2012年5月31日木曜日

昨日は誰とも

昨日は誰とも言葉を交わさなかった。
一昨日もそうだった。
その前もずっと。


昨日は誰とも目を合わさなかった。
一昨日もそうだった。
その前もずっと。


昨日は誰にも会わなかった。
一昨日もそうだった。
その前もずっと。




今日が来る。
僕を襲う。

2012年5月30日水曜日

気力体力が尽きる時間

寝て起きてから2時間半弱。
寝て起きて何か食べれば3時間弱。

寝て起きて、のハードルが高い。起きていると眠る気力が無くなるし、寝ていると起きる気力がなくなる。よって、起きている時間も、寝ている時間も、ともに膨張し続ける。その煽りを受けて"寝て起きてからの2時間半"は減少し続ける。寝て起きて、と言ってもどのような"寝て起きて"でもいいわけではなく、ある程度綺麗に"寝て起きて"しなければならない。

23時間起きて3時間寝ました、さあこれが待望の"寝て起きて"ですよ!と言われても、どだい無理。そこからさらに11時間横になって、今度こそ本当の"寝て起きて"ですよ!と言われてもだるくて生きる気力がしない上に散発的なプチ頭痛。

単純に"寝て起きて"が減少し続けているだけではなく、"寝て起きて"自体のクオリティも低下し続けている。睡眠の質が低いのが原因ではなくて、起きている時間の質が低いのが諸悪の根源。そこをよくすればとは思うけれど、それが不可能である事くらいよく理解している。ボタンを押せばきっかり1時間眠れる機械とかあればいいのに。5時間も6時間も眠ったりとか、時間の無駄だ。時間の無駄という単語をタイピングしていると、違和感が騒めいてとてもうるさい。いいこと、ないな。

2012年5月28日月曜日

70時間ください。

70時間ください。
私に70時間ください。
あなたの70時間ください。

テレビを見たり、目を瞑ったり、手を叩いたり、そんな風にして消えて行く時の切れ端をわたしにください。たった70時間わたしにください。70時間あれば超えられる壁があるのです。70時間あれば辿り着ける道があるのです。dota allstarsにして90ゲームぶん、たった70時間わたしにください。掌に爪を軽く刺して、その上に折った肘を乗せて、うっぷして過ぎていくそんな時間を、どうかわたくしに恵んでください。失われていく時間をください。すり潰さずにわたしにください。少しでいいから譲ってください。たった70時間、ほんの70時間でいいのです。私に時間を譲ってください。そんな風に、冷たい目をしてだるそうに、口を開けたままでちらちらと、軽蔑しながら見ないでください。お願いだから、信じてください。私の願いを信じてください。溜息ばかり、くたびれてばかり、傷ついてばかり、挫けてばかり、わけもなく心を乱してばかり、そんなあなたの無量の時間を、ほんの少しだけ私にください。チャンスをください。わたしにください。70時間を頂けたなら、私は必ず無駄にはしません。一分一秒大切に、捨てる事なく使い切ります。だから、信じてください。私の未来を信じてください。馬鹿にしないでください。見下さないでください。お願いだから、わたしにください。70時間ください。わたしにください。

「ベルギーで午前7時に放送された性教育番組」の真意はどの辺にあったのか。

あの動画はどのような意図で制作されたのか。

Neveneffectenはシーズン1の放送が2005年、シーズン2の放送は2008年。あのコントが流れたのは、2008年の12月26日に放送されたシーズン2のラストエピソード。「飛び散るだけ飛び散って何も残さない」「大地に染みこんでいく」というコントは、彼ら自身の隠喩。「出し尽くして種が尽きた」「十二分に気持ちよくなったが、もうこれ以上は気持ちよく無い」というのもまた、彼ら自身の暗喩。断片だけを切り取ると、制作者の意味が全く伝わらないという事を示した例。物事は文脈が全てなんだよ。意味は文脈にこそ宿るんだ。断片だけ切り取っていい気になる為のツールであるtumblrとかいうウェブサイトを使っている奴らは全員屑であり社会の敵であり害悪なので今すぐ死ね。1人残らず死んでしまえ。




なお、彼ら(彼らは4人組みです。)は、あのコントで明示されたように、種を全て撃ち尽くして、しなびて終わってしまったわけではなく、あのコントで暗に示されたように、再びエレクチオンしたらしく、wikipedia(nl:wikipedia)によると、彼らの新番組は2011年の1月から2月にかけて放送され、6エピソードで平均視聴占拠率42%。

それと、あのコントが役者を用いた形のコントではなく、CGアニメーションだったのは彼らのリーダー格のJonas Geirnaertが、ゲント王立美術アカデミーで学んだアニメーター/漫画家だったから。彼が制作に大きく関わったショートフィルムは幾つかの賞を取っているようだ。

大切ではないものを捨てる事について。

大切なものだけを保持し、それ以外のものを捨て去り身軽になる事は、正しい術であると思う。けれども、どんなに大切なものであっても、気をかけて大切にし続けないと、色褪せてしまうという事を忘れてはならない。どんなに大切なものであっても、少し目を逸らした間に大切なものではなくなってしまう。

大切なものを両手に抱え、「これは大切ではないから」とゴミ箱に放り込んでいるあなたが今捨てているものは、かつて大切だったもの。そして、今も大切であったはずのもの。将来にわたってあなたの役に立ち、あなたを支える大切な何かだったもの。

大切でなくしたのはあなた自身。
それを汚したのはあなた自身。
大切にしなかったあなたのせい。

今現在手元にあるものを、「これは一生色褪せないから」と安心しきって抱きしめているけど、それだって、毎日大切に埃を払って磨かぬ限り、あっというまにくすんで、しなびる。大切ではないものを捨てるかどうかなんて、どうでもいいこと。肝心の事を忘れてはならない。

大切なものを大切にしよう。
大事なものを大事にしよう。

2012年5月27日日曜日

また日曜日。

眠いのは眠っていないせいだし、だるいのも眠っていないせい。眠らないのは眠りたくないからで、眠りたくないのは眠ったところで元気になるばかりだと知っているから。元気になったところで、何もよくならないと知っているから。好きな人がいないのは誰かを好きになろうとしていないからで、愛されないのは愛されようとしていないから。生まれてきたのは前世の行いが悪かったからで、毎日が上手くいかないのは当然の報いを受けているから。幸せじゃないのは幸せになろうとしていないからで、支離滅裂を口走るのは眠たいから。眠たいのは確か、眠っていたのにすぐ起きたからで、せっかく眠っていたのにすぐ起きてしまったのは、眠っている気力を失ってしまったから。口を閉じる事が出来ない。大きく息を吸う事も出来ない。気紛れで移り気な、埃塗れの部屋の空気が、僕の胸元をウインドウショッピングしては立ち止まることすらなしに死んだ目で視線を寄越して帰って行く。窒素酸素の一粒までにも、幸せな家庭があるんだろうな。あったかい布団で眠るんだろうな。

2012年5月25日金曜日

眠り続ける強い意志

頼るものなく生きていると、諸悪の根源を意志に求めるようになる。自分は意志が弱いから何もできないのだ、そして意志があれば何でもできるのだと思うようになる。前向きに、進歩的に生きるには、意志こそが一番大事なのだと思うようになる。ところが、意志は往々にして無力である。どのような強い意志を持ってしても、僅か24時間という短い時間ですら、眠り続ける事は不可能である。自らの意志を攻撃する人は、そのような論理で動いている。達成可能な目標ではなく、達成不可能な目標を選り好んで選択し、当然ながらし損じる。千載一遇の好機とばかりに自らを攻撃する。自らの意志を攻撃する。意志のせいだ。意志が足りないせいだ。

意志バッシングへと通じる道には、幾つかの経路がある。その中で最も巨大な経路は、達成可能な目標の喪失だろう。人間は10分起きているだけで、無数の目標を手に入れる。顔を洗おう。歯を磨こう。着替えよう。鼻歌を歌おう。何か食べよう。小さな目標が矢継ぎ早にクエストログへと登録され、それをサクサク処理しながら生きる。それが人間というものである。ところが、時としてそれは崩壊する。成し遂げられて当然のはずの目標が、達成不可能な目標になる。顔を洗うには水が必要で、歯を磨くには歯ブラシが要る。着替えるには新鮮な服が必要で、鼻歌を歌うにはそれが許される生活環境が不可欠である。目標が達成可能な目標として成立する為の根底条件が崩れると、突如目標は牙を剥く。達成不可能な目標として、人間の身心に癒える事の無い傷跡だけを残してあっという間に去ってゆく。個々の目標は砂粒のように小さくても、流砂の中を飛ぶ鳩のように、傷つき、消耗し、空を飛ぶ力も失ってゆく。もう二度と太陽すらも拝めない。

それでも、目標は生まれる。
10分起きているだけで、無数の目標が生まれる。

それら全ての目標は、有害な存在である。心に思い浮かんだならば、すぐに棄却されるべきである。達成不可能な目標だからと、無視されるべきものである。捨てられて然るべきものである。ところが、目標というものは、本来ならば大切なものである。人間を突き動かし、人間を生かし続ける、ガソリンであり馬であり発動機である。本来ならば大切なリソースである。かけがえのない資源である。故に人は、目標をなかなか捨てる事が出来ない。達成不可能な無数の目標を大切に抱え込み、やがて身動きがとれなくなる。いつか使える日が来るかもしれないと、捨てられるべき目標を毎晩大切に磨き上げる。しかし来ない。そんな日は来ない。

目標を抱えている限り、一歩も動けない。そしてまた、捨てるつもりもない。何かに使える日が来ると信じている。それでも使わず大切に、保持し続ければ動けない。そうして、人は、使い道を探す。何かを攻撃する手段に使おうとする。選ばれたのは意志だ。強い意志だ。意志を攻撃する。今ではもう完全に、達成不可能となった小さな目標を掻き集め、団子を握って、目一杯に投げつける。意志だ。意志のせいだ。おまえに意志が足りないせいだ。できない事を思い浮かべて、全てを意志のせいにする。僕には意志が足りていない。意志が足りないから駄目なんだ。

2012年5月24日木曜日

今日も元気だ頭が痛い。

頭が痛いと、よく「首から上は爆発してしまえ」とか思うのだけれど、何らかの経緯をへてそのように思うようになったわけではなく、ただ単純に爆発しそうに痛いだけだったんだという事に、今気がついた。たとえばお医者さんに「どんなふうに痛いですか?」と聞かれて「爆発しそう」としか答えられないとすると、それは色々と問題がありそうだけれど、僕の人生においしゃさんは登場しないので、そんな心配は不用なのだ。今日も頭痛でブログのエントリーが意味不明。頭痛じゃなくても意味不明だけど、両者は全然違うんだよ。

また、頭の痛さを「爆発しそう」でしか表現出来ない自らの痛覚の貧しさに少し悲しくはなるけれど、これに関しては昔はもっと豊かだった、としか答えられない。繰り返す痛みの中で情緒や豊穣さ、あるいは多様性といったものが小さな所から摩耗してゆき、爆発というどーでもいい巨大な感覚だけが生き残った。だから少しでも苦しい事や辛いことがあると、爆発しそうだ、ああ爆発しそうだ、と文句ばかり言っている。もちろん爆発なんてしない。勝手に大げさに騒ぎ立ててやれ爆発だ、それ爆発だと言っているだけ。あああ、もう痛くて痛くて爆発しそう。

少し前に気がついたのだけれど、お腹が空いているという事に気がつかずに、飢餓状態で起き続けていると、ある時点で突然一気に具合が悪くなる。もしかして、今日の爆発もそれかなーと思ってご飯を一握り食べたら、吐き気を催して胸元が爆発しそう。あー、もうどうしようかな。痛いとか、しんどいとか、具合が悪いとか悲鳴を上げながらSOSを求めたところで、そんなのいつもの事じゃんと、少し口を開けて微笑みの前兆で表情を固定したまま、豚のように鼻で笑ってそれでおしまい。アテンションプリーズったって、爆発しそうな痛みくらいじゃ、僕は自らの注意すら引けない。興味が無いんだよ、あんたには。

2012年5月23日水曜日

自分の心を自分で書きたい。

自分の言葉を自分で書きたい。他の言葉を使いたくない。他の誰かで書きたくはない。自分の心を自分で書きたい。拾い集めない。寄せ集めない。自分の思いを自分で書きたい。コンピュータとキーボードの力を借りず、紙と鉛筆の力も借りない。そんなものを使いたくはない。物理法則の力も借りない。そんなものを利用したくない。真性引き篭もりhankakueisuuも僕には要らない。そんなものに仮託したくない。自分の力だけで書きたい。1人で書きたい。もっと書きたい。もっと何かを伝えたい。何も用いず、僕は書きたい。仮託しない。乗らない。使わない。利用しない。もっと正しく僕は書きたい。

2012年5月22日火曜日

遅すぎるということはない。

とても眠たいし、もの凄く眠い。
それが今すぐに眠る理由になるかというとならない。
もう嫌だ。ブログは嫌だ。インターネットは嫌だ。
ここには微塵の安らぎもない。夢も希望もない。
じゃあ何があるのかというと、眠らない理由がある。
気が狂うまで起きていられる。
あー、はやく。
はやく。

眠るのに遅すぎるということはない。
だからと言って、眠る理由にはならない。
何かをやめるのに遅すぎるということはない。
他のものを選択するのに遅すぎるということはない。

わーい、はてなブックマーク出来たよ-!

