2018年5月22日火曜日

わたし、ハースストーン嫌い。

わたし、ハースストーン嫌いです。なぜハースストーンが嫌いかというと、ハースストーンは完全に腐りきっているからです。ハースストーンは完全に腐りきっているので、地球上から跡形も無く完全に消え去るべきです。正確に言うならば、あんな腐りきったゲームを作るブリザードエンタテイメントは完全に腐りきった会社であり、私達全ビデオゲームプレイヤーの敵たる存在です。ハースストーンは完全に腐りきった邪悪なゲームで、ブリザードエンタテイメントは完全に腐りきった邪悪な会社です。あんなものがeSportsだなんてちゃんちゃらおかしいですよ。ふざけています。

ハースストーンの何が腐りきっているかというと、チートツールが蔓延している事です。チートってのは、ずるです。ゲームで有利を得る為に、不正なプログラムを利用する行為のことです。そして、ハースストーンでは、チートの為の不正なプログラムが蔓延しています。所謂チートツールです。

私達が住んでいる世界に存在する様々なチートツールには、その多種多様な役割に応じて、いろんな名称があります。自動的に照準を合わせるチートツールは"オートエイム"。壁を透視出来るチートツールは"ウォールハック。アイテムを増やすチートツールには"デュープ"。見えないところを見通すチートツールには"マップハック"。どんな攻撃もひらりはらりと躱してしまうチートツールは"イベイドスクリプト"。チートツールってのは、名称からしてかっこいいですね。思わず使ってみたくなります。もちろん私はそんな事をしません。チートツールを使う人間は、完全に腐りきった人間です。わたしはそんなじゃありません。立派で真っ当な、健全を絵に描いたような日本国民です。

では、ハースストーンのチートツールがなんと呼ばれているかというと、「トラッカー」とか呼ばれているらしいです。なんと呼ぼうが、チートはチートです。そして、2018年のハースストーンの世界では、チートツールが蔓延しています。蔓延なんて生やさしいものではありません。「ハースストーンプレイヤーを見たらチーターと思え」という格言があるくらい、ハースストーンはチーターだらけのゲームです。なので私は地球上に存在する全てのハースストーンプレイヤーを強く軽蔑しています。これは偏見などではありません。正当なものです。ハースストーンプレイヤーというものは、私達全人類が唾棄すべき存在なのです。何故ならば、ハースストーンプレイヤーというものは、チートツールを容認し、チートツールを蔓延させ、チートツールを使っているからです。

ハースストーンのチートツールであるトラッカーは、本来ならばゲーム内で見えない情報を、可視化して見えるようにします。これは、チートツールとしては、よくあるパターンです。本来ならば見えないはずの、壁の向こう側に居る敵を見えるようにするチートツール。本来ならば見えないはずの、相手のスキルのクールダウンを見えるようにするチートツール。本来ならば見えないはずの、相手の位置をミニマップに表示するチートツール。本来ならば見えないはずの、モンスターの再出現時間を表示するチートツール。オンラインゲームの世界の、いろんなゲームのいろんな場所で、見えないものを見えるようにするチートツールが暗躍しています。けれども、それらはチートツールとして人々から忌み嫌われ、規約で完全に禁止され、開発から目の敵にされ、使ったプレイヤーはBANされます。けれども、ハースストーンは違います。ブリザードエンタテイメントはチートツールを取り締まる気が全くありません。何故ならば、ブリザードエンタテイメントは完全に腐りきったオンラインゲーム運営会社だからです。バンダイナムコもびっくりです。

ハースストーンに蔓延しているチートツールは、ゲーム内の様々な、本来ならば見えないはずの情報を、見えるようにしてしまう、最もよくあるタイプのチートツールです。たとえば、ハースストーンでは、山札にマウスカーソルを持っていくと、山札の残り枚数が表示されます。これは見える情報です。誰もがゲーム内で確認出来る、ルールの中の情報です。ところが、ハースストーンで蔓延しているチートツールは、山札の残り枚数だけではなく、山札の内容まで全て表示します。自分や相手がプレイしたカードの特殊効果で山札に積み込んだカードまで、詳細に表示してしまいます。もちろん、その効果も確認出来ます。ゲーム内では決して見る事の出来ない、見えないものを見えるようにする、極めて悪質なチートツールが、ハースストーンでは蔓延しているのです。ハースストーンプレイヤーは皆、人の心を持たない邪悪な存在です。彼らはゲームプレイヤーではありません。純然たる悪です。消えて無くなるべき存在です。

