2006年9月23日土曜日

ああ、人生は、なんと面白い。



ブログという単語を人生だとか青春だとか、あるいはそういった類それ以外それら諸々、そのようにして、延々用いてきたものだから、たまには、その逆をやってみようと考えた。いや、決して考えてなどはいないのだけれど、当てはまる単語が「考えた」くらいしか思い浮かばなかったので、考えた事にした。そうして、考える間も無く現れたのが「ああ、人生は、なんと面白い。」である。

なんとなく、日本語として居座りが悪く、不出来で、258と口割りも良くない。しかし、出てきてしまったものは仕方が無い。事実、ああ、人生は、なんと面白い。なのである。

まあ、たかだか、ブログ、などと言ってしまえばそれまでだけれど、僕は、少なくとも、ブログよりも面白い「ビデオゲームではないもの」というものに出会ったことが無い。その面白さたるや、比類するもの無きである。

無論のこと、ああ、なるほど、彼の人は引き篭もりであるから、ブログくらいしか面白いものを知らないのだ、と納得されても構わない。一向に構わない。軽蔑されても、せせら笑われても構わない。

いまや、ブログのあちらこちらで「これが面白い」「あれが面白い」などと高慢たれたれ流れでたるや五色七色八百八町の川流れ。それだけであれば、情熱的だね、熱意溢れてはちきれてるね、なんて具合に適当に、眺めて過ごすも出来るのだけれど、違うどうにも臭いが違う。おもしろ良いや、つまら悪いや、つまら悪いや、おもしろ良いや。果たしてそんなに、そうであろうか。

秋は悪いや運動会の、童の声で朝は眠れず、昼も眠れず、夜は夜なで、睡魔朦朧、ブログ書きたし、眠るに惜しし。童の声はまだ良いが、拡声器を持つ教師の人の、頑張れの声が身に凍みる。まだこの上に、頑張れと申すか。まだその上に、頑張れと申すか。鬼か悪魔か教師か人か。

「○○する事だけが○○ではありません。」という言葉は、えらく強い。とにかく強い。太刀打ちが出来なさそうな雰囲気が漂っている。例えば、例えばである。「銃を手に取り立ち上がる事だけが闘争ではありません。」と、瓶底眼鏡のハンドルに面と向かって言われてみれば、もう敵わない。私が悪うございましたと裸になって踊り狂うくらいしか他に手は無し道は無し。

「ブログを書く事だけが人生ではありません。」とは、まったくもってその通り。無礼も無礼、多勢に無勢のそのまた未練の果て涙。しかしながらに十人十色。ブログを書く事もまた人生で、よいではないか。よいではないかと意味不明。

まことブログは面白すぎて、こうして、2年も書いているけどまるきり飽きず、2時22分の丑三つ時にも書きとうて、ただ書きとうて眠るに眠れずそのように、書きなぐってはこうも乱れて私が誰だかわかりゃあせんわ。裸になって、踊って、狂って、ブログを書いて、ああ楽し。ブログを書いて、ああ楽し。


2006年9月19日火曜日

FC2やはてながリンク無しのトラックバックを弾いているのはスパムを避ける為だから、リンク有りでトラックバックを行った後にリ



ふと、気になった。

近頃では、多くのブログサービスが、リンク無しトラックバックを弾いている。
その動機については、僕にだって、理解が出来る。
トラックバックスパムを回避する為だ。




で、あるとすれば。
即ち、「スパムを避ける為の仕様」であるとすれば、「スパムではないトラックバックをリンク有りで送信した後に、リンクを削除する」という行為は許されるはず、だと思う。

許されるはず、というより、僕自身度々やっている。ところが、先日、ふと、トラックバックが通ったかどうか確認した後でリンクを削除している最中に、得もいえぬ「後ろめたさ」のようなものを感じてしまった。僕も随分と甘く、柔らかく、美しい人間になったもんだ。




僕はトラックバックを行うに際し、リンクを貼るか貼らないか、引用を行うか行わないか、具体的言及を行うか行わないか、直接的に深く関連する一文を挿入するかしないか、といった事柄を、それぞれ思い悩み、熟考に熟考を重ね、その上で決断を行っている。基本的に僕がリンクを貼るのは、敬意を払っているか、恐れ多くてリンクを貼るだなんてとてもとてもと崇め奉っているか、敬意を払っていないか、あまりの糞サイトなのでリンクを貼るとこっちまで穢れると見下しているか、アクセスが流れるとムカつくので貼らないかの何れかであり、リンクを貼らないのは、敬意を払っているか、崇め奉っているか、敬意を払っていないか、真性引き篭もり自体があまりの糞ブログなのでリンクを貼ると相手まで穢れてしまうと心配しているかの何れかである。

とにかく、僕は、時たまに、リンクを貼らないトラックバックを行いたくなるのだ。故に、リンク有りでトラックバックを送った後に、リンクを削除する、という手間ばかりかかる行為を度々行っている。




けれども、これってどうなんだろう、と、ふと思った。
あくまでも「リンク無しトラックバックを弾く」というのは悪者の為に作られたルールであり、善良で純粋な正義に満ち溢れた一般の末端のブロガーが、「リンク無しトラックバックを行う」という事自体は、許されるはずなんだけれど、「なんでリンク無しトラックバックが来てんだ?」みたいに思う人が居るかもしれない、という事を考えると、肩身が狭くなる思いをした、なんだか弱気の初秋の真夏の真昼間。


当サイトはブログはやめて、日本NO1eSportsサイトに生まれ変わりました。



ブログやめました。ブログやめて日本NO1eSportsサイトに生まれ変わりました。ブログをやめたからには当然コメント欄もトラックバックも閉鎖です。あんなものはあった所でゴミしか来ないので、無用の長物です。あるだけ無駄です。人のブログにコメントとか書き込んでいるような野郎供は全員が全員壊死すべきです。当サイトが日本NO1eSportsサイトに生まれ変わってしまったからには、8月中には結果が出ていたeSports Awardの結果が未だに載っていないような、ゲームをダシに人を集めて乱交に勤しんでいる人が管理人をやっている役に立たないeSportsサイトとか、8月中には結果が出ていたeSports Awardの結果が未だに載っていないような、広告とペンギン以外にコンテンツらしいコンテンツが無いようなeSportsサイトはもう用済みです。山口県民の性欲は底なしです。







それでは、ニュースです。
eSports Award 2006の結果が出ています。
































eSports Player of the YearManuel 'Grubby' Schenkhuizen
Counter-Strike Player of the Year   Patrik 'f0rest' Lindberg
WarCraft III Player of the YearManuel 'Grubby' Schenkhuizen
Newcomer of the YearNavid 'Kapio' Javadi
eSports Team of the YearFnatic
Best Coverage (International)SK-Gaming.com
Best Coverage (German)Readmore.de
Best PublisherElectronic Arts
Journalist AwardBernhard Hubner

歩く4K.Grubbyこと4K.Grubbyが、eSports PotYとWC3 PotYの二冠を達成しています。
昨年のeSports Team of the YearとWC3 Player of the Yearの二冠に続く快挙です。




主要獲得タイトルがgg Race War(優勝賞金200ドル+MVP賞金100ドル)、という中でのPlayer of the Year獲得には多少の疑問が残ります。昨年eSports Player of the Yearを受賞したVoOが学業の為に一時引退したという運と、戴冠が確実視されていたタイトルを、運営側の不手際で逃してしまった事への温情も働いたのでしょう。




アンチGrubbyとしては非常に気分の悪い結果ですが、存在感が大きかったのは事実です。「歩く4K.Grubby」の原文は「one ward "Grubby"」。直訳すると「一言で言うとGrubby」。だらだら意訳すると「勝因は、GrubbyがGrubbyだったから」。天才的な才能を見せ付けて妙訳すると「歩く4K.Grubby」。さりげなく自画自賛を紛れ込ませて見ました。巧妙です。


この所、4Kのチームメイトに一部復調の兆しがあるので、彼らの調子によっては、来年はTeam of the Year、WC3 Player of the Year、eSports Player of the Yearの三冠という事もあるかもしれません。


来年度のJournalist Awardは真性引き篭もりhankakueisuu。Best Coverage (Int)はsinseihikikomori.bblog.jpです。即ち二冠です。もはやこれは既成事実です。気が向いたらGrubbyをぶっ倒して4冠と洒落込むつもりです。Team of the Yearも含めて5冠でもいいですね。所属チームはfnaかmouzかoneがいいです。fnaならcreoの穴を、mouzならpillの穴を僕が埋めます。oneなら、enzaに負けるようなnoobを蹴り出して貴公子go_stopと僕の二枚看板ですね。なんか微妙に妄想がリアルで、書いている自分でも正直かなりキモいと感じてしまいます。僕は天才なので、どの道楽勝です。


finalventのことかーー!!




例えば、はてブで100user以上ブクマされた個人ブロガーが、急に天狗になって人を見下し口調で揶揄するような態度ばかり取るのは一体どういった了見なんだろうな・・笑える。



真性引き篭もりhankakueisuuのことかーーーー!!!!