明日の真性引き篭もりhankakueisuuこそが
最高の真性引き篭もりhankakueisuu。

そんな意味不明な思想を満たす為、そしてまた、古いエントリーの方が面白いという現実から逃避する為に、過去ログへのリンクすら決して貼らないブロガーだったのに、何の因果か、どういう風の吹き回しか、10日ほど前の真夜中に、「さくっとスクリプトを書いてはてブ数順の過去ログの一覧でも作ろう」と企て、目標期限を一週間後の18日の午前1時くらいに設定したところまでは良かったものの、主に僕の責任ではなく、なんとなく気が進まないとか、そういった完全に外部的な理由により、目標期限を4日もオーバーしてしまったのだけれど、日付変更線の向こう側はまだ、5月18日の午前1時だという事で、ちゃちゃっとスクリプト作って動かして、ぎりぎりセーフで間に合った。滑り込みセーフ。誰がなんと言おうと、今日は5月18日。はい論破。

2012年5月21日月曜日

見下す係

行き場を失った頭痛が吐き気になって鼻と口とをつんざいてくるのを止めようと、ニゴロブナのように口を開き、鼻を膨らませ、粘膜という粘膜を乾燥させて堪え忍んでいると眼球の上側から行き場を無くした脳味噌が前へ前へと迫り上がっては垂れて来て、顔を覆う真冬の凍った滝になって痛い。痛いだけなら幸せなのに、痛みで向こうが見えなくなる。勇気を出して鏡の前に二足歩行で立ってみても、瞳に映るのは憎しみ、憎悪。

他の何かであったはずの、正常な感情を取り込んで、巨大化し続ける間違った意識。せめて悲しみさえあればと、悲しい出来事を懸命に思い出してみるが、そんな事はどうでもよいのだと頭の痛さが具合の悪さと手を結び、僕の回りを輪になって踊る。4時間横になって僅か4時間、使い捨てにして戦って、そんな自分を鼻で笑って、過去と未来が捨てられた。また人生が失われた。少しだけながら楽にはなったが、それが快方へと向かっているからなのか、痛みを感じる心が死んだからなのかの区別が付かない。首から上いらん、首から上いらん。僅か少しばかり押し込まれ、聞き飽きたフレーズを喉の奥で唱える。首から上が役に立ったことなどただの一度もない。手榴弾でも花火の球でも、吹き飛ばせるならなんでもいい。せめて半分でも吹き飛ばせばだいぶ楽になる。目を閉じる事も瞬きも耐え難い。

あと5時間もすればいつものように、どうせよくなるんだろうという軽蔑だけがここにある。痛みは信用されない。悲しみは信用されない。向上心も信用されない。何も信じられないのよ、あなたの事は何も信じられないの、もう別れましょう。その提案は優れたものだが、自分と別れる術はない。今日も元気におなかがすいた。あら、働かなくてもおなかがすいたりするんだね、へーと、誰かが笑う。笑顔で笑う。いつからか僕は罵る係。僕はもっぱら見下す係。

2012年5月20日日曜日

二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、

二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、
真性引き篭もりとかいうブログをありがたがってる奴はただのアホ。

2012年5月19日土曜日

女子大生の為に頑張る男は下心。

セックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。あわよくばセックスがしたいだけ。女子大生の為に徹夜で頑張る男の動機は下心。100%下心。ただセックスがしたいだけ。それ以外のなにものでもない。つまりセックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。ネタばらしをすると、セックスがしたいだけ。ここで身も蓋もない暴露をすると、それはセックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。女子大生の為に徹夜で頑張る男などというものがしも万が一、この世のどこかに存在するなら、そいつはセックスがしたいだけ。セックスがしたいと思っているだけ。女子大生の役に立つかもしれないと徹夜でコードを書く男などというものが、もしも仮に居たのなら、そいつはセックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。そいつがろくでなしの屑ならば、あわよくば金もなどと考えているかもしれない。だが根本的に言えば、セックスがしたいだけ。女子大生とセックスがしたいだけ。セックスがしたいだけ。ただセックスがしたいだけ。動機はセックス。下心。

2012年5月18日金曜日

自己tumbler状態に陥ったらその人はもうおしまい。

午前0時が目前に迫ると、今日はまだブログにエントリーをアップロードしていなかった事を思い出し、焦っては慌てふためき、「どこかに投稿出来そうな手軽なエントリーは落ちていないかな」などと、テキストフォルダや、evernoteや、ohlifeや、非公開の下書きエントリーなどを、片っ端から漁るようになったら、その人はおしまい。もうおしまい。ブロガーとして完全に終わっている。死んだ方がまし。ブロガーという生き物は、理由もなく、わけもなく、書きたいことが次から次へと溢れだし、処理しきれずに困り果てているからブロガーなのであり、手軽さを求めて自己tumbler状態で自らの遺物をまさぐるような人間はブロガーでもなんでもない。それはもうただ、水分を多く含んだ燃えにくい36℃の粗大ゴミ。

2012年5月17日木曜日

ドラクエ9の合成はなぜ間違いで、ディアブロ2の合成はなぜ正しいのか。

ビデオゲームの世界において、紙幣を刷り、硬貨を鋳造し、それを市場へと供給する、中央銀行としての役割を務めているのは誰だろうか。日銀の役割を果たしているのは誰だろうか。







それは、プレイヤーである。
JRPGにおいて通貨発行権を持つのはプレイヤーである。














プレイヤーは、お城へ行く。
王様と話しをする。


王様は言う。
「悪い魔王が復活した、勇者よ、魔王を倒してくれ」。
それにつき、王様はプレイヤーに僅かな資金とアイテムを供与する。


王様と話すだけで、プレイヤーは80goldの通貨と、20goldに相当するこんぼう、ぬののふく、ひのきのぼうを手に入れる。プレイヤーが王様の前に立ち、少しボタンを押すだけで、100goldの紙幣が刷られ、硬貨が鋳造される。通貨が世界へと生み出される。その機会を逃すプレイヤーは居ない。通貨発行権という、巨大な権力を行使すべく、誰もがこぞって王様と話す。通貨発行権を餌にプレイヤーを物語りの世界へと導いてゆく。ドラゴンクエストというゲームは、通貨発行権駆動型のゲームである。











町を一歩出ると、モンスターが現れる。

そのモンスターを倒せばどうなるか。
現れたスライムを倒せばどうなるだろうか。




プレイヤーはスライムを一匹倒す。
すると、3goldの硬貨が鋳造される。




プレイヤーがスライムを倒さない限り、決して世に出る事の無かった硬貨が鋳造され、そして市場へと供給される。もしもそれがスライムではなく、「バブルスライム」であったなら8goldもの硬貨が鋳造される。そして市場へと溶け込んでゆく。





それは、ドラゴンクエストでも、ファイナルファンタジーでも、世界樹の迷宮でも、レジェンドオブマナでも、テイルズでも、スカイリムでも、あるいは他のRPGでも同じである。ビデオゲームの世界において、通貨を発行する権利を持つのはプレイヤーである。世界の中でただ1人、プレイヤーのみが、通貨を発行する権利を持つ。そして、プレイヤーは紙幣を刷る。刷って、刷って、刷りまくる。その快感に酔いしれる。カタルシス。紙幣を刷る。現実世界では、決して味わうことの出来ない体験。現実世界では、体験する事の出来ない快楽。ビデオゲームはその為に存在する。現実世界で味わえない特別な体験をプレイヤーに提供する。夢と現実を掛け渡す、最高のサービス業である。JRPG。それはその頂点である。











スライムは、遂に倒された。
プレイヤーの手によって、討たれた。









けれども、それは、終わりではなかった。

1匹のスライムが討たれれば、また次のスライムがプレイヤーの前に立ちはだかる。そうして立ちはだかったスライムもまた、プレイヤーの手によって討たる。3gold、3gold、3gold、3gold。新たな通貨が鋳造される。5匹、6匹、そして7匹。魔法使いはメラを覚える。スライム狩りは加速する。僅か30分。127goldもの通貨が鋳造され、市場へと出回る。






毎分、毎秒、通貨が鋳造され、
毎分、毎秒、紙幣が刷られた。

市場へと供給される通貨は、プレイヤーの手によって増え続けた。







そこに自ずから生じるもの。

インフレーション。
物価の上昇である。








プレイヤーは自らの欲望を満たす為に、硬貨を鋳造し続ける。紙幣を刷り続ける。現実世界では決して味わうことの出来ない、通貨発行という快楽を、親指一つで満たし続ける。あふれ出す幸福。荒れ狂う絶頂。光り輝く新品の硬貨。折り目のない新しい札。市場に供給される通貨は増え続ける。それは、止まる所を知らない。増えて、増えて、際限なく増え続ける。そこに生じるもの。それは、物価の上昇である。世の人はそれをインフレと呼ぶ。

10goldだった宿屋の宿泊料金は、突然20goldに値上げされる。インフレ率100%。通貨発行権を持つプレイヤーが、無計画に通貨を発行し続けた結果がそれである。しかも、それは終わりの始まりでしかない。20goldだった宿屋の宿泊料金は30goldに値上げされ、やがては50goldへと値上がりし、遂には100goldの大台が迫る。インフレ率1000%。悪夢の世界が目前に迫る。缶ジュース1本1000円。牛丼一杯5000円。インフレが庶民の懐を襲い、その生活を破壊する。救世主よ、世界を救い給え。誰もがそれを願うけれど、インフレという悪夢から、世界を救う勇者様はどこにも居ない。見あたらない。






そこで、プレイヤーが取る行動は何だろうか。
通貨の発行量を減らし、インフレを抑制しようとするだろうか?









