2018年5月22日火曜日

わたし、ハースストーン嫌い。

わたし、ハースストーン嫌いです。なぜハースストーンが嫌いかというと、ハースストーンは完全に腐りきっているからです。ハースストーンは完全に腐りきっているので、地球上から跡形も無く完全に消え去るべきです。正確に言うならば、あんな腐りきったゲームを作るブリザードエンタテイメントは完全に腐りきった会社であり、私達全ビデオゲームプレイヤーの敵たる存在です。ハースストーンは完全に腐りきった邪悪なゲームで、ブリザードエンタテイメントは完全に腐りきった邪悪な会社です。あんなものがeSportsだなんてちゃんちゃらおかしいですよ。ふざけています。

ハースストーンの何が腐りきっているかというと、チートツールが蔓延している事です。チートってのは、ずるです。ゲームで有利を得る為に、不正なプログラムを利用する行為のことです。そして、ハースストーンでは、チートの為の不正なプログラムが蔓延しています。所謂チートツールです。

私達が住んでいる世界に存在する様々なチートツールには、その多種多様な役割に応じて、いろんな名称があります。自動的に照準を合わせるチートツールは"オートエイム"。壁を透視出来るチートツールは"ウォールハック。アイテムを増やすチートツールには"デュープ"。見えないところを見通すチートツールには"マップハック"。どんな攻撃もひらりはらりと躱してしまうチートツールは"イベイドスクリプト"。チートツールってのは、名称からしてかっこいいですね。思わず使ってみたくなります。もちろん私はそんな事をしません。チートツールを使う人間は、完全に腐りきった人間です。わたしはそんなじゃありません。立派で真っ当な、健全を絵に描いたような日本国民です。

では、ハースストーンのチートツールがなんと呼ばれているかというと、「トラッカー」とか呼ばれているらしいです。なんと呼ぼうが、チートはチートです。そして、2018年のハースストーンの世界では、チートツールが蔓延しています。蔓延なんて生やさしいものではありません。「ハースストーンプレイヤーを見たらチーターと思え」という格言があるくらい、ハースストーンはチーターだらけのゲームです。なので私は地球上に存在する全てのハースストーンプレイヤーを強く軽蔑しています。これは偏見などではありません。正当なものです。ハースストーンプレイヤーというものは、私達全人類が唾棄すべき存在なのです。何故ならば、ハースストーンプレイヤーというものは、チートツールを容認し、チートツールを蔓延させ、チートツールを使っているからです。

ハースストーンのチートツールであるトラッカーは、本来ならばゲーム内で見えない情報を、可視化して見えるようにします。これは、チートツールとしては、よくあるパターンです。本来ならば見えないはずの、壁の向こう側に居る敵を見えるようにするチートツール。本来ならば見えないはずの、相手のスキルのクールダウンを見えるようにするチートツール。本来ならば見えないはずの、相手の位置をミニマップに表示するチートツール。本来ならば見えないはずの、モンスターの再出現時間を表示するチートツール。オンラインゲームの世界の、いろんなゲームのいろんな場所で、見えないものを見えるようにするチートツールが暗躍しています。けれども、それらはチートツールとして人々から忌み嫌われ、規約で完全に禁止され、開発から目の敵にされ、使ったプレイヤーはBANされます。けれども、ハースストーンは違います。ブリザードエンタテイメントはチートツールを取り締まる気が全くありません。何故ならば、ブリザードエンタテイメントは完全に腐りきったオンラインゲーム運営会社だからです。バンダイナムコもびっくりです。

ハースストーンに蔓延しているチートツールは、ゲーム内の様々な、本来ならば見えないはずの情報を、見えるようにしてしまう、最もよくあるタイプのチートツールです。たとえば、ハースストーンでは、山札にマウスカーソルを持っていくと、山札の残り枚数が表示されます。これは見える情報です。誰もがゲーム内で確認出来る、ルールの中の情報です。ところが、ハースストーンで蔓延しているチートツールは、山札の残り枚数だけではなく、山札の内容まで全て表示します。自分や相手がプレイしたカードの特殊効果で山札に積み込んだカードまで、詳細に表示してしまいます。もちろん、その効果も確認出来ます。ゲーム内では決して見る事の出来ない、見えないものを見えるようにする、極めて悪質なチートツールが、ハースストーンでは蔓延しているのです。ハースストーンプレイヤーは皆、人の心を持たない邪悪な存在です。彼らはゲームプレイヤーではありません。純然たる悪です。消えて無くなるべき存在です。

また、ハースストーンでは、マウスカーソルをヒストリーという欄に持っていくと、これまでにプレイしたカードとその結果が表示されます。これは、合法な情報です。自分だけではなく、相手も確認可能な平等な情報であり、ゲーム内で誰もが確認出来る情報です。けれども、ヒストリーには、直近にプレイしたカードの情報しか表示されません。直近の情報はあるものの、それ以上は遡れません。けれども、ハースストーンプレイヤーが皆得意気に使っているチートツールを使うと、本来ならば見えないはずの情報に、不正にアクセス出来るのです。直近だけではなく、そのゲームでプレイされたカードとその結果を表示することが出来ますし、相手がこれまでにプレイしたカードの一覧も表示されます。完全なチートです。ハースストーンプレイヤーは皆、そういったチートツールを使っています。何故ならば、ハースストーンプレイヤーは皆、邪悪であり、ゲーマーの皮を被った純然たる悪だからです。ハースストーンというゲームは、私達真のゲーマーが、最も憎むべきゲームであり、ハースストーンプレイヤーという人種は、私達真のゲーマーとは最も程遠い、完全に腐りきった、ビデオゲームを破壊する存在なのです。

しかも、驚くべき事に、腐っているのはハースストーンプレイヤーだけではありません。ハースストーンを開発し、運営しているブリザードエンタテイメントも腐りきっています。何故ならば、ブリザードエンタテイメントは、チートツールの使用を許可しているのです。そんな話がありますか?csgoでも、LoLでも、PUBGでも、パズドラでも、チートツールを使うとBANされます。ところが、ハースストーンは違います。運営開発のブリザードエンタテイメントが、不正なプログラムの使用を禁止するどころか、別に使ってもいいですよと、容認しているのです。にわかには信じられません。信じられませんが事実です。オーバーウォッチでは、不正なプログラムを使用したプレイヤーを片っ端から躍起になってBANし続けていたブリザードエンタテイメントでしたが、どこかで道を踏み外したようです。不正なプログラム即ちチートツールを作っている会社から金でも握らされたんでしょう。ブリザードエンタテイメントは、金でビデオゲームを売り渡したのです。完全に腐りきっています。ブリザードエンタテイメントは今すぐ滅びるべきだし、ハースストーンプレイヤーは今すぐ死に絶えるべきです。何故ならば、チートツールを容認し、チートツールを蔓延させ、チートツールを使用する彼らは、私達全人類の敵であり、パブリックエネミーだからです。地球上に存在してはいけない存在だからです。

曰くブリザードエンタテイメントは、言います。「チートツールが表示している情報は、よくよく注意していればわかる情報だからセーフです!紙と鉛筆でも出来るでしょう!?だからおっけーです!」馬鹿ですか?馬鹿ですね。いや、そういう次元の話ではないです。ブリザードエンタテイメントとは完全に腐りきった純然たる悪であり、ブリザードエンタテイメントは地球上で最も有害な物質です。いいですか?それを、チートって言うんです。それを、チートツールって言うんです。ハースストーンプレイヤーというのは足し算も出来ないような連中なので、わたしが説明してあげたところで理解出来るかどうかは極めて疑わしいですが、わたしは寛大なので、何故チートツールがチートツールであるかを説明してあげましょう。

世の中に存在するチートツールの多くは、よくよく注意していればわかる情報を表示するツールです。たとえば、PUBGの話をしましょう。PUBGは、グラフィックボードに付属していた、ゲーム内の音を可視化して画面上に表示するツールを、チートだから禁止しますと言って禁止しました。ゲーム内の音を可視化して画面上に表示する中華ツールは今も出回っていますが、PUBG運営によってその使用が検出されてしまうと、BANされます。これが普通の対応です。ゲーム内の音というのは、よくよく注意していればわかる情報ですが、それを可視化して画面上に表示するのはチートです。チートツールのやることです。

同じように、LoLでは、相手のスキルのクールダウンを表示するチートツールがありました。相手のスキルのクールダウンは、画面を見ていたらわかります。相手が最後にスキルを使ってから経過した秒数を数えていれば、いつスキルの再使用が可能になるかわかるのです。よくよく注意していればわかる情報です。けれども、よくよく注意していればわかる情報を画面に表示する不正なプログラムは、チートです。チートツールです。なので禁止されます。当然ですね。

ところが、ハースストーンは違います。本来ならば確認不可能な、ゲーム内で表示されていない情報を、画面上に不正表示するチートツールが蔓延しており、チートツールが容認されており、チートツールが使われています。ブリザードエンタテイメントは馬鹿なので、馬鹿なだけではなく邪悪なので、ハースストーンではチートツールが蔓延し、チートツールが使われています。私達はそれを滅ぼさねばなりません。ゲーム内での有利を得る為に、不正な外部プログラムを用いる人達を滅ぼさねば鳴りません。ゲーム内で有利を得る為に用いられている、外部ツールを容認するブリザードエンタテイメントを滅ぼさねばなりません。その為に、私達は、今こそ立ち上がらねばなりません。ビデオゲームの歴史は、不正なプログラムとの闘いの歴史でした。ビデオゲームの歴史は、チートツールとの闘争の歴史でした。その歴史の中に、遂に私達健全で善良なビデオゲームプレイヤーを裏切って、チートツールの側についた会社が現れたのです。それが、ブリザードエンタテイメントであり、ハースストーンであり、世界中のハースストーンプレイヤーです。彼らは敵です。私達の敵です。ハースストーンプレイヤーというのは、断じてビデオゲームプレイヤーなどではなく、私達全人類の敵なのです。

ハースストーンは断じてeスポーツなどではなく、ただのチートツールです。世界中にチートツールを蔓延させる、チートツールの母艦です。blizzconはゲームイベントなどではなく、チートイベントです。チーターのお祭りであり、チーターの祭典です。私達はそれを憎み、それを罵り、それを攻撃し、それを滅ぼさねばなりません。ハースストーンを憎み、ハースストーンプレイヤーを罵り、ブリザードエンタテイメントを攻撃し、彼らを一網打尽に完全に、滅ぼさねばなりません。さもなくば未来はありません。ビデオゲームの未来はありません。人類の未来はありません。ハースストーンは地球侵略を企む、チートツールの母艦です。ハースストーンプレイヤーは、皆すべからくチーターであり、チートツールの尖兵です。私達善良で健全なビデオゲームプレイヤーが一丸となって総力をあげて、根絶やしにせねばなりません。ビデオゲームの勇者諸君、今こそ立ち上がろうではありませんか。チーターに死を、チートツールに滅びを。ハースストーンプレイヤーに死を、ブリザードエンタテイメントに滅びを。わたし、ハースストーン嫌い。

2018年5月15日火曜日

池内恵とインターネット。人生は誰かを悲しませない為にあるんじゃない。

今日も今日とてインターネットをしていると、池内恵がインターネットと戦っているのを目にしてしまい、とても悲しい気分になった。ぼくたちは、その人生の全てをインターネットに費やし極めた、インターネットの名人だから、インターネットと戦うことが、どれほどまでに不毛であるかを知っている。知り尽くしている。知り尽くした上で、インターネットと戦って負けたり、インターネットと戦って消耗したり、そんな毎日を過ごしている。それが自分の人生なんだと、自分の人生を受け入れている。そんな人生が存在するのは仕方が無いし、そんな人生があったって、別にいいじゃないかって思っている。だって、インターネットはそれ程までに、最高にたのしいものだから。インターネットは人生に値する。けれども、同じ事を池内恵がやっているのを見てしまうと、とても悲しい気分に陥る。僕は池内恵じゃない。池内恵なんだから、もっと他にやることがあるだろって思ってしまう。自分の人生は棚に上げたままで。

