2008年7月16日水曜日

ディアブロ2クローン戦争三国志。



「無双はどこから来たのか?」という問いに対しては、明確な回答がある。
セガ・エンタープライゼスをパクったのである。
けれども、ここに1つの疑問が残る。








ならば、なぜ、無双シリーズは成功したのだろう。








だって、そうではないか。

我等がセガ・エンタープライゼスが、国内市場で無双シリーズのような成功を手にした事が、ただの一度でもあっただろうか。VF5は980円でワゴンに積まれ、ナイツは糞ゲーに化け、ソニックは霧散し消え去った。高橋兄弟が、水口哲也が、中裕司までもが屍となり土へと還り、鈴木佑は天に召された。なぜ、無双シリーズはそのようにならなかったのだろうか。セガのような末路を辿らず、7年もの長きにわたり光栄のドル箱として機能し続け、発売される度にミリオンセールスを記録し、国内累計1200万本という特筆に値する大成功を収める事が出来たのだろうか。








その鍵は、無双シリーズのもう1つのパクリ元にある。








無双シリーズの原点である真・三國無双は劣悪なコピーだった。PS2以降のゲーム史上では最悪、とまで言われる程の露骨なパクリだった。名越稔洋が世に送り出した傑作アーケードゲーム「スパイクアウト」を節操なくパクり、それに三国志世界のスキンを被せただけの酷い代物だった。そして、それは、分相応にしか売れなかった。




事態が一変したのは、その次の作品である。

「真・三國無双2」において、株式会社光栄は1つの英断を下した。真・三國無双2以降の無双シリーズは「スパイクアウトのパクリの続編」である事を放棄したのである。セガと同じ末路を辿ることを拒否したのである。では「無双シリーズ」は何になったのだろうか。「独創性溢れるオリジナル作品になった?」いや、違う。無双シリーズは、スパイクアウトである事を止め、ディアブロ2になる事を選んだのである。そして、その優れた決断により、無双シリーズは不動のドル箱へと進化したのである。




それからというもの、無双シリーズは発売される度に、ディアブロ2へと、そしてディアブロ2へと近づき続けた。どこまでもディアブロ2の要素を真似し、コピーし、模倣し、パクり続けた。

武器という概念が導入され、武器にはディアブロ2と同じように複数の特殊効果がランダムで付いた。また、特別製の性能の決まった入手困難な最強武器が用意された。スキルシステムが導入され、ディアブロ2とまったく同じスキルツリーが導入された。

ディアブロ2と同じように用意された5つ程度のステージには複数のイベントが次ぎから次へと起こるようになった。そしてそれらのイベントは、ディアブロ2と全く同じ類の単調なお使いイベントだった。

ディアブロ2と同じように剣、弓、槍あるいは魔法などでプレイヤーを援護してくれる傭兵を連れて歩けるようになった。ディアブロ2と同じように、クリア後には特別なおまけステージが用意され、ディアブロ2と同じように、プレイヤーキャラクターにもレベルという概念が導入された。

ディアブロ2と同じように、用意された難易度でクリアする事で特別に難しい難易度がアンロックされるようになった。ディアブロ2と同じように拡張パックが発売され、ディアブロ2と同じようにキャラクターが追加された。




無双シリーズにおくられた「けだるい面白さ」とか「不毛な楽しさ」といった類の賞賛の声は、全てディアブロ2に由来するものである。事実、ディアブロ2以上のけだるさを所持したゲームは未だ登場していないし、ディアブロ2以上に不毛なゲームもまた、未だ登場していないに等しい。




誤解の無いように言っておくと、僕が「パクリ」という言葉をゲームに対して使う場合は半分以上はほめ言葉である。パクリを抜きにしてゲームの歴史を語ることは不可能であるし、もしもパクリというものがなければ昨今のビデオゲームの隆盛は、決して成らなかっただろう。よっぽどの倫理的問題を抱えている場合は例外であるが、それ以外のパクリは非難される類のものではないのである。










無双シリーズが隆盛を極める一方で、その原点であるスパイクアウトはどうなっただろうか。答えは簡潔にして明瞭である。セガ・エンタープライゼスのの辿る道末は、いつだって同じである。そう。滅んだのである。スパイクアウトは衰退し、凋落し、そして滅んだのである。

セガ・エンタープライゼスという会社は、アーケードゲームの会社である。そしてスパイクアウトというゲームは、アーケードゲームだったのである。これが不幸の始まりだった。