また、ハースストーンでは、マウスカーソルをヒストリーという欄に持っていくと、これまでにプレイしたカードとその結果が表示されます。これは、合法な情報です。自分だけではなく、相手も確認可能な平等な情報であり、ゲーム内で誰もが確認出来る情報です。けれども、ヒストリーには、直近にプレイしたカードの情報しか表示されません。直近の情報はあるものの、それ以上は遡れません。けれども、ハースストーンプレイヤーが皆得意気に使っているチートツールを使うと、本来ならば見えないはずの情報に、不正にアクセス出来るのです。直近だけではなく、そのゲームでプレイされたカードとその結果を表示することが出来ますし、相手がこれまでにプレイしたカードの一覧も表示されます。完全なチートです。ハースストーンプレイヤーは皆、そういったチートツールを使っています。何故ならば、ハースストーンプレイヤーは皆、邪悪であり、ゲーマーの皮を被った純然たる悪だからです。ハースストーンというゲームは、私達真のゲーマーが、最も憎むべきゲームであり、ハースストーンプレイヤーという人種は、私達真のゲーマーとは最も程遠い、完全に腐りきった、ビデオゲームを破壊する存在なのです。

しかも、驚くべき事に、腐っているのはハースストーンプレイヤーだけではありません。ハースストーンを開発し、運営しているブリザードエンタテイメントも腐りきっています。何故ならば、ブリザードエンタテイメントは、チートツールの使用を許可しているのです。そんな話がありますか?csgoでも、LoLでも、PUBGでも、パズドラでも、チートツールを使うとBANされます。ところが、ハースストーンは違います。運営開発のブリザードエンタテイメントが、不正なプログラムの使用を禁止するどころか、別に使ってもいいですよと、容認しているのです。にわかには信じられません。信じられませんが事実です。オーバーウォッチでは、不正なプログラムを使用したプレイヤーを片っ端から躍起になってBANし続けていたブリザードエンタテイメントでしたが、どこかで道を踏み外したようです。不正なプログラム即ちチートツールを作っている会社から金でも握らされたんでしょう。ブリザードエンタテイメントは、金でビデオゲームを売り渡したのです。完全に腐りきっています。ブリザードエンタテイメントは今すぐ滅びるべきだし、ハースストーンプレイヤーは今すぐ死に絶えるべきです。何故ならば、チートツールを容認し、チートツールを蔓延させ、チートツールを使用する彼らは、私達全人類の敵であり、パブリックエネミーだからです。地球上に存在してはいけない存在だからです。

曰くブリザードエンタテイメントは、言います。「チートツールが表示している情報は、よくよく注意していればわかる情報だからセーフです!紙と鉛筆でも出来るでしょう!?だからおっけーです!」馬鹿ですか?馬鹿ですね。いや、そういう次元の話ではないです。ブリザードエンタテイメントとは完全に腐りきった純然たる悪であり、ブリザードエンタテイメントは地球上で最も有害な物質です。いいですか?それを、チートって言うんです。それを、チートツールって言うんです。ハースストーンプレイヤーというのは足し算も出来ないような連中なので、わたしが説明してあげたところで理解出来るかどうかは極めて疑わしいですが、わたしは寛大なので、何故チートツールがチートツールであるかを説明してあげましょう。

世の中に存在するチートツールの多くは、よくよく注意していればわかる情報を表示するツールです。たとえば、PUBGの話をしましょう。PUBGは、グラフィックボードに付属していた、ゲーム内の音を可視化して画面上に表示するツールを、チートだから禁止しますと言って禁止しました。ゲーム内の音を可視化して画面上に表示する中華ツールは今も出回っていますが、PUBG運営によってその使用が検出されてしまうと、BANされます。これが普通の対応です。ゲーム内の音というのは、よくよく注意していればわかる情報ですが、それを可視化して画面上に表示するのはチートです。チートツールのやることです。