2006年9月18日月曜日

リアルの知人にブログを知られないようにする為のテクニック集



一つ、知人を作らない。
二つ、知人を作らない。


引き篭もれ。
徹底的に引き篭もれ。


友も上司も同僚もゼロ。
さすれば知人に知られない。


時代はブログだ、時は来た。
そういう類は、もう古い。


親も子供も兄弟もゼロ。
さすれば知人に知られない。


引き篭もれ。
徹底的に引き篭もれ。


三つ、知人を作らない。
四つ、知人を作らない。


2006年9月14日木曜日

はてなブックマークで酷い誹謗中傷コメントをつけられて、とても悲しい気分になりました。



もうだいぶ前から、好きでブログを書いています。
苦しいこともあれば、辛いこともありました。
それでも、ブログを書いてきて良かったと思っています。
なぜならば、楽しいことの方が辛かったことよりも多かったかな、と思うからです。


僕は、凄まじいまでの三日坊主体質なのですが、暖かいお客様のとても為になるコメントや、我が国を代表するWEB2.0であるはてなブックマークのユーザー様の知的でウィットに富んだブックマークコメントなどに励まされ、今日までブログを書きつづけてくる事が出来ました。


なにを隠そう、今日までブログを書いて来れたのは、僕1人の力ではありません。
アクセスしてくださった、お客様一人一人から頂戴した力の賜物です。


このような不本意なエントリーという、不本意な場ではありますが、改めて、深く御礼申し上げます。「ありがとう」と1人1人の手を握り締めながら伝えたいくらいです。







そんな、本当に幸せなブロガーlifeを過ごさせて頂いている僕なのですが、今朝、はてなブックマークで、酷い誹謗中傷を受けているのを目にしてしまい、とても落ち込みました。


自分のブログのコメント欄でつけられたコメントならば、まずはわかってもらえるようにきちんとお話をして、どうしても話が通じないような荒らしさんだったならば、削除するという対応も取れるし、それが続くようならばIPを弾いてアクセス禁止等の対処を行うことが出来るのですが、はてなブックマークは僕の管轄外である外部のサイトなので、そのような場で、根拠の無い酷い誹謗中傷、所謂ネガティブコメントをつけられてしまうと、本当に辛いことなのですが、悲しみに暮れるしかありません。僕はとても無力で無垢な愛すべき存在です。とても落ち込んでいます。


こんなに酷いネガティブコメントをつけられたのは初めてなので、ブログを書いてきて一番悲しい出来事だったと言っても過言ではありません。たった一人のはてなブックマーカーさんが原因であるとは言え、はてなブックマークの全てが嫌いになってしまいそうなくらい、とてもトラウマで、心的なストレスを受けています。それでも、何事も経験かな、と思い、出来るだけ前向きに気持ちを持つようにしています。







その酷い誹謗中傷コメントを引用させていただきます。


notonobuharu :「泣けるなぁ(最後の翻訳は作りだと思うけど)」




皆様。
見てください。
信じられますか?
この、notonobuharuさんという人は、地球上から人と人との醜い争いが消えるようにとの願いを込めて今日までブログを書きつづけてきたとても誠実で、そして真面目な、誠意の塊と表現しても差し支えの無い所であるブロガーたる僕を、一切の根拠もなく、嘘つき呼ばわりしています。


僕は、素敵だなと思った文章を、英語のわからない読者さんにも読んでもらえたら良いなと思って、頑張って翻訳して、それをブログのエントリーにアップロードしました。あまり英語が得意ではないので、とても苦労したし、わからない単語がある度に、辞書を引いたり、googleで検索して文例を調べて、「これでいいのかな?」と、慎重に、そして丁寧に、出来る限り間違いのないように翻訳をさせていただきました。本当に純粋な思いで、大変な苦労をして、翻訳をさせていただきました。


それなのに、この、notonobuharuさんという人は、何の根拠も無しに、それを捏造であると決め付け、僕の事を嘘つき呼ばわりしました。しかも、まるで、それが、いつもの事であるように、つまり、僕がいつも、そういう嘘をついているような、いい加減な人間であると勝手な思い込みから断定して、酷く見下した誹謗中傷コメントをつけてきました。本当にたいへんなショックを受けました。


見てみると、このnotonobuharuさんという人は、ブログを持っていないようです。だから、このnotonobuharuさんという人は、ブログを書く人の気持ちがわからくて、それ故に、こういう酷い中傷コメントを平気で書き込めるのだと思います。こういう性根の腐ったネットワーカーさんには、誰もが憧れる人気実力ともに兼ね備えたブロガーである僕の気持ちなんて、一生かかっても理解できないと思います。


もしも、こんな事(はてなブックマークで酷い中傷コメントがつけられる)が続くようでしたら、はてなブックマークからのアクセスを遮断したり、plaggerを使って当ブログのエントリーをはてなブックマーク出来ないようにする等の対処を取らなければならない日が来るかもしれません。そんな日が来てしまったら、とても悲しいです。そんな日が来ない事を願います。


まあ、悪いのははてなブックマーカーさんじゃなくて、はてなブックマーカーさんの多くは善良で、良識のある、インターネットくらいしかやる事が無いようなとても可哀相な方々であり、こういう、notonobuharuさんみたいな人は本当に一部、ごく一部だと思うので、気持ちを切り替えて、ポジティブなシンキングで明日からもブログを書いていきたいと思っています。


ただ、僕は嘘つき呼ばわりされて、そのまま泣き寝入りしてしまうのが本当に悲しくて、酷い誹謗中傷を受けて傷ついて被害者として泣き寝入りしてしまっていいのか、と様々な感情が入り混じり、この、id:notonobuharuという方に対しては、IP遮断によるアクセス禁止とか、訴訟や罵倒等の法的手段も視野に入れて、毅然とした態度を取っていきたいと考えています。


最後に、いつも僕の事を応援してくださっている、暖かい心をもった読者の皆様方に、僕が嘘つきとか、捏造とか、そういう事をしない誠実で、とても真面目で、律儀な、誠意の塊と言っても過言ではない、尊敬に値する人間であるとちゃんと証明しておきたいと思います。







あるプロゲーマーの発言である。




私がシンガポールに着いた日、端正な顔立ちの小さな中国人がこちらに駆けてきて、私に声をかけた。私は彼が誰であるのかすら知らなかったけれど、私は彼と戦い、そして勝利した。彼は私に礼を言って、近くにいた他の選手を呼び止めて、またすぐにマウスを握った。彼の技術は酷いもので、欧州で通用するレベルではないように見えた。中立モンスターに兵隊を殺され、農民のグルーピングは全くと言っていいほどに出来ておらず、ヒーローは簡単に包囲され、それどころかマナ管理もアイテムの使用もまともに出来ておらず、ユニットを遊ばせているシーンも頻繁に見られた。内政と防衛の切り替えと、塔の攻撃対象指定という2つのテーマを意識して練習しているのだ、ということは解ったけれど、どうってことは無いレベルだった。見るに耐えない惨状だった、と言った方が正確だったかもしれない。


私はすぐに飽きて、世界大会でしか顔を合わせる事の出来ない友人達と話をし、ジャンクフードを食べながら街を歩き、リラックスするように勤めた。その頃はまだ、十分な休養とリラックスこそが、本番で力を出す為に必要な事だと考えていたからね。


夜になって会場に戻ると、彼はまだ同じ場所に座っていた。立ち上がり、相手に握手をしながら礼を言って辺りを見渡し、私に声をかけてきた。私が即座に断ってすぐ、彼は他の練習相手をみつけだし、マウスを握った。


彼は、生まれ変わっていた。たったの半日で、全ての弱点が克服されていた。内政と防衛の切り替えは欧州のトッププレイヤーと遜色の無いレベル、いや、それを超える所まで成長していた。塔の攻撃対象指定という、彼が朝から練習していたほとんど無意味に思える課題も見事に克服されていた。彼の防御塔の攻撃は的確に、体力の低い召還ユニットを狙い、攻撃対象が瀕死になると即座にターゲットが切り替えられた。(WC3では、塔が止めをさした場合経験値が入らないという仕様が存在する。)


彼はよく戦い、そして敗れた。
笑いながら対戦相手に歩み寄って握手をして礼を言い、私に「どうか?」と尋ねた。私は「本番で」と断った。「どのくらい?」と聞くと、「ほとんど」と苦笑いをしながら返した。彼はまだとても弱かった。けれど、この先強くなるだろうと私は感じた。


次の日の夕方、私は彼に0-2で敗れた。
その翌日には、決勝の舞台に立っていた。
練習では隠されていた勇気で彼は、アメリカ代表を完膚なきまでに叩きのめした。


私はシンガポールに滞在していた3日間で、本物のプロゲーマーとは何たるかを知り、本当のトレーニングがどのようなものなのかを学んだ。そして「無理だ」って思ったんだ。彼には勝てない、ってね。


訳:真性引き篭もりhankakueisuu



notonobuharuさんが捏造であり、嘘であるとなんの根拠も無く断定し、酷い誹謗中傷をネガティブコメントしたのは、上の訳文だと思います。原文を引用して、その酷い誹謗中傷が間違ったものであり、僕の人気に嫉妬したnotonobuharuさんの勝手な妄想の産物であるという事を証明しておきます。












元記事は、こちらにあります。とても長い文章で、読むのは辛いと思うので、翻訳元の部分だけ引用させていただきます。かなりはしょってますし、意訳している部分もありますので、正しく詳しく知りたい人は原文を読んで下さい。原文は日本語ですので、高校生レベルの英語力と時間があれば理解出来ると思います。


srs.Demuslim(英国のトッププレイヤー)


「ESWCに行く前に僕は毎日2-3時間しか練習せず、リラックスするようにしていた。けれど、ESWCに行って間違っている事に気づかされたよ。グループステージが行われる前の早朝のネットカフェでWE.IGE.Skyに会った。彼を観察していると、10-20ゲームを短い間に次々とこなしていて、本当のトレーニングがどんなものかを知ったよ。彼は自分の悪いポイントに注意して、次のゲームでは完璧に修正していた」




2006年9月12日火曜日

リアルイナゴに、食い尽くされて。



ブンブン丸が小林尊にはなれない理由というエントリーの幾らかは、致命的に間違っているとは言えない。その考察には幾らか、正しいものがある。しかし、それらは余りにも表層のみを幻想主義に基づいて語りすぎている。即ち、その全てが致命的に間違っている。アンデスに伝わる古い諺で言う所の、木を見て森を見ずの典型である。








