読みたくないブログは書かない。



僕のブログには1452のエントリーと、13988のコメントと、529のトラックバックがある。投稿ボタンを押す度にコメントを十個読み、投稿ボタンを三度押す度に、トラックバックを1つ読んできた。それが僕の人生だった。

ブログを書きたいと、思った事はあった。ブログを書きたいと思った事はあったけれど、コメントを読みたいと思った事はただの一度も無い。無いにも関わらず、僕は自分が書いたブログの10倍のコメントを読まされ続けてきた。

いつからか、僕にとってのブログを書くという事は、ブログを書くという行為ではなく、コメントを読まされるという行為そのものだった。15000のコメントの中で僕自身が読むに値すると思ったコメントは精々4つ。雑多なものを全て含めても20に満たないだろう。

「ブログを書きたくない」と感じるようになるのは、当然の帰趨だった。けれども、それは、ブログを書きたくなかったわけではない。ブログを書くのは楽しい。けれども、ブログを書いて良い事など、1つも無いのだ。ブログを書けば、読みたくもないコメントを読まされる。それが嫌なのである。嫌、などという言葉はここでは相応しくない。それは僕には到底言い表せない程の苦しみだった。

今でも、もしも願いが叶うなら、前述の20に満たないコメントを除いたコメントを付けた連中を、床に貼り付けにして両眼にフォークを突き立て、木槌でトーン、トーンと叩いてやりたい。それでも僕が受けた災難に比べれば遙かに生ぬるいと思う。

「他人からの評価を気にするのは間違い」だとか、「人からの評価に気を揉むのは三流」などと、世間は言う。それは、多分にそうなのだろう。だが、僕は別に他人からの評価を気にしているわけでも、人からどう見られるか(読まれるか)を気にしているわけでもない。ただ暴力に血を流しているに過ぎない。

見知らぬ誰かから出刃庖丁を頭蓋骨に突き立てられて尚、「他人がどう言おうと俺は俺」と言って道を行き続ける事の出来る人間が世の中に存在しているならば、僕は驚愕と感嘆を持ってそれを讃えたい。そんな事の出来る人間はいない。仮にいるとすれば、それはもう人間ではない。そして無念2009年僕は未だに人間である。

読みたくない、ならばどうすればいいか、と考えた時に、導き出される結論は常に一つである。書かなければいいのである。ブログを書かなければ、読みたくないコメントを読まされる事は無い。あったにしろ、その量は随分と減るだろう。コメントだけではない。トラックバックも、メールも同じである。ブログを書かなければ、来ない。自ずから僕はブログを書かなくなった。

想像してみて欲しい。ブログに「頭が痛い」と書いただけで、「大丈夫ですか?」とか「ご自愛ください」とか、書き込まれる様子を。糞ゴミのような糞ゴミ連中どもが糞ゴミコメントをこれみよがしに書き込んで行く様を。そんな事をされたら、普通の人ならば誰だってこう思うだろう。「一族郎党皆殺しにしてやる」と。

しかしながら、一族郎党皆殺しにする手段を持たない僕は、自ずから、自らのブログという自由な投稿を行えるはずの場所で、投稿内容を、自制するようになった。つまり、「コメントが付くのは、投稿に問題があるからだ」と考えたのである。だが、現実はそうでもなかった。何を書いてもコメントが付く。トラックバックも来る。嫌がらせのメールや糞ゴミメールを送ってくる連中の列が途絶える事も無い。

ブログというものは、何を書いても駄目なのだ。そう理解した僕は、投稿ボタンへと向かう事を極力避けるようになった。投稿ボタンを押す閾値を上げた。幾つものエントリーを葬り、幾つもの感情を押し殺し、幾つもの叫びを抹殺した。別に、好き好んでそうしたわけではない。本当は、書きたかった。もっといっぱい、ブログを書きたかったのである。書いて、書いて、書き捲りたかった。だが僕はもう限界だった。

だから、逃げたのである。臆病にも、逃げたのである。読みたくないブログは書かない。そういう風にして、自分の心に背を向けて、生き長らえてきたのである。それでも弁解をするならば、「書かない」ではなく、「書けない」だと僕は言いたい。だがそんな事はどうでもいい。事実、僕は逃げていただけである。

世の中から逃げて引きこもりになり、引きこもりから逃げてゲームをし、ゲームから逃げてブログを書いて、ブログから逃げて生きながらえてきたのである。少しでも楽をしたいと、無理はしたくないと、楽な方へ楽な方へ逃げて、逃げて生きてきたのである。その結果がこれである。この有様である。どうせ僕にはどうも出来なかった。僕が何をどんな風に頑張って逃げずに生きていたところで、何も変わらなかった。そんな事はわかっている。そんな事はわかっている。

それでもブログを頑張って、一つ一つ、もっと頑張って書いていれば、読みたくないブログは書かないと、書きたくないと逃げ出さずに一つ一つ頑張っていればと今も、悔やんでも悔やみきれない。たかがブログを書いたくらいで、僕のこのくだらない人生の何かが、どうにか変わるわけではない。けれども、僕にはブログしか無かったし、これから先もブログしか無いのだ。その、ただ1つしかないブログから逃げれば、僕には何もないのだ。そんな事くらい、わかっていたはずだった。