池内恵は、今をときめく研究者だ。イラク戦争と911に始まった、中東の新しい混乱は、イスラム研究者の池内恵を、時代の寵児へと駆け上らせた。仮に、中東の混乱を完全に別の次元の話として切り分けることが可能であるならば、それは僕等にとっても、池内恵自身にとっても、幸いな事だった。なぜならば、池内恵の書くテキストはとてもおもしろいし、読んでいて楽しい。人の不幸を遠くから眺めて知る事で、知的好奇心が満たされるのを、たのしいとか、おもしろいとか、そんなふうに思っていいのかは極めて疑わしいし、心がくるしいけれど、こんな中東の混乱の中で、池内恵を読めるのはとても楽しいし、とても面白い。とても面白いと思ったので、池内恵にはわりと課金した。ここ数年の人生において、池内恵以上に課金した個人コンテンツなんて、ほとんどない。せいぜい、staylish_noobにpoly bridgeの操作方法を課金して教えてあげたことと、おもしろくないとわかりきっている毎年恒例のレミュ金の新作を、今年も懲りずに課金して遊んだくらいだ。そんな三本の指に入る池内恵が、インターネットと戦っている。僕はそれを見て思う。「そんな不毛なことはやめようよ。他にやることがあるでしょう」って。自分のことを棚に上げながら。

インターネットはどこまでも深く、インターネットはおそろしい。掘っても掘ってもまだ掘り足らず、掘っても掘っても何も出ない。僕等は1日20時間も、インターネットをする毎日を、もう20年も過ごしてきた。だからそれを知っているけれど、池内恵はそれを知らない。僕はこの半生を、インターネットだけして生きてきた。友人はいないし、家族もいないし、仕事もないし、収入もない。インターネット以外との接点を、一切持たない。何故ならば、毎日毎日、来る日も来る日も、インターネットをし続けたからだ。インターネットは旅に値する。いや、旅どころのさわぎではない。僕等にとってのインターネットは、人生に値するという領域を越えて、もはや人生そのものだ。インターネットは僕達の、人生そのものを意味する単語だ。これまでインターネットと戯れて、僕等は歳を重ねてきたし、インターネットと戯れて、僕等は年老いて行く。僕達は、インターネットそのものなのだ。

なぜ僕達がそんなにも、一心不乱にインターネットをしたかというと、インターネットが楽しかったからだ。楽しいことのない人生において、唯一たのしかったのがインターネットだったんだ。インターネットで何かを書けば、見知らぬ誰かが返してくれる。こえかわいいねって書くだけで、ありがとうって言ってもらえる。うたうまいねって書くだけで、ありかとうって感謝される。あまつさえ、ハンドルネームを呼んでもらえる。素敵な文章ですねなんて書いた日には、人によっては感激してくれる。インターネット以外では、誰かに感謝されることなんてない。誰かに必要とされることなんて決してない。インターネットは、僕等が唯一必要とされて、インターネットとは、僕等が唯一感謝される場所だ。僕等はインターネットの中でだけ、世界の誰かの役に立つ。決して誰の役にも立たない、長く苦しい人生の中で、唯一誰かの為に生きる事が出来るのが、インターネットという空間だ。seakingjawsに14円を投げつけるだけで、「cheerありがとうございます」って言ってもらえるのはインターネットだけだし、pornhubの無修正違法動画をまとめているブログにアクセスして、興味の無い広告を意味もなくホイールクリックしてバックグラウンドで開いて見ずに閉じる度に、「ああ、僕の1クリックが、誰かの生活を支えている」って、満たされた気分になる。インターネットは生きるに値する。僕は生きるに値する。インターネットっていうのは、そういう場所だ。だからこそ僕等はインターネットで生きるし、インターネットで戦う。なんの意味もないってわかっていても、どうせ僕等の人生はなんにもないんだ。せめて戦う。せめて戯れる。せめて遊ぶ。せめて楽しむ。せめて消耗して、せめて堕落する。そうさ、インターネットする。だからこそインターネットする。インターネットは僕等にはちょうどいい、僕等の人生にもってこいの場所だ。人生を持たない僕達の、僕達の為の唯一の居場所だ。けれども、池内恵は、違うだろって思う。

インターネットは楽しい。際限なく無限に広がっている。多種多様なインターネットの側面は、僕等の心のいろんな場所を、ちょうどぴったりと満たしてくれる。戦いたいという欲望も、勝利したいという欲望も、誰かに必要とされたいという欲望も、愛されたいという欲望も。インターネットの世界では、どんな欲望も満たされる。それだけではない。インターネットをしなければ、生まれ得なかった欲望が、搔き立てられて目覚めて育つ。インターネットにインターネットの種をまき、インターネットで間引きながら、インターネットを追肥すれば、インターネットが収穫できて、インターネットで食べられる。お腹がふくれることはないし、それで幸せにはなれないけれど、心の中のインターネットが、インターネットで満たされる。僕等はそれを知っている。知っててそれをやっている。けれども、池内恵は違う。池内恵はおそらくだけど、それを知らずにやっている。だからこそ僕等は悲しくなる。なんで池内恵はインターネットしてるの。他にやることがあるだろう、って。自分の人生を棚に上げて。

池内恵はアカデミックな人だから、毎日20時間インターネットをやり続けるような人生は、過ごしてきてはいないだろう。僕等はそれをやってきた。僕等はそうして生きてきた。1日20時間のインターネットを、もう20年も続けている。インターネットで戦うことが、どれ程までに踏もうであるかを、知り尽くした上でやっている。今更どうにか出来るものか。僕等は一生インターネットだ。まるで誰かを信仰するかのように褒め称えては崇めたり、まるでカルタゴに塩を撒くように、誰かの何かを憎んだり。時として刃を交えたり、一方的に勝利宣言をしたり。あるいは都合良く逃げ出したり、うまくごかまして煙に巻いたつもりになったり。ノーダメージを装う為に、他の何かを「たのしいたのしい」と褒めそやし、好きなことに熱中して、他のことなんて眼中にないという演技をしながら、揚げ足をとって一発かましてやる為に、必死で過去ログを漁ったり。僕等はそんな人生を生きている。事実、僕はそうやって生きてきた。インターネットとはそういう場所だ。

インターネットはあまりにも刺激的すぎて楽しくて、いろんな欲望が満たされてしまう。人は皆、インターネットに堕ちてゆく。池内恵は堕ちている。既に完全に堕ちている。おそらくもはや何人たりとも、池内恵という人を、インターネットの魔の手から、救い出すことは不可能である。人は皆、インターネットの前では無力なんだ。人と自動車とがぶつかれば、人が跳ね飛ばされてしまうのと同じように、人とインターネットがぶつかれば、人間なんてはじけて消える。科学技術っていうのは、そういうものだ。人類の英知っていうのは、そういうものだ。池内恵はインターネットと戦って、インターネットを論破して、インターネットに勝利して、インターネットで味方を集め、インターネットで読み広められ、インターネットで共感を呼ぶ。それが、インターネットだ。それこそが、インターネットだ。僕等が人生を費やしたものだ。

僕には、わかる。よくわかる。池内恵がよくわかる。池内恵の血が沸き立ち、肉が踊っている様が、手に取るように見て取れる。インターネットは僕達に、最高の体験をもたらしてくれる。インターネットでしか出来ない体験を、他のどこでも味わえない興奮を、インターネットはもたらしてくれる。だからこそ、僕等がインターネットをしたように、池内恵もインターネットする。インターネットは他のどのような体験をも凌駕する。クリスティアーノ・ロナウドだって、イーロン・マスクだって、たのしいたのしいって大興奮して、踊りながらインターネットする。何人も、インターネットからは逃れられない。どんな勇敢な戦士も、どんな高潔な聖者も、インターネットには敵いやしない。インターネットは無敵なんだ。だからこそ、僕等はインターネットだ。インターネットは無敵なので僕達は、インターネットを続ける限り、死んでも無敵のままなんだ。インターネットがある限り、僕等の人生は負け知らずだ。

池内恵が戦っているのは、僕だ。僕こそが池内恵を不愉快にし、池内恵を怒らせて、池内恵と戦って、池内恵に論破され、池内恵に無視されて、池内恵にブロックされて、池内恵を満足させて、池内恵を満たしてやった。なぜならば、僕は、インターネットだから。僕こそがインターネットだからだ。池内恵はインターネットで不愉快になり、インターネットに激昂し、インターネットと戦って、インターネットを論破して、インターネットに無視を決め込み、インターネットを晒し上げ、インターネットをブロックしては誇らしげに公言し、インターネットで満足して、インターネットで満たされた。そんなことに、なんの意味があるってんだろう。インターネットをして、なんになるんだろう。インターネットは、なんにもならない。僕等それを知っているけど、池内恵はそれを知らない。いや、池内恵にしたって、インターネットがなんにもならないことくらい、きちんと知ってる可能性もある。まあ、知っていたところで、どうにもできない。インターネットとはそういうものだ。人の力では抗えぬものだ。

池内恵がインターネットと戦っているのを見て、僕等はとても悲しい気持ちになった。どうしてそんな事をしているの、って思う。他にやることがあるだろう。池内恵だけじゃない。インターネットと戦ってる人を、インターネットで見かけると、とても悲しい気持ちになる。やめておきなよ、って思う。けれども僕等は知っている。人生ってのは、そういうものだって。


私達は、誰かを悲しませない為に生きているのではない。自分のやりたいことをやっているだけなんだ。池内恵が「わたしはインターネットしたい」って言ってる以上、僕等はそれに意見することすら出来ない。だって、池内恵の人生は、池内恵のものなんだもの。どこかの誰かの人生は、他の誰かの為ではなくて、その人自身の為にある。誰かを悲しませない為に、僕等は生まれてきたんじゃない。誰かを悲しませない為に、僕等は生きているんじゃない。僕等は、自分自身の人生を、自分自身で生きているんだ。「そんな事をしたら俺が悲しむ」なんて言われても、知ったこっちゃない。えらそうに、人の人生に干渉しようとするんじゃない。何様のつもりだ。そんな権利は誰にもない。池内恵がインターネットをしたいって言うんだから、池内恵はインターネットをするんだよ。それで僕が悲しくなったって、それで誰かが悲しくなったって、そんなこと、池内恵は知ったこっちゃあない。おまえは、俺の何でもない。おまえはただのインターネットだ。インターネットは黙ってろ。

人生は、誰かを悲しませない為にあるんじゃない。人生ってのはね、やりたいことをやりたいだけ、悔いのないようにやるもんだ。人生はたのしむためにある。だからこそ、僕等はインターネットをして、インターネットで老いぼれて、インターネットで死んでいく。僕には友人がいない。僕には家族がない。僕には知り合いもいない。僕には収入がなく、僕には生きる希望も、生きる意欲もない。けれども、僕にはインターネットがある。実際のところ、ここだけの話をしてしまうと、事実上僕にはインターネットすらないんだけれど、僕にはインターネットがあり、僕はインターネットだ。セガBBSに書き込んでから、もう20年もの間、毎日毎日欠かさずに、僕はインターネットして生きてきた。インターネットで生きてきた。いや、インターネットとして生きてきた。言葉を発することもなく、また一日が明けてゆく。誰との接点も一切なしに、誰にも読まれぬブログを書いて、インターネットで生きてきたし、インターネットで生きている。毎日、毎日、インターネットだけをしている僕が、インターネットでなければ一体、どこの誰がインターネットたりえるだろうか。そうさ、僕はインターネットなんだ。誰かが悲しもうと、そんなこと、知ったこっちゃない。人生は誰かを悲しませない為にあるんじゃない。人生は自分自身の為にあるんだ。たとえば僕自身が悲しもうとも、そんなもの知ったこっちゃない。僕はインターネットなんだから。

