2009年1月27日火曜日

「自分と向き合う事」と「感傷的な気分になる事」は全くの別物である。



毎日のように「自分自身から逃げては駄目だ」と思い続け、自分から逃げないように、懸命に勇気を出して、自らを奮い立たせて、冷静に自分と向き合おうとしているのだけれど、その志の元で僕がしている事と言えば、ただ女々しく泣いてばかりで、にっちもさっちも行かない。「自分と向き合う事」と「感傷的な気分になる事」は全くの別物である、という事はわかっている。わかってはいるのだけれど今日という日には、笑顔になる要素が微塵も存在していない。だから泣く、というのは短絡過ぎやしないかとは思うのだけれど、どうすれば僕は自分から逃げずに自分と向き合う事が出来るのだろう。もう泣くのはごめんだ。

寝よう。



眠る必要もなければ起きている必要もない今日において、眠る事をあるいは起きる事を決断するのはとても大変で、寝ていても起きていても「このままではいけない」「このままではいけない」と自分に追い立てられる。眠っても何も変わらない。起きても何も変わらない。季節だけが明けて行く。

2009年1月26日月曜日

ゲーム発展途上国。



BasshunterのDotaで一躍メジャーになった(と、一部のDOTA allstarsプレイヤーは頑なに信じている)DOTA allstars(WarCraft3を用いて作られたユーザー制作マップで、最初は半分はパクリ、もう半分はバグで出来ていた超糞マップだったのが、100度以上のアップデートを重ねて最も有名なMODの1つにまでなりましたとさ、なゲーム。)の対戦用に使われているP2Pクライアントにおける、日本時間日曜23時30分の接続人数。


★Asean
  ☆Asean:748人
  ☆Philippines:21434人
  ☆Thailand:1670人
  ☆Malaysia:16243人
  ☆Vietnam:11550人
  ☆Indonesia:191人
  ☆Singapore:10548人
★Europe
  ☆Europe:18393人
  ☆Russia:14352人
  ☆Romania:6264人
  ☆Bulgaria:2729人
  ☆Ukraine:3424人
★America
  ☆NorthAmerica:1703人
★SouthAmerica
  ☆SA:627人
  ☆Brazil:6103人
  ☆Peru:972人
  ☆Venezuela:749人
★International
  ☆International:1841人
  ☆Kazakhstan:3346人
  ☆Mongolia:1743人
  ☆India:1122人
  ☆Oceania:962人
★Greater China
  ☆Qi Lu NetCom:21人
  ☆ChinaNet:293人
  ☆NetCom:37人
★Taiwan
  ☆Nobu:33382人
  ☆Sango:19924人
  ☆Dota:1834人
  ☆RPG:6265人



白い星印で示したカテゴリーの中には、roomと呼ばれるチャンネルが多数並んでおり、例えばシンガポールだと、Singapore DOTA roomというのが、1から55まで実に55部屋も存在し、さらにTower Defense roomやClan War roomまである大所帯。

Japanはというと、「International」の中にあり、現在の接続人数は23人。真上には「Iran DotA room」、真下には「Jordan DotA room」があるというカオスっぷり。イランの接続人数は合計570人。ヨルダンの接続人数は合計222人。

中国の接続人数が異常に少ない理由はおそらくだけれど、他のツールを用いて遊ばれているからか、言語の都合で古いバージョンが遊ばれているかだと思う。

台湾の「Nobu」というのは、戦国無双のキャラを使って作られたDOTA。「Sango」というのは三国無双のキャラを使って作られたDOTA。両方とも教えて著作権状態で、光栄謹製のキャラグラとか流用しまくり。

こうして見ると、DOTA allstarsが『ゲーム後進国』で流行っているというのがなんとなく透けて見える。ネットゲーム先進国である韓国においてはDOTA allstarsなんてものは存在しないも同然であるし、日本もそれに近い状況。北米においてもDOTA allstarsなんて子供のおもちゃは壊滅状態。

一方でモンゴル、ベトナム、ウクライナ、あるいはブルガリア、カザフスタンといった、いかにもPS3が売れていなさそうな国においては、DOTA allstarsは大人気。シンガポールの人に「LAN shopって、一時間いくら?」って聞いたら、「会員になれば0.9ドルだよ」って教えてくれたのだけれど、シンガポールドルだとすれば50円。この値段なら流行りそうな気もする。気まぐれで適当すぎる中身の無いエントリーを書いてみた。いいえ、ですから、「中身のあるエントリー」なんてものが幻想なんです!「中身のある人生」は今正にここにあります!

