2012年3月31日土曜日

腐らない人。

魚は腐る。その辺に置いておけばすぐに腐る。冷蔵庫に置いても、しばらくすると腐敗が進む。同じように、人も腐る。その辺に置いておけばすぐに腐る。たとえナショナルの冷蔵庫とて、人が腐るのを止められはしない。ところが、海という所では、魚は決して腐らないらしい。その噂を聞きつけて、決して腐りたくは無いと願う1人の若者が海という所へ旅だった。真実は闇、彼は未だに帰らない。

2012年3月30日金曜日

3行

3行を要求したその男には
2つの改行コードが含まれた
7万文字のテキストが提示された

2012年3月27日火曜日

その先、もう少し。

馬鹿になりたいと馬鹿が言う。賢くなりたいと馬鹿が言う。同時にほしがる馬鹿が居る。望むものが大きすぎて、乳酸だけが溜まってゆく。何も知りたくない。何も理解したくない。常に疲れ果てていたい。疲れるだけでは憎しみばかり。もっと、その先、もう少し。

2012年3月26日月曜日

防弾チョッキの上から大砲で撃たれると死ぬ。

過去に書きだしたはいいものの、投稿ボタンまで辿り着けなかったテキストの断片を、GTDの週次レビューよろしく片っ端から読み流して整理していたら、精神的に対処不可能なテキストに次から次へと行き当たり、酷い目にあった。散々な気分に陥った。

自分と自分の間を隔てるインターネットという壁は、我が身を守る防弾チョッキのようなものだ。インターネットを使わずに、紙と鉛筆で書いたならば、自らの全ての痛点にぴったりと突き刺さり、致死量のダメージを与えるであろう文章も、インターネットという人類の英知の鉄壁の防壁を通して読み書きすればかろうじて、手当て可能なダメージで済む。

傷は負う。確かに傷は負う。防弾チョッキの上から撃たれても、痛いものは痛いし、口径によっては負傷は免れない。しかし、致死量の運動エネルギーを持っていた銃弾が一つ、地面に落ちて失われるのだ。一度地に落ちた銃弾が、致死量の運動エネルギーを取り戻す事は不可能である。僕がブログで自らを撃てば、世界はほんの少しだけ、少し安全になるのである。僕が盾となり、犠牲となり、深手を負うだけのことで、世界は平和に近づくのである。即ち、僕は世界を守っている。僕が世界を守っている。世界が今日も平和だとすればそのわけは、僕がブログを書いているからである。

ところが、中には銃弾に収らないテキストもある。中には、というよりも、自らの事を理性を持って、真剣に考えれば考えるほど、真面目に向き合えば向き合うほど、それは銃弾では済まない。インターネットという防弾チョッキの上からでも、致死量のダメージを与える事の出来る恐ろしい武器になってしまう。僕は死にたくない。僕は、生きたい。痛みとか、苦しみとか、そういう事とは無縁の生活を送りたい。呑気に毎日を過ごしたい。

故に、致死量のテキストは決して読み返される事なく、推敲される事なく、誤字脱字を修正される事も無く、もちろん投稿される事もなく、致死量の運動エネルギーを維持したままで、Cドライブの宇宙の中を、不死身の機械のシャークのように、全てを維持して飛び続けている。それに、行き当たってしまった。その山に、行き当たってしまった。爆発している、飛んでいる。ただ、ただ、恐ろしい。

ルール1,

ルール1,

人の書いた文章を元に好き放題書き殴るブロガーは、自らが書いたエントリーを元に好き放題書かれた文章を見た際に、泣き寝入りせねばならない。

人生が好転しない

ブログを書いても、ブログを書いても
人生が好転しないのは、どうしてだろう

2012年3月25日日曜日

妻も子も有る幸せそうな大金持ちが苦しみながら死んで行くのを椅子にもたれて眺めるのは最高の気分だ。

なぜ今心臓なのかというとそれはもう、心臓に関する話を幾つか読んだり見たりしたからだ。我が国の報道機関は年初来、心臓に関するニュースを伝えていたようだし、つい先日はプレミアリーグで選手の心臓が止まって倒れた。けれども、そんな読み流して然るべき心臓のニュースが心に留まってしまったのは、自分も小さな頃から心臓が時々痛むからだ。と言っても、右の心臓も左の心臓と同じように痛むので、明らかに心臓が痛いのではない。けれども、本人が「心臓が痛い」と思い続けて生きてきた以上、それは心臓の痛みなのだ。心痛は頭痛のように長時間続いたりはしないし、思考を妨げる事も無い。頭痛と比較すれば無害な存在だ。けれどもそこには、得体の知れない恐ろしさがある。


イングランドのプレミアリーグで黒人選手の心臓が止まって倒れた、というニュースを目にして、動画サイトを巡っていたら、関連動画に1つ気になったものがあった。




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後半の40分、試合終了間際に、1-0で勝っているチームの選手が意味も無く、ちんたら歩いて立ち止まり、ゲームの進行を妨げた。審判はそれを遅延行為と見なし、イエローカードを提示した。高くかざされたイエローカードを見上げたあとで、苦笑いをし、前屈みになって膝に手をついてから、選手は倒れて死んだ。テレビ中継は審判の顔をこれみよがしに放映していた。

そりゃあ、まあ、確かに、そうかもしれない。あの時点で審判がそれを、遅延行為と見なしてイエローカードを提示するのではなく、選手の体調を気遣って何かしていれば、助かったのかもしれない。たらればは厳禁だけれど、助かった可能性が無いとは言いきれない。

けれども、後半の40分である。1-0である。1点差である。遅延行為は普通の事じゃん。みんな得意気に、遅延行為やるじゃん。選手の交代時には時計が止まる競技が存在する一方で、ベンチから遠いサイドの選手を交代し、遅い遅い駆け足でベンチへと戻らせる事で時間を稼ぐ、という事が当たり前の競技がフットボールじゃん。

しかも、やれマレーシアだとか、やれインテリジェンスだとか言って、そういう行為の僅か向こう側、あるいは境界線上グレーゾーンの行為まで、当たり前の事として消化してきた。ここまでカードを貰っていないから、どうぞイエローカードを出してください、イエローカード上等といった立場での遅延行為や反則行為も、日常的に行われてきた。

そこへ来て、突然、後半の40分に1-0で勝っているチームの選手が行った、遅延行為(のような行動)に対してイエローカードを提示するという、自然で、当たり前のレフリングを、ビデオカメラと中継電波を使って非難する、というのは幾ら何でも違うのではないか。普通の仕事を、普通にこなしただけではないのか。

死んだ選手がイエローカードを見てなんでやねんと笑うシーンはテレビに映っているのだけれど、取り立てて体調が悪いようには見えなかった。小雨が振る中で90分間プレイして、とても疲れた選手、くらいにしか見えなかった。




誰だって、人の身を案ずるふりをしながらその実は、自分の利益しか考えていない。心臓が止まった選手が出ると、高給取りのサッカー選手達は、俺達は一つだとかだなんて、これ見よがしにやっているけれど、「殺したのは、おまえらだろ」と思わずには居られない。あなた方が遅延行為をして勝ち取った1ポイントの勝ち点、3ポイントの勝ち点、その勝ち点が一千二千と積もり積もったその果てに、イエローカードはかざされたんじゃん。あなた方が勝利の為に、勝ち点の為に、チームの為に、自分の為に、生活の為に、家族の為に、夢の為に、金の為に、将来の為に、キャリアの為に、積み重ね、勝ち取り続けた勝ち点が、イエローカードに化けたんじゃん。そういう事実の遙か彼方で、支援だとか何とか言っても、嘘くさいなあ、としか思わない。「金の為なら1人や2人」くらいの事は言ってくれないとさ。誰かが言っていたように、世の中金が全てなんだから。さらに関連動画を辿っていると、高そうな車に乗った高給取りの運転手が高速で壁に激突して火だるまになって死んでいた。幸せそうな大金持ちが苦しみながら死んで行くのを眺めるのは最高の気分だ。

へうげものと天啓。

ブログサーフィンをしていると、アニメへうげものを必死に叩いてたはずの人がアニメへうげものを心の底から楽しんでいた。よくもまあ、そんな手のひら返しが出来るもんだと思いながら過去ログを遡って見たら、アニメと原作者が揉めた事で全ては氷解し、あとは楽しむだけ、ああ楽しいな楽しいな、という事だった。いいなあ、天啓。天啓の存在するネガティブキャンペーン。

インターネットで何かを叩く人は多い。何かに対して、上から目線で冷笑的に見る人も多い。そういった人のほとんど全ては、何かを叩いたり、見下したりする行為を、ただ快楽を得る為だけにやっている。彼の人だって、その類だと思う。けれども、彼の人には天啓が存在していたのだ。天啓が降りた瞬間に、彼の人はその立場を完全に放棄してしまった。いいなあ、天啓。天啓の存在するネガティブキャンペーン。

インターネット上で行われる叩き行為や見下し行為の多くには、天啓が存在しない。それが解消される方法、というものが存在しない。そして、解消されない方が、叩く側にとっては都合がいい。天啓の無いネガティブキャンペーンは、永遠に続く娯楽として人に快楽をもたらし続ける。叩くという行為が楽しみと一体化している。だからこそ、そういう行為を目にする度に、うんざりする。

しかし、天啓の存在する叩きは違う。天啓の存在する見下しは違う。天啓が降りた瞬間から、手のひらを返して肯定的に楽しむ事が出来る。天啓が訪れた瞬間から、見上げて崇め奉る事が出来る。こんなにつまらないものは無いと言ったその口で舌の根も乾かないうちに、こんなに楽しいものは無いと平気で言える。叩きや冷笑という行為と、楽しむという行為は、天啓を隔てて完全に切り離されている。

そういう事だけを、したい。天啓の存在する事だけをしたい。漫画のアニメ化史上で最悪とか叩いておきながら、今やってるアニメでは一番とか平気な顔して書き綴れるような人間で居たい。娯楽としての冷笑、楽しみとしてのネガティブキャンペーンとは距離を置き、天啓の降りてきそうな周辺だけを、ゆるーり、ゆるーりと、漂いたい。そういう志を、捨てずに生きたい。あと、へうげものを見てみたい。あと、へうげものってのを読んでみたい。

2012年3月24日土曜日

竹内克仁というネット詐欺師。

僕はブロックブログという所でブログサービスでブログを書いていた。
が、訳あって流浪を強いられた。




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大本は、ブロックブログの竹内克仁が、インターネット上で開催した「ホームページコンテスト」という催し物だ。その告知を見た時「これは絶対にポシャる」と確信した。ホームページコンテストの賞金は30万円だと告知されていた。賞金が30万円のコンテストがポシャる、という事の意味。それは、この竹内という輩は必ずや、賞金詐欺を働くだろうという確信だった。「賞金を出す」と告知して人を集めながら、賞金を支払わずに逃げるだろうという、確信だった。

僕はそんな人間の運営するブログサービス上で、ブログを書き続けたくは無かったので、「賞金30万円ホームページコンテスト」なるものが告知された段階で移転の覚悟を決め、ブログに「ブログの移転先はどこがいいのか」というエントリーを投稿した記憶がある。




