2012年5月30日水曜日

気力体力が尽きる時間

寝て起きてから2時間半弱。
寝て起きて何か食べれば3時間弱。

寝て起きて、のハードルが高い。起きていると眠る気力が無くなるし、寝ていると起きる気力がなくなる。よって、起きている時間も、寝ている時間も、ともに膨張し続ける。その煽りを受けて"寝て起きてからの2時間半"は減少し続ける。寝て起きて、と言ってもどのような"寝て起きて"でもいいわけではなく、ある程度綺麗に"寝て起きて"しなければならない。

23時間起きて3時間寝ました、さあこれが待望の"寝て起きて"ですよ!と言われても、どだい無理。そこからさらに11時間横になって、今度こそ本当の"寝て起きて"ですよ!と言われてもだるくて生きる気力がしない上に散発的なプチ頭痛。

単純に"寝て起きて"が減少し続けているだけではなく、"寝て起きて"自体のクオリティも低下し続けている。睡眠の質が低いのが原因ではなくて、起きている時間の質が低いのが諸悪の根源。そこをよくすればとは思うけれど、それが不可能である事くらいよく理解している。ボタンを押せばきっかり1時間眠れる機械とかあればいいのに。5時間も6時間も眠ったりとか、時間の無駄だ。時間の無駄という単語をタイピングしていると、違和感が騒めいてとてもうるさい。いいこと、ないな。

2012年5月28日月曜日

70時間ください。

70時間ください。
私に70時間ください。
あなたの70時間ください。

テレビを見たり、目を瞑ったり、手を叩いたり、そんな風にして消えて行く時の切れ端をわたしにください。たった70時間わたしにください。70時間あれば超えられる壁があるのです。70時間あれば辿り着ける道があるのです。dota allstarsにして90ゲームぶん、たった70時間わたしにください。掌に爪を軽く刺して、その上に折った肘を乗せて、うっぷして過ぎていくそんな時間を、どうかわたくしに恵んでください。失われていく時間をください。すり潰さずにわたしにください。少しでいいから譲ってください。たった70時間、ほんの70時間でいいのです。私に時間を譲ってください。そんな風に、冷たい目をしてだるそうに、口を開けたままでちらちらと、軽蔑しながら見ないでください。お願いだから、信じてください。私の願いを信じてください。溜息ばかり、くたびれてばかり、傷ついてばかり、挫けてばかり、わけもなく心を乱してばかり、そんなあなたの無量の時間を、ほんの少しだけ私にください。チャンスをください。わたしにください。70時間を頂けたなら、私は必ず無駄にはしません。一分一秒大切に、捨てる事なく使い切ります。だから、信じてください。私の未来を信じてください。馬鹿にしないでください。見下さないでください。お願いだから、わたしにください。70時間ください。わたしにください。

「ベルギーで午前7時に放送された性教育番組」の真意はどの辺にあったのか。

あの動画はどのような意図で制作されたのか。

Neveneffectenはシーズン1の放送が2005年、シーズン2の放送は2008年。あのコントが流れたのは、2008年の12月26日に放送されたシーズン2のラストエピソード。「飛び散るだけ飛び散って何も残さない」「大地に染みこんでいく」というコントは、彼ら自身の隠喩。「出し尽くして種が尽きた」「十二分に気持ちよくなったが、もうこれ以上は気持ちよく無い」というのもまた、彼ら自身の暗喩。断片だけを切り取ると、制作者の意味が全く伝わらないという事を示した例。物事は文脈が全てなんだよ。意味は文脈にこそ宿るんだ。断片だけ切り取っていい気になる為のツールであるtumblrとかいうウェブサイトを使っている奴らは全員屑であり社会の敵であり害悪なので今すぐ死ね。1人残らず死んでしまえ。




なお、彼ら(彼らは4人組みです。)は、あのコントで明示されたように、種を全て撃ち尽くして、しなびて終わってしまったわけではなく、あのコントで暗に示されたように、再びエレクチオンしたらしく、wikipedia(nl:wikipedia)によると、彼らの新番組は2011年の1月から2月にかけて放送され、6エピソードで平均視聴占拠率42%。

それと、あのコントが役者を用いた形のコントではなく、CGアニメーションだったのは彼らのリーダー格のJonas Geirnaertが、ゲント王立美術アカデミーで学んだアニメーター/漫画家だったから。彼が制作に大きく関わったショートフィルムは幾つかの賞を取っているようだ。

大切ではないものを捨てる事について。

大切なものだけを保持し、それ以外のものを捨て去り身軽になる事は、正しい術であると思う。けれども、どんなに大切なものであっても、気をかけて大切にし続けないと、色褪せてしまうという事を忘れてはならない。どんなに大切なものであっても、少し目を逸らした間に大切なものではなくなってしまう。