同じように、LoLでは、相手のスキルのクールダウンを表示するチートツールがありました。相手のスキルのクールダウンは、画面を見ていたらわかります。相手が最後にスキルを使ってから経過した秒数を数えていれば、いつスキルの再使用が可能になるかわかるのです。よくよく注意していればわかる情報です。けれども、よくよく注意していればわかる情報を画面に表示する不正なプログラムは、チートです。チートツールです。なので禁止されます。当然ですね。

ところが、ハースストーンは違います。本来ならば確認不可能な、ゲーム内で表示されていない情報を、画面上に不正表示するチートツールが蔓延しており、チートツールが容認されており、チートツールが使われています。ブリザードエンタテイメントは馬鹿なので、馬鹿なだけではなく邪悪なので、ハースストーンではチートツールが蔓延し、チートツールが使われています。私達はそれを滅ぼさねばなりません。ゲーム内での有利を得る為に、不正な外部プログラムを用いる人達を滅ぼさねば鳴りません。ゲーム内で有利を得る為に用いられている、外部ツールを容認するブリザードエンタテイメントを滅ぼさねばなりません。その為に、私達は、今こそ立ち上がらねばなりません。ビデオゲームの歴史は、不正なプログラムとの闘いの歴史でした。ビデオゲームの歴史は、チートツールとの闘争の歴史でした。その歴史の中に、遂に私達健全で善良なビデオゲームプレイヤーを裏切って、チートツールの側についた会社が現れたのです。それが、ブリザードエンタテイメントであり、ハースストーンであり、世界中のハースストーンプレイヤーです。彼らは敵です。私達の敵です。ハースストーンプレイヤーというのは、断じてビデオゲームプレイヤーなどではなく、私達全人類の敵なのです。

ハースストーンは断じてeスポーツなどではなく、ただのチートツールです。世界中にチートツールを蔓延させる、チートツールの母艦です。blizzconはゲームイベントなどではなく、チートイベントです。チーターのお祭りであり、チーターの祭典です。私達はそれを憎み、それを罵り、それを攻撃し、それを滅ぼさねばなりません。ハースストーンを憎み、ハースストーンプレイヤーを罵り、ブリザードエンタテイメントを攻撃し、彼らを一網打尽に完全に、滅ぼさねばなりません。さもなくば未来はありません。ビデオゲームの未来はありません。人類の未来はありません。ハースストーンは地球侵略を企む、チートツールの母艦です。ハースストーンプレイヤーは、皆すべからくチーターであり、チートツールの尖兵です。私達善良で健全なビデオゲームプレイヤーが一丸となって総力をあげて、根絶やしにせねばなりません。ビデオゲームの勇者諸君、今こそ立ち上がろうではありませんか。チーターに死を、チートツールに滅びを。ハースストーンプレイヤーに死を、ブリザードエンタテイメントに滅びを。わたし、ハースストーン嫌い。

2018年5月15日火曜日

池内恵とインターネット。人生は誰かを悲しませない為にあるんじゃない。

今日も今日とてインターネットをしていると、池内恵がインターネットと戦っているのを目にしてしまい、とても悲しい気分になった。ぼくたちは、その人生の全てをインターネットに費やし極めた、インターネットの名人だから、インターネットと戦うことが、どれほどまでに不毛であるかを知っている。知り尽くしている。知り尽くした上で、インターネットと戦って負けたり、インターネットと戦って消耗したり、そんな毎日を過ごしている。それが自分の人生なんだと、自分の人生を受け入れている。そんな人生が存在するのは仕方が無いし、そんな人生があったって、別にいいじゃないかって思っている。だって、インターネットはそれ程までに、最高にたのしいものだから。インターネットは人生に値する。けれども、同じ事を池内恵がやっているのを見てしまうと、とても悲しい気分に陥る。僕は池内恵じゃない。池内恵なんだから、もっと他にやることがあるだろって思ってしまう。自分の人生は棚に上げたままで。

