2008年9月26日金曜日
今日とか明日とか。
今日のことはどうでもいい。今日中に誰かから愛される可能性なんてものは無いし、今日中にここ数日書き繋いでいるエントリーが完成する見込みもない。今日中においしいものを食べられる見込みもないし、今日中に風呂に入る事も無いだろう。それは、どうでもいい。それに関しては自業自得なのだと受け入れる。当然の、あるべき事として受け入れる。明日も同じだ。明日のこともどうでもいい。
けれども、自分が死ぬまでの間、ずっとそうなのではないか、という懸念には、つくづく困らせられる。死ぬまでずっと、糞つまらない事に心をかき乱されて、死ぬまでずっと自責の念と殴り合い、死ぬまでずっと、寝るにも事欠く。
それらが「今日だけのこと」であるならば、あるいは、「今だけのこと」であるならば、構わない。酷い気分にこそなれ、こんなにも酷い気分になったりはしない。長い人生なのだからそんな日もあるだろう。そんな時期もあるだろう。けれども死ぬまでずっとこんな風なのかと思うと、途端に暗い気持ちになる。だとすれば、これから先、この人生は何なんだ、と。
もちろん、嬉しいことだってあるだろう。楽しいことだってあるだろう。微笑んだり、感心したり、尊敬したり。十人並みの、一日中インターネットをしている引きこもりとしては、それなりの日常が僕を待っているのだろう。それが、今日だけならいい。明日だけならいい。明後日も、明明後日も、その先ずっと続いたって構わない。今だけなら、いや、100年でも、200年でも、続いたって構わない。甘んじて生きよう。
けれども、死ぬまでずっとそうだ、というのはいかにも受け容れがたい。あまり考えたくない。あまり考えたくないのだけれど、我が脳は想像以上に凡庸で心は頑なに脆く、そのようなくだらない事ばかり勝手に考え沈んでゆく。自ずから眠れない。