池内恵がインターネットと戦っているのを見て、とても悲しい気分になった。どうして、そんな不毛なことをするんだろう。インターネットなんてくだらないのに。他にやることがあるだろうに。そんな悲しいインターネットは、今すぐやめてくれたまえ。いったいどんな気持ちで、アラブの春とは何だったのかを読めばいいんだろう。ページを1つめくる度に、インターネットをする池内恵が脳裏をよぎり、悲しい気持ちになってしまうに決まっているじゃないか。だから、僕を悲しませない為に、池内恵は今すぐに、インターネットをやめてくれ。なぜならば、僕が、悲しくなるから。池内恵をやめてくれ。なぜならば、僕が、悲しくなるから。インターネットをやめてくれ。なぜならば、僕が悲しくなるから。

2018年5月14日月曜日

twitterのモーメントはtwitter社による手動なのか。

今日一番の衝撃は、twitterのモーメントがtwitter社の手動だったということ。twitterの左上にモーメントの項が出来てから、ユーザーによるモーメント作成が可能になるまで、約3ヶ月の時間差がある。さらに、ユーザーが作ったモーメントには、作ったユーザー名が表示されている。つまり、twitterの左上からリンクされているモーメントは全て@MomentsJapanの手動。twitter社が人を雇ってやらせている。これまでは、てっきりユーザーが勝手に作っているものだと思っていたので、酷い内容のものがあっても、NAVERまとめみたいなもんだからね、と思って流していたんだけれど、twitter社自らがデマやフェイクニュースを拡散していたとなると、話が変わってくる。インターネットってひどいなあ。

2018年5月12日土曜日

作者の人格と作品は別

作者の人格と作品は分けて考えるべきだと主張する人は、まず作者の情報を漁るようなことをやめるべきである。そのリスクのあるインターネットをやめるべきである。作者が誰かにとって都合のわるい振る舞いをした時のみ「作者の人格と作品は別」と言っても説得力がない。尾田栄一郎が東北に15億円の寄付を行ったときは、それを諸手を挙げて称賛しておきながら、違法ポルノの所持で捕まるや否や、「作者の人格と作品は別」と言い出すのはおかしい。都合の良いときにだけ、都合のよい立場を選択しているだけではないか。

2018年5月11日金曜日

不倒城のしんざきが書く糞以下のテキストを、僕等はもう二度と目にしなくて済む事を祝う日。

私達は、自らの体験について語る事に極めて抑制的である。私達というのは、ゲーマーであり、かつテキストを書いている人間のことである。そのような態度に陥らざるを得ない最大の理由は、老人の昔語りは美化された自らの人生と歴史に対する言及に他ならず、即ちそれは自虐であろうとなんであろうと自慢である事を避けられず、私達によるゲームに対する言及は、年配者の自分語りによる自慢へと陥る事を避けられない。本人は雑談をしているつもりが説教になるだとか、本人は親身になってアドバイスをしているつもりがうざいだけの自慢になるといった、我が国に存在している当たり前の事は、当然のようにして私達の身に降りかかる。

こと、ビデオゲームはさらに大変である。

ビデオゲームは全てが接続されている。突然変異的にいきなり生まれたビデオゲームなどは存在しない。何かがあって何かがある。2018年に流行っているゲームのどれか1つを遡って辿れば、それは原始の世界まで、際限なく遡り続ける事は可能である。たとえば2018年において、世界で一番流行っているゲームである王者栄耀を遡れば、それはもはや誰の手によっても再現不可能なビデオゲームのプレイ体験にまで遡る事が可能であろう。2018年にストリートファイター2turboやバーチャファイターをプレイする事は可能であっても、そのプレイ体験を再現する事は不可能である。よって、ビデオゲームにおいても、現実の他の全ての事象において、年配者が行う若者への説教と自分語りに際し発生する出来事と、全く同じ事が発生する。曰く人々はそれを老害と呼ぶ。

ff15を無邪気に楽しむ人の目に耳に飛び込むファイナルファンタジーは、FF3のアイテム無限増殖であったり、ファミコン時代を終わらせたff7のプレイステーションだったり、あるいはff11だったりする。そんなものが必要であろうか。私達の住んでいる世界に、ビデオゲームに対する言及などというものが、果たして必要であろうか。

かくして私達ビデオゲームを真に愛するインターネットで文章を書く人々は、ビデオゲームに関する言及を行おうと思う度に自らに懲罰的とも言える多大な要求を行う。説教はしてはいけない、老害になってはいけない、圧力をかけてはいけない、歴史を語ってはいけない、体験を語ってはいけない、ビデオゲームを語ってはいけない。ビデオゲームは語る為にではなく、楽しむ為に存在する。果たして私達は沈黙する。僕等はビデオゲームを語れない。

けれどもそのような誠実さを宣言するのは不当である。そのような態度を人々に要求するのは尚のこと不当であり、それはもはや純然たる暴力である。何故ならば我が国において自由とは保障されるべき最大の権利であり、自由と対立する概念に関わる仔細は為べからず、全て否定されるべきことだからである。

僕には強い確信がある。ゲームに対するテキストに対する確信だ。僕がこのブログを書き始めてからというもの、その確信は一度として揺るいでいない。インターネットでゲームを語るゲーマーは紛い物であるという強い確信だ。ゲーマーはテキストを綴る暇があればゲームをプレイする。私達がゲームに関するテキストを書くのは、私達がゲームをプレイしていないからであり、ゲーマーではないからである。俺達はブラックベリーを愛用するスティーブ・ジョブズみたいなものだ。かくして、真の人々はビデオゲームについて語らなくなった。僕がこのブログを書き始めるきっかけになったブロガーは、もう10年以上ビデオゲームについて語っていない。僕にしたって同じ事だ。少なくとも、可能な限りビデオゲームについて語らないように務めてきた。何故ならば僕等はビデオゲームに対する誠実さというものを、せめてもの範囲内で、精一杯維持しようと努力し続けてきたからだ。その結果として訪れたのが、2018年というインターネットである。インターネットはしんざきのように金儲けの為にゴミみたいなテキストをばらまき続け検索エンジンを汚染する糞みたいな連中で埋め尽くされてしまった。

僕等はあれからもビデオゲームをプレイし続けてきた。これでもかこれでもかと、全力でビデオゲームをプレイし続けてきた。その上で、それについて語らずに口を噤み続けてきた。ビデオゲームについて語ることは、ビデオゲームに対する暴力である。たとえばそうではないにせよ、油断すれば、あるいは油断せずともすぐにその曲面へと墜ち果ててしまう。ビデオゲームは俺達の慰みものじゃねえ。ビデオゲームはプレイする為に存在する。果たしてその態度が正しいものであったかどうかを、僕等は知らないし知るすべもない。ただ1つ確かなものは、私達は「やらない理由」を決して語るべきではないという事だ。
人は嬉々としてやらない理由を語る。やらない理由を語るのは容易い。世の中に存在する物事をどれか取り出し、それにケチを付ければそれで済む。「故に私はそれをやらない」映画に読書に漫画にゲームに労働に、人々はケチをつけてそれらを見下し、故に私はそれをやらないという。知ったことか。連中は馬鹿にしたいだけである。見下したいだけである。侮蔑したいだけである。そうである事を僕等は知っているが故に、何かをやらない理由について語る事に、極めて抑制的である。やらない理由を万が一にも語ってしまわぬようにと、常に神経を張り詰めながら生きている。「おまえそんなことやってるの?俺はやらないよ?」という年配者の言葉が如何に私達若者にとって不愉快なものであるかを、僕等はかつてより知っていたからだ。たとえば僕が人のゲーム配信を一切見ない事は知る人ならば知っているだろうが、それについて書いた事も無ければ、書くつもりも語るつもりもない。インターネットは糞だ。インターネットは糞じゃない。インターネットのごく一部は糞だ。そしてごく一部の連中は声が大きい。

この不倒城のしんざきという糞から生まれた糞みたいなゴミは、「動画を見る時間があったらゲームがやりたい」とか得意気にテキスト装飾までして書いた挙げ句に、同じ糞以下の糞連中と、ゲームを出汁にしながら耳たぶをねぶりあってるが、おまえ時間があったらゲームがやりたいんだろ?じゃあゲームしてろよ。金儲けの為にブログを書いてるんじゃないと得意気に見得を切りながら、ビデオゲームとビデオゲームプレイヤーを小馬鹿にしながらインターネットで小銭稼いで悦に入ってるしんざきとかいう本物のゴミは、時間があったらゲームしたいのに、なんで糞以下のテキストを検索エンジンを汚染しながらインターネットで垂れ流してんの?糞の山から生まれた糞の塊みたいな人糞をリアルで育成してんの?そんなゴミはとっとと捨ててゲームしてろよ。時間があったらゲームしたいんだろ?まず自分の言葉に責任持って未来永劫インターネットから完全に消え失せろよ。いや、俺が言わなくても消え失せるんだよな。時間があったらゲームやりたいって書いてるんだから、糞以下の糞の山のテキストは全部削除して二度とインターネットに現れるなよ。いやー、良かった良かった。俺達はこのしんざきとかいう糞が量産したゴミ以下のテキストを検索エンジンの検索結果で二度と見かける事はなくてすむし、時間があったらゲームがやりたいって言ってる人は、ゴミみたいなテキストを未来永劫もう二度と書かなくていいから、ゲームが出来るわけだ。win-winだよね。いやー、よかった。あ、そうか。インターネットから過去ログを全削除する時間も惜しいか。時間があったらゲームがやりたいんだもんな。まあ、じゃあ、それはしゃーないね。それくらいは我慢するか。とりあえずこれ以上、不倒城とかいう有害サイトと、それ以上に劣悪なスパムサイトに、しんざきの書いたテキストがもう二度とupされる事はないという事実だけでよしとするわ。

2018年4月30日月曜日

頭痛と夢と希望

生きていると時々頭痛を覚える。生きていると時々夢や希望を胸に抱く。腕を曲げて枕にして机の上にうっぷせば腹が減り、おまえに喰わせる飯はない。ねむい、いたい、あたまがいたい。概ね辛い。

2018年4月27日金曜日

Mineskiは如何にしてDAC2018優勝を成し遂げたのか。

先日、中国の上海でDOTA2 アジアチャンピオンシップ(DAC 2018)が開催されました。そのDAC2018において、フィリピンに拠点を置くMineskiは、東南アジア勢としては歴史上初となる、メジャートーナメント制覇を成し遂げます。

DAC2018におけるMineskiの栄冠は、どのようにして成し遂げられたのかを紐解くと同時に、後世にこの偉業を少しでも残しておこうというのが、この文章の目的です。





「Mineskiが優勝したのは何故か。」

いきなり本題です。
そしてそれに対する私の回答は明確です。
強い相手と当たらなかったから。
それに尽きます。


現代のdota2シーンにおいて、強い相手とは、世界最強に君臨する2つのチームを指します。1つは、全員が凶器、3 carryを超えた究極のcarry集団、5 carryのソ連に拠点を置くVersus Pro、通称VP。もう一方は、様々なゲームジャンルの全てのプロゲーマーの中で最高の生涯賞金額を誇る、かつては魔王と呼ばれたkurokyが率い、現在dota2の頂点に立つプレイヤー、miracle-を擁するLiquidです。

LiquidとVP。
この両者の強さは圧倒的です。
様々な要因により、他のライバルチームが弱体化してしまったこともあり、VPとLiquidは、他の全てのチーム相手に60%以上の勝率を残せる、凄まじい強さを誇る最強のチームです。両者は天下を二分する形で、現在のdota2シーンに、圧倒的な覇権チームとして君臨しています。


