2005年9月30日金曜日

ごめんね



ごめんね
おもしろい
エントリー
書けなくて
ごめんね



ごめんね
すなおな
エントリー
書けなくて
ごめんね



ごめんね
たのしい
エントリー
書けなくて
ごめんね



ごめんね
すてきな
エントリー
書けなくて
ごめんね



ごめんね
価値ある
エントリー
書けなくて
ごめんね






ごめんね
ごめんね
ざまあみろ


blogイコールpermalinkみたいにみんなは言うけどさー、Doblogにはpermalink無いじゃん。



blogイコールpermalinkみたいにみんなは言うけどさー、Doblogにはpermalink無いじゃん。そこんとこわかってんだろーなー。天下の電電公社がblogイコールpermalinkではない、ってのを体現してんだから、blogイコールpermalinkじゃないんだよ!マジで。
















全世界で400万人がプレイしている物凄く物凄いオンラインRPGゲームであるWorld of Warcraftの制作元であるブリザードエンタテイメントの韓国支社に「World of Warcraftのアイテムにキムチとコチジャンを追加しろ」という脅迫とともにキムチ40キロ、コチジャン4キロが送りつけられてきたそうで、ブリザード側は対応に苦慮しているとのこと。



凄い。
凄すぎる。
世界観と作り込みによってエバークエストIIを粉砕したWoWのアイテムにキムチを入れろと要求する韓国人。しかも40キロ。真性引き篭もりの体重並。それも、キムチ40キロ。迷惑この上ない。
























日本で例えると、墨香オンラインを運営するネッツジャパンの日本支社に「墨香オンラインのキャラクターにのまネコを追加しろ」という脅迫とともに恋のマイアヒ40万枚が送り付けられてきたようなもん。


2005年9月29日木曜日

在日韓国人の犯罪率が高いという論は間違いである。



在日韓国人の犯罪率が高いというのは事実である。
しかし、それはは間違いである。









人間はなぜ、犯罪を犯すのか。
それは、単純な話である。


犯罪行為は儲かるのである。
考えればすぐに解ることである。


棍棒を手に現金輸送車を襲えば、10分で一千万円が手に入る。
時給に換算すると、6000万円である。
こんなにおいしい仕事はない。


しかし、人々は現金輸送車を襲わない。
何故か。







それは、単純な話である。
リスクが高すぎるのだ。


棍棒を手に現金輸送車を襲うに失敗すれば逮捕される。
問答無用で牢獄送りである。


故に、一定の現金と現金収入を手にしている人間は現金輸送車を襲わない。
坂口博信は現金輸送車を襲わないし、清水佐紀は現金輸送車を襲わない。
羽生善治は現金輸送車を襲わないし、中村紀洋は現金輸送車を襲わない。
堀江由衣は現金輸送車を襲わないし、杉村太蔵は現金輸送車を襲わない。


それどころか、他の犯罪も犯さない。
自販機を荒らさないし、500ウォン硬貨に穴もあけない。
保険金詐欺もしないし、ロードバイクも盗まない。


人間は賢い。
皆が皆、賢い。
リスクとリターンの見合わない犯罪は犯さないのである。


つまり、我が国からそのような類の犯罪を完全に撲滅するのは簡単な事である。
我が国に居住する1億5000万の人民全てを大学教授にしてしまえばよい。あるいは、100億世界全人民を非常勤のはてな取締役にしてしまうとよい。そうすれば車上荒らしは半分、いや、三分の一、いや十分の一にまで減るだろう。








在日韓国人の犯罪率が高いというのは事実である。
引き出す数字によって違えど、日本人の2倍以上という数字があるのである。

それを元に、在日外国人は犯罪者の巣窟とする論調がまかり通っている。
しかし、その論調は大いに間違っているのである。
何故ならば、他のより重要な、肝心要を見逃しているからである。








我が国には、2倍、3倍などという数字ではない、もっと凶悪な人種が生息している。

それは何であるか。
それは、中卒者である。

我が国の極刑である被死刑判決に占める中卒者の割合は、70%である。
日本の高校進学率から考えると、この数字かどれほどまでに異常なものであるかというのはすぐにお解りいただけるところであろう。死刑だけではない。他の凶悪な犯罪においても、あるいは軽犯罪においても、中卒者の犯罪率は異常なまでに高い。


即ち、我が国から犯罪を撲滅したければまず何よりも始めに、中卒者を1人残らず滅ぼすべきなのである。









そして、在日外国人の高校進学率は非常に低いのである。
即ち、在日外国人が犯罪を犯すのではない。
中卒者が犯罪を犯すのである。




在日韓国人の犯罪率は高い。
しかし、在日韓国人の進学率はそれにも増して低いのである。
韓国、中国叩きに精を出す差別論者はその最も重要な点を完全に隠蔽しているのである。実に卑怯極まりない行為であり、真性馬鹿の所業である。








次に、もう1つ我が国には犯罪を犯す人種が大量に存在している。
それは、無職者である。


無職者の犯罪率もまた、異常なまでに高い。
これこそが我が国最大の癌であると言ってもよい。


まず何よりも第一に中卒者を滅ぼし、次に無職者を滅ぼす。
最後に、低所得者を根絶すれば、我が国の犯罪は激減するのである。
それは数字の指し示す所であり、紛う事なき真実である。






我が国において、最も危険であるのは、在日外国人では無い。
ましてや、在日外国人中卒者でもない。
無論のこと、在日外国人中卒無職者でもない。


最も危険であるのは、純粋日本人の中卒者であり、純粋日本人の無職者である。
純粋日本人の中卒無職者である。


凄い文章。




・頭が良いだけで凶悪犯罪などをする、人間性のない人間になってしまう


驚きましたが、意外とこう考えている方がいらっしゃいました。


世の中には成績がよい人、高学歴の人、勉強ができる人間を素直に認められない人たちがいるので、ついそういう人が犯罪をすると大きく取り上げられがちなのです。実際の統計上、犯罪のほとんどは学歴的には悪い人の方が圧倒的に起こしているということです。調べればすぐに分かります。(ちなみに、長崎の事件を起した少年は、公立の中学校で優秀だった、というレベルです。それも極めて優秀、というわけではなく、成績不良ではなかった、という程度でした)近所のお母さん方の中にもそうやって必ず、「勉強ができたって、駄目よねえ。」という人がいますが、勉強とその他の人間的な事の関連性を考えた上でも自信をもって勉強をさせて問題ないでしょう。確率論的に言えば、勉強しないほうが犯罪に走る可能性は明らかに高いとかんがえます。



いや、さすがに、ちょっと、凄い文章、これ、笑った。









「実際の統計上、犯罪のほとんどは学歴的には悪い人の方が圧倒的に起こしているということです。調べればすぐに分かります。(ちなみに...」このクオリティ。太刀打ちできない。





「実際」「統計上」「ほとんど」「学歴的には悪い人」「圧倒的」「調べれば」「分かります」「(ちなみに」これだけのキーワードを僅か2行に詰め込めるってのは、立派な才能。凄い。酷い。酷すぎる。家庭教師派遣会社のウェブサイトに載せてよいレベルの日本語じゃあない。


今いかづちに、望むこと。



巨大な見えない左手が地殻にそびえるサイドギアをガチッ、ガチッと引き起こして夜を長くしてゆく、物凄い速さで。巨大な見えない右手が逆側のサイドギアを一気に引き倒して一秒、一瞬を際限まで引き延ばし張ってから、もう久しい。コンコルドが首をもたげる。静寂が斬られる。音が遅れて鼓膜を叩く。未だ、冬は来ず。思いの外、冷える。




暖まりの無さに揺さぶられ、いかずちにでも撃たれれば少しは気が安らぐかもしれないという希望が芽生えては過ぎ去り、芽生えては過ぎ去る。灰色に速く回る洗濯機の中の糸くず取り網のように右に左に張り倒されながら、そこを漂う薄汚れた必要の無いものばかりを1つ残らず漏らさぬようにと掻き集め続ける遊離感。衣服も礼節も無く保つ寸分の正気。壊れぬ己の強靱な頑なさが、寒い夜は一段と憎い。




突然の大雨に、油断していた黒雲が取り乱している。
「梅雨かな」とふと思ってしまうアジサイの枯れた季節。
茶色く濁ってそれでも尚、造花のように冬まで佇む、梅雨を乗り越えた強さ。
花片一枚、落ちず、流れず。




目視不能な天空の向こうで、見えぬものと見えないものとが擦れ合って、啀み合う。
爆ぜ宛ての無いかみなり雲が、己のわたくしを破壊してゆく。




水道水を一口飲んで、眉毛を2本抜く。
冬に震えて、少し怯える。








外は夜の雨。
内は冬の空。
雲一つなし。
晴れわたる。


いかづちまでもが、冷たくあたる。
せめて雷、せめて雨。


2005年9月28日水曜日

アクセス\(^O^)/アップ☆大失敗。



Mr.Nituiteのブログがseesaaによって全削除された。





従って、Mr.Nituiteのブログ全てに放ったトラックバックも全て消えた。






その数500。





世は儚い。


[2.03α][αテスト中]名称未定[+既知の不具合]



●注意事項。
αテスト中です。細部は未完成ですし、不具合もいくつか確認されていますので、紹介等は行わないで頂けたら有り難いです。また、バージョンアップ時にデータの互換性が失われる可能性があります。どうか、ご了承下さい。

真性引き篭もりhankakueisuu
----
●既知の不具合
・色設定を思いっきり間違っていた。
IE/Sleipnir/FireFoxを水色で統一したつもりが、全部ドギツイ真っ赤。

http://image5.photohighway.co.jp/j027/585/Photos/middle/3010113168f1.jpg
・おもいっきりバグ。致命的。


----
●2.02→2.03α
・WinME等のOSに対応出来たと思う。(多分)
・日付を跨ぐとランキングデータが飛ぶ問題を修正。
・デフォルトの色設定を少しいじった。
・自分用にとりあえず、jpgで書き出せるようにした。
・現在時刻のカーソルを表示。
・heightを1/2に。

●2.01→2.02α
・午前0時を越えた際に生じるバグを修正。

●2.00→2.01
・デフォルトで色設定していないアプリの色が毎分変化するバグを修正。
・終了確認、はい/いいえの導入。




----
www.geocities.jp/dotahankakueisuu/mitei.zip
無保証。
自己責任で。
なにかあったらお願いします。
windowsXP以外ではきちんと動かない可能性があります。




アンインストールはフォルダごと削除してください。
レジストリは触っていません。




最小化して常駐させておくと、使っていたアプリを記録して可視化。
横棒グラフに、アプリ毎の指定色で書き込んでゆくだけ。
画面クリックで並び替え表示に切り替え。

www.geocities.jp/dotahankakueisuu/scsho.jpeg
スクリーンショット(イメージ)



----
●やる。
・背景スキンの改良。
・名称を決める。
・afk(キーボードの前にいない時間)を対応。
  PCつけたまま寝てしまった時や、突然の用事や食事等の際に、
  たまたまフォーカスのあったアプリケーションが記録されるのは、
  自己管理/操作記録アプリとしては適切な動作ではないと考えるので。
  (長時間操作の無い動画鑑賞ソフト等については、追って対応したい。)

●やりたい。
・メニュー→オプション→色設定。
・メニューをちゃんと。
・指定アプリの起動時間をInt分で出力。
  はてなグラフとかに記入できるように。
  特にネトゲ中毒者とかの自己管理用に。

●やりたいけれど。
・URLを見て、どの類のウェブサイトに滞在していたかまで可視化。ブラウザのお気に入りのフォルダ別、はてなアンテナのフォルダ別、bloglinesのフォルダ別、サイト別等、ドメイン別等。

●やるかもしれないけれど自分の中では物凄く優先順位が低い。
・祝日表示。
・windowsXPのグラフィックスタイルに対応。
・多重起動の阻止。
・壁紙/HTML。

●複雑にしたくないので迷っている。
・NGアプリを指定して、警告を発する。

●色設定の指針とデフォルト色。
普及率の高い15種類くらいはデフォルトで色を用意しておきたい。
ゆくゆくはメニュー→オプション→色設定で簡単に変更できるように。

・ブラウザ(水色)
  iexplore.exe=$029EECFF
  Sleipnir.exe=$029EECFF
  firefox.exe=$029EECFF
・メーラー(橙色?)
  Rebecca.EXE=$02B3886F
  edmax.exe=$02B3886F
  msimn.exe=$02B3886F
・チャット(茶色?)
  Skype.exe=$02FFBD1F
  msnmsgr.exe=$02FFBD1F
  LimeChat.exe=$02FFBD1F
・エディタ(深緑)
  xyzzy.exe=$0200FF00
  Hidemaru.exe=$0200FF00
・RSSリーダー(紫)
    
----
http://image5.photohighway.co.jp/j027/585/Photos/middle/8893025923f1.jpg
9/29。0時~0時50分くらいまではバグ直していたので記録無し。

http://image5.photohighway.co.jp/j027/585/Photos/middle/8693033644f1.jpg
イメージ。30列。


Goolgeは役に立たない。はてなは役に立つ。

Googleは役に立たない。



はてなは役に立つ。













heketekeは僕のIDなので、「投げ銭したい!」と常日頃から思ってらっしゃる方がいらっしゃいましたらこの機会に是非どうぞ。端金は迷惑なだけなのでいりません。








Wohl mir, dass ich Jesum habe,

O wie feste halt ich ihn,

Dass er mir mein Herze labe,

Wenn ich krank und traurig bin.

Jesum hab ich, der mich liebet

Und sich mir zu eigen gibet;

Ach drum lass ich Jesum nicht,

Wenn mir gleich mein Herze bricht.




たぶん私、そのIにはイエスがいて、まさしくO同類固体の私が彼である、/、それ、それ、彼、/、私のために私の心臓をリフレッシュします、私が病気であって、悲しいなら。 イエスには、私と私自身がgibetを所有しているのを好むIがあります; おお、したがって、私のための中断であるならイエスIを置き去りにしない、すぐに、私の心臓。




意味わかんねー。

おお、したがって、って、なんだ、その日本語。




だいたいからして神なんていないってんだろ。何度言えばわかるんだ。まったく、ドイツもコイツも馬鹿ばっかだな。そんなこともわからないのか。








みつけたといえばみつけたし、みつけられないといえばみつけられない。



Googleは役に立たない。


はてなは役に立つ。






heketekeは僕のIDなので、「投げ銭したい!」と常日頃から思ってらっしゃる方がいらっしゃいましたらこの機会に是非どうぞ。端金は迷惑なだけなのでいりません。





Wohl mir, dass ich Jesum habe,
O wie feste halt ich ihn,
Dass er mir mein Herze labe,
Wenn ich krank und traurig bin.
Jesum hab ich, der mich liebet
Und sich mir zu eigen gibet;
Ach drum lass ich Jesum nicht,
Wenn mir gleich mein Herze bricht.



たぶん私、そのIにはイエスがいて、まさしくO同類固体の私が彼である、/、それ、それ、彼、/、私のために私の心臓をリフレッシュします、私が病気であって、悲しいなら。 イエスには、私と私自身がgibetを所有しているのを好むIがあります; おお、したがって、私のための中断であるならイエスIを置き去りにしない、すぐに、私の心臓。



意味わかんねー。
おお、したがって、って、なんだ、その日本語。



だいたいからして神なんていないってんだろ。何度言えばわかるんだ。まったく、ドイツもコイツも馬鹿ばっかだな。そんなこともわからないのか。





みつけたといえばみつけたし、みつけられないといえばみつけられない。


2005年9月27日火曜日

うまいことブログが書けぬと困っている。



うまいことブログが書けぬと困っている。
実を言うと非常に困っている。




ブログを書く上で最も気に懸けていることは、素直に書くということである。

素直にというのは、隠し立てせずに、裏無くありのままを書くことである。この際、他者に伝わるように書こうとは考えていない。自分に対して隠し立てせずに伝えられればそれでよいと考えている。




ところが、この素直に、というのがやっかいである。
素直にありのままに書くと、自分が一番嫌いなタイプのエントリーが出来上がってしまう。

当然にしてそのようなブログは糞であると考えているし、そのようなエントリーは目にしたくもないので投稿ボタンを押すに辿り着けない。それどころか、テキストエディタを前にして、キーボードをタイピングする事も出来ずに脳内で、却下却下の繰り返しである。

何が問題であるのか、といった事柄はよく把握しているのだが、それをうまく書くことすら出来ない。誠に困っている。どうしたものか。




結論から言うと、「素直に書くべき」というのが最重要課題であり、「素直に書いてはならない」というのが最重要信念である。その相反し対極に位置する2つの事柄を上手く摺り合わせる事など出来ない。

そしてもう1つやっかいな事に「ブログを書き続ける」という事が人生に対する覚悟であり、人生に対する決意なのだ。言うならば全てにして唯一なのである。




うまくいかない。


2005年9月26日月曜日

I have a dream?



私には夢があるのか?
私には夢があるのか?
私には夢があるのか?
問い続けている。

私には夢があるのか?
私には夢があるのか?
私には夢があるのか?
私には夢がない。
私には夢があるのか?