池内恵は、今をときめく研究者だ。イラク戦争と911に始まった、中東の新しい混乱は、イスラム研究者の池内恵を、時代の寵児へと駆け上らせた。仮に、中東の混乱を完全に別の次元の話として切り分けることが可能であるならば、それは僕等にとっても、池内恵自身にとっても、幸いな事だった。なぜならば、池内恵の書くテキストはとてもおもしろいし、読んでいて楽しい。人の不幸を遠くから眺めて知る事で、知的好奇心が満たされるのを、たのしいとか、おもしろいとか、そんなふうに思っていいのかは極めて疑わしいし、心がくるしいけれど、こんな中東の混乱の中で、池内恵を読めるのはとても楽しいし、とても面白い。とても面白いと思ったので、池内恵にはわりと課金した。ここ数年の人生において、池内恵以上に課金した個人コンテンツなんて、ほとんどない。せいぜい、staylish_noobにpoly bridgeの操作方法を課金して教えてあげたことと、おもしろくないとわかりきっている毎年恒例のレミュ金の新作を、今年も懲りずに課金して遊んだくらいだ。そんな三本の指に入る池内恵が、インターネットと戦っている。僕はそれを見て思う。「そんな不毛なことはやめようよ。他にやることがあるでしょう」って。自分のことを棚に上げながら。

インターネットはどこまでも深く、インターネットはおそろしい。掘っても掘ってもまだ掘り足らず、掘っても掘っても何も出ない。僕等は1日20時間も、インターネットをする毎日を、もう20年も過ごしてきた。だからそれを知っているけれど、池内恵はそれを知らない。僕はこの半生を、インターネットだけして生きてきた。友人はいないし、家族もいないし、仕事もないし、収入もない。インターネット以外との接点を、一切持たない。何故ならば、毎日毎日、来る日も来る日も、インターネットをし続けたからだ。インターネットは旅に値する。いや、旅どころのさわぎではない。僕等にとってのインターネットは、人生に値するという領域を越えて、もはや人生そのものだ。インターネットは僕達の、人生そのものを意味する単語だ。これまでインターネットと戯れて、僕等は歳を重ねてきたし、インターネットと戯れて、僕等は年老いて行く。僕達は、インターネットそのものなのだ。

なぜ僕達がそんなにも、一心不乱にインターネットをしたかというと、インターネットが楽しかったからだ。楽しいことのない人生において、唯一たのしかったのがインターネットだったんだ。インターネットで何かを書けば、見知らぬ誰かが返してくれる。こえかわいいねって書くだけで、ありがとうって言ってもらえる。うたうまいねって書くだけで、ありかとうって感謝される。あまつさえ、ハンドルネームを呼んでもらえる。素敵な文章ですねなんて書いた日には、人によっては感激してくれる。インターネット以外では、誰かに感謝されることなんてない。誰かに必要とされることなんて決してない。インターネットは、僕等が唯一必要とされて、インターネットとは、僕等が唯一感謝される場所だ。僕等はインターネットの中でだけ、世界の誰かの役に立つ。決して誰の役にも立たない、長く苦しい人生の中で、唯一誰かの為に生きる事が出来るのが、インターネットという空間だ。seakingjawsに14円を投げつけるだけで、「cheerありがとうございます」って言ってもらえるのはインターネットだけだし、pornhubの無修正違法動画をまとめているブログにアクセスして、興味の無い広告を意味もなくホイールクリックしてバックグラウンドで開いて見ずに閉じる度に、「ああ、僕の1クリックが、誰かの生活を支えている」って、満たされた気分になる。インターネットは生きるに値する。僕は生きるに値する。インターネットっていうのは、そういう場所だ。だからこそ僕等はインターネットで生きるし、インターネットで戦う。なんの意味もないってわかっていても、どうせ僕等の人生はなんにもないんだ。せめて戦う。せめて戯れる。せめて遊ぶ。せめて楽しむ。せめて消耗して、せめて堕落する。そうさ、インターネットする。だからこそインターネットする。インターネットは僕等にはちょうどいい、僕等の人生にもってこいの場所だ。人生を持たない僕達の、僕達の為の唯一の居場所だ。けれども、池内恵は、違うだろって思う。

インターネットは楽しい。際限なく無限に広がっている。多種多様なインターネットの側面は、僕等の心のいろんな場所を、ちょうどぴったりと満たしてくれる。戦いたいという欲望も、勝利したいという欲望も、誰かに必要とされたいという欲望も、愛されたいという欲望も。インターネットの世界では、どんな欲望も満たされる。それだけではない。インターネットをしなければ、生まれ得なかった欲望が、搔き立てられて目覚めて育つ。インターネットにインターネットの種をまき、インターネットで間引きながら、インターネットを追肥すれば、インターネットが収穫できて、インターネットで食べられる。お腹がふくれることはないし、それで幸せにはなれないけれど、心の中のインターネットが、インターネットで満たされる。僕等はそれを知っている。知っててそれをやっている。けれども、池内恵は違う。池内恵はおそらくだけど、それを知らずにやっている。だからこそ僕等は悲しくなる。なんで池内恵はインターネットしてるの。他にやることがあるだろう、って。自分の人生を棚に上げて。

