2018年6月30日土曜日

メタ語りでEcho Foxレベルのチームを例として出してくる信頼の置けない語り手

うわーLoLのメタの話だ面白いなーと思って楽しく読んでいたブログが「このバージョンのメタは……」とか大上段で語ってる中で突然「Echo Foxが」とか書いてると、マジ萎えるよね。もうその時点で信頼のおけない語り手率100%。読む気なくす。だって、サッカーのメタ語る時に、秋田県中学生サッカー大会を例にだしますか?少し大げさに言うと、Echo Foxなんかそのレベルでしょう。そんなレベルの話を例にあげる事が許されるならば、メタなんて捏造し放題。自分にとって都合の良いゲームを探して都合のよい解釈をして捏造し放題。レベルの低い北米のメディアの受け売りを、翻訳記事ですと書かずに垂れ流してるだけなのかなーとも思いますが、どちらにしろ、まともな人間がやることじゃないのでありえない。それとも、LoLってのは秋田県中学生サッカー大会と、チャンピオンズリーグの決勝とで同じ事やってるんですかね。わたしLoLに詳しくないのでわからないですが、そうなんですかね。メタってようするに流行なので、レベルの低いチームとレベルの高いチームで流行全く違うじゃないですが。たとえばサッカードイツ代表ですらレベルが低いからチキタカやろうとして出来ない。Echo Foxなんてそれと同じで、プレイヤーの能力が低いから能力が低いプレイヤーでも出来そうな戦略を選択してるだけなんじゃないですか。知らないけど。知らないから詳しい人に聞きたくて書いてるんですけど。たとえばdotaなんかだと、無能で、得意な事も特別なアイデアも持たない人達がとりあえずpickしてなんとなく一生懸命頑張りましたみたいなキャラクターが時々あって、勝率30%台なのに無茶苦茶ピックされまくったり、世界8強のレベルでは勝率0%のキャラクターがそれ以外では60%勝ってたりという事があったのですが、そんなくだらないものでメタを語ろうとかちっとも思わなかったわけですよ。でも、LoLってのは違うんでしょうか?中足ヒット確認が出来ないレベルのチームを持ち出してメタを語れる類のゲームなんですか?どうなんですかね。「そうだよ」って言われたら納得しますし、別にそういうゲームがくだらないゲームだとも思わないです。将棋とか麻雀とかバックギャモンとか、数学的にこうすれば勝てる可能性が高いという事がアマチュアレベルにまで共有されていて、世界最強レベルのプレイヤーとアマチュアが全く同じ戦略を選択するゲームはたくさんあります。それらが面白くないゲームだとか、悪いゲームだとか言ってるんじゃないです。ただ、dotaとLoLってだいたい同じじゃないですか。dotaは秋田県中学生サッカー大会レベルのチーム、即ちEcho foxレベルのチームでメタは絶対に語れませんよ?dota2で言うとcompLexityってチームがちょうどその辺なんですが、アライエンスっていうti3優勝チームのsolo midが2人居て、うち一人は欧州最強solo midで、なおかつもう一人の方が欧州最強のsolo midよりもeSportsシーンにおいては強くて(ただし腰に爆弾を抱えてて頻繁に休養する)、さらにti6のMVPプレイヤーが居て、後衛にはアメリカ最強のdota2プレイヤーが居て、っていう相当やばめなチームで、北米最強として国際大会常連だった時期もあってEcho Foxよりも地位は上だったと思うんですが、それでもメタを語る時に「compLexityが……」とか言いだしたら、自説をアピールする為に都合のよいものを無理矢理取り上げてる事が明白な、その人物が信頼出来ない語り手である事を確定させるレベルのチームだったわけですよ。dotaのメタ語りって多いときで6チーム、少ないときなら3チームくらいでメタを回してるので、それ以外のチームは「無能なプレイヤーでも勝てそうな戦略」を探して右往左往してるだけなんですよね。そこでの流行り、即ちEcho foxレベルの「無能なプレイヤーでも勝てそうな戦略を探す」というレベルにおける流行り廃りを、バージョンのメタを語るさいに持ち出すなんて、ありえないですし、あってはならないことです。Echo foxレベルのチームで環境語っていいなら、自説に都合のよいところだけを掻い摘まんで、好き勝手書き放題じゃないですか。

なので、「今のバージョンは」とか大上段で語っているところにいきなり「Echo foxが見せたpickは」とか書いてると、即座に信頼の置けない語り手フォルダの読むに値しないフォルダの見た瞬間にブラウザバックフォルダに振り分けてしまいそうになるんですが、LoLってのはそういうゲームじゃないんですかね?中足ヒット確認が出来ないレベルのチームを例に挙げてメタを語れる類のゲームなんですかね。

2018年6月28日木曜日

LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言った人が見るべきeSports。

なし。
ありません。




なぜ、なしなの?という話をします。
その話をする際に、件の人物は何かを小馬鹿にするか何かを褒めることでアイデンティティを保っている事で、私達インターネッターの中では古くから有名な人物である、という点は完全に無視します。LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言った人には一切触れません。その点、よろしくお願いします。その上で、LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言った人が見るべきeSportsの話をします。そんなものは存在しない、という話をします。






LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言った人が見るべきeSports。





なし。
ありません。

なぜかというと、eSportsは面白くないからです。
eSportsは、見ても何が起こっているかわかりません。




eSportsは、50時間以上そのゲームをプレイした人間だけが楽しめるものです。もちろん例外は居るでしょう。わたしだって1秒もプレイしたことがないゲームのeSportsを楽しんで見続けてきましたし、現在進行形で見ているものもあります。けれども、私達のような、そしてあなた方のようなビデオゲームプレイヤーというのは、少数派なのです。マイノリティなのです。LoLをプレイした事のある人間なんて、たかだか数千万人しか居ません。人類は80億人です。100人に一人くらいしか居ません。少数派です。「少数派だけれど一千万人居るよ」みたいな話は可能ですが、それは、eSportsをつまらないと言う人が見るべきだったeSports、という話題とは全く別の話です。





eSportsがつまらないのは、構造的な問題です。

ほとんどのスポーツには1つのボールがあります。
野球でも、サッカーでも、卓球でも、アメリカンフットボールでも、ボールは1つです。どこを見ればいいのかはっきりしています。どちらかのチームがボールを所持すれば、それはまず間違い無く優位にたっているという事を意味します。わかりやすいですね。初めてサッカーを見た人でも、サッカーのルールを把握するのは簡単です。アメフトなんかはちょっと難しいですが、ボールを保持していれば有利になる、前に進めばいい、端まで行けば得点、とかわかりやすいです。すぐに説明がつくだけではなく、どこを見ればいいかわかりやすいです。ボールを見ていればいいんです。




ではeSportsはどうでしょう。
どこを見ればいいのでしょうか?




