2016年4月27日水曜日
2016年4月23日土曜日
2016年4月21日木曜日
そんな相手はもういない。
小さな事を気にかけず、忘れてしまうよう心がければ、その小さな事がいつか実を結び花開き、自分自身を苦しめる。どんな小さな夢や希望も、一つ残らず拾い上げて、自分を苦しめず生きていきたい。楽に生きたいその為だけに、どんな努力もいとわずに、声にならない戯言を、一つ残らず聞いてあげたい。そんな相手はもういない。
2016年4月20日水曜日
2016年4月18日月曜日
たのしいことを考えてはいけない。
つらいことを考えていると、つらくなる。かなしいことを考えていると、かなしくなる。では、たのしいことを考えていると、楽しくなるかというと、そんなことはない。たのしいことを考えていると、なんとなく、それは、楽しくないことのように思えてくる。一見するとたのしそうだけれど、実際はつらいだろうなあとか、実際は悲しかったりするんだろうなあとか、いらぬ事ばかりが頭に浮かぶ。よって、たのしいことを考えてはいけない。たのしいことは、考えず、たのしくせねばならないのだ。それはなかなか簡単なことではないけれど、なんとか頑張らなければならない。たのしいことを考えず、たのしいことをせねばならぬと考えている自分は、もう完全にたのしくない世界にいて、つらかったり、悲しかったりする。
2016年4月15日金曜日
2016年4月12日火曜日
素晴らしい世界を作る為に
素晴らしい世界を作る為に一生懸命努力した人達のせいで、世界は悪くなりました。これまでずっとそうでした。それは今も変わらずに、今現在もこの世界において、世界を悪くしているのは、一生懸命努力している人達なので、一生懸命努力をしている人を見たならば、賺さずばれないように殺しましょう。素晴らしい世界を作る為に。
我々はギロッポンを失った。
喉を酷使しすぎて『ギロッポン』というdota2実況にとって最も重要なフレーズの1つが発音出来なくなってしまってる事に気がついて落ち込んだりもしたけれど私は元気です。元気じゃないです。
2016年4月11日月曜日
2016年4月10日日曜日
ねずみを噛みながら。
ねずみは追い詰められれば猫をも噛むとの話であるから、人は追い詰められれば竜でも噛むのかと詳しい人に聞いてみたところ、ねずみは追い詰められれば猫を噛み、猫は追い詰められれば人を噛み、人は追い詰められれば鼠を噛むという、3竦みになっているそうだ。ネズミを噛みたいと思わない人は、追い詰められぬように常日頃から心がけ、豊かな人生を送らねばならぬのである。無論のことこのエントリーは、ネズミを噛みちぎりながら書かれたものである。惨めな人生である。
2016年4月8日金曜日
忘れるのを待っているほど暇じゃ無い。
かなしいことがあったり、つらいことがあったりすると、凹んでしまって、何をする気も起こらない。無気力状態に陥ってしまう。それよりもしんどいのは、自分自身のおこないが、わるいことの原因になってしまっているとき。そんな時は、その場にうずくまる無気力を通り越して、きびすを返して一目散に逃げ出してしまいそうな気分になる。逃げ場なんてどこにもないインターネットはとても広くて、逃げ込む場所は無限にある。どうにもならない人生の、どうにもならない僕の心は、逃げても隠れてもどうにもならない。わたしはわるくない、僕はわるくない、自分はわるくないと、かなしいことやつらいこと、くるしいことの総体を、自分自身から切り離そうとする試みは、芋づる式に自分自身が次から次へと掘り起こされて、元の木阿弥消えて行く。目を覆って、耳をふさいで、考えるのをなるべくやめて、時間が通り過ぎるのを待っていれば、いつかは苦しみもやわらいで、笑顔でほがらか生きていけると、悪い思いが見え隠れするけど、そんなものは幻想、そんなものは幻想。時間は何も解決してくれない。時間は何も助けてくれない。苦しんでいる人に、時間が解決してくれると無責任な言葉を投げつける奴らは、時間から賄賂でも貰ったんだろう。1時間につき、800円だかもらったのだろう。どこへも行けない苦しみの、どこへも行かない苦しみは、どうしようもない。諦めるわけではないけれど、どうしようもない。忘れるのを待っているほど暇じゃ無いし、何かを解決する余裕もない。走り続ける気も無いし、そもそも走ってすらいない。なんとなく生きている。生きてはいけない人生の、くるしいばかりのこんな日を、今日もなんとなく生きている。