池内恵はアカデミックな人だから、毎日20時間インターネットをやり続けるような人生は、過ごしてきてはいないだろう。僕等はそれをやってきた。僕等はそうして生きてきた。1日20時間のインターネットを、もう20年も続けている。インターネットで戦うことが、どれ程までに踏もうであるかを、知り尽くした上でやっている。今更どうにか出来るものか。僕等は一生インターネットだ。まるで誰かを信仰するかのように褒め称えては崇めたり、まるでカルタゴに塩を撒くように、誰かの何かを憎んだり。時として刃を交えたり、一方的に勝利宣言をしたり。あるいは都合良く逃げ出したり、うまくごかまして煙に巻いたつもりになったり。ノーダメージを装う為に、他の何かを「たのしいたのしい」と褒めそやし、好きなことに熱中して、他のことなんて眼中にないという演技をしながら、揚げ足をとって一発かましてやる為に、必死で過去ログを漁ったり。僕等はそんな人生を生きている。事実、僕はそうやって生きてきた。インターネットとはそういう場所だ。

インターネットはあまりにも刺激的すぎて楽しくて、いろんな欲望が満たされてしまう。人は皆、インターネットに堕ちてゆく。池内恵は堕ちている。既に完全に堕ちている。おそらくもはや何人たりとも、池内恵という人を、インターネットの魔の手から、救い出すことは不可能である。人は皆、インターネットの前では無力なんだ。人と自動車とがぶつかれば、人が跳ね飛ばされてしまうのと同じように、人とインターネットがぶつかれば、人間なんてはじけて消える。科学技術っていうのは、そういうものだ。人類の英知っていうのは、そういうものだ。池内恵はインターネットと戦って、インターネットを論破して、インターネットに勝利して、インターネットで味方を集め、インターネットで読み広められ、インターネットで共感を呼ぶ。それが、インターネットだ。それこそが、インターネットだ。僕等が人生を費やしたものだ。

僕には、わかる。よくわかる。池内恵がよくわかる。池内恵の血が沸き立ち、肉が踊っている様が、手に取るように見て取れる。インターネットは僕達に、最高の体験をもたらしてくれる。インターネットでしか出来ない体験を、他のどこでも味わえない興奮を、インターネットはもたらしてくれる。だからこそ、僕等がインターネットをしたように、池内恵もインターネットする。インターネットは他のどのような体験をも凌駕する。クリスティアーノ・ロナウドだって、イーロン・マスクだって、たのしいたのしいって大興奮して、踊りながらインターネットする。何人も、インターネットからは逃れられない。どんな勇敢な戦士も、どんな高潔な聖者も、インターネットには敵いやしない。インターネットは無敵なんだ。だからこそ、僕等はインターネットだ。インターネットは無敵なので僕達は、インターネットを続ける限り、死んでも無敵のままなんだ。インターネットがある限り、僕等の人生は負け知らずだ。

池内恵が戦っているのは、僕だ。僕こそが池内恵を不愉快にし、池内恵を怒らせて、池内恵と戦って、池内恵に論破され、池内恵に無視されて、池内恵にブロックされて、池内恵を満足させて、池内恵を満たしてやった。なぜならば、僕は、インターネットだから。僕こそがインターネットだからだ。池内恵はインターネットで不愉快になり、インターネットに激昂し、インターネットと戦って、インターネットを論破して、インターネットに無視を決め込み、インターネットを晒し上げ、インターネットをブロックしては誇らしげに公言し、インターネットで満足して、インターネットで満たされた。そんなことに、なんの意味があるってんだろう。インターネットをして、なんになるんだろう。インターネットは、なんにもならない。僕等それを知っているけど、池内恵はそれを知らない。いや、池内恵にしたって、インターネットがなんにもならないことくらい、きちんと知ってる可能性もある。まあ、知っていたところで、どうにもできない。インターネットとはそういうものだ。人の力では抗えぬものだ。