ブンブン丸が小林尊になれなかった本当の理由。


ブンブン丸は、小林尊になれなかった。
僕は、両者とも動く姿を見たことがないのだけれど、前者と後者の違いはよくわかる。小林尊は今もTVに出ており、視聴者一定の支持を受けている。一言で言うならば人気者だ。一方のブンブン丸はTVなどには出ておらず、世間的に言えば完全に消えた過去の人である。

その事実だけを元に語るならば、その幾らかは正鴨を得ている。しかしながらその考察の全ては、「小林尊になったゲーマーがいる」という事実を完全に無視している。

いや、無視しているというよりも、高橋名人の名前が文中に出ている辺り、小林尊になったゲーマーの存在を筆者はおそらく、知らないのだと思う。アンデスにはこういう諺がある。「1人の人間にとって、知らないものと存在しないものは等しい」








「小林尊になったゲーマーの存在」
というのは、少し誤解を招く表現かもしれない。
彼らは、小林尊を遥かに超えた存在である。


その筆頭に位置するのは、Fatal1tyだ。
googleに聞く。

takeru kobayashi : 134,000hit
小林尊 : 73,200 hit
合計で、約20万hitである。

一方のFatal1ty。
"Fatal1ty" : 3,790,000 hit。
約、380万hitである。

その差、実に10倍以上だ。




TIME誌が、フォーブス誌が、ニューヨークタイムズがFatal1tyを取り上げ、MTVの作った彼の特集番組は全米はおろか世界中で放映された。幾つもの企業を個人スポンサーとして持ち、彼の名を冠した帽子が、シャツが、マウスが、マザーボードが、グラフィックスカードが発売された。Fatal1tyは、世界で初めて年間100万ドルを稼いだプロゲーマーとされている(異説有り)、その世界では最も有名な男である。


一方の小林尊はどうだろう。
確かに彼はTVスターである。

けれどもそれは、「ブンブン丸がなれなかった」とまで書く程のスーパースターなのだろうか。とてもではないが、僕にはそうは思えない。もちろん、ブンブン丸とは比べものにならないくらいのスターなのだろうが、それはブンブンが小さいだけだ。




Fatal1tyだけではない。
皇帝と称され、60万人のファンクラブを持ち、映画にも出演し、韓国の国民的なスターとなった、全てを変えた男BoxeR。彗星のごとく現れて1万ドル規模の世界大会を連取し、中国国営放送にも取り上げられた中国の英雄、始皇帝WI.IGE.sky。WarCraft3シーンそのものと称えられ、王の座に君臨しつづける男、歩く4K.Grubbyこと4K.Grubby。Fatal1tyを粉々に打ち砕いて世界の頂点に立ちながらも、惜しまれながら学業のために活動を一時休止した、"Fatal1tyを泣かせた男"フライングダッチマンVoO。

彼らを始めとした多くの人が、小林尊を超えているように思える。
けれども、問題は、そんな所にはない。
もっと別の所にあるのである。












ブンブン丸を取り上げた番組。
即ちASAYAN。



ASAYANは如何にして生まれたのか。
その答えは極めて単純にして明快である。

ASAYANは何故、VF2を取り上げたのか。
その答えは極めて単純にして明快である。

ASAYANはどうして、VF2を捨て去ったのか。
その答えは極めて単純にして明快である。











ASAYAN。
それは、電通によって生み出された。



若者にターゲットを絞ったその番組は、体力の低い放送局という特性上、安いタレントを使い、安い企画を次から次へと繰り出し、それら視聴者が飽きる前に小刻みに切り替える事により視聴者をつなぎ止め、少年ジャンプのように、いくつかの企画に依存しながら、他の企画を育てる、という形でその姿を変えながら視聴者を集め、長く発展を続けた。

その番組、即ちASAYANに込められた意図は単純なものだ。
金儲けである。




電通はASAYANで儲けようとした。
奴らは手段は問わない。
金になればいい。
それが電通だ。

低予算という特性上、素人に近いタレントが次から次へと起用され、片っ端から通り使い捨てにされていった。料理人、社長、デザイナー、そして三流芸人。一言で言うならば、ASAYANは、"一芸に秀でた素人"をいじり、笑いものにして使い捨てる番組であった。




そしてそのターゲットに、バーチャファイター2が選ばれた。
どうしてバーチャファイター2が選ばれたのか。


話は単純。
電通が、SEGAをテレ東に連れてきたのだ。








単純。
そう、それは極めて単純な話だった。

鈴木裕、即ちSEGAはバーチャファイターで一定の成功を収め、日本中のゲームセンターの全てを制したストリートファイター2から一定の顧客を奪う事に成功した。そして、それをさらに進化発展させた社運を賭けた大作、バーチャファイター2を生み出した。

ちょうど、その頃だった。
バーチャファイター2は素晴らしい完成度を誇り、日本中の本物を知るコアなゲーマーから強い支持を受けた。VFの有名プレイヤーは皆、失望する事無くVF2に移行した。




SEGAは「行ける」と思った。
同じ頃、電通も「行ける」と思った。

電通は顧客であるセガ・エンタープライズに企画を持ち込んだ。
御社のバーチャファイター2を番組で取り上げる。
だから、ASAYANのスポンサーにならないか?




SEGAは乗った。
その話に乗った。

時はSONYとSEGAが任天堂に挑んだ次世代機戦争。




セガサターンのメインウェポン。
それが、VFシリーズだった。
SEGAの財布は緩かった。




電通は見事に我らがSEGAをたらしこみ、1時間の番組の中の1ブロック、CMに挟まれた10分程度の短い枠を、数週間に一度VF2に差し出すことにより、大川功という巨大な貯金箱を持つ一部上場企業を、ASAYANスポンサーの列に加える事に成功した。

それは、当時のASAYANの貧弱なスポンサー陣からすれば、大金星だった。
金が流れた。
電通に流れた。
セガから流れた。




そして、VF2はしばらくして、ASAYANから消えた。
理由は単純にして明快。
金にならなくなった。
それだけである。




電通はSEGAとASAYANを結びつける一方でSEGAを凌駕する大口顧客であるSONYと蜜月を築いた。テレビ東京のような弱小局の、ASAYANという色物番組などではなく、日本中に支局を持つ全国局の人気番組隅々で、プレイステーションのCMが途切れる事無く流れ続けた。それまでのTVCMでは考えられなかった「他社の商品のCMを流す」という企画をSONYに持ち込み、その広告戦略は電通の思惑通りに見事採用され、FFが、DQが、SONYの巨額の予算によってお茶の間に届いた。しばらくして、いや、少しも待たずして、次世代機戦争でのセガ・エンタープライゼスの敗北はすぐに明らかになった。SEGAの経営戦略は行き詰まり、資金的にも苦しみ、財布の紐は閉められた。




そして、SEGAは、手を引いた。
ASAYANから、手を引いた。

全くという程に数字の取れていなかった「VF2」というコンテンツは、それと同時に姿を消した。ブンブン丸になにが出来ただろう?当時有名だったVF2プレイヤーに、一体なにが出来たのだろう?僕はこう答える。「何も出来なかった」と。




"ASAYANなどで全国放送されるほどの人気となった。 "
ASAYANで全国放送されたのは事実だけれど、それは違うのである。









ゲームの話に行く前に、ASAYANのその後について少し書いておきたい。

電通は、VF2とASAYANという組み合わせから、1つの物事を学んだ。ASAYANというテレ東の色物番組に、大手企業をスポンサーとして付ける方法である。

ターゲットはゲームではなかった。
「ゲームは数字が取れない」そんな事くらいはわかっていた。
ASAYANがVF2を取り上げたのは、数字(視聴率)の為ではなく、あくまでもスポンサーを得る為だった。電通が選んだもの。それは音楽だった。VF2から数年後、ASAYANは1つの企画を放送した。その企画によって、1人のスターが作り出された。小林尊よりもビッグかどうかは知らないが、1人のスターが作り出された。平家みちよである。

その実験は成功した。
少なくとも、実験としては成功だった。
素人オーディションという、古典とも言えるジャンルを、ASAYANが培ってきた「素人同然の人々を料理する」という手法でリメイクしたその企画は、一定の成功を収めた。平家みちよはそれなりの数字を取り、平家みちよはそれなりに売れた。




「行ける。これは、金になる」
電通は思った。
そう考えた。




そして、電通が動いた。

二匹目のどじょうを狙い、ターゲット企業が入念に、そして慎重に吟味された。
なるべく大きな企業を。
財布の緩い企業を。

そして、それは、選ばれた。
一部上場の巨大企業が選ばれた。




SONYである。
電通はSEGAに学び、SONYへ行ったのだ。
SEGAを踏み台にし、SONYへ行ったのである。




そして、小林尊よりも有名で、平家みちよよりも金の稼げるスターが1人、作り出された。鈴木亜美、後のあみ~ごその人である。








もはや、ここから先は書くまでもないだろう。
皆様御周知の通りである。

ASAYANは、ワーナーミュージック、ソニーミュージック、エイベックスという、VF2の頃には考えられなかった巨大な企業をスポンサーとし、豊富な資金力を得た。電通は巨額を手にした。ASAYANは生まれ変わった。一部の古い番組のファンは「オーディション企画はつまらない」と感じて、使い捨てにされ消えて行った周富徳や宮路社長、江頭2:50分、ルー大芝などといった、電通にとっては、端した金にしかならなかった珍妙な人々を懐かしんだ。彼らは言った。「浅ヤンは死んだ」と。確かにそうかもしれないけれど、浅ヤンは全盛期を迎えた。電通は巨額を手にした。エイベックスもニヤリと笑った。

