2005年3月30日水曜日

帰ってきた名称未定テスト0.002



最重要課題
  中段のアプリケーション線データがたまに消える。
  頭痛が消え次第刷新。
  締め時間がおかしい。ありえないので即修正。


001→002 
 設定によってはタスクトレイから出てこなかった問題を解決。
002→003
 多重起動を阻止した。多重起動に絡むバグを処理。
 デフォルトのオプション設定を修正。
 アプリケーション毎の色指定に絡んだバグを処理。
 スキンをさらにセンスの無いものへと書き直した。
 それにより、状況は悪化したと言わざるを得ない外観の実現に成功した。


全真性引き篭もり待望の名称未定が余計なお世話コメントや人柱の皆様方に助けられ、遂に帰ってきた!


決定的な変更点
・致命的なバグが無くなったような気がする。気がするだけ。





以前コメントを寄せてくださった方曰く、スケジューラ系のアプリケーションらしいですが、自分では微妙にターゲットが違うと思っています。

とりあえず起動してタスクトレイに締まっておくだけで、どのアプリケーションをいつどれだけ使ったのかという事を記録し、目視可能にします。


何が出来るのか。
「開始ボタン押しから終了ボタン押し間の行動を記録」
   ・予定時間終了時に、サウンドを再生可能。
   ・行動中に使用したアプリケーション統計
   ・行動毎の備考欄(メモ)
   ・行動中にNGListで指定したアプリケーションが起動されるとサウンド再生可能。

「起動中に使用したアプリケーションの目視」
   ・勝手にアプリケーション毎に設定した色で線を引く。

「起動中に使用したアプリケーションの1日毎の統計」
   ・生活サイクルに合わせて、締め切り時間の設定が可能
    (午前2時までとか、午前4時まで等)

「マウスのクリック&ドラッグで予定を適当に記入」
   ・とりあえず目視可能なだけ(今の所、多少微妙)
   ・それぞれに備考欄(メモ)
     ・どうしようかちょっと迷ってる。
       ・とりあえずアプリ統計でも出してみようか。

「日記というか、日毎のメモ」
   ・表示欄が狭いので長い日記を書くのには適さない。
   ・100文字くらいのメモや、備考程度なら


特徴。
「滅茶苦茶なインターフェース」
   ・ウォークラフト3を意識したらしい。
   ・シドマイヤーズアルファケンタウリを意識したらしい。
   ・どうも滅茶苦茶。

「それなりに軽い」
   ・1年分のデータ(3500個)をでっちあげた上で、
    STGを2つ同時起動で常時60/60FPS&50/50FPS。
    並のゲームであれば常駐させたままでも問題なく遊べる。



どんな人を対象としているのか。

・パソコンで作業と娯楽を共に行い、それぞれの割り振りで悩んでいる方。
・パソコンの前にいる時間を管理しそこねる事の多い方。夜更かし等。
・食事を取ったどうかわからなくなる位に食が細く、頭も弱い方。


アンインストール方法
  レジストリはいじっていません。
  フォルダごと削除してください。

対応OS
  ME、XP、2000(未確認)
  他は不明

免責。
  バグ等。
  sinseihikikomori.on.pc1.jp/ReMitei_0_003.zip
  
既知のバグ
 ・アプリ線(中段)が消失する。(直したけど多分直っていない)
 ・毛髪と頭皮と耳が痛い。少しマシになってきた。
 ・スクロール時に日付とデータがシンクロしない事がある。ずれる。

予定。
  スクリーンショットの為のデータでっちあげ。
  既知のバグをなんとかする。
  readme、thxlist。せめてthxforだけでも書く。
  フォーカス変更やTABでの移動が微妙で使い勝手が悪いので改良。
  下段(予定欄)をただのメモ以外に使えるように。
  ご意見要望等頂ければ気がつき次第なるたけ優先で。


コメントに対するコメントとか。



過剰な期待の方の過剰なコメントも面白さ原理主義者の方のおもしろコメントも大歓迎であり、真に感謝しているわけで、ほんま笑う以外の対応が思い浮かばず癒されているのですが、とりあえずコメントに対するコメントを1つ。


それが家出であるという些細ではない情報を隠蔽した。
母親が『行方不明になる直前「家出したい」と友達に言っていたらしい」とブログに書いていたのに?
 当該記事が削除されたからって、この断定っぷりはまずい。



その行は相当にどうでもいい行なので、どうでもいいいです。
まあ、逆に言うとどうでもいいからこそ相当に重要なのかもしれませんのでコメント。



それを隠蔽していないと捉えるか隠蔽していないと捉えるかは人それぞれです。
とりあえず該当サイトのログを読めるなら読んだ上で、当ブログのタイトルと該当サイトのタイトルを比較し、ニュースウェブサイトがどのような文章でそれを取り上げたのかという事を調べ、トラックバック元を10か20か30くらい読んで尚、些細ではない情報を隠蔽していないと考えられるならば隠蔽していのでしょうし、まずいと思われるのならまずいのでしょう。
という事で。


理想の輪郭



ブログとは、ブログとは、ブログとは。
といった事をさもありなんに語る人々がいる。

けれども、そうではないと思う。
剣を打ち倒す筆を打ち倒す曇りの無い真理の光の剣などでは無い。
これは、悪魔の道具である。


ブログによって、誰もが簡単に嘘の輪郭を作り上げる事が可能となった。
これは、インターネットを覆う理想の闇である。


ブログ以前、インターネットで嘘の輪郭を作り上げるのは困難であった。
無料、あるいは有料のウェブスペースを借り、HTMLのキーボードを一文字一文字毎晩叩き、色と枠組みを作り上げてはその中に文章を流し込み続けるという作業は、誰もが気軽に行えるものなどではなく、べらぼうな労力を必要とした。
しかも、その作業の苦労を経ても尚、モニタの前の生活感がHTMLを通して浮かび上がってしまい、術者の生身の体が見えた。


けれども、そういう時代は終わった。
ブログによって誰もが簡単に門構えを築く事が出来るようになってしまった。

「ありふれた」
「そのままの」
といった体裁の、所謂センスを欠いたウェブサイトを公開する事は自分を美しく見せたいと望む人間にとっては精神的に辛いものであったし、それらを見る目も冷たかった。

だけど、ブログは違う。
はてなやライブドアのテンプレートをそのままに使っていてもそれは大した減点要素にはならず、むしろ読みやすいと評価されたり、RSSと褒められてしまう事すらある。
そして、眼鏡や眼鏡にトラックバックを飛ばせば開設初日で100hitであり、更新する度にトップページからのアクセスが入り、検索との親和性も高い。
他ブログへのリンクを貼るだけで、グーグルアドセンスを貼るだけで、アマゾンアソシエイトを貼るだけで、好き放題の姿が作れる。

2ヶ月掛かっても成し遂げられなかった事が、2時間で成し遂げられるようになった。
これを光であると捉えるか、闇であると捉えるかは人それぞれであろう。

なりたい自分の輪郭を簡単に描けるようになった事は、ある人々には福音である。
なりたい自分の輪郭を描きたかった人々にとっては、素晴らしい変化なんだろうと思う。


インターネットとは真実、あるいは嘘を伝える道具である。
ブログも同様に真実、あるいは嘘を伝える道具である。
社長が、副社長が、デブが、禿げが、弁護士が、市民が市議が国民が、あるいは真性引き篭もりがテンプレートに従って、単純な嘘を簡単につく事を可能とした悪魔の道具だ。

なりたい自分の輪郭を描く敷居が下がった事を、光であると捉えるなら、ブログは彼らの言う通り、光であるのだと思う。

けれども、その素晴らしいなりたい自分の輪郭がモニタの前の本当の自分の実体から日に日に乖離しかけ離れ、嘘と嘘との反響音で誰かを傷つけ続けたり、欺いたりというのは、光であるとは思えない。
闇で、悪魔で、まっぴらごめんだ。









随分と昔、あるいは随分と昔に思えるくらい前、何度か家出をした事がある。
最初のは、担任の教師が授業を2時間潰したのが嫌になり、いつもよりもだいぶ遠くの本屋へ立ち読みしに行き、暗くなる前に帰宅した。些細なものだ。

少なくとも、僕にとって逃げ出したいという感情は些細なものであった。
僕を繋ぎ止めていたものは、ゲームであった。
それは途轍もなく強く確かな鎖であったし、身を預けるに値する拠り所であり、発売予定の揚々たる前途であった。
それらに縋って10年先を耐え忍び、大人というものになれば剣と竜とに頼らなくても生きてゆけるくらいの強さ確かさ揺ぎ無さというものが手に入ると信じていたし、その予定であった。
だから僕は暗くなる前に家出を打ち切り帰宅したし、逃げる事無く留まり続けた。
少なくとも、しばらくの間は。


普通の人間の普通の日常は、消えてしまいたいとは考えぬのが常である。
少し普通ではなかった僕を普通の日常の普通の感情へと繋ぎ止めていたものはドラゴンクエストでありブレスオブファイアであった。順調であった。加速が不足していた。速度が足りなかった。take offし損ねた。

この投稿自体も同様に少し、やり損ねた。
ブログという悪魔の道具の手を借りて、強引に戻そう。
ドラゴンクエストとトラックバックを比較する事は出来ないし、ブログとブレスオブファイアを比較する事も出来ない。少なくとも今僕が確信を持って言える事は、それがゲームという道具であった僕は幸せであった。真に幸運だったと思う。










悪魔の道具で1つの嘘が広まった。
「些細な情報でもよいので」と。

彼女は、最も重要な点をブログの力で隠し通した。
それが家出であるという些細ではない情報を隠蔽した。


あのようなものをブログでトラックバックでウェブサイトでVOTEして広める人間の無神経さが理解出来なかったし、あれを読んで家出であると理解出来ず、広めるべきだと考え広めた人間は何もかもが足りないと思う。
その人間性と繊細さの欠如がまったくもって、である。むしろ悲しい。



これは彼らにとっては疑う余地の無いハッピーエンドなのだろう。
いなくなった少女を少女の為に探す無垢にして善良な母親。
いなくなった少女を探す為に立ち上がりトラックバックする善良なブロガー。
そして見つかった少女。
1000のブログ、1000のブロガー、1000のトラックバックへのハッピーエンド。
ブログ史に刻まれた金字塔。
Deleteで消えた嘘。
消えない痕跡。
ブロガーの勝利。
敗者のいない理想の世界。


2005年3月27日日曜日

DOTA allstarsのプレイングとかを立ち去ったnoobが説いてみる。



DOTA allsatars熱からは覚めたのだけれど、DOTA allsatarsはDOTA allsatarsであり、やはり偉大であった。僕はDOTA allstarであったし、これから先も永遠にDOTA allsatarであり続けるのだろう。
離れてしまってもDOTA allsatrsは繋がっている。



・最も大事ななのは死なないようにする事。

死ぬと金を失い、敵に金と経験地を与え、復活までの間は金も経験値も稼げない。
よって、最初の10~15分間は絶対に死んではいけない。殺せそうな敵にtryをかける場合は敵全員の配置とマナ残量を確かめ、慎重に殺せるのかどうかを計算して見極める事。



・死なない為のミクロ。
敵ヒーローを攻撃すると、雑魚クリープのターゲットが自分に向いてしまう。
しかし、敵ヒーローへの攻撃指定を解除すると、雑魚クリープの自分へのターゲットは一度解除される。

自分がレンジヒーローを選択時であれば、レンジ雑魚クリープを始末する→敵ヒーローに攻撃指定→攻撃モーションが発動と同時に後方の安全地帯の地面をクリック、という手順を踏む事により、ノーダメージで敵ヒーローに1撃を加えられる。

また、これを利用して、自分がLionのような協力なNuke持ちヒーローであれば、敵の雑魚の後方に回り込み、位置取りを調整しながら攻撃を行わずに敵ヒーローをけん制し続ければ、相手の金稼ぎと経験値稼ぎを完全に遮断する事も出来る。


レンジvsレンジの場合は、約1200の間合いで敵と向かい合う事になる。
1200の間合いで敵ヒーローに一打を加えたい時に敵ヒーローを直接攻撃指定してしまうと、前述の通り雑魚のターゲットが自分に向いてしまい、消耗を余儀なくされる。
射程600の範囲まで移動指定で歩いてゆき、射程内に捉えた瞬間に攻撃指定を行い、攻撃モーションが発動した瞬間に一歩引いて相手の動きを確認し、再びへ備えるとよい。



・序盤~中盤では、敵の雑魚にダメージを与えるという事はマイナス要素である。
自陣タワー側で戦っていれば、川を通ってのバックアタックを受ける危険性は無いし、ちょっとしたミスで敵のタワーに攻撃される可能性もない。
逆に自陣タワー側で戦う事により、川を通ってのバックアタック支援と、操作ミスをしたり、少し欲張りすぎた敵ヒーローへのタワーダメージが期待出来る。
敵の雑魚クリープを攻撃するのは、止めをさす時だけでよい。それ以外の時間は、位置取りを調節して敵をけん制するか、味方クリープを攻撃し続ける。

ただし、自陣側で戦っていると業を煮やした敵が川を通って他ラインへTryをかける事があるので、敵が川へ行ったと思ったらしっかり味方に伝える事。
運が悪いと「お前のせいで死んだ」みたいな空気になるので注意。



・死なない為の臆病さ
ミニマップで敵が5人確認出来ない時は全員自分を目掛けてTryをかけに来ているものと考えて慎重に警戒し、可能であれば段差等を利用してワナにかけ返り討ちにしてしまうとよい。敵のTryの気配を発見した時は、味方に伝えてあげる事。
無理な相手が近くにいるのなら、あるいは無理な相手の居場所がミニマップ上で確認できないのなら、きちんと逃げる。戦ってはいけない相手と戦うのは絶対に避けて欲しい。
特に、ドロウレンジャーやヴェンジフルスピリット、リッチやホーリーナイト等の、射程内に入る=確定500dmg、あるいは死、といった危険なヒーローが相手の場合は、味方の確実な支援を受けられる状況ではない限りは慎重に、臆病に。



・なにをするのか。
ランダムであれ、ピックであれ、自分と味方と敵の関係を最初の一波までにしっかり把握しておき、誰に対して有利なのか、誰に対して不利なのかをしっかり確認する。シージをするのかkillをするのかサポートをするのか守備をするのか等の主目的、役割を決め、しっかりと意識しておく事。

また、Lv6までに誰が上手いのか、誰が下手なのかを敵味方共に確認しておきたい。
無理な戦いを強いられている下手な人がいたら、その人がLEAVER化しないようにレーンチェンジをしてあげるか、下手な味方を狩って利を得ている人を殺す、あるいはけん制する事により、LvアドバンテージとHeroKillアドバンテージによる暴走ヒーロー化を早い段階で抑制しておく事が重要。

その上で、自分が何をするのかを判断する事。
アンチIntHeroとアンチAgiHeroでは求められるアイテムビルド、スキルビルドは全然違うし、RangeとMeleeも同様に違う。敵の最も上手そうな、最も危険なヒーローに対抗できるような装備を揃えたい。

ステルスアッサシンやファントムアッサシン、スケルトンキングやバウンティハンター、あるいはメデューサやムーンライダーが攻撃力を上げてきた場合、こちらが攻撃力に特化しても確実に打ち負ける。
相手と味方のアイテムビルドを確認した上で、攻撃力に行くのか、HP&manaに行くのか、dagonやcycloneを取りに行くのか等を臨機応変に選択する事。


・いつやるのか。
Lv5~Lv11までの間は、1レベル毎に大きく力関係が変化する。
最も有利になるタイミングを見極め、やれる時にmanaを使って暴れるとよい。

バックアタックTryや川Tryをする時は、適当な意識で無闇やたらと行うのではなく、殺せる時間に殺せるスキルが揃い、殺せるパターンが見えた時にTryする事。
Lv10以下での死亡に伴うリスクは非常に大きく、返り討ちにされてしまっては元も子もないので慎重に。


・チームメイトに対する心構え
味方のnoobを育ててproにする。
味方の潜在的LEAVERをleaveさせない。


ただでさえウォークラフト3自体が過疎化している中で、貴重なDOTAallstar候補を立ち去らせないように出来るだけ注意する。DOTA allsatarsは俺が育てるんだ!くらいの心意気で。愛を持って臨む事。



外人を説得する時は、お願いする系はほとんど効果が無い。
おだてる、利を解く、俺が犠牲になるから君は幸せになってね宣言をするの3点が多分効果的。NGワードは、死ぬな、下がれ、(お前がその調子だとお前のせいで)負ける(noob認定)の3点。

どーしても下がらせたいんだけれど下がってくれない時は、「あいつをぶっ殺そうぜ!!」と、別レーンへいっしょに突っ込むのがよい。物凄く殺したい人は物凄く突進する傾向にあるので、最も楽な場所へ突進するように誘導してあげると比較的なんとかなる事が多い。
そういう人は敵にバレバレな動き方で悠然とレーンを移動する為、包囲されてドロドロになる事も多々あるのだが・・・


・心構え。
死んでもめげない、投げない、ぐれない。
とにかく楽しむ、楽しんでもらえるようにする、嘘でもいいから楽しいを演じる。
ゲームはゲーム。怒らない。
罵詈雑言は出来る限り抑える。
noob返しとかlol返しとかも禁止。
LEAVER化されて糞ゲーム化されたら全部おじゃん。


・アイテムビルド
ノーマルブーツは全ヒーロー必須。
ブーツスタートではない場合、最初の帰還で買うように。
物凄い靴かBoTのどちらかを出来るだけ取る。
物凄い靴(名前忘れた)の費用対効果は物凄い。




・敵を殺すのか、敵の時間を殺すのか。

殺すのは不可能な敵であっても、時間を殺すくらいなら可能である場合が多い。



例えば、10分で3killして当たり前といった感じのヒーローを10分間抑えたら、それは殺した際の金&経験値アドバンテージ以上のものを得られる。

ステルスアッサシン、バウンティハンター、リオン、リナ、リッチ、メイデン、ドロウレンジャー、ボーンアーチャー、サンドキング等。

特に、彼らが2人でチームを組んできた場合は、その間死ななければ2倍、3人ならば3倍、4人なら4倍のアドバンテージを得られる。

ヴェンジフルスピリット+スケルトンキング+ローグナイトの3boltなども同様に、逃げ続ければそれだけで5kill以上に相当するだけの利を得ている事になる。


なんか大した事を書けていなくて申し訳ないのですがglhf


2005年3月26日土曜日

真性引き篭もり日記



真性引き篭もりと銘打ちながら、真性引き篭もりについて一切書かないで来た。
何故ならば真性引き篭もりというもは退屈なものであり、ブログに書くに値しないと感じていたし、真性引き篭もりというものに興味のある読者など存在しないと考えていたからである。


しかし、どこかで「まったく違う世界で生きている人の生活を垣間見れるのがブログ巡りの魅力」などと、僕が好きではないタイプの日常を垣間見せる系ブログをブログの肝だ、魅力だと絶賛しているのを目にしたのをきっかけとして、真性引き篭もりの一日というものをブログに書いてみる事に決定し、書いてみた。



---


朝から目覚める不運。
いきなり吐き気、10秒して酷い頭痛。

吐き気で横になっていられないので仕方が無しに体を起こし、コップの水を飲む。
けど、ちょっと飲みすぎた。飲み干しちゃった。
頭痛薬を飲む為の水が無くなってしまった事に気がつき落ち込む。
ドントウォーリー。くよくよしてちゃ駄目。人生はアタックだ。攻撃あるのみ。

パソコンの電源を入れ、ぬるぽ堂でダンジョンクロウルをダウンロードしてもはや日課だとなってしまった自動拾い書きからビットマップ書き。ドット絵師に申し訳が立たないくらいのぐちゃぐちゃで塗りつぶしてプレイ。3度目くらいで宝物庫にたどり着くも、オカワルがくれたぬるぬるしたスピアを何気なしに装備したら
「☆呪われたスピア(0, -4)」
呪われて手から離れない。解呪の巻物が無い。
電撃のブロードアクスに持ち替えられない。スピアじゃ敵を殺せない。
必死で解呪の巻物を探すも、スライムと忌まわしきものに囲まれて死。物凄くやる気をなくすも、ゲーム以外のものが出来ないくらいに頭痛が酷いので仕方が無しに再プレイ。
10度くらいやり直してやっとこさ宝物庫にたどり着くも、2Fでオカワルがくれたバトルアクスが歪曲でアビスへ。悪魔に追われて即死。
やる気が無くなる。

人の気配が消えたので、部屋を出て水と食料の確保。サバイバルだ。
My器を洗ってからご飯をよそいゴマを振り掛ける。乾燥ワカメを手でもみほぐしながらご飯にまぶして塩を一つまみ。カツオブシを1パックポケットに入れ、コップに水を汲んで帰還。
お手洗いに行くのを忘れていた事に気がつき、慌ててお手洗い。
とりあえず一安心し、ご飯の入った器を引き出しに入れてブログ巡回。
どこもかしこも更新されていないのに落ち込み、ダンジョンクロウル。

一度も宝物庫にたどり着けないまま頭痛が酷くなり、モニタの電源を落として机にうっぷし、そのまま寝入ってしまう。




椅子にロープで縛りつけられ、腹を足の裏で蹴られ続ける理不尽。何故か射精。
当然夢。


目覚めるとそこはガラスで作られた縦長の箱。
閉じ込められている。股痒い。見上げると青空。
ガラスの向こう側では民衆が蜂起しており、よくわからないが罵られている。
民衆の一人が斧を手にガラスを割り入り、斧で頭を真っ二つにされ起床。

