2008年7月28日月曜日
書きたくもない事でも書かない事には前に進めない。
僕の頭はシングルタスクで、1つの事しか考えられない。
そんな次第なので、書きたくもない事が頭に居座り、それを書かない事には二進も三進も行かなくなるという事態に、度々陥る。度々、なんてものじゃない。ブログを書き始めてからと言う物、毎日がそんな調子である。
書きたくもないエントリーは<書きたくない>のだから当然<書きたくない>のだけれど、ブログは<書きたい>。ブログ自体は書きたくて書きたくて仕方がないのだ。けれども生憎我が脳みそは、完全シングルタスクなので、頭の中にあるものを書いてしまわないと、一歩も前に進めない。
書きたいか、書きたくないかは関係なしに、その日、その時間に頭の中にある物を、どうにかしてでも書いてしまわない限り、他のものを書くことは出来ないのだ。これが困る。とても困る。
書きたくもない事を嫌々と、うんざりしながら書くのは楽しくない。面白くもない。とても退屈ですぐ飽きるし、全ての事が嫌になる。書こうとすればする程に、心は悪くなるばかりである。
もちろん、「書きたくもない事が頭から薄れるのを待つ」という選択肢も一応は、存在してはいる。そういう風に対処しようと、努力をしてみた事はある。たとえばこんな具合に。
けれども、それはうまくいかない。必ず何時も、失敗に終わる。僕は闇雲に執念深くて、ちょっとやそっとじゃ薄れない。悪い記憶は忘れない。思いは決して揺らがない。意味無く無駄にストロングなのだ。おまけにブログを書いては寝る事だけを繰り返す日々を送っているので、他の何かが頭の中に、割り込んで来る事も無い。
そうして、純然な「書きたくもない事」への清く正しいブロガー的情念は、やがて日につれ怨念と化し、自分の心が生きながらにして怨霊と成り行く様を、ただ悲しげに呆れながら、見守る事しか出来ない自分の無力さを噛み締めるしか術の無いインターネットは不愉快不快にストレスフルな機械である。
結局のところ、頭の中にあるのが「書きたくもない事」だからと言って、それを書かずに過ごしていると、「書きたくもない事」は大きくなるばかりだ。
1つ1つでは小さな存在であった「書きたくもない事」が積み重なり、増幅し、悪い時には共鳴し、より書きたくもない事へと、より書きたくもない事へと、悪い方へ悪い方へ大きくなり続けるばかりなのである。
書きたくもない事を、「僕はそんなもの書きたくもないから」などという、極めて我が侭な理由にて書かずに居ると、頭も心もこんがらがって、書きたい事への道のりは、より困難になるばかりなのだ。
即ち、僕は、書きたくない事を書かないで、時間を浪費したりはせずに、1つ、1つ、目の前のものを、頭の中にあるものを、あるいはアウトラインエディタに積み上げられた物を、上から順番に、真面目に、誠実に、1つ、1つ、書いていこうと思い、心に強く誓ったのである。
しかしながら、その誓い自体が「誓いたくもないこと(だって、書きたくない事は書きたくないんだもん・・・)」であったが故に、前エントリーから一週間の空白。やるせない。やる気ない。大方いつも空回り。徒労ばかりで前途は多難。進まねば。前に進まねば。一歩、一歩、歩いて行かねば。先を、先を、急がねば。将来へ。将来へ。
2008年7月21日月曜日
2008年7月20日日曜日
【最近購入したゲームポーカー】
「どうすれば他人に勝てるか」を数年に渡り考え続けた結果、1つのゲームを思いついた。それが【最近購入したゲームポーカー】。
ルールは単純。
最近購入した5本のゲームでポーカーをするだけ。
◆信長の野望12
◆ファイナルファンタジー12
◆世界樹の迷宮2
◆THE地球防衛軍2
◆レイルロードタイクーン2プラチナ
たとえば、最近購入した5本のゲームが上記のものならば、2と12のフルハウス。
◆ドラクエ4DS
◆ドラクエ5DS
◆ドラクエ6DS
◆7(セブン) ~モールモースの騎兵隊~
◆ドラクエ8
なら、45678のストレート。
◆カルドセプト サーガ
◆海腹川背Portable
◆グランディアII
◆ドラゴンクエスト モンスターバトルロード
◆獣神伝 アルティメットビーストバトラーズ
なら、ロケットスタジオのフラッシュ。
で、僕の手はというと、
◆WarCraft III Battle Chest
◆WarCraft III Battle Chest
◆WarCraft III Battle Chest
◆WarCraft III Battle Chest
◆WarCraft III Battle Chest
【3】のファイブカードと、
【ブリザードエンタテイメント】のフラッシュで、
必殺、ファイブカードフラッシュだッ!!!!。
(ファイブカードはロイヤルストレートフラッシュより強い。)
勝ったぞ!勝った!
