2008年9月30日火曜日

眠ればきっと九月が終わる。



モニタの電源を落とす勇気がない。ウインドウズをシャットダウンする勇気がない。明日の自分に失望してしまうのが怖くて、日付変更線をまたぐ勇気がない。一日中何をする気も起きない。すごい速さで寒くなって調子が悪い。目が覚めたら十月。眠らなければ九月。はやい、はやい。

東方が正しくない時代。



noiz2saでシューティングゲームというものを知ってからしばらくして、当然のように東方シューに辿り着き、遊んでいた。遊んでいたら、興味が沸いたので、色々と見て回っていた。色々と見て回っていたら、東方作者のZUN氏が、ファンが自らのウェブサイトにアップロードしたプレイ動画を、「プレイ動画の公開はやめてください」と、プレイ動画の公開を取りやめさせている現場に行き当たった。そして、その際のZUN氏の言い分の圧倒的な正しさに、僕は感銘を受けた。

その言い分というのが、「1,東方シューは有料である。」「2,東方シューにはリプレイ閲覧機能がある。」「3,よって、東方のプレイ動画がウェブサイトでアップロードされるような事があると、お金を出して購入してくださったユーザーに申し訳ない。」というたものだった。

その言い分、つまり、著作権者の権利を守るのではなく、「購入者の権利を守る」というZUN氏の主張は、圧倒的に正しかったと思う。そして、その主張や、プレイ動画を公開しているユーザーに直接「止めてくれ」と言う行為自体も、2008年の今においても尚、圧倒的に正しいのだろうとは、思う。




けれども、当時と今では、状況が変わってしまった。あの頃の東方シューは、「最も売れている同人シューティングゲーム」でしか無かったし、ユーチューブなんてものも存在していなかった。プレイ動画1つを録画するにも、公開するにも、膨大な手間と障壁が存在していた。

でも、今は違う。どのようなウェブサイトでも、ユーチューブの埋め込みリンクを張るだけで、動画が公開出来るようになった。動画作成のノウハウが広く共有され、そのアップロード方法もまた、広く共有された。結果として、誰でも、少しの手間さえかければ、簡単に、インターネットに自らのプレイ動画をアップロード出来るようになった。ゲームプレイ中の動画をストリーミングでリアルタイムに複数のユーザーに公開する事だって、誰にでも簡単に出来てしまう。東方自体にしたって、あの頃の東方シューではない。ただのマイナーな同人シューではなく、巨大なネット上の現象になってしまった。時代は変わってしまった。




どれだけ正しい言い分であっても、時代が変われば事情が変わる。2008年という未来において、「プレイ動画閲覧は購入者の権利である」との主張を押し通すには、あまりにも無理がある。少なくともそのように、僕には思える。ゲームセンターの対戦台を後ろから覗き込むように、ラジオや歌番組で歌謡曲を聞くように、本屋で立ち読みをするように、「プレイ動画をインターネットごしに見る」という行為もまた、現実という巨大な空間の中に溶け出していった。世界に対して開かれて行った。




もちろん、「そうではない」と考える同人ゲーム制作者が存在していても、良いと思う。けれども、もしもそうであるならば、東方動画を掲載している反社会的不健全サイト、たとえばアキバBlogのようなウェブサイトが、インターネット上で大手を振ってまかり通っている現状は、様々なものが確実に、破綻してしまっている。

そういった類のウェブサイトがユーチューブの埋め込みリンクをコピーペーストで掲載する行為がスルーされる一方で、製品を購入したファンの一人が自らのプレイ動画を手間暇かけてエンコードして自らのウェブサイトにアップロードするのは止めさせる。仮にこれが同じ日の出来事であったならば、非難されて然りだろう。けれども、2つの出来事の間には、長い歳月が隔たりとして存在している。時が流れてしまったのである。

今現在、東方のプレイ動画が広くウェブ上で散見される現状から推測するに、ZUN氏のポリシーは数年の間に変化したのだと考えるのが自然だろう。その辺りの、風化したポリシーという悲しさと正しさの終わりは、どのように処理され、どのように消化されたのだろうかと、時々思って今も気になる。

2008年9月29日月曜日

もうこうなったら女子中学生にレイプされるしかない。



おしまいだ。僕はもうおしまいだ。おしまいだ。もうこうなったら、女子中学生にレイプされるしかない。愛に溢れた豊かな人生を送っている手取りで一千万くらいある14歳か15歳の美人女子中学生にレイプされるしかない。僕はロリコンではないので、13歳ではいけない。

場所は、落葉樹林の森の中でなくてはいけない。部屋の中とか、地下駐車場とかだと、圧迫感があるので、そういうのは精神的に辛い。狭い場所は苦しいだけだ。広くて開放感のある静かな場所でなくてはいけない。舞い散る木の葉がやわらかな午後の日差しをきらきらと輝かせながら遮る下で、それが星空に変わるまで、女子中学生に繰り返し何度も何度もレイプされるしかない。遮るものは何もないのに、立木で向こうが見えないくらいの、壁も扉も屋根もない、深くて明るい森の奥深くで、女子中学生にレイプされるしかない。

人生は皆くだらない。けれども僕はそれよりも駄目だ。糞くだらない人生にすら値しない出来損ないだ。水にも、米にも、酸素にも、ウインドウズXPにも値しない愚だ。全てのものに値しない。当然処女でなくてはいけない。胸の大きさは問わないが、足は太い方がいい。ししゃも足なら尚良い。あまり贅沢は言わない。美人で、優しくて、スタイルが良くて、料理がうまくて、カーテンはピンク色で、写真立てには家族の写真があって、幼なじみに片思いをしてる、一重もしくは二重で、競泳水着か服を着た、髪の毛に艶のある女子中学生にレイプされるしかない。

美人女子中学生がどうして僕をレイプしようと考えたのかは解らない。女の考えというのは常に、男には理解不可能である。理解しようと試みる方が無謀である。だから、理由は全くわからないけれど、女子中学生は僕をレイプしようと企んでおり、どういう訳かはわからないけれど、僕は深い深い落葉樹林の中でふかふかのキングサイズのベッドの上に押し倒されるしかない。もう、それしかない。

けれども、これでも自分は男なので、女子中学生には押し倒されないかもしれない。逆に押し倒してしまうかもしれないし、踏ん張ったまま壁際まで追い詰められるかもしれない。僕は女子中学生と相撲を取りたいわけじゃない。レイプされたいわけでもない。けれども、もうこうなったら、女子中学生にレイプされるしかないので、複数人の女子中学生にレイプされるしかない。いくら女子中学生と言えども、5人も居れば僕には勝ち目が無いと思う。体力も膂力も無い方なので、抵抗しても為す術もなく、レイプされてしまうしかない。

けれども、5人の女子中学生が皆、同じ目的を持って襲いかかってくる、というのは耐え難い。同じ敵意を共有した集団に襲われるのは、精神的に、持たない。そういう、辛いのは嫌だ。だから、女子中学生は、それぞれ別の目的を所持していなければならない。一人はとにかく性交が目的で、一人はキスが目的としよう。こうすれば、二人の目的は、全く別のものになる。一人は唇に興味無く、一人は男根に興味が無い。それならば、あんまり怖くない。それは偶然の出来事で、僕はたまたま運悪く、森の中で1人の女子中学生に出くわしてしまい、レイプされそうになるも、なんとか難を逃れ、それから必死で逃げている所に運悪くまた別の女子中学生に出くわしてしまい、唇を奪われそうになるも、すんでの所で純潔を守り逃げてゆくしかない。そうして、偶然に偶然が重なって、雪崩式に積み上がった、それぞれまったく別の目的を所持する美人女子中学生に、レイプされるしかない。もう、こうなったらそれしかない。

一人はセックスで、一人はキスで、あとの三人は、よくわからないけれど、何か特殊な性癖を持っているのだろう。たとえば、一人は、いやらしい穴だけを使って、天才カリスマアルファブロガーの手の指を、一本ずつ折って行くのが好きらしい。けれども、女子中学生が過ごす日常には、いやらしい穴を使って手の指を一本ずつ折って行く機会など存在しないに等しいが故に、女子中学生の果てることない底なしの欲望は日々鬱積を重ね、そのような形、つまりレイプという形で噴出し、僕の身に襲いかかって来るに至ったのである。果たして、いけない穴だけを利用して人間の指を骨折させる事が可能なのかどうかを、僕は知らない。wikpediaにも載っていないので、生憎僕には知る術もない。ただ、女体というのは一般的に神秘に満ち溢れたものであり、その位の事は可能であろうし、たとえ可能でなかったとしても、血気盛んな若い乙女のとどまる事なき欲望が静まることは決してない。よって、僕の右手の指は一本ずつ、いけない穴に包まれて、ボキり、ボキり、と折られて行くしか道はない。もうそうするしか道はない。

たとえそれが美人女子中学生のいけない穴によるものであっても、指を折られると痛い。当たり前の事だけれど、普通に生きていると、なかなか気がつかないが、指が折れると痛い。痛いのは嫌だから、泣き叫ぶ。泣き叫ぶと、叱られる。「あのなあ、おまえはそうやってピーピーぴーぴー泣いとるけどなあ、こっちは処女膜破れとんじゃボケがぁ」とか、怒鳴られる事になる。怒鳴られるのは好きではないし人の怒鳴り声は辛いものだけど、レイプなのでこればかりは仕方がない。それに、彼女の言い分にも一利ある。指は折れても治るけれど、処女膜は破れれば直らない。暴力的な手段で欲望を満たす間違った行為の最中に宿る一瞬の正しくない正論である。その正論に負けて、さらにみっともない気分になるけれど、右手の指を全て(驚くべき事に親指までをも)折られてしまい、とても痛い。「左手だけは勘弁してください。ブログが書けなくなるじゃないですか」と言うと、「おまえのブログなんか糞つまらんのじゃボケ」と罵られて、捻くれて、心を閉ざすしかない。尊厳を踏み躙られ、人の心を失うしかない。もう、それしかない。あとの2人がその間、どこで何をしているのかはしらないけれど、おおよそ、一人は肝臓の辺りを延々殴り続けて、それに飽きると肝臓の辺りを土足で踏みつけてでもいるのだろう。もう一人は、多分、足の指などを舐めていやらしい穴の隣の穴などに突っ込んでいるのだと思う。面白くない。楽しくない。希望がない。憎いばかりで夢がない。苦しいばかりで未来が見えない。心の安まる暇がない。光がない。明日がない。おしまいだ。僕はもうおしまいだ。こうなったらもう女子中学生にレイプされるしかない。

2008年9月27日土曜日

アガメムノーン!



さあ、今から眠ろうかという、就寝前のひとときに、糞胸くそ悪いブログから糞ゴミ言及喰らっていたのを発見してしまったり、糞ゴミニュースサイトからの糞ゴミリンクを見つけてしまったりしたせいで、心が掻き乱されてしまい寝ようにも眠れず、横になったまま数時間過ごすも機嫌が悪くなるばかりに精神力を消耗し続け、眠たくて眠たくて仕方がないのに、一向に寝付ける気配は無く、ふと「素数を数えて心を落ち着かせれば眠れるのではないか」と思い立ち、物は試しと早速に、素数を数えようと試みるも、1が素数なのかどうかがわからず、考えても考えても小田原評定悪化するばかりでこじれてしまい、気になって、気になって、悶々としてしまい余計に眠れず、1が素数なのかどうかを確かめたいとの欲望が抑えられなくなり、思わずPCの電源ボタンを押してしまい、そうしたら、既に5時間もの間、寝ようにも眠れずを繰り返し、ぐだぐだと過ごしていたという事実を否応なく突きつけられてしまい、貴重な時間を浪費してしまった事への腹立たしさや忌々しさが、やるせなさをさらに加速させ、余計に悲しくなりながら、グーグルからwikipediaへと辿り着き、「1は素数ではない」という大方の予想通りであった事実を確認して少しだけ、ほんの少しだけ気が晴れて、「よし、これで眠れる。眠ってやるぜ」などと意気込みながら油断をしたらウィキペディアサーフィンの罠にはまり、200分近い時間と引き替えに古代ギリシアの有名人などにほんの少しだけ詳しくなり、情けないやら、呆れるやらで、万事が万事くたびれた。アガメノムーン!

今更焦っても遅い。



「寝ている場合ではない」と飛び起きた。

そして自らに問いかける。寝ている場合でないならば、何をすればいいのか。回答は無い。気力も、体力も、夢も、希望も、ない。好きな人も、嫌いな人も、心許せる人も、愛おしい人も、いない。おそらくは、かつて僕自身であった自らすらもいない。居たところでどうなるというわけではないけれども、寂しい。あるいは、虚しい。苦しみたいわけではない。けれども楽しみたいわけでもない。怒りたいわけでもなく、悲しみたいわけでもない。ただ、どうしたいのかが、今ではわからない。寝て、起きて、寝て、起きて、行き過ぎた秋が寒い。寝ている場合ではない。寝ている場合ではないと焦ってしまいろくに眠れず、起きても何も手に付かない。もう間に合わない。全てが手遅れである。今更焦っても遅い。

2008年9月26日金曜日

「ググると嘘になる。」という感覚。(加速的速やかという間違った日本語を使用した事について。)



先頃のエントリーで「加速的速やかに。」というフレーズを使ったところ、はてなブックマークで、「可及的速やかに」の間違いではないのか?という指摘を受けた。仰るとおりである。僕の日本語の素養が不足しているが故に、「可及的速やかに。」を、「加速的速やかに。」と間違って書いてしまったのである。

そして、実は、僕自身もその間違いに、気がついてはいたのです。









kasokutekisumiyaka.png
上の画像は、グーグルの検索履歴です。

件の投稿のタイムスタンプは「06:35」。
「かそくてきすみやか」でググったのが「06:34」。

つまり、投稿ボタンを押す寸前の読み直しで、「何かが違う」と気がついてはいたのです。そして、その「何かが違う」という予感は正しく、「加速的速やか」という日本語が「可及的速やか」の間違いである、という事も知っていました。




では、なぜ、「加速的速やか」を「可及的速やか」に書き直さなかったのか。正しい日本語に書き直さなかったのか、という事です。

それは、僕自身が持つ、「ググると嘘になる」という感覚が原因です。




グーグルは便利です。小さな日本語の間違いなどは、ググればすぐにわかります。用法に自信が無い言葉を使用する時、ググれば正しい用法がすぐにわかります。自らの文章を、「正しく修正出来る」のです。

けれども、ブログの目的は「正しい日本語で文章を書くこと」ではありません。少なくとも、僕にとってはブログで「正しい日本語で文章を書くこと」は、そんなに重要な事項であはりません。「正しい日本語で文章を書くこと」は、優先順位的に、かなり下の方に位置しています。




では、どのような事を大切にしているのか。

それは、頭の中にある事を、可能な限り再現する事です。僕の脳みその中で生じたシナプス的事象を、可能な限りインターネット上で再現する事です。

ご存じの通り、僕はあまり頭の良い人間ではありません。文章力もありません。日本語力もありません。知性も欠いていますし、人格的にもかなりの欠陥を持っています。素晴らしい人間とは言い難い人物です。それどころか、平凡な人物にもほど遠い、劣悪な人間です。

そんな僕自身が、いったい何を考え、何を思っているのかを、可能な限りインターネット上に再現し、それを見た何人かが、何かを思ってくれれば、何かを感じていただければ、僕はそれで良いです。

もちろん、その「なんぴとか」のうちには、僕自身も含まれます。僕が、その瞬間の脳の中の出来事を、可能な限り再現しようと努めなければ、「偽りの自分自身」がインターネットに残り続けます。いつでもアクセス可能な形で、いつでも読める形で、残されてしまいます。

たとえば、ググって正しい日本語を使えば、ググって正しい文章を書けば、ググって正しい情報を仕入れれば、こんな僕でもそれなりに、「ただしいもの」を書けると思います。少なくとも、件のエントリーで書いた文章よりは、遙かに「ただしいもの」を書けると思います。

けれども、そこで書き表されるものは、「ググる前の自ら」とはかけ離れたものです。必死にググって、体裁を取り繕った結果の自らに他なりません。それは、本望ではありません。




それに関して、「わざとやっているのか」という批判は、正しい種類の批判であると僕は考えます。そう言われても仕方がない部分があります。けれども、もしもグーグルが存在していなければ、僕は「可及的速やか」という正しさに辿り着くことなく、「加速的速やか」と書いていたでしょう。

これは「わざとやっているのか」という批判に対する反論にはなっていないとは思いますが、グーグルが存在していなければ、投稿ボタンを押すより前に「可及的速やか」という【正しさ】を知ることは、決してなかったのです。




azatorasii.png

たとえば、このエントリーを書いている最中にも、同じような事がありました。それが「あざとらしい」です。上記の画像にあるように、「あざとらしい」と書いたものの、「これはおかしい」と思ってググったところ、「あざとい」と、「わざとらしい」が混濁したものだと判明しました。このような事は、僕の日本語能力、学力においては、毎日のようにあります。

これらは別に、「受け狙いでやっている」とか、「独自色を出したい年頃だから」というわけではなく、単純に、僕自身の日本語的背景が不足しているからです。ゲームしかやっていなかったので、ほとんど成長しないままで、日本語力が停止してしまっているからです。

「それは直すのが正しい」、あるいは「それならば成長させるのが正しい」というご意見が存在するならば、それはご尤もです。「あざとい、わざとらしい」という批判は、甘んじて受けます。しかし、どうしても、「ググると嘘になる」という感覚が、僕の中には強く存在しており、拭うことが出来ないのです。

まれに修正する事もありますが、「こういう場合は修正する、こういう場合は修正しない」というはっきりとした基準をここでご説明する事は出来ません。ファジィな感じで判断しているようです。(あまりにもニュアンスが通じないと思った場合や、人名地名の間違い等により非礼に当たると判断した場合などは、ググった結果に従う事が多いようです。)





もちろん、極一部には「わざとやっている」ものもあります。語感や字面が気に入っていて、意図的に使用している間違った日本語もあります。(「とてものすごく」くらいしか今は思い浮かびませんが)

ただ、ほとんどは「日本語力の不足」が原因であり、それに「ググると嘘になる」という僕自身の持つ拭いきれない感覚が加わっての事であり、他意はありません。今では何が素直さなのかもわかりません。

今日とか明日とか。



今日のことはどうでもいい。今日中に誰かから愛される可能性なんてものは無いし、今日中にここ数日書き繋いでいるエントリーが完成する見込みもない。今日中においしいものを食べられる見込みもないし、今日中に風呂に入る事も無いだろう。それは、どうでもいい。それに関しては自業自得なのだと受け入れる。当然の、あるべき事として受け入れる。明日も同じだ。明日のこともどうでもいい。

けれども、自分が死ぬまでの間、ずっとそうなのではないか、という懸念には、つくづく困らせられる。死ぬまでずっと、糞つまらない事に心をかき乱されて、死ぬまでずっと自責の念と殴り合い、死ぬまでずっと、寝るにも事欠く。

それらが「今日だけのこと」であるならば、あるいは、「今だけのこと」であるならば、構わない。酷い気分にこそなれ、こんなにも酷い気分になったりはしない。長い人生なのだからそんな日もあるだろう。そんな時期もあるだろう。けれども死ぬまでずっとこんな風なのかと思うと、途端に暗い気持ちになる。だとすれば、これから先、この人生は何なんだ、と。

もちろん、嬉しいことだってあるだろう。楽しいことだってあるだろう。微笑んだり、感心したり、尊敬したり。十人並みの、一日中インターネットをしている引きこもりとしては、それなりの日常が僕を待っているのだろう。それが、今日だけならいい。明日だけならいい。明後日も、明明後日も、その先ずっと続いたって構わない。今だけなら、いや、100年でも、200年でも、続いたって構わない。甘んじて生きよう。

けれども、死ぬまでずっとそうだ、というのはいかにも受け容れがたい。あまり考えたくない。あまり考えたくないのだけれど、我が脳は想像以上に凡庸で心は頑なに脆く、そのようなくだらない事ばかり勝手に考え沈んでゆく。自ずから眠れない。

hankakueisuuというIDやハンドルネームは使用していません。



また「hankakueisuuさん」への誤爆が生じているみたいなので、書いておきます。僕は「真性引き篭もりhankakueisuu」であり、「hankakueisuu」ではありません。ウェブサービスでアカウントを取得する際にも、「hankakueisuu」というidは一切使用していません。

ハンドルネームにおいても、「はんかくえいすう」「はんかく」「hankakueisuu」などは使用していません。「真性引き篭もりhankakueisuu」です。「hankakueisuu」は、普遍的な単語なので、使用する人はそれなりにいると思いますが、自分ではありません。相手の方に迷惑がかかりますので、誤爆しないようにお願い致します。

僕が使用するidは、文字数制限が無い場合は「sinseihikikomorihankakueisuu」です。文字数制限に引っかかる場合は、「sinseihikikomorihank(20字制限)」といった感じで入るだけ入れています。ゲーセンのハイスコアネーム欄並に厳しい文字数制限がある場合は、「shh」(SinseiHikikomoriHankakueisuuの略として)を使用してます。

http://kotonoha.cc/user/sinseihikikomorihankakueisuu
文字数制限が無い場合は、上記のように全文字入れています。

Twitter【http://twitter.com/mm_Ver_7(アカウント削除済み)】にログインしようとしたのは、自作アプリの改造実験をしようと思い立ったからなのですが、開発環境が公開停止により準備できないという致命的な問題が発覚したため、止めました。

それはもやし祭りではありません。エチレンガスもやしパーティーです。



「それがおまえのもやしか!」

   「・・・……」



「それがおまえのもやしかって聞いてんだよコノヤロウ!」

   「はい。」



「はいじゃなくて、なんとか言ったらどうなんだ(バシッ!)!」

   「すみません。」



「なあにがすみませんなんだ(バシッ!ドガッ!ズゴッ!)!」

   {なんで俺殴られてんだろ・・・}



そんな会話が頭の中で勝手に生じて拗れてしまい、収まりが付かなくなってしまったので、こうしてブログに書いている次第であります。









hatenasam.png

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これら「もやし祭りの光景」とされている写真に写っているのは全て、「エチレンガスもやし」だ。「エチレンガスもやし」というのは、文字通り、エチレンガスを使用して育成したもやしの事。まあ、実を言うと僕もよく知らないけれど、多分そんな感じ。