池内恵がインターネットと戦っているのを見て、僕等はとても悲しい気持ちになった。どうしてそんな事をしているの、って思う。他にやることがあるだろう。池内恵だけじゃない。インターネットと戦ってる人を、インターネットで見かけると、とても悲しい気持ちになる。やめておきなよ、って思う。けれども僕等は知っている。人生ってのは、そういうものだって。


私達は、誰かを悲しませない為に生きているのではない。自分のやりたいことをやっているだけなんだ。池内恵が「わたしはインターネットしたい」って言ってる以上、僕等はそれに意見することすら出来ない。だって、池内恵の人生は、池内恵のものなんだもの。どこかの誰かの人生は、他の誰かの為ではなくて、その人自身の為にある。誰かを悲しませない為に、僕等は生まれてきたんじゃない。誰かを悲しませない為に、僕等は生きているんじゃない。僕等は、自分自身の人生を、自分自身で生きているんだ。「そんな事をしたら俺が悲しむ」なんて言われても、知ったこっちゃない。えらそうに、人の人生に干渉しようとするんじゃない。何様のつもりだ。そんな権利は誰にもない。池内恵がインターネットをしたいって言うんだから、池内恵はインターネットをするんだよ。それで僕が悲しくなったって、それで誰かが悲しくなったって、そんなこと、池内恵は知ったこっちゃあない。おまえは、俺の何でもない。おまえはただのインターネットだ。インターネットは黙ってろ。

人生は、誰かを悲しませない為にあるんじゃない。人生ってのはね、やりたいことをやりたいだけ、悔いのないようにやるもんだ。人生はたのしむためにある。だからこそ、僕等はインターネットをして、インターネットで老いぼれて、インターネットで死んでいく。僕には友人がいない。僕には家族がない。僕には知り合いもいない。僕には収入がなく、僕には生きる希望も、生きる意欲もない。けれども、僕にはインターネットがある。実際のところ、ここだけの話をしてしまうと、事実上僕にはインターネットすらないんだけれど、僕にはインターネットがあり、僕はインターネットだ。セガBBSに書き込んでから、もう20年もの間、毎日毎日欠かさずに、僕はインターネットして生きてきた。インターネットで生きてきた。いや、インターネットとして生きてきた。言葉を発することもなく、また一日が明けてゆく。誰との接点も一切なしに、誰にも読まれぬブログを書いて、インターネットで生きてきたし、インターネットで生きている。毎日、毎日、インターネットだけをしている僕が、インターネットでなければ一体、どこの誰がインターネットたりえるだろうか。そうさ、僕はインターネットなんだ。誰かが悲しもうと、そんなこと、知ったこっちゃない。人生は誰かを悲しませない為にあるんじゃない。人生は自分自身の為にあるんだ。たとえば僕自身が悲しもうとも、そんなもの知ったこっちゃない。僕はインターネットなんだから。

池内恵がインターネットと戦っているのを見て、とても悲しい気分になった。どうして、そんな不毛なことをするんだろう。インターネットなんてくだらないのに。他にやることがあるだろうに。そんな悲しいインターネットは、今すぐやめてくれたまえ。いったいどんな気持ちで、アラブの春とは何だったのかを読めばいいんだろう。ページを1つめくる度に、インターネットをする池内恵が脳裏をよぎり、悲しい気持ちになってしまうに決まっているじゃないか。だから、僕を悲しませない為に、池内恵は今すぐに、インターネットをやめてくれ。なぜならば、僕が、悲しくなるから。池内恵をやめてくれ。なぜならば、僕が、悲しくなるから。インターネットをやめてくれ。なぜならば、僕が悲しくなるから。

2018年5月14日月曜日

twitterのモーメントはtwitter社による手動なのか。

今日一番の衝撃は、twitterのモーメントがtwitter社の手動だったということ。twitterの左上にモーメントの項が出来てから、ユーザーによるモーメント作成が可能になるまで、約3ヶ月の時間差がある。さらに、ユーザーが作ったモーメントには、作ったユーザー名が表示されている。つまり、twitterの左上からリンクされているモーメントは全て@MomentsJapanの手動。twitter社が人を雇ってやらせている。これまでは、てっきりユーザーが勝手に作っているものだと思っていたので、酷い内容のものがあっても、NAVERまとめみたいなもんだからね、と思って流していたんだけれど、twitter社自らがデマやフェイクニュースを拡散していたとなると、話が変わってくる。インターネットってひどいなあ。