Mineskiは、世界最強チームと当たりませんでした。
DAC2018のトーナメントラウンドにおいてMineskiはLiquidと対戦せず、また、VPとも対戦することなく優勝を果たします。グループステージで行われたVP対MineskiがMineski唯一の世界最強チームとの対戦機会。そこでは、VPがMineskiを文字通り捻りつぶす形で圧勝しています。





しかし、です。

世界最強Liquidと、世界最強VPが、共にグランドファイナルに辿り着けなかったということは、世界最強チームを打ち倒したチームが存在するということです。しかも、そのチームはどちらか一方に勝ったというわけではありません。なんと、現在のdota2シーンを二分しては君臨する、LiquidとVP、両者に勝利したチームが存在するのです。それが、地元中国のLGD。LGDは勝者側決勝で0勝2敗、グランドファイナルでは2勝3敗と、壮絶な7連戦の末に力尽き、Mineskiの戴冠を許してしまいます。


このテキストは、世界最強の両雄を共に打ち破る快挙を成し遂げた地元中国のLGDが、如何にして、Mineskiに敗れ去ったかを書き記すことに、その全てを費やす事になります。








1,大会期間中にpatchが当たった。


ビデオゲームはpatchによってバランスが変わります。dota2もその例に漏れません。そして、こともあろうか、DAC2018の初日が終了した時点で、予告もなく突然patchが当たりました。わたしがもう少しだけの実直さと行儀の悪い文体を共に有していたならば、口汚くvalveを罵るところです。けれども、そうはしません。わたしは分別のある大人です。冷静に行きましょう。


グループステージの初日が終了した後で、dota2を開発するvalveはdota2にpatchを当てました。最大の変更点は、それまで普通のゲームでは使用可能だったものの、eSports大会用のモードでは使用不可能だった、パンゴリラというヒーローが使用可能になった事です。そして、Mineskiにはシンガポールが世界に誇る変態プレイヤー、iceiceiceが居ました。



iceiceiceはdota史上に残るポジション3プレイヤーです。dotaの16年の歴史の中で、無理矢理ランキングを付けるならば、4位か5位くらいでしょう。そして、iceiceiceは変態です。ただのプレイヤーではありません。変態プレイヤーです。

新しいヒーローが実装されたり、大幅にリメイクされると、iceiceiceは必ずpubでそのヒーローを使い続け、ほぼ全てのロールで無理矢理新ヒーローでプレイします。iceiceiceがpubで見せた、carry ogre mageや、side solo troll、nyx carryなどは記憶に新しいところです。世界中のチームのコーチは、新ヒーローが実装されたならば、まずiceiceiceのリプレイをチェックしにいくとまでうたわれた、あの変態iceiceiceです。



そんなiceiceiceにパンゴリラを与えたらどうなるでしょうか?

他のチームが一切の対策をしていない大会期間中のpatchという最悪のタイミングで、トリッキーでテクニカルな変態iceiceiceが使う為にデザインされたような新ヒーローが使用可能になると、いったい何が起こるでしょうか?


DAC2018において、パンゴリラで勝利したポジション3のプレイヤーは世界でただ一人、優勝したMineskiが擁する変態iceiceiceだけでした。iceiceiceはDAC 2018でパンゴリラを3度使います。DAC 2018におけるパンゴリラの戦績は、3勝7敗でした。

Mineski 対 LGDの7連戦において、パンゴリラは2度pickされ、2度BANされました。残る3ゲームのうち2ゲームは、LGDのchaliceというプレイヤーを巡る特殊なpick&ban進行があったので、7連戦においてパンゴリラが無視されたのは1ゲームだけという、惨状。そう、言葉で言い表すならば、それはもはや惨状でした。

DAC2018の期間中、iceiceiceはパンゴリラをx回BANされます。

他のチームのpick&banは、大会期間中、パンゴリラ対策が一切出来ていない状態でのパンゴリラ実装によって、滅茶苦茶になってしまいました。それによって利益を得たのは、変態iceiceiceを擁するMineskiただ1チームだけだったのです。


これが、もう少しまともなタイミングでの実装であれば、「変態iceiceiceというプレイヤーを獲得していたMineskiの勝利」と言うことも出来るのですが、グループステージ初日終了後という、あまりにも酷いタイミングであるが故に、そのようにiceiceiceを称えることも出来ません。ひどいはなしも、あったものです。かなしい話です。







2,LGDは何故負けたのか。

勝因は時として不思議であるが、敗因は常に明確であると、eSportsではないスポーツの有名な監督が、繰り返し口にするのを、いつかどこかで耳にしました。曰く、勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し。ならば、グループステージ初日終了後のpatchによるパンゴリラ実装は、正しく不思議の勝ちに分類されます。そして、LGDには不思議では無い負けが存在しています。明確な敗因があるのです。LGDが負けた理由。LGDの敗因。




それは、マネジメントです。

かつて、中国には「dota10年の歴史の中で最大の才能を持ったプレイヤー」とまで評された人物が居ました。現在LGDのポジション2(mid)を務めている、maybeです。Naviのdendiが築いた永遠に続くかに思われたdendi時代を終わらせるはずだった人物であるmaybe。そんなmaybeを獲得しながら、僅か2ヶ月でkick(解雇)したチームがありました。

DAC2018におけるLGDの快進撃を成し遂げたmaybe。
そのmaybeを僅か2ヶ月でkickしたチーム。
それが、LGDです。



LGDはmaybeを獲得しながら、「maybeはこの2ヶ月の間、一度も優勝出来なかった」というわけのわからない理由でkickしてしまいます。なお、maybeはその2ヶ月間で世界のトップシーンにおける存在感を増し続け、最終的にはメジャートーナメントにおいて、当時の世界最強チーム相手に2勝3敗で準優勝を成し遂げる所まで行きます。LGDはそのmaybeを、「この2ヶ月の間、一度も優勝出来なかった」としてkickした上で、他のチームがmaybeを奪い去れないようにと、急造の2部チームを作成し、maybeを契約で雁字搦めにした上で飼い殺しにする事を選択します。

そのLGDの二軍チームにおいてmaybeは、トッププレイヤーとは言い難い雑にかき集められた二流の集団を率い、何度もLGDを倒したばかりに収まらず、過酷な中国予選を勝ち抜いて世界大会に出場し準優勝するなど、maybeという一人の才能の存在により、LGDの二部チームは後にThe Internationalで準優勝するなどの成績を収めるまでの成功を手にします。

一方その頃LGDは、maybeをkickしたあと、新しくとったプレイヤーを「maybeはこの2ヶ月の間、一度も優勝出来なかった」というのとほとんど同じレベルの理由により、とっかえひっかえ、kickしては新たなプレイヤーを獲り、kickしては新たなプレイヤーを強奪し、ということを際限なく繰り返し続けます。LGDのマネジメントの酷さは枚挙にいとまがないのですが、DAC2018におけるLGDの快進撃を生み出した、他ならぬmaybeを、「この2ヶ月間優勝出来なかった」という理由によりkickしたという過去を述べるだけで、その酷さは十二分に伝わるでしょう。


Mineskiは大会期間中のpatchで勝ち、
LGDはマネジメントで敗れた。

では、具体的にはどのように?
いよいよ、本題であります。






Mineskiが勝利し優勝するよりも前に、
LGDが敗れ去り準優勝に終わるよりも前に、
DAC2018では重大な出来事が発生していました。



それは、LGDの奇跡的な快進撃です。
世界中どのチームを相手にしても、60%以上の勝率を残せる無敵のチームであるVPとLiquid。グループステージにおいて、Mineskiを踏みつぶした世界最強VPと、そのVPにトーナメントラウンドで2勝0敗で勝利した世界最強Liquid。この両者を、LGDは打ち破ったのです。これは、想像を絶する奇跡的な快進撃でした。Mineskiの優勝よりも、LGDの準優勝の方が、私達にとっては、そして現代のdota2シーンにとっては、衝撃的な出来事だったのです。



果たして、LGDは如何にしてLiquidとVPに勝利したか。

答はmaybeの一語で事足ります。
LGDの勝因は、LGDにmaybeという、dota10年の歴史の中で最大の才能が存在していた事です。なお、dotaの歴史は16年です。maybe以後の6年間で、maybeを超える才能が生まれてしまい、LGDにkickされて時間を無駄にしたmaybeは天下を獲り損ねてしまうのですが、それはまた別の話。ここでは、世界最強Liquidには、現在dota2シーンの頂点に君臨するmaybeを超越したプレイヤー「One man dota allstars」こと、miracle-が所属している、という事だけを記して話しを戻します。






昨年、LGDは自分達の二軍チームから、一人のプレイヤーを昇格させます。
そのプレイヤーの名はYao。所謂Yao先生です。


Yao先生は、LGDの黄金時代を築き、「万年二位のLGD」を作り上げた功労者です。iGにチームのプレイヤー4人を引き抜かれ、残された一人のプレイヤーもモチベーションを失う中で、キャプテンxiao8という伝説のpickerに率いられ、世界二位の地位を維持し続けたdota2黎明期のLGDにおける、最強のプレイヤーです。往年のLGDが世界に誇った、当時の世界最強プレイヤーの一人です。


けれども、LGDがyao先生を再獲得した時点におけるYao先生は、往年の輝きは見る影もない、トップシーンにおける断トツのワーストプレイヤーでした。なぜ、そんなプレイヤーをLGDは二軍から一軍に引き上げたのか、それは、義理人情であり、論功行賞です。

あの頃のLGDは、iG、Navi、Alianceといった目の上のたんこぶに邪魔される形で、遂に大きなタイトルを手にすることは出来ませんでした。さらに、Yao先生が世界最強プレイヤーの一人だった時代のdota2シーンは、まだ立ち上がったばかり。賞金も今のようには高くなかったのです。

そんなYao先生に、賞金を稼がせてあげよう、タイトルを獲らせてあげよう。世界中の強豪チームが様々な理由により迷走している今ならば、Yao先生を使ってもタイトルを獲れるチャンスがある。そう考えたLGDは、義理人情により、論功行賞により、Yao先生を一軍に引き上げたのです。もしもYao先生が存在しなければ、LGDはdota2から撤退していたかもしれません。そんなifが簡単に想像出来るくらい、当時のyao先生はLGDにとって特別なプレイヤーだったのです。

キャプテンxiao8の用心棒として、プレイヤーとしては平凡なxiao8が太刀打ち出来ないプレイヤーが相手に来た際には、xiao8とポジションを交換して、xiao8が絶対に勝てないような相手と対峙し、LGDの黄金時代を成し遂げたYao先生に、賞金額がインフレした現代シーンで稼がせてあげたい。そんなLGDの人情人事は、一定の成功を収めました。LGDに再加入する以前からトップシーンにおけるワーストプレイヤーであり、LGD在籍時もトップシーンにおけるワーストプレイヤーであり続けたYao先生を抱えながらも、LGDは昨年のThe International 7で四位という好成績を収め、LGDは巨額の賞金を手にします。Yao先生がLGDにおいて、dota2チームを解散させない為の勝利を積み重ねるという、最も重要な仕事を成し遂げた当時の大会の優勝賞金は、僅か1000ドルやそこら。当時のdota allstarsは、完全に死んだゲームだったのです。Yao先生の全盛期は、dota2がリリースされる以前、あるいはちょうどリリースされた頃まで遡る、むかぁしむかしの話なのです。





yao先生を義理人情で昇格させたLGDはどうなったでしょうか?
まったく勝てませんでした。
あたりまえですね。

LGDはyao先生をkickします。
「どこが義理人情なんでしょうか」
と書いてしまうと、話に支障が出てしまうかもしれません。少なくともYao先生は、当時では考えられなかった額の賞金を稼ぐことに成功したわけですから、LGDの義理人情は確かに義理人情として成立した、という見方も可能です。けれども、殿堂入りして然るべきチームのレジェンドに、LGD最大の功労者に、「yao先生が弱すぎて優勝出来ない」という恥をかかせるのが、人情なんでしょうか?他に道は無かったのでしょうか?Yao先生が弱いが故に勝てなかった他のプレイヤーのキャリアはどなるのでしょうか?マネジメントとは、勝利を追求するものであって、義理人情で行うものではないと私は考えます。そもそも「2ヶ月もの長きにわたり優勝出来なかった」という理不尽な理由でmaybeをkickしたチームがやることでしょうか。LGDのマネジメントは、この10年間ずっと、世界最悪の地位を維持し続けています。彼等は、でたらめにプレイヤーを強奪し続け、でたらめにプレイヤーをkickし続け、中国が誇る才能を使い捨て、消耗させ続けることが、マネジメントだと思っているのです。

