2005年2月28日月曜日

シリアス、バグ。



「どうして痩せないんだろう」と嘆く乙女。
それは、余計なものを食べているからである。

同じように、お金が貯まらないのは余計な出費を行っているからであるし、眠れないのは余計な事を考えているからであり、学力が向上しないのは余計な時間を過ごしているからである。

そういう人間に限って、「どうして」と嘆く。
まったく、真剣さが足りない。
少しばかり気合を入れて真剣に取り組めば上手く行くのにだらだらと、適当に物事をこなしては不満と失望を蓄積させるというのは愚の骨頂である。
無論、世の中には努力と真剣さだけでは解決できない事柄もある。「どうして空を飛べないんだろう」と嘆くだけであった人間が真剣に空を飛ぼうとした所で、誰もが誰も飛べるわけではない。
しかしながら、そのように困難な事柄というのは極めて少なく稀である。

世間に横たわる物事の大半は、気合を入れずとも、怠けるのを止めさえすればうまくいく。必要なのは、少しばかりの真剣さなのだ。



ただし、本人が真剣にやっているつもりであっても、真剣さというものが何であるかを理解していなければ意味が無い。
「どうして痩せないんだろう」の前に、「真剣にダイエットをしているのに」が付くか付かないかの違いだけで、結果はまったく変わらない。

こう書くと、なにやら真剣さというものが極めて困難なものであるかのような響きを帯びるが、実は真剣さというものの正体は至って簡単、単純にして明快なものである。

それは、余計なものの有無である。
人間というものは案外にへぼい。
2つの事を同時には出来ない。
どのような優秀な人間であっても、息を吐きながら息を吸う事は出来ないし、パナマ運河を掘りながらスエズ運河を掘れはしない。一人一つが限界である。文武両道などというものもあるにはあるが、それはそれぞれを別個のものとして真剣に取り組んでこそ成り立つものである。


思い当たって思うに至り、問題点は明確になる。
僕には真剣さが足りない。

強くなりたい、正しくありたい、ゲームがしたい、もっと、もっと、もっと、なにか。けれどもなぜだかうまくはいかない。今となっては明らかである。僕と僕を取り巻くその全てという余計なものを気にしては、余計な時間を過ごしていたからである。

余計な物に包まれて、余計な事を考えながら、なにもかもが上手く行かないふりをしてあれもこれもがどうしてだろう。どうしてだろうとぐだをまいては嫌になり、余計な世界へ逃げ込むループ。
余計な物が多すぎる。

僕が今日、なにもかもが上手く行かずにどうしてだろうと嘆く真性引き篭もりである理由は、余計なものが多すぎるというその一点に起因するのだ。他の理由はまったく無い。


いらない、いらない。全部いらない。
インターネットもDOTA allsatarsも300万本売れるシューティングゲームも、ブログもメールもブログ巡りも、ネメシスも早業のハルバートも朝も夜も、無理して食べる食パンも、ウェブサーフィンも書く文も、全てが全て余計でいらない。



僕は僕というものが上手く回らない全てを捨て去り改める為、真剣に、インターネットもDOTA allsatarsも300万本売れるシューティングゲームも、ブログもメールもブログ巡りもネメシスも早業のハルバートも朝も夜も、無理して食べる食パンも、ウェブサーフィンも書く文も、全て捨て去りシリアスに、僕は真剣に真性引き篭もる。


リンク切れの物は削除してくださるとありがたく思います。



(ノ∀`)タハー






というのは実は嘘で、アフィリエイトな糞ブログから糞トラックバックが来たのに激昂して反撃しようとしたものの、トラックバックはおろかコメントすら許可していないような真性引き篭もりブログであった事に憤怒々してみたものの、トラックバックを削除するというのは非常にnot meな事態であるので悩んでいると名案を思いついたので実行してみたら、見事にアフィリエイトな糞ブログからの糞トラックバックを不可視に成功して物凄く満足している所である。重複トラックバックは追って削除しましたので気にしないでください。


2005年2月27日日曜日

【ほんとうに】投稿しそこねました。【すいません】



昨日投稿を行うと予告していた
「300万本売れるシューティングゲームの作り方」
ですが、真性引き篭もりhankakueisuuが

>シューティングゲームに興味の無い読者さんは
>明日アクセスしないでください。
という一文に誠実に従ってしまった為、投稿出来ませんでした。


今回、大変ご迷惑をおかけし、まことにもうしわけございません。
もうしわけございませんでした。



ところで、ブロックブログのトップページの新着ニュース一覧から、障害情報だけがごっそり消えたのはどういう事だろう。いえ、何も。いやー、ねえ。


2005年2月25日金曜日

SOS、助けてください。



真性引き篭もりがピンチです。
ブロガーがブログで発言するなんてかっこ悪い。
時々、そう思っています。
ノートパッド.exeで語れと。

しかし、そのような事を言っておられぬ状況です。
恥を忍んで、馬鹿を承知で。
中略働けmyself。
以上。











以下。
http://www.triangleservice.co.jp/html/trizeal/sos/en.html
トライジールに何が起きているのかを確認すべく、片っ端から読んで回ったのだけれど、読めば読むほど悲しくなった。
なにが悲しいって、まず文章が面白すぎる。
本物には勝てないのだという迫力をまざまざと見せ付けられた。
それはさておき、本当に悲しい。
シューティング脳は悲しい。





売れないゲームソフトの製作者が、そのソフトを売る為に「SOS、助けてください」とやったというのがあらましであり、そこからして悲しいのだけれど、本当に悲しいのはその周辺である。

該当シューティングゲームであるトライジールの評判を調べまわってみた所、ほぼその全てが悪評であった。
いや、それにも例外はあって、例えばファミコン通信.comなどでは、


>縦スクロールシューティングの復権! 『トライジール』
>●久しぶりに熱くなる!!
>こりゃやるしかねぇ!!

とまあ、このような有様であるのだけれど、こういう例外を除いてはほぼ全てのシューティンガーが芳しくないという評価を下している。

シューティングゲーム中毒者達は、シューティングゲームを守りたいと思っているのは確実である。買い支えて、遊んで、次回作が出るように100円でも貢献したいと考えているようである。





けれども、トライジールというシューティングゲームと、その続編にあたるだろう未来のソフトウェアを守りたいと考えている人はほとんどいないというのが実情である。

にもかかわらず、この記事に触れたシューターの方々は、助けよう!買おう!という方向で進んでいる。



トライアングルソフトウェアがやるべきだったのは、
「SOS、買って下さい」ではなくて、
「面白いです、買って下さい」だったはずである。
面白さを裏づけするムービーを出し、体験版を出し、どのようなゲームであるのかの説明を出して訴えるというのが正しい道であり、本当はそうするべきだったのだ。

結局の所、「面白いです」と書けないシューティングを作ってしまったトライアングルソフトウェアに残された手は「SOS」しか無かったのだという事なのだと思う。
そのようなゲームとゲーム会社は淘汰され消え行くのが当然であり、定めである。

面白いシューティングゲームと、力量のあるシューティングゲーム製作会社のみが生き残った方が、シューティングゲーム界隈にとっても有益であると思う。
トライアングルソフトウェアが生き残る事により何人のユーザーが幸せになるのかという事を想像しても、絶望に近い数字が浮かぶ。
より強く言うと、淘汰され消えるべきである。
初めて店頭で手に取ったシューティングゲームが糞ゲーだったというよりも、面白いゲームであったという方がゲーマーにとってもジャンルにとっても良い事なのだから。





けれども、この「SOS」の本当は、そういう事ではないのだ。
「SOS、助けてください」の主語に来るものは、トライアングル・サービスでも、トライジールでも、トゥエルブスタッグ・リミテッドでも、プロジェクトラムダでもない。

一人のシューティング脳患者、である。
シューティングゲームというものに見入られ、ロマンを感じた人間にとって、この能力不足で時勢を読むにも事欠いたドリームな一人のシューティング脳患者から発せられる「SOS」は他人事では無いのだと思う。

会社を辞めて借金をして、戻れぬ道へ立ち入ってしまった一人のシューティング脳患者の姿は、淘汰され消えるのが正しい姿、などとは口が裂けても言えない位に身につまされるもので、同じ病を抱えた人間ならば、予約せずにはおられぬだろう。





SOS文に爆笑し、トライジールというシューティングゲームがもっと凄い面白いものだと思って、これは面白いぞと嗅ぎ回った僕としては「見なければよかった」という悪評の山と「見なければよかった」という惨状と「見なければよかった」というあまり明るくない文章を書くに至ってしまい、まことに不本意である。
もっとHAPPYでのほほんでほんわかな話だと思ったのに。
まったく、当てが外れた。






もう、正直見てられん。
こうなったら、僕が立ち上がるしかない。
はっきり具体的なものを書いてやると決意して、
「300万本売れるシューティングゲームの作り方」
という投稿を行おうと思ったのだけれど、トライアングルソフトウェアのウェブサイトで公開されているムービーを2Dシューティングのものだと思ってクリックしたら、最も苦手なタイプの3Dシューティングであった為に、ぐりんぐりんに酔っては頭痛を誘発してしまい、とてもじゃないが書けるコンディションではなくなってしまったので、まことに無念ではあるが、「300万本売れるシューティングゲームの作り方」を書いて投稿するのは明日にしようと横になる。

よって、明日の投稿は「300万本売れるシューティングゲームの作り方」なので、シューティングゲームに興味の無い読者さんは明日アクセスしないでください。
よろしくお願いします。




真性引き篭もりがピンチです。
頭痛と吐き気が共鳴します。
おやすみなさい。さようなら。


背景が黒は文字が読めないような気がしてきたので白くしてみた。



これはこれで、微妙な気がする。


背景に色がついているblogを見てると背景が白は目に痛いような気がしてきたので黒くしてみた。



どうも、微妙な気がする。


2005年2月24日木曜日

脳内彼女



脳内彼女を作ろうと努力をしたのは、1度や2度の事ではない。
けれども僕には出来なかった。


この国のどこかに将来僕と一緒になる人がいて、その日が来るまで待てばいいと思ってた。まで待とうと思ってた。けれども一人待つのは寂しくて、待ちくたびれて、誰かを探した。
脳内彼女を、探して瞑った。
脳内彼女が欲しかったから。違う日常が欲しかったから。
歩いたり、走ったり、沈む夕日を惜しんだり、2週間も口を聞かなかったり、部屋の財布を持ち逃げされたり、またよろよろとぎこちなく、腕を組んだりしたかった。

けれども僕には出来なかった。
脳内彼女が作れなかった。
僕と誰かの恋物語というものは、コメツキムシとマッコウクジラの4時間に及ぶ決闘を想像するよりも難しく、荒唐無稽なものであり、言葉足らずの僕の脳では成し遂げられぬ大事業だった。
何度も何度も試したけれど、まずなによりも無理だった。
脳内彼女を思い描く前に、僕自身を思い描くという事が出来なかった。






ところで見事に話は変わる。
いや変わらないのだけれど、アマゾンアソシエイトです。

左も左赤も赤、極左の極左の真っ赤っ赤な真性引き篭もりとしては、
>「村社会に貨幣経済が導入されて、共同体が崩壊うんぬん」
といった話を思い出されるのは非常に光栄なのですが、そこはですね。

そこはですね、やはりアマゾンアソシエイトでNOと言えで書いたのはあくまでもゲームレビューとアマゾンアソシエイトの関係であり、作業用アプリケーションだとか本だとかCDだとかといったものの事まで考えて書いたわけではないのです。
ピンポイントの狭い範囲を対象として書いたわけです。

評価の指針が無い上に、かなり特殊な商品です。
数十時間の拘束を求めるのは当たり前で、価格は書籍の3から5倍で、ベストセラーの10倍以上も売れる商品が定期的に出ます。よく出来たソフトウェアは往々にして糞ゲーであり、売り上げのよいソフトは往々にしてよく出来ている。よく出来ているからして良いレビューなど書き放題で、それは非常に魅力的であり、大抵の人は泳いでしまうのです。

「ゲームが全て」という捻じ曲がった人生を歩んでいる人間は大勢いるわけで、そういう人達にとっては、ネット上に存在する数少ない優れたゲームレビューの書き手がアマゾン川に行ってしまうという事は真に由々しき事態なのです。
欲望の権化が週に10冊30時間というのは可能ですが、週に10本200時間というのは不可能で、やっぱりいいレビューが欲しいよね。という、特殊な人の特殊な死活問題に焦点を当てたアンチアマゾン.comなのです。







と、一応アマゾンアソシエイトにNOと言え、である。
けれども実は、あれを書いた本当の所はそこではない。
もちろん、そういうつもりでも書いたというのは事実だけれど。


>悪いゲームレビューブロガーによる悪いゲームレビューブロガーへのエントリー。
というのは、真性引き篭もりから真性引き篭もりへのエントリーという事であり、

>インターネット革命をもう一度。
というのは「ドラゴンクエスト」と検索した日のときめきを。

>ウィザードリークラシックスだけであり、
で「シドマイヤーズアルファケンタウリしか貼ってないから」という言い訳を潰し、

>その神経を疑うのだが。
止めを刺して人格否定。




「村社会に貨幣経済が導入されて、共同体が崩壊うんぬん」
とはまったくの、別のおはなし。
書いた本人くらいしかわからない。
なにせ、真性引き篭もりですから。
実は、こちらがメインであったのです。




確実な未来はおろか、不確実な自分自身すら思い描けなかった僕にとって、唯一思い描けるばら色の未来というものは、かなりの長きに渡りドラゴンクエスト6の発売のみであった。
それは僕にとって希望であったし、脳内彼女でもあった。
あと百万回瞬きをすればドラゴンクエスト6、あと300回目覚めればドラゴンクエスト6、あと100回登校すればドラゴンクエスト6、ドラゴンクエスト6。
その希望はこともあろうかドラゴンクエスト6によって打ち砕かれたわけだけれども、それでも僕は年に2本のゲームソフトを選択する為に、週末が来る度本屋へ通い、ゲームレビューを読み漁る迷惑な客をやり続けた。
そしてオープニングとBGMだけがよく出来た糞ゲーを掴まされては、糞ゲームレビューと糞雑誌と糞スポンサーと糞企業、大人というものを憎んで泣いた。


やがて5年の年月が過ぎ、インターネットに出会うに至り、ゲームレビューを手に入れた。更に少しの時が過ぎ、僕はコメントに流されて、悪いゲームレビューを貼り付けた。

いやになった。
呼吸を忘れて耐え忍べば訪れるはずだった未来はそこにはなくて、辿り着いたのは真性引き篭もりであったというだけでも金縛りであるのに、あの日憎んだ大人のようなものになってしまったという事はとても悲しくて、投稿ボタンを押すに至った。
コメツキムシやマッコウクジラにはなれなくても、脳内彼女と出会えなくても、せめてあの日々に思った「ゲームレビューを読みたい」という希望くらいには答えてやりたかった。
けれども、それすら成せなかった。

おそらく彼は罵り憎む。
僕の姿に激昂する。
罵詈雑言を浴びせるだろう。
僕がああにまでして耐え忍んだのに、それがお前のやり口なのかと。
汚くずるい、恥を知れ。おいしいとこだけ取りやがってと。
あほやまぬけでは済まぬだろう。