僕は勝利者だ!
2008年7月19日土曜日
「磯辺揚げ返せよ!」
夜の上野駅で揚げたての磯辺揚げを拾った。
夢の中で具体的にそこが上野駅だと示されたわけではないのだけれど、美術館がいっぱいあって、ホームレスがいっぱいいて、シューアイスを売っていたのでおそらくは、上野駅で間違い無いと思う。
その、拾った揚げたての磯辺揚げなんだけれど、これが滅茶苦茶おいしかった。今まで生きてきて食べたものの中で一番、とまで書いてしまうと嘘になってしまうのだろうけれど、ここ一年で食べたものの中では一番おいしかった。ものを食べて幸せな気持ちになる、という状況自体にも感動したし、そのおいしさにも本当にびっくりした。ああ、これは夢だなと気がついた。かぶりつくのはもったいないので、衣を摘み取って囓っていた。
そしたら、巨大なリスみたいな生き物がいきなり飛び出してきて、僕の磯辺揚げを奪って左右に飛び跳ねながら逃げた。あまりの悔しさに激昂し、斧を手に「コノヤローてめえ俺の磯辺揚げ返せよお!磯辺揚げ返せよお!」と泣き叫びながら半狂乱で駅のホームを駆け回っていると目が覚めてしまった。無念である。
犯人を真上から見た図。絵心の無さにびっくりした。
ハクビシンでもアリクイでもモモンガでも無かった。
2008年7月18日金曜日
コメントの削除を行いました。
当ブログのコメント欄にて騙り行為が行われたと判断、認識しましたので、下記のコメントの削除を行いました。
※コメントを投稿される方へ
無記名で投稿した場合「フレディはた」と表示されるよう仕様を変更いたしましたのでよろしくお願いいたします。
にせんはちねん しちがつ じゅうよっか
真性引き篭もりhankakueisuu
Posted by 真性引き篭もりhannkakueisuu at 2008年07月14日 21:52
2008年7月17日木曜日
さらばジャーメインデフォー。
右手を後ろから左耳に、左手を前から右耳に被せ、音を遮り、静けさを得て、土星の輪のように回した両腕を強く締め付ける事により、脳を頭痛と思い出から守り、寝ころび、思索を巡らせていると、もの凄く腹立たしい事に思い当たった。
その腹立たしさたるや、立腹も立腹、まことにむかむか。怒り狂って激昂し、「ジャーメインデフォーに蹴り殺されてしまえ!ジャーメインデフォーに蹴り殺されてしまえ!ジャーメインデフォーに蹴り殺されてしまえ!」と三度まで唱えて呪ったほど。
ところが2時間ばかりうとうとし、目が覚めてみれば、何に対して怒っていたのかすっかり忘れてしまっていた。あんなにも腹が立っていたのに、それがいったい何だったのか、まったく思い出せない。頭の中から完全に、消えてしまっていたのである。結果として僕の頭の中には「ジャーメインデフォーに蹴り殺されてしまえ!」というおどろおどろしいフレーズと、爽やかな笑顔でウォームアップするジャーメインデフォーだけが取り残されたのである。
デフォーは問う。「わたしは、誰を蹴り殺せばよいのですか。」僕は答えに窮する。「それが、思い出せないのです。」彼はこちらを見つめて言う。「はやくしてください。わたしはこんなところで時間を無駄にしたくないのです。」視線を上げる勇気もない。「はやくしてください。おもいだしてください。わたしは誰を蹴り殺せばよいのですか。」
懸命に、懸命に思い出そうとすればするほど、頭の中はまるで空っぽ。そこにはただ、ジャーメインデフォー。「こたえてください。わたしは誰を蹴り殺せばよいのです。」一つ覚えに繰り返される問いに対する答えはまだ見つからない。何も思い出せないのだ。気分は沈む。デフォーが唸る。「はやくしてください。」
そんな風に言われても、難しいものは難しい。元来僕は慈愛に満ちた、丸くて大きな人であり、誰かを殺したいとか、誰かの足を引っ張りたいとか、そういった類の負け組思考とは縁遠い、気高く晴れやかな美男子なのだ。「はやくしてください。」デフォーは急かす。僕に問う。「わたしは誰を蹴り殺せばよいのです。」
「それが、思い出せないんですよ。」「思い出してください。はやく思い出してください。」「申し上げにくいのですが、帰っていただくわけにはいかないでしょうか。」「だめです。わたしは誰かを蹴り殺す為に呼び出されたのだから、誰かを蹴り殺さない事には帰れないのです。」「そう言われても、本当に思い出せないのです。」「元来僕は慈愛に満ちた・・・」「御託はいいから、はやくしてください。こんな所に居たくは無いのです。わたしははやく帰りたいのです。」「誰を蹴り殺せばよいのですか。」
