糸。それがはてなブックマークだった。

はてなブックマークという巨大なアクセスを持つ巨大なウェブサイトに、自らのブログを掲載する為の方法は単純にして簡単なものだ。スパム、である。複数のアカウントを取得し、自らの手でブックマークする。ブックマーク数が3、ないし5を超えると、膨大なアクセスを持つはてなブックマークのトップページに、自らのウェブサイトが掲載される。それは夢のような話であり、それは現実であった。そこから流れ込むアクセスは金を生み、収入を生み、人々の命を繋ぎ止める。それは、政府によるセーフティーネットが崩壊し、生活保護を受給するだけで非国民と罵られ、年間5万人もの人が自殺してゆくこの絶望に満ちた破滅の国で、唯一正常に機能している、最後の最後のセーフティーネットだった。この国に存在する、たった一つの真実の愛だった。




それから、誰もがこぞってスパムをはじめた。はてなブックマークでスパムをはじめた。そこはあっという間に、欲深い人や、意識の高い人、あるいは邪な人や、ろくでもない人で溢れかえった。あるいは、元から安定した生活を維持している人達で賑わった。「スパムくらいしか生きて行く方法の無い人達を救う」という伊藤の試みは、一見すると失敗したかのように見えた。けれども、そうではなかった。はてなブックマークは成功したのだ。ただその存在だけで、成功したのだ。人はパンのみにて生きるに非ず。「全てが駄目になったなら、はてブでスパムをすればいい」。その保険の存在だけで、その命綱の存在だけで、人々はかろうじて希望を抱き、かろうじて夢を持ち、かろうじて命を繋げるようになった。

ペイジとブリンによって制圧され、技術もアイデアも無い人間が成功を掴めなくなった夢も希望も存在しない闇に包まれたインターネットで、僅か1分足らずで達成可能なはてブスパムという単純技術がこの世界に齎した希望の総量は幾億千万。それが伊藤の見た夢だった。それが伊藤の狙いだった。それが伊藤の願いであった。どんな才能の無い人間でも簡単にアクセスを集める事が出来る。どんなくだらない記事にでも、簡単にアクセスを集める事が出来る。簡単にネットで稼ぐ事が出来る。その可能性の提示。その存在の証明。その夢の未来機関こそが、はてなブックマークだった。






今にも死にそうな人間に向かって、「死ぬ気があればなんでも出来る」と軽口を叩く人が居る。けれども、その"なんでも"が何であるのかを、人は指し示さない。無責任に"なんでも出来る"と言うだけなのだ。言うだけなら誰にでも出来る。けれども、伊藤は違った。伊藤は提示した。実在していなかった"なんでも"を僅か一晩で完成させ、そして高く掲げたのだ。「はてなブックマークスパム」という"なんでも"を。人生がどうにもならなくなったら、はてブでスパムをすればいい。それは恥ずかしい事でもないし、ださいことでもない。かっこ悪い事でもないし、間違った行為でもない。はてなブックマークは、それをしていい場所なんだ。それが伊藤の思いであり、伊藤のメッセージであり、伊藤直也という思想だった。言うまでもなく、その正体は純粋な愛だった。

一度も愛された事のない、呪われながら生まれきた僕等に差し伸べられた、この星に存在するたった一つの愛だった。もちろん、その愛は伊藤が意図したようには伝わらなかったのかもしれない、伊藤が意図した人達には届かなかったのかもしれない。彼の愛はOZPAや、ごとうたろうや、kensuuといった類のくだらない連中に強奪された。伊藤が作り上げた愛と希望の生存空間は、これみよがしに得意気に自慢や自虐の馴れ合いを繰り返し、嘲笑と罵倒を続ける連中に占拠されてしまった。それでも、はてなブックマークは、希望だった。いや、その事実こそが、希望だったのだ。