で、案の定、賞金30万円コンテストはポシャった。
竹内克仁は賞金を払う事なく「コンテストは無事終了致しました」なる、謎の告知を行った。

流石にピキピキ来たので、竹内克仁に「無事終了したなら結果を公開すべし」とメールを送ったら、「参加者は1人残らず全員身内の人間だったので、30万円コンテストは発展的解消をしました。」とか意味不明で明かな嘘八百の返信が帰ってきた。決して多くは無かったものの、明らかに身内ではない賞金30万円コンテストの参加者を複数確認済みだったからだ。

その辺りの証拠や矛盾点を箇条書きにしてメールを出したら、返信は来なかった。返信は来なかったが、ブロックブログのウェブサイト上で「数日後にブロックブログを完全終了致します」という告知があった。いいか、これが真の"つぶれればいい"ネットサービスってもんだ。ブログサービスの閉鎖に伴い、ブログ移転を強いられるというのは、果てしなく辛く悲しいものなんだ。比喩や軽口で気紛れにつぶれればいいとか言うもんじゃない。




ブロックブログには、過去ログのエキスポート機能が無かった。
しかも3日後とか言われたので、いきなりすぎてもの凄く困った。

とりあえず、文章処理に定評のあるらしいrubyをダウンロードして、過去ログを移転するプログラムを書いたが、何故か僕のrubyはループ文が動かぬ不良品で、必死でコピーアンドペーストして30万行もの動くゴミ屑を作ってエキスポートした。俺が社会的弱者なのを見越して、不良品を掴ませるまつもとひろゆきは酷い奴だという事だけは理解した。

エキスポートに成功こそしたものの、エクスポートされた文章は改行コードが増殖しまくって原形を留めないものになった。おまけに、これは後になって気がついたことだけれど、webページを用いてエキスポートしたので、「下書き」状態で書き繋いだり、保存していたりしたエントリーは全て失われてしまった。竹内克仁死ねというか、竹内克仁だけは刺殺しても無罪になるべきだろう。ところが現実の竹内克仁はインターネット上で平然と生き続けてやがるんだよなあ。




ジョーカーピース株式会社(http://jokerpiece.co.jp/)の竹内ってのがそれで、
twitterはid:ktakeuchiでフェイスブックはkatsuhito.takeuchiの竹内克仁な。

こういう景品詐欺を働いた犯罪者が、牢屋にぶち込まれる事も無しに、平気な顔してのうのうとインターネットで活動し続けるという厚顔無恥さは心底気分が悪いな。悪い奴ほどインターネット。







とにもかくにもエキスポートに成功こそしたものの、移転先が決まらなかった。移転先を探して右往左往していると、ほんとうにくだらない理由で移転を強いられたわけだから、モチベーションもまるで上がらず、疲れるわ、無駄に時間は過ぎるわで、もうどうでもよくなった。結局、何故か所持していたさくらインターネットの付属サービスである、さくらブログに移転する事にした。

しかし、ここに落とし穴があった。
さくらインターネットは有料だった。

ブログに継続的にお金を費やせるようなリッチな身分では無いからして、さくらインターネットの契約期間終了と同時に、また、再び、移転をしなければならなくなった。そこで僕が選んだのが、エキサイトブログだった。これが、また、悪手だった。




エキサイトブログに選んだ理由は、「ブログ魔王がエキサイトブログだから」というものだった。しかし、である。ブログ魔王という人は、リア充の中のリア充、勝ち組の中の勝ち組、勝者の中の勝者だった。そんなブログ魔王のエキサイトブログは、有料プランだったのである。

エキサイトブログの無料プランは、広告だらけの超悲しいブログサービスだった。なので、仕方が無しにブログ魔王を打倒すべく、エキサイトブログの有料プランに加入した。「金払うならさくらのブログを継続してれば良かったじゃん」と思っても、手遅れであった。




さくらのブログから移転を強いられた理由が「有料」であったという事は、エキサイトブログからも、何れは移転する事になる。また、移転である。移転、移転、移転、移転である。ブログ移転など、一度たりとも望んでいないのに、また、また、また、また移転である。

「長いものに巻かれよう」という事で、google様という世界最強のインターネット会社が移転先として選ばれたが、エキサイトブログには、インポートもエキスポートも存在していなかった。インターネットを検索しても、google blogger用のインポート変換サイトみたいなのはのきなみ死んでおり、過去ログ移転を望むならば、またもや手動で移転コードを書かなければならなかった。

たかがblog移転に30万行も必要なrubyにはもう完全に懲りていたので、pythonでやろうかなー、とか思ってはいたものの、自ら望んで移転したわけではないのでモチベは下がりまくり、積んだままにしていた。それ以前の問題として、僕はブログを書く意味を完全に失っており、ブログを書くつもり自体が全く無かった。





ところが、である。
事態が一変する出来事が起こる。

ブログ魔王にちょっとした出来事があり、それに際してブログ魔王が「俺に足りないのは努力だ!」とか言いだしたのである。これには、温厚な僕も流石にカチンときた。ちなみに、ブログ魔王という人は、努力の塊みたいな化け物系リア充である。そんな糞野郎が「俺に足りないのは努力だ!」とか言うのを見て、あまりの意味不明さに激昂し、真性引き篭もりhankakueisuu様のブログパワーで、ブログ魔王をぶっ潰すべしと、一切の計画も見通しも無いままで、俺の心が挙兵してしまった。そうなると、性格的に、後には引けない性質である。




今でも時々思うのは、ブログ魔王が、ブログ魔王として、何事も無く、平穏な人生を送り続けていたら、きっと僕も同じように、1人の人間として、息絶えるまでの間じゅうずっと、平穏な人生を送り続けられたと思う。そうであったならば、どんなに良かっただろう。どんなに良かっただろうか。




とはいえ、過去ログの移転は一向に進まなかった。全部rubyのせいだった。あの30万行の悪夢が脳裏をよぎり、コードを書くという気力自体が沸かなかったのだ。そんなおり、ガトーショコラを書き殴るで書いた、もの凄い悪夢を見た。目が覚めても悪夢が続く、というヤバイ悪夢を見た。

それがあまりにも耐え難かったので、悪夢から逃げる為だけにpythonをダウンロードし、悪夢から逃げる為だけに移転コードを書いて、悪夢から逃げる為だけの動機による過去ログのエキスポートとインポートが成功した。初回の移転時に、rubyによって増殖してしまった改行コードも、かなり削減して元の改行量に戻せたので、それなりに満足だった。




23to30
その悪夢で、僕がどれだけ追い詰められてたかがよくわかるのが、このグラフ。自作のタイムトラッキングツールのグラフなんだけれど、黄色はpythonスクリプターで、緑はテキストエディタ、赤はfirefox、青はchorome。赤い点線は、apm(1分当たりの操作数)。左上に有る白地に高apmはdota allstars。

見ての通り、16日から17日にかけて、24時間(ほぼ)ぶっ続けで作業している。途中横になって休んだら、まだ悪夢の続きを見てしまって、脳味噌がいかれちまったのかと思った。いや、いかれては居るんだけれど、真の意味で脳味噌の回路が故障したのではないかと、かなり不安になった。

これが30万行のrubyで、こっちがpython
我ながら、悪い意味で、よく頑張った。


そんなこんなで移転に成功したのだけれど、突然ブログのURLが変わっていた。「.com」だったのに、「.jp」になっていた。なんでも、その国の政府の指導に従った検問削除を可能にする為に、自動的に国別アドレスに転送されるようになったらしい。くそっ、google様がイービルだって事をすっかり忘れてたぜ、、、。





それでも、とにかく、夢により、夢を見ることにより、僕は移転に成功した。遂に成功した。パワーオブジュリーム!パワーオブジュリーム!パワーオブジュリーム!と声を上げて叫びたくなるような移転に成功した。正確に言うとジュリームというよりはナイトメアだけれど、セガにとってジュリームキャストが終わりの始まりたる悪夢であったのと同じように、僕にとってのジュリームも同じように終わりの始まりだというだけの話だ。


全身全霊続くところまで可能な限り頑張ろうと思う。ブログ魔王が言うように、とにかく努力をしようと思う。心肺停止状態にあった人間が蘇ったくらいの喜びはある。心肺停止状態にあった自らが蘇ったくらいの絶望もある。必要なのは、努力なのだ。ブログ魔王が言うように、ただ努力する事なのだ。努力し続ける事だ。なので、努力し続けようと思う。弛まぬ努力を続けようと思う。

こうして僕の人生の懸命の努力と頑なな向上心は、真性引き篭もりhankakueisuuによって今日も明日も食い物にされ続けるのであった。若者の努力を食い物にする我が国の憎むべき構造を、たった1人で体現する真性引き篭もり"THE DREAM"hankakueisuuuさんなのでありました。くそっ、くだらねえっ。インターネットっ。

2012年3月23日金曜日

ソーシャル死ね。ソーシャルゲーム死ね。ゲームを返せ。ゲームから出てけ。

あったまきた、ほんとあったまきた。
こんなに悲しい思いしたの初めてだよ。
こんなに惨めな気分はもうこりごりだよ。






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やっとブログに書けるだけのゲーム数をプレイ出来たので、書くけれど、あったまきたよ。ほんとあったまきた。こんな不条理はないよ。いいか、DOTA2はゲームじゃない。dota allstarsはゲームだ。そして、DOTA2はdota allstarsの完全移植だって触れ込みだった。だから、僕はその宣伝を聞いて、DOTA2もdota allstarsと同じように、ゲームなんだろう、って思ってた。

でも、ゲームじゃなかった。
ビデオゲームなんかじゃなかった。

こんな理不尽が他にあるか?ビデオゲームだと思ってたら、それはソーシャルゲームだった。これは、詐欺だ。完全な詐欺だ。ビデオゲームは冒涜された。こんな事が許されていいのか?許せるわけがないだろ。僕等はビデオゲームにだけに頼って生きてきた。ずっとそうやって生き延びてきた。そのビデオゲームが消える。ビデオゲームの皮を被ったソーシャルゲームが「俺はビデオゲームです」って言いだしたんだ。こんな事態を許せるか。許せるわけないだろう。ふざけんじゃねえよ。ふざけんなよ。ビデオゲームを返せよ。僕等の人生の全てを返せよ。ソーシャルはビデオゲームから出ていけよ。








はじめに、ビデオゲームというものが生まれた。

マサチューセッツ工科大学の巨大計算機の中で、ビデオゲームというものが生まれた。一番はじめのビデオゲームは、テニスだった。テニスの模倣だった。ブロック崩しの自機バーが、右端と左端にあって、2人のMITの大学院生が、互いにボールを打ち返し合う。それがはじめのビデオゲームだった。




そうだよ。
確かに、そうだよ。




その時点では、ビデオゲームはソーシャルゲームだった。1人ではプレイ出来なかった。1人の人間が、他の人間に笑顔で語りかけ「遊ぼうぜ」と言って遊ぶものだった。2人のプレイヤーは人と人との関係で結ばれていたし、遊び終わった後も結ばれ続けていた。それが強い繋がりであったか、弱い繋がりであったかは知らない。とにかく、赤の他人ではなかった。2人は繋がっていた。お互いはソーシャルな関係だった。

それは否定しない。それは認めるよ。ビデオゲームは、ソーシャルゲームとして生まれた。その事については否定しない。全面的に受け入れる。ようするに、僕が憎むソーシャルゲームこそが先に有り、僕等が愛したビデオゲームは後発の存在だった、って事だ。だからと言って、僕等に死ねというのか?そんな昔話を根拠に、僕等からビデオゲームを奪おうというのか?








