2012年5月25日金曜日

眠り続ける強い意志

頼るものなく生きていると、諸悪の根源を意志に求めるようになる。自分は意志が弱いから何もできないのだ、そして意志があれば何でもできるのだと思うようになる。前向きに、進歩的に生きるには、意志こそが一番大事なのだと思うようになる。ところが、意志は往々にして無力である。どのような強い意志を持ってしても、僅か24時間という短い時間ですら、眠り続ける事は不可能である。自らの意志を攻撃する人は、そのような論理で動いている。達成可能な目標ではなく、達成不可能な目標を選り好んで選択し、当然ながらし損じる。千載一遇の好機とばかりに自らを攻撃する。自らの意志を攻撃する。意志のせいだ。意志が足りないせいだ。

意志バッシングへと通じる道には、幾つかの経路がある。その中で最も巨大な経路は、達成可能な目標の喪失だろう。人間は10分起きているだけで、無数の目標を手に入れる。顔を洗おう。歯を磨こう。着替えよう。鼻歌を歌おう。何か食べよう。小さな目標が矢継ぎ早にクエストログへと登録され、それをサクサク処理しながら生きる。それが人間というものである。ところが、時としてそれは崩壊する。成し遂げられて当然のはずの目標が、達成不可能な目標になる。顔を洗うには水が必要で、歯を磨くには歯ブラシが要る。着替えるには新鮮な服が必要で、鼻歌を歌うにはそれが許される生活環境が不可欠である。目標が達成可能な目標として成立する為の根底条件が崩れると、突如目標は牙を剥く。達成不可能な目標として、人間の身心に癒える事の無い傷跡だけを残してあっという間に去ってゆく。個々の目標は砂粒のように小さくても、流砂の中を飛ぶ鳩のように、傷つき、消耗し、空を飛ぶ力も失ってゆく。もう二度と太陽すらも拝めない。

それでも、目標は生まれる。
10分起きているだけで、無数の目標が生まれる。

それら全ての目標は、有害な存在である。心に思い浮かんだならば、すぐに棄却されるべきである。達成不可能な目標だからと、無視されるべきものである。捨てられて然るべきものである。ところが、目標というものは、本来ならば大切なものである。人間を突き動かし、人間を生かし続ける、ガソリンであり馬であり発動機である。本来ならば大切なリソースである。かけがえのない資源である。故に人は、目標をなかなか捨てる事が出来ない。達成不可能な無数の目標を大切に抱え込み、やがて身動きがとれなくなる。いつか使える日が来るかもしれないと、捨てられるべき目標を毎晩大切に磨き上げる。しかし来ない。そんな日は来ない。

目標を抱えている限り、一歩も動けない。そしてまた、捨てるつもりもない。何かに使える日が来ると信じている。それでも使わず大切に、保持し続ければ動けない。そうして、人は、使い道を探す。何かを攻撃する手段に使おうとする。選ばれたのは意志だ。強い意志だ。意志を攻撃する。今ではもう完全に、達成不可能となった小さな目標を掻き集め、団子を握って、目一杯に投げつける。意志だ。意志のせいだ。おまえに意志が足りないせいだ。できない事を思い浮かべて、全てを意志のせいにする。僕には意志が足りていない。意志が足りないから駄目なんだ。