エチレンガスを使用してもやしを育てると、エチレンガスの効果によりもやしが長くならなくなる。その上に、もやしが太くなり始める。結果として、「短くて太い真っ直ぐなもやし」が出来る。写真に写っているのは全て、「エチレンガスもやし」だ。

じゃあ、本当のもやしはどんなものか?というと、本当のもやしは、細くて、ひょろ長い。そして貧弱。「もやしっ子」というのは「もやし」のように、細くてひょろひょろとした頼りない貧弱な子供の事。決して、エチレンガスもやしのように、太くて、まっすぐでシャキっとした子供の事ではない。




なぜ一部地域で「エチレンガスもやし」が「もやし」を駆逐したかというと、消費者が「見栄えの良い製品」を求めたから。「もやし」と「エチレンガスもやし」を並べたら、見栄えがよいのは断トツでエチレンガスもやし。見栄えがよくて、値段の違いはごく僅か。もちろん、作る側にとってもエチレンガスもやしには、大きなメリットがある。それは言うまでもなく価格であり、利益。

消費者にとっては「僅か10円から20円の違い」でも、作る側からすれば「2倍も3倍もの価格」であり、両者の希望は一致して、「エチレンガスもやし」は「もやし」に勝利してしまった。知らないけれど。もちろん、食味の方も「もやし」と「エチレンガスもやし」では全然違う代物らしい。

つまり、「エチレンガスもやし」は「エチレンガスもやし」であると僕は考える。もちろん、「エチレンガスもやしはもやしに非ず」とまで言うつもりはない。けれども、エチレンガスもやしはエチレンガスもやしであって、エチレンガスもやしで祭りをやったならば、それはもはや【エチレンガスもやし祭り】だと僕は思う。




その【もやし祭り】というイベントがどこから来ているか調べてみると、どこかの場末のアイドルがラジオか何かで「2300円あればもやし祭りが出来る」と発言した事に由来するらしい。

ここでまず気になるのは、「もやし祭り」という単語である。彼女は「もやし祭り」と言ったのであり、「エチレンガスもやし祭り」とは言っていない。一般的にエチレンガスもやしは、「太もやし」などと称されているらしいので、「もやし」と言えば、「もやし」なのではないか。「もやし祭り」と言えばそれ即ち「もやし祭り」と考えるのが自然なのではないか。

そして次に注目していただきたいのは、「2300円あれば祭りが出来る」という点である。エチレンガスもやしと、もやしの価格差は、倍、あるいはそれ以上。両方とも100円以下で買えるせいで見逃しやすいが、実は両者には天と地ほどの価格差がある。まったくの別製品と言ってよいくらいの価格差がある。「もやし祭りの写真」と称されているものを見ると、どう見ても、祭りと呼ぶには規模が小さすぎる。それらは【もやしパーティー】程度のものであり、とてもではないが【もやし祭り】の光景には見えない。

即ち、言うならば、あなたがたが「2300円分のもやし」だと思って食べているものは、「1000円分のもやしと、1300円分のエチレンガス」であり、あなたがたが「もやし祭り」だと思っていたのは、実のところ四捨五入すると「エチレンガス祭り」、あるいは「エチレンガスもやしパーティー」と呼ぶべき代物なのである。




だって、たとえばである。【浜名湖うなぎ祭り】で、中国産のうなぎが出てきたら「それはちょっと違うんじゃないか?」って思いませんか。【山形さくらんぼ祭り】でアメリカンチェリーが出てきたら、「それはちょっと違うんじゃないか?」と思いませんか?【ししゃも祭り】でペリカンが出てきたら、「それはちょっと違うのでは?」と思うでしょう。思いますよね。僕は思います。僕は違うと思うんです。そう思うんですよ。同じように、【2300円分のもやし祭り】で扱われているものが2300円分のエチレンガスもやしなら、それはもう【エチレンガスもやしパーティー】です。【エチレンガスもやしパーティー】なのです。









とまで書いたのだけれど、その「2300円あればもやし祭りが出来る」という発言をしたアイドルに「あなたが言ったのは【もやし】ですか?それとも、【エチレンガスもやし】ですか?」と問いただせば全てが解決する話なので、どなたかそのアイドルの人に問い合わせてみてください。加速的速やかに。

モリニューは悪くない。



電車の中で3人の女子高生がピーターモリニューについて熱く語っていた。

「ピーターは悪くなくてさー。」「そうそう、ピーターが悪いってわけじゃないんだよね。」「どっちかって言うとあたしらが悪いっていうか」「だよねー、超そう。」「あれはさー、ピーターの才能と、ピーターのやりたい事がずれちゃった、ってだけで。」「そうそう、超そう。」「残念だった、っていうか。」「残念だよ残念ー」「だってさー、たとえばじゃん?リオネルメッシがセルゲイブブカに憧れて高飛び選手を目指してたら超残念じゃん?」「あー、それわかるー、超わかるー。っていうかうけるー」「アハハハハ、まじおもしろいんだけど」「あたしらっていいよねー、才能もやりたい事もなくてー」「だよねー、才能もやりたい事もないのがサイキョーだよねー」「超イイよ、女子高生だしー。」などと、底抜けに明るい乾いた声で歓談していた。

それを、いい足してるなー、とか、その足を下の方から上の方へとゆっくり撫でて行きたいなー、とか、存外に胸があるなー、とか、その胸を後ろからごつんごつんと揉みしだきたいなー、などと夢想しながらチラリチラリとバレないように邪な気持ちで盗み見てたら、女子高生らは突如として話題を変えた。

「樹海行きたいよねー」「うん、樹海行きたい」「あたしも樹海超行きたいんだー」それを聞いた僕は居ても立ってもいられなくなり、「早まるな!いや、どうしてもと言うならば止めまではしないが、それならば、それならばせめてその前にそれぞれ中出しをさせろ!」と大声で叫んだら、辺りの空気が凍り付き、電車に乗っていた客の視線が全て僕へと注がれてしまった。どうしたことかと、よく見てみると、彼女らが行きたいと言っていたのは【樹海】ではなく、【熱海】だった……。

温泉の二文字が浮かんで消えて、頭の中が真っ白になった。「駄目だ、もうおしまいだ。僕は次の駅で逮捕されて拘留されて会社も辞めさせられて、これまで苦労に苦労を重ねて築き上げてきた幸せな生活の全てが失われてまうんだ」と絶望し、「それならいっそのこと、せめてそうなってしまう前にこの女子高生どもを」と覚悟を決めて「うわらああああああああアアアア!!!!」と絶叫しながら両腕を天高く振りかざし、そのままの勢いで3人の女子高生めがけて突進を開始したら夢精して目が覚めた。

書いていて気がついたのだけれど、僕の夢は半分くらいが文字(しかもブログ形式)で構成されてしまっている。浸食されすぎだ。昔はそんなんじゃなかったんだけれどな。確かに今の僕からブログを取ったら何も残らないとは言え。残らないとは言え。

2008年9月25日木曜日

携帯番号が無ければhello worldにすら辿り着けないGoogle App Engine……。



はは、ははは……。

Google App Engineってさ、携帯番号が無かったら、アカウント取得出来ないのね・・・。「ウェルカム トゥ グーグルエーピーピーエンジン!」とか言われて、「こちらこそユーアーウェルカムだぜ!」みたいな気分でウキウキしてたのに、酷いね。生きてても良い事なんて何もないね。今日から僕もパイサーだ!とかときめいてたのに酷いね・・・。夢も希望もあったもんじゃないね。こんな風にして心は日々しゃがれてゆくんだね。いいもん。ブログさえあればもう他に何もいらないもん・・・。別に、別に落ち込むような事じゃないよね。そうよね。ほら、携帯番号無しで登録出来るようにしたら、スパムアプリとか、そういうのが作られちゃうもの。そうなったらみんな困るし。それにね、それに、たとえば僕がGoogle App Engineのアカウントを手に入れたところで、少し遊んで終わりじゃん?そんなんだったら、最初から何もない方がさ、ほら、楽……っていうか、無駄にならない、し。そうじゃない?ねぇ。って誰に話しかけてるんだろうね。キモイよね。「ぼくのイメージするエロゲの地雷ヒロイン的フレーズ」みたいなのをちょっとだけ、やってみたくなっただけだから。ほんの気まぐれだから。エロゲとかやった事ないからわからないけれど、たぶん、こんな感じだよね。だいたい合ってると思う。話を戻すけれど、あまりにも眠れないからって、Google App Engineのアカウントでも取ってハローワールドとかやってみるか、とか思った僕が悪いんだよね。そうしたらどうせ2時間か3時間くらいは悪戦苦闘している内に過ぎてくれるだろうし、そうすれば少しは楽に眠れるんじゃないか、とか考えた僕が悪いよね。Googleは悪くないよ。だってドゥノッォエーヴェルだもん。それに比べて僕はイービルだものね。正真正銘のイービルだもんね・・・。

携帯番号が無いとmixiも出来ないしね。
ほんとインターネットは勝ち組リア充の楽園だね……。

糞うぜえid:kanoseがまたデマを垂れ流していて糞うぜえ。



kanose : [ブログ作法]あれ、いつの間にか言及する時ってちゃんとリンクするようになっていたのか
HAAAAAAAAAAAAAAAAA?
というかむしろ「はぁ……」だよ。
糞うぜめんどくせえ・・・。





ほんとインターネットってゴミだよな。

いや、インターネットが全てがゴミってわけじゃない。ここで証明(いや、再確認)されたのはid:kanoseが真性のゴミだって事だけであって、id:kanoseが真性のゴミだってだけの話であって、それ以上でもそれ以下でも無いが、糞めんどくさくてうんざりする。






kanose : あれ、いつの間にか言及する時ってちゃんとリンクするようになっていたのか
っていうか、「ちゃんと」ってなんだ?「ちゃんと」って何?つまり、言及をする時はリンクを張るのが「正しい行為」であって、言及する時にリンクを張らないのは「間違った行為」なわけか?「糞ゴミインターネッター行為」なわけか?なんで?なんで?それ、誰が決めたの?なあ。なんで?はぁ?糞が。それ誰がいつどこで何時何分何秒に決めたんだ?どこに書いてんの?そのルールブックはどこにあんの?てめえで言い出したんだから当然あるんだよな糞が。

それ以前の問題として、直下のエントリーで言及してるけれどリンク張ってないし、直上のエントリーでも言及しているけれどリンク張ってないんだけれど何言ってんだコイツ糞が。で、それは「ちゃんとしていない」って事なんだよな?「間違った行為」って事なんだよな?はぁ?「ちゃんとしていない」からリンク貼ってない、ってわけなんだよな?なんで?糞うぜえんだけど。ゴミはインターネットに出てくんなよ。うぜえから。おまえの言う「いつの間にか」っていうのは、何?時空の歪み?アインシュタイン?脳みそクロノトリガーなわけ?チクタクチクタク言ってろよああ糞めんどくせえ。

僕はリンクを張るか張らないかという問題に関して、自分の中に独自の(そして複数の並列する)基準を持っていて、それら複雑に絡み合う複数の基準に従ってファジィな感じでリンクを張るか張らないかを、エントリー毎に決定しているだけであって、「ちゃんとしたいから」リンクを張っているわけでもないし、「ちゃんとしたルールに抗いたい年頃だから」リンクを張らないわけでもないのに、なに言ってんの?こいつ。なにデマ垂れ流してんの?情報操作してんの?糞なの?ゴミなの?消えないの?つーか、こいつなんなの?糞うぜえんだけど。





http://sinseihikikomori.sblo.jp/article/16374755.html
っていうか、それ以前のそれ以前の問題として、僕は昔こいつに同じデマ流されて死ぬほどムカついたんで、リンクポリシーってエントリー書いてんだよ。2006年の10月23日に書いてんだよ。はぁ糞うぜえ。またかよ。またid:kanoseの糞デマゴークかよ。

なんで同じ事を二度も書かなきゃなんねえんだろうなあ。糞ゴミデマ野郎に不愉快にさせられてあー、うぜえ。なんでこういう糞ゴミが二度までも人様のデマ垂れ流して糞ゴミのたまってんだ?こいつ何様?なんで同じデマを同じように流されて同じように糞書きたくもない糞エントリーを必死こいて書かされているわけ?なにこの理不尽。バトルネットでクイックマッチングクリックしたら何故か2秒でSAMURAI_JAPAN(Lv50級の著名日本人プレイヤー)とマッチングされてしまってしかも僕が運悪くSK.Lynに傾倒していた時期だったせいで事もあろうかオークミラーでBM出したらFS出てきて狼から逃げ回ってたら蛙にされて、僅か6分で木端微塵に粉砕された級の理不尽。しかもあの時は興奮しまくりで超楽しかったが、こっちは理不尽なだけで糞むかつくという理不尽。あー、ブログって糞だよな。いや、ブログが糞なんじゃなくてid:kanoseが糞なだけか。まじうぜーんだけど。ブログやってて良かった事なんてたったの1つも無いわ。どうやったら消えてくれるんだこういうゴミはインターネットに出てくんなよ。




しかも、SAMURAI_JAPANさんのハンドルネームが正しかったかどうか確認しようとググったら・・・これだよ。

googlesam.png



hatenasam.png

なにこの理不尽。

warcraft3大会の運営者がはてなダイアリーで日記書いているので、「はてなダイアリーを書いているwarcraft3プレイヤーの日記がhitしたりするのかな?」と思ってクリックしたら見事なまでに日常茶飯ごとな理不尽……。さすがは近藤大怪獣スパム首領淳也のはてなだぜ……。(読みは、【こんどう だいかいじゅうすぱむどん じゅんや】。)




で、なんだっけ。はあ、ブログって糞つまんねえなあ。

あーうぜえ。このkanoseってのは何様なんだ?デマを流されたので「それはデマであり、違います。」というエントリーを書きたくもないのに糞真面目に書いた。2006年の10月に書いた。にも関わらず、なんで同じデマを流されて同じように糞むかつかされなきゃなんねぇんだ?2008年の9月に同じデマ流されて糞腹立たしいにも程があらなきゃねえな。

ほんとこういうインターネットでニタニタ笑いながら人に嫌がらせをして回る糞ゴミ連中にはうんざりさせられるわ。ああ糞しちめんどくせえ糞ゴミうざいやつに粘着されるインターネットって糞だな。いやid:kanoseが糞なだけだけど。今すぐインターネットから消え失せて一生ローカルフォルダに引きこもってろよ。糞だから。

2008年9月24日水曜日

自らの行いを棚に上げて、人に責任をなすり付けるのをやめよう。



自らの行いを棚に上げて、人に責任をなすり付けるのをやめよう。なすりつけようとするのをやめよう。気に入らないことを人のせいにしようとするのをやめよう。誰かに責任をなすりつけても、何も解決しないという事に気づこう。自らの行いを棚に上げるのをやめよう。責任逃れを試みるのを止めよう。

自らの行いを棚に上げて、自分自身に責任をなすり付けるのをやめよう。なすりつけようと試みるのをやめよう。気に入らないことを全て、自分のせいにしようとするのをやめよう。そんなのは終わりにしよう。自らに責任をなすり付けても、何も解決しないという事を認めよう。自らの行いを棚に上げるのをやめよう。責任逃れを試みるのを止めよう。

今日の自分が駄目なのを、昨日の自分のせいにするのはやめよう。自分の思考が醜いのを、自分の心が醜いせいにするのはやめよう。思い通りに行かないのを、自分の能力が不足しているからだと思うのはやめよう。新たな世界に飛び出す勇気が出ないのを、過去の失敗のせいにするのはやめよう。うまく考えが回らないのを、体調のせいにするのはやめよう。責任をたらい回しにするのはやめよう。何かを憎むことで苦しみから逃げるのをやめよう。

原因を探し出し、それを批判するのをやめよう。後悔を造りだし、それを糾弾するのをやめよう。何かを責めようとするのはやめよう。誰かを責めようとするのはやめよう。同じように自らを責めようとすることもやめよう。何かを責める事で、自らと向き合う事から逃げるのをやめよう。過去を振り返る事で、今から逃げるのをやめよう。未来を思い描くことで、今日から逃げるのをやめよう。

人の嫌がることをするのをやめよう。人が苦しむのを見て、喜びを感じるのをやめよう。誰かを苦しませるのをやめよう。人が嫌がるような行いをやめよう。同じように、自らが嫌がることをするのをやめよう。自らが苦しむのを見て、喜びを感じるのをやめよう。素直になろう。曲がった心を誇るのはやめよう。

強がるのはやめよう。自分に自信がないからと、虚勢を張るのはよそう。弱ぶるのはやめよう。誰かに優しくして貰いたいからと、弱音を吐くのをやめよう。自分に優しくして貰いたいからと、泣き言を言うのはよそう。弱音を吐きたい時には弱音を吐いて、泣きたいときには素直に泣こう。泣きたくないときには少しだけ、少しだけ強がろう。自分の心から、遠ざかってしまわないようにしよう。素直な心を見失ってしまわないように、しっかりと自分を見ていよう。

素直になろう。正直になろう。
泣くのはやだから笑っちゃおう。

進め。進め。
今日は寝よう。

いねえよ(笑)



わたしが娘の人生を応援するようにあなたの人生を応援してくれる人は絶対いる。
いねえよ(笑)

2008年9月23日火曜日

id:ryocotanの株式会社はてなに対するネガティブキャンペーンが酷すぎて、はてなを擁護せずには居られない。



はてなキーワードが嫌いになった理由

赤いところは、広告・アフィリエイト。青いところは、情報。大半が広告・アフィリエイトで占められている事が分かる。もう、全くワクワクしない。「あぁ、スパムページか」と思ってしまう。下にスクロールすると、SEO的に上位で、既にチェック済みであろう、Wikipediaの引用が入り、ようやく価値あるはてなダイアラーの記事へのリンクが来る。こんなページで楽しくなれる?


この人何言ってんだ・・・。
いくらなんでも酷すぎる。






株式会社はてながスパムによる資金集めを目的としたスパム集団、それも我が国が誇る最高峰の精鋭エリートスパム集団だ、なんてのは自明のことなのに、それを今更、いかにも自分が今朝発見しました!みたいに言って罵るのは、誹謗中傷もいい所。








たとえば、「ヴェルナー・フォルスマン」でググると……

veruna.jpeg

こんな感じ。
赤く表示されているところが、我が国が誇る精鋭エリートスパム集団の株式会社はてなのページ。1ページ目に3っつものエントリーを送り込むという、見事なスパム技術。まさしく、エリート中のエリート。そこらそんじょのゴミスパマーとは格が違う。正真正銘のエリートスパマー。




そして、リンクをクリックしてみると……




verunaAD1.png

内容0でアドセンス。





verunaAD2.png

このキーワードはまだ作成されていませんアドセンス。





verunaAD3.png

内容0でグーグルアドセンス。





verunaAD4.png

「○○を含む画像は見つかりませんでした」+アドセンス。





正真正銘まがい物無しのスパムを機械的に量産し、それに広告を乗せて検索エンジンの上位に送り込む。これが我が国が誇るカリスマスパマー近藤淳也率いる至高の精鋭エリートスパム集団、株式会社はてなの底力にして真骨頂です。並のスパマーではこうは行きません。








はてなの力は、まだまだこんなもんじゃありません。
株式会社はてなの【本気】をお見せ致しましょう。








bari.jpeg

壮美にして荘厳、これぞ京都が世界に誇る日本の美。
精鋭エリートスパム集団株式会社はてなの底力です。

念のため申し上げておきますが、赤く表示されたところが、カリスマスパマー近藤淳也プレゼンツです。正真正銘、本物のスパムです。僕に言わせれば、スパムブログとか、スパムメールなんて、あんなものスパムのうちに入りませんよ。第一に、美しくない。第二に、素晴らしくない。第三に、輝かしくない。美しく、素晴らしく、そして輝かしい、株式会社はてなこそが、我が国最強にして最高の精鋭エリートスパム集団の、精鋭エリートスパム集団たる所以なのです。






「スパムではなく、コンテンツだったりしない?」

いえいえ、ご安心ください。
株式会社はてなのスパム技術は本物です。
全てのリンクが、正真正銘偽装無し、純度100%のスパムです。






bariAD1.png

その一番手を飾るのは、もちろん株式会社はてながエリートスパマー筆頭、人呼んで「努力する天才スパミスト」こと、歩くスパム製造器、株式会社はてなCTO伊藤直也が、英語圏のサービスをパクって僅か2日で作り上げた、はてなブックマーク。

渾然と輝く「○○を含む注目のエントリーが見つかりませんでした。」の文字が美しい、芸術的スパム。流石は伊藤直也。鞍馬山のコロッサルスキッドの異名は伊達ではありません。はてなキーワードを抑えて堂々の第一位。






bariAD2.png

二番手には、カリスマスパマー近藤淳也が創造し、「スパム無きはてなは罪悪であり、スパム無きRimoは寝言である」の標語を掲げ蓑輪太郎放逐運動を指揮したはてなの二宮尊徳ことid:nmyが完成させた、スパムの金閣舎利殿、はてなキーワードがランクイン。「このキーワードはまだ作成されていません」の文字と、スクリーンショットに収まりきらない程の大量のスパムで埋め尽くされたレイアウトは、京都が世界に誇る日本の美。






bariAD3.png

それに続くのは、なんとフォトライフの「クリエイティブコモンズ表記スパム」。利用できるものは全て利用しろ、生かさず殺さず利用しつくせ、という梅田イズムのシリコン指令が最大限に発揮された、あのパブロアイマールすら裸足で逃げ出すクリエイティヴィティなクリエイティブスパムであるクリエイヴェィブコモンズスパムが堂々のランクイン。これはもはやスパムではありません。芸術です。いや、もはや芸術ですらありません。ディス、イズ、スパム!