2016年4月7日木曜日
音の鳴る天気、見える天気、触れる天気、素敵な日。
天気というものは、見えない。目で見てわかるものではない。明るくても晴れではなく、雲の隙間から君を目指して光が射しただけかもしれない。昼間なのに暗くても、それはただの有り触れた日食かもしれない。そんな中で、音の鳴る天気は素晴らしい。絶え間なく地面に水滴が叩き付けられる音が聞こえたならば、それはおそらく雨だろう。落ちていく無数の水滴の糸が見えたならば、それはおそらく雨だろう。まだ自信が持てないならば、雨をさわりに行けばいい。触って確かめに行けばいい。晴れに触れる事は出来ない。太陽は高く、彼方にある。太陽に触れた人は居ない。けれども雨なら簡単である。雨は天気の中で、一番素敵な天気だと思う。今日は一年のうちで、一番素敵な日だと思う。
新しいものなんてない。
意識が上がって、瞼が落ちて、意識が上がって、瞼が落ちて、その繰り返しで日はめくられる。最後に笑ったのがいつだったかも思い出せないし、最後に泣いたのがいつだったのかも思い出せない。常に不機嫌で、常に不愉快で、血に混じった鉋が心音を削っていく。変えるべき世界は無い。変えるべき自分はもう居ない。
2016年4月6日水曜日
勉強は贅沢ではない。林修の害悪的言説に対して
林修という人が、勉強は贅沢だから嫌ならやめろという話を、公共の電波を使って行ったという話を目にし、朝から暗澹とした気分になった。
「両親が面倒を見てくれて学校に行かせてくれるだけではなく、高い授業料を払ってくれているのだから、嫌ならやめろ」と、この林修という人物は言うが、学校に行かせているのは両親では無い。日本国民を学校に行かせているのは、私達日本国民である。日本国民を代表する、日本国政府である。人が豊かな人生を過ごすためには教育が必要であるという合意が広く成されており、それ故に我が国の政治家は誰一人として教育を廃止しようとはしない。日本国民を学校に行かせているのは、我が国であり、それは即ちその主権者たる日本国民であって、両親ではない。
もちろん、高い授業料を払っているのも、両親ではなく国民である。私達日本国民は、一人当たり約100万円以上の授業料を支払っている。子供を学校に行かせているのは国民で有り、高い授業料を支払っているのも国民である。それでも、国民の支払い額は足りないということで、高校の授業料は無償化され、就学支援金も支給されるようになったのは、つい先日の事である。高校の授業料無償化により、高校進学率が過去最高を記録している。これは当然のことである。
我が国の殺人事件の10件に1件は親による子殺しである。親が子に害を成す事は間々ある。そういった負の連鎖を止める為に存在しているのが教育であり、我が国は国民の幸福の為に、豊かな人生の為に、子どもに勉強をさせているのである。それに対して、嫌ならやめろという言説の、なんと愚かなことか。勉強が嫌ならやめろという言説は、私達国民に対する宣戦布告に等しい。どのような生まれと育ちを持つ者にも不公平無く教育の恩恵をもたらし、富を再配分する為のシステムである勉強というものが機能するように努力を重ねるのが教育というシステムのあるべき姿である。日本国民は日本国民の幸せを望んでいるし、わたしはあなたの幸せを望んでいる。たとえ望んでいないにしろ、望んでいることになるようなシステムこそが、子ども達に勉強をさせている、日本国政府という存在なのである。林修なる者は、我が国の教育にとってもっとも有害な言説を類いの人物である。
聞けば林修というのは、私達国民が子ども達に行っている教育の外側にいる、金儲けの為に我が国の教育システムを利用している人物であり、尚且つ金持ちの息子である。ギャンブルで1800万円の借金を作ったというが、いったい我が国にギャンブルで作った1800万円の借金を両親に肩代わりさせる事の出来る環境に居る人間がどれだけいるのか。そしてそのような人物が、「勉強は贅沢だ」と公共の電波を使って勉強というものの価値を毀損する事を商売として行い、大金を稼いでいるのだ。こういう人間が、我が国の未来にとって、そして我が国の現在にとって、最も有害な人物である事は疑いようのないところであるが、大臣がすすんで親学なるものを推進する自民党や民進党などとは極めて親和性の高いものなのだろうなあと、暗澹とした気分になった。
