誰が黒木昭雄の自殺を怪死と言い換えているのか。

http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/cat_9475.html

また黒木昭雄は消された、殺された、殺害された、というくだらないデマを二次配布している馬鹿がいる。こういう馬鹿が跡を絶たないという事実は、「黒木昭雄の怪死」というありもしない事件をでっちあげて、一時配布した連中が、その目的を達成した、という事に他ならない。





「黒木昭雄の怪死」という架空の事件をでっちあげたのは誰か。


働き盛りの年齢で国家公務員を辞め、売れないジャーナリストに転職し、生活に困っていた黒木昭雄が練炭自殺した、というのは事実である。ところが、世の中にはそれが事実であると認められると困る連中、というものが存在する。それは、黒木昭雄と何らかの接点があった人達である。強い接点ではなく、弱い接点があった人達である。

彼らがどのような人物であるかというと、「ジャーナリスト黒木昭雄」を有り難がって褒めた称えていた奴らだ。「ジャーナリスト黒木昭雄」というエンターテイメントの最大の受益者であった連中であり、「ジャーナリスト黒木昭雄」という娯楽を最大限に享受していた連中である。「ジャーナリスト黒木昭雄」なるものを崇め奉り褒め称えて、「黒木昭雄は面白い」「黒木昭雄は正しい」「黒木昭雄は素晴らしい」などと言っていたにも関わらず、単著すら買っていないような連中である。

そういう一円にもならないような連中から、twitterやらブログやらで祭り上げられながら、ゴミクズみたいなアクセス数しかない過疎ブログを書き続けた黒木昭雄は金に困り、国家公務員であった頃の生活レベルを維持出来なくなり、将来を悲観して練炭自殺をしたのである。ジャーナリストは金にならないし、ジャーナリスト様をtwitterやらブログやらでへぇこらして持ち上げる連中は金にならない。それだけの話である。

はてさて、黒木昭雄は自殺した。当然の成り行きとして自殺した。そこで困ったのが黒木昭雄をtwitterやらブログやら、あるいは2ちゃんねるやらで祭り上げていた連中である。「ジャーナリスト黒木昭雄」というエンターテイメントを最大限に楽しんでいた奴らである。彼らは黒木昭雄を最大限に楽しみ、利用し、遊び、その面白さを十二分に享受していた。twitterや、ちょっとしたオフやらで、多少の接点があった。しかし、彼らは一円たりとも黒木昭雄に支払ってはいなかった。連中はフリーライダーだったのである。「黒木昭雄のユーストリーム!」とか面白がって、ただ乗りしていたのである。

結果として、「黒木昭雄の自殺」という現実は彼らに1つの困難を齎したのである。
それは、「彼らこそが黒木昭雄を死に追いやった」という紛れも無い事実である。

twitterは金にならない。blogは金にならない。Ustreamは金にならない。ジャーナリズムは金にならない。そんなものは金にならない。どんな所でもちやほやされると人間は、「ああ、金になるのかな」などと思ってしまう生き物である。しかし、実際は何にもならない。生活の足しにはならない。黒木昭雄はそういった、糞くだらない場所のくだらないインターネッターどもにちやほやされた挙げ句、そういったくだらない場所に依存して、「あれ、インターネットでこんなにもちやほやされながら頑張ってるのに私の生活は全然楽にならないじゃん!」と生活苦から練炭自殺したのである。

困ったのは連中である。
ただ乗りしていた連中である。
黒木昭雄というエンターテイメントを享受していた連中である。


連中は困った。黒木昭雄が自殺したのは、連中が黒木昭雄に給料を支払っていなかった事が原因である。警視庁が黒木昭雄に支払っていた程度の給料を出さなかったのが原因である。我が国の警察組織が黒木昭雄に保証していた程度の生活レベルを、連中が同じように保証していたならば、黒木昭雄は自殺しなかった。つまり、黒木昭雄を殺したのは糞くだらないインターネッターどもなのである。黒木昭雄というエンターテイメントを最大限に楽しみ、その価値を享受し、「俺は黒木昭雄を知っている意識の高いインターネッター」という地位を手に入れながら、ただ乗りし、フリーライドし、黒木昭雄という人間の生活を弄びながら踏み躙った連中なのである。