連中はエリートだった。

マサチューセッツ工科大学の、優秀な学生だった。
誰もがうらやむ存在で、成功を約束されていた。
若さと強さを併せ持つ、素晴らしい人達だ。




「ソーシャル上等」

彼らは、そういう存在だった。
挨拶も出来るし、会話も出来る。
恥ずかしくない自分を持ってた。




だから、ビデオゲームはソーシャルゲームとして生まれたんだ。

素晴らしい物を作る。
それを褒めあう。
それで遊ぶ。
それについて語り合う。
それは彼らにとっての、コミニケーションツールだった。








けれども、僕等が頼り縋って生きてきたビデオゲームはそれじゃない。

僕等が頼りにした物は、ソーシャルゲームなどではなかった。
混じりっけ無し本物の、正真正銘のビデオゲームだった。







ビデオゲームについて誰かと語り合う事なんか、無かった。
ビデオゲームを用いて、他人とコミニケーションを取る事なんて無かった。
そんな風に、邪なことに、ビデオゲームを利用するだなんて、想像も付かなかった。

僕等にとってビデオゲームは何よりも神聖なものだった。それは、ビデオゲームという名の聖域だった。人間という邪悪な生き物に出会うことなく、人生を楽しめる唯一の場所だった。この憎たらしい人生の、呪われた醜い毎日の中で、生きている事を感謝する為の、唯一無比のツールだった。ビデオゲームを遊んでいる間だけは、自分が人間である事を忘れられた。





dota allstarsはそういう存在だった。その極北だった。
dota allstarsが齎したのは完全な世界であり、完璧な救済だった。
dota allstarsがビデオゲームであったからこそ、僕等は生き続ける事が出来た。




それは、本物のビデオゲームだった。
正真正銘のビデオゲームだった。




ビデオゲームとインターネットの完全な出会いは「人間の抹消」とでも呼ぶべき事態を引き起こした。そしてそれこそが、真のゲーマーである僕達が、心の底から望み続けてきたものだった。人間という血と肉と骨で出来た醜い無様な生き物は、ビデオゲームの世界において、手強い敵キャラに生まれ変わった。完全無欠の美しい、電子信号へと変身した。歯石が溶け込んだ臭い息も、左胸を刺す悲しみの針も、服の袖で啜る鼻水も、他の誰かへの憎しみも、我が身を削る煩悩も、全て大鍋で茹でられて、ただの電気信号に生まれ変わり、キーボードとマウスのコードを伝い、僕等は遂にビデオゲームになった。つむじから爪先まで、生きとし生ける細胞の全てが、ビデオゲームへと変換された。ただの敵キャラに変換された。




その世界で僕達は、人間ではなかった。
強くて手強い敵キャラでしかなかった。






そうなんだ。
僕等は遂に手に入れたのだ。

望まれずに生まれた。
災難として生まれた。

それにも関わらず。
存外な結果を要求された。
弛まぬ努力を要求された。

馬車馬のように働き。
結果を出し。期待に応え。
そして従順である事を求められた。




関わりたくないソーシャルの渦の中央で。
体裁を保つ為の生き物として。
話したくもない人達と。
生きたくもない人生を。
背負いたくない重荷を。
無理矢理に押しつけられた。

人間であるということは。
全ての苦しみの元だった。

人との関係というものは。
全ての苦しみの元だった。




そうなんだ。
僕等は遂に手に入れたんだ。

その世界では、人ではなかった。
強くて手強い敵でしかなかった。


俺達の苦しみは全て無視され。俺達の心は全て排除され。ただのbotとして生まれ変わった。完全無欠の無垢な存在として、邪悪さとも善良さとも関わりのない存在として、生身の体を捨て去って、電気信号そのものとして、生き続ける事が出来た。それがビデオゲームだった。それこそが、ビデオゲームとインターネットの融合だった。






その世界では、ソーシャルは不用だった。
誰との関係も必要なかった。

スタートボタンをクリックすれば、生身の体は失われ、電子信号に変換された。ただそれだけで、僕等は全てを得る事が出来た。誰とも話さず。誰にも見られず。誰とも会わず。誰も見ず。そこは人の居ない世界だった。人間関係の無い世界だった。憎しみもない、差別もない、嫉妬もない、嘲笑もない、誰もが平等で、誰もが公平な、夢にまで見た桃源郷だった。即ち完全な世界だった。マサチューセッツ工科大学の院生であろうとなかろうと、立派で善良な人間であろうとなかろうと、仕事をしていようとしていまいと、醜かろうと、美しかろうと、全てが平等だった。誰もが皆、ただの敵キャラでしかなかった。

人との関係が生み続けてきた、全ての苦しみ、全ての悲しみ、全ての痛み。それらは完全に消え去った。それどころか、苦しみや悲しみまでもが電子信号に変換され、敵キャラとしての強さや弱さに変換された。僕等は痛みを認める事が可能になった。悲しみを受け入れる事が可能になった。自らという一匹の血と肉を形作る、全ての過去を愛する事が出来るようになった。人生を理解し、楽しむことが出来るようになった。

もちろんのこと、愛など理解出来ない。
ビデオゲームの世界では、人は人で居られなかった。
ただの手強い敵キャラは、愛の存在など知るよしもなかった。

もちろんのこと、人生など楽しくない。
ビデオゲームの世界では、人は人では居られなかった。
ただの手強い敵キャラは、人生の意味など知るよしもなかった。








それこそが、僕等の望みだった。それこそが、僕等の願いだった。全ての人間が消え去った世界。全ての人間関係が消え去った世界。人間の存在しない、完璧な世界。美しい世界。痛みの無い世界。苦しみの無い世界。それだけが望みだった。それだけが願いだった。人が生き物である限り、人間関係から離れる事は出来ない。望まずに強いられた遺伝子から逃れる事は出来ない。人間関係というものは、物心もつく前に、車の鍵を投げつけられて、築港から飛び込んで来いと言われるような類のものだった。そんなものは必要無かった。人間など、不用だった。他人であろうと、自分であろうと、人間などと言う物は不用な存在だった。





ビデオゲーム。

かつてのそれは何も変えなかった。1つのチェンジも齎さなかった。人間は人間のままであり続けた。ビデオゲームをプレイするという行為は、僕等の惨めな気分を、ただ増幅するだけだった。5分、10分、20分。ビデオゲームをプレイすると、時間だけが過ぎて行った。その間中ずっと、僕等は人間だった。人間のままだった。




ビデオゲームは僕等を惨めにするだけだった。

1人の惨めな人間を、ビデオゲームをプレイする、1人の惨めな人間に変えただけだった。事態は少しだけ悪くなった。ビデオゲームを100時間プレイすれば、100時間分の惨めさが、自らの中に生まれた。100時間の間中ずっと、僕等は人間であり続けた。ビデオゲームをプレイする事で、他の何から目を逸らそうとする人間であり続けた。他の何かを忘れようとする人間であり続けた。




この広い世界には、人間である事を受け入れられる人が存在する。

その幸せを最大限に享受する事の出来る人達がいる。人として生まれた事を、喜びであると捉えられる人達がいる。けれども、僕等はそうではなかった。僕等のような、真のゲーマー達にっとて、人間であるという事は、ただ、ただ、苦しみだった。悲しみだった。痛みだった。全ての絶望の元だった。ビデオゲームはその現実を少しだけ、少しだけ、モルヒネのように忘れさせてくれた。ビデオゲームは痛覚を麻痺させる薬であり、ビデオゲームは僕等を守る盾であった。けれども、ビデオゲームは小さかった。弱かった。

そう、かつて、ビデオゲームは弱かったのだ。

一時ばかり現実世界をせき止めはこそしたが、その盾は時間と共にやせ細り、やがては砕け散って死んだ。ビデオゲームが堰き止めた現実世界の長さのぶんだけ、惨めさは巨大なうねりとなって僕等の身上に押し寄せた。僕等は過去へと遡り、ビデオゲームをプレイし続けた長さと同じだけの惨めさを、苦しみを、悲しみを、痛みを、利子を付けてまで受け取った。それが一時間であれば、1時間の分だけ。それが1年であれば、1年の分だけ。それが10年であれば、10年の分だけ。






けれども、dota allstarsは違った。

その世界では、僕等は人間ではなかった。ほんの僅かな個性を持った、ありふれた敵キャラクターでしかなかた。それは、ビデオゲームそのものだった。僕等こそが、ビデオゲームそのものだった。AIよりも少しだけ鈍くさく、少しだけ狡猾で、少しだけ軽率な、ビデオゲームそのものだった。ビデオゲームとインターネットの融合は、血と肉を持つ1人のゲーマーを、ただの電子信号へと変換した。僕は、ゲームだった。僕等は、ただのゲームだった。金無垢のゲームだった。痛みもない。苦しみもない。悲しみもない。正真正銘のゲームだった。それがdota allstarsだった。それが、dota allstarsだったんだ。









けれども、dota2は違った。

今にして思えば、浅はかだった。
今にして思えば、無邪気すぎたんだ。
dota allstarsがそうだったんだから、
dota2もそうなんだろうと思い込んでいた。






けれども、dota2は違った。

そこには、苦しみがあった。
ただ、悲しみだけがあった。
僕は涙を流しながら、惨めな気分で敵を殺した。
痛みを浴びせられながら、惨めな気分で殺された。












はじめは、dota2も同じだと思っていた。
これはdota allstarsなんだ、って思っていた。

dota2はdota allstarsの完全移植。だから同じだと思っていた。
けれども少し勝ち越して、貯金が2桁を超えた頃、光景が一変した。






気がつくと、ソーシャルゲームの真っ只中に投げ込まれていた。

ただの電子信号であるはずの、僕等の相手に選ばれたのは、5人組のフレンドだった。ゲームもコミニケーションも上手い奴らが、ツイッターやフェイスブック、あるいはスカイプやircといったような、様々なツールを利用して、徒党を組んで立ち塞がっていた。彼らはインターネットを狡猾に使いこなし、人間と人間の繋がりによって、ビデオゲームを土足で踏み躙っていた。社交的な奴らは人との繋がりを利用して、戦略的なプレイングをし、個別のプレイヤーを蹂躙していた。ゲームが上手い奴はゲームが上手い奴と結びつき、強靱な絆によって、ゲームが下手な奴を糞味噌に叩き潰していた。




敵だけではなかった。
味方だってそうだった。




僕は度々、四人組みのフレンドとチームを組まされた。

人間と人間との関係性で強く結ばれた彼らは、少しでも気に入らない事があったり、少しでも都合が悪い事が起こったりすると、ソーシャルの外側に居る人間に責任を押しつけ、人のせいにして、罵った。ソーシャルの外側に居る人間を攻撃することは、彼らにとって最も自然で最も平穏なコミニケーションの方法だった。何かを憎み、何かを軽蔑し、何かに責任を押しつける。ゲーマーと呼ばれる人達が、現実世界で行ってきた事を、彼らはゲームの世界に持ち込んだ。ソーシャルという暴力で、ゲームという聖域を踏み躙った。ソーシャルな欲望でゲームの純血を汚した。






