2005年3月16日水曜日
ホームレスを滅ぼせ
今すぐにこの国からホームレスを一人残らず滅ぼせ。
それが僕の主張であり、誰が何と言おうと曲げるつもりの無い確たる信念だ。
文句があるなら好き放題やればよい。レッツゲレロンすればやる。
こいつは気違いだと見限るなら見限るがよい。
けれども、これを変えるつもりは無い。
ホームレスを滅ぼせ。
一人残らずだ。
我が国にホームレスというものが存在する事態を許してはならないのだ。
ホームレスの存在がもたらす物は不利益と不公平だけだ。
一人として必要ないだけではなく、その存在自体が罪なのだ。
ホームレスを滅ぼす事は不可能だ。
しかし、ホームレスを滅ぼす事は可能である。
ホームレスにならざるを得ない人間を滅ぼす事は不可能だ。
しかし、ホームレスを滅ぼす事は可能である。
どれだけ高度な教育をしても、どれだけ平等で機会に溢れた社会を構築しても、どうしてもホームレスにしかなれない人生を送ってしまう人は出てしまうのである。
お金を貯める事が出来ず、正しくお金を使う事も出来ず、弁護士や行政へと逃げ込む事すら出来ない不出来で不完全でなにもかもがうまくいかない駄目人間というのは、絶対に出現してしまうのだ。
その彼らをホームレスという非人間的階層に押し込めている現状を黙認するのか、あらゆる失敗を積み重ねた彼らも人間的生活を送るべきであると考えるのかが問題なのだ。
一億総国民のほぼ全てがホームレスを滅ぼすべきだと考えているのは疑いようのない事実だ。なにより彼らは臭い。醜い。汚い。駅やゴミ箱や公園や河川敷に立ち歩き、不愉快さを撒き散らす。しかも、犯罪の温床になっているし、公共な場の不法な住居自体が市民に対する罪だ。
しかし、僕が最も重大な罪であると考えるのは彼らの汚さや不愉快さではない。
無能な人間をホームレスという階層に押し込め、それを容認する不完全な国の未熟な社会という罪だ。
インドのイエスの奴隷が我が国をどう罵ったのかを今一度思い出すべきだ。
「この国は経済的には豊かだが国としては終わっている。」と馬鹿にしたのだ。
彼女が腐っていると言ったのはホームレスではない。
十分な予算があるにも関わらず、それを非人間的階層の撲滅に使わず浪費し、ホームレスという非人間的階層の存在を許容し、それを黙認し続ける国と国民を指して言ったのだ。
「日本から犯罪を滅ぼせ」
という主張がいかに馬鹿げているかはご理解出来るだろう。
犯罪者にしかなれない人間というものは、どうしても出現してしまうのだ。
それと同じように、
「我が国からホームレスを滅ぼせ」
という主張も馬鹿げているのだ。
ホームレスにしかなれない人間というものは、どうしても出現してしまうのだ。
識字率100%で労働と金銭とリスクとモラルを教えても、能力不足で自らを律する事が出来ず、貯金が無いまま生活基盤を失ってさらに不運と傲慢さが重なり、ホームレスにならざるを得ない人間というのはどうしても出てしまうのだ。
彼らがホームレスである事自体に罪は無い。
それだけの人物それだけの人生それだけの不運であるからだ。
罪なのは、それだけの人間に非人間的生活を強いり黙認する社会である。
そのホームレスになるしか道の無かった人生を送ってしまった不完全な人間に非人間的生活を送らせ続けるのではなく、屋根も布団も風呂もテレビジョンもある人間的な住居と、食パン、弁当、弁当発泡酒と、季節の衣服を身にまとえるだけの金を与える必要があるのだ。
そこで間違えてはならぬのは、決して4万円を渡してはならぬという事だ。
その金額がぎりぎりの適正な水準でないと、無能を偽る奴が出る。
そのような輩が出ないぎりぎりの金額で、また、就労能力のある人間であればもっと現金が欲しいと労働を望み探し求めるようなぎりぎりの金額を伴う人間的生活を与える国が、豊かで正しい国なのだ。
今日、日本はホームレス対策に国全体で相当に馬鹿げた金額の予算を費やしている。具体的な数字は見つからなかったものの、全自治体を合計すると想像を絶する額だろう。
公園や河川敷が市民の元に戻るというメリットや、ホームレスが犯罪組織の最も安易な飯の種として利用されてしまっている現状から考えれば、彼ら全てに住居と月額2万8千円を与える予算というものは、馬鹿げた金額ではない。と、僕は考える。
ぎりぎりで、確かに納得のいかない納税者の方々もいるかもしれないが、ぎりぎりに許容出来る金額であり、インドのキリスト教徒に笑われない、無能でどうしようもないぎりぎりの人生を送ってしまった人間でも最低限度の生活を送れる国というものを手に入れる為に支払うに値するコストなのだ。
非人間的生活を強いられる階層を滅ぼすのが文明社会の責務なのだ。
現代の日本では、犯罪者は刑務所に入れられる。
そこで、人間的生活を送り、金を貯めて出所する。
現代の日本では、無能者はホームレスになる。
そして、非人間的生活を余儀なくされ、犯罪の温床になり野垂れ死ぬ。
犯罪者を人間的に扱い刑務所に入れるシステムは構築し運営できるのに、ホームレスにぎりぎりの人間的生活を与えるシステムが構築できぬわけがないし、運営できぬはずがない。成せぬわけが無い。怠慢なのだ。黙認なのだ。無視なのだ。無関心であり、罪なのだ。
泥棒が、詐欺師が、強姦魔が、酒に酔った轢き殺しが、無差別に刺す出刃包丁までもが人間的生活を送る事を許された社会で、どうして無能で金銭管理スキルをもたず助けを求める事も出来ない愚か者だというだけで、非人間的階層に押し込められねばならぬのだ。