古ぼけたモニタと汚れたキーボード。夢の中で見た夢の中で蹴られて夢精。
どうやら、夢精のあり方も日々変わってきているようだ。
これが新しい時代の変化というものだろう。このような出来事を書くと性欲の権化のように勘違いされてしまうかもしれないが、最後にオナニーをした日がいつだったのかも覚えていないくらいに消耗している。性欲以前に体力が無くてどうこう出来ないし、エロ画像を見る、あるいはエロサイトを見るという行為が真性引き篭もりにとっては耐え難い苦痛であり、今となっては不可能。とりあえず漠然とよろしくやりたい。

モニタの電源を入れて即ダンジョンクロウルしようとしたのだけれど、左の目蓋が上がらない。あまりの体力の無さに落ち込む。右の目蓋も痙攣している。もう駄目かもしれない。室伏広治になりたい。由佳とよろしくやりたい。駄目だな、これは。

とりあえずクロウル。
宝物庫に辿り着き、オーブの守護者に化けた変異能力者にHP1まで減らされながらも右半分の制圧に成功。48分Lv21。分断の処刑人の斧も手に入り、起き掛けのプレイにしては相当な好記録。
次の瞬間、ブラックドラゴン2匹にブレスを連発されて死亡。

とりあえずクロウル。
装備した光るリングメイルが「☆呪われたリングメイル(-3)」で死亡。
この高速ショートカットプレイだと、解呪の巻物と鑑定の巻物が絶対的に不足する。治癒の薬も足りないので、広い場所で蜂にまとわれて毒死したりと厳しい。
なんとかならないものか。
プレイングが甘すぎるな。


やっとこさ頭痛が治まってきたのでブログ巡回。
どこも更新されておらず落ち込み、懸案であったメール処理を開始。
1時間ほどああでもない、こうでもないと云々唸った挙句に4行メール1通送信。
どうなってんだ。こんなもの20秒で書けるだろう。1時間返せ。ちきしょう。どんだけ仕事の出来ないメール術を地で行ってるんだ。真性引き篭もりというものの無能さを思い知らされ、落ち込みクロウル。

宝物庫に辿り着ける気配がしない。
やる気が無くなりゴミ箱に放り込み、ゴミ箱を空にしてアンインストール成功。
もう一生やらない。
よし。

人の気配が無い事に気がつき、風呂場へ。
シャワーを浴びようと思ったのだけれど、まだ頭痛が酷かったので下半身だけ。
肌という肌から水分が消え、ガサガサを超えてゴワゴワ。
うるおいが欲しい。


3つほどブログに書こうと思っていた事があったのだけれど、頭痛の中で書くのは無理だと判断し、真性引き篭もり日記なるものを投稿。酷く落ち込み至る今。
引き出しのワカメご飯を少し食べて一息。
頭痛が和らいで気分がよくなったので、ダンジョンクロウルのダウンロード。
まだなにもかも始まったばかりだ!
頑張らないと、ね。。。


2005年3月25日金曜日

誰も知らない誰かの時代



気配はしていたのだけれど水が手元に無かったので頭痛薬を飲まずにいると、怒涛の如く寄ってきた。とりあえず目蓋の裏側へ人差し指と中指を上向けに突っ込んで、脳みそをツンツンしながら額をぐりぐり揉んでいると少し収まり一安心していたのだけれど、5分後には吐き気の中で立っていた。

椅子に座ると吐きそうで、横になると死にそうで、かといって立っていると倒れそう。
本当にどうしようもなくなったので、やむを得ずゲームをしていた。

罠スキルを上げ様とクロスボウの矢を解除していると解除に失敗してHP140を0.5秒で失い、殺伐の指輪(0,8)を拾ったLv18の丘オークの戦士をロストしたり、宝物庫の5Fで未鑑定の薬を飲んだら、「知力0(4) 馬鹿になって死んだ」とか表示されて思わず反射的にアンインストールしてしまったりしていると、頭痛で手の甲が震えだしたのでゲームすら出来ないコンディションに陥ってしまった。



仕方が無いから、適当なウェブサイトを見て頭痛が去るのを待つ事にし、どうでもいいような普段見ないサイトとかを片っ端から記憶の限り見て回っていると、DOTAのグッドプレイヤーリストというものにたどり着いてしまった。

http://www.goodlist.nl/


僕自身はDOTAに何の思い入れも無いつもりだったのだけれど、どうしてか、頭痛を忘れるくらいの衝撃を受けた。


僕と彼らの間には人と人としてのコミニケーションなどはまったくなかったし、どのようなエピソードも記憶に無いし、何の思い出もない。彼らが何を言ったかも覚えていないし、どのような人物だったのかも記憶に無い。


けれども確かにあの日僕はそこにいたし、他の誰かも同じ画面を見つめていた。
人間と人間とが通じ合うためのネットゲームは大嫌いである。
僕がネットゲームに求めるものは、AIよりもコンピューターよりも複雑で多様な思考をする敵である。
おそらく、彼らがDOTAの野試合に求めたものも同ものだろう。
殺伐とした殺し合いだろう。


けれども幸か不幸か彼らも僕も人間で、同じ時間、同じ時代というものを共有してしまった。赤いスイトピーやホテルカルフォルニアがTVで流れるのを耳にした時に誰かが感じるような時代への郷愁をGOODLISTに見てしまった。
他人と時代を共有した事がなく、戻りたい時間、懐かしい時代というものを持たない僕にとって、あの時代はスイトピーよりも赤い日々であり、DOTAにnoobと罵られた日が僕に魂が生まれた日であったかのように思える。



DOTAには一日に5時間も10時間もプレイしている人間が数人おり、
「この人達は大丈夫なんだろうか・・・」という書ききれぬ不安を浴びせながら、僕は彼らと夜から夜まで殺し合い続けた。

あの人達は今でもDOTAを続けているのだろうか。
それとも、世界のどこかでくだらないブログを書いたりしてるんだろうか。
彼らに興味は無いのだけれど、同じ画面を見ていた人間として気になる。

手元にWarCraftがあったならば今すぐにでも確認しに行きたいのだけれど、WarCraftはもう無いし、僕がDOTAに戻れる日はおそらくもう二度と来ないのだろうと思う。



今も尚DOTAはそこにあるにも関わらず、僕は一人隔離されてしまった。
NOOBNOOBと連呼され半泣きで泣いていたあの日は不可逆。
一人が一人を経て一人になっただけの事。

なにもかもが理解できない。
頑張ろうと思った。
思っただけ。


DOTAについてちょっとだけ書いてみた。



かいせつ。

DOTAとは、ウォークラフト3を利用したユーザー製作マップ
DOTA allstarasとは、ウォークラフト3拡張版を利用したユーザー製作マップ
作者は別人で、DOTA allsatarsはDOTAに強い影響を受けている。



多分、世界で一番DOTAに無駄な努力を費やしたのは僕だと思う。
全ヒーローのLv1~Lv10までのステータスをメモしたし、全アイテムの10Goold辺りの効果を調べ、アイテムスロット1つの値段はいくらなのかと延々計算し続けたりした。

アイテムスロットが1つ空いている状態で1分間過ごすと何ゴールドの損失になるだとか、裏Shopへものを買いに行くといくらの損失になるとか、CC中にSAに1回殴られるといくらとか、そういう無駄な計算ばっかり延々していた。

動機は単純である。
noobnoobと罵られ続けて事実どれだけリプレイを見てプレイしてもnoobの領域をなかなか抜け出せなかったからであり物凄いnoob的復讐心からである。結局、それなりに強くなった所であまり遊ばなくなった。


遊ばなくなった理由も単純で、
・取るヒーローがいなくなった。
というものであり、一言で言うとやりすぎたのである。時代は拡張版になってしまっていたし。



DOTAとDOTA allstarsを比較した時、明らかに優れているのはDOTAなんだけれど、その完成度の高さ故に100ゲーム単位で遊んでいるとワンパターンに見えてしまい、「これならノーマルゲームの方が完成度も高いし短時間で遊べるからいいじゃん」という感じになり、快楽を見出せなくなってしまった。


その点DOTA allstarasはなにからなにまで滅茶苦茶であるからして、ノーマルゲームとはまったく別次元のゲームとして完成されており、とても良かった。
ノーマルゲームやDOTAでは、10kill/10deadとかありえないから。

結局の所何が言いたかったかというと、別に何も無い。
1, omni
2, cota
3, tank
4, PitLoad
5, Titan
くらい。


とりあえず1つだけ言える事は、ゲーマーとしての実力は格が違うんだろうけれど、そのアイテムビルドはオレ理論ではnoob。プロゲーマーがbootsを必死で買う理由とかbootsがnelfされた理由とかアイテムスロット1つ辺りの値段とか考えるべし。基本的にアイテムスロットを余らせるアイテムビルドnewbeeは必ず存在するので、スロットの空きが無くなった時点で彼らと共有する事を考えて、アイテムスロットは7つあるつもり、7つ使い切るつもりで行くべき。で、あと、かなりご一緒させていただいたと思う。プレイ自体はまったく記憶にないので、強かったか弱かったかとかは覚えていないのでおそrノーコメントで。
日本人で勝てないと思い、事実勝ち目が無かったのは三名。
今でも相当に根に持ってる。
いつの日か殺ってやる。


頑張ろうと思いました。



思っただけ。


2005年3月23日水曜日

ブログの力、ブロガーの責任。



馬鹿なブログからまぬけなトラックバックが来ると誰もが、
「馬鹿なブログからまぬけなトラックバックが来た」と思う。
信用するに値しないとすぐに理解出来る。
ああ駄目だ、こいつは糞だ、ファックオフ、と。




誰だって、バトルミュージックを掻き鳴らしながら腐った死体がさつまいもを揚げつつ突っ込んで来るのを目にしたら疑いを抱き、警戒レベルを引き上げて意義を唱える。
それは当然の反応である。
相手は馬鹿なブログであり、まぬけなトラックバックであるからだ。



しかし、馬鹿面下げた引き篭もりが突っ込んでくる事など、滅多と無い。
「貴方の味方です」と近寄ったり、「私は敵ではありません」とインターネットに鎮座する。それらのブログにも、一定の警戒を行って読み解く沈着冷静さというものを常に用意しておいた方がよい。



ブログサーフィンの中で目に留まり、1エントリーを書くだけの文章、書くだけの動機、書くだけの気力が蓄積された段階で即投稿を行うのではなく、馬鹿なブログのまぬけなトラックバックを目にした時と同じ手続きを踏み、冷静に判断し、一通りの情報を集めてから責任を持った投稿を行うべきである。




最も重要なのは、ブログの読者はリンク先を読まないという事実である。
世にあるブログの1つ1つが、最終ソースとなってしまうのである。

彼らが求めているのは、貴方自身のブログであり、あなた自身の文章である。
その信頼を裏切らないだけの誠実さ、確実さのある投稿を行うべきである。
if、if、if、マンガもドラマもインターネットも、と煽り立てるのはご自由だが、実体のない場所を、妄想でifでちゃらかし文で投稿するというのは、愚の骨頂である。



また、ブログの読者というものはブロガーを信用している。

ブログ読者のブロガーへの眼差しはただならぬ親近感を持ったものであり、一度「このブログはOK」と認定されたブログに書かれた文章を信用し受け入れる。
一日5hitであれ、1日10万hitであれ「OK」と認定されたブログの投稿は、絶対的な情報として受け取られてしまう事が少なからずあるのである。


それとは正反対に、「このブログは駄目」と認定されたブログに書かれた文章は全て否定されるという傾向も見られる。一度敵国認定されたブログは以後どのような投稿を行おうと敵国認定は解除されず、OK認定者と敵国認定者の間でまったく噛み合わぬ紛争が続いたりする。


これは少しおかしいと思う。
ブックマークの「お気に入り」フォルダの筆頭に入れたサイトも、ブックマークの「ネットウォッチ」フォルダの筆頭に入れられたサイトも、とりあえずは一定の基準で読まれる事が望ましいと思う。


自分にとって都合のいい文章を見つけたからといって喜び勇んで馬鹿な投稿を自身のブログにまんま引用するなどという愚かな行為を行うのではなく、しっかりと疑いしっかりと審査し、居座って長講釈を垂れた挙句にライブドアパブリッシングするくらいの厚顔無恥さが欲しい。



ブロガーには、投稿前にその文章をチェックする上司も編集長も存在しない。
誰もが等しく、デマ、でたらめ、事実誤認といった馬鹿げた投稿を行ってしまう危険性がある。それを初見で敵国認定したり、OK認定したブログであるからと「大筋は正しい」といった信者と化すのではなく、常に紀律ある態度で臨むべきである。





ブログとは一言で言うと力である。
ウェブ上におけるパワーである。

読者の一部、というよりも多くは一度OK認定してお気に入りに放り込んだブログに親近感を抱き信頼して読むし、そこからリンクされたウェブサイトは正しい情報なんだろうという先入観を持って読む。

全てのブロガーは彼ら読者への影響力をしっかりと認識し、責任を持った情報の選り好み、リンク先の選択、事実に基づく投稿というものを行うべきである。




馬鹿なブログを書くべきではないし、まぬけな投稿を行うべきではない。
馬鹿なブログでまぬけな投稿を行えば「馬鹿なブログのまぬけな投稿」と認識される。
しかし、ブログ上に多く存在する誤りを抱えた文章は「馬鹿なブログのまぬけな投稿」とは認識されず、信頼を置くブロガーがいつもよりも気合を入れて何か書いているんだからよくわからないけど正しいんだろうな、と認識されてしまうのである。


ブログの読者はリンクを辿ったとしてもせいぜい2クリックや3クリックであるし、調べて回るのは一部のネットサーファーか、ヘビーなブロガーか暇人のみである。
デマはデマと気がつかれずにめぐり続けるし、誤りを含んだ文章はその誤りを指摘されないまま、あるいは指摘されても無視隠蔽されたままでブログ上を駆け巡り続ける。
それを目にしたブロガーが情報の中継手となってブログに書き、止まる事なき無限のトラックバック連鎖となってウェブ上を周回し続けるブログ的絶望の果てに検索エンジンが指し示すのは、正しいブログの正しい投稿ではなく、広まったブログの広まった投稿である。


マスメディアの伝えられない情報を広められるのがブロガーのパワーである。
同時に、マスメディアが今ネット上で受けているような批判を受ける事なく、誤りを抱えた文章がウェブ上でトラックバックされ続けてしまうという致命的な弱点を持ち合わせている。リンクを辿らない多くの一般的な読者は4面に記載されたお詫びと訂正を目にする事無く、一度目にした文章を信じたままで通り過ぎていってしまうのだ。

彼らブログ読者にとってOK認定したあなた方一人一人のブログの文章というものは、新聞やニュース番組よりも大きな存在であるのだ。
広めたい事柄があるのならば、熟考の上で書き広めるべきである。







人権擁護法案を巡るウェブ上での動きについて少し感じた事を書いておく。


ブロガーは投票権を持っている。
トラックバックというVOTEである。

そして、そのVOTEは利用されている。
例えばマーケティング戦略にブログを利用するというものがある。また、SEO対策にブログを利用するというのもある。ありとあらゆるアフィリエイトに利用されるのもブログであるし、マルチ商法の勧誘やカルトの信者の獲得にもブログは使われている。



こと、明らかにおかしな法案があまり報道されない中で審議されているという事実は、ブロガーのVOTEが力を発揮できる最高の機会である。
外国でブログによって起こったような事象が我が国でも起こるかもしれないし、起こりつつあるのかもしれない。


しかし、その中心、あるいは検索エンジンで検索された時に上位に表示されるページが、中国人、朝鮮人、在日外国人を人間以下の生き物であると公言する人物のものであったり、韓国という国をでっちあげにより批判した人間のものであったり、少年誌のキャラクターを無断で利用して誤りを含む宣伝行為を行っていたと世間一般に知られ認識され、問題となった場合、ブログが信頼を取り戻す、あるいはブログが信頼を得る日は遥か彼方に遠のいてしまう危険性がある。「ブログ(笑)」「BLOG lol」となってからではもう遅い。


ウェブ上には、検索エンジンの1ページ目に表示されるブログよりも遥かにつまらなく、遥かに退屈で、遥かに活字と誠意に満ち溢れたブログがいくつも存在する。
それらをいくらか読んでから、最も適当であると判断した所にトラックバックを撃つべきであるし、最も信用するに値すると判断したブログから文章を引くべきである。


トラックバックとは投票である。
ウェブ上に無数に存在するブログの中から、「これ」と選ぶ行為である。
しかし、僕がトラックバックを撃ったブロガー、あるいは僕の文章を読んでくださったブログ読者の多くは、人権擁護法案問題に立候補し文章を書いた候補ブロガーをほとんど知らないようである。
彼らは街頭で演説する事も無ければ、ブログランキングに顔を出す事もない。長い時間をかけてリンクをクリックし続け捜し求めて彷徨わなければ彼らの文章にたどり着く事は出来ないし、たどり着いたら辿りついたで1ブログあたり半時間が必要である。


全てを読むのは無理であっても、主要なつまらないブログを出来るだけ多くを読み、冷静に判断し秤にかけてからトラックバックというVOTEを行うべきだと思うし、主要候補の主張を読み冷静に読み比べてから投票を行うべきである。

ぶさいくな眼鏡とかもっとぶさいくな眼鏡にトラックバックを行うのとはわけが違う。このような問題に関するトラックバックはその一つ一つが力なのだ。

その力を利用しようと狙っている人たちに都合のいい時都合のいいように利用されるのではなく、疑い、考え、情報を集め、冷静に判断を下してから投稿を書き、VOTEという力の行使を行うべきである。






ウェブサーフィン中にたまたま目にしたブログのエントリーを、馬鹿な真性引き篭もりからのまぬけなトラックバックと同じ警戒レベルで読むのは大変疲れる作業だろう。
しかし正しさを求めるならば、それを行うべきであるし、行わねばならない。
その一票がウェブを変え、その1投稿を読者は信じて読むのだから。


面白くないサイトからトラックバックが来てムアつくいた。



ムカついた。
芸も脳もamp('A'kisaya 'M'adflag amp70ma'P'hackのこと)も足りないトラックバックが来ててマジムカついた。
FPSをプレイ出来ないFPSを愛するFPSゲーマーがFPSレビューを貪り漁る時の苛立ちと同じくらいに腹立たしい。

>再度冒頭の記事を読み直してて思ったのが、
>どうもこの作者の方が見てるサイトって、
>なんか面白くないサイトばっかなんじゃないのか?
人の数少ないウェブサーフィン先を馬鹿にするな。
切腹しろ、切腹しろ、切腹しろ、切腹しろ、もしくは腹を切れ。
見てるサイトは全てがありとあらゆる滅茶苦茶面白いに決まっているだろう。だいたいからして僕の巡回先というものは極めて狭い範囲でありそのほとんどが客バレしている中でそのような事を書かれて黙っておられるものではない。まったくもって無関係であるウェブサイトである人の見ているブログになんか何奴のつもりだ。まあまだPCゲーム道場とかバレてないから気分的に許せるけど。zacardとsweetの違いとかzeusとwizardの違いとかそういうのが解るサイトとか知らないくせに偉い口叩くな。


面白くないって言ってるおまえが一番面白くない。ブログでだらだらだらだらと悪口書くしか脳のないような馬鹿は今すぐブログなんかやめてメモライズに買収されて日記猿人してろ。才人なよ、才人なよ、いいか、絶対才人なよ。才人たらその時はもう承知しないからな。


人間嫌いさんへ。



今すぐお辞めになってはいかがでしょうか。


2005年3月22日火曜日

人権擁護法案問題を取り上げたサイトのオーナー様に10の質問



1、人権擁護法案反対をどこで知りましたか?
  また、人権擁護法案反対運動をどこで知りましたか?   
   ・テレビ
   ・新聞
   ・ブログ(該当URL、もしくはサイト名)
   ・フラッシュ(該当フラッシュ名、もしくはURL)
   ・知人、友人からのメール
   ・チェーンメール
   ・その他


2、以下のウェブサイトをお読みになった事はございますか?

   人権擁護法案に関するQ&A
    http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken83.html

   人権擁護法案要綱
    http://www.moj.go.jp/HOUAN/JINKENYOUGO/refer01.html

   人権擁護法(案)
    http://www.moj.go.jp/HOUAN/JINKENYOUGO/refer02.html



3、貴方は差別主義者ですか?(その理由もよろしければ)
   ・YES
   ・NO
   ・その他


4、差別の無い社会を望みますか?(その理由もよろしければ)
   ・YES
   ・NO
   ・その他


5、差別主義者を、どのように思いますか?何かご意見はございますか?
   


6、「人権擁護法案」で検索時、上位にに表示されているサイトの管理人である"てんこもり野郎"氏は「ニンニク臭い劣等民族」「男も女も子供もレイプするような民族」といった発言をしていますが、彼は差別主義者であると思われますか?(その理由もよろしければ)
   ・YES
   ・NO
   ・その他


7、人権擁護法案反対サイトやデスノートフラッシュでは、嘘、デマ、まったくのでたらめによる印象操作が行われている事はご存知ですか?また、デスノートフラッシュの文章は"てんこもり野郎"氏の投稿から引かれたものである事をご存知でしたか?
   ・YES
   ・NO
   ・その他



8、人権擁護法案反対を広めるという目的の為ならば、嘘のデータを基にしたデマや人種差別なども許されると考えますか?(その理由もよろしければ)
   ・YES
   ・NO
   ・その他




9、週間少年ジャンプ誌に連載中の大場つぐみ原作、小畑健絵の「デスノート(DEATH NOTE)」という漫画が、てんこもり野郎氏の発言を広める為に、インターネット上で無断で使用されている事についてどのように思われますか?(その理由もよろしければ)
   ・問題ない。
   ・問題がある。
   ・その他




10、人権擁護法案に賛成ですか?それとも反対ですか?
   ・賛成
   ・反対
   ・その他


元投稿置き場。



変更点
1、


デスノートフラッシュの文章を書いたのは"てんこもり野郎"氏である事をご存知でしたか?


