忘れるのを待っているほど暇じゃ無い。

かなしいことがあったり、つらいことがあったりすると、凹んでしまって、何をする気も起こらない。無気力状態に陥ってしまう。それよりもしんどいのは、自分自身のおこないが、わるいことの原因になってしまっているとき。そんな時は、その場にうずくまる無気力を通り越して、きびすを返して一目散に逃げ出してしまいそうな気分になる。逃げ場なんてどこにもないインターネットはとても広くて、逃げ込む場所は無限にある。どうにもならない人生の、どうにもならない僕の心は、逃げても隠れてもどうにもならない。わたしはわるくない、僕はわるくない、自分はわるくないと、かなしいことやつらいこと、くるしいことの総体を、自分自身から切り離そうとする試みは、芋づる式に自分自身が次から次へと掘り起こされて、元の木阿弥消えて行く。目を覆って、耳をふさいで、考えるのをなるべくやめて、時間が通り過ぎるのを待っていれば、いつかは苦しみもやわらいで、笑顔でほがらか生きていけると、悪い思いが見え隠れするけど、そんなものは幻想、そんなものは幻想。時間は何も解決してくれない。時間は何も助けてくれない。苦しんでいる人に、時間が解決してくれると無責任な言葉を投げつける奴らは、時間から賄賂でも貰ったんだろう。1時間につき、800円だかもらったのだろう。どこへも行けない苦しみの、どこへも行かない苦しみは、どうしようもない。諦めるわけではないけれど、どうしようもない。忘れるのを待っているほど暇じゃ無いし、何かを解決する余裕もない。走り続ける気も無いし、そもそも走ってすらいない。なんとなく生きている。生きてはいけない人生の、くるしいばかりのこんな日を、今日もなんとなく生きている。