リアリティ番組的な要素を色濃く取り入れた企画により、誰よりも金になるグループ、即ちモーニング娘が作り出され、ASAYANは進化の最終段階を迎えた。企業が金を得るために恋愛すらも禁じられた彼女らは、彼らに巨額の利益をもたらし、金にならなくなったものは片っ端から捨てられていった。矢口真里は消され、中澤裕子は消えた。その段階に及んでは、鈴木亜美を作り出した小室哲也でさえ使い捨てにされたと言ってもいいような惨状だった。浅草橋ヤング洋品店はモーニング娘の為の番組に成り下がり、モーニング娘と共に滅んだ。

電通に、食い荒らされて。
















スポーツを、闘いを、人と人との生き様を、音楽を、我が国を、健気に思う人民の夢を、それら全てを食い物にして食い荒らし、金を巻き上げ暴利を貪り、食い尽くしては次へと移る。彼らは金の為ならば、嘘虚構をも祭り上げ、メディアの全てを牛耳って、見渡す限りを埋め尽くし、利を得て暴利を貪って、食い尽くしては次へと移る

イナゴである。
電通はイナゴである。
リアルイナゴそのものである。
















ちょうどその頃、セガも死んだ。
湯川専務、セガタ三四郎。
浪費された巨額の宣伝費。
リアルイナゴに食い荒らされて。

まあ、そうでなくてもセガは死んだだろう。
鈴木裕に食い荒らされて。

とりあえず史実では、セガは死んだ。
リアルイナゴに食い尽くされて。










話を、ブンブン丸に戻そう。
ブンブン丸は、小林尊ではなかった。
では、ブンブン丸は、誰だったのだろう。

ブンブン丸が「小林尊になれなかった」のではないとしたら、
ブンブン丸は誰に「なれなかった」のだろうか。




「ピーター・アーツ」
それが、僕が考える、その問いへの答えである。


ピーター・アーツ。
多数のTV番組、映画、CMにも出演したスター。
彼の誕生の裏には、1人の空手家がいた。
石井和義、その人である。




K-1。
大食いを超えた規模のイベント、と呼んでも異論は少なそうなそのイベントは、後に脱税により逮捕され、今では表舞台から完全に姿を消した石井和義、即ち石井館長という1人の空手家によって作り出された。ただの空手の道場主に過ぎなかったその男には、空手以外に何も無かった。ただ、空手だけが彼にはあった。


彼は自らの空手で、攻めた。
彼には、空手に対する情熱があった。
彼には角田がいた。そして、佐竹がいた。

石井は、彼らを引き連れてキックボクシングに乗り込んだ。
畑違いの世界である。

石井は、彼らを引き連れて総合格闘技(リングス)に乗り込んだ。
畑違いの世界である。




石井はそれらの華やかさに触れ、そこから色々なものを学び取った。
そして、彼は、空手を変えた。

裸拳で胴体を突き合うという空手伝統の試合形式を捨て、
グローブを導入し、ラウンド制を取り入れ、ルールを整備した。

石井は格闘技オリンピックという大会を主催した。そして、そこから幾らかを学び、スポンサーをかき集め、放送局に自ら乗り込み交渉を行い、1つのものを生み出した。
立ち技格闘技の祭典、K-1である。




石井によって作られたK-1は幾人ものスターを生み出した。
石井は常に実況席に座り、カメラの前で何が起こっているのかを伝え続けた。
彼は空手家だった。格闘技を愛していた。格闘技を知っていた。
彼には、それを語り伝えるだけの能力と情熱があった。







話をVF2に戻そう。

ASAYANのVF2。
そこに、石井はいなかった。

そこに居たのは浅草キッドというお笑いコンビであり、関根勤という芸人だった。
彼らはVF2プレイヤーでは無かった。
彼らはVF2を愛していなかった。
VF2を知らなかった。

バーチャファイター2の筐体のモニタの画面の中で、今何が起こっているかを伝える能力を有していなかった。モニタを眺めて喧騒下品に騒ぎ立てるばかりで、バーチャファイターなど存在しないに等しかった。バーチャファイターという歴史に残る名作の魅力を伝えられるだけの能力を持った人は、ただの1人もいなかった。伝えたいと思う人すら、そこにはいなかった。彼らはただ金儲けの為に仕方なく、仕事でそれをやっていた。

バーチャファイター2は哀れだった。
そこに愛は無かった。
食い尽くされて。
捨てられた。




石井は一生を、格闘技で食っていくつもりだった。
バーチャファイター2には、そんな人物は居なかった。
リアルイナゴが居ただけだった。後には何も、残らなかった。








一方、韓国には石井が居た。
ゲームのプレイヤーがいて、ゲームを愛する人がいた。

まず、最初に、小さな石井が大勢生まれた。
小さな石井はアマチュアの延長戦上で大会を開催し、ゲームの大会が「面白いものであること」をユーザーに伝え、「より面白くする為のノウハウ」を蓄積していった。ルールを変え、ルールを整備し、少しずつその形を整えていった。そしてその中から、スポンサーを得て賞金の出る大会が生まれた。そこでももちろん主催者はゲームを知っており、ゲームを愛していた。

やがてケーブルTV局と結びついたそれは、国民に認知され、日本で言う所のK-1になった。番組を作る製作者も、解説者も、実況も、全てがゲームのプレイヤーであり、全てがゲームを知っていた。(ここで言うゲームとは、スタークラフトを指す。)

K-1もプロゲームも、共に下から生じたのである。
上、即ち電通から生じた浅ヤンのバーチャファイター2とは違ったのである。








話を戻そう。
戻そう戻そうばかりで全然戻っていない気がするが、それは気のせいである。そもそもどこに居たのかすらわからないという人は、読解力が無いだけである。残念な事に、僕には読解力が無い。




話を、戻そう。
ASAYANは忘れて、視点をVF2に戻そう。




2006年のプロゲームにあって、VF2には無かったもの。
それを語らずして、これは語れない話題である。

VF2には、プロゲームの成立に必須なものが無かった。
「インターネット」である。




バーチャファイターにはインターネットが無かった。
いや、当時からインターネット自体はあった。

しかし、当時のインターネットは今のインターネットと同質ではない。ヤフージャパンがサービスを開始したのは1996年の4月。バーチャファイター2のリリースより、一年以上も後の事である。




なぜ、インターネットが存在しないとプロゲームは存在し得ないか。
それは、「プロゲームを見る手段が無い」からである。

ゲームは、緻密な努力を丁寧に積み重ねていけば数字を取れるようになる可能性を秘めているとはいえ、基本的には、今も昔も地上派で数字を取れるコンテンツではない。

つまり、電波には乗りえないコンテンツなのだ。
その、電波には乗らないコンテンツをユーザーに届ける為に必要なもの。
それが、インターネットである。




韓国で絶大な人気を誇るプロゲームのゲームである、スタークラフト(1998~)には、リプレイ再生機能というものが付ていた。それは、行われたゲームを記録し、再生する機能だった。

そのjpegのバナー1枚と大差がない小さなリプレイファイルというものをダウンロードすれば、ユーザーは行われたゲームの試合の全てを開始から終了まで見る事が出来た。

世界中でリプレイをアップするサイトが作られ、名勝負のリプレイには無数のコメントが付き、注目を浴び、そういった名勝負のリプレイは各地で紹介され、さらにダウンロードされ、幾人ものスタープレイヤーが生まれ、その多くはやがて、プロゲーマーと呼ばれる身になって行った。




Fatal1tyがプレイするFPS(一人称視点シューティング)の場合は少し違う。

FPSがプロゲームとして成立したのは、韓国のプロゲームよりもかなり遅かった。
その理由は、ほとんどのFPSにはリプレイ機能が存在しないからである。
では、どうやってFPSのプロゲームはユーザーに届けられたのか。
それは、インターネットによる動画の配布である。




インターネット革命を経て、様々なツールが登場し、リアルタイムでの観戦が可能になった。動画をリアルタイムで配布するという事も可能になり、実況と解説が付いたそれは、見るものにとってはTV中継と全く同じものとなった。TVは人民のものとなった。同時に世界中でブロードバンドが普及し、BitTorrentというp2pの登場もあって、重い動画ファイルの配布が簡単に行えるようになった。世界各地で熱戦が繰り広げられ、世界のどこかで誰かがそれを見て楽しみ、FPSプロゲームは少しずつファンを増やして行った。




一方のバーチャファイター2はどうだっただろう。
ブンブン丸の試合を見た人間が日本にどれだけ居ただろうか?

バーチャファイター2にはリプレイ機能なんて無かった。インターネットで動画を配布出来る状況にも無かった。ブンブン丸になにが出来ただろう?当時有名だったVF2プレイヤーに、一体なにが出来たのだろう?僕はこう答える。「何も出来なかった」と。




アンデスに伝わる古い諺を1つ紹介して次の段へと進もうと思う。
「一般大衆にとって、見えないものは存在しないものと等しい」

ブンブン丸など存在していなかった。
バーチャファイター2などどこにも無かった。













ブンブン丸がFatal1tyになれなかった理由。
それには、他の要因もあった。
価格、である。

プロゲームの種目となっているゲームは、日本円にして2000円~5000円で買える。そして、何よりも重要な事に、一度買ってさえしまえば、半永久的にインターネットを通じての対戦プレイが可能なのである。ウォークラフト3などでは、自動マッチアップ機能(実力差に応じて対戦相手を世界中から探し出してくれる機能)まで付いている。買えば好きなだけ遊べるのだ。

一方のバーチャファイター2は、それらとは全く違った。1プレイ100円というシステムであり、ゲームセンターに足を運ばなければ遊べなかった。「湯水の如く金を使える人間の娯楽」だったのだ。今で言えばパチスロにハマっているような脳みそ空っぽ層をターゲットとした娯楽だったのである。家庭用機のバーチャファイター2では料金の問題こそ解決されたものの、ネットを通じての対戦は出来なかった。まったく、意味が無かった。