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それに続くのは、はてなハイク。「適当にパクって作ってヤングな感じでスパミたいよね。」という近藤の無謀な提案に、精鋭エリートスパム集団が本{マジ}気で答えた成果の結晶。海外のサービスをレイアウトも含めてパクるという、はてなの不文律を忠実に守りながら、抑えめの配色により明色を軸としたバナー広告を目立せるという細やかな気配り。タイトルからインタフェイスまで丸っとパクっておきながら、「俳句」という和の王道のフレーズを連想させる事により、さも自分が作りました!という雰囲気を作り出す様はもはや様式美。正に果てしなく京都的な繊細な神経が爆発した、誠心誠意のはてな流スパム。侘びと寂を兼ね備えたジャパニーズビューティーの最高傑作が堂々の第四位。






bariAD5.png

そして第五位にはなんと……はてなブックマークが再びランクイン!「○○を含む注目のエントリーは見つかりませんでしたスパム」に加え、「◆◆を含む人気エントリーは見つかりませんでしたスパム」までをも送り込む。それどころか、「タグ●●を含むエントリーは見つかりませんでしたスパム」すら控えており、トリプルスパムすら達成してしまう。さすがは、伊藤"鞍馬山のコロッサルスキッド"直也。異名も顔も佇まいも、何から何までかっこよすぎる。そして何よりもスパムがダンディオブザダンディ。CTOだから2つ捩じ込めたんじゃない、3つ捩じ込めるからCTOなんだ!これぞ本物のスパミスト。日本の匠。いや、世界の巨匠、伊藤直也の本気を検索結果に見た!






bariAD6.png

あ・・・ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

検索結果に先ほど表れたスパムが、
再びランクインしていたんだ……。

脳みそがフットーしそうだった……。
催眠術だとか超スピードだとか、
そんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。
もっと恐ろしい株式会社はてなの片鱗を味わったぜ……。









ご覧頂けましたでしょうか。これが我が国が誇る精鋭エリートスパム集団株式会社はてなの実力です。いかにはてなが素晴らしく、いかにはてなが崇高であるかが、ご理解いただけたと思います。

「こんなにスパムばっかりして、グーグルからデリられないの?」という疑問をお持ちの貴方。ご安心ください。株式会社はてなに、グーグル八分の二文字は存在しません。なぜ、はてなが東京に事務所を残しましたか?答えは簡単です。「ドゥノットイーヴェル」の標語でお馴染み、愛と正義の株式会社、グーグル日本支社に対する接待の為です。凡百のスパムを抹殺してきた検索エンジンペナルティという死は、株式会社グーグルと懇ろになっている株式会社はてなにとっては全く以て無縁のものです。株式会社はてなは金剛無敵のスパム企業であるが故に、盤石のスパム体制を構築しているのです。








それに対して、いちゃもんをつけてるid:ryocotanって、どんな人だろう、と思って見てみたら……なんだコイツ無職じゃんwww。社会のゴミ同然の無職のクズの分際で我が国が誇る精鋭エリートスパム集団である株式会社はてなのネガティブキャンペーンって、どんな神経してるんだろ。

っていうか、経歴見たら、株式会社はてなを僅か3ヶ月で退職!?!?




なぁんだ。
そういう事か。

つまり、精鋭エリートスパム集団である株式会社はてなのスパムレベルについて行けなかった落ちこぼれのワナビーが、僻みとやっかみで、はてなのネガティブキャンペーンを展開しているわけね。2エントリーも連続で。しかも、いい感じにネガキャン成功したと見るや、墓穴を掘らないように慎重に「これ以上の言及は避けます :D」とか言って撤退宣言。うわー、駄目人間の嫉妬が大手を振ってまかり通るインターネットの恐ろしさを見たり、だよ。

しかも、このid:ryocotanって人、スパム出来ないサービスを作ってはてなを追放されたid:higeponと繋がってるのね。そりゃあ、精鋭エリートスパム集団でRimoみたいなスパムのスの字もないようなものを作ってりゃあ、そういう具合になるよなぁ。つまり、このid:ryocotanによる、株式会社はてなに対するネガティブキャンぺーンは、はてなを追放された人達の嫉妬とやっかみにまみれたはてなへの攻撃、と捕らえるのが正解だね。

おまけに、株式会社はてながエリートスパム集団だ、ってのは昨日今日に始まった話じゃないのに、いかにも「自分が退職した後に、はてなはスパム企業に堕ちました」という印象操作を行い、リテラシーの欠片もないはてなブックマーカーどもは扇動して自己正当を行う・・・汚いにも程があるぜ。てめえも我が国が誇る精鋭エリートスパム集団の中で一時とはいえ禄を食んでスパマーやってたくせに自分だけカマトトぶっちゃってさ。

いいかい。はてなの悪口を言う奴は、お天道様が許しても、この天才カリスマアルファブロガーの真性引き篭もりhankakueisuu様が許さないんだから。絶対だからね!

ミナミコアリクイだ!



isobeage.bmp

この動物の正体が遂に判明した!




コアリクイだ。

こうして見ると僕の書いたイラストはかなり正確に特徴を捉えていると言える。wikipediaだとオオアリクイの画像しか無かったので、「アリクイではない」と思い込んでいた。コアリクイとは盲点だったが、完璧にコアリクイだった。許すまじ、ミナミコアリクイ。次に見かけたら躊躇無く手斧で痛打を喰らわし、我が磯辺揚げを奪還したい。

はてなブックマーカーによると僕は様々な方面から罵詈雑言を焚き付けられていたらしい。



guldeen : あれだけ様々な方面から罵詈雑言を焚き付けられていた割に、「サーバ会社側の一方的な閉鎖宣言」が出るや「それはさすがにひどい」の大合唱。実は“愛されて”いたhankaku氏?
へー、気がつかなかったよ・・・。
僕は様々な方面から罵詈雑言を焚き付けられてたのか。




で、その様々な方面、ってのを片っ端から全部リンク貼って書いてくんね?この天才カリスマアルファブロガーの真性引き篭もりhankakueisuu様が総力を上げて潰すから。

人を馬鹿にしたトラックバックを送っておきながらトラックバック拒否する田中秀臣みたいなのがいるからブログは糞。



糞過ぎる。

でたらめとデマを垂れ流して人を小馬鹿にしておいて、それに真面目に反論書いたらトラックバック拒否って何脳?どんだけチキンの卑怯の糞ゴミなんだよ。こういう藤代裕之みたいなのがインターネットであーだこーだ偉そうに言って信者ども抱えて馴れ合ってるのがインターネットってやつでほんとくだらねえ。萎えまくり。

2008年9月22日月曜日

ブログにおける被糞言及のめんどくささは異常。



それは「良エントリを作ろう症候群」だ
また来たよ。
この類が。
心底うんざりするね。




まさに、これは「良エントリを作ろう症候群」だな。これにハマってる気がする。まるで以前の自分を見ているようだ。
はぁ?てめえは自分語りしたいだけだろ?「以前の自分」って言いたいだけだろ?俺はおまえより進化的です、って言いたいだけだろ?あー、糞うぜえ。なに天才カリスマアルファブロガーの真性引き篭もりhankakueisuu様と自分を同一視してんの?おまえみたいなゴミとは次元が違うんだけど。何絡んできてんの?うざいからmixiでやってろよ。あー、マイミクで書いたら誰も読んでくれないからこうやって糞トラバで糞文章他人に読ませてご満悦ってわけか。おめでたいねー。うざいねー。




きちんと書こうとか上手くまとめようとか考えずに、ただ思ったことのみを書く。
へぇ。思ったことをそのままブログに書けるとは、たいそう高性能な脳みそをお持ちなんですね。で、その高性能な脳みそでどんな事を思われているのかとブログを読ませていただいたのですが、エントリーの二分の一がブログ論(笑)ってそれはそれはたいそう貧相な事しか思っていないんですね。スパコンでソリティアやって楽しい?しかも毎回詰んでて楽しい?1問も解けずに楽しい?いや、楽しいからやってるんでしょうね。はぁ。うぜえ。あー、めんどうだなあ。




だいたい「自分が何を思っているか理解出来る」ってのが凄いよなあ。まあ、実際にそういう人も居るには居ると思う。リアル高性能脳を持つリアルエリートのブログとかを読んでいると、ああ、この人は自分が何を思っているのかを、かなりの精度でリアルタイムに理解しているんだろうなあ、と感じる事もある。けれども、一年中ネットサーフィンをしていても、そういう人は滅多と見かけない。

僕の場合はそれらの真逆で、「自分が何を思っているのか全く理解出来ない」のである。「何かを思っている」という事はわかっている。「思っている事が進展して、次のステップへと進んだ」こともわかっている。「思っている事が連鎖して、他の何かを思い出し、それと関連づけられた」事もわかる。「一定の結論に達した」という事も把握している。

けれども、自分が何を思っているのかは、全くわからない、という事がよくある。よくあるというよりも、僕の日常は基本的にそういう風にして進んでいく。

おかげで、僕の思考というものは、僕自身のまかり知らぬ所で勝手に進み、勝手に一段落し、勝手に飽き、勝手に忘れ去られてゆく。

もしも仮に「自らが思っている事」を書き留めようと試みなければ、僕の思考というものは、一生の間、僕自身から切り離されて存在する事になる。実際にブログを書き始めるまで、というのはそうだった。人間の脳を外部に所持する人間の心を持ったチャドクガのようなもので、葉上で群れるか街灯に向かって飛ぶか、あるいはコンクリートの影で眠るか、といった行動のみで生きていた。ブログを書き始めていなかったら、きっと僕はずっとそのままそれまで通り、行動のみを自らとして生きていただろう。今頃は里知則の新作でもやっていたのだろう。もちろん、どうなっていたかはわからないけれど、おそらくはそんな感じだっただろう。

こうしてブログを書いている自分自身と、それまで通り行動のみを主軸(あるいは全て)として生きていた自分自身の、どちらが僕にとって「望ましいもの」なのかは、果たして知ることが出来ない。

どちらが望ましいかは別として、少なくとも今の自分はブログを書くことに非常な情熱を持っている。情熱を持っているが故にブログを書こうとする。しかしここで1つの問題が浮上する。自分が何を考え、何を思い、何を感じているのかが、全く理解出来ないのである。

そもそもが、僕の人生には、日本語で他人と意思疎通を行う機会、というものがほとんど無かった。会話、というものが存在していなかった。自ずから自らの考えている事を日本語で言い表す必要も無かったし、自らの思っている事を日本語に変換する必要も無かった。

気がついたら、僕は、日本語で考える能力や日本語で思う能力、というものを、ほぼ完全に失っていた。いや、失っていた、というのは間違いだろう。思ったり、考えたり、というのは脳みその働きでしかないわけで、それを行う際に言語があれば便利なのかもしれないけれど、言語が必須というわけではあるまい。

しかし、それを書き留めるには言語は必須である。可視化するには言語は必須である。その為には、思っている事を、日本語に変換せねばならない。これが大変である。

たとえば、brizゲーやSTGをしている時などによくあったのだけれど、「同時に2つの事を考えながらゲームをしている」という状態に、頻繁に陥った。「到達した」と書くのが正しいかもしれない。

頭の中で2つの、まったく関連の無い別の物事を考えながら、肉体はゲームをしている。それも、そつなくこなしている。(致命的なミスをして全てがゲームに引き戻される事も、あるにはあったけれど。)

例えば、その状況をブログに書こうと試みよう。
すると、どうなるか。

「DOTA allstarsをしました。」でおしまいである。自分が何を思っているのかを知ろうとしなければ、自分が何を考えているのかを知ろうとする努力を怠れば、それでおしまいである。それ以上のものは一切でない。

僕は自らを可視化するのが好きである。可視化マニア、みたいな所がある。ディアブロ2には、多分にそのような欲望を満たす要素があった。ドラクエ5にもそれがあった。そういうのが好きな性分なのだと思う。

よって、自らを可視化するという情熱を持っていたし、今も持っている事は持っている。。けれどもその情熱は自らの行動を可視化しただけでは満たされない。なぜならば、それは「細分された一要素の可視化」にすぎないからである。

DOTA allstarsの戦績を可視化する、というブログの目指すところは果たされた。行動を可視化していただけにも関わらず、それには一定の満足を覚えていた。けれども、行動そのものが失われた。DOTA allstarsはもう無い。当然の如く、何かを考えている自分自身のみが残る。しかし何を考えているのかは、さっぱりわからない。

仕方がないので、いつでもその概要を引き出せるように、キーワードだけを書き残していく。と、「何のことやら自分自身にもわからないキーワード」+「.txt」の0kbのファイルが草稿フォルダに積み上がる事になる。0kbでないもののほとんどは1kbである。けれども、物事が進展するという事は滅多とない。けれどもそれが突然とエントリーになったりする。その辺りが脳の恐ろしさであり、もの凄く楽しい。「あの時思っていたのは、こういう事だったのか」と、文字通りに我が意を得る。もちろん、投稿ボタンを押しても何が言いたいのかさっぱりわからないこともあるけれど、自らの思った事を知り得て日本語に書き表す事が出来る、といった思い上がりは所持していないので、酷く落ち込む事はない。ただ、書き表された文章が、自らの思いとはかけ離れている事に気がつき、失望する事はある。しかし「自らの思い」自体が把握出来ていないので訂正する事も出来ない無力感。無能さに失望させられてばかりである。

で、なんだっけ、はぁ、糞うぜえ。




そうすると、ブログ運営が楽になるよ。
はぁ?こいつ何様?5様?
ブログ運営が楽になる?何言ってんの?ブログ滅茶苦茶楽しいんだけど。ブログ書くの楽しくて楽しくてしょうがないんだけど。「ブログ書くのが辛いです」って何自己紹介してんの?おまえなんかには全く興味ないんだけど何で視界に入ってきてんの?そんなに寂しいの?寂しいならmixiにでも引きこもってろよ。お化粧しておべべ来て歌舞伎町でも歩いてろよ。うざいから。なにてめえ基準を人様に当てはめて悦に入ってんの?




もちろん、アクセス数は落ちるし、コメントも減るし、常連さんも去っていくかもしれない。
へえ。てめえはアクセス数気にしてコメント数気にして常連さん(笑)気にしてブログ書いてるわけな。それでこんな糞ゴミエントリーを天才カリスマアルファブロガーの真性引き篭もりhankakueisuu様に読ませてトラックバックしてそれが増えるように気にしまくってるわけか。あー、うぜえ。糞が。ほんとブログ書いてて良かったと思う事なんて1つも無いな。




でも、それでもブログを更新し続けなければならないという義務感の苦痛からは開放されるよ。
はぁ?苦痛?いや、確かにこういう糞ゴミエントリーを読まされるのは苦痛だからインターネットから消えてくん無い?今すぐ消えてくん無い?mixiにでも引きこもっててくんない?即刻消えてくんない?気分悪いから。なんで600エントリーかそこらの人間に1300エントリー書いてきた人間がブログの書き方(笑)について偉そうに高説垂れ流されて説教されなきゃんないんだ?しかもエントリほとんどブログ論(笑)って何?そんなにブログ論(笑)好きなら今すぐmixiにでも引きこもったら?糞ゴミだから。




ブログを書いているとこういう説教しか脳の無い(しかも中身は糞ゴミな)人達に説教されるのは何故か、という事を考えたとき、「引きこもりだからなんじゃないか」とか思ったりもしたんだけれど、ブログ魔王とか、西尾泰和とか、梅田望夫とかでも、普通に高説垂れ流されてせきょられるんだから、インターネットとはそういうもんなんだろう。ああめんどくせえ。めんどくさすぎる。

時間との距離感



時間との距離感がうまく掴めないことが多い。
1時間くらい経ったろうと思ったら、5~6時間は過ぎていたり、逆に5分と経っていなかったり。あるいは、朝だと思えば夜だったり、夜だと思えば朝だったり。だから、どうである、という所まではよくわからない。よくわからないのだけれど、その度に狐につままれたような気分に陥り、気味が悪い。手の甲の小指側に生えた毛が去年より少しだけ長くなっていた。これも気味が悪い。昨日は内蔵が痛くて何も食べられなかったのだけれど、今し方起きたら良くなっていた。また具合を悪くしたのではないかと不安で寝付けなかったのだけれど、良かった。水とバナナチップスを食べたので、取り急ぎ寝て体力の回復に努めたい。他にするべき事柄もない。したい事も無い。不愉快な事が多すぎて何をする気にもなれないままで秋と不機嫌さが深まってゆく。気分と心ばかりが悪くなる。まあ、眠ればなんとかなるだろう。眠ってなんとかなった試しは一度としてない。

2008年9月21日日曜日

DOTA allstars雑記。



Dotaは普通ゲーと同じ感覚でやるとダメっぽい。CreepのHPが赤になるまで待つとかだりぃ・・・

違うんだよ!

クリープのHPが赤になるまで待つ、というのは「ベストムーブ」ではない。「ベストムーブ出来ない状況なので、仕方がなしにやっている代替手段」でしかない。

では、何がベストムーブかというと、「相手を殺す」がベストムーブ。金を失わせ、経験値を失わせ、時間を失わせる最高の選択。でもそう簡単には殺せないので、「相手を経験値ゾーンから引きはがす」という選択肢が浮上する。

クリープのHPが赤になるまで待つのは、「DOTAの序盤はラストヒットを取るものだ」勘違いをしていたり、技術(攻撃指示即キャンセル)が無かったり、ピングが悪くてそれが出来なかったり、相手のミクロ力を見て勇気を失ったり、アイテムビルドを間違えていたり、といった「ベストムーブ辿り着けなかった人達」の取る行動なんだよ。


 敵
  ▼

▼▼▼▼
△△△△

  △
 自


普通は、こんな感じでやってると思う、で、creepが赤になるのを待ってラストヒットを取っている、と。でも、これは正解ではない。目指すべきなのは、下の図。


 敵


 自
  ▼

▼▼▼▼
△△△△

  △

こうすると、敵に経験値が入らない。敵にゴールドも入らない。この状況を作って、その上で戦略に応じたレーンコントロールをする。

「そんな事したらクリープに殴られてHP失うだけでは?」と思うかもしれないけれど、射程内に入れた敵ヒーローを攻撃指定して、攻撃が出た瞬間に移動指示を出して攻撃状態を解除すれば、敵クリープからのターゲット指定を受けずに敵ヒーローを殴れる。

つまり、DOTA allstarsの序盤は「敵と殴り合いをしながら、その合間にクリーピングをする」ものだと捕らえるのが正解だと思う。

ノーマルゲームで言うと、「赤クリープの目の前で退かずに遭遇戦をしている」状態。現実ではToD vs Luciくらいでしか起こらないけれど、DOTA allstarsでは、それが出来る=非日常的すぎる=楽しい。というのがDOTA allstarsの序盤。



4分10秒くらいまでの時間帯は「ラストヒット取り合戦」ではなく、「相手を殺すのが正解、次は相手を殴る事、他はその為の布石」的時間なので、そういう風に遊ばないとクリックがめんどくさいだけのゲームに見えるし、それを理解していても、それを楽しいと感じる事が出来ないなら、DOTA allstarsは辛いだけのゲーム。

ラストヒットの取り合いをしていたら、ラストヒット精度が高く、その恩恵を受けられるヒーローを選択している有利になり続ける。25分でpower tread+mkbとか、毎回作れる人がいると、どうしようもなくない?旧バージョンのレシピだけれど、当たり前のように20分以内にguinso作って来る人とか。そんな人でも、3人で襲えばまず殺せるし、5対5の野戦なら相対的に比重は落ちる。raxを落とせば貧ずるし、rax全部落とせばまず勝ちなので、それを目指すしか。殴る事を楽しむゲーム、として消費するしか。デュアルゲーとして消費するしか。

meleeでも「攻撃指定をして即キャンセル」は使えるので、melee同士ならポジションの取りあいをして、殴りキャンセル合戦をする感じ。相手もそれを理解している人で、尚かつ力量差が一定以内だったらこれが楽しいんだ。四人でワルツを踊ってる、みたいな滑稽さがこの上なく。

DOTA allstars自体は異様に敷居の高くてめんどくさい上に未だにバランスが滅茶苦茶すぎるゲームなので誰にも薦めたりしないけれど。10人集めてskype必須で、ならだいぶ違う。悪名高いdeadmanでも楽しめちゃうくらいに違う。

クリスマスプレゼントwii開封動画を見て思い出した事。



youtubeでプレゼント開封動画、ってのを見つけた。

クリスマスプレゼントを貰って歓喜に溢れている子供を撮影したホームビデオ、ってジャンル。なかなかに微笑ましい光景なので、頬を弛ませながら幾つか辿って見ていたんだけれど、凄まじく憂鬱な気分になった。どうしてこんなに酷い気分になるのだろう、と少し考えてみたところ、思い出さなくても良い事を思い出してしまった。




僕は昔に、クリスマスプレゼントにSFCを貰ってるんだよ・・・。「品薄だったので何ヶ月か前に買っておいたんだよ!喜べ!」とかそういう事を言われた記憶がある(いや、まあそこまでトゲトゲした言い回しじゃなかったかもしれないけどさ)。言われなくてもクリスマスプレゼントにSFC貰って喜ばない子供がどこにいるかっての。あー、凄い嬉しかったのを覚えてる。うちじゃなくて、実家の応接間みたいな所で貰った。

で、やったー、って喜んでたら、「おまえは日頃の行いが悪いので、今は遊ばせません」みたいな事を言われたんだよ。あまりにも突拍子もなかったので、どういう事なのかすら理解出来なかったぜ。つーか、こんな事、完全に記憶から消えてたよ。脳って恐ろしいな。

弟はというと同じ年のクリスマスプレゼントで貰ったゲームボーイで遊んでる、と。近寄ろうとすると「おまえはSFCなんだから近づくな」とか言われたのと、スコップとか入ったバケツを持って一人で公園の砂場に遊びに行ったのは覚えてるな。