そんなわけで、yao先生は「チームのワーストプレイヤーだから」という理由により、LGDを追われます。当たり前ですね。LGDが昇格させた時点で既に、yao先生はチームどころかトップシーンにおけるワーストプレイヤーだったのですから。



LGDがyao先生をkickしたのはこの1月。LGDが現在のメンバー構成になったのは、今年に入ってから、つまりDAC 2018におけるLGDは、急造チームでした。LGDで変更になったプレイヤーはYao先生だけではありません。

ポジション4プレイヤーの方が貴重であるとの理由から、ポジション3で成功を収めていたfyというプレイヤーがポジション3にスライドするなど、ポジション1と2を除く3つのポジションでプレイヤーが変わりました。

同じポジションでプレイし続けていたのは、ポジション1のameと、ポジション2のmaybeの2人だけ。DAC 2018において、グループステージで低調な内容に終始したLGDが、トーナメントラウンドを迎えるにあたり、ameとmaybeの2人と心中するという戦略を選択したのは、当然の帰趨だったのかもしれません。それを生んだのは決断ではなく、その決断に至までの、世界最悪のマネジメントでした。LGDは、世界最悪のマネジメントのつけを、よりによって自国開催のグランドファイナルで支払わされる事になります。









3,LGDの快進撃

LGDの快進撃は、maybeによって生み出されました。

dota10年の歴史の中で最大の才能を持ち、世界で最もレベルが高く、世界で最もプレイヤー人口が多い中国サーバーで、異次元のプレイを見せ続けた最強プレイヤーmaybe。グループステージで煮え切らない戦績と内容を残してしまったLGDは、全てをmaybeに賭けることにします。そして、maybeは賭けるに値するプレイヤーであり、maybeはその期待に完璧に応えます。

maybeは、"One man dota allstars" miracle-を擁するLiquidを、10キル0デスの完璧なスコアで無慈悲に叩きのめし、"捕食者Ramzes666"を擁する全てを粉砕する5carryのVPを、累計33キルという圧倒的な破壊力で逆に粉砕して見せます。

トーナメントラウンドにおける、世界最強の両者を相手にしたmaybeの戦績は、57キル、23デス、64アシストで4勝2敗。maybeの万能性を調整役として用いようとして失敗に終わったグループステージの結果を見て、maybeをチーム唯一の最強の主砲として用いるという戦略転換を行ったLGDの判断の正しさと、それに応えたmaybeの勝利でした。






ところがです、このLGDの快進撃の裏で、犠牲になったプレイヤーが存在しました。それが、ポジション3のchaliceです。現代のdota2では、ポジション3プレイヤーの地位は相対的に低下しています。なぜならば、現在のdota2は、所謂tankが有利な環境だからです。


tankという概念は、テンセントのLeague of Legendsというゲームが作ったものです。League of Legendsは元々はdotaを作っていた人がdotaを離脱して作ったゲームなのですが、「初心者にわかりやすいゲームを作る」という事を公言し、様々な初心者が"わからん殺し"される要素を弱体化した一方で、初心者にとって遊びやすい要素を数多く導入します。その一つが、"tank"でした。


dotaには存在しなかった、魔法耐性を上げるアイテムを導入し、耐久力が上がるアイテムに様々な特殊効果を付け加え、「どうぞ、耐久力をあげてください!それは、LoLにおいて、強い選択肢です!」という態度を明確にしめしました。

「相手が現れた瞬間に自分は死んでいる」
という初心者が最もゲームを投げ出したくなる理不尽な状況を、ゲームから削除するように努めたのです。tankは、League of Legdensが初心者にプレイを継続させ、世界的に大きな躍進を遂げた、最大の要因の一つです。tankとは、素晴らしい要素です。それが故に、dotaはプレイヤー人口の減少期を迎えるにあたり、あわてて、「私達も初心者優遇します」とばかりにLoLのアイテムを、そっくりそのまま露骨にコピーするという下劣な策を用いて、tankが有利な環境を作り出しました。






そんなtankにも弊害があります。
死ななくなる事です。







死ななくなるとどうなるでしょうか?

tankは、延々と死のリスクを局限まで低下させた状態で、のんびりレベリングを続けます。5分、10分、15分。dotaは長いゲームです。時として20分、25分……。人数をかけて相手にしたら、人数をかけた分だけ損をするので、無視するしかありません。tankは放置されます。ずーっと、レベリングしてるだけです。ずっと、farmをしているだけです。けれども対面に誰もいないとまずいので、誰かを配置する必要があります。誰を配置するでしょうか?それは当然、tankです。tankの対面にtankがいて、1vs1の状況下では、2人とも死ぬリスクは0です。tankは硬いです。火力なんてたかがしれています。dotaのtankは、近年になって慌ててLoLから、形だけパクったものですから、LoLのtankよりも遙かに低い火力しか出ません。ダメージスキルを1つしか持たないtankと、ダメージスキルを1つしか持たないtankが、お互いに「1対1では絶対死なないから、別に囲まれて死ぬなら死んだっていいし」という投げやりな態度で、時々己のハンドスキルの高さをアピールする為にお互いの体力を2割3割削るなどして、ずっとfarmしているだけ。そんな事が許されてしまうのが、現在のバージョンのdota2における、ポジション3です。




以前のポジション3は違いました。
ポジション3とは、相手の布陣を乱すために、真っ先に仕掛ける疾風の矛だったのです。現在のポジション3は、死ぬリスクをが0のまま、対面とだらだらいちゃつき続け、チームファイトの為のtankアイテムを買い進めるだけの、退屈なロールなのです。





だからこそ、LGDは考えました。

「現在のdota2における最も退屈なロールならば、今年になってトップシーンに初参戦した、chaliceという経験の浅いプレイヤーでも簡単にこなせるはず!」それは、大正解でした。LGDはトーナメントラウンドにおいてchaliceに対し、dota2における最も退屈なポジションの中でも、最も退屈で負担の少ない、プレッシャーのかからない役割を割り振り続けます。

その一方で、困難な役割を担当する事になったのは、ameとmaybeという、トップシーンにおける、名声も、実績も、経験も、その他全てを兼ね備えた百戦錬磨の強者。中国が誇る最強のプレイヤー2人でした。maybeは彼が特別な存在であった頃の輝きを取り戻すかのように躍動し、現代シーンを象徴するプレイヤーを千切っては投げ、千切っては投げます。ameはグループステージで担当したDPS所謂アタックダメージキャリーではなく、チームの扇の要としての、飛び道具(所謂initiator)や、チームのバランスを取る為のヒーローなど、様々な役割を担当してはその全てを、世界中他の誰一人として真似出来ない完成度で完璧にこなし、中国server最強の猛者としての懐の深さを見せつけます。

一方その頃、難しい役割を完全に免除されたポジション3のchaliceは、mobaにおいて最も気楽で簡単な、死ぬリスクがなく、死んでも別にいいよという、tankという役割を、黙々とこなし続けます。それは、素晴らしいと書くに値する内容でした。tankは簡単な仕事ではありますが、世界最強のチームを向こうにまわし、簡単な事を簡単に行ってみせるのは、実は案外案外難しいものです。それが出来れば、あなたも私もトッププロです。トップシーンにおいては、僅か3ヶ月ほどの経験しか持たないchaliceは、トッププロとしての資質とクオリティを見せ続けたのです。





ところが、LGDの快進撃が止まります。

世界最強Liquidを打ち負かして勝ち上がった勝者側決勝戦において、LGDは、Mineskiに敗れます。敗因はchaliceでした。









4,シンガポールが世界に誇る変態プレイヤーiceiceice。

トップシーンにおいて、ポジション1から5まで、全てのポジションを務めた事があるプレイヤーを、思い浮かべてみて下さい。dotaを長く見て来た人の頭の中には、幾つものIDが浮かんでは消えるでしょう。そう、消えるでしょう。

何故ならば、そんなプレイヤーは存在しないからです。
血で血を洗うeSportsのトップにおいて、5つのポジションを務めるなんてことは、常人には不可能です。全てのポジションで結果を出すとなれば、それはもはや、神でも悪魔でも不可能です。世界を闇で覆い尽くした、あの魔王kurokyにだって、そんなことは出来やしません。ところが、世界に一人だけ、それを成し遂げた男が居ます。変態です。変態iceiceiceです。


勝者側決勝、chaliceの眼前に一人のプレイヤーが立ちます。
dota唯一にして、dota最強の変態プレイヤー、iceiceiceです。






iceiceiceを擁するMineskiは、LGD戦の必勝法を見いだしていました。それは、chaliceをiceiceiceで潰す事です。他に類を見ない魔術的な器用さと多様性を持つ、変態としか形容の出来ない、酸いも甘いもかみ分けた長いキャリアを持つ、百戦錬磨の変態iceiceiceはLGD戦で、chaliceがこれまで務めてきた役割を、そっくりそのまま乗っ取ります。





Mineskiは、iceiceiceiをchaliceとして用いたのです。

Mineskiはiceiceiceから難しい役割を完全に免除しました。dotaにおいて最も気楽で簡単な、どうでもいい役割を割り振ったのです。死ぬリスクがなく、別に死んでもいいから勝手にやっててという役割を、こともあろうか、あの、iceiceiceに割り振ったのです。dotaにおいて、最も退屈な役割を、他ならぬiceiceiceに担当させたのです。dota2史上最強にして唯一の変態プレイヤーiceiceiceを、chaliceとして扱ったのです。

現在のMineskiが抱える、チーム最強の武器であるiceiceiceに、そんな退屈でどうでもよい役割を割り振って、Mineskiが勝てるはずがありません。けれども、です。そうはなりませんでした。






先ほど述べたように、tankにはtankを当てるのが定石です。鉄板の対応です。どうでもいいtankには、どうでもいいtankを当てて、お茶を濁すというのが定石なのです。他の選択を行うと、高い耐久力を背景とした大胆なレベリングと、リスクとしてのデスを考慮しなくていいtank相手にラストヒット戦で負けてしまい、収支で大きく不利になってしまいます。

「iceiceiceをchaliceとして用いる」という、Mineskiのtank戦略に対して、tankを返します。tankを担当するのは当然chaliceです。けれども、最も簡単なtankヒーローは場に存在しません。何故ならば、Mineskiが1st pickで拾ったからです。

どうでもいい、くだらない、退屈な、猫も喰わないようなヒーローを、Mineskiは1st pickで確保していました。これはLGDにとって、想定外の事態でした。





唯一にして無比たる変態、iceiceice。

そんなプレイヤーの為に、どうでもいい、くだらない、退屈で猫も喰わないようなヒーローを、貴重な1st pickを消費してまで確保するなど、下策の下策、愚の骨頂でした。LGDはMineskiの、あまりにも愚かな自殺行為の愚策を完全に無視します。当然です。