祈りたき神なし。
憎みたき人なし。

食べたき飯なし。
飲みたき水なし。

登りたき山なし。
潜りたき海なし。

飛びたき空なし。
駆けたき大地なし。

仰ぎたき天なし。
何見れど驚きなし。

遊びたきゲームなし。
見たきフットボールなし。

なにもなし。






書くべきブログあり。
書く気力なし。

ただそれだけが、僕を支える。


秒数計測するだけ。



時代はjavascriptだ!みたいな感じでjavascriptで作り直していたら、まんまそのまんまなサンプルコードを見つけてしまって萎えたので意地でもjavascriptは大嫌いだ。


----
www.geocities.jp/dotahankakueisuu/secer.zip
表題通り。自己責任で。

指定日時までの秒数を計測して、適当なテキストを生成するだけ。単位が年とか月とか日とかだと実感が湧かずに掴みづらいけれど、秒や分だとわかりやすいだろう、ってことでやってみたけれど、余計にわかりにくくなっただけだった。壮絶なまでに使い道無し。けど多分、需要は1~2くらいはあると思う。ネトゲにハマりまくってる受験生が受験日を入力して、とか。成人式まであと、みたいな。そういうのとか。卒業まで、とか。恋人の誕生日とか、あと出産予定日まで、ってそんなの秒換算して何になるの、みたいな所であり、やっぱりこれは無いか。なにやってんだろ、あたし。



例。
*[game][AoE3]AoE3発売まであと2456418秒。
*[game][360]360まであと、107177分。
AoE3発売まであと682時間13分52秒。


2005年9月25日日曜日

大きな声では言わないが、今年の夏を終わらせたのは僕だ。



人々は夏は自然に終わるものだと考えている。
しかし、それは大きな間違いであり誤解である。


夏は終わるものではない。
誰かが終わらせるものである。


夏を終わらせるという明確な意思を持った何者かが、それぞれの夏に1人ずつ存在しており、そのたった1人の人間の働きかけにより夏は終わるのである。どういう仕組みになっているのかまでは詳しく知らない。けれども、これは事実である。何せ、今年の夏を終わらせた張本人がここにいるのだから。


僕は世界で唯一、今年の夏を終わらせるが為に立ち上がり、行動した人間である。
夏という時間の一秒、一秒、長きの全てを終わらせる為だけに耐え続けたのである。
そして遂に、夏を終わらせる事に成功したのである。


もしも僕がいなければ、世界は今頃大変な事になっていただろう。アイスクリームは売れまくり、夏野菜は実りまくり、ツクツクボウシは出番無しだ。それは正しく大惨事。そのような事態から、僕は世界を救いだしたのである。たった唯一、ただ1人。


同じように、秋は終わるものではない。
誰かが終わらせるものである。

同じように、秋も終わらせてしまおうと思う。
待て、しばし。少しの猶予を。幾ばくかの時間を。
気がつけば外には雪、静寂、冬。もうすぐ。もう少し。


座ったままで



100時間くらいキーボードでブログを叩き続ければナチュラルなエントリーを書けるのではないか、みたいな幻想を抱いてチャレンジしてみようかといった気分になったのだけれど、10時間で挫折しました、みたいな根性無し。


真性引き篭もりhankakueisuuのための日記



真性引き篭もりhankakueisuu 、いくらでも好きなだけ貼り付けていいぞ。

いつものようにせっせとコピペを貼ってくれよ。

これはもう君のブログだ。




決して自分の言葉を書かず、xyzzyからのコピペをせっせせっせと

何の関係もない俺のブログの投稿画面に貼り付け続ける君だ。




最初はhankakueisuuという捨てハンを使ってオレを装い、

こちらがid:hankakueisuuさんと混同されて困っていたら

今度は真性引き篭もりhankakueisuuという捨てハンで、

毎日毎日、もう千件くらいのエントリーを書き続けている君だ。




君は何も自分の意見を書かずに、ただ他からのコピペを続けるだけだから

なぜオレのところに投稿するのか、その理由もわからないし、

君が何を言いたいのかも誰にもわからないし、

誰も君のコピペを読む人はいない。

何の意味もない。




君は、なんで、そんなことをしてるんだ?

その行為からは何も生まれない。

そんなことを続けていても何一つ、楽しいことは起こらない。

君の執拗なコピペが鬱陶しくて、オレがゲームをしなくなったくらいだ。




ちゃんと仕事はあるのか?

一時のものすごい量の投稿を見ると、とても働いているようには思えない。 

将来はどうするんだ?




君が無意味なコピペをしている間に、他の人たちは

将来のために勉強や仕事をし、

恋をしてセックスをして、

有意義な人生を送ってる。




君は、生きてて楽しいか?

君の生は、誰かの役に立ったのか?

君のことを好きでいてくれる人なんて1人もいないんだろ。

君は生まれてきて、意味があったのか?

楽しいことは、あったのか?

誰かの役にたったことが一度でもあったのか?

愛してくれる人が、1人でもいたのか?




こんな単調なコピペ改変で大切な時間を無駄にするな。

やればやるほど君の心の底に澱が溜まっていって、心が腐っていくだけだ。




もうやり直しは効かない。

どこにも出口はないぞ。


2005年9月24日土曜日

エントリーが改変されていないことを保証するサービスの具体案。



テキストファイルのアップロードが可能。
アップロードを行った人のIDと、日時の表示。
そのテキストがあったウェブサイトのURLの表示。
ファイルサイズは~20KB程度で構わない。
保存期間は長期~超長期。
削除、改変は出来ない。



ようは、yahooのようなID制を持っている所がテキストファイル限定のアップローダ的なものを用意すればそれで一応は解決する話だと思う。得られるメリットは、顧客の囲い込みと閲覧画面への広告挿入。閲覧画面は左に右に広告入れまくりでガシガシ行って、尚かつIDを取得してログインしないと読めないくらいの顧客囲い込みを行っても良いかと。



エントリーに撤回不可能性という責任を付加したいと考えるブロガーはエントリー毎に自分でアップロードし、ブログのプロフィール覧辺りにIDを書いておけば、ID検索から全てが見られるという仕組みで。

書き手は不改変性を証明したいと考えるエントリーのみを保存して、雑記のようなものは保存しない可能性が高いので、読み手はそのサービスを漁る事で、書き手が責任を持って書いたクオリティの高いエントリーのみを読むことが可能になるというメリットもある。



問題としては、人様のテキストをオレオレ著作権で勝手に保存する輩が間違いなく出てくること。それらへの対処の大変さ。あまりにも簡単に削除できるとなると、撤回しない責任を保証する場としての価値が薄れてしまうので、さじ加減が問題。



クリエイティブコモンズバナーのような感じで、「このウェブサイトの文章は保存しても構わない」というバナーを用意しておき、それが貼られていないウェブサイトの文章に関してはクレームが入ったら削除、ってのが管理側としては楽な選択か。


2005年9月23日金曜日

ブログにはエントリーが改変されていない事を証明する手段が存在しない。



ブログのエントリーには投稿日時が必ず併記されている。

けれどもそれは、エントリー内の文章がその日時に書かれた事を保証するものではない。ブログのエントリーは投稿後に好きなだけ改変可能だからである。




それにより生じる最も大きな問題は、読み手側が投稿日時を無条件で受け入れ、「その文章はその日時に書かれたものである」と誤解してしまう点にある。

もちろん、多くの場合エントリーの投稿日時と文章が書かれた日時はイコールで結ばれるのだが、そうではない可能性があるという事を忘れてはならない。

ブロガーがなんらかの意図を持って文章に手を加えれば、巧妙に書き換えて別の話にしてしまったり、まったく逆の話にしたりといった事は簡単に行えるのである。



その、ブロガーの都合の良い改編に対して読み手の側が取り得る対抗策はほとんどない。
検索エンジンのキャッシュを当たったり、インターネットアーカイブサービスを利用したり、といった方法は可能であるが、それらとて現実的な改編への対抗手段には成り得ない。

それらはある特定の日時の状態を保存するものに過ぎず、文章の書かれた日時、改編日時を確認する事は不可能に近いからである。



この問題を取るに足らない事とするのは容易い。

しかし、マスメディアや書籍に同様の問題が存在したとすると、新聞や本といったものが現状ほどの信頼を得る事が可能だったろうか。出版物の信頼の幾らかは、改変不可能性に対する責任から生じているものだと僕は考えている。



この問題は読み手にとっての問題であると同時に、書き手にとっての問題でもある。

ブロガーは、自身の書いた文章が投稿日に書かれたものであり、改変を行っていないという事を証明する手段を持たない。現状では「私を信用してください、私は改変しませんよ」という態度を表明する以外に手は無く、読み手はその主張を信じる以外に他はない。

この、改変が可能であるというブログの致命的な問題点を解決する手段が存在していない現状では、ブログはリアルタイムメディアの領域を抜け出すことが出来ず、真のログメディアには成り得ないと言えるだろう。



しかし、この問題は「改変不可能な日時付きの書庫サービス」が存在すれば完全に解決する。書き手が満足の行く誤字脱字等の修正を終えた時点でそのサービスに自らの投稿を保存しておくことにより、エントリーが書かれた日時と改変されていない事の証明が可能となり、自らの文章に対する書き手責任を果たそうとするブロガーはその証明を行う事により、相応の信頼を得る事が可能となるだろう。



そんなサービスは既にあるんじゃないかと探してみたのだけれど、見つけられなかった。
名前だけ見ればそれっぽいウェブログ図書館なんて、ただの手動リンク集だったし。


粘着コメンテーターに居座られたブログの管理人はどうするべきか。



こういうのって次から次へと湧いてくるな。


世間とのずれ



世間では、全身筋肉痛と夢精はイコールで結ばれないものなのか。さすがにピントのずれたコメントをつけているのが全員女であるとは考えにくいし。自分が世間様からずれているという事は理解しているのだけれど、生理的なものについては体験への依存度がどうしても高くなってしまう。その辺りは仕方なしか。


被はてなブックマーカーの憂鬱



はてなブックマークは憂鬱である。


その理由の1つに、エントリーが被ブックマーク数順に並び替えられてしまうというものがある。しかも、その際のテキストが人気順であるからして性質が悪い。その人気順とやらを上から順に見てゆくと違和感。


「近藤の限界」は近藤の話であり、単なる近藤人気である。「オープンをオープンにするブログと、クローズドをオープンにするmixi」はmixiが凄いだけであり、単なるmixi人気である。「働きアリが働く理由と、ニートが働かない理由」は内田樹とニートが凄いのであって、全くもって僕の話ではない。「「アジアの安全な食べ物」という犯罪者と、それに踊らされる馬鹿。」はアジアの安全な食べ物が凄いだけ。「もしも戦国時代にmixiがあったら。」は武田信玄が凄いだけ。「荒れるブログの作り方」は荒れるブログが凄いだけ。それ以降も全てそういうものばかりだ。ヨシナガの話であったり、アマゾンアソシエイトの話であったり、JASRACの話であったり。どれも皆、あかの他人の話であり、真性引き篭もりのエントリーである必然性が無い。言ってみれば誰だって書ける。なんか悔しい。そんなものがランキングの上位を占めている事自体が単純にムカつくのである。


似たようなものに、エントリー別のアクセス数ランキングをブログにつけている人などがいるが、そういうものとは全く違う。それらはブログ管理人の意思でつけられるのに対して、はてなブックマークは勝手に人気順が作られて、勝手に並べ替えられてしまう。まったくもって腹立たしい。


おまけにはてなは外部サイトであるからして、手のつけようがないし、たとえブログが消滅してもインターネット上にはてなブックマーカーなどという暇人集団によって決めつけられた人気順だけが生き続ける結果になる。非常に不愉快だ。




この「他者エントリーによる人気ランキングの乗っ取り」とうい事態に立ち向かう方法があるとすれば、全て自分の話のみで構成したエントリーを人気順に送り込むことにより、ランキングを完全に書き換えてしまうという方法が唯一なのだろうが、そんな事出来るはずもなし無力感。


2005年9月22日木曜日

不撤回性



政治家に求められる資質の1つに誠実さというものがある。

誠実さとは一体何か。
それは、公言した事の不撤回性である。
公約を反故にした政治家は不誠実から逃れられない。



人は何故「あれをやる」「これをやる」という決定を行うのか。
それは、なんらかの目的を達成する為である。
有言実行を貫けば成果はついてくる。

ところが、時の流れというものは残酷なもので、目的が失われ公約だけが残ってしまう場合がある。その際に公約を撤回して新たなものに差し替えるのか、誠実さに殉じて目的も成果も意味も無い行動を続けるのかは人それぞれだろう。



少し、あるいは随分と前から明らかに無理である状態が続いているにもかかわらず、自分はどうしてインターネットとブログとを書き続けているのだろうかと己に問い続けてきた。

そこで得られた1つの結論は、僕にとってブログを書くという作業は誠実さへの内なる根源的欲求という自律神経の働きに他ならず、己の意思でどうこうできる問題ではないという事である。ブログを書くと決めたからブログを書き始めたのであり、ブログを書くと決めた故にブログを書き続けている。それを反故にしようとしても、出来ないのである。



当初は存在していたその理由や目的はもう、完全に失われてしまったにもかかわらず、僕はブログを書き続ける事を辞められはせぬし、故にインターネットから逃れる事も出来ない。僕はこれから先もこの明らかな無理さを抱えたままでブログを書き続けるのだろう。

壊れた漁業用ロボットが月の海めがけて投網をうち続けるように。


ごめん、もう無理(笑)





筋肉痛



痛い。痛い。体が痛い。

頭が痛いとか脳が痛いとか内蔵が痛いとか胃、食道が痛いとか、あるいはブログのエントリーがイタイとか、そういうものにはもう慣れた。けれども体、それも肉が痛いとなると話は別だ。全身が筋肉痛なのである。

といっても、別段体を動かしたわけではない。椅子と床との往復くらいしかしていない。それなのに全身が筋肉痛なのだ。キーボードを叩く度に背中一面が痛む。息を吸い込む度に胸腹肩腋ちくちく痛む。思い当たる節が無いと言えば嘘になるが、有るというほどのものでもない。以前にも増して寝返りが多いとか、その程度の事である。なのにキーボードを叩く度に関節が軋む。潤滑油が足りていない。頭部の重さを胴体が支えきれていないのかもしれない。あるいは、体の内側から漏れだした痛みが皮膚と骨との間の薄っぺらい空間を汚染しているといった感じである。そもそも、痛んでいる場所が筋肉であるかどうかも疑わしい。よくわからない。とにかく痛い。痛い、痛い、と思いながらも全身に染み渡る多様な痛みが奇妙な一体感をもたらし、とっちらかっていたものが痛みによって一つになってゆく。これはこれでいいのだろう。眠たい。


2005年9月21日水曜日

生粋の日本人です。




私は「hankakueisuuさん」が「なにもの?」か、全く知りませんが、「何々人」で括る必要の無い「”思考するを以ってにんげんである”人間」である事は分かります。
今日、このブログを訪れたキッカケは、私自身が「日本」「日本人」というものを考え、検索作業をしていたからです。
私は「日本人とは?」「日本の国とは?」「国とは?」「国民とは?」「民族とは?」「人種とは?」「国籍とは?」「とは?」「とは?」と、調べていきました。
その中で今、ここに辿り付いた訳です。
このブログ記事は、あなたが、何かの社会的事象に触発されて、”自分の心内の検証”を文字にして載せられたものであって、決して「日本人である」と自身を括る方々に挑戦的に、挑発的に言われたのでは無い事は、私には容易く理解できます。
何事も考えてみる事は大切です。
で、結論として出された「私は日本人ではない」について、ここからもう一度考えてみて下さい。
「私は何故、このブログを書き、”私は日本人ではない”という結論を導き出したのか」
その作業はたぶん、あなたの人生が終わるまで、結論出る事無く続きます。それで良いと思います。
直ぐ結論が出る問題なら悩まないのです。問題にならないのです。なかなか結論が見出せないから、悩む材料になっていると思います。
しっかり悩んで、多くの悩める方々に光を与えて上げて下さい。あなたはその為に今悩んでおられるのです。
そう思えば、あなたの悩みもポジテイブなものとしてあなたを高揚させるツールになるでしょう。
例えばここで、私が「あなたは在日朝鮮人の方ですか?」という質問をしますと、あなたはきっと「はい」と答えられると思うのです。しかし、その心の中では、自分が祖国と思っている朝鮮では自分は「在日」として括られて、祖国在住の人とは区別され、同じには見て貰えないジレンマがきっとあると思うのです。多くの在日の方々の苦悩を見て、そう思うのです。
でもね、もし私が「あなたはアジア人ですか?」「地球人ですか?」「人間ですか?」と尋ねていたら、あなたは苦悩無く、「イエッサー」と、ニコニコ答えられていたと思うのですよ。
そこの差に介在する自身の心や考え方の是正を、同じ地球に住み、同じアジアに住み、同じ日本の地に住む者として、お互いがしてゆかなければ、私たち人間は、何時まで経っても争いをしているでしょうね。
私は「日本人と自称する父母」に育てられましたから、国籍条項は日本人です。そして、ニックネームに「大和」と付ける程にこの「日本」を愛しています。
さて、私は考えました。
私が「大和」と名乗るほどに愛し慈しみ守っている「日本とは?」いったい何?
そこから、この旅が始まり、ここに今休憩の場を得ている訳です。
参考までに、在日の方々が前向きに歴史を検証し、日本という地での生活をより良きものにしようというグループが在りましたので、下記にそのURLを載せておきます。
「半月通信」
http://www.han.org/a/half-moon/
もう一つ、おもしろいもの
http://www.mammo.tv/interview/079_OgumaE/
ついでだから、日本人の海外移住民生活の中での民族、人種、国、国民の考え方の一つのサンプル
http://tanakanews.com/990430bolivia.htm
ついでだから、質問。
あなたは歴史を観る時、何時の時代から観られますか。
私は冷静な時は出来るだけビッグバーンから順々に観るように心掛けています。m(笑い)m
c

2005年9月19日月曜日

真っ直ぐなボール(1)



彼女に出会うためだけに生まれてきたのだ、僕は。
























気がついたら、一番馬鹿で一番愚かで一番強欲な一番平気で嘘をつく女に惹かれていた。














人は人から生まれる。
僕は人から生まれた。
その事実の前では全てが軽い。







それでも人になりたかった。
笑ったり、泣いたり、話をしたり、歩いたり、友好的にいがみあったり。そのような当たり前の出来事が見あたらない日常を過ごしてきた自分自身を人であると認める事が出来なかった。杓子定規に人というものを定義し、そこから完全にはぐれてしまっている僕は今一体何者なのだろうかという疑心が止めどなく湧き出で続けた。それはこれから先自分がどのようなものへと転じていくのだろうかという強い不安へと姿を変えて、常にこの身を覆っていた。それは不安というよりも、恐怖そのものであった。




人は劣化する生き物であり、脳は劣化する道具である。
笑う、泣く、喋る、といった人間の能力もまた、使われなければ錆び付き腐って朽ち折れ崩れて解け消える。最後に笑ったのはいつか、最後に泣いたのはいつか、最後に喋ったのはいつだったのかと自分に問うてみても、答えは返ってこない。それがいつであったのか思い出せないのである。それどころか記憶にないのだ。言葉を発した記憶ならあるのだが、人と喋ったとなるとどうだろう、どうなのだろう。そんな経験が今までに一度でもあったと言えるのだろうか。




これまで常に強く抱き続けてきた人になりたいという思いの正体は、凡庸になりたいという願望だ。ところが僕は凡庸さに拒絶反応を示して頑なに拒む。贅沢な話だ。
その原因は、自分が決して凡庸には成り得ぬという事を経験から学び、知り得見出しているからである。仏陀は生まれながらにして仏陀であり、キリストは生まれながらにしてキリスト。凡庸は生まれながらにして凡庸であり、天賦の凡庸を授からなかった人間は凡庸にはなれない、辿り着けない。それが僕の得ていた結論であった。




人と話す、人と笑う、人と遊ぶ。即ち凡庸な快楽。そのようなものに憧れ続けた。
うまく喋れないのは練習が足りないせいだと思い、今にして思えば笑えるような台詞を紙一面に書いて毎晩10度読み上げてから布団の下に置き、その上に頭を置いて寝続けていた。けれどもある時気がついた。僕は凡庸にはなれぬのだと。そして僕は凡庸に憧れながらも凡庸を拒むことにした。人への憧れを押し殺し、人にならぬと決意した。







