2006年9月23日土曜日

ああ、人生は、なんと面白い。



ブログという単語を人生だとか青春だとか、あるいはそういった類それ以外それら諸々、そのようにして、延々用いてきたものだから、たまには、その逆をやってみようと考えた。いや、決して考えてなどはいないのだけれど、当てはまる単語が「考えた」くらいしか思い浮かばなかったので、考えた事にした。そうして、考える間も無く現れたのが「ああ、人生は、なんと面白い。」である。

なんとなく、日本語として居座りが悪く、不出来で、258と口割りも良くない。しかし、出てきてしまったものは仕方が無い。事実、ああ、人生は、なんと面白い。なのである。

まあ、たかだか、ブログ、などと言ってしまえばそれまでだけれど、僕は、少なくとも、ブログよりも面白い「ビデオゲームではないもの」というものに出会ったことが無い。その面白さたるや、比類するもの無きである。

無論のこと、ああ、なるほど、彼の人は引き篭もりであるから、ブログくらいしか面白いものを知らないのだ、と納得されても構わない。一向に構わない。軽蔑されても、せせら笑われても構わない。

いまや、ブログのあちらこちらで「これが面白い」「あれが面白い」などと高慢たれたれ流れでたるや五色七色八百八町の川流れ。それだけであれば、情熱的だね、熱意溢れてはちきれてるね、なんて具合に適当に、眺めて過ごすも出来るのだけれど、違うどうにも臭いが違う。おもしろ良いや、つまら悪いや、つまら悪いや、おもしろ良いや。果たしてそんなに、そうであろうか。

秋は悪いや運動会の、童の声で朝は眠れず、昼も眠れず、夜は夜なで、睡魔朦朧、ブログ書きたし、眠るに惜しし。童の声はまだ良いが、拡声器を持つ教師の人の、頑張れの声が身に凍みる。まだこの上に、頑張れと申すか。まだその上に、頑張れと申すか。鬼か悪魔か教師か人か。

「○○する事だけが○○ではありません。」という言葉は、えらく強い。とにかく強い。太刀打ちが出来なさそうな雰囲気が漂っている。例えば、例えばである。「銃を手に取り立ち上がる事だけが闘争ではありません。」と、瓶底眼鏡のハンドルに面と向かって言われてみれば、もう敵わない。私が悪うございましたと裸になって踊り狂うくらいしか他に手は無し道は無し。

「ブログを書く事だけが人生ではありません。」とは、まったくもってその通り。無礼も無礼、多勢に無勢のそのまた未練の果て涙。しかしながらに十人十色。ブログを書く事もまた人生で、よいではないか。よいではないかと意味不明。

まことブログは面白すぎて、こうして、2年も書いているけどまるきり飽きず、2時22分の丑三つ時にも書きとうて、ただ書きとうて眠るに眠れずそのように、書きなぐってはこうも乱れて私が誰だかわかりゃあせんわ。裸になって、踊って、狂って、ブログを書いて、ああ楽し。ブログを書いて、ああ楽し。