デスノートフラッシュの文章は"てんこもり野郎"氏の投稿から引かれたものである事をご存知でしたか?




2、
選択肢を整備。



人権擁護法案問題を取り上げたサイトのオーナー様に10の質問


1、人権擁護法案反対をどこで知りましたか?
  また、人権擁護法案反対運動をどこで知りましたか?   
   ・テレビ
   ・新聞
   ・ブログ(該当URL、もしくはサイト名)
   ・フラッシュ(該当フラッシュ名、もしくはURL)
   ・知人、友人からのメール
   ・チェーンメール
   ・その他


2、以下のウェブサイトをお読みになった事はございますか?


   人権擁護法案に関するQ&A
    http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken83.html


   人権擁護法案要綱
    http://www.moj.go.jp/HOUAN/JINKENYOUGO/refer01.html


   人権擁護法(案)
    http://www.moj.go.jp/HOUAN/JINKENYOUGO/refer02.html


3、貴方は差別主義者ですか?(その理由もよろしければ)


4、差別の無い社会を望みますか?(その理由もよろしければ)


5、差別主義者を、どのように思いますか?何かご意見はございますか?


6、「人権擁護法案」で検索時、上位にに表示されているサイトの管理人である"てんこもり野郎"氏は「ニンニク臭い劣等民族」「男も女も子供もレイプするような民族」といった発言をしていますが、彼は差別主義者であると思われますか?(その理由もよろしければ)


7、人権擁護法案反対サイトやデスノートフラッシュでは、嘘、デマ、まったくのでたらめによる印象操作が行われている事はご存知ですか?また、デスノートフラッシュの文章を書いたのは"てんこもり野郎"氏である事をご存知でしたか?


8、人権擁護法案反対を広めるという目的の為ならば、嘘のデータを基にしたデマや人種差別なども許されると考えますか?(その理由もよろしければ)


9、週間少年ジャンプ誌に連載中の大場つぐみ原作、小畑健絵の「デスノート(DEATH NOTE)」という漫画が、てんこもり野郎氏の発言を広める為に、インターネット上で無断で使用されている事についてどのように思われますか?


10、人権擁護法案に賛成ですか?それとも反対ですか?


2005年3月21日月曜日

10質に答えてみた。



1、人権擁護法案反対をどこで知りましたか?
 ブログ。失念。

また、人権擁護法案反対運動をどこで知りましたか?   
 ブロックブログの新着一覧の無芸大食な日々経由。

2、以下のウェブサイトをお読みになった事はございますか?
 読みました。

3、貴方は差別主義者ですか?(その理由もよろしければ)
 NO。

4、差別の無い社会を望みますか?(その理由もよろしければ)
 YES。なるたけ。

5、差別主義者を、どのように思いますか?何かご意見はございますか?
 存在自体は理解出来るが、相容れられない。

6、「人権擁護法案」で検索時、上位にに表示されているサイトの管理人である"てんこもり野郎"氏は「ニンニク臭い劣等民族」「男も女も子供もレイプするような民族」といった発言をしていますが、彼は差別主義者であると思われますか?(その理由もよろしければ)
 YES。全て読んだ上で。

7、人権擁護法案反対サイトやデスノートフラッシュでは、嘘、デマ、まったくのでたらめによる印象操作が行われている事はご存知ですか?
 YES。

また、デスノートフラッシュの文章は"てんこもり野郎"氏の投稿から引かれたものである事をご存知でしたか?
 YES。

8、人権擁護法案反対を広めるという目的の為ならば、嘘のデータを基にしたデマや人種差別なども許されると考えますか?(その理由もよろしければ)
 NO。嘘は嘘。人種差別は人種差別。
 目的の為に正当化される事はあってはならない。

9、週間少年ジャンプ誌に連載中の大場つぐみ原作、小畑健絵の「デスノート(DEATH NOTE)」という漫画が、てんこもり野郎氏の発言を広める為に、インターネット上で無断で使用されている事についてどのように思われますか?(その理由もよろしければ)
 問題がある。
 同人活動と呼ばれるような動きについては黙認されていると
 認識しているのだけれど、これは同人活動とは呼べないと考えるから。

10、人権擁護法案に賛成ですか?それとも反対ですか?
 反対。この法案は、何の効果も上げられないと考えるから。
 また、新しい不透明な組織を作る法と、不透明な組織が権力を持つ事に反対。


愚者が賢者に至るまで



勝ちたい。
人が生きる上、即ち人生におけるありとあらゆるありとあらゆるを手にし、手にしたありとあらゆるに興味が無いふりをして眠り目覚めて蛇口を捻り、水道水をコップに注いで起き掛けの渇きを癒して少し微笑み、勝者の余韻に入り浸る勝利を手にしたいと思い、望んだ。




勝つには、即ち勝利するにはどうすればよいのか。
喜びと哀れみの板ばさみに泥だらけ、のた打ち回り転がって、象牙と鼈甲の散乱する地底の広間で盃を交え、敗北を噛み締めながら戦勝宣言を行うという愚かな道を辿らぬにはどうすればよいのか。
それがわからない。どうすれば勝利を手にする事が出来るのかが、漠然とわからない。どうすれば敗北を逃れられぬのか、想像もつかない。




勝者と敗者を分かつものは何だろう。
その境目にあるものは何なのだろう。

それさえ分かれば、勝利を遂げる足がかりになる。
それが分からぬから、足がかりにもならず非常に困る。
その正体はわからぬのだが、一段落へと辿りついた。




勝者は皆、賢い。
煙らず懸命で、勝機を勝機と認識し、投じる力を持っている。
賢い人間が常に勝利し幸せと人生における全てを手にするわけではないが、勝利し全てを手にするのは賢い人間に限られる。


つまり、勝利するには賢くなればよいのだ。
賢くなれば勝てるのだ。
誰よりも駆け足で誰よりも先に進み、加速度的に加速して、自分自身も追い付けぬほどに他の追随を許さずに、知という知ブログというブログ全知全能という全知全能の全てをその手にするまで止まらず成長し、誰よりも利口に、誰よりも理知に、誰よりも思慮深く、そして賢くなればよいのだ。

そうしたからといって、必ず勝てるとは限らない。
幸せな香りの赤い花びらのバラの漂う浴槽で3回りの歳の差を越えた異性と愛を語らえるとは限らない。そもそも、それが勝利と呼べるのかどうかも疑問である。
しかしながら、勝つのは常に賢い人間である。
賢くならねばならぬのだ。


愚者がどのような栄光名誉、賞賛と賛美を集め持て余し、人にあらずを極めても、その先にあるものは敗北である。
同じものを賢者が手にすると、それは勝利へのホップとなりステップとなり足がかりとなる。




そして希望に満ち溢れた事実がここにある。
愚者は簡単に賢者となれるし、賢者も簡単に愚者へと落ちる。
それを維持するのは大変であり、それを手にするのも簡単である。


学べば良いのだ。
努力を怠らねば良いのだ。
たったそれだけの事で、愚者は賢者に賢者は大賢者になれる。
フバーハもメラーミもありったけになる。




しかし、けれどもである。
日々の努力を怠らず、弛まぬ学びを行っているにも関わらず、愚者であり続ける愚者は存在する一方で、一瞬と僅かの間の少しの時間、一瞥の学びを続けるだけで賢者であり続ける賢者が存在する。



どうして同じ学びを行ったにも関わらず、愚者は大愚者になり、賢者は大賢者になるのか。それは、愚者の学びと賢者の学びが別物であるからである。

愚者の学びは経験の学びである。愚者は経験した事柄から思い考え努力をし、答えを導き出して成じ学んで大きくなるのである。
それに対し、賢者の学びは経験の学びである。賢者は経験した事柄から思い考え努力をし、答えを導き出して成じ学んで大きくなるのである。

決定的な違いであり、愚者と賢者を分かつ壁だ。
愚者は経験に学び、賢者は経験に学ぶのである。



素晴らしい世界だ。
人は皆平等である。
等しく学ぶ事が出来るし、平らに大きくなれる。
二度声を聞く事は出来ぬし、二度ベルを鳴らす事も出来ない。
一度きりの桜梅間、一度きりの晴れ姿、一度きりの18切符の向こうの先に、一度きりの学びが待つ。その声その書その時間、その朝その夜その老いだけが、その人を学ばせ大きくするのである。

人類がやがて進んで進み、先の先の向こう側の未来へ辿りついたとしても、USBのコードで二進を流し込んで学ぶ事など出来ないし、100円ラックにずらりと並んだCD-Rを飲み込み学ぶ事など出来ない。何人も、経験からしか学べないのだ。
目肩腰の五感の伝える脳からのみで、その外側の向こう側を流れる波からは学ぶ事など出来ないのである。


学ばない事は人生の浪費であり罪である。
同様に、時間の浪費は未来の自分自身への罪である。
立ち止まってはならぬし、緩慢な歩みでぶちスライムをぶってはならない。
経験を貯め、レベルアップし、新たなスキルをカスタマイズし、そのスキルで切り開いた道筋を行く経験を貯め、それを学びへと変換して大きくなり続ける事だけが、勝利へのたった一つの最も短い最短距離なのだ。土管もワープもBoTも無く、歩みから学び、学びで歩む、一秒一歩が唯一なのだ。




僕は今、勝利を手にしている。
これが勝利であると経験上知っている。何物にも変えがたい貴重な半生を送りその全てから僕は学んだ。僕は誰よりも賢く誰よりも知的で誰よりも賢明な誰よりもブロガーな誰よりもDOTAallsatarsだ。疑う余地の無いコングラチュレーションだ。

けれども、この地この場所この勝利に安住するつもりは無い。
賢者はすぐに愚者へと落ちる殺伐登頂の世の中では、油断も隙も許されぬのだ。

だから僕は学ぶ。
だから僕は経験する。
経験から学び、切り裂いて経験する。
僕に用意された時間人生その残りの続きを極彩色で彩って、その全てから僕は学んで成長する。そしてもっともっと大きくなって、世界の全てを手に入れる。
勝ちに勝利し勝利に勝つ。
一秒たりとも止まらぬし、一時たりとも努力する。
学んで大きく進化する。
もっと賢く、もっと賢く。
もっと愚かな、もっと愚かに。


愚者が賢者に至るまで



勝ちたい。
人が生きる上、即ち人生におけるありとあらゆるありとあらゆるを手にし、手にしたありとあらゆるに興味が無いふりをして眠り目覚めて蛇口を捻り、水道水をコップに注いで起き掛けの渇きを癒して少し微笑み、勝者の余韻に入り浸る勝利を手にしたいと思い、望んだ。




勝つには、即ち勝利するにはどうすればよいのか。
喜びと哀れみの板ばさみに泥だらけ、のた打ち回り転がって、象牙と鼈甲の散乱する地底の広間で盃を交え、敗北を噛み締めながら戦勝宣言を行うという愚かな道を辿らぬにはどうすればよいのか。
それがわからない。どうすれば勝利を手にする事が出来るのかが、漠然とわからない。どうすれば敗北を逃れられぬのか、想像もつかない。




勝者と敗者を分かつものは何だろう。
その境目にあるものは何なのだろう。

それさえ分かれば、勝利を遂げる足がかりになる。
それが分からぬから、足がかりにもならず非常に困る。
その正体はわからぬのだが、一段落へと辿りついた。




勝者は皆、賢い。
煙らず懸命で、勝機を勝機と認識し、投じる力を持っている。
賢い人間が常に勝利し幸せと人生における全てを手にするわけではないが、勝利し全てを手にするのは賢い人間に限られる。


つまり、勝利するには賢くなればよいのだ。
賢くなれば勝てるのだ。
誰よりも駆け足で誰よりも先に進み、加速度的に加速して、自分自身も追い付けぬほどに他の追随を許さずに、知という知ブログというブログ全知全能という全知全能の全てをその手にするまで止まらず成長し、誰よりも利口に、誰よりも理知に、誰よりも思慮深く、そして賢くなればよいのだ。

そうしたからといって、必ず勝てるとは限らない。
幸せな香りの赤い花びらのバラの漂う浴槽で3回りの歳の差を越えた異性と愛を語らえるとは限らない。そもそも、それが勝利と呼べるのかどうかも疑問である。
しかしながら、勝つのは常に賢い人間である。
賢くならねばならぬのだ。


愚者がどのような栄光名誉、賞賛と賛美を集め持て余し、人にあらずを極めても、その先にあるものは敗北である。
同じものを賢者が手にすると、それは勝利へのホップとなりステップとなり足がかりとなる。




そして希望に満ち溢れた事実がここにある。
愚者は簡単に賢者となれるし、賢者も簡単に愚者へと落ちる。
それを維持するのは大変であり、それを手にするのも簡単である。


学べば良いのだ。
努力を怠らねば良いのだ。
たったそれだけの事で、愚者は賢者に賢者は大賢者になれる。
フバーハもメラーミもありったけになる。




しかし、けれどもである。
日々の努力を怠らず、弛まぬ学びを行っているにも関わらず、愚者であり続ける愚者は存在する一方で、一瞬と僅かの間の少しの時間、一瞥の学びを続けるだけで賢者であり続ける賢者が存在する。



どうして同じ学びを行ったにも関わらず、愚者は大愚者になり、賢者は大賢者になるのか。それは、愚者の学びと賢者の学びが別物であるからである。

愚者の学びは経験の学びである。愚者は経験した事柄から思い考え努力をし、答えを導き出して成じ学んで大きくなるのである。
それに対し、賢者の学びは経験の学びである。賢者は経験した事柄から思い考え努力をし、答えを導き出して成じ学んで大きくなるのである。

決定的な違いであり、愚者と賢者を分かつ壁だ。
愚者は経験に学び、賢者は経験に学ぶのである。



素晴らしい世界だ。
人は皆平等である。
等しく学ぶ事が出来るし、平らに大きくなれる。
二度声を聞く事は出来ぬし、二度ベルを鳴らす事も出来ない。
一度きりの桜梅間、一度きりの晴れ姿、一度きりの18切符の向こうの先に、一度きりの学びが待つ。その声その書その時間、その朝その夜その老いだけが、その人を学ばせ大きくするのである。

人類がやがて進んで進み、先の先の向こう側の未来へ辿りついたとしても、USBのコードで二進を流し込んで学ぶ事など出来ないし、100円ラックにずらりと並んだCD-Rを飲み込み学ぶ事など出来ない。何人も、経験からしか学べないのだ。
目肩腰の五感の伝える脳からのみで、その外側の向こう側を流れる波からは学ぶ事など出来ないのである。


学ばない事は人生の浪費であり罪である。
同様に、時間の浪費は未来の自分自身への罪である。
立ち止まってはならぬし、緩慢な歩みでぶちスライムをぶってはならない。
経験を貯め、レベルアップし、新たなスキルをカスタマイズし、そのスキルで切り開いた道筋を行く経験を貯め、それを学びへと変換して大きくなり続ける事だけが、勝利へのたった一つの最も短い最短距離なのだ。土管もワープもBoTも無く、歩みから学び、学びで歩む、一秒一歩が唯一なのだ。




僕は今、勝利を手にしている。
これが勝利であると経験上知っている。何物にも変えがたい貴重な半生を送りその全てから僕は学んだ。僕は誰よりも賢く誰よりも知的で誰よりも賢明な誰よりもブロガーな誰よりもDOTAallsatarsだ。疑う余地の無いコングラチュレーションだ。

けれども、この地この場所この勝利に安住するつもりは無い。
賢者はすぐに愚者へと落ちる殺伐登頂の世の中では、油断も隙も許されぬのだ。

だから僕は学ぶ。
だから僕は経験する。
経験から学び、切り裂いて経験する。
僕に用意された時間人生その残りの続きを極彩色で彩って、その全てから僕は学んで成長する。そしてもっともっと大きくなって、世界の全てを手に入れる。
勝ちに勝利し勝利に勝つ。
一秒たりとも止まらぬし、一時たりとも努力する。
学んで大きく進化する。
もっと賢く、もっと賢く。
もっと愚かな、もっと愚かに。


2005年3月18日金曜日

ブログエントリー改変はどこまで許されるのか。



新聞社が一面で大きく取り扱った記事の訂正とお詫びを4面の3行で済ませる事や、ウェブサイトに上げた記事を40分後にこっそりと改変する事は問題である。

ブログは新聞とは違うのだけれど、ネットベンチャーの副社長が「ました!」を「(確認中)」とこっそり改変するのはやはり問題だと思う。










 これまでブログをやっていて最もショッキングだったのは、トラックバックを撃った時点とトラックバック後とでは正反対の結論を導き出す文章へとタイトルもろとも改変されており、僕のトラックバックが凄まじく浮いていたのを目にした時である。
それはもう、「え、何?」くらいの勢いで浮いていた。
物凄く切なかった。


「である!」を、
「ではない!」に書き換えられたら、読み手としてはたまったもんじゃない。

そういう事があってからというもの、一度書いたエントリーの改変はどこまで許されるのかを思い悩むようになった。




ブロガーはブログという公園を立ち上げ管理人として振舞えるわけだけれど、あくまでも公園で遊ぶユーザーの一人であり、誤字脱字の修正も出来ないコメント欄でコメントをつけてくれる読者の方々とアンフェアーに改変しまくるというのは、少しだけだが心苦しいものがある。


とはいえ、タグミスや誤字脱字の修正は当然許されるだろう。
結論が出たのはそこまでで、そこから先は考えても考えても答えが出ない。


慣用句や諺の使い間違いに気がついて該当部をごっそり書き換えるのは有りなのか。
その投稿の主張が慣用句の誤用の元で成り立っていたとしたら、それは有りなのか。
結論有りきの投稿を、過ちを隠蔽しながら修正したと取られかねない。


時間によって考え方が変化した題材をこっそり改変するのは有りなのか。
人間は時間によって考え方が変化し、後に読み返して書き換えたくなる事もあるだろう。
読者はそれを変節であると捉える。
こっちは色々思い悩んだ末に決めているのに。
ブログに集う読者達はそれを変節であると罵り荒れる。
変節であると捉えられぬように過去の投稿や主張を改変するには、どのようなやり方がよいのだろうか。あるいは、こっそり書き換えるという事は許されるのだろうか。


時間経過で状況が変わり、トンチンカンな投稿へと成り下がった過去の投稿を削除したり、改変したりしてそれを隠し、ブログを運営し続けるという事は許されるのだろうか。
倫理的に間違ってはいないのだろうか。
「新庄は絶対に日ハムで失敗する」とか決め撃ちで書いていたものを、こっそり消すのはよいのだろうか。なんか物凄く駄目に思えてならない。





現段階では改変の是非とボーダーラインをきっちりと書ける段階にまで到達していないし、これからも過去の改変したい投稿についてどうするべきかを微妙に悩み続けるのだろう。

とりあえず現段階で僕が今、皆様方に出来る事は、一度投稿した投稿は削除しないし、絶対に改変しないと決めたというご報告だけである。


アマゾンアソシエイト始めます。



一円にもならんものをろくでもなく書き続けている事があほらしく思えてきて事実あほらしいので、でアマゾンアソシエイト始めます。一切ブログへと再還元するつもりは無いからそこんとこよろしく。儲けまくるつもりなので、しっかり買えるようにきちんと金貯めておくように。
じゃ。そういうことで。


漆の碗



それがどれ程までに馬鹿げている事であるのかは、僕も十分理解している。
けれども真性引き篭もりというものはそもそも馬鹿げている生き物である。
馬鹿げてあるからして、馬鹿げているにお似合いな馬鹿げた投稿を行うのである。

しかしながら、嘘偽りの無い馬鹿げた本心であるし、馬鹿げた願いである。




僕がブログ投稿を行う時は、読める人だけ読んでくれればいい、あるいは誰一人として読んでくれなくても構わないと思いながら投稿ボタンを押しているのだけれど、普段の10倍ものアクセスを頂く中で好き放題やり、ぎりぎりの題材を流れを知らないと読み取れない文章で好き放題書いて投稿ボタンを連打した挙句に、説明を行わずにそれを一段落させるというのは納得がいかないし、不誠実なブロガーである。
よって、そもそもの始まりからをなるだけ丁寧にいつもより少し横暴に書くのである。



ブログサービスに思い入れのあるブロガーはあまりいない。
多くの人が求めるものは軽さであり使いやすさであり、一見客の多さである。

しかし、ごく一部の人はそれ以外の何かを求める。
はてなのあの日の騒動で幾らかの人が逃げた事からわかるように、馬鹿げたそれを求める人というのは確かに存在するのである。そして、僕もその一人である。

僕がブロックブログを選んだ理由は、軽さと誠実さなのである。
軽さというものは失われて久しいのだけれど、残る1つが僕をブロックブログのブロガーで有らしめた拠り所であり理由であったのだ。


だからしてもし、ブロックブログが誠実さに欠くしぺぺぺぺを行ったならば、僕は失望するであろうし、逃げ出したいと思うであろう。事実失望したし、逃げ出したいのだ。






事の始まりはこうだ。

ブロックブログというブログサービスの運営会社の社長である竹内克仁という人間がビッグイシューの佐野という人間に触れられたのをきっかけに、ビッグイシューと提携を行った。


僕はそれを目にして全部調べてから冷静に激昂し失望し落ち込んだのであるけれど、最初に書いた通り、真性引き篭もりとホームレスというのはイオラとヒャダインくらいの違いしかなく、あまりにも問題が近い場所にあるので書くべきではないと思い、ブログ投稿を書くのを思いとどまったのである。
しかし、運悪く予期せぬ事が重なって間違えてついうっかり投稿してしまい、猛省しているのである。けど、いいか。








では、問題のビッグイシューについて書く。

ビッグイシュー社とは、物乞いを物売りへと変化させながら利益を生むという画期的な事業スタイルを成功させた会社であり、ビッグイシュー誌とはホームレスしか販売する事の出来ない、決して店頭に並ぶ事のない雑誌である。