話によると、日頃の行いを良くしていると、来年のクリスマスにくれてやる、だがら一年間精々がんばんな、って話だった。まあ、「頑張ろう」とか思ったのは覚えてるが、そう言われてどう感じたかまでは覚えていない。一応は嬉しかったのかね。

実家から帰る時に、SFCの入った紙袋を手に持った祖父が、それをゆっさゆっさ揺らして「また来年~頑張れよ~」みたいな感じで高く掲げてバイバイしてたのを覚えてる。どんな気持ちだったんだろう。ほんと、そんな事があったという事すら、完全に忘れてたよ。




クリスマスよりも前に、誕生日が来て、誕生日に「おじいちゃんから電話」みたいな感じで、電話取ったら、「おまえ弟のゲームボーイ勝手に遊んだから、今年の誕生日プレゼント無しな。」って言われたんだよ。そういや・・・。っつーか、こんな事思い出したくもないわ。

そんで、クリスマスが来て、SFC!SFC!とか思ってたら、「行いが悪いのでSFCはあげられません!残念でした!」とか言われたんだよ。ちなみに、その年のクリスマスプレゼントはSFCのソフトだった(多分マリオだと思うんだけれど、シムシティだったかもしれない。ゲーム雑誌立ち読みしてシムシティやりたいやりたい、って公言してた覚えはあるので。)「預かっとくから」って言われてすぐに取り上げられて、説明書すら読ませて貰えなかったので、何だったのか思い出せない・・・。




で、また普通に次の年の誕生日とか来る、……その前に、弟がゲームボーイ捨てた。(捨てられた、って言うと語弊があるか。。。)。あまりのショックに4日くらい泣いて廊下で寝てた記憶がある。マリオとテトリスしかなかったのに、なんであんなにショックだったんだろう。(アインハンダー以前のSTG経験再発見!しかも任天堂製。)。「人のものは人のものなんだから捨てようと勝手」みたいな事を言われたなぁ。今思えばもの凄い正論だ。連日朝方まで泣いて廊下に引きこもってたら、もの凄い怒られて寝させられた記憶がある。

そして、誕生日が来たら電話がかかってきて、「廊下で寝たから誕生日プレゼント無しな。おまえにSFCはまだはやいよ。もっとがんばんな。」みたいな事を言われた。誕生日おめでとう、とかって、花を貰ったのを覚えてる。「いらない」とか言ってると「素直じゃない」とか言われて、花は花瓶に生けられてテーブルの上に置かれた。その日、ご飯をまったく食べなくて思いっきり引っ叩かれた。机の下で丸くなって寝て風邪ひいて学校休んで、その冬は春まで咳が止まらず、咳をする度に怒られた。いや、花なんて欲しくないから、SFCよこせ、っていう。。。

あー・・・。

あとは覚えてないなぁ。色鉛筆でスケッチブックに書いたゲームボーイの絵を大切にしていたのだけは覚えてる。というか、定規と分度器(コンパスを使うと穴が開くのが気に入らなくて)を使って何枚も同じゲームボーイの絵を描いた。それを「馬鹿な子供だー!」とかおまえアホか的空気で笑われたのだけは・・・って思い出したくないなぁ。

それと、いつ貰ったのかは定かではないけれど、DQ5を貰ったのだけは確かだ。他の年の理由に「通信簿が悪いから」というのがあったのと、その次の年の理由が通知簿に最低評価(体育)があったから、というのは覚えてるな。結局SFCを手に入れられたのはFF7発売後だった。FF7とプレステは大人になってから(年齢的にも精神的にも社会的にも大人ではなかったけれど)自分で稼いだお金で買ったが、酔った事くらいしか記憶にない。エレベーターと召喚魔法で3D酔い。




で、そういう風に育った子供がどうなったかと言うと、同じソフトを買っては捨ててまた買う、という。20本以上も買う、という。引き出し一つが同一タイトルの分厚い取扱説明書で埋め尽くされている、という。US版とUK版とGER版に加え、日本語版まである、という。貯めたお金を全部使い果たすまで買い続けた、という。愛する人も居ず、という。食っちゃ寝えブログ書いてる、という。だいたいそんな感じの大人に・・・。しかも引きこもり、という・・・。はぁ。生きる気しねぇなぁ。自己嫌悪と自らへの憎悪しかねえや。

なんか最近報道サイトで「通り魔事件発生」とかそういうのを目にすると、一瞬「僕がやったんじゃないか」とか思ってしまうぜ。そこまで落ちていない、っていうかよく考えたら部屋からまともに出られん引きこもり中の引きこもりなのに、そんなわけないよな。




まぁ、オイラがおまえらに言える事があるとすれば、プレゼントとは名ばかりの代物で他人をコントロールしようとするのはやめておけ、って事くらいかな・・・。気分が沈みすぎて一人称まで崩れちまったゼ。ほんと糞だ。人生ってのはよ。

いい加減寝よう・・・。

2008年9月20日土曜日

雑記。



スフィンクスみたいな髪型(前髪だけは目に入ると痛いのでハサミで切っていた)だったのだけれど、暑苦しいので剃ってみたら、剃刀負けして血だるまになった。痛い。

2008年9月19日金曜日

何人をも幸せに出来ないのではないかという恐怖。



人は皆、誰かを幸せにする事が出来る。
人は皆、誰かを喜ばせる事が出来る。




ある一人の人間が他の誰かを幸せにし、その誰かがまた他の誰かを幸せにする。世界はそんな風にして回っている。人間世界というものは、とどのつまり、幸せのネットワークである。




円満な夫婦から生まれた赤子は、ただ「おぎゃー」と泣くだけで、他の誰かを喜ばせる事が出来る。他の誰かを幸せにする事が出来る。赤子というものは、類を見ぬまでの強キャラである。けれども成長するにつれ、人は皆その、天性の力を失ってゆく。

たとえば、今そこで、あなたが泣いたところで、誰が喜ぼうか。たとえば、今ここで、僕が泣いたところで、誰が幸せになろうか。何人も、幸せになどならぬのである。誰一人として、喜んだりはせぬのである。泣いてるだけでは、駄目なのである。では、どうすればよいか。




最も手っ取り早いのが、労働である。労働を行えば、誰かが幸せになる。即ち、労働を行えば、誰かを幸せにする事が出来る。労働を行えば、誰かを喜ばせる事が出来る。

その「誰か」の一番手は、愛する人である。妻であり、子である。あるいは両親であり、それは時として友人である。働けば、働くほど、愛する人は喜んでくれる。愛する人を幸せに出来る。即ち、労働とは喜びの生産装置である。

「誰か」の二番手は、経営者である。時として上司である。たとえ、妻を持たず、子を持たず、天涯孤独の身であれど、労働さえ行えば、他の誰かを喜ばせる事が出来る。即ち、労働とは幸福の生産装置である。優れたシステム。それが労働である。

「誰か」の三番手は自らである。「会社に利益を齎した」という事実と、「他人のために尽くした」という実感、そして手にした俸禄が(たとえそれが僅かなものであっても)、自らに喜びを齎し、自らに幸せを齎すのである。




「外部」である経営者、「身内」である家族、「本人」である自ら。労働とは、その3者を同時に喜ばせる事の出来る優れたシステムである。労働に頼らずに、これを実現するのは、不可能に近い。少なくとも、凡人には不可能である。労働に頼ることなく、外部、身内、本人の3者を喜ばせ、幸せにする事が出来る人間も、居るには居ろう。けれども、それは、皆無に等しい皆無である。




即ち、何が私たちに幸せを齎し、何か私たちに喜びを齎してくるのかを見つめれば、私たちが何を良しとし、何を悪としているのかが見えてくる。人が良し悪しを判別する基準は、ただ一つ、「外部、身内、本人の三者を同時に喜ばせ、幸せにする事が出来るか否か」なのである。外部、身内、本人の、全てに喜びを与する時、その行いは良いものとされる。外部、身内、本人の、何れかが欠けても駄目である。何れか1つでも欠けようものなら、その行いは嫌疑に包まれ、疑いの目に叩かれる。外部、身内、本人の何れかを不幸せにしようものなら、あるいは悲しませようものなら、それは悪とされ、強く、強く、否定される。




三者のうち、一般に、よく欠けるのは外部である。外部の喜びであり、外部の幸せである。盗み、詐欺、ネズミ講、それらの行為は全て、外部の喜びを欠くが故に、そして外部に幸せを齎さないが故に否定される。人里離れた山奥に、グリーンピアを建立する行為もまた、身内と本人に喜びと幸せを齎せど、外部にはそれを齎さないが故に否定され、世の人に拒絶されるのである。

次に欠く事の多いのは、身内である。身内を欠くのは簡単である。喜ばせるべき身内が存在しない場合、それは即ち身内の欠如を意味する。家族が居ない、妻が居ない、夫が居ない、子が居ない。働けど、働けど、幸せにすべき身内がいない。この世にいない人間を喜ばせる事は誰にも出来ない。どう足掻いても無駄である。

身内の欠落が、外部の人間に知られる事は少ない。しかし身内の欠落は、世に知られているよりも遙かに多く存在する。身内の欠落が広く問題とされないのは、それがプライベートなものであり、認識されないが故である。例えば夫が居ても、あるいは妻が居ても、親が、子が居ても、身内の欠落は起こりうる。心と心が途切れれば、肩書きは意味を成さぬのである。しかし肩書きに覆われているが故に、身内の欠落は外部に気づかれにくい。身内の欠落は常に隠蔽され、それ故に重篤化し、人の心を破壊する痛恨の痛手である。

最後に続くのは、本人である。自らを喜ばせる事の出来ない暮らし、自らを幸せにする事の出来ない人生というものは、その存在自体が、この世において、強く、何よりも強く否定される。無くすべき物として定義される。先に述べたとおり、人間社会とは幸せのネットワークである。「人間という生き物は、自ら己を幸せにする為に生きている」、という大前提において設計されているのが人の世である。人と人との世界である。私たちの暮らす世界は、人は皆自ら己を喜ばせる為に生きている、という大前提の元で成立しているものなのである。




この前提が崩れると、生じるものは、ただ破滅である。人間社会の破綻である。他人の物を盗めば、逮捕される。牢獄に入れられる。即ち不幸せになる。普通の人間はそれを嫌がる。それを嫌がるのが人間であるという大前提において成り立っている。これが壊れればどうなるか。自ら己の不幸せを厭わない人間で世の中が満ちあふれればどうなるか。火を見るよりも明らかである。生じる物は、ただ破滅である。人間社会の波状である。

よって、人間社会の一員である、健全闊達な人間は、幸せにすべき対象としての己の欠如こそが、悪の中の悪、至上の悪であると、定め決しているのである。それ故に、自ら己を喜ばせる気の無い人間の存在を拒絶し、自ら己を幸せにする心づもりの無い人間に、強い拒否反応を示すのである。




自ら己を幸せにする心づもりの無い人間が、果たしてどれだけ存在するだろうか。ここでの問いは、「2008年9月19日現在に、どれだけ存在するのか」という問いではない。赤子として、おぎゃーと生まれたその瞬間に、自ら己を幸せにする心づもりを持たない人間が、どれだけ存在するだろうか?という問いである。

此の世に生を受けた瞬間に、自ら己の幸せを望まぬ人間。自らの喜びを望まぬ人間。そんな人は、一人としていないだろう。少なくとも僕はそう思う。赤子として、生まれた瞬間においては、人は自らの喜びを望み、己の幸せを願うものなのである。安らかな生活を、健やかな暮らしを、愛と、喜びに満ちあふれた人生を、誰もが、等しく、望むものなのである。

即ち、「人間とは何ですか?」と問われれば、「自ら己の喜びを望み、自ら己の幸せを願うものである」としか、答えようがない。それ以外に、答は無いのである。そして、自ら己の喜びに向けて、自ら己の幸せに向けて、日々邁進し、少しでも、また少しでもにじり寄ろうと努力し続ける生き物こそが、人間なのである。




ところが、少なからずの人が、自ら己を幸せにする事を諦めている。それどころか、自ら己を喜ばせる事すらも完全に放棄している。自らを幸せにするつもり無しに生きている。そんな人が、大勢存在している。全体の割合から見ればそう多くはないけれど、人数としては、大勢存在している。少なからずの割合で存在している。

なぜ、そのような人々が存在しているのか。それに対する答えは単純にして明確である。私たちが息衝く人間世界そのものが、そのような人々を作り出しているのである。幸せネットワークであるはずの人間社会そのものが、人の、己の幸せを願う気持ちを踏みにじり、自らの喜びを望む心を奪い去っているのである。人間の心を無くした廃人を、生みだして、毎日々々作り出しているのである。

そのような社会には、大きな問題がある。即ち、我々の生きる現在の日本は大きな問題を抱えている。廃人を作り出す社会において、生きるという事は、何を意味するか。それは喜びを意味しない。それは幸せを意味しない。それは、「いつ、誰もが、廃人になってもおかしくはない社会を生きている」という事である。それは、恐怖である。恐怖に怯える暮らしである。

誰もが恐怖に怯え、そうならないように、そうならないようにと、懸命にしがみつき、必死で叫び、よじ登る事を強いられているのが、現代の日本である。人間の世界である。言ってしまえば、私たちが今生きているこの国は、幸せのネットワークなどではなく、緊張と恐怖のネットワークである。怒号飛び交う荒波である。

そのような社会、即ち、「自らを幸せを願う気持ちすら失ってしまうのではないか」、という恐怖に怯えながら暮らさねばならぬ世界で、人は心安らかに暮らせるだろうか?笑顔で、健やかに、日々を生きる事が出来るであろうか?否である。答えは否である。




誰もが「自らの幸せを願う事えぬ人間」へと変わり果ててしまう可能性のある世界。それが、日本である。japanである。いつ、誰もが「何人をも幸せに出来ない層」へと転落してしまわぬとも限らぬ世界。それが、日本である。我が国である。そのような世界において、笑顔は全て偽りである。喜びは全て偽りである。幸せは全て偽りである。外部、身内、本人、その三者を満たせぬならば、それは全て嘘である。ホームレスに送られる視線は、まさしく、その顕著なものである。

なぜホームレスを平気で罵る事の出来る人間、いや、ホームレスを勉めて罵倒しようとする人達が存在するのかというと、第一に、彼らは、ホームレスを人間であると認めたくないのである。「外部、身内、本人」の三者を喜ばせたいと願うのが、人の本分である。その本分に従えば、「明確に幸せではない存在」としてのホームレスは、「存在そのものが許されないもの」なのである。

明確に「外部、身内、本人の全てを幸せに出来ない存在」としてのホームレスは、決して受け入れられないものなのである。存在自体が許されないのである。だからといって、ホームレスを、片っ端から包丁で刺し殺していくわけにも行かない。無論のこと、ホームレスに、片っ端から、人間としての正常な思いを、おぎゃーと生まれたあの日の心を取り戻させる事も出来ない。人間としての喜びと、幸せのある暮らしを提供する事も出来ない。

では、どうするか。どうすればよいか。となった時に、彼らは、ホームレスを、外部のさらに外側、つまり、人間社会の外側におき、「彼らは私たちとは別の生き物である」と定義しようとするのである。別の規範、別の基準において生きている異生物であると定義しようとするのである。そして、言外に、あるいは言内に、ホームレスを強く拒絶し、罵倒し、その存在そのものを、否定しようと試みるのである。

それらの言動を、強く支配しているものは、前述の通り恐怖である。いつ、誰もが、「自らの幸せすら願えない存在」へと転落してしまいかねないという、偽りの幸せネットワークと化した、人と人との繋がりが生み出す喜びの、あるいは幸せの、副作用である。即ち、恐れ、恐怖である。

一方で、ホームレスに肩入れする人々も、動機は全く同じである。彼らを支配しているものもまた、恐怖である。「何人をも幸せに出来ないのではないか」という恐怖である。外部、身内、本人のうち、本人と身内に関しては、あまりにも困難であるが故に、ひとまず諦め、投げだして、簡単に幸せに出来る存在としてのホームレスを、維持しようと、保とうと、恐怖に追われてホームレスに肩入れし、彼らの存在を、懸命にそして頑なに守ろうとしているのである。





人間世界は、即ち我が国というものは、己の幸せを願う心を持って生まれてきた赤子を、そのまま、その心を失わぬまま、人生を最初から、最後まで生きられる世であるべきである。本来ならば、そうあらねばならぬのである。人と人との繋がりというものは、人と人との接点というものは、それ即ち、幸せでなければならない。そうあらねばならないのである。生きるとは喜びであり、生は喜びであるべきなのである。その至極当たり前の事阻害している物があるとすれば、それは悪である。即ち、我々は皆、図らずも、薄汚れた悪なのである。至上の害悪なのである。私たちは、吐却されるべき世界を構築しながら、守り従い生きているのである。恐怖から逃れねばならない。恐怖による支配から抜け出さねばならない。踏みにじられて奪われた、人の心を取り戻さねばならない。

2008年9月18日木曜日

twitterからのメールがきもい。



いつもTwitterを使ってくれてありがとう

パスワードを思い出せなくなったんですね。
誰でもよくあることです。

ブラウザで次のリンクを開いてみてください。

~~~~
~~~~
それでは
Twitterチームより

きもい。。。微妙に句読点欠けてるところとか、フランク感を出すためにわざとやってる。スパムメール的手法。twitterのターゲット層って、こういうメールに涎垂らすような寂しい盛りのリア過疎兼ネト過疎層なんだろうな。きもい。。。twitterみたいなきもいもんいつも使ってるわけがないだろ。。。なにがありがとうだ。。。きもい。twitterきもい。

2008年9月17日水曜日

寝れば寝るほど程、眠たくなる。



眠れば眠る程に眠たさは増す。起きれば起きる程眠れなくなる。思えば思うほど思いは強くなる。僕は長いものに巻かれようとする。決定に伴う一切の責任を背負わぬ為に、慣例に従おうとする。これまで通りを繰り返そうとする。それで何かが守れると思ったら、大間違いだ。こんなにも長い間ブログを書き続けてどうなったか。体は弱り、心はくたばり、頭は腐って朽ち果てた。汚泥に塗れた手で拾い上げた名画のように、かつて僕が従おうとしていた慣例そのものが、今では汚い。キトラ古墳の壁画のように順逆不能に変化した。空も、夜も、お月様も、あの日の名残をとどめていない。書けば書くほど僕の心は僕を見捨てて遠のいてゆく。生きて、生きて、また書いて。

2008年9月16日火曜日

絶対スルタン。



体を壊した。昨日今日でのことではなく、2月の終わりに壊した。体を壊したら体力的にネットサーフィンが出来なくなるので、頭の中でブログを書いて、それを投稿したら寝る、という生活を続けていた。

ブログを書き始めて明確に体を壊したのは3度目のことで、これまでは、そうしている内に良くなった。一月もすれば、何事もなかったかのように4gamerを読んだり、ニヤニヤしながら、後に「つまらないから」という理由で破棄されるブログの下書きを書いたりしていた。

ところが、今回は良くならなかった。4月になっても、5月になっても、一向に良くならなかった。流石にこたえた。草稿フォルダに「体をこわして一番苦しいのは心.txt」というファイルがある。日時は4月2日となっているので、おそらくこの頃が、一番辛かったんだと思う。実際、相当厳しくて、精神的にかなり追い詰められていた。

1日3時間だけ椅子に座ってブログにエントリーを1つだけ投稿し、あとはずっと横になっていた。そうしていれば、よくなるものなのだと信じ込んでいた。それが当たり前だと思っていた。その予測が裏切られたこの時期が、今振り返っても一番苦しかったように思う。眠って、目が覚めて、PCの電源を入れて椅子に座り、ウインドウズのローディングを眺めながら、体調が全く良くなっていない事を確認しては、その度に激しく動揺したのを覚えている。

そんな肉体にも、しばらくすれば慣れた。慣れたところで何かが変わったわけではないけれど、「こういうもんなんだ」と理解した。ここで言う理解とは、心と思考が現実に対応したという話ではなく、ただ単に、自信を完全に失っただけだ。「僕は生きている。これからもそうであろう。」という自信を完全に失っただけだった。

一年後生きている自信、というものを持っていない若者はいない。事実、僕だってそうだった。いないとまでは言わないが、そんなにまでは多くない。一年後は確実に生きている。一年後は確実に生きているのだから、二年後も三年後も、生きている。それは当然の事だった。当たり前すぎて、考えもしなかった。その「当たり前」を完全に失った。

インターネットのアンケートで、「恋人が居て良かったのはどんな時?」という質問の一位が「具合が悪くなった時」だったのを見て、無上のやるせなさを感じたりもした。「具合が悪くなった時」にこそ、僕は孤独で良かったと心から思う。そして、今回もそう思った。他人との接点の無さが本当に有り難かった。会社に行く必要もなければ、学校に行く必要もない。一人で寝ていればいい。しんどいか、しんどくないかは別として、気楽なもんだった。

3日起きて3日寝るような暮らしを抜けて、人並みに椅子に座っていられるようになったのは原子爆弾が落ちた頃だった。終戦記念日には、はっきりとした自信のようなものが芽生えて、もう大丈夫だと思った。そして今書いている内容のエントリーを投稿しようとしたのだけれど、120行ほど書いて、なぜだか止めた。何故止めたのかは覚えていない。書いている内に、疲れて投げたんだと思う。それを今になって書き直している理由もはっきりしない。一ヶ月前に投稿していれば何かが違ったか?いや、なにも。ただエントリーに記載される日付だけが違った、というだけの事。それを今書いている、というのは、涼しくなって過ごしやすくなったから、というだけの話だ。




具合が悪くなると、wikipediaを見る比率が上がる。普段はwikipediaを全否定して馬鹿にしているのに、いざ具合が悪くなると、頼れるものはwikipediaくらいしか無いので、自ずからそういう風になる。だもんで、好きなブログを読んでから3~4時間wikipediaを見て寝るような生活を続けていた。




その中でも一番笑ったのは、「心臓に管を通してノーベル賞」だ。なんか、ドイツかどこかのお医者さんが、脇の下に穴あけて、ガラスの管を心臓に突っ込んで、「脇の下から心臓にガラスの管を突っ込んだら、突っ込めました!」って言ったら、「アホかおまえ何やっとんじゃ!」とか言われて、謹慎処分喰らったらしい。

ところが、しばらくして「あれ?なんか脇の下から心臓にガラスの管を突っ込めるんなら、心臓手術とか出来ちゃうんじゃ?」みたいな空気になって、心臓手術がイノベって、色々と技術革新が起こったらしい。

そして、「あれ、よく考えたら心臓手術が広まったのって、元をたどれば全部あいつが・・・」みたいな空気になって、謹慎だか追放だか失職だかから何十年もの後に、ノーベル賞を貰ったらしい。(今wikipedia見ながら書いているわけじゃないから、全然違うかもしれないけれど、大筋ではあっていると思う。)




僕はこれを読んで、最高に愉快な気分になった。よくわからんけれど。だって、脇の下から心臓(左心室だか)にガラスの管差し込んで、「やったー!心臓にガラスの管差し込めたよー!」とか、僕等からしたら、脳みそ沸いてるとしか思えんやん?でも、それを、「絶対行けるはずや!」みたいな確信の元でやったんじゃん?スーパーハッカーにも程があるじゃん?凄いじゃん。ノーベル賞もんじゃん。これはノーベル賞もんじゃん!