あんなにもくだらないブログでも、スパムをすれば稼げる。あんなにもくだらない連中でも、スパムをすればちやほやされる。あんなにもくだらないテキストでも、スパムをすれば人に読まれる。あんなにもくだらないブログでも、スパムをすれば認められる。その事実こそが、希望の根幹だった。食べていける。生きていける。緩される。認められる。はてなブックマークでスパムをするだけで、それらは簡単に実現する。そんな希望が、そこにはあった。人は夢を無くせば呆けて死ぬ。希望を無くせば老けて死ぬ。それを阻止する場所。それを阻止する存在。未然に防ぐ為の防波堤。最後の不滅の蜘蛛の糸。それがはてなブックマークという希望であり、伊藤直也という名の愛だった。

はてなブックマークでスパムをするという行為が、現実のものとしてではなく、可能性として存在しているだけで、それは希望の存在を意味し、夢の存在を意味していた。誰もが生きる希望を信じられなくなるこの国で、希望の存在を証明する為のウェブサイト。それがはてなブックマークだった。はてなブックマークがくだらない連中にいいようにスパムされ、いいように利用され、いいように飯の種にされ続ける間も、その影で、見えないどこかで、この広い広いインターネットのあちらこちらで、はてなブックマークから一円の利益も得たことの無い大勢の人達にとって、それは夢であり、希望であり、人間の掛け替えのないたった一つの命を支える、貧者が貧者を差別し嗤い虐げるこの国に存在する、たった一つの唯一の、混じりっけのない愛だった。
















そのはてなブックマークを快く思わない人間が居た。
男の名は近藤淳也。株式会社はてな取締役代表社長である。




近藤は狂人であった。
邪心の化身であった。

Q&Aサイトというパクリとコピーのタイムマシン商法を「父が答えを探そうとしたが見つからなかった」という捏造のエピソードで誤魔化し、キーワードリンクというパクリとコピーのタイムマシン商法を「日本伝統のやさしい繋がり」だとか「日本人にはブログよりも日記」という支離滅裂で意味不明な捏造のキーワードで世を騙した男、それが近藤であった。近藤淳也という人間は、人の醜さ、人の汚さ、人の邪さだけをピンセットで取り出し、ペーレの中で純粋培養したような、悪の化身の結晶であった。

近藤は、自らの会社がペイジとブリンのそれに劣るのは、社屋が京都に有るからだという妄想に取り憑かれ会社を東京に移転した狂人であった。近藤淳也は、自らがペイジとブリンに劣るのは社が日本に有るからだという妄想に取り憑かれて会社をカルフォルニアに移転した、完全に頭のいかれた狂人であった。それは近藤という邪さの結晶が抱いた妄想以外の何物でもなく、東京移転は何の成果も上げる事なく「時代は地方」という意味不明な妄言により株式会社はてなは再び京都へと移転した。カルフォルニアでも同じように何の成果もあげることなく、生ハムを抓んでワインを飲んだだけで帰国した男である。その近藤は、自らの妄想の中で、自らこそがGoogleのペイジになるべきだった男であり、自らこそが新時代のGoogleのブリンになる男だと定義していた。その妄想に追い立てられた、近藤の魔の手がはてなブックマークに迫った。






近藤は、はてなブックマークを奪おうとした。
伊藤が作り上げたはてなブックマークを。

伊藤は、はてなブックマークを守ろうとした。
自らが作り上げたはてなブックマークを。






近藤にとって、人々の夢や希望などはどうでもよかった。
自らの欲望、自らの野心、自らの妄想、自らの銭。
それが、近藤の全てだった。




伊藤は違った。
伊藤は愛の人だった。
伊藤は希望の化身だった。

この国の、いやこの世界の未来そのものだった。






かくして、伊藤は自らが作り上げた、はてなブックマークを守ろうとした。近藤の干渉を阻止する為に、言い訳程度のマネタイズを懸命に積み重ね、本意ではない位置に広告を差し入れ、自らの思惑からは遠く離れた不本意な回収を何度も何度も繰り返した。あらゆる手を尽くし、あらゆる詭弁を呈し、近藤の魔の手から自らの愛と希望の聖域を死守し続けた。伊藤直也の成果物を奪い取り、自らの欲望と野心と妄想と金の為に造り替えるという近藤の目論見は全て失敗に終わった。そして、伊藤直也は追放された。伊藤は全会一致の決議により、株式会社はてなを追われた。