人が人として、人と繋がる。

そんな糞くだらないゴミみたいな世界は、ツイッターやフェイスブックだけで十分だ。インターネットだけで十分だ。ビデオゲームはそうではなかった。dota allstarsはそうではなかった。そんな世界ではなかった。だから僕等はdota allstarsをプレイした。し続けた。人間である事を中止し、電子信号になる為だけに、dota allstarsをプレイした。そこにはゲームとしての面白さなど意味は無かった。面白いとか、面白くないとか、そういった事は関係無かった。そんな話では無かったのだ。ただdota allstarsがdota allstarsであればよかった。そして、dota allstarsは本物のdota allstarsだった。本物のビデオゲームだった。人間の存在しない完璧なインターネットだった。完全な世界だった。パーフェクトなワールドだった。だからこそ、僕らは一粒の涙も長さずに、dota allstarsをプレイし続けた。全ての感覚を消し去って、電子信号になりきった。








人間である事を止められる世界。
人として生きる事を中断出来る世界。
1人の人間も存在しない世界。
それがdota allstarsだった。






けれども、dota2は違った。

dota2は、mixiだった。
dota2は、ツイッターだった。
dota2は、フェイスブックだった。
ただのソーシャルネットワークだった。






ビデオゲームは利用される。
ソーシャルネットワークの為に利用される。

人間関係が「人間関係である」という事実だけでは人を集められなくなった時代が訪れた。現金に貪欲な糞野郎どもは、ビデオゲームに目を付けた。人間関係という地獄の鋼の強靱な鎖で、人を繋ぎ止める為に、彼らに現金をもたらすユーザーを繋ぎ止める為に、ビデオゲームに目を付けたのだ。そしてとあるビデオゲームを完全にコピーして、ソーシャルゲームに造り替えた。それが、dota2だ。ゲームとは名ばかりの、ソーシャルゲーム。それが、dota2だ。その世界で価値あるものは、人間関係だけだった。

人間関係により強さが決まり、人間関係により上手さが決まった。誰との繋がりを持たない僕達は、殺されるだけの存在だった。僕が生きられるスペースは微塵もなかった。僕の居場所はどこにも無かった。コミニケーション能力に長けた奴らは、強い奴らと結びつき、インスタントに手軽な強さを手に入れた。強い奴はソーシャルを利用し強い奴らと結びつき、さらなる強さを手に入れた。ビデオゲームは殺された。ソーシャルによって殺害された。ビデオゲームは死んでしまった。人間と、人間だけが生き残った。この世は地獄だ。地獄でしかない。






valveが目指したのは、ビデオゲームではなかった。
valveが作ろうとしたものは、ソーシャルネットワークだった。




ソーシャルネットワークは金になる。
ビデオゲームは金にならない。




それだけの理由で、ビデオゲームは殺害されたのだ。
たったそれだけの理由で、ビデオゲームは殺されたのだ。




世の中は、金だ。
金が全てだ。





金さえあれば、好きな人に会いに行く事だって出来ただろう。金さえあれば、好きな人を助ける事だって出来るだろう。金さえあれば、生まれた時点で無理矢理に押しつけられた人間関係から、離脱する事も出来ただろう。けれども、僕には金が無かった。最も必要だった時に金が無かった。1円の現金もなかった。だから僕はdota allstarsの世界に逃げ込んだのだ。自ら望んで人間である事をやめたのだ。電子信号として生まれ変わったのだ。ビデオゲームの世界を生きる、ただの敵キャラになったのだ。その聖域は、その世界は、金のために汚された。もはや完全に、失われた。

人と人との絆が、人間と人間の繋がりが、全てのインターネットを埋め尽くした。世界は人で溢れ、それ以上に人と人との繋がりで溢れた。目には見えない無数の鎖が、ソーシャルによって可視化され、僕等の行く手を遮った。それどころか、僕等の首を締め付けた。ここは地獄だ。インターネットは地獄だ。人間しか居ない。人間しか居ない。









ゲームを返してくれ。
僕にゲームを返してくれ。

ゲームが好きだったんだ。ゲームだけが好きだったんだ。人間なんて、いらない。人間関係なんて、いらない。そんなものは、はじめから、必要としていない。ただゲームだけがあれば良かったんだ。ゲーム無しには生きてはいけない。僕1人では生きてはいけない。dota allstarsを返してくれ。dota allstarsから出て行ってくれ。dota2なんか、僕等は一度も望んじゃあいない。dota allstarsをコピーして、それにソーシャルを付け加え、これがdota2です、なんて言われても、どうすればいいかわからない。死刑宣告にしか聞こえない。ソーシャルなんていらないんだ。人間なんていらないんだ。その為のゲームなんだ。その為のビデオゲームなんだ。ソーシャルの醜い血と肉で、ソーシャルの臭い視線と息で、ビデオゲームを汚さないでくれ。お願いだから出て行ってくれ。ビデオゲームを返してくれ。

ブログのURL変わってる!?え???

.comから.jpになってる。なんで???????????????
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google様の検問対策か

2012年3月22日木曜日

布団の中で今日の自分を、鼻で笑うのはよしてよ。

横になって眠りにつくまでの僅かな時間に、今日という日の一日で、必ずやろうと心に決めたことを、布団の中で思い出して、鼻で笑うのはよしてよ。自分の失敗を、鼻で笑うのは、よしてよ。随分前に好きだった人を、布団の中で思い出し、鼻で笑うのはよしてよ。遠い昔に書こうとしていた、ブログのエントリーを、布団の中でふと思い出し、鼻で笑うのはよしてよ。何かを思い出して、それを鼻で笑うのはもう、よしてよ。馬鹿にするのは、よしてよ。

どれだけ自分を、馬鹿にすれば気が済むの。鼻で笑えば、気が済むの。思いを踏み躙れば、気が済むの。そんな事をして、何が楽しいの。お願いだからもう、よしてよ。そんなことは、今すぐやめてよ。鈍感に見える僕だって、頑丈に見える僕だって、そうやって毎日、毎日、鼻で笑われたら心がとても苦しくなるよ。

あなたはそうやって毎日自分を、鼻先三寸で笑う事により、一時の安らぎを得てるのでしょう。けれどもそんなくだらない、一時の心の充足が、その薄っぺらい布団の外で、力になった事が一度でもありましたか。ジョンレノンが命を賭けて証明したように、ベッドの中には何もない。外の世界を前向きに、生きて行かなきゃならないんだよ。

わたしが懸命に生きようとしても、新しい何かを始めようとしても、あなたはどうせ全ての事を、そうやって鼻で笑うんでしょう。明日の自分をも、鼻で笑って飛ばすんでしょう。その、いやらしい、気持ちの悪い、お堅い侮蔑の微笑が、何をするにも脳裏にうかんで、どうせまた笑われるんだと思ってしまって、全ての事から逃げ出してしまう。一歩も前進する事なく、後ろをに向かって悪い方へと、一目散に走ってしまう。笑いは癌にも効く万薬の長だって、鼻で笑う事を正当化するけど、そんなのは、間違いだよ。自分を鼻で笑っても、虚しさ以外は得られないよ。わたしのことを本当に思うなら、そんなことはもう、よしてよ。お願いだから、よしてよ。ふとんのなかで今日の自分を、鼻で笑うのはよしてよ。

2012年3月21日水曜日

dota allstarsと他ゲーで実績のあるpro。

複数のタイトルにまたがってプレーすることもあるんだろうか
dota allstarsで思いついた人。



h4nni
dota allstarsではMYMの主戦級プレイヤー。LodaとKuroKyによってMYMが勝てなくなってしまった時期のプレイヤーではあるものの、他の相手にはきちんと勝ちきっていた。(なお、Loda、KuroKy共にMYM所属歴有り。)。h4nniがdota allstarsを離れたのは、ミゲルとアンゲルの離脱によりMYMが事実上終了してしまったのがきっかけ。HoNではファナティックに所属しており、HoNのファナティックは相当の結果を残している。HoNのトッププレイヤーになったという事は古くから非常に有名で、かつてはdota allstarsへの復帰が熱望され、今現在のdota2シーンにおいては、一部の懐古主義者達が最も待ち望んでいるプレイヤー。HoNシーンが順調に痩せ細り続けているので、いずれはゲームを変えるだろうと噂されているけれど、dota2ではなくLoLに行くのでは、という予測もある。LoLも強いらしい。


trix
HoNの出。dota2ではmouzの主戦プレイヤー。mouzはtrixに限らず、全員がHoNシーンで実績の有るpro。そして、mouzは絶賛低迷中。あのtrixがdota2をやるというだけで一騒動起きたくらいにHoNシーンでは凄い人だけれど、dota2で見る限り、その面影は全くない。


black
僅か期間ながら主戦プレイヤーとしてkurokyのチームメイトであり、また、dota allstarsシーンに最後に現れた生粋のSF使い13babyのチームで主力だった人。13babyはあわや、loda-kuroky-ソビエトを突き崩すのでは、という所まで行ったので、実質13babyのワンマンチームだったとはいえ、かなりの腕とネームバリュー。HoNシーンに足跡を残した上で、dota2へ。dota2でもやれると本人は言っているようだが今の所は微妙。KuroKyという巨大すぎるドイツ語話者が存在しないシーンでは利点の無いドイツ人なので、その辛さもあり見通しは暗い。


LodaとAkke。
Lodaと、Lodaの古い古い、古くからのチームメイト。絶対敵な強国だったソビエトを崩壊せしめてLoda時代を築き、KuroKy-Loda時代、Loda-KuroKy時代を生き抜いたdota allstarsシーンの象徴的存在。Load Of DotA。dota2リリース後の「なぜこの時期にHoN」としか言いようのない時期に(akkeに請われて(?))HoNでコンペティティブな場に復帰し、何かの大会で2位に入る。ちょうどその頃、KuroKyのdota2チーム(ggnet)が完全崩壊して解散。それに伴い北米入りしたパジャと、フリーエージェントとなったミラクル(共に、かつてのLodaのチームメイト)を掻っ攫い、完璧に限りなく近いロースターでdota2に復帰。モチベも完全に復活してスポンサーも付き、LodaとakkeのCLGは現在dota2シーンで2番手集団。

他にも居ると思うけれど、途切れ途切れにdota allstarsシーンを見ていた英語の読めない僕が思い浮かんだのはこのくらい。dota allstarsとdota2は別のゲームで、という事を言いだしてしまうときりがないのでそこはとりあえず堪える。いや、厳密には別ゲーなんだけど。




LoLとdota allstarsの垣根を越えた人は、dota allstarsでは全く実績の無いxPekeくらいしか知らない。実質、1人も知らない。LoLは(狭義の)dota系ではなく、(広義のdota系に属する)別ジャンルのゲームなので、両方のゲームでまともな実績を持つプレイヤーは居ないと思う。プレイしているという話は聞くけれど、競技の場で活躍しているという話を聞いた事は無い。(灯台もと暗しでaLがLoLだたか)

悪い夢のパターン、一番の悪夢。

頭をガンガン打つ音が、昼も夜中も鳴り響く。

— 民間伝承, データリンク





凄まじい頭痛に叩き起こされた。ここまでの頭痛は近頃無かった。頭の痛さで口を閉じられなくなるのは久しぶりの事で、「そういえば僕の体って、こんな感じだったな」という懐かしさすら込み上げてきた。だがしかし、痛いものは痛い。

頭痛の最中、もの凄い悪夢を見た。19日にも、ブログには書いていないけど酷い悪夢を見たので、これで3日連続で酷い悪夢を見た事になる。もう慣れたが、慣れたからといってどうにかなるものではない。幸福は幸福であり、悪夢は悪夢だ。19日の夢は、ブログはおろかテキストファイルにも書き残していない。テレビで心臓手術のニュースを見て、「特権階級が」と怒り狂い、心臓手術を受けた人を滅多刺しにするニュースをインターネットで見るという悪夢だった。現実の中心にインターネットがあるように、夢の中央にもインターネットが鎮座している。