というか、これってあれですよね。僕というゲーマーはゲーム先進国も先進国たる先進国中の先進国である日本に生まれながら、ゲーム後進国同然の生活を送っているわけですね。そりゃあ心も荒みますよ。あーあ。360でも買っちゃおっかなー。360は僕を幸せにしてくれますかー。してくれるわけねーだろボケが。DOTA allstarsは僕を幸せにーボケが。ブログは僕をーボケが。

2009年1月25日日曜日

僕よりも幸せそうな人は皆、僕よりも努力をしている。



僕よりも幸せそうな人は皆、僕よりも努力をしている。事実である。これは紛れもない事実である。そして僕は今日、思い立った。努力をしようと思い立ったのである。いや、思い立ったなどという生ぬるいものではない。心に決めたのである。僕は幸せになりたい。20時10分に目が覚めて、目が覚めた事に対してがっかりするような人生には、もううんざりである。朝目が覚めて、喜びに打ち震えながら歯ブラシを口に突っ込みアイロンのスイッチを入れながらカーテンをザアと開けるくらいの目覚めを欲しているのである。僕は幸せになりたい。是が非でも幸せになりたい。なにものを犠牲にしても、幸せになりたい。幸せのためなら、もう、なにもいらない。だから僕は努力をしよう。努力をしようと思った。思ったけれども何をどう努力すればいいのかがわからない。努力とは何だ。努力とは一体何なのだ。どうすれば努力出来るのか。どうすれば努力というものが手に入るのか。見当すらつかない。まったくに困り果てる。困り果ててキーボードを叩いていると、1つの事に気がついた。僕よりも不幸せそうな人も皆、僕より努力していた、という事実である。この事実に気がついてしまったのは致命的な事であった。そして僕は努力をしようという気を失った。幸福への慕情を失った。

恋人に何と呼ばれるか問題。



僕は「真性引き篭もり」というブログを書いている「真性引き篭もりhankakueisuu」というブロガーである。このハンドルネームは元々、ハンドルネームのアイデアなどというものを全く持っていなかった自分が「登録は半角英数で」と書かれていたのを見て思いついた、というか適当に入力したハンドルネームであり、「hankakueisuu」というハンドルネームが他の「hankakueisuuさん」と被ってしまい不都合が出たために「真性引き篭もりhankakueisuu」という被る可能性の無いハンドルネームへと進化し、このような形になったのである。そして僕はこのハンドルネームを、それなりに気に入っている。そんなにも気に入っているわけではないけれど、たとえば本名と比較すれば、遙かに気に入っているし、愛着もある。僕の名前は一族の命名方式だかにのっとって、まるで機械的に生成されたもので、もの凄く気に入っていない。しかも、僕の記憶が確かならば、僕の世代でそんな風に命名されたのは僕くらいのものだったはずだ。よくわからないが、おかしいのではないか、おかしいのではないか、と思っていたが、やはりおかしいと思う。自らの名前というものが他人のしきたりによって付けられたという事が、凄く不愉快で、好きではない。おまけに名字に関しても、良い思い出が全くないので好きではない。よってそんなものと比べれば、「真性引き篭もりhankakueisuu」というハンドルネームは、とても素敵なものに思える。けれども、このハンドルネームには多少の不具合がある。長いのである。道ばたで「しんせいひきこもりはんかくえいすうさん」なんて(いや、それは「しんせいひきこもりはんかくえいすうくん」でも「しんせいひきこもりはんかくえいすうちゃん」でも構わないのだけれど)呼ばれようものならば、それは居心地の悪いものだろう。公道で呼ばれたくないハンドルネーム第一位である。そのくらいにこのハンドルネームは居心地が悪い。オンラインでは素敵なものでも、公道においてはミステイクなのである。ミスマッチなのである。失敗作なのである。この問題について僕は常々頭を悩ませていた。いったい、僕は、もしも恋人が出来たならば何と呼ばれればいいのか。「はんかくさん」はキモイ。「ひきこもりさん」は勘弁していただきたい。「しんせいさん」もありえない。そんな悩みに対して、今日、ふと、名案が思いついたので、ここで発表してみたい。それが、「真」である。「真」というのは、言うまでもなく「真性引き篭もりhankakueisuu」の「真」である。これを、「しん」と読ませるのも、まあ、間違いは無いと思う。「しんさん」ならば公道で呼ばれても恥ずかしくはないし、「しんくん」ならば家康公的な雰囲気も出て、東海道の誉れも高い。しかし、僕は、この「真」、真性引き篭もりhankakueisuuの「真」を、あえて「まこと」と読ませたい。「まことくん!」きゃー、もう、頬が弛む弛む。弛みまくり。ブログでは口から出任せの嘘八百並べてる癖に、公道上では「まことくん!」とか、「まことちゃん!」とか呼ばれるの。超素敵。「真、大好きだよー!」とか。言われるの。「真!今日もかわいいね!」とか言われるの。そんなに僕って可愛いかなー、とか照れて頬を赤らめちゃったりなんかして。「真ちゃん!好きだよ!僕だけの真ちゃん!大好き!好き好き好き好きだーいすき!」とか言われるの。「真!愛してるよ!」うわあ、幸せ。超幸せ。凄い絶対超々幸せ。わあ。