って、まあ僕が今更言わなくたって、ノーベル賞貰ってるわけだけれど、これはノーベル賞もんじゃん?マジで。だって、心臓にガラスの管突っ込んだら、なんか体おかしくなりそうじゃん。常識的に考えてやばそうじゃん。なのに、なんでそれをするか的、医学の進歩にかける情熱の恐ろしさ。こっちはちょっと心臓痛いくらいで一日中うじうじ寝てるってのにマッドすぎる。。同じ人間とは思えない。どんだけドクターなんだよ、的な驚愕によりかなり癒された。救われた。というか、噴いた。




あと、「道に油塗って船を陸路で運んだだけで陥落する難攻不落の要塞」これも笑った。「2万の軍勢を率いて自国から遙かに離れた場所で敵軍と対峙していたのに、8日後には戦わずして滅亡していた名門」くらい笑った。

だって、「難攻不落の大要塞」とか言っておきながら、道に油塗っただけで落ちるんだぜ?全然難攻不落でも何でもないじゃん、的な。しかもよく見たら、過去に3回くらい落城してんの。

「難攻不落の大要塞、ついに陥落。これは歴史的大事件だ!」とか、新聞記事の一面にドゥオーーーン!って出ておきながら、過去に3回落城してんの。ほとんど詐欺。難攻不落でもなんでもない。しかも、その落城の仕方が「道に油塗られたから」ってどんだけアホなんだよ。まぬけすぎるじゃん。

関ヶ原の合戦だったら、「吉川が内応していなければ」とか、「島津が動いていたら」とか、「松尾山を確保出来ていれば」とか、「立花が来ていれば」みたいな感じで、なんか「歴史だなぁ~」みたいなムードがある。「おお大河、おお大河」的な迫力がある。

でも、「道に油を塗られていなかったら」って、なんだよ!ネタかよ!最初から笑かす気満々かよ!的な。




でもね、でもね。よくよく調べてみたら、そんな単純な話じゃないらしいんだよ。それは何かというと、難攻不落の大要塞側は、もの凄い戦艦を持ってたらしい。もう、無敵のド級戦艦、みたいなのを持ってたらしい。見ただけで逃げ出してしまうくらいの超最強戦艦を持ってたらしい。つまり、防衛側は完全無欠の大艦巨砲主義だったってわけ。

「無敵の戦艦部隊をいかにして打ち破るか」が、攻城戦最大の鍵だったらしいんだよ。そして、それまでは、「無敵の戦艦部隊を倒せない」イコール「要塞を落とせない」だったらしいんだよ。

もちろん、この度の戦でも、無敵の戦艦部隊を打ち破れる見込みは全く無かった。海上戦を挑んだら、100%負けるのは目に見えていた。海軍同士の正面衝突をしたら、為す術もなく完敗し、お味方は総崩れになるのは目に見えていた。

そこで出たグッドアイデアが、「道に油を塗って戦艦部隊を迂回する」だったらしいんだよ。つまり、「道に油を塗る」というのは、飛行機が無かった時代における、空軍的戦略だったんだよ!

そう考えると、もう、第二次世界大戦的な空軍優勢戦略が、何百年も前に既に行われていたんだ!しかも戦艦とか無視して対岸から大砲を撃ち込むとか、空軍、というか列車砲、というか。超凄い。超かっこいい。




で、それを指揮したのがスルタン。「するたん」って、響きからして超かわいい。「はいどぉーもぉー、するたんでーす。」的な。もう、僕なんか、生まれ変わるなら絶対するたんを選ぶもん。

しかも、スルタンはただ者じゃあない。なんか、国の一番偉い人らしいんだけれど、「いつ失職してもよいように、サブジョブを身につけておくのがスルタンの伝統」とからしいんだよ。もう、FF11の領域。「スクウェアエニックスよ、今貴様らが居る場所は、我らスルタンが500年前に通過した場所だッ!!!」的な。スルタン超強い。強すぎる。低く見積もっても、びんちょうたんの200倍は強いと思う。絶対強いと思う。

で、そのサブジョブがまた凄い。「菓子職人」とか「庭師」とか。明らかにメインジョブを遂行するにおいて、全く役に立たなさそうなサブジョブなわけ。だってさぁ、メインジョブが「国の絶対権力者」で、サブジョブが「庭師」って、どんなシナジー発生するんだよ。明らかに相乗効果0じゃん。パーティー組んだ味方の人から白い目で見られる事確定じゃん。「わり、おれあしたバイトなんで落ちるわ!」みたいな感じで雪崩式にお開きになるのが見えてるじゃん。なのにサブジョブ断固で庭師。完全なネタビルドじゃん。




効果:
 イベント【妻に話しかけた庭師を打ち首にする】の発生確率-75%。




って、どこで役に立つの?なんの役に立つの?効果の文章読めば読むほど使えねえ感満載じゃん。ピンポイントガラシャじゃん。そんな役に立たないビルドやりたいなら、一人勝手にソロでやってて欲しい。オフラインでやってて欲しい。ところが実際は10万の軍勢率いて戦争で勝利したりしてんの。本気のビルドなら、どんだけ強いんだよ?スルタンのパワーは底なしである、くらいの勢いじゃん。そんなこんなで、僕は生まれ変わるなら絶対スルタンがいいと思った。サブジョブはもちろん、天才カリスマアルファブロガーで。










「ちょと、大臣、大臣。」


   「なんでございましょう。」


「おまえさー、あれさー、サブジョブ何?」


   「は?」


「俺はー、天才カリスマアルファブロガーだけど。おまえ何?」


   「ございません、が。」


「え、なに?おまえサブジョブ無しなの?」


   「はい。」


「じゃあさー、じゃあさー、大臣首になったらどうすんの?」


   「そうならないように、全力を尽くす所存で……」


「えー、じゃあさー、おまえ首(笑)」


   「・・・。」


「はいバイバーイ(笑)」


   「・・・・・・。」


「くぷぷぷぷ(笑)」











やべえ、超楽しい……。スルタン最高。絶対スルタン。

人生が好転しない。



人生が好転しない。そればかりか悪転すらしない。どっしりとして、どちらにも動く気配が無い。たとえば地面が傾いたとしても、僕の人生はここから少しも動かないのだろうと思う。天と地が逆さまになっても、カイガラムシのように今の場所から少しも動かずに、何も変わらずに、生き続けるのだろうと思う。それであれば、それでいいのだけれど、インターネットは酷なもので、喜びや悲しみ、変化というもので満ちあふれており、ここから一歩も動けない僕は、時間と心をもてあました僕は、PCの電源を入れて、インターネットに繋がって、文章や絵を目にしては、何かを思い何かを感じる。それらの思考は一切の糧とならず、微塵の価値も無く、過ぎ去った時間だけが積み重なって、自らと自らの生きる人生との距離だけが、一刻一刻、増して行く。人生が好転しない。秋雨が降っている。

2008年9月15日月曜日

やさしい人が嫌い。



やさしい人が嫌い。

やさしい人というのは、自分にやさしく出来ないから、それを他人にしてるだけ。「俺はおまえににやさしくしてやる。おまえは俺にやさしくしろ。」というだけの話。やさしい人は実際のところ、全然やさしくなんかない。やさしい人というのは、自分の尻も自分で拭けない、うざいうざいかまってちゃん。そんなにやさしくされたいのなら、てめえでmyselfやさしくしてればいいのに、他人を巻き込もうとする迷惑な人。うざいだけ。








厳しい人が嫌い。

厳しい人というのは、自分に厳しくできないから、それを他人にしているだけ。帝国軍人気取りで、厳しくしたくて厳しくしたくて、仕方がないのだけれど、その欲望を自分自身に向けられず、他人に向けて解き放とうとする、自己満足至上主義者。「自分にも厳しいんだぞ」というポーズを取りながら、それを暗に陽に幾千あまたの手段を使って周囲に広く喧伝しながら、他人を自分自身のコントロール下に置こうとする、迷惑な人。てめえ一人でやってりゃいいのに、寂しいからって怖いからって、躍起になって周囲の人を巻き込もうとする迷惑な人。うざいだけ。








自分に厳しく他人にやさしい人が嫌い。

自分に厳しく他人にやさしい人というのは、存在自体が迷惑な人。「俺はおまえににやさしくしてやる。」という所までは、やさしい人と同じ。でも、違うのは、本当はやさしくされたいのに、本当はかまって欲しいだけなのに、本当は寂しいだけなのに、「俺は自分に厳しいんだ」と一匹狼を気取って、他人からのやさしさへのバリアを張っている所。手当たり次第に他人に対してやさしくする癖に、「ありがとう」とでも言おうものなら、不平不満をぶつくさ言って「そんな事を言われても全然嬉しくない」「お礼が欲しいわけじゃない」「見返り目当てにやってるとでも思っているのか」とか、不機嫌になる人。『俺は他人には何も求めていない』というポーズを取りながら、実は他人に存分のやさしさを期待し、求め、そうしてくれない周囲の人間を不当に憎み嫌い撥ね付け、それら不平不満を口に出さ事はせずに「人にやさしくすること」へと変換し、他人に優しくし続ける寂しいだけの迷惑な人。うざいだけ。

「あと半年学生だったら何するー!?」卒業する、んじゃないのか?



あと半年学生だったら何するー!?

卒業する、んじゃないのか?




この類の与太話は理不尽だ。常に理不尽だ。あと半年間学生だったら?そりゃあ、学生するよ。半年間学生するよ。そして、卒業する。卒業するね。ところが、それらは選択肢としては用意されていない。選択する事を許されていない。「は?そんなの当たり前じゃん。」「だからそんな事聞いてるんじゃなくて(笑)」いや、まあ、そうなんだろう。そうなんだろう、けれども。

「あと半年間独身だったら何するー!?」にしても同じだ。そりゃあ、愛するよ。結婚相手を愛する。間違いなく愛するよ。精一杯愛するね。キスもするし、婚前交渉もするし、一緒に無難な映画を観に行ったりもするかもしれん。二人で連れ立ち飛行機で、違う国に遊びに行ったりもしよう。温泉とか、花見とか、浴衣着たりとか、脱がせたりとか。でも、それじゃあ駄目なんだよな。

つまり、「そういう話じゃないんだけど」ってわけだ。なぜならば、それらは彼らにとって「人として当然の事」だからだ。「当たり前の事」だからだ。人という生き物は、生まれて、学生になって、結婚して、子供を産んで・・・etc、etc。「当たり前の事」だからだ。そういった前提の元に、「あと半年学生だったら何するー!?」とか、「あと半年独身だったら何するー!?」みたいな与太話が生まれるんだ。

それらはとても奇妙なものだ。僕の目から見れば、アリストテレスの自然発生論と同じに見える。泥からはウナギが生じ、汗からはダニが生じる。あと半年学生で、あと半年は独身。ありえないよ・・・。

ほんとインターネットは油断も隙も無い。なんか今では何を読んでも頭を抱えて天井を見上げてしまう。そうやって時間だけが過ぎて落ち込んで、どんどん人間じゃあなくなっていくんだ。

つまり、こういった類の質問における『Q』は、「もしも」ではなくて、「時間軸のif」ってだけなのだろう。人生の時間軸の中に「結婚」とか「学生」とかが当然のものとして組み込まれている人達に対して、「時間軸が○○まであと半年だったらどうするか?」という質問にすぎないんだろう。それを、馬鹿正直に、「あと半年学生だったら何するー!? 」と読んだり、「あと半年独身だったら何するー!? 」と読んだりしてしまう僕が悪いのだ。全面的に。








いや、・・・違うなぁ。
僕は悪くない。

生まれてこのかた、僕が悪かった事なんてただの一度もない。僕はこれまで過ちなんてものを犯したことは一度たりともないし、人としての道を誤ったことも一度もない。正々堂々お天道様に胸を張れる人生を道を銀河を空を紛うことなく歩んできた人間だ。悪いのは僕じゃない。人様のmixi日記を自ブログに転載しやがった、はてブされたいだけの糞野郎の方だ。糞がっ。糞むかつくぜ。








いや、そんな事はいいからさっ、間瀬元朗とかoredocoとかどうでもいいからさ!

自ら[要出典]をつけることにしてはどうか。
この天才カリスマアルファブロガー様の要出典カテゴリのパクリじゃねえかよっ!!!ブログ移転の際にcss再現出来なかったので、カテゴリーが[]でくくられていないけれど、以前は『タイトル[カテゴリ]』だったってのにっ!!ちくしょうっ・・・ちくしょう!!!

id:hygienicとか、星新一とか、パクられても全然生きていけるじゃねえかよ。そんな奴らどうでもいいだろ。僕は違うんだよ。もっと深刻なんだよ。ブログだけが生き甲斐なんだよ。他に何もないんだよ。二度とインストール出来ないようにCDドライブも物理的に破壊してしまったんだよ。もうブログ以外に何もないんだよ。行く宛が無いんだよ。なのに、ちくしょうっ・・・。ひたすらムカつくぜ。悲しくなるばかりだ。この天才カリスマアルファブロガー様がエントリーを書きまくっているっていうのに全然はてブされねえ。なんでだよ。何が悪いんだ。もうはてブの画面見てるだけで悲しくなるぜ。たまにはてブされたと思ったらキモオタとかニートとか行き遅れた中古女だし。ほんと人生終わってるぜ。僕はいったい何がしたくて、どうなりたくてブログなんてものを書き始めたんだろう。ほんとくだらねえぜ。ささ、ブログなんてくだらないもの書いてないで、とっとと眠って体力回復して起きてブログを書こう。ブログを書こう・・・。

2008年9月14日日曜日

草稿フォルダ蔵出し。



GTD的な、あるいはPoIC的な草稿フォルダの部分的な蔵出し。

気楽な気持ちで始めたはいいが、懐かしい文章やら感情やらが山のように積み上がっていて、参ってしまった。ドッグイヤーの功だか罪だか、今や1年は一昔だ。戻りたいとも思えないし戻りたくもないけれど(なぜならば、戻った所で無能で愚かで怠慢な僕は同じように無能で愚かで怠慢に物事という物事から逃げ続けるだけだろうから)、昔は良かった、と思う事もある。少なくとも今日という日が、いつか夢見た未来であるとは毛頭思えない。ついでに、昨年度の自らが選ぶベストエントリーの被はてブ数を調べたら、未だに0はてブだった。本年度の自らが選ぶベストエントリーの被はてブ数も0だった。くそっ・・・。いや、今年はまだ終わっていないので、本年度分に関しては、それ以上のものを書けばいいだけの事か。頑張ろう。頑張って何になる?何が得られる?君は「これが努力だ」って言い張るけれど、そんな強弁は地球の上では通じやしないよ。幻滅するね。ひたすらに。





けれども、欲望と不幸は極めて密接な間柄にあると思う。
2006 3/28



真性引き篭もりとそうでない人との違いの最たるものは、ハンカチと結び目の有無である。
2006 10/25



「変わってしまった」と君は言う。
「一体何が?」と僕は問う。

「見ればわかる」と天を指す。
僕には何も、見えやしない。
2006 9/23



よどんだ痛みがブログを叩く。
ずんずん血に乗りやってくる。
よくあるいつもの頭痛である。
2006 10/28



・醜い自分を憎む自分が醜い。
  僕はどうして自分のことをそんなふうに憎むのだろう。
2007 3/04



1つ興味を持ったのは成功の側に知らない名前の日本人が配置されていたこと。それがメテオスの人で「お」と思った。カービィとスマッシュブラザーズとメテオスって、同じ人が作ったのか。凄いな。とりあえずビルローパーの事はひとまず忘れよう。ありがとうビルローパーさようならビルローパー。
2007 11/15



甲高い声で鳴く初夏の虫が、抑揚のないギの短音を窓の隙間から差し込んでくる。僕は真剣さを失ってしまった。自分と、自分の人生との間に、距離が出来てしまった。

・自分と、人生との間に、距離が出来てしまった。
・どんなに悲しくても、僕はもう悲しくなんてないだろうし、どんなに悔しくても、僕はもう悔しがったりしないだろう。
・夏の緑と洗いすぎたTシャツみたいな空、不完全な満月が見えた。
2008 4/21



もう僕の言葉は、君に届かない。
もう僕の言葉は、くたびれてしまった。
2008 4/23



そうして今日も部屋で1人。夜が明けるまで、日が暮れるまで。
2008 7/19







草稿フォルダの蔵出しをしたからと言って、気が楽になる、なんて事は全く無いな。むしろ草稿時に書きたかったことへの情念が再インストールされてしまい、余計こんがらがるだけだった。ブログとかって、どうやったら書けるんだっけ。日に日に馬鹿になってゆく。投稿ボタンをクリックすればブロガーになれる、という幻想は間違いでしかない。まあ、クリックするけれど。まあ、クリックはするけれど。するけれど、さ。

2008年9月13日土曜日

土曜の夜は気楽にブログが更新できるから好き。



土曜日の夜は楽だ。閲覧者のうち、リアルリア充は、セックスとか飲み会とかに勤しんでいて存在しない、というのが楽でいい。今だけここはサンクチュアリだぜ的な少しのことが嬉しい。土曜も日曜もない日常を過ごしている人っていったい何が楽しいんだろう。なんも楽しくないんじゃないかなあ、そんなの。

テイルズじゃ駄目なんだよ。



つまり、方向キー一つ+×ボタンで若本キャラと戦えるテイルズ最強ってことです。


いや、テイルズじゃ駄目なんだよ。
なぜならば、テイルズは成長出来ないから。




もちろんテイルズにも成長という概念自体はある。敵を倒してレベルアップすれば、成長出来る。強くなれる。よりかっこよくなれる。自己陶酔も出来るかもしれない。でも、ちょっと違う。あるいは全然違う。もしくは別物。

最初の投稿で少し書いたのだけれど(誰にも伝わっていない可能性が高いのだけれど)、「成功が約束されたゲーム」と、「努力が報われるゲーム」は、同じビデオゲームであっても、似て非なるものだと思う。




成功が約束されたゲームはイコール成長が約束されたゲームだ。ドラクエなんて、典型的な「成長が約束されたゲーム」。スライム倒してるだけで強くなれるんだからね。呪文とか覚えて、お金まで貯まって。ボタンを押しているだけでエンディング、即ち成功まで辿り着ける。

テイルズも同じだ。成長が約束されている。成功が約束されている。つまり、テイルズを遊ぶ人間は、「約束された成長に対して対価を支払った人間」と捕らえる事も出来る。成功を金で買っている、訳だ。(誤解招いてしまいそうな表現だけれど、ネガティブな意図は全くない)



でも、ギルティは違う。
成長は約束されていない。
成功も約束されていない。
その点が、テイルズとは明確に違う。



もちろん、難易度を一番下まで落として、コンテニューをし続けてシングルモードをプレイすれば、「誰もがエンディングまで行ける」のかもしれない。一見すれば「成功が約束されてるじゃんwww。コンテニュ無限だしwww。」みたいに思えるかもしれない。

でもギルティは違うんんだよ。なぜならば、ギルティは【対戦格闘ゲーム】だから。ギルティがアーケードゲームであったという歴史的経緯から見ても、ギルティは「シングルゲー」ではなく、「対戦ゲー」であると考えるべきだと思う。石渡自身もギルティを一人プレイ用のゲームというより、対戦ゲームとして制作したのだと、僕は想像する。

ギルティは、『プレイヤーの努力に報いるゲーム』だ。プレイヤーが努力をすれば成長する。プレイヤーが努力をすれば成功する。でも、ボタンを押してるだけでは、なんにもならない。それがギルティなんだよ。ギルティは、プレイヤーが自分の足で一歩一歩踏みしめて歩かなければ、何も手に入らないゲームなんだよ。




それは、別にギルティが「プレイヤーに冷たいゲームだから」ではない。「開発者の石渡が冷酷無情な人間だから」でもない。ギルティというゲームの目指すところが、「プレイヤーの努力に報いる為の長い長い石段」なんだ。

そしてその、プレイヤーの努力に報いる為の、長い長い石段を、見事に作り上げたのが石渡という人物なのだ。「成功が約束されているゲーム」と、「プレイヤーの努力に報いるゲーム」はジャンルが全然別物なのである。けっして、どちらが良い、どちらが悪い、という話ではなくて、違うものだと思う。

どちらにも駄目なゲームはある。
どちらにも素晴らしいゲームはある。
そして、GGXXというゲームは、間違いなく、後者の、即ち「プレイヤーの努力に報いるゲーム」の、1つの到達点であり、傑作だと僕は思っているのだ。




しかも、ギルティは「初心者お断りゲームだ」というのは偏見にすぎず、石渡は本気で初心者を、対戦格闘未経験者を口説こうとしていたんだ。コマンドの入力の受け付けを限界ぎりぎりまで簡単にしたのもそうだし、全キャラに飛道具と対空技が標準装備されているのもそうだ。「飛道具を打って、飛んできた相手を対空技で迎撃する」という、基本中の基本を、キャラクターグラフィックでキャラを選んだ初心者が一人残らず、理解出来るように、あるいは習得出来るようにとの配慮だ。本当の所は知らないけれど、僕にはそういう風に見える。