結局の所、彼の努力は無駄だった。
近所の大きな本屋を避けて、遠くの本屋へ半日漕いだ彼の望みは、ひとつぶひとつぶ結露と消えた。僕がぬぐって消し去った。
人として彼の努力に応えてやる事は出来なかったし、
彼の上った坂道の、百分の一も上れなかった。
もっと、もっと、流された。
僕の努力は全部嘘っぱちで、彼の努力は全部本物であった。
土下座をしても、まだ足りない。
僕は、僕の、まがいもの。


2005年2月23日水曜日

バラモスゾンビは死んでいる。



http://blog.livedoor.jp/taitai999/archives/14629524.html#comments
>「TAITAIだったら絶対怒って反論してる!」
が真であるか偽であるかを確かめるべく、
真性引き篭もりhankakueisuuが立ち上がった。


本来、今日の投稿はぬけぬけのうのうとバラモスに絡んだバラモスゾンビに激昂した件を書くつもりであったのだ。ドラクエ3はドラクエ5の足元にも及ばぬ糞ゲーだ。
だいたいからして、あいつが悪い。
バラモスゾンビが全部悪い。


立派な箱物だけ作っておいて、一体おまえはどこにいる。あんたがしっかりしていないからこんな事になったんだろう。洋ゲームのコミニケーション用アプリケーションを作るという話はどうなった。ふざけるな。
なんか今検索してみたら、


>サイトを引っ越し&リニューアルしました(/_;
ってなんだ。ふざけるな。
箱物はどうなった箱物は立派な箱物すら撤収かよ職業ゲーマーめ。
その顔文字からして腹立たしいエセゲーム好きめ。
貴方はもうゲームに救いを求めていないのだ。
ゲーマーじゃないのだ。それ以外の何者かなのだ。
ゲーム以外の趣味を見つける事が出来なかった哀れな大山羊ではないのだ。
騙ってブロガーしてんじゃねえよ。しかもそのブログがなかなかどうして相当に面白いからむかつく。書くなら書くでせめてバラモスよりつまらない文章をかけよ。遠慮ってものを知らないのかよ。プロのくせに本気出してんじゃねえよ。なんか日本語で書いたらどうしても本気出してしまうとかなら、フィリピン語で書け。フィリピン語で。


>今後ともよろしくお願いします。
いやじゃ。
今度目の前に現れたらパラディンでhealnukeして殺してやる。
生身の体にはhealだけれど。


というかバラモスゾンビがだらだらしつこく絡むから、バラモス倒れちゃったじゃないかよ。どうすんだ。RTSゲーム界の中心に腐ったバラモス、つまりはバラモスゾンビが2匹だなんて、それこそおしまい末世だろう。そんな世界にしたいのかよ。


というか、バラモスもバラモスだ。
そんな雑魚相手にするんじゃねえ。だいたいからして、バラモスゾンビは部下だろう。配下だろう。揮下のpeonだろう。そんな奴を相手にするから倒れるんだよ。無視の一手を決め込むべきだ。決め込まないからよいのだけれど。よいのだけれど、やっぱり決め込むべきだ。無理するなよー。大将なんだからさー。ね、大将なんだから。あとメントスさんごめんなさい。名前間違えてごめんなさい。


というかそもそもバラモスゾンビの分際でおおがらす以下のしゃれこうべにトラックバックするとは何事だ。インターネットの世界にはしっかりとした階層社会が構築されてあり、それは洋ゲームというものを中核とした世界であっても同じ事である。ハイソサエティはハイソサエティらしくハイソサエティ同士でハイソってればいいのだ。わきまえろ。



立ち上がったのだけれど、アフェリエイトでと書くつもりの所にアフィリエイトと書いてしまい、アフィリエイトと書くつもりの場所にアフェリエイトと書いてしまった事に酷く落ち込み落胆し、気力という気力の全てを失ってしまったので、まがいものから一部抜粋しただけですませてしまったという、勝算どころかやる気すら無いレッツゲレロンに遠く及ばぬレッツ、ゲレゲレ。






それ以前に、実は。
akisayaはakisayaだ。の投稿ボタンを押す寸前までバラモスゾンビについて7行ほど書いてあったのだ。二度手間もいいとこだ。こんな事なら添削するんじゃなかった。というわけでバラモスさんはゾンビさんにならないように気をつけてくださいというかほんと倒れて転げないようにいのちをだいじに


ジャバスクリプトうぜー(変更前)



うぜーうぜーまじうぜー。
ジャバスクリプトがまじうぜー。



だいたい、まず、かっこ悪いんだよ。ジャバスクリプトは。
色気づいた男子高生が背伸びしてハウトゥー書いてるサイトからコピりました、みたいな。
絶対MIDIが鳴ってるだろ!みたいな空気が漂うわけじゃん。
RPGMIDI、キリ番ゲット、ジャバスクリプト、みたいな。
もうその時点でださいわけ。


いや、まあ、こういうのは良くないと思う。
人格批判みたいなものであり、ちょっと今の無し。







うぜーうぜーまじうぜー。
ジャバスクリプターまじうぜー。


例えば、ライブドアブログ。
「4月」「5月」「6月」
とかのモンスを選ぶジャバスクリプトBOX。
普通のリンクじゃ無いわけだ。

これが不愉快非常に不快。




本来ならばジャバスクリプトの思想~、みたいなのは、ユーザービリティを上げる為に~、みたいな大義名分があるわけじゃん。ところがこれ逆。まったく逆。



普段4つのブラウザーを併用しているという某物凄いマスター達人ウェブサーファー人間の方は、全てホイールクリックで「新しいウインドウを開く(新しいタブで開く)」に設定している。

その普段通りの操作がジャヴァスクリプトに殺されるわけだ。
中クリック!とか思っても、中クリック出来ない。


うぎゃーーー。だ。うぎゃーーー。


ボタン形式じゃなく、ジャバスクリプトで「新しいウインドウを開く」の場合は中クリック出来る。普段通りの操作ができる。

けれども、新しいウインドウで開かれるのは「javascript~」とかいうわけのわからない文字列で、手間手間二度手間、三度手間。いやがらせとしか思えない。


うぜー。うぜー。まじうぜー。
ジャバスクリプトまじうぜー。冗談抜きでまじうぜー。



だいたいさー。
ジャバスクリプトで何がやりたいわけ?わかんねー。
おまえらアヤックス言いたいだけだろ。


Aフィリップス
Jスポーツ
Aアイントフォーヘン
Xエクストリーム
だっけ?


オランダ語わからないのでよくわからないけれど、ちょっとはロッテルダムの気持ちになって考えてみろよ。やっぱりアヤックス言いたいだけだろ。言いたいだけだ。
物凄い悲しいじゃん。



もうさー、だいたいからして矛盾しているわけよ。
Web2.0の思想と相反しているわけよ。
知らないけど。全然知らないけど。


だって、自由にユーザーが好き放題、ってジャバスクリプト使われた時点で自由でも思いのままでもなんでもない。ウェブサイト丸ごと取り込んでテキストエディタでALL読む派の気持ちにもなってみろよ。CSSってだけでうんざりするくらいなのに、ジャバスクリプトでリンク張られたりするともう、取り込み自体が出来ないわけ。手動でえっちらおっちら1つづつ保存して、何の為に保存しているのかよくわからなくなるわけ。

あと、ジャバスクリプトとかCSSとか使いまくられると機械翻訳とかも通らないし。物凄い不便。


なんかさー、もう単純にCSSとかジャバスクリプトとか全部無しで、静的なHTMLのリンク欲しいわ。テキストはRSSだADOMだXMLだって言われても、HTMLの方が圧倒的に普遍的だし。




とりあえず、普段使っている中クリックで「新しいウインドウで開く」が出来ないようなジャバスクリプトサイトは消えて欲しいね本当に。不便なだけだから。一つ残らず消えて欲しいね。Flashは論外





http://www.uefa.com/index.html
こことか。


2005年2月22日火曜日

まがいもの



ニートになりたかった。
なれるものならなりたかった。
それが無理であるならば、せめて引き篭もりになりたかった。
けれども僕がなってしまったものは、自らが倒れこむ音にすら背中を凍らせる、真性引き篭もりというものである。



僕にだって希望はあった。
もっと素晴らしいものになりたかった。
このようなまがいものではなく、ほんもののものになりたかった。
ベンチにいるのにレッドカードで退場になる人とか、パプアニューギニアで消息不明になる人とか、ジェットで空飛ぶ人とか、雪の女王とか、そのような夢や希望に溢れかえった正真正銘の本物になりたかったのである。

けれども、僕はまがいものである。
疑う余地も無いほどの、正真正銘純度100%本物のまがいものである。






ニートにすらなれぬのならば、せめて馬鹿になりたかった。
例えばである。

真性引き篭もりに200字というものを求めるならば、心臓の200個でも差し出して然りとはいえ、須藤志保さんは心臓を200個もお持ちでないであろうからして、肺の200個で勘弁してやらぬでもない。肺すら出せぬなら勝手にやれ。と激昂してむやみやたらとキーボードを2000回くらい叩いたものに対して、


>後日1冊送付致しますので、しばらくお待ちください。
といったメールを返すくらいの本物の馬鹿になりたかった。
というかおいちょっと待て須藤志保。
思い上がりも程々にしろ。

人が2日仕事で送りつけた空トラックバックをアンフェアーに削除するような糞ブロガーの糞ブログが載っているような糞本を、誰もが欲しいと思っている時点で脳内ハロウィン祭りである。かぼちゃお化けの脳以下である。

というか、馬鹿だとかどうだとか言う前に、須藤志保とよろしくやりたい。
生まれてこの方、女というものと口を聞いたこともないような人間に女性名前でメールをするという時点でふざけている。真性引き篭もりというものは、そのようなものを見たらよろしくやりたい以外に物事というものが浮かばなくなる身分であるのだ。



だいたいからして、このブログ自体そうなのだ。
以前に宣言したように出会い系ブログなのだ。
よろしくやりたいというその一心だけをモチベーションにして更新を続けているのだ。
嘘だとか大げさだとか紛らわしいだとか詰め込みまくり、
「ああ、真性引き篭もりhankakueisuuさんって素敵。よろしくやりたいよろしくやりたい、出来ることなら今すぐにでもよろしくやりたい」
と世界中の女学生という女学生を虜にするその目的だけの為に更新をし続けているのだ。
だから、女学生に嫌われてしまいそうな投稿は一切行っていないし、女学生に嫌われてしまいそうな文章は1つも書いていない。

どうすれば行かずに済むのかと頭を悩ませた挙句にコンニャク畑の空容器に小便をし、それを引き出しの中で数日寝かせて腐らせてから飲む事により体を壊して病気になろうとしていただとか、登校途中に蟷螂の卵を見つけては、毎日「もしかして」「もしかして」と横目に悩み続けた挙句に食べてみたのだけれど、今では白菜に塩して食べただけでも座ってられぬくらいに脆弱で貧弱な内臓はどうした事かびくともせず、蟷螂になる寸前の命が大量につまったものを噛み砕いてしまったという罪悪感と、今も焼きついてはなれぬ舌感だけが残っただとか、小便では駄目だと悟ったので休みが来るまで毎日尻を左手でぬぐって大便を食べていたのにどうしてか倒れなかっただとか、そういう事はこれまで一切書いて来なかったし、書くつもりはまったく無いし、これから先も書く気は無い。
当然である。
だって、そうである。
うんこを食べていた人間と接吻をしたいなどと思う人間はおらぬであろう。
今もうんこが胸に突き刺さるのだ。
想像しただけでも絶望的である。
想像する以前に絶望的である。

だからして、僕は真性引き篭もりブログにおけるありとあらゆる投稿上で僕自身を美化し、称え、賛美し、アクセスした女学生という女学生をひっかけてよろしくやるつもりである。
それだけではない。
アクセスしていない女学生という女学生もだまくらかしてよろしくやるつもりである。
朝から朝までよろしくやる中で適当によさそうなのをキープしたりもするつもりである。容姿や体型は好みで無いのだけれど、金を持っているという理由においてキープして、容姿や体型を誤魔化すためにスクール水着を着せたりしてよろしくやりまくるつもりである。
僕は物凄く容姿端麗であるし、強くストロングだし、器用にアジリティだし、知的にインテリジェンスなのだ。夜から夜まで脳内よろしくやりたいなのだ。

しかしながら、本当によろしくやりたいのかどうかと問い詰められれば疑問が残る。
寝ている時以外はwarcraft3.exeを立ち上げていたという点を差し引いても、よろしくやった記憶が無いというのは、もう消耗しきって負け戦なのかもしれない。
ちきしょう。
よろしくやりたいのに。
本当は多分物凄くよろしくやれるのに。
けれども、無理なのだろう。
ニート、せめては引き篭もりといった事柄すら成し遂げられぬ僕が何かを望んだって、それらが成し遂げられるわけがないのだ。
よろしくやりたい、それが無理ならばせめてちんこでも咥えたい。
と思ったとて、それすらも無理なのであろう。


もう僕は何をも望むべきではないのだ。
物分りのよいふりをしてよろしくやりたいと思うのはやめるべきなのだ。
純度100%のまがいものは、どこをどう精製したとてまがいものにしかなれぬ。
僕は真性引き篭もりなのだ。






本来、今日の投稿はぬけぬけのうのうとバラモスに絡んだバラモスゾンビに激昂した件を書くつもりであったのだ。ドラクエ3はドラクエ5の足元にも及ばぬ糞ゲーだ。
だいたいからして、あいつが悪い。
バラモスゾンビが全部悪い。

立派な箱物だけ作っておいて、一体おまえはどこにいる。あんたがしっかりしていないからこんな事になったんだろう。洋ゲームのコミニケーション用アプリケーションを作るという話はどうなった。ふざけるな。
なんか今検索してみたら、

>サイトを引っ越し&リニューアルしました(/_;
ってなんだ。ふざけるな。
箱物はどうなった箱物は立派な箱物すら撤収かよ職業ゲーマーめ。
その顔文字からして腹立たしいエセゲーム好きめ。
貴方はもうゲームに救いを求めていないのだ。
ゲーム以外の趣味を見つける事が出来なかった哀れな大山羊ではないのだ。
偉そうに語ってんじゃねえよ。しかもその文章がなかなかどうして相当に面白いからむかつく。書くなら書くでせめてバラモスよりつまらない文章をかけよ。遠慮ってものを知らないのかよ。プロのくせに本気出してんじゃねえよ。なんか日本語で書いたらどうしても本気出してしまうとかなら、フィリピン語で書け。フィリピン語で。

>今後ともよろしくお願いします。
いやじゃ。
今度目の前に現れたらパラディンでhealnukeして殺してやる。
二度と近寄るんじゃねえ。

というかバラモスゾンビの分際でバラモスに絡むから、バラモス倒れちゃったじゃないかよ。どうすんだ。RTSゲーム界の中心に腐ったバラモス、つまりはバラモスゾンビが2匹だなんて、それこそおしまい末世だろう。そんな世界にしたいのかよ。

というか、バラモスもバラモスだ。
そんな雑魚相手にするんじゃねえ。だいたいからして、バラモスゾンビは部下だろう。配下だろう。揮下のpeonだろう。そんな奴を相手にするから倒れるんだよ。無理するな。無視の一手を決め込むべきだ。決め込まないからよいのだけれど。よいのだけれど、やっぱり決め込むべきだ。大将なんだからさー。ね、大将なんだから。あとメントスさんごめんなさい。名前間違えてごめんなさい。
というかそもそもバラモスゾンビの分際でおおがらす以下のるしゃれこうべにトラックバックするとは何事だ。インターネットの世界にはしっかりとした階層社会が構築されてあり、それは洋ゲームというものを中核とした世界であっても同じ事である。ハイソサエティはハイソサエティらしくハイソサエティ同士でハイソってればいいのだ。わきまえろ。