困った。ヨルの苦悩が手に取るようだ。ジャーメインデフォーを持て余す。沈痛な空気が部屋中に満ちる。デフォーがそれを打ち破るべく言う。「では、こうしましょう。ウェインルーニーを蹴り殺します。それでいいでしょう。丸く収まる。」「駄目です。ただでさえ前に人がいないのに。」僕がそのように言うと、何が気に入らなかったのかはわからないけれど、彼は急に不機嫌になり、「ジャーメインデフォーに蹴り殺されてしまえ!ジャーメインデフォーに蹴り殺されてしまえ!おまえなんか、ジャーメインデフォーに蹴り殺されてしまえ!」と三度まで唱えてこちらを睨み立ち去ったので、ジャーメインデフォーが嫌いになった。
自分をグーグル化した。
競泳水着を華麗に着こなした美少女の列は一向に途切れる気配が無い。与えられる時間は75秒。ドッグイヤーな時間の中で彼女らは懸命に自分をアピールする。「これはマイスペースとフレンドスターの長所を掛け合わせたようなSNSで、まず生クリームをお互いにに塗りあい……」。僕はそんな光景に、完全に飽きてしまっている。
久方の気紛れ。
食指が動く。
「おいおまえ。そうおまえ。買ってやるよ。」
【レーザーレーサーを2人で着てぎゅうぎゅう詰めになる】という彼女のビジョンに寸分のイノベーションが見えたのだ。歓喜して涙を流す競泳水着を着た美少女。もちろん処女だ。嫉妬視線のレーザービームが100も200も突き刺さり、辺りの空気が凍り付く。勝ち組と負け組を分かつのは、僕自身にも説明出来ないくらいの僅かな差。これがValley Rule。弱肉強食、欲望の世界。俺はグーグル。彼女らの夢。
俺はグーグル。
彼女らのゴール。
2008年7月16日水曜日
ディアブロ2クローン戦争三国志。
「無双はどこから来たのか?」という問いに対しては、明確な回答がある。
セガ・エンタープライゼスをパクったのである。
けれども、ここに1つの疑問が残る。
ならば、なぜ、無双シリーズは成功したのだろう。
だって、そうではないか。
我等がセガ・エンタープライゼスが、国内市場で無双シリーズのような成功を手にした事が、ただの一度でもあっただろうか。VF5は980円でワゴンに積まれ、ナイツは糞ゲーに化け、ソニックは霧散し消え去った。高橋兄弟が、水口哲也が、中裕司までもが屍となり土へと還り、鈴木佑は天に召された。なぜ、無双シリーズはそのようにならなかったのだろうか。セガのような末路を辿らず、7年もの長きにわたり光栄のドル箱として機能し続け、発売される度にミリオンセールスを記録し、国内累計1200万本という特筆に値する大成功を収める事が出来たのだろうか。
その鍵は、無双シリーズのもう1つのパクリ元にある。
無双シリーズの原点である真・三國無双は劣悪なコピーだった。PS2以降のゲーム史上では最悪、とまで言われる程の露骨なパクリだった。名越稔洋が世に送り出した傑作アーケードゲーム「スパイクアウト」を節操なくパクり、それに三国志世界のスキンを被せただけの酷い代物だった。そして、それは、分相応にしか売れなかった。
事態が一変したのは、その次の作品である。
「真・三國無双2」において、株式会社光栄は1つの英断を下した。真・三國無双2以降の無双シリーズは「スパイクアウトのパクリの続編」である事を放棄したのである。セガと同じ末路を辿ることを拒否したのである。では「無双シリーズ」は何になったのだろうか。「独創性溢れるオリジナル作品になった?」いや、違う。無双シリーズは、スパイクアウトである事を止め、ディアブロ2になる事を選んだのである。そして、その優れた決断により、無双シリーズは不動のドル箱へと進化したのである。
それからというもの、無双シリーズは発売される度に、ディアブロ2へと、そしてディアブロ2へと近づき続けた。どこまでもディアブロ2の要素を真似し、コピーし、模倣し、パクり続けた。
武器という概念が導入され、武器にはディアブロ2と同じように複数の特殊効果がランダムで付いた。また、特別製の性能の決まった入手困難な最強武器が用意された。スキルシステムが導入され、ディアブロ2とまったく同じスキルツリーが導入された。
ディアブロ2と同じように用意された5つ程度のステージには複数のイベントが次ぎから次へと起こるようになった。そしてそれらのイベントは、ディアブロ2と全く同じ類の単調なお使いイベントだった。