当たり前の話であるが、世の中金である。
高ければ高いほどユーザーは減る。




ブンブン丸に何が出来たかって?
もういいだろう。
そんな話は。










最後になってしまったけれど、プロゲームと言うフレーズを見る度に高橋名人というキーワードを出す人が多いので、その点について少しだけ書いておこうと思う。高橋名人とプロゲーマーは、似ても似つかぬ存在だからである。

まず、忘れてはならないのは、高橋名人は販促によって生まれたという点である。
バックには常にハドソンがついていた。
ゲームを売るための仕掛けだった。

一方のプロゲーマーは違った。プロゲームは常に広告で儲けるというモデルであり、K-1と同じ興行だった。発売会社とは別の場所から生まれ生じた、独立したものだった。それは、販促ではなかった。




ハドソンはコロコロコミックという少年誌に広告を出し、高橋名人を題材にした漫画が連載され、それによって高橋名人は世間に認知され、有名人即ちスターとなった。プロゲームが有志による草の根の、小さな規模の大会から少しずつ広がってやがてはFatal1ty等が生まれるまでに成長したのとは、まったく違った。高橋名人は上から作られたスターだった。プロゲーマーは下から作られたスターだった。ゲームという共通項こそあれど、その両者は、似ても似つかぬ代物である。




せっかくなので、ブンブン丸に何が出来たかを考えてみたい。
何も出来なかっただろう。
僕は、そう思う。

バーチャファイター2には、スポンサーが付く要素がほとんど無かった。
完全にIFの世界であるが、バーチャファイター2がASAYANの企画などではなく、一個の番組として放送されていた場合の事を考えてみたい。時は次世代木戦争の真っ只中。その敗北が既に明らかになっていたあからさまにSEGAで、おまけにゲームという明らかに数字の取れない番組に大金を支払って広告を打つ企業がどのくらいいただろう。

現実的な想定としては、SEGAの一社独占番組だろうか。SEGAは放送毎にCM枠全ての金を支払う。体力的に考えると、キューピー三分クッキング程度の枠、あるいは真夜中最後の30分が精々だったのではなかろうか。わけのわからない三流アイドルを出してエロ路線に媚びたかもしれないし、本人と7~8人の信者だけが面白いと思っている日ハムファンの落語家崩れがキモい顔面を晒していたかもしれない。どの道、それはすぐに打ち切られただろう。バーチャファイターもセガサターンも販売本数は一気に落ち込み、SEGAにとって、TVCMを放送し続ける意味はすぐに無くなってしまったからである。




一方、現在のプロゲーム。
それには、スポンサーが付いている。
スポンサーが居るからこそ、プロゲームは成り立っている。

そのスポンサー群の中核を成すのは、パソコンのCPUを製造している「INTEL」と「AMD」という2つのライバル企業と、パソコンのグラフィックカードを製造している「NIDIA」と「ATI」という2つのライバル企業。それに続く幾多のパソコン部品関連企業である。

プロゲームに関心がある層は、それらの企業が広告を見せたい顧客層と完全に一致しており、黎明期から今日まで、プロゲームを資金面で支えつづけた。そして今では、Fatal1tyを祭り上げたMTVを始めとして、SK Gamingと手を組んだ衣料品企業のアディダス、サンドイッチ屋であるサブウェイ、宅配ピザのピザハッド、自動車メーカーのマツダ、ヒュンダイといった若者に物を売りたい企業がプロゲームというジャンルに注目し、金を出している。

また中国では、多くのMMOが無料でダウンロードすれば遊べるのに対し、プロゲームの対象ゲームであるブリザード社製品は有料であるが為に、「ゲームに金を出すだけの資金的な余裕がある層」に物を売りたい企業から金が流れ込み、その資金を原動力にして世界有数のプロゲーム大国となりつつある。


一部には、プロゲームの隆盛という現象を販促に利用しようと企み、自作自演で賞金つきの大会を主催する企業が現れたりはしているものの、それらは成功を収めるに至っておらず、プロゲームは販促ではないと書ききって間違いは無いところであると思う。









最後にはなったが、僕が「最後にはなったが」という場合は大抵最後にはならない、という事実をきっちりと、皆様にきちんと伝えておきたい。







最後にはなったが、明らかな間違いを正しておきたい。




>ゲームの上手さに年齢は関係ない。
>場数をこなすほど上手くなるのがゲーム界。

このように書いてしまう人間がこの地球上に存在する、というだけで驚きである。これは「将棋の上手さに年齢は関係ない。場数をこなすほど上手くなるのが将棋界。」に等しい文章である。全く持ってお笑いとしか言いようがない。いや、将棋などという例えを持ち出すまでもなく、考えずとも解ることである。場数をこなすほど上手くなるような糞ゲームで、「視聴者の支持を得られるプロゲーム」というものが成立するわけがない。

プロゲームとして成り立っているゲームは全て、そのような時間に比例して強くなれるゲームではない。ドラクエやFF、あるいはMMOなんかとは違う部類の話である。単純な話をすれば100年かければだれでもブンブン丸に勝てるのか?って勝てるわけがない。

Fatal1tyともなれば、Fatal1tyの100倍の時間をかけて練習し、100倍の場数を踏んだとしても、地球上にFatal1tyを超える事の出来る人間は、"Fatal1tyを泣かせた男"フライングダッチマンVoOを筆頭に、片手で数えられるくらいしかいないだろう。集中力と勝負強さ、人間離れした状況判断能力と、正確なマウス動作、卓越した三半規管、努力するという才能、落ちないモチベーションと闘争心の全てを兼ね備えていたが故に(付け加えるならば、人間性と米国籍)、Fatal1tyという人間は100万ドルのスターになったのである。













ASAYANのバーチャファイター2。

結論から言ってしまえば、それはSEGAが電通に食い物にされただけの出来事だった。ブンブン丸に出来る事など何一つ存在せず、プロゲームの成立に必要な条件も、1つも存在していなかった時代の出来事だった。電通はゲームを愛してなどいなかったし、バーチャファイター2を愛してなどいなかった。ただ、彼らは、金になるならなんでもよかった。

WCも、オリンピックも、小室哲哉も、ボブサップも、その他諸々日本に存在する地球上全てのものがリアルイナゴの餌食となり、金にならなくなったものは片っ端から捨てられていった。運悪く、バーチャファイター2がそのターゲットにされ、SEGAは死んだ。SEGAは死んだ。SEGAは死んだのだ。われ等が愛したSEGAは死んだ。何故か。殺されたのだ。リアルイナゴに食い尽くされて。ちくしょう。SEGAめ。鈴木裕め。なにがシェンムーだ。ふざけんじゃねえ。なあにがシェンムーオンラインだ。ふうざけんじゃねえ。ちなみに、セガ信者っぽさ装っているのは、なんかその方が玄人ゲーマーっぽく見えるだろうという思惑に基づく偽装である。実体は鍵っ子である。








その点、大食い名人も同じである。
彼らだって、数字が取れなくなれば簡単に捨てられるだろう。

事実、大食いが金になるという事が判明してからのある時期には、大食いを題材にしたドラマが作られ、全国局でも同様の番組が作られ、そしてそれらは幾つもの問題だけを残してあっという間に消え去った。

だいたいからして、大食いなどというものは下劣極まるものである。食べ物は感謝して食べねばならぬし、よく噛んで血となり肉となるよう食べねばならぬのに、あれらはただ飲み込み、その多さだけを競い、勝手な憶測ではあるがテレビカメラの無い所で吐きに吐いているだろう。そうでないとしても、健全に消化されているとはとてもではないが思えないものである。地球上で、どれだけの人が、飢えているかを考えながら生きる必要など、全く持ってないが、例えその必要は無いにしても、物には限度というものがあり、食べ物は粗末にしてはならぬし、食べ物には感謝をせねばならぬ。その当たり前の価値観を崩壊せしめ、もったいないという意識を希薄化させ、そうまでして金儲けを働く電通は万死に値するし、そのようなものを支持する非国民はリアルイナゴに食い尽くされて尽く死に絶えるが相応である。




















あるプロゲーマーの発言である。




私がシンガポールに着いた日、端正な顔立ちの小さな中国人がこちらに駆けてきて、私に声をかけた。私は彼が誰であるのかすら知らなかったけれど、私は彼と戦い、そして勝利した。彼は私に礼を言って、近くにいた他の選手を呼び止めて、またすぐにマウスを握った。彼の技術は酷いもので、欧州で通用するレベルではないように見えた。中立モンスターに兵隊を殺され、農民のグルーピングは全くと言っていいほどに出来ておらず、ヒーローは簡単に包囲され、それどころかマナ管理もアイテムの使用もまともに出来ておらず、ユニットを遊ばせているシーンも頻繁に見られた。内政と防衛の切り替えと、塔の攻撃対象指定という2つのテーマを意識して練習しているのだ、ということは解ったけれど、どうってことは無いレベルだった。見るに耐えない惨状だった、と言った方が正確だったかもしれない。

私はすぐに飽きて、世界大会でしか顔を合わせる事の出来ない友人達と話をし、ジャンクフードを食べながら街を歩き、リラックスするように勤めた。その頃はまだ、十分な休養とリラックスこそが、本番で力を出す為に必要な事だと考えていたからね。

夜になって会場に戻ると、彼はまだ同じ場所に座っていた。立ち上がり、相手に握手をしながら礼を言って辺りを見渡し、私に声をかけてきた。私が即座に断ってすぐ、彼は他の練習相手をみつけだし、マウスを握った。

彼は、生まれ変わっていた。たったの半日で、全ての弱点が克服されていた。内政と防衛の切り替えは欧州のトッププレイヤーと遜色の無いレベル、いや、それを超える所まで成長していた。塔の攻撃対象指定という、彼が朝から練習していたほとんど無意味に思える課題も見事に克服されていた。彼の防御塔の攻撃は的確に、体力の低い召還ユニットを狙い、攻撃対象が瀕死になると即座にターゲットが切り替えられた。(WC3では、塔が止めをさした場合経験値が入らないという仕様が存在する。)