物乞いというものが問題となっている国ではそれは素晴らしい。
しかし、我が国に物乞いを生業としているホームレスは皆無に等しいというデータがあり、我が国では物乞いを物売りに進化させるという英国ビッグイシューの社会的貢献力が発揮される事は無い。



では、日本ビッグイシューが何をし、何であるかという事である。

日本ビッグイシューの成り立ちは、2人の無職が英国へ渡った事に始まる。
帰国した彼女らは、ビッグイシュー誌の編集長と副編集長に納まった。
そしてビッグイシュー社の社長は、副編集長佐野未来の実父佐野章二という人物である。

それは別にどうでもよい。
2人の無職が仕事を見つけ、無職の父は社長になった。
ほんとうに素晴らしいサクセスストーリーであり、僕がどうこう言う事ではない。



問題は、ビッグイシューがどのような商売を行っているのかだ。
それが糞であれば糞であるし、紅であれば紅である。
社会貢献であれば社会貢献であるし、弱者救済であれば弱者救済である。








しかしながら、そのやり口があまりにも汚い。



弱者への同情というものを誌の宣伝の柱としている。
しかし、ビッグイシューが利用しているのは弱者ではなく1日10時間路上に立てるくらいのタフさと若さを持つ青テントである。


「大成功」したとニコニコと笑顔で語っている。
これは、英国の「物乞いが物売りに進化したという大成功」とはまったくの別のもので、毎月10万部の売り上げを確保して社長と編集長と副編集長の食い扶持が不動の物となった事が大成功なのである。「ホームレス、社会貢献、弱者救済」という単語と「大成功」という単語に関連性は無いのだ。成功したのは彼らなのだ。


ホームレスという不可侵性でメディアを利用している。
「弱者」「ホームレス」「社会貢献」という文字を否定的に書けるメディアは存在しない。肯定的に書くしか道の無い事柄というものは日本には多く存在し、ビッグイシューはその報道不可能ながら無敵の強制力を持つ題材に、新たな1ページを追加する事に成功したのである。

デンゼルワシントンがどのようにしてビッグイシュ誌の表紙を飾ったのか。
ブラッドピットがどのようにしてビッグイシュー誌の表紙を飾ったのか。
ミッフィーがどのようにしてビッグイシュー誌の表紙を飾ったのか。
矢井田瞳がどのようにしてビッグイシュー誌の表紙を飾ったのか。
もし僕がブラッドピットであったならば英国ビッグイシューの趣向に賛同して表紙を飾りインタビューを受けたであろうし、ミッフィーであったならばあれだ。わからないね。ウサギの事は。まあ、そうだし。もし僕がデンゼルワシントンであったならば、英国ビッグイシューの趣向に賛同して表紙を飾りインタビューを受けていたであろうし、もし僕が矢井田瞳であったならばまずは服か、え、手鏡か、あれまあ。いや、違うか、あれか、どっちだろう、どうだろう。難しい。これはちょっとなってみないとどうするかはわからないわ。想像もつかない。なってみないと。






さらに、ビッグイシュー日本の主張する
「ホームレスに仕事を与えています」という言葉自体が嘘である。


彼らがホームレスに与えているのは在庫である。
ホームレスに雑誌を買い取らせ、返品不能の生雑誌を路上で売らせるシステムである。

それを指して仕事と呼ぶ事になんの問題も無いと考える人が存在するのは存じている。例えば明日貴方の兄弟から電話がかかってきて、「仕事を得たよベガルタ仙台のスポンサー!」なるほど、それもいいだろう。よかったね。仕事が出来て。さて。



彼ら自身に在庫というリスク、仕入れノルマという責務感を与えて突き動かし、売り子による売り子の勧誘を行わせる無限増殖売り上げ向上システムを仕事と捉えるかどうかは人それぞれであろう。問題が無いと考える人にとってはなんの問題も無い。
「仕事だ!」とやられれば僕は反論する術を持たず、そこを守る事は出来ない。
ただし、誰も使わぬアムウェイもタッパーウェアもうちには有り、一日に40錠も白やら黒やら黄色やらのものを長い時間をかけて飲んでは吐き気を堪えながらドラクエ5をしていたし、猿の茸も緑の苔もプルーンも知っておる身分であるからして、僕はそのやり口に激昂するし否定する。





この問題を書かずにこそっと失望して逃げ出したいを書かずに堪えたのは、1つ間違わなければホームレスになっていたのかもしれぬという恐怖からである。

僕がホームレスにならず、また今後ともなる見込みは0であるのは僕自身に優秀さが足りなかったからであり、もう少しマインドでもう少し労働者でもう少し優秀であったならあば、大吉くらいの確率でホームレスになっていただろう。

自分自身を無言で書ける程に僕は強く無いので、出来れば書きたくなかったし、読みたくなかったので逃げたしたというのが真相である。僕がホームレスにならずに済み、また今後なる可能性が0であるのは僕が弱すぎたからであるし、ホームレスを書けなかった理由も自分自身の弱さであり、僕は軟弱すぎるという事である。



もう少し奥飛騨まで分け入って書くと、もし僕がホームレスになれておったならば、ビッグイシューから完全に無視され、広告材料に使われるか使われないかの瀬戸際を生きていたであろう。
僕は路上に立てる程のストロングは無いし、売れる程のアジリティもなければ、差し伸べられた手を差し伸べられた手であると理解出来る程のインテリジェンスも持たないからだ。
彼らの役に立つ良いホームレス、つまりは保険も補償も法も年金も存在しない無限増殖パートナーとして雑誌を売り続けるだけの能力を持たなかったであろうは僕自身の根源にある軟弱さからして明白である。






少し昔の事である。

エロサイトで朝っぱらからチャットをしていた海外旅行が趣味のアフィリエイターが、クリック募金サイトを立ち上げた。彼は募金が出来ますという名目でアクセスを上げ、「ここをクリックしてください」と出会いサイトとA8netを貼り付けた。

その人は今もなお、ウェブ閲覧者から振り込まれた30万円の協力金を握ったままで引き篭もり、平然とクリック募金サイトで利益を得るを続けている。

僕は彼がやっていた、「嘘と同情で金を集めて抜き取る」というビジネスモデルに激昂して突っ込んだという過去があり、誠実さを求めて選択したブログサービスが提携した有限会社が同じビジネスモデルで利益を得ているのを目にすれば当然激昂するのである。
むしろせねば偽りである。







話をブロックブログに戻す。


ブロックブログ社長竹内克仁はブロガーの文章を読まずに、張られたラベルでそのブロガーを判断するそうである。ラベルで人間の価値が見えると考えるのは、ラベルで判断すべきでないと考える僕の対極の位置にある。


竹内社長は「ホームレス」「弱者救済」「震災募金」「被災者」といったラベルに価値を見出す人間であり、残念な事に僕とは違う。
その便利なラベルの1つとしてビッグイシューと提携したのである。
そのような人々が大勢いるのは募金パークの大成功で目にした所であり、既知である。案外身近にもいたのだなと、そのように思う。

募金パーク高麗和男氏に送ったトラックバックはどこかへ消えた。50送ったトラックバックのうちの30はどこかへ消えた。余丁町散人氏に送ったトラックバックもどこかへ消えた。竹内克仁氏へ送ったトラックバックも同じように、どこかへ消えた。
トラックバックを消す魔法というものがこの世のどこかにあるのだろう。僕の知らない国の僕の知らないインターネットにあるのだろう。案外身近にいたのだなと、そのように思う。





無敵のラベルを持った佐野という人間が竹内克仁に近づいて耳元で囁いたというのが事の始まりであるからして、もうこれは駄目である。人間はラベルを持った人間に近づかれて耳元で囁かれれば必ず転ぶのである。おまえらだってあれだろう。あびる優が全裸で目の前に立てばよろしくやるだろう。それと同じだ違うけど。

僕だって過去に耳元で囁かれて転んだ事はある。
その耳元で囁いた人間は数日後には鉛筆を腹へと刺し込み鞄をサッカーボール代わりに利用してへこんだゴールへ蹴り込むに至ったのだけれど、大人の社会じゃまあ粗方はなあなあに終わるのだろう。綺麗さっぱりなり切れるのなら狡猾な大人というものになりたかったものである。もはや囁く人すらいない。真性引き篭もりとは便利なものだ。
囁いても裏切ってもいないインターネットのスクリプトに裏切られた気分になって夜が明ける。SF世界の向こうの向こう、肉体の粗野な欲求を克服した模範的アルファケンタウリ信者だ。シンダーロゼとよろしくやりたい。




僕は彼とは違い、人間をラベルというものでは判断しない。
人間の正体というものは往々にして本人すらも目視出来ぬ場所に潜んでいるのであり、その在り処が明かされている事というのは極めて稀であると考える。


そもそも、例えばその人がラベルを貼っていた場合にそれはその人ではなく、その人の「こう見られたい、こうありたい」という欲望である。プラダもグッチもシャネルも古着もユニクロも、その人がそのような人間に憧れ、それを姿だけでも演じたいと思うからそのラベルを貼るのだ。
「振られて泣いてばかりです」というラベルの裏にはなにかあり、「全然もてません」というラベルの裏にも何かがあるのだ。なりたい自分を絵に描いたものがラベル看板というものであり、希望を投影する鏡でこそあれ、人間を投影するものではないのだ。好き放題にやれるのだ。


同じように、ブログやウェブサイトにラベルを張るのも、その人がその人の思い浮かべる理想の姿に近づく為であり、それがどれ程までに本人と重なっているかを見極めるのは非常に難しく、全てを呼んでよくよく観察せねば見抜けない。あるいは、そうしても見抜けない。


多くのウェブサーファーと同じように、初めて訪れたウェブサイトでは真っ先にプロフィールを読むのだけれど、そこに書かれている外見、学歴、職業、年齢などというものがどのようなものであれそれで僕は人を判断しないし、ブログを開設している場所がアメーバだろうがはてなだろうが、ジュゲムであろうとモバイルタイプであろうと、あるいはトラックバックもコメントも許可していない形式の書き綴り方であろうと、例えサラ金やエロサイト、オンラインカジノのA8netが張られていようと、それによりブログを評価したりはしないし、値踏みをしたりは行わない。

例えばそのブログの表題が「SEX的思考」とかそういう非常にいかがわしく反社会的な表題であり、また露出狂にも勝るくらいの非常に如何わしい顔写真というラベルを貼り付けてあったとしても、僕はその過去ログを全て読んでからその人のトラックバックと文章とその背景とを確かめてからよく考えて判断するし、その判断の後に「SEX的思考」のSはSEXのSではなくシステムのSであり、「SEX的思考」のEはSEXのEではなくエンジニアのEであり、「SEX的思考」のXというのは僕のSEXへのとどまる事を知らない戦乙女ヴァルキリーと欲望と欲求とぐら乳頭と未知と希望と憧れと妄想とが複雑に絡み合って作り出した幻であったと判明する位に日々よろしくやりたい、よろしくやりたい。ああー。もう羊でも鶏でもいいや。多分話せばわかるだろ。凄くよろしく。よろしくよろしく。

人間の価値は見てくれでは決まるものでは無いと考えているし、見てくれで決まらない世の中であれば良かったと僕は望み希望している所である。それは真性引き篭もりの大本にあるものであり、違う人生を送ってきた人間であればラベルを重視するというのもあるのであろう。
それは理解出来ぬのだが、そのような人間が存在するという事は身をもって知っている。破れた布団の中にすら、完璧な世界は無いのである。



つまりは、終わったという事である。
終わったというだけの話であり、終わったというだけのカテゴリーであったのだ。
それが激昂を伴ったものであったというだけで3投稿にも渡ってしまったのだけれど、あったのはおしまいだけであり、激昂は終わってはおらぬのだが終わったのだ。



相容れられぬものであり、表面張力を越えた分水域ではあるのだけれど、ブロックブログには逃げ出す手段は用意されておらぬし、わたくしやかな事情を持ってブックマークを差し替えさせるほどの傲慢さも持ち合わせていない。
失望したのは事実であるのだが、失望するのにはなれているし、失望させまた失望させ続けているのであろうけれど、失望させる事にも慣れているのでもはや、なにも感じない。10日前も1年前も変わらぬ部屋で変わらぬゲームを続けてた僕は、10日後も1年後も変わらぬように失望し失望させ、それになにも感じないを歩いてくたびれ続けるであろう。


それは悪夢のようにも思えるのだが、もはや何も感じない。
全て終わったのだ。
おしまいである。


2005年3月17日木曜日

二十八星キャベツを探す旅



書ける事柄が無いからといって、適当な表題を書き入れては泥沼に陥るという実例を示すためだけのブログ投稿を行うというわけではない。今僕はむしょうに、むしょうに二十八星キャベツを見つけたいのだ。正確に言うと、二十八星キャベツの星を21個取り払い、七星キャベツにしたいのだ。

心労である。
ショックである。
マグネシウム不足である。


ここ数ヶ月間、よろしくやりたいわけじゃない、よろしくやりたいわけじゃない、けれども頑張れあるいは頑張れもっと頑張れ書けこら書けいいから書けよと信じていたブロガーが、「おれだってうんこするし慶太とセックスしまくりじゃ黙れボケお前らキモいんだよウゼーーーー俺だって必死に歌って踊ってんのになにやろうが勝手だろ糞っくらえめ消え去らせプンプンプン」とかって読者に物凄い勢いで逆ギレ気味でブチ切れてた。しかもなにを血迷ったのか休刊とか言いだした。



ちょっくらがっかりした。
笑う魏延に眉毛が悲しいので、二十八星キャベツを探す旅に出ます。


臨時休刊のお知らせ。



エントリーに付けられたコメントに、マジでむかついた。毎日30秒ぐらい費やしてブログ投稿書いたり、「豚でも解るホリエモンの為の*正しい*TOB講座」とかそういう企画を7投稿ぐらい連続で行おうとたくらんで、60時間ほどTOBをプレイしたあげく、TOというものに魔法が一切効かなくなるアクセサリーを装備させたカノーブスが死者の迷宮45階くらいで死んでしまって「ザオリク!ザオリク!」って必死で唱えてるのに、魔法無効のアクセサリーの効果のおかげでザオリクが効かずにカノープスをロストしてしまい、物凄くやる気が無くなって続きをプレイするのを止めたくらいの思い入れしかない僕がTOのBandであるTOBというものの紹介文やら攻略文というものを書くというのは身分相応で無いし、非常に失礼な事に当ると判断してTOBを60時間もプレイしたにもかかわらず未勝利だというそういう恥ずかしい情報とかも一行たりとも、というか一文字たりともブログに表に出さず、726+641行+箇条書き372行の文章を黒歴史の闇鍋の中に葬って無かった事にして忘れ去ろうと努力しようとしている時間を浪費してしまった自分への物凄い嫌悪感からもう金輪際ゲームはしないと誓ったりとか、そういうのとか、よろしくやりたいブログリストの筆頭にあったブログがホワイトデーにおとまりしたのを顔文字交じりで書いていたのを目にしては茫然自失と思い悩み、新たなよろしくやりたいブログを確保する為の情報収集に這いずり回ったりとかしとるんやぞ。おれだってうんこするし慶太とセックスしまくりじゃ黙れボケお前らキモいんだよウゼーーーー俺だって必死に歌って踊ってんのになにやろうが勝手だろ糞っくらえめ消え去らせプンプンプン


2005年3月16日水曜日

ホームレスを滅ぼせ



今すぐにこの国からホームレスを一人残らず滅ぼせ。

それが僕の主張であり、誰が何と言おうと曲げるつもりの無い確たる信念だ。
文句があるなら好き放題やればよい。レッツゲレロンすればやる。
こいつは気違いだと見限るなら見限るがよい。
けれども、これを変えるつもりは無い。
ホームレスを滅ぼせ。
一人残らずだ。

我が国にホームレスというものが存在する事態を許してはならないのだ。
ホームレスの存在がもたらす物は不利益と不公平だけだ。
一人として必要ないだけではなく、その存在自体が罪なのだ。






ホームレスを滅ぼす事は不可能だ。
しかし、ホームレスを滅ぼす事は可能である。

ホームレスにならざるを得ない人間を滅ぼす事は不可能だ。
しかし、ホームレスを滅ぼす事は可能である。



どれだけ高度な教育をしても、どれだけ平等で機会に溢れた社会を構築しても、どうしてもホームレスにしかなれない人生を送ってしまう人は出てしまうのである。
お金を貯める事が出来ず、正しくお金を使う事も出来ず、弁護士や行政へと逃げ込む事すら出来ない不出来で不完全でなにもかもがうまくいかない駄目人間というのは、絶対に出現してしまうのだ。

その彼らをホームレスという非人間的階層に押し込めている現状を黙認するのか、あらゆる失敗を積み重ねた彼らも人間的生活を送るべきであると考えるのかが問題なのだ。



一億総国民のほぼ全てがホームレスを滅ぼすべきだと考えているのは疑いようのない事実だ。なにより彼らは臭い。醜い。汚い。駅やゴミ箱や公園や河川敷に立ち歩き、不愉快さを撒き散らす。しかも、犯罪の温床になっているし、公共な場の不法な住居自体が市民に対する罪だ。






しかし、僕が最も重大な罪であると考えるのは彼らの汚さや不愉快さではない。
無能な人間をホームレスという階層に押し込め、それを容認する不完全な国の未熟な社会という罪だ。

インドのイエスの奴隷が我が国をどう罵ったのかを今一度思い出すべきだ。
「この国は経済的には豊かだが国としては終わっている。」と馬鹿にしたのだ。

彼女が腐っていると言ったのはホームレスではない。
十分な予算があるにも関わらず、それを非人間的階層の撲滅に使わず浪費し、ホームレスという非人間的階層の存在を許容し、それを黙認し続ける国と国民を指して言ったのだ。





「日本から犯罪を滅ぼせ」
という主張がいかに馬鹿げているかはご理解出来るだろう。
犯罪者にしかなれない人間というものは、どうしても出現してしまうのだ。

それと同じように、
「我が国からホームレスを滅ぼせ」
という主張も馬鹿げているのだ。
ホームレスにしかなれない人間というものは、どうしても出現してしまうのだ。
識字率100%で労働と金銭とリスクとモラルを教えても、能力不足で自らを律する事が出来ず、貯金が無いまま生活基盤を失ってさらに不運と傲慢さが重なり、ホームレスにならざるを得ない人間というのはどうしても出てしまうのだ。

彼らがホームレスである事自体に罪は無い。
それだけの人物それだけの人生それだけの不運であるからだ。
罪なのは、それだけの人間に非人間的生活を強いり黙認する社会である。


そのホームレスになるしか道の無かった人生を送ってしまった不完全な人間に非人間的生活を送らせ続けるのではなく、屋根も布団も風呂もテレビジョンもある人間的な住居と、食パン、弁当、弁当発泡酒と、季節の衣服を身にまとえるだけの金を与える必要があるのだ。
そこで間違えてはならぬのは、決して4万円を渡してはならぬという事だ。
その金額がぎりぎりの適正な水準でないと、無能を偽る奴が出る。
そのような輩が出ないぎりぎりの金額で、また、就労能力のある人間であればもっと現金が欲しいと労働を望み探し求めるようなぎりぎりの金額を伴う人間的生活を与える国が、豊かで正しい国なのだ。



今日、日本はホームレス対策に国全体で相当に馬鹿げた金額の予算を費やしている。具体的な数字は見つからなかったものの、全自治体を合計すると想像を絶する額だろう。

公園や河川敷が市民の元に戻るというメリットや、ホームレスが犯罪組織の最も安易な飯の種として利用されてしまっている現状から考えれば、彼ら全てに住居と月額2万8千円を与える予算というものは、馬鹿げた金額ではない。と、僕は考える。

ぎりぎりで、確かに納得のいかない納税者の方々もいるかもしれないが、ぎりぎりに許容出来る金額であり、インドのキリスト教徒に笑われない、無能でどうしようもないぎりぎりの人生を送ってしまった人間でも最低限度の生活を送れる国というものを手に入れる為に支払うに値するコストなのだ。
非人間的生活を強いられる階層を滅ぼすのが文明社会の責務なのだ。





現代の日本では、犯罪者は刑務所に入れられる。
そこで、人間的生活を送り、金を貯めて出所する。

現代の日本では、無能者はホームレスになる。
そして、非人間的生活を余儀なくされ、犯罪の温床になり野垂れ死ぬ。



犯罪者を人間的に扱い刑務所に入れるシステムは構築し運営できるのに、ホームレスにぎりぎりの人間的生活を与えるシステムが構築できぬわけがないし、運営できぬはずがない。成せぬわけが無い。怠慢なのだ。黙認なのだ。無視なのだ。無関心であり、罪なのだ。


泥棒が、詐欺師が、強姦魔が、酒に酔った轢き殺しが、無差別に刺す出刃包丁までもが人間的生活を送る事を許された社会で、どうして無能で金銭管理スキルをもたず助けを求める事も出来ない愚か者だというだけで、非人間的階層に押し込められねばならぬのだ。
それを容認し許容するのだ。
インド人日本はおかしい。
その通りだ。
残念ながら今もなお、その通りだ。





人間を変えられるのは生活基盤であり生活習慣であり教育だ。
金ではない。
断じて金ではない。
無論、在庫に押される1日10時間のスタンディングでもない。

過去に世界各地で試みられた、ホームレスに金を与えるという試み、ホームレスに仕事を割り振るという試みが全て失敗に終わり、効果を上げられなかったという事実を思い出すべきだ。
必要なのは生活基盤なのだ。

生活基盤さえ与えれば、彼らのうちのいくらかは自ら立ち上がり復帰出来るだろう。
ホームレスの平均年齢が55歳であるという事実からすれば、そのほとんどは復帰できないかもしれないけれど、その人達も公共の場を不法占拠しない老後、屋根も布団も風呂も三食も発泡酒もある人間的な余生というものを送る権利はあるだろう。