それを容認し許容するのだ。
インド人日本はおかしい。
その通りだ。
残念ながら今もなお、その通りだ。
人間を変えられるのは生活基盤であり生活習慣であり教育だ。
金ではない。
断じて金ではない。
無論、在庫に押される1日10時間のスタンディングでもない。
過去に世界各地で試みられた、ホームレスに金を与えるという試み、ホームレスに仕事を割り振るという試みが全て失敗に終わり、効果を上げられなかったという事実を思い出すべきだ。
必要なのは生活基盤なのだ。
生活基盤さえ与えれば、彼らのうちのいくらかは自ら立ち上がり復帰出来るだろう。
ホームレスの平均年齢が55歳であるという事実からすれば、そのほとんどは復帰できないかもしれないけれど、その人達も公共の場を不法占拠しない老後、屋根も布団も風呂も三食も発泡酒もある人間的な余生というものを送る権利はあるだろう。
以前のデータから重ねて言うが、彼らの多くは労働者であり、納税者だったのだ。
ただ、本人の能力不足と金銭管理スキルの欠如、それに加えて老いと甘えにより、ホームレスという階層に無理やり押し込められたのだ。もちろん自己責任ではあるが、彼らは労働者であり納税者であったという事実を忘れてはならない。正しき日本国民であったし、運と機会が少しうまく転べば模範的国民であったのかもしれないのだ。
優秀で金銭管理スキルもある人間からすれば、無視したい存在だろう。
けれども、無視してはならない。滅ぼさねばならない。
就労経験の無いニートでもなければ、生粋の犯罪者でもない彼らを非人間的階層に押し込め、非人間的生活を余儀なくされるという事態を一刻も早く変えねばならない。
例えばブロックブログが提携したものが、ホームレスを滅ぼすロビー活動、あるいは炊き出しだとか毛布だとかいったような最低限度の助けを出す運動、あるいは生活基盤を与える運動であったならば、その団体がカルトで無い限り参じただろう。例えば海外のシステムの直輸入であったとしても、プラスチック住宅を供与するシステムや、タックスとオフィスを学ばせるシステムといったホームレスを滅ぼす為の運動であったならば、それが我が国に適さず馬鹿げていたとしても、不平を述べつつ参じただろう。
しかしビッグイシューは違う。
ホームレスを滅ぼさずに2人の無職を滅ぼしている。
彼らが作り上げたものは、非人間的階層から合法的に金を生む錬金術だ。
パートナーだとか仕事だとかビッグイシューは甘言欺瞞を並べているが、その実体は一方的に恒久的にその甘い蜜を吸い続る搾取であり、それは罪だ。
要介護認定というものが導入された時に認定査証による犯罪者が日本中に出現したにも関わらず、彼らは逮捕されていない。それどころか返金要求を無視し続けているにも関わらず、行政は彼ら不正認定介護業者への金の流れは止められずにいるのだ。NPO法の元で運営されたテレクラを逮捕するのに1年半を費やし、宗教NPOを1つも摘発できないのだ。取り消されたのは一握りどころか誤差の範囲だ。
それは、そのジャンルが社会的にアンタッチャブルだからだ。
ビッグイシュー佐野一家が利用するホームレスも同様に不可侵の領域だ。
具体的には上げないが、我が国には他にも不可侵領域がいくつか存在する。
その存在自体が犯罪的であり国民への罪であるという事はご存知だろう。
それと同じようなものをビッグイシューは新たに作り上げたのだ。
彼らが成功したのはホームレス問題の改善などではなく、ホームレスへの不愉快さ、怒り、関心、あるいは同情というものを宣伝として利用し、さらに理不尽なタッパーウエアムエイ式の悪徳仕入れを押し付けて、その売り上げ益をノーリスクで上げ続けられるシステムの構築だ。
彼らが大成功したのは、新たな恒久的既得権益の構築だ。
2人のヨーロッパーな無職改め編集長とその実父を救い養う大有限会社だ。
20万部を公言していた雑誌が実は3万5000部でしたと休刊する雑誌不況の2005年に10万部を返品リスク無しで売りつくすというシステムがどれ程までにおいしく汚いやり方であるか。もし、あれが店頭に並びホームレスという宣伝を取り止めた時、10万部を返品拒否のノーリスクで売りつくせるのかどうかだけでも想像してみていただきたい。
努力を怠らなかった優秀な人間は、生まれた家の収入や家柄に関わらず成功を手にするべきだ。あらゆる人が満遍なく機会を与えられるべきだ。
それが素晴らしい国であり世の中だ。
その点では日本は比較的優れている。
七つの海の真ん中でシェイクスピアを学んだ人間だけが頂点へと登れる国よりは、遥かによい。親の収入で行く大学の種類が決まる国よりは幾分かは素晴らしい。
残念な事に幸いに、終身雇用も総中流も過去の遺物であり、優秀な人間が時流に乗れば100億稼げる世の中だ素晴らしい。それが罪を伴わぬものである事が最低条件だが。
けれども、努力を行った人間が成功出来るというだけでは不完全であり未熟な社会であり、病んだ国とも言い換えられる。努力を行わず浪費を続けた不完全な人間でも、屋根と布団と風呂と3食とテレビジョンという最低限度、ぎりぎりの人間的生活を送れる国であるべきなのだ。
非人間的階層の存在を黙認してはならぬし、滅ぼさねばならないのだ。
我が国に生まれた人間は、全員最低限度の生活を保障されるべきなのだ。
そういう憲法だろう。
そういう建前だろう。
どうしてホームレスを許すのだ。
どうしてホームレスを滅ぼさないのだ。
人殺しが3食屋根風呂布団付きの生活を送れる国なのに。