2005年2月3日木曜日

2つほど。



いやー、寒いね。ほんま寒い。寒いわー。2月でこんだけ寒いんやったら8月とかになったらそれはもうどえらいことになりそうやね。

面白くはない。それくらいは馬鹿でもわかる。
馬鹿ではない。寒い8月は来ないだろうというのもわかる。
しかし、先日はそれすらもわからなくなる位に寒かった。

週末を前にして灯油を入れ損ねていた事が気になってはいたのだけれど、そろそろ暖かくなる頃であろうと脳みそ夏休みな予測を立ててドクターが倒せず悩んでいたら、部屋中をつんざくような寒さが来て、寒波で窓がドカドカ鳴りだした。
「いやあ、これは春一番だ!」
と自分に強く言い聞かせ、あと5分もすればこのさむかぜが春を運んできて、10分後には暖かくなるのだと信じてダンゴ虫の真似事をしてからゆっくり10を数えてみたのだけれど、まったく暖かくならない。ここが煮えたぎった湯船の中であれば気を失いそうなくらいに熱くなるのだが、吹きすさぶ椅子の上であるからして寒くなるばかりである。
おかしい、これはおかしいと悩んでいると風がドンドンと窓を叩く。
おそろしい、これはおそろしい。
僕は真性引き篭もりであるからして、このガクガク震えている窓が寒風の前に敗れ去ろうものならば、全てがおしまいであり、それだけはごめんこうむる、ごめんこうむる、勘弁してください、勘弁してくださいと物凄く祈った。祈りに祈った。しかし、祈りをまったく信じない人間が祈るというのは物凄く逆効果であったようで、余計にか細くなりて、消え入る寸前である。

いやあ、いやあ!と祈り続けていたら、真夜中が来た。
チャンスだ。
これは物凄いチャンスだ。
何がチャンスであるかというと、食べ物を食べるチャンスだ。
真性引き篭もりは真性引き篭もりであるからして、食べ物を部屋に持ち込んでいない限り、真夜中の忍び足だけが週末の食事タイムだ。このチャンスを逃してしまうと白夜のラマダンだ。

ちょうど物凄くお腹がすいていたので、この時を逃してはなるものかと気合を入れる事を4度ほど繰り返して動こうとしてみたのだけれど、寒すぎて体が動かない。飼い犬は飼い主に似るというが、僕は愛用のウイーンウイーン、ピーブー、ウイーン、キュルルルルー……系のパソコンに似てしまったようで、スイッチを入れてもうんともすんともいわない。
だいたい、そうなった時は「あー、今もしパソコンが動いていたらものっすごいブログ書けたのに」とかドクター倒せたのにとか色々な言い訳をついて、いかに己が不幸であるか、いかに己の人生が不運なものであるかを嘆き、努力だとか根性だとかといったものは二駅先の彼方へ置き去りにして嘆き続けるのであるが、パソコンは物凄く快調に動いている。

空腹が行き着くところまで行けば動けるのではなかろうかと思い立ち、おなかがすいた、おなかがすいた、おなかがすいた、と唱えてみる。唱えてみると、満腹になってきて非常に合点が行かない。
納得いかなくても空腹が去ってしまったというのは紛れも無い事実であり、動きだす為の動機と気力を完全に失った僕はそのままじっと窓に打ち付く風の音を震えながら聞いていたのだけれど、そこでふと思い出した。
灯油だ。
灯油さえあれば窓枠に怯えずに済むのだと。
そこで灯油をなんとかして手に入れようかと悩んでみたのだけれど、手立てが思い浮かばない。真性引き篭もりは真性引き篭もりであるからして、真夜中に灯油を入れるなどという事は出来ないわけである。もし真夜中に灯油を入れようと企てたならば、まず灯油タンクの扉がガシャンと鳴る。だいたいからしてそれだけで耐えられないわけで、灯油を入れる以前の問題である。たとえ灯油缶までたどり着いたとしても、そこでおしまいである。ウィーンと振動して鳴り響く電動式の灯油ちゅるちゅるのスイッチを押す勇気などあろうはずもなく、徒労に終わるのは目に見えている。
思い悩んだ。思い悩み、思い悩んだ末に「灯油を口に含んで部屋まで持ち帰るのはどうだろう」とかそういう名案を思い浮かぶに至り、これはもう駄目だ、とうずくまる。
うずくまっていると夜が明けた。
同時に、お腹がすいた。
物凄くお腹がすいたのだけれど、夜が明けた。
正確には夜は明けていないのだけれど、もし7月であれば夜が明ける時間である。そのような時間帯に突入してしまったというだけで身も心も凍りついてしまい、動けない。
ああ、駄目だ。駄目だ。と丸くなっていたら、もう一度真夜中が来たのだけれど、また同じように動けない。ああ、駄目だ。
ここでもしDOTA allsatarsがあれば窓を叩く寒風に怯える事なく立ち向かえるのではなかろうか、などと真剣に考えて真剣にDOTA allstarsを買い戻す事を考えている時点で物凄く駄目だ。しかし、あれさえ手に入れればなんとかなりそうな気がする。気がするのだが、なんともならぬ事はわかっているわけで、尚且つ手に入れる事も出来ない。


そんなふうにうずくまっていると、2つほど何かが消えた。
何が消えたのかはわからないけれど、手にしていたものが2つほど消えた。
まただ、まただよ。
もう、いやになる。
なにかが消えてしまったのだけれど、何が消えてしまったのかはわからない。
なにだ、一体何が消えたんだと動揺し、焦り慌てて手にしているものを一つずつ数え上げる事によって何が消えてしまったのかを確かめようとしたのだけれど、親指が折れない。
いや、正確には親指は折れるのだけれど、それは違うとまた伸ばす。
「灯油」、いや、灯油は無いよ。
「食べ物」、それも手にして無い。
「DOTA allstars」、もっと無い。そのフレーズを出さないでくれ。
「えっと、えっと、おかしい。これはおかしい。確かに何かが2つほど消えてしまい、それは僕を追い立て焦らせたのだけれど、よくよく思い返してみると消えてしまうようなものは何も持っていなかったような気がする。けれども、昨晩何かが消えたんだ。
2つほど。

なんだったんだろう、一体。
糸口すらつかめない。
わからない。
ああ、わかった。
わかった。

1つはブログの読者だ。読者だ。
半週間も更新せずに置いていると、きっともう誰も見ていない。
アクセスカウンタも全然回っていないし。

あと1つは、あと1つは雪だ。降雪だ。
閉じ切った部屋の中からは見ることすらも出来ず、その存在すらも見届けぬままに消えてしまった降雪だ。積もったかどうかも定かではない。降ったかどうかすらも。


なんだ、そんなものか。心配をして損をした。
消えてしまったのは僕にとっては重要でないものであり、消えてしまっても気がつかないし、気がつかなくても構わないようなものであるという事がわかり、肩が溶けて首まわりが楽になった。くだらないブログも書けそうだし、くだらないゲームとかも出来そうだ。
と思った矢先、また何かが消えた。
2つほど。

待ってくれ。
消えないでくれ。
僕が見つけるまで待ってくれ。
今すぐ見つけるから消えないでくれ。
それが駄目なら、せめて僕の目の前で消えてくれ。
お願いだから、2つほど。

見つける前に見る前に、音も立てずにまた消えた。
2つほど。