ディアブロ2と同じように剣、弓、槍あるいは魔法などでプレイヤーを援護してくれる傭兵を連れて歩けるようになった。ディアブロ2と同じように、クリア後には特別なおまけステージが用意され、ディアブロ2と同じように、プレイヤーキャラクターにもレベルという概念が導入された。
ディアブロ2と同じように、用意された難易度でクリアする事で特別に難しい難易度がアンロックされるようになった。ディアブロ2と同じように拡張パックが発売され、ディアブロ2と同じようにキャラクターが追加された。
無双シリーズにおくられた「けだるい面白さ」とか「不毛な楽しさ」といった類の賞賛の声は、全てディアブロ2に由来するものである。事実、ディアブロ2以上のけだるさを所持したゲームは未だ登場していないし、ディアブロ2以上に不毛なゲームもまた、未だ登場していないに等しい。
誤解の無いように言っておくと、僕が「パクリ」という言葉をゲームに対して使う場合は半分以上はほめ言葉である。パクリを抜きにしてゲームの歴史を語ることは不可能であるし、もしもパクリというものがなければ昨今のビデオゲームの隆盛は、決して成らなかっただろう。よっぽどの倫理的問題を抱えている場合は例外であるが、それ以外のパクリは非難される類のものではないのである。
無双シリーズが隆盛を極める一方で、その原点であるスパイクアウトはどうなっただろうか。答えは簡潔にして明瞭である。セガ・エンタープライゼスのの辿る道末は、いつだって同じである。そう。滅んだのである。スパイクアウトは衰退し、凋落し、そして滅んだのである。
セガ・エンタープライゼスという会社は、アーケードゲームの会社である。そしてスパイクアウトというゲームは、アーケードゲームだったのである。これが不幸の始まりだった。
スパイクアウトはその完成度の高さから熱心なファンを大勢集めたけれども、100円で3時間遊べるというゲーム性は、ゲームセンターの側から見れば迷惑極まりないものであった。高い筐体を購入し、土地代を払い、電気を入れて朝から晩まで動かしても500円にしかならない。スパイクアウトとは、そういうゲームであった。まるで「おいしくない」ゲームであった。
当然、セガはそれを改めようと、類い希なる企業努力を続けた。時間制限を厳しくし、ゲームから全てのゆとりを削除した。スパイクアウトはのんびりと楽しめるゲームから、絶えず時計に追われ続けるゲームへと変化した。「美しさ」とか「丁寧さ」あるいは「爽快感」といった、プレイにおける多様性は全て削除され、「迅速さ」というただ一点に集約された。それは遊びの多様性を奪い飽きを生み、ユーザー離れを加速させた。
「時間がかかる」「安全すぎる」「遅い」といった理由により、いくつものアクション要素が削除された。「速さ」のみが追求され、無双シリーズとは比較にならない程の高レベルなアクションゲームだったスパイクアウトは、「時計を気にしながらボタンを連打し続けるゲーム」へと進化した。
多様なアクションでゆっくりとプレイヤーを追い詰めていた個性溢れる敵キャラクターは全て改められ、一直線に真っ直ぐにそして機械的にプレイヤー目掛けて殺到するようになった。それでもまだ満足しなかったセガは、より短いプレイ時間、より高いインカムを目指し、スパイクアウトを対戦格闘ゲームに作り替えてしまった。
そして、スパイクアウトの命脈は尽きた。
アーケードゲームであらねばならぬ、という「アーケードゲームのメーカー」というSEGAな足枷がスパイクアウトの光を奪い、「独創性のあるゲームを作らねばならない」というSEGAのプライドがスパイクアウトの未来を絶ったのである。それは襟川光栄という会社には、決して存在しない類の制約であった。そう。セガは負けたのである。セガは負けたのだ。僕等みたいに。
無双シリーズが押しも押されぬドル箱となり、不動の地位を得た頃。
セガがゲームセンターという泥沼とバキューム鈴木の異名を持つクリエーターS氏の迷走によりボロボロになるのとは対照的に、ゲームセンターを完全に切り捨て、アーケードから撤退し、さらには自社が最も得意とする分野であった2Dを放棄して3Dを全力で邁進する事で、我が国最強のゲームパブリッシャーへと進化を遂げたカプコンから、1つのゲームが発売された。
タイトルは「戦国BASARA」。
それは無双シリーズのパクリであった。
いや、無双シリーズのパクリではなかった。