彼はよく戦い、そして敗れた。
笑いながら対戦相手に歩み寄って握手をして礼を言い、私に「どうか?」と尋ねた。私は「本番で」と断った。「どのくらい?」と聞くと、「ほとんど」と苦笑いをしながら返した。彼はまだとても弱かった。けれど、この先強くなるだろうと私は感じた。

次の日の夕方、私は彼に0-2で敗れた。
その翌日には、決勝の舞台に立っていた。
練習では隠されていた勇気で彼は、アメリカ代表を完膚なきまでに叩きのめした。

私はシンガポールに滞在していた3日間で、本物のプロゲーマーとは何たるかを知り、本当のトレーニングがどのようなものなのかを学んだ。そして「無理だ」って思ったんだ。彼には勝てない、ってね。

訳:真性引き篭もりhankakueisuu
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Fatal1ty/wikipedia.en
Grubby/wikipedia.en
BoxeR/wikipedia.en
VoO/wikipedia.en
sky/見つけられず。新世代の人だから、まだ無いのかもしれない。

Masters of the Game/TIME.com


2006年9月10日日曜日

プロゲームの曲がり角



ワールドカップはつまらなかった。


世が世なら一行で終わってしまうことなのだけれど、世が世で無いのでそうはいかない。何かを「つまらない」と書き下す時は、では何が面白かったのかを書く必要があるのである。何が面白かったかなんて、少なくとも、僕らはみんな、知っているのに。









ワールドカップはつまらなかった。
退屈で、冗長で、失望だけが残った。
それは、全て予想通りの出来事だった。

では、何が面白かったのか。
それは、ワールドカップ開催前の半年間のWC3プロゲームシーンである。この半年間のWC3プロゲームシーンは、羽化したと書いてもよいくらいに、劇的なものであった。その、シーンの中心を成していたのが、これから触れる3つの大会である。












「stars war 3」

世界中のプレイヤーを集めて、誰が一番強いのかを決めるEスポーツの祭典。
それが、ワールドカップのコンセプトである。
非常に、シンプルでわかりやすいものだ。

一方、「stars war 3」のコンセプトも、非常にシンプルである。
中国、韓国、欧州、それぞれの地域から5名の代表選手を選び、オフラインで戦わせる、地域別対抗戦である。




この2つの大会は、対照的と言っていいほどに違うものである。
まず違うのが、参加選手の人数である。

ワールドカップは、53もの国と地域で予選を行った。それらの代表選手選考予選はほとんどの国で、オンラインでの予備予選を経た後でオフラインで行われており、膨大な人数のプレイヤーが参加し、会場を借りて、スポンサーをつけて、「世界最高の大会の予選」であると宣伝を行い客を入れ、大々的に行われたのである。

そして、53名の選手がフランスで行われた本選に呼び寄せられた。




一方でのstars warはというと、予選は全てオンラインで行われ、その規模も極めて小さかった。欧州予選はstars warの運営が選んだ20名、たったの20名で行われた。しかも、その欧州予選で選ばれるのは、5枠ではなく3枠。

残りの2枠は招待であり、その2枠は、WarCraft3プロゲームシーンそのものと言っても過言ではない4K.Grubbyと、そのGrubbyを直前に行われた大会の決勝戦で打ち破り、2006年度の賞金ランキング一位に君臨する2vs2でのGrubbyの現在のパートナー、4K.ToDに与えられた。

それはシードなどではなく、万が一にも彼らシーンを象徴する世界的名手が予選で消えてしまうことのないようにと、大会運営者が万事に万事を尽くしたものであり、同様の「世界的名手を2枠保護して招待する」という行為は、中国予選でも行われた。(韓国予選でも行われたものと思われるが、確かではない。)

そして、それぞれの地域から文字通り最高のメンバーが選ばれ、合計15名の選手が開催国である中国に呼び寄せられた




世界を代表する15名と地域を代表する53名。
この差は、歴然としたものだった。

ワールドカップの運営は、世界的名手をベスト8に残す為に、1次リーグ、2次リーグと、2つものリーグ戦を用意した。それは、かつて行われた同様の世界規模の大会において、抽選による組み合わせによる純粋なノックアウト方式のトーナメントを採用したが為に、優勝候補の一角と目された韓国人選手が一回戦で韓国人に負けて姿を消してしまったり、優勝候補筆頭と目された選手が早々に消えたり、といった大会を盛り下げる事態が繰り返された事に対する運営側の手の込んだ作戦だったのだろう。結果的に世界的名手をベスト8に残す、という大会運営の目論見はある程度は成功した。

しかし、2段階のリーグ戦を導入した事により、試合数は鼠算式に増え、そこでは、天と地ほどの実力差を持つプレイヤー同士の凡カード、凡試合が延々と繰り返され、リーグ敗退を決まった選手同士の消化試合や、突破が決まっている選手同士の消化試合があちこちで生じ、何の面白みも無いカードがオフラインの巨大な会場で延々続けられるという、惨状が繰り広げられた。




一方のstars warは違った。

出場選手の皆全員が世界的名手のプロゲーマー。凡カードなど、1つも無かった。なによりも大きいのは、ワールドカップのような世界規模の大会では、厚すぎる選手層と相性のせいで、世界的名手が国内予選で消えてしまう事の多い韓国に、5枠が与えられていることである。

この5枠により、stars warは世界の関心を集める事に成功した、と言っても過言ではない。まだ欧州と韓国のプロゲームシーンがそれぞれに距離が在った時代にstars warの第一回大会は開催され、韓国チームは圧倒的な力を世界に見せつけた。その第一回のコリアインパクトにより、stars warは、極めて小規模な大会ながらも、シーンを代表する重要な大会として認識されるようになったのである。

韓国に5枠を与える、という名勝負を生むための単純な解法は、「世界で一番強いのは誰か?」というコンセプトを取るワールドカップには決して取れないものである。stars warは、その小ささにより、それを成し遂げたのである。




ワールドカップは、なぜ巨大化してしまったのか。
ワールドカップは、なぜ巨大化しなければならなかったのか。

stars warは、なぜ小さいままでいられたのか。
stars warは、なぜ小さくなければいけなかったのか。

stars warの話を終わらせる前に僕が書いておきたいのは、そこである。




その違いが端的に現れているのは、双方のスポンサーである。

ワールドカップは、ワールドワイドパートナーであるアメリカのグラフィックスチップメーカー「NVIDIA」を筆頭に、INTEL、SONY PLAYSTATION、マウスで有名なLOGITECH、フランスの楽天あるいはamazonであるFNAC、イギリスのモバイルメーカーORANGE、開催地域であるILE DE FRANCEといった、面々を軸に据え、さらにはMTV、KONAMI、ASUS、LG、NOKIA、NADEO、SEGAまでをもスポンサーとしている。

対するstars warは、台湾のパソコンメーカーGIGABYTEたったの1社である。




スポンサーを集め、大会規模を大きくし、「NIDIA vs ATI」「INTEL vs AMD」「Xbox vs sony」という3つの対立軸を利用してスポンサーから資金を集め、さらに大会規模を大きくしてスポンサーを増やす、という、五輪/WCモデルを取ると決めたワールドカップは必然的に巨大化せざるを得ず、競技種目を増やし、選手数を増やし、参加国を増やし、出来るだけ多くの人の目に触れさせる為に、それらによって生じる弊害の全てを抱え込むことを選択した。

対して、運営母体が中国のウォークラフト3のweb siteである「stars war 3」は、巨大化する必要などはまったく無く、「GIGABYTE stars wawr」と、大会名にスポンサー名を入れ、一社独占とすることでスポンサー獲得と更新に生じる諸費用を抑え、純粋に「盛り上がるイベントを作るにはどうすればいいか」の一点を追求することが出来たのである。




1位 中国 1勝1敗 (11勝10敗)
2位 欧州 1勝1敗 (10勝10敗)
3位 韓国 1勝1敗 (10勝11敗)

中国 vs 欧州(6-4)
韓国 vs 中国(6-5)
欧州 vs 韓国(6-4)

参考までに、Stars War 3の最終結果である。
数字だけでも、素晴らしい大会だったという事がご理解頂けるかもしれない。
(5vs5なのに勝者が6勝しているのは、全員が敗北したチームはファン投票で1人が復活して最後の一人として戦う、という特殊な試合方式を採用している為。)











「Race War」

2つめ。
それが、この、Race Warである。

WarCraft3に存在する4つの種族を代表する3名のプロゲーマーがチームを組んで戦う種族vs種族の大会である。




出場選手は、予選などは無く、全てが招待。
それはベストと言って過言ではない完璧な面子だった。



オーク。

歩く4K.Grubby、4K.Grubby。
Grubby2.0改めGrubby1/10、SK.Zacard。
韓国最後の大物、Lof.Lyn。



ヒューマン。

始皇帝、WE.IGE.Sky。
世界で二番目に有名なブルガリア人、SK.Insomnia。
不可能を可能にする男、4K^ToD。



アンデット。

名勝負製造機、4K^FoV。
蘇った不敗神話、WE.IGE.Sweet。
人類最強のネット弁慶、MYM]Lucifer。



ナイトエルフ。

WarCraft3第五の種族を操る男、Sprit_Moon。
WarCraft3の達人、WE.IGE.ReMinD。
中国最強ブロガー、WE.IGE.suhO。




それは、ワールドカップのベスト16を凌駕する、錚々たる顔ぶれであった。
しかし、この大会は、異色であった。

何が異色であったか。
それは、賞金額である。


ワールドカップは、賞金総額4万ドル。ワールドカップと同じコンセプトを掲げるWCG(2002年にhalenがaoc部門で優勝した大会)に至っては、賞金総額300万ドルである。