否。
アホである。
日本人は皆、アホである。
ゲーマーはすべからくアホである。

800%を超えるインフレ率の中で、通貨発行権を持つ、巨大な権力者であるプレイヤーが取る行動は、さらなる通貨の発行である。アホで、まぬけで、あんぽんたんである。日本人には、知性というものが完全に欠如しているのである。経済学の基礎というものが全くわかっていないのである。いや、知性というものを備えた日本人も僅かながら、居ることは、居ろう。確かに、少しは居ろう。しかし、そのような知的生命体たる日本人はビデオゲームなどという、非生産的でくだらない娯楽には決して手を出さないのである。アホで、まぬけで、あんぽんたんで、おつむが完全にやられちまっているが故に、人はビデオゲームをプレイするのだ。かくして、ビデオゲームの世界の経済は1つめの戦争が終わったウィーンと貸す。ハイパーインフレ。1つのブレッツェルを求めて、ふた抱えもの札束が投げられる。財布という概念は完全に崩壊する。インフレ。恐怖の世界。リフレ派の口車に乗れば、何れ我が国もそのようになる。









もはやスライムは見向きもされない。

プレイヤーのターゲットはスライムナイトであり、さまようよろいである。3goldなどという、少額硬貨が鋳造される日はもう二度と来ない。インフレ率1500%の世界において、3goldは役に立たない。底なしの欲望と欠如した経済知識を兼ね備えたプレイヤーの行動論理は単純にして明解である。刷れるものは刷れ。刷れるだけ刷れ。かくして通貨が発行され続ける。インフレ率1500%の世界でも、胡麻の風味豊かなカリッカリでサックサクの天ぷらを夕飯に食べたいという肉欲的な理由によって、巨額の通貨が発行される。自らの己の為だけに、その欲望を満たす為、他人の事などつゆ知らず、通貨を発行し続ける。発行量を増やし続ける。

強大な権力によって紙幣を刷ったプレイヤーは、自らが発行した通貨を全て己の懐に入れるという暴挙を行い、その権力を増大させ続ける。時は1567年、甲斐に拠点を構え、先進的な法律と軍法を整備し、領内の金山を背景に高品質の金貨を発行し、日の本一の通貨を軸に強大な軍を整え、止まる所を知らぬ威勢を誇った武田信玄の前に、突如暗雲が立ちこめる。金山に枯渇が迫り、金貨の鋳造量が三分の二に落ちる。翌年はさらに、その二分の一。

かくして信玄は粛清に走る。血縁者の資産を強奪し、枯渇した金山の穴埋めを行う。しかし、信玄の焦りは収らない。身内を殺して得たものは巨額の資金。失われたのは通貨発行権という強大な権力。身内の粛清と資産の強奪くらいでは、通貨発行権の穴は埋まらない。その情念は癒されない。人間社会における最も巨大な権力を手にし、それを失った信玄は焦る。正常な思考を失ってゆく。

さらなる暴挙へと突き進む。粛清によって懐に入れた金で武具を整え、馬を揃え、血縁者であった同盟者の領土へと侵攻する。それを滅ぼし併呑する。身内の粛清によって造られた戦費で行われた禁断の裏切りの侵略戦争によって芽生えた、一握の家内の不和の萌芽は、15年の時を経て、因果応報の結実を迎える。粛清と裏切りの果てに信玄が自ら跡継ぎに選び名指しした勝頼は、忠臣の裏切りを受け天目山で死ぬ。

しかし、プレイヤーは信玄ではない。プレイヤーは、勇者である。金剛覇力の勇者である。勇者の金山は甲斐にはない。それは佐渡になく、また出雲にもない。それ故に決して枯渇しない。枯渇しないばかりか、その産出量は勢いを増し、無尽蔵に増え続ける。その手には佐渡を掘るべきツルハシではなく、てつのつるぎが握られる。スライムナイトがあらわれた。

スライムナイトは親指第二間接の、僅かな微動で瞬時に討たれ、71goldもの紙幣が刷られる。さまようよろいの場合は50gold。それだけではない。さまようよろいが呼び寄せた、ホイミスライムを1匹倒せば、21gold。新たな硬貨。新たな紙幣。通貨の発行量は増え続け、そして加速する。いかづちの杖が振りかざされる。轟音が鳴り、光が走る。欲望に狂う金の亡者の手によって、哀れな魔物が折り重なって死ぬ。471gold。僅か数ミリの親指と、たった1つのコマンドで、471goldもの通貨が発行される。









かくして、インフレは加速する。









8goldの「ひのきのぼう」
30goldの「こんぼう」
100goldの「どうのつるぎ」


そんな光景は、遠い昔。
武器屋を覗いてごらんなさい。
そこに広がる阿鼻叫喚の地獄絵図。







2000goldの「はがねのつるぎ」
4400goldの「はじゃのつるぎ」
6300goldの「まどろみのけん」

買えない。
僕にはもう、手が届かない。
それは勇者にしか買う事の出来ない値段。
通貨発行権を持つ強大な権力者だけがショッピングを楽しめる世界。








ハイパーインフレである。
庶民の生活は完全に崩壊する。
しかし、プレイヤーの生活は崩壊しない。
何故ならば、プレイヤーは通貨発行権を持つ強大な権力者だからだ。
即ち、である。プレイヤーだけが得をする、無慈悲なインフレは加速を続ける。








ビデオゲームは人々に、何を提供しているのだろうか。

それは、通貨発行権である。ビデオゲームとは、巧妙に偽装された通貨発行権である。JRPGとは、複雑に隠蔽された通貨発行権ソフトウェアである。ゲーム会社は、通貨発行権を売っているのである。通貨発行権が発売される度に、人々は狂乱の渦に巻き込まれる。俺にも寄越せ、通貨発行権を寄越せと、ヤマダに、ヨドバシに、ビッグに、amazonに殺到し、通貨発行権を奪い合う。その強大な権力を奪い合う。狂った目をして。いかれた目をして。






















ビデオゲームならば、それで良かった。
インフレは、許容された。






何故ならば、それは閉じた世界の出来事。ビデオゲームの中の出来事。どれだけ紙幣を刷っても、その弊害は無きに等しかった。インフレが起きても誰も泣かない。ハイパーインフレが生じても誰も死なない。閉じた世界の出来事だった。プレイヤーにとって都合のよいものならば、インフレもハイパーインフレも容認された。ビデオゲームの世界は、血と暴力で満ち溢れた現実世界とは全く別個の、平和でおだやかな世界だった。




けれども、それが、オンラインゲームとなると話が違う。



















オンラインゲームの世界もまた、ドラクエの世界と同じである。
プレイヤーが敵を1匹倒せば、倒しただけの硬貨が鋳造される。
通貨発行権を持つのは、プレイヤーである。





さりとて、オンラインゲーム。
プレイヤーは、1人ではない。
百人、千人、一万人、いや、100万人。




それだけのプレイヤーが居る。
毎分、毎秒、紙幣を刷り続ける。

インフレが生じる。
そして、インフレが生じる。






1人1人のプレイヤーが、それぞれ個別に紙幣を刷るのなら、まだ良かったのかもしれない。けれども、それはオンライゲーム。プレイヤーは、徒党を組み、共同作業で紙幣を刷る。作業効率は上がり、通貨の発行量は段違いに増える。5本のいかづちの杖が同時にかざされ、水銀製の体温計をイニシアライズするような手つきで賢者の石が振られ続ける。ダメージ、ダメージ、回復、ダメージ、ダメージ。折り重なる死体の山。殺され続けるモンスター。きせきの剣を両手に持った可憐な女達の集団が、新たな哀れな生き物を切り刻んでゆく。回復、殺害、回復、殺害。刷られる紙幣、刷られる紙幣。紙幣、紙幣、また紙幣。インフレ、インフレ、そのまたインフレ。卵は10個で1000億円。うどん一杯10兆円。ハイパーインフレをも超えた、ウルトラインフレの世界である。







通貨はその価値を失ってゆく。






全てのプレイヤーの財布が無尽蔵の紙幣で満たされる。新規登録したプレイヤーが最初に産み落とされる、町の拠点の大理石の床の上には、物好きな男の手によって札束が散蒔かれている。足の踏み場もない。人々はそれに目も呉れない。誰もそれを拾おうとはしない。何も知らない新人の、新規登録者の中の新規登録者だけがそれを手に取り、ぬか喜びする。通貨が完全にその価値を失った世界で、札束を手にして。





それでも、紙幣は刷られ続ける。
なぜか。




理由は、簡単である。プレイヤーが、馬鹿だからである。アホであり、まぬけだからである。通貨発行権という強大な権力が手元にある限り、その権利を無制限に行使し続ける。自制はない。計画もない。経済のケの字もわかっていない。当たり前である。馬鹿だから、オンラインゲームなどというものに興じるのである。アホだから、ビデオゲームをするのである。人間社会では何の役に立たない、能無しのまぬけのあんぽんたんだから、ゲームなどというものをプレイするのである。故に紙幣は刷られ続ける。刷られ、刷られ、そしてまた刷られる。






それだけには留まらない。

ビデオゲームでは、ゲーム機の電源を落とせば通貨の発行は完全に止まったが、オンラインゲームではそうはいかない。ゲーム機の電源を落としても、他の誰かが紙幣を刷る。休む事なく刷り続ける。プレイヤーが風呂に入っている間にも、オンラインゲームの世界では他の誰かの手によって、紙幣が延々と増え続けている。眠っている間も、働いている間も、歯を磨いている間も、ご飯を食べている間も。紙幣は増える。どんどん増える。学校へ行き、帰宅すると、昨晩まではまだ価値があった2000億ものgoldは、止まる事の無いオンラインゲームの、歩みを止めぬインフレにより、1グラムの重さのアルミニウム製硬貨ほどの価値すら無くなってしまっている。






果たして、通貨はその価値を完全に失う。

ドラゴンキラーが1本14000goldの世界において、僅か10分で700兆goldもの紙幣が刷られる。通貨はもはや通貨ではない。アホで、まぬけで、知性というものを完全に欠いたプレイヤーどもに、通貨発行権を手渡した世界のなれの果てである。溢れかえる、金、金、金。その後に及んで、始めて気がつく。





「この通貨発行権は、まやかしだ」
過疎が、はじまる。





かけがえのない貴重なものだと考えられていた通貨発行権は、ただのまやかしだった。その事実が遂に露呈する。オンラインゲームの終焉である。「あの通貨発行権はまやかしだ」そう口々に大声で叫び、他の通貨発行権を求めてインターネットへと立ち去ってゆく。あるいはJRPGへと帰って行く。ゲームとは、通貨発行権である。通貨発行権を配布出来なくなったゲームは死ぬ。ゲームが死ねば、困る人が居る。オンラインゲームの開発者である。












通貨発行権を売る。
それが、ビデオゲームという商売である。




しかし、ビデオゲームというビジネスモデルは、その始まりから完全に、破綻してしまっている。経済学の基礎知識もなく、水平のフィリップス曲線も理解できず、マンデルフレミングモデルのようなトンデモに飛びつくような低能無学のDQNども(世間では一般的にゲーマーと呼ばれている類の人種)に通貨発行権を売りつける。それがビデオゲームという商売である。あっという間にインフレし、あっというまに崩壊する。そして、通貨発行権はその意味を失う。オンラインゲームは捨てられる。開発者は食いっぱぐれる。オンラインゲームとは、必然的に崩壊する。必ず崩壊するものなのだ。







しかし、である。

ファイナルファンタジーオンラインに現金を支払う人間が今も居る。
ワールドオブウォークラフトに現金を支払う人間が今も居る。
次のドラクエはオンラインゲームとして開発されている。

破綻して死んだビジネスモデルであるはずの、
オンラインゲームが生きている。
一体、何があったのか。









オンラインゲームの発展の歴史。
それは、通貨発行権を巡る戦いである。








オフラインゲームでは、売り切りの通貨発行権を売りっぱなしで売ればよかった。インフレだろうが、ハイパーインフレだろうが、開発者にとってはどうでもよかった。しかし、オンラインゲームではそうはいかない。売りつけたゲームにプレイヤーを繋ぎ止め、継続的に定額料金を支払わせ続ける必要があった。それを実現する為に、オンラインゲームの開発者達が取った行動。それが、通貨発行権の回復であった。プレイヤーの手から通貨発行権を巧妙に奪い去り、開発者の手元へと取り戻す。そうする事で通貨の発行量を制御し、インフレで壊れてしまった世界経済を正常な状態へと修正する。その為の手段が新通貨の導入であった。







「gold」という通貨は、無数のプレイヤー達による、無思慮で無尽蔵な通貨発行合戦によって引き起こされたウルトラインフレを経て完全に崩壊してしまった。開発者には「プレイヤーから通貨発行権を奪う」という選択肢もあった。けれども、今更通貨発行権を強引に奪い返してみたところで、オンラインゲームの世界に出回った大量の札束はどうにもならない。

出回りすぎた札束を片っ端から焼いてと灰へと返した上で、プレイヤーから通貨発行権を奪えれば、「gold」も息を吹き返すだろう。インフレは収まり、正常な経済が戻るだろう。しかし、そんな暴挙は許されない。プレイヤーの紙幣を焼けば、プレイヤーは怒り狂うだろう。財産を勝手に焼かれたと、開発者を非難し、オンラインゲームを捨てるだろう。

これまで与えられていた通貨発行権が奪われるというだけでも怒り心頭であろうに、そればかりか、これまで仲間達と徒党を組んで馬車馬のよう働いて、夜な夜な刷り続けてきた紙幣が全て灰になる。そんな事をされれば、プレイヤーはキレる。完全にキレる。ぶち切れて、そのオンラインゲームを徹底的に叩く。叩いた上で葬り去る。そうなっては困る。開発者は困る。食いっぱぐれる。食べてはいけない。その為の、新通貨である。







通貨発行権をプレイヤーに与えない。
開発会社が発行権を保持する。

石で出来た、巨大な貨幣。
新たな、通貨。








オンラインゲームの世界に、一匹のボスモンスターが生み出される。
そのボスモンスターは、30分に一匹だけゲームの世界に現れる。
どれだけ歩いても、決してエンカウント出来ない。
世界に一匹。それも、30分に一匹。