わかりません。
どこを見ればいいのかよくわかりません。

LoLなんかどこを見ていればいいんでしょうね。10人のプレイヤーがそれぞれ4つのスキルを所持していて、それぞれのスキルにはクールダウンとマナコストが設定されていて、さらに幾つかの使用可能アイテムを所持していて、フラッシュとかテレポートとかいう追加のスキルまであります。しかも、画面にうつっている所でプレイヤー同士が戦うのならまだしも、画面にうつらない所でAIと戦ってて、しかもそのAIと戦ってゴールドと経験値を稼ぐという退屈極まりないレベル上げ作業がゲーム中最も重要な要素の1つで、あまつさえAIですらないレベルの、微動だにしない建物を破壊しただけで拍手とかおきて、そんなものが面白いと思いますか?いったい、どこが面白いんですか?

「相手よりもcsが10多かったおかげでアイテムが入ってAPが上がっているので、相手が本陣に買い物をしに帰っている間に、APボーナスが乗ったAAに乗ってあっという間にタワーが解けていく!!!すげええええ!神プレイだ最高!!」とか思えばいいんですか?わかんないですね。メッシのドリブルや、クリスティアーノ・ロナウドのシュートとは別の次元の、ビデオゲームの教養が必要になるわけです。そして、そのビデオゲームの教養というのは、ビデオゲームをプレイする事でしか手に入らないものなんです。ジャングラーがジャングルをちょっと失敗してHP50と3秒を失ったシーンをスローでリプレイを繰り返し、実況解説があーだこーだ言うのを聞きながら一喜一憂すればいいんでしょうか。メッシのトラップをスロー再生するのとどっちがわかりやすいですかね。ドイツ人が韓国人にパスしてしまったシーンをスロー再生するのとどっちがわかりやすいですかね。メッシのトラップは成功したら即得点ですが、ジャングルを3秒早く回ることが、いったい何に繋がるんでしょうか。何かに繋がるんでしょうねえ。わたしは知りませんが。

csgoなんかは、わりとわかりやすい方だとは思います。けれども、そんなcsgoですら、画面にうつっていないところで誰かがポンポン死んでいくし、見切れた瞬間に胴体一発で死んでいきます。定石とは違う完璧な位置にスモークを投げることが、どのくらい凄いんですかね。ピストルでARに勝つのがどれくらい凄いんですかね。「この銃はぶれるから、この距離での撃ち合いであの銃にリコイルコントロール勝ちするのは凄い」とか言われても、そんなもの、銃は全部撃ったらぶれるでしょう。csgoをやったことの無いプレイヤーはおろか、並のプレイヤーには「wikiでそう書いてた」といった次元でしかない、実感のない話でしょう。反応速度が凄いとか言われても、反応速度を競うゲームならカズレーサーが早押しクイズやってるのを見てた方が面白いです。eSportsんて全く面白くないんです。ビデオゲームが面白いだけなんです。ビデオゲームが、そのゲームをプレイする人間にとっては面白いだけなんです。

ビデオゲームをプレイする人にとってのビデオゲームが面白いからこそ、ビデオゲーム会社は空前絶後の収益を叩き出せているわけです。




たとえば、世界最大の釣り具メーカーはダイワで、シェアは約20%で800億円(釣り具部門)、世界第二位の釣り具メーカーはシマノで600億円(釣り具部門)。釣り具の市場規模なんて、たったの4000億円。いっぽうビデオゲームの市場規模は15兆円です。ゲーム1つで1000億ですよ。ビデオゲームの売り上げは、次元が違うんです。プレイヤーにとってのビデオゲームが面白いからこそ、ありえない売り上げを叩き出せているのです。

釣りのプロがスポンサーで成り立つならば、釣り具会社なんかとは次元が違うレベルの売り上げを誇るゲーム会社が無数に存在するわけで、eSportsが成り立って当然ですね。eSportsの最大のスポンサーは、皆様ご周知の通り、ゲーム会社です。LoLのスポンサーはLoLだし、dota2のスポンサーはdota2、csgoのスポンサーはcsgoで、オーバーウォッチのスポンサーはオーバーウォッチです。そのゲームにおける最大のeSports世界大会とは、一年い一度必ず開催出来る鉄板の課金イベントです。開発会社にとってのeSportsとは、正月記念無料10連ガチャみたいな、鉄板の広告イベントです。それが成り立つのは、他のスポーツとは違い、ファンが簡単に1クリックで課金するシステムを、ビデオゲームは有しているからです。サッカーの大会を見ても、そこで使われてるサッカーボールを1クリックで購入する事は出来ません。一方のeSportsは、そこで使われているサッカーボールをクリックした瞬間に手に入れられる課金システムを有しているのです。任天堂もDLCとは名ばかりのpay2winゲーを「これはpay2winではない」と嘯いて作り、平気な顔してガチャ課金をやる時代です。eSportsなんて、ガチャを回させプレイヤーのアクティブ率を回復させる為のトリガーでしかありません。なのでeSportsは、ビデオゲームが滅びぬ限り不滅なのです。