この戦国BASARAこそが、かつてカプコンが得意とした、ファイナルファイトに代表されるベルトスクロールアクションの正統な後継者なのである。
この作品において、カプコンは、無双シリーズの間違いを全て正しにかかった。
無双シリーズが持つ、「無双アクション」とは名ばかりの迷路状の意味不明なマップを、アクションゲームに最適な一本道に作り替え、「無双アクション」とは名ばかりのくだらないお使いイベントを全て排除した。「無双アクション」とは名ばかりの拷問のような作業を伴う武器集めを排除し、3D化された2005年のファイナルファイトを(いや、天地を喰らう2を!)見事に作り上げたのである。
かつて自らが最も得意としたベルトスクロールアクションというジャンルを、「ダイナマイト刑事」で完全に3D化し、その正統進化たる「スパイクアウト」でその名を轟かせたセガ。その「おいしいところ」だけをパクリ、奪い去り、持ち去った光栄の無双シリーズ。
カプコンから見れば、それは「勝てる相手」だった。「欠点だらけ」のゲームだった。ところが、カプコンは敗れた。なぜならば、無双シリーズの「欠点にしか見えない冗長さ」は全て由緒正しきディアブロ2由来の「欠点にしか見えない冗長さ」だったのである。そしてそれはディアブロ2の、いや、無双シリーズの最大の長所であり、最大の武器だったのである。
夏があまりに暑いので、そんな事を考えて過ごした。充実した一日だった。
「ディアブロ3とはどのようなゲームですか?」
6年かけて作られた2Dの無双です。
「無双とはどのようなゲームですか?」
6ヶ月で作られた3Dのディアブロ2です。
2008年7月14日月曜日
雑記。
「真っ暗闇がはっきり見える」のも、それはそれで一つの能力なんじゃ
それはwikipedia:ブラックアウト (航空・宇宙) - Wikipedia。
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guldeen あれだけ様々な方面から罵詈雑言を焚き付けられていた割に
様々な方面から罵詈雑言ってどれを指して言ってるんだろう。
様々な方面どころかただの一度も記憶にないのだけれど。
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某クランMのAさんが頭のおかしな粘着コメンテーターに付きまとわれていて大変だなあ、と思った。誰も似たようなものか。
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うまく瞼が上がらない。夏で随分と弱っている。昨年の夏は何をどうしてやり過ごしたんだろうか。まだ希望とか、未来とか、そういった類のものが僕にもあったような気もするし、既に何もなかったような気もする。
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ポジティブもネガティブも食傷気味なので、その真ん中を槍で突き破ろうとすればする程、元気の無さばかりが目立つ。現実としての元気の無さは、妄想としての元気の無さよりも出口が見えない分辛い。
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「精一杯頑張ってもどうにもならないけれど、精一杯頑張る」とかいうタスクがRTMに毎日自動で浮上してくる時点でなんかもう駄目だ。2008年は無かった事にしよう。21世紀は無かった事にしよう。20世紀もついでに無かった事に。
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夏うざい。
ゲーム愛。
ゲーム愛がゲーム日記を書かせるわけではない。ゲーム日記はゲーム日記愛が書かせる。端的に「少なくともゲーム日記書いてる時はゲームやってないじゃん」という話。
もしもゲーム愛というものが、ゲームをする事により達成出来るとすれば、愛というものは目標対象とセックスをする事によって達成できるはずである。ところが現実はそうではない。目標対象とセックスを行う事のみで達成出来る愛など存在しない。「これが愛だ」と幾ら叫んでみたところで、相手の合意が無ければただの強姦である。相手の合意があればただの性交である。