確かに、である。
伊藤にも非があった。

その朝、大西が提示した「伊藤直也はバイトの女性に片っ端から手を出し、インターンの女子大生に片っ端から手を付けている」という訴状は紛れも無い事実であった。弁解の余地の無い真実であった。しかし、その事実を持って伊藤を社から追放するなどという蛮行が許されて良いはずがなかった。伊藤が自らの全てを注ぎ込んで作り上げた夢と希望の聖域であるはてなブックマークを、奪い取って良いはずがなかった。全ては謀られたのだ。それは、伊藤からはてなブックマークを奪い去る為に、近藤が仕組んだ罠であり、謀略だった。

世界中で強化されるタバコ規制の流れにより焦りを抱いたJT、日本たばこ産業は、1つの企業に目を付けた。冷凍うどんで知られるカトキチという会社である。彼らは販売協力の名目でカトキチの内部に取り入り、僅かな経理のミスを捜し出してそれを不正経理であると告発した。カトキチの創業者は書類送検され、そして追放された。社は完全に乗っ取られ、カトキチという社名までをも消し去り、今ではテーブルマークと名を変えた。それは謀略であった。同じように堀江という革新的イノベーターが逮捕されて社会から抹殺された。同じように我が国を栄光の未来に向かわせるであったろう小沢一郎という天才政治家が謀略によって潰された。悪の手によって。邪さによって。欲望によって。人々の夢を奪い、未来を奪い、希望を奪い、乗っ取り、自らのものとする輩が居る。パクリと嘘偽りの捏造エピソードで世にでた株式会社はてなの近藤という人間は、そういう類の人物であった。そう、それはまるでGoogleがそうであったように。同じ事を近藤はしたのだ。

そして伊藤は追放された。たかだか、まかない担当のバイトの女性を片っ端から摘み食いしたというだけの理由で。たかだか、面接に来た入社希望者を片っ端から手込めにしたというだけの理由で。たかだか、インターンの女子大生を片っ端から弄んだというだけの理由で。たったそれだけの理由で、たったそれぽっちの理由で、伊藤は社を追われ、はてなブックマークは近藤の魔の手に落ちた。その日、愛の命運は尽きた。











伊藤が手塩をかけて育て上げた莫大なアクセス数を誇るウェブサイト。はてなブックマーク。そのトップページ。誰もがスパムをするだけで、簡単に自らのウェブサイトを掲載させられる場所。愛と希望の自由の王国。その場所に、近藤の手によって、広告記事が強制的に掲載されるようになった。広告記事にはメレ子とか、べにちょとかといったような、自らの利益と欲望の為ならどんな事でもするような、近藤と似通ったパーソナリティーを持つ連中が起用され、広告エントリーがトップページの不動の位置に掲載され続けるようになった。

けれども、はてなブックマークのトップページで勝利したのは、スパムだった。伊藤がその思いの全てを注ぎ込んで作り上げた革新的なウェブサイトは、数年の歳月を経て不動の堅牢な要塞と化していた。はてなブックマークという聖域は、伊藤直也の手を離れ近藤の魔の手に落ちて尚、揺らぐことがなかった。人は誰もが簡単にスパムをして稼ぐ事が出来る。簡単に扇情的な中身の無い人気ページを作り上げる事が出来る。それは、ちょっとやそっとの改変ではびくともしない、堅牢な空間であった。伊藤の費やした歳月は盾となりそこに宿り、伊藤の情熱は矛となってそれを守った。この世界に希望よりも強固なものは存在しない。この世界に愛よりも確かなものは存在しない。城主の居なくなったはてなブックマークという堅牢な人造の一夜城は、その事実を如実に証明し、世界に喧伝し続けていた。