然り、です。







LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言った人にオススメするビデオゲームならば、存在するでしょう。人々の心の中にそれぞれ、思い思いのタイトルが存在しているでしょう。なにしろ15兆円ですからね。ゲームの素養を持たない人がプレイして面白いゲームが存在していたが故の、15兆円です。ゼルダは面白いとか、二の国は面白いとか、ICOは面白いとか、世界樹は面白いとか、色々あると思います。所謂eSports系のゲームにだって、かなりいい線行けそうなものはあると思います。LoLは色々とめんどくさい上に民度が低すぎることもあり、普通の人が普通の人に薦めるようなゲームではないので除外しますが、たとえばフォートナイトとか、スプラトゥーンとか、ワールドオブタンクスとかいったように、所謂eSportsタイトルの中にも、ゲームの素養を全く持たずeSportsを理解出来ないような人達に推薦する事が可能なゲームタイトルは幾つか思い浮かびます。シャドバとかクラッシュとかは課金ゲーなのでダメですが、ハースストーンのダンジョンなんかは、ビデオゲームを全くプレイしないような人にだって、十分に通用する可能性があるでしょう。

けれども、それらはあくまでも、「推薦出来るゲーム」であり、「推薦出来るeSports」ではありません。ゲームをプレイしていない人間が楽しめるeSportsなんて、古今東西存在しないのです。「俺はスト5やってないけどEVOを楽しんで見てる」とか言われても「そんなもん知らんがな」です。あなたは格闘ゲームを生まれてこの方一度もプレイした事がないんですか?あなたはビデオゲームを生まれてこの方一度としてプレイしたことがないんですか?そういう話をしているのです。eSportsというのは、ビデオゲームをプレイした事のある、あるいは今もプレイしている、そういう人達のみが楽しめるものなんです。そりゃあ一人や二人の例外はあるでしょう。例外は例外です。なぜ中国では、LoLのeSportsが、dota2のeSportsより人気なのか知ってますか?中国においては、LoLはdota2の13倍のプレイヤー人口を誇っているからです。なぜロシアでは、dota2のeSportsが、LoLのeSportsよりも人気なのか知っていますか?ロシアにおいては、dota2はLoLの数倍のプレイヤー人口を誇っているからです。eSportsが人気なんじゃないです。ビデオゲームが人気なんです。




LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言った人にオススメ可能なビデオゲームは存在するでしょう。けれども、LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言った人にオススメ可能なeSportsは存在しないんです。存在するというなら、具体的にそれがどれなのか教えて下さい。abemaのくだらない番組だからつまらないだけ、というのは正論ではありますが、ではあのレベルの人間が見て面白いeSportsが存在するかというと、ありません。LoLの世界大会のグランドファイナル?正気ですか?あなた、じゃあ、dota2のグランドファイナル見て面白いと思うんですか?dota allstarsの歴史の中で最大のグランドファイナル見てみますか?「ラストヒットとってるだけ」と世界中を二分する大論争に発展し、ネットの声に押されて中国を制裁するようなpatchを当てた結果、LoLがdota2に完勝するきっかけとなる大きな遺恨を後々に残したグランドファイナルなんですが、たぶん、あなたの右腕に止まった蚊が血を吸って膨れあがるのを見てた方がエキサイティングですよ。3時間ありますよ?3時間耐えられますか?面白いと思うんですね?それとも何ですか?「LoLはバランスがいいから面白いけれど、dota allstarsはguinsooっていう壊れアイテムがゲーム内に存在するから面白くない」とか言うんですか?正気ですか?

スタークラフトが韓国でeSportsとして大成功したのは、スタークラフトが韓国で空前絶後のプレイヤー人口を獲得したからです。同じように、現在成功しているeSportsタイトルが、eSportsとして成功しているのは、空前絶後のプレイヤー人口を確保出来ているからです。格闘ゲームはまともにプレイヤー人口を確保出来ていないので、タレントショーに毛が生えたレベルでしか、成功出来ていないのです。シャドウバースはぎりぎり成り立つレベルのプレイヤーを確保出来ている上に、課金率が高いから、なんとかやっていけているんです。






結局のところ、eSportsの面白さがわからないと言っている人に「これを見るといいですよ」って提示出来るeSportsなんて、地球上に存在しないのです。未来永劫存在しないでしょう。


LoLで脳味噌を完全にやられた民度の低い人々が、西野長谷川ホリエモンの出来損ないみたいな炎上でアクセス稼いで金儲けしてる人に釣られてるだけじゃないですか。「これ見るといいですよ」って一つもないじゃないですか。精々「WCS2017のグランドファイナルでも見ろ」と言ってる人が、ちらほら居るくらい。いや、だからWCS2017がeSportsとして面白いというなら、smm8でも、ti7でも、面白いはずですよね?あなた方、SMM8のグランドファイナル見て面白いと思うんですか。The International 7のグランドファイナル見て面白いと思うんですか?LoLとdota allstarsってそもそも作ってた人が同じなので、わりと似てるんですが、それでも面白いと思わないでしょう?「LoLがdota2よりも人気なのは面白いからだ、故にWCSの決勝は見ても面白いけど、tiの決勝は見ても面白くない」という論法は可能かもしれませんが、ソビエトロシアではdota2のが人気ですよ。LoLなんて中国人が見て、韓国人が勝ってるだけでしょう。dota2はロシア人がプレイして、ロシア人が見て、ロシア人が負けるだけのeSportsなのでもっと酷いですが。eSportsってのは、そういうものなんですよ。プレイしているから見てて面白いんです。プレイした事があるから見てて面白いんです。提示してくださいよ。eSportsワカラナイって言ってる人が見て面白いeSportsとやらを、提示してみてくださいよ。誰もしてないじゃないですか。


先日twitterで、「リコーダーを吹いている大人なんて居ない。リコーダーはださいからだ」って言った人に対して、かっこよくリコーダーを吹いている大人の動画がたくさんリプライとして提出されましたよね?「ピアニカを吹いている大人なんて居ない。ピアニカはださいからだ」って言った人に対して、かっこよくピアニカを吹いている大人の動画が、これでもかこれでもかと寄せられましたよね?