以前のデータから重ねて言うが、彼らの多くは労働者であり、納税者だったのだ。
ただ、本人の能力不足と金銭管理スキルの欠如、それに加えて老いと甘えにより、ホームレスという階層に無理やり押し込められたのだ。もちろん自己責任ではあるが、彼らは労働者であり納税者であったという事実を忘れてはならない。正しき日本国民であったし、運と機会が少しうまく転べば模範的国民であったのかもしれないのだ。
優秀で金銭管理スキルもある人間からすれば、無視したい存在だろう。
けれども、無視してはならない。滅ぼさねばならない。

就労経験の無いニートでもなければ、生粋の犯罪者でもない彼らを非人間的階層に押し込め、非人間的生活を余儀なくされるという事態を一刻も早く変えねばならない。









例えばブロックブログが提携したものが、ホームレスを滅ぼすロビー活動、あるいは炊き出しだとか毛布だとかいったような最低限度の助けを出す運動、あるいは生活基盤を与える運動であったならば、その団体がカルトで無い限り参じただろう。例えば海外のシステムの直輸入であったとしても、プラスチック住宅を供与するシステムや、タックスとオフィスを学ばせるシステムといったホームレスを滅ぼす為の運動であったならば、それが我が国に適さず馬鹿げていたとしても、不平を述べつつ参じただろう。


しかしビッグイシューは違う。
ホームレスを滅ぼさずに2人の無職を滅ぼしている。
彼らが作り上げたものは、非人間的階層から合法的に金を生む錬金術だ。


パートナーだとか仕事だとかビッグイシューは甘言欺瞞を並べているが、その実体は一方的に恒久的にその甘い蜜を吸い続る搾取であり、それは罪だ。
要介護認定というものが導入された時に認定査証による犯罪者が日本中に出現したにも関わらず、彼らは逮捕されていない。それどころか返金要求を無視し続けているにも関わらず、行政は彼ら不正認定介護業者への金の流れは止められずにいるのだ。NPO法の元で運営されたテレクラを逮捕するのに1年半を費やし、宗教NPOを1つも摘発できないのだ。取り消されたのは一握りどころか誤差の範囲だ。
それは、そのジャンルが社会的にアンタッチャブルだからだ。
ビッグイシュー佐野一家が利用するホームレスも同様に不可侵の領域だ。

具体的には上げないが、我が国には他にも不可侵領域がいくつか存在する。
その存在自体が犯罪的であり国民への罪であるという事はご存知だろう。
それと同じようなものをビッグイシューは新たに作り上げたのだ。


彼らが成功したのはホームレス問題の改善などではなく、ホームレスへの不愉快さ、怒り、関心、あるいは同情というものを宣伝として利用し、さらに理不尽なタッパーウエアムエイ式の悪徳仕入れを押し付けて、その売り上げ益をノーリスクで上げ続けられるシステムの構築だ。
彼らが大成功したのは、新たな恒久的既得権益の構築だ。
2人のヨーロッパーな無職改め編集長とその実父を救い養う大有限会社だ。


20万部を公言していた雑誌が実は3万5000部でしたと休刊する雑誌不況の2005年に10万部を返品リスク無しで売りつくすというシステムがどれ程までにおいしく汚いやり方であるか。もし、あれが店頭に並びホームレスという宣伝を取り止めた時、10万部を返品拒否のノーリスクで売りつくせるのかどうかだけでも想像してみていただきたい。








努力を怠らなかった優秀な人間は、生まれた家の収入や家柄に関わらず成功を手にするべきだ。あらゆる人が満遍なく機会を与えられるべきだ。
それが素晴らしい国であり世の中だ。
その点では日本は比較的優れている。

七つの海の真ん中でシェイクスピアを学んだ人間だけが頂点へと登れる国よりは、遥かによい。親の収入で行く大学の種類が決まる国よりは幾分かは素晴らしい。

残念な事に幸いに、終身雇用も総中流も過去の遺物であり、優秀な人間が時流に乗れば100億稼げる世の中だ素晴らしい。それが罪を伴わぬものである事が最低条件だが。


けれども、努力を行った人間が成功出来るというだけでは不完全であり未熟な社会であり、病んだ国とも言い換えられる。努力を行わず浪費を続けた不完全な人間でも、屋根と布団と風呂と3食とテレビジョンという最低限度、ぎりぎりの人間的生活を送れる国であるべきなのだ。
非人間的階層の存在を黙認してはならぬし、滅ぼさねばならないのだ。

我が国に生まれた人間は、全員最低限度の生活を保障されるべきなのだ。
そういう憲法だろう。
そういう建前だろう。

どうしてホームレスを許すのだ。
どうしてホームレスを滅ぼさないのだ。
人殺しが3食屋根風呂布団付きの生活を送れる国なのに。


2005年3月15日火曜日

R30という嘘



真性引き篭もりが真性引き篭もりでないように、R30はR30ではない。
R30という嘘である。















>僕とはブログというメディアに対する姿勢がまったく相容れないと思う
>某弾道ミサイルブロガーからのトラックバックでさえ、削除したことがない。
(*^ - ^*)(T _ T) (> <) :"O














>感情に任せていい加減なことを書きなぐるんではなくて、
>もう少しお勉強して冷静に書いてください。
というコメントに、R30というブロガーがまじムカついたというお話だ。

伝わらない、誤読される、コメントがつく、盛り上がる、悲しい。
けれどもその怒りは納めるべきだし、筋違いだ。


人々はR30に代表されるようなブロガーに救いを求めている。
正義を、秩序を、真実を、既存のメディアには無い、嘘を嘘だと述べる良心を求めている。算段の無い本当の声を求めているのだ。

「そんなもの求められても困るしwwww(笑)。」
などというお気持ちはよくわかる。
しかし、人が何を信じるかはその人の勝手だし、何に救いを求めるかも人それぞれの勝手である。想定外に信じられる事や、想定外に救いを求められてしまう事だってあるのだ。


半裸のフィギアに、テレビのゲームに、ドイツの戦車の1/75の戦艦に、シビック2台が買えるくらいの黄金造りの仏壇に、棚と床とをを埋め尽くすエロパッケージの埋れぬ山に救いを求める人がいる。
それと同じように、R30という文章ではなく偶像に、救いを求める人がいる。

既存のメディアでは見当たらぬ、良心も人間性も本心も、等身大の息遣い音も聞こえるその投稿にその声に、希望を見出し崇拝し、救いを求める人がいる。

ブロガーというものは裕木奈江でも宮沢りえでもない。等身大で近くて手の届く範囲にありながら美しくて可愛くて追いかけ好いて応援するに値するつんくの子分の百貫デブか、その横にいる娘さんだ。だからこそより愛され、より崇拝されるのだ。



馬鹿げているといえばその通りだ。
そんなものに救いを求めるのは馬鹿げている。
シドマイヤーズやDOTA allstarsが救いをもたらさないように、R30が世界を救う事はない。読者の一人の見る悪夢の霧に覆われた世界を晴らす事は無い。


けれども、信じる人はいるのだ。
R30から伝わってくる良心を、人間性を、愛を誠意を誠実さを、もしかしてと思い信じるに値するのだという幻想を抱く人はいるのだ。彼らを責めるというのは馬鹿げている。

2つあるうちの1つはそういう類のコメントではないのだけれど、少なくとも上のコメントは無謬性であり聖人であり正義だ。R30という光は失望する市民の庭の軒先に差し込んだ一筋の虹色の、うんこをしない喋る神だ。



朝日は駄目だ論外だ。デイリーと報知は朝日の次に駄目だ。読売も産経も日経も駄目だ。しょせん奴らはトルネコだ。刺身と寿司と焼き鳥で活字の山を売り飛ばす商売人だ。


けれども、けれども、けれども違う。
R30は違うガトーは違う偽藤は違う。
一円の対価も受け取らないものに数時間の熟慮を支払い、真剣に誠実に心の底から世界を願う純粋でまじりっけの無い救いの神であり小学生であり5年生でありFカップであり処女なのだ。



彼らはR30が何を書こうと何を歌おうと何を喋ろうと何を盗もうと関係ない。
R30という正しい嘘がウェブ上に燦然と輝き続けてくれる事だけを願っているのだ。

そして忘れてはならない事実がある。
R30という幻想を崇拝し、信じる人を生み出したのは、R30その人自身が1年に渡り文章を通してインターネットに伝え続けた誠実さであり良心であり、その佇まいの正しさなのだ。


一年にわたり幾多の時間を支払いながら悩みぬいた末に訪れたものが、勝手に信じ勝手に失望し勝手気ままに罵倒するコメントであるという事は、ありがたい事ではないだろう。ふざけるなと怒鳴り散らかしたくなるのも当然だろう。
けれども、それはほんの少しだけ違う。
ほんの少しだけ違う。



特別な人間は一握りで、多くの市民は声を持たない。
神の一言一句を崇めたて、祭りたてるが生きる術なのだ。

そのお怒りはよくよくわかるが、罵倒するのはそれは違う。
信じていたものに裏切られ「おれだってうんこするし慶太とセックスしまくりじゃ黙れボケお前らキモいんだよウゼーーーー俺だって必死に歌って踊ってんのになにやろうが勝手だろ糞っくらえめ消え去らせプンプンプン」とやられた時の悲しみを少しだけ、ほんの少しだけ想像してみて欲しい。
どうしても書くというのなら、言葉を選んで伝えるべきだ。




2005年の3月10日、R30はR30ではなく、R30という嘘である。
PPVの心の中に、R30という偶像だけが彷徨い続ける季節である。


1時間の壁(ダンジョンクロウル)



階段昇降による階の作り変えが可能であったバージョンの変愚蛮怒は、常時普通でない階を作成というオプションを使用してアンドロイド狂戦士でプレイする事により、簡単に1時間の壁を突破できた。

装備しているアイテムの価値でレベルが決まるアンドロイドという種族。
ヒットポイントが戦士の約2倍という狂戦士という職業。
普通でない階には素晴らしく価値のあるアイテムが大量に落ちている。
この3点の相性は最高であり、1時間の壁は誰でも突破できるものであった。





それを踏まえ、ダンジョンクロウルで1時間の壁を突破する事が可能かどうかを考察する。

結論から言うと無理。
みもふたもないけど不可能。
理由としては、ゲームクリアに必須のアイテムである3つのルーンが存在するダンジョンの入り口がどこにあるか決まっておらず、それを探す作業にどうしても時間が必要になってしまうからである。

でもまあ逆に言うと、最高の場所にダンジョンへの入り口があれば可能かもしれない。
つまり100%運。運*5(寺院、獣、蛇穴、沼、宝物庫)
神が一発目でなにをくれるかもかなり重要。




・種族、職業、武器、神の選択。
種族は、レベルアップが速く高ヒットポイントを確保出来る丘オーク戦士の一択。
武器は、処刑人の斧というゲーム中最強武器が簡単に手に入る斧。
信仰は、オカワル。


・ルートの選択。
行かなくていい所は全て切り捨てる。
必要の無い階の探索は行わず、階段を見つけたら即降りる。
1~3Fの探索も行わない。無視出来るものは全て無視する。

武器防具を拾い集めながら寺院を目指し、オカワルを信仰して祈りながら8Fまで速攻で降り、獣の入り口を探す。獣の入り口を確保したら宝物庫が見つかるまで一直線に降りる。オーク洞窟はもし見つけたら、信仰度を上げる為に1階のみ制圧する。
オーク洞で得られる経験値はスズメの涙なので深入りは時間の無駄。
金は、エゴクローク、瞬間移動、鑑定、怪我の治療にケチらず使う。
宝物庫までに9割死ぬけど気にしない。気にしちゃ駄目。たまに辿り着ける。



・即宝物庫をする理由。
蛇穴は毒耐性必須の上に経験値が少なく、Lv10程度では黒蛇や灰色蛇にもてこずり、最下層に辿りついた時点のLvは10~13であり、制圧に時間がかかりすぎる。
沼はさらに時間がかかるし、ヒドラが出る事からも制圧は不可能。
そもそも、獣の棲み処は複雑に入り組んでおり、入り口を見つけだけでも大変であり、Lv10程度では相当に神経を使う探索を行わねばならず、時間だけが過ぎる。

それに対し、宝物庫には攻撃力が高い敵は存在するものの、倒すのが困難な敵は存在しない。腕力強化+加速のブーストで殴って瀕死で経験値3000という、獣の棲み処や蛇穴では絶対に不可能な旨みがそこらじゅうに転がっている。それを全て力技で回収する事によりLvを20まで引き上げ、宝物庫最下層を制圧して勝利に必要な資源とLvを獲得し、Lvとヒットポイントに物を言わせて蛇穴と沼を秒殺、そのまま博打でクリアするというのが最も可能性のあるルートだと思う。


・トログではなくオカワルを信仰する理由
トログの狂戦士化は、タイムアタック時の全ての行動を0秒思考で行うプレイではリスクが高すぎて宝物庫に入った段階では使い辛いので、オカワルとの違いは防具を得られるかどうかという事くらいである。正直オカワルを推せるだけの自信も根拠も無いのだけれど、不要なフロアを徹底的に無視して進むプレイスタイルでは、エゴ防具が1つでも多く手に入るというのは、最終局面で効くのではないかという期待でオカワルを選ぶ。
トログは100%武器をくれるので、宝物庫段階ではオカワルよりも安定する。


・準備しておく事。
自動拾いの設定。
 食べ物はパンと肉以外は放置。念の為、果物を1種類手動で拾っておく。
 杖、魔法書、不思議なアイテムは放置。
 護符、指輪は1つあれば十分なので全て放置で、殺伐や護り等のみ拾う。
 その他、中盤でロッドを全て放置等、随時書き換え。 

反則といえば反則だけど、タイル変更。
 小石のグラフィックを指輪と見分けのつくものに変更しておく。
 斧のタイルを全て覚えるか、ゴミ斧のタイルを変更しておく。
 (エゴ剣等に心を惑わされないように斧以外の武器を全てナイフにしてます)
 巻物と薬のラベルを一瞬でわかるようなものに変更しておく。
 視界外の矢をロッドと誤認してしまう問題を解決しておく。
 タイルは他も目視しやすいようにいじっておく。
 (ロイヤルゼリーやシャドウのような騙し絵系は変更していません)

必須マクロ
・祈る(p)
・解体(Dy)
・食べる(ey)
・解体して食べる(Dyey)
・1階登る(X<.<)
・1階降りる(X>.>)

あれば便利。
・加速
・腕力強化
・毒矢を撃つはいらない。設定する時間がもったいない。殴り殺すかロッドで。


感想。
変愚のアンドロイド狂戦士は、誰がやっても開始3分でマゴット+エルフ鎧によりLv23という狂戦士の第一強化Lvを突破出来たし、ダンジョンの探索は一切行わずマクロを押しっ放しにするだけでプレイヤーへの負担が無かったのだけれど、ダンジョンクロウルはプレイヤーへの負担が高く、連続プレイが不可能な程に消耗する。変愚がラスボスが運なのに対して、ダンジョンクロウルは折り返し(宝物庫深層)までが運であり、物凄く疲れる。
基本的にクロウルというゲームは非常に簡単だけど手間と事故死を伴うといった感じのゲームであり、ゆっくり遊べば簡単でスリルも有り凄く楽しいのだけれど、タイムアタックは全然楽しくない。即宝物庫より楽なパターンが思い浮かばないし、もう駄目。変異能力者の肉食べまくったらいびつな体でAC下がりまくって馬鹿になって角消えて虚弱でQYだし。


宝物庫に辿り着くだけで20分必要で、辿り着いても撃たれて死ぬし。
Lv10程度で深層へ潜るハメになるので、見えない恐怖に2秒でHP80減らされたり、異常生成された敵に加速が成功する前に隣接されて殴り殺されるし、ロッド振られて死ぬし、減速耐性も混乱耐性も無いからかけられたら即死だし、探索必須階が水フロアだったりすると+5分だし。鑑定も瞬間移動も怪我も治癒も全然足りないので1ミス1死で精神的に堪えるし。かといってゆっくり探索していると時間だけが過ぎるし。
変愚タイムアタックの死は運だけど、ダンジョンクロウルはプレイヤーにも責任を押し付ける形の運だから、思考を止めたら死といったところがあって常時神経を張り詰めておかなければならず、やっとこさ辿りついた宝物庫の深層で殺されるとボロボロになってしばらく立ち直れない。


おまけに、今やっている事が全て最高にうまくいったとしても、
15分:宝物庫到達
35分:宝物個制圧
45分:蛇穴制圧
55分:沼制圧
59分:QY
くらいが限界であり、やる気がおきない。
やる気以前の問題として、ただでさえブログとかネットとか寝たり食べたりnomltestといった具合に忙しくゲームなんてやっている時間などまったく無い上に、僕はゲームをやらない宣言をしたのでダンジョンクロウルタイムアタックとか出来ないので、どなたか意思を継いで1時間の壁に挑戦してみませんか。と、敗北宣言。

ちなみに戻るで飛んだ物凄い真面目な文章とはこれである。
なんとなくテキストエディタを開いていたものの、テキストエディタで書かずについついIEで書いてしまった理由を察してくれとは言わないけれど察してくれさい。

書く気が失せていたのにコメント欄でわざとだとか言われたのが腹立たしくて書き直してしまったという図柄だ。やはり元凶はゲームという事であり、足を洗って正解であった。僕の決断は正しかった。





参考リンク
 日本語版 Dungeon Crawl
 変愚蛮怒

 *鑑定*の巻物
 だんじょんひらおよぎ
 変愚蛮怒スポイラー


とりあえず現段階のタイムアタック記録。

一位:1時間21分、沼で3つめのルーンを手に入れた直後溺死。
二位:2時間過ぎ、獣の棲み処出口でやる気をなくしてQY
三位:1時間、獣の住処で蛇穴が見つからずにQY
四位:37分、宝物庫5Fでヤクトールの群れに矢を浴びせられて死亡。
五位:[NEW!!]31分Lv15、宝物庫4Fで斑紋に焼かれながら奮戦中に衝撃的焼死


2005年3月14日月曜日

ビッグイシューにより救済された人々と救われない人々の境界線。



>ビッグイシューの使命はホームレスの人たちの救済ではなく
>彼らの仕事をつくることにあります。


ビッグイシューはホームレスの救済を目的としていない。
けれども、ビッグイシューによって救済された人々は存在する。

それは素晴らしい事である。
救済された彼らにとっては。


















魔法のランプは存在しない。
我々の住むこの世界には、何にでも使える便利な道具は存在しないのである。
ランプはランプであり、トマトはトマトなのだ。

そんな世の中にも、一つだけ魔法効果のあるアイテムが存在する。
いや、正確には魔法効果など存在せず、ただの道具なのだが。


その、たった一つの魔法の道具とは、お金である。
金さえあれば、酢も人参もモズクもキャベツも、コールスローもタールもガールも、家風呂屋根空インターネットも、銀の弾でも手に入る。なんだって手に入る。


しかし、お金は魔法の道具ではない。
放出すると引き換えに、他の道具が手に入るというだけの事である。
何に放出するのか、誰に放出するのか、どれだけ放出するのかを決めるのはお金を使う本人であり、金が解決してくれる、という言葉通りの効果が常に得られるとは限らない。


ヘイ!マイケル!お金をあげよう。
ヘイ!マイク!お金をあげよう。
ヘイ!ハマ!お金をあげよう。
お金をあげよう。
たんまりとだ。
3倍だぞ、3倍。
たんまりとだ。


お金は魔法の道具ではない。ただの道具である。
豚は真珠を使えないし、猫は小判を使えない。
同様に、お金を使えない人間もいる。

そのようなお金を使えない人間が辿り着く道行く末は、自殺や夜逃げや自己破産であり、人によってはホームレスである。


青テントにもダンボールにもホームレスにも共通して言える事は、彼らはお金を使えない人間だったという事である。ニートや就職に失敗した無職や完全就労不能者がホームレス化したという形跡はデータには現れていない。ホームレスになったのは長期にわたってお金を手に入れていた労働者であり、ホームレスの50%以上に離婚経験がある事から見ても、明らかに普通の、しかしお金の使い方を間違った生活を送っていた人間である。

それがどうしてホームレスになったのか。
使うべきではないタイミングでお金という道具を放出し続けたからである。
ホームレスは皆が皆、お金を使う能力を欠いていた為、またお金を正しく使う努力を行ったという彼ら自身の過失、責任によりホームレスになったのである。


金を使う能力が無い人間が金を手にした時、なにが起こるのか。
それは僕にはわからないし、僕が書くべき事ではない。



ただ一つ確かな事は、世の中には金で解決出来ない問題が存在するという事だ。


お金で全てが好転すると考る人間が多数存在しているのは知っている。
しかし、お金によって全てが好転するのは金を使う能力のある人間の人生であり、金を使う能力を欠いた人間の人生は変わらないどころか、往々にして悪化する。
ビッグイシューの販売者が焼酎と発泡酒で酒盛りをしただとか、売血時代には売血者を売人が待ち受けていただとか、3人に1人は3万円以上の月収を確保しているだとか、5人に1日は5万だとか、ニューギーランドの原住民の吹き矢の蛙の毒の針とか、マイケルマイクハマの結末といった情報はあるものの、憶測で書くべき事柄では無いと判断し、お金の話はここで終わりである。





では、仕事というものへ移る。
ビッグイシューは、ホームレスに仕事を与えていると言っている。
ご存知の通りこれは巧妙な嘘で、彼らが仕事を与えているのはホームレスではない。