Mineskiの「1st pick退屈なtank」を完全にを完全に無視したプレイヤーは、チーム内の重要なプレイヤーから順番にpickしていきます。chaliceはどうでもいいので、最後に残されました。dotaには切り札としてのlast pickも存在するのですが、Mineskiの愚策を確認出来たからには話は別です。Mineskiの弱すぎる1st pickに対して、強いプレイヤーの強いヒーローを、相手にBANされてしまうよりも前に確保する事がLGDの急務でした。



Mineski対LGDの勝者側決勝。
第一ゲーム、第二ゲームとも、
全く同じpick&ban進行です。


・1st pick退屈なtankをiceiceice。
・それを見たLGDは強ヒーローの確保を急ぐ。
・chaliceはどうでもいいので後回しのlast pick。



そして、第三ゲームが行われる事は終ぞありませんでした。
LGDは0勝2敗でMineskiに敗れ、ルーザーズに叩き落とされます。






5,iceiceiceの勝因。

話は2年ほど前に遡ります。

当時のdotaには、幻の最強キャラクターが存在しました。
それが、「China pub lycan」です。
ようは、中国のパブにおけるライカンです。
バージョンは、7.00。


>>
弱体化 Agility gain from 1.5 to 1
弱体化 Howl mana cost from 30 to 40
弱体化 Howl cooldown increased from 50/45/40/35 to 55/50/45/40
弱体化 Howl mana cost increased from 15/20/25/30 to 30
弱体化 Lycan Level 10 Talent reduced from +20 Damage to +15 Damage
弱体化 Lycan agility gain reduced from 1.9 to 1.5

弱体化 Reduced All Stats modifier from +4 to +2
弱体化 Recipe cost increased from 725 to 800
弱体化 Helm of the Dominator All Stats from 6 to 4
弱体化 Helm of the Dominator creeps now give a constant 125 gold bounty
<<
どのくらい強かったかは、上記の弱体化を見ればわかります。全て、china pub lycanに絡んだ弱体化です。中国のパブの頂点における勝率は、9割程度。他の地域のサーバーでは、強さが知れ渡る前に弱体化されてしまいました。僅か八日間の、幻の最強キャラクターでした。

どういうヒーローだったかというと、ゲーム開始と同時にタンクアイテムを買ってジャングルクリープを手下として使役し、序盤も序盤の段階で、自分のレーンのタワー2本と、midのタワー1本を割ってしまい、ゲームがゲームとして成立するまえに、消化試合に変えてしまうヒーローです。その、幻のchina pub lycanが、iceiceiceの手によって蘇ります。




1st pickでiceiceiceの為に、レーンをベタ押しする為のtankヒーローをchaliceから強奪していたMineskiは、iceiceiceに「別に死んでもいいからレーンをベタ押ししてください」という、絶望的に退屈な役割を担当させます。そのiceiceiceを向こうに回して、手も足も出なかったプレイヤーがいます。chaliceです。chaliceはiceiceiceに手玉に取られる形で、ゲーム開始と同時に「自分が何をすればチームに貢献出来るのか全くわからない」という状況に陥り、その存在が完全に消えてしまいます。

Mineskiのpick&banを見てLGDが選択したのは、自分達の強いプレイヤーに、強いヒーローを確保することでした。「iceiceiceが猫も跨いで通るレベルの退屈なtankヒーロー、即ち弱いヒーローをを選択したんだから、自分達は強いヒーローを確保しよう」という考えです。それにより、chaliceのpickは後回しにされ、ラストピックで「iceiceiceの選択よりも、さらに退屈でさらに簡単なtank」を割り振られます。iceiceiceのベタ押しを、押し返せるだけのヒーローは既に残っておらず、iceiceiceのでたらめさと精密さをあわせもつ、変態挙動に対応出来るだけのプレイヤーパワーをchaliceは持っていませんでした。

そして何よりもchaliceは、自らの陥っている状況をチームメイトに伝える術がありませんでした。何故ならば、DAC2018において、いや、chaliceがLGDに加入して以降、chaliceは「一生懸命頑張ってくれればいい新人」という扱いを受けてきたからです。

「私はiceiceiceにやられている」
「チームにとって深刻な事態に陥りかけている」
「こうしてくれればiceiceiceに勝てる」

ということを、チームメイトに伝えるだけの発言権を、chaliceは持たなかったのです。それは、chaliceの一挙手一投足から、悲しいまでに伝わってきました。LGDの快進撃を陰で支えてきたchaliceは、目の前に隆起する深刻な事態に対して、「これまで通りプレイしていれば勝てる」と自らに頑なに言い聞かせるように右往左往してはiceiceiceに手玉にとり続けられるだけで、第1ゲームが終わってしまいます。それは、あっという間の出来事でした。

iceiceiceは一度も死なず、LGDが誇る最強のmaybeは2キル2デス2アシスト。LGDは、5人全員が、ゲームをプレイする事なく、席に着いただけで敗北します。





iceiceiceはその為にドミネーターというアイテムを用いました。プレイヤーとしての能力に問題があり、失敗しているプレイヤーが、その失敗を補う為に、自分ではなくチームメイトに活躍を託す為のアイテムである、ドミネーターというベタベタなメタアイテムを利用して、LGDにゲームをさせることなく2キル0デス9アシストの内容で完勝します。

現在のバージョンにおいて、トップシーンにおけるドミネーターは、購入すると勝率が10%下がるアイテムです。世界中のプロチームのほとんどは、チーム内にうまくいっていないプレイヤーを抱えており、そのうまくいっていないプレイヤーが購入するアイテムです。世界最強レベルのプレイヤーを抱えるチームは、ドミネーターを購入しません。

たとえば、Liquidのmind_controlという世界最強のポジション3は、ドミネーターを購入しません。EGのSumaiLという昨年の夏までは世界最強のmid lanerだったポジション3は、ドミネーターを購入しません。5carryで全てを踏みつぶす世界最強VPのポジション3である9pasは、ドミネーターを購入しません。世界最強のポジション3になるはずだったyangという中国で最も刺激的なポジション3はドミネーターを購入しません。世界最強EGを支え続けた現FnaticのUniverseというかつての世界最強ポジション3は、ドミネーターを購入しません。

ところが、世界中の、ほとんどのチームには、最強のポジション3なんて居ません。ドミネーターという、退屈でくだらない、勝率が10%下がるアイテムに頼らなくていいポジション3は、世界中探し回っても、ほとんど存在しないのです。

かつてトップシーンにおける勝率が30%台に落ち込みながらもpickされ続けたundyingやrasta、Jakiroやbatなどと同じように、失敗しているプレイヤーが頼り縋って買うアイテム、それがドミネーターなのです。なお、全てを踏みつぶす5 carryの世界最強VPはドミネーターを誰も買いませんが、同じ世界最強のLiquidはドミネーターを買います。Liquidでドミネーターを買うのは、ポジション1で勝てないから2に行き、2でも勝てないから1&2手兼任となっている、マツンバマンです。Liquidのポジション3は世界最強のポジション3なので、当然ドミネーターは買いません。







さて、iceiceiceはどうでしょうか?

ドミネーターを購入する事で勝率が10%下がる世界最強プレイヤーでしょうか?それとも、ドミネーターを頼り縋って買う事で、勝率が5%上がる平凡なトッププロでしょうか?こたえは、既に、あなた方の頭の中にあります。そうです。変態プレイヤーです。dota16年の歴史の中でただ一人、変態という言葉を持って形容される、唯一にして無比なる変態。それが、iceiceiceです。


「的確な行動をすれば、的確な行動をするだけリターンを得られるヒーローを担当すれば強くなる」というのが、トップシーンにおける最強プレイヤーです。iceiceiceは違います。常道を外れた挙動を行うことで、相手を手玉にとるタイプのプレイヤーです。純粋な最強プレイヤーではありません。

ドミネーターは、ジャングルクリープを自らの手下として使役する事が可能になるタンクアイテムです。dota2には、ジャングルクリープを自らの手下として使役する事が出来る、chenというヒーローが存在します。そのヒーローを、トップシーンで使った経験を持つポジション3は、iceiceice以外に存在しません。





全ての点が、線で繋がりました。

iceiceiceは常人ではありません。世界中にその名を馳せた最強プレイヤーが担当すれば、弱くなるであろう退屈で消極的な選択肢を担当しても、弱くならないという、特殊なプレイヤーだったのです。iceiceiceがchaliceを相手にして行ったプレイは、それまでLGDが快進撃の中で使ってきたメインタクティクスでした。LGDのメインタクティクスである「ポジション3に簡単でプレッシャーの少ない役割を」というtankタクティクスは、現在のバージョンにおいて非常に有り触れたものです。そして、先ほど述べた世界最強のポジション3プレイヤーらは見向きもされない、二線級の消極的な選択肢です。

何故、そんなものにLGDは敗れたのか。






属人性。
その一語に尽きます。
シンガポールが世界に誇る変態プレイヤー。

けれども、勝者側決勝は1本先取ではありません。
2本先取です。

まだ終わっていません。
自国開催のDAC2018において、世界最強の2チームを共に撃破するという、破竹の快進撃を見せ続けたLGDには、まだ後がありました。









6,LGDが頼った先。

勝者側決勝の第二ゲーム。

Mineskiのpick&ban進行は、第1ゲームと全く同じでした。iceiceiceに、LGDの快進撃を陰で支え続けたchaliceがやっていた退屈な役割を割り振ります。それに対して、LGDのpick&ban進行もまた、第1ゲームと全く同じものでした。LGDは、自分達の持てるpickの中で、最強のpickを選択し続け、chaliceを除く4人に、最強のヒーローを割り振ろうと、BANされそうな所から順にpickしてゆきます。最後に残されたのはポジション3、chaliceでした。


last pick。
プレイヤーはchalice。
LGDの選択は、バットライダーでした。

この瞬間に勝敗は決していた、というのは些か大げさでしょうか。
第1ゲームにおいて「tank vs tankでは、iceiceiceというdota仙人に新人chaliceが手玉に取られて負けてしまい、ゲームが成立しない」という事実を冷静に分析し、chaliceにtankではない役割を任せました。それが、バットライダー。

バットライダーはtankではありません。DAC2018において快進撃を続けたLGDにおいては、ameとmaybe、さらには後衛の2人のプレイヤーが分担して持ち回りで担っていたイニシエーターという役割です。

chaliceは、その役割を、合格点でこなしたと言えるでしょう。ただし、それは決して絶賛に値するという内容ではなく、合格点にしかすぎませんでした。そしてなによりも、現在のバージョンは、dota2が安易にLoLのtankアイテムをインフレさせた上で完全コピーする形でパクった事によって生み出されてしまった、tankメタだったのです。batはタンクではなく、iceiceiceはタンクでした。




属人性。
「これがiceiceiceでなければLGDは勝てていた」

勝者側決勝を見終えたとき、わたしはそう、思ってしまいました。それは、iceiceiceが居なければMineskiは敗れていたという事を意味します。かつて所属していた中国のViciというチームにおいて、造反という言葉を持って言い表された尋常ならざる低迷を見せ、チームを解散に追い込み、中国の栄光と中国の未来を闇に葬った、中国の仇。中国の大敵。そんなiceiceiceは長い低迷を脱し、復調傾向にありました。そのiceiceiceが、復調ではなく、復活を成し遂げてしまった。遂に、あの男が蘇ってしまった。わたしはそう思い、私はそう喋りました。「iceiceiceが居たからMineskiは勝った」

それは、世界中のトップチームにまばらに存在する、片手で数えられる程の、精密で繊細なプレイが可能で、リスクとリターンを常に頭に入れて正しいプレイを選択しようと試みる、幾人かの特別な才能を持つ世界最強を争うポジション3プレイヤーよりも、人を喰ったような行動を選択しては、相手を煽る課金エモートを打ち鳴らしながら当然のように頓死していくという、常軌を逸した不可解で意味不明な行動を繰り返すiceiceiceの方が、dotaというビデオゲームにおいては強いということなのです。