「両親が面倒を見てくれて学校に行かせてくれるだけではなく、高い授業料を払ってくれているのだから、嫌ならやめろ」と、この林修という人物は言うが、学校に行かせているのは両親では無い。日本国民を学校に行かせているのは、私達日本国民である。日本国民を代表する、日本国政府である。人が豊かな人生を過ごすためには教育が必要であるという合意が広く成されており、それ故に我が国の政治家は誰一人として教育を廃止しようとはしない。日本国民を学校に行かせているのは、我が国であり、それは即ちその主権者たる日本国民であって、両親ではない。
もちろん、高い授業料を払っているのも、両親ではなく国民である。私達日本国民は、一人当たり約100万円以上の授業料を支払っている。子供を学校に行かせているのは国民で有り、高い授業料を支払っているのも国民である。それでも、国民の支払い額は足りないということで、高校の授業料は無償化され、就学支援金も支給されるようになったのは、つい先日の事である。高校の授業料無償化により、高校進学率が過去最高を記録している。これは当然のことである。
我が国の殺人事件の10件に1件は親による子殺しである。親が子に害を成す事は間々ある。そういった負の連鎖を止める為に存在しているのが教育であり、我が国は国民の幸福の為に、豊かな人生の為に、子どもに勉強をさせているのである。それに対して、嫌ならやめろという言説の、なんと愚かなことか。勉強が嫌ならやめろという言説は、私達国民に対する宣戦布告に等しい。どのような生まれと育ちを持つ者にも不公平無く教育の恩恵をもたらし、富を再配分する為のシステムである勉強というものが機能するように努力を重ねるのが教育というシステムのあるべき姿である。日本国民は日本国民の幸せを望んでいるし、わたしはあなたの幸せを望んでいる。たとえ望んでいないにしろ、望んでいることになるようなシステムこそが、子ども達に勉強をさせている、日本国政府という存在なのである。林修なる者は、我が国の教育にとってもっとも有害な言説を類いの人物である。
聞けば林修というのは、私達国民が子ども達に行っている教育の外側にいる、金儲けの為に我が国の教育システムを利用している人物であり、尚且つ金持ちの息子である。ギャンブルで1800万円の借金を作ったというが、いったい我が国にギャンブルで作った1800万円の借金を両親に肩代わりさせる事の出来る環境に居る人間がどれだけいるのか。そしてそのような人物が、「勉強は贅沢だ」と公共の電波を使って勉強というものの価値を毀損する事を商売として行い、大金を稼いでいるのだ。こういう人間が、我が国の未来にとって、そして我が国の現在にとって、最も有害な人物である事は疑いようのないところであるが、大臣がすすんで親学なるものを推進する自民党や民進党などとは極めて親和性の高いものなのだろうなあと、暗澹とした気分になった。
2016年4月4日月曜日
オタクの名誉を守るため、人を殺すことにしました。
世の中で、何か事件が起こる度に、我が国のマスメディアは、アニメや漫画にその原因を求めます。西で誰かが幼女を誘拐すれば、やれ漫画のせいだ。東で誰かが少女を監禁すれば、やれアニメのせいだ。そんな報道を毎度毎度、我が国のマスコミは繰り返します。おそろしい事件はアニメと漫画の影響を受けたが故に発生したものであり、気持ちのわるい事件の裏側にはアニメが存在していたのだという報道を、毎回懲りずに繰り返します。そんな根も葉もない報道が成される度に、僕は心を痛めてきました。こんな状況を、なんとかしなければいけないと、僕は常々考えていました。そこで、突如として、僕にいいアイデアが浮かびました。僕が人を殺せばいいのです。
僕は生まれてこの方、漫画雑誌も、漫画本も買ったことがありません。もちろん、アニメなんて全く見ません。僕は我が国において、漫画から、そしてアニメから、最も遠い存在なのです。オタクとは真逆の存在なのです。そんな僕が人を殺せば、アニメの潔白が証明されるのです!漫画の潔白が証明されるのです!おりしも我が国はクールジャパンの名の元に、我が国の偉大な文化である漫画やアニメを、世界に向けて発信しようとしています。そんな時に、アニメや漫画の悪いイメージが世間に蔓延したままで、そして蔓延させられたままで、いいわけがありません。
