2005年1月28日金曜日

ブックマークが消える時



「ブックマークが消える時」という表題でMMOをやらない理由について書くべきか、「MMOをやらない理由」という表題でブックマークが消える時について書くべきかと散々迷った挙句に、「ブックマークが消える時」という表題でブックマークが消える時について書くことに決めたのは、今日までMMOを一秒たりともやらなかったという事実よりも、昨日ブックマークを1つ削除したという出来事の方が今日の僕にとって重く大きいからに他ならない。

つまり、僕は今からブックマークが消える時という表題でブックマークが消える時という事柄を書くわけで、それ即ち、この段落の次に来るのはMMOの話だという事になる。



MMOというゲームのジャンルがある。
1つの世界に500人やら1000人やらが同時にアクセスするゲームである。
ウルティマオンライン、エバークエスト、FF11、リネージュ、ラグナロクオンラインなどいったタイトルが発売されており、大きな市場を成している。

僕がMMOをやろうと考えたのは、1度や2度の事ではない。
今だってやってやろうという思いがあるのは確かであるし、あの時やっておれば良かったと思うポイントが何箇所も存在するのも事実だ。
しかし、僕は今日の今日までMMOというゲームを遊んだ事が無い。MMOの案内サイトを隅から隅まで読んだり、攻略サイトのデータに片っ端から目を通したり、スクリーンショットを大画面で眺めたり、デモムービーを見たり、パッケージソフトを購入したり、という所で止めてしまった。


どうしてか。
それは、単純な話だ。
同じ世界に他人がいるという事が耐えられなかったからだ。
僕にとってのゲームというのは、世界と離れる唯一の手段であり、一人になる為のツールであった。長くそれは変わらなかったし、これからも変わる事はないだろう。

それに対してMMOというのは、人ってやつがわんさかいて、世界と離れる事も出来なければ、一人になる事も出来ない。僕にとってそれはゲームとは呼べない代物である。ゲームの皮を被った、何か別の道具なのだ。



それに、MMOの周辺ではこういう話が常にあった。

「MMOの対人関係なんて、現実のそれと比べれば遥かにくだらないもの」
・・・だから、MMOなんてやるべきじゃない。
・・・だから、MMOなんて今すぐに止めるべきだ。

僕がMMOをプレイするべきかしまいべきかと何度も迷ったのは、ゲームではないMMOという道具に何か別の希望を見出し、もしかして、それならば、と思ったからだ。
けれども、上のような話を耳にするにいたり、それも消えた。
現実のそれよりもくだらないものなんて想像すら出来なかったから。
結局のところ、僕は一人になりたいんだ。

誰とも言葉を交わしたくなんか無いし、誰の言葉も聞きたくない。永遠の静寂に包まれたいんだ。誰にも顔を見られたくないし、誰の顔も見たくない。世界中の鏡という鏡を割って回りたいし、銅鏡という銅鏡をどうのつるぎに作り変えたい。酸素を吸って二酸化炭素を吐くのも嫌だ。アルミ箔を吸って胡麻豆腐を吐きたい。MMOなんてごめんだ。


失敗だったね。
完全に失敗だった。
一人になる手段として真性引き篭もりってやつを選んだのは、完全に失敗だった。夜から夜まで何かが圧し掛かり、Enterキーすら押せやしない。食事は喉を通らないし、うんこは肛門を通らない。しくじった、これは。もっと他の何かになるべきだった。ウルトラマンとか、デビルマンとか、デイビットシーマンとか。

失敗だったのはそれだけじゃない。
ブログってやつは、もっと失敗だった。
僕はただDOTA allstarsの文章が読みたかっただけなのに、もうDOTA allstarsの文章なんて書けやしないし、読めやしない。僕に求められるのはpushでもhelpでもrushでもbackでもroshanでもhealでもtimestopでもない。エントリーってやつだ。
読みたくないってわけではないし、書きたくないってわけでもないのだけれど、僕が求めていたのはDOTA allstarsとの接点であり、世界との距離だ。世界との接点じゃないし、DOTA allstarsとの決定的な距離でもない。なのに。

そして、MMOをやらない理由という題材から距離を置き、ブックマークが消える時について書くつもりだったこの序文で出来たのは、ブックマークが消える時という話しとの距離であり、MMOをやらない理由についてのくだらない文章だ。

うまくいかない、なにもかも。机にコンと打ち付けてから赤道に両手の親指を差し入れ、真っ二つにしてしまいたい気分だ。卵黄は捨ててしまい、卵白は卵白で灰汁取りに用いてから捨ててしまいたい気分だ。うまくいかない、なにひとつ。



1つ、ブックマークを削除した。
いきなりじゃないか、って言われたら反論のしようが無いわけで、そのような抗議は受け付けません。



一つ、ブックマークを削除した。
所謂、お気に入りというやつだ。

僕は出来る限りブックマークを減らそうと努力してきた。
他人の書いた文章なんて読みたくないし、目にしたくもないからだ。他人なんてろくなものではない事は経験から十二分に知っている。実にくだらない。無駄、ってのならまだいいけれど、それよりも悪い。ブログなんてくそっくらえだ。けれども、今も7つのウェブサイトがブックマークにある。このくらいが適切な距離なんだろうと思う、おそらくは。

僕がそのウェブサイトに出会ったのは、発売されたばかりのゲームソフトの評判を確かめようと、検索エンジンでヒットしたサイトをあらいざらいに読んでた時である。
目当てのゲームに関する文章は2行足らずであったのだが、僕はそれをブックマークに入れ、その日から彼のウェブサイトに通うようになった。

何を読みたかったのかはわからないが、とにかく通うようになった。
彼の過去ログにある日常の狭間から読めるものは、全て現実であり、誠実であった。僕がブックマークに入れた頃も、そうであった。しかし、少しずつ彼の文章は変わって行った。
少しずつ現実でなくなり、少しずつ誠実でなくなった。
日常であるという事は確かであろうし、文体も同じであり、彼が書いているのだという事は理解出来るのだけれど、狭間から見えるものは、まったく違ったものに変わってゆき、僕はその変化に失望した。興味を失った、ってだけかもしれないけれど。
そして、ブックマークを削除した。
もう二度と彼の文章を読むことは無いだろう。

1クリックで途絶える関係。
ブロガーとブログ読マーの間の関係はそういうものだ。
ちょうど、MMOにおける人間関係と同じくらいに薄くて軽い。
彼は僕が月に100アクセスもしていたという事は知らないし、僕が訪れなくなったという事にも気がつかない。彼のブログは好調であり、アクセス数も日々伸びており、ブロガー的には勝ち組であろう。読み手である僕の世界から彼は消えてしまったのだけれど、ブロガーである彼の世界には僕はいなかったのだ。こんにちはが無かったようにさよならも無く、僕という生き物も存在しなかったのだ。

MMOをいけないって言うなら、ブログだっていけないよ。人間なんていけないよ。もっと何かがあるはずだろって言うなら、なんにも無いよと答えてやるよ。そんなの、絵空事。


読み手マーである僕とブロガーである彼との元々無かった関係が途絶えた事によって、僕のブックマークは少し見やすくなり、整理され、綺麗になり、片付いた。小気味良い。それは丁度、今この瞬間も存在しない僕が消え行きつつあるのと同じように、良い事なんだろう。どんどん軽くなって、もうすぐ天井を突き抜けるのだ。



インターネットの向こう側には何か別の生き物がいて、それはとてもいいものだと思っていたのだけれど、結局いたのは人間であり、それは僕を