大切なものを両手に抱え、「これは大切ではないから」とゴミ箱に放り込んでいるあなたが今捨てているものは、かつて大切だったもの。そして、今も大切であったはずのもの。将来にわたってあなたの役に立ち、あなたを支える大切な何かだったもの。

大切でなくしたのはあなた自身。
それを汚したのはあなた自身。
大切にしなかったあなたのせい。

今現在手元にあるものを、「これは一生色褪せないから」と安心しきって抱きしめているけど、それだって、毎日大切に埃を払って磨かぬ限り、あっというまにくすんで、しなびる。大切ではないものを捨てるかどうかなんて、どうでもいいこと。肝心の事を忘れてはならない。

大切なものを大切にしよう。
大事なものを大事にしよう。

2012年5月27日日曜日

また日曜日。

眠いのは眠っていないせいだし、だるいのも眠っていないせい。眠らないのは眠りたくないからで、眠りたくないのは眠ったところで元気になるばかりだと知っているから。元気になったところで、何もよくならないと知っているから。好きな人がいないのは誰かを好きになろうとしていないからで、愛されないのは愛されようとしていないから。生まれてきたのは前世の行いが悪かったからで、毎日が上手くいかないのは当然の報いを受けているから。幸せじゃないのは幸せになろうとしていないからで、支離滅裂を口走るのは眠たいから。眠たいのは確か、眠っていたのにすぐ起きたからで、せっかく眠っていたのにすぐ起きてしまったのは、眠っている気力を失ってしまったから。口を閉じる事が出来ない。大きく息を吸う事も出来ない。気紛れで移り気な、埃塗れの部屋の空気が、僕の胸元をウインドウショッピングしては立ち止まることすらなしに死んだ目で視線を寄越して帰って行く。窒素酸素の一粒までにも、幸せな家庭があるんだろうな。あったかい布団で眠るんだろうな。

2012年5月26日土曜日

右から左にデマを拡散する人達

ロケットニュースというゴミサイトがまたデマを撒き散らしてるよ。

2012年5月25日金曜日

眠り続ける強い意志

頼るものなく生きていると、諸悪の根源を意志に求めるようになる。自分は意志が弱いから何もできないのだ、そして意志があれば何でもできるのだと思うようになる。前向きに、進歩的に生きるには、意志こそが一番大事なのだと思うようになる。ところが、意志は往々にして無力である。どのような強い意志を持ってしても、僅か24時間という短い時間ですら、眠り続ける事は不可能である。自らの意志を攻撃する人は、そのような論理で動いている。達成可能な目標ではなく、達成不可能な目標を選り好んで選択し、当然ながらし損じる。千載一遇の好機とばかりに自らを攻撃する。自らの意志を攻撃する。意志のせいだ。意志が足りないせいだ。

意志バッシングへと通じる道には、幾つかの経路がある。その中で最も巨大な経路は、達成可能な目標の喪失だろう。人間は10分起きているだけで、無数の目標を手に入れる。顔を洗おう。歯を磨こう。着替えよう。鼻歌を歌おう。何か食べよう。小さな目標が矢継ぎ早にクエストログへと登録され、それをサクサク処理しながら生きる。それが人間というものである。ところが、時としてそれは崩壊する。成し遂げられて当然のはずの目標が、達成不可能な目標になる。顔を洗うには水が必要で、歯を磨くには歯ブラシが要る。着替えるには新鮮な服が必要で、鼻歌を歌うにはそれが許される生活環境が不可欠である。目標が達成可能な目標として成立する為の根底条件が崩れると、突如目標は牙を剥く。達成不可能な目標として、人間の身心に癒える事の無い傷跡だけを残してあっという間に去ってゆく。個々の目標は砂粒のように小さくても、流砂の中を飛ぶ鳩のように、傷つき、消耗し、空を飛ぶ力も失ってゆく。もう二度と太陽すらも拝めない。

それでも、目標は生まれる。
10分起きているだけで、無数の目標が生まれる。

それら全ての目標は、有害な存在である。心に思い浮かんだならば、すぐに棄却されるべきである。達成不可能な目標だからと、無視されるべきものである。捨てられて然るべきものである。ところが、目標というものは、本来ならば大切なものである。人間を突き動かし、人間を生かし続ける、ガソリンであり馬であり発動機である。本来ならば大切なリソースである。かけがえのない資源である。故に人は、目標をなかなか捨てる事が出来ない。達成不可能な無数の目標を大切に抱え込み、やがて身動きがとれなくなる。いつか使える日が来るかもしれないと、捨てられるべき目標を毎晩大切に磨き上げる。しかし来ない。そんな日は来ない。