漫画が背負わされた濡れ衣を、アニメに科せられた冤罪を、我が国の輝ける未来の為にも、一刻も早く晴さねばならないのです。その為には、アニメとも、漫画とも無縁の誰かが、立ち上がるしかないのです。我が国の未来のために、誰かがその身を犠牲にして立ち上がらねばならないのです。そして、僕は気がついたのです。他ならぬ僕自身こそが、アニメの名誉を守るための最高の人材であると。漫画の汚名を晴すための、最高の人材であると。根拠のない濡れ衣をマスコミによって着せられ続けるオタクの名誉を晴すために、漫画を買ったことがない、アニメなんて全然見ないという、僕以上に適切な人物は存在しないのです。ですから、人を殺すことにしました。
僕は、オタクとは真逆の人間です。オタク要素を、1ミリたりとも有していない人間です。オタクの友人は一人も居ません。生まれてから今日まで友達と、アニメのはなしをしたことなんてありません。漫画の話題で盛り上がったこともありません。ですから僕は世間では、いわゆるリア充と呼ばれる人種です。そんな僕が人を殺せば、マスコミはどうするでしょうか。彼らは困るでしょう。なにせ、これまで彼らがやってきたように、漫画やアニメと事件を関連づけることは不可能です。今回の事件には漫画の影響がとか、アニメの影響がなどといったような報道は、絶対に不可能です。僕が人を殺すことにより、遂に漫画の汚名は挽回され、僕が我が国のマスメディアに凶悪事件の犯人として晒し上げられることにより、アニメの名誉は回復されるのです。今しかありません。東京五輪はもうすぐそこです。来る世界的大イベントの前に、アニメや漫画のネガティブなイメージを、完全に払拭しなければならないのです。その為には、僕が人を殺す以外に道はないのです。
僕は生まれてから今日まで、誰かの役に立ったことはありませんでした。そんな僕にも、誰かの為に働ける機会が遂に訪れたのです。アニメの名誉は守られ、漫画の汚名は挽回され、オタクの人権は回復するのです。人々は僕に感謝の言葉を述べるでしょう。僕が人を殺せば、我が国に存在している1000万人の漫画オタクやアニメオタクが、口を揃えて僕に感謝の言葉を述べるでしょう。けれども、僕は誰かから感謝されたいわけではありません。ただ、この国の未来の為に、この国の役に立ちたいのです。そして、僕がこの国の為に役に立てる唯一の機会が、今ここにあるのです。僕が人を殺せば、我が国の未来は開けるのです。多くの人々が、苦しみから救われるのです。僕は人を殺すことにしました。斧で人を殴り殺すことにしました。鉈で人を叩き殺すことにしました。包丁で人を刺し殺すことにしました。オタクの名誉を守るために、苦難に陥っている我が国に、希望溢れる明るい未来を取り戻すために、僕は人を殺すことにしました。
僕は生まれてこの方、漫画雑誌も、漫画本も買ったことがありません。もちろん、アニメなんて全く見ません。僕は我が国において、漫画から、そしてアニメから、最も遠い存在なのです。オタクとは真逆の存在なのです。そんな僕が人を殺せば、アニメの潔白が証明されるのです!漫画の潔白が証明されるのです!おりしも我が国はクールジャパンの名の元に、我が国の偉大な文化である漫画やアニメを、世界に向けて発信しようとしています。そんな時に、アニメや漫画の悪いイメージが世間に蔓延したままで、そして蔓延させられたままで、いいわけがありません。
漫画が背負わされた濡れ衣を、アニメに科せられた冤罪を、我が国の輝ける未来の為にも、一刻も早く晴さねばならないのです。その為には、アニメとも、漫画とも無縁の誰かが、立ち上がるしかないのです。我が国の未来のために、誰かがその身を犠牲にして立ち上がらねばならないのです。そして、僕は気がついたのです。他ならぬ僕自身こそが、アニメの名誉を守るための最高の人材であると。漫画の汚名を晴すための、最高の人材であると。根拠のない濡れ衣をマスコミによって着せられ続けるオタクの名誉を晴すために、漫画を買ったことがない、アニメなんて全然見ないという、僕以上に適切な人物は存在しないのです。ですから、人を殺すことにしました。