同じ事はおそらく、ゲームについても言えるだろう。たとえば僕がどれだけゲームを愛してみたところで、ゲームは僕を愛してくれるだろうか。職も無く、友も無く、守るべきものなど何もなく、夢もなく、目標もなく、努力などとは無縁の生活を懲りもせず延々と続けている僕のような人間が、たとえばゲームを愛してみたところで、ゲームは僕を愛してくれるだろうか。一人部屋に閉じこもって不平や不満ばかりをぶつくさと、声も出さずにつぶやき続けているような人間が、たとえばゲームを愛してみたところで、ゲームは僕を愛してくれるだろうか。否である。答えは否である。
愛というものは、一人の人間の所存にて成り立つものではない。愛というものは、それぞれ両者がお互いに相対する事で成り立つものなのである。即ち、ゲームから愛されるだけの価値を持つ人間ならば、「ゲーム愛」と称してゲームをプレイし続けるのもよかろう。海運王の一人娘ならセックスだけで十分だろう。しかし、愛されるに値しない人間が「われこそがゲーム愛を体現するものなり」と叫んでゲームをプレイし続けたならば、それは、ただのストーカーである。犯罪者である。逮捕である。懲役刑である。牢獄行きである。世が世であれば、死罪である。
僕等はこういった類の言説を目にする度に、陰鬱な気分になる。そのような事を言う人達は、きっと立派な人間なのだろう。胸を張り、お天道様の下を歩いて行ける真っ当な人間なのだろう。愛する者と一生を共に出来るだけの資質を持つ、まことの人間なのだろう。だから、そのような事を疑いも無しに言えるのだろう。そして僕等はいつもみたいに、嫉妬と情念に泣き濡れながら、僕は背を向けて行くのである。愛に背を向け行くのである。
2008年7月12日土曜日
出来る限り人間である事を忘れて過ごしたい。
「ああ、なんで僕はいつも不機嫌なんやろう」
と思わず声に出して呟いてしまい、後悔して泣いた。
自分が人間であるという事を認識してしまうと、悲しくなるし、面白くない。もしも僕が人間ならば、毎日が苦しみばかりで、喜びなんて全くないだろう。きっと、辛いばかりだろう。だから、可能な限り人間である事を忘れて過ごす事にしているのだけれど、夏と頭痛がそうさせてくれない。痛い。暑い。
2008年7月7日月曜日
君は行かねばならない。
君は目覚めねばならない。君は起き上がらねばならない。君は立ち上がらねばならない。君は歩き出さねばならない。君は目覚め、起き上がり、立ち上がり、歩き出さねばならない。君は行かねばならない。
眠っていてはいけない。蹲っていてはいけない。立ち止まっていてはいけない。そのままではいけない。今のままではいけない。それは君のためにならないし、世の中の為にもならない。君は目覚め、起き上がり、立ち上がり、歩き出さねばならない。君は行かねばならない。
君は変わらねばならない。君は悔いねばならない。君は改めねばならない。君は君である事を捨て、君にならねばならない。君は光り輝かなければならない。君は素晴らしく有らねばならない。君は目覚め、起き上がり、立ち上がり、歩き出さねばならない。そして君は、行かねばならない。
2008年7月4日金曜日
代表選考が「面接」。
http://www.negitaku.org/news/9332/
代表選考が「面接」って(笑)
馬鹿にするにも程がある。こういう、海外資本のおこぼれに預かって小金を稼いでいるネットゴロの連中には心底うんざりする。DOTAのDの字も無いような、シンガポール旅行目当ての怪しい面子で埋まっていそうだ。これでJPからSGまでの旅費*5とこいつらの取り分で、行くべき所に行くはずだった金が二百万ほど飛んでくわけか。終わってるなー。で、その口で「Eスポーツ振興」とか偉そうに言ってやがんの。お笑い。
2008年7月3日木曜日
強い心が欲しい。
心が弱くて、弱くて、すぐに逃げ出したくなる。
自分自身への期待に報う男気も、少しの間踏みとどまる気概も、現実を見つめる勇気もなくて、すぐにゲームがしたくなる。そうして、毎日同じように逃げ出して、インストールして、ゲームばかりやっている。
強くなりたい、強い心を手に入れたい。そんな風に思って、願って、アンインストールして、その度に、とても強くなったかのように思う。生まれ変わって勇者にでもなったかのように思う。
けれども、現実は何一つ変わらず、僕の心の弱さもそのままなので、ひとねむりもしない間に、また、逃げ出したくなる。何から逃げ出したいのかは、僕には分かり知れないけれど、逃げ出したくなる。ゲームがしたくて、したくて、たまらなくなる。
2008年7月2日水曜日
我が覇道にメラミなど不要!