連中は、それを行っている間は、それを無視していた。
しかし、「黒木昭雄が自殺した」という事態によって、その現実を無視出来なくなったのである。


彼らは計算した。
自分が黒木昭雄という娯楽を何時間遊んだか計算した。
その対価として、黒木昭雄に、幾らの現金を支払ったのかを計算した。


結果として出てきた数字は、まともな数字ではなかった。黒木昭雄がインターネットに費やした労働の対価として、妥当な金額ではなかった。「ジャーナリスト黒木昭雄」という娯楽サービスの対価として、妥当な金額ではなかった。元警察官が、元警察官の生活レベルを維持出来る金額ではなかった。将来を悲観して練炭自殺して当然の、雀の涙のような金額でしかなかった。その現実から目を背ける事が出来なかくなった彼らは、黒木昭雄を殺す事にしたのである。




即ち、その現実から目を背ける事が出来なくなった彼らこそが、黒木昭雄を殺害したのである。黒木昭雄の自殺という現実を揉み消して、ありもしない事件をでっち上げた。「黒木昭雄の怪死」という、存在しない現実を捏造したのである。

黒木昭雄が自殺した、というならば、黒木昭雄というエンターテイメントにただ乗りし、黒木昭雄を散々に使役し利用し食い物にして享受して最大限に楽しむ一方で、妥当な対価を支払わなかった連中にこそ、その責任がある。黒木昭雄に警視庁に勤め続けたと同じくらい、あるいはそれ以上の仕事をさせながら、生活レベルを保証しなかった人達、支えなかった人達にこそ責任がある。

しかし、「黒木昭雄は何者かに消された」のであれば、彼らには何の責任がない。一切の責任がない。誰からも非難される事はない。ただ乗りフリーライダーの糞インターネッターどもが、良心に苛まれる必要は無い。「黒木昭雄は何者かに消された」という架空の事件をでっちあげ、それが広く世間に認められさえすれば、連中は1人残らず無罪放免されるのである。

よって、連中は黒木昭雄が自殺するなり、「黒木昭雄は消された!」「黒木昭雄は殺されたのだ!」「黒木昭雄は自殺するような人じゃなかった!」などと口それぞれに大声で喚き立て、「黒木昭雄の怪死」という架空の事件を捏造して、インターネット上に広めた。1人や2人の事ではない、インターネット上に多数存在する「ジャーナリスト黒木昭雄」というエンターテイメントの享受者どもが、大勢のフリーライダーどもが、必死になって「黒木昭雄殺害事件」という存在しない事件をでっちあげたのである。黒木昭雄は自殺した、金に困って自殺した、将来に悲観して自殺した、その大本の原因は、言うまでもなく彼らにこそある。それ故に彼らはデマを散蒔いたのである。「黒木昭雄の怪死」というデマを必死になって散蒔き続けたのである。そうする事によって、彼らは責任を逃れたのである。一切の責任を放棄したのである。自らの身を守る為に、保身の為に黒木昭雄の自殺という事実を揉み消し、「黒木昭雄の怪死」という事件をでっち上げ、黒木昭雄を殺したのである。




そういう連中は今もインターネットに大勢生息している。
素知らぬ顔でへいぜんと、のうのうと生きているのである。

そして彼らはことあるごとに、「黒木昭雄ってジャーナリストが怪死した」という自分達が捏造したデマゴギーを、2ちゃんねるや、ツイッターや、フェイスブックや、飲み会といった、ありとあらゆる場所で広め、世間一般に広く知らしめ、喧伝しているのである。「黒木昭雄の自殺」という現実を揉み消す為にである。自分達の責任を少しでも軽くする為にである。罪悪感を回避する為にである。