逃げる



突発的に泣きたくなって困る。僕にはもう、やる事がない。この人生において、やるべきことも、やりたいことも、何一つ無い。ただ漠然と「あの時ああしておけば」とか、「あの時こうしておけば」などと、昔の事を思い出しては、自分を責めてばかりいる。そして、自らに非難される事により、自分自身の価値を確認している。「僕は非難に値する人間なのだ!」と、いい気になっているのだ。とんだ思い上がりである。僕などという人間にそれ程の価値があった事はただの一度もないし、今後も決してありえない。これまでずっと軽薄で無価値であったし、これからもずっと軽薄で無価値だ。もう、自分が何に怯えているのかすら、今は理解が出来ない。

本当に、無念だ。人生というものが、生きるということが、パソコンの電源を入れてブログの投稿画面に向かうということが、こんなにもアホらしく、こんなにも嘘くさく、こんなにも虚しいものだなんて、僕には想像も出来なかった。悔しい。ひたすらに悔しい。こんな僕にでも、夢があったではないか。希望があったではないか。やりたいこと、書きたいこと、見たいもの、知りたいこと。いっぱいあったのに。あったはずなのに。どこへ行ってしまったんだろう。

「どうにかならないだろうか。」と、毎日思っている。「どうにかならないだろうか。」と、毎日考えている。本当は、そんなこと思いたくない。本当は、そんなこと考えたくない。けれども、少しでも気がゆるむと、毎日そんな事ばかり思ってしまう。どうにかなるはずがない。どうにもならないのだ。もうどうにもならないのだ。僕はこれまであらゆるものから逃げてきた。逃げてばかりいたのだ。その結果がこれなのだ。今の自分なのだ。今更立ち向かおうと思っても、周囲には何もないのだ。今更歩こうとしても、もう道はないのだ。大地はないのだ。どうにもならない。どうにもならない。もうどうにもならない。もう決してどうにもならない。

「どうして誰も助けてくれないんだろう」とか、「どうして誰も救ってはくれないのだろう」と、近頃時々思うようになった。そんな事を思うようになって、気がついたことがある。僕はこれまで生きてきて、誰かを助けた事などただの一度もなければ、誰かを救った事も、ただの一度も無い。誰かの力になったこともなく、誰かを勇気づけたこともない。今日まで生きてきて、僕がしたことと言えば、傷つけたことと、逃げたことだけなのだ。言うならば、僕は、この世界というものを、世の中というものを、見捨て続けてきただけなのだ。「逃げる」と書けば聞こえは良いが、それは、棄却に他ならない。

僕は見捨ててきたのだ。延々、見捨ててきたのだ。それもただ見捨てたのではない。取捨してきたのだ。自分に都合の良いものだけを手に取り、大切に抱えて、傷つけないように温存し、それ以外のものを、棄却して生きてきたのだ。鼻で笑い放り投げて見捨ててきたのだ。決して、僕が見捨てられたわけじゃない。僕が、見捨ててきたんだ。己の意志で、己のわがままで、己の強欲さで、僕が見捨てて生きてきたのである。明確に、僕が見捨てたのである。

