2005年10月31日月曜日

はてなに道徳が無いのは異常なことでも悪いことでもないが、はてなブックマークに規約が無いのは異常であるし、極めて悪い。



一端の企業が運営するURL必須の一行掲示板に規約が存在しない事を「異常ではない」と考えられる人間がもしも仮にいるならば、それは異常な神経の持ち主に他ならない。











2ちゃんねるを「題材必須の掲示板」であるとし、ファイルマンが「動画必須の掲示板」であるとするならば、はてなブックマークは「URL必須の一行掲示板」である。


そのURL必須の一行掲示板に「規約が存在しない」という事はまったくもって異常な事である。はてなブックマークにそれらしきものが存在するとすればそれは「※ウェブサイトの内容をそのまま転載したり、有名人の画像を勝手に掲載するなど、他人の著作権や肖像権を侵害する行為は行わないでください。」の一文のみであるが、言うまでもなくそれは規約ですらない。ユーザーを守るためのものでもなければ、被ブックマーカーを守るためのものでもない。株式会社はてなそのものを守るためだけのものである。


即ち、はてなには道徳がない。
そしてそれを果たすつもりが無い。
そもそもはてなには常識というものが無いのだ。







しかし問題なのは、常識だとか道徳だとかいった要素は企業にとってポジティブな要因にはならないという事だ。道徳は常に人を縛り付けて鈍化させるし、常識についても同じである。企業においても同じ事が起こるわけで、それは企業にとって必須の要素ではない。どちらかというと不要な要素の1つである。


即ち常識が無いこと自体が問題ではない。
それにより、被害者が出ているという事実が問題なのである。
そして、それがさらに出るというリスクを放置している事が問題なのだ。





そもそもはてなブックマークは「合宿で作って即リリースしました」という事になっている。そしてそれは自慢気に語られている。非難されるべき事を自慢しているという、まったくもってのお笑いである。


つまり、新たなるウェブサービスを一端の企業がリリースするにあたり当然行うべきである、そのサービスにより生じる影響評価というものが出来ていないのだ。どんな危険があり、どんなリスクがあり、どんなよくない事柄が生じるのかという考慮思慮熟考配慮というものを行っていないのである。いや、行うつもりが無いのである。


つまり「我倫理無し」を自慢げに語れるのがはてなという道徳なのだ。







「はてなブックマークはブックマークでありブックマークは自由です。」
という主張は大きな間違いである。はてなブックマークはソーシャルブックマークですらない、即ち何であるかというとはてなブックマークでしかない。つまり新たなるウェブサービスなのであり、はてな側にしても「新たなるウェブサービスです。」と言っている。


新しいものには当然ながら新しいルール新しい規約、新しい気遣い新しい優しさ新しい危機管理というものが必須である。ダイナマイトとエレキテルを花火工場に持ち込めば大惨事にしか成り得ない。







掲示板、というものにおいて特定他者の気分を著しく害する投稿が為されるのは必然である。1つの企業が運営母体となって掲示板を運営するならば、その暴徒化する市民に対して歯止めを掛ける規約というものをまず最初に作り提示しておくのは当然の勤めである。


しかも、はてなブックマークは一行掲示板として見るならばただの一行掲示板ではない。URLが必須の一行掲示板であるからして、対象URLに対する暴言投稿が為されるというのは当然にして必然の帰趨である。それを完全に放置する事は道徳の無さを超えた常識の無さである。







つまり、近藤は「世の中はでたらめな仕組みで動いている」と言ったが、世の中で最もでたらめな仕組みで動いているのは株式会社はてなそのものである。はてなははてなブックマークによって葬られた幾多の人間に対して謝罪を行うに然りであるが当然にしてそのような勤めを果たすつもりは奴らに無い。何故ならばはてなはでたらめだからだ。


1. 誹謗中傷・私生活情報暴露は禁止
2. アダルト系コンテンツ投稿の禁止
3. 著作権に触れるコンテンツ投稿の禁止
4. 第三者に対して精神的ダメージを負わせる、また不快感を誘うコンテンツ投稿の禁止



前述のファイルマンという三流糞エロサイトにすら上記四条の規約が存在する。



はてなブックマークにはそれがない。
即ちmixi_loveはへたれだからすぐに尻尾を巻いて逃げ出したが、筋金入りのmixi_love_mk2のようなブックマーカーが出てきても「ブックマークは自由」の天啓の元でその暴挙暴言の自由は保障される。曰く当事者間で解決しろの一言だけだ。これが道徳と常識の欠如であり人間の小さな安らぎというものを破壊する悪党の所業でないとすれば何であるのかを伺い問い質すに値する大いなる疑問だ。


はてなブックマークにより生じるトラブルを「ブックマークですからいいんですよ。」と処理する対応倫理の度合いは、winnyのユーザーがwinnnyを指して「ポエム共有ソフトですからいいんですよ。」と応じるに等しい。







もしサイト管理者がリンク削除などを希望する場合には、ブックマークを行っているユーザーへその旨を連絡し、話し合いの上で解決を図って頂きたいと考えます。


はてなでは、ブックマークをしているユーザーへの連絡先が不明である場合に当該ユーザーへの連絡事項を転送するなど、当事者間での問題解決の促進を行います。


なお、各ユーザーにて自発的に削除ができない、各記事のエントリーページや注目のエントリーなどの各ページ(以下中立ページ)に掲載されているリンクについては、その都度検討を行いますが、原則として削除は行いません。


その根拠としましては、リンク行為が自由であるとの認識の他に、以下のことが挙げられます。


robots.txtやmetaタグの設置は主に検索エンジンを対象としたものであり、ソーシャルブックマークシステムを対象とするものではないと考えている
既にmetaタグを尊重して本文のアーカイブ化は行わないなど、必要最低限の措置は行っていると考えている
ブックマークを行っているユーザーが居ない、あるいは非常に少ない状態では中立ページへの導線は少なく、実質的に大きい被害が想定しにくい
以上です。



はてなの悪質さを最も如実に指し示しているのはこの答弁である。
誰が書いたか知らないがこのような酷い文章は滅多とお目に掛かれない。








即ち、リンクというものには潜在的脅威は全く潜んでいない。
問題はコメントなのである。事実。軟弱極まりたる社会性のないブロガーではなく、立派な一個人としての大人であるブロガーですら、1つのコメントに心を掻き乱され、やれ削除だ、やれやる気が無くなったなどと言い放つ。具体的にはちょっと出すのが憚られるので出さないが、両手に余るくらいはそのようなケースを見ている。


そして、URL付随の掲示板などというものを作ったならばそれと同じような1つのコメントが為されるのは必然にして当然、猿でも雉でも予測可能な所でありはてなの知能は蛆にも劣る。


その当然生じる事態に対し窓口すらない。規約すらない。ルールが無い。全部でたらめ。削除方法は無い。2ちゃんねるにすら存在する削除窓口がはてなブックマークには無い。これが純然たる倫理の欠如でなければ何であるというのか僕は知りたい。


話し合いで解決とは馬鹿の所業だ。
世の中話が通じる人間など1人として存在しない。
解決の方法があるとすればそれはただ1つ、粛正のみだ。







なお、特に閲覧制限を行わずにはてなブックマークからのリンクのみを拒否するには、ウェブページのサーバー上にてはてなブックマークサーバーのIPアドレス(現在は221.186.146.26)からのアクセスを拒否することで拒否を行うことも可能です。


また、中立ページのリンク削除のためのガイドラインや、ソーシャルブックマークにおける登録拒否のためのタグ等については今後も継続して検討していきたいと考えております。


どうぞよろしくお願いいたします。



見よ、この人にも劣るふざけた答弁を。



ウェブサイトを所持している人間にIPからのアクセスを拒否するなどという対応が出来る人間が何パーセント存在するか調べてから物を言え。俺ルールの押しつけを暴力の母艦にして運営の母体たる株式会社が行うとは笑止千万。つまりはてなははてなによるはてなの為のはてなの暴力でしかない。常識というものが完全に欠如している。







ガイドラインが今後の検討などというものは言語道断たる倫理不全だ。
先にルールを作って悪害を被る人間を未然に防ぎ救う事は当然の義務だ。
はてなには何十名だかの人足がいるにも関わらず、これ程までに常識を欠く馬鹿げた運営を半年も続けて未だ、組織としての暴挙抑制、チェック管理というものが働いていないというのは正しく、株式会社はてなというものが馬鹿の烏合であるという事の証明であり、正気の沙汰ではない。







はてなブックマークに関わる、ユーザーと被ブックマーカー間の軋轢などという些細な問題は企画の段階において常識の多少がある人間が1人存在し、物を言っていれば解決していた問題なのだ。


即ち、ログイン状態にあるブックマーカー本人にしか見えなくなる、インビシブルモードというものを用意しておき、管理側が自由にインビシブルモードに変更出来るような実装をした上で、適切な規約というものを作り、ワーカーを1人雇って全てのブックマークコメントに目を通させて問題であると判断したものを片っ端からインビシブルにしてゆくだけで、はてなブックマークは汚点無き倫理あるサービスとして存在する事が可能だったのである。


もはやはてなブックマークにより殺された人間の魂は永遠に戻らない。
その点において株式会社はてなは皆まで奈落に落ち行くべきであり、純然たる犯罪だ。







付け加えて言うならば、はてなブックマークのvoteによる晒しageシステムを防ぎ、被ブックマーカーからの抗議に対応出来るように、ブックマーク自体のインビシブルモード、即ち注目のエントリーと人気のエントリーから外れるモードを作成しておればそれで全ては丸く収まったのだ。


その上で、ウェブサイト管理人からの「継続的にはてなブックマークされたくない」という要望に応じた対応が成せるように、URLディレクトリ指定でそのURLのブックマークを全て、フルインビシブルモード、即ち人気エントリーにも注目エントリーにも登録されず、またブックマーカーのコメントも全てインビシブルモードになる、という設計をしておればぬかりは無かったと言えるだろう。







それをやらずして、やれ合宿だ、やれ速度だ、どうだスピードだみたかほら、すげえだろってふざけんじゃねえ。1人残らず全員揃って心をなくした大人どもは大気圏まで飛んでいけ。







結局の所インターネットにおいて人間が暴力的になり暴徒化するというのは当たり前の事であり、それに備える規約運営というもの準備する能力あるいは心づもりの無い会社に、ウェブサービスというものを運営する資格など無い。即ち規約も窓口も用意せず、口を開けば「被害がどのくらいのものなのかを」などというその場凌ぎの逃げ口上を繰り返す株式会社はてなには、はてなブックマークを運営する資格など無い。
道徳無し。常識無し。倫理無し。資格無し。人でなし。脳無し。それがはてなだ。


バラモスゾンビさん強すぎ。



rapeだ。スコアシートも全部見たけどこの人異常。
何が凄いって3vs3や4vs4のteam戦でこの数字だということ。いくらAoEとはいえおかしいんじゃないか。こんなん相手にいたらその時点でggやん。


finalventのことかーー!!




ひきもこって、はてなブックマークを稼ぐブログのエントリを書いたり



finalventのことかーーーー!!!!



2005年10月30日日曜日

伝えたいことが無いのならばブログの更新なんてしない方がマシだ。



「伝えたいことが無いのなら、ブログのエントリーなぞ書くんじゃねえ」
という主張には一定の理解を示すつもりだ。
けれども、それが全てではない。




ブログ、あるいはWeb日記を何年も書き続けていると、そのマンネリさに疲れ果てて「もう書かなくてもいいか」なんて気分になる人が大勢いる。

たまに書評を書いたり、ゲームレビューを書いたりして延命措置を講じてみても、だんだんと空虚になってきて、空のスティック糊がくるくる、くるくる回るばかりで何も残らずさらさらと、叩くそばから落ちてゆく。

そこで意地でも惰性で書き続けるのか、きっぱりさっぱり捨ててしまうのか、2つに1つの選択肢だ。そして多くの人は「書きたい事が無いなら書かない方がマシだ」なんて事を言う。もちろんそれは、当たってる。




けれども、いくつかの、今は更新されなくなったブログへと毎日毎日アクセスする度に、「冬だ。」の一言でもいいから更新してくれればいいのにと、思う。

ブログ読者が書き手に行使する事の出来る関わりなんて皆無に近い。例外的な、数パーセントにも満たないコメンテーターやトラックバッカーとは違う、圧倒的大多数の読み手と書き手の関係は、たいへん軽くて浅くて薄くてまた脆い。読み手か書き手の事を殆ど知らないのに対し、書き手は読み手の事を全く知らない。存在しないのと同じものだと思っている。

けれども、どんな弱小ブログにだって、その更新を待ち望み楽しみにしている読者が1人くらいはいるものだ。そういう人達は数ヶ月も前に更新の途絶えたブログにたまにアクセスする度に、「春だ。」の一言でいいから更新してくれればいいのにと、思っているに違いない。あるいはそうで、あるかもしれない。




結局の所、伝える事が無いのならば、ブログなんて更新しない方がいい。
けれども伝える事なんて、アイムアライブでいいじゃないかと思うのである。








伝えたい事があります。
僕は2005年のこの冬に、今もブログを書いています。

伝えて欲しい、事があります。
2005年のこの冬を、あなたはどうして過ごしていますか?