古典的な2D対戦格闘のレベルしか持たないプレイヤー同士が闘えば、それはそれで対戦ゲームとして成立もしてしまう。もしも格闘ゲーム初心者である僕と仲間由紀恵がGGXXと共に無人島に二人きりで取り残されたら、僕は間違いなく楽しめると思う。絶対楽しめるだろうという確信すらある。また、友人同士で教えあったり、上級者に教えてもらったりすれば、ある程度の「なんとなくギルティっぽい対戦」まではすぐに到達出来るだけの、しっかりとした、歩きやすい石段だと思う。

もちろん、初心者が生粋のギルティプレイヤーと対戦すれば、話にならない。秒殺されて終わり。理不尽ゲーでしかないだろう。でも、それは他のゲームでも、対戦ゲームにおいては当たり前の事じゃないのか?CoD4でも、ヘイローでも・・・。



聞く相手がいない、教えてもらえる相手がいない、という人達の為にインターネットがあり、そこではギルティの、ありとあらゆる質問に対する回答が懇切丁寧に書かれている。ところがそれが嘲笑の材料にされる、というのはあまりにもありえない。

実際にインターネットでの、「ギルティ初心者講座」の多さは、ギルティ人口から考えれば、異常な多さだ。右も左もギルティ先生・・・。そして誰もが決り文句のように「とりあえず○○だけ覚えれば」とか、「○○さえ出来れば勝てる」とか書いてるんだ。読んで、「いや、そんなんで勝てたら苦労しねーだろ」と思うのだけれど、実際にいろんな人がいろんな風に、異口同音で言っている。

そういう風に、人に教えたくなるゲーム、がギルティなんだよ。登ろうと思えば、好きなだけ登れる石段を、丁寧に、丁寧に作ったからこそ、そういう人が、次から次に雨後の筍のごとくインターネットに生えているんだよ。

それこそが、石渡太輔の夢見た世界じゃないのか?もちろん、石渡太輔という人物の見ていた夢はもっと大きかったのだと思う。それこそ、「ビルゲイツの自宅には……ギルティの対戦台が……20セットある。ヘェーヘェーヘェヘェヘェヘェー・・・」くらいの気持ちで作ってたと思う。インタビューやらを読んでいると、そのくらいの気概はあったように思える。でも結局そうはならなかった。石渡太輔の思うようには世界は進まなかった。

ギルティは2D対戦格闘ゲームを殺した戦犯のように呆れられ、物事を見下し馬鹿にしたいだけの連中から、駄目ソフトの代表格のように扱われる有様。何もない所から、ウメハラにプレイさせる所にまで行った。2D対戦格闘の本流にまでなった。カプコンもSNKもいない世界で真面目に、本当に真面目に、プレイヤー同士がレバーとボタンを通じて語り合えるだけの、しっかりとしたリングを、石畳を造り続けた。

にも関わらず、当然のように、2D対戦格闘は衰退し続け、滅亡した。でも、それはギルティが悪いんじゃない。2D対戦格闘ゲーム、というプラットフォームの限界なんだよ。「複雑化した?」「マニア向け商売化した?」「オタに媚びた?」

違うよ。全然違う。複雑化は、したけれど、しなくても戦えるようにした。コマンドも簡単にした。入力受け付けも緩くした。石渡太輔は可能な限りの努力をしたんだよ。もちろん、限界はあった。石渡自身は、「天才クリエイター」とか「魔法使い」的な才覚で言うと、決して世界的な実力を持つ人物ではないと思う。

だから、失敗もしたんだと思う。うまくいかなかった部分もあったんだと思う。ギルティ批判のうちの幾らかは、正当性のあるものなんだと思う。でも少なくともGGXXで石渡がたどり着いたのは、2D対戦格闘ゲームの誇らしいあるべき未来だったんじゃないか?あれが駄目なら、一体何がOKなんだ?あれが駄目なら、石渡太輔は何を作れば良かったんだ?




実は、それには答えがある。僕自身はそれに対する明確な答えを持っている。2D対戦格闘ゲームの、2008年の地球上に存在する最高の未来は、スマッシュブラザーズだと、僕は思っている。「石渡太輔はギルティなんてヲタ臭い売れないゲームなんか作らずに、スマブラを作れば良かったんだよ。実際スマブラ見てみろよ。ギルティとは比較にならない程売れてるじゃねえか。」というのは、正解だと思う。「あんな難解なヲタゲーは間違い」といった"種類の批判"は、部分的には正しいと思う。

でも、僕は心情的に、そういったものにまったく寄する気持ちにはなれない。だって、石渡はスト2以降の対戦格闘ゲームの王道を、本気で、半生捧げて作ってくれたんだぜ?成功したか、成功しなかったかは別として、可能な限り、2D対戦格闘ゲームの面白さを知らない世代を口説きにかかったんだぜ?

他にそんなクリエイターがどこにいたよ。他にスト2を再興しようとし、これだけの結果を出した人物がどこにいたよ。石渡以外にどこにいたよ。




そりゃあ、現代における「2D対戦ゲーム」の絶対王者はスマブラだ。でも、スマブラって、誰が作ったか知ってる?桜井だぜ?マジモンのワールドクラスタレントじゃねえかよ。フットボールで言えばジダンじゃねえか。しかも、スマブラのキャラクターは、桜井一人で作ったものじゃない。ギルティは、石渡太輔が、いろんな漫画読んで、いろんなアニメ見て、いろんな映画も観て、いろんなゲームもやって、いろんな音楽も聴いて、イッパイイッパイになりながら必死に作り出したんだぜ?プレイヤーの人生が少しでも豊かになるように、友達同士でワイワイ楽しめるように。

そりゃあ、厨キャラだと思うよ。キモイというのもわかる。やる気しねー的グラフィックだ、という一部の批判も理解出来る。スト2と比べたら硬派じゃないかもしれん。でもそれは馬鹿にするポイントか?嘲笑うポイントか?「批判内容は正しい」のかもしれないけれど、「批判が正しい」のかどうかは、僕にはわからん。間違いなんじゃないか、とすら思う。何人も非難出来ないんじゃないか、とすら思う。

世界で最も売れている、世界中で愛されている、2D対戦ゲームである、スマブラの登場キャラクターは、カービィ、マリオ、リンクにサムス。おまけにピカチューだ。汚いよ。卑怯だよ。こんなんチートじゃん。しかも、制作はHAL研、任天堂の現社長の出身会社だぜ?販売元は当然任天堂だし・・・。

ギルティは売れないから駄目。ギルティみたいな売れないゲームは駄目。スマブラは売れまくっているので最高。世界中で愛されているから最高。それはそうだよ。確かにそうだよ。ゲーム内容にしても、ギルティはスマブラに負けていると思うよ?でもスト2からの本流を懸命に守ろうとして、2D対戦格闘というジャンルそのものと命運を共にした石渡太輔を誰が笑えるんだ?誰が馬鹿に出来るんだ?石渡太輔は美的センスがオタすぎるとか、キモい、幼稚だ、というのは、確かにそうだけれど、そうかもしれないけれど、けれども、石渡太輔は最大限度努力したぜ?やれる事は全てやったぜ?なんで、スト2世代の2D対戦格闘ゲームを知る人達は、ギルティを「嘲笑の対象」としてしか見ないんだ?それこそ老害そのものじゃねえかよ。ショベルカーにただ乗りをしてギルティ叩いて何が楽しいんだ?いや、楽しいんだろうけれど、見かける度に腹が立つやら悲しいやらで、悲しくなるんだけれど。




前に、「高校を中退した少年、年収1000万円を稼ぐプロゲーマーに。」というライブドアニュースの翻訳記事は、でたらめだ、と書いた事がある。実態は「高校生プロゲーマーが学校から籍を抜いただけ」だと。

その、トムテイラーというプロゲーマーは、「ゲーム指導会社」を作った。ゲームプレイの家庭教師会社ね。そこで扱われていたゲームが、ヘイローとスマブラだった。スマブラは、文句なしに世界的な「2D対戦ゲーム」なんだよ。スト2文脈からは離れているかもしれないけれど、「スト2的おもしろさ」という土俵で大勝利を収めたんだ。それだけじゃない。ゲームのプレイヤー同士が賞金をかけて戦う大会で、正式種目として採用された。採用されまくった。




一方のギルティはというと、まあ無残なもので、箸にも棒にもかからない。それは、石渡太輔の夢見た未来とは、まったく違う結果だったと思う。結局、石渡太輔というタレントは、桜井さんに負けたんだと思う。才覚が足りなかったんだと思う。未来を見る目が無かったんだと思う。でも石渡太輔は持てる力の範囲で最高の仕事をして、最高の結果を残して、そしてリアルタイムストラテジー3Dアクションを作り、そしてそれにギルティギア2って命名したんだぜ?評価するならそこまで全部見てからじゃないか?2D対戦格闘ゲームの衰退と、ギルティの出来はまったく関係無いよ。ただ単に、ジャンルが終わったんだよ。ジャンルが終わっただけなんだよ。

石渡太輔は、それに気がついた。
いつ気がついたのかは知らない。

ただ、「3Dはやらない」と言っていた人間が、「家庭用に興味は無い」という人間が、突然3Dゲームを家庭用で出してきた、という事は、それに気がついたんだ、って事じゃん。

しかも、石渡太輔は「2D対戦格闘ゲーム」から裸足で逃げ出したわけじゃない。GGXXという、かなり良くできた、少なくとも現時点では、かなり良くできた、成功した、ジャンルの大黒柱と言ってもよいだけの2D対戦格闘ゲームを残して旅立ったわけじゃん。その、ゲーマーへのプレゼント、ゲームセンターへのプレゼント、ゲームユーザーへの渾身の贈り物こそが、GGXXなんじゃん。なのにネットユーザーのコア年齢層であるスト2世代から戦犯扱いでこけにされまくり、ってありえねーよ。



・・・話を戻す。

『努力に報いるゲーム』『成長が約束されたゲーム』まで戻す。

ギルティは『努力に報いるゲーム』の典型だけれど、それは対戦格闘ゲームだから「努力に報いる」ってわけじゃない。前のエントリーで書いた上田文人の「ワンダと巨像」こそ、一人プレイだけれど、努力に報いるゲーム、の1つの傑作だと僕は信じて疑わない。
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逆裁4以外全面的に同意と言っても過言では無いッ!


あー、逆転裁判4の名前を出したのは、僕がプラチナゲームズに畏敬の念を抱いているから。2006年度のベストゲーに迷うことなく選ばれた大神や、昔どっかのブログで読んだ鉄騎、さらにビューティフルジョーと来ては、といった感じ。逆転裁判4も同じ人達だと思っていたのだけれど、ちょっと詳しくないので自信がない。逆裁稲葉=プラチナゲームズなので、制作に関わったかどうかは別として部分的には正しいとは思うのだけれど。

そして、プラチナゲームズの主力が、ギルティ石渡と同世代。(桜井さんも上田君も。ついでにenoも。)石渡太輔という人物が歩んできた半生と、プラチナゲームズの残してきた実績を複雑な気持ちで並べる意味でカプコンゾーンとして逆裁4を書いた・・・のだけれど、今調べたら、僕は致命的な思い違いをしていた事が判明した。

押忍!闘え!応援団はカプコンじゃなかった。全然カプコンじゃなかった。接点すらない。なんとなく雰囲気と絵面が似ているというだけで勘違いしていた。おかげで今読むと全然カプコンゾーンじゃない。というか完全にDSゾーンに対する揶揄に読めてしまう。違って、本当はそこはプラチナゾーンのつもりだった。

石渡太輔が歩き始めた道は、プラチナゲームズが数年前に駆け抜けた場所だと思う。でも遅いとかは全然思わない。石渡太輔だってスペシャルを持つ人物だと僕は見ているから、これから石渡という人物の持つ特別なタレントがユーザーの手元に届くのだろう。

おまんこおまんこおまんこっこっこ



おまんこおまんこおまんこっこっこ

2008年9月12日金曜日

トラウマが無ければ物事を止められない性質。



思えば、ディアブロ2をきっぱりと完全にやめてしまったのも、外人との人間関係の心労が原因であったし、第一期DOTA allstarsを完全にやめてしまったのも、ゲームをしている間にもブログにコメントが付く、アクセスがある、コメントが付く、というストレスからだった。第二期DOTA allstarsをやめたのもはじめは些細無い事だったものを自らで大きな負担にしてしまったが故だった。

そういえば、引きこもりになったのも、同じくトラウマ、というかくだらないストレスを心労にして、という事だったような気がするが、昔の事すぎて覚えていない。温室育ちのよくできた野菜でも無いくせにストレスに弱い、というのは何か、哀れにすら思える。

僕の理解が正しければ、「トラウマが無ければ物事を止められない性質」というのは裏を返せば「ちょっとした事で、何かを放り出してしまう性質」という事か。

継続は力なりとはよく言ったもので、続ければそれは力になる。何一つ続けなかったが故に、僕には力というものが全く無い。では力が欲しいかというと、差し当り欲しくもない。

起き続けるのを止めにして眠る。眠り続けるのを止めにして起きる。そんな風に過ごすことを、たぶん自堕落、というのだろう。重いながらラーメンを食べた。暑い。

ブロガーなのでレスポンスせずにはいられない!



ymScott : GGのファンの逆鱗に触れたというのであれば土下座するほかありませんが。でも敷居が高すぎるのは事実でしょ。/つーか、オレを罵倒するのはともかく覇拳伝を罵倒するのは違うでしょーが。


「敷居が高い最近のゲームを憂う俺 vs ギルティ狂信者のヒキヲタ」という事にしたいのですね。いや、そういう事にして、「あー、変なネット弁慶に絡まれちゃったヨ、俺って運が無いゼ」的構図を広く告示したいんですね。その意図自体は、よく理解出来るのですが。それはデマゴーグに他ならないので見過ごせないというかブロガーの悲しいサガによりレスせずにはいられないのであります。




いや、だって僕ギルティシリーズなんて、一秒たりともプレイした事無いんですけれど。

それにシリーズに対する思い入れも、石渡氏に対する思い入れも全く無いんですけれど。ファンで無くても、信者でなくても、「凄い人は凄いのである」という事実は揺るぎないものであり、そして「石渡太輔は不世出とまでは言わないけれど、石渡太輔の築き上げてきたものは凄いのである」という事実を書いただけの話なのに。

なのに勝手に「真性引き篭もりを書いている人は癇癪持ちのギルティファン」と自分に都合のよいデマを流して、それだけには収まらず「きちんと謝れる俺は正しい」ですか。しかも土下座とか書いてその架空に捏造された「ギルティファン」の理不尽感をアピールし、その上に僕が書いた批判内容を一切無視して「逆鱗に触れちゃったよテヘヘ」アピールっておまえあれ?汚染米?汚染麦?汚染稗?汚染粟?汚染トンブリ?畑のキャビア?おいおい糞が冗談も大概にしてくれよ。

「敷居が高すぎるのは事実でしょ」ってギルティのどこが一体「敷居が高すぎるでしょ」なんだ?小鳥以下の知能しか持たない僕にはまったく理解出来ないんだけれど。目を皿のようにして探してもいったいどこに「敷居が高すぎるのは事実でしょ」の根拠が潜んでいるのか見つけられないんだけれど。

単純に「超必殺投げがレバー2回転の投げキャラ」と「超必殺投げが波動拳2回の投げキャラ」ならどっちが「敷居を高くしている」のかと言えば、そりゃあ2回転じゃないの?ギルティの超必殺投げは対空投げなので、この比較は汚いっちゃあ汚いけれど、なら、必殺投げがレバー一回転の投げキャラと、必殺投げが632146の投げキャラのどちらが初心者に優しいんだ?

「投げキャラかっこいいなー。使いたいな-。超必殺投げで5割持って行きたいなー」と思った一見さんがコマンド表を見て「レバー2回転」って書いてたら「え・・・」ってならないか?「実戦で使えそうにない」的な感情を抱かないか?

それに対して石渡がやった事は、「1,地上の超必殺投げは無し。」「2,地上の必殺投げ+追撃で他ゲーの超必投げに近い減り(でも追撃を入れると起き攻め出来ないので不利になる)」「3,超必投げは対空技。コマンドは初心者でも思ったタイミングで出せるように波動拳2回」「4,コマンド受付時間は、可能な限り優しく」という、初心者に対する配慮以外の何者でもないものじゃないのか?

特に、「必殺投げにレバー上方向が含まれていない」というのは、対戦格闘ゲーム慣れしていない初心者にとってもの凄く優しいものじゃないのか?ギルティの投げキャラの地上投げは、「632146」で、これは「他キャラクターの超必殺技と全く同じ」が故に「半分減ってもいいの!」という石渡の見苦しい言い訳と言っても過言ではないくらいのこじつけなのに。初心者さん、投げキャラを使いたいならば、どうぞ投げキャラ使ってください!という優しさなのに。

しかも、石渡は全てのキャラクターのコマンドを、極限まで可能な限り簡単にしてしまっているんだぞ?全部キャラ共通に等しいくらいに簡単にしてしまっているんだぞ?しかも、コマンドの受付が超緩くて、「ギルティと他ゲーを平行してやっていると、他ゲーで技が出なくなる」って言わるくらいに「かっこいい必殺技が任意のタイミングで簡単に出せるゲーム」なのに。

投げキャラの【632146】投げや、他キャラの【632146】超必殺技のコマンドは、「そんな難しいコマンドにして、【63214(逆ヨガフレイム)】でいいじゃん」って思うかもしれない。でも、ギルティの場合は【63214】じゃ駄目なんだよ。なぜかというと、コマンドの受付を緩くしたせいで、他の必殺技が暴発してしまうから。

つまり、他の必殺技が暴発してしまわないように、最後に6を入れるコマンドになっているわけ。

ギルティ以前に関西では「お漏らし」関東では「暴発」と呼ばれる現象がどのくらい見られていたのかを僕は生憎知らないけれど、ギルティに関しては、「必殺技を出そうとして超必殺技が出てしまう」とか「通常技を出そうとして超必殺技が出てしまう」といったように、初心者に配慮してコマンドの入力を緩くしすぎた弊害すら出ているのに。(もちろん、石渡自身は暴発が起こらないぎりぎりの線を狙って調整しているんだろうし、上級者になれば暴発も防げるんだけれど。)

なのに、そのギルティのいったいどこが「初心者お断り」なんだ?好きな技を好きなタイミングに出せるように、波動コマンドだけで凄いかっこいい必殺技が出るようにという石渡の怨念をなんで無視するんだ?あー、無視っていうか、やってもいないゲームを嘲笑って馴れ合いたいだけの糞ゴミブロガーに無視も糞も無いか。


斑鳩はプレイヤーがなんかすごいことをやっているかのようにおもてなしするのがうまい - ABAの日誌
水戸のご老公の印籠の持ち出しは汚いけれど、僕は外見だけではなく魂まで汚れきった人間なので水戸のご老公の印籠を持ち出すけれど、ギルティこそ「なんかすごいことをやっているかのように見える」ゲームなんだよ。「すごい俺」になれるゲームに他ならないんだよ。




だって対空*超必殺*投げが「236236+1ボタン」で出せるんだぜ?

スト3で似たような事をやろうとすると、「レバー2回転のコマンドの前半を仕込む→相手のジャンプ攻撃をブロッキング→ブロッキング後にレバーを一回転→敵が着地したタイミングに併せてボタンを押す」というコマンドが必要なんだぜ?{スト3よく知らないので自信無いけれど、たぶん。(格ゲー知らないので、分割入力テクニックの詳細に関しては自信が無いけれど、たぶん。)}

それを、波動拳2回で出せるゲームのどこが「初心者お断り」なんだ?「やったぜ!対空で超必殺投げ決めたぜ!」を、ウェルカム初心者にしてしまった石渡のどこが「初心者お断りゲークリエイター」なんだ?そんなもん、昔のSNKゲームのコマンドの方がよっぽど「初心者お断りゲー」だよ。スト3の方がよっぽど「初心者お断りゲー」だよ。

スト4の方がよっぽど「初心者お断りゲー」だよ。レバー1回転って何?レバー2回転って何?レバー2回転ボタン3つ同時押しって何?そんなん初心者出来ねえよ。出来るとも思えねえよ。だいたい、レバー一回転って入力したらジャンプしてしまって技出ねえじゃん。どうやって出すんだよ。わけわかんねえよ。そんなもん出せるわけねえよ。ありえねえよ。設計からしておかしいよ。「昔はそうだったから」なのか?はぁ?変えろよ。2008年なんだから変えろよ。それこそ初心者お断り以外の何者でもねえじゃん。そんなもん出せねえよ。普通の人間には出せねえよ。

コマンド全キャラ共通で、複雑なコマンド極力廃して、受付時間も極限まで緩くして、しかも2D格闘ゲームシーンのみならず、日本のゲームシーンの演出にまで影響を与えてしまうくらいにCOOLでかっこいいグラフィックで、こおろぎさとみ、塩沢兼人、追加で若本規夫と、なんか僕でもうっすらと名前を目にした事があるような、モストビッグネーム、モストスキル、モストボイスを所有する声優を起用し、その声優が立つように(若本のキャラクターなんて、若本前提で作られたんじゃないだろうか)、キャラクターを作って、絵を描いて、技作って、台詞考えて、いかにも「かっこよくなれる」ゲーム、プレイヤーが「イイ気持ちになれる」ゲーム、初心者が「自己陶酔する事の出来るゲーム」を努力に努力を重ねて作ってしまった石渡太輔のいったいどこが「初心者お断りゲークリエイター」なんだ?なんで石渡太輔が格ゲーを衰退させた戦犯の一人みたいに言われなきゃならないんだ?石渡太輔は努力もしたし、結果も出したし、貢献もした、最大の功労者の一人じゃないのか?脳みそゆんゆんドリーマーな石渡太輔本人が思い描いていたよりは、遙かに小さな成果しか得られなかったのかもしれないけれど、それでも石渡太輔のやろうとした事、やった事、そしてその影響は最大にポジティブなものじゃないのか?