なぜそんな事をしたかというと、見捨てられるのが怖かったからだ。傷つくのが怖かったからだ。思い上がるのが怖かったからだ。そうならないように、見捨てられないようにと、前もって、先んじて自らの意志で見捨てたのである。無視してゴミ箱に放り投げたのである。そんな自分が憎い。そんな自分が悔しい。だがなんだ。だからなんだ。もうどうにもならない。もう僕にはやるべきことがない。やりたいこともない。読みたいテキストも、やりたいゲームも、観たい映画も、行きたい場所も、書きたいブログも、食べたいものも、好きな人もいない。ただ逃げたい。WarCraft3をインストールすれば、一瞬でもそこから逃れる事が出来る。自分自身から自らから逃れる事が出来る。けれどもCDドライブのコードは切断されており、もう二度と動かない。もう逃げ場すらない。

2009年1月24日土曜日

大阪は日本に非ず。



 ベストファイティングは、海外産はモタコンとWWEぐらいで後は国産がズラリ。日本のお家芸ってとこですかね。

WWEが海外産って無茶言うなー。と思って見てたのだけれど、一切突っ込まれていない。いや、WWEって日本も日本、大阪は堺のユークス謹製じゃないの?ランブルローズで有名な。この気持ちの悪さはたとえるならば、大刀を国産ゲームと言ってそれが受け容れられている事と同じくらい気持ちが悪い。ゲームで満たす愛国心か。奇天烈な感じがする。

眠れない。甘えである。



眠れない。甘えである。眠れない理由はおおよそ、解っている。17時間眠って、4時間起きて、また再び眠ろうとしている事自体が、無謀なのである。けれども、起きていても良いことは何一つない。それに寒い。あまりに寒い。この人生にこの寒さでは、眠ろうとするのは自然な事である。けれども、眠れない。眠ろうとすればするほどに、頭が冴える。冴える頭で眠ろうとするとその無理故に痛くなる。けれども、頭痛がなんだ。それがどうした。僕にはもう眠るくらいしかする事が無いのだ。だがしかし眠れない。

身近にあるものをなじり続けるだけの簡単な人生です。



おはようございます!おはようございます!目覚めることに決めました。そして僕は今、起きました。目が覚めました。いっぱい寝ました。起きました。何度も何度も寝直して、今起きました。起きることに決めました。頬が弛んでいます。ニヤついています。笑っています。理由はありません。早い話がアンインストールハイです。僕は1人です。もう1人です。冬の真夜中の強い風が外で物音を立てています。僕はキーボードを叩いています。

何一つ行う事の無い人生、というのは、それそれで素敵なものなのではないでしょうか。今はそう思います。幸薄いゲームをプレイし続け、ある時は勝利し、ある時は敗北を味わいました。それら自らのプレイによって、あるいはチームメイトと対戦相手の力関係によって導かれる勝利や敗北という結果とは無関係に、また次のゲームへと、次のゲームへと進み続けるのは、それはそれで素敵なものでした。けれども、ですよ。今僕は確信しています。なにも、それだけが素敵なわけではない。たとえば、たとえばです。何一つ行う事の無い人生というのも、それはそれでそれもまた、素敵なものなのではないでしょうか!僕は今、そう思うのです。

僕は、今、反省しています。悔いております。改めるつもりです。大いに反省しているのです。これまで、僕は、ブログというものを、酷く憎み、口汚く罵って参りました。ブログというものは、正しく、僕の憎むべきものであり、恨むべきものであると、確信していました。けれども、それは、間違いだったのです。大きな間違いだったのです。僕は、ただ、身近にあるものを、最も身近にあるものを、口汚く罵っていただけにすぎないのです。

たとえば、僕に部下がいたなら、僕は部下を罵り、立たせ、いびり、殴り、やがて退職に追いやったでしょう。もしも僕に妻がいたならば、僕は妻を罵り、いびり、殴り、唾を吐きかけていたでしょう。間違い有りません。僕はそういう男です。あるいは僕に血の繋がっていない娘がいたならば、僕は娘を罵り、いびり、殴り、いたずらをしていたでしょう。わかるのです。僕には見えるのです。僕という人間は、そういう男です。そういう人間なのです。この地球上で最も劣悪な、そういう部類の男なのです。

僕は、ただ、それを、そういう行為を、ブログというものに対して行ってきただけなのです。最も身近にあり、最も攻撃する事の出来る者を、ただ自らの欲望を満たすためだけに、口汚く罵っていただけなのです。「書けば書く程に惨めになった。書けば書く程に不幸になった。」とか、「ブログのせいで僕は絶望の中で死に行く羽目に陥った。」とか、よくよく考えてみると、ちゃんちゃらおかしいです。それはちゃんちゃらおかいしことです。