はてなには道徳が無い。



無い、さらに進んで言えば果たすつもりが無い。

懸命にごたごた言っている人がいるのだけれどまったくもってずれている。日本で悪名高き誰もが認める暴力的な場所はというと、それは2ちゃんねるなわけだけれど、2ちゃんねるが悪いのは管理人に道徳が無いからだ。あるいは、道徳という人として然るべき努めを果たすつもりが無いからだ。

2ちゃんねるでは何を書いても検閲や削除といったものが行われる事は無い。つまり完全に放置されている。システムとして存在しているのは知っているが、無きに等しいものを持ってして有ると言う事は出来ない。つまり道徳上不適切な書き込みに対する規制が一切ない無法地帯である。そして、人が大勢いる。

この、管理側の道徳の無さと人の多さというものが、2ちゃんねるの暴力性の唯一の根源なのである。そしてその、管理側の道徳の無さと人の多さという2つの条件は、はてなブックマークが今丁度有しているものである。即ちはてなブックマークが仮に誰かを傷つけるとすれば、それはブックマーカーが悪いのではない。全てははてなブックマークの管理者の責任である。

matunagaやらekkenのようなRSS検索エンジンで「無断リンク」だとかそういう検索ワードで地引き網をして片っ端から晒し挙げるような糞野郎は幾らでも雨後の竹の子のように湧く。それは非常に凡庸な暴力であり、その存在自体を撲滅するのは人類を皆殺しにする以外に不可能である。

それは必ず生じる事であり、生じて当たり前なのである。問題はそれに対して管理側がどのような責務を果たすのかとう点である。「包丁を売った人間に責任はない」という言葉は包丁においては真であるが、インターネットであるインターネットにおいてそのような言い訳は通用しない。

即ち、新しい道具を作ったならば、新しいルールが必要となり、新しい責任が生じるのだ。そこで企業というものが当然果たすべきである道徳というものを全うするのか、それとも「成長には不要な物である」が故に全うせずに放置するのか、その2択においてはてなは一貫して前者を貫いていると言うだけの話である。

はてなブックマークが最初に問題となった際にid:hatenadiaryが持ち出した「ブックマークは自由です。だからはてなブックマークも自由です。」という言葉は正しくその典型である。自分の都合のいいように、新しい道具にはまったくもって見合わない不適切な古いルールを自己弁護に用い「放治」というものを貫いている。これこそがはてなの哲学である。

治、即ちネットサービスにおける管理には3つの形式がある。
1つは全てを機械に任せてしまうという方法である。例えばいくつかのメッセンジャーサービスやBBS、MMOと呼ばれるネットゲームなどに置いて、特定の悪い言葉が発言不可能なのは、機械による統治、即ち機治である。

もう1つは、人による統治、即ち人治である。大手小町やmixiといったものが行っているのは、これである。つまり十分な量の人を雇って片っ端から問題のあると管理側が考えるコンテンツに対し警告を出し、あるいは削除してゆくというものである。

そして最後は言うまでもなく、放置による統治、即ち放治である。新興ネット企業の管理体制は多くの場合これである。例えばseesaaBlogで問題になったスパムブログMr.Nituiteにseesaaの対応も数ヶ月に渡りこれであった。後に対処はしたものの、再び放置されている。さらにLivedoorなどは放置の象徴であるし、Yahooオークションの管理側の対応も放置、と呼んでいいだろう。また我が国で最も売れたMMOであるFFXの管理もそうであるし、amazon.co.jpの対応などもこれである。新興ネット企業はほぼ全てこれであると言ってよい。

そして言うまでもなくはてなもそれである。つまりはてなブックマークから暴力性というものを取り除きたければ、即ち道徳というものを納めたければ、人を3人雇って2交代制ではてなブックマークに張り付かせておけばそれで済む話なのである。言うまでもないがあらゆるMMOではそれをやっており評判の悪いMMOではその人数とモラルが足りておらず、評判のよいMMOではその人数とモラルが足りている。もちろんはてなブックマークの母数が増えればそれに従い人数を増やす必要はあるが現状で言うと、ブックマークコメント閲覧専用のブラウザさえ作ってしまえば1人で全てのブックマークコメントを監視するのは容易である。それは道徳を果たすという思想を持つ管理会社であれば行って当然の事である。徹底した人による統治を採用しているmixiやら大手小町やらの担当人員数とはてなの雇っている人夫の数の差が、そのままはてな暴力性の数値となっている。

PV自慢やユーザー数自慢に象徴される「良いユーザーははてなの手柄」にするのに対して「悪いユーザーは当事者の問題」として全てを放置する。古いルールを持ち出しては適当な言い訳だけしてあとは放置。2ちゃんねるにおける「削除は管理側が決めた手続きに従い」よりもより悪質な「削除は当事者間で」という完全なる放置。新しい道具に古いルールの都合の良い部分という自己解釈。

つまり彼らは道徳というものに価値を見出していない。それだけの事なのだ。道徳は金にならない。道徳は成長に寄与しない。それだけの、極めて単純な話でありユーザーがどうこう言った所で純然たる無駄でしかない。はてなが2ちゃんねる化しているのではなく、はてなの管理側の思想が2ちゃんねるの管理側の思想と全くにして同じなのだ。

結論から言ってしまえば、モラルの無い2ちゃんねらーなど存在しない。それはただ道徳を果たすつもりのない2ちゃんねる管理人がいるというだけの話である。それと全く同じようにモラルの無いはてなユーザーなどというものは存在せず、道徳を果たすつもりのない株式会社はてながいるというだけの話である。


オスマンサンコン2.0



「おちた。」

「落ちた?」

「そ、おちた」

「どれくらい?」

「アフリカいたときはね、5.0。5.0もっとあった。」

「5.0?」

「サンコン日本来ておちた。2.0」

「2.0?」

「日本機械いっぱいあって見えなくなる。」

「あー、目が悪くなって」

「見えないよ。日本見えない。いろんなもの見えない。」

「2.0で見えないの?」

「見えない。全然見えないもうだめね。」


道具は人を凶暴にする。



戦争は終わった、と書いては煽りに過ぎる。
かと言って戦争は無かったと書いては事実とたがう。
出来る範囲内で最も適切な言葉を選べば、戦争は変わったと書く事になる。

戦争は変わった。








戦争とは何であるか、などと語れる程の知は無い。
無論のこと経験も無い。ただ、戦争とは何であるかは知っているし、十二分に理解している。即ち、僕の知る限りでは戦争とは人殺しの集合体である。人殺しの無かった戦争などというものは聞いたことが無いし、例えそれがどこかに存在していたとしても、殺意の無い戦争というものは存在せぬであろう。

つまり、戦争は変わったが、変わったのは戦争ではない。
変わったのは人殺しである。即ちこの投稿の書き出しで取り上げたものは戦争ではなく、人殺しの集合体であるからして、戦争は終わったなどというピントのずれた書き出しを採用するわけにはいかなかったし、人殺しは無かったと書いてしまっておれば、呆れられて見捨てられる事は目に見えていた。戦争は変わった、という言葉の選びは読み手の興味を幾分かは繋ぎ止めておくために選んだ最も適切な言葉であり、そのセンスたるや自画自賛。








かつて戦争は戦争をする人のものだった。
噛み砕いて言うならば、人殺しは人殺しをする人のものだった。人を殺すには相手を上回る膂力か、恒久的殺意執念に基づく周到な準備が必要であった。特別な何かが必要だったのである。人間は簡単に死ぬ弱くか細い生き物であるが、簡単には死なないように出来ており、それを殺すとなると容易なことではなかったのである。しかし、そのような時代は終わった。戦争は変わった。

戦争は戦争をする人のものではなくなったのである。
その変化は、道具によってもたらされた。銃という道具によって。




銃器が人殺しにもたらした影響は明らかである。
銃とは、相手を上回る膂力も、恒久的殺意執念も持たない人間が簡単に人殺しを行える道具である。拳で殴り殺すよりは手斧という道具で殴り殺す方が簡単であるように、手刀で刺し殺すよりも刀剣という道具を用いて刺し殺す方が簡単であるように、その道具は人殺しに関わる全ての要素を簡略化した。

即ち、ただ引き金を引くという動作だけで人を殺せるそれは、誰でも、手軽に、簡単に、という使い手に優しい完璧に優れた道具なのである。銃は正しく人殺しを変えたのだ。世界中で起こる殺人事件の何割が銃によって引き起こされたものであるかを見れば全ては明白である。




道具は何のためにあるか。
それは、複雑な事柄を簡略化する為である。

簡略化する事によって人は本来要していた時間を節約できるし、必要であった労力も軽減される。そして、本来あったフィードバックも受け取らずに済むようになる。銃は返り血を浴びることなく人を殺す事を可能とし、フードプロッセサーという道具は涙せずにタマネギを切り刻むことを可能とする。道具とは人間を変える存在であり、道具を手にした人間はいやがおうにも変わってしまうのである。




道具は人間の生活をどのように変化させるのか、という点については個々のケースにおいてそれぞれ違う。全てに共通する確かな事は、あらゆる道具は間違いなく人を豊かにするという事実だけだ。道具は時間の節約を可能とし、これまで出来なかったことを成し遂げさせ、それまでに存在していなかった快楽を簡単に得られるようになる。しかし、それは道具によってもたらされる変化の全てではない。

道具は人間の生活を変えるだけではないのである。
道具は、人を変えるのだ。




まず最も問題なのは、道具は物事を簡略化してしまうという点である。
人間の処理能力というものには限界があり、物事を簡略化して要する時間が減れば減るほど、思慮は浅くなり考慮は失われる。連歌のようであった物事への捉え方消費の形は道具によって、山と言われれば機械的に川と続けて返すが如くに色香も風情も無くなり消える。

それに加えてあらゆる行動に伴っていた労力苦労反動力押し応えというものが失われるが為に人は際限なく加速して、千と連なる暖簾の下を腕で押し開け駆け抜ける。




一言で言うならば、道具は人間を馬鹿にして、道具は人間を凶暴にする。
道具は道具であるが故に人から人を失わせる。

それは銃だけではない。
あらゆる道具がそうなのだ。
インターネットはその典型である。




人間はマッハの速度でウェブを飛び、ボタン一つで人を撃つ。
バッタバッタと倒れては血みどろの惨劇が繰り返されるが誰もそれに気がつきはしない。あらゆる痛み苦しみは、インターネットのケーブルを通る間に娯楽という形に変換されてモニタに映る。ブログも2ちゃんもSNSも全てがそうだ。人々はその娯楽を享受して酔いしれ、もっともっとと引き金を引く。左クリックが、リターンキーが、唸りを上げて心臓を貫く。


誰が悪いわけでもない。
全ては道具が悪いのだ。
カラシニコフもオッペンハイマーも罪はない。全ての根源は道具にある。





即ち、我々が人間らしさというものを取り戻し再び隣人を愛する事を可能とするためには、この距離というものの存在を失わせた道具であるインターネットというものをまずゴミ箱に放り投げ、さらには全ての道具を捨て去って、衣服も下着も脱ぎ捨てた上で裸と裸で抱き合うべきだ夜明けまで。


2005年10月29日土曜日

仮に正しい脱オタクというものが存在するとすれば、それは脱オタクではない。



仮に正しい脱オタクというものが存在するとすれば、それは脱オタクではない。

「脱」ではない。
「入」なのだ。









脱オタクというイデオロギーは「オタクである事により人は不利益を被っている」という大前提に基づいている。脱オタクを果たすことにより、その不利益が取り払われるとされている。

しかし、それは大きな間違いである。
仮にオタクが脱オタクに成功したとして、幸せにはなれない。それはオタクにとってアイデンティティの喪失を意味し、同時に人生の全否定並びに喪失を意味するからである。「脱」を実りあるものとして結実させ、豊かさを手に入れる為には「オタク」に代わる新たなるカテゴリーに入り居場所を見つけねばならない。そしてそれは「脱」と比較して遙かに困難である。

さらに、深夜アニメと漫画とコミケとフィギア模型とエロゲームを楽しみにしていたような極めて一般的なオタクが「脱オタク」というものを果たした時に、オタク趣味に代わる満ち足りた娯楽を手に入れられる可能性は非常に少ない。

脱オタクという文脈においてその「新たなる娯楽」という要素は一切語られていない。
そこにあるものは唯一、「異性」だけである。より正確に言うならば「女」だ。




即ち、女性のオタクには「脱オタク」という概念は成り立たない。
まず何よりも男と女では性に対する欲望の基本値が別の次元にあるが故に「セックスしたいでしょう?よろしい、ならば脱オタクだ!」という論が通じない。また、脱オタクの対象とされる男オタは往々にして性的なものの対象外に位置するのに対し、同程度のレベルにある女オタは「贅沢を言わなければなんとなかる」であり、仮に駄目であった場合に必要なのは「脱オタク」ではなくダイエットあるいは美容整形である。前者は脱オタクのような労力を要する者ではないし、後者は必要とされるものが全く違ってくる。




つまり、脱オタクというイデオロギーの正体はセックス真理教なのである。
即ち、カルトだ。


少し、より少し好意的にそれを読み解くとすればそれは結婚して世帯を持って子供を産んで育てる事こそが人間のあるべき姿であるという極めて保守的な思想であり結婚は人生の墓場であるとするならば恋愛は墓場へ続く細く長い一本道を転がり落ちろ。







その明らかにおかしな脱オタクという思想に心囚われるオタクが後を絶えないその理由は、「世界はやりたいだけの男で満ちあふれている」という紛いなき事実故だ。脱オタクというピラミッドの底辺を形成しているのは、まんこにさえありつけばなんでもいいという極めて童貞的な童貞達である。

そして、ピラミッドの上位にいるのは「脱」を果たして「入」に辿り着いた人達である。
「入」の入は、挿入の入だ。




そして、「脱オタク」は「入」を意味しない。
言うまでもなく世の中にはオタクでは無いにも関わらず「入」にありつけない人々が大勢いる。脱オタクという枠組みの中で語られるのは「脱オタクしろ、さすれば君も入れられる」であり、その先は語られない。正しく脱オタクの正体はセックス真理教であり、まんこ至上主義そのものなのである。





さらに、脱オタクを語る人達が大勢いる脱ヲタ者が大勢いるのには理由がある。
彼らは自慢がしたいのだ。
それだけである。

良いとされている大学に入った人間がその学歴を自慢げに語る事で自分を満たすのと同じように、良いとされているものに入れた人間がそれをオタクという文脈上で語る。なぜならばそれは「オタクという文脈上で語らなければ誰もがやってる当たり前の事」であり、優越感を得る為にはどうしてもオタクという文脈上で語らねばならぬのである。

故に彼らは必死になって、ヲタヲタ脱ヲタ言うのである。






そして、違う意味においても脱ヲタは学歴と同じである。
「大学に入ればいい人生が待っている」というのがある部分においては真であるのと同じように、「脱ヲタすればいい人生が待っている」というものも、ある部分においては真である。しかし、多くの場合においては偽だ。