そのボスモンスターは二分の一の確率で、レアなアイテムを落とす。
30分で、1/2。即ち、一時間に1つ。





30分に、1/2個。
1時間に1つのレアアイテム。
1時間に1枚だけの、新たな通貨の誕生である。

通貨発行量は、完全に管理されている。
プレイヤーが、通貨発行量を増やす事は出来ない。
通貨発行権という巨大な権力は、遂に開発者の手に戻る。









ドラクエの世界では、インフレは加速し続けた。

「ひのきのぼう」は「てつのつるぎ」に持ち帰られ、やがては「はがねのつるぎ」に持ち帰られた。攻撃力は増し、戦闘効率は増し、通貨発行量はねずみ算式にふくらみ続けた。インフレ率は、上がり続けた。けれども、30分に1/2の、レアアイテムのインフレ率はそれとは逆。時間の経過と共にインフレ率は収まり、0%に向かって低下し続ける。

レアアイテムの発行量は常に一定。ボスモンスターの出現数は、開発会社によって完全に管理されている。決してそのペースが加速する事はない。レアアイテムという新しい紙幣は、一定のペースで穏やかに刷らる。そして世界に染みこんでゆく。当初は100%を誇っていたインフレ率は、月日と共に低下してゆく。50%、33%、25%、17%、14%。ドラクエとは正反対に、日を追うごとにインフレ率は収ってゆく。勝利。完全勝利。新通貨という究極の新兵器による、開発者の戦勝である。経済という名の戦争に勝利したのだ。インフレという究極のラスボスが討たれたのだ。インフレは収まり、世界経済は蘇る。ゲームは息を吹き返す。





「gold」はジンバブエドル。
「レアアイテム」は米ドル。

ジンバブエと化したゲームの世界を飛び交う価値ある米ドル。
「gold」が完全に意味を失った世界で、米ドルはその価値を堅持する。

FRB。
それは開発者。
もう二度と、決して手放されない、米ドルの発行権。









新たなるボスモンスターが導入される。
そのボスモンスターは、4時間に一匹だけ湧く。
倒せば六分の一の確率で、超レアなアイテムをドロップする。

4時間1/6。
即ち、1日に一枚。
一日に一枚だけ刷られる紙幣。








新たなるボスモンスターが導入される。
そのボスモンスターは、24時間に一匹だけ湧く。
それを倒せば十分の一の確率で、ウルトラレアなアイテムを落とす。

24時間で1/10。
即ち、10日で一枚。
10日に一枚だけ刷られる巨額紙幣。









1時間1個のレアアイテムが大量に溜め込まれ、たった一つの超レアなアイテムと交換される。超レアなアイテムは、同じように40個集めて纏める事で、ウルトラレアなアイテムと交換される。経済の復活。完全復活である。通貨発行権を巡る戦いは、ここで一先ず休戦を迎える。










ここに1つの問いがある。
通貨発行権を持つのは、誰か。


明白な回答。
それは、プレイヤーである。









通貨発行権は、制限された。
1時間に、1個のレアアイテム。

確かに、それは1時間に1個。
けれどもそれは、一時間に一個。







通貨発行権という巨大な権力を渇望するプレイヤーたちは勤勉に、30分毎に1体のボスを倒し続ける。代わる代わる、交代交代で、1時間あたり2体のボスが倒される。1時間で一枚の紙幣が刷られる。24時間で24枚。一ヶ月で700枚。通貨の供給量は増え続ける。世界が紙幣で満ちて行く。新たな通貨で満たされてゆく。そして、遂に、飽和する。レアアイテムも、超レアアイテムも、ウルトラレアなアイテムも、全て同じように増え続ける。刷られ続け、鋳造され続け、やがて世界に染みこんでゆく。そして何れは飽和する。通貨を発行するチャンスをプレイヤーは決して逃さない。紙幣を刷るチャンスは、決して見過ごされない。それが24時間に一枚だろうと、一週間に一枚だろうと、必ずや刷られ続ける。次から次へと刷られ続ける。そして、全ては飽和する。あらゆる紙幣は何時か飽和する。市場が歪んでいく。価値が崩れてゆく。蘇ったはずの経済が崩壊してゆく。









スクウェアエニックスならば、こうしただろう。

lv60の計画的に育てられたキャラクターが6人集まれば倒す事の出来る、6時間に一体だけ現れる強いボスを倒せば1/5の確率で手に入るアイテムを7個揃えれば入れる事の出来るエリアで、lv80の計画的に育てられたキャラクターが15人集まれば倒す事の出来る、1日に一体だけ現れるとてつもない強さを持ったボスを倒せば、十分の一の確率で手に入るレアアイテムを10個集めて名匠に渡せば、レアな武器が一本手に入る。その武器でしか傷を付ける事の出来ない、3日に一体だけ現れる、lv99の計画的に育てられたキャラクターが15人集まれば倒せるか倒せないかという、とてつもない強さのボスを倒せば、1/3の確率で「凄まじい強さの剣」「凄まじい強さの鎧」「凄まじい強さの槍」「凄まじい強さの爪」「凄まじい強さの両手剣」「凄まじい強さの盾」「凄まじい強さの杖」「凄まじい強さの籠手」「凄まじい強さの弓」「凄まじい強さの薬」「凄まじい強さのリボン」「凄まじい強さの鞭」「凄まじい強さの斧」「凄まじい強さのマント」「凄まじい強さの聖剣の合成元となる石」「仲間全員を完全回復するラストエリクサー」の何れかが手に入る。

所謂、「廃人仕様のオンラインゲーム」というビジネスモデルである。














他に、手は無いのだろうか。

レアアイテムを導入し、さらなるレアアイテムを導入し、そしてさらなるレアアイテムを導入する。量のインフレではなく質のインフレによって欲望を管理し、プレイヤーを繋ぎ止める。オンラインゲームの開発会社が選択出来る手法は、それしかないのだろうか。








否、である。
答えは否である。
僕等は遂に待望の、diablo2へと辿り着く。











「gold」

通貨であったはずの、通貨。
インフレによって、滅びた通貨。
プレイヤーに配布された通貨発行権。

今では、無価値なもの。













「gold」

それを復活させる方法。
インフレによって、滅びた通貨。
今では無価値な通貨発行権に、息を吹き込む方法。









世界が札束で溢れたならば、片っ端から焼けばいい。
世の中に出回りすぎた札束を、片っ端から焼けばいい。

そんな事が、出来るはずがない。
紙幣を焼くなんて出来やしない。

ブリザードの答え。
ブリザードの目標。

ブリザードは焼くことに決めた。
ディアブロ2は、紙幣を焼く。










その為に選択された手法。
それが、ギャンブルである。

ギャンブルとは何か。
ディアブロ2の世界における「ギャンブル」、とは。





それは、ギャンブルである。
金を支払い、剣を買う。

購入した剣には、様々な特殊効果がついている。
どのような特殊効果が付くかは、買ってみるまでわからない。




「ギャンブル」とは、ギャンブルである。
金を払い、鎧を買う。

購入した鎧には、様々な特殊効果がついている。
どのような特殊効果が付くかは、買ってみるまでわからない。




「ギャンブル」とは、ガチャである。
巨額を支払い、靴を買う。

そして、乱数は冷酷である。
価値ある靴は滅多と出ない。













ピラミッドよりも巨大な札束の山が、ものの十分で消え去った。辺りに散らばるのは役に立たないゴミアイテム。取るに足らない凡アイテム。打ち棄てられたアイテムを、再びショップに売却すれば、その買取り値は1/100。手間賃にすらなりやしない。かくして、刷られた紙幣は焼かれる。全ては灰へと生まれ変わり、風に吹かれて大地に溶ける。山より巨大な札束は、世界から完全に失われ、インフレ率が収ってゆく。ジンバブエを、ウィーンを、ブレノスアイレスをも凌駕した、前代未聞のインフレ率は、あっという間に落ちてゆく。「gold」は再び蘇る。「gold」がその価値を取り戻す。やりこめばやりこむ程に、人は「gold」を求める。

理想のプレイに必要な武器と防具を求めて彷徨う。夢のビルドを完成させる、僅かな乱数の偏りを求め、「gold」を探す旅に出る。ボスを倒し、雑魚を倒し、ボスを倒し、そしてまた群がる雑魚を薙ぎ倒し、レアなアイテムを大量に確保し、そのアイテムを他のプレイヤーに売りつけ、「gold」に換え、新高山よりも巨大な札束を抱えてギャンブルへと走る。小一時間後、彼の手には「魔術師にとっては垂涎の指輪」と、「パラディンにとってはかなり使える兜」だけが残される。しかし彼の職業はバーバリアン。魔力の指輪も、守護の兜も不用である。




失われたのは、紙幣。
大量の紙幣。

焼かれた紙幣。
消えた紙幣。

そして低下するインフレ率。
1人の廃人の手によって、蘇った「gold」の価値。









ディアブロ2はオンラインゲームである。
プレイヤーは1人ではない。
1人ではなく、大勢居る。
廃人も1人ではない。
廃人は大勢居る。




彼らはそれぞれ松明を手にとり、思い思いに札束を焼く。
ギャンブルという名の釜にくべ、紙幣を端から焼いていく。




願いを込めて札束を焼く。
それでも乱数は偏らない。
望みの品は手に入らない。





静かに息を吹き返す「gold」。
復活する通貨発行権という強大な権力。
オンラインゲームに蘇る、幻の失われた通貨の価値。





ドラクエには、武器がある。
鎧があり、兜があり、盾がある。
夢の武器。理想の鎧。最強の兜。一番の盾。

1,武器。
2,鎧。
3,兜。
4、盾。

全て集めるには4つ。






ディアブロ2にも武器がある。
鎧があり、兜があり、盾がある。

1,武器。
2,鎧。
3,兜。
4,盾。

けれども、それで終わりではない。
ディアブロ2には、ベルトがある。

靴があり、マントが有る。
首飾りがあり、指輪がある。
サブ武器があり、サブ盾がある。
弓があり、矢がある。

ディアブロ2における、キャラクタービルド。
それは、1つの装備で結果が出るものではない。

理想のキャラクターを作り、夢のプレイングを実現させるには、乱数の偏りによって生み出された、理想の装備が一式全て、頭のてっぺんから爪先まで必要となる。ベルトから指輪から兜から靴まで、全てコンプリートしてやっとはじめて、思い通りのプレイが出来るという極めて過酷なゲームなのである。曲りくねった一本道である。ギャンブル、ギャンブル、そしてギャンブル。乱数、乱数、乱数の偏り。その果てにあるコンプリート。









ギャンブル。
それはギャンブル。
今の言葉を使えばガチャ。
我が国を賑わす騒動の源流。
その源は、ディアブロ2にあった。











それだけではない。

ディアブロ2というゲームには、ギャンブルというインフレ対策以外にも、経済を蘇らし、活性化する為に様々な施策が存在している。たとえば、ディアブロ2には宝石というものが存在する。




宝石。

それは、僅か10分前にディアブロ2をインストールしたばかりのプレイヤーでも、簡単に手に入れる事の出来るありふれたアイテムである。プレイ開始から5分で手に入るようなアイテムが、希少なものとして有り難がられるわけがない。然り。その通りである。




しかし、ディアブロ2の世界では違う。

僅か開始5分で手に入るようなアイテムが、取引の俎上に載せられる。ディアブロ2の世界には、複数の宝石が存在する。ダイヤモンド。エメラルド。ルビー。古代の文字が描かれた輝く魔石。あるいは、頭蓋骨などという、宝石と呼ぶには抵抗のある、気持ちの悪い宝石もある。それらには全て、等級がある。

「宝石の破片」「ひび割れた宝石」「傷ついた宝石」「宝石」「完璧な宝石」1つの宝石につき、5段階ものグレードがある。ディアブロ2の世界において、真に貴重なものは、「完璧な宝石」だけである。「完璧な宝石」だけが装備を特別に強く出来る。他のグレードの宝石では、大きな事は出来ないのである。