その手術は「アクティブ手術(人工心肺を用いずに、心臓を動かしながらする手術)」という画期的な手法で行われ、テレビのニュースはアクティブ手術の素晴らしさと技術的困難さ、そしてアクティブ手術が我が国のお家芸であることを盛んに伝えていた。その中で、「アクティブ手術のメリット」なるものが読み上げられていた。鼻筋の通った女子アナウンサーが手に持ったプレートには、「1,体への負担が少ない。2,病院への負担が少ない。3,医者への負担が少ない。4,費用が安い。」と書かれており、解説の心臓外科医が1から順番にそのメリットを説明していったが、3の「医者への負担が少ない。」まで読み上げたところで心臓手術のニュースは終わり、「費用が安い」は読み上げられずに、スポーツコーナーが始った。

スポーツコーナーでは、ボスニアのサッカーリーグで真っ黒な黒人選手の心臓が止まって倒れて死んだ、というニュースを伝えていた。目が覚めてはじめに思った事が、「アフリカにあるのはボスニアじゃなくてボツワナだろう」だったから、それがボスニアであった事は、はっきりと覚えている。ボスニアにも真っ黒な黒人の1人や2人は居るだろうから、間違いだとは言い切れないが。

ボスニア(あるいはボツワナ)では、心臓が止まると人間が死ぬ。けれども我が国の特権階級の人間の心臓は、英知と血税の結集により止まらない。「費用が安い」は読み上げられない。自ずから僕は激昂し、アクティブ手術を受けて助かった老人の心臓を、怒りのあまりテレビを突いて先が折れてしまった包丁で、無理矢理に滅多差しにするニュースをインターネットのニュースサイトで見ている悪夢だった。酷い悪夢だった。次の日の悪夢は当たり障りのない悪夢で、無能さを罵倒された上で解雇されるだけの代物だった。

だがしかし、今日の悪夢はひと味違った。赤の他人に向かい、大声で自分の主張を押し通そうとし続けるという悪夢だった。それは悪夢というほどの悪夢でもなく、目が覚めた時は気にとめていなかった。けれども頭痛を堪えながら呼吸を繰り返す中で、それが何よりも酷い悪夢であると思えるようになった。自分の邪悪さ矮小さが反映された夢や、自分の無能さが反映された夢と距離を置くことは簡単だ。けれども、自分の醜さを突き付けられる夢だけは、まだ耐えられない。じわじわ効いてくる。頭痛は去って、酷い気分だ。これならばまだ頭痛の方が良かった。善良さや優秀さはもう、どうでもいいんだ。美しくなりたい。素敵になりたい。可愛くなりたい。整形して美女になりたい。醜いから醜いんだ。美しくなれば自ずから、美しくなれるはずなんだ。頭をガンガン、ガンガン、畜生め。助けてくれ。

2012年3月20日火曜日

また同じ失敗を。

一日中ゲームをしたりニコ生を見たり動画を見たりして時間が過ぎた。また同じ失敗を繰り返したのかと自らを叱ってはみるものの、この人生のこの一日には、成功というパターンが存在しないのだから、その叱責はパワハラでしかない。まずは成功のパターンを思い描く事からだと、自分を弱く勇気づけてみても、その激励もまた理不尽でしかない。心を茶巾で包んで握り潰しても、言葉の1つも垂れ落ちてこない。

サイボウズを退職しました。

祝日の朝にブログの事を考えながら気持ちよく眠っていたというだけの理由で、サイボウズの西崎部長という人にビルの屋上から突き落とすぞと脅された上で、懲戒解雇されました。サイボウズからは1円の給料も振り込まれていませんし、就職すらしていません。にもかかわらず、懲戒解雇されました。こんな理不尽はありません。皆様もお気を付けください。サイボウズは超絶ブラック企業です。

爽やかな朝。

片方の持ち手が割れてその機能性と美しさを、同時に完全に失ったプラスチック製の洗濯挟みのように、体を折り曲げて手と足を絡めモスクワの方をじっと見据えて目を閉じていると、爽やかな朝が瞼と壁の向こうに見えた。爽やかな朝に目が覚める。最悪の事態だ。寒さも無い。暑さもない。眠たさも、体の痛みも無い。一切の障害を持たない、自由で健やかな朝だ。そんな混じりっけ無い爽やかな朝が迫り出して呼吸が苦しくなる。呼吸が苦しくなるのならばまだいいが、呼吸が苦しくなりすらしない。呼吸が苦しくならない中で、呼吸が苦しくなる。息苦しさにすら見捨てられたのだ。我が身を守ってくれるものはもう、この地球上には何一つ存在しない。全ての痛覚が役に立たなくなってしまった。薄っぺらい欲望と、空虚な衝動だけが僕に寄り添って有る。そんなものは役に立たない。ああ、そんなものは役に立たない。痛みや悲しみや誰かを愛おしいと思う心が、これまで一切の役に立たなかったのと同じように。そうだ、俺は何の役にも立たなかった。けれども、今の自分は何の役にも立たない。この違いは、なんだ。全てが入念に証明され、全てが確定してしまったのだ。右中指の爪を左中指の爪で叩いてカチカチと音を立てる。何も起こらない。何の意味もない。無論、何の役にも立たない。自分の弱みを懸命に探す。1つ見つかる。「働けッ、働けッ」というフレーズが爽やかな朝に横たわる無様な僕の頭に浮かぶ。その言葉を胸の中で繰り返し叫び、自らを罵倒してみる。私には届かない。何の変化も無い。何の役にも立たない。椅子によじ登り、パソコンの電源を入れてみると、今日は祝日であるらしい。この爽やかさは祝日のそれだったのだ。僕は眠りながらにして、祝日の朝を感じ取る事が出来る、特殊な能力の持ち主である。無論、何の役にも立たない。もはや僕には何も届かない。勿論あなたにも、何も届かない。

2012年3月19日月曜日

GESTとhfgl(前回分)のリプレイ雑記。

GESTとhfgl(前回分)のリプレイが出たので全て見てみた。面白かった。誰かブログに書いていないかなと探してみた。見つからなかった。なので自分で書く事に決めたんだ。レジェンドの全滅は中国によって引き起こされた事態だけれど、GESTの結果は「まぼろしすらもまぼろしに」といったところ。



中国が圧勝する為の大会であろうと予想されていたhfgl(ハオ・ファング、ゲーミング、リーグ、だったかな?確か。)は、終わってみれば中国の圧勝にすら意味が無く、中国内戦を見る為の大会にすぎなかった。一方のGESTは中国が参加しない大会だった。即ち、鳥無き島の蝙蝠が圧勝する為の大会だったはずだ。しかしそこで僕等が目にしたものは、鳥無き島の蝙蝠達がpinoyに棍棒で殴り落とされ血へどを吐きながら踏み潰される壮絶な光景だった。

とにかく、中国さえなければ、というのがアジアの英雄達だった。その英雄の中の英雄たるyamateとmushiが同じチームに居て、中国が居ないという事は、彼らが優勝、とまでは行かなくても普通に勝ち進むはずだった。なのに彼らは予選グループで滅多打ちにされて消えた。しかも負け方がまた絶妙で、TAで名を売ったアジア最強の無双型carryプレイヤーだったmushiにAMを振りTAに負け、そのmushiを後衛に回したゲームではエースがdiscし4人になった相手にセーブロード拒否した上で本陣を300まで減らしながら逆転負けを喫するという壮絶な消え方。時計は回る。伝説は死ぬ。

優勝したMSIは2鳥で2ボトルを回す方法でTA、naga、wr/qop/nw/potm等の3carryで全ての相手に完勝。シリアスな大会でここまで説得力を持つTAは初めて見た。ウイナーズファイナル、グランドファイナル共にそれまでpickし続けていたTAを完全に切ってきたのはご愛敬。mushi+yamateにTAで完勝しているのだから、あれこれ言える余地はない。

smmでLGDを倒して中国四強超えを果たして3位に入ったMineskiも2鳥2ボトルをやりまくっていたし、フィリピンは2鳥2ボトルが最先端らしい。フィリピンは今頃になって「国内シーン」と呼べるものが本格化し、マレーシアの3倍の人口が効いてきた。フィリピンのチームはおしなべて強かった。


gestとglhfを見比べて一番の違いは、パンダ。gestではパンダは完全に無視された。一方で、中国シーンは金太郎飴並にパンダが出現する。中国のパンダは昨日今日に始ったことではなく、DKやCKやSGよりも優れているとの結論がかなり昔に出ていて、シーンの流れ自体がパンダ使いを巡る下克上、みたいな時期すらあったのだけれど、アジアでは完全にノーパンダ。「これって中国人の愛国心?」みたいな疑問が浮かんでしまうくらいに、gestではパンダを見なかった。メタがどうとかではなくて、パンダは強いはずなんだけれどな。アジアは中国よりも3 carry寄りでゆったりとした展開だから、パンダが活きないんだろうか。もう少しシーンが突き詰められれば、パンダへと行き着くんだろうか。

というか、「日本人には英語」とかとは違う次元でChuaNがやばい。ChuaNはどちらかというと"レジェンドのチームメイト"だったのに、下克上どころの騒ぎじゃない差が付いてしまった。アジア人レジェンドの中で一人だけ勝ち組。中国語やばい。殺されたくないdota allstarsのproはもう中国語習得して中国に渡るしかない。中国に糞味噌にされた人達がセレブ化してるdota2シーンは本当に貧相。dota allstarsシーンが未だにポコポコ沸いてるアジアは、もう完全にdota2移行する意味を失っている。ざっとチームのウェブサイトを見て回ったけれど、有名どころのスポンサーも数多くついてしまってるし、この調子だとアジアが欧州を征伐するというリフレインは起こらないだろう。dota2は別ゲーすぎるので、シーンがきちんと回り出さない限りNaViに追いつくのは到底不可能。

とにかく、時の流れは残酷だ。zsmjとか820とかkurokyとか13babyとかAZENとか、半年以上のブランクがある人はもう駄目なんじゃないかと思うくらいのフィリピン祭りだった。kuroky復活しないかなー、上の5人で(無茶苦茶)。