オタクの内の幾らかは「今更何をやっても手遅れ」という年齢や姿形にあるし、全身全霊を注ぎ込んで努力しても脱ヲタ入マンに成功するとは限らない。さらに、仮に成功したとしても、その先に待つ人生が華やかなるものとは限らない。


世の中には恋愛の出来ない人間、あるいは生まれついて人間を欲しない類の人達も多数存在している。また、幾らかの人達にとっての人間関係というものは快ではなく苦そのものであり、即ち脱ヲタは脱ヲタ者による脱ヲタ者の為のカルトに他ならないのである。

つまりは、脱しても入ならざるし、例え成っても満たされるとは限らぬのである。








結局の所、オタクなど存在しないのだ。
悲しい、人がいるだけである。


2005年10月28日金曜日

Japan WarCraft3 League シーズン2参加者募集してるよ。



って投稿をしようとしたら、既に締め切り時間を過ぎていた。
「リーグ」の綴りまで調べてエントリータイトル書いたのに。


コールドストーンクリーマリージャパンのたまごっち大作戦。



階下に新手のアイスクリーム屋がオープンしたってんで部下に買わせてきてみたんだけれど、値段ばかりが嵩張るだけで旨くない。「これならオハヨー乳業のカスタードプティングの方が遙かにおいしい」とか全会一致にて散々に叩きながらたいらげた。








コールドストーンクリーマリーというアイスクリーム屋が日本に上陸したというニュースが流れた。そのニュースを見たインターネッターは当然にして検索エンジン経由でコールドストーンクリーマリーのウェブサイトにアクセスする。ところが、ニュースにまでなって大量のアクセスが見込める一番肝心な時期とも言えるその時期に、コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパンのウェブサイトは「アクセス過多のため、ページが表示できません。」という一文が表示されるだけであり、閲覧不可能である。

なんというか正直なところ「終わってるな」と思った。




けれども、これはこれでたまごっち的やり口として、効果的なのではないだろうかと思えてきた。それはちょうど、たまごっちが「品薄感」というプレミアムを利用して日本全土を制圧したり、ドリームキャストが「品薄感」というプレミアムを巧妙に使ってプレイステーションに完勝して世界のゲーム市場を完全に制圧し、セガエンタープライゼスの名を天高く轟かせたのと同じように、「ウェブサイトがアクセス過多で閲覧不可能」というものも、このIT時代においては「品薄感プレミアム」の1つであるように思える。




2005年の冬の始めというこの時代において、企業のウェブサイトは「落ちない」事がデフォルトとなっている。一般的なインターネッターは例えどれだけのアクセスを受けても企業のウェブサイトは「落ちるわけがない」と考えている。

ところが、その時代においてコールドストーンクリーマリーのウェブサイトは事実上、落ちた。「アクセス過多のため、ページが表示できません。」の一言を残して。

即ち、coldstonecreamery.co.jpにアクセスした人々は「コールドストーンクリーマリーのウェブサイトには想像を絶するほどのアクセスが殺到している」という事実をいやがおうにも知らされる事となる。

しかも、ただ繋がらないだけではなく「アクセス過多のためページが表示できない」という事実までもが完璧な形で記載されているのである。

それ即ち、コールドストーンクリーマリーこそがトレンドのファッショナブルな大流行のド真ん中の最先端であり、巨人柏戸目玉焼きのポジションに収まるものこそがコールドストーンクリーマリーなのだと誰もが勝手にその胸抱き、「コールドストーンクリーマリーさんかっこいい!」みたいなブランドイメージが確立されて、涸渇感に追い立てられながら人々はアイスクリームを喰いまくってプニプニになるのだ。








なんて書いている間にコールドストーンクリーマリーのウェブサイトが再び正常に閲覧可能となってしまっており、このエントリー自体が時代遅れ的な物凄い悲しさの中で投稿ボタンに辿り着く書くも涙読むも涙な物語。


http://www.coldstonecreamery.co.jp/にアクセスすると
http://www.coldstone.awk.jp/に転送される、ってのがイマイチよくわからないのだけれど、まあ、おそらくはなんか迷いがあったりしたんだろう。


2005年10月27日木曜日

インターネットをどれだけやっても賢い人にはなれない。



インターネットには賢い人の賢いウェブサイトや、賢い人の賢いブログが多数存在していて、それらを読めば少しは賢くなれるんだと思いこんだ人達が毎日毎日躍起になって、取り憑かれたかのように賢いサイトを読み続けている。けれども、それは大きな間違いである。


インターネットをどれだけやっても賢い人にはなれやしない。
それどころか、馬鹿になる一方なのだ。




まず絶対に覚えておかねばならぬのは、賢い人はインターネットを読んで賢くなったのでは無いということだ。賢い人が賢い人になれたのは、全く逆の理由、即ちインターネットをしなかったからなのである。毎日毎日20あるいは30もの賢いブログを読み続け、2ちゃんねるや動画ファイルナビゲーターなど1秒も見ずにwikipediaを延々読み漁り続けた所で、賢い人には決してなれやしないのである。




次に知っておかねばならぬのは、それらインターネットをせずに賢さを手に入れた人達がインターネットで文章を書き続ける理由である。

彼らはインターネットで文章を書き続ける事により、人々をインターネット中毒者化している。それは、人々をインターネット中毒者化させる事により若人の可能性という芽を摘み取ってインターネット上に馬鹿を増やし、自らが「賢い人」という特権階級に居続けられるようにする為なのである。

即ち、賢い人が人々を惹きつけるようなブログを書き続ける動機はただ1つ、スターリンが優秀な人材を片っ端から粛正して自分自身の地位を守ったのと同じように、若者達をインターネット中毒者化する事で、自らの特権的賢いインターネッターな地位を守っているのである。




さらに、賢いインターネッターというものが存在している理由についても知っておかねばならない。奴らはただ単に寂しくて構って欲しいだけなのである。言うならばちやほやされたくてインターネットに裸体を晒すエロ女のようなものであり、ある意味では可哀相な人達なのである。仮に賢い人達というものがインターネットに存在しているとするならば、彼らに差し向ける正しい視線は敬意ではなくて哀れみなのである。

つまり、ウェブ上の全ての文章というものは馬鹿に合わせて書かれている。なぜならば書き手は1人にでも多く読み手を感化させ同調してもらいたいと考えており、世の中の大半は馬鹿であるからして、彼ら賢い人達は巧妙に、馬鹿でも同調してくれるようなコンテンツを延々書いては垂れ流し続けている。つまりは賢い人による馬鹿向けコンテンツなのだ。そのようなものを読んでどれだけ頷き理解したところで、馬鹿は馬鹿のままなのである。それどころかより馬鹿になる一方なのだ。




どのようなインターネットも、主婦の奥様方の井戸端会議のくだらなさのさらに下である。つまり、賢くなりたくなければまず最初にインターネットを止めるべきなのだ。

即ち、インターネットをどれだけやっても賢い人にはなれないのである。
それどころかどんどん馬鹿になってゆくのだ。






インターネットを捨てよ。
そうなりたいと願うなら。


2005年10月25日火曜日

一番大事な事



良いことは良いこと、正しいことは正しいこと。
まず、そのような先入観を捨て去るべきである。






世の中は多種多様である。
人々はそれを忘れている。


良いことにも、色々な良いことがある。
良い良いこともあれば、悪い良いこともある。
悪くない良いこともあれば、良くない良いこともある。

正しいことにも、様々な正しいことがある。
正しい正しいこともあれば、間違った正しいこともある。
正しくない正しいこともあれば、間違っていない正しいこともある。






それらと同じように、誠実さもまた様々である。誠実さというものは1つではなく、その焼け野原のように見通し遙か広がった誠実さで埋め尽くされた荒野の両極には、誠実な誠実さと、不誠実な誠実さというものがそびえ立っているのである。

その両極、即ち誠実な誠実さと不誠実な誠実さを分かつものは何かという問いは、僕のような小さな人間には一朝一夕には答えられぬ難問であり、願わくば2月3月、あるいは半年頂きたいくらいの奇問である。

これが例えば「良い嘘と悪い嘘の違いを述べろ」などといった類のものであれば眼球も乾かぬうちに「良い嘘とは嘘だとバレない嘘であり、悪い嘘とは嘘であると悟られる嘘である」と一行にて終わらせてしまえるのだけれど、「誠実な誠実さと不誠実な誠実さの違い」となると前述の通り難しい。

難しいのだが、この投稿を書き始めるに至っているという事はそれ即ち、既に2月3月、あるいは半年が過ぎ去ったという事実を指し示しているものであり、何事もなかったかのようにそしらぬ顔で、いかにも今思いつきましたといった気楽であっさりとした体裁でブログのエントリーに書いてやろうと企んでいる次第である。
内情を自ら暴露してしまっては元も子も大も佐もない。






一言で言うならば、誠実さとは忠義であると僕は思う。

忠義という言葉では、尽くす対象というものが「組織」あるいは「主君」という形で指し示されている。しかし、「誠実さ」という言葉ではその指し示しが行われていない。

即ち、誠実さに多様性があるとすれば、それは尽くす対象の多様性であり、その尽くす対象の違いにより誠実さは、誠実な誠実さと不誠実な誠実さに分類出来るのである。

では、誠実な誠実さが尽くす対象とは何かとなると、それは己の純然たる欲望であると僕は思う。己の欲望に誠実である事こそが、真の誠実さであり、人生に最も必要な要素なのである。

対して、不誠実な誠実さが尽くす対象は己の純然たる欲望以外の要素である。己の欲望に誠実であり続けるには、大変な気力体力精神力が必要となる。そこで人々は誠実な誠実さを保持する事から逃げるのである。それを世では諦めといい、あるいは妥協と呼ぶ。それは正しく不誠実そのものである。






結局の所、人は己の幸せを真に誠実に願えなくなった時点でおしまいなのだ。おそらくはそれこそが一番大事な事であり、とどのつまり僕は不誠実の極みなのである。

知ったこっちゃない。


頭のおかしなコメンテーターに居座られたブログの管理人はどうするべきか。



こういうのって次から次へと湧いてくるな。


2005年10月24日月曜日

「こんなはずじゃあなかった」



こんなはずじゃあなかった。
じゃあ、どんなはずだったんだろう。




かつて僕の両眼は凛々と照っており、全ての景色を見渡せた。

空には太陽があり、海には船が浮かんでいた。
川は薄汚れており、地には砂埃が舞っていた。

もちろんその景色は随分と醜く歪んだもので、季節も風情も無かったけれど、それでもくたびれたスケッチブックを取り出してはくだらない、空も海も大地も無いような絵を描こうと思うくらいの魅力はあった。




けれども今じゃ、何も見えない真っ暗闇の真っ直中。
どちらが上で、どちらが下なのかすらわからぬのだ。

初めてRPGをプレイした幼稚園児が「東にダンジョンがあるよ」と町の人に告げられては海沿い山沿い駆け巡り、大きく一周するのと同じように、やたらめったら駆け巡れば、見えてくるものもあろうかとも考える。

けれども、大地の在処がわからぬからして、歩む事すら出来やしない。
それどころか、落ちることすら許されない。

こんなはずじゃなかった。
どっちが上で、どっちが下なんだ。




自分の人生とは長い石段を上から先に叩き付けられながら落ち続けるようなものであると考えていた。考えていたし、事実これまではそうだった。より悪い方に、より下へ。より速く、より痛く。それこそが僕の手にしていた、正しく真っ当な現実だったのだ。けれども、今では転がり落ちたいと願っても、転がり落ちる事すら出来ない。




絡みついた見えない糸で中空に縛り付けられているのか、あるいは遂に落ち行き辿り着いた純然たる重力の中心に浮き浮かされているのか、それとも。




転がる事など夢のまた夢、落ちることすら夢の夢。


Civ4が出ちゃう。



「最も優れたゲームは何であると思うか」と問われれば迷わずにシドマイヤーズアルファケンタウリを挙げる僕としては、その事実上の最新作にあたるCivilization4が発売されるとなればワクワクせずにはいられないという状況であり、世にUPされる日本語で書かれたciv4文章は全て読んでやろうと企みながらciv4北米版の発売日に挑んでいるのだが、それは北米版であるからして輸入に伴うタイムラグが当然にして存在し、そんなにすぐに感想文やプレイレポートがアップロードされるわけもなく、待ちぼうけである。


それに従い待つに従い、ゲームが好きであったはずなのに精神的にゲームを受け付けない体になってしまった己の体が憎くなるばかりなのだけれど、スクリーンショットを見ると体の震えを抑えられない程度までには興奮している自分を確認しては「まだ僕はゲーマーとしてイケてるんじゃないか?」みたいな悲しい昔モテてた中年男の勘違い的ビブラート。都市画面のスクリーンショットなどは本当に心臓に悪い超興奮。


シドマイヤーズアルファケンタウリがどうしてcivの続編で無いのかはよく知らないのだけれど、多分権利関係で揉めて"CIV"という表題を使えなくなったシドマイヤーがそのCIVという歴史的金字塔を自ら破壊すべく作り上げたのがシドマイヤーズアルファケンタウリ。単純に言ってしまえばCIVのSF版なのだけれど、自ら作り上げたCIVを打ち砕く!みたいなシドマイヤーの執念が結実した正しく歴史的名作。もちろんバグや不実装等の大きな問題もあるにはあるのだけれど。


どういうゲームかと言うと、アルファケンタウリという惑星に辿り着いた地球人類の生き残りが、星の覇権を懸けて生存競争を繰り広げる、みたいなゲーム。町を作って都市に育てて、町を増やして国を強くして、惑星の現住生物の攻撃やライバルの攻撃、あるいは都市住民の叛乱やらをうまくやり過ごしながら、最終的には星全体を軍事力で制圧したり、選挙で国連総長になったり、金で世界を買い占めたり、宇宙船で星からの離脱を達成したりすればクリア。戦争のあるターン制シムシティ、って表現は多分適切ではないのだけれど、あまりいい表現が見つからない。


そのシヴィライゼーションシリーズの最新作にあたるCiv4が出る。
しかも、Civ3はまごうことなき駄目ソフトで、シドも時代の波に飲まれたか、重要な人物が離脱してしまったかして駄目になったのかと思っていたのだけれど、Civ4の現段階で出てきている情報を読んでいたら、どうにもこれが凄いっぽい。それはCiv3の続編と言うよりは、アルファケンタウリの続編的な印象を受ける。例えば外交の作りこみに対する執念とか、ムービーの充実具合とか、地形改造の豊富さとか。Civ3の続編では無い感じ。