目標を抱えている限り、一歩も動けない。そしてまた、捨てるつもりもない。何かに使える日が来ると信じている。それでも使わず大切に、保持し続ければ動けない。そうして、人は、使い道を探す。何かを攻撃する手段に使おうとする。選ばれたのは意志だ。強い意志だ。意志を攻撃する。今ではもう完全に、達成不可能となった小さな目標を掻き集め、団子を握って、目一杯に投げつける。意志だ。意志のせいだ。おまえに意志が足りないせいだ。できない事を思い浮かべて、全てを意志のせいにする。僕には意志が足りていない。意志が足りないから駄目なんだ。

2012年5月24日木曜日

今日も元気だ頭が痛い。

頭が痛いと、よく「首から上は爆発してしまえ」とか思うのだけれど、何らかの経緯をへてそのように思うようになったわけではなく、ただ単純に爆発しそうに痛いだけだったんだという事に、今気がついた。たとえばお医者さんに「どんなふうに痛いですか?」と聞かれて「爆発しそう」としか答えられないとすると、それは色々と問題がありそうだけれど、僕の人生においしゃさんは登場しないので、そんな心配は不用なのだ。今日も頭痛でブログのエントリーが意味不明。頭痛じゃなくても意味不明だけど、両者は全然違うんだよ。

また、頭の痛さを「爆発しそう」でしか表現出来ない自らの痛覚の貧しさに少し悲しくはなるけれど、これに関しては昔はもっと豊かだった、としか答えられない。繰り返す痛みの中で情緒や豊穣さ、あるいは多様性といったものが小さな所から摩耗してゆき、爆発というどーでもいい巨大な感覚だけが生き残った。だから少しでも苦しい事や辛いことがあると、爆発しそうだ、ああ爆発しそうだ、と文句ばかり言っている。もちろん爆発なんてしない。勝手に大げさに騒ぎ立ててやれ爆発だ、それ爆発だと言っているだけ。あああ、もう痛くて痛くて爆発しそう。

少し前に気がついたのだけれど、お腹が空いているという事に気がつかずに、飢餓状態で起き続けていると、ある時点で突然一気に具合が悪くなる。もしかして、今日の爆発もそれかなーと思ってご飯を一握り食べたら、吐き気を催して胸元が爆発しそう。あー、もうどうしようかな。痛いとか、しんどいとか、具合が悪いとか悲鳴を上げながらSOSを求めたところで、そんなのいつもの事じゃんと、少し口を開けて微笑みの前兆で表情を固定したまま、豚のように鼻で笑ってそれでおしまい。アテンションプリーズったって、爆発しそうな痛みくらいじゃ、僕は自らの注意すら引けない。興味が無いんだよ、あんたには。

2012年5月23日水曜日

自分の心を自分で書きたい。

自分の言葉を自分で書きたい。他の言葉を使いたくない。他の誰かで書きたくはない。自分の心を自分で書きたい。拾い集めない。寄せ集めない。自分の思いを自分で書きたい。コンピュータとキーボードの力を借りず、紙と鉛筆の力も借りない。そんなものを使いたくはない。物理法則の力も借りない。そんなものを利用したくない。真性引き篭もりhankakueisuuも僕には要らない。そんなものに仮託したくない。自分の力だけで書きたい。1人で書きたい。もっと書きたい。もっと何かを伝えたい。何も用いず、僕は書きたい。仮託しない。乗らない。使わない。利用しない。もっと正しく僕は書きたい。

2012年5月22日火曜日

遅すぎるということはない。

とても眠たいし、もの凄く眠い。
それが今すぐに眠る理由になるかというとならない。
もう嫌だ。ブログは嫌だ。インターネットは嫌だ。
ここには微塵の安らぎもない。夢も希望もない。
じゃあ何があるのかというと、眠らない理由がある。
気が狂うまで起きていられる。
あー、はやく。
はやく。

眠るのに遅すぎるということはない。
だからと言って、眠る理由にはならない。
何かをやめるのに遅すぎるということはない。
他のものを選択するのに遅すぎるということはない。

わーい、はてなブックマーク出来たよ-!