けれども、今では全てが可笑しい。
だって、僕は凡庸さを手に入れてしまったのだから。


今なら胸を張って言える。
「私は人間である」と。
堂々と、朗らかに。










ブログを始めて本当に良かった。
遂に願いがかなったのだから。




僕は凡庸な人間だ。
ほんとうにありふれた。












ブログを書いていると、変な人に付きまとわれる事がある。
まあ、誰しもがそれなりに、経験のある所だろうと思う。














スパムメールと嫌がらせのメールしか届かなくなってから、早一月が過ぎた。
これは現象ではなくて、成果だ。努力のたまものだ。僕は遂に成し遂げたのだ。







コミニケーション能力というものを持たず、それ以前にコミニケーションというものを行う気が全くなかった僕は、真性引き篭もりhankakueisuu宛に届くメールにうんざりしていた。


メールアドレスを取得してブログに貼り付けたのは、エントリーで触れたウェブサイトにメールアドレスが貼り付けられていたからである。相手側は晒しているのに、こちらには無いという不平等さが許せずに、慌てて貼った。


これまでに自分宛のメールというものを一通も貰ったことが無かった僕にとって、アンフェアさの解消の為だけに載せたメールアドレスにメールが届くという事態は、想定外の事だった。







僕は驚いた。
どこかの知らない誰かが僕の為だけに文章を書き、それを送り付けてくる。そんなこと今まで無かった。何が起こっているのか理解できず、狐につままれたようだった。


そんな中で僕に理解できたことといえば、彼らが評価して話しかけているのは僕ではなくて、真性引き篭もりhankakueisuuというブロガーであるという事くらいのものだった。


まあ、適当にあしらっておけば幻滅してすぐにメールも止むだろうと思い、適当にあしらったのだが、その見通しは甘かった。返信せずに無視しても、2行にも満たないあからさまに煙たがっている適当なメールを返しても、メールを送り続けてくる人が何人かいた。










その中の1人に彼女がいた。












僕に救いの手を差し伸べてくれるのはDOTA allstarsだけなのだから。














僕は人間になる事を完全に諦めた。
けれども、全てを諦めたのではない。




人並みの凡庸な楽しみはまったく無かったが、それでもゲームはあった。
それで十分じゃないか、僕はそう考えた。大きくなって、バイトをして、お金を貯めて、この街を出て、この部屋を出て、何よりもまずこの家を出て、どこか遠くの誰も知らない街に行く。そして月に一本のゲームを買える生活を維持出来れば、それで十分じゃないか。そうして老いていこう。その覚悟は出来ていたし、そうするつもりだった。




それこそが僕の思い願う幸せそのものなのだと信じていた。
けれどもある時、重大な事に気がついてしまった。
僕はゲームが好きではない。










そして僕は、ゲームにすがった。












あー、楽しいな。
ゲームはいいよ。
とてもいい。














けれども今ではもうそんなものに縋る必要は無い。
これまでもそうだったし、これからも当然そうだ。


僕はDOTA allstarsから完全に足を洗うことに成功したのである。
おそらくもう二度と、ゲームなんてしないだろう。
いや、もう二度とゲームなんて出来ないのだろう。










あんな、くだらないもの。












「貴方の趣味は何ですか?」
そのような質問をされたならば、迷うことなくこう答える。
「無い。完全に無趣味である」と。



僕に趣味などない。
ならば、ゲームは僕にとって何なんだという事になる。
無理やり答えるならば、全てだ。
僕の全てだ。
DOTA allstarsこそが僕の全てだ。



DOTA allstarsだけが僕自身だ。
ウォークラフト3を立ち上げ、DOTA allstars部屋を探して入る。
それが全てだ。
そこで勝つ、あるいは負ける。
相手は、アメリカ人のサラリーマンやら、台湾人の学生やら、マレーシア人の料理人だ。それに対して、こちらはDOTA allstarsそのものだ。
負けてなるものか。
DOTA allstarsをプレイし、勝つか負けるかするのが僕の全てだ。
アメリカ人のサラリーマンや、台湾人の学生や、マレーシア人の料理人にとって、僕という存在は「英会話能力の低いかなり手強いAI」でしかない。つまり、僕という存在を一言で言うと、英会話能力の低いかなり手強いAIなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。



「貴方にとって人生とは?」
と、もし僕に問いただす人がいたとする。
僕は自信を持って答える。
「存在しない。完全に存在しない」、と。














その2
全て


真っ直ぐなボール(2)






真性引き篭もりのエントリーって基本的に全部メタファーで構成されてるんでしょ?














仮に真性引き篭もりのエントリーが全てメタファーで構成されているとすれば、透明人間とは何なのだろう。プンペン首相とは何で、キャベツとは何なのだ。猫とは、太陽とは、日曜日とは、神様とは何だ。武田信虎は誰で武田信玄は誰なのだ。よろしくやりたいとは何なのだ。味噌は何で、ボールとは何で、トマトとは何なのだ。トマトって何だ。何のメタファーなのだ。考えるだけ無駄だ。つまり、トマトはトマトなのだ。




赤いのだ。
丸いのだ。
光るのだ。


トマトとて人の子であるからして、時々レタスに憧れたりもするのだが、所詮トマトはトマトである。




結局のところ、トマトはトマトなのだ。
当然である。












女は馬鹿だ。














人は皆死ぬ。
けれども、人は死ぬのではない。
殺されるのである。




何が人を殺すのか。
それは、それぞれ違う。
ある者は時の流れに殺され、ある者は己の欲望に殺される。
ある者は堕落に殺されて、ある者は充足に殺される。







そしてある者は、トマトに殺される。




待ってくれ待ってくれ待ってくれ。
待ってくれ、メタファーでもこじつけでもない。
僕は真剣にトマトの話をしているだけなんだ。
トマトが人を殺すのだ。







アタックオブザキラートマトという映画がある。
その映画の中ではトマトが人を殺すのだ。
それはトマトの復讐である。


トマトは常に虐げられてきた。
切られ、煮られ、砕かれ、食べられ続けた。
そしてトマトは遂に立ち上がったのだ。
人類に牙を剥いたのである。


トマトは手当たり次第に人間を襲い、人類を抹殺しようとする。
トマトによる、トマトの為の、トマトの世界を構築しようと試みるのである。







ところが、このトマト革命は失敗に終わる。
キラートマトを死に至らしめる兵器によって。







その兵器とは何であるか。
それは、1曲の歌である。







そこで、である。
一体、トマトとは何のメタファーなのか。
そして、なぜトマトは歌によって死んでしまうのか。


映画史を語る上で最も重要な監督の1人である巨匠ジョンデベロはアタックオブザキラートマトという映画においてトマトとトマトを殺す歌にどのような意味を持たせたのかといった話はまた別の機会にしようと思う女は馬鹿だ。
今更僕が言うまでもない。女は馬鹿だ。







僕はそれを経験から知った。真性引き篭もりhankakueisuu宛に繰り返しメールを送ってきた人間は全員が女だった。


それだけでも十分な証拠と言えるだろう。
女は馬鹿だ。












そのブログは正真正銘の女学生が書いているであろうブログで、日々の出来事を3日に一度程度のペースで赤裸々に語っており、女学生ともセキララとも程遠い僕としては、興味津々で過去ログ全てを読み尽くし、日に10度くらいは訪れてみたり、ハンドルネームを検索エンジンで検索してみたり、メールアドレスを検索エンジンで検索してみたり、出てくる地名を片っ端から検索しては学校名を推測してみたり、オフラインでの友達っぽい人のブログの過去ログを全て読みつくしてみたり、といった、まあ世間一般ではよくあるレベルのお気に入りであったのだ。














ブログ以前の人生において、僕宛に文章を書いてくれた人などほとんどいなかったし、いたとしてもろくでもないものばかりだった。日本人という生き物は常に私を苦しめた。


だから僕は日本人と絶対に関わり合いになりたくないと考えるようになり、ずっと関わらずに生きてきた。いや、関わる能力を所持していなかった、あるいはそれを苦痛としか感じられない性質であったと書いた方が正確なのかもしれない。


理由はどうあれ、僕は人と関わらぬ事を頑なに貫いた。人生の大部分を費やした「DIABLO2」と「WarCraft3」という2本のネットゲームにおいて、僕はたったの一度も日本語を喋らなかった。日本語で話しかけられても、完全に無視し続けた。





その根底には「近づいてくる人間は皆、私に危害を加えようとしているのだ」という世界観があった。事実、ずっとそうだった。親しげに歩み寄ってくる人間を信じようと努力する度に粉々に砕かれた。信じたふりをする度に叩きのめされた。




だから僕は人間に近づかずに生きてきたし、誰も信じないようになった。いや、何も信じないようになった。そして、興味を持った人間については徹底的に調べて深く考えるようになった。ブログの過去ログを全て読むようになったのも、他人の言葉を信じる事が出来ないという病的な性質からだった。




けれども、その姿勢には1つの危険が潜んでいる事にも気がついていた。
ずっと同じ人のログを読んでいると、親密度のようなものが上がって行き、どうしても好感度が増してしまうのである。もちろん、僕は好き嫌いの制限が非常に厳しい人間であるからして、ドボンワードに行き当たって一発でドボン、という事も何度かはあったのだが、大抵の場合は好感度が上がっただけで終わるのだ。










事実、僕は物凄い親藤代派だし。












僕は泥棒だ。
盗んでいる。
ブログを書いては人から時間を盗っている。
これは社会に対する復讐であり、聖戦だ。
盗んで盗んで盗みまくってやる。
罪悪感など無い。



しかし、思う。
日本中に満ち溢れている泥棒を見て思う。
もう盗むのはよしてくれと。切に願う。
盗まれたものの大きさに気がついた時には、手遅れなのだから。














それは不思議な体験だった。


僕はこのブログを始めるまで、メールをしたことが無かった。
書いた事も無かったし、貰ったことも無かった。
それが当たり前だと思っていた。







メールが来た。
繰り返し来た。
それらを読むのは本当に楽しかった。


彼女らは真性引き篭もりhankakueisuuに好意を持っており、僕は真性引き篭もりhankakueisuuだった。そして僕は彼女らの事を少しだけ知っていた。







最初のメールが届いて開いたその瞬間に検索エンジンに飛び、検索ボタンを取り憑かれたように叩き続けた。調べうる限りの事を調べ、探し出せる限りを探し出して読み尽くした。


といっても、それはごく普通のことだ。当たり前のことを当たり前にやっただけの事である。全然キモくなんかない。変態とかそんなんじゃない。もちろん、「うへへ、検索エンジン叩きまくって色々読ませていただいたよ」とか、そういう事とか全然言ってない。


そのような事は一切表には出さず、まったく興味が無いふりをして、返信をせずに無視をしたり、たまに気紛れであからさまに内容の無い3行足らずのメールを返したりといった態度を貫き続けた。どうせすぐに飽きられて、メールも来なくなるだろう、という甘い見通しがあった。










ところが気がついたら、3人の女と夜な夜なチャットをしていた。
馬鹿だ。
本当に馬鹿だ。
どうしてそんな事になってしまったのか、という点については未だによくわからない。
真性引き篭もりhankakueisuuに「結局の所」というフレーズを与えれば、「彼は寂しかったのだ。」と瞬時に返されるのだろうが、そのようなものを認めるつもりはない。僕はちっとも寂しくなんて無かった。ゲームさえあればそれで満足だった。僕はとても満足していたのだ。







ただ、どうすればいいのか解らなかっただけだ。


メールは無視していれば必ず途絶えるものだと思っていた。
まさか、メッセで話しかけられるだなんて想像もしていなかった。


メッセも無視していればすぐに飽きられるものだと思っていた。
「また明日」などと定時に毎日話しかけられるだなんて想像もしていなかった。












目的は、嫌われる事。
傷つける事ではなかった。
それは途方も無く困難な作業で、ただただ僕を消耗させた。














僕は酷く困惑した。







確かに彼女らとのチャットは楽しかった。
世の中にこんなに楽しいものがあるのかと驚いた。DOTA allstarやDiablerとは違い、彼女らは誰もが流暢な日本語を喋った。僕でも意味がはっきり解った。なにもせずに見ていると、次から次へと真性引き篭もりhankakueisuu宛の発言が成され、下から上へと流れていった。それを眺めているだけで楽しかったし、面白かった。幸せな気分だった。


けれども僕はそれを望まなかった。
極限までに無価値な人間である自分が、どこかの誰かの貴重な時間を相殺するだなんて、己のモラルが許さなかった。それが自分を好いてくれている人ともなれば尚更の事だった。彼女らの人生を真剣に案じ、どうすれば更正させられるかを考えた。どうすれば真性引き篭もりhankakueisuuが見捨てられるのかを考え、どうすれば僕への執着が完全に失われるのかを考えた。そして僕は出来る限りの努力をした。懸命に働いた。誰に対しても平等に、少しも話をしなかった。何も言わなかったし、何も聞いていないふりをした。僕がタイピングしたのは「黙れ!」「失せろ!」「お断りだ!」に代表されるふざけた中身のない言葉ばかりだった。


そうすればすぐに嫌われると思っていた。
そうすればすぐに終わると思っていたのだ。
飽きられて、失望されて、鼻で笑われて、見捨てられて、去ってゆく。







そうなるはずだった。
ところが、そうはならなった。







なによりもまずかったのは、そうしてる間中もずっと彼女らのウェブサイトの過去ログを延々と読み続けていた事なのかもしれない。ウェブサイト、というよりもブログを持っていたのは1人だけだった。結果、僕は1人の人間が書いた文章を数ヶ月にも渡って読み続ける羽目に陥っていた。


「そうなると当然であるが」という繋ぎ言葉を用いていいのかどうかはわからないが、そうなると当然であるがその1人に対するものと他の2人に対するものの間には、次第に温度差が生じて行った。もちろん、表面的には何も変わらなかった。それまでと同じようにメールは無視していたし、返信したとしても数行のものだった。


自分に何が起こっているのか、本当にわからなかった。







僕は悩んだ。
真剣に悩んだ。


彼女らはなんとかして話を先へと進めようとしていた。
僕のガードをこじ開けようと、あの手この手で攻めてきた。


今すぐにでも終わらせなければという焦りが日増しに高まり、正気を蝕んだ。このまま行けば、彼女らの人生に感化されて形を変えた自分自身の人生観が、僕そのものを破壊してしまうのではないか、という差し迫った現実的な恐怖がそれに追い打ちを掛けた。










そして1つの結論に達した。
僕には誠意が足りなかったのだと。
そして、誠心誠意お願いする事にした。
もう二度と連絡してこないでくれ、と。












人間として生まれてきてしまったからには、誰かを幸せにしたいと思うし、人様のお役に立ちたいと強く思い続けているのだが、無能であり、役立たずである。
人間であるからして、人様に迷惑をかけたくないと強く思うし、人様の迷惑になるような事をしてはならぬと強く思う。


僕の僕への自己評価は、「なにかをすれば他人に迷惑がかかる」「なにもしなくても他人に迷惑がかかる」というものであり、世界における僕の立場というのは、野球界における渡辺恒夫のそれよりもはるかに酷く、害悪でしかないというのが実情である。


僕はこれまでなんらかの形で関わった人間の全てに迷惑をかけまくってきたという、被害妄想でもなんでもないれっきとした事実があるわけで、僕としては「歩くマイナスイベント」という存在から抜け出したいと考えているのではあるけれど、なかなかどうして難しい所である。



無能であるのに「頑張りました!」「努力したから!」と国を傾けた将軍や人様に迷惑をかけまくった指導者は大勢いる。僕はそのような大馬鹿ものにはなりたくない。そのようなものにはならぬ。頑張り、努力し、やれる事だけをしっかりとやって生きねばならぬ。過去ログから適当に引っ張って引用すると、「相応しく生きねばならぬ。身分相応というものを。」という事である。














その3
全て


真っ直ぐなボール(3)



誠心誠意、書いた。












こんばんは。
真性引き篭もりhankakueisuuです。


筆が進まないのは書きたくはない事を書こうとしているからであり、文章としての体だとかメールというものの気配りだとかそのような事は無視して単刀直入に書きます。




いつからか、ゲームをしてブログを書いていたらなぜか知らないけれどけったいなメールが来てそれに返信したりしてという非日常をそれなりに楽しんでいたのですが、このメールの送信を持っておしまいにさせて頂きます。


より解りやすくいうと、縁を切らせてもらいます。
メールもメッセもブログ閲覧もその他全てありとあらゆる係わり合いをお断りします。





どうしてか、と問われても一言では簡単には書けないのですが、とりあえず簡単に書いてみます。




まず第一に、人間の1秒というものは人それぞれにその価値が違うものです。価値のある人間の一秒はそれだけの価値があり、価値の無い人間の一秒はそれだけの価値しかありません。それは、決して等価にはなり得ない差です。


僕は僕の所持している1秒でそちらの1秒をこれ以上pay、相殺するつもりはありません。1円で100万円を買うつもりもなければ、1円を100万円で売るつもりもないという事です。




次に、当事者同士がどのように捉えているかどうかは別として、まっとうな人間はくだらない人間とくだらない時間を過ごすべきではありません。せっかくまっとうな場所まで辿り着かれたのですから、それに相応しい時間を相応しい場所で相応しい人間と過ごすべきである事は明らかです。人生の最も華やかしい時期をくだらないものに使ってよいはずがありません。


立派な人間がくだらない人間のくだらない文章を読んでくだらない時間を過ごしているなどという事実は、憤慨を覚えるに十分な材料であり、断じて許容出来ません。


また、安価な娯楽が目の前に転がっているからといってそれを選択するのは大きな間違いであり、安物買いの銭失いに他なりません。


一般的に考えれば真性引き篭もりなどというものは手頃値頃でお手軽なものではありますが、そのようなくだらない妥協で時間を無駄にするべきではありません。
十分な努力をしてこられ十二分に生きてこられたわけですから、それに相応しい人間とそれに相応しい娯楽を手に入れるように努力すべきです。機会はいくらでも転がっているでしょう。真性引き篭もりの文章を読むなどというものはまったくもって、ふざけた妥協であり、人生に対する誠実さの欠如に他なりません。もっと御自分を大切にすべきです。




そんな所です。
まあ。どうでもいいですが。
再確認というか念を押しておきますが、メールもメッセもブログ閲覧もその他一切お断りです。本当の所を言うと今すぐにでもブログごと今すぐに削除して消えてしまうべきなのでしょうが、自分にはまだ書くべき事がたくさんあるので、可能であればもうしばらくは続けるつもりです。


ですが、メールの返信だとかメッセだとかブログ閲覧だとかコメントだとかその他諸々の何かがあった場合はブログを削除して跡形も無く消え去りますので、フィードバックもブログへのアクセスも一切しないでください。全て無かった事にしてください。まあ、言わずとも人間というものは往々にして馬鹿であり、嫌がおうにも消え去るのでしょうが。