で、amazonでCiv4の売れ行きを見ようとしたのだけれど、見当たらずに腹が立ったので外国のを見てみたら、物凄く売れてる。信じられない。


amazon.comではAoE3を抑えて首位だし、amazon.deではPokemonに次ぐ2位。
amazon.frでは52位(今見たら16位になっていた)と奮っていないものの、欧米ではやっぱりシドマイヤーは物凄いらしいという事を知る事が出来てとても満足。


結局のところ、皆様方はシドマイヤーズアルファケンタウリ完全版を買うべきです。
今ならなんと、たったの2000円、2000円ですよ奥さん。
歴史的名作が2000円が遊べるだなんて幸せな時代になりましたね。


あとWarCraft3 BATTLECHESTとかも。


悪いAボタン(イタイ系の人はインターネットとどのように付き合うべきなのか)



付き合うな、というのが結論なのだけれどそれでは話にならないので少しだけ。なぜ少しだけ書く気になったかというと、僕はブログのエントリーを描き始めるまでに膨大な時間が必要となるタイプであり、「イタイ系の人とインターネットとの関係」という話題に関してはかれこれ半年以上もいじくり回してきたのだけれど、きちんとした形での真性引き篭もり的ブログのエントリーとして書き上げる自信が日に日に薄れてきたので、とりあえず「雑記」というカテゴリーで勢いだけでぐだぐだ書いてみることにしたのだけれど、前置きを書き終えたこの段階で既に勢いが弱まってしまっている。なんたる軟弱。

イタイ系の人と言っても多種多様であり、その全てを一元に語る事は出来ない。例えば容姿がイタイ人が容姿のjpgをブログの左上に載せていたならばそれだけで、晴れてイタイ系の人の仲間入りである。それどころか、インターネッターの要求する容姿レベルというのは何か狂っており、並の容姿を持ってしても「自サイトに写真を載せられる神経」というものを持ってイタイ系に分類されてしまう事すらある。もちろん、読者全てがそのように思うわけではないのだが、インターネットとは数の暴力であり3vote3人3票あれば人1人を叩きのめすには十分であり隙を見せれば負けの世界。ああ、殺伐。

そこで、即ちイタイ系の人が「イタイ系の人」というレッテルを貼られる形でインターネッターに発見された時点でイタイ系の人がインターネット上から完全に消滅してしまえば、事は単純それで済む話もままあるのだけれど、イタイ系の人はイタイ系の人であるからして、インターネットに必死でしがみつこうとする。なぜならばイタイ系の人は暇でなくても暇を作り出してしまうくらいの暇人だからである。

イタイ系の人にとっての一日イコール24時間というのはあまりにも長く、それはきっと一日イコール6.8秒であったとしても「長い、長すぎる。寂しいのだ。誰か構ってくれ。」と拳を握って机をカリカリコツンコツンとやってしまうくらいに、イタイ系の人にとっての1秒というのはあまりにも長い。長いからしてその時間を綺麗に消費してくれるインターネットというシステムはイタイ系の人と見事にマッチし、インターネッターは全てイタイ系の人と言っても過言ではない程にイタイ系の人で満ちあふれている。

その中で、特定スキルに欠いたイタイ系の人のみが「イタイ系の人」として発見される。特定スキルとは言うならばインターネットとの距離の取り方であり、極端な話otuneは物凄くイタイが、otuneがイタイ系の人としてのダメージをインターネット上で被る可能性は無きに等しい。インターネットとの距離の掴み方がなっていない多くのイタイ系の人は、明らかにダメージを受けており何一つ得られるものなど無いという状況に陥って尚、インターネットから離脱する事が出来ない。

それはダメージ、即ち人間としての精神的強弱と言うことではなく、強い弱いに関わらず、「利するものが全くないのに抜け出せない」という点こそがインターネットという道具の魔であり、インターネットに関わる事業者の多くがその中毒性にいくらかは依存した商法によって富み栄えているのが現状である。「自分がろくでもない人間だって事はインターネットの向こう側もろくでもない人間だ」だとか、「インターネットの向こう側をくだらないと感じたならばその時点で自身のくだらなさに気がつくべきだ」なんて警告してくれる人はどこにもいない。無料で、手軽に、誰でも、簡単に、よりよい生活が手に入るのだと人々は誤解し、そのままドツボにはまってゆく。

インターネット悪玉論とかそういうものではなくて、事実インターネットは悪いのだ。おそらくその根源は「悪いAボタン」にある。「Aボタン」とはスーパーマリオブラザーズにおいて提示された「Aボタンを押せば画面上のキャラクターが飛ぶ」という単純快楽である。その単純快楽が悪い形で発揮されてしまっているのがインターネットである。

「悪いAボタン」即ちマウスの左クリックを押せば押しただけ、新しいコンテンツが現れる。しかも、人は一度「Aボタンを押す快楽」というものを身で覚えてしまうと最後、その快楽からコンテンツをまともに消化する事も出来ず、不完全に丸呑みして右から左へ素通りしてゆく。そして、際限なく広がるAボタンの先を先をと求めるうちに、まともに文章を読む能力を失い、まともに画像を見る能力を失い、まともに映像を見る能力を失う。エロ本は抜けるのにエロ画像は抜けないとか、エロビデオは抜けるのにエロ動画は抜けない、なんていうのも問題の所在は同じだ。Aボタンの快楽は、自慰という快楽にも勝るとも劣らぬ強力なものなのである。

結局の所インターネットから「左クリック」というものが無くならない限りインターネットには不健全さがついて回り、それに囚われて人生の時間を無駄にする人間が次から次へと量産されては食い尽くされるようになっている、のだろうと思う。




話が逸れた。


2005年10月23日日曜日

【緊急】PCが壊れそうです。【速報】



今この表題みて「ざまあみろ」って思った奴、おまえ負けな。


2005年10月21日金曜日

花火筒



溶解する痛みでくるくると丸まり花火筒のようになった体が飲んだばかりの水をぴゅうぴゅうと噴き上げ堪えんと口を結べば取り入れたばかりの活字と見逃したばかりの景色の入り交じった水が鼻から溢れ出す。


世に横たわる幾多の業を横断して解決出来る妙薬などあるはずもなし、人はそれぞれに好き勝手な薬を飲んでは好き勝手にその効果を謳う。泣かない人は泣いており、病んでる人は病んでいる。


それと同じように筒ばったテキストエディタが渾身のタイピングをはじき飛ばして寄せ流し、Ctrl+A, Deleteを押し急かす。掃除の度に雑巾は汚れてゆく。汚らわしさだけがただ憎く、魚も死に浮く清さが欲しい。


「N極のみで構成された世界に投げ込まれたS極」と自分自身をうまいこと例られたと悦に入ってからいくらか後、N極とS極は反発しあう間柄ではないと気がつく無教養さへの嫌悪感を丸めて撃ち上げる夜の訪れを寒さで知り、朝の訪れをさらなる寒さで知る。


飛べない人は飛んでおり、飛ばない人は落ちてゆく。


2005年10月20日木曜日

今日の、僕の勝ち。



月亭八光とクローバー


2005年10月19日水曜日

衝撃の事実




「ブロックブログって儲かっているの?」と言われるのですけど、これが儲かっているのですよね。



衝撃の事実。
というよりそれ、コスト計算出来ていないだけだろ、みたいな。



2005年10月18日火曜日

トラックバックスパム及びはてなブックマークスパムサイトbogusnews及びBar's Hideoutは今すぐ閉鎖しろ。



「芸のためなら女房も泣かす、それがどうした文句があるか」という1つの偉大なジャイアニズムは時代を超えて「インターネットは俺のもの、それがどうした文句があるか」へと姿を変えた。


その代表的な例が柳沢ツヨシってわけだけれど、世の中には似たようなのが大勢いる。







トラックバックスパムを打ってインターネットを私物化し、はてなのアカウントを多重に取得しはてなブックマークを破壊して、金を稼ごうとする人畜非道の糞乞食。
名をbogusnews。







ご存じの通り、ったって被害を受けた人しか知らないかもしれないけれど、bogusnewsは言うまでもなくトラックバックスパマー。しかもトラックバックで強制的にリンクを貼り付けられるその内容が誹謗中傷を多分に含むデマであるからして性質が悪い。まあ、トラックバックスパマーには金目当ての誘導の為のデマが付きものであり、bogusnewsも同類。







さらに、はてなブックマークを多重アカウントで私物化。


mendexxのブックマーク
O3Oのブックマーク
vororoのブックマーク
u666uのブックマーク
hshiobarのブックマーク
MERICANEのブックマーク
Wlizabethのブックマーク
gothicssylkのブックマーク
muuchannのブックマーク
ufo000ofuのブックマーク
ajaildebのブックマーク
gothicsのブックマーク
optryuのブックマーク
EXanTAのブックマーク
NUTAのブックマーク


3*5で15アカウント全てbogusnews。
まったくもって胸糞悪いも程がある。
「『みんな釣られすぎ』」って、それ全部本人だ。
あんたが釣られてんだよ、っていうか実に救いようがない。
はてなブックマーカーってのは揃いも揃って馬鹿ばっかだな。
まあ、全員が全員馬鹿ってわけじゃなく、こういうのを頻繁にブックマークしている奴らが超絶馬鹿ってだけなんだろうけれど。id:nopiとかid:nopiとかあとはid:nopiさんとか。







しかも、15アカウントで全て自サイトのみをブックマークしておきながら唯一ブックマークした人様のウェブサイトが月刊チャージャーという所であり、それにつけたコメントが「チャージャーは転職サイト向け広告媒体。風邪ひいても休まず働けって雇用者の提灯かつぎにしか読めない」であるからして、呆れるも果てるも通り越す。その上で自分のブログには「全米が泣いた」とか「ホントだ」とか「テラワロス」とか書いているわけだからして開いた口がふさがらない。こういうジャイアンが泣いて逃げ出すような輩のスパム脳というものは到底理解の及ばぬ所であるとしか捉えようがない。







というか、どうして誰も気がつかないのかが理解できない。まあ、ある意味では気がつくくらいはてなブックマーク監視してるってのがバレてこっぱずかしい、みたいな所でもあるが。id:kanoseとかヒント出してやったのになにやってんだろうなあ。お前の価値なんてこういうのをちゃっちゃと叩く点だけだろ。僕はもうそういうトラブルトラブルした投稿をやりたくないんだからお前らちゃんとやれよ。ああ、胸糞悪い。










逃げたらしいのでコメントだけ引用しておく。


検索
テラワロス
ホントだ
全米が泣いた
地上波でみた。かわいいじゃん
西原亜希タンハァハァ
赤ければいいのか
濱田マリファンだったんだけどなー
正直、MARSFLAGはよく持ちこたえていると思う。もしかしたらもっと早期に縮小に向かうかもしれないと想定して
ハム式参拝はいけないとおもいます
国内で徹底した人間排除を実現したのは同社が初めて
つくる会シンパの批判文
特に日本製のメガネからはおよそ2,200~5,600ppmと大量に検出された
パソコン本体のデータを破壊するなどの害はないが、「PCに接続されたディスプレイを劣化させる」のが特徴
今後は「各報道機関にも前原氏の顔写真掲載自粛をうながしていく」考え
元記事をまとめると「自著が売れません。なぜですか? 陰謀ですか?」というデンパ論議ってことだよね
骨折したのはXbox事業チーフオフィサーのロビー・バック氏。新製品「Xbox360」のプレゼンテーション中だった
「遺伝子を減らす」ことで体重を減らす遺伝子型ダイエット
藤沢社長が「ヨドバシにメイドは一歩も立ち入らせない」との暴言を吐いたという噂が広まった
つくばエクスプレス・秋葉原駅ホームのベンチ下で大学生が発見。毒はないとのこと
ウォームビズ対応しているのは昨年11月から発売されている「SCPH-70000CB(クロコゲ・ブラック)」
「開店と同時に商品を手に入れた人々の歓声はすぐに阿鼻叫喚へと変わった」買わないでよかった
通報を受けて駆けつけた警察官に「しゃあしゃあ」としか答えなかったことから現行犯逮捕に踏み切った
「涙なしで見れない傑作。スジンが飛ばしたスイカの種で部屋がいっぱいになるシーンでは観衆の嗚咽で…」
[選挙]綿貫代表は「“誰でもロリ+コスプレがだいすきだろう”とむりやり押しつける小泉独裁を許さない」
前例のない“開票前の当確打ち”となり報道倫理上の議論を呼びそう
「私は小学生になったころにはすでに女性自身に特別な関心を寄せていた」と私情を吐露
「落下傘候補側のウリは清純そうな顔とウラハラに、糸を引くような情熱的舌技」
「現実にはチビノリダーが伊東美咲とつきあえるわけない」…そういえば8日の放送はなかった。打ち切りかあ
12GBメモリ搭載。「ガムテープ部を除くと厚みはちょうどnanoの3倍」
「コンセプトは“どこでも首吊り”」
もともとAppleファンは“自分だけクール”と思っている性格の悪さで定評がある。はっきりいっていけすかない
わたしを忘れるなんて…ジョブスね?もうジョブスが新製品を出したのね?と泣きつかれたという
乗組員らの豊富なノウハウを活かし、自家生産の大麻や合成麻薬MDMAをネット販売する
「WX310Jの古ブラウザはgopherクライアント。HTTPプロトコル通信は一切不可能となっている」
DVDボックス購入総額、総キーボード打鍵量などで日本は世界一
「わたしも昔はニートだった」…タレントになったキッコロインタビュー
最後まで手を離さずにいたほうが真に消費者想いの規格
ぜんぶ当てはまる人のメール文例
そしてサイドバーだけ使う男の話
Amazonに「チーズスイートホーム」の2006年版カレンダーの予約が出てる
トレイ・パーカーとトイレカバーをつなげる次世代技術
女子生徒Aさん(16)、帰国してから日常会話はすべて低地ザクセン語で話している
ストレスからか「赤いボールを見ると興奮するようになってしまった」者もいるという
「292便乗客のみなさんは腕の力が強かった。生還のカギはまさに彼ら」
派遣料は一時間10,000円~(交通費別途)。チェンジ不可
「“六枚のとんかつ”以来の本格ミステリ。衝撃のあまり原稿を落としそうになった」
門脇の琴木星は玉乃島を右触手投げで下して10連勝の単独首位を守った
製造元のシャープがシャープペンシルで培ったステーショナリー技術が存分に活かされている
メガネから検出されたのは「PDD(pregna-4,20-diene-3,6,-dione)」。特に日本製のメガネからは大量に検出
白線の交叉点に灰色がかかって見えたらOPTILLに感染している可能性がある
ベストケミカルジーニストは俳優の伊藤淳史さん、一般投票部門はHIROさん(安田大サーカス所属)が受賞
総務相の心の痛みなど想像する必要も感じない
「阪神を必ず支配する」
「検索業界では他社も密かにロボット化を進めているとの噂が根強い」はてなも?
縦縞ユニホームの男たちにネズミで脅されむりやり“先取り約束機”を奪われた
「弊社製品はみなデリケート。理解できない人は東芝gigabeatのような無骨なガジェットを使ってほしい」
ムック氏を殺して自分のからだを赤く塗れば“わしがムック”と偽って子供向け番組に出演できると思った