そうです、あの男が蘇ってしまったのです。
DK dream teamの最強プレイヤー、変態iceiceiceが。












7,グランドファイナル。

けれども、LGDは終わっていませんでした。

何故ならば、LGDは敗者側決勝において、5carryで全てを踏みつぶしてきた世界最強VPに対して、2勝1敗で勝利して、中国を歓喜と熱狂で包み込みながら、グランドファイナルへと舞い戻ってきたからです。グランドファイナルは3本先取。Mineskiの手の内はばれています。1日夜を跨いで、対策を考える時間も十分にありました。グランドファイナルの初戦、LGDはMineskiに勝利します。膠着した試合展開を打ち破ったのは、ameとmaybeという、LGDの二枚看板でした。それにより、Mineski対LGDにおける、変態iceiceiceの属人的な強さという現実と併走する、もう一つの現実の存在が浮かび上がります。

その現実とは、LGDのポジション1とポジション2が、Mineskiのそれよりも遙かに強いという、揺るぎがたい現実でした。Mineskiのポジション1とポジション2は、弱かったのです。そして、LGDは、他ならぬそこが強かったのです。








初戦、mobaはハックアンドスラッシュです。
レベルを上げて、物理で殴るゲームです。

ポジション1(所謂ADC)と、
ポジション2(所謂solo mid)のゲームです。


サブアカウントで格下の相手に得意気に勝って配信で稼ぐ、元プロプレイヤーを見て下さい。みんな、ポジション1かポジション2をやりたがります。mobaとはそういうゲームです。「自分の力で勝ちたければ1か2をやりましょう」と、まるでハウトゥーのように書かれています。

即ち、LGD 対 Mineskiの勝負の行方は定まりました。
ポジション3で勝るMineski。
ポジション1と2で勝るLGD。
LGDが勝つのは自明の理です。

第1ゲームにおいて、LGDはそれを証明します。

一晩かけてLGDが考えたpickは、maybeとameの2人が、レベルを上げて物理で殴るという、ガッチガチのハックアンドスラッシュ戦略でした。初戦ハクスラというのは、攻撃力と攻撃速度とアーマー低下を重ねて相手を殴るのが最強という、単純なゲームのジャンルなのです。そして、mobaとは、RTSという複雑なゲームではなく、単純なゲームをやりたいという人々の欲望によって、その隆盛を極めたビデオゲームの1ジャンルなのです。



ameは8キル1デス。
maybeも8キル1デス。

中盤まで一見すると硬直していたかのように見えるゲーム展開は、ameとmaybeの両者が後半戦用の武器を手にした瞬間に崩れました。太古の世界最強チーム、DK dream teamの最強プレイヤー、変態iceiceiceが完全復活だなんてのは、ただの幻だったのです。世界中が騙された、幻覚であり、ただのボタンの掛け違え、サイコロの出目が悪かっただけなのです。もちろん、嘘です。








続く第二ゲーム、LGDは何も出来ずに敗れます。

LGDの敗因は明確でした。


maybeです。
何故、maybeが「天下を取り損ねた男」なのか。
何故、maybeが天下を取り損ねたのか。



それは、maybeはその長いキャリアの中で、常にライバルの存在せぬ、無敵の存在だったからです。maybeが獲るはずだった天下を、盗み去り奪い取り見る者全てを絶望させた"絶望の化身"の異名を持つArteezyと比較しても、maybeは圧倒的に優れたプレイヤーでした。少なくとも、レベルを上げて物理で殴るというゲームにおいて、maybeの勝負勘とハンドスキル、さらには操作ミスをする確率の低さや、的確に相手を殺し続けるマップ上の大きな挙動など、dotaにおいて優れたプレイヤーを構築する全ての要素において、maybeはArteezyを凌駕していました。

Arteezyがmaybeに勝っていたのは、死に続けるセンスと、マップ上を逃げ回るセンスだけ。もちろんそれは当時のバージョンにおいては決定的なセンスであり、「逃げ回るセンスと死ぬセンスによってチームを勝利させるArteezy」という時代を嫌がったvalveのpatchによってArteezyの時代は終わりを迎えます。





"純粋な強さ"という単語が何を意味するのかを僕は知りませんが、"純粋な強さ"においてmaybeは、天下を取り損ねてなお、圧倒的なものを持っていたのです。けれども、それも、過去の話です。遠い昔に過ぎさった、むかしむかしのお話です。valveのpatchによってArteezyの時代が終焉して幾年月。もう、随分と前から、maybeは圧倒的なプレイヤーではありません。極めて平凡な世界最強プレイヤーの一人です。





maybeが圧倒的だった時代は遠い昔に終わりました。けれども、maybeが圧倒的だった時代は、あまりにも長すぎたのです。それ故に、maybeは今も尚、「自分は触れようとする者全てを破壊する、圧倒的なプレイヤーである」という振る舞いをします。その振る舞いは「maybeは雑である」という表現を持って言い表す事が可能です。



自分がいいプレイをしなければチームが負けてしまうという場面においても、maybeは普段通りのプレイをします。他の素晴らしいプレイヤーならば、最悪の事態を想定して、自分が不利な状況に陥る事で招いてしまう敗北の可能性を、1パーセントでも減らそうという挙動をとります。けれどもmaybeは違います。それはまるで暇人が、暇つぶしの為にゲームをしているかの如く、「来るなら来れば?」というポジションを選択し、挙動を選択し、チームの勝利の事など気にもかけません。

もちろん、maybeだって勝ちたいでしょう。
真剣に勝利を追い求めているでしょう。

けれども、maybeの体の中には、触れようとする相手を全て破壊する事が出来た時代の感覚が、血となり肉となり染みついているのです。そして、それが、よりによってグランドファイナルの大事なゲームで顕在化してしまいます。チーム一丸となって、チームオーダーを組む事によりmaybeにキーアイテムを入れたLGDは、maybeがキーアイテムを抱えて、雑に(雑にとしか形容出来ない形で)頓死し続ける事で、何も出来ずに敗北します。


「LGDのポジション2maybeは、Mineskiのポジション2のnanaよりも遙かに強いからLGDが勝つ」。そんなものは、卓上の空論でした。それを成し遂げられるのは、あの頃のeSportsシーンにおけるmaybeであり、2018年のeSportsシーンは、あの頃よりもずっとレベルの高い、血で血を洗うビッグビジネス。大Eスポーツ時代なのです。

















1勝1敗で迎えた第3ゲーム。

ame、9キル1デス9アシスト。
maybe、9キル2デス10アシスト。

所詮mobaはハックアンドスラッシュ。
レベルを上げて物理で殴るゲームでした。
maybeのワンパンでMineskiは消し飛びます。



話は少し遡りますが、0勝2敗でLGDが敗れた勝者側決勝において、LGDは2ゲーム共にGyroというヒーローをpickします。gyroは、DAC2018が始まった時点において、トップシーンにおいては最強のヒーローだというのが、衆目の一致するところでした。そんな強キャラクターであったgyroですが、グループステージ初日終了後のpatchによって、致命的な弱体化を喰らっています。LGDは勝者側決勝で、2ゲーム続けてgyroを選択して敗れた事で、敗者側決勝とグランドファイナルの8ゲームでgyroをpickしませんでした。この大会において、幾つかの強豪チームが「大会の為に一生懸命gyro戦略を仕上げてきたんだから、大会期間中にpatchで弱体化されても、使うしかない」という形でgyroと心中して散って行きました。返す返すも、酷い大会でした。DAC2018において、gyroを使って勝てたチームは、たったの1チームだけでした。Mineskiです。












8,maybe対maybe。

ここに、最悪の現実がありました。
このグランドファイナルは、maybe対maybeだということです。
maybeが雑ならばLGDは敗れ、maybeが普通ならLGDが勝つ。


強さとは、属人的なものです。

藤井六段は強いから藤井六段は勝利し、羽生結弦は強いから羽生結弦は勝利するのです。それはチーム競技においても同じです。クリスティアーノ・ロナウドが強いからマドリーは勝利します。一定のラインを超えたとき、どのような競技も極めて強い属人性に陥ってしまいます。DAC2018の敗者側決勝がiceiceiceによってはじまり、iceiceiceによって終わったのと同じように、グランドファイナルはmaybeによってはじまり、maybeによって終わる。その、はずでした。


勘のいい読者ならば、もう、おわかりですね。
グランドファイナルの第四ゲームになってはじめて、Mineskiには、その名を思い出したくもない、一人のプレイヤーが存在していた事を、否が応でも思い出さざるをえないpick&ban進行が発生します。パンゴリラです。iceiceiceです。DAC 2018において、唯一勝利したポジション3のパンゴリラです。DAC2018において、3勝7敗だったパンゴリラで、一人勝ちしたiceiceiceです。グランドファイナルは、maybe対maybeなどではなかったのです。DAC2018のグランドファイナルは、Mineski対LGDでした。


DAC2018。
それは、幾つかのあっけない局面と、幾つもの残念なpatchの影響を抱えながらも、歴史に残る壮絶な死闘でした。そして、変態iceiceiceが世界に向けて、完全復活を宣言する為の大会であり、変態の為の変態による変態の大会でした。それは、ある視点においては、大会期間中のpatchにより台無しにされた、あの闘劇や、あのti、あるいはあのマニラにも匹敵する、eSports史上最悪の大会でした。



第四ゲームにおいて、圧勝した第1ゲームと全く同じpick&banを試みたLGDの消極的なpick&ban戦略は、変態iceiceiceにパンゴリラを信じて託すというMineskiの勇敢さの前に敗れ去りました。


Mineskiの弱いポジション1がLGDによって完全に潰され、中盤も半ばを過ぎてもノーアイテムという惨憺たる内容の中で、iceiceiceは最悪のケースを想定して自らがADCする選択も視野に入れながらもLGDを一人で翻弄し続ける事により、完全に4人対5人のゲームになってしまったゲームにおいて、4人しかプレイヤーが居ない側のMineskiに小さなそれでいて確かな勝利をもたらし続け、iceiceiceが積み重ねたナイスプレイの塵の山が、巨大な雪崩となってLGDを飲み込んで行くこととなります。

Mineskiには信じられるものが常にあり、
LGDは信じられるものを失いました。






DAC2018で、不滅に思えた世界最強Liquidと世界最強VPの両雄を共に打ち破ったLGDは、その貴重な勝利の中で、chaliceというプレイヤーから、自立自尊の精神を奪ってしまっていました。3本先取のグランドファイナルにおいて、優勝に王手をかける2勝にまでは辿り着いたLGDでしたが、優勝に必要な3勝目は、遠く遠く、見果てぬ夢でした。




世界最強VP相手の3戦。
世界最強Liquidとの5戦。
対Mineskiの2日にわたる6連戦。

LGD最強のgyroという選択も大会期間中のpatchと勝者側決勝の2敗によって消えてしまっていました。LGDの矢玉は、完全に尽きていました。矢玉が尽きたLGDが頼り縋ったのは、強そうなヒーローです。それは、中国が最後にThe Internationalで優勝した際の、最終ゲームのヒーロー。もはや神話となった跳刀跳刀に率いられた、あの栄光のWingsが、The Internationalのグランドファイナル最終ゲームで用いたヒーロー。LGDの脳裏には、あの瞬間の中国全土を熱狂させる歓喜の渦が蘇ってしまったのでしょう。