(ワールドカップがWCGに比べて小さいのは、ワールドカップ自体がWCGのモデルを模倣したもので、WCGのスポンサーになれなかったライバル企業から金をスポンサーの中核として沿える事で成長してきたからである。優勝賞金はほぼ同じで、1万~2万ドル。)




一方、Race Warの賞金総額は「1000ドル」である。
冗談ではない。たったの、1000ドルである。

賞金総額1000ドルという、すずめの涙のような賞金額の大会が、これだけの錚々たるプロゲーマーを集める事が出来たのか。その鍵は、Race Warの運営方式と、運営母体にある。




Race Warを主催したのは「GG Client」という、p2pツールの配布元である。
このツールは導入することにより、ネットゲームにおけるラグを大幅に軽減するという画期的なp2pツールで、今では、世界中のネットゲーマーから非常に強い支持を受けている。

GG Clientは、韓国vs欧州といった対戦カードにおいて、タイムラグに左右されて思い通りのプレイが出来ずに泣いていた、WarCraft3のプロゲーマーにとっては救世主のようなものだった。けれども、GG Clientは対戦する両者がインストールしている必要があった為に、普及期には対戦相手のプロゲーマーに対して「次の対戦までにGG Clientをインストールしといてくれ」という懇願が方々で見られた。

そんな、夢のp2pツールGG Clientの普及期の最中に行われたのが、GG Race Warという大会である。「GG Client普及の為なら」と12名のトッププロが、一人も辞退する事なく、一同に会したのである。

一同に会した、と言っても、どこかに集まって会場を借りて、客を入れて戦ったわけではない。そう、この大会は、GG Clientを利用して、オンラインで行われたのである。




結果、種族最強プレイヤーと種族最強プレイヤーが、世界中の同じ種族を扱うプレイヤー達の声援を受け、誇りを背負い、戦った。一戦一戦に世界がどよめき、異常なまでの興味をひきつけ、世界中はRace Warの話題で満たされた。一色に染められたと言っても過言ではない。そして、GG Clientは一夜にして、世界中に知れ渡った。文字通り、この大会は大成功に終わった。

この大会に関しては結果は書かない。
all gamers より、それを伝える一文を引用して終わりにする。




>Grubbyは8勝0敗(100%)でした。











「WC3L シーズン9」

最後の1つ。
それは、皆様お馴染み、ウォークラフト3リーグのシーズン9である。

WC3Lは何故、WarCraft3プロゲームシーンで最も重大な大会なのか。それは、WC3Lは長い歴史の中で、少しずつルールを変え、その形を変化させながら、進化し続けてきたからである。

WC3Lはシーズンが終わる度に入れ替え戦を行い、世界中のチームに門戸を開いた。シーズンで下位に沈んだチームは再び予選からの参加を余儀なくされたし、中位のチームは予選を勝ちあがってきたチームとの入れ替え戦に挑まされた。幾多のチームが時勢のあるスポンサーの豊富な資金力を背景に世界中から選手を集めてWC3L予選を突破しシーズンに挑み、その多くは壁に跳ね返されて下位に沈み、勢いを失い、やがては消えて行った。そうして、本当に実力の高いチームだけが、底力のあるチームだけがリーグに残り、文字通りの世界最高峰のリーグが形成された。

繰り返された名勝負は歴史と化してファンの脳内とリプレイサイトに蓄積され、SK gaming vs 4Kings.intelに代表される歴史ある黄金カードが幾つも生まれた。シーズン中はリーグ戦が毎晩行われ、「毎日更新する」というウェブサイトが読者を繋ぎ止める為の第一条件を満たした。シーズンとシーズンの間には、招待選手同士による夢のカードや、オフラインで行われる決勝大会に向けた記事などで、訪問者を繋ぎ止めつづけた。

そしてそのような地道な努力を続ける中で訪れた、韓国オールスターとも言うべきMYMの輝かしき登場と躍進、アジア最強という明確なテーゼを掲げたWE.igeの参戦、GG Clientの普及という3つの出来事が世界の距離を一気に縮め、「欧州リーグ」を目指したドイツのちょっとしたイベントは、主催者の目標をも飛び越えて、誰もが認める世界リーグへと進化したのである。









これら、「面白かった」3つの大会に共通するのは、全てが「純粋なウォークラフト3プレイヤー」のみを顧客として想定しているという点にある。

対して、これまで何度も行われ、その度に「つまらなかった」と書かざるを得ないような失望を受けたイベントは全て、五輪/WC型のモデルであり、いくつもの種目のゲーム大会を一気に開催する事で、スケールメリットを出す、というタイプのものだった。

この二極化は、曲がり角なんだと僕は感じた。
プロゲームは、曲がり角、あるいは折り返し地点を過ぎたように思える。




前者と後者はそれぞれ独立して存在しているのではなく、前者の地に足をつけた運営がファンを増やし、興味を引き、コミニティを固め、それぞれのゲームの面白さを浸透させ、後者はそれらの蓄積を「世界」という名目において一気に刈り取り富を得て、さらに規模を拡大させる。

その拡大した規模のタイトルを取った人間が再び前者の大会へと戻り、日々の勝負を繰り広げ、蓄積されたタイトルホルダー達の名声が、前者のような小規模な大会に人々の注目を引き付け、活性化させ、運営が安定する。

増えつづける後者の賞金額がプレイヤーを引き付け、前者のような小規模な大会には、将来の世界を目指す新たなプレイヤーが流入する。

「おもしろい大会」と「つまらない大会」の両者は、プロゲームの両翼である。












この、韓国SCモデルのような、小さな範囲のゲーマー(韓国で言えば、韓国語の理解出来るスタークラフトプレイヤー)を満足させるという形の大会と、規模を拡大し、世界的イベントとしてスポンサーを獲得できるという形の五輪/WCモデルという、二極化した両者がプロゲームの翼となって、例えウォークラフトとカウンターストライクが完全に忘れ去られる時が来たとしても、プロゲームは僕が昔想像していたよりも遥かに大きな一定規模で栄え続けるのだろう。そのように、思った。
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2006年9月9日土曜日

WEB上で拾った画像を盗みまくってブログを書いている竹熊健太郎が著作権を語っているのを見る度に虫唾が走る。



たけくまメモを一目見る前から、ああこれはブロガーの風下にも置けないようなろくでもないものだな、というのが一目見てわかった。なぜならばそれは皆様ご周知のとおり、漫画を読んでいる人間は決まり決まって夜盗強盗強姦魔、一人残らず心にナイフを隠し持っているような犯罪者だからだ。

そういう、予想とか疑惑とかそういった類のものが確信に変わったエントリーが「盗作」と「合法的盗作」である。

上記のエントリーのどこが目に付いたか、というと、画像である。ジャック・スミスという人の顔写真である。まあ、いかにも怪しい。このたけくまという人が偉そうに著作権を語っているを目にする度に、どうにも抱いた疑念がぐずって気になり仕方が無い。いや、そういう次元ではない。虫唾が走る。気分が悪い。吐き気がする。しかし、まあ、少なくともそれは今のところ僕が勝手に抱いた妄想かもしれないので、正直どうなのかと思っていたのだけれど、いい加減書きたくなったのでちょっとだけ書いてみることにした。







即ち、それは何かというと、画像である。
たけくまはWEB上で拾った画像、より正確に言うとWEB上で盗んだ画像を自らのブログに貼りまくり、問答無用極悪非道の糞ブログというものを書きつづけているのではないか、という疑惑である。さらに、その上で、そのような人間が、悪党が、国賊が、即ち犯罪者が、わかりやすく一言で書き表すならば十五を過ぎて漫画を読んでいるような人間が、偉そうに著作権を語り、それにより暴利を貪り、そしらぬ顔で食うや寝るやをしているのではないか、という疑念であり、疑惑である。今の段階では疑惑である。ただのちょっとした疑惑である。それが僕の勝手な思い込み勘違いその類なのか、その通りのものであるのかは、今の所はわからない。まったくの、不明である。







まず、「盗作」と「合法的盗作」/たけくまメモにある、
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/images/107810_2.jpgというjpegと、

松岡正剛の千夜千冊『エイズ』畑中正一にある
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/image2/senya1078/107810.jpgというjpegを見比べて頂きたい。

画像のサイズは100*113と118*169と違いはあれど、"同じ"にしか見えない。pictbearで見比べてみたが、WEB上で拾った画像を盗んでリサイズして自らのブログにまるで我が物のようにUPした、としか思えないものである。




けれども、このたけくまという人は出版社とも多少の繋がり所謂コネがあるようだし、「松岡さんすみすの画像ちょっともらってええかな~?」「おっけ~たっけっくま~!」みたいな間柄なのかもしれない、まあ、もしも、仮に、そうであるとするならば、この疑惑はただの僕の勝手な思い込みであり、酷いいいがかりであり、平身低頭懸命に謝罪に回る運命にあるのかもしれない。しかしながら、上記一点ではない。このたけくまという男はこれに留まらず、毎日のようにやりまくっている。







例えば、これ。

ルーシーはダイヤを持って空の上/たけくまメモの
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/images/ubatama050826.jpgと、

ウバタマ/はなだよりの
http://hanakoyomi.sunnyday.jp/ubatama050826.jpgの2枚。

画像のサイズまでまったく同じ、疑う余地の無い同一のファイルが違うブログにそれぞれUPされている。明らかに後発のたけくまが、WEB上で拾った画像を盗んで自らのブログにまるで我が物のようにUPした、としか考えられないものである。




いやはや「麻薬をやりました、気持ち良かったです」なんてブログに書くような人はやる事成す事大胆ですね。著作権を語って金を稼ぐ一方で人様の画像をそっくりそのままパクってブログもどきのアドセンスですか。けれども、このたけくまという人は裏でこっそりきちんとちゃんと、はなだよりのオーナーさんと「あの画像使っていいですか?」「え~もちろんですよ~」「著作権表示とかいります?」「けっこうですけっこうです、いらないですよ~、たけくまさんみたいな素晴らしくて凄い偉い人に使ってもらえるだけで光栄です~」みたいな会話をした上で、画像を使用しているのかもしれない。