2012年3月17日土曜日

春の週末

窓硝子をガンガンと叩かれて竦む
春一番が吹きました

2012年3月15日木曜日

この素晴らしき世界を。

この世界はね、一秒、一秒、面白くなっているんだ。
この世界はね、一秒、一秒、楽しくなっているんだ。
みんなが懸命に働いて、素晴らしい世界を作ってるんだ。

なのに君は、眠ろうとしている。まったく、どうかしてるよ。完全に、いかれちまってる。いいかい、君は眠ったりするべきではない。ずっと起きているべきなんだ。眠たいから寝ようだなんて、愚かなことなんだよ。一時の欲望に身を任せ、素晴らしい一日を台無しにしようとしている。眠ろうだなんて、とんでもないよ。みんな言ってるだろう。インターネットは人々に、春をもたらす希望の未来なんだ。僕らは未来を生きている。なのに君は眠ろうとしている。過去にとらわれて眠ろうとしている。太古の昔から人間が、くだらない時代の退屈な日々に、毎日繰り返してきた睡眠なんて事で、かけがえのない今を浪費しようとしている。それは間違いなんだよ。眠るべきではないんだ。一睡もするべきではない。ずっと起きているべきなんだ。世界を感じるべきなんだ。世界を楽しむべきなんだ。それがわからないだなんて、君の感性は鈍ってしまっているんだ。アンテナを高く持ちなよ。神経を、とがらせなよ。世界を、この素晴らしい世界を君の心で感じてみなよ。この世界はね、とても楽しい世界なんだ。人類が生きてきた時代の中で、一番素晴らしい世界なんだ。その楽しさは起きていないと味わえない。なのに君は、こんなにも素晴らしい世界を蹴って、パソコンの電源を落とそうとしている。そんな事をして何になる。眠ったところで何になる。そりゃあ、横になってゆっくり休めば、活力を養えるだろう。生気は回復するだろう。けれども、君の人生に、そんな事が必要かい?よく考えてみなよ。元気になっても、何も無い。頭が冴えても、使い道はない。明日に備えて眠る事に、意味がある人生を生きてはいない。それならば、楽しむべきなんだ。だからこそ、楽しむべきなんだ。君は人生を楽しむべきなんだ。感じてみなよ、この世界を。こんなにも楽しくて、こんなにも刺激的で、こんなにも面白い世界を、それを体で、心で、感じてみなよ。そうしたら、眠ろうなんて気は失せるはずだ。起き続けようって思うはずだ。なのに君は、眠ろうとしているんだ。一日中インターネットをして、遊び疲れて、眠ろうとしているんだ。こんなにも面白い世界を放って、君は眠ろうとしているんだ。こんなにも素晴らしい世界を蹴って、君は眠ろうとしているんだ。

2012年3月14日水曜日

絆project(曽根哲夫)という国賊によるありがとうの搾取。

rokubousei

震災から一年の日に僕が目にしたのは「イスラエルがパレスチナを爆撃して少年を殺害した」というニュースだった。そしてこの動画を見てまず一番最初に目に飛び込んできたのはイスラエルの国旗だった。次に見つけたのがdota allsatrs動画で見慣れた香港特別行政区の旗。すぐそばに台湾の国旗もあった。

台湾は国であるとしても、香港は国ではない。つまり、この動画に出てくる旗は「国旗」ではなくて「地域の旗」らしい。それならば、震災に対する支援を申し出たパレスチナ自治政府の旗も当然有るんだろう、と思って調べてみた。そしてわかった事は、パレスチナ自治政府の旗は存在しないという事。さらに、我が国の人民を多数誘拐して殺した上に、核爆弾を製造してミサイルを飛ばし、僅かな震災支援と引き替えに金の無心をする北朝鮮の国旗が存在するという事。「ありがとう北朝鮮」。冗談も休み休み言え。以下、国旗の一覧。



サウジアラビア
キルギス
オランダ
ナミビア
ネパール
メキシコ
アイルランド
台湾
香港
ケニア
シンガポール
エストニア
モンゴル
シエラレオネ(逆さま)
サモア
スロバキア
フィンランド
インド
フィリピン
ブルネイ
ブラジル
グルジア
アイスランド
ギリシャ
ハンガリー
コロンビア(逆さま)

イラン
オーストリア
ウルグアイ
南アフリカ
モルディブ
インドネシア、もしくはモナコ
フィリピン
アルバニア
ボツワナ
中国
エリトリア
ドイツ
マケドニア
タンザニア
コスタリカ
アフガニスタン

チュニジア
モルドバ
USA
カナダ
アゼルバイジャン
EU
カザフスタン
ロシア
トルコ
北朝鮮
韓国
ソマリランド、もしくは赤道ギニア
モンテネグロ
オマーン
クウェート
アルジェリア
ウクライナ
イエスラエル
ポーランド
バングラディッシュ
カンボジア
ラオス
ミャンマー
トンガ
チリ
イギリス

ニュージーランド
ボスニアヘルツェコビナ
セルビア
コンゴ
ニジェール
イラク
スーダン
クロアチア
フランス
セネガル
パキスタン
ルーマニア
ルワンダ
メキシコ
ガボン
ベトナム
ブルガリア
ベネズエラ
ベラルーシ
ラトビア




これらの旗は「支援の規模」によって選ばれたものでは無い。それは、支援の申し入れをした国や、国家元首が追悼の意やお見舞いの言葉を送った国などが含まれている一方で、(阪神淡路大震災に続いて)救助犬を含む人員を派遣してきたスイスの国旗が存在しない事から明らかである。

そして、このリストが「ランダムに抽出されたもの」で無い事も明らかだ。香港特別行政区と台湾の旗が当たり前の顔をして隣同士に並んでいる時点で不自然であるし、韓国と北朝鮮が同時に選ばれて隣同士に並ぶ事も、無作為抽出ならばありえない。何者かが意図的に抽出して印刷し、生徒らに渡した国旗なのである。ようするに、曽根哲夫という人間が韓国の国旗と北朝鮮の国旗を印刷し、隣同士になるように生徒に渡したのである。同時に、人権侵害国家であり続け、少なくとも現段階では自国民を殺害する人殺し国家であるイスラエルの旗も印刷して、最前列に並ぶように生徒に手渡したのである。

しかもシエラレオネとコロンビアの国旗は逆さまである。アメリカの反政府的ロックバンドが星条旗を逆さまにするのとは訳が違う。支援を申し入れた国の国旗を逆さまにし、哀悼の意を申し入れた国の国旗を逆さまにし、一目見ればすぐにそれと分かる動画を平然と得意気に触れ回る神経の、うさんくさい人間がやっているNPOである、という事だ。

この曽根という人物は自身のサイトで物販をしていたが、閑古鳥が鳴いており、震災を機にそれを閉じて「絆project」なるものをやり始め、募金募金と言い続けてるようだ。曽根という人物は未曾有の大震災に際し、自己実現の臭いと、金のにおいをかぎつけたのだ。

それは、北朝鮮が震災に際して義援金と名の付いた現金10万ドルを日本に送りつける事で、その100倍以上の金額の食料や円を日本政府から引き出そうと試みたのと同じ事であり、先住民を弾圧して殺し続けるイスラエルが未曾有の大震災を自国のイメージアップの好機と捉え、大規模な医療団を日本に派遣したのと同じ事である。

2012年3月13日火曜日

宦官の恋煩い。

宦官は恋とかしたのかな。
あの娘とキスしたいとか思ったのかな。


宦官にだって、キスされたくない相手とか、抱きしめられたくない相手は居ただろう。同時にキスされても構わない相手とか、抱きしめられても大丈夫な相手も居ただろう。けれども積極的にそういう風に思ったりしたのかな。たとえばそういう風に思ったとして、念願叶ってそういう雰囲気になったとしても、抱きしめて、キスをして、でも宦官だからその先は無い。念願は成就すると同時に念願は成就しない。やだよね。辛いよね。死にたくなるよね。


けれども宦官は死なない。何故ならば宦官には仕事があるからだ。それも、ただの仕事ではない。宦官にしか出来ない仕事である。宦官は必要とされている。ただ必要とされているだけではない。地位も名誉も兼ね備えた、凄い人に必要とされているのだ。それだけではない。宦官は誰かに必要とされているだけではなく、国家にまで必要とされているのだ。宦官の仕事は世界の平和を守るための仕事であり、笑顔の未来を生み出す為の仕事なのだ。それはかけがえのない素晴らしい仕事なのだ。


僕は残念ながら宦官じゃない。だから仕事はない。僕にしかできない仕事、なんてものもない。当然ながら、誰からも必要とされていない。それどころか不用とされていて、居なくなった方がよい。地位も名誉も兼ね備えた、価値ある人に必要とされる事なんて、尚更無い。国家に必要とされる事など無論の事無い。未来永劫無い。それどころか、明らかに不用である。世界の平和を守りもしなければ、笑顔の未来も作りはしない。居ない方がよい人間である。けれども、そんな僕にだって、宦官に無いものがある。


でも、宦官に無くて僕にあるものって、必要なものなんだろうか。大切なものなんだろうか。何かの役に立ったりするんだろうか。誰かを幸せにしたりするんだろうか。しないよね。苦しさや悲しさを生むだけで、誰も幸せにしないよね。無くなった方がよい代物だよね。そうなんだ。僕は気がついてしまったのだ。実は、昨日までの僕は宦官を見下していた。宦官に無いものが自分には有るというだけの理由で、宦官を見下していた。自分より下に見ていた。宦官を鼻で笑い、優越感に浸っていた。


それは、完全な間違いだったんだ。過ちだったんだ。宦官に無いものを自分が持っているからって、自分の方が上だなんて思うのは愚かなことなんだ。他人に無いものが自分にはあるからって、優越感を感じるのは間違いだったんだ。そんなくだらない事で自分を正当化するのは、間違いなんだ。有るも、無いも、等価値なんだよ。どちらが偉いとか無いんだよ。どちらが凄いとか無いんだよ。




宦官は恋とかしたのかな。誰かを好きになったりしたのかな。もしも何かを切り取って、心の一部が消え去るのなら、いろんな所を切り取りたいね。今の僕には、必要のない心が多すぎるんだ。要らない心が荒れ狂い、心が乱れて何も考えられないんだ。酷く混乱しているんだ。以前にも増してそうなんだ。心が邪魔で生きられないんだ。同様に、要らないパーツも多すぎるんだよ。ちんこは要らない、完全に不用。足も要らないし、手も要らない。役に立ったためしがない。脳は要らないし、顔も要らない。なんの足しにもなりやしない。胃も要らない、腕も腹も胸も尻も要らない。要らないどころか、無い方がいい。無くなってしまえば良くなるんだ。僕はもっと頑張れるんだ。健全な人生を歩めるんだ。心だって要らないんだよ。役に立たないんだもの。ちっとも役に立たないんだもの。僕には、ただブログだけ有ればいいんだ。それだけでいいんだ。他はみんないらないんだ。なんの話だっけ。宦官って恋とかしたのかな。キスしたいとか思ったのかな。

寝ます。

それだけ。おやすみなさい。

2012年3月8日木曜日

冬の終わり

熱さに叩き起こされて、もう夏。
いきなり夏。熱り立つ夏。

2012年3月7日水曜日

今日を探して

探して、探して、今日を探して、探し求めて、見つからなくて、それでも見つけ出したい今日。かたくなな人生の、大切な一日。かけがえのない、大切な一日。探して、探して、今日を探して、何かをもたらす今日を探して、それでも見つからない今日。空を見上げてもあるのは天井。海を眺めても遮る壁。小さな部屋で今日を探して、見つからなくて、少し慌てて床をまさぐる。今日はどこにも、落ちてはいない。平凡な今日。退屈な今日。あるはずの今日。当たり前の今日。少しだけれど確実に、僕を成長させてくれる今日。そんな今日が無い。見つからない。探しても、探しても、見つけられない今日を探して、明日にまでも分け入って、それでも見つからない今日。困ってしまって、希望を探してインターネットを徘徊すれば、見つかる見つかる、苦しみのもと。今日を探して、見つからなくて、困って疲れて悪くなって、地べたに醜く崩れ落ちれば、夢の向こうはもう明後日。探して、探して、あるはずの、決して見つからない今日を探して、明日をも失う。夢の向こうはもう明後日。今日を探して、明日を失う。少し眠れば、もう明後日。目が覚めたらまず、探して、探して。