といった内容のブログ投稿を行うつもりであったのだけれど、ニートの文章を読んで激昂が失せてしまい、バラモスゾンビなどどうでもよくなった。

僕は数ヶ月の間、自分を美化し続けて、己はニートなのではないか、あるいは潜在的には引き篭もりなのではないかといった幻想を抱き、ある事ない事でっちあげて己の支えとしてきたのである。


そうではなかったのだ。
わかっていた事ではあるのだが、そうではなかったのだ。

真性引き篭もりというまがいもの100%で構成されたニートは、ニートではない。
真性引き篭もりというまがいもの100%で構成された引き篭もりは引き篭もりではない。
ましてや髭でも眉毛でも禿でもグラサンでも岡本でもいわゆるダメソフトでもなく、僕は正真正銘まがいもの、真性引き篭もりそのものであるのだ。



僕は今日まで、ニートというものの書いた文章を読んだ事がなかった。
つまりは、ニートというものを知らなかった。

だから「僕はもしかしてニートではないのか」という希望を抱いて生きていたのだ。
しかし、それを読んではっきりとわかった。
僕はニートでは無いのだ。
真性引き篭もりなのだ。



人は彼を笑うのだろうが、僕は彼は勝っていると思う。
間違いなく勝っていると思う。
巨人は横浜を笑い、横浜はダイエーを嘲笑うだろう。
ダイエーはオ近を笑い、オ近は楽天を嘲笑うだろう。
楽天はライブドアを笑い、ライブドアは応用通信電業を嘲笑う。

真性引き篭もりは誰かを笑い、誰かは僕を嘲笑うのだ。
下の下のそのまた下の地球の中心のまだ下の裏側のブラジルのリオデジャネイロのカーニバルのジーコファルカンソクラテスなのだ。
ジーコファルカンソクラテスなのだ。
ジーコファルカンソクラテス・・・
ジーコファルカンソクラテス、、、
ジーコファルカンソクラテス。。。






人は彼らを笑うのだろうが、僕は彼らは勝っていると思う。
間違いなく勝っていると思う。
巨人は横浜を笑い、横浜はダイエーを嘲笑うだろう。
ダイエーはオ近を笑い、オ近は楽天を嘲笑うだろう。
楽天はライブドアを笑い、ライブドアは応用通信電業を嘲笑う。

真性引き篭もりは誰かを笑い、誰かは僕を嘲笑うのだ。
下の下のそのまた下の地球の中心のまだ下の裏側のブラジルのリオデジャネイロのカーニバルのジーコファルカンソクラテスカルテットなのだ。






人間は誰しもが後悔というものを持つ。
「あの時ああしておれば」
「あの時こうしておれば」
というものを持つ。

純度100%まがいものの真性引き篭もりだって、そのようなものはある。
しかし、それ自体がまがいものであったのだ。

右も左も左も下も、全てが真性引き篭もりであり、逃れる道はなかったのだ。
僕のただ一つの問題は、その現実を受け入れなかっという点にあるのだ。
どこからではなく、最初からなのだ。



どこからかと自分に問われれば、お前が殺したんだと言われ認めた時からだと自分自身には言ってあった。しかしそれも違ったのだ。層化だとかエホバだとか法の華だとか天理だとか生長の家だとか統一教会だとかアムウェイだとかヤマギシだとか気合でなんでも治す人だとかといったものを物心つく前から一通り連れ回されたが僕ははじめからおわりまで純度100%まがいものの真性引き篭もりであったのだからして、真性引き篭もりなのだ。
他の理由は一切無いのだ。

というかあの頃僕に使われたお金というお金の全てがあればDOTA allstarsというDOTA allsatarsを買い占める事だって出来たのに。replayaers.comとかだって買えたのに。RMTでよろしくやりまくる事だって出来たのに。
もうよろしくやれればなんだっていいのだ。
ちんこが無理ならかすみちゃんブルー抱き枕とかでもいいのだ。
この際ミスタードーナツで30点溜めて貰えるガラスのコップとかでもいいのだ。

無駄だ。
全部無駄だ。
何を書いても無駄だ。
何を思っても無駄だ。
明日使えない無駄な真性引き篭もりを貴方にだ。
そんなものいらない?
黙れ受け取れ持ち帰れ。
ヤフーオークションで売るべきだ。




結局の所、僕は真性引き篭もりなのだ。
世界最強のDOTA allsatarsAIでもなければ、ニートでも引き篭もりでもブロガーでも無いのだ。純度100%まがいものの真性引き篭もりなのだ。
どう精製しても磨いても真性引き篭もりなのだ。
2身合体しても3身合体しても進化しても劣化しても突然変異してもカオスのブレスを浴びても鉄仮面を身につけても超神水を飲んでも真性引き篭もりなのだ。
正真正銘純度100%まがいものの真性引き篭もりなのだ。



シューターモドキを気取ったってシューティングなんて出来ないし、ゲーマーを気取ったってゲームなんて出来ぬのだ。ましてや、ウェブサーファーを気取った所でウェブサーフィングなど出来ないし、ブロガーを気取ってみた所でブログなんて書けぬのだ。
誠心誠意の誠実愉快な文章などを書こうとしても、文章なんて書けぬのだ。





だから僕は真性引き篭もりをやる。
誠心誠意、誠実に、正直に、嘘をつかず、真っ当に。出来うる限りに良いように。


2005年2月21日月曜日

本文もウゴウゴさせる方法



足を肩幅の倍くらいに広げて腰を10センチほど浮かせ、頭を上下左右にシェイクしてください。この際、酔っているとよりウゴウゴできます。

それでも本文がウゴウゴしないという人は、ウゴウゴへの愛が足りません。
ウゴウゴニスタ失格ですので、0からやり直してください。


ブロックブロガーの憂鬱



朝方、とはいっても世間では夜更けと呼ばれる頃合にブログ投稿を行った。
65エラーとやらが出て、その文章がつままれ消えた。
試しにもう一度ブログ投稿をしてみると、その文章もどこかへ消えた。

それはよいのだ。構わぬのだ。
だって、そうである。
重いだとか繋がらないだとかいったものは、ブログサービスには付き物であり、それ自体は何の問題もない。消えてしまった投稿は、一晩寝かせて書けば済む。


ブロックブロガーにとって憂鬱なのは、重いだとか繋がらないだとか微妙に不便であるとかいった事などではなく、ブロックブロガーであるという事実である。


なにしろ、逃げ出す手段が用意されていない。
宙吊りのゴンドラに押し込められた中学生のように、揺られるままにブログするしか道は無い。そりゃあ、相当の無理をすればられるかもやもしれないけれど、のだめやシードが逃げるとなれば半日仕事となるだろう。偽なんかはもっと大変だろう。これは、無いに等しい。



逃げ出す手段が用意されていない事は、逃げ出すつもりの無い人間にとっては問題ではない。しかし、逃げ出すつもりの無いブロックブロガーにも、頭を悩ます問題がある。
ブロックブログの未来像が思い描けないという問題である。

数百人数千人、あるいは数万人のユーザーを抱えて、ブロックブログが用意している集金手段は月200円の画像アップロードオプションだけであり、そのサービスを利用している人間は限りなく少ない。
火を見るよりも不採算である。


それを見てしまうと、何かトラブルがあった際にブロックブログが音を立てて崩れ落ちてしまうのではないかと不安になる。逃げ出すつもりがなくても崩れ落ちたブログサービスに住む事は出来ない。
物凄く、不安である。



更に、月200円の画像アップロードオプションを使用している人間がいるという事実でさえも、多数のブロックブログユーザーにとっては憂鬱の種である。
支払う予定が無い人間、あるいは支払い能力を持たない人間がブロックブログでブログを書くというのは、月200円の画像アップロードオプションを使用している人間の脛をかじり続けるという事であり、脛を齧るを潔しとしない人間にとってはまことに心苦しい。




現状のブロックブログにとって最も望ましいユーザーは、

・画像をアップロード出来る自分のウェブスペースを持たず、
・アクセス数は限りなく0に近く、
・ブログに画像を載せたいと思っている。

となるわけで、ユーザーを100万人増えた所でそのような人間がどれだけひっかかるのだろうかという事を考えると、現状ではどちらへ行くのも無理だろう。
支払い以前に、画像を載せたいと思う人間の割合からして苦しい。


ブロックブログが苦しむのは勝手なのだけれど、上記3点に当てはまらないユーザーは何かがある度に、自分自身がブロックブログにとって害悪でしかないという事実に気がつかされ、気がついた人間は憂鬱になる。

アクセス数が0に近くなく、画像を載せたいとほとんど思わない、支払能力を持たない、ヘビーなブロックブログユーザーにとって、ブロックブログでブログを書き続けるという事は神経をすり減らす作業なのである。
もしも、ブロックブログが巨大な会社の巨大なサービスであれば、気を揉む事など無いだろう。しかし、ブロックブログを運営する電気なんとか応用なんとか社のブロックブログというものは、巨大な会社の巨大なサービスではない。


巨大な会社の巨大なサービス、例えばライブドア社のライブドアや、サイバーエージェントのアメーバ、グーやニフティやはてななどは、収入手段の確保に奔走していたり、他との相乗効果を狙っていたりというのがユーザーにも見えて、非常に安心出来るのである。
無料で恩恵を貪っても、罪悪感など微塵も感じないだろう。


それに対してブロックブログというものは、何から何までまったく見えない。
いや、見える。
なんの利も無い負け戦を続けているように見える。
継戦能力を既に失い、ただ逃げているようにも見える。
ここ数ヶ月でブロックブログにおこった変化とは、トップページが少し下品になったのとカウンター、サーバー落ちの代償に(´・ω・`)がついた事くらいである。
そんなものをつけるくらいなら、ブロックブログのうりの一つであるWikiStyle用の改行や装飾ボタンでもつけた方が幾分か評判は上がるだろう。もう、何をすればユーザーが喜ぶのかすらも伝わらない段階にまで消耗してしまっているのかもしれない。たとえ伝わったとしても殿軍を狩られ続けながら逃げる事しか出来ないくらいに。
そうであれば、もう、これは。
降伏してしまうべきなのである。
負け戦を続けるなど、下の下のそのまだ下のすっごい下のさらに下である。
100万ブロックブロガーに、今すぐ降伏するべきなのである。




それが駄目なら、広告を入れるべきだ。広告を。
ヘッダーに、フッダーに、左に右に、広告という広告を埋め込みまくるべきなのだ。
そうすれば、多くのユーザーの悩みは消える。かなり。

だって、そうだろ。
募金詐欺師が出会い系を宣伝する時代にIT企業が広告無しでブログサービスを運営するだなんて、そんなの正気の沙汰じゃない。
広告さえ入れてしまえば、アクセス数の多いユーザーほど社には迷惑という自体は終わる。少なくとも、そういう図式は薄れる。



それすら無理なら、隙を作るべきだ。
ブロックブログは完璧すぎる。
サポートの対応や公式のブログは、体力の無さを如実に伝えながらも、弱小サービスの模範のような対応をしており、まったく隙が見当たらない。
社長ブログにしてもそうだ。
なんというか、言葉が出ない。
もしも、しぺぺぺぺぺぺなどとユーザーを馬鹿にし続けるようなブログであったならば、無料で貪るユーザーもただ罵倒して溜飲を下げるだろうし、3万円くらいの豚を食べているとかそういうのなら幸せそうだ。
しかし、極めてブログであり、まったくもって隙が無い。

一般的な多数のブロガー、つまり画像を載せたいだなんて微塵も思わないような活字ブロガーは、ただ憂鬱に頭を抱える事しか出来ない。罵る事さえも。


ブロックブログはもう既に、いずれやりますと書いた事をやる体力はおろか、ユーザーの声を耳に入れる体力すら無くなっているようであり、隙の無い立派な弱小ブログサービスをいとおしく思う多くのユーザーにとっては、書くのも読むのも恐ろしく、憂鬱である。




元々、電気なんとか応用という会社は体力のある会社では無いであろう。
そのような所が勝てる見込みの無い負け戦を惰性で続ける理由は無い。
逃げ出すのは恥ではないし、降伏も負けもおしまいではない。
よりよいものを提供してユーザーを満足させるのが商売人の責務であると考えるならば、次の機会にやればよいではないか。これはもう、駄目なのだ。こんな所に戦力をつぎ込むべきではないのだ。今すぐどっかに売っちまえ。


いやまだやるぞというのであれば、今すぐ広告を入れるべきだ。
月額200円を払っていないユーザーは害悪でしかないという事態を終わらせるべきだ。


それすら無理なら、ユーザーを馬鹿にしあざ笑い、完璧で隙の無いブログサービスから、隙だらけの反吐が出るようなブログサービスへと変貌を遂げるべきだ。
ブロックブロガーを支配する憂鬱を今すぐにでも消し去る為に。




いや、真に憂鬱なのは95エラーに頭を抱えるブロックブログユーザーなどではなく、広告を入れた瞬間に「ふざけるな!愛想がつきた!」と逃げ出す諸悪の根源からこのような内容のトラックバックを送りつけられ頭を抱える、竹内克仁その人なのかもしれない。


2005年2月20日日曜日

情報の裏側



情報の裏側には、流す人間の意図が潜んでいる。
朝日というメディアをご存知の方には、周知の所であろう。


韓国人に強姦されそうになった日本人を2ちゃんねらーがスクラムを組んで救った。
という情報であっても、それは同じ事である。



http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/14298193.html#trackback
その情報に、50ものブログがよだれをたらして飛びついた。

僕が意図的にトラックバックを撃たなかったサイトはその中で2つ。
他は全て「韓国人は酷い民族」という、でっちあげられた情報に潜む意図を、そのまま、あるいはさらに大きくしてブログにしていた。





さらに、トラックバックを受けた彼らがとった行動は、
1、トラックバックの削除
2、無視
3、(笑)


まず、トラックバックの削除というものである。
左翼ブロガー、あるいは小倉秀夫のような卑怯者ブロガーが批判的なコメントやトラックバックの受け付けを停止する事や、朝日新聞や左翼のメディア人が自身への批判をShift+Deleteする事に関してはあざ笑うのに、己への批判は削除する。

左翼のネット人、あるいは小倉秀夫のような卑怯者ブロガーが批判的なコメントやトラックバックを目を閉じて無視を貫く事や、朝日新聞や左翼のメディア人が自身への批判を存在しないものとして抹殺する事に関してはあざ笑うのに、己への批判は無視を貫く。

インターネットエクスプローラをクリックし続けて広がった光景は、信じがたい光景であった。それが、あなた方のモラルであるのか。






「・・・らしい」
「・・・ありうる」
「・・・かもしれないが」
の一言で、「私は分別のつく大人であり、素晴らしく公平なブロガーです」という事を表現出来ていると考えているような人間ばかりであり、これにも酷く沈んだ。
それこそがこのヒーローストーリーを作り上げた奴らの意図なのだ。
電車男でご存知のように、わかりやすく単純で低きに流れるは広まる。
あなたがたが実践したように、よりよく広まる。


朝日に代表されるような左翼メディアが、あらゆる場面で、あらゆる手を使って印象操作を行っているのはもはや常識である。
それを笑うのに、どうしてあなた方は印象操作をする側に回るのだ。