この本を読んだレベル1の魔法使い(Ruby使い)はメラの他にいきなり「メラミ」も覚えます。まだレベル1なので当然ベギラマはおろか、ギラ、ヒャド、イオすら覚えていません。しかし、前半の敵ならばたとえそれなりに強くてもメラミを唱えてしまえば即死です。*1他の魔法使いよりもずっと早い段階で強敵と戦え、あっというまにレベルアップするのは言うまでもありません。
書評:『初めてのRuby』は『やり直しのRuby』でもある!
我が覇道にメラミなど不要!
なぜならば、わしのメラはベギラマはおろか、マダンテをも凌ぐ!!
というわけで、今日からは心あらたに入れ替えて、PHPを全身全霊で見下したり、JAVAを必死になって嘲ったり、井内ひろしを崇拝したりと、誇り高き立派なルーバーとしての活動に勤しみ、RUBYISMを邁進する事を誓います。にせんはちねん、なながつふつか。てんさいかりすまあるふぁぶろがーしんせいひきこもりはんかくえーすー。
2008年7月1日火曜日
明るい未来が思い浮かばない。
もしも僕が16個の1トン爆弾を小脇に抱えて、高度一万二千メートルをマッハ08で飛べたなら、合衆国大統領は僕を必要としてくれるだろうか。もしも僕が、37キロの彼方から、2トンのバンカーバスターを目標目掛けて正確に投げ落とす事が出来たなら、統合参謀本部は僕を必要としてくれるだろうか。もしも僕が6000キロの彼方まで、飛行機雲も描かずに、誰にも知られること無しに、無補給で往復できたなら、世界平和は僕を必要としてくれるだろうか。
「君では駄目だ。」
「君では駄目なんだよ。」
「君だってわかっているだろう。」
「再考の余地は無い。君じゃあ、駄目だ。」
まず第一に、と彼は言う。
君には信用がない。おまえみたいなのに爆弾を持たせる者はいないよ。そんな男はどこにもいないんだ。俺が知る限り、君ほど信用ならない人間は、世界中の何処にもいない。そんな人間に精密誘導爆弾を手渡して、いってらっしゃいと手を振る人間が何処にいる。おまえは、自分が、マッハ0.8で高度1万2000メートルを飛べるからといい気になっているようだが、世の中はそんなに甘くない。世界というものは、信用で回って居るんだ。「俺にはその能力がある?」バカ言うんじゃねえよ。この世界で一番重要な能力は、信用なんだよ。おまえさんは"不的確"って事さ。それとも、なにかい。あんたは、自分が誰かから信用されるとでも思っているのか?託されるに値するとでも思っているのか。だとすれば、尚更だな。
第二に、君は頭が悪く、心が無い。理解力が無く、飲み込みが悪く、問題を解決出来ない。言い訳ばかりして、肝心な事は何一つ言わない。くだらない事ばかり考えて、しょうもない事ばかりやっている。人の心を踏みにじって、へらへらと、ちょうどそんな風に笑ってばかりだ。確かに、世界は、馬鹿を必要としている。確かに、世界は、心の無い人間を必要としている。君だって、行く所に行けば、welcomeで迎えられるだろう。けれども、だ。俺たちは、心の無い人間を必要としていない。次に、頭の悪い人間はいらない。つまり、俺達は君を必要としていない。お門違いだよ。おまけに、君は、ただ馬鹿なだけではない。ただ心がないだけではない。愚かで、気分屋で、意地っ張りで、軟弱な馬鹿だ。泣いたって変わらない。ここには不要だよ。ここだけじゃない。君みたいなのは、どこへ行ったって同じ事だ。
第三に、君は一人だ。第5世代の爆撃機が一機新造されれば、大勢の人間が幸せになる。みんなが、喜ぶんだ。けれども、あんたじゃあ、そうはいかない。もしも、仮に、君が、32発の一トン爆弾を小脇に抱えてマッハ1.5で空を飛べたとしても、くれてやる金は1円も無い。誰も君みたいな人間を使おうだなんて思わない。いいか。人というのは、他の誰かを喜ばせる為に生きているんだ。まあ、みんながみんなそうじゃあないかもしれないけれど、少なくとも俺はそうだ。そして俺はこう思う。君にその価値はない。君を喜ばせたいとは思わないし、君を幸せにしたいとは思わない。あんたは俺が知る限り最低最悪の人間で、おまえが喜べば喜ぶほど、おまえが幸せになればなるほど、俺は気分が悪くなる。俺は何一つ嬉しくない。俺だけじゃない。誰一人、君の未来なんて祈っていない。
第四に、君は今から死ぬ。君みたいなのが生きていては、迷惑だ。考えてもみなよ。この世界には、16発の2000lb爆弾を小脇に抱えて高度12000メートルをマッハ0.8で飛べる人間なんてものは、必要ないんだ。君みたいなのは、要らないんだ。役に立つとか、役に立たないとか、あるいは安いとか、高いとか、そういう問題じゃない。いやいや、だから、雇うとか雇わないとかそういう次元の話じゃないんだ。おまえの場合は、存在自体が不要なんだ。存在自体が不要なんだよ。生きててもらっては困るんだ。だから君は今から死ぬんだ。