もちろん、それらは事実です。紛れもない事実です。僕がブログを書けば書く程に、真剣に書けば書く程に、僕の人生は荒み、一方的な苦しみだけが内側であるいは外側で進行し続けていたのは事実です。けれども、それが事実であるからと言って、その責任がブログにあるわけではありません。その責任は、僕にあるのです。ブログに責任はありません。全て僕が悪いのです。思い出してみてください!ブログを書き始めてから今日までの間に、僕は何をしましたか。一体何をしましたか。ブログを書こうとする以外に何をしましたか。ブログを投稿しようとする以外に何をしましたか。一体何をしましたか。いいですか。言いますよ。何もしていません。何一つしていません。

たとえばそこにブログが無かったとしても、僕は同じように不幸せになっていたでしょう。同じように何かに没頭し、そしてやがてはその何かを憎み、罵り、自らの責任などは一切認めずに、全ての責任をその「何か」に押しつけて、自分勝手に叫んでいたでしょう。「こうなったのは僕のせいじゃない。"何か"のせいだ。糞っくらえだ」と。たまたま今回はブログでありましたが、それはもしかして祖国であり、仕事であり、家庭であり、妻であり、そういった類のものであったのかもしれません。それが今回はただ、ブログであったというだけなのです。僕はただ、身近なものを、最も身近なものを、口汚くなじっていただけに過ぎないのです。それだけに過ぎないのです。

もう、身近なものを身近であるというだけの理由でなじるのはよそうではありませんか!手の届く範囲にあるものを、手の届く範囲にあるというだけで殴るのはよそうではありませんか!寒いのは嫌だという理由で暖かさを、辛いのは嫌だという理由で幸せを、求めるのはよそうではありませんか!そんな事をしても何にもならないのです。何にもならないのです。いい加減気がつくべきなのです。そして受け容れるべきなのです。昨日も一昨日も、昨年も一昨年も、何もなかったではありませんか。何一つ存在しなかったではありませんか。同じように、これからも何一つ存在しないのです。死ぬまでずっと存在しないのです。いい加減それに気がつくべきなのです。そう思ったので僕は起きました。おはようございます!おはようございます!目が覚めました。微笑んでいます。

2009年1月19日月曜日

今夜僕を必要としてくれる人は居ない。



西暦2008年という年を今僕がブログに書き記せる範囲内で書き示すならば、WarCraft3を買った年、くらいのものになる。同じように今僕に書き記せる範囲内で2009年という年を書き示すならば、やはりこれもまたWarCraft3をアホみたいに買いまくっている年、という事になる。遂に手持ちも尽きた。アンインストール終了のポップアップを見る度に、こんな事をする為に生まれてきたのではないはずだと思うのけれど、他にすることがない。

同じように、今日という日を今僕に書き記せる範囲で書き示すならば、WarCraft3をアンインストールし続けた日、という事になる。正確に書き表すならば、「インストールし続けた日」なのかもしれない。けれども、もはや今の僕には今日という日が「インストールし続けた日」なのか、「アンインストールし続けた日」なのかを判断出来るだけの正常さを持ち合わせていない。全く以て異常なのだ。インストールをするのも、アンインストールをするのも、同じように酷い気分だ。同じ気分でインストールをして、同じ気分でアンインストールをする。僕にとって、もはや両者は全くに同じ事なのだ。

これが最後のインストールだ、これが最後のアンインストールだ、これが最後のインストールキーなのだとその度に思い、そして裏切られる。何を裏切っているのかはわからないが、とにかく僕は裏切りものなのだ。よくわからないが苦しい。よくわからないがくだらない。よくわからないが全てが糞だ。なぜよくわからないかというと、わかろうとしないからだ。わかろうとする事から、ただひたすらに逃げているからだ。臆病者であるからだ。

とりあえず今もアンインストールはしたけれど、破棄して眠らない限り、目が覚めたら一番に再インストールするんだろう。いや、それ以前に今正にインストールしたくて眠れない。椅子から降りる事が出来ない。PCの電源を落とせない。くだらない。くだらない。僕はくだらない。

WarCraft3をアンインストールし続けて、1つだけ解ったことがある。WarCraft3をアンインストールすると、僕は誰からも必要とされなくなる。WarCraft3をアンインストールした僕は、完全に不要な人間なのだ。全くに不必要な人間なのだ。WarCraft3さえインストールしておけば、僕は必ずや誰かから必要とされる。常に必要とされ続ける。