よくもまあここまでぬけぬけとやれるもんだ。



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ついでにタグ一覧。











というわけで主旨bogusnewsは今すぐ閉鎖しろ。
当然http://barshideout.seesaa.net/もな。以上。


2005年10月17日月曜日

いちいち誤字を指摘にくる奴とはうざすぎ、あと被はてなアンテナ数いくつかなーと思って



誤字とか脱字とかリンク先間違いくらいでかっかすんじゃねえ。
誤字とか脱字とかリンク先間違い指摘くらいでかっかして何が悪い。
みんな消えちゃええEherioavjfhjdssbj,hmlxdac ldgnrjhl cjmxccd  j.l;.asd; pkl hf








あと、被アンテナ登録数いくつかなーと思ってワクワクしながら見に行ったら1だったので猛烈に落ち込んだ。もう立ち直れそうにありません。さようなら。ごめんなさい。


世界開放系の唯石がかっこ悪すぎる件



世界開放系というタイトルからしてあいたたたなブログの管理人である物凄くリアルあいたたた系ブロガーである唯石のブログのあからさまにはてなブックマーク狙いなFasterfoxが最強すぎる件という超級覇王糞エントリーがはてなブックマークで58被ブックマークもされているのを目にして、被はてなブックマーク数だけがアイデンティティの僕としては断じて見逃すことが出来ず、嫉妬の怨念で紡ぎ出された藁にて藁人形を織り上げて八つ裂きにしまくっていたところ、事態は急変した。




最速インターフェース研究会というタイトルからしてあからさまに靴下も1人で履けずパンツも自分で洗えないようなパソコンしか脳の無いカリスマアルファハッカーブロガーのはてなを使わない事だけが俺のアイディティティさんから思いっきり叩かれてやんのwwっwwwwwっwwwwっw。かっこわりいーーーー!!!唯石まじカッコワリィーーーーーウリリリリィイイイ!!ざまあみろ。




だいたいからして世界開放系の唯石あいつ最近あからさまにはてブ狙いなエントリーで結構ブックマラれてたりして調子に乗ってるから滅茶苦茶むかついてくけけけ。余計なことするんじゃないよ。いいかい、僕のはてなブックマークを汚すブロックブロガーは誰であろうと容赦しないんだからな。あそこは僕のマイバックヤードなんだから。

ブロックブログにHEROは1人でいいんだ。
僕だけでいいんだ。他には誰もいらないんだ。
僕だけがブロックブログで一番誰よりもうまくはてなブックマラれるんだ。

わかったか?
わかったな!
よおし、それでいい。






マジ、これ以上あまりにも目に余るようだと、竹内克仁に頼んでブロックブログの全サーバーを落としてもらって世界開放系を更新できないようにしちゃうからな。そこんとこよおく覚悟しとけよ。


アルファブロガー



ベッドの上の彼女の上で何度目かの夜を過ごしていると彼女が言った。
「死ねばいいのに。」








「誰が?」

「夫。アルファブロガーなの。」

「アルファブロガー?」

「そう、アルファブロガーなの。」

こんな時に旦那の話をしはじめるなんてと、僕は少し萎えた。




「死ねばいいのに。」

「どうして?」

「だって、アルファブロガーなのよ。信じられる?うんざりなの。」

「アルファだから駄目なの?」

「ブロガーはみんな駄目よ。あんなの。」

僕もブログを書いているんだ、なんて言い出せる雰囲気じゃなくなった。




「みんな頭がおかしいのよ。正気じゃないわ。」

「ブロガー?」

「そう、ブロガー。ブロガーは全員頭がおかしいのよ。」

「そんなものかな?」

「おかしいのよ。」

うんざりしながら耳たぶを舐ってみたが、彼女は話を止めなかった。




「ブログを書き始めて1ヶ月で10%の人が頭がおかしくなるんだって。」

「ほんとう?」

「ええ、主人が言ってたわ。主人、こういうくだらないデータには強いの。」

「そうなんだ。」

「アルファブロガーだから。」

「なるほど。」

「3月で38%の人がおかしくなるの。」

「じゃあ、三ヶ月以上ブログを書いている人の62%はまともなの?」

なにもわかってない、という目で彼女は僕を睨み付けた。酷い目だ。




「違うわ。60%の人はブログを書くのを止めるのよ。三ヶ月で。」

「あー、なるほどー。じゃあ、残りの2%は?」

「生まれついてのおかしい人よ。アルファブロガーってのは、みんなそう。」

「確かに、そういうところはあるかもね。」

幾人かのアルファブロガーを頭に思い浮かべて、僕は納得した。




「強姦魔や人殺しと同類の人達が有り難がられている。それがブログ、ブログ、ブロガー、ブログ。」

「それはちょっと言い過ぎじゃあないかな。」

「馬鹿。馬鹿ね。真鍋かをりを見てご覧なさいよ。あれはキチガイの目をしているわ。」

まったく、アルファブロガーの話をしているときにかをりんは無いだろうと僕は萎えた。




「あの女はね、躯で仕事を取っているの。淫売よ。売女、売女。」

「そうなの?」

「そう。主人が言ってた。」

「あー、ご主人が。」

「主人はね、こういうくだらないのには強いの。まともなのは全部こけおどしだけど。」

「そうなんだ。」

「そう、死ねばいいのよ。」

アルファブロガーの妻に手を出すのはもうやめようと思った。




「あ、ケイタイ。」

「携帯。」

「誰から?」

「夫。アルファブロガーよ。声も聞きたくないわ。」

「そう、だね。」

「死ねばいいのに。」

「そうだよね。」

「一緒に暮らせる。」

「誰と?」

「あなたよ!」

語尾を強められても、と僕は思った。心おきなく中で出せるって以上の価値は君には無いよ、なんて言うわけにもいかなかったし。





「死ねばいいのに。」

「死ねばいいのにね。」

「さあ、続きをしましょう。」

「うん。僕が宇宙と天国を同時に見せてあげるよ、いつもみたいに。」

「お願い。全部見せて。いつもみたいに。」

ブログを書くのを止めようと思った。








「ちょうだい、はやくちょうだい!」

「はいはい、パイルダーーーーオーーーーン!」

頭がおかしくなる前に。


2005年10月15日土曜日

bogusnewsとかいう糞サイトからトラックバックスパムが来た。うざいことこの上ない。



社長ママの方がよっぽどマシ。
あー、スパマーうぜえ、スパマーうぜえ。


「死ねばいいのに」って書いて死んでくれるなら「死ねばいいのに」って書くけど、死んでくれないだろうから「殺してやる」って書いとくか。有言実行で。


ぼんやりと上を見上げていると



ぼんやりと上を見上げていると、眼球が重みに耐えかねて脳にめり込み頭の痛みを誘因しながら後頭部を突き抜けて床に落ちる。ぽちゃり、ぽちゃりと2つ。
全てが重すぎる。

自分に足りないものは一体何なんだろうと考えようとしたものの、「面白いエントリーを書く能力」と即答されて気が滅入る。まったくもって困ったものだ。雨が降れば雨が降ったで、雨が止めば雨が止んだで気が重い。
微熱が冷めない。

適切な睡眠時間とはどのくらいなのかと考えたりもする。一日18時間寝ていた事もあったし、一日に12時間横になっいても2時間しか眠れない事もあった。今はすぐに眠れ、すぐに目覚める。緊張で食道が膨張している。
まとまらない。

自分自身が溶け出してゆく。
廃棄油で作られた石鹸のように薄汚れた清潔感。


2005年10月14日金曜日

ブロックブログの致命的な不具合。



表題の長すぎる投稿を行うと、編集画面に入れなくなる。
即ち、削除する事も編集して表題を短くする事も出来ない。


これ即ち、改変履歴&誤字脱字変換ミスの1人晒しあげ状態myself!!!




あと、突然カテゴリーに関する仕様が変更されて表示順が滅茶苦茶、というか上下逆になってしまったのも悲しい。





powered by BLOCK BLOG


IE7で起こるIEのタグブラウザ化はユーザーインターフェースにどのような変革をもたらすのか。それによりSEOはどう変わるのか。



そんなむずかしいこと、ぼくにはわからないな。


ハニフェス、遂に始まる!




はてなだけがインターネットじゃないですよ、と。

2005年10月13日木曜日

僕が煙草を吸わない理由。



僕は煙草を吸わない。
だってここには煙草は無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕はTVを見ない。
だってここにはTVは無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は酒を飲まない。
だってここにはお酒は無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は愛など信じない。
だってここには愛など無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は本を読まない。
だってここには本など無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は歌をうたわない。
だってここには歌など無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は映画を見ない。
だってここには映画は無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は夢を見ない。
だってここには夢など無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は空を飛ばない。
だってここには翼など無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は阿片を吸わない。
だってここには阿片など無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は覚醒剤を打たない。
だってここには覚醒剤など無く、僕は真性引き篭もりだから。








僕は阿片を吸わない。
だってここには阿片など無くて、僕は真性引き篭もりだから。


僕は覚醒剤を打たない。
だってここには覚醒剤など無く、僕は真性引き篭もりだから。


僕はブログを書く。
だってここにはブログがあって、僕は真性引き篭もりだから。


10月13日の俺ルール。



「ビデオiPod+以外でした」と書いた奴は全員俺に惚れている。
(意外でした、では無い点に注意すること)




enjyoi!!


はてなブックマークの注目のエントリーに自分のブログのエントリーを送り込むためにプライベートモードのアカウントを作成して自作自演



はてなブックマークの注目のエントリーに自分のブログのエントリーを送り込むためにプライベートモードのアカウントを作成して自作自演でセルフブックマークしている奴がいるんじゃないかという疑惑が僕の中で今猛烈に浮上している。







その疑惑が浮上するきっかけとなったエントリーが、これである。3ブックマーク中1ブックマークがプライベートモード、即ち、プライベートモード率が実に33%。これは異常な数字だ。





しかも、疑惑はこれだけに収まらない。

koshinishiki397のブックマーク
HOGSHEADブックマーク
ご覧いただけたであろうか。怪しい。怪しすぎないか、これは。自分のエントリーを注目のエントリーに送り込むためだけに作り出されたアカウント人格ではなかろうかという疑惑。

しかも、このshinseihikikomori.bblog.jpってやつは他にもかなり怪しい。
例えばこれなんか5ブックマーク中、3 privateだし、これも同じように5ブックマーク中、3 private。あと、10/30 privateとか、13/33 privateとか、そういうprivate率の高いのが異様に多い。俺は絶対コイツはヤってると思ってる。




ふざけるな。
私は潔白だ。














はてなブックマークが一定の人気を得る事に成功したのは、はてなというインテリジェントセレビリティ志向のユーザーが多いサービスにおいて、「理想の自分を簡単演じられる」という場所を提供したからに他ならない。

例えばajaxに関するエントリーを20書くのは非常に困難な作業であるが、ajaxに関するブックマークを20行うのは簡単な作業である。それと同じように政治、経済、時事問題、あるいは音楽芸能にいたるまで、ブックマークのボタンを押すだけで自分自身を演出できるという手軽さが受け入れられたのである。

はてなブックマーカーなどというものは、全員詐欺師のようなただの暇人であり、はてなブックマークなどというものは詐欺師の暇人の暴力だ。いい例があれだ。「laisoのブックマーク」がそうだ。あれは暴力の塊だ。勉強でもスポーツでも何でも俺はこの理屈に当てはめて考えている。はてブ界隈で真性引き篭もりhankakueisuu(ファミっこでいう宮本茂クラスのカリスマ)がなんで偉大なのかだってそう。

即ち、はてなブックマークをパブリックで使っている奴は全員暇人であり変態なのだ。
あんな奴ら、ろくなもんじゃねえ。












だいたいからして、プライベートでブックマークされたくらいで「書き手が自作自演でやってるんじゃないか?」だなんて疑われるだなんて、嫌な世の中だ。全然そんな事は無い。


private率の高いエントリーは大きく2つに分類することが出来る。
1つは、privateをブラウザのお気に入りの延長線上として利用している人達がよくブックマークする「便利なウェブサイト系」。

もう1つは、人に見られたくは無い私的なブックマークが多いのでprivateにしている人達がよくブックマークする「私的なエントリー系」、即ち他人に閲覧している事を知られるのが恥ずかしい系、一言で言うならイタイ系である。




例えば当ブログのエントリーで言うと、お笑い系エントリーであるもしも戦国時代にmixiがあったらのprivateブックマークは3/46と10%を切っているのに対し、真性引き篭もりトップページのprivateは13/33と非常に高い。

即ち、トップページのprivate率から求められる当ブログのイタイ系ブログ度は39%なので、private率が物凄く高くて当たり前なのです。










結局のところ、id:jituzonさんが叩かれてるのって、低学歴のNEETとか引き篭もりとかそういうネットしか生き甲斐の無い奴らが僻みと妬っかみで粘着してるだけ。それに、id:jituzonさんのエントリーは全部イタイ系エントリーなのでprivate率が高くて当然だし。