しかし、問題はそこではない。
ビッグイシューの主張する「仕事」とは、仕事と呼べるものなのかどうかである。



ビッグイシューのシステムは、以下の通りである。
・彼らは販売者に値すると認めた人間と「契約」を結び、カードを発行する。
・カードを発行された人間だけが、ビッグイシューを1冊90円で仕入れる事が出来る。
・販売方法は販売者が路上に立ち、声を出して売るという形態以外は許可されていない。


一番の問題は昨日書いた通り、弱者救済の欺瞞の元で弱者を切捨てている事なのだけれど、販売者とビッグイシューの「契約」にも大きな問題がある。





有限会社ビッグイシュー日本はノーリスクでマネキンを抱える事が出来るという点である。

それ自体は別に画期的というわけではない。
アムウェイやタッパーやベガルタ仙台がプルンプルーンとしている所であり、珍しくもなんとも無い。
販売者が努力をすれば全てがよくなる素晴らしい商品商法であると洗脳し、信じ込ませて販売者自身に費用を負担させて仕入れさせる事により、彼らはそれを売り尽くす為に人生を猛進させる、という有り触れた商法であり、それが非常に効果的なやり方であるというのは、良く知られた所である。

その、彼らの仕事である。
自発的に路上に直立し、報酬は全て成果報酬である。
時給も基本給も路上手当ても存在しない。
時給も基本給も路上手当ても存在しないものを、有限会社ビッグイシュー日本は「契約」と呼ぶ。これは、仕事を与える際のフェアな労働契約とはまったくの別物である。


会社というものが人を雇用し仕事を与える際には、責任が生じる。
保険保障年金その他全て社会的に勤めるべき諸々の事柄である。
それらはコストが必要であり、会社の経営上は経済的損失となる。
それが労働契約であり、仕事というものが必ず伴う契約である。
それを行わない会社は、法によって裁かれる。



その責任をビッグイシューは果たしていない。
裁かれる存在であり、犯罪組織株式会社である。

ビッグイシューが販売者に与えているものは仕事ではない。
リスクである。
商品を仕入れさせ在庫を抱えさせるというリスク。
その商品を路上でスタンディングして販売するのに伴うリスク。
保険は無い。
保障も無い。
年金も無い。
医療も無い。
会社というものが人に仕事を与える際に行うべき義務は一つも果たしていない。
悪徳企業であり、ブラックリストの筆頭に書かれるべきやり口である。

有限会社ビッグイシュー社側にとっての販売者とは、ノーリスクで誌の売り上げを向上させる、魔法のマネキンである。マネキンという表現はマネキンに失礼であるのだが。





そして、その魔法のマネキンを無限生産できる保険がビッグイシューにはある。


「販売者はホームレスでなければならない」
という社会的身分による採用差別の禁止という法をも無視する魔法の一文である。

彼らは仕事を与えるという最大の嘘で、仕事を与えていない事実を隠す。
ビッグイシューの趣向に騙される人は、「実は仕事を与えていない」「ホームレスに仕事を与えた事は無い」という事実に気がついていない人である。

その契約の内容自体も、ビッグイシューを守る内容ばかりである。
たとえば、アルコール飲酒中に販売を行われると誌のイメージに傷がつく。
それが行われないように、「飲酒中の販売の禁止」という一方的契約を結ばせる。
また、薬物の使用中に販売が行われると誌のイメージに傷がつく。
それが行われないように、「薬物使用中の販売を禁ずる」と一方的契約を結ばせる。
その契約で彼らが得るものは、在庫というリスクと仕入れの出費のみであり、あとがどうなるのかは、販売者一人一人に委ねられる。ノー、リスク。パーフェクト契約。


「仕事を与える」は魔法の嘘である。
「販売者はホームレスでなければならない」と対になり、無敵の魔法の嘘になる。

労災fo
雇用保険st
健康保険fu
厚生年金保険goh


しかし彼らは裁かれない。
彼らのビジネスは法によって妨げられる事は無い。

「善行、社会貢献、ホームレス」
最強だ。アンタッチャブルだ。最強無比の後ろ盾、無敵の言葉の羅列の山だ。
法も、警察も、行政も、その他全てを黙らせて押し倒せるに十分な量のストロングだ。
完全無欠の力であり、隙無き言葉の暴力である。

与えているのは売らねばならぬの強迫観念であり、在庫の山だ。仕事ではない。
ビッグイシューが販売者全員に結ばせている契約とは、その全てが社の利益だ。
対等なものでもないし、そもそも契約と呼べるだけの代物ではない一方的なものだ。

ビッグイシュー日本の言う「仕事」も契約と呼べるような「契約」も存在せず、仕事という嘘と、契約という嘘と、ノーリスクで伸び続ける売り上げ益のみがそこにある。

ホームレスはその存在自体が罪であり、全国民が全力を挙げて滅ぼさねばならぬものであり、実体の無い嘘と欺瞞の違法契約を押し付けられるべき存在などではない。ホームレスというものが犯罪組織の飯の種にされ続ける事を許してはならないのである。













>ビッグイシューの使命はホームレスの人たちの救済ではなく
>彼らの仕事をつくることにあります。



遡る事2年前、2人の無職が英国へと渡った。
彼らはイングランドで仕事を見つけて帰国した。

そして、2人の無職はそれを実行に移した。
嘘で塗り固め、弱者のイメージを利用して無敵を手に入れ、労災も雇用保険も健康保険も厚生年金保険も法も契約も存在する確かな仕事の大成功を手に入れた。
その2名とは、ビッグイシュー誌の編集長である水越洋子と、副編集長の佐野未来。
ビッグイシューは弱者の権利を踏み躙りながらそれを巧みに隠蔽する事で、2人の無職を救済する事に見事成功したのである。


そしてもう一人救済され、利益を手にした人がいる。
副編集長佐野未来の実父である、有限会社ビッグイシュー日本社長、佐野章二その人である。ハッピーエンドの結末である。


2005年3月12日土曜日

ビッグイシューの言う大成功とは何か。



ビッグイシューは大成功している
それは紛れも無い事実である。


その大成功はホームレスとはまったく関係の無い場所にある。
誌の商業的成功こそが、ビッグイシューの言う大成功なのである。
彼らは新着ニュースから障害情報を速攻で削除するブログサービスのように、その成功の正体を巧みに隠蔽し、ビッグイシューが何をしているのかを見えないようにした上で、ホームレスでメッキをしている。
しかし彼らのやっている事はハゲタカドラッグと同じか、より悪質である。







ビッグイシューとブロックブログ連合軍は検問を公言している。
これに関しては論外なので事実だけ書き、以後は触れない。





では、本題である。

ビッグイシューという不沈帝国モデルの目的は、物乞いを物売りに進化させる企業を立ち上げるという事である。ビッグイシューモデルが物乞いに効果を発揮する事は明らかである。
しかし、物乞いが存在しない国では物乞いを進化させるという本来の素晴らしい効果が発揮される事は無い。



つまり、物乞いが存在する国においてのビッグイシュー社は、
・「誌の商業的成功」
・「物乞いを物売りに進化させるという効果」
の2点を伴うものであり、価値ある勤めを果たしている社であると言える。


我が国におけるビッグイシュー社は、
・「誌の商業的成功」
というものを見事に大成功させているが、本来持つ効果は存在しない。



その他の効果を、なにもしないよりマシと考えるのか、害悪であり癌であると考えるのかにより、ビッグイシューの評価は決まる。
英国ビッグイシューの名誉の為に書いておくと、ビッグイシューを日本に持ち込んだのはビッグイシューではなく、水越洋子と佐野未来という2名の日本人である。物乞いの存在するホームレス産業大国における、物乞いを物売りに進化させるという目に見える素晴らしい効果を否定するつもりはまったく無い。





我が国のホームレスの2/3は労働を行っており、残りは物乞いではなく就労不能者である。また、ホームレスの八割はホームレスではなく、思い思いに占拠した場所に家を建て、そこで生活している。


彼らは自分の人生を管理するという能力が不足していた事により、ホームレスになったのであり、責任はホームレス本人の能力不足にある。自己責任であるとも言い換える事が出来る。それを棚に上げて隠蔽し、不法占拠とその不愉快さを正当化しているのがホームレスというものである。


しかし、ホームレスがホームレスをやめられない理由は他にあり、それは正しく国行政の不備、あるいは怠慢である。ホームレスを六畳一間の屋根付き無職月3万へと変換するシステムを作り上げる必要があるのは明らかである。1度落ちたものを拾い上げるシステムが存在しないというのは、社会として国として、非常に未熟である。

一応蜘蛛の糸は存在するのだが、「自由が欲しい」という傲慢さ、あるいは「顔向けできない」というプライド、もしくは「借金」という言語道断の理由により、ホームレスはその糸を無視して掴もうとしない。
糸では駄目なのは上記からも明らかであり、国の手による、自由もプライドも借金も無効化出来る、強固でスマートで即効性のあるシステムが必要である。





では、ビッグイシューが何をやっているのかという点に移る。
彼らは、就労ホームレスをビッグイシューの売り子に変換する。
以後は日本ビッグイシューの表記に従い、販売者と書く。


就労ホームレスの平均月収は2万円程度であり、販売者の平均月収は約7万円である。ビッグイシューは3倍の金でホームレスを雇い、売り上げを得ているのである。

つまり、ビッグイシュー誌の日本における効果とは、ホームレス間の貧富の格差を拡大させているというその一点だけである。それと同時に、販売者同士の横、社との金の流れによる縦という2つの人脈を作り出している。
ホームレス社会では、金の力と人脈の力がその地位に大きく物を言う。
金と人脈という2つの大きな流れから取り残されたホームレスは、弱ホームレスとなる事を余儀なくされ、時としてそのねぐらを奪われ、それによりやがては最後の砦をも失う。

そこに手を差し伸べるのはビッグイシューでも炊き出し残飯(驚くべき事に人脈による不可分なテリトリーが存在する)などでは無く、使い捨て労働力を得る為に近づく犯罪組織、それと死である。




ビッグイシューのビジネスモデルに話を戻すと、これは成功して当然である。

ビッグイシューは最初にホームレスと契約を行い、販売者に仕立て上げた上でビッグイシュー誌を10冊手渡す。この契約を結んだ人間だけがビッグイシューを売る事が出来る。そして、社が契約を結ぶのは優秀な就労ホームレスのみである。いや、就労青テントのみである。


その優秀な就労青テント改め販売者は、以後はビッグイシュー社から雑誌を一冊90円で仕入れる事になる。
自腹を切った販売者は、その在庫が商品としての価値を失う前に全てを売りつくしてしまおうと必死で街角に立つ。
必死であるし、通常の書店で売られる雑誌のように返品にあう事も無いので、ビッグイシュー社はノーリスクで必死な販売者を低賃金で永遠に確保し続ける事が出来る。
また、ビッグイシュー社は販売者による優秀な販売者のスカウトを奨励している。その販売者増殖ネットワークの裏では、口車に乗せられて道端に立たされ在庫を抱えた無能な販売者はすぐにフェードアウトする。淘汰による完璧な選り好みシステムである。
ビッグイシュー社にとって良いホームレスとは、良い販売者の事である。
彼らは悪い販売者にはまったくもって興味はない。悪い販売者とは売り上げが上がらずに仕入れに来る事をやめフェードアウトした無能な販売者と、本物のホームレスである。
ビッグイシュー社が定期収入を与えているのは青テント販売者であり、ホームレスではない。彼らはホームレスを完全に切り捨て、無視している。


平均以上を売り上げる優秀な販売者は、全員が10時間以上も努力してビッグイシュー誌を売るそうである。驚くべき事に、路上で立ちっぱなしで声を上げ続けるそうである。
彼らがそのような販売者としての役割を果たせるのは、彼らが優秀な就労青テントであったからであり、無視以前の問題として、普通のホームレスにはそのような労働は出来ない。


そして、その労働には賃金の異常さと成功報酬によるというMLM的な一方的契約形態という2点の明らかな違法性を持つ。
10時間で4000円を誇りに出来るのは「社会貢献」の隠れ蓑があってこそであるし、一方的な契約も「社会貢献」という欺瞞により成り立っている。
「NPO、社会貢献、ホームレス、権利」といった武器で行政を押し倒し、路上に立って誌のマネキンとなる事を許可させる。その政治力が、シルバイスラエルやテレカイランらとの決定的な違いである。


しかし、彼らは社会貢献などしていない。
ホームレス間の格差を広げ、不平等を浸透させながら、雑誌の10万部に手が届かんという驚異的な売り上げをノーリスクで叩き出すという大成功をしているのだ。

また、販売者は普通の所謂ホームレスなどではない。
エリート青テントであり、10時間立てるだけの若さと、道で声出す人間力を伴い、他人が近づいてくるだけのエリートさ、高貴さ、清潔さを持ち合わせた社のマネキンである。
社の売り上げの為に、滅茶苦茶な雇用条件で売り子を確保し、売り子は自腹を切って仕入れた生鮮雑誌が色あせる前に必死で売ろうと10時間たち続けるという、ビッグイシュー社は手を汚さず清らかさだけをアピールしながら売り上げを伸ばし続けられるという、見事な戦略である。




では、販売者以外の本当のホームレスはビッグイシュー社にとってどのような存在であるのだろうか。それは、いなくなられては困る存在である。


ビッグイシュー誌の売り上げは、世間のホームレスへの関心によって支えられている。

市民の憩いの場である公園や河川敷を占拠し、図書館のロビーや貸本屋で暖を取る傲慢ホームレス問題への関心をまず第一の広告塔にし、
臭くて、醜くて、汚くて、道を歩いているだけでその存在自体が忌まわしきと認識されるような、最下層の弱ホームレスを第二の広告塔にしている。

彼らの存在無くしては、ビッグイシュー誌の大成功は無かったであろう。
青テント販売者に3倍の賃金を支払いながら、ノーリスクで大成功するという彼らのシステムは踏み躙られ無視し続けられる弱者の上で成り立っているのである。

さらにもう一つの広告塔が存在する。
それはメディアである。
「ホームレス問題」というアンタッチャブルすれすれの社会問題を肯定的に、また安易にハッピーに取り上げる事が可能となるし、投石後にフォークを聞きながら雀荘に繰り出す程度の知性しか無い馬鹿な学生は釣り放題である。また、滅びる寸前の大成功などとは程遠い弱小ウェブサービス会社なども時には飛びつき広告塔と化してくれるだろう。見事である。
テクニック的な事を書いておくと、「プレスリリース」という単語はSEO対策では魔法といっていい程の効果がある、最も重要な単語である。ネット企業のSEO対策の初めの一ページに、「プレスリリースを出せ」というものがあり、実際にそれを乱発して効果を上げている会社も多数ある。いやー、めでたいね。効果的なSEO対策を打ち出せて。おめでとう竹内克仁。







ビッグイシューと販売者は、不法占拠問題と、臭くて醜くて汚い存在自体が不愉快な浮浪者問題という2つの問題、さらに社会貢献、成功というイメージでメディアを利用し、巧みに商機を広げているのである。


「24ヶ国50地域」
「ホームレス」
「社会貢献」
「大成功」
「弱者」
という付け入る隙の見当たらない完璧な矛の陰に隠れるその実体は、弱者救済を演じながら弱者を見捨て、家無し人間における機会と金の不平等を浸透させ続けているのである。
その血も涙も無い冷血なマルチ販売者増殖システムの上で、10万部にも届かんという驚異的な売り上げによる利益を吸い上げ吸い取り続けている3悪人こそが、水越佐野佐野洋子未来と章二である。



滅びるべきであり滅ぼさねばならぬ存在である青テントと浮浪者という2つの存在を上手く利用して知名度を上げ、滅茶苦茶な賃金で販売者の意思を支配して食い扶持を得続け、さらには社会貢献の看板を得るという画期的なモデルというのが日本ビッグイシューモデルである。

弱者救済のふりをして弱者を切捨て搾り取り、不平等を拡大させながらおまんまにありつく社会貢献有限会社は、今すぐ滅びるべきである。
滅びるべきは欺瞞と嘘の有限会社ビッグイシュー日本である。


2005年3月11日金曜日

ビッグイシューにNOと言う。



ホームレスはその存在自体が罪であり、害悪である。





誰もが、ホームレスが一人も存在しない社会を望んでいる。
その大多数は、
「誰もが人間らしい生活を送る権利があるからホームレスは駄目」
と考えているのではなく、
「ホームレスは存在自体が迷惑だから一人残らず消えて欲しい」
と考えているのである。


そもそも、ホームレスはホームレスでは無い。
彼らには家がある。

本来は誰の居住空間でもない地域である公園や河川敷、駅といったものを不法に占拠し、そこを住居として生活している。
しかもリビングまである。
図書館の広間で、駅のベンチで、城で本屋でデパートで、彼らはくつろぎ暖を取る。
おまけに、アルミ缶鉄缶を盗み取り、私利私益へと代えている。
臭い、汚い、気持ち悪い。存在自体が不愉快である。
ホームレスの存在しない社会を皆が望むわけである。





ビッグイシューブロックなるものが発表された時に、上のような書き出しから始まる投稿を行おうと序文を書き終えてからインターネットを彷徨ってみたのだけれど、ホームレスに関するウェブサイトはどこもかしこも糞サイトであり、まともな文章が見つからなかったので、さすがに裏づけ無しの決め撃ちで書いて良い題材ではないと判断し、投稿するのをやめにした。



ホームレス関連サイトの半数以上は、血だるまになったアザラシを氷の上に並べた写真をでかでかと載せてGIVE HELP FOR YOUとやってるだけであり反吐が出る。
ブログなんかはもっと酷く、適当な出来事を余丁町散人に解釈し、水にも水蒸気にもならないような文章で「ホームレスの心理」だとかとか「社会の病理」だとか「ニートとホームレス」だとかアフィっている始末でおめでたく、全部削除して堀江にアフィリエイトでもした方がよっぽど世の為人の為である。
やっとこさまともなデータに辿り着けたかなと喜んでみると分母が30であるからして書けるものも書けず、話にならない。どんだけ縦割り行政なんだ。地域意識剥き出しなんだ。

過去の年収の変移を、資産の変移を、納税額の変移を、借金総額の変移を、転職回数を、聞き取りの適当データでも構わないから酒を女を博打を出せ。
責任の所在を明確にしろ。




しかもやっとこさ行き当たったデータが聞き取りで、
「・働きたいと思っている。 YES / NO」
って、そんなもの当然全員イエス OR YESだ。

理想というものを「思っている」という設問形式で投げかけて、全員YESは当たり前である。「ホームレスが一人もいなくなればよいと思っている」という設問より馬鹿げており、「松浦あややとよろしくやりたいと思っている」くらいの糞質問だ。
そんなものに労力が注ぎ込まれたという事実が呆れて返って悲しくなる。

それを真に受けて、皆働きたいと思ってるんですよ!彼らは不幸なアザラシなんです。人より少し不運だっただけなんですって一体なんだ。人権派にも程がある。





裏づけは諦めて仕方が無いので決め撃ちすると、ホームレスは自己責任である。
それは、明らかである。


100万を超える失業経験者の中で、備えと対策を行わず適切な対処をしなかった怠慢な人間がホームレスになるのであり、ホームレスになる責任の全ては本人にある。
適切な貯蓄を行い、適切なHELPを申請し、血縁やら友人やらでぬかりなく保険をかけておけば、「多重債務に追いかけられて」といったくだらない理由を除いてはホームレスになどはならない。ホームレスの百倍以上の失業経験者数がいるという事実がそれを証明している。


ただし、ホームレスがホームレスから抜け出せない理由は他にある。
こちらはかなりの部分で国行政に責任がある。
真面目に働くフリーターよりも遥かに裕福な生活保護者が多数存在し、行政による格安家賃の恩恵を享受する人間が存在する一方で、1度ホームレスになった人間を「家有り無職」へと拾い上げるシステムが出来ていないというのはあまりにも未熟である。
ホームレスになる理由と、ホームレスを辞められない原因はまったく別のものである。




ホームレスとホームレスを書く人間の傲慢さは、ホームレス本人の愚かさを無視して、ホームレスを拾い上げるシステムと社会へと責任を転嫁している点にある。

カップ酒とカートンと借金取りに追われて青ビニールの原因がどうして国行政なんだ。
こういう無茶な決め撃ちをタイピングするのは物凄く辛く苦しい。思ってますとか出身地とかそんなのいらないから、収入と納税と貯蓄の変移の数字が欲しい。しんどい。

けれども、垣間見えるのは本人の愚かさであるのは事実である。
係数100の能天気で危機感の無い快楽主義者の姿である。
自己責任を徹底的に隠蔽しながら、憲法で保障された権利を!とGIFバナーを貼り付けるその神経が理解出来ない。




さらに、ホームレスの傲慢な病理は深い。
国や自治体が駅や公園から出て行くように差し向けると、必死で抵抗する。
シェルターとか呼ばれる宿泊施設を用意しているのにも関わらず、である。


彼らの言い分がまた面白い。
「宿泊施設には自由が無い」
ってそれなんだ。
いつまで15の夜してんだ。言えた身分か。

その非常に面白い自由とやらで市民の憩いの場である公園を、駅を、河川敷を悪臭で占拠し、「国は助けてくれないもういいよ糞っくらえ冷酷国家め」だなんて、どの口あれば言えるのだ。図書館の広間を占拠し、時たま入っては団鬼六を手に取り口には国行政か。どうしようもない。
国の手を取ろうとせずに自由を手にする傲慢さには呆れて果てる。




と、前置きした上で本題であるビッグイシューについて書く。
はっきり申し上げて、ビッグイシューというものを理解出来ないし、そのバナーを貼る人間も同様に理解できない。




まず、その最たる点は、


>ビッグイシュー誌の趣旨から外れているというブログに対しては、
>ブロックの掲載を停止するという権利は留保させてもらいました。
これである。
お笑いである。
検問である。
人権擁護法案も真っ青である。