その「必要とされかた」がたとえば「強くもなければ弱くもない、英語を喋れない疑似AI」でしかなかったとしても、それでも僕は必要とされる。WarCraft3をアンインストールしてしまえば僕は地球上誰からも必要とされなくなる。WarCraft3をインストールさえすれば、少なくとも最低1人からは必要とされる。僕自身から必要とされる。

もう



だめだ。寝よう。

2009年1月18日日曜日

今日Tumblerされまくるであろうフレーズ。



4dN! ziGは、有名なEスポーツチーム、SK、MYM、mouzらは
全くEスポーツチームではないと主張する。

今日Tumblerしたくなったフレーズ。



Codemasters社は、有名なレースゲーム、ゴッサム、Forza、GTらは
全くレースゲームでは無いと主張する。

2009年1月15日木曜日

インターネットをするメリットが全く無い。



読みたいブログ無し。見たい動画無し。聴きたい音楽も無し。調べたい事も無い。知りたい事もインターネットには無い。インターネットをするメリットが全く無い。インターネットというものは腐って虫の湧いた白菜の外葉にも劣る代物。異臭ばかりが鼻に付く。

2009年1月11日日曜日

僕はまだこの人生を諦めちゃいない。



生きていても良い事なんて何一つないと解っては居ても、僕はまだ人生を諦めてはいない。毎日ブログを書こうと思っているし、毎日ブログを書こうとしている。テキストエディタを立ち上げて、題名だけついた中身の無いファイルを順番に開いてみたり、ブラウザを立ち上げて、ブログの投稿画面に記事タイトルを打ち込んでみたり。そんな風に、僕はまだこの人生を諦めちゃいない。なんとかしようとしている。頑張っている。希望を捨ててしまってなどいない。

ブログを書こうと思うこと、ブログを書こうとすることが、人生を諦めていないという事実とイコールで繋がる日常に、些かうんざりしているのは事実だ。事実だけれど、事実僕はまだこの人生を諦めちゃいない。僕がもの凄いブログを書けば突然宇宙が大爆発を起こすのではないかという明かな嘘を妄想を、僕は心のどこかで今も本気で信じている。

僕はまだ人生を諦めちゃいない。生きる事を捨てちゃいない。喜びを、希望を、朗らかな気分を、まだ完全に捨て去ってはいない。事実僕は希望に胸溢れているし、未来に心ときめいている。僕は輝いている。きらきらと光り輝いている。凍えて丸くなる夜の寒さが昼によって打ち消される度に外界から聞こえてくる騒音が横薙ぎの豪雨によって打ち消される度に、僕の胸は高鳴り、心に明るさが戻り、また新たな希望を、新たな希望を胸に抱き、そしてそれに向かって脱兎の如く逃げ出すんだ。

ブログを書けば何かが変わる。ブログを書けば良くなるんだ。この5年間僕はずっとそう信じてきた。そして今も信じている。多分明日もそれを捨てない。鈴を鳴らし裾をまくり銅鑼を叩き叱咤激励を繰り返しながらブログの方へと追い立てていく。僕は間違ってなんか居ない。ブログを書けばきっと何かが。ブログを書けばきっと必ず。ブログを書こう。ブログを。僕にしか書けない唯一無比の。そんなものはない。そんなものはない。

2009年1月9日金曜日

楽しい事から逃げてばかり。



僕という人間を一言で言うと、楽しい事から逃げてばかりだ。世界には楽しい事、面白いこと、愉快なことがたくさんあって、それらに少しでも歩いて行けば、とても楽しくなる、という事はわかっている。わかっているのにも関わらず僕は、楽しい事から逃げてばかり。愉快なことから逃げてばかり。そのくせ、楽しくないだとか、面白くないだとか、愚痴ばかり言っている。人生は退屈だとか、嘆いてばかり居る。どうして楽しい事から逃げるんだろう。楽しい事を避けるんだろう。逃げてばかり。僕は逃げてばかり。何がそんなに怖いんだろう。

茶の間のボブサップ。



パレスチナ問題に関するブログやウェブサイトを読み漁っていると、しきりにボブサップ、ボブサップ、と連呼している人に出会った。彼に言わせると、イスラエルのガザ侵攻は、「ボブサップが咆哮するリングにあなたを放り込んで、それをK1と称するようなもの」らしい。あまりのナンセンスさに卒倒しそうになった。きっとあなた方も今ここで卒倒したはずである。「そんなものK1でもなんでもないです!」などと言っていたが、ではK1とは、いったいどのようなものなのだろう。