短い間でしたが、お心遣いは本当に有り難かったですし、感謝しております。
僕の人生において最も幸福に満ち溢れた一握りの時間であり、あなたのような素晴らしい方とくだらないというかたわいも無い当たり前の話を出来た事は本当に幸せでありましたし、幸せ者であり、とても楽しかったです。
何事にも終わりはあるわけで、余りにも遅すぎたというのが率直な感想であり、僕の怠慢あるいは汲み取っていただけなかった情熱あるいはしつこさの罪というものであったのかもしれません。責めるつもりはまったくありませんし、このようなメールを書かざるを得ないに陥ったのは全て僕の責任ですが。
送信ボタンを押すだけでそのようなくだらない関係がこれっきりの過去のものとなり全てに別れを告げる事が出来るという事は非常に単純であり軽薄であり非常に喜ばしく、まことに嬉しくてなりません。





支離滅裂でろくでもない文章になりましたが、どうせこれまでですので気を使う必要もなく、立つ鳥後を濁しただけでもはやどうでもいいです。今にして思えばやはりもっと早くにきちんと言うべきであったと反省しているところであり、本当に申し訳ないと思っているのですが。では、そういう事で。お元気で。お幸せに。さようなら。














3月の中頃、同じような文章を3つ書いた。
それぞれ、別のフォルダに保存した。







そして、それらを送信する直前に僕は、いつもより少しだけ優しい態度をとった。そうすればいいと考えたからである。




持ち上げておいて落としてやれば、fuck最低な男だと罵ってどこか他へと行くだろう。幸いにしてインターネットは広く、角砂糖に群がる蟻の数ほどに人が瞬き蠢いている。いくらでも代わりはいるのだ。真性引き篭もりhankakueisuuなんてすぐに忘れされられる。そうだ、これで全てが終わるのだ。このメールさえ送信してしまえば人様の人生の貴重な時間を浪費させずに生きられるようになる。僕は秩序ある綺麗な体に戻り、彼女らは正しい人生へと戻ってゆくのだ。




きっとうまくいく。
弱々しく願いながら最後のチャットに挑み、いつもより丁寧にいつも通りのまったく中身の無い適当な発言をし続けて夜を更かした。そして、いつものように話を遮って「じゃ」と(あるいは何も言わずに)PCの電源を落とすような事をしたりはせずに、ありがとう、おやすみなさい、さようなら、と言ってから相手が立ち去るまでずっと待ち、それから5時間ほど何もせずに時間を経過させてから、全てを信じて送信ボタンをゆっくりマウスで押し下げた。










誠意は、通じた。
MSNメッセンジャーのポップアップを毎日叩いていたメールが届かなくなり、いつもの時間になってもメッセが入らなくなり、ブログを書き始める以前と同じような静寂が僕のデスクトップを覆い始めた。




1人消え、2人消えた。
いや、消えたのではない、消したのだ。




1人消し、2人消した。
うまくいった。誠意は通じるのだ。人は話せば解るのだ。最初からきちんと書けば良かったと少し反省した。どうしてもっと早くそうしなかったのだろうと自分を責めた。真性引き篭もりhankakueisuuに「結局の所」というフレーズを与えれば即座に「僕は寂しかったのだ。」と返されるのだろうな、と自嘲気味に少し笑った。もちろん僕はそんなのは認めない。真性引き篭もりhankakueisuuはいつだって無理に結論を急ぎすぎるのだ。僕はただ、どうすればいいかわからなかったというだけなのだ。







僕は立ち直りつつあった。
4月1日に人生を再起動させよう。少し狂った行き道を正そう。
全部忘れて、全部無くして、身分相応に相応しい人生を取り戻すのだ。







そして僕は最後に残った1人とゆっくり話をした。
話をして、声を聞いて、ありがとう、おやすみなさい、さようなら、と言ってから彼女が立ち去るのをじっと待った。しばらくそのままぽっかり開いて動かぬままの口で息して過ぎてから、テキストエディタに保存してあった文章をメールの画面にコピーして、エイプリルフールが全てを壊してしまわぬようにと慌てて急いでそそくさと、追われるように送信ボタンを押し下げた。










全てが、終わった。
はずだった。












アタックオブザキラートマトという映画がある。
その映画の中ではトマトが人を殺すのだ。
それはトマトの復讐である。














映画はまずかった、映画は。
ここはゲーム中毒者のブログである。
映画を持ち出したのは適当ではなかった。


ゲームの話をしよう。










マーズアタックという映画がある。
その映画の中では火星人が人を殺すのだ。
ああ、これも駄目か。


ゲームの話というのは難しいものだ。












メールの返信だとかメッセだとかブログ閲覧だとかコメントだとかその他諸々の何かがあった場合はブログを削除して跡形も無く消え去りますので、フィードバックもブログへのアクセスも一切しないでください。














全てが終わったはずだった。
けれども、そうはならなかった。
予想外の出来事が起こったのである。










メールが届いた。
送り手は彼女だった。
連日連夜絶え間なく届いた。




僕は酷く混乱した。
一体どうなっているんだ。




誠心誠意心から、真面目に真剣にお願いをしたのに。
どうしてそれが通じなかったのかまったく理解できなかった。
なんだかとても恐くなり、MSNメッセンジャーのステータスをオフラインにした。
何が起こっているのか懸命に把握しようとしている間も、新しいメールが届き続けた。







彼女はメールの中で僕を罵倒した。
お前は私を傷つけた最低な男だ。お前のような酷い奴は他に知らない。私はとても怒っている。けれども今なら許してあげるから今すぐ私にメールをしなさい。




かと思えば僕を誘った。
若い男が女性に興味を持つのは当然の事です。
お姉さんが相手をしてあげるから今すぐ来なさい。




かと思えば僕を責めた。
君があんな事を言うから食事も喉を通りません眠れません吐きました気分が優れません。なんとも思わないのですか、これは全て君の責任ですよ。




かと思えば考えるのをやめろと言った。
何も考えずなくていいから今すぐメッセに来なさい。
私との時間は君にとって絶対に有意義なものになるのだから。




かと思えば僕に警告を発した。
君みたいなのときちんと話をしてくれる人なんて、この機会を逃したらもう二度と現れないよ。それでもいいの?いやでしょう?だから今すぐメールしなさい。




かと思えば僕を褒めた。
今日のブログは面白かったです。
少し感想とか言いたいのでメッセで待っています。




かと思えば僕を批判した。
私がメールを送り続けているのに、どうして君は無視するのだ。
失礼じゃないか。私は貴重な時間を費やして君の相手をしてやろうってのに。










何が起こっているのかわからなかった。
それは味わったことの無い恐怖だった。


誠心誠意お願いをしたのに、どうしてそれが通じなかったのかが理解できなかった。
僕は酷く困惑した。





なによりも、彼女の意図が解らなかった。
僕は彼女に書いた最後のメールの文章の中で、「もしもメールをしてきたら跡形もなく消え去る」と宣言していた。彼女は真性引き篭もりhankakueisuuを消し去ろうとしているのだと考えた。きっと、そうなのだと思った。


けれども、僕は消え去る訳にはいかなかった。
「もしもメールをしてきたら跡形もなく消え去る」という宣言は同時に、してこなければブログを書き続けますという宣言でもあった。ここでブログを削除して消え去っては、他の人への義が通らない。僕は困った。どうすればいいのかわからなかった。苦悩で脳みそが波打つのが感じてとれた。










それだけではない。
彼女は僕の為だけに新しいブログを書き始めた。


恐怖だった。
ありえない展開だった。


そのブログの存在もURLも何一つ教えられてもいないのに、開設初日にそれを発見してしまう自分自身の驚異的な執念にも似た検索能力も、ある意味では恐怖だった。




彼女はそのブログに「このブログを半年書き続けて彼に見せよう。」「通じればいいな。」などと書いていた。何だ。一体これは何だ。何が起こっているのだ。




あまりにも何もかもが理解出来なかったので、なんとか把握しようと彼女とのメッセのログや、メールログや、ブログのログを読み続けた。その間もメールは届き続けた。時には罵られ、時には責められ、時には褒められて、時には顔文字付きでおいで今すぐと誘われた。







そのメールを書いているのはよりによって、彼女だった。
こともあろうか、彼女だった。




僕は彼女からのメールを無視し続けた。
好いている人から責められ褒められ罵られ、誘われ続けた。
届き続けた。
開き続けた。
読み続けた。
無視し続けた。
気が狂いそうだった。
事実、気が狂いそうだった。










ところが、半年書き続けると言っていたブログが数日後には消えていた。
僕は少しだけ安堵した。けれどもメールは届き続けた。心の休まる暇がなかった。










止まぬメールの嵐の中で、狂気に怯えながらトリプルチームを書いていた。それは何か書けばこのメールが止むんじゃないかという希望でもあったし、事態を把握し直すためでもあった。




僕がトリプルチームを投稿した日を境に彼女からのメールは途絶えた。
全てが、終わった。
はずだった。










それは想定外の所から飛んできた。
その人は「あれじゃあまるで私が」と僕を非難した。


気分を害しているのだなという事が理解出来た。
「いい気味だ」そう思った。







一回り以上も歳の離れたその人は、真性引き篭もりhankakueisuu宛のメールやメッセの中で「ブログをやめなさい」と繰り返し言った。そう言われる度に僕は酷く腹を立てた。僕がブログを書き始めたのは人生への明確な意思そのものであり、決意だった。その決心を打ち砕こうとする物言いに対して、僕は強い敵愾心を抱いた。


やがて好いている人が自分のブログの読者の中にいるという事に気がついた僕にとってブログを書き続けるという行為は自身の道徳観と違わずに持てる彼女との唯一の貴重な接点であり、「ブログをやめなさい」という言葉は、その接点を打ち砕こうとするものに他ならなかった。敵愾心は憎しみへと形を変えた。


長い抗議が終わるのを黙って待っていると、それは突然に終わり「毎月メールさせて貰います」と言い残し、とりつく島なくあっという間に落ち去って行った。





「おまえそれただメールしたいだけだろ」
とタイピング中の出来事だった。












情報の裏側には、流し手の意図がある。
真に公平で公正な純然たる情報など、存在しないと言ってもよい。














その4
全て


真っ直ぐなボール(4)






人というのは生まれながらにして差がある。














アランドロンは実在する。
そういうことである。




世界はアランドロンで満ちているのだ。
そういうことなのだ。




つまり僕はアランドロンそのものである。
簡単な話である。




人は皆アランドロンとして産まれ、アランドロンとして死ぬのである。
アランドロンになりたいと思っても、アランドロンにはなれぬのである。







けれども全てのアランドロンがアランドロンなわけではない。
誰もがそれぞれにアランドロンを持っているというのは幻想である。
しかし、誰もがそれぞれにアランドロンを持っているというのは事実である。







アランドロンだけがアランドロンを持ち、オードリーだけがオードリーを持つ。
仲間由紀恵だけが仲間由紀恵を持ち、松浦あやだけが松浦あやを持つのだ。
バッジョだけがバッジョを持ち、ベッケンバウアーだけがベッケンバウアーを持つ。今ロベルトバッジョが頭に浮かんだ奴は人生の負け組だ。小泉にでも投票してろ。ディノバッジョを思い描いた奴だけが勝ち組だ。さあ、公明党に入れよう。神を信じる奴は馬鹿だ。







アランドロンの存在を認めるという事は、アランドロンになれない人間の存在を認めるという事である。「君は天使のような人だ」という言葉があるが、そういう事を言う奴は絶対に信じてはいけない。何故ならば天使など存在しないからである。仮に天使のような人というものが実在するとすれば、それは女医か療法士だ。違いない。きっとそうに違いない。逸れた。







特別な才能を持つ人がいる。
周囲の空気を明るくしたり、一緒にいる人を幸せにしたり。そのような人々は常に世の賞賛を受ける。彼の人は素晴らしい。彼の人は凄い。私は彼の人のようにはなれない。


けれども、その存在、言うならばアランドロンの存在を認めるということは、アランドロンの逆側に立つ人間の存在を認めるということである。悪い。醜い。不愉快、不快。


そして、世の中は醜い奴は醜い方へ、悪い奴は悪い方へと消えていくように出来ている。
ところが、インターネットはそうではない。どれだけ文章を書いても醜さは真には伝わらないし、どれだけ文章を書いても気持ちの悪さは伝わらない、どれだけキーボードを叩いてみた所で0と1とが飛び交うだけで、アランドロンは届かない。










即ち僕はアランドロンそのものである。
なのにここではアランドロンが機能しないんだ。












お久しぶりです。
以下長いんですけど、読んでもらっても読まなくてもそのまま削除してもしなくても笑っても嘲笑しても罵倒しても罵っても無視しても公開してももう何でもいいです。


好きにしてください。














それから数ヶ月後。
彼女からメールが来た。
それはあまりに突然だった。
そしてあまりにも酷い内容だった。
苦悩して取り戻した平穏に訪れた青天の霹靂であった。










何よりも解らなかったのは文末であった。
僕はその意味が全く理解できず、なんとかしてそれを読み解こうとした。自分の中の誰かが彼女の行動と文章と口調と態度に、いやむしろ彼女の存在そのものに対して反射的に半狂乱で激昂の方へ突き進んでいた。それを全身全霊で押さえつけながら、僕はそのメールを獣道が出来るくらいに繰り返し読み続けた。何が書かれているのかを理解しようと試みた。





君の勝ち、圧勝、ヴィクトリー。
じゃ、そういうことで。
おやすみ。



僕は勝って、圧勝して、ヴィクトリーしたのだ。
そう書かれているのだから、そうなのだろう。



一体、いつ?
一体、何に?
一体、誰に?
どのように?


どれが勝利なのだ。
その勝利で僕は何を勝ち取ったのだ。
僕の記憶にあるものは皆、敗北敗走その類だ。







どれが勝ちなのだ。
どれが圧勝なのだ。
どれがヴィクトリーなんだ。


手にしているものを洗いざらい懸命に思い返した。
けれども何一つ見つからなかった。







何もなく、何の記憶もなく、何も想像出来なかった。
過去未来現在将来前世来世に及ぶまで探し求めて駆け巡ったが、私の中には何もなかった。巨大な肉食のオオトカゲに押し倒されて後頭部を噛みつかれているかのような激痛だけが脳の中で叫び増幅し続けた。僕の人生は正しく、完全な敗北が具現化した姿だった。勝利なんてどこにもなかった。惨めだった。







これは僕の話ではないのではないか、そう考えた。
以前、宛先を間違えたメールが彼女から送られてきたことがあった。
僕はそのメールを読んで、彼女がどうしようもなくいい加減でふざけた人間であるということを再確認させられ、頭を抱えながら自嘲で腹の底から気が済むまで声も出せずに笑い続けたあとで、大きく震えた息を長く、長く、1つだけそっと吐き出した。何も見なかったことにして何も言わず、それまで通りに過ごして過ぎた。その時の内腑を劈く激痛が蘇り、五臓六腑を切り裂いた。




けれども、このメール、即ち僕が勝利したとされているメールには明示的に真性引き篭もりhankakueisuuの事が書かれていた。そして僕は真性引き篭もりhankakueisuuだった。





混乱した。
酷く混乱した。
解らなかった。
何も解らなかった。
理解できなかった。
何も理解できなかった。














気がついたら彼女とチャットしていた。












長々と無駄な会話をありがとうございました。


大抵の女がそうであるように、わたしは会話に有意義性などを求めていないのですが、男性の君は、きっと退屈を通り越して呆れていたと思います。


特に君とは無意味な会話を繰り返してしまいます。
どうしてかと考えるのですが接点が余りにもないのが問題なのでしょう。
君が乗り気でないのを強引に誘っているのも問題だと思います。


もし、君が乗り気になってくれるなら、今度は有意義な会話ができるよう、何か準備して取り掛かろうとも思います。


よろしければ、お付き合いください。
いえ、金輪際関わりたくないと言われたとしても、またちょっかい出すと思います。




申し訳ないと思いながらも、こちらとしては(勝手に空いたと思っている)2ヶ月を埋めたいのです。 もう、全然ダメだと思っていたものが、君と会話をしていると、なんらかを期待してしまいます。




君が私をわからないように、わたしも君がわかりません。
それでも、私みたいな人間は真正面から言ってもらえないと歪んだボールではキャッチできないのです。
下手糞なりにも、自分が納得してキャッチできるまでは、どうしても引き下がりたくないのです。
チャットだからだらだらしていけないのかもしれません。
なら今度はしっかりとしたメールを一度送ろうと思います。




だらだらとでも、無駄にでも長期間一緒にいると、価値のないものでも価値のあるように見えてくる、また、好きでないものも好きになるそうです。(これがだらだらチャットの種明かしなのですが)


時間の共有というものは、人間関係を修復させたり、円滑にしてゆくのだと思います。


そうは言っても、君があまりチャットに乗り気ではないのなら、
メールで思うことを述べていこうと思います。
メールの方がいくらかは自分のペースで話せるような気がします。
今日は久しぶりでしたので、どうしても君を捕まえたかった。
それだけで長時間時間を潰してしまい申し訳ありませんでした。




明日から出張に行ってきます。
また、帰ってきたらなんらかのメールを書きます。


今日はほんとうにありがとう。
話せてよかった。





私が君に思うことを今晩纏めて書くと言ったけれども、もう夜も遅ので、この出張から帰ってきたらゆっくり話すよ。




いつか、君が本当のことを真っ直ぐなボールで話してくれたら嬉しいのだけれども、それは贅沢と言うものかな。


何もかも信じられないと言われているけれども、いつか信じてもらいたいと思う。




とにかく、また土曜日の夜には戻ってきます。
そうしたら、長いメールを書きたいと思います。


ではね


おやすみなさい。














「私は悪くない」
悪い奴はいつだってそう言う。










それでも僕は悪くない。




送られてきたメールを読む。
送られてきたメッセを読む。
それは当たり前のことである。


送られてきたメールを読んだ。
送られてきたメッセを読んだ。
当たり前のことを当たり前にやっただけだ。







真性引き篭もりhankakuesisuuに「結局の所」というフレーズを与えてはいけない。どんな話でも寂しさだとか孤独だとか孤立感だとかいったような、くだらない話に巻き取られてしまう。そういう場合には、「それおまえがさみしいだけだろ」とでも返してやればよい。もちろん、そこからは何も生まれないのだが。










結局の所、僕は嬉しかったのだ。
彼女がまだ真性引き篭もりを読んでいてくれたという事が嬉しかったのだ。


僕は彼女、あるいは彼女のような人間に嫌われたいと願い、嫌われるようなエントリーを懸命に意識して書き、好かれるようなエントリーは出来る限り書かぬようにと自らを制し続けていた。インターネットから孤立して誰からも見捨てられる事を願い、そうなるように出来る範囲内で努力し続けていた。もう既にこんなブログなど誰も読んでいないものだと思っていた。それなのに彼女はまだ読んでいてくれたのだということを知り、心の底から嬉しかった。