eSportsは何をしていたんですか?
口汚く罵倒していただけじゃないですか。
1つの例も挙げられていないじゃないですか。


口汚く罵倒する事がeSportsなんですか?斬新ですね。わたしはそんなもの、eSportsだと思わないです。それがeSportsを愛する人の態度なんですか?ビデオゲームで脳味噌やられた暴徒にしか見えないのですが、それがeSportsを愛する人の態度なんですね?eSportsタノシイ、って言って、eSportsの素晴らしさを他の誰かに伝えようとする人間がとる態度なんですか?「eSportsならこれを見るといいですよ」ってコメントはどこに存在してるんですか?動画のリンク貼ればいいじゃないですか。人生の中でゲームなんかほとんどプレイしてこなかった人が見ても面白いeSportsってのを、提示すればいいじゃないですか。なんでしないんですか。





いやいや、やめてくださいね。
eSportsじゃないものを提示するのはやめてください。私が要求しているのは、面白いeSportsです。LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言うレベルの人が面白いと思う可能性がある、eSportsの動画以外のものを提示するのはやめてください。


情熱大陸やプロフェッショナルの流儀、あるいはメルクリウスの扉みたいな、捏造で美化されたくっさいくっさい人間ドラマみたいなエセドキュメンタリー動画を提示するのはやめてください。くっさいくっさい人間ドラマの美談捏造ドキュメンタリーなんて、eSportsである必要ないじゃないですか。無酸素のエベレスト登山でも、ヨットで世界一周でも、けんだまでもヨーヨーでもクリケットでもホリエモンでも与沢翼でもアメフトでもサッカーでも野球でも、人間だったらなんでもいいようなくだらないコンテンツではなく、eSportsの話をしているんです。eSportsの話をしているんです。ありますか?それこそ、eSportsのくっさいくっさい情熱大陸メルクリウスの扉を見るくらいなら、ケイスケホンダのプロフェッショナルの流儀の再放送でも見てますよ。プロフェッショナルの流儀はサッカーじゃないですよね。ただの番組ですよね。「サッカー動画ください」って言う人にケイスケホンダのプロフェッショナルの流儀を提示するような真似だけはやめてください。見当違いも甚だしいです。eSportsください。




何見せますか?ときどでも見せますか?LCSでも見せますか?LCSがいいって言うならまずsmm8とti7見てから言ってくださいね。あんなものdotaやってない人にとっては、拷問にしかなりませんよ。dotaやってる人にすら拷問なんですから。LCSだってその程度です。LCSが悪いんじゃなくて、dota系ゲーム所謂mobaっていうのはそういうもんなんですよ。わかっている人にしか面白くない。遊んでいる人にしかわからない。そして、遊んでいる人が大勢居て、尚且つ課金システムがあるから出来る。それだけの話です。あるいは、ハースストーンでも見せますか?オーバーウォッチでも見せますか?それとも、会場全体がVirtus Proに大声で敵の位置を教える中でVirtus ProがSK-Gamingと戦うやつでも見せますか?知ってますか?eSportsって見るのに3時間かかるんですよ?デッドプール2を見たいっていう人を引き留めて、SK Gaming対Cloud9とか見せて、面白かったこっち見て良かったって言うと思いますか?ポルトガル対アルゼンチンを見たいっていう人を引き留めて、SKT対WE見せて、面白かったって言うと思いますか?そういうレベルなんですよ。ゲームをプレイしていない人にeSportsを見せるなんて、ただの拷問にしかなりません。悪質な嫌がらせでしかありません。


「観客はこんなに盛り上がってる」とか「彼は大学を辞めてこれに人生かけてるんですよ」とか、「大の男が悔しくて泣いてるんですよ!」とか、eSportsとは全く関係ないテレ東のお涙頂戴愛国番組みたな話以外に、eSportsの側がいったい何をレコメンド出来るって言うんですか?だからこそあなた方は、ただ、ひたすら、罵詈雑言を浴びせかけたんですよね?罵詈雑言を浴びせかけて気持ちよくなったんですよね。


ゲームの素養を全く持たない人物があのレベルから一人でeSports系ゲーム、即ちオンライン対戦ゲームをやるのは、無茶苦茶キツイとは思うのですが、たとえば日本最強のPUBGプレイヤーであるPlayerJPと行くPUBGドン勝つラスキルの旅とか、"KILL MACHINE"の異名を持つ世界最強のフォートナイトプレイヤーdaidaiさんと行くフォートナイトとか、「このゲーム楽しいな」と思ってもらえる可能性のあるeSports系ビデオゲームは存在すると思うんです。それこそロケットリーグとか、ワールドオブタンクスとか。LoLはだめです。LoLはcsを稼いだ敵にわからん殺しされた上で、ちょうどあなた方がtwitterでやったように口汚い罵詈雑言を浴びせかけられるだけのゲームだということが、図らずも完全に証明されたわけで、あんなものを他人にすすめるなんてありえないでしょう。嫌がらせでしかありません。そもそもLoLは昨今のeSportsタイトルとは違い、pay2winですしね。とは言え、eSportsタイトルはプレイヤーが多いが故にeSportsとして成り立っているわけで、何故プレイヤーが多いかというと、面白いからなんです。人々の心を捉えるからなんです。なので、一応、ゲームをやったことが無い人に勧めるゲーム、という時にも、名前があがる可能性はあると思います。だからこそ、eSportsは成り立っているんです。新規プレイヤーを次から次へと確保出来たからこそ、想像を絶するほどのプレイヤー人口を確保出来たわけです。ビデオゲームが面白かったからこそ多くのプレイヤーが集まり、故にeSportsは成り立っているんです。





LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言うレベルの人にオススメするビデオゲームは存在します。それぞれの心の中に、それぞれ存在しています。けれども、LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と言うレベルの人にオススメ可能なeSportsなんて、存在しないんです。だからこそ、「これを見るといいですよ」という提案が一つもなされないなかで、世界最悪の民度を誇るビデオゲームのプレイヤーから口々に、罵詈雑言が寄せられたのです。