僕の知る限り、ボブ・サップという人は、「プロ格闘家が咆哮するリングに放り込まれたずぶの素人」だったはずである。言うならば、ボブこそが「あなた」だったはずだ。ステロイドでNFLを首になり、プロレスの練習生になるも芽が出ず、路頭に迷って日本に辿り着いた所を石井館長が拾い上げてプロデュースして売り出した。K1での初戦はK1のリングでタックルをしての反則負けだったはずだ。もちろん、台本通りだろう。K1で勝ったのだって、相手がまだやれるのにレフリーが必死で止めてのTKO勝ちではなかったか。あとは、「実はボブサップはただの素人だ」という事がばれて転落の一途を辿り、曙のような素人と素人同士で大晦日のメインイベントで戦わされる始末。

そんな、「素人をリングに上げてそれをK1と称する」の象徴的存在こそが、ボブサップだったはずである。ところが、そのボブサップが茶の間に届いた途端、「イスラエルのガザ侵攻は、ボブサップが咆哮するリングにあなたを放り込んで、それをK1と称するようなもの」に化ける。なんたる不思議。イスラエル、ユダヤ人どもの情報操作に騙されるな!とか叫んでおきながら、石井館長の遠い昔にネタが割れたはずのファンタジーな情報操作にはそのまま乗っかり、俺は正しいのだと信じて「ボブサップ」「ボブサップ」と一生懸命に連呼する。一体何がそうさせるのか。

世の中に使い捨てにされ醜態を晒し逃げ回り、やがてすぐに忘れ去られたボブサップ本人の知らぬ所で茶の間のボブサップは今日もガハハハと高らかに笑い、在りし日の肉体を誇示しているのだと思うと、少し安らかな気持ちになったが、自分が何について読むためにブログサーフィンを始めたのかを思い出して、インターネットは魔窟なりと思った。インターネットは魔窟なり。

2009年1月8日木曜日

自分のDNAが嫌い。



自分のどこが一番嫌いかというと、DNAが嫌い。比喩ではなく、DNAが嫌い。塩基配列が嫌い。僕はよく夢精する。どういう時に夢精したかを振り返ってみると、自己嫌悪が頂点に達したときに夢精する。その事実を統合して考えてみた結果、僕が夢精をするのは、DNAを毀損しようと試みているのだ、という結論に達したが、それが正しいかどうかを確かめる術はないし、仮にそうだとすればそれはまったくの徒労であろう。

Image4.png

昨日、一昨日と、寝ても寝ても起きる気力が生まれずに寝て過ごした。2日で42時間くらい寝ていたようだ。眠たくないのに無理矢理に眠り続け、寝に寝まくって三度ほど夢精した。睡眠が足りている中でさらに寝ると、酷い頭痛に陥り、その酷い頭痛を押してさらに寝ると、さらに頭痛が酷くなるという事を再学習した。世の中は理不尽に満ちているという結論に達したが、それら理不尽も全て元を辿れば自業自得である。僕が悪い。仮に僕が全く悪くなかったとしても、その罪を認めて絞首台に駆け上るくらいに元気がない。何をする気力も無いけれど、たとえば気力が有ったとしても何も出来ない身なので、気分は楽だ。気分が楽な分、気分は沈む。僅かな救いともなる気楽さは、取り返しのつか無さに裏打ちされている。元気がない。やる気というものが起きない。違う生き物に生まれたかった。誰か精子くれないだろうか。たった40kgぽっちでいいんだけれど。

読みたくないブログは書かない。



僕のブログには1452のエントリーと、13988のコメントと、529のトラックバックがある。投稿ボタンを押す度にコメントを十個読み、投稿ボタンを三度押す度に、トラックバックを1つ読んできた。それが僕の人生だった。

ブログを書きたいと、思った事はあった。ブログを書きたいと思った事はあったけれど、コメントを読みたいと思った事はただの一度も無い。無いにも関わらず、僕は自分が書いたブログの10倍のコメントを読まされ続けてきた。

いつからか、僕にとってのブログを書くという事は、ブログを書くという行為ではなく、コメントを読まされるという行為そのものだった。15000のコメントの中で僕自身が読むに値すると思ったコメントは精々4つ。雑多なものを全て含めても20に満たないだろう。