「在日どもは○○だから、事実かもしれない」
「朝鮮人は○○だから、やりかねん」
「朝鮮人は○○だから、ありうる」
というものは、

「731日本鬼子なら、100万人民くらい斬ったのだろう」
という馬鹿げた根拠による主張と、どれ程の差があるのだろうか。





情報の裏側には、流し手の意図がある。
真に公平で公正な純然たる情報など、存在しないと言ってもよい。

ブログというものは、ただの日記ツールなどではなく、誰もが情報の流し手、あるいは中継手になる事が出来るツールである。
その重みをよくよく理解して、流す、中継する情報を選り好んでいただきたい。
情報の裏側の流し手の意図を考えぬままで、妄信的に風説の流布を、ブログというシステムを利用して手助けするというのは、よい事ではない。



ブログの読者は、より安価な情報に集まる。
秋葉原だとか、株だとか、モーニング娘だとか、アフィリエイトでお小遣いだとか、エロだとか、グロだとか、海外の三面記事であるといったような具合のものが、より人を集める。それらを馬鹿にしているのではない。よい事である。

韓国人に強姦されそうになった日本人を2ちゃんねらーがスクラムを組んで救った、という冬のソナタよりも遥かにわっかりやすいヒーローストーリーにトラックバックを寄せたサイトは、そのような見事なジャンルのブログばかりであり、潜在的トップブロガーである。あるいはもう既にトップブロガーな読者数を確保しているトップブロガーである。



そのようなトップジャンルブロガーは守備範囲外を書くならば、最低限情報の裏側に潜む意図というものを見極め、考え算段してから投稿ボタンを押していただきたい。
特定の意図を持った人間による特定の意図を持った情報が中継され、拡大され、増幅し続けながらブログ上を延々とトラックバックで巡り続けるというのは、あまりよろしい事ではない。
それが「らしい」「ありうる」という免罪符を天に掲げての、良心に基づく人種差別であるときては、ブログ的絶望である。


普通の人間は偽氏やR氏は愚か、う氏程にもにもなれぬのであり、ブログを書いて、情報の中継手としてブログサーファーに広めるを手助けするならば、その情報の裏側に潜む流し手、でっちあげ手の意図をしっかりと見極め、考えてから行うべきである。
カレンダーを埋められる、投稿を埋められる、なんかおもしろそ~というだけで投稿してよいジャンルと、そうではないジャンルというものが存在するだろうと、僕は思う。





左というものは物凄く甘い。
左にたなびけば、誰もが弱者を救う正義のヒーローになれるからだ。

それと同じくらいに右というものも甘い。
右にたなびけば、誰もが祖国を守り悪の国の大魔王に弓する正義のヒーローになれるからだ。

甘い甘いに飛びついて、ブログの更新を行う為に、カレンダーを埋める為に、1日の投稿義務を果たす為に、情報の裏側にある流し手の意図を妄信し、印象操作を手助けし続けるのは愛国者でも憂国者でも右翼でも、知的なブロガーでもなんでもなく、あほでまぬけとしか言いようが無い。




あほでまぬけな韓国人は全てを日本のせいにして謝罪をせまるし、
あほでまぬけな中国人は全てを日本のせいにしてODAをせびる。
日本をあのようなあほでまぬけな差別国、責任転嫁国にしたい人間は大勢いる。
甘いからだ。
物凄く甘いからだ。

日本をあのようなあほでまぬけな差別国、責任転嫁国にしたいブロガーや2ちゃんねらーは大勢いる。
甘いからだ。
ブロガー的に物凄く甘いからだ。
2ちゃんねらー的に物凄く甘いからだ。

たなびくのは楽で、尚且つ甘いのだ。
いつも真っ先に引っかかるのは、考えるを自負する良識ある人民である。





社会的におそらく地位も名誉もあるだろう、真性引き篭もりなどではない健康的で労働義務というものを果たし明日の日本を背負うであろう日本人の若者によるブログ的絶望のトラックバック連鎖が、どこかで途切れて再びを繰り返さぬでいてくれたのならば、これ幸いである。


2005年2月19日土曜日

小倉秀夫は馬鹿だ。



馬鹿だ。
小倉秀夫は馬鹿だ。
高純度高温室高蛋白正真正銘天下一品本物のどうしようもないド馬鹿だ。
ここでいうド馬鹿のドとは、ドレットノートのドではなくドアホのドだ。

ド馬鹿なだけであるならばまだ可愛げがあって、月4万くらい入れてくれるならばペットとして飼ってあげてもいいかな、とか思うのだけれど、ド馬鹿な上に卑怯者ときては救いようがない。7万円くらい入れてくれないとお断りだ。


それもただの卑怯者ではなく、ド卑怯者であるからして救いようが無い。
ここでいうド卑怯者のドとは、ドレットノートのドではなくド馬鹿のドだ。
卑怯の卑怯のその極みのド卑怯者だ。


小倉。
小倉。
ド小倉。
おい。
お前は緑色の童貞相手にレッツゲレロンマイセルフしたんだろ。
声高らかにレッツゲレロンマイセルフして形勢が不利になったら尻尾をまいてとんずらこくって、何様のつもりだどういう事だそれでも武士か。

レッツゲレロンマイセルフしたのなら、勝ち目が無くても最後までちゃんとやるべきであり、やるものこそがブロガーである。
お前の敵は緑色の童貞だ。
レッツゲレロンした相手だ。
決して、観客席の雑魚どもではない。


ディフェンシングチャンピオン相手にレッツゲレロンマイセルフしておいて、勝ち目が無いと気がついた瞬間に観客席を必死で見渡して、
「お客様の中に、弱い方いませんか~?」
「私でも論破出来るような弱い方いませんか~?」
「あ!お客さん弱い?あー、弱そうだ。」
「どこから来たの?三重?三重(笑)」
「三重~みんえみんえみんえ~(笑)」
「三重なら私でも勝てるや。うん、よし、やろう。」
って、てめーミスターボールドかよ。
一輪車ごとダーツで串刺しにして練炭壷で炙って食うぞ。

しかも観客席の一番弱いのみつけてレッツゲレロンマイセルフやるのなら「こいつ筋金入りの卑怯者だねー」くらいで終わるのだが、レッツゲレロンマイセルフで立ち会わずに、円周率暗記勝負とは何事だ。
勝てる相手に勝てる競技で勝てる自己完結自己再生自己弁護自己進化のド卑怯道のド王道のドブロガーめ。ここでいうドブロガーのドとは、ドブログのドじゃなくてグーブログのドだからな。
円周率なら円周率は円周率らしくもじぴったんでも作ってろ。
ノートパッド.exe開いてぴったん、ぴったん書き続けてろ。



おまえの相手は雑魚どもじゃない。違うだろ。
なに遁走をごまかして勝利宣言してんだよ。
台湾沖に繰り出した四郎勝頼の騎馬軍団かよ。
嘘こいてでっちあげてご満悦とはおめでたい。
撃沈しろよ。沈めろよ。
敵の母艦の大本の総帥の大将の親玉の緑の童貞ぶち殺せよ。
どんな手を使ってでもいいから、叩きのめして引き篭もらせろよ。
民主主義の敵を社会的に抹殺しちまえよ。
それが正義のヒーローの役目ってものであろう。


ハゲの分際で三輪車乗って観客いじりしてんじゃねーよ。
逸らすなよ。
逃げるなよ。
きちんど殺せよ緑色の童貞をば。
それが無理なら殺されろよ。
緑色の童貞に追い詰められても粘着してぼっこぼこにやられる所までやれよ。それがレッツゲレロンマイセルフしたものの勤めってもんだろ。
あるべき姿だろう。
ブロガーだろう。


まともにやりあって勝てぬなら、卑怯な手を使って勝てばいいのだ。
先にごめんなさいと1度言って、相手をごめんなさいと2度言わせるように追い込めよ。スコア2-1で勝った事にしてしまえよ。
そのくらいの卑怯さならまだ許せるが、遁走して勝てる相手を探すなどとは下の下のそのまた下の地球の中心のそのまだ下の裏側のブラジルのリオデジャネイロのカーニバルのロナウドナザリオデリマだろ。


例えば、小倉にだって勝ち目があるだろ。
「童貞?(笑)」
「童貞(笑)」
とかやればいいだろ。

「慶応で童貞?(笑)」
「俺東大でやりまくり(笑)」
とかもう、とことん勝てそうなポイントだけを攻めればいいだろ。

「俺もてるよ(笑)」
「君もてないんだ(笑)」
とかやって、徹底的に打ちのめしてやれよ。


「へー、30年も生きてきてセックスの気持ちよさを知らないなんて、不幸だね~。」
とか。
物凄い語りを入れて追い込めよ。




追い詰めた先に、
「それがですね、先生。セックスよりもオナニーの方が気持ちいというのは最近の統計で明らかになっておりまして、さらに最近私がちょっと読ませてもらった資料に書かれていた所で す と、夢精はそれよりもさらに40倍気持ちいい、と。つ ま りい、セックスをするのは負け組で、夢精をするのが勝ち組、オナニーをするのが一般市民であると大まかに分類することができるら し い、という事のようで、す。小倉先生はセックスグループに属する成人男性ですから負け組であり、私はオナニーしてもオナニーしても毎晩毎晩夢精をしてしまうような人間ですので、そういうい事なのでは、とわたくしとしては申し上げたいのであります。」
とか反撃を受けては、大粒の涙を流して地面に頭を何度も叩き付け、悔しさで舌を引っこ抜いてはその舌を氷点下70000度の絶対零度で凍らせて尖らせてそれで喉突いて死ねよ。

死ぬのが嫌なら「パリーグファンは全員キチガイ。是東大的常識」
とか真実突いて、勝手気ままで気狂いな勝利宣言してストライプ応援してろよ。



それができないんなら最初からレッツゲレロンするんじゃねえよ。
その程度の覚悟も出来ないド馬鹿がブログ書いてブロガー気取ってんじゃねえよ。

小倉みたいなド馬鹿のド卑怯者が次から次へと現れては、無責任にレッツゲレロン大きな顔してブロガーするから、ブログ的絶望がアリューシャンから南沙までを覆い尽くすような事態になってんだよ。燃えに燃えてもう滅茶苦茶になってしまってんだろ。

だいたい小倉は最初にレッツゲレロンマイセルフした時点で小倉的には勝てると思ってたのか?やれると信じてやったのか?
最初からボーボー逃げる気だったのか?
それともあれか、無鉄砲で損ばかりの本物の馬鹿か?
計算高くない大人って素敵ってやつか?モテモテか?即ち童心を抱えたひでくんの笑顔見たらまり、癒されちゃうの-うっふーんか?
それとも小倉、君あれか?マゾか?
真性Mか?
ド変態め。
お前が味方して弁護したのは民主主義の敵だろ。そんな戦に勝ち目があると思ってた時点で東大卒って絶対嘘だろ。確定真性ニートだろ。
緑色の童貞を潰したいなら、もっと勝てそうな時に突っ込めよ。
よりによってそのタイミングは無いだろ。
勝算無しに絡むなよ。
先生は大将なんだからー。
ね、大将なんだからさー。



むかつく
おさまらねえ
むかつく
まじむかつく
真性引き篭もり的に言うと激昂しているのであり激昂し激昂な激昂だ。

僕がもし小倉優子であるならば、その芸名を今すぐにでも小倉秀夫に改名して無修正のアダルトビデオに出演しまくってやる。スカトロとか露出とかそういう無茶苦茶なのに出演しまくって、それを日本中、いや世界中にばらまいてやる。
それをもって、「小倉秀夫=ロリエロセックス」という構図を世界の中心の中枢のど真ん中にまで浸透させ、小倉秀夫を改名させるに至らしめるくらいまでに追い詰めてやる。しかしながら僕は真性引き篭もりであり、小倉優子ではないので、よろしくやりたいよろしくやりたいと思うだけであり小倉優子とよろしくやりたい。



だいたいからしてブログのタイトルからしてふざけてる。
「小倉秀夫のIT法 Top Front」
ってなんだよ。
ITでもなければ法でもなければTopでもなければFrontoでもなければ小倉でも秀夫でもないくせにそのようなタイトルは物凄く不釣合いだ。
弁護士とかそういうのは全部嘘で中身はニートか引き篭もりだろ。
そんな安易な嘘で騙しとおせると思っている時点で海の藻屑と消え去るべきだ。

ちゃんとやらないならやらないで、今すぐそのブログのタイトルを改名しろ。
「ド島通信」
に改名しろ。
ここでいうド島のドとは、ドレットノートのドではなくド卑怯者のドだ。
島は、なんか小島秀夫の島とかだからな。
そこんとこよーくわかっとけよ。
卑怯者のドブロガーめ。


シューティング脳の恐怖



壁際に立たされて、5メートルの向こう側からテニスボールを投げつけられ続ける事を、喜び進んでやる者は無い。
当たり前である。
そんなもの、楽しくない。



ところが、そんな当たり前の事すらわからぬ人間が世の中にはいる。
それがどのような人々であるのか調べると、すぐに答が見つかった。

彼ら、つまりは当たり前の事すらわからぬ愚かな人たちというのは、皆が皆してゲーム好きであるという事が判明したのだ。彼らは日々プレイするゲームによって、なにもかもを破壊され、脳みそぱっぱらぱーな廃人になってしまい、当たり前の事すらわからぬ哀れな人となってしまっていたのだ。



そう、世に言うゲーム脳である。
そしてもう少しそれを調べていると、そのような人たちは皆シューティングゲームというものをやっているという事が判明した。

そう、当たり前の事すらわからぬ彼らは全員シューティング脳であったのだ。
まことにおそろしい。
これには、恐怖を感じる。




シューティング脳に汚染された人々は口を揃える。
「STGって、面白いのにどうしてマイナージャンルなんだろう・・・」
シューティング脳に汚染されておらず、ゲーム脳も遥か彼方な健やかで育ち盛りの僕のような若人ならば0秒を待たずに回答出来るような事を疑問に思い口を揃えるシューティング脳患者。
なんとも無念だ。
症例として、間の抜けた顔文字を連発するに至る場合まであるという。
少子化の国の貴重な若脳が、若脳がまったくどうして無念でならない。
無念だ。
ああ。



面白くないからマイナージャンルなのだ。
彼らはそんな事もわからぬのだ。
シューティング脳に汚染されていない人間は、シューティングゲームを面白いと思わないからマイナージャンルなのだ。シューティング脳に汚染された人間だけが、シューティングゲームを面白いと思えるからマイナージャンルなのだ。



シューティングゲームが面白くないのは当然である。
少し考えればわかるいや、少しも考えなくてもわかる事だ。


シューティングゲームというやつは、敵が弾を撃ってくる。
物凄いいっぱい敵が出て、物凄いいっぱいの敵が、皆が皆してプレイヤーを目掛けて弾を撃ってくる。嫌がらせとしか思えない。いや、事実として嫌がらせなのだ。

普通の人間にとってのシューティングゲームとは、物凄いいっぱい出てきた敵が撃つ物凄い物凄いいっぱいの弾丸からひたすら逃げ回る罰ゲームでしかない。
シューティングゲームを壁際に立たされて5メートルの向こう側からテニスボールを投げつけられ続ける事で喩えるならば、壁際に立たされて5メートルの向こう側からテニスボールを投げつけられ続けるである。


「どうして・・・」
じゃないよ。もう手遅れだシューティング脳。
「どうすれば・・・」
じゃないよ。もう手遅れだシューティング脳。
そんなものが面白いわけがない。
そんなジャンルがメジャーになるわけがない。