そうである。
そりゃあ、そうである。
「>ここに掲載している写真・文章等を無断で転載・二次加工などをすることはお断りします。」と、きちんと書かれているようなものを、無断で転載するようなブロガーがいるとは思えない。その上その人その当人が著作権を偉そうに語って小金を稼いでいるなんて、ありえない話である。







とは思ったのだけれど、出るわ出るわのオンパレードだ。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/images/daitozokujp1.jpgは東宝特撮映画ポスター館さんのhttp://www.fjmovie.com/tposter/60-3/daitozokujp1.jpgをたけくまが、WEB上で拾った画像を盗んで適当にリサイズした上で、自らのブログにまるで我が物のようにUPした、としか考えられないものであるし、

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/images/kou_30.jpgは、レッドキングでダダ/怪獣千一夜さんのhttp://www.maboroshi-ch.com/img/kou_30.jpgをWEB上で拾った画像を盗んで自らのブログにまるで我が物のようにUPしたものだ。




http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/images/9b4a0ea8.jpgは甦れ!!プロレス浪漫-果たして日本プロレスリング史上、最強のレスラーとは!?・ジャイアント馬場編からだし、http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/images/300px-Head_bone.jpgはウィキペディアか。




おいおい。
ちょっと待ってくれ。
いったいどれだけやってるんだ?
元の方もちょっと微妙に危なっかしいのが多いからそれらは書くのは憚られるので書かないけれど、リンクも表記も一切無しでよくもここまで盗んだな。そのくせ、かとゆーとか俺様キングダムとかアクセス持ってる所には媚び売ってリンク貼ってアフィアドセンス。おまけに著作権を偉そうに語って金儲けか。いったいどんなモラルをしてるんだ?もうたけくまが「著作権」とか言ってるのを見る度に「ああ金の匂いに敏感なんですね」と呆れるを通り越してもはや吹く。なるほど。これが噂の漫画脳ってやつか。インターネットは俺のもの、WWWは俺の貯金箱、ってか。ハハハ、凄いね。即刻ブログ閉鎖して漫画ヲタども引き連れて一生リアルに引き篭もってろ。









しかも、より、笑い失望反吐が出るのが、たけくまがこれだけ延々やっていて、その上で偉そうに著作権を語っているのを目にした人間がこれだけいながら、ここまで自浄作用が働いた様子が無いというのはまったくもって、凄い客層ですね。正しく正しく正真正銘漫画読んでる奴は揃いも揃って一人残らず節穴を通り越したからっぽの馬鹿。そんなものは常識であり、今更言うことでもないけれど。


2006年9月8日金曜日

サイト運営ポリシー



・自らの信仰履歴は隠蔽し、露呈しそうになってもなるべく限りごまかし逃げる。

・アフィアドセンスでがっぽり稼ぐ。




前者は、チンギスハンが自らの信仰する宗教を明らかにしないことで広大な領土運営を円滑に進めたという史実に倣って。僕はやがて世界を統べる王になる男だから。

後者は、織田信長がどでかい経済基盤からがっぽり稼いで天下を統一したという史実に倣って。僕はもうすぐ世界を統べる王に成るべくしてなる男だから。
















・トラックバックは削除しない。

・コメント欄は閉鎖しない。

・エントリーは消さない。

僕はブロガーだから。
そして、僕はブロガーだから。
真性引き篭もりhankakueisuuだから。


40日アクセスしなかったくらいで消えてしまうWEBメールなんていらない。



hotmailのアカウントが消えていた。

ブログのフェアアさを維持するには、検閲の入らないコメント欄、削除されないトラックバック、メールアドレスの3点が最低条件であると考えているので、hotmailのアカウントに最後にアクセスしてから今日まで、その最低条件すら満たせなかった事を強く恥じる。無論の事、上記三点を満たせばフェアアであるか、というとそうではないのだけれど、その点についてはとりあえず無視する。正確に書くとうまくごまかしてばれないように隠蔽する。触らぬ神に祟りなしである。

それにしても、たったの40日アクセスしないくらいで、WEBメールのアドレスが消えてしまうなんてことは想像もしていなかった。気が付いた時には呆然自失である。幸いにして受信メールはxyzzyで読めるように人毎に全て.txtに落とした上でメールボックスから削除していたので、読めると言えば読めるのだけれど、そちらのパソコンは壊れているので今は見れないので、読めないといえば読めない。

それにしても、たったの40日、40日夜から晩までゲームをしていたくらいでメールアドレスが、まさか、まさか本当に消えてしまうとは驚きである。ある意味、マイクロソフトの誠実さのようなものを垣間見た気分である。即ち、メインのパソコンが壊れてから(6~7月頃?)今日までに受信したメールは読めていませんので、その間にメールを送信してくださった方はすみませんでした。


ちょうどよいことにgoogleメールが取得可能になっていたので、そちらの方を取得した。これで大丈夫だろう。googleだから。googleだもん。ちゃんと、hankakueisuuさん誤認問題なんてトラブルに巻き込まれないように、shinseihikikomorihankakueisuuで取ったし。なんかそういうインターネットなトラブルなんてまっぴらごめんである。平穏無事にやっていきたい。平和が一番だ。自衛隊とかいらない。米軍は日本から出てけ。僕のブログにちょっとでもケチをつけた奴は全員刺身包丁で喉付いて死ね。寄生虫に取り付かれて死ね。取り付かれなくても全員死ね。一人残らず死ね。竜騎士07に刃渡り5センチのポケットナイフで喉を突かれて死ね。一族郎党末代まで全部死ね。日本を戦争が出来る国にしてはいけない。9条は死守しよう。がんばろう。がんばろう。




いくらか、逸脱。
本音が、漏れた。

あともう1つ。
世界の最先端を突っ走る、世界のgoogleことブロックブログに、待望のコメントスパムフィルタが実装された。我らがブロックブログ社長曰く、「これでスパムの99%はカットされるだろう。事実上、ブロックブログからコメントスパムは消えたのである。ただ一つ心配なのは、あまりにも強力すぎるスパムフィルタにより、普通のコメントまでカットしてしまう誤爆の可能性である。」と、勝利宣言。













その当日、AND翌日、当ブログにスパムコメントが殺到中。
さすがである。ブロックブログの技術力は宇宙一ッッッ!


2006年9月7日木曜日

日本の何処かに、あなたを待っている人はいますか?



黄色い看板の借金取りが、タダより高いネトゲの群れが、軍艦マーチのパチンコ屋さんが、派遣会社のスタッフが、当たりくじ入りの牛丼やさんが、しゃがんだ海兵隊員が、アフィアドセンスで満たされた、糞ゴミブログのブロガーが、今日もあなたを待ってます。


そのように言うと、彼は言う。
「それは違う。」と、彼は言う。


そのような者供が待っているのは"わたし"ではなく、現金であり、孤独を抱えたインターネット中毒者であり、人生の貴重な時間を浪費するだけの豪快さであり、搾取可能な労働力であり、禁輸解除であり、ザンギエフであり、馴れ合いであると彼は言う。


そのように、彼は言う。
「彼らが待っているのは、決して、わたしではないのだ。だから違う。」と、彼は言う。

けったいな話である、と僕は思う。
まったくもって、理解が出来ない。




確かにそれらは、紛れもなく"あなた"を待っていると書き記して、間違いが無い。
日本の何処か知らない街の、知らない場所の片隅で、彼ら厳密に彼、彼の人は、今日もあなたを必要とし、待ち望み、あなたの登場を渇望し、自ら己の人生と、あなたの人生とが接点を持ち、交わり、交差し、互いに何かを与え合い、それぞれに何らかの利益を手に入れ、時として何れかが不利益を被ったとしても、それでも、なお、あなたの存在を必要とし、であるからこそ、今日も、何処かであなたを待っているのである。


しかし、それら「あなたを待ち望んでいる人々」の存在は「わたしを待っているのではない」という彼の主張の元では、「あなたを待っている」の枠外に位置する、らしい。


曰く、私が、その存在を信じるとともに疑っているのは、そのような者供ではなく、わたしを必要とし、待ち望み、わたしの登場を渇望し、自ら己の人生と、わたしの人生とが接点を持ち、交わり、交差し、互いに何かを与え合い、それぞれに何らかの利益を手に入れ、時として何れかが不利益を被ったとしても、それでも、なお、わたしの存在を必要としてくれるような、そういう人が、本当に、日本の何処かにいるかどうかなのだ。そう彼は言って、深く細く、肩を落とした。




例えば、彼の言う、所謂無条件にあなたを待っている人というものが日本の何処かにいるとするならば、彼も同じように、所謂無条件に、まだ見ぬ何者かを待たねばならぬはずである。そして、無条件にその全てを受け入れられたいと願うのならば、同じく無条件に受け入れねばならぬ。

それが、不可能であるならば、即ち"あなたを待っている事"以外の何らかの付加価値を求めるならば、それに見合うだけの"待っている事"以外の何かを手に入れ、然る後、待つなり行くなりするべきなのだろう。








願わくば、願わくば。
願わくば現金、孤独を抱えたインターネット中毒者、人生の貴重な時間を浪費するだけの豪快さ、搾取可能な労働力、禁輸解除、ザンギエフ、それら以外の、全てのものを。馴れ合い以外の全てのものを。日本の何処かに僕を待っている人なんていなくても、せめてブログを持っている人ならいるのではないかという幻想以外の全てのものを。ブログを、ブログを、全てのものを。
















僕は、僕を、待っている。
ずっと、ずっと、もうずっと。