誰が黒木昭雄の自殺を怪死と言い換えているのか。

http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/cat_9475.html

また黒木昭雄は消された、殺された、殺害された、というくだらないデマを二次配布している馬鹿がいる。こういう馬鹿が跡を絶たないという事実は、「黒木昭雄の怪死」というありもしない事件をでっちあげて、一時配布した連中が、その目的を達成した、という事に他ならない。





「黒木昭雄の怪死」という架空の事件をでっちあげたのは誰か。


働き盛りの年齢で国家公務員を辞め、売れないジャーナリストに転職し、生活に困っていた黒木昭雄が練炭自殺した、というのは事実である。ところが、世の中にはそれが事実であると認められると困る連中、というものが存在する。それは、黒木昭雄と何らかの接点があった人達である。強い接点ではなく、弱い接点があった人達である。

彼らがどのような人物であるかというと、「ジャーナリスト黒木昭雄」を有り難がって褒めた称えていた奴らだ。「ジャーナリスト黒木昭雄」というエンターテイメントの最大の受益者であった連中であり、「ジャーナリスト黒木昭雄」という娯楽を最大限に享受していた連中である。「ジャーナリスト黒木昭雄」なるものを崇め奉り褒め称えて、「黒木昭雄は面白い」「黒木昭雄は正しい」「黒木昭雄は素晴らしい」などと言っていたにも関わらず、単著すら買っていないような連中である。

そういう一円にもならないような連中から、twitterやらブログやらで祭り上げられながら、ゴミクズみたいなアクセス数しかない過疎ブログを書き続けた黒木昭雄は金に困り、国家公務員であった頃の生活レベルを維持出来なくなり、将来を悲観して練炭自殺をしたのである。ジャーナリストは金にならないし、ジャーナリスト様をtwitterやらブログやらでへぇこらして持ち上げる連中は金にならない。それだけの話である。

はてさて、黒木昭雄は自殺した。当然の成り行きとして自殺した。そこで困ったのが黒木昭雄をtwitterやらブログやら、あるいは2ちゃんねるやらで祭り上げていた連中である。「ジャーナリスト黒木昭雄」というエンターテイメントを最大限に楽しんでいた奴らである。彼らは黒木昭雄を最大限に楽しみ、利用し、遊び、その面白さを十二分に享受していた。twitterや、ちょっとしたオフやらで、多少の接点があった。しかし、彼らは一円たりとも黒木昭雄に支払ってはいなかった。連中はフリーライダーだったのである。「黒木昭雄のユーストリーム!」とか面白がって、ただ乗りしていたのである。

結果として、「黒木昭雄の自殺」という現実は彼らに1つの困難を齎したのである。
それは、「彼らこそが黒木昭雄を死に追いやった」という紛れも無い事実である。

twitterは金にならない。blogは金にならない。Ustreamは金にならない。ジャーナリズムは金にならない。そんなものは金にならない。どんな所でもちやほやされると人間は、「ああ、金になるのかな」などと思ってしまう生き物である。しかし、実際は何にもならない。生活の足しにはならない。黒木昭雄はそういった、糞くだらない場所のくだらないインターネッターどもにちやほやされた挙げ句、そういったくだらない場所に依存して、「あれ、インターネットでこんなにもちやほやされながら頑張ってるのに私の生活は全然楽にならないじゃん!」と生活苦から練炭自殺したのである。

困ったのは連中である。
ただ乗りしていた連中である。
黒木昭雄というエンターテイメントを享受していた連中である。


連中は困った。黒木昭雄が自殺したのは、連中が黒木昭雄に給料を支払っていなかった事が原因である。警視庁が黒木昭雄に支払っていた程度の給料を出さなかったのが原因である。我が国の警察組織が黒木昭雄に保証していた程度の生活レベルを、連中が同じように保証していたならば、黒木昭雄は自殺しなかった。つまり、黒木昭雄を殺したのは糞くだらないインターネッターどもなのである。黒木昭雄というエンターテイメントを最大限に楽しみ、その価値を享受し、「俺は黒木昭雄を知っている意識の高いインターネッター」という地位を手に入れながら、ただ乗りし、フリーライドし、黒木昭雄という人間の生活を弄びながら踏み躙った連中なのである。


連中は、それを行っている間は、それを無視していた。
しかし、「黒木昭雄が自殺した」という事態によって、その現実を無視出来なくなったのである。


彼らは計算した。
自分が黒木昭雄という娯楽を何時間遊んだか計算した。
その対価として、黒木昭雄に、幾らの現金を支払ったのかを計算した。


結果として出てきた数字は、まともな数字ではなかった。黒木昭雄がインターネットに費やした労働の対価として、妥当な金額ではなかった。「ジャーナリスト黒木昭雄」という娯楽サービスの対価として、妥当な金額ではなかった。元警察官が、元警察官の生活レベルを維持出来る金額ではなかった。将来を悲観して練炭自殺して当然の、雀の涙のような金額でしかなかった。その現実から目を背ける事が出来なかくなった彼らは、黒木昭雄を殺す事にしたのである。




即ち、その現実から目を背ける事が出来なくなった彼らこそが、黒木昭雄を殺害したのである。黒木昭雄の自殺という現実を揉み消して、ありもしない事件をでっち上げた。「黒木昭雄の怪死」という、存在しない現実を捏造したのである。

黒木昭雄が自殺した、というならば、黒木昭雄というエンターテイメントにただ乗りし、黒木昭雄を散々に使役し利用し食い物にして享受して最大限に楽しむ一方で、妥当な対価を支払わなかった連中にこそ、その責任がある。黒木昭雄に警視庁に勤め続けたと同じくらい、あるいはそれ以上の仕事をさせながら、生活レベルを保証しなかった人達、支えなかった人達にこそ責任がある。

しかし、「黒木昭雄は何者かに消された」のであれば、彼らには何の責任がない。一切の責任がない。誰からも非難される事はない。ただ乗りフリーライダーの糞インターネッターどもが、良心に苛まれる必要は無い。「黒木昭雄は何者かに消された」という架空の事件をでっちあげ、それが広く世間に認められさえすれば、連中は1人残らず無罪放免されるのである。

よって、連中は黒木昭雄が自殺するなり、「黒木昭雄は消された!」「黒木昭雄は殺されたのだ!」「黒木昭雄は自殺するような人じゃなかった!」などと口それぞれに大声で喚き立て、「黒木昭雄の怪死」という架空の事件を捏造して、インターネット上に広めた。1人や2人の事ではない、インターネット上に多数存在する「ジャーナリスト黒木昭雄」というエンターテイメントの享受者どもが、大勢のフリーライダーどもが、必死になって「黒木昭雄殺害事件」という存在しない事件をでっちあげたのである。黒木昭雄は自殺した、金に困って自殺した、将来に悲観して自殺した、その大本の原因は、言うまでもなく彼らにこそある。それ故に彼らはデマを散蒔いたのである。「黒木昭雄の怪死」というデマを必死になって散蒔き続けたのである。そうする事によって、彼らは責任を逃れたのである。一切の責任を放棄したのである。自らの身を守る為に、保身の為に黒木昭雄の自殺という事実を揉み消し、「黒木昭雄の怪死」という事件をでっち上げ、黒木昭雄を殺したのである。




そういう連中は今もインターネットに大勢生息している。
素知らぬ顔でへいぜんと、のうのうと生きているのである。

そして彼らはことあるごとに、「黒木昭雄ってジャーナリストが怪死した」という自分達が捏造したデマゴギーを、2ちゃんねるや、ツイッターや、フェイスブックや、飲み会といった、ありとあらゆる場所で広め、世間一般に広く知らしめ、喧伝しているのである。「黒木昭雄の自殺」という現実を揉み消す為にである。自分達の責任を少しでも軽くする為にである。罪悪感を回避する為にである。

2012年3月6日火曜日

プーチンよりも不透明な読売新聞オンライン

putinビフォー。

putinafterアフター。

google検索の画像キャッシュからなので、もの凄い見辛い画像で残念なのだけれど、読売新聞オンラインのロシア大統領選挙に関する記事が、一切の注意書きも無しに突然差し替えられた。URLはそのままで、記事だけの差し替えなので、外部ニュースサイトではどちらも同じ「3月5日(月)21時24分配信」になっている。



nakamidakesasikae
読売新聞オンラインのサイト上には、関連リンクに元の記事タイトルが有る。







記事内容のビフォーとアフター。
露大統領選、不正あったと認識…国際監視団

【モスクワ=緒方賢一】プーチン首相(59)が勝利した4日のロシア大統領選をめぐり、現地に国際選挙監視団を派遣していた全欧安保協力機構(OSCE)は5日、選挙には「幾つかの重大な問題があった」との声明を発表し、選挙に不正があったとの認識を示した。

反プーチン派勢力も5日、「不正選挙」に抗議する大規模デモをモスクワ中心部で決行すると表明しており、今後、混乱が拡大する恐れがある。

OSCEは、「政府の職権が乱用され、最終勝者は揺るがぬよう仕組まれていた」と指摘。また、「視察した投票所の約3分の1で集計過程などに不正が目撃された」としている。

一方、AP通信によると、ロシアの独立系選挙監視団体「ゴーロス」は、有権者がバスで大量動員され、一人が同じ投票所で何回も投票する「回転投票」が頻発していたと発表した。次点に終わったゲンナジー・ジュガーノフ共産党議長(67)も、投票は「非合法で、不公平で不透明だ」と記者団に語り、争う姿勢を示した。
これがビフォーで、

プーチン氏当選、モスクワで1万人抗議デモ

【モスクワ=緒方賢一】ロシアのプーチン首相(59)が当選した4日の大統領選をめぐり、不正があったと主張する野党勢力は5日夜、モスクワ中心部のプーシキン広場で大規模な抗議集会を開いた。

全欧安保協力機構(OSCE)などの国際選挙監視団も不正があったとの認識を示しており、今後、選挙の正統性を巡り当局と野党との対立が激化する可能性がある。

抗議集会は昨年12月から「プーチンなきロシア」を掲げ、数万人を集めて大規模デモを開いてきた勢力が開いた。インターファクス通信は約1万人が集結したと伝えた。大統領選で3位となった富豪のミハイル・プロホロフ氏(46)も参加した。

次点に終わったゲンナジー・ジュガーノフ共産党議長(67)も、投票は「非合法で、不公平で不透明だ」と、争う姿勢を示した。

会場の広場にはヘルメットをかぶった警察官が数多く配置され、広場の外へ抗議行動が広がらないよう厳重に警備している。
こちらがアフター。





なんらかの圧力に屈して記事を差し替えたのだろう。ロシアの大統領選挙が不透明だ、という記事が浮き彫りにしたものは、ロシアの政治の不透明さではなく、我が国のマスメディアの不透明さ。気味が悪い。