シューティングゲームを遊んで面白いと思うのは、シューティング脳に汚染された特別な人達だけなのだ。
汚染されていない普通のゲーマーの中にも話題騒然となるようなシューティングゲームが登場する度に興味津々とプレイする人間もいるのだが、普通の人間がシューティングゲームをしても面白いなどとは毛頭思わないので、
「思わず見とれちゃうよな絵面だね」
「素晴らしいシステムだね」
「見事な完成度だね」
「面白そうだね」
「凄いね」
「gg」

で立ち去るのだ。
デパートの試食状態なのだ。
しかしながら、汚染されていない人間がシューティングゲームに「良いゲーム」という肯定的評価を下す事は間々ある。

それは、面白いとは思っていないものの、ゲームの造りとしては認める為に「良いゲーム」という評価を下すのであって、シューティング脳患者の言う「良いゲーム=面白いゲーム」という感想とはまったく異質のものである。
汚染されていない人間にとっての名作シューティングゲーム、例えば斑鳩であるとか、怒首領蜂であるとか、グラディウスVであるとか、ボーボーダウンであるとかいったものは、
「素晴らしいゲームであるという事は理解出来るが、面白くない」
というものであり、面白くないものに金を出すのは羽振りの良い酔狂だけである。



シューティング脳なシューティングゲーマーの恐怖は、シューティング脳に汚染されていない一般大衆がよく出来たシューティングゲームを素晴らしいゲームであると評価しているのを勝手に解釈し、「プレイすればみんな面白いってわかってくれるんだ!」と集団で駆け抜けてしまっている点にある。




例えば、FPS信者なFPSゲーマーは、
「酔う人は楽しめない。技術も、必要。」
とはっきりとFPSを面白いと思わない人間の存在を認めている。

RTS信者なRTSゲーマーも、
「物凄く忙しく、大変な技術が必要。普通は、勝てない。」
とはっきりとそれを認めている。

RPG信者なRPGゲーマーであれば、
「主人公が、勝手に喋る。時間が、かかる。」

ネトゲ信者なネトゲゲーマーであれば、
「チャットが、うざい。たのしく、ないよ?」

MMO信者なMMOゲーマーであれば、
「時間が、必要。ほんとに、やるの!?」

エロゲー信者であれば、
「ちんこが、必要。エロいよ」


ところが、シューティング脳患者は、
「遊んで、くれれば。面白いと、わかってくれる!」
であるからして、アンチャッチャブルである。




シューティング脳族は次のように言う。
「それを乗り越えるのが楽しいんだ」
「練習すればやれるようになるって」

100から1000までもう駄目だ。
なるほど、なるほど。
はっきり、言おう。

普通の人間はそれを乗り越える前にチートを使う。
普通の人間は、チートを使わなければシューティングゲームは遊べない。
チート、違反行為。

それはつまり、難易度調整であり、コンティニューであり、時によってはコンテニュー回数を99回にする、チート中のチートである。



イージーで遊ぶ人間はイージーでコンテニューを繰り返してラスボスを倒し、
「素晴らしいゲームでした!以上。」
という評価を下してシューティングを去る。

プライドが許さずにノーマルで遊ぶ人間は、
ボムとコンティニューを繰り返してラスボスを倒し、
「素晴らしいゲームでした!じゃあ、さよなら。」と、立ち去る。

もっすごいゲーマーを自負してハードで遊ぶ人間は、
コンティニュー回数を99回にしてボムと死ぬとを繰り返し、
「素晴らしいゲームでした!じゃ、次。」とシューティングには二度と近寄らない。


シューティングゲームを購入してチートをせずに遊びこむのは、シューティング脳に汚染された特別な人達のみなのだ。

泣き喚きながら弾という弾から逃げ回り、這いずり回って追い詰められた末にボムを使って5秒の安息を得、やがてはボムも尽き果て無残に殺され、生き返っては泣き喚きながら逃げ回り、這いずり回って追い詰められた末に、また生き返って泣き喚きながら逃げ回り、チートを使用して残機を4にしては泣き喚き、泣き喚き、泣き喚き、逃げ回り、逃げ回り、逃げ回る。
それが普通の人間にとってのシューティングゲームというものである。

弾幕シューティングは、より悪い。
弾幕シューティングにおける手っ取り早く先に進めるコツというのは、チートを伴う死の繰り返しによるパターンの記憶と、自機の周辺だけに目をやって、当たりそうになったらレバーを横に瞬き入れる、というものであり「撃つ」という要素が跡形も無く消え去る。
ショットボタンを押しっぱなしにして移動し、少しの失敗を犯しては泣き喚きながら逃げ回り、追い詰められるゲームになる。


シューティングゲームというものは、乗り越えた先に次のボス、そのまた先に次のボス、そのまた先の先のラスボスを倒して初めてハッピーという造りがおおかたであり、ハッピーになるには終わりの見えない果てし無い鍛錬か、チートが必要となる。
チートというものは、多数のミスによる無数の死が発する「下手糞め!お前は駄目な人間だ!」との罵倒によるやるせなさと、猛烈な嫌悪感を伴う。
そんなもの、誰が好んでやるものか。

それを乗り越えてそちら側に行ける人間というのは、物凄い暇な奇人であるか、生まれつきのシューティング脳を持った人間であるかのどちらかである。

時として彼らは夢遊病者のようにこう呟く。
「おかしい。昔はシューティングゲームに市民権はあったのに!」
おかしい。
確かにおかしい。
シューティング脳患者の思考回路はおかしい。
認識力がおかしい。
狂っている。

シューティング市民権の元を辿ればインベータゲームである。
それは即ち、カートンを積んでしわくちゃなグラサンをかけたダークパープルのネクタイシューティング脳患者が、禁断症状に耐えかねて100円玉を積み上げるという日本を覆った未曾有の伝染やまいであり、もうそこから病んでいたのだ。シューティングゲームというジャンルは。





健康な人間がSTGをチートを使わないでプレイする、あるいはチートに嫌悪感を抱き、コンテニューを求められるカウントの最中に電源ボタンをOFFにするというのは、もうその時点でやりこみなのである。やりこまなければ2面の道中で残機を削られ、3面のボスの初段でGame is overである。
いや、やりこんでもやりこんでもGame is overが待ち受ける。
シューティング脳患者が面白いと感じるように作られたシューティングゲームは、普通の人間にはやりこんですらGame is overなのだ。

やりこむ事によって、それが3面の道すがら屍を溜めて4面の大ボスでリセット、といった具合に牛歩の歩みでHappy EndなGame is overに近づき、牛の半歩を繰り返す中でシューティング脳を発病し、シューティングゲームが発売されたとなればその出来のよしあし、その質感に関わらず必死で収集買い漁る。
そうなってはもう、手遅れである。


唇と唇の間に隙間が出来た時には、
「どうしてこんな面白いものが世間では受け入れられないんだろう」
と、壊れた脳みそから壊れた言葉が飛び出る廃人になってしまっているのだ。






>いずれにせよ社会人になってもゲーマーでいること
>ゲーム体力を持ち続けることは、とても困難なことだと言えるだろう。
至極。
至極。
いたまれりきわまれり。
至極。至極。いたまれりきわまれり。
そのとおりである。

ゲーム体力を失った人間は、100円を投じる事も、フリーや体験版のダウンロードも、チートをして屍でラスボスを蹂躙する事も行えなくなり、シューティングゲームというものからの完全な断絶を宣言する。
それによって、シューティング脳に汚染される機会を完全に失う。



もしもシューティング脳が若人に言葉を投げかけるのであれば、
「クリアするのに30時間以上かかるゲームややりこみ要素満載のゲームを今のうちに」というのは920度違う。完全に別世界の別方向の別次元である。
「今のうちにシューティング脳になっておけ」
が正しい。
そう投げかけなければ、シューティングゲームはより痩せ細る。
滅ぼしたいのならそれでいいのだが。


シューティング脳患者に対しての
「クリアするのに30時間以上かかるゲームややりこみ要素満載のゲームを今のうちに」であれば、それは正しく、そのとおりである。
もう彼らは手遅れであり、進行するシューティング脳から逃れる術はハラキリ、即ちゲーマー的死、これそれゲームからの卒業しか無いのだから。



では、という事だ。
シューティング脳患者以外も楽しめるSTGとは、で、ある。

そのようなものがもしあるとすれば、チートを使わずに気軽にクリア出来るような非常にショートでお手軽な小物であり、尚且つ乗り越えれば面白いといった本来持つ面白さである壁は僅かにその姿を残している、短編集のようなもの。
もしくは、2周目の5面のボスを殺してハッピーエンド、というものではなく、暇つぶしに延々遊べるけれど、末期のゲーム脳患者でも10分以内にGame is overになり、チートの手段はまったくない、といったような遊び捨てタイプのダイソー以下なミニゲームであろう。

眼鏡は額の上にあるわけで、それを捜して寄り添い語り明かすシューティング脳患者のその様は、物凄く滑稽である。




選民は選民らしく雲の上から地上の民に雷を落として馬鹿にしながらも、「我々が滅びる前にこの雲が消えてしまうのではないか」などと怯えつつ、こっそりひっそりやっておればよいのだ。
先天性のシューティング脳患者は常に一定の割合で存在し、何もしなくても国木に恍惚と寄り付くオオムラサキのようにその豆を勝手に育てて登るのだから。


2005年2月17日木曜日

アソシエイトに関するトラックバックに答えてみる。



いやあ、楽でいいね。
トラックバックにコメントしているだけでカレンダーが埋まるというのは。


いきなり入る。


1.Amazonアフィリエイトを貼っているレビューが、本当に「紐付きレビュー」になるのか。


基本的にはAmazonアフィリエイトを貼っていることこそが紐つきレビューの証である、と読める。


で、おっしゃっている「紐付きレビュー」の条件を満たす為には、次の二つの条件が必要になると思う。


・アフィリエイトを貼ることによって利益を得ること
・その利益、あるいは予定利益が、扱っている対象に有利な形でレビュー内容に影響を及ぼすこと



人間というものは結構に強い。
よりよくしようと努力する。



人間というものは結構に弱い。
よりよい方へと流される。


それはアマゾンアソシエイトにおいても同じである。
アマゾンアソシエイトを導入した人間は、導入に労力を費やしたという時点で既に、アマゾンアソシエイトを介した売り上げというものを目指しているわけである。


アマゾンアソシエイトを導入した人間は、よりよくしようと努力をする。
より悪いレビューを書く。


アマゾンアソシエイトを導入した人間は、よりよい方へと流される。
より悪いレビューを書く。


決してそれは脊髄反射などで貼れるものではない。
努力をしたか、流されたかで貼っているのであり、
それは立派に紐付きレビューと呼べる代物である。


問題がより深刻であるのは悪いレビューというのは、「発売されました!!」といった類の「このブログは駄目だね(笑)」とわかるような文章ではなく、巧妙な文章で書き綴られるという点である。
それは、筆力がある人間。つまりは人材として貴重であるブロガーであればある程、より巧妙な文章で巧妙な手を用いて行われる。


さりげなく話題作が増え、さりげなく高価格の商品が増え、さりげなく本来の守備範囲とは違う形のレビューが増える。広告塔化、クロスレビュー化である。


テクニカルな例を挙げると、FPS(一人称視点で銃で打ち合うゲーム)の熱心なレビューサイトが突如として「プレイステーションポータプル+ルミナス」のアマゾンアソシエイトを貼り、レビューを書いたとする。
それを、FPS信者を夢中にさせたパズルゲームのレビューであるのか、FPS信者がサーバー代を稼ぐ為に努力をして書いた「高価格」「旬」「マイナー」「話題作」といったキーワードの悪いレビューであるのかを見極めるのは不可能である。


これには「その両方だよ」という反論があるだろう。
それを申されるならば、ファミコン通信社のクロスレビューや、4gamersの光栄レビューも、「その両方」であるわけで、それと同じである。


次に代表的な反論としては、
「アマゾンアソシエイトを貼っているけれど、
 レビューの中では徹底的に罵倒しているじゃないか!」
というものである。


その内容が罵倒であるか賞賛であるかに関わらず、ウェブ上での露出というのは商品にとってプラスに働くというのは常識的な事であり、ブログに載せた、露出させた、という時点で紐付きと言えるのではなかろうか。


ましてやゲームへの罵倒というものはその罵倒の正体を見極めるのが非常に困難である。ゲーム好きな人間というのは、どこかでゲームに関して否定的なわけで、ゲームレビューにおける
>あからさまに悪評
というのは、三菱の車が炎上した、とか、ブルーディスクが飛び出した、蛙が入っていたとかミミズだとかいったものとははっきりと違う。


もちろん、炎上中のパジェロくらいの糞ゲーもたまには存在するわけで、それを貼る事をさして「あからさまに悪評」と言っているというのならば、まあ、あれなのだけれど。(今思いついた所では、ヴァルケン、天下統一3、大刀、、、)


もし、今すぐにシドマイヤーズアルファケンタウリへの罵倒を100行巧妙に書き綴れと言われれば簡単に書けるし、その対象がCiv3やウォークラフト3、ブラックアンドホワイトでよいのであれば僕自身今すぐにでも罵倒してやりたいくらいの気持ちがある。


アマゾンアソシエイトという紐が存在していなければウェブ上に存在していなかったであろうレビューが紐の為に量産されているという現実は非常に苛立たしい。
しかもブログというのはどうしてか検索エンジンとの親和性が高いらしく、僕が酔いという理由においてプレイ出来ない3D系ゲームの評判を検索エンジンで探すと、上位に表示されるレビューの大半が巧妙な紐付き悪いレビューであり、-amazon.co.jpなオプションが欲しいという気持ちを抱いた事すらある。
優秀なブロガーの純然たる文章というものを読みたいのに、紐の影がちらつくだけで、視界が少し濁る。どうなんだ、それ。


最後に、
>2.Amazonアフィリエイトで実際にサーバー代は稼げるのか。
という点である。
これに関しては100%、稼げる。と答えておく。
少なくとも、公平で善良でセンスに溢れたフレンドリーなブロガーであるを装えるくらいの筆力があるブロガーであれば、間違いなく稼げる。


ブロックブログの有料オプション(画像表示)は200円、
ココログは263円、はてなダイアリーは同120円、
レンタルサーバーも同じ価格帯で複数が見つかる。


これでいいのならば、公平で善良でセンスに溢れたフレンドリーなブロガーであるを装ってアマゾンアソシエイトに参加すれば、努力をするか流されるかすれば、あるいは努力をしなくても流されなくても稼げる額であり、アマゾンアソシエイトにYESと言った時点でgame is overである。


「俺は大丈夫だ。悪いレビュー書きにはならない」と思っている人間ほど危ない。人ってのは想像以上に安易で、また努力を怠らぬ生き物なのだ。
先日の文章でもこの位置に書いたのだけれど、ナムコクラシックスの3とドラゴンクエスト4しか貼らぬ!といったようなブロガーであるくらいなら、いっそ純然たる方に来て、サーバー代は別に働いて稼いだ方がよい。
参考リンクとして張るというのら、公式サイトの方が相応しい。


akisayaはakisayaだ。



>「ピクニック気分」で堂々と批判なさるのもほどほどにお願いします。

>ありがとうございました。
>すっきりしました。
堂々と批判した事に対するコメントが
「ほどほどにお願いします。」
とはおもしろい。

せめて一言だけなどと言い訳して書いた事が、何かと思えば
「批判するな」
それは、せめてではなくて一言しか書けぬというだけであろう。
しかも内容が言論統制のそれときては、哀れを通り越して涙を誘う。
「ハンドルネームで」募金パークを誹謗中傷している人達がいます!といった類のトラックバックは未だ来ぬわけで、飛んでなんとやらである。