スパイクアウトはその完成度の高さから熱心なファンを大勢集めたけれども、100円で3時間遊べるというゲーム性は、ゲームセンターの側から見れば迷惑極まりないものであった。高い筐体を購入し、土地代を払い、電気を入れて朝から晩まで動かしても500円にしかならない。スパイクアウトとは、そういうゲームであった。まるで「おいしくない」ゲームであった。




当然、セガはそれを改めようと、類い希なる企業努力を続けた。時間制限を厳しくし、ゲームから全てのゆとりを削除した。スパイクアウトはのんびりと楽しめるゲームから、絶えず時計に追われ続けるゲームへと変化した。「美しさ」とか「丁寧さ」あるいは「爽快感」といった、プレイにおける多様性は全て削除され、「迅速さ」というただ一点に集約された。それは遊びの多様性を奪い飽きを生み、ユーザー離れを加速させた。

「時間がかかる」「安全すぎる」「遅い」といった理由により、いくつものアクション要素が削除された。「速さ」のみが追求され、無双シリーズとは比較にならない程の高レベルなアクションゲームだったスパイクアウトは、「時計を気にしながらボタンを連打し続けるゲーム」へと進化した。

多様なアクションでゆっくりとプレイヤーを追い詰めていた個性溢れる敵キャラクターは全て改められ、一直線に真っ直ぐにそして機械的にプレイヤー目掛けて殺到するようになった。それでもまだ満足しなかったセガは、より短いプレイ時間、より高いインカムを目指し、スパイクアウトを対戦格闘ゲームに作り替えてしまった。

そして、スパイクアウトの命脈は尽きた。







アーケードゲームであらねばならぬ、という「アーケードゲームのメーカー」というSEGAな足枷がスパイクアウトの光を奪い、「独創性のあるゲームを作らねばならない」というSEGAのプライドがスパイクアウトの未来を絶ったのである。それは襟川光栄という会社には、決して存在しない類の制約であった。そう。セガは負けたのである。セガは負けたのだ。僕等みたいに。










無双シリーズが押しも押されぬドル箱となり、不動の地位を得た頃。

セガがゲームセンターという泥沼とバキューム鈴木の異名を持つクリエーターS氏の迷走によりボロボロになるのとは対照的に、ゲームセンターを完全に切り捨て、アーケードから撤退し、さらには自社が最も得意とする分野であった2Dを放棄して3Dを全力で邁進する事で、我が国最強のゲームパブリッシャーへと進化を遂げたカプコンから、1つのゲームが発売された。

タイトルは「戦国BASARA」。
それは無双シリーズのパクリであった。
いや、無双シリーズのパクリではなかった。

この戦国BASARAこそが、かつてカプコンが得意とした、ファイナルファイトに代表されるベルトスクロールアクションの正統な後継者なのである。




この作品において、カプコンは、無双シリーズの間違いを全て正しにかかった。

無双シリーズが持つ、「無双アクション」とは名ばかりの迷路状の意味不明なマップを、アクションゲームに最適な一本道に作り替え、「無双アクション」とは名ばかりのくだらないお使いイベントを全て排除した。「無双アクション」とは名ばかりの拷問のような作業を伴う武器集めを排除し、3D化された2005年のファイナルファイトを(いや、天地を喰らう2を!)見事に作り上げたのである。

かつて自らが最も得意としたベルトスクロールアクションというジャンルを、「ダイナマイト刑事」で完全に3D化し、その正統進化たる「スパイクアウト」でその名を轟かせたセガ。その「おいしいところ」だけをパクリ、奪い去り、持ち去った光栄の無双シリーズ。

カプコンから見れば、それは「勝てる相手」だった。「欠点だらけ」のゲームだった。ところが、カプコンは敗れた。なぜならば、無双シリーズの「欠点にしか見えない冗長さ」は全て由緒正しきディアブロ2由来の「欠点にしか見えない冗長さ」だったのである。そしてそれはディアブロ2の、いや、無双シリーズの最大の長所であり、最大の武器だったのである。

夏があまりに暑いので、そんな事を考えて過ごした。充実した一日だった。


















「ディアブロ3とはどのようなゲームですか?」
6年かけて作られた2Dの無双です。


「無双とはどのようなゲームですか?」
6ヶ月で作られた3Dのディアブロ2です。