ならば、完璧以外の等級の宝石は、無価値なのだろうか?
否である。答えは否である。





ディアブロ2には、合成というシステムが存在している。
複数のアイテムを魔法の箱に入れて、合成ボタンを押せば、瞬時に新たなアイテムが生まれる。






たとえば、ダイヤの破片。
一番ありふれた、価値の低いダイヤ。

ダイヤの破片を3つ入れて、合成ボタンを押す。
すると、「ダイヤの欠片」が手に入る。

ダイヤの欠片を3つ入れて、合成ボタンを押す。
なんと、「ひび割れたダイヤ」が手に入る。

然り。

「ダイヤモンド」を3つ入れて、合成ボタンを押そうではないか。
なんと、そこには、「完璧なダイヤ」。
最高の等級が手に入る。






完璧な宝石を拾うのは大変である。

強いボスを倒しても、洞窟の奥の宝箱を開けても、そう簡単には手に入らない。しかしグレードの低い宝石は、それなり簡単に手に入る。そして驚くべき事に、やりこみにやりこんだプレイヤーでも、はじめたばかりの初心者でも、宝石の欠片の入手効率には、それほど大きな差はつかない。確かに、明確な差は存在する。やりこめばやり込むほど、レベルが上がればレベルが上がるほど、入手効率は上がる。けれども、決定的な差はつかない。絶対敵な差は付かない。そこが「gold」の入手効率と違う所である。グレードの低い宝石を収集し、合成を重ねて行けば、やがては完璧な宝石になる。自ずから、宝石は「gold」とはまた別の、もう1つの通貨として機能する。




ディアブロ2の世界に入った初心者は宝石の破片を懸命に集めて合成を繰り返し、「ひび割れた宝石」や「欠けた宝石」を1つ合成する事で、初心者にとっては貴重な武器や防具を手に入れられる。装備一式と引き替える事が出来る。熟練者にとって、便利な装備一式を手に入れるよりも、不完全な宝石を1つ手に入れる事の方が、遙かに手間のかかる作業なのである。よって、やりこんでいるプレイヤーは、価値のある武器や防具を倉庫に溜め置き、それらを欲しがるプレイヤーを見かける度に、倉庫の肥やしを宝石に替える。宝石の欠片を買い集める専業の仲買人が生まれ、その流通を活性化させる。取引には、事欠かない。初心者は宝石を大切に持ち運ぶだけで、低確率でしか手に入らない、自分の職業に合致した、望みの武具を手に入れられる。





他のオンラインゲームにおいて、ゲームを始めたばかりの初心者が、装備一式を揃える手っ取り早い方法は、「乞食」である。プレイ経験が長く、下級装備を持て余した熟練者に「武器をください」「防具をください」と言い寄ることである。しかし、ディアブロ2の世界では違う。プレイを始めて僅か1時間で、レベル一桁時点での最強装備と替えられるだけの、宝石の欠片が手に入る。そして、宝石経済は健全に、そして活発に回り続ける。

ディアブロ2というゲームには、ろくな武器や防具を持たず、レベル上げもアイテム収集効率も低い、始めたばかりのプレイヤーにも、希望する武器や防具を手に入れる為の手段が用意されているのである。機会が用意されているのである。「お恵み」でも「施し」でも「乞食」でもない、経済活動としてのアイテム入手法が存在しているのである。ディアブロ2という世界には、人間が人間として扱われる為の仕組みが備わっているのである。人が人として、尊厳を失わずに誇り高く生きてゆく為の経済が存在しているのである。クルーグマンは言う。健全な経済は健全な精神を保証すると。ディアブロ2は正にそれである。











ここに、完璧な宝石がある。
そして、天空の剣がある。

希少価値の高い完璧な宝石と、最強クラスの攻撃力を備える天空の剣。この2つが交換されたとする。プレイヤーAは宝石を手に入れ、プレイヤーBは剣を手に入れる。剣と宝石は、共に失われる事なく世界に存在し続ける。思い出してみよう。ビデオゲームに何が起きるか。オンラインゲームで何が起きたか。

宝石、宝石、そしてまた宝石。
剣、剣、そしてまた剣。

ゲーム内にアイテムが増え続ける。
流通数は増え続け、それと引き替えに希少価値は失われてゆく。

かつてオンラインゲームの経済が、札束の山やアイテムの飽和で崩壊したように、宝石と剣で埋もれたディアブロ2の世界も崩壊するはずである。しかし、である。ディアブロ2は崩壊しない。ディアブロ2の経済を支えるもの。ディアブロ2のアイテム飽和を押しとどめるもの。アイテムインフレを押さえつけるもの。それが、合成ボックスである。






プレイヤーが所持する宝石。
プレイヤーが所持する剣。

その2つが交換された時、それは所有者が変わっただけである。







合成ボックスに投入される複数の宝石と希少な剣。
合成により生み出され、取り出された強力な剣。

複数の宝石と剣が、一本の剣と引き替えられた。
しかし、である。それは所有者の変更ではない。





プレイヤー間のトレードでは失われなかった「宝石」が消失している。消え失せている。合成元の剣までもが、世界から完全に消失している。合成ボックスというブラックホールに吸い込まれ、ゲームの世界から完全に失われてしまっている。これが、ディアブロ2に存在する、もう1つの焼却炉である。ギャンブルと両翼を成す、ディアブロ2が誇る「焼き尽くしシステム」である。「合成ボックス」という魔法の箱は、ゲーム内に増えすぎたアイテムを焼却する事で、アイテムインフレを防ぐ役割を担っている。ギャンブルが紙幣を焼き、合成ボックスはアイテムを焼く。これにより、ディアブロ2の世界ではインフレが抑制されている。紙幣は刷っても刷ってもギャンブルに焼かれ、アイテムもまた同じように焼かれてゆく。プレイヤー自らが、喜び勇んで合成ボックスへとアイテムを投げ入れ、そして焼いていくのである。他のオンラインゲームでは無思慮に通貨を発行し続けたプレイヤーが、ディアブロ2という魔法の世界では、自ら望んで焼いてゆくのだ。










合成ボックスの究極とも言える焼却機能。
それが、「乱数リセット」である。










ディアブロ2には、「アイテム」と「ユニークアイテム」が存在する。
そしてそのどちらにも、乱数により生み出された特殊な効果が付属する。

ギャンブルで手に入るのは「アイテム」だけである。
ユニークアイテムは決して手に入らない。





ユニークアイテムを倒すには、敵を倒し続けるしかない。
倒して、倒して、倒し続けても手に入らない。


倒して、倒して、倒し続けて、もっと倒して、さらに倒して、延々倒して、ボス、ボス、ボス、ボス、雑魚、雑魚、雑魚、雑魚、片っ端から倒して、倒して、さらに倒して、もっと倒して、延々倒して、やっとこさ、希少なユニークがドロップする。悪く言えば、苦行である。よく言っても、苦行である。それは完全な苦行である。まあ、精々、作業である。そうまでして手に入れたユニークアイテムに付属する、乱数効果が「がっかりな乱数効果」だったら、、、。そうまでして手に入れたユニーク武器についた乱数効果が、「敵を攻撃する度に、HPが1ポイント回復する」と、「道具として使えば、ホイミの効果を発揮する」と、「店に売却した際の金額が20%上がる」の3つだったならば・・・。絶望である。それは絶望である。






ディアブロ2には、その為の救済措置が用意されている。

完璧な宝石を6つ集めて、ユニーク武器と共に合成ボックスに投入し、合成ボタンをポチッと押せば、特殊効果がリセットされる。再び乱数が引かれ、新たな乱数効果を持った、同じユニーク武器が箱から出てくる。当然宝石は失われる。僅か1クリックで、6つもの「完璧な宝石」がゲームの世界から失われる。ディアブロ2のサーバーの中で、無数のプレイヤー達が拾い集め、合成に合成を重ねてやっとの事で作り上げられた完璧な宝石が一瞬にしてゲームの世界から消えて無くなる。それも、1つや2つではない。6つである。かくしてインフレは収る。ゲームの世界が宝石で溢れかえる事はない。宝石は常に希少であり、宝石はその価値を失わない。

不変不滅の宝石は、どんな駆け出しのプレイヤーの1時間にも、一定の価値を保証する。あらゆるプレイヤーのプレイングには、宝石という報酬が保証される。ユニークアイテムの乱数特殊効果を付け替えたいと願う廃人の夢は、同時にあらゆる初心者の平凡で非効率なプレイングにも命を吹き込む。経済という巨大な手が、全てのプレイヤーを暖かく包み込む。










ディアブロ2に用意された、究極の経済政策。
僕の指はまだ、それに届かない。








廃人プレイヤーはギャンブルを続ける。
大量の金と引き替えに、念願の装備を手に入れる。

廃人プレイヤーはユニーク武器の乱数を引き続ける。
大量の宝石と引き替えに、念願の特殊効果を手に入れる。

頭のてっぺんから爪先まで、念願の装備に身を包む。
倒す相手は、もう居ない。




夢は叶う。
物語は終わる。





「もう全て、やりつくした。」満足して、彼は去る。
1人、また1人とディアブロ2の世界から立ち去ってゆく。






僅かな人だけがディアブロ2の世界に残る。
廃墟と化してゆくゲームの世界。

かつては完璧だった器も、今では虚ろ。
経済を回すべきプレイヤーは居ない。




ブリザードエンタテイメントが、焼いて、焼いて、焼きまくって、紙幣を焼いて、武器を焼いて、防具を焼いて、宝石を焼いて、焼いて、焼いて、燃やし尽くして維持した世界にも、遂にアイテムが余りだす。もうオンラインになる事のない、休眠プレイヤーの倉庫が希少なアイテムと希少な宝石で埋まってゆく。世界最強の焼却炉も、数百万のプレイヤーの、無限に等しい遊びの果てに、遂に敗北を迎える。終焉である。オンラインゲームと同じように、ディアブロ2にも終焉が迫る。もはやギャンブルをするものはなく、もはや宝石を焼く者はいない。物と金とで世界が埋まり、それと引き替えに人は居なくなる。経済は止まる。世界が静まってゆく。










ブリザードエンタテイメントに、残された手段はもはや無い。

と、僕は思う。
普通は、そうだ。
もう、無いはずだ。







しかしブリザードエンタテイメントは格が違った。
ブリザードは、焼くのである。
ディアブロ2を焼くのである。





「ラダーリセット」

ブリザードは言う。
一ヶ月後、リセットします。





リセットが行われると、どうなるか。
答えは、明白にして、簡潔。

全てが初期化されるのだ。
もう一度言う。
全てが初期化されるのだ。

今まで集めたgold。
今まで集めたアイテム。
今まで上げたレベル。
今まで育てたキャラクター。

全てが初期化されるのだ。
それらは、もう二度とプレイ出来ない。




DOOOOOOOOOON!!!!
経済の停滞に業を煮やしたブリザードはゲームの初期化に打って出た!!!
滅茶苦茶である。はちゃめちゃである。やんちゃである。意味不明である。

これぞ、ブリザード究極の焼却魔法にして究極焼却焼き尽くし奥義。
ラダーリセットの術である。





それは、一ヶ月後。
これまで築き上げてきたものが全て失われる。





人々は焦る。
慌てふためく。
「おいおい、そんなのってないだろー」




いつか使うかもと、ため込んできたgold。
いつか利用するかもと、ため込んでいた完璧な宝石。

それでいて、使われる事の無いgold。
それでいて、日に当たることの無い宝石。

僅か一ヶ月後に、それらは全て消失する。
となれば、人々が取る行動は1つ。




「今のうちに、使ってしまおう」
人々はこれまで貯蓄した全ての資産を使おうとする。





ブリザードのラダーリセットは、「オンラインのリセット」である。これまでのキャラクターはリセットされ、もう二度とオンラインでは使えない。けれども、キャラクターはローカルには残る。オンラインでは遊べないけれど、ローカルには残り続ける。また、手に入れたアイテムもローカルには残る。オンラインでは使えないけれど、ローカルならば使えるのだ。

そして、ディアブロ2のラダーには、期間毎に限定のユニークなアイテムが存在する。「ラダー二期でしか手に入らない盾」や「ラダー四期でしか手に入らない弓」といったように、特定ラダー期間限定のユニークアイテムが存在する。それも複数存在する。

それら、特定ラダー期間限定のユニークなアイテムは、ほとんどの場合、たいして強くはない。あまり使い道の無い、最終装備には決してならない、平凡なユニークアイテムである。よって、大切にされる事もなければ、取っておかれる事もない。二束三文で取引される。けれども、ラダーリセットが発表された瞬間に、事態が一変する。