そして、はてなブックマークは当然の帰趨を辿る。










近藤淳也。
それは、害悪そのものだった。

近藤の妄想。
それは、害悪そのものだった。




近藤は、妄想に取り憑かれていた。
自らこそが、Googleになるべきだた男だと。
自らこそがペイジであり、ブリンであると。
そして自らこそが、未来のGoogleになる男だと。










コピーとパクリと捏造のストーリーという近藤のお決まりのパターンは、ここでも発揮される。彼はかつてGoogleが行った事をコピーしようと考えた。Googleが行った事を、そのまま真似しようと企んだ。そうして近藤は、何の根拠もなく、ただGoogleがそうしたというだけの理由で、はてなブックマークのトップページからスパムを排除する事に決めた。そして、DO NOT EVELを自称するインターネットの巨悪であるGoogleが、Googleの検索結果に行ったのと同じ邪悪な行為を行うとした。「広告費の大小によって検索結果の順位を内密に入れ替える」というGoogleのやり口を、そのまま真似しようとしたのだ。それこそが「はてなブックマークのリニューアル」であり、それこそが「はてなブックマークの新しいトップページ」なのだ。

これまでは、広告費によってはてなブックマークのトップページに埋め込まれたものは、一目でそれとわかる形だった。けれども、これからは違う。はてなブックマークのトップページの一番上には、「ブックマーク数による人気ブックマークページ」が来るのではなく、「独自のアルゴリズムにより選出されたページ」が来るようになった。そして、その独自のアルゴリズムとは、Googleの検索結果と同じように、広告費の大小を意味している。

それと同時に、はてなブックマークのトップページからは、これまで存在していた新着ブックマークリストは削除されてしまった。誰もが簡単に自作自演のはてブスパムで簡単に自らのウェブサイトを掲載する事の出来る場所が、無くなってしまったのだ。はてなブックマークが希望であった日は、終わった。伊藤直也という名の愛は、その日を最後に息絶えた。





新しいはてなブックマーク。そこに表示されるのは、かつてスパムをしていたサイトと、広告費の大小によって選ばれたウェブサイト。今から新しくはてなブックマークでスパムをしようと思っても、それは完全な徒労である。まったくもって、意味の無い行為である。伊藤直也という1人の傑物によって生み出されたスパムと希望の聖域は、近藤淳也の手によって、完全に破壊し尽くされてしまったのである。そこはもはや希望の場所ではなく、既得権益の場所であり、夢の場所でもなく、現金の場所であり、そこは愛の聖域ではなく、醜悪さの歴史を誇る場所になった。





僕等はもう、失ったのだ。はてなを、失ってしまったんだ。
はてなブックマークという、最後の希望は奪われたんだ。








いつかは、はてブでスパム。
いつかは、はてなブックマーク。
そんな最後の命綱は、血塗られた近藤の手によって千切られた。









夢は、死んだ。
希望は、終わった。
この世にはもう、何も無い。







伊藤直也は、希望の化身だった。
伊藤直也は、愛の具現化した姿だった。
伊藤直也は、世界全人民の偉大な夢の結晶だった。

けれどもそれは、遠い、遠い、昔の話。






はてなブックマークが希望であった日は、過去の話。はてなブックマークが未来であった日は、過ぎ去った歴史。もちろん、そんなものは、最初から存在しなかったのかもしれない。実際のはてなブックマークは誰かを助けたわけではなく、誰かを救ったわけでもなく、はてなブックマークなど存在しなくても助かったであろう人達を助け、はてなブックマークなど存在していなくても救われたであろう人達を救っただけ。「いつかはスパム」という幻の夢の空想の架空の未来が、実際に現実世界の誰かを救うなんてのは、世間を知らない幼さの残る澄んだ目をした伊藤直也の、夢見がちな思い込み。勘違い。若気の至り。僕等が行き場を失って、たとえばはてなブックマークに辿り着いたとしても、得られたであろうものは精々、三途の川の渡し賃。それでも、それでも。