2018年5月12日土曜日

作者の人格と作品は別

作者の人格と作品は分けて考えるべきだと主張する人は、まず作者の情報を漁るようなことをやめるべきである。そのリスクのあるインターネットをやめるべきである。作者が誰かにとって都合のわるい振る舞いをした時のみ「作者の人格と作品は別」と言っても説得力がない。尾田栄一郎が東北に15億円の寄付を行ったときは、それを諸手を挙げて称賛しておきながら、違法ポルノの所持で捕まるや否や、「作者の人格と作品は別」と言い出すのはおかしい。都合の良いときにだけ、都合のよい立場を選択しているだけではないか。

2018年5月11日金曜日

不倒城のしんざきが書く糞以下のテキストを、僕等はもう二度と目にしなくて済む事を祝う日。

私達は、自らの体験について語る事に極めて抑制的である。私達というのは、ゲーマーであり、かつテキストを書いている人間のことである。そのような態度に陥らざるを得ない最大の理由は、老人の昔語りは美化された自らの人生と歴史に対する言及に他ならず、即ちそれは自虐であろうとなんであろうと自慢である事を避けられず、私達によるゲームに対する言及は、年配者の自分語りによる自慢へと陥る事を避けられない。本人は雑談をしているつもりが説教になるだとか、本人は親身になってアドバイスをしているつもりがうざいだけの自慢になるといった、我が国に存在している当たり前の事は、当然のようにして私達の身に降りかかる。

こと、ビデオゲームはさらに大変である。

ビデオゲームは全てが接続されている。突然変異的にいきなり生まれたビデオゲームなどは存在しない。何かがあって何かがある。2018年に流行っているゲームのどれか1つを遡って辿れば、それは原始の世界まで、際限なく遡り続ける事は可能である。たとえば2018年において、世界で一番流行っているゲームである王者栄耀を遡れば、それはもはや誰の手によっても再現不可能なビデオゲームのプレイ体験にまで遡る事が可能であろう。2018年にストリートファイター2turboやバーチャファイターをプレイする事は可能であっても、そのプレイ体験を再現する事は不可能である。よって、ビデオゲームにおいても、現実の他の全ての事象において、年配者が行う若者への説教と自分語りに際し発生する出来事と、全く同じ事が発生する。曰く人々はそれを老害と呼ぶ。

ff15を無邪気に楽しむ人の目に耳に飛び込むファイナルファンタジーは、FF3のアイテム無限増殖であったり、ファミコン時代を終わらせたff7のプレイステーションだったり、あるいはff11だったりする。そんなものが必要であろうか。私達の住んでいる世界に、ビデオゲームに対する言及などというものが、果たして必要であろうか。

かくして私達ビデオゲームを真に愛するインターネットで文章を書く人々は、ビデオゲームに関する言及を行おうと思う度に自らに懲罰的とも言える多大な要求を行う。説教はしてはいけない、老害になってはいけない、圧力をかけてはいけない、歴史を語ってはいけない、体験を語ってはいけない、ビデオゲームを語ってはいけない。ビデオゲームは語る為にではなく、楽しむ為に存在する。果たして私達は沈黙する。僕等はビデオゲームを語れない。

けれどもそのような誠実さを宣言するのは不当である。そのような態度を人々に要求するのは尚のこと不当であり、それはもはや純然たる暴力である。何故ならば我が国において自由とは保障されるべき最大の権利であり、自由と対立する概念に関わる仔細は為べからず、全て否定されるべきことだからである。

僕には強い確信がある。ゲームに対するテキストに対する確信だ。僕がこのブログを書き始めてからというもの、その確信は一度として揺るいでいない。インターネットでゲームを語るゲーマーは紛い物であるという強い確信だ。ゲーマーはテキストを綴る暇があればゲームをプレイする。私達がゲームに関するテキストを書くのは、私達がゲームをプレイしていないからであり、ゲーマーではないからである。俺達はブラックベリーを愛用するスティーブ・ジョブズみたいなものだ。かくして、真の人々はビデオゲームについて語らなくなった。僕がこのブログを書き始めるきっかけになったブロガーは、もう10年以上ビデオゲームについて語っていない。僕にしたって同じ事だ。少なくとも、可能な限りビデオゲームについて語らないように務めてきた。何故ならば僕等はビデオゲームに対する誠実さというものを、せめてもの範囲内で、精一杯維持しようと努力し続けてきたからだ。その結果として訪れたのが、2018年というインターネットである。インターネットはしんざきのように金儲けの為にゴミみたいなテキストをばらまき続け検索エンジンを汚染する糞みたいな連中で埋め尽くされてしまった。

