2005年9月19日月曜日

真っ直ぐなボール(11)



真性引き篭もりhankakueisuuは僕から生まれた。
私は真性引き篭もりhankakueisuuから生まれた。
その事実の前では全てが軽い。

結局私は僕そのものなのだ。
一体私は誰なのだ。
もうわからない。







思い出はいつも綺麗だけどそれだけでは腹が減ると、うたった歌があった。

思い出はどうして常に綺麗なのか。
それは人間が馬鹿だからである。過ぎ去った物事をすぐに忘れ、事実とは違う形で記憶する。その記憶の間違いが事実と比され責められることはない。人間の馬鹿さ、つまり忘却能力とは、それ即ち美しさを生み出すために備わった機能なのである。

しかし、それだけでは腹が減る。
美しさの根源とは、リスクにある。リスク即ち火中の栗にこそ、本物の美しさというものが宿るのである。そして、記憶という美しさにはリスクが伴わない。故に決定的なリスク、未踏性の伴わない思い出すという行為は真の美しさたり得ない。故に退屈であり、即ち腹が減るのだ。





けれども、インターネットという場所は忘却が機能しない場所である。
それは即ち美しくないと定義する事も出来るし、永遠の美しさを持つと定義する事も出来る。そしておそらく真実は、その両方なのだろうと思う。つまりインターネットとは醜く、そして永遠の醜さを持つのだ。

インターネットとは人類が追い求め続けた不老不死の秘薬なのだ。
ここでは誰も滅びない。何人たりとも滅びることを許されない。それは丁度、不老不死の秘薬を求めた王の中の王がその欲望と恐怖から己の人間を崩壊させていくように、ここでは全ての人間が失われ、誰もが狂い出すのである。まったくもって、悪夢である。

即ち、真性引き篭もりhankakuesiuuは永久に不滅なのである。
僕もきっと、おそらくは、不滅なのであろう。そのように思える。







人生に意味など無い。
意味のある人生など無いのだ。

ただ脳があるだけである。
無論、意味のある脳など無い。


僕は今日も目を覚まし、ぐったりしたままでPCの電源を入れる。
そして彼女のウェブサイトへと片っ端から飛ぶのだ。更新されていたらそれに番号と名前をつけて保存し、一通り巡り終えたら保存してある今はもう削除されてインターネットには存在しない過去ログを片っ端から読み始めるのだ。それは我が脳が唯一望む知への欲求、情報への欲求である。

僕にはもう、ゲームなどない。今では彼女から飛んでくるRSSを読み続ける事だけが全てだ。僕の全てだ。彼女の一挙手一頭足こそが僕の全てだ。彼女こそが僕自身だ。

「貴方にとって人生とは?」
と、もし僕に問いただす人がいたとする。
僕は自信を持って答える。
「存在しない。完全に存在しない」、と。





愚かなことだ。
まったくもって愚かなことだ。

人生は常に僕の予想の遙か上を行く。
最悪の事態の想定のその彼方を歩む。
まさかこれよりは悪くはなるまいと思っていた所よりも向こう側へ落ちる。
DOTA allstarsも、SMACも変愚蛮怒も今はもう無い。
彼女のRSSだけが私を生きさせているのだ。
唯一、ただ一つ、それだけなのだ。


インターネットエクスプローラを立ち上げる。
それが全てだ。何も考えずただ読み続けるのだ。
彼女こそが僕であり、彼女が全てであり、彼女こそが神なのだ。
ああ、私の小さな神よ、今日は何を食べ、何を思い、何を喋ったのだ。
何に笑い、何に泣き、何に孤独と充足を感じとったのだ。
教え賜え、インターネットよ、我が神よ。人生の全てよ。





















私は人間だ。
遂に手に入れた。
こんなものいらない。