僕は、オタクとは真逆の人間です。オタク要素を、1ミリたりとも有していない人間です。オタクの友人は一人も居ません。生まれてから今日まで友達と、アニメのはなしをしたことなんてありません。漫画の話題で盛り上がったこともありません。ですから僕は世間では、いわゆるリア充と呼ばれる人種です。そんな僕が人を殺せば、マスコミはどうするでしょうか。彼らは困るでしょう。なにせ、これまで彼らがやってきたように、漫画やアニメと事件を関連づけることは不可能です。今回の事件には漫画の影響がとか、アニメの影響がなどといったような報道は、絶対に不可能です。僕が人を殺すことにより、遂に漫画の汚名は挽回され、僕が我が国のマスメディアに凶悪事件の犯人として晒し上げられることにより、アニメの名誉は回復されるのです。今しかありません。東京五輪はもうすぐそこです。来る世界的大イベントの前に、アニメや漫画のネガティブなイメージを、完全に払拭しなければならないのです。その為には、僕が人を殺す以外に道はないのです。
僕は生まれてから今日まで、誰かの役に立ったことはありませんでした。そんな僕にも、誰かの為に働ける機会が遂に訪れたのです。アニメの名誉は守られ、漫画の汚名は挽回され、オタクの人権は回復するのです。人々は僕に感謝の言葉を述べるでしょう。僕が人を殺せば、我が国に存在している1000万人の漫画オタクやアニメオタクが、口を揃えて僕に感謝の言葉を述べるでしょう。けれども、僕は誰かから感謝されたいわけではありません。ただ、この国の未来の為に、この国の役に立ちたいのです。そして、僕がこの国の為に役に立てる唯一の機会が、今ここにあるのです。僕が人を殺せば、我が国の未来は開けるのです。多くの人々が、苦しみから救われるのです。僕は人を殺すことにしました。斧で人を殴り殺すことにしました。鉈で人を叩き殺すことにしました。包丁で人を刺し殺すことにしました。オタクの名誉を守るために、苦難に陥っている我が国に、希望溢れる明るい未来を取り戻すために、僕は人を殺すことにしました。
2016年4月3日日曜日
歴代ビデオゲーム売り上げランキングというデマに騙されないために。
ビデオゲームを飯の種にする糞アフィブログが、ソースも貼らずに歴代ビデオゲーム売り上げランキングを捏造し、デマを流し続けるという、毎度おなじみの光景に嫌気が差した人達におくる、ビデオゲーム売り上げランキングのデマを見分ける要点。要所だけ抑えれば、デマは簡単に見抜けます。
1,テトリス。
テトリスの売り上げ集計には、いくつかの方法があるので、売り上げ本数には、幾つかのパターンがある。主立った数字は、1億3000万本以上(権利者がセレモニーで述べた数)、1億本以上(1億3000万という大本営発表に疑問を呈しつつ)、5000万本以上(任天堂のテトリス)、4000万本未満(ゲームボーイのテトリス)。
ここで注目して頂きたいのは、「任天堂のテトリス」だけで5000万本以上と、極めて僅かな例外すらも吹き飛ばしてしまえるほどの売り上げを出していること。どのような集計方法をとったところで、歴代売り上げランキングのTOP10には入ってきてしまう。プラットフォームでバージョンが違うとか言っても基本ルールが同じ以上は手の付けようがないので、必然的に歴代売り上げ第1位に置かれるビデオゲーム。
もしも、テトリスがランキングに入っていない歴代ビデオゲーム売り上げランキングが存在しているならば、それは完全なでたらめ。
2,マインクラフト
最もめんどくさいソフト。
まず、2016年3月時点のマインクラフトは7000万本という数字があり、さらに今現在も猛烈な勢いで売れまくっているので、マインクラフトの売上本数を見るだけで、どこらのデータをパクってきたかがわかる。
次に、マインクラフトが巨大な売り上げを持つビデオゲームである事は間違い無いものの、PC版の完全版で核を造り、家庭用機で裾野を広げ、もしもしゲームで手広く回収、というパターンで7000万本売っているということ。
マインクラフトのもしもしゲーム版は、本来のマインクラフトの完全下位バージョンであり、基本ルールは同じものの、fifa15とfifa16以上に違うゲーム。価格も下は500円から上は4000円までと完全な別ゲー。なので、マインクラフトを特別枠に配置せず、ランキングに含めてしまうと色々めんどくさいことになる。TIME誌やLIFE誌、あるいはMTVなんかが出す大衆向けの、うェ~ぃランキングならばそれでいいだろうけれど、ビデオゲームのランキングには入れるべきではない。モバイル版マインクラフトとPC版マインクラフトの差は、スーパーマリオブラザーズとスーパーマリオブラザーズ3の差よりも大きい。別枠に特別に記載するべきソフト。価格も内容も違う、別の年に発売されたゲーム集団を別個に集計すると、TOP 10入りはしない。その意味でも別枠記載が必須。