特定ラダー期間限定のユニークアイテムは、コレクション用のアイテムとして、その価値が一気に高騰する。5倍、10倍、時として、100倍。性能から考えれば、無茶苦茶な値で取引される。それまで溜め込まれていたユニーク武器や、それまで溜め込まれていたgoldや宝石を乱暴に用い、コレクションアイテムが買い求められる。ラダーリセットの発表と同時に、ディアブロ2の経済は沸騰する。バブルである。ラダーリセットバブルである。普段ならば、決して市場に出回る事が無かった、究極武器と呼べるような最強の装備までもが市場に出回る。蚤の市は品物で溢れかえる。

特定ラダー期間限定のユニークアイテム一式と、これまで1000時間もかけて集めた資産全てを交換しようとする人。倉庫を空にして手に入れた山盛りの完璧な宝石を合成ボックスに投入し、意味不明なテンションでゲラゲラと笑いながら乱数効果の抽選を引き直し続ける人。ラダーリセットバブルの大波に乗り、夢また夢の最強装備を手に入れそれを装備して、意気揚々とラスボスを狩って俺TUEEを無邪気に楽しむ人。頭のネジが完全に弛んで、これまで手に入れたアイテムを地面に散蒔き「thank you」の一語とトレードする人。ircや掲示板で金をせびり、その金を全てギャンブルに注ぎ込んで「ろくなアイテムが出なかったぜfuck」と15分後に報告の書き込みをする人。それを笑う人、喜ぶ人。祭りである。お祭りである。

えらいこっちゃである。えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、よーい、よーい、よいよいである。バブルである。いざなみである。使ってしまわねば、どうせ一ヶ月後には無に帰す金である。ブリザードの究極焼却魔法で焼き尽くされる資産である。人々は必死に使う。有り金を全て使って楽しもうとする。望みのアイテムを、望みの体験を、望みの一期一会を楽しもうとする。これぞ、究極の焼き尽くしにして、究極の経済政策である。




かくして、ディアブロ2の経済は突如ファギーに蘇る。
蘇るばかりか、爆発する。爆発である。大爆発である。





よくあるオンラインRPGの運営が、「全てリセットします、初期化します」などと言ったなら、罵詈雑言が飛び交うだろう。「ゲーム内の経済が停滞したのでリセットします」などと言うと、意味不明だと糾弾されるだろう。しかし、ブリザードエンタイテメントはそうではない。blizプレイヤーはひと味違う。「リセットします」と言われれば尻尾を振って発狂し、涎を垂らして喜んで、ディアブロ2を遊ぶのである。
















歓喜の歌を歌おうじゃないか。
僕等は遂に待望の、ドラクエ9へと辿り着く。
















ドラゴンクエスト9。
我が国で最も売れたRPG。


そこに潜む1つのパクリ。
その不完全なパクリこそが、ドラクエ9を糞たらしめている。






名を、錬金釜という。

それは、ディアブロ2の合成ボックスの、まごう事なきパクリである。それも、ただのパクリではない。間違ったパクリである。完全に間違ったコピーである。エラッタである。失敗である。欠点である。欠陥である。遅効性の致死毒である。僕はビデオゲームにおける、パクリは全て受容する事にしている。そればかりか、常に称賛する構えでいる。しかし、それを行うのは、パクリが正しいパクリであった時のみである。ディアブロ2の長所であり、ゲームとしての面白さを保証する決定的な要素である合成ボックスが、ドラクエ9においては、ドラクエの面白さをスポイルし、それを糞たらしめている最悪の要素として君臨している。これほどの悪例は他には無い。








ディアブロ2の合成ボックスは、アイテムを焼く。
焼いて、世界から、完全に消し去る。
それはインフレ対策である。


ドラクエ9の錬金釜は、アイテムを焼く。
焼いて、世界から、完全に消し去る。
それは、何の為なんだ?










ディアブロ2の合成ボックスがアイテムを焼くには理由があった。

オンラインゲームの世界では、アイテムが溢れると問題が出る。アイテムで溢れかえり、飽和し、アイテムがその価値を失ってしまう。それに伴い、経済が崩壊してしまう。健全な交換が行われなくなり、プレイ体験が損なわれてしまう。よって、生み出されるアイテム量に匹敵するペースで、アイテムを焼いてゆかねばならない。ゲームの世界から消し去らねばならない。その為の合成ボックスであり、その為の合成だった。ディアブロ2の合成とは、アイテムを焼いて消し去る為のシステムだった。




3つのアイテムを投入し、1つのアイテムを取り出す。
それがディアブロ2の合成だった。

アイテム量を2/3に減らす。
それがディアブロ2の理由だった。




ドラクエ9の合成は全く違う。
ドラクエ9はオフラインゲームである。

オフラインゲームのインフレと、オンラインゲームのインフレは全くの別物である。ディアブロ2では他のプレイヤーと世界を共有している。故にインフレは大きな弊害を招く。ゲームの世界を崩壊させる。けれども、ドラクエ9はそうではない。ゲームの世界は、分断されている。どのようなウルトラインフレが生じようと、弊害は全く生じない。インフレ上等。それがオフラインゲームである。金が溢れる。物が溢れる。上等じゃないか。それはいいこと。素晴らしいこと。それこそがビデオゲーム。それこそがRPG。それこそがドラクエ。焼く必要性は全く無い。エリクサーが255個で何が悪い?万能薬が255個で何が悪い?フェニックスの尾が255個で何が悪い?何も悪く無い。それがゲームだ。それがRPGだ。それがJRPGという名の通貨発行権だ。それこそが、我が国が誇るビデオゲームなのである。




ところが、ドラクエ9の錬金釜は焼く。アイテムを焼く。
3つのアイテムを入れて、出てくるのは1つ。
2つのアイテムが焼かれて消える。




何故だ。
その理由は何だ。
世界から、アイテムを焼き去るのは何故なのだ。




ディアブロ2には理由があった。
インフレ対策である。

ドラクエ9には理由はない。
ディア2をパクっただけである。
何の考えもなしに、ただディアブロ2をパクっただけである。





ディアブロ2の合成は、「通貨」という意味と「焼く」という意味を持つ。宝石の欠片を集めれば、上位の宝石に合成出来るという事実は、宝石に通貨としての価値を与える。3つのアイテムを1つのアイテムに変換する事で、ゲーム内のアイテム流通量が1/3になる。インフレとアイテム余りが解消される。どちらの要素もドラクエには無い。

能無しで無能な開発者どもが、ただディアブロ2という有名なゲームをコピーしただけである。有名で、よく売れたというだけの理由で、そのシステムをなんの考えも無しにそのままパクっただけである。世界で最も偉大なRPGを、ただコピーしただけである。ディアブロ2が「合成ボックス」という名の下でアイテムを焼き続けた理由を、少しも想像せず、考えず、顧みず、ただ表層のみを見て、それをコピーしただけである。知性を完全に欠いた行為である。劣化コピーであり、最も最悪なパクリである。









やくそう3つで上やくそう。
上やくそう2つで特やくそう。
特やくそう2つで万能薬。

その理由は何だ?
何故そんな手間が必要なんだ?
プレイヤーにそんな作業を強いるのは何故だ?









ディアブロ2にも、同じ要素がある。

小ポーション3つで、大ポーション。
小manaポーション3つで、大manaポーション。
大ポーション3つと、大mana3つと、【宝石】で、瞬間ポーション。



ディアブロ2のポーション合成には理由があった。
それは宝石である。宝石を焼く為である。




ディアブロ2のポーションは、時間をかけて体力を回復するアイテムだ。
大きなダメージを立て続けて受けると、回復が追いつかなくなる。
瞬時に回復したいなら、瞬間ポーションが必要だ。




たかが体力回復に、宝石が必要となる。
それは、宝石の価値を保証する為の担保であった。




ポーション合成とは、宝石を焼く為のシステムである。ディアブロ2の経済の健全さを保証する為の、アイテムインフレ抑制システムである。ゲームをはじめたばかりのプレイヤーでも、僅か5分で簡単に手に入ってしまう宝石の欠片を、簡単に焼いて消し去るシステム。それがポーション合成なのだ。

インフレを抑制する為のブリザードの経済政策として、ディアブロ1ではショップで購入可能だった瞬時回復ポーションが、ディアブロ2では購入不可能へと変更された。そして、宝石を焼く為のシステムに組み込まれた。ディアブロ2の瞬間ポーションは、もっとも平凡でもっと有り触れた、最も使い勝手のよいレアアイテムなのだ。その為の合成である。その為の宝石である。全ては経済の為なのだ。全てはインフレ対策である。




けれども、ドラクエ8に宝石は無い。
ドラクエ9に経済が無い。
焼く必要は無い。
全く無い。




合成という意味不明な手間を、プレイヤーに強いる理由は無い。
やくそうが買えるなら、上やくそうも店売りで良い。
上やくそうが買えるなら、特やくそうも店売りで良い。
特やくそうが買えるなら、万能薬も店売りで良い。

最初の町ではやくそうを売り、
ゲームが進めば上やくそうを売り、
最終盤の町では万能薬を店で売ればいい。

焼く理由が無いならば、合成というシステムは無用の長物。
にも拘わらず、ドラクエ9は合成を強いる。理由は何か。



理由は無い。
理由など無い。

では、何故か。
パクリだからだ。

一切の頭を使わず、脳味噌を働かせず、ディアブロ2の開発者達が幾たびものパッチと苦心惨憺を重ねて作り上げたシステムを、ただ単純にパクったからだ。ディアブロ1という歴史を踏まえて作られた、経済の為のシステムを、なんの考えもなしにコピーしたからだ。故にドラクエでは、やくそうを合成し、合成し、合成して、万能くすりという名のエリクサーを作る。ディアブロ2で言うところの、紫potを作らせる。





しかも、ドラクエ9の合成は、ただのパクリではない。

ディアブロ2の合成は、合成ボックスにアイテムを入れて、ボタンを押した瞬間に行われる。一瞬で結果が出る。欲しいアイテムを取り出せる。しかし、ドラクエ0は違う。錬金釜にアイテムを入れ、その辺を意味なく歩き回らねば合成は完成しない。よって、ドラクエ9はプレイヤーに意味のない、アホでまぬけな作業を強いる。錬金釜にアイテムを入れ、熊牧場の熊のように、右へ左へ歩き回らせ、理解不能な徘徊行動をとらせる。全く以て意味のない、長い待ち時間とトヘロスを唱えた上での右往左往の果てに、やっと合成が完成する。ディアブロ2ではそうではない。入れた瞬間結果が出る。合成ボタンを押した瞬間、目当てのアイテムが取り出せる。




これが間違いでなければ何だ。
これが劣化コピーでなければ何だ。

パクリ以外の何物でもない。
それも、完全に間違ったパクリである。

我が国のビデオゲーム史上、
最低にして最悪のパクりである。








まだあるのだ。
申し訳ないが、まだあるのだ。




ドラクエ9の合成の、最悪たる所。
それが、五つ星アイテムという、上級武器の作成だ。






ドラクエ9の最強武器は、合成によってのみ手に入る。
強い武器と、複数の石と、複数のオーブの合成によって手に入る。
錬金釜を用いない限り、決して手に入らない最強のレアアイテムである。





似たような話を、どこかで聞いたきがする。
ああ、そうだよ。
もちろん、そうだよ。





それは、ディアブロ2というゲームの話し。
ディアブロ2の最強武器は、合成によって手に入る。
強い武器と、複数の宝石の、特定の組み合わせによって手に入る。
合成ボックスを用いない限り、決して手に入らない最強のレアアイテムである。







それは、コピーだ。
完全なパクリだ。

そうであったならば、どんなに良かっただろうか。
完全なパクリだったならば、どんなにマシだっただろうか。

ドラクエ9のパクリは、パクリですらない。
劣化コピーであり、完全なる改悪である。






ドラクエ9における、五つ星武器の合成は、失敗する。
五つ星武器の合成は、失敗するのである。
成功率は、僅かに10%~20%。

合成に用いた複数の石も、
合成に用いた複数のオーブも、
合成に用いた元となる武器も、
全てが消失され、さらにセーブされる。

そうだ。
焼かれて失われる。
なぜそんな事をする必要がある?

プレイヤーが苦労を重ね、
時間をかけて集めたアイテムを、
どうして焼き消す必要がある????