明日の真性引き篭もりhankakueisuuこそが
最高の真性引き篭もりhankakueisuu。

そんな意味不明な思想を満たす為、そしてまた、古いエントリーの方が面白いという現実から逃避する為に、過去ログへのリンクすら決して貼らないブロガーだったのに、何の因果か、どういう風の吹き回しか、10日ほど前の真夜中に、「さくっとスクリプトを書いてはてブ数順の過去ログの一覧でも作ろう」と企て、目標期限を一週間後の18日の午前1時くらいに設定したところまでは良かったものの、主に僕の責任ではなく、なんとなく気が進まないとか、そういった完全に外部的な理由により、目標期限を4日もオーバーしてしまったのだけれど、日付変更線の向こう側はまだ、5月18日の午前1時だという事で、ちゃちゃっとスクリプト作って動かして、ぎりぎりセーフで間に合った。滑り込みセーフ。誰がなんと言おうと、今日は5月18日。はい論破。

2012年5月21日月曜日

見下す係

行き場を失った頭痛が吐き気になって鼻と口とをつんざいてくるのを止めようと、ニゴロブナのように口を開き、鼻を膨らませ、粘膜という粘膜を乾燥させて堪え忍んでいると眼球の上側から行き場を無くした脳味噌が前へ前へと迫り上がっては垂れて来て、顔を覆う真冬の凍った滝になって痛い。痛いだけなら幸せなのに、痛みで向こうが見えなくなる。勇気を出して鏡の前に二足歩行で立ってみても、瞳に映るのは憎しみ、憎悪。

他の何かであったはずの、正常な感情を取り込んで、巨大化し続ける間違った意識。せめて悲しみさえあればと、悲しい出来事を懸命に思い出してみるが、そんな事はどうでもよいのだと頭の痛さが具合の悪さと手を結び、僕の回りを輪になって踊る。4時間横になって僅か4時間、使い捨てにして戦って、そんな自分を鼻で笑って、過去と未来が捨てられた。また人生が失われた。少しだけながら楽にはなったが、それが快方へと向かっているからなのか、痛みを感じる心が死んだからなのかの区別が付かない。首から上いらん、首から上いらん。僅か少しばかり押し込まれ、聞き飽きたフレーズを喉の奥で唱える。首から上が役に立ったことなどただの一度もない。手榴弾でも花火の球でも、吹き飛ばせるならなんでもいい。せめて半分でも吹き飛ばせばだいぶ楽になる。目を閉じる事も瞬きも耐え難い。

あと5時間もすればいつものように、どうせよくなるんだろうという軽蔑だけがここにある。痛みは信用されない。悲しみは信用されない。向上心も信用されない。何も信じられないのよ、あなたの事は何も信じられないの、もう別れましょう。その提案は優れたものだが、自分と別れる術はない。今日も元気におなかがすいた。あら、働かなくてもおなかがすいたりするんだね、へーと、誰かが笑う。笑顔で笑う。いつからか僕は罵る係。僕はもっぱら見下す係。

2012年5月20日日曜日

二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、

二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、
真性引き篭もりとかいうブログをありがたがってる奴はただのアホ。

2012年5月19日土曜日

女子大生の為に頑張る男は下心。

セックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。あわよくばセックスがしたいだけ。女子大生の為に徹夜で頑張る男の動機は下心。100%下心。ただセックスがしたいだけ。それ以外のなにものでもない。つまりセックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。ネタばらしをすると、セックスがしたいだけ。ここで身も蓋もない暴露をすると、それはセックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。女子大生の為に徹夜で頑張る男などというものがしも万が一、この世のどこかに存在するなら、そいつはセックスがしたいだけ。セックスがしたいと思っているだけ。女子大生の役に立つかもしれないと徹夜でコードを書く男などというものが、もしも仮に居たのなら、そいつはセックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。そいつがろくでなしの屑ならば、あわよくば金もなどと考えているかもしれない。だが根本的に言えば、セックスがしたいだけ。女子大生とセックスがしたいだけ。セックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。動機はセックス。下心。

2012年5月18日金曜日

自己tumbler状態に陥ったらその人はもうおしまい。

午前0時が目前に迫ると、今日はまだブログにエントリーをアップロードしていなかった事を思い出し、焦っては慌てふためき、「どこかに投稿出来そうな手軽なエントリーは落ちていないかな」などと、テキストフォルダや、evernoteや、ohlifeや、非公開の下書きエントリーなどを、片っ端から漁るようになったら、その人はおしまい。もうおしまい。ブロガーとして完全に終わっている。死んだ方がまし。ブロガーという生き物は、理由もなく、わけもなく、書きたいことが次から次へと溢れだし、処理しきれずに困り果てているからブロガーなのであり、手軽さを求めて自己tumbler状態で自らの遺物をまさぐるような人間はブロガーでもなんでもない。それはもうただ、水分を多く含んだ燃えにくい36℃の粗大ゴミ。