そうでないとするならば「そうでないのではないか」って言えばいいよ。石渡太輔を否定すればいいよ。ギルティを否定すればいいよ。きちんと、論立ててそうすればいいよ。根拠を示して指摘すればいいよ。ギルティの、いったいどこが「初心者お断り」なのか説明してくれよ糞が。マジわかんねえよ。マジねえよ。

しかも今2008年なんだから、石渡太輔の最新作プレイしてから非難しろよ。ギルティの最新作は「ギルティギア2」なんだぜ?「GGXX」ではなくて「ギルティギア2」なんだぜ?XBOX360の【リアルタイムストラテジー+3Dアクション】の「ギルティギア2」なんだぜ?さらに敷居が高くなってしまったと評判の「ギルティギア2」なんだぜ?(あれ?駄目じゃん。言っちゃ駄目じゃん。そこらは隠蔽しないと。)(いや、実際にやった事ないから全然知らないけれど。まあ、常識的に考えて2D格闘ゲームよりも3Dリアルタイムストラテジーアクションの方が操作が複雑になるのは仕方がない部分はあるんじゃないか。)

そりゃあギルティは厨設定、厨キャラ、厨ストーリーかもしれん。硬派からはほど遠いかもしれん。ぱっと見「ちょっとナァ」的な雰囲気があるのは否めない。でも石渡太輔本人が厨設定の厨キャラで厨ストーリーなんだから仕方がないじゃん。ヨハネスブルグで生まれて専門学校からこんまい会社に入って25歳で、キャラ絵書いて、曲書いて、格闘ゲームを作って、塩沢兼人とかこおろぎさとみを起用しておきながら、主人公キャラの声は自分自身で当てて、それで一定の成功を収めてしまって、続編作って、さらにその続編も作って、いつの間にか2D格闘ゲームの本流にまでなって、気がついたら3Dでゲーム作って、しかもそのゲームのジャンルが邦ゲーの最も弱いジャンルの1つであるリアルタイムストラテジーで、しかもアクション要素まで組み合わせた如何にも和ゲーなテイストで、しかもそれが傑作では無いにしても、佳作と呼べるくらいには優れた出来のゲームだとか、ぶっちゃけありえねーよ。本人だけじゃなく、周りの人たちも含めてありえねえよ。ゆんゆんすぎて、「販促の為に捏造された広告塔なんじゃないか」とか疑ってしまうくらいありえねーよ。2D格闘ゲームプレイヤーの中では一番有名なウメハラとか言う人までもがギルティを遊びだす、とかありえねーよ。NHKの太鼓持番組級にありえねえよ。風の中の昴までもが「ぶっちゃけありえねー」って突っ込むレベルだよ。厨設定すぎてありえねーよ。ヤングマガジンでしかありえねーよ。ヤングマガジンですらありえねーよ。で、で、で。

で、で、で、それを遊んですらいない人間に「ギルティは初心者お断りゲー」とか言われて、最新作である「ギルティギア2」の存在すら無視されて、3DRTSアクションに自らが積み上げてきた全てである「ギルティギア」のナンバーシリーズを命名した覚悟も男気も理解されず、バカにされて、笑われて、呆れられて、はぁ?なんなの?小鳥なの?いちるなの?糞ゴミブロガーなの?

ギルティは初心者お断りのジャンルを衰退させた戦犯ならciv4とかhoi2とかSimCity4とか初心者お断りすぎてゴミだろ。初心者お断りとかそういう次元ではなくて「わかりづらさ」で言えば経験者すら何が起こっているかを理解する為の知識やら専門用語やらが多すぎて頭抱えるレベルなのに。




しかも、自分が「ギルティをまともに遊ばずに嘲笑ってお仲間と馴れ合う」のはよくて、この天才カリスマアルファブロガーの真性引き篭もりhankakueisuu様が「覇拳伝を罵倒するのがいけない?」はあ?それなんてデファクトスタンダード?事実上の業界標準?おまえ何脳?アリコ脳?アメリカンホームダイレクト脳?

いや、覇拳伝を罵倒したっていう事実自体がハァ?だよ。だって、「ギルティは初心者お断りゲー」だと嘲笑っておきながら自分がやってるのがガンホー韓ゲの覇拳伝にスト4だろ。それがありえねえ。って言ってるんだよ。糞すぎてゴミすぎるって言ってるんだよ?

たとえば、もしも、まともに遊びもせずにギルティを「初心者お断りゲームだ」と非難している人間が遊んでいるゲームが、マリギャラとwiiフイットだ、というなら、それはそれで仕方がないよ。狙う所が違うもん。志が違うもん。同じゲームとは言え、スキージャンプとピンポンくらいアレが違うもん。規模だって違うもん。ジャンルが違うもん。あるいは、応援団と逆裁4なら、それはそれで仕方がないよ。Gears of WarとGod of War なら、まあ、それはそれで仕方がないよ。

はぁ?でもスト4に覇拳伝だろ?そのどこに「初心者に対する思いやり」があるんだ?「格闘ゲームに対する野心」があるんだ?まじわかんねえよ。それはギルティ石渡の「初心者に対する思いやり」よりも遙かに強くて優れたものなのか?GGXXよりも遙かに良くできたゲームなのか?規模無し、人無し、実績無しからGGXXまで辿り着けたのは、なんかもの凄い事をやっているように見えるGGXXが、実は「やりたい事がやれる」ゲームであり、「かっこよく自己陶酔出来る」ゲームであり、即ち「初心者大歓迎☆大接待ゲーム」だったからに他ならないのに。いったい覇拳伝批判の何が気に入らないんだ?覇拳伝のどこが素晴らしいんだ?覇拳伝のどこが優れているんだ?覇拳伝に、いったいどんな志があるんだ?教えてくれよ。google.inc並の知能しか持たない知的エリートの僕でも理解出来るように教えてくれよ。

同じくスト4のどこが素晴らしいんだ?スト4に、いったいどんな志があるっていうんだ?スト4のどこに初心者に対する配慮があるんだ?マジわかんねえよ。マジねえよ。なんで自分がまともに遊んでもいないギルティを嘲笑ってお仲間共と馴れ合うのはよくて、僕がスト4やガンホー韓ゲに、ギルティのような、石渡のような志は無いと言う事が駄目なんだ?僕は天才すぎるのでよくわかんねえよ。カリスマすぎて理解すらできねえよ。
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hatuseno : 少なくとも諏訪近辺のゲーセンでは新参お断りの雰囲気バリバリで近寄れない><

次行くぜ!えっとね。それは「ギルティが初心者お断り」なんじゃなくて、「ゲームセンターのギルティ周辺の空気が初心者お断り」にすぎないんだゼ!石渡が本気すぎたが為に、上級者同士は切磋琢磨してもの凄い所まで行ってしまっているだけなんだゼ!ギルティ自体はいつだって、初心者ウェルカムが基本設計なんだよ。たぶん。ゲーセンなんて所詮はリア充のたまり場だしな!

なので、ゲームセンターの事は忘れて、おうちで気心の知れた仲間と遊ぶのがいいと思うよ。え?友達がいない?HAHAHAHA、石渡はそんな人の為にギルティギア2を作ったんだぜ?リア友なんていなくたってXBOX360は即席フレンドなんだゼ!しかもお安くなって今が買い時なんだってよ!まあ無就労者的には安かろうが高かろうが手の届かないものだけれど。
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fuba : 

Hmm, tough question. Before going to ESWC i simply played for roughly around 2-3 hours a day and chilled out and relaxed. But after going to ESWC i realised i got it all wrong. I went to a netcafe with Sky early one morning before the groupstages and watching the guy play around 10-20 ladder games in such a short space of time made me realise the true purpose of training. He was just focusing on his bad points, and making sure he could make it perfect for the next game.
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この文からあの小話を作り出すスキルはすごい。もはや創作の域。あとnotonobuharuさんはソース当たってからコメントすべき。たぶん英語版読んでないっしょ

えええええええええ!!!!!!!!
EEEEEEEEE!!!!!!!!
自分の日本語著述能力に自信が無くなるよ!!!!!!!!
だって、違うもん。
えっと、もの凄くわかりやすく説明すると、僕は「英語を日本語に翻訳した」のではなくて、「日本語を日本語に翻訳した」んだよ!!!!その原文の英文は、まったく関係ないわけ!それをakisayaさんが日本語にして、それを僕が日本語にしたの。そもそも、僕自身も原文なんて読んでないし。mymのアカウントなんて無いし(僕自身はSKサポ→mouzサポだから)。というか、英語なんて読めないし!haveとhasがだいたいおんなじだ、という事すら知らないし!



元記事は、こちらにあります。とても長い文章で、読むのは辛いと思うので、翻訳元の部分だけ引用させていただきます。かなりはしょってますし、意訳している部分もありますので、正しく詳しく知りたい人は原文を読んで下さい。原文は日本語ですので、高校生レベルの英語力と時間があれば理解出来ると思います。
「原文は日本語ですので」って書いてるだろ。いったい何をどうすれば読み逃す事が出来るんだよ。おまえの目は節穴ですが?それともちくわですか?それとも、原油の高騰で穴が大きくなったちくわですか?それとも、原油の高騰に加えBRICsの発展により魚肉の引き合いが増えてさらに穴が大きくなったちくわですか?パンツですか?パンツじゃないですか?僕は女性器と競泳水着にしか興味が無いので、パンツであろうとパンツでなかろうと、あまり関係が無いのですが、金の斧ですか?それとも、銀の斧ですか?頑張って書いたのに、なんかありえないんですけれど。もの凄い脱力感に包まれてしまうんですけれど。

ア、でも翻訳後の文章に書いた挿話は創作ではなく、全て元ネタのある話なんですけどネ。(もちろん全てWE.Sky本人のエピソード)。まあ、厳密に言ってしまうと岡田っちゃあ有花ですけど。
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xxxxxeeeee : つか、hankakueisuuにこういう「本当に意味のない」粘着がついたのは最近だろ。一昨年までは「不特定多数」が流動してたけど粘着されたらやはり嫌なものである。

は?これまでも散々粘着されてたんですが。延々グロ画像を送りつけてくる人とかいたせいで、Gメールノーチフィアーをアンインストールしたりしたんですが。というか、粘着されている、という事実自体、度々ブログで書いてきているんですが。何おまえ勝手に適当な自分設定の「真性引き篭もりhankakueisuu」を作り上げていい気になって偉そうにコメントしてんの?
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kanose : hankakueisuuさんは粘着多いのね…お疲れ様です

ハァァァァァア?

なんで「粘着が多くて」「疲れて」「コメント欄閉鎖した」事になってんの?何、天才カリスマアルファブロガーを労る優しい一般庶民をアピールしてんの?何この真性引き篭もりhankakueisuu様を利用していい人アピールしてんの?そんなにまんこに飢えてんの?なにデマ流してんの?てめえ設定の真性引き篭もりhankakueisuu像を流布していい気になってんの?

っていうか元エントリーを見れば「コメントをした人間のIPが見えてしまうのがしんどいので、コメント欄閉鎖します。」って書いているのが火を見るよりも明らかなのに、なんで読み取れないの?つうかその程度の読解力しか無い人間はこの崇高なる真性引き篭もりhankakueisuu様の聖なる文章を理解出来るわけもないのに何アクセスしてんの?頭おかしいの?糞なの?ゴミなの?ナポリなの?マフィアに全部牛耳られてんの?町中ゴミまみれなの?野焼きでマシュマロ焼いてんの?なんで原稿料支払わないの?それがおまえのどんと焼きなの?うざいんだけど。
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これは絶対バラモスゾンビだ!これは絶対バラモスゾンビだ!とニヤニヤしながら読み進めて、記名欄にTAITAIってあった時の勝利感にはたまらないものがある。75点のゲームを手放しでほめさせたら、右に出る者は居ない。

にもかかわらず、なんで80点以上のゲームや、70点以下のゲームのレビューになると、思いっきりゆとるのかなあ。惜しいなあ、とか思うのだけれど、右に出るものがいない、というポイントを所持しているだけ凄い、と捕らえるべきか。

リフティングは3回しか出来ないけれどフィジカルと統率力を兼ね備えたCBとか、得点能力は無いけれどセービングにかけては右に出るもののいないゴールキーパーとか。

僕の得意な事はいったい何なのだろう、と思い悩む。そんなものはないし、今後とも無いのだろう。得手とする事柄を持たないまま生きていく覚悟、というものがうまく出来ない。

時間がたてば良くなるだろう、という見通しが、日に日に薄れていく。何年もブログ書いて、ゲームして、何も得ていない。まぬけなものだな、と思う。

悪魔がザラキを唱えると。



悪魔がザラキを唱えると、半ばの人が息絶えた。
悪魔がイオラを唱えると、僕だけ無傷で立っていた。

2008年9月11日木曜日

プレイヤの努力に報いる為に石渡太輔がどれだけの努力に努力を重ねたかを思おうともしない人たち。




終末感を感じざるを得ない。

以下、「ギルティギア超ド初心者スレ」のテンプレ。


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・・・・・・・・・改めて思うけど、こんな超複雑化した化け物、どう見ても新規参入が望めるシステムじゃねーよなぁ・・・・・・。

「30F間、スラッシュバックの受付Fが2Fから4Fに増加、デメリットは失敗すると30Fの間ガード動作をとれなくなる(FDは可能)」という文面が理解できる「超ド初心者」って一体何だ。カオス過ぎる。


また出たよ。出た。また出たよ。ゲームをまともに遊ばずに批判する懐古害。略して何かを見下し馬鹿にしてお仲間様と馴れ合いたいだけの老害アクセス乞食。

終末?ハァ?
化け物?ハァ?
カオス過ぎる?ハァ?

しかもこれ、GGXXはおろか石渡ゲーのたった1つもまともに遊んでない身分で罵詈雑言だろ。よく言えるよな。おまえ何ゴミ?何蠅?何小蠅?2ちゃんねるの書き込みを引用して妄想爆発させて粘土練ってお人形さん作ってマウント取って殴ってるブログにまともなブログは1つも無いな。そういう糞ゴミブロガーは天漢日乗を唯一の例外として一人残らず即刻ブログ閉鎖して消え失せろよ。リアルに引き篭もってインターネットに出てくんなよ。最低限mixiでマイミクのみに公開してろよ。



で、【石渡ゲーをろくにプレイせずに批判している】んだから、余っ程よく出来たゲームを遊んでいらっしゃるご身分なのだろうと気になり見てみたら、「ガンホー韓ゲ」に「スト4」って、あ・れ・か?ゲームをまともに遊ばずに批判する懐古害か?それとも略して何かを見下し馬鹿にしてお仲間様と馴れ合いたいだけの老害アクセス乞食か?いったいぜんたいおてんとさまか?

GGというゲームがどれだけの志と野心を持って作られた偉大なゲームなのかも理解せず、板垣伴信と石渡太輔の区別すらつかないレベルなんだろうな。それでGGXX馬鹿にし見下し取り巻きとコメ欄で馴れ合いとはたいそうなこったなあ。ギルティ虐めて藁ってそんなに楽しかろうよ。

我が国のゲームメーカーは、セールスを少しでも上げる為に、アホでもバカでもまぬけでも適当にプレイしていればいつかは必ずクリア出来てしまうゲームを作り続け、それら「成功が約束されたゲーム」によって市場を占拠した。その代表格がゼルダであり、ドラクエ/FFなわけだ。

一方で「成功が約束されていないゲーム」は我が国のゲームの歴史から完全に等しいくらいに消えてしまった。ボタンを叩いてエンディングを(あるいは進展を)見るゲーム、が我が国では「ビデオゲーム」と呼ばれるまでになってしまった。

我が国で唯一「ボタンを叩けば進展しないゲー」として一定以上の規模を確保できているのはせいぜいレースゲームくらいのもので、その最右翼たるGTにしても元はと言えば「成功が約束されたゲーム」を作ろうとして大失敗したが故に生まれた、偶然の産物にすぎないものだ。

その一方で海外では「ボタンを叩いても進展しないゲーム」が力強く売れ続けていたわけだ。その頃日本のゲーム市場はどんな具合だったかというと、ドラクエ5がPSでミリオン、ドラクエ5がDSでミリオン、ゴミ同然のスーパーマリオがDSでトリプルミリオン、モンハン、マリカー、wii脂肪と、巨大な資金と人材吸着力を持ち、市場でも圧倒的な力を持つ強大な会社が「成功が約束されたゲーム」を売りまくり続けてきたわけじゃん。

それに危機感を抱いていた制作者は多かったのかもしれないけれど、実際にそれを形にした人間はそう多くはなかった。その貴重な貴重な人間の一人が石渡太輔なのに馴れ合いたいだけ言いたいだけ罵りたいだけの老害懐古中に2ちゃんねるのコピペで鼻で笑われ嘲られちゃあ報われないにも程があるよ。

石渡太輔がギルティで実装したのは、それこそ、「努力をすれば報われる。もっと努力をすればもっと報われる。」という古典的な、極めてゲームな世界観であり、別に異物でもカオスでもアホでもバカでもなんでもない。むしろ石渡の方が正当で、今我が国で売れてしまっている「ヌンチャク付き自己啓発本」やら、「プラスチックの棒付きOVA」の方が邪道と呼ぶに相応しいものだ。

石渡太輔は格ゲー初心者の為に、格闘ゲーム初級者の為に、あるいは格闘ゲームというものを知らない世代の為に、クールで奇天烈なキャラクターを各方面からパクりまくって幾人も幾人も作り上げ、「飛道具を撃って、それを飛び越えてきた相手を落とす」というスト2以来の基本戦法を「外見でキャラを選んだ」初心者が、一人残らず習得出来るように、全てのキャラクターに飛び道具と対空技を用意しようとした志を、男気を、その優しさをおまえはいったいどれだけ理解したんだ?

90年代格ゲーの登場キャラクターに見劣る程のアホみたいに原始的な性能を持つキャラクターから、並の努力ではうまく勝てないレベルのキャラクター、あるいは異常者でないとその性能を発揮できない次元のキャラクターまで丁寧に、丁寧に作り続けた石渡太輔の努力のいったい何を認めて何を否定しているんだ?なんか僕の読解力が小鳥並の知能なせいでまったく読み取れないんだけれど、どこを攻撃してどこを非難しているんだ?

ヨハネスブルグで生まれ、侮蔑対象に等しい専門学校を出て、メインストリームからはほど遠い僻地辺境な会社に入り、2D格闘の最先端、いや2008年の2D格闘ゲームの全ての母と言っていい程のシリーズを作り続けてきた石渡太輔のいったい何をあざ笑ってるんだ?

初心者同士が90'な風に遊べば90'な風に成立する余地を必死で懸命になんとかして残そうと努力しながら、自分がやりたいアホみたいにスタイリッシュな爽快感としっちゃかめっちゃか感を作り、現代の日本の売れ線ゲームの幾つかに、少なからずの影響を与えてしまったギルティの何を冷笑してるんだ?何馬鹿にし見下し湯けむり気分いい気分してるんだ?ギルティはてめえのテレ東じゃねえんだよ。いったい何が「・・・つくづくありえねー。」んだ?小鳥並みの知能でも理解出来るように手取り足取り教えてくれよ?

その「ギルティギア超ド初心者スレ」に書かれているテンプレートはあくまでも、用語がわからない人や、青い色のガードが普通の色のガードとどう違うのかを知らない人、あるいはなぜ必殺技をキャンセルして必殺技を出せるのかが理解出来ない人、つまり即ち本当の初心者が疑問に思って調べようとした事に全て先回りして答えているだけであって、辞典として存在しているだけであってギルティはそこに書かれている事が【全部出来ないと遊べない】ゲームなどでは断じてないのに、いったいギルティのどこが「新規参入が望めるシステムじゃねー」んだ?

それともギルティよりスタイリッシュな格闘ゲームが、ギルティより格好良かった格闘ゲームが、地球上のどこかの会社からただの一本でも発売されたのか?石渡太輔の「格闘ゲームは格好いいものだ!」そしてその格好いいゲームを作る俺は格好いいのだ!という情熱よりも熱く煮えたぎった2D格闘ゲームが他に存在していたのか?

自分で絵を描いて、自分でキャラを作って、自分で声を当てて、自分でBGMを作り、自分で希望の声優と交渉までして無理に無理を重ねてビッグネームを起用し、格闘ゲームの歴史の上で最高の頂点に立つ格闘ゲームを作ろうとした石渡太輔の狂気以外の何者でもない怨念に等しい怨念に、僅かでも並び駆けた格ゲーがギルティ以降に、いやスト3以降にただの一本でも存在していたのか?

そのギルティを、「よりかっこよく、よりスタイリッシュにする為の、そして後ろから見ていて楽しいゲームにする為の伸び代として石渡太輔が用意した、使いこなさなくてもよいけれど、使いこなせばもっとかっこよくもっと強くなる事が出来るシステムとしてのロマキャン、そのさらに先にある青キャン」の何がダメなんだ?何がいけないんだ?何が否定されてるんだ?

移動する敵の体を撃ったらダメージを与えられる。しかし頭を撃ったら一発で殺せる。といった当たり前の事が当たり前ではない国で、「努力が報われるゲーム」を、「努力すれば努力する程強く、そして格好良くなれるゲーム」を、「道は果てなくローマまで続いているんだよ。それどころか君が望むならロンドンまでも走り続けられる道路としてのゲーム」を作り上げた石渡太輔のいったいどこが「初心者お断りゲークリエーター」なんだ?ドラクエ5DSやらファイナルファンタジー13やらを作っている人たちは「初心者お断りではないゲームを作る正しいクリエイター」なのか?石渡太輔はただのトチ狂ったヲタ向け商売人なのか?