無い。
理由は無い。
理由などない。
あるわけがない。

能無しで無能な開発者どもが、ただ意味もなくディアブロ2をパクり、ただ意味もなくディアブロ2のフォロワーをパクる。合成ボックスというアイテムが、インフレというオンラインゲーム最強の敵と戦う為にブリザードエンタテイメントが生み出した最終兵器だという事を、全く理解せず、その表層だけを見て、「ディアブロ2みたいな合成入れましょうよ」「そうだねー、あれ楽しいですしー」などと意味不明な会議を経て、あほでまぬけな福岡人どもが意味もなく、「ディアブロ2に合成というシステムが存在した」という事だけを根拠に導入された錬金釜の行き着いた究極の糞システムが、「五つ星合成は失敗する」という理解不可能な超仕様である。クルーグマンは言う、ドラクエ9は糞であると。クルーグマンが言わぬなら僕が言う、ドラクエ9は糞である。糞ゲーですらない糞である。






五つ星合成の失敗。
これにも、元ネタがある。

ディアブロ2の合成ボックスには、常に乱数が付き纏う。
ユニーク武器にも乱数によって特殊な効果が幾つか付く。

素晴らしい乱数が付けば素晴らしい武器だが、平凡な乱数だと微妙な武器、という事が往々にして有る。まあ、10回も乱数を引けばそれなりの特殊効果が付くだろう。前述の通り、ユニーク武器の乱数を引き直すには、大量の宝石が必要となる。「究極の合成は失敗する」というシステムは、ドラクエ9だけではなく、ディアブロ2にも存在してたのだ。





けれども、これは、何度でも言おう。
ディアブロ2には、焼く理由がある。

世界に増えたアイテムを、焼いて消し去る必要がある。それは経済の為である。正常なインフレ率の元で、ゲーム内の経済が活性化されると、その恩恵は廃人に及び、その恩恵は初心者に及ぶ。廃人が1つ宝石を焼けば、その恩恵はlv3の初心者にまで、僅かなさざ波となって波及する。そのシステムは廃人の為であると同時に、0からスタートしたばかりの初心者の為のシステムでもあるのだ。




ところが、ドラクエ9には焼く理由はない。

プレイヤーが最強武器を手に入れたいと願い、膨大な量の時間を費やし、四つ星武器と、3つの秘石と、3つのオーブを手に入れた。あとは錬金釜に突っ込むだけである。ところが、其の段に及んで、「成功率15%」と画面には表示される。85%の確率で失敗作の武器が出来る。プレイヤーが希望を胸に、心を躍らせて材料を集め、長い時間をかけた末に、一切の理由もなく唐突に、パーセンテージが提示される。これが理不尽でなければ何だ。これが糞でなければ何だ。これは虐待である。ただの虐待である。これは、暴力である。純然たる暴力である。

ドラクエ9の開発者は、ただの暴力を「やりこみ」だと主張し、ただの虐待を「しつけ」だと主張する。そういう連中である。ビデオゲームを破壊せしめる悪徳集団である。ゲームを愛する者を、死へと追いやる悪人である。ゲームをプレイし、ゲームをやりこみ、ゲームに多くの時間を費やしたプレイヤーを、パーセンテージという、根拠のない、理不尽な暴力で叩きのめす。パクリとコピーの殴る蹴るで、暴行を加えるヤクザである。





一体誰がビデオゲームを衰退させているのか。
一体、誰がゲームを殺しているのか。

結論は単純にして明解。
無能で能無しのゲーム開発者どもだ。





JRPGを殺害したのはプレイヤーではない。開発者がプレイヤーを殺害したのだ。開発者が意味不明なパクリによってプレイヤーを虐待し、開発者が理由なきパクリによってプレイヤーを殺害したのだ。見捨てたのだ。

ドラゴンクエストを簒奪し、ディアブロ2を冒涜し、日本人の敬虔で健気なるプレイヤーを虐待し、叩きのめし、その暴力でぶん殴り、学徒の小遣いを強奪し、その金で女を抱き、BMWを買い、家を建て、高い酒を飲み売り上げ万本に酔いしれる。糞である。我が国の恥である。

ドラゴンクエストという不倒不滅の金看板に、糞以外の何物でもない糞システムを塗りたくり、糞を日本人に売ったのだ。「JRPGはこんなものだ」と日本中に触れ回ったのだ。「JRPGはゴミ屑だ」と日本中に宣伝して回ったのだ。日本中に触れ回ったのだ。連中が殺したのだ。ゲームを殺したのだ。JRPGの息の根を止めたのだ。あんなゴミを売りつけられて、またJRPGを遊ぼうなどと思う人間はほとんど居ない。我が国のかつての栄光の、僅か一筋の命脈は、あの糞によって絶たれるのだ。












僕はパクリを憎んでいるのではない。
間違ったパクり、間違ったコピーを憎んでいるのだ。

我が国で最も成功したディアブロ2クローンである無双シリーズは、ディアブロ2を研究し、ディアブロ2の良い所をパクった。ディアブロ2と同じように武器という概念を導入し、ディアブロ2と同じように特殊効果をランダムで付け、特別製の入手困難な最強武器を用意し、ディアブロ2と同じようなスキルツリーを導入し、ディアブロ2と同じように剣や弓、あるいは魔法などでプレイヤーを擁護する傭兵を連れ歩けるようにし、ディアブロ2と同じようにプレイヤーキャラクターにレベルという概念を付け加え、ディアブロ2と同じように用意された難易度でクリアする事で新しい難易度がアンロックされるようになった。ディアブロ2と同じような拡張パックが発売され、ディアブロ2と同じように新しいキャラクターが追加された。

あるいは世界樹の迷宮は、ディアブロ2のスキルツリーをコピーして、人々の探求心とカスタマイズごころを、見事にくすぐる事に成功した。パクりが倫理的に許されて、そして面白さに繋がるならばよい。パクりは正しい行為だ。人類はそうやって発展してきた。ビデオゲームはそうやって進化してきた。けれども、ドラクエ9のパクりは違う。最悪のパクリだ。我が国のビデオゲームプレイヤーを脳死に追いやる、致死性の糞コピーである。

ディアブロ2は今も手放しで絶賛されるようなゲームではない。けれども、その時代においてオーパーツ的な完成度を誇る名作である事は確かだし、その要素には特筆に値するものが多い。けれどもディアブロ2のシステムは、ディアブロ2の為のシステムであり、全てのシステムには理由がある。オンラインゲームとしての理由がある。それを意味なくパクれば、どうなるか。糞ゲーが出来る。なんの考えも無しに根拠なくパクれば、まごう事なき糞ゴミが生まれる。完成するのはゴミである。完全無欠のゴミである。有毒で害悪なゴミである。

知性という牙を用いて噛みちぎり、思考という歯を用いて十二分に咀嚼してこそ、パクリは始めて意味を持つ。面白いゲームが完成する。ドラクエ9のように、ただ世界で一番売れた名作をパクるというだけの理由で、ディアブロ2の一要素を盗んで改悪し、ディアブロ2に存在していたという理由だけで会議を通して改悪し、ディアブロ2に存在していたというだけで模倣されたシステムは、糞以外の、何物をも生まない。そうして生み出された糞システムは、ドラゴンクエストという歴史の遺物の看板を汚しながら日本中を駆け巡り、レベル5は金を儲け、ビデオゲームは衰退する。JRPGは死んでゆく。何度でも言おう。JRPGを殺害したのはドラクエ8であり、ドラクエ9だ。JRPGを殺害したのは、致死性のゴミ屑で有害な毒糞を乱売する以外に能のない日野晃博、レベルファイブの連中どもだ。

ここ数日、俺に執拗な嫌がらせを繰り返す奴が居る。

ここ数日、俺に嫌がらせをする奴がいる。正体は不明だ。俺がキーボードでxとタイピングすると、そいつは俺に嫌がらせをする。ただの嫌がらせではない。悪質な嫌がらせだ。これは推測だが、俺に嫌がらせをしているのは、1人ではない。連中は徒党を組んで俺に嫌がらせをしている。証拠はある。午前3時にも、午前10時にも、午後4時にも、午後8時にも俺は嫌がらせを受けている。とても1人では行えまい。連中は徒党を組んで俺の日常を妨害する。俺を攻撃する。俺が「x」と打ちたくてxキーを静かに押し下げると、そいつはrangeと付け加えてくる。これが嫌がらせでなくて何だ。俺は「x」と打ちたかったのに、画面に表示されるのは「xrange」なる文字列。俺のような特別でプレシャスな天才は世界中の糞野郎どもから嫉妬される。そして執拗な嫌がらせを受ける。だが、俺はそんな事では挫けない。何故ならば、俺は天才カリスマアルファブロガーの真性引き篭もりhankakueisuuだからだ。俺は戦う。俺はめげない。俺は決して諦めない。右下を見る。Back Spaceを発見する。中指を持ち上げる。五度叩く。xrangeという嫌がらせから見事に5文字をdenyして、俺はxを取り戻す。俺のxを取り戻す。しかし、悪質な連中による嫌がらせは続く。まだまだ続く。途切れる事なく延々続く。おそらく俺のパソコンはインターネットのやりすぎてハッカーどもにハッキングされ、遠隔操作を受けているのだろう。xだけではない。yまでもが連中の嫌がらせの対象になる。俺がyとタイピングすれば、連中はierdと書き入れやがる。意味がわからない。俺は自らのパソコンの自らのキーボードで、書きたい文字を書いているはずなのに、連中の嫌がらせによりその望みは絶たれる。俺がタイピングしたはずの「y」は、「yierd」という文字列として具現化する。糞忌々しいナードどもめ。俺は嫌がらせを受けている。嫉妬だ。嫉妬によるものだろう。連中は俺の才能を嫉んでいるのだ。それ以外に考えられない。俺は天才だ。世界最高の天才である俺の輝かしきテキストはierdやrangeという謎の文字列で汚される。俺はBack Spaceキーを手に取り、懸命に連中と戦う。死闘である。武器はBack Space。これが俺の武器だ。俺の闘争だ。自由を求める為に俺は生きている。自由の為に戦い、自由の為にBack Spaceを堅打する。ダダダダッ。俺の体臭の染みついた俺の臭い俺の部屋に俺の打鍵音が響き渡る。連中の悲鳴が聞こえる。俺は勝利するのだ。俺はxを取り戻し、俺はyを取り戻す。俺は勝利したのだ。連中の嫌がらせに打ち勝ったのだ。そう思ってzキーを押し下げると、連中の魔の手はそこにも潜む。14インチのCRTに表示されたのは俺が心の底から望んだ「z」ではなく「zip」の文字。糞っ喰らえだ。俺は攻撃されている。俺は被害者だ。

2012年5月15日火曜日

正常な欲望が手に入れば正常な人生が手に入りますか?

これまで生きてきた中で今日が一番と思えるくらいの閉塞感は漂っている。けれども私には夢がある。希望がある。目標がある。向上心がある。夢を持ち、希望を抱き、目標を定め、それに向かって努力する人生を、閉塞感という文字でしか表現出来ないのは遺憾の極みだ。これは閉塞感などではなく、絶望感だ。絶望感と書き綴られて然る可きなのだけれど、絶望という文字列と向き合うだけの身心リソースが存在していないという理由だけで、閉塞感という無難な言葉に置き換えられる。自らの国体を護持する為に、憲兵隊に身をやとし、くだらない言葉狩りに人生を費やす。ほのかな夢はまた遠くなる。




その夢は悪い、そんな夢はろくでもない、捨てちまえ。今すぐに捨てちまえ。そんな声が太い太い幾重にも折り重なった帯になり、遙か上空を猛スピードで飛び交っていく。質量はない。そういうものだ。おまえの夢はくだらない、おまえの夢は真っ当じゃない、おまえの夢はただの妄想でおまえはただの馬鹿。1012年の我が国では、他人の夢を頭ごなしに否定して笑いながら罵る声には事欠かない。そういう人達は、きっと素晴らしい人生と素晴らしい夢を生きているんだろう。きっとそうなんだろうね。けれども現実はこうだ。人の夢を馬鹿にして、人の欲望を嘲笑う、醜い生き物がここに居る。




夢が先か。現実が先か。正常な人生には正常な夢が宿り、異常な人生には異常な夢が宿るという仮説は時として、とても正しいもののように思える。一点の曇りもない紺碧の正論に見える。けれども、異常な夢を持つ人間には異常な人生しか訪れないという罵詈雑言もまた、とても正しいものに思える。まともな奴はまともなループの中で生き続け、まともじゃない奴はまともじゃないドラム式洗濯機の中でハムスターのように勇壮に駆ける。ゴールテープを張る人は居ない。拍手を送る歓声もない。駆け寄り抱き合う相手もいない。終わりはない。走り続ける。