それでも、はてなブックマークは希望だった。
そして、はてなブックマークは改悪された。

愛は失われ、希望は失われ、夢は奪われた。
世界を覆うのは食い荒らされた欲望の残壊。









































ペイジ、ブリン、シュミットの三頭政治よりも少し前。人々から自由と未来を奪い取る事を目論んだカエサルという男が暗殺された。その才能によってではなく、カエサルと同じカエサルという名前によってその跡を継いだカエサルを名乗るカエサルは半島を制圧し、自由主義者の討伐に向かった。何人も独占すべからず。希望は全ての人に。その思想に基づいてカエサルを殺害し、世界の東半分の支持を集めたたカシウスは大軍を率い、ギリシアの地において、東進する偽のカエサルと戦い、緒戦の痛み分けを敗北と見誤り絶望し、自刃して果てた。

その日、東軍を率いていたのが老いた歴戦のカシウスではなく、あの薄汚れた山小屋の一夜の伊藤直也であったならば、彼は自刃することなく、僅か一晩ではてなブックマークを作り上げる事によりカエサルに対抗し、その軍勢を撃ち破り、そして勝利し、ローマの、いや世界の王となったであろう。しかし不幸にも伊藤直也が生まれたのは1977年。偉大なる神の悪戯により、伊藤直也の生誕が僅か2000と100年遅れてしまった事により、この星に存在する希望は、この星に存在する未来は、この星に存在する夢は、この星に存在する富は、そしてこの星に存在する愛は、ごく少数の特権的な、極めて僅かな一部の人達によって独占され続ける事が決定づけられてしまったのである。

六本木のなかむらで2万7000円の回らない寿司を抓みながら伊藤は言う。未来は奪う者だと。伊藤は言う希望は俺のような人間だけに許された特権だと。愛は特別に選ばれた者だけが得られるものだと。近藤の手によってはてなを追放された伊藤は、それまで買い集めていた技術書を全て捨て、自らの成長の為に続けてきた努力を全てやめた。技術者同士の勉強会にも、めっきり顔を出さなくなった。そして京都から姿を消した。ある人はこれまで大切にしていたものを手放したり、引っ越したりするのは自殺の前兆ではないかと深刻に心配し、匿名でウェブマネーを送りつけたりしたが、幸いにも、あるいは不幸にも、伊藤直也は人知れず生きていた。そして再び俗世へと、戻ってきた。

彼が選んだ新しい職場はグリー。その傲慢さと詐欺的な商法で人々から金を奪い取り、それにより日本中の家庭に怒号と罵声を響き渡らせ不和を生み、人々の悲しみと憎しみを増幅させる事を商いとして平然として行い続ける犯罪的企業。その中枢に伊藤直也は平坐していた。麻薬の売人の親玉の総元締めの用心棒の悪玉の親玉の顧問という立場にまで成り上がり収った伊藤は言う。俺の知った事か。伊藤は言う。自己責任だろ。伊藤は言う。喜んでやったんだろ。伊藤は言う。そんなの、親が悪いんじゃねえの。伊藤は言う。どうせ元から、そんなだったんだろ。かつてふぃとうと呼ばれた男は繰り返す。俺の知った事か。

それでもあの日、伊藤直也は本当に、人々を愛してたのだ。それでもあの日、伊藤直也は本当に、あなた方を愛していたのだ。伊藤直也はこの国でただ1人、いやこの世界で、宇宙でただ1人、あなた方を愛し、あなたを愛し、あなたを救おうとしたのだ。あなたに希望をもたらそうとし、その為だけに自らの安泰の生活を投げ出し、山に籠もり、一睡もせずに、はてなブックマークを作り上げたのだ。今日と明日の伊藤直也がたとえどのように汚れた醜い存在であったとしても、それでもあの日、伊藤直也は本当に希望の化身であり、夢の権化であり、この腐敗した世界に産み落とされた、たった一つの唯一の、具現化した愛だったんだ。