僕は自分が許せなかった。
強い怒りを抱いた。


自分のような人間が彼女の時間を食いつぶしている事が許せなかった。
激昂を越えた根源的な敵意で自らを叱責した。







そして、僕はこれまでに彼女とのチャットにおいて何十度も繰り返した言葉を取り憑かれたように言い続けた。うざい。失せろ。もうこれっきりにしてくれ。次の発言で最後ってのはどうだ。二度と連絡してこないでください。金輪際関わらないでくれ。あと三分でおしまいってことにしよう。もう一秒たりとも話をしたくない。


全ての提案は即時に却下された。
もはやどうしようもなかった。







僕は悩んだ。
真剣に悩んだ。


彼女はなんとかして話を先へと進めようとしていた。
僕のガードをこじ開けようと、あの手この手で攻めてきた。


今すぐにでも終わらせなければという焦りが刻一刻と高まって行き、正気を蝕んだ。このまま行けば、彼女によって歪められた自分自身が僕そのものを完膚なきまでに破壊してしまうのではないかという現実的な存亡の恐怖が精神の粒をプチプチと破裂させ続けていた。










そして1つの結論に達した。
僕には誠意が足りなかったのだと。
そして、誠心誠意お願いする事にした。
もう二度と連絡してこないでください、と。












こんばんは。
真性引き篭もりhankakueisuuです。


もう一度だけチャンスを下さい。
単刀直入に言うと、二度と話をしたくありません。


一切の縁を切りたいです。
ブログも読んで欲しくありません。




傷つけたいわけでも、悲しませたいわけでも、打ちのめしたいわけでもありません。
縁を切りたいのです。
関わって欲しくないのです。




もし、そうしてくれるのならば、全部忘れてチャラにしてください。
笑ってくださっても、罵ってくださっても、憎んでも怨んでも馬鹿にしても構わないので本当に、なにも無かったことにしてください。





これが最後のお願いです。
これは提案であり、懇願でもあります。
もしもこのような事を言われたくないとそちらが望むのであれば、もう二度と言いません。





けれども、チャンスを下さい。
一切のコンタクトを取らないでください。


それが僕からのお願いです。
もう無理強いはしません。
ほんの少しですが、悪かったかなとも思っています。


けれども、お願いです。
心よりのお願いです。
物凄く迷惑です。うざいです。
だから、一切連絡してこないでください。




絶対に、といった言葉は使いません。
提案であり、懇願です。
お願いします。
メールもメッセも、ブログの閲覧もしないでください。


お返事はいりません。
というか、返信してこないでください。




こういう事を言うと悪いのかなとも思います。
誓って、もう二度とこんな事は言いません。
だから、連絡を絶ってください。




もう一度言います。
返事はいりません。
いえ、返信しないでください。
一切のコンタクトを取らないでください。




以上、乱文お許し下さい。
真性引き篭もりhankakueisuu














一度だけ、たった一度だけ僕は願った。
強く、長く、願い続けた。







終わりますようにと。


その懇願の最後の一欠片を誠意に託し、メールを書いた。
もしもこれで駄目だったならば。
その時の覚悟は出来ていた。







けれども、通じると信じていた。
誠心誠意書いたのだから、大丈夫だと信じていた。


と言っても、信じていたわけではない。
信じたいものを信じようとしていただけだ。
それは、純然たる祈りそのものであった。







何度も何度も繰り返し、強く強く書いたのだからもう大丈夫だ。
全てが終わったのだ。


勝ち取ったのだ。
元通りの人生を。


取り戻したのだ。
相応しい日々を。


そう信じた。
信じた。
強く信じた。










誠意に託した最後のチャンスは彼女に即座に潰された。
祈りは潰え、願いは叶わなかった。
メールが届き、メッセが立ち上がった。







既に覚悟は出来ていた。
全ての苦悩が溶け消えた。










OK。
出番だ。
僕の出番だ。












人が圧倒的な力で恋にさらわれるように、神が君を選んで祈らせるのだよ。














その5
全て


真っ直ぐなボール(5)






僕は天才であった。
疑う余地の無い天才であった。














手詰まりだった。







誠意を持って平身低頭懇願してもかき消された。
嫌われるようにとバイアスをかけたブログも効果は無かった。
何を言っても無駄、何を書いても無駄、何を説いても無駄、無力。
言葉の無力、文章の無力、誠意の無力。
手詰まりだった。







けれども、僕には切り札があった。
他に頼れるものはなかった。
もうそれしかなかった。







全てが終わるのだ。
いや、もう終わっているのだ。
そう思うと、これまでの苦痛が嘘のように和らいだ。










午前0時を回る頃、彼女のログと彼女とのログを全てもう一度読み返し終えた僕は、味付け海苔の空箱の蓋を開けて紙幣を4枚掴み出し、PCのスイッチにそっと触れて部屋の明かりを消してからいつものままの破れたシャツのその格好で、音もたてずに部屋を抜け出し家を出た。


三年ぶりに見上げた空は、梅雨の終わりの雲に覆われ、星一つ無かった。
自分は同じ星空を見上げる事すら許されていないのかと、己の身分を再確認させられ少し悲しい気分になった。街はすっかり変わっていた。すぐに小雨が降り出した。


真性引き篭もりhankakueisuuは常に人々に好かれ、嫌われ、憎まれ、愛され、褒められ、面白がられ、笑われ、泣かれ、喜ばれ、悲しまれ、時には喝采を浴び、時には忌み嫌われた。けれども、僕のこれまでにはそんなものは無かった。常に僕と共にあったのは唯一ゲームだけだった。


幸か不幸か、赤の他人を心の底から妬めるような若々しさは初めから無かった。
僕は気がついたときにはもう疲れ果てており、自分のことで精一杯だった。
けれども生憎困ったことに、僕は真性引き篭もりhankakueisuuだった。


相手が自分となると、話は別だった。
嫉妬した。憎んだ。心の底から彼を憎んだ。僕が数日かけて書いたエントリーは全て真性引き篭もりhankakueisuuが持ち去って行った。しかも、そうして僕が書いたものは往々にして目もくれられず、真性引き篭もりhankakueisuuが脊髄反射で書いたエントリーの方が常に評価され続けた。


僕は真性引き篭もりhankakueisuuをなんとかして破壊しようとした。
けれども彼は強く、僕は弱かった。壊れたのは僕だった。そして具合の悪いことに、僕は真性引き篭もりhankakueisuuだった。なにもかもがうまくいかなかった。ただ彼への憎悪だけが増幅し続けた。


有耶無耶の中で唐突にさよならを言われ、僕の人生は彼に完全に乗っ取られた。
DOTA allstarsはもう二度と戻らなかった。ゲームをしたかった。本当にゲームをしたかった。そうすれば痛みも少しは和らぐだろうと思った。けれども真性引き篭もりhankakueisuuがそれを許さなかった。僕は彼に引きずり起こされブログを書き、投稿ボタンを押しては倒れた。頭痛薬のストックはすぐに尽きた。けれども買い足す事すら出来なかった。何故なら僕は真性引き篭もりだったから。


たった一晩数回だけ告げられた、好きという言葉を唐突に思い出した。
それっきり、そのような事は二度と言われなかった。彼女は常に巧妙に身を守った。何も言わずにただ相手をしろと言い続けた。もちろん、全く違う文脈上で好きだと言われた事はなんどもあった。けれども、そう言われたのはその夜だけだった。おそらく、強い酒にでも酔っていたのだろう。彼女の事を考える度に、彼女のログを読む度に、酷い人間に捕まったものだと何度も後悔した。けれども抗えなかった。彼女が他の誰かのように表裏のない誠実でまともな人間であったならばどれだけ楽だろうかとも考えた。もう手遅れだった。


彼女らとメールやチャットをする中で、当たり前のように当たり前の事を言えたらどれだけ楽だろうか、どれだけ楽しかろうかと思い描き憧れて、そうしたいと願い続けていた。心の底から願っていた。けれども、真性引き篭もりhankakueisuuの正しさへの欲求がそれを許してはくれなかった。


確かに彼の言い分は正しかった。
僕のような人間が人様の時間を浪費させるなどという事は純然たる罪であり、真性引き篭もりという己の生業はそのようなぬるま湯的娯楽が決して許されぬ存在であることを如実に指し示していた。


僕は話がしたいと思い続ける中で真性引き篭もりhankakueisuuが「うざい」「失せろ」「黙れ」「もう二度と連絡してくるな」と己の信念に従い突き進む様を、どうする事も出来ずにただ眺めていた。気が狂いそうだった。事実気が狂いそうだった。


この一年間で僕は色々なものを色々な人達から与えられた。
それらに指を伸ばしたその瞬間に真性引き篭もりhankakueisuuが信念という巨大な鋼鉄のハンマーを取り出して木っ端微塵に全てを打ち砕いていった。与えられたそばから全てが消えていった。僕の手元に残ったものは穴ぼこだらけに砕け散った粉々の喪失感だけだった。


先の見えない不安はあったが、ゲームを辞める事が出来たという1つの成果がその不安に打ち勝って、これこそが正しい道なのだと信じて真性引き篭もりhankakueisuuを動かし続けた。僕はもう随分と良くなった。きっともう一息なのだ。正しいのだ。そう思っていた。幻を追っていた。


彼女は、その正しさという幻想を完全に破壊してくれた。
彼女の前では真性引き篭もりhankakueisuuの誠意など無力。
彼女の前では真性引き篭もりhankakueisuuの信念など無力。
彼女の前では真性引き篭もりhankakueisuuの正義など無力。
全てが無力、何を言っても無駄だったのだ。







既に覚悟は出来ていた。
僕が真性引き篭もりhankakueisuuとして彼女に接するのは、これで最後だと決めていた。もしもこれが潰えたならば切り札を使おう。そう決めていた。そう決めてから彼女に乞いた最後のチャンスが一瞬にして潰された時、僕は彼女の横暴さに始めて感謝した。










心の底から感謝した。
僕は彼女に会いに行く。












手持ちのカードは増えないのに、手持ちのカードを切ってゆく。
これがババ抜きや大富豪であれば、僕は幸せ者だろう。
無くなったら勝ちなのだから。














僕は全てを終わらせる事の出来る切り札を最初から持っていた。
それは言うまでもなく僕自身だった。


好かれているのは真性引き篭もりhankakueisuuであり、決して僕ではなかった。
評価されているのは真性引き篭もりhankakueisuuであり、決して僕ではなかった。


僕は真性引き篭もりhankakueisuuとはかけ離れた存在であり、醜く、薄汚く、不愉快で、見窄らしく、みっともなく、汚らわしい、誰からも等しく嫌われる存在であった。




僕は彼女とのチャットの中で、「騙されている」「騙されている」と何度も何度も繰り返し言い続けたた。言うまでもなく彼女は真性引き篭もりhanakakueisuuに騙されており、僕はその幻影をなんとかして破壊しようとした。けれども、自分自身を破壊したくはなかった。下手をすれば自らの誠心そのものを破壊してしまうかもしれないという恐怖があった。言えるだけの事は言った。何一つうまくいかなかった。本当にどうすればいいのかわからなかった。やれるだけの事はやったのだけれど、それでも彼女は追ってきた。僕は諦めた。


そして僕は彼女に会いに行くことにした。
そう決めると心は軽くなった。


これまでのように終わらせる為に努力をする必要は無くなった。
なぜなら、既に終わったも同然なのだから。
もう既に嫌われたも同然なのだから。


彼女に冷たく当たる理由は消えた。
自分を責め続ける理由も消えた。








どうせ終わるのだから、せめてそれまでは出来る限り彼女に優しくしよう。
これまで冷たくあたった罪滅ぼしにせめて彼女を満足させてあげよう。
彼女が望むように彼女を評価し、彼女が望むように彼女を褒めよう。
僕で彼女の寂しさが埋まるのならば、気が済むまで付き合おう。
彼女が読めというものは全て読み、甘い感想を送り返そう。


会うその日までの2月足らずの間だけは、力の限りいい人をしよう。
そして、彼女が何度も望んで言って願ったように、会ってあげよう。会いに行こう。







初めからこうしておけば良かったと、少しだけ後悔した。けれどもこれは2月足らずだからなんとか耐えうることで、それ以上は無理だったかもしれないとも思った。







そして、僕は彼女にしてあげられることは無いかと探した。
どんなことをしてあげれば彼女は喜んでくれるのだろう。
何かできることはないだろうか。
喜んでもらえるようなこと。
思い浮かばなかった。







ふと、彼女が何度もしつこく誕生日を尋ねてきていたことを思い出した。
僕にとって誕生日とは一年で最も忌まわしい日であり、当然にして教えたりはしなかった。「教えてくれたら祝ってあげるのに」「言ってくれたらなにかあげるのに」と未練がましく言っていたのを思い出した。







誕生日を祝ってあげればよいのか。
そうすれば彼女は喜んでくれるのか。
ならばそうしようと思い、誕生日祝いのグリーディングカードを検索エンジンで探したりもした。けれども、どれも安っぽく、人間というのはこんなものを貰って喜ぶ生き物なのかどうか、という所がよくわからなかった。そこで何か無いだろうかと探したのだけれど、何も思いつかなかった。







25歳の誕生祝い。
何か送れるもの。
彼女の役に立つもの。
彼女が喜んでくれるもの。
彼女が幸せになるようなもの。
何も思い浮かばず、僕は途方に暮れた。










そんな中、開設されたばかりのはてなダイアリーが真性引き篭もりhankakueisuuの底引き網に引っ掛かった。一瞥してわかった。これは彼女だ。プロフィールは何もかも違うけれど、絶対にこれは彼女だという確信を持った。真性引き篭もりhankakukeisuuのブログに対する執念じみた読欲力に感謝した。







これだ。
僕は彼女の誕生日に言葉を贈ろう。
それもただの言葉じゃなく、彼女が使える言葉を贈ろう。


25の誕生日だから25。
誕生日祝いだから181。
はてなポイントを送ろう。
これなら喜んでくれるはずだ。


25181ポイントあれば、ドレスだって買えるし、耳飾りだって買える。電車にも乗れるし、温泉にだって浸かれる。映画だって観られるし、音楽だって買える。任天堂DSも、DragonQuest8も、WarCraft3も買えるんだから、きっと喜んで貰えるだろう。







そう思った。
けれども、少し迷った。
祝い、というのは不躾ではないのか。
お祝い、にするべきなのではないのかと思い悩んだ。


思い悩んだのだけれど、僕の手元にはもう250181円という大金は無かった。もう一年出会うのが早ければ、もう一年出会うのが早ければ"お祝い"に出来たのに、とこみ上げる悔しさを噛み殺した。何か売り払って金に出来るものは無いかと部屋中を見渡してみたけれど、もう既に全て売り払っていたか、投げ捨てていた。パソコンを売れば、と少しだけ考えたけれど、それは本末転倒であるし、そもそも売れるような代物ではなかった。何もなかった。どうする事も出来なかった。僕は諦めて、25181ポイントで妥協することにした。はてなポイントの所持上限が10万ポイントだと知ったのはそれから随分と後の事だった。







必ずや、喜んで貰えるだろうと思った。
彼女はチャットやメールの中で、「君にいつか、私の書いた文章を読んで貰いたいのだ」と繰り返し言っていた。きっと僕がそのはてなダイアリーを読んでいたという事を知らせてあげただけでも、彼女は喜んでくれるだろうと考えた。


そして午前0時を回る頃、彼女のログと彼女とのログを全て読み返し終えた僕は、はてなのアカウントを取得して、はてなポイントの購入手続きを3万円分行って伝票番号をメモに取った。


そうするともういてもたってもいられなくなり、味付け海苔の空箱の蓋を開けて紙幣を4枚掴み出し、PCのスイッチにそっと触れて部屋の明かりを消してからいつものままの破れたシャツのその格好で、音もたてずに部屋を抜け出し家を出た。










三年ぶりに見上げた空は、梅雨の終わりの雲に覆われ、星一つ無かった。












インターネットとは死後の世界だ。
ここは即ち地獄である。
あるいはもしくは天国だ。














その6
全て


真っ直ぐなボール(6)



知らない虫の声がした。
知らない花の匂いがした。
小雨がぱらぱら落ちてきた。


不確かに確かに歩いた。
耳に聞こえる虫の名も、鼻に届いた花の名も、僕は一生知り得ない。
僕のやつれた人生は、たとえ100年生きたとしても虫の名にすら届かぬのだ。


無力と無知を踏んで歩いた。
雨粒とこれまでの日々に怯えながら、僕はゆっくりと進んだ。
今し方読み終えたばかりの全ての出来事を頭の中から1つ1つ取り出して、丁寧に洗っていった。どうすればよかったのか、何を言えばよかったのか、答えを探したけれど見つからなかった。


これまで僕を臆病にさせていたもの全てが僕を勇気づけた。
自分の人生を恐怖という形で支配してきた際だち醜い容姿も、人を不愉快にする立ち居振る舞いも、愚かさもみすぼらしさも何もかもが、真性引き篭もりhankakueisuuという虚像を破壊する為に天より授けられたものなのだと感じた。全てが必然に思えた。僕は神に感謝した。










とても幸せな気分だった。
生まれて始めて心が全て満たされた。
苦しみ、悩み、自責の全てが終わるのだ。
彼女の前に立つだけで、全てが終わるのだ。
醜さだけが、汚さだけが、不愉快さだけが僕だけが、彼女を正気に戻せるのだ。







悟った。
人生の意味がやっと解った。
彼女に出会うためだけに生まれてきたのだ、僕は。







生きてきてよかった。
生まれてきてよかった。
僕だけが世界中でただ1人真性引き篭もりhankakueisuuを破壊出来るのだ。
僕だけが唯一悪鬼真性引き篭もりhankakueisuuの手から彼女を救い出せるのだ。




正しく僕はその為に生を受けたのだ。
そうとしか思えなかった。
全ての点が繋がった。







人生には意味がある。
そして人生は素晴らしい。
全てのものに感謝した。Diablo2に、WarCraft3に、DOTA allsatarsに、ブログに、インターネットに、そして彼女と真性引き篭もりhankakueisuuに感謝した。心の底から感謝した。真性引き篭もりhankakueisuuのおかげで僕は自らの存在理由を知ることが出来たのだ。僕は彼女と出会うために、彼女との全てを終わらせる為だけに生まれてきたのだ。







僕は彼女を幸せにする為に歩いた。
僕は彼女を成長させる為に歩いた。
僕は彼女と出会うために歩いた。
夜を歩いた。





元から無かったも同然だった筋肉は溶け出して完全に消えてしまっていた。
上半身がその重みに耐えかねて落ちてきた。
それを膝で支えながら少し休んだ。
夜道はとても長かった。
軽やかな気分だった。
足は重かった。