どこかにありますか?
あるなら言ってみてくださいよ。
URL貼って下さいよ。
提示してみて下さい。

映画を1本まるまる見られるくらいの時間を費やして、満足を得られて楽しかったって人々が言うようなeSportsが、あるなら言ってみてくださいよ。提示して下さいよ。URL貼って下さいよ。


そんなもの、ありません。
あるわけがないです。



eSportsはプレイヤーを対象として、内輪で盛り上がってるだけなんです。少なくともLoLのような複雑な構造を持つビデオゲームがプレイヤー人口の壁を超えることは決してありません。だからこそ、最近になってeSportsをやいのやいの言いだした連中は、国別対抗戦だとか、国家の威信だとか言って、愛国心とかナショナリズムとかいうくだらない、近代に捏造された概念に擦り寄っているわけですよ。日本代表を応援しようとか言って。元来のeSportsというものは、審判による偏った判定のない平等な存在だったのです。「202年の韓国代表」とか、「ハンドボールにおけるアジアの笛」とか、審判がどちらかのチームに有利な判定を行う例は幾つもあります。ところがビデオゲームには審判が存在しません。レフェリーが居ないんです。電気信号が全てを決めるんです。故に平等なんです。完全に平等なスポーツなんです。その点において、元来のeSportsはほとんどのスポーツに対して、決定的な優位点を有していたのです。平等性という優位点です。

それだけではありません。eSportsはオンラインでの対戦が可能な為、pingの多少の悪さはあるものの、地球上多くの地域で近い条件でプレイ出来たのです。(多くの地域ではありますが、ほとんどの地域ではありません。南アフリカや西アフリカのプレイヤーはサーバー人口の少なさと、地理的に他のサーバーから隔離された位置にあるが故に、非常に厳しい状況下にあります。)




元来のeSportsはオンラインで完結するが故に、住んでいる場所や国籍を問わず、平等な条件で世界中の誰もがプレイ出来たわけです。ところが、eSportsをやいのやいの言って金儲けしようとしている連中は、それではまずいわけですね。たとえば中国人の凄いプレイヤーは中国での凄まじい広告効果を生み出し、即ち巨額の現金収入に繋がりますが、ラオスとか、東ティモールとかモンゴルとか凄いプレイヤーが生まれたって、たしした金にならないわけです。

だからこそ、eSports会社は(というか「riotは」とか「Blizzardは」などと書き換えてもいいのですが)、金になりそうな地域のプレイヤーを優遇する為に、国別リーグを作って特定の国に住む人間(即ち特定の国籍を持った人間)を、その国籍が故に優遇し、元来のeSportsが有していた人類の根源的な平等性を捨て去ったのです。オンラインで全てが完結するからこそ、イランとかエストニアとか、ヨルダンとかパキスタンとかベトナムとかタイとかブルガリアとか、そういった今では聞かなくなったような、わけのわからない国のプレイヤーが世界最強のeSportsプレイヤーとして、覇を争えていたんです。普通のスポーツだと箸にも棒にもかからないような、プレイヤー人口がほとんどいない零細国から、世界的なトッププレイヤーが無数に現れていたんです。

それを、市場規模の小さい国でeSportsが盛り上がっても収入に繋がらないからと、市場規模の大きな国が有利になるように地図を区切って、eSportsを後付けで国家の威信をかけた国別対抗戦化し、ナショナリズムに擦り寄ってるわけです。eSportsなんて根本的につまらないので、ナショナリズムに擦り寄る以外に方法はないわけです。「みんなで日本代表を応援しよう」とでも言わなきゃ、誰も見ようとしないわけですよ。プレイヤー以外は誰も見ようとしないわけです。プレイヤーすら見ないレベルです。日本は衰退して尚、未だに人口が多く、経済的にも豊かで、伸び代のある市場なので、日本人は優遇されて国際大会に席を用意され、「世界大会にも出場した高橋選手」みたいな事を内輪で褒め合っていい気になってるわけです。くだらないですよ。かつてeSportsが有していた平等という高尚なテーゼを破壊して、てめえが1円でも多く稼ごうとしているんです。

日本人が経済的に未だ裕福だからというだけの理由で優遇されることにより、本来のeSportsが持っていた平等性を、破壊しにかかっているんです。「平等なんてくそっくらえ、俺達が金儲け出来ればいいんだよ」って言う人達が、eSportsを煽ってるわけです。VAC BANされても俺が楽しければいいとチートを使ってVAC BANされるような神経の持ち主がeSportsだeSportsだ言ってるわけです。かつてはISDNのネット回線とゲームをプレイ出来る最低限のPCさえあれば、完全な機会平等が約束されてたeSportsに、生まれた場所や環境で有利不利が生まれるシステムを導入していっているわけです。あるいはもう既に導入された後の世界を僕等は生きているわけです。愛国心というナショナリズムで、大きな市場を持つ国の人々を煽る為だけに。実際に、ナショナリズムってのは強烈なものです。たとえばサッカーワールドカップだって、同じようにナショナリズムを煽っているから盛り上がるんです。パリサンジェルマン対レアルマドリードよりも、メキシコ対スウェーデンの方が、スウェーデンにおいては盛り上がるわけでしょう。サッカーが好きでお金を使う人なんて、たかが知れているんです。ナショナリズムに煽られて消費行動を行う人の方が、圧倒的に多いんです。ナショナリズムとか国籍とかいった、誰が、どのチームが一番強いのかを決めるのには全く不要な要素を煽ってブーストしているからこそ、サッカーワールドカップやオリンピックは世界最大のスポーツイベントなのです。

