2015年10月31日土曜日

rss

特定の人のrssを読む気力がなくて、読む気力が無いような人のrssばかりで僕のブラウザが埋め尽くされていくが、rss購読を解除するのもめんどくさい。こんな風にして望ましいものを消化して、望ましくないものに包まれる世界が出来上がっていく

2015年10月25日日曜日

人々は書かない理由を書き始めた。

読み続けているブログを見ると、どこにもブログを書かない理由が書かれている。ただ書かれているのではなく、気がつけばまた、新しく書かれている。ブログを書くという事は自由であるように見えて自由ではないし、さらに自由でなければブログは書けないそうだ。自由を手に入れられるだけの強さと、全ての制約を打ち破る強さを兼ね備えたものだけがブログを書ける。その強さとは、欲望なのだろう。欲望の強さを失った者は、ブログを書かない理由を書き始める。昨日も、今日も、そしてまた明日も。その一方で欲望の強さを持つ人達は、欲望に従いブログを書き続ける。僕等が失ったのは情熱ではなく、自由でもなく、ただ欲望なのだ。いや、彼らが失ったものは、ただ欲望なのだ。あの頃の彼らはどんな困難にでも立ち向かってブログを書いていたのに、今ではブログを書かない理由だけが欲望の閾値を越えていく。僕は違うと君は言い、君は違うと僕は言う。

2015年10月21日水曜日

希望

手を伸ばせば届きそうな所に希望はあって、その希望に向かって手を伸ばそうかなと考えるけれど、そんなものはいらないと僕の心が頑なに拒む。その希望がただの幻想でしかなく時間と共に絶望の色を濃くするだけと思っているからなのか、あるいはただ単純に僕はもうこの人生において、希望というものを全く欲していないだけなのか。

2015年10月17日土曜日

わたしの人生は眠いそれにつきる

真夜中におなかがすいて目が覚めて真夜中になったら真夜中というのは朝だから地球はまわってぼくは今日も安定して眠たい。

2015年10月15日木曜日

死体の臭いがする

頭が痛すぎて目が覚めてどうやって息をすればいいかもわからず少し寒くて少し震えて、痛すぎて痛みから死体の臭いがする。死体の臭いは知らないけれど、閉じた目を押さえてうなり声を上げる僕の痛みからは、つらい死体の臭いがする。

2015年10月12日月曜日

行く

ちくわぶのように垂れ下がった心を勇気づけようと自らを励ませば、垂れ下がったちくわぶの中からどろどろと脳髄が流れ出て、自らの形は失われていく。魂よ、おお魂よ、と懸命に呼びかけてはみるが、そんなもの最初から無かったんだよと優しく微笑み返されるのみ。真に失われたものは未来への希望であり、希望が無いと嘆く若者にとっては、希望が無いと嘆くことこそが希望だったのだ。将来を悲観する力すらも失われた今、僕はおとなしく海の無い星でどこにも抜けない渓谷を行く。

2015年10月9日金曜日

昨日眠る前に

昨日眠る前に明日起きたら絶対に書こうと思ってたブログがあって、忘れないように声に出して3度唱えまでしたのに、起きたら綺麗に忘れてしまっていてブログの投稿画面と対峙したまま人生が膠着する。

2015年10月1日木曜日

未来は昨日と同じ光景

目を閉じればその度に違う景色が広がるけれど、目を開ければいつもと同じ光景。環境を変えれば人は変わると言うが、人を変えるには環境を変える必要があり、未来は昨日と同じ光景。ブログを2行書いて、1時間インターネットをして、それから投稿ボタンを押す。いつの日か僕は違う未来を手に入れよう。それはこれからにはなく、これまでにも疑わしい。素晴らしい事は忘れてしまって、挫折ばかりを覚えている。