ゲーム会社ではなく、総合家電メーカーグループの一員であるSCEという会社から時々発売される尖ったゲームに依存してきっていた我が国の「成功が約束されていないゲーム」というジャンルに徒手空拳で殴り込んだ石渡太輔が終末だ?おまえはなにをいっているんだ?未来以外の何者でもないだろう。希望以外の何者でもないだろう。

そりゃあ石渡太輔というタレントは上田君という不世出のタレントに比べれば幾らか見劣るかもしれないけれど、そんな彼が築き上げてきたその功績は上田君以上と言っても過言ではないくらいに凄まじいものだろ。

「3Dには興味が無い」という人間が3Dをやり、「アーケードにしか興味が無い」と言っていた人間が家庭用をやり、それに「ギルティギア2」と自らの全てを体現するメインタイトルの「2」であるという命名ネーミングをした石渡太輔の覚悟の何をおまえは理解しているんだ?自らが絶対にやらないと公言して憚らなかった二乗としての家庭用3Dゲームを「ギルティギア2」と命名してしまった不退転の決意の何を知っているんだ?

こういう、バカな、バカな、とってもバカな志を持った、本物の野心を持った、バカな、バカな、本物のバカが何人も、何人も出てきて、その試行錯誤と失敗によって「ゲームの大動脈」は作られるんじゃないのか?いや、石渡太輔はそれを一人でやってしまった世界でも数少ないバカのうちの一人じゃないのか?

それとも「ドラクエ」とか「DS」とかいった類のパテントな工業製品が売れまくる事が「超ド初心者」にとって正しいゲームだと思ってるのか?違うとすれば一体そのおまえの言う正しいゲームってのは何なんだよ、ってあー、そうか、ガンホー韓ゲにスト4か。そいつはおめでてえや。

っていうかギルティをまともに遊んだ事も無い癖に罵りたいだけ言いたいだけ馴れ合いたいだけで2ちゃんねるコピペして喜んでいる老害にギルティのギの字もわかるわけないよな。ほんと2ちゃんねるの書き込みをコピペして、勝手な妄想爆発させて、粘土を練ってお人形作って跨ってマウント取って腰降りながら満面の笑みで殴って悦に入ってるブログにまともなブログは1つも無いな。この汚濁しきったインターネットに2ちゃんねるの書き込みをコピペして、勝手な妄想爆発させて、粘土を練ってお人形作って跨ってマウント取って腰降りながら満面の笑みで殴って悦に入ってるブログにまともなブログは1つも無いという揺るぎない真実を世界に知らしめるという偉大なる使命を日々絶える事なく果たし続けている天漢日乗を唯一の例外としてこういう類の糞ブログ共は消え失せ滅びてしまえ。マイミクのみに書いてろ。胸くそ悪いだけだから。




34 名前:俺より強い名無しに会いにいく :2007/03/08(木) 17:37:52
  RCやったあと任意の技だせるようになった
  かなり感動
  つぎは青だ

2008年9月10日水曜日

この天才カリスマアルファブロガー様が教えてやるよ。



教えてください。id:Agguy0c

そんなに知りたいのならば、この、神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない天才カリスマアルファブロガーの真性引き篭もりhankakueisuu様がズバリ教えてやるよ。何が至らないって、そりゃあ、はてなダイアリーをプライベートモードで書いていることだ。なぜならば例えばもしもおおかたの人が読めるように手当たり次第のはてなアカウントに対して数千単位でアクセス許可を与えていたとしても、はてなアカウントを所有していない僕は読もうとしても読めないからだ。あるいはせめてはてなダイアリーをプライベートモードで書くならはてなブックマークでパブリックでコメントするな。はてなダイアリーをプライベートモードで書くならはてなブックマークもプライベートモードにするべきである。たとえば被はてなブックマーカーが気になって読みに行っても「このダイアリーはプライベートに設定されています」とか言われると胸くそ悪いだけだから。あと二度と言わずにお気に召されたならば何度でも読んでくれ。いやむしろ読んでくださいお願いします僕かて頑張って書くので四度くらい読んではてブしまくってください。この天才カリスマアルファブロガーの真性引き篭もりhankakueisuu様が全身全霊人生の全てを注ぎ込んで書いているのだからその位には値すると思うぜ。たぶん。

インターネットに住む魔物。



気がつくと一日が終わっていた。
今日はまだ何もしていないのに。

女学生の躯。



無理矢理眠って、立ち上がり、二歩三歩いて横になり、無理矢理眠って、無理矢理眠って立ち上がって、少し歩いて立ち止まり、PCの電源を入れるにも、その気力もなく、動機もなく、複雑に絡み合った布海苔とヒジキと天草が打ち寄せられた潮だまりのように、異臭を放ち汚濁した、口をぼおっと開けたまま、息を吐き、息を吸い、詰まった鼻を吸ってこじ開け、横になり、無理矢理眠って、無理矢理眠って目が覚めて、起きて、立って、頭を掻いて口で息をし、行く当てもなく立ち尽くし、横になっていた万年床をそっとゆっくり見下ろした。

しばらく前まで寝ていた場所に、人間の体というものを思い描き、この辺が頭で、この辺が足で、とやってみるけれど、どうにもうまくいかない。人間の体というものの、大きさや重さ、あるいは質感といったものを、うまく思い浮かべる事が出来ない。人間という生き物は、本当に、この僕が息衝く世界に、存在しているのだろうか。女子校生という生き物は、本当に、この僕が息衝く世界に、存在しているのだろうか。疑いが生まれ、憎しみが生まれ、涎が垂れて臭い。

世界の実感がない。ネットでいつの日か読んだ、労働とか、娯楽とか、食事、肉欲、享楽の話が全て、どこか遠く、違う宇宙で行われている異形の異星人の営みのように思えて、遠く向こうの国道に穴を掘る重機の音だけが、まことの事のように思える。

見下ろした寝床の上には、抜け落ちた髪の毛と、汚れたまくらカバーだけが現実として落ちていて、どこから入り込んだのか、蛾が一匹だけ舞った。生憎、蛾で満足できる歳でも無いので、蛾ではなく、人を、人間を、おんにゃのこのカラダというものを、そこに思い浮かべて、ここに頭があって、肩があって、指があって、うつ伏せに胸があって、尻があって膝の裏、かかとと思い浮かべてみるけれど、やはりうまくいかない。そんなものは、ここには無いのだ。無いものを思い浮かべて生きる事など、誰よりも貧弱な脳みそぢからしか持たない僕にはとてもではないが、成し遂げられない。

ああ、つまらない。退屈だ。僕の書くブログというものは、どうしてこんなにつまらないのだろう。退屈なのだろう。書いていても心は躍らないし、読んでいてもときめかない。女の体の1つにも負ける、くだらない、くだらないものなのだろう。それらの疑問に対する明白な回答は、随分と前から既にこの部屋に用意されており、それは二本の足で何もせず、床を見つめて立っている。ああ、こんなものくだらない。どこの誰でも構わないから、風呂付きの一軒家と、まどち付きのXbox360をセットにして、半月ばかり貸してはくれないものだろうか。ようく遊んで返すから。

2008年9月9日火曜日

田中秀臣の捏造と誇大妄想が止まらないようです。



しかしその昔、ブロックブロガー最大アクセス数を誇った時代が僕のブログにもそういえばありますた。

はぁ?誇大妄想もいい加減にしろ、というより捏造以外の何者でもないだろ。ブロックブロガー最大アクセスっていつだ?アクセスランキングがあった頃におまえの糞ブログがまともに上位にあった事実など全く存在しないくせに何言ってんだ?



その時期にはブロックブログにくる過半のスパムトラックバックを、真性引き篭もりとか無数のブロックブロガーに代わって引き受けていたんだぞ。僕の日々せっせとへんな日本語や英語のポルノちっくな勧誘スパムの削除修行が、ブロックブロガーの方々の日々の平安を保証してたんだぞw(ほぼ本当)

はあ?おまえ何様?5様?獄徒?スパムトラックバックが来てたのは自分のブログだけだと思ってるってそれ何銀河?何ペガサス銀河?おまえ脳みそついてんの?僕らだって普通に日常的に毎日のように特定エントリーにのみ付き続けるスパムコメントやらスパムトラックバックやらを削除し続けていたんだけれどおまえ何脳?糞脳?早稲田脳?



君のめんどくさいスパムトラックバック削除の手間をかわってひきうけて日々シコシコ削除作業のつらい日々を送っていた僕によくも上のようなヒドイこといえるなww

おいおい糞が捏造もいい加減にしてくれよおまえ何様?5様?ぶっぱ?なんだそれ。日々の平安で言えば運営突き上げてスパムフィルタ改善させてたははやしの右にはやし無しだろ。コメントスパムが来る度に律儀に運営に削除頼み続けてたのもはやしだけだった。僕は運営とはちょっと距離を置きたかったのでそういう事をせずに自分のブログについたのを削除するだけだったが。



僕がはてなに移行したときは、ブロックブログの社長さんからも暖かい花束コメントをいただいたのだが、君からはうんこ投げかw それもブログ人生なのか? しかし偉くなったもんだなw 真性引き篭もりブロガーhankakueisuuよw

ブロックブログの社長ってあれか?「社長でござい」ってブログタイトルでブログ書いていたのに、「そろそろ社長ブログ、ってのはださい時期に突入したんじゃないかな」とか言い出してブログタイトルを変更して、ブロックブログのトップページからのリンクも外した直後に社長解任されてたあいつか?ブログのアドレスがdream.bblogだったあいつか?代わりに社長に就任した人間を追放して再び社長に返り咲いてレンタルサーバー事業に邁進したあいつか?賞金三十万円コンテストなるものを開いておきながらその実態は賞品詐欺だったあいつか?直後に社員に集団離脱されてメールマガジンも発行出来なくなったあいつか?ブロックブログでこれまでお世話になってきた手前、いきなりブログで叩くのは無情だと思ってメールで問い糾し続けてたら突然「ブロックブログもレンタルサーバーも閉鎖します」とか言って自ブログ全削除して逃走したあいつか?へえ。そのブロックブログの社長ってのはそんなにご立派な人物なのか。よかったねえ。そんなご立派な人物から花束もらえて。糞が。



hankakueisuuへ。はてブは読まないほうがいいよ。

おまえ何様?5様?ゲイザー?なに人様に転嫁して偉そうに説教垂れてんだ?リフレは黙ってろよ。うざいから。自分のブログにつくはてブコメントが気に入らないからってそれはてめえの問題だろ。糞が嬉しそうに自慢するそのどこぞの社長様とは比較にならないくらいまっとうで尊敬出来る人間からブックマークされたりしてるので僕は普通にはてブ読むがなRSSで。おまえみたいな小物は僕のリベンジリスト(別名いつの日か必ずや妻子を虐殺するリスト)の序列十位にすら入らねえよ。不愉快かつ目障りなんでとっととブログ閉鎖してリアルにでも引き篭もってろ。捏造狂にはそれがお似合い。

しなもんは生きていた。



しなもんが死んだ。しなもんが死んだのはおまえのせいだと、なぜかこの真性引き篭もりhankakueisuu様がはてなーユーゲントどもから激しく糾弾されていた。なんか僕はもの凄い粘着コメントを繰り返すはてなーユーゲントどもに粘着レス返しで応じるという第一次世界大戦さながらの凄惨な戦法で必死に闘っていた。typoを指摘され、「日本語というものは進化するものなのを知らないのですか?おまえはこの天才カリスマアルファブロガー様の進化についてこれていないだけ」とか、傍目に見てもちょっとそれは違うのでは、的なアレがあった。はてなーユーゲントどもの中に田中秀臣がいるのを見つけた真性引き篭もりhankakueisuuは、「おまえブロックブロガーだろこの糞がはてなダイアラー面しやがって」と半狂乱でボールペンで机を突き刺しまくってぶちきれていた。あとotsuneの奥さんもいて、「アルファブロガー(笑)」「実質無職(笑)」みたいな一行コメントを書き込みまくってきた。その度に真性引き篭もりhankakueisuuは激昂に次ぐ激昂を繰り返し、「この腐れまんこがーーこの腐れまんこがーー」と絶叫しながら、「この腐れまんこが!!」というコメントを返していた。なんか夢の中とはいえあまりに下劣すぎて落ち込んでしまい、「これは嘘や。これは夢やからやで。僕こんな人ちゃうもん。」とか必死に言い訳をしていると旦那が出てきて「遂に馬脚を露しましたね。それがはんかくさんの本性ですよ。よかったですね」とか煽られたこの僕は涙目で「人を『はんかくさん』などと蔑称で呼ぶ人間は論争以前の問題ですね。僕には真性引き篭もりhankakueisuuというれっきとした名前があるのです。あなたにはもう二度とレス致しませんのであしからず。」と返していた(というか今冷静に考えたらこれ完全にマッチポンプだろ汚いなさすがネットウォッチャーきたない)。それに対するotsuneのレスがあまりにも痛いところをついて来たので狼狽し、もの凄い長文で屁理屈捏ねまくって懸命に即レスを書いていたら夢精した。目が覚めたらしなもんは死んでいなかった。よかったー。

さくらのブログの投稿画面が時々重くて泣ける。



投稿画面が開けない(00:16分からローディング開始して開けたの00:38分)というのは致命的ではないのか・・・。なまじ開けてしまう分、使っている側から見ればブロックブログの最悪期より厳しい。
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調べたところ、0時~1時は重いらしい。
そこさえ避ければ(僕の感覚では)さくさく。
さくらのブログはスパム大量なので、スパムブログ関連なのかな。

2008年9月8日月曜日

リアルにおけるリアルっぽさ。



秒針のように鳴く虫の音を雨戸越しに聞きながら、電気もつけずにモニタからの光で右手に一本だけだけ浮かんだ血管を眺めていると、「リアルだなあ」と思った。

ここで僕が感じた「リアル」というのは、ゴーストリコンやオペレーションフラッシュポイント的な、「リアル」である。誤解を恐れずに掻い摘んで言えば、『リアルなゲーム』の「リアル」、あるいは『リアル系FPS』の「リアル」である。

モニタからの強いながらも限られた光で照らし出されて浮かび上がった右の手の甲の血管は青く、薄汚れたピンク色をした手の甲との嘘くさいコントラストはまるでさながら地下道をカニ歩きしながらチェーンソーを握る右手のようでそれ故に、「リアルだなあ」と思ったのである。

僕が日々生きる日常において、このような「リアルさ」を感じる事は、あまり無い。とても珍しい事であり、故に、それが強く印象に残った。

たとえば、この空腹による下腹の痛みや、肌に纏わり付く丸三日分の汗の感じ、こめかみと額に突き刺したねじ山の潰れてしまった細長いネジを、無理矢理に回し続けるような類の痛みは、まったく「リアルなもの」ではない。それらはどこまでも「非リアル」である。

つまり、僕が「リアルだなあ」と感じたものの正体は、リアル系FPSにも似た「痛みのない現実性」であり、モニタからの光に照らされた僕の右手甲の血管は、僕に対し、僅か全くの心証も残さず、痛みも伴わず、そして思い出として残る事も、教訓として記憶される事も無いであろうが故に僕はそれを見て「リアルだなあ」と思いこの僕の、細くて長い人生に全角スペースを2つ3っつ書き込んで秋が来たのである。

2008年9月7日日曜日

僕のブログにはリアルタイム性がなさ過ぎる。



ブログの草案フォルダに書いている最中のエントリーが21ファイルもある、というのは何か間違っている気がするな。たとえば今日、だいたいこういう感じの話を書こうと決めても、それが実際に形になるまでには最低でも一ヶ月くらいかかる。

それもこれも、僕の「自分自身が何を言おうとしているのか」を読み取る能力の低さが原因で、酷いときなんかは十日くらい書いたり消したりを繰り返した挙げ句、「この人はいったい、何を言いたいんだろう」と頭を抱えて諦めてしまう事もある。

なんか、もっとぱっと思いついた事柄をそのままブログに書ければなあ、と思ったりもする。僕の日本語能力では、望むに過ぎたる、って感じだけれど。いつから、こんなにも、投稿ボタンが遠くなってしまったんだろう。昔はもっと近かった気がするんだけれど。

「ナードがキメてバッキバキ」ではないドーピング。



プロ・ゲーマーもドーピング天国の住人!?

この話題はとても厳しいところなのだけれど、「ナードがキメてバッキバキ」というギズモードのトーンはちょっと違う。勝てば1万ドル、負ければ100ドル、というルールも保証も無い世界で、月に200時間トレーニングに費やした人たちが、藁をも縋る思いでドラッグに手を出す、というのがより実態に近いと思う。Eスポーツの薬物汚染、という話ならば「ドラッグ」というよりは「サプリメント」の方。(もちろん、「ナードがキメてバッキバキ」的にイケイケな人も少なからず居るんだろうけれど。)




人間性能がアップするE-Sportsプレイヤー向け(?)薬品『FpsBrain』CommentsAdd Star

このnegitakuの記事にあるように、日本で市販されているサプリメントと大して違わない程度のサプリメントだったり、カフェインだったり、認知障害に対して処方される薬だったり、というのがどちらかというと「Eスポーツ薬物汚染」のメインだと思う。実際に渡米して本場の大会に挑戦した日本人プロゲーマーが使った薬物は、認知障害系だった。みんな使っているとか、常識、といったトーンで。大麻はとりあえず別として(欧州では厳格に取り締まられていないので)、覚醒剤に手を出すプロゲーマーの根底には、ホワイトゾーンの薬物は使って当然、という所まで行ってしまっている、Eスポーツシーンの殺伐さがあるという事を頭に入れてから読まないと、ちょっと誤解してしまうと思う。




フランスの「人間計算機」、200桁の数字の13乗根の暗算で72.438秒の世界記録

たとえば、このギネス記録の暗算王も、薬物を常用している。リアル勝負に身を置く人は、ジャンルを問わず必死なのである。みんな。

2008年9月6日土曜日

ヘリコプターというものは。



ヘリコプターの上からスナイパーライフルでパァン、パァンと遠くに見える人影を撃っていると、遠くに見える人影が、はらり、はらりと倒れていった。それが嬉しくて、楽しくて、ああ、生きるとは、こういう事なのだと僕は思った。スナイパーライフルでよく狙い、引き金を引けば人は死ぬ!よく出来ていると、感心した。ふと操縦席を振り返ると、そこには誰もいなかった。ヘリコプターと、ライフルと、僕だけが宙を舞っていた。それは都合のよい事だった。

ところが、あいにく、運悪く、ヘリコプターというものは、誰かが操縦桿を握らなければ、遅かれ早かれ落ちてゆく、まことに不完全な乗り物である。仕方がないので、名残惜しげに、一人、二人と撃ってから、僕はそこを退いてビルディングの屋上に出た。そうして、また、同じように、ビルディングの屋上から、スナイパーライフルで、パァン、パァンと遠くに見える人影を撃っていると、とても愉快な気分になった。人生というものは、こういうものなのだ。人間というものは、こういうものなのだ。勝手に生まれて、勝手に大きくなって、上へ、上へと駆け上り、遠くに見える人影めがけ、パァン、パァンとやるものなのだ。

生きるということが、こんなにもシンプルであると知り得なかった日の僕は、知り得なかったが故に、あんな風に、地べたを這って、蹲って、考えてばかりいたのである。世界はもっと単純なのだ。こういうふうに引き金を引いて、こんなふうに、空を仰ぐ。こういう事だったのか、と合点がいった。全ての疑問は溶けてから消えた。生きるとは、喜びだったのである。

ところが、あいにく、運悪く、ビルディングというものは、人が汗して建つものである。パァン、パァンとやってるうちに、あらかた人はいなくなる。それに従いビルディングもまた、あらかたどこかへ消えてしまった。僕はその場をあきらめて、遠くに見える人影めがけ、二三度パァンとやってから、崖の上に出た。遠く、遠く、海からの風が汗をなで、夏の終わりを吹き飛ばしていった。僕は腰をかがめてよく狙い、引き金を引いてそれに答えた。見えないくらいの遠くで何かが、動かなくなったのが1つだけ見えた。そうだったのか、と僕は思った。

人生は喜びにあふれ、日常は刺激に満ちている。僕が退屈であると決めつけ、見向きもしなかった日々の暮らしは、こんなにも満ち足りたものだったのだ。引き金を引けば引くほどに、遠くで何かがはらりと落ちた。途切れ途切れの日常は、こんな風に繋がってゆくのだ。徒労に思えた事もまた、銃身の先の遠くのどこかで、誰かにぐさりと突き刺さるのだ。その喜びが僕を満たし、明るい光が僕を照らした。パァン、パァンとまた撃った。

ところが、あいにく、運悪く、スナイパーライフルというものは、知らない遠くの誰かしらが、鉄を折り貼り作らぬ事には、1つぶの銃弾も撃ち出せない。自然と僕が握りしめていた、その鋼鉄の塊は、空を見た隙に居なくなった。メトロの駅へと降りていった。日ごと、日ごと、退屈が、喜びのない日常が、下の方から、下の方から、じわり、じわりと砂に舞い、僕の方へとにじり寄っていた。違うのだ、生きるとは喜びなのである。生きるということは、それ自ずから幸福なのだと、その辺に落ちてあった手斧を拾い、遠くに見える人影めがけ、勢いをつけて放り投げた。

手斧は手斧でくるくる周り、僕の視力じゃ見えないくらいの遠くに見えた人影に当たり、脳天を割って、そこで止まった。どこかで、何かが、はらりと落ちた。辺りの手斧を投げ尽くした僕は、遙か彼方の人影めがけ、自らの手で強く握った、右の拳を打ち放つのだ。

2008年9月5日金曜日

飛び起きた。



今の今この瞬間まで、石渡太輔氏と板垣伴信氏を混同してしまっていた事に気がついて飛び起きてしまった。(誇張ではなく、文字通り本当に飛び起きてしまった。(雰囲気が似ていて、容姿も似ていて、言動の属性も多少の共通点が見られて、二人とも微妙に怪しくて、共に格闘ゲームと3Dアクションを世に送り出していて、両者ともにXBOX360との関わりが深くて、でもそこは混同してはいけないだろう、というあまりのショックに。))

両氏には深くお詫び申し上げます。