そのヒーローとは、中盤と終盤の境目である35分~40分という短い時間帯において、圧倒的な強さを発揮する、繊細で儚い、それでいて強烈な強さを持つ、ミッドレンジcarry、アンチメイジでした。けれども、それは、儚いものです。アンチメイジとは、強く儚いものなのです。

chaliceのpickを見てから、iceiceiceが後出しじゃんけんを行うというpick&ban進行が行われた第五ゲームにおいて、そのような儚いヒーローが勝利を収められる可能性は存在していませんでした。ameのアンチメイジは一度としてゲームの糸口を掴むことが出来ず、LGDはameと共に沈んで行きます。天に輝いたのはMineskiの旗。











藤井六段には藤井六段が居るが故に藤井六段は勝利し、羽生結弦には羽生結弦が居るが故に羽生結弦は勝利し、ウサインボルトにはウサインボルトが居るが故にウサインボルトが勝利するのと同じようにMineskiは、iceiceiceが居るが故に勝利し続け、優勝を成し遂げました。

DAC2018は、「Liquidにはmiracle-が居るが故にLiquidが優勝した」となるはずの大会でした。DAC2018は、「VPには捕食者Ramzes666が居るが故にVPが優勝した」となるはずの大会でした。そうはなりませんでした。dota 10年の歴史の中で断トツの才能を持った、あのmaybeを以てしても、そうはなりませんでした。

蘇ったのです。
あの男が、蘇ってしまったのです。




iceiceice。
Mineskiのポジション3。
それは、シンガポールが世界に誇る変態プレイヤーです。














9,追記せねばならないこと。


さて、書き漏らしてしまった重大な事実が幾つかあります。
まず第1に、Mineskiのポジション5は、世界最強プレイヤーであるということです。Mineskiのポジション5はninjaboogieというプレイヤーなのですが、この人は極めて平凡な、ローカルレベルのプロプレイヤーでした。東南アジアにおいてでさえ、平凡なプレイヤーだったのです。実際に、Mineskiの2ndチームを一瞬でkickされるなど、チームを転々としています。現在のMineski以前に、ninjaboogieが最も世界大会に近づいたのは、raveに所属していた時だと思いますが、ビザが出ずに出場を辞退するなどして、大きな結果を手にすることが出来ずに終わっています。

そんなninjaboogieですが、現在のMineskiに加入して以降の内容は特筆に値するもので、DAC2018以前、もっというと、iceiceiceが復調するよりも前から、ninjaboogieに関しては「世界的な名手に劣らない内容を残している」と言い続けて参りました。



さらに、Mineskiのポジション4は、造反レベルの低迷により中国を追われたiceiceiceが自分のチームを立ち上げるにあたり、Twitter公募によって獲得したjabzというタイのプレイヤーであり、世界では1勝も出来ず、アジアでは1敗もしないという、私達東南アジアサーバーのプレイヤーが頭を抱える、最弱の最強チーム「アジア無敵のfaceless」というチームでポジション2を務め、世界では1勝も出来ないが故に煮詰まりに煮詰まり煮詰まりすぎて、アジアでは無敵だったにも関わらず、ポジション2(solo mid)から、ポジション4(サポート)へと転向し、遂に念願の世界初勝利をあげた人です。世界シーンにおけるfacelessは、世界初勝利をあげたというだけで解散してしまいました。facelessは少なくとも、アジアでは無敵だったわけで、その中核プレイヤーであったjabzは当然ですが素敵なセンスの持ち主で、素晴らしいプレイヤーです。

MineskiのDAC2018優勝は、ninjaboogieとjabzという、世界のどのチームと比較しても決して劣ることの無い、世界最強レベルのバックラインによって、成し遂げられたという事実だけは、追記しておかねばなりません。散々書き散らかした後に言うのは気が引けますが、dotaは一人では勝てません。全体的には苦しい部分もありましたが、ポジション2のnanaもまた、「完璧な」と形容したくなる、幾つかの素晴らしいリプレイを大会期間中に複数残しています。



Mushi、iceiceice、nana、ninjaboogie、jabz。
この4人には共通点があります。

それは、最強チームでプレイした経験を持つということです。
そして、誰一人として、mineskiが見出したプレイヤーではありません。

LGDの「yao先生に対する人情人事」とはかけ離れた、真のeSportsチームによる、正しいお金の使い方、自分達の将来に対する投資こそが、Mineski優勝の裏には存在します。良いマネジメントが、悪いマネジメントに勝った。そんな事実も残るのです。大会期間中のpatchにより、味噌がついてしまいましたが、その味噌を振り払えるかどうかは、これからのMineskiにかかっています。少なくとも、Mineskiには世界的な名手が所属しています。そして、Mineskiに所属している世界的な名手は一人ではありません。それが4人なのか、あるいは5人なのか、はたまた3人であるかというのは、またいつか、どこか見果てぬ場所で、語り明かそうではありませんか。三途の川を渡ったあたりで。
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//なお、途中数字が入るべきところがxとyになっていると思いますが、昨日秀丸エディタが初期設定のままだとバックアップをとっていないせいで、草案と、資料用のデータと、序盤のテキストからなる11000字のテキストファイルが吹っ飛んだせいです。追って数値いれます。流石に今日はデータ取り直す気力ないです。ごめんなさい。

2018年4月26日木曜日

国分太一の福島と、パブロ・エスコバルの慈善事業。

山口達也が強制猥褻で送検されるや否や、国分太一がテレビの生放送で福島を語り始めた。これが日本の慈善事業であり、日本のマスメディアである。

慈善事業を行った著名人の中に、パブロ・エスコバルという人物がある。慈善活動によりエスコバルは名声を手にした。エスコバルは麻薬王でこそあったが、エスコバルは人民の救世主であり、エスコバルは人民の英雄であった。エスコバルは自らの身に 不祥事が降りかかる度に、慈善活動によって築き上げた名声を、自らの盾として用いた。エスコバルにとっての慈善活動とは、盾であった。慈善活動は彼にとって、暴力と同じくらいに重要な盾でありつづけた。

我が国においても、阪神大震災の時に山口組が、というのはよく語られる話である。慈善事業は悪事を働く者にとって最強の盾の一つであり、突如として身に降りかかる不祥事をおさめる為の最大の武器である。慈善事業とは人が平時に築くことが出来る城であり、石垣であり、堀である。慈善活動とは、ダメージコントロールなのだ。

であるからと言って、慈善活動を行うものを指して、「あいつは盾を積み増ししているだけだ」というのは間違いである。残念なことに、どの国の政府も、その巨大さや様々な制約が故に、多くの場合、常にどこかが不完全である。世界中のどこにでも、誰かの善意なしに、強いて言えば慈善活動なしには、成り立たない人々の暮らしがある。

震災の例をあげずとも我が国は、第2次世界大戦後、アメリカの慈善活動によって立ち直った。たとえばそれが、アメリカにとって、盾を積み増しする為の行為にすぎなかったとしても、それはそれ、これはこれである。純粋なる慈善活動などというものは存在しない。誰もが利益の為に生きている。

では、歓迎すべき慈善活動、あるいは見過ごすべき慈善活動と、ただの盾の積み増しである慈善活動、ダメージコントロールの為の邪悪な慈善活動を見分けるにはどうすればいいのだろうか。それは、不祥事が起こるのを待つ事である。気分の良い話しではないが、不祥事が起これば、それが慈善活動であったのか、あるいは私利私欲の為に盾を積み増していただけなのかがわかる。

真の慈善活動家は、身に降りかかる不祥事に、慈善活動で得た名声の貯金を用いない。自らが窮地に陥った際に、それまでの慈善活動に関して触れ回らない。



さて、国分太一はどうか。
いえ、TOKIOはどうか。
正確には、ジャニーズはどうか。






明確である。

メンバーという得体の知れない呼称をマスメディアに強制するジャニーズ事務所は、山口達也の不祥事が起こるやいなや、国分太一をテレビの生放送に送り込み、「福島が」「福島が」と得意気に繰り返させた。

ジャニーズにとっての慈善活動とは盾であり、TOKIOにとっての福島とは盾である。彼等がこの日の為に一生懸命築き上げた、自らの私利私欲の為に積み上げた、最も使い勝手のよい、不滅の無敵の盾である。

不祥事が起こるや否や福島を、自分達の身を守るための無敵の盾として利用するジャニーズ事務所は、我が国にとって最も忌むべき存在の1つであり、言うまでも無くTOKIOは、福島を自らの保身の為に都合良く利用する、福島の、そして私達日本国民の敵である。

デスクトップが汚い

 デスクトップが汚い。2820*1080の広大な空間が、得体の知れないファイルとショートカットで溢れている。モニタの中央ど真ん中にある、「コリコリがコリだなー.txt」というわけのわからないファイルをクリックしてみると、中身は空。このファイルを作った時の自分がいったい何を考えていたのか、サルベージすることはもう出来ない。

 デスクトップはいつからか、僕が自由に出来る空間では無くなった。行き倒れた夢や、膨らみ続ける怒りで溢れて、デスクトップは破裂している。かつては夢や希望といった言葉で言い表されていた何かが、正当性だけを残した他の何かに化けて溜まり、木工用ボンドが入ったシャボン玉のように、粘りを持った膨らみとなっては割れて落ちては膨らんでくる。

 人生と同じように、デスクトップも自由にならない。インターネットに繋がっている限り。いいえ、インターネットに繋がらなくとも。諦めで満たされた日常からは、文章を纏める体力も生まれない。何も自由にならない。デスクトップも、ブログも、自分の感情も。ただぼんやりと眠たい。眠る理由は別にない。生きる理由は無論無い。汚いデスクトップを綺麗にしよう。

2018年4月25日水曜日

わたしには夢がある。

夢を叶える為に努力をするのは素晴らしいことだと思い込んで生きてきた。それ故に夢を持たない自分自身を好きになれなかったし、夢のために努力をしない自分が嫌いだった。その困難さや複雑さこそ違えど、誰にでも夢があって、いつか夢が叶えばいいなと願いながら生きている。それが人間なのだろうと思っていた。人っていうのは、そういうものだと。だからこそその範疇に居ない自分自身は、不完全で人に満たない出来損ないの人間なのだろうと思っていた。ふと、自分には壮大な夢があることに気がついた。私には夢がある。そして僕は困ってしまった。果たして僕は夢を叶えるべきか。夢を叶える為に一心不乱の努力をすべきか。それとも、夢を鼻で笑い小馬鹿にし、「そんなものは夢のうちには入らない」などと嘲るべきか。

この世界は否定する言葉で溢れている。誰かが夢を語ればそれを鼻で笑い、そんなものは夢のうちには入らない、それは社会では妄想というんだと叩きつぶされる。誰かが努力を誇ればそんなものは努力のうちには入らない、俺がおまえくらいの歳のころには、と雄弁に語り出す。僕が果たしてするべき事は、それらと同じように自らの夢を鼻で笑い、はなから否定することなのだろうか。それとも、一心不乱に夢の実現の為にあくなき努力を続ける事なのだろうか。

夢を叶えれば世界は変わる。当たり前の事だ。どのような些細で小さな夢も、それが叶えば世界が変わる。何も変わらず全てが永遠に変わらないであって欲しいという夢すらも、もしも叶ったならば世界が変わる。夢なんて叶えなくたって、あなたの世界は変わっていく。そして、夢を叶えれば世界は変わる。多くの場合は、劇的に変わるだろう。少なくとも、夢を叶えないという生き方を選択した場合よりも、遙かに満たされた人生が待っている。

漠然と、夢を追いかけないという生き方に憧れる。夢を追いかけないことで、夢は永遠に夢のままで維持される。わたしには夢があると、永遠に語り続けられる。それだけで満たされるならば、それでいいとおもう。それだけで生きていけるならば、それでいいと思う。世界には、そういう人が大勢居る。夢を追いかけなくても生きていける人達。けれども僕は彼等とは違う。生きていける見込みも無いし、生きていくつもりもない。夢を追いかけないという選択をとる余地はない。わたしには夢がある。必ず叶えてみせる。その為に努力を、一切の言い訳をせぬ、不断の努力を。