2005年10月12日水曜日

イングランドは素晴らしい。



イングランドは素晴らしい。まず第一に飯が旨い。

という書き出しのエントリーを書き出したのは、一度や二度の事ではない。それ程までに、イングランドが好きだ。あるいは、その程度にはイングランドが好きだ。





ときたま、ブログの書き方というものがわからなくなる事がある。
書きたいことは幾らでもあって、出来ている文章も頭の中に山ほどあるのに、テキストエディタを立ち上げたままで身動き取れずに息をしている。丁度、今がそうであるように。

同じように、生き方というものがわからなくなる事がある。
誰もが生き方というものを知ったつもりで生きている。人は皆物心が付く以前から生きていたし、物心が付いてからも生きてきた。だから、それは当たり前の事なのだと思っている。けれども、生きる理由だとか人生の意味だとかそういうものではなく、生き方そのものがわからなくなる事があるのだ。

この先僕が長く冥王星に届くくらいまで生き長らえたとしても、心臓の動かし方一つ身に付けることが出来ない。おそらく、命はそこにあるのに。同じように、脳の動かし方一つ身に付ける事が出来ない。おそらく、心はそこにあるのに。あるとすれば、魂も。

そのような無力感を取り払ってくれるのはいつも、苦しさ悲しさ罪悪感、湿度ある痛み頭痛の類。そしてそこから僕を救い出してくれたものが例えばDOTA allstarsだった。





イングランドは素晴らしい。何よりも良いのは元旦構わずフットボールをやる点だ。日本のテレビ番組や日本のスポーツをまともに見ることが出来ない自分にとって、これまでの生きた元旦の中の最も苦しい元旦の、TVの中のイングランドのフットボールは唯一の救いであったし、それだけがあの日の僕を支えてくれた。

同じように、どうしようも無い時の変愚蛮怒やディアブロ2、あるいはWarCraft3といったゲームは確かに「生き方」と呼ぶに相応しいだけの自分にとっての確かな支柱。

あの頃あの日のそれよりも、遙かに強靱な不可能性を伴う月日であったこの1年、半年、三月、二月、一月、昨日、あるいはこれから幾らか少し、丁度、今、ゲームもフットボールも完全に失ってしまった自分を唯一支えてくれていたものは、このブログの読者の皆様方に他ならず、それが一つだったのだと強く思う。

即ち僕は、シドマイヤーや堀井雄二、ホットショットに感謝したそれよりも遙かに強く誠実に、このブログの読者の方々の1人1人に感謝せねばならぬのだろう。

故に、感謝しようと思う。
思うだけであり、感謝はしない。


IP、ってのは女々しい。



かつフェアアじゃない。

例えばあらゆる物事にはルールというものがあったならばそれを守った方が勝ち、みたいな所なのだけれど、幸か不幸かルールなんてどこにも無い。とすると、人間の行動を分かつものは正々堂々と勝ち負けするか、勝てばなんでもいいか、という事になる。

そこでいくつかのケースにおいて、特に自作自演などについてはIPというものが決定的なわけだけれど、それはないだろう、という気がする。なぜならば、あらゆるウェブサイトには自由に自作自演出来てしかもIPをばらされるリスクの無い人間というのが1人だけ存在するのだから。それはもちろんウェブサイトの管理人であるからしてそれは即ちフェアじゃない。

さらに、ガ島通信の時に思ったのだけれど、IPを持ち出すってのはガキの喧嘩に親が出てくる的なものがあって、物凄く格好が悪い。後から出すなら最初から全IP表示にしておけよ、と思う。

おまけに、IPを偽る程度の事は犬でも雉でも出来るわけで、仮に全てをIPに求めれば徹底的にやる方が勝つ、という事になりかねない。

不正で後出しで穴がある、となれば卑怯だと思わない方が難しい。






だいたい何が一番許せないかというと、「フェアアさ」という存在自体が自分でもよく理解出来ない概念に押されてアクセス解析を絶対に入れられない人間である自分自身が許せない。僕だって「今日のリファ」とか、「本日のユニークは」とかやりたいのに、自分とこのアクセスカウンタがユニークなのかPVなのかさえわからないというせつなさ。さらにもう1つの理由が「アクセス解析入れると精神的に持たない」だからして、お前どんだけ打たれ弱いんだよ、みたいな所があって物凄くやるせない。結局の所アクセス解析を入れている人間を見ると片っ端から刺し殺したくなる。


2005年10月11日火曜日

インターネット中毒者は理解不可能な文章を目にしたときどのような行動を取るのかというサンプル。



僕は賢い。
とてつもなく賢い。
即ち、僕は馬鹿である。
その辺り、よく把握している。つまり、自分には理解不可能な文章や事象が存在するという事を知っているのである。

そして、本日先ほど今し方、理解不可能な文章というものに出会った。





「これこそが神学というものなんだが説明するほど儂も若くなくなってしもた。」
それが、これだ。

そこで僕のとった行動は、反射的にSlepnirの検索窓に「a これこそが神学というものなんだが説明するほど儂も若くなくなってしもた」と打ち込んでEnterというものだった。
「a」のショートカットには、全英和時点を割り振っているからして当然の如く和訳された・・・と、ここでこの文章が英語では無く日本語である事に気がついて半ば茫然自失としながら、Googleに飛び「これこそが神学というものなんだが説明するほど儂も若くなくなってしもた」とコピペしてEnterしたが、当然にしてhit数0件。

仕方がないから「神学+歴史」とか、「神学+成り立ち」とか、「押尾学とは」とか、「神学 + 解説」などで検索しまくって片っ端から読んだのだけれど何が何だか理解できず。

相当に混乱してワケワカメ状態でパニくっていると、自作のはてブコメント新着チェックアプリケーションが新着報告を出してきたので見に行くと「これこそが神学的命題というものなんだが説明するほど儂も若こうのうなってしもた。」に書き換えられていた。






ざけんなよ!てめえ!!

「これこそが神学というものなんだが説明するほど儂も若くなくなってしもた」と、「これこそが神学的命題というものなんだが説明するほど儂も若こうのうなってしもた。」じゃあ、全然違うじゃねえか!!!致命的なまでに違うじゃねえか!!!!後者だったらなんとなくわかるじゃん!!!!!貴重な時間を無駄に費やすことも無ければ頭抱える事も無かったのに!!!!!!


しかも、「若くなくなって」を「若こうのうなって」に書き換えているあたり、老人キャラ演じすぎ。無理しすぎ感漂いまくり。本当は10代で美少女とかそういう感じなんだけれど、女でしかも10代って言っちゃうと甘く見られたりするのでそれが嫌だから、この人は必死でネ爺を演じているんだろーなーと思いました。多分いい線ついてる。










がらっと話は変わるんだけど僕は、「当ブログをはてなアンテナに登録してくれている=胸揉んでもいいよというサイン」だと思ってるし、「当ブログをはてなRSSリーダーに登録してくれている=セックスしようよというメッセージ」だと思ってるし、「当ブログのエントリーをはてなブックマークしてくれている=下唇を吸ってくれという懇願」だと思ってるので、性別が女の人はその点物凄く注意してください。既婚だろうが40代だろうが構わず欲情できるくらいに童貞脳なので。これはネタとかじゃなくて本気で物凄くシリアスに思ってるので、ヤバイと思った人は急いで登録を解除した方がいいです。あと、自作のアプリケーションで登録を解除した人と、新規に登録してくれた人のチェックも行っているので登録解除したら解除したで目の色変えて調査します。即ち、いろんな意味で相当にナチュラルデンジャラスが故に、「これって完璧にイタイ系の人の行動だよなぁ」と本気で滅入っている所であり、そのイタさを軽減するが為にカミングアウトするも逆効果、みたいな所が現在地。


もしも僕が今ここで「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いたならば



僕は結城浩ではない。








確かに、僕と結城浩の間には不思議なまでに共通項が多いのは事実だ。
共に左利きであるし、共にはてなダイアリーを書いている。
同じように出っ歯だし、眉毛の頭を捻り引き抜く癖がある。
共に一日中インターネットをしており、他にやる事が無い。
互いに素人童貞であるし、マゾしのを全巻隠し持っている。
共に神と性善説を信じており、毎日祈りながら生きている。


けれども、である。
状況証拠を見る限りでは、僕は結城浩ではないと言い切ってよいだろう。結城浩はプロレスを真剣勝負だと信じており、僕はあんなもの嘘っぱちだと思っているからだ。僕は結城浩ではない。





つまり、僕は結城浩には決して書き得ないエントリーを書くことが可能なのである。
それは、「もしも僕が結城浩であったならば」というエントリーだ。それは結城浩には決して書き得ないものだ。たとえ「もしも僕が結城浩であったならば」という表題のエントリーを結城浩が書いたところで、それは「もしも僕が結城浩であったならば」ではない。「もしも僕が結城浩であったならば」という表題のエントリーに過ぎない。


即ち、僕が結城浩であったならばにおいて僕は、結城浩に対し、一方的なアドバンテージを所有しているのだ。そしておそらく今僕はそれを行使しようとしているのである。これは、早い者勝ちだ。一番乗りである。知らないけれど。重要ではない。


例えば、もしも僕が結城浩であったならば、まず何よりも湯船に水を張って湧かし、あったかい布団で眠るだろう。そして、おかえりと言う人にはただいまと言い、行ってきますと言う人には行ってらっしゃいと言うだろう。けれども、重要なのはそのような仮定ではない。もっと別の仮定である。


もしも僕が今ここで「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いたならばそれは犯罪予告であり、通報されて捕まるだろう。けれども、テキストエディタの新しいファイルに「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いたのならば、通報もされないし捕まりもしない。重要なのは、公開レベルなのだ。








ここに、1つのウェブサイトがある。
名を王様の耳はロバの耳という。




「ロバ耳」はあなたが好きなことを自由に話すための場所です。


内容は自由ですし長さも自由です。ぐちをこぼしてもいいし、誹謗中傷を叫んでもいい、いわれの無いことを言いまくってもいいし、のろけ話になってもいいです。とにかく、完全に制限なし、と思ってください。



ルールは、こうだ。
即ち、何を書いても構わないウェブサイトなのである。



ルール3.あなたが話すことは公開されません
「ロバ耳」で話したことは、Webなどで公開されることはありません。



そして、こうだ。
それは、絶対に公開されないウェブサイトなのである。









即ち、王様の耳はロバの耳で誰かが自分の姓名を明記した上で「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いたところで、通報される事はないし、捕まることもない。僕は結城浩ではないが、もし仮に僕が結城浩であったとしても、通報はしないし、公言もしないだろう。それは明示化されたルールなのだから、当然にして明白なのである。




即ち、王様の耳はロバの耳で誰かが自分の姓名を明記した上で「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いた上で結城浩の親類縁者を皆殺しにしたところで、通報される事はないし、それが完全犯罪であったならば、捕まることもない。僕は結城浩ではないが、もし仮に僕が結城浩であったとしても、通報はしないし、公言もしないだろう。それは明示化されたルールなのだから、当然にして明白なのである。




即ち、王様の耳はロバの耳で誰かが自分の姓名を明記した上で「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いた上で結城浩の親類縁者を妻と子供を除いて皆殺しにしたところで、通報される事はないし、それが完全犯罪であったならば、捕まることもない。僕は結城浩ではないが、もし仮に僕が結城浩であったとしても、通報はしないし、公言もしないだろう。それは明示化されたルールなのだから、当然にして明白なのである。





即ち、王様の耳はロバの耳で誰かが「世界中の人という人を片っ端から殺していきますが、貴方がブログに"殺せ、殺せ、もっとやれ!1人残らず皆殺しにしてやれ!"と書けば殺すのをやめます。」と書いた上で世界中の人という人を片っ端から殺し始めたならば、どうだろう。もしも僕が結城浩であったならば、僕は迷わず自分のブログにこう書くね。














殺せ、殺せ、もっとやれ!
1人残らず皆殺しにしてやれ!


嫌韓はロックだ。



嫌韓はロックだ。
そして、ロックは死んだ。




大人は嘘をついている。
僕たちは本当の事を知っている。

嫌韓の肝はそこであると宣伝されてきたし、今も宣伝されている。そして逆に言えばそこでしかなかった。特定部位のみを編纂して報じるエドサリバンへの反抗としての嫌韓は、同類の編纂に基づいているという点において初めから、成り立つ余地など無かったのだ。

嫌韓は暴力への衝動、暇人の為の娯楽でしかなかったし、これからもそうであり続けるだろう。その点において嫌韓はインターネットを代表するコンテンツとなった。多くのブログサービスのランキングに、嫌韓ブログが顔を出す。そして、彼らをブロガーたらしめているものは偽対真などではなく、最もアクセス数を稼げるコンテンツとしての嫌韓だ。嫌韓はエロや2ちゃんねると並び、簡単に人を集める事の出来る題材になったのである。

そして2005年の1億総アフィリエイト時代においてそれは、文字通り最も稼げるコンテンツである事を意味する。そして、事実そのように利用されている。つまり、韓流と嫌韓はまったく同じなのである。韓流が暇を持てあましている特定層をターゲットにした娯楽を提供する商売であったのと同じように、嫌韓もまた、暇を持てあましている特定層をターゲットにした娯楽を提供する商売に過ぎない。

つまり、嫌韓はロックですらない。
そして、ロックは死んだ。


人類の生活は日に日に便利になり、それに伴い暇というものが生産され続けている。暇というのは自ずから存在するものではなく、作り上げられたものなのである。テレビが無い頃は純然たる時間であったものがテレビによって暇に変換され、暇人が生み出された。同じくパソコンが無かった頃は時間であったものが、パソコンによって暇に変換されている。人間は大切なものを見失うように出来ている。そして携帯電話が孤独を生み出したのと同じように、暇が嫌韓を生み出し、暇人が嫌韓を育てた。

嫌韓の示す世界観では日本は常に虐げられる側である。大日本帝国を絶対悪として描くいわゆる自虐史観の対極に、日本を絶対是として描き特定の第三国を絶対悪として描く現在進行形自虐史観が存在する。そしてそれこそが嫌韓の正体である。