僕等はあれからもビデオゲームをプレイし続けてきた。これでもかこれでもかと、全力でビデオゲームをプレイし続けてきた。その上で、それについて語らずに口を噤み続けてきた。ビデオゲームについて語ることは、ビデオゲームに対する暴力である。たとえばそうではないにせよ、油断すれば、あるいは油断せずともすぐにその曲面へと墜ち果ててしまう。ビデオゲームは俺達の慰みものじゃねえ。ビデオゲームはプレイする為に存在する。果たしてその態度が正しいものであったかどうかを、僕等は知らないし知るすべもない。ただ1つ確かなものは、私達は「やらない理由」を決して語るべきではないという事だ。
人は嬉々としてやらない理由を語る。やらない理由を語るのは容易い。世の中に存在する物事をどれか取り出し、それにケチを付ければそれで済む。「故に私はそれをやらない」映画に読書に漫画にゲームに労働に、人々はケチをつけてそれらを見下し、故に私はそれをやらないという。知ったことか。連中は馬鹿にしたいだけである。見下したいだけである。侮蔑したいだけである。そうである事を僕等は知っているが故に、何かをやらない理由について語る事に、極めて抑制的である。やらない理由を万が一にも語ってしまわぬようにと、常に神経を張り詰めながら生きている。「おまえそんなことやってるの?俺はやらないよ?」という年配者の言葉が如何に私達若者にとって不愉快なものであるかを、僕等はかつてより知っていたからだ。たとえば僕が人のゲーム配信を一切見ない事は知る人ならば知っているだろうが、それについて書いた事も無ければ、書くつもりも語るつもりもない。インターネットは糞だ。インターネットは糞じゃない。インターネットのごく一部は糞だ。そしてごく一部の連中は声が大きい。

この不倒城のしんざきという糞から生まれた糞みたいなゴミは、「動画を見る時間があったらゲームがやりたい」とか得意気にテキスト装飾までして書いた挙げ句に、同じ糞以下の糞連中と、ゲームを出汁にしながら耳たぶをねぶりあってるが、おまえ時間があったらゲームがやりたいんだろ?じゃあゲームしてろよ。金儲けの為にブログを書いてるんじゃないと得意気に見得を切りながら、ビデオゲームとビデオゲームプレイヤーを小馬鹿にしながらインターネットで小銭稼いで悦に入ってるしんざきとかいう本物のゴミは、時間があったらゲームしたいのに、なんで糞以下のテキストを検索エンジンを汚染しながらインターネットで垂れ流してんの?糞の山から生まれた糞の塊みたいな人糞をリアルで育成してんの?そんなゴミはとっとと捨ててゲームしてろよ。時間があったらゲームしたいんだろ?まず自分の言葉に責任持って未来永劫インターネットから完全に消え失せろよ。いや、俺が言わなくても消え失せるんだよな。時間があったらゲームやりたいって書いてるんだから、糞以下の糞の山のテキストは全部削除して二度とインターネットに現れるなよ。いやー、良かった良かった。俺達はこのしんざきとかいう糞が量産したゴミ以下のテキストを検索エンジンの検索結果で二度と見かける事はなくてすむし、時間があったらゲームがやりたいって言ってる人は、ゴミみたいなテキストを未来永劫もう二度と書かなくていいから、ゲームが出来るわけだ。win-winだよね。いやー、よかった。あ、そうか。インターネットから過去ログを全削除する時間も惜しいか。時間があったらゲームがやりたいんだもんな。まあ、じゃあ、それはしゃーないね。それくらいは我慢するか。とりあえずこれ以上、不倒城とかいう有害サイトと、それ以上に劣悪なスパムサイトに、しんざきの書いたテキストがもう二度とupされる事はないという事実だけでよしとするわ。