3,Diablo3
3000万本。
現在進行形で売れており、3100という数字もある。この数字に勝てるタイトルはそう多くない。blizzardの最大の失敗作にして、blizzard最大の成功作。そして、dia3が3000万本売れたという事実のもう1つ重要なところは、「dia3はパックマンに並んだ」という話しがあったこと。
4,パックマン
マイクラ以上にやっかいなソフト。
「どのくらい売れたのかテトリス並に集計が難しい」上に、その数字がテトリスほど狂っていないという点で、どの順位に置くのが適切なのかわからないソフト。テトリスはとりあえず1億本とか書いて1位に置いておけばおさまるが、こちらはそうはいかない。
マルチプラットフォームというレベルではなく、完全にわけがわからない。アーケードに始まり、MSXに、PC60からPC98に、X1(なにそれ)に、FM-7に、VCSに、MZ25にと、本当に現代の私達には暗号のようなプラットフォームで最大のヒットを記録したビデオゲームの1つとして名を残している上に、ファミコンからディスクシステム、ゲームギアにゲームボーイアドバンス、おまけにmacでも売っているなど、どのような集計方法をとっても、データが乱れてしまうのは確定的に明らか。砂漠に穴を掘って埋められたアタリショックのETで有名なatari 2600で最も売れたゲームというポジションも持っている。
atariがナムコにお詫びついでに頭を下げて獲得し、本体同梱の販売戦略をとったことでも、一部では稀に極めて有名。とにかくもの凄く売れた事だけは確かだが、集計不能。ゲームに誠実な人達も集計を諦めて、「じゃあ3000万本でいいや」とさじを投げるレベル。
パックマンもプラットフォームによってバージョンも価格も違うので、ポケモンを赤と緑に分ける誠実さがランキング制作者に存在するならば、ランキング外に置く事が可能。付け加えるならば、同梱戦略もとっているので、wii playやwiiスポーツもまた、25年の歳月を経て、パックマンの売り上げ本数集計と密接に絡んでいる。
5,GTA V
5400万本。
「売ってる人達が5400と言ってるんだから5400なの!」
という立場を選択するかどうか。なお、他のソフトも出荷本数と売り上げで本数が違うので、そこに踏み込んでしまうと確実に死ぬ。誠実にランキングを作りたいけれど、死にたくはないという人達は、5400という数字を選択する。死にたくないので5400を選択せざるを得ないビデオゲーム。幸いにして現在進行形で売れ続けており、5500は超えているものと思われるが、結局のところ「売ってる人達が6000と言ってるんだから6000なの!」といった問題からは永遠に逃れられないのがビデオゲームの"本数"ランキング。その本数って何なの?という問題は逃げても逃げても追いかけてくる月のようなもの。「砂漠に穴を掘って埋めた分も"本数"なの?」
6,マインスイーパ。
本体同梱。
最強のソフトウェア集団。本体同梱を含めてしまうと、ビデオゲーム歴代売り上げ上位は彼ら、windows同梱のソフトウェア集団。その中でも偉大なビデオゲームとして歴史にその名を刻む、マインスイーパ。このwindows同梱集団の扱いをどのように行うかが、ビデオゲームの歴代売り上げランキングにとっては最大の関門。
なにせ、パックマン、ダックハント、wii play(はじめてのwii)、wiiスポーツといった、普通にランキングに書かれる事が多いビデオゲームが同梱戦略をとっているため、もしもマインスイーパをランキングから除外したいのならば、wiiスポーツはランキング外に落とす必要がある。
windows同梱の偉大なビデオゲームであるマインスイーパが、この世界の歴史に存在している以上は、どのような集計方法を選択したところで、国外売り上げ全部同梱というwiiスポーツをランキング上位に定義する事は不可能。