そういうと彼はP239を取り出してこちらに向けたので、僕は慌ててマッハ0.8で高度一万二千メートルを飛んで逃げた。僕は必要とされていない。そればかりか、世界は僕を殺そうとしている。地球上、どこへ逃げたって、宇宙の果てまで追ってくるだろう。僕は、このまま、寂しいままで、見知らぬ場所で賤しく野垂れ死ぬんだ。希望ばかり胸に抱いて、くだらないゲームばかりやって、くだらないブログばかり書いて、音速の壁すら越えられないまま、あちらこちらと逃げ回って、一時も気の休まることなく、やがていずれは捕まって、死ぬんだ。野垂れ死ぬんだ。悲しくて泣きそうになったけれど、毎秒300メートルの風圧がそれを差し止めた。みんな死んでしまえと二度呪ったが、何をする気力も起きなかった。真っ暗闇が、はっきりと見えた。
コメントのインポート機能が存在しない、はてなダイアリーは移転先たり得ない。
「ブログだったらはてなでしょう!」
みたいなムードが一部にあるようで、「はてなに移転してはどうですか」みたいな事を書いている人が居たのだけれど、真剣にブログを書いている、幾らかの神経質さを持ち合わせた人間にとって、はてなダイアリーは、決して、移転先たり得ない。なぜならば、はてなダイアリーは、コメントのインポートが不可能だからである。
>なお、コメントの改ざんを防ぐため、ダウンロードしたデータを
>アップロードしてもコメントは反映されなくなっております。
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20051020/1129806557
もう、からっきし、意味不明である。「おまえら脳みそついてんの?」としか言えないくらい、あほで、まぬけで、おてんとさまである。
「はてなダイアリーのデータをエクスポートをして、はてなダイアリーの記事を全削除して、エクスポートしておいたデータのコメントを改ざんして、再びインポートを行い、情報操作を試みる」という、常軌を逸したとしか言いようのない、頭のおかしい、へんな人達に合わせたルールを制定するのが、はてなである。阿呆馬鹿まぬけの、骨の頂である。
そのような、頭のおかしな、へんな人達の存在などというものは、本来ならば、考慮する必要のないものである。まったくもって、顧みる必要のない存在である。数に入れる必要のないものである。ところが、はてなは、そういった、存在するかどうかすら疑わしい、架空の、頭のおかしな、いかがわしい人達に全力で対応し、真っ当な人達には、「かくかくしかじかにより、コメントのインポートは出来ません」という、意味不明なルールを押しつけるのが、株式会社はてなというものである。
はっきり申し上げて、異常であるとしか申し上げぬ。
よって、僕を含む、一部のブロガーにとって、「はてなダイアリー」というものは、決して、ブログの移転先にはなり得ないのである。コメント欄というものは、ブログという時間の流れに付随した、切っても切れない、"ブロガーer"としての歴史の、流れの、積み重ねられた、身体の一部なのだから、はてなダイアリーは、決して、移転先たり得ぬのである。
余談ではありますが、僕が当初移転予定だったのはエキサイトブログでした。エキサイトブログには、コメントのインポート機能はおろか、記事のインポート機能すら有りません。
では、なぜ、エキサイトブログに移転しようとしていたかというと、これはないしょの話なのですが、エキサイトブログには、だいすきなブロガーさんがいて、少しでも近づいたりしたかったからです。少しでも近づいておけば、あわよくばよろしくやれるのではないかとの、見込みがあったからです。(*^ _ ^*;;
ところが、エキサイトブログがRSS広告の導入を発表してしまったので、移転計画は白紙に戻り、長く右往左往を繰り返した挙げ句、「月一ペースで落ちる」「毎日アクセス不能」「時々データ飛ぶ」といった具合に、悪名高いブログサービスである、さくらブログに移転してしまうという、faultをしてしまったのであります。まさか、ここまで評判が悪いとは想像もしていたなかったので、今、現在、それを知り、すこしばかり、動揺している次第であります。
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