目が覚めれば喉が渇く。少し歩けば腹が減る。歩き続ければ眠たくなる。それが、人である。人としての正常さである。どのような異常な人物にも、迫る魔の手の正常さである。人は生き物である。生き物であるが故に、生き物としての正常さからは決して逃れる事は出来ない。正常な夢、正常な生活、正常な人生、そういったものには、生き物としての正常さを満たすだけのリソースがある。とんかつを食べたいと思い、とんかつを食べるような人間になりたいとは思わない。けれども、とんかつを食べたいという欲望は正しい。




その欲望を下劣なものだと心の底から馬鹿にしても、生き物である以上は食べねばならない。飲まねばならない。眠らねばならない。カローラを笑うのは簡単だ。けれどもカローラがあればどこにでも行ける。高速道路にだって乗れる。知の高速道路の架橋を見上げて今日も雪下ろしで日が暮れる。手を止めたが最後、雪に埋もれて潰れるだろう。徒歩では半里も歩けない。金が欲しい。力が欲しい。ネイビーシールズを送り込んで、気に入らない奴を抹殺したい。まともじゃない。残された僅かなまともさがもう、明らかにまともじゃない。正しさ、正常さ、まともさ、相応しいときにあればよかった。今では異常さだけが望まれている。




根底が揺らいでいる。腹が減り朦朧とする。喉が渇き目が霞む。眠れず椅子に這い上がっては、頭を垂れて転がり落ちる。いったい何が出来ようか。この世は罠で満ちている。正常さの罠で満ちている。どんな日常を過ごしていようと、ふとしたきっかけで正常さを踏み抜く。足に絡んだ正常さは、一生の足かせとなって重く伸し掛かる。好きな人を助けたい、好きな人を幸せにしたい、異常な人間がそのように思って焦ってみたところで、出来るのことと言えば精々、人としての尊厳を踏み躙り、決して癒える事のない傷を負わせる事くらいだろう。今日も飢えながら今日も眠たい。

今日の敗因。

今日の敗因は、真性引き篭もりhankakueisuuとして目覚めたこと。
他の何かとして目覚めていれば、素晴らしい一日になっただろうに。
明日の敗因は、真性引き篭もりhankakueisuuとして目が覚めること。
他の何かとして目覚めなければ、素晴らしい一日には決してなるまい。
敗因を分析して、それで何になる。
都合のいい敗因をでっちあげて、それで何になる。

2012年5月14日月曜日

人はどんな時にブログを書くのをやめますか?

更新の止まったブログにばかり行き当たる。
2007年、2009年、2010年、2011年、そして2012年。
みんなブログをやめていく。声を荒げて、あるいは静かに。
時として、それすらもなく突然。




人間はやめる。ブログをやめる。簡単にやめる。
本当は別の事をやめたい。やめたい事がある。
けれども、それをやめるのは困難すぎる。




たとえば、仕事。
我が国の一般的に順調な人間が仕事を辞めれば待つのは衰退。おいそれと仕事を辞めるわけにはいかない。それでも変わりたい。辞めたい。もうこんな生活は懲り懲りだ。潰れてしまう。辞めねばならない。辞めねばならないが辞められない。そんな時、生け贄に捧げられるのがブログだ。「俺は変わる」と人は言う。何かをやめれば自分は変わるんだという幻想に囚われ、身近なものをゴミ箱に捨てる。ブログは手頃な大きさの散り紙の球だ。投げ捨てるにはちょうど良い。

小さな何かを投げ捨てて、少しでも何かが変わるのならば、それは素敵な事だろう。

ジューヌベルヌより340年後、手頃な大きさの鉄の塊が宇宙へと投げ捨てられたが地球は何も変わらなかった。その巨大な鉄の塊は、投げ捨てるには小さすぎたのだ。ブログだって、そんなものだ。




人はブログを書く。
時間を費やし、身心をすり減らし、一心不乱に努力して、継続は力なりとばかりにブログを書く。投げ捨てる為に書いてんだ。投げ捨てる為に書いてんだよ。インターネットを見ている限り、そんな風に思う。

何かを捨てれば変われるんだという幻想だけが、23世紀の暗雲立ちこめる我が国を覆う。マラソンをやめよう。文楽をやめよう。自民をやめよう。民主をやめよう。原子力をやめよう。電気をやめよう。やめるんだ、そして変わるんだ。威勢の良い掛け声につられ、何かを投げ捨てようと辺りを見回す。

何も無い。
平凡な彼らには投げ捨てられるものなど何も無い。仕事を手放すわけにはいかず、売却が可能な車もなく、ゲームはやめてもまた忍び寄る。投げ捨てる家族もなく、別れる恋人もなく、諦める夢もない。投げ捨てられる物は何も無い。


みんなその為に書いているんだ。
何かを捨てたくて書いているんだ。


そうだね、変わればいいね。
捨てて何かが、変わればいいね。
それは素敵なことだよ、多分。

思ってる事を書きたいんじゃない。

思ってる事を書きたいんじゃない。
好かれる事を書きたいんだ。
つぶやかれる事を書きたいんだ。
リブログされる事を書きたいんだ。
心なんてどうでもいい、魂なんてどうでもいい。
魂なんてどうでもいい、魂なんてどうでもいい。

2012年5月13日日曜日

グーグラーは頭がいかれてやがるという事実の証左。

大学を二度出て職に困った事の無い所帯持ちの人間が、職安をファッションとして用い、ガジェットとして使い捨てにしてゆく。思い詰めて追い込まれた末ハロワに行って、今もサーベイリサーチセンターやバイトルドットコムやフロムエーナビから処理しきれない量の迷惑メールが届き続けるような人間がもしも仮に存在していたとすれば、発狂しそうな光景が繰り広げられるインターネットは今正に地獄絵図。何かと思えば元グーグラー。グーグルに入ろうとするような人間は頭がいかれてやがるという事の証左。ハロワに行く気も無い人間がハロワに行くと軽口を叩き、失業給付金も受け取れないような高等遊民が言外に、職安に行くような下層民を鼻で笑う。それに群がるハイソサエティども。糞忌々しいったらありゃしねえぜ。ハロワとは一生無縁の高等民がハロワを騙ってそしり笑い、非モテでは無い人間が非モテを騙り、ニートでは無い人間がニートを騙り、引きこもりでは無い人間が引きこもりを騙るインターネットは腐ってやがる。グーグルにまともな人間は居ないという事は立派な会社に勤める立派な人から聞き及んでいたので僕は、google社が提供するサービスはもう随分と前から一切使わない事にしている。検索はgoogleではなくBIGLOBEサーチ、ニュースはGoogle newsではなく痛いニュース(ノ∀`)、動画はyoutubeではなくYourFileHost、メールはGmailではなくhotmail、RSSリーダーはgoogle readerではなくfeedly、マイクロブログはgoogle+ではなくnowa、地図はgoogle mapではなくgoo地図、IMEはgoogleIMEではなくインターネットで拾ったATOK2008、携帯はアンドロイドではなくiPhone。google社が提供するものは一切使わない。何故かというとそれは僕が、曲がったことが大嫌いな一点の曇りもない清らかな心の真人間だからだ。

2012年5月12日土曜日

おまえには、人の心がない。

おまえには、人の心がない。


そう自らに罵られて目が覚めた。こんな朝早くから、とても悲しい気分だ。彼の言う"人の心"、というものが何を指すのかは僕にはわからない。わからないけれど、そんなものは僕には無いだろう。人の心というものは、人にこそ宿るものだ。人として生まれ、人として扱われ、人として育った者に、自然と宿るものだ。人として暮らし、人として振る舞い、人として生きる者に、自然と宿るものだ。そんなもの、僕にはあろうはずがない。無いのだ。僕には、人の心が無いのだ。それでも世間に併呑されて、いかにも「わたくしには人の心があります」という振りをして生きてきた。けれども、それは猿真似である。見よう見まねの其の場凌ぎで人の心を模倣していただけで、人の心というものが、芽生える事など終ぞなかった。

世間では、人に備わって当然のものであると思われている衝動、感情、思考、それら全てが僕には無いのだ。たとえば存在していたとしても、原形を留めぬまでに、いびつに歪んでしまっているのだ。その事で、僕は非難される。おまえには、人の心がないと責められる。けれども、声を荒げたいのはこちらの方だ。人を寄越せ。人間を寄越せ。人の心が当然宿る、当たり前の人生を寄越してくれ。そうすれば僕にだって人の心が宿るだろう。真っ当な人間として、他の誰かとうまくやっていけるだろう。あるいは自らの人生や世間一般の物事と、折り合いをつけて生きていけるだろう。

もしも今仮にこの僕に、人の心が一寸でもあれば、人の心が当然宿る、自然な人生を手に入れようと懸命に藻掻き、唇を噛み、毛を毟り取り、その痛みから何かを学び、馬車馬のように働き、必死に足掻いて懸命に戦い、自らの生活を変えようとするだろう。人の心が当然宿る、今とは別の人生を手に入れようとするだろう。けれども、僕には無い。人の心が無い。朝起きて、元気になって、懸命にブログを書いている。決して人が人として扱われる事の無いインターネットの片隅で、必死でブログを書いている。眠たくなれば眠たくなったで、明日こそは頑張り努力して、一生懸命ブログを書くんだと自らに誓い、言い聞かせながら眠りに落ちてゆく。人の心が無い。僕にはない。

2012年5月7日月曜日

いうhfらえあえいgるhがえいおうh

寝ても起きても何も変わらない。インターネットで見る光景だけが少しずつ変わってゆく。駄目な日は眠ればいい。もっともっと眠ればいい。駄目な日に善い日の事を考えて、全てを台無しにしてしまわないよう、駄目な日にはただ、ただ眠ろう。善い日は善い日に考えよう。考える事を恐れ、善い日に怯え、具合の悪さに救いを求める。言い訳と小細工だけを探す。

2012年5月5日土曜日

暑さと寒さ

暑さは爪先に、寒さは腹に突き刺さる。他の何かは他のどこかに突き刺さるべく目指して飛ぶ。僕を見捨てて立ち去った眠たさと、物陰から姑息に視線を寄越す満月。鼻は詰まり、目は煮凍り、口は干涸らび、焦燥感も向上心も仕事をしない。同じ繰り返しの歳月の中で、奴らは僕に寄生する、ただのニートに成り下がった。老朽化と内ゲバの愚かな男の胸元に、同じ夜だけが健全さを見せつけながら無情に迫る。このままでは殺されてしまう。血を流し、死んでしまう。つかみ所の無い恐怖感も、もはや今では字面だけ。何もかもが遠のいてしまった。奥歯をずらして二度三度、無理に強く噛みしめてみると、口の奥で頬の筋肉の血管を流れる血の音か滲んで聞こえる。わたしは生きている。元気に生きている。誰にも会わず、誰とも会話せず、誰も愛さず、誰も憎まず。誰かを好きなんだと自分に言い聞かせたり、誰かを憎いと自らに言い付けたり、そういう無駄な事ばかりしている。人間であることを装うために、人間の心を想像し、その通りの感覚を覚えようとしている。そんな事をしても、人間にはなれない。人には戻れない。爪先に突き刺さった暑さも、腹に突き刺さった寒さも、気がつくと抜け落ち失われ、傷跡すらも見あたらない。痛みも面影も思い出せない。

2012年5月2日水曜日

奇跡の朝に

奇跡のような朝。奇跡のような目覚め。奇跡のような一日の始り。
水色と黄金色が混じり合う空を1人で飛ぶような幸せさの感覚。
僅か数時間眠るだけで、全ての現実から目を逸らす五感、六感。

2012年5月1日火曜日

つまらないことでくよくよしないで。

つまらないブログしか書けないだなんて、
そんなつまらないことでくよくよしないで。


あなたの文章がつまらないのは、
あなたがつまらない人だから。
それはあなたの責任じゃない。
あなたの努力ではどうにもならない。

だって、あなたはつまらない人だから。
そうよ、あなたはつまらない人だから。


今日もつまらない一日だっただなんて、
そんなつまらないことでくよくよしないで。

だって、あなたはつまらない人だから。
とてもつまらない人なんだから。


この人生はつまらないだなんて、
そんなつまらないことでくよくよしないで。

あなたはつまらない人だから。
本当につまらない人なんだから。