「ブログを書きたくない」と感じるようになるのは、当然の帰趨だった。けれども、それは、ブログを書きたくなかったわけではない。ブログを書くのは楽しい。けれども、ブログを書いて良い事など、1つも無いのだ。ブログを書けば、読みたくもないコメントを読まされる。それが嫌なのである。嫌、などという言葉はここでは相応しくない。それは僕には到底言い表せない程の苦しみだった。

今でも、もしも願いが叶うなら、前述の20に満たないコメントを除いたコメントを付けた連中を、床に貼り付けにして両眼にフォークを突き立て、木槌でトーン、トーンと叩いてやりたい。それでも僕が受けた災難に比べれば遙かに生ぬるいと思う。

「他人からの評価を気にするのは間違い」だとか、「人からの評価に気を揉むのは三流」などと、世間は言う。それは、多分にそうなのだろう。だが、僕は別に他人からの評価を気にしているわけでも、人からどう見られるか(読まれるか)を気にしているわけでもない。ただ暴力に血を流しているに過ぎない。

見知らぬ誰かから出刃庖丁を頭蓋骨に突き立てられて尚、「他人がどう言おうと俺は俺」と言って道を行き続ける事の出来る人間が世の中に存在しているならば、僕は驚愕と感嘆を持ってそれを讃えたい。そんな事の出来る人間はいない。仮にいるとすれば、それはもう人間ではない。そして無念2009年僕は未だに人間である。

読みたくない、ならばどうすればいいか、と考えた時に、導き出される結論は常に一つである。書かなければいいのである。ブログを書かなければ、読みたくないコメントを読まされる事は無い。あったにしろ、その量は随分と減るだろう。コメントだけではない。トラックバックも、メールも同じである。ブログを書かなければ、来ない。自ずから僕はブログを書かなくなった。

想像してみて欲しい。ブログに「頭が痛い」と書いただけで、「大丈夫ですか?」とか「ご自愛ください」とか、書き込まれる様子を。糞ゴミのような糞ゴミ連中どもが糞ゴミコメントをこれみよがしに書き込んで行く様を。そんな事をされたら、普通の人ならば誰だってこう思うだろう。「一族郎党皆殺しにしてやる」と。

しかしながら、一族郎党皆殺しにする手段を持たない僕は、自ずから、自らのブログという自由な投稿を行えるはずの場所で、投稿内容を、自制するようになった。つまり、「コメントが付くのは、投稿に問題があるからだ」と考えたのである。だが、現実はそうでもなかった。何を書いてもコメントが付く。トラックバックも来る。嫌がらせのメールや糞ゴミメールを送ってくる連中の列が途絶える事も無い。

ブログというものは、何を書いても駄目なのだ。そう理解した僕は、投稿ボタンへと向かう事を極力避けるようになった。投稿ボタンを押す閾値を上げた。幾つものエントリーを葬り、幾つもの感情を押し殺し、幾つもの叫びを抹殺した。別に、好き好んでそうしたわけではない。本当は、書きたかった。もっといっぱい、ブログを書きたかったのである。書いて、書いて、書き捲りたかった。だが僕はもう限界だった。

だから、逃げたのである。臆病にも、逃げたのである。読みたくないブログは書かない。そういう風にして、自分の心に背を向けて、生き長らえてきたのである。それでも弁解をするならば、「書かない」ではなく、「書けない」だと僕は言いたい。だがそんな事はどうでもいい。事実、僕は逃げていただけである。

世の中から逃げて引きこもりになり、引きこもりから逃げてゲームをし、ゲームから逃げてブログを書いて、ブログから逃げて生きながらえてきたのである。少しでも楽をしたいと、無理はしたくないと、楽な方へ楽な方へ逃げて、逃げて生きてきたのである。その結果がこれである。この有様である。どうせ僕にはどうも出来なかった。僕が何をどんな風に頑張って逃げずに生きていたところで、何も変わらなかった。そんな事はわかっている。そんな事はわかっている。

それでもブログを頑張って、一つ一つ、もっと頑張って書いていれば、読みたくないブログは書かないと、書きたくないと逃げ出さずに一つ一つ頑張っていればと今も、悔やんでも悔やみきれない。たかがブログを書いたくらいで、僕のこのくだらない人生の何かが、どうにか変わるわけではない。けれども、僕にはブログしか無かったし、これから先もブログしか無いのだ。その、ただ1つしかないブログから逃げれば、僕には何もないのだ。そんな事くらい、わかっていたはずだった。