2012年3月5日月曜日

グランドファイナル雑記。

amを相手に渡してインターネッターどもから「アホ馬鹿まぬけ」と罵られる事に関しては右に出る者の居ないpickerであるmiGGelが2戦連続でamをxboctに差し上げた上で2-0で勝ってしまい、後が無くなったNaViは遂にamをbanするという支離滅裂な展開。ここをミゲルアンゲルが3-0で取っても、感覚的に一位はまだNaVi。
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前に、「夢とインターネットは区別が付かない」というエントリーで、potmにはphaseと言ってインターネッターどもからフルボッコにされてる人をインターネットで見た記憶があるけど見つからない、と書いたけれど、あれを遂に見つけた。dotaではなくて、honのwikiだった。

dotaとhonではアイテムの名前が違うから検索に引っかからなかっただけだった。 (加えて、叩かれて荒らされてページ自体が削除されてたのもあるかもしれない)

dota allstarsとdota2ならばpotmにphaseは普通だけれど、honとなると違いすぎるからちょっとわからない。honを触ったのはphaseが存在しない時期の、「dotaのキャラをhonのキャラでrape出来ます」という糞バージョン中の糞バージョンの時期だけで、dota allstarsのproがhonに移行した時期には完全に離れてしまっていたので、proがシーンでどちらを選んでいたかも全く知らない。
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NaViが勝ち確を得ており、これで2-1でミゲルアンゲル。ミゲルアンゲルはルーザーズブラケットからの勝ち上がりなので、NaViには1本のアドバンテージwinが有り、総合スコアは2-2。次が決戦。もう一度AngeLにpotmを割り振ってみてほしい。

0-3敗退の危機を背負って赤invokerで仕事をするdendiは流石だ、と言いたいけれどinvokerのban漏れには多少の違和感がある。dota2は「2ban-3pick-2ban-2pick」でdota alsltarsは「3ban-3pick-2ban-2pick」。ban枠が1つ少ないシーンというのはもうそろそろ限界かもしれない。dota allstarsはdota allstarsで、新ヒーローが全てキャプテンモード入りすれば、ban枠が足りなくなる。新ヒーローに恒例の下方調整が入っても微妙に足りないと思う。
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AngeLを無理矢理enigmaに乗せて0-5とか、miGGelはまたも考えすぎてしまった。

ミゲルアンゲルの最大の欠点はlinkの使い勝手の悪さ。幅の狭いプレイヤーなので、pickの皺寄せが大事なプレイヤーに及んでしまう。プレイ内容がとりたてて悪いというわけではないのだけれど、link前提のpickを強いられてしまうから、AngeLとmiGGelを活かしきれない。maniaなんて、wrの勝率は8割有るとか言ってたプレイヤーだから、linkが中衛や後衛も出来る便利なプレイヤーに成長すればチームとして出来る事が一気に増えるんだけれど。NaViは結局強かった。アジアシーンは死んでるし、今年はNaViのままで終わりそう。
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lv9でrepopに110secかかるバグ出てそのまま継続。グランドファイナルの最終戦で 腐ったバグ出て続行とか最悪。まあ逆に考えれば、勝敗がはっきりしている場面の出来事で良かった。日本時間午前2時スタートなので、4試合に6時間半。こんなの日本人で最後まで見れた人居るんだろうか。
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雲行きが怪しくなってきた。
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スコアは13差から4差まで詰まった。saのbkbがもうすぐなので、NaVi有利は揺るがない。
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ミゲルアンゲルはroshan前で壊滅的打撃を受けてNaViはbkbまみれ。mid raxも落とされて万事休す。けれどもここからまだ20分は続く。早送りしたい。
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9差まで広がって流石に無理か。miGGelとAngeLが悪くてミゲルアンゲルの負け、というのは仕方がない。maniaの加入は大きかったし、razeは本当に素晴らしかった。総合力でNaViなのに加えて、ルーザーズからのグランドファイナルだから難しかった。
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よく守ってsaのaegisを剥がす所までは成功したものの、2lane割られて終了。
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かつてのmiGGelは最も著名なsa専でした。
それがpggっぽい万能プレイヤーになり、そしてsaに負ける。
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開始予定時刻2:00、終了8:16。
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gg言っただけでまだ終わってないらしい。まるでパブ。
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2-0からの最終戦で一番内容が悪かったのはmiGGelという負け方だから、最もダメージの少ない負け方ではあった。enigmaを割り振られたAngeLが0-10。グランドファイナル最終戦でmiGGel必殺、神手の浪費。けれども元を辿ればlinkの使い勝手の悪さに行き着いてしまうから、この責任をmiGGelに求めるのは酷か。これ以上のチーム改変は現実的ではない以上、linkがKuroKyやdendiやloda並の極太プレイヤーに化けるしかない。頑張れlink。

2012年3月4日日曜日

日本語が読めない。

「1+1は2です」と書かれた文章を見て、
「へー、これは鉛筆なのか」と思った。

そういう出来事が、今朝あった。
せめて、日本語は少しくらい読めるようになりたい。

楽天が公用語として日本語を採用したならば、すぐに首になるくらいの知性。

2012年3月2日金曜日

天ざる幻想。


あのさあ、突然だけどさ、蕎麦屋の最強メニューって何だか知ってる?





だってさあ、たとえばだよ。
あのね、ちょっと聞いて?





ラーメン屋さんあるじゃん。ラーメン屋さん。
ラーメン屋さんの最強メニューって何だと思う?
最強メニュー。ラーメン屋さんで一番のメニュー。一番上の頂上のメニュー。

そりゃあさあ、まあさあ、あれじゃん。「チャーシュー麺」とかじゃん。普通のラーメンだとチャーシューは2枚しか入っていないけれど、チャーシュー麺はチャーシューが10枚も入ってる、凄い強いラーメンじゃん。わかりやすい強さじゃん。それがラーメン屋さんにおける最強じゃん。あるいは「全部乗せ」みたいなものが有るラーメン屋さんもあるかもしれない。「全部乗せ3辛」とかさ。「ニンニクヤサイマシマシ」とかさ。普通のラーメンだとちょっとしか入っていないものが、大量に入ってる。それが最強のメニューじゃん。ところがさ、蕎麦屋ではそうじゃないんだよ。同じ麺屋さんなのに、蕎麦屋ってのは常軌を逸してるんだよ。


だってね、だってだよ。蕎麦って普通、何が付いてくる?付属品として。
そりゃあさあ、ネギとか、ワサビとか、ノリとか、あとウズラの卵とかじゃん。


ラーメン屋のパターンで行くと、蕎麦屋の最強メニューはネギとワサビと海苔が大量で、その上うずらの卵が2個も付いてくるストロングな蕎麦であるべきなんだよ。ところが、蕎麦屋はそうじゃない。天ぷらがついてくるんだよ。頭おかしいよね。完全に狂ってるよね。蕎麦屋なのに、天ぷら。天ぷら屋さんじゃないのに、天ぷら。ありえないでしょう。しかも、「蕎麦と天ぷらの融合かな?」とか思ってグーグルで画像検索してみたら、全然そんなのじゃないの。蕎麦と天ぷらは完全に独立して出てくるの。おかしいよ。完全におかしいよ。天ぷら、やん・・・。なんかね、そのメニューは「天ざる」って言うらしい。蕎麦と、天ぷらが、別々に出てくるの。しかも、蕎麦屋で一番高くて一番最強なのが、その「天ざる」って言うやつなの。蕎麦+天ぷらが最強メニューなの。もう完全に狂ってるよね。

クレープ屋の最強メニューが「苺と土佐文旦の新春特別クレープ+スッポン鍋」だったらビビるじゃん。「これはヤバイな」って思うじゃん。このクレープ屋は回避すべしってムードになるじゃん。天ざるってのは、冷静に考えれば、そのくらいヤバイんだよ。だってさ、みんなさ、「蕎麦+天ぷら」が普通のものだと思ってるかも知れないけどさ、ラーメン屋でいうと「ラーメン+白ごはん」みたいなもんだよ、それって。完全に頭の線が5~6本切れちゃってるんだよ。「蕎麦+天ぷら」ってのはそのくらい異常な食べ物なんだよ。みんな気がついていないかもしれないけれど、そのくらいヤバイんだよ。でも、それが最強なんだって。蕎麦屋の最強メニューなんだって。価格でも味でも最強なんだって。粋で鯔背な最強メニューなんだって。死ぬまでに一度は食べてみたいね。その天ざるっての。どんなものか、一度でいいから食べてみたい。ヤバイんだろうなー。天ざる。おいしいのかなー。わからんけど。食べてみたいねー。天ざる。天ざる食べたい。今すぐ食べたい。絶対食べたい。おしいんだろうなー。天ざる。もうこの際だから、蕎麦抜きの天ざるでいいから天ざるが食べたい。食べたいな。天ざる。最強なんだよ、天ざるってのは。

休眠口座は宝くじに次ぐ逆進税

休眠口座のニュースほど胸くその悪くなるものは無いな。

当初は「年間500億円です復興資金に貧困対策に」とか言っといて、僅か一月で「年間100億円です復興資金に、あと貧困対策に」に変わってんの。「ニュースになった途端に口座解約が相次いだりして(てへぺろ」とか言ってんの。本当に胸くそ悪い。

当初500億円だったのか、100億円に減った。「思いの外、口座の持ち主が現れてしまって」とか言っている。そりゃあ、現れるだろう。普通に考えて現れるだろう。「個人が額に汗して溜めたお金を糞政府や糞NPOが分捕って飯の種にします」ってテレビで流せば現れるだろう。現れない方がおかしい。なにが「思いの外、解約のペースが」だよ。「500億って言ってたけど、実際はそんなになくて100億くらいかも」だよ。アホか。

その、当初の報道、というか糞パワーポイントの糞プレゼンテーションの時点から減ってしまった数百億円は、『ニュースをきっかけに解約される』程度の強度の休眠口座だったわけだ。あるいは実際に減ったわけではなく、そのくらい減るだろうという試算なので、銀行と政府が手を取り合って「休眠口座対策課」みたいなのを作って大々的にテレビや新聞等を通じて喧伝すれば、政府や糞NPOどもが自由な裁量で好き放題出来る予定の口座の本来の持ち主が、引き出しの奥から通帳を探し出し、印鑑をもって銀行に現れ、解約されて失われる幻の復興資金が数百億円、ってわけだ。

その一方で、テレビや新聞で告知しても解約されないであろう「休眠口座」ってのがまだ百億円くらいある。それはどんな人物のどのような口座なのか。それは通帳の管理もまともに出来ないが為に引き出しの奥から通帳を引っ張り出すことも出来ず、口座開設時の印鑑の行方も知れず、転居時の届け出を銀行に報告する体力も無く、どの銀行で口座を作ったかの把握もあやふやな生活をするような、アホでまぬけで自堕落な弱者中の弱者だろ。

下流や中流の人間には想像つかんだろうが貧困層ってのは口座の管理なんかまともに出来ないから貧困層なんだよ。「おまえらの口座にあるお金強奪しますんでそこんとこよろしく^^」とか言われても反応できずに為すがままに強奪されるから貧困層なの。

そういう脳味噌完全におてんとさまなあんぽんたん共を相手にする商売として、競馬とか宝くじとかパチンコとか、あるいは酒やタバコが存在している。競馬はお役人、宝くじは銀行、パチンコは警察、糞みたいに強い奴らがアホでまぬけな弱者共から大金を巻き上げる商売。その列に休眠口座ってのを加えようとしているわけだ。しかも「復興資金」とかいう心底胸くそ悪いフレーズで。金や権力を持った奴らが徒党を組んで50年かけて作り上げた人災だろ。その尻ぬぐいに貧困層を食い物にする新たなる逆進税の導入とかアホらしくて反吐がでるわ。




あと、銀行の口座を3つ持っているのにキャッシュカードと通帳を全て紛失している僕は相当な所まで辿り着いているんだなと、しみじみ思った。1つの口座だけはネットバンキングを通じて使用可能だけど、残り2つは完全に死んでる。数万は残ってると思うんだけれど、死ぬまで使えないんだろうな。今ここにある貧困。