現在進行形自虐史観をまるで新しくて正しいもののように受け止める若者がそれらを強く支持しているが、それは新しくも正しくもなく、世界中どこに出もある人種差別のマイナーバージョンに過ぎないといのである。元来我が国の素晴らしさとして確かに存在していたはずの人種差別という認識の薄さを、不必要に自ら手放すものに他ならない。

嫌韓に偽対真としての魂など、最初から無かったのだ。左がお笑いであったのと同じように、右もお笑いであったに過ぎない。そして今や、それに触れる事すらお笑いである。ヨン様に群がる彼らと、漫画嫌韓流に群がる彼らはまったくの同質なのである。

即ち、嫌韓はロックではない。
そして、ロックは死んだ。


そもそも、嫌韓の動機としてあげられる愛国心というものが間違いである。
人類の歴史上、愛するに値する国など1つも存在しなかったし、これからも存在しえぬのである。同じように聴くに値する音楽など一曲も存在しなければ、見るに値する絵画も存在しないし、読むに値する文学も存在しない。祈るに値する神も存在しなければ、当然にしてアクセスするに値するブログなどというのも存在しない。それらは、愛する人がいない人と、愛してくれる人がいない人が作り出した、愛する人がいない人と、愛してくれる人がいない人に向けて提供される、愛の代替物という娯楽に過ぎない。この世界に愛するに値するものがもしも仮に存在するとすれば、それは人間以外にあり得ない。

全100億人類の中で、産まれたその瞬間から1人で立って歩けたものはいない。箸を持てたものもいなければ、1人でトイレに行けた人間も存在しない。僕らがインターネットを出来るのも、キーボードを叩けるのも、パソコンの前にいられるのも、全ては愛の賜なのである。その点において我々は愛によって生き、愛によって生かされている、愛の化身そのものなのである。必要なのはそれを思い出すことと、忘れぬことである。必要なのは暇を潰す事などではなく、愛に感謝することなのである。

人を嫌韓へと向かわせているものは愛国心という愛などではない。愛の欠如なのである。やり場のない愛と欲望と青春時代というモラトリアムを背に受けてロックが大衆に滲透していったのと同じように、作り出された暇によって明示化された行く宛ての無い愛への餓えが、嫌韓の背景にあるのである。

何のために、何をするのか、なぜそうしようと思うのか。それを一秒一秒自分自身に問う姿勢こそが、一億総暇人時代に求められる誠実さなのである。人々はそれを見失っている。インターネットはそれを見失わせる。




嫌韓はロックではない。
そして、ロックは死んだ。


キャベツを探す旅



よろしくやりたい。よろしくやりたい。今すぐにでもよろしくやりたい。


2005年10月10日月曜日

日に日にゲイツが憎くなる。



ウインドウズのログイン画面で「3通の未読メッセージがあります」という表示が消えないバグ。未読メッセージなんて一通も無いのに。メールなんて来ないのに。


2005年10月9日日曜日

反米左翼www



http://www.cnn.co.jp/science/CNN200510090018.html


・ロボット運転の車、砂漠レースで初完走 米軍が賞金


これは、戦場で遠隔操作なしで動き回れる車の開発を進めるのが目的。米議会から、2015年までに軍車両の3分の1を無人化し、犠牲者を減らすよう求められてるのが、そもそものきっかけだ。



犠牲者を減らしたいなら、戦場を3分の1にした方が手っ取り早いし確実だよ。



少子化は金です。



少子化は金です。
その点において「少子化問題など存在しない」という物言いは正当です。
これは金銭問題です。








まず始めに。


少子化を問題であると認識している人間には大きく3つに別ける事が可能です。


1,子供が欲しいが社会的、金銭的制約により望み通り産む事が出来ない人達。
→産みたいので支援してくれ。
→少子化対策に金を投じてくれ。


2,日本の人口が最終的には0人になってしまうのが嫌な人達。
→日本いい国好きな国。
→だから日本人が0人になるなんて嫌だ。なんとかしろ。


3,超高齢化社会の到来とその継続による不平等が嫌な人達。
→超高齢化社会の進行により、若者の負担は増える。
→その一方で、有権者数の年齢別偏りにより、若者の発言力は減る。
→高負担を強いられる層の発言力が減るという不平等を放置しては駄目だろ。


自分は3です。1と2については知りません。では。








このように述べるのにはある背景があります。「少子化問題」を語る際、「○○が原因じゃないか→○○を解消すればいい」という言説が多く溢れます。その「○○が原因」というフレーズに、本当にトンデモなものが溢れかえっています。いわく、「若者の道徳が衰退したから」「女がわがままになったから」「避妊、中絶が可能になったから」「教育が駄目になったから」などなど。


まずこれらの現状認識は、99%間違っています。なぜ99%かといえば、これらは社会が成熟すれば(近代化が進めば)必ず生じる現象を難じているという点で1%くらいの正当性はあるからです。だからといって、「道徳を復活すればよい」「女らしさを押し付ければよい」「避妊、中絶を禁止すればいい」「生命の神秘さと国力の重要さを教えればいい」という対策を取ろうとするのであれば、それは200%間違っています。なぜ200%かといえば、それが対策として成功を収めることがないばかりでなく、致命的な失敗につながり、国民の人権や選択肢を奪うものになるからです。それぞれ、ざっくばらんに解説します。




>本当にトンデモなものが溢れかえっています。
本当にそうですね。インターネットはおかしな人で溢れかえっているという典型的な実例ですね。「道徳が失われた説」「女がわがままになったから」「避妊、中絶が可能になったから」「教育が駄目になったから」に対してアホほど文章を書いて否定するなんて、真性の暇人か脳みその足りていない人以外に成し遂げられない所業です。というか、そういう事を言っている人がどこにいるのか知りたいです。指し示して欲しいものです。存在しない仮想敵を作り上げて懸命に戦って自己満足を得るという手法はネット右翼そのものですね。さて。









少子化は金です。
それだけです。


まず、少子化により起こる問題が金です。
若年層の負担が増える一方で、若年層のが発言力が減ります。その不平等が問題です。1.20が続けば、尻が丸焼けになるまで改革もままならないという、最悪の事態が訪れるでしょう。これに対する反論としては「そこまで悪くはならない。」というものがあるでしょうが、少子化問題すら解決できなかった日本の政治に、大幅なシステムの再構築が可能だとは思えません。また、それをよしとするのかどうかという問題もあります。





次に、少子化が起こる原因も金です。
既婚者の希望、及び理想の子供人数と、実際の出生数は常に差があります。そして、その理由に最も多く上げられるのは教育費であり、養育費です。仕事即ち収入に支障が出るという理由も含めれば金が全て、と言っても過言ではないでしょう。




「子育て支援への資金投入は浪費になる。」
と主張する人に問いたいのは、ではどの程度の金額の資金投入なら許容するのかという点です。希望子供人数と、実数には差がありその理由の中で最も多いのが教育費負担なのです。


我が国は保育では年額にして約100万、小学生には年額70万、中学生には年額80万、高校生には年額90万の国費を投じています。これは無駄金なのでしょうか。自分はそうは思いません。教育は他の何よりも重要なものです。また、これを30%上げれば国公立大学卒業までの学費をほぼ0にまで引き下げられますが、それは間違いなのでしょうか。間違いであるとすれば、どの程度の振り分けが適正なのでしょうか。中学卒業までに150~200万の学費が必要という現状の個人負担は理想的なものであると言えるのでしょうか。


少子化対策に予算を投じるなと主張する人々から、どのレベルの予算投入を理想とするのかが聞こえてこない、伝わってこないという点が、大きな疑問です。




そしてまた問題の所在が「子どもを生まないこと」よりも「結婚しないこと」にある事実を私は示しました。では結婚促進を支援することは可能なのか。恋愛や結婚の領域に権力が入り込むことを、国民は望んでいない。



問題はここです。そうかもしれないとも感じていたのですが、やはりこれは金で解決すべき課題であり、即ち我が国はやるべき事をやっていないと考えるに至っています。育児休暇の取得率は年々向上し、目標値に近づいている一方で、出産を理由に退職している人が未だに大勢います。我が国では出産イコール退職なのです。出産後も労働を継続したいと考えているにもかかわらず、子育てをしながら働くことが出来ないという社会状況や、育児休業に対する心理的圧力を理由に、出産退職しているというのが現状です。



そして、結婚というのは多くの場合において、妊娠リスクを意味します。
それは晩婚化圧力となっていると考えるのが自然ではないでしょうか。


つまり、「国家が結婚に介入するのは間違いである」という論には同調しますが、晩婚化圧力を解消する義務があると自分は考えています。晩婚化の理由の1つに出産すると退職せざる得ない社会状況があるのならば、その解消に向けて十分な努力をすべきです。




少子化は金です。金が原因です。それだけです。他の何でもありません。
投じられて然るべき金を投じるべき場所へ投じようとした政治家がいなかったからです。戦後五十年に渡り、必要の無い場所へ予算をばら撒いてきた結果です。全ての元凶は田中角栄であり、作り上げられた利権構造です。この50年間、国土開発への投資の1割、たったの1割が子育て支援に投じられておれば、出生率1.2などという数字は決して無かったでしょう。これは、それを怠った政治の責任なのです。






さて、少子化に対して出される対案に、移民受け入れ政策というのがあります。


僕は、それを全面的に否定します。全く支持しません。
何故ならば、まず第一に他にやるべきことがあるからです。
そして、第二に大量の移民受け入れは国内の不安要因となるからです。移民の犯罪率が高いという話にはまったく乗りませんが、低学歴者層、低所得者層の犯罪率、凶悪犯罪率が高いというのは事実です。日本語という特殊な言語を使用している我が国が年間40万人規模の移民を受け入れたならば、移民イコール低所得者層となってしまう事態を避けるのは不可能です。そしてそれは必要のない格差を生じさせてしまうと同時に、くだらない右傾化要因となってしまうでしょう。故に自分は「出生率低下に対する対処療法としての移民受け入れ政策」には反対です。その前にやるべきことがあります。
移民そのものに対する抵抗は大してありません。






少子化とは金である。
その一点に尽きます。
所得が高い世帯ほど子供の数が多いという事実も、それを如実に指し示しています。




けれども、おかしな場所があります。それは、東京都です。
東京都の1人当たり県民所得は全国一です。2位以下を大きく引き離しています。ところが、出生率はダントツで全国ワースト1です。それが何を意味しているか、というのはもう明確です。東京都は子育てを出来る場所ではないのです。子供が産まれても満足に保育所を確保する事すら出来ません。そのような都道府県が存在している、というのは我が国にとって大きな損失です。


ご存じの通り、東京都の人口は減っていません。
それどころか、増え続けています。つまり、子供を産んで育てる事の出来る地方圏の若者を引き寄せて吸収し、子供を産めない状況での労働と生活を強いているのが東京都という街なのです。これこそが癌です。過密の弊害です。




ではどうすればよいかというと、東京都への人口流入を抑止すべきです。
それにはまず、東京にある大学を全て他の地域に移転させるのです。首都機能移転よりも安く付き、尚かつ簡単であり、地方の活性化にもなります。移転先としては、全国一出生率の高い都道府県である沖縄辺りが良いでしょう。石原慎太郎が「首大が沖縄というのはおかしい」などといちゃもんをつけてきたならば、八丈島にでも流してやればよいのです。学業とセックスとネットゲームくらいしか娯楽が無い場所にやっちまえばいいのです。東京都の出生率を全国レベルに持って行くのに必要な金額と比べれば、安く付くでしょう。おそらくは。





少し逸れましたが、少子化は金です。
他の一切は問題ではありません。
予算を投じるべきです。


2005年10月8日土曜日

神に求められる資質



神に求められる資質は1つである。
それは、説明責任を果たさぬ事だ。


神は喋ってはならないし、疑問に答えてはならない。無論のこと、選挙にも朝まで生テレビにも出てはならない。一切の問題に対し一切の答えを出さず、説明責任を回避し続ける事だけが求められるのである。

即ち、神とは責任を回避する為の道具であり、対話を拒否するシステムであり、思考停止の正当化である。人と神との間で責任をたらい回しにしたあげく、一時預かりという形で全てを放棄し、都合のよい時、即ち説明が為されなくても自分自身で答えが出せる機会が訪れた際にその問題を手元に引き出し感謝する、という現実逃避である。故に神は現実であってはならないのである。




そして同時に、神は人間の否定そのものである。

人間とは何であるかというと、それは巨大な脳である。
人は進化の果てに巨大なる脳を手に入れたのであり、それこそが人間の正体である。優れた脳が感じ取る全ての感情、喜び、悲しみ、怒り、苦しみ、絶望、あるいは希望、その全てを、原寸大で感じ取る事こそが、人の正しい生き方であり、人間にのみ許された極限の人間なのである。受容可能な感情のうちの都合のよい特定部のみを肥大させ、恐怖、恐れ、不安、苦痛といった都合の悪い部位を隠蔽する事は人間の否定に他ならない。




即ち、神に祈る事が人間なのではない。
神に祈りたくなるほどの苦痛を感じ取る事こそが人間であり、その苦痛から逃げ逃れる事無く全てを受け止め、闘い立ち向かう事こそがあるべき人の姿なのである。


☆しきさいかんかく☆



http://image5.photohighway.co.jp/j027/585/Photos/middle/74108231949f1.jpg
☆http://osharemajo.com/game/nurie.html

ランナーズハイ



走る。走る。走る。走る。
自分を信じて。


走る。走る。走る。走る。
少しでも近づくために。


走る。走る。走る。走る。
明日に向かって。


走る。走る。走る。走る。
ゴールも月も無い夜を。


走る。走る。走る。走る。
だって、そうでしょう。
道は彼方へ続くのだから。
立ち止まっても何もないのだから。


落ちる。落ちる。落ちる。落ちる。
だって、そうでしょう。
穴は奈落に続くのだから。
羽ばたいたって飛べぬのだから。


お礼は5行以上、弱音は20行以上。



それが暗黙のルールだ。そんなもの、くそっくらえ。


2005年10月7日金曜日

何を書いても嘘になる。



何を書いても嘘になる。
即ち書くべきではない。


1つだけ本当の事を言えるとすれば、悪いのは僕だ。


リアリティの無い話



もしも僕が相撲で朝青龍に勝った事があると言ったら、あなた方は信じてくれますか?