日の丸を背負って出ておきながら、回線切断により転がり込んだ一勝にうじうじと女々しく執着し、後にちまちまと改変するような方が「ピクニック気分ではない」とどのようにして主張するのか物凄く興味がある。

などと書いた所でこの御仁から何かあるとすれば
「はいはい、馬鹿を相手にした私が馬鹿でした:)」
とか、そういった類の一言が関の山であろう。






とか、そういうのをやるつもりはめっそうもってまったくもうとうございませんのでどうかものすごくおんびんにおねがいします。

だいたいからして、死屍累々のRTSに関するサイトの中で、現役尚且つアクティブで、プレイングマネージャーが出来る人間というのは日本においてakisayaさんくらいしかおらず、物凄く貴重で尊い人材であるので、お体に気をつけて転げないように適度に頑張ってってください。

いやあ、僕だってDOTA allsatarsを徹底的に書く事によりウォークラフト3購入者を3~4名くらいは増やしてやろうというようなささやかな野望もあったのですが、フェードアウトしてしまい、それなりに無念であります。
以上であります。



よく事情が飲み込めない方の為のこれまでのあらすじ。
ウォークラフト中毒の真性引き篭もりが、紆余曲折を繰り返した果てにやっとこさウォークラフトを止められたものの、再びウォークラフトの悪夢がよみがえって禁断症状で息も絶え絶えの所に、無神経にウォークラフトなトラックバックを飛ばす極悪人vs正義超人hankakueisuu






ああ、そうだった。
このタイミングでアソシエイトにNOと言えを書いてしまい、いかにもあてつけっぽくなってしまいましたが、これは随分と前から書きたかった事なのであり、他意はありません。ほんとに。

最初に書いた時は上手く書けずに引っ込めて、二度目に書いた時はコメント欄に反応してアマゾンを張ってしまってから日が浅くて罰が悪く見送り、それからも何度か書こうと思ってはいたものの、どうもうまく書けぬと放置していた所に、ブックマークに入れてとても好いておったゲーマー大学生のブログがアマゾンアソシエイトをきっかけにしてわずか半年の間に競馬と株とグーグルアドセンスなサイトに変貌してしまい酷く落ち込んでいた所に、名実ともに日本を代表する悪いゲームレビュー書きさんからトラックバックが来るというイベントが重なり、書けそうな気がしてきたので書いてみたら書けたという事で投稿しただけであり、どこかへトラックバックを飛ばそうかと思ってはみたものの、今も読んでいる悪いレビューサイトはNGMだけなので、NGMに飛ばすというのはどうも違うし、わざわざ検索して探して飛ばすっというのはそれこそスパムであり、みっともなく、波風を立てるのが大嫌いな事なかれ主義者の僕には似つかわしくない行為であり、2000hitくらいある間に書いておけば拾われたのかもしれないと深く後悔しながらも、書けぬ時は書けぬしな、と寂しくなったりする。
やっぱり、無理にでも書いておけばよかった。


2005年2月16日水曜日

アマゾンアソシエイトにNOと言え。



世界には2種類のゲームレビューがある。
良いゲームレビューと、悪いゲームレビューだ。
ウェブ上では今日も後者が猛烈に増え続けている。
実に腹立たしい。

良いゲームレビューの条件というものを書き連ねるのは不可能に近い。しかし、はっきりしている事は、悪いゲームレビューでは無いものが、良いゲームレビューであるという点である。

それに対して、悪いゲームレビューの条件というのははっきりしている。
ゲーム内容以外のものが文章に影響を与えているレビューである。
これは、悪い。



悪いレビューの中で最も有名だったのは、大口スポンサーである特定企業のゲームと身内のゲームを絶賛し、金で点を買えると囁かれていたファミコン通信のクロスレビューである。
当時一般のユーザーが目にする事が出来たのは、すべて悪いゲームレビュー、即ち紐付きレビューであった。それら紐付きレビューを読んで、オープニングとBGMだけは良く出来た糞ゲーを掴んでは泣き寝入り、というのが当時は一般的であった。
事情が変わったのは、インターネットが登場してからである。
紐付きではないインプレッション、紐付きではないレビュー、紐付きではない感想、というものがいくらでも手に入るようになった。


ところが、近頃悪いレビューが凄まじい勢いで増殖している。
ブログと、Amazon.co.jpによって。


彼らは公平で善良でセンスに溢れたフレンドリーなブロガーであるを装っておいて、突如として紐付きレビューを書き始める。ある日突然にアマゾンへの直リンクが現れ、画像が現れ、検索ボックスが現れる。
ゲーマーならば必ず1度は嘲笑した事があるであろう紐付きレビューというものを、そのゲーマーが大量に生産しているというのは恥ずべき事ではないのか。恥ずべき事であるかどうかは本人次第であろうが、苛立たしい事態である事は確かだ。



最初はブロガー自身が思いいれのあるマイナーなゲーム、黒の剣だとか北へ。だとか、リンダキューブアゲインだとか、キングスフィールドだとか、はじめの一歩だとか、夢を見る島といった類のものへのリンクがレビューと共に張られる。
次に、ブロガー自身が最後にブレイしていたタイトルが張られる。

ここまでわかりやすい。
次の一手は、それらよりも更にわかりやすい。

ドラゴンクエスト最新作が発売日が決定しました!!
筆者はもう予約しました!!

エースコンバットの最新作が明後日発売されます。
筆者は絶対に買います!!

ファイナルファンタジーが今日発売されました。
筆者は明日にでも買おうと思っています!!

ウイニングイレブン最新作が発売中です。
筆者今やってるゲームをクリアしたら買います!!

バイオハザードの最新作が話題になっています。
物凄いグラフィックです!!
筆者はゲームキューブを持っていないのでとりあえず見送ります。

PSPが発売されてます。
いやあ、面白そうですね!!

DSが。
欲しいです!!


手に入れたら手に入れたで、正真正銘の紐付きレビューがやってくる。
大抵は絶賛、絶賛、大絶賛なのだが、時には手を変えやってくる。
「敷居の高さはあるものの、シリーズのファンなら絶対買い」
「内容は上記の通りなのですが、BGMが素晴らしいので」
「不満点ばかりあげましたが実は超満足しています」
「このジャンルの入門用としては最高の内容」

悪いレビュー、悪いレビュー、悪いレビュー。
糞レビュー、糞レビュー、糞レビュー。

彼らの言い分はこうだ。
「ゲーム代が欲しいので」
働け。働いて稼いで買え。
「サーバー代が欲しいので」
働け。サーバー代くらい働いて稼げ。
「更新のモチベーションを保つ為」
更新するな。悪いレビューをウェブ上に増やすな。


アマゾンアソシエイトでサーバー代を稼ぎたいなら稼げばいい。
ゲーム代やらサーバー代やらモチベーションを稼ぎたいのであれば、公平で良心的なゲーマーを装いながら悪いレビューをウェブ上で公開するという手法を用いて行わず、「お小遣いゲット大作戦」だとか、「アフィリエイトで月400億円」だとかやって、やりたい放題やればいい。
その一方で良いレビューを書けばいいではないか。

ブロガーは無数にいても、ゲームに対する立派な文章を書ける人間とは少ない。その貴重な人間が次々に悪いレビュー書きへと転身していくのを見るのは非常に心苦しい。
もしも、現在ゲームレビューを書いている方、あるいはこれからゲームレビューを書かんとしている方がこの文章を読んでいるならば、悪いレビューを書く側に立つのか、良いレビューを書く側に立つのかを考え直していただければこれ幸いである。良いレビューが読めるようになるツールであるインターネットと、ブログというものの価値を。

現在でも紙媒体やインターネット上に大量に存在する4gamer光栄やファミ通スクウェアに代表される紐付きレビューというものを1度でも笑ったことがある人間であれば、紐付きで無いレビュー、悪いゲームレビューでないゲームレビューを書くって事が、悪くないものだって事はわかってもらえるのではなかろうかと、悪いゲームレビューブロガーによる悪いゲームレビューブロガーへのエントリー。
インターネット革命をもう一度。



















いや、アマゾンアソシエイトに参加しているブログであっても、張ったアフィリエイトがTHE地球防衛軍とルナティックドーンとウィザードリークラシックスだけであり、ドラゴンクエストもバイオハザードもPSPも張ってない、というものならば紐付きと言うよりもリンクを張っただけかな、などと思わなくも無いのですが、それならいっそ、純粋な良いレビューの側へ立った方が。

というか、そもそも予約していても発売日に届かないAmazon.co.jpへのリンクを「アマゾンで予約受付中です」などと張っている時点でその神経を疑うのだが。


2005年2月15日火曜日

カッターナイフで



レゴブロックを削っていた。
うまい具合に家には一人。これ幸いと、レゴブロックを削っていた。

レゴブロックを削っていたというだけであれば、どこにでもいる健やかな小学生の穏やかな午後といった様相であり、ありふれた平和で平凡な日常の一こまだ。
しかしながら、僕がレゴブロックを削っていたという文章をブログに書いているという事は、その後に平和で平凡ではない日常の一こまが待ち受けていたという事である。

問題の所在ははっきりしている。
テレビがついていた。いや、テレビをつけていた。
生き物地球紀行を見ながらレゴブロックを削っていた。
銀色のゴリラがよろしくやりたい、よろしくやりたいと茶色のゴリラを追い回していた。
茶色のゴリラが逃げ疲れて銀色のゴリラに肉薄された時、カッターナイフが人差し指を貫いた。血がドバドバと流れ出し、レゴブロックとソファーを染めた。
ひとしきり嗚咽した。
そして、慌てた。

これはまずい、と。
そのソファーは新調したばかりで、新調したクッションが乗っていた。
なにもかもがいやになりながら親指と中指で人差し指を拘束するのに気を取られている間に、それらに赤が付いており、これは嗚咽じゃすまないな、と本能的に察知した。

事の重大さに落ち着きを取り戻した僕はガムテープを取りに行き、人差し指に巻き付けた。そしてそのままソファーまで戻り、ソファーの赤い部分にガムテープを丁寧に貼り付けてゆき、どこから見ても赤い部分が見つからないようにした。それから、クッションの赤い部分にガムテープを貼り付けて、どこからどう見ても赤い部分が見つからないようにした。
誰かが訪れる前に全てをぬかりなくやり遂げた事に満足し、カッターナイフでレゴブロックを削った。けれども指が痛くてうまく削れず、カッターナイフを諦めてレゴブロックを綺麗に片付けて、一人でテレビを見ていた。

そうしていると、家人が帰ってきた。
嗚咽せず泣いて、こっぴどくしかられた。
「なんでガムテープ!」
などと言われながら病院へ引きずられた。

僕は僕が残した痕跡を跡形もなく片付け消し去り、証拠という証拠の全てを隠蔽していたにもかかわらず、どうしてか、それらは全て、すぐにばれた。
これは誇るべきエピソードだ。
証拠隠滅を成し遂げたにもかかわらず、全てがすぐにバレたという事は、僕が裏表の無い嘘のつけない人間である事を指し示しているわけであり、どこに出しても恥ずかしくないブログ投稿である。少しばかりの誇らしさはさておいて、話を進める。



カッターナイフでレゴブロックを削っていたのには、理由がある。
リユウと書いてワケと読ませたいとかそうゆう意図はまったくなく、純粋にカッターナイフでレゴブロックを削っていた理由を書こうというだけの事である。

レゴブロックを削っていたのは、レゴブロックを削りたかったからである。レゴブロックを削りたかったのには、理由がある。
リユウと書いてワケと読ませたいとかそうゆう意図はまったくなく、純粋にレゴブロックを削りたかった理由を書こうというだけの事である。

レゴブロックを削りたかったのは、レゴブロックに弟がマジックで線を引いたからである。
レゴブロックに弟がマジックで線を引いたのに、理由があるかどうかは知らない。知らないが、数字やら矢印やらカタカナやら記号やらがそこらじゅうに書かれており、僕はそれを消したかった。弟が書いた痕跡を全て消してしまおうと、カッターナイフでレゴブロックをひたすらに削った。

マジックで数字や矢印やカタカナが書き入れられたのは、それよりも随分と前の事である。僕はそれに猛烈に抗議したのだけれど、兄である僕が我慢すれば全てはうまく治まるのだと指摘された。
その通りだ。
波風は立てたくない。
僕は全てを飲み込んだ。

けれども、レゴブロックで遊ぶ度にそれらは僕の目に入る。
一人で「ずがしゃーん」とか「きゅいーん」とかくぐもっていたいのに、マジックで引かれた弟の痕跡がそれを許さない。僕はそれが嫌で嫌で、それをずっと抱えたままで、その機会をうかがっていた。
僕はずっと消したかったのだ。
僕の世界に入り込む、僕以外の痕跡を。弟を。
そしてそれは訪れて、こっぴどく叱られた。


けれども、今思えばあれはよかったんだ。
とても幸せな事だったんだ。
だって、そうだろ。
こうやってブログに書けるのだから。

多くのブログが日記と時事の日常で構成されているのに、僕にはブログに書ける日常が無い。テレビも無い、ラジオも無い、風呂なんて数年入ってない。出社も電話も飲み会も無い。書ける事など何も無い。
いや、僕にだって日常は存在するんだ。
けれども、それらはエントリーにはなりっこない。
だって、インスタントコーヒーの瓶に入れた札とコインを夜な夜な指折り数えては、DOTA allstarsを買い戻すべきかどうなのか真剣に悩みながらオークション統計ページをクリックしているとかそんな事、ブログに書けやしないないだろ。


人間ってのが日常を生きていると、悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、つまらないこと、そういうのがいっぱい通り過ぎて、言いたい事、書きたい事は溜まって行くもんだ。
真性引き篭もりブロガーの日常というのはそれとはまったく違う。
悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、つまらないこと、そういうのがいっぱい通り過ぎて、言いたくない事と書きたくない事、それに見せたくない事ばかりが溜まって行く。
その中でブログを書く。
書く度に「書けた」と安堵する。

うまく書けた時はうまくいったと思い、
うまく書けなかった時はうまくいかなかったと思う。
その両方に共通しているのは、もうこれ以上のものは書けないだろうという、劣化し続ける自分と自分の文章への正当な眼差しである。
うまくいった時ほど、あとは落ちる一方だと恐ろしくなり、読み返すのも、コメントを見るのも、同じブロックブログに開設されたブログを見に行くのも怖くなる。駄目な投稿はF5連打してもへっちゃらなのに。


手持ちのカードは増えないのに、手持ちのカードを切ってゆく。
これがババ抜きや大富豪であれば、僕は幸せ者だろう。
無くなったら勝ちなのだから。

けれども、これはババ抜きでも大富豪でもなく、ましてやDOTA allstarsでもない。切れるカードは既に無い。しかしゲームは果てなく続く。
それすら全て尽きたならば、僕は真性引き篭もりでは無くなり、同時にブロガーでも無くなるのだろう。


「それも悪くは無いな」
と、ふと思う。
アクセスしてくれる人がいるという事実や、自分が真性引き篭もりではなくブロガーであるという恍惚、寄せられるコメントやメールといったものは嬉しい。
だが、それがなんになるというのだ。
真性引き篭もりをやめて、ブロガーをやめて、DOTA allstarsを買い戻せばアクティブで刺激的な日常が戻ってくる。そっちの方が大事なんじゃないか、って。