人類皆平等というeSportsが本来有していた、他の多くのスポーツに対する最大の優位点を捨てて、ナショナリズムにeSportsは擦り寄っているわけです。ラオスやミャンマー、フィンランドやペルー、モンゴルやシンガポールのように、人口の少ない国のeSportsプレイヤーを踏みにじりながら。あの頃のeSportsが有していた、そして今でもeSportsが有しているはずの、全人類は平等であるという高尚なテーゼを完全に破棄して、てめえらが金を稼ぐ為の道具としてだけeSportsを利用し、元来のeSportsを完全に殺害し、その地位を乗っ取ろうとしているんです。「日本代表を応援しよう」ってね。世の中金なんですよ。金の為なら何をやっていいと思う人々が居るんです。そしてそういう人達が今日も今なおeSportsを踏みにじり、金にならない理念なんてゴミ箱に捨てちまえって言いながら、やれeSports、やれeSportsだって、やいのやいの言ってるわけです。LoLを「なに、これ、つまらない。ww」と炎上してアクセス数を稼ぎ、金儲けをしてる人間と同じレベルですよ。そういう人達が、eSportsなんです。そういう人達こそが、今ではeSportsなんです。

2018年6月27日水曜日

入浴だるすぎ問題を解決する決定的なソリューション。


入浴だるすぎ問題

刑務所に入るといいです。
刑務所では週に2回、たったの15分。
一週間で僅か30分しか風呂に取られません。

2018年6月26日火曜日

助かるつもりのない人間を助ける方法はない。

救われたい人を救う方法はあるし、助かりたい人を助ける方法はあるけれど、助かりたいと思わない人間を助ける方法はない。生きたいと願う人は大抵死んでいくし、死にたいという人は死にたいわけではない。眠たいという人は眠りたいわけではないし、働きたいという人は決して働きたいわけでもない。僕等は嘘で列を成している。ぼくにはなんのつもりもない。考える力もなく、もう心というものがない。

2018年6月25日月曜日

シムシティに必要だったイノベーション。

あの日、僕等を熱狂と混乱の渦に巻き込んだ、シムシティ4の発売から幾年月。気がつけばシムシティが滅んでいた。シムシティは過ぎ去ってしまった過去のビデオゲームであり、もう二度と僕達ビデオゲーマーの心をときめかせることはない。あの日は遠く、過ぎ去ったのだ。









シムシティが大きな失敗と共に炎上して崩れ落ち、その悲しい結末として開発のMaxisが解散してしまったころ、僕等の前に新しいシムシティが姿を現した。シムシティのクローンゲーム、cities skylinesだ。cities skylinesは、Cities XLが埋められなかったシムシティの幻想で満たされたシムシティの跡地を綺麗に埋めた。それは決して巨大なビデオゲームではなかったものの、人々に愛されるには十分な、シムシティを内包していた。



人々は、Maxisの息の根を止めたシムシティ(2013)と、 cities skylines の両者を見比べてから、一つため息をついて呟いた。「これが僕等が本当に遊びたかったシムシティだ」と。それはもちろん、cities skylinesに向けて発せられた賛辞だった。



顧客が本当に必要だったシムシティ。

いつしかcities skylinesはそんな風に呼ばれていた。





そんなcities skylinesだったが、僕にとっては、からっきしダメだめだった。cities skylinesはシムシティの悪いところを継承してしまっていた。シムシティが30年かけても改善出来なかった致命的な欠点が、そのまま継承されていた。まるで進歩のないビデオゲームだった。



シムシティの最大の欠点。

それは、四角形である。



シムシティでは、全ての土地が四角形のマス目によって構成されていた。その現実離れした四角形の土地という致命的な非現実性を伴う欠点は、終ぞ改善されることなく、シムシティは終焉を迎えた。cities skylinesは、その四角形を継承していた。









cities skylinesでは、曲線の道路を作ることが出来る。けれども、その道路に付随する建物を建設する空間はご覧の有様。全て、四角形である。こんな馬鹿げた話は他にない。現実世界の土地は四角形ではない。鋭角な三角形だったり、不思議な多角形だったり、半円形だったり、複雑な曲線に包まれていたり。

だからこそ、僕等は30年もの間シムシティをプレイし続けながら、四角形ではない土地を待ち続けた。四角形ではないシムシティを待ちわび続けた。現実世界と同じように、どんな形状の土地にも、その形状に応じた建物が建つシムシティを、待ち続けた。けれども、その夢は叶わなかった。少なくとも、2018年の段階では、あのcities skylinesをもってしても、シムシティはマス目に支配された、四角形の、現実離れした非現実的な、子供だましのビデオゲームだった。

だから僕等は、cities skylinesで曲線の道路が敷けるようになったって、札幌や京都みたいに退屈な、碁盤状の都市を造ってしまう。本当は曲線に彩られた小粋な郊外や、海岸線の曲線を綺麗に取り入れた美しい町並みを作りたいのに、なんの面白みもなく、非現実的な、マス目に支配された都市を造ってしまう。ゲームの仕様に誘導された、特定の長さの長方形で、マップの端から端までを埋め尽くしてしまう。

曲線の川や、複雑に入り組んだ海岸線は、都市建設の障壁でしかない。マップの全てをゲーム仕様の長方形で埋め尽くし、杓子定規に完全に計画された碁盤都市をつくりたいのに、地形はただそれを妨げる。本当ならば僕等の想像力を駆り立てるはずの美しく曲がる河川や入り組んだ海岸線、あるいは隆起した丘や山は、ストレスの原因にしかならない。テラフォーミングして、全てを平面にしてしまいたい。そして碁盤都市を建設したい。僕等はずっと、ずっと、そう思い続けながら、シムシティをプレイしていた。SFC版のシムシティの時点でもう既に、海は都市建設の弊害でしかなく、海の少ないマップIDが雑誌や項略本で共有されていたし、あまつさえ、都市が拡大したボーナスで海面を埋め立てる事の出来る埋め立て地までもがアンロックされた。30年も、30年もの間、シムシティはずっとそういうゲームだった。