よって、TIME誌、LIFE誌、MTVといった系等ではない方の、ビデオゲーム系のランキングにおいては、同梱で本数を嵩上げしているパックマン、ダックハント、wiiスポーツはなど、ランキングから除外した上での別枠記載が必須となる。
歴代ビデオゲーム売り上げランキングとかいう、アフィブログの金儲け目当てのデマに騙されない為の基礎知識。そして、ビデオゲームの売上本数は集計方法によって自由にその数字を変える事が可能であり、完全な努力の結晶、労力の賜である。そして、自分でランキングを作るにしても、集計方法で大きなブレがある以上は、真面目に書かれたランキングであるならば、情報源がソースとして貼られるのは必然である。ビデオゲームの売り上げは現在進行形で伸び続ける為、同日のデータでランキングを作るのは不可能。よって、どこかに避けようのない作為が生まれてしまう。
それに対して誠実さを担保する方法は唯一情報現を明示することなので、歴代ビデオゲーム売り上げランキングというデマを見分ける最も簡単な方法は、ソースに対してリンクを張っているかどうかである。
とりあえずは、テトリス、マイクラ、同梱の3点だけは覚えておこう。
1,テトリス。
テトリスの売り上げ集計には、いくつかの方法があるので、売り上げ本数には、幾つかのパターンがある。主立った数字は、1億3000万本以上(権利者がセレモニーで述べた数)、1億本以上(1億3000万という大本営発表に疑問を呈しつつ)、5000万本以上(任天堂のテトリス)、4000万本未満(ゲームボーイのテトリス)。
ここで注目して頂きたいのは、「任天堂のテトリス」だけで5000万本以上と、極めて僅かな例外すらも吹き飛ばしてしまえるほどの売り上げを出していること。どのような集計方法をとったところで、歴代売り上げランキングのTOP10には入ってきてしまう。プラットフォームでバージョンが違うとか言っても基本ルールが同じ以上は手の付けようがないので、必然的に歴代売り上げ第1位に置かれるビデオゲーム。
もしも、テトリスがランキングに入っていない歴代ビデオゲーム売り上げランキングが存在しているならば、それは完全なでたらめ。
2,マインクラフト
最もめんどくさいソフト。
まず、2016年3月時点のマインクラフトは7000万本という数字があり、さらに今現在も猛烈な勢いで売れまくっているので、マインクラフトの売上本数を見るだけで、どこらのデータをパクってきたかがわかる。
次に、マインクラフトが巨大な売り上げを持つビデオゲームである事は間違い無いものの、PC版の完全版で核を造り、家庭用機で裾野を広げ、もしもしゲームで手広く回収、というパターンで7000万本売っているということ。
マインクラフトのもしもしゲーム版は、本来のマインクラフトの完全下位バージョンであり、基本ルールは同じものの、fifa15とfifa16以上に違うゲーム。価格も下は500円から上は4000円までと完全な別ゲー。なので、マインクラフトを特別枠に配置せず、ランキングに含めてしまうと色々めんどくさいことになる。TIME誌やLIFE誌、あるいはMTVなんかが出す大衆向けの、うェ~ぃランキングならばそれでいいだろうけれど、ビデオゲームのランキングには入れるべきではない。モバイル版マインクラフトとPC版マインクラフトの差は、スーパーマリオブラザーズとスーパーマリオブラザーズ3の差よりも大きい。別枠に特別に記載するべきソフト。価格も内容も違う、別の年に発売されたゲーム集団を別個に集計すると、TOP 10入りはしない。その意味でも別枠記載が必須。
3,Diablo3
3000万本。
現在進行形で売れており、3100という数字もある。この数字に勝てるタイトルはそう多くない。blizzardの最大の失敗作にして、blizzard最大の成功作。そして、dia3が3000万本売れたという事実のもう1つ重要なところは、「dia3はパックマンに並んだ」という話しがあったこと。
4,パックマン
マイクラ以上にやっかいなソフト。
「どのくらい売れたのかテトリス並に集計が難しい」上に、その数字がテトリスほど狂っていないという点で、どの順位に置くのが適切なのかわからないソフト。テトリスはとりあえず1億本とか書いて1位に置いておけばおさまるが、こちらはそうはいかない。