2万5000円で彼女は何を買うのだろうかと思いを巡らせた。
靴なのか、本なのか、チケットなのか夢なのか。
ただ、突き返されたら困るなと少し恐れた。





再び歩き出して少し自分の姿を見た。
ズボンはくたびれて穴があいており、シャツは染みだらけで伸びきっていた。この格好でコンビニに入るのはいかがなものかと、はにかんだ。服も、ズボンも、靴も買わないといけないなと思った。あとは靴下、散髪、他に何。金は足りるのだろうかと算盤を弾き続けてみたのだけれど、物の値段がわからずに頓挫した。まあなんとかなるだろうと気を取り直してみたものの、心配で吐く息が重かった。Diablo2をあんなに何度も買わなければよかったと後悔した。


3年も剃っていない顔を手で撫でて「順番が逆だよな」と声に出さずに呟いた。
インターネットで髭剃りを買って、服を買って、散髪に行って、それからはてなポイントを買いに行くのが筋だ。自分の無鉄砲さが滑稽に思えた。


いや、思い立ったが吉日なのだ。
そう考え直し、己の身なりを正当化した。


辿り着いた1つめのコンビニエンスストアには客がいたので立ち止まらずに通り過ぎた。既に足は棒のようだった。







果たして、僕はその先やっていけるのだろうかと少し不安になった。
嫌われるために彼女に会いに行き、予定通りに彼女に嫌われる。
それから僕はどうなるのだろうかという不安がよぎった。


けれども、すぐに答えは出た。
僕が自分から責められ続けてきたのは、己の無価値さ故だった。歩いて、行って、正しいことをする。それは無価値な事ではなかった。とても意味のある事だった。それだけの事をすれば、僕はもう自分に責められずに済むだろう。この先ずっと楽に生きていけるだろうとの確信を持った。







彼女の前に立って、挨拶だけして、逃げ帰ればいいのだ、元通りの人生へ。
僕に相応しい人生の元へ。あとは彼女を真性引き篭もりhankakueisuuとう幻影から救い出したという事をだけを誇りとして残りの人生を生きていけばいい。それはとても簡単な事だ。これまで上手く己というものを擁立する事が出来なかったのは、僕が生まれてからこれまでに一度たりとも正しい行いをした事が無かったという点にあったのだから。


2つめのコンビニエンスストアにも客がいた。
僕は立ち止まらずに通り過ぎた。
とぼとぼと勇敢に歩いた。
夜を車が走っていた。







雨粒を少し手につけて、髪をなぞった。
野生化した髪の毛はそのくらいでは収まらなかった


何本か髪が抜けて指に残った。
そのあまりの長さに、まるで女みたいじゃないかと少し動揺した。


それを振り払って地面に捨てると、共に闘ってきた戦友を失ったかのような寂しい気持ちになった。何かを失い何かを得る。そうする事が常ならば、僕は彼女と会う事で何を失うのだろうかと考えた。すぐに、それが真性引き篭もりhankakueisuuなのだという事がわかった。




真性引き篭もりhankakueisuuか。
大丈夫。
そんなものいらない。










客のいない真夜中のコンビニエンスストアに辿り着いた。
呼吸を整えて胸を張り、唇を噛んで自動扉を踏み開けた。







設置された機械と格闘し続けた。
奇妙な冷や汗が心臓を小刻みに震わせた。


任天堂のディスクシステムの書き換えサービスが終了したのが何時だったのかが思い出せず、いつだったか、あれはいつだったかと、そのことばかりを考えていた。やっとのことで紙切れを3枚手に入れてレジに行くと、けったいな目で見られた。大丈夫、僕はまだ僕だ。全てを終わらせられる。泳いだ心が自信で満ちた。


しばらくお待ち下さいと言われたので立ち尽くしていると、髭剃りが目に付いたので手にとってレジに出した。まず3万1500円を支払い、それから髭剃りを買った。ありがとうございましたと目線を上げずに呟いて、逃げるように表へ飛び出した。







雨は大降りになっていた。
すぐにびしょ濡れになり、足が上がらなくなった。


雨の重さが辛かった。
空の重さを始めて知った。










「もう無理だ」
僕は思った、歩けない。


疲れ果てていた。
随分と遠くまで来てしまっており、いつもの部屋は見えなかった。
このままここで朽ち果ててしまうのではないかと恐怖した。帰らねば、帰らねば、彼女の誕生日までには家に帰らなければと必死で駆けた。夜明けが追ってきた。元来た道を一つ一つ踏んだ。


そもそも、こんな遠くまで来てしまったのは全て自分の責任だった。無駄に疲れる生き方だった。全て自分の責任だった。彼女との出来事を全て始めから思い出して読み解き直した。雨が頬を強く叩いた。道は長かった。ただ歩いた。やっとの思いで部屋へと逃げ込んだ。5時を過ぎていた。朝だった。










シャツを脱いで、ズボンを脱いで、パンツを脱いで、裸になった。
黄ばんだタオルケットで体を拭いて、そのままそれにくるまった。




髭剃りを取り出してコップの水で顔を剃った。
水面に出来た真っ黒な膜に時の長さを感じた。
髪の毛もなんとかならないだろうかと胸まで降りた毛を削ぎ落としてみたけれど、さすがに歯が立たなかった。鋏も買わないと散髪にも行けない不便さに、金の心配ばかりした。削ぎ落とした髪の毛に白髪がいくつも交じっているのを見て、自分に白髪が多かった事を思い出した。もう随分と忘れていた。




PCの電源を入れると3万ポイントがあった。
寒くて震えた。暑い夏に早く来いよと呼びかけた。
少し眠った。hankakueisuuが疼いた。












ウェブ上の文章を読む人間は存在しない。
誰も読んでなどいないのである。














ドラゴンクエストVの4匹目のスライムを仲間にした事がある。
僕はそれを手に入れる為に何ヶ月もドラクエVをプレイし続けた。


どうしてもそれが欲しかったのだ。
けれどもそれを手にした瞬間、ドラクエVなどどうでもよくなった。


僕はそれからというもの4匹目のスライムの事なんて一度も気に掛けなかったし、考えたりもしなかった。それはロムカードリッヂの中の過ぎ去り終わった出来事だった。


もう名前すら思い出せない。
収集癖とはそういうものだ。













裸のままで、再びログを読み始めた。
hankakueisuuが疼いた。


彼女はhankakueisuuに全く信用されていなかった。
僕が何かを言う度に、彼女はあちらこちらで僕を酷く罵った。酷い人間もいたものだね、と僕はその度に憔悴するまでまじまじと見た。それはすぐに削除されたりはしたけれど、全て保存してあったし、どこか遠くへ投げ捨てる為にと全てのログをCD-Rに焼いていた。読む度に読む度にhankakueisuuが奥底で蠢いた。けれども僕は彼女を信じていた。


期間限定夏までの、彼女のいい人になる前に、少しだけ聞いておこうと思った。
どうしてそんな事を思いついたのかはわからない。
ただ彼女を信じたかった。
いや、信じていた。







だから僕らは2人で、彼女への質問を少しだけ書いた。そして、それを読み返して全て削除した。もっと緩い問いを、もっと軽い問いをと、出来る限りどうでもよい質問ばかりを3つ作って書いた。


そして、明くる日のチャットで彼女に問うた。
この話はもう絶対にしないし、ほのめかしたりもにおわせもしない。これまで言っていた事と矛盾があっても何も気にしないでいいし、絶対に責めない。それどころか当然触れもしない。何度も何度も念入りに言った。彼女は軽く、うん、うん、と言った。今から少しだけのことは今後一切無かったものとして扱う。だから正直に答えて欲しい。そう入念に言ってから、彼女にまず1つめの、最もどうでもいい質問を投げかけた。


彼女の答えは嘘だった。





真性引き篭もりhankakueisuuは即座に激昂した。宇宙が震えるのが感じて取れた。僕はなんとかしてそれを押さえ付け、どうにかしてその場を切り抜け落ちた。




こんな怒りは初めてだった。
魂が震え、骨という骨がそれに共鳴した。
怒りで息が出来なかった。瞬きすら出来なかった。







彼女がどうしようもない寂しいだけのインターネット中毒者だって事は最初からわかっていた。それに誠実さを求めるなんて、アリクイに寿司を握れと頼むようなものだった。


けれども僕は彼女を信じようとした。
信じようとしてしまった。
それが唯一の愚かさだった。







もうどうしようもなかった。
これはもうどうしようもないと理解しながらも、なんとかして事態を収拾しようとした。これを凌ぎさえすれば僕は少なくとも1月半の間は彼女と好きなだけ話が出来るのだと、額の前の人参に手を伸ばそうとした。話がしたかった。話がしたかった。これまで一度として話をしたことが無かった彼女と話がしたかった。会いたかった。会いたかった。会いたかった。僕は彼女と会いたかった。僕は彼女と出会う為に生まれてきた。だから彼女に会いたかった。どうしても彼女に会いたかった。だからなんとかして真性引き篭もりhankakueisuuをなだめようとした。




「お前の人生において正直さというものが一度でも役に立ったことがあるか?」
問うた。無視された。激昂していた。震えていた。聞く耳を持たなかった。話がしたかった。会いたかった。もう駄目だった。どうしようもなかった。










hankakueisuuが何かをしようとしていた。
夜も眠れなかった。僕は彼女と話がしたかった。
朝も眠れなかった。僕は彼女と会いたかった。




誠実さなんてどうでもいい。
誠意なんてどうでもいい。
嘘なんてどうでもいい。
そんなもの、何の役に立つんだ。
なんだってんだ、僕は彼女と話がしたかった。
なんだってんだ、僕はただ彼女に会いたかった。
けれども僕は激昂しており、真性引き篭もりhankakueisuuが動き出した。







話がしたかった。
僕は話がしたかった。
彼女と話がしたかった。


真性引き篭もりhankakueisuuは彼女から来たメールに返事を書いた。







会いたかった。
僕は会いたかった。
彼女と会いたかった。


真性引き篭もりhankakueisuuは彼女とメッセを始めた。







話がしたかった。
喜んで貰いたかった。
僕に出来ることは全てしてあげたかった。




真性引き篭もりhankakueisuuはあっという間に彼女から「もう二度と連絡しません。」という確約を取り付けた。僕は呆気にとられた。真性引き篭もりhankakueisuuがそれに要した時間は僅か数時間だった。これまでの僕の苦悩はなんだったんだと、己の誠意と信念の無力さを思い知らされた。僕が数ヶ月を費やしても成し遂げられなかったことを、真性引き篭もりhankakueisuuの激昂はたった一晩、それも数時間で成し遂げてしまった。


決して敵わない。
そう悟った。











話がしたい。
会いたい。
思った。
もうメールは来なかった。


話がしたい。
会いたい。
思った。
もうメッセは入らなかった。


話がしたい。
会いたい。
思った。
もう連絡はこなかった。


真性引き篭もりhankakueisuuだけが1人、収まらぬ怒りに震えて立ち尽くしていた。










僕は彼女に出会うためだけに生まれてきたのだ。
彼女に会って、真性引き篭もりhankakueisuuを破壊して、彼女はがっかりして、失望して、真性引き篭もりhankakueisuuを嫌いになって、反省して、少し大人になって、大きな人間になって、インターネット中毒を卒業して、冷静に自分を見つめ直して、人生に対する誠実さを取り戻して、真面目に生きて、真っ当な人間になって、いい人を見つけて、一緒になって、幸せになって、幸せになって、幸せになって、つまり、真性引き篭もりhankakueisuuが彼女から時間を奪って不幸せにしたのとは対照的に僕は彼女を幸せにして、僕は彼女を幸せにする為に生まれてきたのであり、僕は彼女を幸せにして生きていく。


つまり、僕は彼女に出会うためだけに生まれてきたのだ。
この人生は全て彼女に出会うためだけのものだったのだ。


僕は彼女に出会うためだけに生まれてきたのだ。
だとすれば僕は何の為に生まれてきたんだ。
だとすればこの人生は何なんだ。
僕は一体、何なんだ。










話がしたかった。会いたかった。3万はてなポイントだけが手元に残った。












破れた布団の中にすら、完璧な世界は無いのである。














その7
全て


真っ直ぐなボール(7)



糸井重里は鬼だ。
奴は悪人である。





マザーというゲームがある。
糸井重里のゲームである。
マザーのラスボスは強い。
とてものすごく強い。
死なないのである。
不死身なのだ。


ところが、そのラスボスは簡単に倒せる。
ある1つの兵器によって。







その兵器とは何であるか。
それは、1曲の歌である。







無敵。
最強。
天下無双。
マザーのラスボスはとてつもなく強い。
なのに、たった一曲の歌により敗れ去る。




マザーというゲームにおいて、その歌が意味するもの。
それは、愛である。
純然たる愛である。







如何なる者も愛という破滅から逃れる事は出来ない。
それが、マザーのテーマである。


マザーというゲーム。
それは、愛しさと、切なさと、糸井重里なのである。


愛は何よりも残酷であり、愛のみが人を破壊することが出来る。
愛によって人は死ぬ。それこそが糸井マザー重里の結論であり、言葉である。










マザーの続編である、マザー2というゲームはもっと救いのないゲームである。




マザー2のラスボスは強い。
とてものすごく強い。
ほんとうに強い。
倒せない。




ところが、である。
簡単に倒せる。








マザー2のラスボスは何によって敗れ去るのか。
それは、祈りである。


「貴方に消えて欲しい」
「貴方にいなくなって欲しい」
「貴方なんていなければいいのに」
「貴方なんて生まれてこなければ良かったの」
それは切実な祈りである。







そして、ラスボスは消えてゆく。
殴られても、蹴られても、叩きのめされても傷一つ付かず、動じることがなかった強い強いラスボスは、たった1人の人間の祈願によって、その存在を維持できなくなる。


マザー2とはマザーにも増して、極悪非道なゲームである。










と言っても、糸井重里は全然凄くない。
だいたいからして、マザーはパクリだ。
アタックオブザキラートマトのパクリである。


アタックオブザキラートマトにおいて、トマトを死に至らしめる曲の題名は「恋する思春期」である。即ちトマトのような醜い人は恋する思春期、即ち愛に触れたときに全ての生きる力を失い、人々に踏み潰され蹂躙される運命にある、という極めて暗い題材を巨匠ジョンデベロはフィルムの上に鮮やかに描いて見せたのである。


アタックアオブザキラートマトの劣悪なコピーであるマーズアタックも同じである。
火星人は醜いものの象徴、即ち醜さのメタファーであり、醜さは強さとして描かれる。無敵の強さを持つ火星人に対してあらゆる兵器は通用しない。けれども火星人は簡単に死に絶える。愛の歌によって。












お嫁さんにしてください!!
いやだったら彼女でもいいです!!
それもいやだったら友達でもいいです!!
絶対やだ!っておっしゃるのであればせめて元気になってください!!














ある時、親が学校に呼び出された。
また僕が虐められていたらしい。


結果、僕は問いつめられた。
「なぜ嘘をついたのか」
晴天の霹靂であった。




確かに僕は「虐められていないか?」と問われた際には、「そんなことない」と即答していたし、毎日適当な名前を出して友達の家に行くと言っては家を抜け出して図書館で座っていた。


けれども、嘘なんてついていない。
そうした方がいいと思ったから、そうしただけだ。




追い立てられて机の下を右へ左へ逃げ回りながら、何が正しくて何がいけないのかが解らなくなった。それ以来なにを信じればよいのかわからなくなった。どうすればよいのかわからなくなった。





おそらく僕は、真実などというものを求めた事は一度として無いのだろうと思う。
誠実さなどというものを欲した事など一度も無いのだ。
ただ騙されたいのだ。完全無欠の見事な嘘で。
だから何も信じられないのだ。
これからもずっと。












きちんと、なにもかも、全て、認めないぞ。
僕はhankakueisuuなんかじゃない。
認めない。
SUPER!!