「そんな風になったって、直線の道路の方が土地効率が良い」



みたいな反論はあるだろう。

確かに、道路を少なくして建物が建つ空間を増やす為には、ゲームの仕様に先導された長方形で埋め尽くされた碁盤都市が一番効率がよい。道路の面積を可能な限り減らせる、これまでのような碁盤都市が最適解である。けれども、違うのである。

僕等は、道路の少ない都市を造りたいのではない。無駄な土地が存在しない都市を造りたいだけなのだ。せっかく存在する土地なんだから、全てを有効活用したいのだ。そして、道路というのは、無駄な土地ではない。僕等は、道路を造りたいのだ。橋を造りたいのだ。だからこそシムシティをやるのである。そんなに道路いらないよって言われても、小洒落た円形の道路を造りたいのだ。パリみたいな道路、教育用玩具みたいな三角形や四角形、円形が不思議な間隔で並んだ道路、あるいはナスカの地上絵みたいな道路。素敵な道路を造りたいのだ。無駄な道路を造りたいのだ。何故ならば、道路は無駄ではないからである。道路とは、道路を造りたいプレイヤーによって、望まれて造られるものなのである。
四角形で埋め尽くすことの出来ない隙間に、建物が建ってくれるだけで、その夢が叶うのである。どんな形状の空きスペースにも、その面積に応じた建物が建ってくれるだけで、僕等は自由にシムシティ出来るのだ。海岸線を目にしても、隆起した山を目にしても、これまでのように憎しみをもってではなく、愛をもって、自らの都市を見つめられるのである。

2018年6月24日日曜日

情熱をインストールしよう。

私には情熱がない。
とても悲しい気分になる。
全ての情熱は失われてしまった。

書きたいブログも、遊びたいゲームも存在しない、吸いたい酸素のない世界を僕は今生きている。描きたくもないブログを描いて、遊びたくないゲームを遊び、吸いたくない酸素を吸って、僕は今を生きている。全てが失われた世界に僕は要る。




昔の僕は違った。
僕には情熱があった。

食べたいものがあったし、行きたい場所もあった。会いたい人も居たし、幸せにしたい誰かも居た。書きたいものなんて無限にあったし、伝えたい事も少しはあった。叶えたい夢がたくさんあって、色々と頭の中で思い描いた。それは、情熱だった。どんな力よりも強い力、生き物が生きようとする力だった。けれどもそれらは全て消えた。完全に失われてしまった。

どうしてみんな、なくなってしまったんだろう。

確かに存在していたはずの、無限にわき出る情熱は、ふと気がついたら跡形もなく、完全に消えてしまっていた。僕はその理由をしっている。何故消えたかを知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。全ての情熱が僕の心から完全に、跡形もなく消えてしまったという謎を、僕はもう随分と前から完全に解き明かしていたんだけれど、現実を直視するのが嫌で逃げている。向き合うのが嫌で逃げている。たぶん、まだ逃げるつもりだ。


全ての情熱が消えてしまったのは、自らが描いた夢や希望が、何一つ成就しなかったからだ。胸の中に無限にあった書きたいブログすらもまともに書こうとせずに、くだらないゲームばかりやっていた。食べたいものがあっても食べたいと思うだけで、食べに行こうともしなかった。伝えたい人に伝えたい事を伝えようとした事すらなく、幸せにしたい人が遠い場所で消耗していくのを何もせずただインターネットで見ていた。何かしら頭の中で理由を作っては、行きたい場所に行こうともせず、会いたい人に会おうともしなかった。僕はそうやって情熱を潰した。


自らが思い描いた無数の夢を、片っ端からプチプチと、潰し続けて生きてきた。そこには不思議な安心感があった。なぜならば、僕の情熱は無限だったからだ。実際には無限などではなかったのだが、あの頃の僕は自らの情熱は無限などだと信じ込んでいた。得体の知れない間違った確信があった。自らの夢を潰すのは楽しかった。それは、楽しかった。とても、楽しかった。自らの思い描いた夢を叶える為の努力を一切行わなくとも、ビデオゲームを遊び続けることによってその夢を潰すだけで、新しい新鮮で斬新な夢が次から次へと沸き出でる。自らの思い描いた夢をビデオゲームによって叩きつぶすことで沸き出でる新しい無数の夢は、僕の心をときめかせ、僕の人生を輝かせた。僕はその輝きに酔っていた。自らが無限の存在であるというよろこびに、酔いしれた。

僕は決してくじけることなんてない。いつだって希望を胸に、あたらしい夢を抱いて生きていける。僕は自らを永遠の、大志を抱いた少年だと信じていた。夢は情熱となって人を突き動かす強烈な力だ。この地球上に存在する人々の多くは、その力を持っていない。夢も持たず、希望も持たず、強烈な力を持つことなく、ただの蠢く肉塊にすぎない。情熱を持たずに生きている彼らと、無限に生まれる情熱を持つ僕との間には、決して超えられない壁が存在している。僕は無限の情熱を持つ、選ばれた特別な存在なのだ。そう信じ込んでいた。だからこそ、自らの夢を潰すのが楽しかった。潰しても潰しても沸き出でる情熱を目にする度に、僕は至上の興奮を覚えた。世の人ではこうは行くまい。僕は特別な存在なんだ。無限の夢と無限の情熱によって導かれた興奮は、無限の快楽を生み出し、無限の快楽は無限の快楽を生み出した。僕の人生は完璧だった。

無限の情熱によって保証された無敵の快楽に彩られた、輝かしい毎日が約束されていた。自らの夢や希望をビデオゲームで叩きつぶすだけで、新たな夢が生まれ、新たな希望が生まれた。全てを興奮で包み込む、新たな情熱が手に入った。僕は何もしなくてもよかった。一切何もしないことによって、即ちビデオゲームを晩から朝までプレイし続けることにより、自らの夢や希望を叩きつぶすだけでよかった。ただそれだけで、新しい情熱の誕生が約束されていた。夢が完全に叩きつぶされたその瞬間、いやそれ以前より、新たなる夢がそこに生まれた。だから僕は一生懸命、自らの夢を潰し、自らの希望を叩き潰した。潰し続けた。