だけど、そんなにうまい話は無い。
ゲームが下手な僕にとってのDOTA allstarsというものは、敗北と絶望と失望を連れ添わずには遊べない代物なのだから。それと比較すると、ブログというのは本当に素晴らしい。
僕がブログを投稿すると、その真意を知るのは世界中でただ一人。
それはとてもいい優越感だ。
化け物の正体を知っているのも、透明人間の正体を知っているのも、太陽の正体を知っているのも僕一人だ。世界でただ一人、特別な人間だ。たった一人、ただ一人。

喧噪から離れて投稿ボタンを押す瞬間だけが僕が僕を真性引き篭もりである僕から世界でたった一人の特別な僕へと変化させられる時であり、その瞬間だけが一人の僕を癒してくれる。
だから僕はブログを書く。僕を満足させる為。
書いて、書いて、書き続ける。
カッターナイフで。


2005年2月14日月曜日

製作予告



名称未定のエラーを直そうとしていたら、
余計に壊れて物凄い事になってしまった。


.exeクリックすると名称未定.exeがタスクトレイに1秒ごとに1つづつ増えてゆく。恐ろしい。
「これは駄目だ。」
と思って、「閉じる」をクリックしてアプリケーションを終了させようとしたら、どどどどどどどどっと物凄い勢いでタスクトレイに増殖した名称未定.exeが点滅を繰り返し、一切の操作を受け付けてくれなくなった。


こんな時は「Ctrl+Alt+Delete」を押せばいいんだ。
と、なけなしの知識と指を総動員してCtrl+Alt+Deleteを押しっぱなしにしてみても、名称未定.exeが点滅し続けているおかげでウインドウズは一切の操作を受け付けてくれないわけで、何も起こらない。

我慢に我慢を続けて2分くらいCtrl+Alt+Deleteを押しっぱなしにしていると、突如として400個くらいの「Windows タスクマネージャ」が出現した。
しかも、しかもその2分間押し続けたおかげで出現した約400個のタスクマネージャが全て応答不能で終了でない。本末転倒である。

それでも、頑張って「タスクの終了」を上から順に指示していると、突如として「ウインドウズがエラーを検出しました。マイクロソフトに報告しますか?」というポップアップが出現した。
400個くらい。


やめてくれ。
嫌がらせはやめてくれ。
しかもその画面左上から右下にかけてずらーーーーーっと十二単のように並んだポップアップの裏では、相変わらず名称未定.exeが増殖しながら点滅している。

半時間ほど格闘してみたのだけれど、にっちもさっちもいかないので電源落として再起動。自分用にはスキンとか音とか無しでバグだらけだけれどちゃんと動いている0.2系列があるからもういいや。いやである。



だいたいからして、カウンターが重いから外したのに、他のカウンターを探している間にだんだん疲れてきて、もう重かろうが軽かろうがどうでもいいや、とカウンターを付け直している時点で敗北である。完敗である。

とりあえず、起動アプリと行動を記録するアプリケーションというものに需要が無さそうだというのはなんとなく理解したので、もっと需要のありそうなものを製作して落ち着かせる事にした。




キーボードをタイピングした際に、どの指でタイピングしたのかを記録し、正しい指使い習得を目指す手助けとなるアプリケーション。

を製作するのである。
例えば「G/き」キーを右手人差し指で叩いたら、
「左手人差し指で叩きなさい!」
とか、「Q/た」キーを左手中指で叩いたら、
「惜しい!左手薬指で!」
とか、そういう感じである。

いやあ、これはどう考えても物凄い需要があるだろう。殺到するだろう。絶対に。キーボードの3/4くらいのキーを右手の一刺し指で叩いている僕が言うのだから間違いない。

ちょっと、キーボードをタイピングした際に、どの指でタイピングしたのかを記録し、正しい指使い習得を目指す手助けとなるアプリケーションを作るので、完成までブログの更新は一時的に休止します。
多分2時間もれあば完成すると思うので休止ってほどでもないけれど、ちょっとひとまずお休み。


2005年2月12日土曜日

ひkっこめました。



エラー出たので。




使い方。
・開始ボタン~終了ボタンまでのグラフ?を出す。
・予定時間を設定しておくと予定時間経過時に音が鳴る。
・グラフをクリックしてそれぞれにメモをつけられる。
・開始~終了までに使用していたアプリを調べて報告。
・日付をクリックすると、その日使用したアプリを調べて報告。

個人的な使い方。
・アウトラインが出るテキストエディタで記録.txtを開いてメモを読む。



予想される不具合。
・NT系じゃないウインドウズ(98と95とme)だとアプリケーション統計が出ないらしい。XPと2000は大丈夫。

既知の不具合
・名称未定
・アイコン無し
・スキンがみっともない

既知の仕様
・メモの行頭に「[」を持ってくると、メモがずれる。
テキストエディタからいじる事を想定しているので直せません。
メモの行頭に「[」は使わないで下さい。

・WindowsXPの表示スタイルに対応していない。
・最小化でタスクトレイに入れる時にちらつく。エウー


既知のQ
>時間内に使用したアプリ一覧から、TM自体を除いてほすぃです。
しばらく使っていると、ずら~っと色とりどりの線が並んでいるのを眺めながら、クリックしてその時間に使っていたアプリを調べたり、「いやー、1時間40分でLv27到達して即死か~」などと自分の足跡を見るのが楽しくなってくるのと、アプリ一覧は使用時間に応じて並び替えているのでデフォルトでは除くつもりはありません。

オプションで一定時間以下を非表示&TM非表示は気が向いたらやります。


2005年2月10日木曜日

10秒



それが事実であるからといって、それそのままにキーボードを叩いてよいという事ではない。例えば、女の声を聞いたのであれば、「昨日、夜もふけた頃、女の人の声が聞こえてきた。」などという書き方が推奨されるのである。

ここでそのような段取りを踏まずに事実をそのままそれとして、
「女の声が聞こえる。」
と不躾にやってしまっては具合が悪い。

ブログというものはその人と也がそのままに現れるものである。
例えば僕がこのブログ上に置いて、物凄く書道が好きで、書道部にて書道ライフを謳歌しているのだけれど、足が速すぎて陸上部の顧問からストーキング勧誘を受け続けており、陸上部の顧問は陸上部の顧問でよく出来た人物であるからして、断り続けるのに少し疲れ、「陸上書道部」なんてのも悪くは無いか、などと二刀流への転進を前向きに検討している、ゲームは小学校4年生くらいで卒業した電子レンジで2分チンした生卵を食べても吐かないような短髪の好青年を演じているわけであるのだが、http://sinseihikikomori.bblog.jp/を開いた時にまず目に入るのが「真性引き篭もり」であるからして、そのような目論見が成功しているかどうかは疑わしい。

だからといって、ブログのタイトルを今日、今この瞬間から「物凄く書道が好きで、書道部にて書道ライフを謳歌しているのだけれど、足が速すぎて陸上部の顧問からストーキング勧誘を受け続けており、陸上部の顧問は陸上部の顧問でよく出来た人物であるからして、断り続けるのに少し疲れ、「陸上書道部」なんてのも悪くは無いか、などと二刀流への転進を前向きに検討している、ゲームは小学校4年生くらいで卒業した電子レンジで2分チンした生卵を食べても吐かないような短髪の好青年」というものに変えればよいというものではない。

ブログはそのタイトルだけでなく、その成り行きに人と様が現れてしまうわけであり、突如として自分を美しく見せようという魂胆でブログのタイトルを変更したとなれば、それはもう、そのような人物であると笑われて終わりなのである。
事実として僕は非常に足の早い好青年であり、食欲が無いからと卵を器に割り入れて電子レンジでチンしたら、トイレに行っている間に茶碗が割れていて電子レンジの中がじゅばばばばーんとなっており、茫然自失と少し泣きながら必死で飛び散った卵を指で摘み取って口に入れ、何を考えたのかトイレへと走って戻り、トイレットペーパー基地を4回くらいカラン、コロン、と鳴らして両手に巻きつけ、それに水道を少しばかり垂らして電子レンジの内部を清掃し、急いで部屋へ駆け入って一息ついていると少しずつ壊れ始め、やがてそれは猛烈な吐き気へとなったのであるけれど、僕は真性引き篭もりであるからして部屋から出られぬ事情にあり、その後の事は思い出したくないなどと泣き言を書き連ねるような人間ではないのだが、非常に足の早い好青年であるという事実を持ち出すよりも、事実無根のでっちあげを行った方がブログを書くには容易いので、事実無根のでっちあげを行っているのである。

僕が連日連夜、ブログをわずか10分足らずで書き上げ、投稿し続けられるのも、適当なでっちあげをもってそれを適当な気持ちで文章にしているからである。例えるならば6Bの鉛筆を「尖り過ぎてると書きづらいからさ~」などと言ってノートの白いページにグルグルとこすりつけ、そのページをまっくろにしているようなもので、推敲も翻案もなにもない。
これがもし、非常に足の速い短髪の好青年であるというありのままをブログにする、という方針でやっていれば、このようには行かない。
非常に足の速い短髪な好青年の日常というのは非常に退屈なもので、踊り場にて1年前の級友と出会い、駆け下りていた階段をゆっくりと登るくらいが関の山であり、そのような平凡な日常をブログにするというのは果てしなく難しい。
もしも、僕が素のままで素朴にブログをやっておったならば、おそらくは3日に一度とか、4日に一度とかそのようなおざなりな更新しか出来ず、アクセス数なども只管に落ちて行き、アクセスカウンタをつけるとかブロックの再設定を行うなどといった他愛も無い事ですら行わぬくらいに適当な運営になってしまうであろう。
いや、確かに僕の日常には駆け下りていた階段をそろりそろりと忍び足で音を立てないように慎重に登り帰る以外のイベント、例えばよろしくやったとか、よろしくやっていたのがばれたとか、よろしくやりたいといったものも存在するのである。
しかしながらそのような下世話で論壇系ブログに相応しくない文章を投稿するわけにはいかないので行わない。

では、なにを行うかというと、開設されたその日その瞬間ともいっていい時間帯からよろしくやりたいと思っている読者を放置して、コメント欄で「ぅゎ~ちかくにゅる♪今度にょみにでもいきまっしょい!!」とかやりあっているのとかも非常に腹立たしいのに、サッカーのサの字も出てきていなかったブログにサッカーを生観戦してきます(^^)とか書かれているのを読んで、僕の方が遥かにサッカーが好きであるのにワールドカップすらまともに、というかほぼまったく見ていないという事実に泣きながら苛立ってよろしくやりたい、よろしくやりたいと思い、よろしくやりたい、よろしくやりたいとずっと思ってきたのであるという事実はさておき、「先輩と」ってのはなんだ「先輩と」ってのは。
先輩ってなんだ。
先輩って。
先輩ってなんだ。
先輩って。
女だ。
女。
と、ブックマークを削除してから女の声が聞こえたという事実をブログに書くのである。ブックマークは削除したので、あとは女の声が聞こえたという事実をブログに書くのみである。



つまり、ここで重要なのは女の声が聞こるという事であり、それ以外の些細な出来事と些細な文章は、もう、どうでもよいのである。どうだって。

しかしながら、女の声が聞こえたからといって「女の声が聞こえる」はよくない。
ブログの書き出し一行目で、「女の声が聞こえる」とやってしまっては、スクウエアのロールプレイングゲームの一幕のように安っぽい。

女の声が聞こえる。
いや、ブログのタイトルでも一行目でも何でもない。
リアルタイムに聞こえたという事実を書いただけである。
女の声が聞こえる。

それはかなり昔から聞こえてくる。
いつ頃からかは思い出せないのだけれど、引き篭もりになる前からだったような気もするし、引き篭もりになってからだったような気もする。

女の声、というものは嫌いではない。
より正確に言うと、物凄く好きである。
基本的に女の声というものは物凄く好きであるのだけれど、声というものは言葉を伴う。声はその伴った音と響きにより、薬にもなるが毒にもなる。僕の中に今も残っている女の声というものは、左耳の後ろの頭皮を掻き毟るようなものばかりであり、女の声が好きだなんて、とてもじゃないが書けない。
そのような事実を差し引いても、女の声が聞こえる。

非常に不愉快である。
一心不乱にブログ、それも非常に素晴らしくく読んだ誰もが名文だと唸るような文章を書いている最中、のりにのっている絶好調の真っ只中に女の声が聞こえるのである。
なにも、よりによってこのタイミングで聞こえてこなくても良いのに、と苛立ちを伴う悲しさの中で女を黙らせて、続きを書く。

それはいつも、よりによって、どうして、今。という時に聞こえてくるのである。例えばダンジョンクロウルにて竜王の鎧を4Fで拾ったタイミングで女の声が聞こえてくるのである。
鎧の重さで攻撃という攻撃が失敗して10度に9度はミスが出る時。
飢えとミスにのた打ち回りながらレベルを上げている時。
宝物個の最下層でLv27まで上げ「よーし、進めるぞ!」と思った時。
進め始めた瞬間にに体力満タンから麻痺即死コンボをくらって死ぬ時。
そのような、よりによっての時間が来ると、必ずもって聞こえてくるのである。
「十秒」と。


10秒。
それは短い。
いや、僕にとっては時間ですらない。


「10秒について何か書いてくれ」
と頼まれたとしても、僕は一行も書けない。
世の中には、「10秒あれば眠れる」と豪語し、事実眠る人間がいる。
「10秒で飲み干す」と豪語し、事実飲み干す人もいる。
「10秒でよろしく」と蔑み、5秒でよろしい人もいる。
しかしながら僕は真性引き篭もりであるからして、10秒ではなにも出来ない。

つまり僕にとっての10秒とは、時間ではない。
実在しない、なにかなのだ。


女は、その実在しない何かを僕に投げかける。
「10秒」と。
だから不愉快なのだ。
だから、不愉快なのか?
定かではない。定かではないが、不愉快なのだ。


キーボードから手を離し、右の眉毛を二本抜いた所で、また聞こえる。
「10秒」と。

僕はそのような舞台に上がったつもりはない。
ただ、ただDOTA allstarsという事象を文章として捉えなおしたかっただけなのである。僕というDOTA allstars、DOTAallstarasという自分を。
なのに、女の声が聞こえる。「10秒」

しかしながらそのような物言いは不適切であろう。
そもそも、真性引き篭もりというブログを開設し、DOTA allstarsから逃げ惑ったのは、語尾を強める女に追われての結果であったのだから「10秒」

女の声が聞こえる旅に、僕は女に問いかけた。
「これでいいだろ」と。
シンガポール人を虐殺して「これでいいだろ」。
もう満足かい?
女は何も言わない。
押し黙ってじっと見る。
黙りこくった女を見て満足し、胸骨を一本吐き出した所でまた「10秒」
DOTA allstaarsのプレイレポートを立ち止まらずに一気に書ききり「これでいいだろ」、もう満足かい?
女は、また押し黙る。
押し黙った女を見て僕は癒され、女を黙らせる事に成功した自分を褒めて酔いしれていると、また「10秒」
また、「10秒」
また「10秒」
ブログを書いてそれを黙らせ、投稿ボタンを押してまた「10秒」
歯を磨いて「10秒」
少し踊って「10秒」
ゴミ箱を空にして「10秒」