「ブログ書いたよ。読んでね。」
突然そんなメールが届いた。


僕はその人とのチャットの中で、「ごたくはいいからまずブログを読ませろ!」と言ったことを思い出した。「ブログなんて持ってないよ」とその人は答えた。「ごたくはいいからまずブログを読ませろ!」と返した。もう遠い昔のことだった。







メールに載せられていたURLに飛んだ。
aboutを見ると、日記をつけた日数がちょうど100日だった。
なにかいけないことをしてしまったかのような罪悪感に囚われた。




それを少しだけ読んだ。
僕は酷く動揺した。


そこには真性引き篭もりである自分を刺激しないようにと気を遣って書かれたであろう文章が延々と続いており、そのにじみ出る優しさに僕はすぐに耐えられなくなり、そのブログを読むのをやめた。今すぐにでも消えてしまいたい気持ちになった。なにかいけないことをしてしまったかのような罪悪感に囚われた。







どうしていいか解らずに、真性引き篭もりのエントリーの中で僅か2行、全力でこっそり煽ってみた。次の日に行くと、はてなダイアリーのトップページに飛ばされた。跡形もなく消えていた。まだ保存していなかった。なにかいけないことをしてしまったかのような罪悪感に囚われた。










僕は誰に対しても同じ態度を取った。
表面上は何も変わらなかった。
けれども中身はまったく違った。




彼女に対しては明確な意思でそうしていたのに対し、他の人はただうざいからそうしていただけだった。その内部的温度差の記憶が僕を真っ二つに切り裂いて行くのがわかった。辛くて仕方がなかった。







「毎日メールしていい?うざい?」と尋ねられた時の会話を思い出した。
僕は「うざい。」と答えた。


「一日おきならいい?」と聞かれた。
僕は「駄目。」と答えた。


「3日に一度は?」と聞かれた。
僕は「死ね。」と答えた。







それから100日以上が経っていた。
僕は何も悪くなかった。
悪いのは僕だった。












死ね、死ね、死ね、立ちはだかる敵どもよ。
ありがとう、DOTA allstars。
僕は世界で一番の幸せ者である。














年の離れた女の人から、月に一度のメールが来た。
呼び出されたので仕方なく、チャットに付き合った。


何も発言せずに、ログが絶え間なく流れて行くのを何時間も見ていた。
その人は丁寧に全ての情報を整理して、散らかっていた物事を丁寧に切り分けてそれぞれ一つずつ綺麗に説明して見せたあとで、丁重に重い話を切り出して僕に、「駄目?」と問いかけてきた。「おまえが処女だったら愛してやるよ」と即答した。泣いているのと、それを隠そうとしているのがわかった。ざまあみろと思った。


彼女はそれから何時間も、僕との仲をなんとかして修復しようとしていた。
何かに怯えるように、弱々しく力ない発言が延々続いた。
相づち一つ打たずに僕はそれを見ていた。
しばらくして飽きたので落ちた。














2週間ほどしてから、メールが来た。


同僚とつきあい始めたと書かれていた。
そんな事どうでもよかった。


私はずっと貴方の味方だから、何かあったら言ってくれと書かれていた。
もうどうでもよかった。












全ての責任は僕にあり、矢でも鉄砲でも批判でも全て受け止めるつもりであるし、罵倒されるに値するだけの事をしてしまったと考えているので、深く反省し、謝罪します。














その8
全て


真っ直ぐなボール(8)



「5分だけいい?」
真性引き篭もりhankakueisuuの激昂が全てを終わらせてから10日が経った頃、彼女は言った。「いいよ」と僕は答えた。














「あのね、私は哀れんでいただけなの。」
開口一番彼女が言った。


真性引き篭もりhankakueisuuが震えて激昂し、僕は震えて泣きだした。
私はそれをどうする事も出来ずに、呆然と口と目を開けたままで見ていた。





「あんたみたいなのを相手にする人間が私以外にいるわけが無いよ。」
全て作り話だと彼女は言った。


生まれたばかりの絶望が全てを覆い隠して行く様を、何も出来ずに眺めていた。
無力だった。とても弱くて、とても脆くて、簡単に崩れていった。全てが失われた。








「もういいよ」
何も言わずに逃げ出した。
五分はとっくに過ぎていた。












耐えられない。もう駄目だ。助けてくれ。DOTA allstars。












その日から僕はWarCraft3を買い続けた。
この数年間温存し続けてきた貯金はあっという間に減っていった。それでもひたすら買い続けた。WarCraft3が届くたびに僕は梱包材からそれを取り出して封を開け、CDケースを取り出して、その表面に貼り付けられた2枚のインストールキーを引っ剥がし、水も飲まずに飲み込んだ。飲み込み続けた。買っては飲み、買っては飲み、また再び買っては飲んだ。喉の奥から血の味が滲んで口中に満ちた。首元を両手で強く押さえて転げ回った。それでもまた買い、また飲んだ。


理由はわからなかった。
けれども、そうする事だけが痛みに対抗する唯一の術だった。


買い続けた。飲み続けた。
WarCraft3の箱だけが部屋の中に溜まっていった。
それを見て僕は余計に辛くなった。WarCraft3がしたかった。1vs1がしたかった、2vs2がしたかった、JWLに出たかった。3vs3がしたかった、Deadmanを見たかった、4k.Zeusが叩きのめされるのを見たかった。DOTAがやりたかった、DOTA allstarsがしたった、新ヒーローを使いたかった。けれどももうどうすることも出来なかった。WarCraft3だけが溜まっていった。絶望だけが溜まっていった。







どうして止められないのだろう。
WarCraft3の発注画面でタイピングをしながら僕は考えた。




よくわからなかった。
彼女に会いに行くのに使うはずだった汚れた金を全て使い尽くしてしまいたかったのかとも考えた。インターネットから逃れようとしているのではないかとも考えた。毎月家に入れている月1万が無くなれば、僕は何かを変えるだろう。その為ではないかとも考えた。本当にWarCraft3をプレイしたいのではないかとも考えた。けれども流石にそれは無いだろうと思った。もうわけがわからなかった。


彼女はそれからというもの、あちこちで真性引き篭もりhankakueisuuを叩きのめす為の文章を書き、当て擦っては口汚く罵り続けていた。それを読んで叩きのめされる事だけが僕に残った唯一の、彼女にしてあげられる事だった。僕は彼女の望み通りにそれらを保存し続けた。読み続けた。叩きのめされ続けた。WarCraft3を買い続けた。


注文して、届いて、手にとって、開けて、飲み込んだ。
それが喉を通る一瞬だけは、全ての事を忘れられた。
けれども一瞬だった。あっという間だった。




本体のインストールキーを剥がして、拡張のインストールキーを剥がして、剥がしたばかりの2枚のインストールキーを貼り合わせて、爪の先で2つに千切って、1つずつ飲み込んだ。痛かった。逃げ出したかった。僕があの日あんなにも苦労して稼いだ金の使い道がこれなのかと思うと、申し訳なくて、申し訳なくて、合わせる顔が無くて辛かった。辛くて仕方がなかった。申し訳が立たなかった。ごめん、ごめん、と謝った。けれども止められなかった。買い続けた。飲み続けた。あっという間に僕が稼いだお金は尽きた。


僕はこともあろうか、一生使わない事にしていたお金に手を伸ばした。
死ぬまで絶対に開けないつもりだった封筒を開けた。一万円札が指に触れた。
「やめろ!」と僕はさけんだ。お願いだからやめてくれ、それだけはやめてくれと懇願した。まだ間に合うじゃないか、なんとかしよう。もう一度やり直そう。そう語りかけた。けれども止まらなかった。もうどうしようもなかった。WarCraft3を注文した。開封した。飲み込んだ。注文した。


怒りに震えた。
自分が何をしているのかは解っていた。けれども止められなかった。苦しくて仕方がなかった。WarCraft3を買わずにはもう、一秒も耐えられなかった。どうしてこんな事になってしまったのか理解が出来なかった。どうしてこんな事をしているのかわからなかった。もう何が起こっているのかさえわからなかった。












生きるとは喜びであり、人生とは喜びの積み重ね、猛烈な足し算である。





しかし。
足し算である人生というものに、たった一つだけ引き算が存在する。
それは信頼である。


人が生まれておぎゃあと一言泣いた段階では、誰1人として疑うものはいない。
器にすりきり満杯の信頼が注がれた状態である。
人はその信頼を少しずつ、少しずつ失っていく。
速く駆ければ駆ける程、こぼれる水は多くなり、やがて涸れはて干乾びたその器には、何を注いでも何を注いでも信頼というものが戻る事は無い。
一つの言葉で人は人を失うし、一夜の咎で恋は愛を失う。メグミルクは永遠に雪印であるし、タイ米は永遠にインディカ米であり、三菱は永遠に火の車である。一度失われた信頼というものは二度と戻らないのである。


つまり、人が生きる上で最も重要なのは信頼を失わぬ事である。
信頼を失わずにしっかりと足し算を繰り返せば、やがては全て思いのままに、どこにだってたどり着けるのである。














その9
全て


真っ直ぐなボール(9)



気がついたら、3万はてなポイントが手元にあった。
それをどう処理するべきか悩んでいた。


仮にそれを現金化してしまうと、間髪入れずWarCraft3に化けてしまうという事は目に見えていた。そうはしたくなかった。WarCraft3なんて欲しくなかった。他の使い道を考えた。







誰かに送信しようと思った。
では誰に送るのかという問題になり、かなり迷った。例えばid:abaに送信したとする。けれどもそれは非礼に値すると考えた。無料で公開されているものに金を払うなど、極めて無礼な行いである。同じ理由でid:itaも消えた。


あとはid:hiyokoyaくらいしか思い浮かばなかった。id:hiyokoyaならば3万はてなポイントを使い尽くすことくらい容易いだろうと考えた。3万ポイントを捨ててしまいたくて仕方がなかった。それは忌まわしき金であり、汚れた金であった。すぐに行動に移した。







はてなのポイント送信画面に行き、id:hiyokoya宛に29000ポイントを送信した。
「送信後の残高が300ポイントを下回る場合は、送信できません。」と表示された。
おそらく、出来レースだった。


僕は冷静さを取り戻した。
金は己で稼ぐ者であり、己で使うものである。
自分のポイントを使って質問を行うからこそ質問は質問たるのだと説いた。
そしてid:hiyokoya宛のポイント送信を中止した。
あからさまな出来レースだった。







結局、僕は3万ポイントを1ポイントも消費できずにいた。
使い道が無かった。







ふと、はてな義援金というものが存在を思い出した。
そこに全部投げて、アカウントを削除しようと決めた。けれども、はてな義援金の受付は終了しており、受け付けられていなかった。行く宛の無い3万ポイントを抱えて途方に暮れた。これも、出来レースだった。







「災害が起こるのを待つ」というアイデアが浮かんだ。
ちょっとした天災が起こればはてなは義援金の受付を始めるだろう。
それまで待って、そこに送って、そしてアカウントを削除しようと決心した。


けれども、それは、災害を待ち望むという不謹慎さそのものだった。
倫理的に許せなかった。
出来レースだった。







彼女がインターネットのあちこちに書き散らしているものを全て読み続けていた。
まったく、酷いことになったもんだと僕は思った。ささくれだった3万ポイントが突き刺さって皮膚の彼方に潜り込んだ。WarCraft3を買い続けた。それでも僕は彼女に喜んで貰いたかった。彼女の誕生日が迫っていた。




どうすればよいのかわからなかった。
こんな場面に出くわしたことはこれまで無かった。幾ばく人生経験は何の役にも立たなかった。どう対処するべきなのか、どうやって切り抜ければいいのかまったくわからなかった。1人で考え続けた。答えは出なかった。情報が足りないから答えが出ないのだと判断した。彼女のログと、彼女とのログを読み続けた。それでも答えは出なかった。




色々なものが失われていった。
WarCraft3のCDキーだとか、金だとか、理性だとか健全さだとか、そういうくだらない代替可能なものはどんどん消えていった。けれどもはてなポイントは消えなかった。1ポイントも減らなかった。そして僕は彼女に喜んで貰いたかった。その気持ちは消えていなかった。25181ポイントあれば、香水だって買えるし、テーブルだって買える。海にも行けるし、山にも行ける。自転車も買えるし、靴だって買える。なんだって買える。SMACも、Diablo2も、WarCraft3だって買えるのだから、きっと喜んで貰えるだろう。一応は、そう考えていた。




毎日はてなポイントの送信画面をインターネットエクスプローラで開いては、悩み続けた。はてななんて無くなればいいのにと願った。けれどもはてなは消えなかった。はてなポイントも消えなかった。染みついた全ての記憶も消えなかった。何もかもがそのまま残った。彼女の誕生日が間近に迫った。




僕はその日の0:00が訪れる20時間も前からIEを立ち上げ、ポイント送信画面を表示させていた。全ての入力はもう済んでいた。何度か消して、また書き入れた。もうそうするしかなかった。耐えられなくなり、WarCraft3を注文した。0:00分が訪れた。




僕は躊躇した。
決心が出来ていなかった。2分が過ぎた。2万5000円で何が買えるのか頭に思い浮かべてみた。WarCraft3が4本買える。決心がついた。送信ボタンを押した。25181ポイントが消えていった。彼女の元へと届いていった。














音沙汰はなかった。
メールくらいは貰えると思っていた。


何も言ってこなかった。
メールボックスでF5キーを押し続けた。


何も届いていなかった。
何かが掻き消えた。
無くなっていった。







僕は酷く混乱した。
どうして、あの彼女がメール1つくれないのかが理解できなかった。
あの日あんなに苦しんで、誠心誠意書いた文章を一瞬にして粉々に打ち砕いて毎日毎日メールを送ってきていたその人が、たった1言、たった1行のメールもくれない。その事態が理解出来なかった。何が起こっているのか、まったくわからなかった。「ありがとう」の一言、a ri ga to uの8タイピング、いくら僕が無価値な人間だからといって、それくらいの価値はあるだろうと思っていた。ところがもうその価値すら無いのだと知った。悲しかった。彼女に喜んで貰いたかった。喜んで貰えなかった。辛かった。


2分遅れたのがいけなかったのだと思った。
遅かったから彼女は怒ってしまったのだ、きっとそうだと僕は思った。自らの優柔不断さを憎んだ。自分の駄目さが憎かった。後悔し続けた。なぜ躊躇したのだと、自分を責め続けた。憎くて憎くて仕方がなかった。憎悪だけが拡大し続けた。


もう1年出会うのが早ければ。
もう一年早ければお祝いに出来たのにと、そればかり悔やみ続けていた。出逢うのが遅すぎたのだ。だからありがとうと言ってもらえなかったのだ。彼女にとっては端金だったのだ。だから喜んでもらえなかったのだ。悪いのは僕じゃなくて、もちろん彼女でもなくて、出逢うのが遅すぎたからなのだ。そればかりはどうしようもなかった。時間を怨んだ。宇宙を怨んだ。神を怨んだ。悔しくて仕方がなかった。


それでも、25000円は確かに彼女の元に届いた。
それだけでいいじゃないか、それだけでいいじゃないかと自分を慰めた。彼女はきっとそれで何かを買うだろう。カーテンを買ったり、テーブルクロスを買ったり、グラスを買ったり、時計を買ったり、カメラを買ったり、写真たてを買ったり、何かを買って、それで彼女は喜んで、幸せになってくれてるだろう。


それだけでいいじゃないか、そう考えた。
事実、それで十分だった。僕はもうそれだけで幸せだった。彼女が一体何を買うのかを想像していると、僕は少し癒されて、心が少し安らいだ。WarCraft3を買い続けた。ありがとうとか、メールとか、そんなものはもうどうでもよくなった。














ある時、足元に何気なく投げ捨てていたものが目にとまった。
僕はそれを手に取り、声に出さずに声に出して読んだ。







平素は当店をご利用、賜りまして心より御礼、申し上げます、有り難うございます。
ご指定のお品は早速、本日の便にて発想させて頂きましたので御確認、下さいませ。
ニュートリノは今後も皆様にお役立て頂ける商品を取りそろえて参りますので何卒、変わらぬご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。
連日の残暑、お体をご自愛下さいませ。



僕宛に書かれていた。
筆ペンで書かれていた。
綺麗な字で書かれていた。
ありがとうと書かれていた。








頭を抱えた。
WarCraft3が届く度に僕はそれを読んでいた。
封を開けてまず最初に必ずそれを読んでいた。







そして今になってやっと気がついた。
僕は自分宛に書かれたその手紙を読みたかったのだ。
ただそれだけの為にWarCraft3を買い続けていたのだ。







ニュートリノは嘘を付かなかったし、僕を罵りもしなかった。何よりも、不誠実でなくて誠実であった。WarCraft3を買う度に僕は感謝され、丁寧な言葉を頂いた。僕はそれが嬉しかった。そしてニュートリノは必ず最後に一言、僕に対して何かを言った。僕はそれを愛であると思った。


僕は愛に縋った。
WarCraft3を買い続けた。
僕は寂しかったのだ。ただ「ありがとう」と言ってもらいたかったのだ。どうしようもない事実だった。そんなはずは無いと思っても、もう認めるしかなかった。孤独な人生に対する覚悟の貯蓄は僅か数ヶ月で使い切ってしまっていた。僕は火の車だった。もう耐えられなかった。


己の愚かさ、己のまぬけさ、己の馬鹿さが憎かった。
布団の上に力無く倒れ込んだ。布団と言うよりは、破れて薄汚れた木綿の塊の上だった。それらを掻き集めて丸めて抱え、強く抱きしめた。寂しくて仕方がなかった。顎から涙が伝って落ちた。震えが収まらなかった。震え続けた。それが悔しさからなのか、悲しみであるのか、怒りであるのか区別がつかなかった。憎かった。ただただ己が憎かった。












ならば、と僕に問う。
金で買える欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。


ならば、と僕に問う。
金で買えぬ欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。














その10
全て


真っ直ぐなボール(10)



台風が来た。
嫌な予感がした。














自分に何が起こったのか知りたいと願った。


彼女の書いた8カ所全てのログを読み続けた。
膨大な量だった。読んでも読んでも減らなかった。減らなかったので繰り返し読んだ。繰り返し読んでも減らなかった。一度発作的にログの一部を削除してしまったのだけれど、すぐにCD-Rから蘇らせた。ちっとも減らなかった。


彼女とのログを読み続けた。
膨大な量だった。彼女だけではいけないと思い、ブログを書き始めてからこれまでの全てのメールログ、メッセログを読み続けた。頭がおかしくなりそうだった。けれども知りたかった。自分に何が起こり、自分は何をして、どうしてこんな事になってしまったのか知りたかった。




けれどもわからなかった。
何一つ理解できなかった。
僕はブログを書き続けた。
WarCraft3を買い続けた。







そうしている間も、新しい文章が方々で次から次へとUPされていった。僕はそれを這いずり回って全て保存し、一つ一つ読み解いていった。彼女は真性引き篭もりhankakueisuuを破壊しようとしていたが、真性引き篭もりhankakueisuuはそんな事では壊れなかった。彼女はコメント欄に現れて真性引き篭もりhankakueisuuを破壊しようとした。もちろん真性引き篭もりhankakueisuuはそんな事では壊れなかった。けれども不幸なことに、僕は真性引き篭もりhankakueisuuだった。







彼女がブックマークするURLを読み続けた。拷問であった。
何が書かれているのかすらわからなかった。体中が腫れ上がった。


彼女が各地に書き残すコメントを読み続けた。許しを請うた。
何をやっているのかすらわからなかった。こめかみから苗が生えてきた。







読み続けた。消えていった。
際限なく、終わりなく、ゴールなんてどこにもなかった。
目標はなく、成果もなく、ログの量だけが増えてった。




これは、どうなったら勝ちなのかと僕は問うた。
問うてはみたものの、答える気力は残ってなかった。
起きて、読んで、起きて、読んで、起きて、起きて、起きて、読んだ。脳が捻れた。










そうしていると台風が来た。
名をカトリーナと言った。
酷い災害だった。
嫌な予感がした。





はてなが義援金の受付を開始した。
僕は目をかっぴらいて硬直した。
叫んだ畜生。FUCK畜生。







カトリーナは全てを奪っていった。
彼女から全てを奪っていった。




カトリーナはまず最初に彼女のドレスを奪っていった。
それだけではない。彼女の耳飾りを、彼女の電車を、彼女の温泉を、彼女の映画を、彼女の音楽を、彼女の任天堂DSを、彼女のドラクエ8を、彼女のWarCraft3を、彼女の全てをカトリーナは奪い去った。


彼女の香水を、彼女のテーブルを、彼女の海を、彼女の山を、彼女の自転車を、彼女の靴を、彼女のSMACを、彼女のDiablo2を、彼女のWarCraft3を、彼女の全てをカトリーナは持ち去った。


彼女のカーテンを、彼女のテーブルクロスを、彼女のグラスを、彼女の時計を、彼女のカメラを、彼女の写真たてを、彼女の幸せの全てをカトリーナが消し去った。





全てカトリーナの仕業だった。
憎い。憎んだ。カトリーナが憎い。カトリーナを憎んだ。きっと目の前にカトリーナがおればまず最初に人差し指で目玉を刳り抜くだろう。そして絶対に殺しはせずに永遠に痛めつけてやる。骨を一本ずつ折ってゆき、治るのを待ってまた折ってやる。まち針を眼球に突き刺して、眼球に突き刺してやる。爪を一枚一枚剥がしてやる。毛を一本一本抜いてやる。指を一本一本折って、歯を一本一本万力でむしり取ってやる。カトリーナさえなければ僕は彼女を幸せに出来たのだ。なのにカトリーナが全てを持ち去ったのだ。カトリーナが憎い。