なるほど。
よくよくわかる。
英国発祥貴族の国の素晴らしく崇高で創価学会なんかよりもはるかに高名な映画スター達がこぞって大絶賛のスーパービジネスモデルシステムに賛同しない趣向のブログはお断りとはSTFUHAHA!HA!HA!。見事である。


21世紀の画期的な検問応用通信電業株式会社&検問ビッグイシュー連合軍はさて置いて、次である。






ホームレスはその存在自体が罪である。
なにしろ、彼らは臭くて汚く、不法占拠と盗みをしている。
ホームレスの収容施設で成功したものは一つも無く、(その滞在可能期間や設置位置という問題はあるものの)施設に入らずに、市民の憩いの場である公園で、駅で、河川敷で自由を享受し続け、図書館で、本屋で、デパートのベンチでくつろぐ。

そのような人々が、ちょっと不運で善良な市民を装いながらビッグイシューを抱えて駅前で笑顔を振りまき叫ぶというのは、とてもではないが許容出来ない。
テレカを売るイラン人やシルバを売るイスラエル人、アドビを売る中国人や覚せい剤や春を売る、といった人々よりは幾分かはマシではあるのだが、非常に迷惑である。


そして重要なのは、ビッグイシューは根本的な解決にはならないという事である。
その発祥自体がカースト制度の残る大英帝国という、まともな医療保険も無い一方でホームレス利権に人が群がる貴族の国、それも「基本は物乞い」という我が国のホームレス実情とは懸け離れた博愛主義の国のやり口であり、我が国でそれは通用しない。カルフールにはうんざりだ。
終わり尽くした鉄の国では状況をカイゼンしただけで大成功の張り紙を貼れるのだろうけれど、我が国の有るべき姿は改善などではなく、1億全人民が最低限度の人間らしい屋根も風呂も水道もテレビジョンも存在する住居に住み、月1万5000円を食費に費やせる生活である。


我が国のホームレスに必要なのは、公共の場に不法に築き上げられた住居を強制的に撤去し、施設へ問答無用で収容した上で6畳一間への再配置と、医療費の免除、それに適切な額の援助と、雇用機会の提供である。
駅前やら自社仏閣やら観光地やらで無理やりに立ち微笑ませ、公共の場をねぐらとした住所不定を肥すなどは下の下である。一人残らず消えて欲しいと願いながら、人前で商売をさせるをよしとする、その神経がまったくもって理解出来ない。
行き着けの図書館のロビーを占拠した煙草片手でスポーツ紙を読むホームレスの皆様方が笑顔並べて立ち上がり、雑誌片手に近寄る姿は想像するに絶句する。

空き缶を集めていた人間が、ダンボールを拾っていた人間が、日雇いを転々としていた人間が、より楽で安易で映画スターの笑顔の載った商品を売りさばく売人へと進化し、駅前に毎日立ち叫ぶ事を「好転した」と貴方がたは捉えるのですかと、問いたい。


必要なのは基盤であり、越すか越さないかも疑わしい額の金ではない。
地下鉄のホームでの金の巡りを最適化した上で商業的進水式を遂げた事を大成功と呼べる国は、七つの海の向こうである。





僕が否定的であるのは、NPOあるいは市民の力というものを信じず、何事にも国の力が必要であると考える右隣にあるといえば、確かにあるのだが。だが。

炊き出しとビッグイシューの力によって、100年間で10万人のホームレスが9万人まで減りましたでは遅いのである。明日、今日、いや今すぐにでも、公共の場に築かれた不法占拠のダンボールを一つ残らず消し去る事が求められているのである。
ビジョンの無い英国の会社による富める住所不定の作成ではない。

もしもそれが、人が行き混む時間の駅前にホームレスを立たせるという手法ではなく、誰にも知れずにこそっとやり明確なビジョンのある緩やかなものであったのならば賛じていたであろう。

しかしビッグイシューにあるものは、英国式の物乞いを、物売りへと進化させるその進化手段だけであり、古週刊誌売りや空き缶窃盗者は多数存在するものの、物乞いの存在しない我が国には不適切であるばかりか、好転要因とはならない。




我が国には約3万人のホームレスがいる。
ビッグイシューが3万部売れても一人頭百円である。月額百円で、ホームレス間の格差と不公平を浸透させながら、駅前に立つ迷惑なホームレスを増やすシステムのどこを指して社会貢献と呼ぶのだろうか。

悪いのは行政の不備と、ホームレス自身の怠慢と、傲慢さと、犯罪の寝床である。
もう一つ、英国式の物乞いを進化させるだけのビッグイシューシステムである。
我が国に物乞いはいないのだ。
いないというか、成り立たないのだ。
ホームレスを富めるホームレスに進化させ、上と下の格差を作り出すのがビッグイシューのやっている事なのであり、害悪である。


ビッグイシューにビジョンなどというものは無い。
ブログにつく「1000万円の」というコメントと同様程度の
「見事社会復帰しました!!こんな凄い例もあります!!!大成功!!」
といったくだらない一例を大本営発表しているのがビッグイシューというものである。

彼らの言う成功とは、「物乞いが売り子に進化し、社の発行する雑誌が読者と売り上げを確保した」というメディア受けのよい、ハリウッドスターを無報酬で雑誌に載せながらNPOするという画期的で目新しいビジネスモデルの大成功であり、ホームレス救済の大成功ではない。


ビッグイシューに実体は無い。
ビジョンも成果も存在しない。
あるのは売り上げと検問と芳しい売り子だけである。


ビッグイシュー関連の投稿をしないのは



引き篭もりとホームレスというのはイコールであるから。
イコールじゃないにしても、ヒャダインとイオラくらい。


---
たかが投稿を戻るで消してしまった喪失感くらいで覚悟もせずに適当な気分で2行ぽっちの投稿などといったものをしてしまうと居心地が悪くなってしまい書かない理由などというものが原因で書かざるを得ない状況に追い込まれてしまうという悪しき見本ブログは災いの元あ、このフレーズまたどっかで使おう酔って絡もうぜ酔って絡もうぜ酔って絡もうぜ結論としては名称未定がお亡くなりになて蘇生を試み続けたけれど一向に動く気配無し死因は不明また0からでものすごく精神的に厳しいけどまあいいやっていうかこの投稿自体を削除したいくらいに脱兎な気分なのだけれどもう逃げらんないし困った沼ドラゴンスケイルメイル。
---

---はい移転
引き篭もりとは、イコールホームレスであるからである。
その違いは、人の目に触れる回数と迷惑をかける人間の頭数だけである。

日本国民の誰もがホームレスが一人残らず消え去った社会を望んでいるように、僕が迷惑をかけている人間は真性引き篭もりが一人残らず消え去った家を望んでいるのはお前が死ねばよかったという台詞を耳にする遥か昔から明らかであり、「ホームレスは罪である」という文章を書くという事は即ち「真性引き篭もりは罪である」という文章を書くのとイコールで結ばれる。

僕は自分の事を棚に上げて「罪である」と書くような態度は取らぬし、真性引き篭もりを含めて断罪出来る程にジャスティスではない。

ホームレスに対する汚い醜いなどという文章は汚く醜い僕としてはまったくもって書けぬし、臭いなどと書いたところで、田子町なんて町ごと臭いし宇都宮なんて県ごと臭いぜと簡単に逃げられるのでまったく意味が無い。にも関わらずうっかり突入しちゃった真性引き篭もりは罪作りである。せっかく堪えてスルーしてたのに。


戻るで文章飛んだあああ



うあああああああ久々に戻るボタンで投稿飛んだああああああああああ真面目な方なのにいいいい


2005年3月10日木曜日

お言葉ですが、それはいくらなんでも自意識過剰すぎると思います。




「真性引き篭もり」さんの『ビッグイシューにNOと言う。』で、ビッグイシューに関する批判が読める。この記事を含め、現在だけで5つの関連記事がある。ちなみに記事中の、


ホームレスに関するウェブサイトはどこもかしこも糞サイト。
ブログなんかはもっと酷く、適当な出来事を余丁町散人に解釈し、水にも水蒸気にもならないような文章で「ホームレスの心理」だとかとか「社会の病理」だとか「ニートとホームレス」だとかアフィっている始末でおめでたく、全部削除して堀江にアフィリエイトでもした方がよっぽど世の為人の為である。



とは、むろん当ブログを指す。余談ながら、毒があればおもしろいというものでもあるまい。



はい。



なんだか、バラモスにメラ唱えてたらバラモスゾンビが飛んできたのよりも遥かにありえない所からありえないあるまいが来てしまい、どうにもこうにも言葉が出ないのでありますが、成り立ちから説明いたしますと、当ブログの管理人真性引きこもりはアメーバブログというブログサービスと少なからずの遺恨があり、それを粘着質にしつこくだらだら延々と、バレバレな文章から誰にもわからぬ文章まで、ありとあらゆるやり方で孤独な大闘争を繰り広げて今日に至っております。


昔々その昔、ちょうど僕がアメーバブログを超真剣に偵察していた頃、アメーバブログには乞食ブログという大成功した詐欺師のブログがありまして、その成功を見て雨後の筍のように糞ブログが増殖し、ありとあらゆるお笑い視点の切り口でホームレスを語るが大流行してアフィりだしたという歴史があり、それを指した文章が「むろん当ブログを指す」部であり、DOTA allsatarsの次に歴史のある由緒正しき続きものの文章なのです。


よりによって最もどうでもいい部分が引用されているので触れないでおこうかなとも思ったのですが、さすがにそんな滅茶苦茶な場所を誤読されるとは想定外の出来事であり、真性引きこもり史上最も恥ずかしく最も脱力なブログ投稿を行うに至り、なんだかとても非常に寂しいです。


とりあえず今後とも誰が読んでもわかるように、あるいは僕しかわからないくらいにこっそりと、対アメーバブログ路線を突き進みますので、からあげともどもよろしくお願い申し上げます。


毒があればおもしろいというものでもあるまい。



ええ、毒があればおもしろいというものでもあるまいと思います。
ごもっともです。では。乱文お許しください。



農村は馬鹿だ。



あの、それは、少しだけ。
そう、ほんの少しだけ間違っていると思います。


低価格志向が日本の消費者に受け入れられなかったのではなく、日本の消費者は既に低価格の中にどっぷり漬かっていたので、カルフールに魅力を感じなかったというだけではないでしょうか。


カルフールのやり方を調べてみると、おっきい駐車場のあるおっきい店舗を郊外に出して、徹底的に低価格を打ち出して食品だけではなくいろんなものを売るスーパースーパー大作戦であり、それは主婦の店ダイエーが30年前に吸い尽くした商法であり、そんな時代遅れのもので勝てると考えたフランス人は馬鹿であるというだけの事であり、撤退を余儀なくされて当然です。


だいたいからしてカルフールのホームページで店舗の見取り図を見てみると、おもちゃに文具に家電にパソコンというあきらかに新参者のオフランス如きが低価格を打ち出せる余地の無い品物が並んでおり、200%勝ち目の無い潰れかけのダイエーといった風情で、店員の底抜けにまぬけな笑顔が涙を誘うばかりです。

しかも、カルフールの売りは何かと調べてみれば、チーズとケチャップとオリーブオイルとパエリヤであり、それらが日本で説得力のある兵器として通用すると考えていた時点でフランス人は頭にぎっしり黄色いパエリヤです。


そんな子供だましのやり方が通用するのは発展途上国だけであり、我が国のような小売業が進化に進化を重ねて低価格の低価格の特化の特化、叩き売りの叩き売りの行き着く先まで行ってしまっておる国に進出した時点で間違いであり、「世界第二位」といった全米一位級の子供だましを真面目に受けて真面目な文章で農村を叩いている人間の知の底の浅さが見え知れ渡り透き通るところであります。
あ、日経の事です。日経。ええ。


日本で流通している農産物は大きく分けて、低価格の中国産と高価格の国産という2種類であり、中国産を買いたくない人間は神話を信じる信じないは別として、国産の品物を買い、気にしない人間は気にせず中国産の椎茸や痩せ細ろえた白葱を買い求めるわけで、それを嗜好操縦と呼ぶのはものっ凄く、ずれております。国産野菜と中国野菜にブランド力以外の差は無いと仰るのならばそれはもう、黄色いパエリヤですが。





>日本に於いては、農産物の調理技術が未熟であると言うことも一因かも知れない。
>素材にあまりにも依存した料理技術しか開発されてこなかったのだ。
ええ、そうですよ!それですよ!
ほんとうに我が国の食文化は過った進化を犯してしまったと感じます。

>安い素材をいかにして上等の料理に調理するか、
>これこそが料理技術であるのだけれど、それがない以上、
>料理はバカダカイ「素材」だけに依存することとなってしまう。
>悲しいかなである。
悲しい。
ものすごく悲しいかなであります。
ところで、バカダカイ素材に依存した我が国の料理にはどのようなものがありますか?ついでに、安い素材を上等の料理に調理する世界の技術というものを、物凄く知りたいので教えて頂けませんでしょうか。





少し話しを戻します。
農村に妻を寝取られ、また娘を駆け落ちされた僕としては、日本中の農村という農村を焼き滅ぼしてファンガスの海に沈めたい日々思っているわけですが、やはりやるには周到に準備を重ねてぬかりなくやらねばならぬと思うわけで、毒電波パエリヤをブログで垂れ流すというのは、戦略としてどうかと思うのです。
やるならきっちりやりましょうよ。
これ本当に物凄く。

いや、本当に農村を潰したいってのはあるんですよ。
農村に妻を寝取られ、また娘を駆け落ちされた身ですから。
あ、ところで余丁町散人さんはどちらですか?
農村に妻を寝取られた方ですか?
それとも、娘を駆け落ちされた方ですか?

いや、その文章から迸る凄まじいパワーから読み解くに、絶対にそのどちらかだと思うのです僕と同じ臭いがするのです。一行目と終行にまったく関連性が無い文章とか。
寝取られましたか?
駆け落ちましたか?






なんか中途半端に長くなってしまいましたが、僕がとにかく思ったのは、将来おおきくなったら、偉い大学へ行って、偉い商社に勤めて偉くなって、それから退職して、退職した後はマッキントッシュとか買って、毎日毎日ブログで農村を罵倒し続けるといったような、素敵な老後を過ごしたいです。
拝啓。


2005年3月8日火曜日

老人の話はつまらない



「君の話はつまらない」と、面と向かって言われた事が無いのは、僕の話が面白いからでは無くただ単に、面と向かって物を言われた経験が無いというだけの事である。


つまらない話であると言われているものの筆頭に、政治家の話というものがある。
二段落目をこのように書き出したからといって、政治家のつまらない話を書くわけではなくただ単純に、つまらない話を書くのである。

他にも、色々ある。
老人の話はつまらない。
坊主の話はつまらない。
上司の話はつまらない。
教師の話はつまらない。
若者の話はつまらない。
子供の話はつまらない。
女の話はつまらない。

そのようなものの覧に「引き篭もりの話はつまらない」というものが無いのは、引き篭もりの話が面白いというわけではなくただ単に、引き篭もりというものは話をしないからである。


引き篭もりの話が面白いかつまらないかという事に関してはよくわからないのだけれど、真性引き篭もりというものがつまらないという事は確かである。

つまらない朝に目が覚めてつまらない尿意を催し、つまらない我慢をしてつまらない頃合につまらない食事をつまらなく食べる。つまらないゲームをしてつまらないウェブサイトを巡りつまらないブログを読む。つまらない悩みを抱えてつまらない結論に達し、つまらない文章を書く。やがてつまらない朝が来て、つまらないから眠ろうと思うのだけれど、つまらない物音に緊張し、つまらない恐怖に取り付かれて眠れない。やっとこさ恐ろしい出来事の全てを脳みそから追い出す事に成功して眠ろうとすると、つまらない学童の声にそば耳を立ててしまい、「学童の話はつまらない」というつまらないつまらないし、つまらない眠りにつく。
実につまらない。
退屈に溢れている。



では、面白い一日というものはどのようなものであるのかと少しばかり考えた。
おそらくそれは、面白い朝に面白い尿意を催し、面白いゲームを遊んで面白いブログを書き、面白いウェブサイトを巡って面白い眠りにつくといった、実に面白く驚きに満ち溢れたものを指すのであろう。
そのような一日を送ってみたいと思い、それを僕が送れぬ理由を考えた。

それはもう明確であり、明確であった。
つまらない一日などというものは存在しないのである。
同じく、面白い一日というものも存在しないのである。
世の中にはつまらない人間と面白い人間という、二種類の人間がいる。
ただそれだけの事である。




つまらない人間は何をしてもつまらないし、面白い人間は何をしても面白い。
これを話というものに当てはめると、老人の話がつまらないというのは間違いで、老人はつまらない、より正確に言えばつまらない老人がいるというだけの事である。

つまらない人間の話はつまらない。
つまらない人間の話はつまらない。
つまらない人間の話はつまらない。
つまらない人間の話はつまらない。
つまらない人間の話はつまらない。
つまらない人間の話はつまらない。
つまらない人間の話はつまらない。
こうしてみるとわかりやすい。当然である。
つまらない人間の話が面白いわけがない。



だからといって、
「インターネットもアウターネットもつまらない話で満ち溢れているんだね。」
という答えを導き出してはいけない。

つまらない話というものは存在しないのである。
同様に、面白い話というものも存在しないのである。
世の中にはつまらない人間と面白い人間という、二種類の人間がいる。
ただそれだけの事である。





それがつまらないものであるのか面白いものであるのかを判断するのは人間である。
面白い人間であればなんだって面白いと感じるし、つまらない人間であればなんだってつまらないと感じるものである。

峠の先の灯台の下の手摺の台座に踏み乗って、曇り空の間から洋上へと差し入る光の帯は、つまらない人間にとってはつまらない風景であるし、面白い人間にとっては面白い風景である。

数字と数字の難解式が延々と並べられた神の書物の本棚は、つまらない人間にとってはつまらないものであるし、面白い人間にとっては面白いものである。

2つめの目覚まし時計に叩かれて、片手で歯ブラシを磨きながら片手で顔を拭い、片手でトーストを食べながら片手で紅茶を飲み、片手で鞄を持ったまま片手でノブを回して始まる一日は、つまらない人間にとってはつまらない一日であるし、面白い人間にとっては面白い一日である。


つまり、つまらない人生だとかつまらないテレビだとかつまらないインターネットだとかつまらないブログだとかつまらない真性引き篭もりなどといったものは存在せず、つまらない人間がいるだけである。
逆に、面白い人生を送りたいといならば面白い人間になればよい。


面白い人間になれば、面白い朝が面白い昼下がりが面白い夜が面白い夜更けが面白い目覚まし時計の鳴る音が、面白い家族が面白い友が面白い同士が同僚が、面白い出会いが面白い別れが、面白いテレビも面白いラジオも面白いブログも、面白換気扇、面白扁桃腺、面白消灯時間、面白急須、面白生きると面白死、その他全ての面白いが手に入る。

これを間違ってつまらない人間になってしまえば、面白人間であれば享受出来る事柄の全ては失われ、つまらない朝が来てはつまらない昼下がりまでつまらない時間を過ごし、つまらない夜を待ってはつまらない夜更けを過ごす。つまらない家族がつまらない出来事を呼び覚まし、つまらない友がつまらない記憶を刻み込む。つまらない出会いはつまらないまま別れを呼ばず、つまらないからと逃げ出そうにも行く宛てが無くつまらない。つまらないテレビも今は無く、つまらないラジオを耳にもせずに、つまらないブログとその他諸々のつまらないが積み重なる。


つまらない人生を送りたければつまらない人間になればよいし、面白い人生を送りたいのならば、面白い人間になる方法を見つければよいのである。
しかしながら残念な事にお知らせに、面白い人間になる方法というものは未だ発見されてはいない。しかも、面白い人間がつまらない人間になった例だとか話しだとかはそこいらじゅうに転がっているけれど、つまらない人間が面白い人間になったという話は聞いた事がない。


1度つまらない人間になってしまうと、なって精々つまらない面白人間である。
面白人生を望むのならば絶対に、つまらない人間になってはならぬのである。





結局の所、老人の話がつまらないというのは間違いで、「老人の話はつまらない」といった類のエントリーを書くつまらない人間がいるというだけの事である。
そのような、つまらない人間にだけはならぬようにしたいものである。


金輪際ゲームはしない。



金輪際しないし、金輪際書かない。


2005年3月6日日曜日

ヌルゲーマーのエンディング



ヌルゲーマーにエンディングは無い。

おい、その表題でその書き出しは無いだろう。
仰せの通り、その通り。たしかにこれは、ないと思う。
けれども少しだけ待って欲しい。
そりゃないだろうと罵る前に、少しでいいから聞いてお願い。






ありとあらゆる始まりと対にして、終わりは必ずそこにある。
宇宙太陽世界にも、七つの海にも五里霧中にも第三帝国にも、マイクロソフトにも1000年の眠りにも100年の恋にも愛知県の北西部にも、終わりは存在するのである。
それはやがての時を経て、必ず訪れるものなのである。

けれども、終わりを指してエンディングと呼ぶのは間違いである。
エンディングとは終わりの周囲の一掴みであり、終わりそのものではない。
終わりの近さ告げる太鼓とドラが鳴り響き、ものっ凄い顔の黒人のおばさんが物凄い顔をして歌う、聞き取れないフレーズと聞き取れすぎるフレーズの交差する歌とか賛美歌とかバッハとかそういう類の妖しい音楽が妖しいテンポで流れる中で終わりが訪れるまでの間を指して、エンディングと呼ぶのが正しい。




では、エンディングの無い終わりはあるかどうかという事である。
エンディングの無い終わりがあるならば、ヌルゲーマーにはエンディングが無い。
あるのは終わりだけである。