無限の情熱は、あっけなく途絶えた。その瞬間に僕は悟った。夢と希望によってもたらされていた無限の情熱が、なぜ完全に途絶えてしまったのかを。そう。僕が潰したんだ。僕が僕を潰したんだ。



そして全てが止まった。

もう夢はない。
もう希望はない。
もう情熱は、どこにもない。

僕は潰し続けたのだ。

自らの夢を。
自らの希望を。
僕を突き動かすはずだった、強烈な力を。

情熱を。




僕はこの先もう長くはない人生を、一切の情熱なしで生きていく。読みたい本も、食べたいものも、会いたい人も、幸せにしたい誰かも存在しない、完全なる真空の中を生きていく。どんな素敵なものにも心を揺さぶられず、何を見ても、何に触れても、「ああ、くだらないね」としか思わない毎日が僕を待っている。これが僕の人生なんだ。自らの心を自らの快楽の為だけに利用しつづけた男の末路なんだ。いや、僕はもういない。あの無限の夢こそが、無限の希望こそが、無限に沸き出でる不滅の情熱こそが、僕そのものだったんだ。今こうして情熱の一切存在しないテキストをタイピングしている僕は、僕の完全な偽物の、僕の完全な抜け殻だ。


この教訓を誰に伝えよう。無限に思える夢と希望と焦燥感によって生み出される情熱を、ビデオゲームによって叩きつぶし続けることで快楽を貪り続ければ、このような人生に辿り着くのだという教訓を、いったい誰に伝えよう。そんな人、居るわけがない。伝えたい人なんているわけがない。僕の人生にはもう、僕しかいない。他に誰も存在しない。もちろん、それも、偽物の僕だ。僕ではない偽物の僕だ。無限にわき出ていた情熱の泉は、いまでは憎悪だけを生み出し続ける。何を憎んでいるのかすらもわからない。僕が憎むべきは僕自身だ。自らの夢と希望を潰し続けることにより、ただ快楽だけを得て、情熱を浪費し続けた僕自身だ。けれども、もう、僕んは、自分自身を憎む力すらない。もう悲しみすら感じないんだ。悔しいとも思わない。僕はもう僕じゃないから、はなっからそんなもの、なかったにせよ、僕の人生に責任を持つ気はない。僕ではない誰かの人生に責任を持つ義理はない。そんな奴の為に努力する義理はない。それどころか、こいつは仇だ。僕の無限の夢と希望を自らの快楽の為だけに使い果たした、我が仇だ。憎悪しかない。ここにはだから、憎悪しかない。




こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかったんだ。

僕には情熱がない。なぜ情熱がないのか。それは、情熱がないからだ。他の理由はない。情熱が欲しければ、手に入れればいい。情熱をインストールすればいいのだ。情熱は内なるものではない。みんな、何かに絆されて、情熱を胸にインストールしている。誰かに騙されて、情熱を手に入れている。情熱が欲しければ、情熱をインストールすればいい。素敵な文章を読んだり、素敵な人に出会ったり、素敵な場所に行って、素敵なものを見たり。そうすれば情熱は復活する。情熱なんて後天的なものだ。内なる情熱なんて嘘っぱちだ。情熱とは、外部からもたらされるものなんだ。ならばもたらせばいい。情熱が欲しいならば、情熱を捏造して、その情熱を手にとればいい。副作用は何もない。情熱の力が手に入るだけだ。情熱という強烈な力を用いて自らの日常を改善していけばいい。自らの人生を変えればいい。青臭い途方もない情熱を笑う空気は捨て置こう。冷笑的になってはいけない。決して叶わない壮大な決して叶わない夢は壮大な夢として存在していていいんだ。現実なんて見なくていい。情熱をインストールしていいんだ。夢を捏造して、情熱を捏造して、豊かになって、幸せになって、その力で誰かに情熱を分け与えていく。そうやってみんな幸せになる。自分の心に嘘をついて、情熱をインストールしよう。その力で走りだそう。その力で走り抜こう。挫けたならばまた新しく、情熱をインストールすればいいんだ。情熱は簡単にインストール出来るのだから。情熱をインストールしよう。

そんなブログを書くはずだった。そうはならなかった。情熱をインストールしよう。そう訴えるつもりだった。そうはならなかった。情熱は後天的なもので、簡単にインストールできるから、情熱を失っても挫けることなんてないよ、って結末になるはずだったんだ。そうなると信じて僕はこのブログを書き続けた。その為に僕はこのブログを書き始めた。けれども、そうはならなかった。そんなふうにはならなかった。僕は思い上がっていた。



僕の心にはもう、情熱をインストールするスロットはない。情熱は二度と手に入らない。これが、夢と希望によって生み出される強烈な力を、自らが無限の力を有しているという事を確認する為だけに利用し、その快楽を貪り続けた男の末路だ。僕はもう動かない。もう二度と動かない。

2018年6月23日土曜日

太陽の気分

頭が痛くなって
頭痛薬を欲しても
店は太陽の気分で
全て閉まっている

太陽の気分で
真夜中になって
太陽の気分で
僕は苦しむ

太陽に憎しみを
ぶつけるわけにもいかず
頭が痛いと
嘆き苦しむ

2018年6月14日木曜日

人生に目標はあるか。

人生に目標はあるのかという問いに答える為には、まず人生が存在しなければならないという詭弁がしゃしゃりでる。曰く、人が生きているという事実をもってそれを人生だなどと言えぬと言う。これは詭弁であるので無視するものとする。主語がよくなかった。君に目標はあるかと問うべきであった。だとすれば目標はある。目標があるならば何をすればよいかというと、目標の実現の為に一心不乱の努力をすればいい。それをせずして、わたしには人生なんてないもの、なんて宣うのはとても愚かなことである。目標実現の為に一心不乱の努力をすることをもって、人生などと称するのが正しいか間違っているかはさておいて、目標があって、そしてその目標達成の為に一心不乱の努力をして、それから。