アメリカ人がどうなろうと知ったことじゃない。
そんな事どうでもいい。ただ僕は彼女が幸せであればそれでいいのだ。
なのにカトリーナはそれを全て消し去ったのだ。僕の耳飾りを、僕の電車を、僕の温泉を、僕の映画を、僕の音楽を、僕の香水を、僕のテーブルを、僕の海を、僕の山を、僕の自転車を、僕の靴を、僕のカーテンを、僕のテーブルクロスを、僕のグラスを、僕の時計を、僕のカメラを、僕の写真たてを、僕の任天堂DSを、僕のドラクエ8を、僕のSMACを、僕のDiablo2を、僕のWarCraft3を、僕の彼女をカトリーナが奪っていったのだ。


僕が彼女にあげたもの全てをカトリーナが持ち去ったのだ。
僕が彼女にプレゼントしたもの全てをはてな義援金が持ち去ったのだ。
悔しい。悔しい。悔しい。憎い。憎い。カトリーナが憎い。カトリーナさえいなければ僕は彼女を幸せに出来たのに。はてな義援金さえなければ僕は彼女を幸せに出来たのに。なんだってこうだ、いつだってこうだ。全部悪い方に行くように出来ている。どうしてなんだ。なぜなんだ。





僕は何の為に生まれてきたのだ。
もうそれを考える事すら出来ない。
なんだってんだ、一体なんだってんだ。
もう駄目だ。こんなもの嫌だもう嫌だ。


彼女がブログを書いて、僕はそれを読んで、彼女がコメントを書いて、僕はそれを走り回って掻き集めて、名前をつけて保存して、読んで、読んで、読んで、読んで、彼女が何かを書いて、僕はそれを読んで、彼女がブックマークをして、僕はそれを読んで、一体これは何なんだ、もうやめてくれ、一秒も耐えられない、なんでこんな事をしなければいけないんだ。どうすればこれをやめられるんだ。何もかもがうまくいかない。なんでなんだ。







僕は彼女を笑わせたくて、彼女の笑顔がただ見たくて、彼女に笑ってもいたくて、くだらないエントリーが好きな彼女に向けてもしも戦国時代にmixiがあったらを書いたらいきなりブロックブログが落ちるんだ。どうしてだ。


はてなブックマークのトップページに表示されればきっと彼女の目にもとまるだろうと思って今か今かと思いつつF5キーを連打してたら、11番目まで上がったところでブロックブログが落ちたのだ。なんでなんだ。なんで全てがうまくいかないんだ。僕はただ彼女に笑ってもらいたかっただけなのに。どうしてそれすら許されないのだ。


46ブックマークも行ったのに一度もトップページに乗らないなんてあんまりじゃないか。トップページに乗れば彼女にだってブックマークしてもらえたかもしれないのに。なんでブロックブログは落ちるんだ。理不尽だ。笑ったのはどこの誰とも解らぬようなインターネッターばかりじゃないか。そんな奴らの為に書いたんじゃないのに。どうしてこんなことになってしまうのだ。僕はただ彼女に笑ってもらいたかっただけなのに。僕はただ彼女を幸せにしたいだけなのに。あまりにも理不尽だ。







もうここはいやだ。
こんなものもう今すぐにでも投げ出したいんだ。
なのにどうしてブログなどというものを書き続けねばならぬのだ。
もう理由なんて忘れてしまった。全部忘れた、思い出したくもない。




ただ寂しいだけなんだ。
ペリカンでもゾウムシでもつつじでもモップでも、もうなんでもいい。下唇を吸わせてくれ。アナコンダでもクズでもハリガネムシでも脚立でも、もうなんでもいい。抱きしめさせてくれ。もうなんでもいいんだ。もうどうでもいいんだ。寂しいんだ。辛いんだ。嫌なのだ。こんなもの嫌なのだ。耐えられぬのだ。ゲームがしたいだけなのに、DOTA allsatarsがやりたいのに。なのにインターネットがあるせいで彼女から送られてくる新たなログを全部保存して全部読み続けなければならないのだ。読まずにはいられないのだ。いつの間にかログインパスワードが彼女の名前になってしまっているんだ。なんでなんだ。もう無理だ。僕にはどうすることもできない。頭蓋が爆発しそうだ。どうこう出来る事態ではない。手に負える範囲を越えている。無理だ、無理だ、もう無理だ。インターネットを止めてくれ。










誰か止めてくれ。
今すぐ止めてくれ。
インターネットを止めてくれ。




お礼ならなんだってする。
真性引き篭もりの異名を譲ってもいい。
だから止めてくれ。誰か止めてくれ。インターネットを止めてくれ。












いつからかはわからないけれど、化け物がいたんだ。
僕が気がつくずっと前から、化け物がいたのだと思う。














その11
全て


真っ直ぐなボール(11)



真性引き篭もりhankakueisuuは僕から生まれた。
私は真性引き篭もりhankakueisuuから生まれた。
その事実の前では全てが軽い。

結局私は僕そのものなのだ。
一体私は誰なのだ。
もうわからない。







思い出はいつも綺麗だけどそれだけでは腹が減ると、うたった歌があった。

思い出はどうして常に綺麗なのか。
それは人間が馬鹿だからである。過ぎ去った物事をすぐに忘れ、事実とは違う形で記憶する。その記憶の間違いが事実と比され責められることはない。人間の馬鹿さ、つまり忘却能力とは、それ即ち美しさを生み出すために備わった機能なのである。

しかし、それだけでは腹が減る。
美しさの根源とは、リスクにある。リスク即ち火中の栗にこそ、本物の美しさというものが宿るのである。そして、記憶という美しさにはリスクが伴わない。故に決定的なリスク、未踏性の伴わない思い出すという行為は真の美しさたり得ない。故に退屈であり、即ち腹が減るのだ。





けれども、インターネットという場所は忘却が機能しない場所である。
それは即ち美しくないと定義する事も出来るし、永遠の美しさを持つと定義する事も出来る。そしておそらく真実は、その両方なのだろうと思う。つまりインターネットとは醜く、そして永遠の醜さを持つのだ。

インターネットとは人類が追い求め続けた不老不死の秘薬なのだ。
ここでは誰も滅びない。何人たりとも滅びることを許されない。それは丁度、不老不死の秘薬を求めた王の中の王がその欲望と恐怖から己の人間を崩壊させていくように、ここでは全ての人間が失われ、誰もが狂い出すのである。まったくもって、悪夢である。

即ち、真性引き篭もりhankakuesiuuは永久に不滅なのである。
僕もきっと、おそらくは、不滅なのであろう。そのように思える。







人生に意味など無い。
意味のある人生など無いのだ。

ただ脳があるだけである。
無論、意味のある脳など無い。


僕は今日も目を覚まし、ぐったりしたままでPCの電源を入れる。
そして彼女のウェブサイトへと片っ端から飛ぶのだ。更新されていたらそれに番号と名前をつけて保存し、一通り巡り終えたら保存してある今はもう削除されてインターネットには存在しない過去ログを片っ端から読み始めるのだ。それは我が脳が唯一望む知への欲求、情報への欲求である。

僕にはもう、ゲームなどない。今では彼女から飛んでくるRSSを読み続ける事だけが全てだ。僕の全てだ。彼女の一挙手一頭足こそが僕の全てだ。彼女こそが僕自身だ。

「貴方にとって人生とは?」
と、もし僕に問いただす人がいたとする。
僕は自信を持って答える。
「存在しない。完全に存在しない」、と。





愚かなことだ。
まったくもって愚かなことだ。

人生は常に僕の予想の遙か上を行く。
最悪の事態の想定のその彼方を歩む。
まさかこれよりは悪くはなるまいと思っていた所よりも向こう側へ落ちる。
DOTA allstarsも、SMACも変愚蛮怒も今はもう無い。
彼女のRSSだけが私を生きさせているのだ。
唯一、ただ一つ、それだけなのだ。


インターネットエクスプローラを立ち上げる。
それが全てだ。何も考えずただ読み続けるのだ。
彼女こそが僕であり、彼女が全てであり、彼女こそが神なのだ。
ああ、私の小さな神よ、今日は何を食べ、何を思い、何を喋ったのだ。
何に笑い、何に泣き、何に孤独と充足を感じとったのだ。
教え賜え、インターネットよ、我が神よ。人生の全てよ。





















私は人間だ。
遂に手に入れた。
こんなものいらない。


真っ直ぐなボール(引用元の提示)




女は馬鹿だ。



Yaibaブログ




人というのは生まれながらにして差がある。



やねうらお




人が圧倒的な力で恋にさらわれるように、神が君を選んで祈らせるのだよ。



finalventのブックマーク




真性引き篭もりのエントリーって基本的に全部メタファーで構成されてるんでしょ?



BLOCKBLOG コメントフォーム






>気がついたら、一番馬鹿で一番愚かで一番強欲な一番平気で嘘をつく...
トリプルチーム


>ブログを書いていると、変な人に付きまとわれる事がある...
俺がルールを創り!俺がルールに従う!


>僕に救いの手を差し伸べてくれるのはDOTA allstarsだけなのだから。
12-28/25-49、勝ち、ゴブリン


>あー、楽しいな。ゲームはいいよ。とてもいい。
81700点


>「貴方の趣味は何ですか?」...
「貴方にとって人生とは?」


>そのブログは正真正銘の女学生が書いているであろうブログで...
どざえもん


>ブログを書いては人から時間を盗っている。...
堀井雄二は泥棒だ。


>目的は、嫌われる事...
トリプルチーム


>人間として生まれてきてしまったからには、誰かを幸せにしたいと思うし...
咀嚼


>情報の裏側には、流し手の意図がある...
情報の裏側


>僕は天才であった...
トリプルチーム


>手持ちのカードは増えないのに、手持ちのカードを切ってゆく...
カッターナイフで


>インターネットとは死後の世界だ。
友達の値段、妻の値段。ブロガーの値段、読者の値段。


>ウェブ上の文章を読む人間は存在しない。
ブログ読者はブログを読んでいないという事実


>破れた布団の中にすら、完璧な世界は無いのである。
漆の碗


>きちんと、なにもかも、全て、認めないぞ...
この、臆病者!


>死ね、死ね、死ね、立ちはだかる敵どもよ...
21-0/34-18、勝ち、Stealth Assasin


>許してくれだなんて言うつもりは無いが忘れてくれ。
【お詫び】 真性引き篭もりhankakueisuuに関して


>耐えられない。もう駄目だ。助けてくれ。DOTA allstars。
2-7/13-36、負け、Bear


>生きるとは喜びであり、人生とは喜びの積み重ね、猛烈な足し算である...
生きる喜び


>ならば、と僕に問う...
ウスバカゲロウ


>いつからかはわからないけれど、化け物がいたんだ...
かたびら鎧












WARCRAFT III BATTLECHEST


ブロックブログ恒例イベント。




現在ブログの表示が出来なくなっております
御迷惑をおかけして申し訳ありません。調査いたしましたところ、表示用サーバがハードウェア的な故障を発生した模様です。現在、ほとんどのユーザ様にblogが見えない状態となっております。障害の復旧のためにはハードウェアの交換が必要となりそうですので、復旧は9月19日の夕刻ぐらいまでかかると思われます。最近、トラブルが頻発しており大変な御迷惑をおかけいたしております。出来るだけ早い復旧を目指しますのでどうか御了承いただけますようお願いいたします。...



もう夕刻だよ。
9月19日の夕刻だよ。
障害発生から24時間経過したよ。丸一日だよ。わーい。わーい。



2005年9月18日日曜日

突然PCの電源がブチッ



突然PCの電源がブチッと音を発てて落ちる。
心臓が止まる。再び動き出す。PCは動き出さない。2時間放置。動き出す。



明らかにおかしい。
IEの履歴は全部消えているし、「スタート」を押したらスタートメニューが表示されるまでの0.2秒くらいの間、マウスカーソルが砂時計マークになる。
しかも、タグブラウザでタグの切り替えを行った際にもマウスカーソルが砂時計マークになり点滅する。


PCが壊れて一番困るのは、その事実が伝わらないという事である。
仮にこの投稿を最後に真性引き篭もりの更新が途絶えたとすれば、それは逃げ出したからのか、投げ出したからなのか、PCが壊れたからなのか区別が付かない。その曖昧さが許せない。あとは、書き終えてある投稿が投稿出来なくなるという点も心理的に負担と言えば負担。


さて、どうするべきか。
仮にHDが死に行きつつあるとしても大事な(というか大事でもないデータまで)全て保存してあるのでそちらの方は大丈夫だけれど、とりあえず僕にとっては今日明日の方が大事なわけで。


find blog八分



find blogというwebサービスがある。





当ブログを検索すると、「Find Blog」には該当するブログはありませんでしたと出る。
試しに社長でございを検索すると、ちゃんと表示される。


なぜだ!
おかしい!
と思ったので、問い合わせのメールを送ってみた。
すると、なんと、即日返信メールが来た!
find blogさんはサポートが凄い!感動だ!
みんなもfind blogを使おう!最高だぜ!


貴blogサイトについて具体的に調査してみますので、1週間ほどお時間を頂ければと存じます。
まずは、ご報告まで。



と言われたのが2005年は8月4日の0時29分00秒。






それっきり。
音沙汰無し。
find blog八分。












通信環境やサーバー環境によりクロール時にいくつかのエラーチェック項目のうち1つでも該当してしまうと、その後、5回以上更新されないと、復活しないようになっております。ブログ数が増えており、弊社サーバーの性能を考えての苦肉の策です。



とのことです。



2005年9月17日土曜日

突然PCの電源が入らなくなって物凄く焦った。



呆然としながらも線入れ直したり埃はらったりしてたら突然動き出した。
苦闘6時間、真性引き篭もりッ、hankakueisuuッ、復活ッッ!
真性引き篭もりhankakueisuu復活ッッ!
真性引き篭もりhankakueisuu復活ッッ!
真性引き篭もりhankakueisuu復活ッッ!
真性引き篭もりhankakueisuu復活ッッ!
真性引き篭もりhankakueisuu復活ッッ!
真性引き篭もりhankakueisuu復活ッッ!

フハハハ、私は不死身だッッ!


コメントに対するコメントとか。




1ゲットコメントの低脳英語にサムくなりますた。
で、ブログがリアリティショー足りうるか?
リアルそのものを伝えたいというより、
事実から透けて見える自分の思いなのかも。

2005年9月16日金曜日

契旭旭旭!!



http://nagoya.cool.ne.jp/o_mega/
ワノ氏の神ゲーがPSPに来ました。



僕としてはWebゲーム/flashの方に招聘されるのではないかと予想していたし、行くべきだと考えていたし、プレイヤー母数の点からも来て欲しかったのだけれど、そっちのゴールにアガリですか、といった驚き。というかゴールではなくてスタートですか。



しかも、水口ですよ、水口。
そうか、水口か、みたいな。
超局地的ビッグネーム。
誰も知らないそんな人。


ブログとリアリティショー。



面白いリアリティショーと面白いブログの違いを論じるのは時間の無駄だ。
セックスとDOTAと海砂利水魚の面白さを比較し書くのと同じくらいに時間の無駄だ。







アサヤンのモーニング娘オーディションとか、電波少年の猿岩石とか、あるいはテレ東のTVチャンピオンだとかいったような、人間になにかをさせてその模様を映し出すというTV番組のジャンルがある。

いわゆる、リアリティショーと呼ばれるものである。




1人の人間が文章を書き続けるブログというものは、極めてリアリティショー的なコンテンツである。けれども、ブログはリアリティショーには成り得ない


なぜならば、ブログは常に大本営発表だからである。
リアリティショーでは演者とは別に編集者が存在し、どの場面をどのように放映するかという点において、演者はなんの権力も持たない。対して、ブログはブロガーに全ての権力が集中している。書こうが休もうが自由であるし、どのような内容を書くかも自由だ。書きたくない事は絶対に書かれずに、書きたいことばかりがUPされる。



もちろん、擬似的にリアリティショー的面白さを再現する事は可能である。
多少の筆力とある程度の時間があれば、あたかもリアリティショーのようなブログを作り上げるのは簡単な事だ。ブレアウィッチプロジェクトのようなブログ、とでも言えばよいのだろうか。

けれども、疑似リアリティショーブログとて「ブロガーが見せたくないものは見せない」というselfメディアの闇からは逃れる事が出来ない。例えば実録鬼嫁日記はリアリティショー的ブログを装ってはいるが、全然リアルではないし、リアリティショーには成り得ない。


故にブログは真のリアリティショー的面白さを得る事は出来ない。

と言っても、selfメディアよりもリアリティショーの方が面白い、あるいは優れているという話をしているのではなく、別物であるという話をしているだけである。







そこで、我が国における最もリアリティショー的なブログはどれであるかと考え探していると灯台もと暗し。当ブログにリアリティショー的ブログであった時期が存在していた事に気がついた。


過去当ブログでは、DOTA allstarsというゲームをひたすらにプレイして、そのプレイレポートをやたらめったらUPし続けていた。それはゲームの結果という不可抗力への感想を書き続けるという作業である。

ボロボロに負けたり、散々な結果でストレスだけが溜まったゲームであっても、「ボロボロに負けました」などと書きたくもないのに律義に書いていたし、ストレスだけが溜まってどうしようも無い気分であった時も、次のゲームに行く為に懸命にプレイレポートを書き続けていた。

その、「自分ではどうしようもない」という不可抗力こそがリアリティショーの胆なのではないかと思う。






その視点から見ると、しょこたん☆ぶろぐはリアリティショーであり、真鍋かをりのここだけの話はリアリティショーではない。


真鍋かをりのここだけの話が常に大本営発表であるのに対して、しょこたんは今の形式でブログを書き続けている限り、「カメラに映る自分の姿」という不可抗力から決して逃れる事が出来ない。また、「毎日数十エントリー」という義務的な不可抗力も生じてしまっている。その、しょこたん本人ですら介入することが出来ない不可侵性こそがしょこたん☆ぶろぐのリアルであり、胆である。

逆に、真鍋かをりのここだけの話は編纂能力、リアルへの干渉介入能力こそが胆であり、両者はまったく別の形式のブログなのだと思う。



結局の所、尋常成らざる長期間に渡り1人の人間がその日常やら思考やらを書き続けるブログというメディアはどうしてもリアリティショー的な側面が出てきてしまう。そして、それは「偽物のリアリティショー」であり、全てのブロガーはその闇から逃れる事は出来ない。






即ちブログに心を奪わらしものは皆全て、未来永劫永久に、偽物のフェイクショーの真っ直中をフェイクフェイクで漂い続ける運命にあるのでる。