そうではなくて、終わりが必ずエンディングを伴うものであるならば、ヌルゲーマーにだってエンディングが存在するという事になる。




結論から書く。
終わりは必ずエンディングを伴う。

おい、その書き出しでその結論は無いだろう。
仰せの通り、その通り。たしかにこれは、ないと思う。
けれども少しだけ待って欲しい。
そりゃないだろうと罵る前に、少しでいいから聞いてお願い。
なんでもいいからある事無い事てんやわんやにでっちあげ、すりきりいっぱいの両眼を輝かせながら朝まで話したい気分。いつも決まってそうだけど、今日は特別そうなんだ。だからもう少しだけ待って欲しい。


エンディングはあるのだけれど、エンディングは無い。
事は至って単純で、エンディングに気がつかない類のものが世の中には存在するのだ。

例えばやわらぎ。
ももやのやわらぎ。











エンディングはあるのだけれど、エンディングは無い。
事は至って単純で、エンディングに気がつかない類のものが世の中には存在するのだ。

例えば輝き。
永遠の輝き。

輝きはエンディングに気がつかない。当然である。
輝きにはそもそもエンディングであると理解出来るだけの頭が無い。


世の中は輝きほどでは無いにしろ、足りない人で溢れてる。
劇中とは明らかに違う曲調がわんわんわんと鳴り響いているのに、エンディングの最中であるとは気がつかず、次はどうなるんだろう!?と心を躍らせる人が大勢いる。ビルの窓辺で列車で部屋で、ワクワクしている人がいる。

けれどもそれはそうじゃない。
ワクワクするのは勝手だけれど、それは終わりの最中で、金色の猿より強い奴もバスケットボールの決勝戦もハンターの絵もなにもかも、そこから先はもう無いのだ。
にもかかわらずジャッキーチェンは、ビルの窓辺で列車で部屋で、NGシーンを繋いでる。エンドロールが流れる中で。





結局の所、エンディングであるとわかりにくいエンディングの真っ只中にあるこの世界は、エンディングであるとわかりにくいエンディングでありふれているという事なのだ。
絶望である。エンディングである。エロゲー風に言うと、絶望エンドである。
響きからして、多分一番エロイと思う。
まず見るならば絶望エンドだな。俺は。



しかしながら、世の中にはわかりやすいエンディングだってある。
崖の間際で女が泣けば、エンディングだなと誰もが気がつく。
あと一球に大久保が立てば、エンディングだなと誰もが気づく。
英語の苗字が奥へと消えれば、エンディングだなと誰もが気がつく。

そういうわかりやすいエンディングの頂点のてっぺんのまんまんなかに、ゲームのエンディングというものが存在する。
それは、ものすごくわかりやすい。
しかも総じてハッピーエンド。

ゲームのエンディグというものはそう正に、エンディング界の救世主である。
亀とか蜂とか魔王とか、ぬるぬるの銀のお化けとかそういう類が最後にはいて、そいつを倒せば晴れて見事に清らかに、誰にだってハッピーなエンディングが必ず訪れる。
それがゲームというものである。


しかし、そのエンディングを迎えられない人がいる。
俗に呼ばれるヌルゲーマー、ヌルゲーマーという人達である。
彼らはぬるい。非常にぬるい。物凄くぬるい。

一部、一般、善良で、良識のあるゲーマーからは、
「ヌルゲーマーのせいで最近のゲームは駄目になった」と、
事ある毎に罵られるくらい、ヌルゲーマーは、生ぬるい。



けれども、ちょっと待ってくれ。
少しでいいから聞いてくれ。
だって、そうである。

別府と野呂の区別がつかないくらいに生ぬるい人がいるように、'歩'という漢字を書けない人がいるように、懸垂を1度足りとも出来ない生ぬるい人がいるように、その全てを兼ね備えた生ぬるい人がいるように、どうしようもないくらいに生ぬるいゲームの腕前しか持っていない人間だっているのである。
それはもう、生まれつきであり仕方が無い。
悪いといわれりゃ、悪いのだろう。
それはもう、僕の書く日本語の質くらいに。






無敵のイントロが聞こえる。
無敵の歌を歌うぞ。無敵の気分に乗っかって。
おそらく僕は、多分死なないそうきっと、特別に驚異的な人だから。
永遠にブログを書き続けるし無限地獄に電源の入らないPCと戦い続ける。
つまり僕がなにもしないでいると、エンディングとは無縁の日々が続くのである。

だからこそ!
だからこそ僕はゲームをするのだ。
ゲームには必ずエンディングがあるから。
だからゲームが好きなのだ。
ハッピーエンディングがあるから。


ところがである。
僕はヌルゲーマーである。
なんか赤鬼を見事に倒しても、続くボスが倒せない。
やっているうちに物凄い嫌悪感に襲われてゴミ箱を空にした後に、「今ならやれる」と無敵の気分に襲われて再び進むと、今度は赤鬼が倒せない。

ちょっと待て、おい、待て。
この前倒したではないかと、物凄い嫌悪感に襲われてゴミ箱を空にした後に、「1度倒せたものが倒せないはずがない」と物凄い自信に襲われて赤鬼を倒してみたところで、やっぱりボスが倒せない。腹立たしい事この上ない。
エンディングはどこだ。
エンディングをよこせ。
太鼓とドラの響きを聞かせろ。
英語の苗字をゆっくり流せ。
ふざけるな糞ゲー。
糞ゲーめこのやろう。
世紀の糞ゲーめ。稀代の糞ゲーめ。雷鳴轟く糞ゲーめ駄目ソフト。
エンディングはどこだ。
エンディングをよこせ死ね。









他人を恐れて忌み嫌いながらも誰かを求め続けるように、ゲームは続く、どこまでも。
ヌルゲーマーの、エンディング。


テスト0200



パソコンの前でしていた事を可視化するソフト。



テスト以前の段階でリンク貼っといてなんだけれど、テストなのでリンク外しました。本体はこんな感じで、残りはバグとオプションと音です。

0.104からの変更点
・多数。

説明書正誤点。

×下段のデータは左クリックで削除出来ます。
○下段のデータは左クリックで作成、右クリックで削除出来ます。


2005年3月5日土曜日

300万本売れるシューティングゲームの作り方



マイクロソフト社の次世代OSロングホーンのスタート→プログラム→ゲームに、シューティングゲームを送り込む。
冗談ではなくて。

理屈はいいから、スタート→プログラム→ゲームに、シューティングゲームを3本送り込むんだ。それが一番の近道だ。ゲイツの横っ面を札束でひっぱたいてでも送り込め。ものを言わせろ。物凄くものを言わせろ。




面白いゲームが売れるとは限らない。
面白いゲームであれば売れるというような話ならば、パチスロゲームで50万本ならシドマイヤーズアルファケンタウリなどは8700兆8700億8700万8700千8700本だ。

どれだけ面白いシューティングゲームが存在し、発売されたとしても、ほとんどの人間が買わない。名作だろうが傑作だろうが凡作だろうが駄作だろうが買わない。
ほとんどの人間は、シューティングゲームを知らないからだ。

ゲームを買う人間の9割、あるいはそれ以上の人間がシューティングゲームに思い出も思い入れも無く、面白さも知らず、人によってはその存在すら知らない。
残りの数%の人が発売される度に群がったり散ったりしているわけで、奇跡的なまでに面白いシューティングゲームが登場しても、300万本どころか10万本も怪しい。


今時のポケモンだとかドラクエだとかFFだとか幻想などの一般大衆がSTGに触れる機会はというと、ナムコのローディングくらいのもので、それくらいの袖触れあいで思い入れや思い出を作り、STGというジャンルを認知するに至る人間はほとんどいないであろう。
ほとんどの人はSTGを知らずに生まれてきて、STGを知らないまま死んで行くのだ。
ゼビウスだとかグラディウスだとかいった黄金時代の近くにいた人と、なにか道を間違えてたいへんな事になってしまった大変な人だけがこっそり知るのがSTGなのだ。



売る、あるいはジャンルとしての一定の基盤を確立するには、物凄く真面目にロングホーンのスタート→プログラム→ゲームにシューティングゲームを3本送り込むくらいしか手は無い。
ピンボールやマインスーパがよくてSTGが駄目という道理は無いだろう。多分。


想像してみなよ。
アメリカ人もロシア人もオークランドの人もアフリカ人もパラグアイ人も長崎県民もみんなみんな、泣き喚いてファックとかシットとかオーマイガット。大陸という大陸のウインドウズというウインドウズのスタートメニューのプログラムで世界中の人民という人民が弾、弾、弾の雨あられに悲鳴を上げて逃げ惑う姿を!
最高じゃないか!








実際問題。
シューティングゲーム界の為にそのような飛び道具なロビー活動を行う団体も人間もいないわけで、現段階では馬鹿げた話ではあるのです。けれども、僕が立ち上がるからにはもう大丈夫です。
今からちょっと頑張ってお金とか貯めて、マイクロソフト社とかケツイ社とかアリカ社とかナオミ社とかそういうの全部買い占めて、ロングホーンに斑鳩とボーダーダウント、あと1こなにがいいかとかわからないくらいにシューティングゲーム事情に疎いんだけれど、適当に選んで送り込むので、ロングホーン発売までちょっと待っててください。


2005年3月4日金曜日

ヌルゲーマーのエンディング



ヌルゲーマーにエンディングは無い。


おい、その表題でその書き出しは無いだろう。
仰せの通り、その通り。たしかにこれは、ないと思う。


けれども、覚めない悪夢が無いように、何事にも終わりはある。
ヌルゲーマーに訪れる終わりを持ってヌルゲーマーのエンディングと称するくらいのゆとりが欲しい季節なのだ。寛容さを見せる時だ。違う違う違う違うそれはもとの姓は耿だったんだけれど幽州の発音ではなんか微妙だったので改姓した古くから劉備に付き従っててんでからてんでをとんずりまわってK州に入ったやいなやびじくそんかんと共になんか変な将軍に任じられてやがて益州に入った頃にはでっぷりと肥え太ろいて「いや~劉璋さん、仲良くやりましょう。ところで、ライブドア買いませんか?」
とか上手い事言って劉璋さんは劉璋さんで馬鹿だから、凄い馬鹿だから、
「いい若者がいるんだよ(@ - @!)」
とかまぬけな事を目を輝かせて言ったりしている内にいつの間にか益州乗っ取られちまって、ふーんだ、もうスカイマークエアラインで空飛ぶエアプレインだぜ。みたいに劉璋ぐれちゃって泣いてるし、ってそれは簡雍。今言ってるのは顔良。なんか三国無双4とかでも多分登場しないくらいの雑魚キャラ顔良。スティーブンスピルバーグの映画で喩えると何も悪い事してないのにコックに眠らされるコックくらいの雑魚キャラって、それはスピルバーグじゃなくてセガール!!おまえむかつく。ほんと。こういうくだらない事を書くから焦点がボケるのだ。思いっきり構成を考え尽くしてから書き始めた文章でどうしてこういう事やるんだ。ほんと書く事の無い時にこういう事やるならまだわかるけれど、どうしてこういうちゃんと書ける時に変な事をするのか物凄い疑問である。なんかこういう事やっている間にどういう事書くつもりだったのかとかもだんだん忘れてきたし。本当に。非常に腹立たしい。もっとちゃっちゃと書け。ちゃっちゃと。その昔、須磨水それはチャチャ、ラッコな。ラッコ。泳ぎの上手い狸みたいなやつ。しかも、須磨じゃなくて鳥羽。鳥羽な。鳥羽伏見の戦いの羽伏。とどのつまりってのは、トドの内臓って事で、物凄い栄養があるって事。嘘だけど。


嘘はいけない。
本当にいけない。
最近よく考える。


もしも僕の正体が真性引き篭もりではなくて、大江千里だったとしたら僕の書いた文章は僕の書いた文章としての価値を失うのだろうかと。

例えば僕が足しげく読んでいるブログの書き主が実は男子学生であったと判明すれば、僕は二度とそのようなブログを読みには行かないであろうし、他の全ても消え失せる。それと同じように、真性引き篭もりは僕と直接に繋がっているのだろうか。

繋がっていないとすれば、真性引き篭もりが遠い所へ行ってしまったようで寂く孤独であるし、繋がっているとすれば僕の価値は真性引き篭もりであるという一点だけという事になり、哀れだ。


僕は一体どこにいるのだろう。
平成17年3月4日の10時過ぎの週末の夜、僕はどこで何をしているのだろう。
十日前の夕飯のメニューが忘れ去られ消えてしまうのと同じように、十日前に何を考えていたかなんて覚えていないし、十日前に何を書いたかも覚えていない。
十日前の出来事なんて、何も覚えてなどいないのだ。

僕は考えて、悩んで、キーボードを叩いて、左親指と右小指の第二間接がみしみし鳴って、少しの頭痛に怯えているのに、10日後にはもう忘れ去られる定めであるのだ。
何も無かった事にされるのだ。こんなにもあるのに。ものすごくあるのに。
完全に消え失せてしまうのだ。跡形も無く、無かった事にされるのだ。


例えば今、この瞬間、僕が小刻みに両手首を震わせながら絶え間なくジャンプを続ける事により、交差二重飛びが出来るようになりつつあって、成ったならば、今の僕は交差二十飛びとして永遠に生き続けるのだろう。

けれども僕はもう飛べやしないし交差も二重も出来ないから、10日後の僕に残してやれるものは何も無い。10日を待たずして、忘れ去られ消え去られる程度の価値しか無い。こんなにもあるのに。ものすごくあるのに。




なんでこんなにも孤立してしまったんだろう。

人付き合いというものの正体は、損得勘定である。
「こいつといても価値は無い」
と思われたら最後、もう近づいて来ない。

着飾って、整髪剤をまぶして、笑顔を作って、月九を見て、1180円のステーキを食べて、豆から出来たビールを飲んで、いいよいいよ、気にしない、財布の中身をちらつかせて、相槌打って、うなずいて、同情して、NTTに大金貢ぎ、人の悪口張り巡らせて。
そうして、そうして価値を高めて貸し借りて、雁字搦めにしがらんで、孤立を避けるべきなんだ。「人付き合いなんてまっぴらだぜ。あーあ。」などとウェブ上で、都合のよい人付き合いだけを探し彷徨い求めるよりは、そっちの方がずっといい。顔を隠してまぬけ面するくらいなら、くだらない事をしっかりとやるべきなんだ。

けれども僕は真性引き篭もりであるからして、それをするにはもう遅い。
そのような局面は過ぎ去ったのだ。

今僕に出来るのは、「こいつといても価値は無い」と思われる事態を避けられるように過ごす事くらいなのだ。横の繋がりが無理ならば、縦の繋がりで埋めればいいのだ。
どうせ昔から横の繋がりなんて無かったのだから、それについては慣れっこだ。


けれども縦すら今はもう、襷を繋げなくなってしまった。
いつからだろう。どこで途切れてしまったんだろう。

DOTA allstarsがあった頃は、10日後へ向けて新たなノウハウ新たな戦術新たな戦略をしっかりと確かめて繋いで繋いで繋がってたのに。今ではもう、何も繋げないし何も残せない。
受け取りたいし、渡したいのに。



「今日しか無いと思え」
などという檄はでたらめの戯言である。
今日しか無い奴の行く宛なんて、せいぜい真性引き篭もりだ。明日があるから頑張れるんだ。君の笑顔が見たいから。違うだろ。そうだろ。てやんでえ。ちきしょうめ。

遠くへ遠くへ、もっと遠くへ助走をつけて思いっきし投げて、凄く遠くの見知らぬ場所の十日うしろの夜更けの門まで投げ飛ばせ。投げ飛ばすんだ。なにかを手にしているのなら。



何も手にしていないから、投げるものが無いから手当たり次第にブログに書くだなんて、そんなの無茶だよ。そんなの嫌だ。終わってる。

真性引き篭もりも真性引き篭もりもまっぴら御免をこうむりたいのだ。
僕が真性引き篭もりである事も、真性引き篭もりが僕である事も同じくらいに肩が凝る。けれども僕にはこれしか無いのだ。
他に手立てが見当たらないのだ。

十日前の夜の10時にブログ投稿があったのならばもしかして、どこかの誰かの遠くの人が、それを拾ってくれるかもしれない。読み手のいない手紙だって、ガラスの瓶に詰め込めば、メッセージインザドリームだ。


けれども僕はそんなもの繋げない。
「僕は真性引き篭もりです」
なんて、伝えた所で何になる。
伝えられた方も困るだろう。

だから僕は嘘を伝える。
ありえもしない事を伝える。
壮大なスケールの壮大な虚像を壮大な文章で荘厳に伝える。

例えば、「僕は実は真性引き篭もりではなくて大江千里です!」とか書く。
しっかりと書く。
僕が実は真性引き篭もりでは無かったという事により、どこかの誰かの僕への評が地に落ちたって、そんなの知らぬの焼き蛤だ。










僕は実は真性引き篭もりではなくて大江千里です!
  「なんだよ~真性引き篭もりじゃなかったのかよ~嘘つきめ~」
嘘でした!
  「ちぇっ、つまんねーの。」
ごめんなさい。
  「じゃあさー、なんか歌えよ~ひゅ~るりーだっけ?なんかあんだろ~」
いや、歌いたいのはやまやまなんですが、僕はそのひゅーるりーだかとんでとんでーだかの大江千里じゃなくて、蘭学者の大江千里だから、歌いたくても歌えません。あのー、もしよろしければ、蘭学チャットとかそういうのであれば朝まで付き合いますよ。ほんと物凄く蘭学とか詳しいので。グーテンベルグクライフファンバステンユーノウ?チェルシーノサイドバックノヒト、フィリップスアイントフォーヘン、ルネッサンスー、ミンナノッポ、ボンヤスキー、ボンヤスキー、クライフェルトークライフェルトークライフェルトーあー、タイマー、フウシャー、チューリップー。






おい、その表題でその閉めは無いだろう。
仰せの通り、その通り、たしかにこれはないと思う。


人柱募集0103



続・名称未定
パソコンの前にいる時間を上手く使う為のアプリケーション。


無限エラーは、僕がWindowsMEをNT系だと勝手に思い込んで分類していたのが原因で起こっていました。深くお詫びして、なんか本当にすみませんでした。


0102からの変更点
・Me、98、95に対応したと思う。(当方環境が無いので微妙)
・時間表示をまっとうに。



---
続・名称未定
パソコンの前にいる時間を上手く使えないの為のアプリケーション。
WinXP、WinMe、Win2000以外は未対応。
それ以前の問題として、未完成。


0101で報告されたエラーが再現出来ませんが、目星をつけた箇所を全て書き直しました。
けれども、こちらではエラーが1度も出ていませんので、まだ無限増殖する可能性は非常に高いです。これに関しては本当にすみません。

OSがNT系であるかどうかと、エラーの無限増殖が毎秒1つづつ増えて行くのか、とにかくのべつまくなしで無限増殖であったのかだけでも教えていただければ有難いです。


0102ではOSのチェックをしっかりしていますので、OS依存のエラーは出ないと思います。エラーが出そうな所は全て潰しましたが、0101で2日、0102で4時間程使ってもエラーが再現出来ていないので、正直わかりません。
多分まだ出ると思いますが。


0101からの変更点
・タスクトレイからの復元時の処理を適切に。
・OSのチェックを厳格に。
・リスト(0)のエラーが出そうな所を全て書き変えた。

0102未実装点。
・色々。

0102予定。
・思いっきり詳細なエラーログの導入。


---
続・名称未定0101
パソコンの前にいる時間を上手く使えないの為のアプリケーション。
WinXP、WinMe、Win2000以外は未対応。
それ以前の問題として、未完成。

知らない間に時が経つのは、時間が見えないからかもしれない。
というわけで、パソコンの前で何をしていたかを可視化します。
基本的にはそれだけです。



2005年3月3日木曜日

ふたこぶキャベツを探す旅



書ける事柄が無いからといって、適当な表題を書き入れては泥沼に陥るという実例を示すためだけのブログ投稿を行うというわけではない。今僕はむしょうに、むしょうに虹色キャベツを見つけたいのだ。ふたこぶにぎっしりと詰まり輝くドリーミングを欲しているのだ。

心労である。
ショックである。
マグネシウム不足である。


ブロックブログの新着ブログ一覧を眺め続けて遂に見つけた
「上●彩の中学生時代の入浴シーンGET!必見です」
をクリックしたら、スパムメールコレクションブログだった。


全身全霊を注ぎ込んで落ち込んだ。
ふたこぶキャベツを探すのは諦めて、ひとこぶキャベツを2個くっつけてでっちあげ、
「おい、見ろよ!これ!ふたこぶキャベツ。すげーだろ!ふたこぶキャベツー。おめー、これ欲しいか?欲しいか?欲しい?欲しい?あげよっか?欲しい?欲しい?うへへへへ、やらねーよ、バーカ。うへへっへ」って近所の公園の小学生に自慢して回る旅に出ます。
探してもいいけど見つけないで下さい。


2005年3月1日火曜日

募金パーク



Windowsが5回くらい連続して絶え間ない再起動を繰り出した挙句にお気に入りが全て消えた。必死でかき集めてみたのだけれど見つからないサイトがいっぱいあって困る。
もう二度と見ないような所でも、無くなったら無くなったでどうしてか不愉快で、居心地が悪い。

とりあえず一通り拾い集めたんで、SE的思考とあと一個がどこであったか思い出せず探してみたんだけれど見つからず途方にくれ、もう一周してみたけれどまたしても見つからず、なんかやになって違う所を拾い集めてたら凄い事になってた。




高麗和男募金30万握ったままでエロチャット。
エロチャット、エロチャット、朝もはよからエロチャットオオオオ!!
凄い。
これはもう、敵わない。
誰だよ、こんな物凄い人をみすみす引き篭もらせてしまったのは。
戦犯、出て来い。
名乗り出たら許してあげるから、本当おい、今のうちだぞ。こら。