マルチプラットフォームというレベルではなく、完全にわけがわからない。アーケードに始まり、MSXに、PC60からPC98に、X1(なにそれ)に、FM-7に、VCSに、MZ25にと、本当に現代の私達には暗号のようなプラットフォームで最大のヒットを記録したビデオゲームの1つとして名を残している上に、ファミコンからディスクシステム、ゲームギアにゲームボーイアドバンス、おまけにmacでも売っているなど、どのような集計方法をとっても、データが乱れてしまうのは確定的に明らか。砂漠に穴を掘って埋められたアタリショックのETで有名なatari 2600で最も売れたゲームというポジションも持っている。
atariがナムコにお詫びついでに頭を下げて獲得し、本体同梱の販売戦略をとったことでも、一部では稀に極めて有名。とにかくもの凄く売れた事だけは確かだが、集計不能。ゲームに誠実な人達も集計を諦めて、「じゃあ3000万本でいいや」とさじを投げるレベル。
パックマンもプラットフォームによってバージョンも価格も違うので、ポケモンを赤と緑に分ける誠実さがランキング制作者に存在するならば、ランキング外に置く事が可能。付け加えるならば、同梱戦略もとっているので、wii playやwiiスポーツもまた、25年の歳月を経て、パックマンの売り上げ本数集計と密接に絡んでいる。
5,GTA V
5400万本。
「売ってる人達が5400と言ってるんだから5400なの!」
という立場を選択するかどうか。なお、他のソフトも出荷本数と売り上げで本数が違うので、そこに踏み込んでしまうと確実に死ぬ。誠実にランキングを作りたいけれど、死にたくはないという人達は、5400という数字を選択する。死にたくないので5400を選択せざるを得ないビデオゲーム。幸いにして現在進行形で売れ続けており、5500は超えているものと思われるが、結局のところ「売ってる人達が6000と言ってるんだから6000なの!」といった問題からは永遠に逃れられないのがビデオゲームの"本数"ランキング。その本数って何なの?という問題は逃げても逃げても追いかけてくる月のようなもの。「砂漠に穴を掘って埋めた分も"本数"なの?」
6,マインスイーパ。
本体同梱。
最強のソフトウェア集団。本体同梱を含めてしまうと、ビデオゲーム歴代売り上げ上位は彼ら、windows同梱のソフトウェア集団。その中でも偉大なビデオゲームとして歴史にその名を刻む、マインスイーパ。このwindows同梱集団の扱いをどのように行うかが、ビデオゲームの歴代売り上げランキングにとっては最大の関門。
なにせ、パックマン、ダックハント、wii play(はじめてのwii)、wiiスポーツといった、普通にランキングに書かれる事が多いビデオゲームが同梱戦略をとっているため、もしもマインスイーパをランキングから除外したいのならば、wiiスポーツはランキング外に落とす必要がある。
windows同梱の偉大なビデオゲームであるマインスイーパが、この世界の歴史に存在している以上は、どのような集計方法を選択したところで、国外売り上げ全部同梱というwiiスポーツをランキング上位に定義する事は不可能。
よって、TIME誌、LIFE誌、MTVといった系等ではない方の、ビデオゲーム系のランキングにおいては、同梱で本数を嵩上げしているパックマン、ダックハント、wiiスポーツはなど、ランキングから除外した上での別枠記載が必須となる。
歴代ビデオゲーム売り上げランキングとかいう、アフィブログの金儲け目当てのデマに騙されない為の基礎知識。そして、ビデオゲームの売上本数は集計方法によって自由にその数字を変える事が可能であり、完全な努力の結晶、労力の賜である。そして、自分でランキングを作るにしても、集計方法で大きなブレがある以上は、真面目に書かれたランキングであるならば、情報源がソースとして貼られるのは必然である。ビデオゲームの売り上げは現在進行形で伸び続ける為、同日のデータでランキングを作るのは不可能。よって、どこかに避けようのない作為が生まれてしまう。
それに対して誠実さを担保する方法は唯一情報現を明示することなので、歴代ビデオゲーム売り上げランキングというデマを見分ける最も簡単な方法は、ソースに対してリンクを張っているかどうかである。
とりあえずは、テトリス、マイクラ、同梱の3点だけは覚えておこう。
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