待ってくれ「10秒」
ちょっと待ってくれ「10秒」
待ってくれ「10秒」
お願いだから待ってくれ「10秒」
10秒じゃ何も出来ない。「10秒」
10秒じゃ何も出来ないんだ。「10秒」
許してくれ、僕が悪かった。「10秒」
全部僕の責任だ。「10秒」
もう、おざなりな事はしないからちょっと待ってくれ。「10秒」
朝も夜もちゃんと食べるし「10秒」マウスボールの汚れとかも拭き取るし「10秒」タイピング音がたたないようにとキーボードの上に敷いてある茶色とねずみ色の木綿のシャツもちゃんと洗うから「10秒」
「10秒」ゆっくり考えて「10秒」ゆっくり準備して「10秒」ゆっくり書けばちゃんとやれるんだ「10秒」
5分とか、10分とか、30分とかあればなんだって。「10秒」
5年、10年、15年とゆっくりやれば出来るんだ。「10秒」
けど、10秒じゃ何も出来ない。「10秒」
だから、ちょっと待ってくれ。「10秒」
10秒で、って言われたら、悪いこと悪いこと重ねるばかりだ。「10秒」
にっちもさっちもいかないのは、あんたがせかせるからだ。「10秒」
ちゃんとやれるのに。「10秒」
ゆっくりやればちゃんとやれるのに。「10秒」
なんだってきちんとやっていけるのに。「10秒」
予定を立てて「10秒」手はずを整えて「10秒」石橋を叩いて「10秒」予定を立てて。「10秒」それなのに。「10秒」
あんたがせかすからだ。「10秒」
ちょっと、待ってくれ。「10秒」
待て「10秒」
待て「10秒」
待て!「10秒」
黙れ「10秒」
黙れ「10秒」
黙れ!「10秒」
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!二度と僕に近づくな。世界から消えろ。死ね。一生僕に近づくな。「10秒」黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ「10秒」う座右座右座右ざいざいざうざいざういざいうざい「10秒」ああーーあああーあーああーあーああーーーーーああーあーあーああーあー聞こえない聞こえない。

「10秒」
「9」
「8」
「7」
「6」
「5」
「4」
「3」
「2」
「1」


物凄くあせった。



昨晩、物凄く繋がらなかった。
上書き、下書き、上修正、下修正、とやるつもりでブログを書き始め、上を書き終えて下、つまりはここを書いて投稿したら投稿した文章が全部飛んで結構落ち込んだ。
文章が飛んでしまったという事もそうなのだけれど、上の文章の誤字を直したかったり、不適切な表現を削除したかったりといった欲望を遂げられないという事に落ち込んだ。


なにか悪い事をしてしまったのではないかとか、僕のブログが削除されたのではないかとか、IPをはじかれてるのでは無いかとか、いろいろとよからぬ事態を想像し、「ブロックブログ+繋がらない」で検索したら真性引き篭もりが一番上に表示されて悲しい気分になったりするなかで、真剣に移転を考えて他のブログサービスを見て回っていると、「政治家の圧力に屈して番組内容を編集しなおす坊国営放送のようなフジテレビ」といった感じの記述を見つけてlololol


2005年2月6日日曜日

竜王の鎧



自棄になって自棄にならないでおこうと思って自棄になって、自棄にならずに自棄になって、自棄になるわけにはいけないとにやついて自棄になり、自棄にならずに自棄になってしまい、絶対にここは踏ん張って自棄にならずにやろうとして自棄になり、結果自棄にらないでおこうと思って自棄になったという事実に自棄にならずに自棄になり、自棄になっちゃ駄目だと自棄になった。

というのがこの投稿の要約であり、要約というものはそれさえ読めばあらかたが解ってしまうという非常に優れた一文であり、そのような万能かつ高性能な文章を頭に持ってきてしまったという事は、それを読んだ読者の方々が「なるほど、そういう事か。」とうなずき返し、「じゃ、あとは読まなくてもいいか」と思って立ち去ってしまう可能性が非常に高い。
そのようなリスクを犯してでも要約をはじめに書いたという事は、要約を書きたくなるくらいに伝えたい内容があったわけでも、要約に続く本文を読まれたくないわけでもなく、要約に書かれた一文、自棄になり自棄にならずという文章に従ったのみである。

それに続けて要約のとおりの文章を書いていたのであるけれど、要約に従い自棄になったので、その文章を全てDeleteキーで葬り、この投稿自体も無かった事にしようかと思ったのだけれど、それは物凄く悲しいので、もう一度今削除した文章をよりよい形で書き直そうと書き始めてみた所で、朝日に襲われて自棄になり投稿


2005年2月3日木曜日

しょうらいのゆめ



ぼくは、大きくなったら市長さんになりたいです。
どこでもいいから適当な所の市長さんになりたいです。
出来れば、徳島とか福島とか三重とか宮崎とか、そういう変な県の変な市の市長さんになりたいです。

市長さんになったら、市の名前を藤沢市に変更したいです。
そして、市の名前を藤沢市にしてから、適当な汚職で私服を肥やして、追求されるかされないかの瀬戸際の際どい所をすり抜けて、ドイツにサッカー留学に行くとかそういう適当な理由をつけてうまいこと辞職したいです。


それから、帰国して、ドイツ仕込みの対トルコ移民政策!とかなんかそういうふれこみで選挙民を騙くらかして、徳島とか福島とか三重とか宮崎とか、そういう変な県の変な市の市長さんになりたいです。

それで、市長さんになっただ、ドイツ仕込みの教育改革!とかなんとかそういう名目で、大学を作りたいです。
ものっすごい山奥の、ものっすごい田んぼと雑木林とかあるところのど真ん中のものっすごい田舎に、大学を作りたいです。
大学の名前は駅弁大学にして、日本中の駅弁大学という駅弁大学をあたふたさせたいです。
それで、ついでだから、ドイツ仕込みの医療改革とか銘打って、付属医大かなんかも作って、その大学の名前は日東駒専大学とか、関関同立大学とか、MARCH大学とか、そういう適当な名前にして、日本中の日当高麗船という日当高麗船、かんかん同率というかんかん同率、マーチというマーチをてんてこまいさせたいです。

大学を作り終えたら、市の名前を偽藤沢市にします。

それから、適当な汚職で私服を肥やしてから、なんか宗教関係者からの政治献金を秘密裏に受け取ったとかなんとかで、そういう疑惑が発覚して、もうちょっとでやばいかも!とかなった時に、親族の介護を理由にして物凄い清潔感のある辞職会見で後継者の推薦(この人からいっぱい裏金もらう)して、市長さんを辞めたいです。



それで、しばらくほとぼりが冷めるのを待ってから、ものすごい時代錯誤の福祉政策を公約にして選挙民をうまいことだまくらかしながら、陰ではパチンコ業界とかカルトとか気合で癌を治す人達のリーダーとかそういういろんな所からの支援とかを受けて、藤沢市の市長さんになりたいです。

ここでいう藤沢市とは、徳島とか福島とか三重とか宮崎とか、そういう適当な県の適当な市の名前を変更してでっちあげた藤沢市でも、徳島とか福島とか三重とか宮崎とか、そういう適当な県の適当な市の名前を変更してでっちあげた偽藤沢市でもなく、神奈川にある藤沢市の市長さんになりたいです。

それで、めでたく藤沢市の市長さんになったら、物凄い市税とかかけたり、80億円くらいかけてカントク跡地にテニスの王子様のテーマパークをテプニーランドとかそういう感じの名前で作ったり、サッカークラブを40個くらい作って片っ端からJFLに参入させて湘南ベルマーレをてんやわんやにしたりしてやりたい放題やって、やがては支持率2%とかそういうのになって、けれどもメディアを操作して40%くらいある事にしたりとかしてたら、市民からの反発とかがものっすごくなって、ものっすごいデモとか起こったり、テプニーランドはテニプーランドの間違いじゃないのか!とかそういう追求されたりとか、なんか関連会社の天下りとかいろんな悪い事をしてきたのが全部バレそうになったりとかした頃に、これまで溜め込んだ裏金で議員さんとかを買収しまくって、市の名前をトレヴァーシンクレア市とか、トレヴァーベンジャミン市とか、西インド洋市とか、ジョン万次郎市とか、後期ガンブレア期市とか、忍者市とか、手裏剣市とか、そういう滅茶苦茶な名前にして、藤沢市を藤沢市でも偽藤沢市でもないなにか別のものにしてしまいたいです。

それによって、にせ藤沢人さんのよりどころを奪うと同時にアイデンテイテイを完全に崩壊させてなにがなんだかわからんくするのが、ぼくの将来の夢です。


2つほど。



いやー、寒いね。ほんま寒い。寒いわー。2月でこんだけ寒いんやったら8月とかになったらそれはもうどえらいことになりそうやね。

面白くはない。それくらいは馬鹿でもわかる。
馬鹿ではない。寒い8月は来ないだろうというのもわかる。
しかし、先日はそれすらもわからなくなる位に寒かった。

週末を前にして灯油を入れ損ねていた事が気になってはいたのだけれど、そろそろ暖かくなる頃であろうと脳みそ夏休みな予測を立ててドクターが倒せず悩んでいたら、部屋中をつんざくような寒さが来て、寒波で窓がドカドカ鳴りだした。
「いやあ、これは春一番だ!」
と自分に強く言い聞かせ、あと5分もすればこのさむかぜが春を運んできて、10分後には暖かくなるのだと信じてダンゴ虫の真似事をしてからゆっくり10を数えてみたのだけれど、まったく暖かくならない。ここが煮えたぎった湯船の中であれば気を失いそうなくらいに熱くなるのだが、吹きすさぶ椅子の上であるからして寒くなるばかりである。
おかしい、これはおかしいと悩んでいると風がドンドンと窓を叩く。
おそろしい、これはおそろしい。
僕は真性引き篭もりであるからして、このガクガク震えている窓が寒風の前に敗れ去ろうものならば、全てがおしまいであり、それだけはごめんこうむる、ごめんこうむる、勘弁してください、勘弁してくださいと物凄く祈った。祈りに祈った。しかし、祈りをまったく信じない人間が祈るというのは物凄く逆効果であったようで、余計にか細くなりて、消え入る寸前である。

いやあ、いやあ!と祈り続けていたら、真夜中が来た。
チャンスだ。
これは物凄いチャンスだ。
何がチャンスであるかというと、食べ物を食べるチャンスだ。
真性引き篭もりは真性引き篭もりであるからして、食べ物を部屋に持ち込んでいない限り、真夜中の忍び足だけが週末の食事タイムだ。このチャンスを逃してしまうと白夜のラマダンだ。

ちょうど物凄くお腹がすいていたので、この時を逃してはなるものかと気合を入れる事を4度ほど繰り返して動こうとしてみたのだけれど、寒すぎて体が動かない。飼い犬は飼い主に似るというが、僕は愛用のウイーンウイーン、ピーブー、ウイーン、キュルルルルー……系のパソコンに似てしまったようで、スイッチを入れてもうんともすんともいわない。
だいたい、そうなった時は「あー、今もしパソコンが動いていたらものっすごいブログ書けたのに」とかドクター倒せたのにとか色々な言い訳をついて、いかに己が不幸であるか、いかに己の人生が不運なものであるかを嘆き、努力だとか根性だとかといったものは二駅先の彼方へ置き去りにして嘆き続けるのであるが、パソコンは物凄く快調に動いている。

空腹が行き着くところまで行けば動けるのではなかろうかと思い立ち、おなかがすいた、おなかがすいた、おなかがすいた、と唱えてみる。唱えてみると、満腹になってきて非常に合点が行かない。
納得いかなくても空腹が去ってしまったというのは紛れも無い事実であり、動きだす為の動機と気力を完全に失った僕はそのままじっと窓に打ち付く風の音を震えながら聞いていたのだけれど、そこでふと思い出した。
灯油だ。
灯油さえあれば窓枠に怯えずに済むのだと。
そこで灯油をなんとかして手に入れようかと悩んでみたのだけれど、手立てが思い浮かばない。真性引き篭もりは真性引き篭もりであるからして、真夜中に灯油を入れるなどという事は出来ないわけである。もし真夜中に灯油を入れようと企てたならば、まず灯油タンクの扉がガシャンと鳴る。だいたいからしてそれだけで耐えられないわけで、灯油を入れる以前の問題である。たとえ灯油缶までたどり着いたとしても、そこでおしまいである。ウィーンと振動して鳴り響く電動式の灯油ちゅるちゅるのスイッチを押す勇気などあろうはずもなく、徒労に終わるのは目に見えている。
思い悩んだ。思い悩み、思い悩んだ末に「灯油を口に含んで部屋まで持ち帰るのはどうだろう」とかそういう名案を思い浮かぶに至り、これはもう駄目だ、とうずくまる。
うずくまっていると夜が明けた。
同時に、お腹がすいた。
物凄くお腹がすいたのだけれど、夜が明けた。
正確には夜は明けていないのだけれど、もし7月であれば夜が明ける時間である。そのような時間帯に突入してしまったというだけで身も心も凍りついてしまい、動けない。
ああ、駄目だ。駄目だ。と丸くなっていたら、もう一度真夜中が来たのだけれど、また同じように動けない。ああ、駄目だ。
ここでもしDOTA allsatarsがあれば窓を叩く寒風に怯える事なく立ち向かえるのではなかろうか、などと真剣に考えて真剣にDOTA allstarsを買い戻す事を考えている時点で物凄く駄目だ。しかし、あれさえ手に入れればなんとかなりそうな気がする。気がするのだが、なんともならぬ事はわかっているわけで、尚且つ手に入れる事も出来ない。


そんなふうにうずくまっていると、2つほど何かが消えた。
何が消えたのかはわからないけれど、手にしていたものが2つほど消えた。
まただ、まただよ。
もう、いやになる。
なにかが消えてしまったのだけれど、何が消えてしまったのかはわからない。
なにだ、一体何が消えたんだと動揺し、焦り慌てて手にしているものを一つずつ数え上げる事によって何が消えてしまったのかを確かめようとしたのだけれど、親指が折れない。
いや、正確には親指は折れるのだけれど、それは違うとまた伸ばす。
「灯油」、いや、灯油は無いよ。
「食べ物」、それも手にして無い。
「DOTA allstars」、もっと無い。そのフレーズを出さないでくれ。
「えっと、えっと、おかしい。これはおかしい。確かに何かが2つほど消えてしまい、それは僕を追い立て焦らせたのだけれど、よくよく思い返してみると消えてしまうようなものは何も持っていなかったような気がする。けれども、昨晩何かが消えたんだ。
2つほど。

なんだったんだろう、一体。
糸口すらつかめない。
わからない。
ああ、わかった。
わかった。

1つはブログの読者だ。読者だ。
半週間も更新せずに置いていると、きっともう誰も見ていない。
アクセスカウンタも全然回っていないし。

あと1つは、あと1つは雪だ。降雪だ。
閉じ切った部屋の中からは見ることすらも出来ず、その存在すらも見届けぬままに消えてしまった降雪だ。積もったかどうかも定かではない。降ったかどうかすらも。


なんだ、そんなものか。心配をして損をした。
消えてしまったのは僕にとっては重要でないものであり、消えてしまっても気がつかないし、気がつかなくても構わないようなものであるという事がわかり、肩が溶けて首まわりが楽になった。くだらないブログも書けそうだし、くだらないゲームとかも出来そうだ。
と思った矢先、また何かが消えた。
2つほど。

待ってくれ。
消えないでくれ。
僕が見つけるまで待ってくれ。
今すぐ見つけるから消えないでくれ。
それが駄目なら、せめて僕の目の前で消えてくれ。
お願いだから、2つほど。

見つける前に見る前に、音も立てずにまた消えた。
2つほど。