もしも僕が将棋で羽生善治に勝った事があると言ったら、あなた方は信じてくれますか?




もしも僕がプロレスでレックスルーガーに勝った事があると言ったら、あなた方は信じてくれますか?




もしも僕がバーリトゥードでアレッシャンドリフランカノゲイラに勝った事があると言ったら、もしも僕が南海野村以来30年ぶりのプレイングマネージャーになると言ったら、もしも僕がノーベル賞の候補に挙げられた事があると言ったら、もしも僕が金メダリストだと言ったら、もしも僕がビルゲイツと働いていたと言ったら、あなた方は信じてくれますか?

きっと、信じてくれないでしょう。
なぜならそれらはリアリティの無い話だから。




人間は、リアリティの無い事柄については、写真と名前、言うならば明確なソースが無いと信じられないのです。そして、僕は写真も名前も出していません。僕が何を言っても、あなた方が頭の中に思い描くのは、「自分の人生経験に基づいた、真性引き篭もりhankakueisuu像」でしかありません。そして、それは僕の実像からはかけ離れたものです。




世界は広く、人間の想像力には限界があります。そして、今現在のインターネットには、想像力の限界を越えた素晴らしい人達が大勢ブログを書いているのです。

同時に、あなた方が想像しうる最悪の想定よりも遙かに劣悪な人間もまた、2005年のインターネットの片隅で、ブログを書いているのです。

両者を並べ論じるのはフェアではないと考えられる方もいるでしょう。
例えば、古田敦也や真鍋かをりは自主的にブログを書いているわけではなく、ブログサービスから頼まれて、対価を貰って書いている、故にそれらの特別な商業ブロガーと、そうでないブロガーとを並べて語るのは卑怯であると感じる人もいるかもしれません。しかしそれは間違いです。例えば古田敦也が野球選手として大成せず、なんの取り柄もない平凡なネット中毒者(39歳・男)であったならば、インターネッターからちやほやされたいという自己顕示欲のみでくだらないブログを書き続けていたことでしょう。強者には強者の、弱者には弱者の理由があり、それぞれ細部は違っておれど、何かしらの動機によりブログを書いているという点において全くの同じなのです。




世の中には、上には上がいます。

町で一番の遊撃手が高校ではベンチを温め、市で一番の投手はドラフトに掛かりません。上の中の、その上の中の、そのさらに上の中の人が世の中の表に出ます。そのような人達と、あなた方は日常を共にする事は滅多と無いでしょう。この中に、竜王と食事を共にした事のある人が何人いますか?横綱のいる日常を過ごした事のある人が、チャンピオンと歩いた事のある人が何人いますか?おそらくは、ほとんどいないでしょう。人間の経験、即ち体験というのは世界の大きさに比べれば非常に小さなものであり、大した役には立たないのです。




それと同じように、世の中には下には下がいます。
そして、僕がそれなのです。

僕は世界最小最軽量のアンガールズでもなければ、筋肉の無いなべやかんでもありません。より醜く、より惨めで、より汚らしく、より不愉快に動くものです。出来る限り具体的に言い表すなら、ロズウェルに落ちて捕らえられたチュパカブラスを水木しげるが模写してルーカス率いるILMが3DCGで書き起こしたようなものです。もちろん、実際に目にすればそこまで酷くはないと感じる方もいるかもしれませんが、それよりも酷いと感じる人もいるでしょう。

道行く100人の女性の前に立ち、「どうしてもと言われればどちらを選びますか?」と問いかければ、例え比較相手がイヴァンカンポであっても、江頭2:50であっても、鈴木宗男であっても、西田敏行であっても、たけくまであっても、100-0のフルスコアで勝てる、即ち負ける自信があります。

少なくとも、ネット上でよく笑いものにされている気持ちの悪い男の写真や、不細工な女の写真を見て、自分よりも醜いと感じた事は一度もありません。もちろん、写真うつりによってこれなら勝ってるかも、みたいなちんけな感想を持った事は何度かありますが、同じ条件で撮影されれば対等以上という事になってしまうでしょう。

あらゆるブログ読者は、講読先のブロガーを都合良く美化しすぎです。
まずその点が、まったくもっておかしく思えてなりません。




あともう1つ、何か勘違いしておられる方がいるようです。

僕は別に嫌われる事を恐れているわけではありません。
その逆です。好かれる事だけを恐れているのです。
あるいは、好きになる事を恐れているのです。

人間が人を真に好きになったならば、相手を幸せにしたいと思うのが当然の事です。
その為に最大限の努力をする事こそが真摯で誠実な姿勢であり愛というものです。

そして、僕はその能力、即ち相手を幸せにする能力を持ち合わせていません。
相手を幸せにする能力を持ち合わせていない人間が、相手を幸せにしたいと思った時、どうするべきなのか。それに対する答えは単純にして明快、1つしかありません。即ち、嫌われるように努力する事であり、相手が幸せにする能力を持ち合わせている人の元へと向かうように仕向ける事です。

別に目新しい事は何一つ言っていません。今までも何度か述べてきた通りです。自分は外見もそうですが、内面的にも、あるいは社会的にもそうです。ご存じの通り自分は中学すら出ていませんし、無職です。貯金もありませんし体力も無く、肉体的にもいくつかの問題を抱えています。また筆盲で、日本語も喋れません。言葉の1つも言えませんし、友人も1人もいません。私には負の側面以外、何もありません。そのような自分と比較すれば、他のどのような酷いように思える人でも遙かにましなものです。

自分は人様の人生に損害を加える気は無いのです。期待値以下の人間である自分自身を誰かと関わらせる気はまったく無いのです。より良い結果、より大きな見返りを求めて生きることこそが、人間の正しい生き方なのです。誰の人生も、決して慈善事業などではないのです。

つまり、「会っても嫌わない」という論法はその点において全くの見当はずれです。僕は会っても嫌われないであろう相手と会おうとは思いません。会いさえすれ確実に嫌われると解っていた相手だから、会いに行こうとしていたに過ぎません。

あいにく、あるいは幸いにして、なんとも思っていません。
はっきり言って、まったくの無関心です。故に、今現在の自分の中では大した負担にも、大きな問題にもなっておりませんが、仮に同じように、あるいは幾分かでも好きになったならば、自分は出来る限りのことをするでしょう。他に術が無いと考えるに至れば、ブログを削除して全てを捨てて名も捨てて、完全に消え去るでしょう。正直、もうあのようなものは懲り懲りなのです。少なくとも、自分は今のまま、即ち彼女を好きであるという状態を維持してさえいれば、これ以上の苦痛を味わうことはありません。真摯に生きたいと思っているのと同じくらい、痛めつけられたくはないと考えています。もう、今の自分にとって他者である特定個人に対する誠実さというものは費やしたくはないコストなのです。

ということで、未だにメールを送ってくる人なんかもいたりするわけですが、はっきり言って嫌がらせとしか思っていませんし、迷惑以外の何ものでもありません。嫌がらせをし続けたいならどうぞご勝手に続けてください、という事で。







仮に僕が誰かを愛し、尚かつ愛されるという状況が成立するとすれば、それは齢100歳を越えて、お互いに先の無い、人生の期待値、即ち可能性の存在しない状況になればそれもあるかな、といった所です。というわけで何らかを期待したいのならば、80年間自由に生きた上でそれから、というのが唯一でしょう。しかしながら、80年後には自分は間違いなく死んでいるでしょうし、このブログも存在していないでしょう。仮にまだアクティブであった所で、他に好きな人がいると門前払いにするかもしれません。即ち、結局のところ、僕のような人間が真摯に生きるということは、そういうことではないのか、と思っています。
自分の人生は確たるものです。


まあ、一応は嬉しくなかったと言えば嘘になる、という程度のところで。


2005年10月6日木曜日

ブログを読む面白さって、結局はLIVEであるという一点に依存してるよね。



時速300キロでしか走れないSUPERスーパーカブは人間にとって不適切な道具である。それは、感覚的に理解の出来る所である。

同じように、書き出した言葉が一瞬にして山越え谷越え届いてしまうSUPERインターネットという道具もまた、人間にとっては不適切なものである。




時速300キロのスーパーカブは人間の限界を超えた道具であり、結果として手にした人をを壊すだろう。それと同じように、時速300キロのインターネットも既にもう、人の手に負える道具ではない。けれども、時速300キロのインターネットが人間の腕を、脚を、あばらを首を、壊してしまう、事はない。インターネットは安全なのである。

しかしながら時速300キロのインターネットは人間を超常へと導く特異なる道具であるからして、人の何かを壊してしまう道具であると僕は考えている。そのインターネットが破壊するものとは、正常なコミニケーションであると思う。




人は言葉を持ち、言葉は時間を持つ。本来、言葉というのは発し手の時間、発し手のペースで受け渡されるものである。ところがここでは受け手が全てだ。即ち、音楽に節があるように、言葉にもあるはずの節が時間がその全てが、言うならば言葉の内の1/2が失われたインターネットという場所では、1/2しか伝わらず、いらぬ軋轢が生まれてしまうのではなかろうか。




少し前に遅延を生かしたゲームというのが話題になっていたが、インターネットにこそ遅延というものは必要であると思う。

ブログの投稿ボタンを押してから表示されるまでに2日、コメントを書き込めるようになるまでにさらに2日、コメントを書き込んでから表示されるまでにまた2日、といったシステムのインターネットがあったならば、争い事のほとんどはなくなるのではないかと思う。

人間の脳というのは素晴らしいもので、時間さえ与えれば多種多様なよりよいアンサーが自動的で導き出される。2日あれば全て、というわけではないが、十分なだけの落ち着きが手にはいるだろう。少なくとも、こんな状況はなくなる。

まあ、無茶だ、と言えば無茶だろう。例えばそのようなものがあったとして、淘汰され消えるだけだろう。けれども、どうしてそんなに急ぐ必要があるのだろう。なにか、うまく理解が出来ない。




言うならば。
フットボール中継の面白さがLIVEであるかそうでないかによって大きく左右されるのと同じように、インターネットの面白さの多くもまた、LIVEであるというただその一点に大きく依存しているものであると僕は考えている。

落ちぶれて薄汚れたスペースだらけの空っぽのUEFAの境のマージーサイドダービーが、LIVEであるというその一点により面白く見られるのと同じように、中身の無い空っぽのブログとブログのトラバの中を人と人とが徘徊しては軋轢あう、そんな熱狂と興奮と上擦った視線立ち居振る舞い。







何がなんだかもうわからない。
脳細胞が遅れて響く。
痴呆。


たとえディアスポラを失っても、まだ我々にはid:itaがある!



まず、それを言いたい。
id:itaがディアスポラの解説を作ってはる理系の人、みたいな触れられ方をしているのを見て、まずそれを言いたくなったのでそれを言う。


id:itaはそんなもんじゃない。そこまで辿り着いたのならまずなによりも先にid:itaを味わい付くすべきであると声を大にして言いたい。id:itaの存在しないはてなダイアリーなど、真性引き篭もりhankakueisuuのいないインターネットくらいに存在価値の無いものである。はっきり言って、それくらいの勢いでid:itaは物凄いのである。故に少しだけid:itaがどれ程までに偉大であるかを紹介したいと思う。













まず、氏は第一に偉大なるダイアラーである。
それを忘れてはならない。
最も重要な点である。


次のエントリーを読んでいただければ氏の偉大さが解っていただけるだろう。










らっきょうをたくさん食うと、息がらっきょう臭くなる。
こんなことも予測できないのか俺は。



JGeek Log - らっきょう






もう、言葉はいらないだろう。
これは、凡人には絶対に書けぬダイアリーでありエントリーである。このエントリーがアップされたというその1点を持ってしてはてなは偉大であると言い切ることが出来る。


まず第一に、らっきょうをたくさん食う、というのが難しい。しかも、ただのらっきょうではない。沖縄の島らっきょで、通常の三倍くらい臭いらっきょうである。それをたくさん食うのである。凡人には決して成し遂げられない芸当である。


おまけに、「息が臭くなる」という事を予測せずにたくさん食う、となれば全100億人類の中でただ1人id:itaのみが成し遂げられる大偉業である。


しかも、食べ終えた後で「息がらっきょう臭くなった」という事に気がつかねばならぬとなれば、全宇宙100億人類の中でただ1人id:itaのみが到達可能な領域である。正しくこのエントリーを持って氏は神と呼ばれるに値するのである。


他で言うと、まんてんというカテゴリーのエントリーは全て神懸かっている。いや、正しく神そのものである。


これを読まずに死ぬは産まれてこなかったも同然の大罪である。










第二に、氏は偉大なるポエマーである。
これも忘れてはならない。


次のポエムを読んでいただければ氏の偉大さが解っていただけるだろう。











今日一日、


それだけの電力を消費し、


それだけの食糧を消費し、


それだけのゴミを出し、


それだけの下水を流し、


今日一日で、


お前はどれほどのものを生み出したのか?




え、俺?この 235バイトの糞ですが何か?

JGeek Log - 癒されないポエム





見よ、これこそが真のポエムである。
言葉はいるまい。100度音読せよ。
id:itaの神通力である。













最後に、ではあるが、氏は偉大なるドッターでもある。




そのドット絵を堪能出来るのがダンジョンクロウルである。結局のところ、みなさんダンジョンクロウルをやるべきです、というだけのエントリーだった気がする。id:itaとか、多分どうでも良かった。反省とかはしてないけど。




ぬるぽ堂
ゲーム本体のダウンロードはこちら。
タイル版、というのをダウンロード。


www.geocities.jp/kikubaaqudgha/f/wav.zip
サウンドセット(効果音)のダウンロードはこちら。
ジオシティなので直リンクは弾かれるのでコピー&ペーストで。
解凍後はreadme.txtに従ってください。


*鑑定*の巻物 Crawl攻略Wiki
攻略サイトはこちら。
見てしまっても十分に楽しめるくらいに面白いゲームです。


ゲームを開始したら、「?」とタイピングしてコマンドを確認。
あとは楽しむだけです。





つまり、ダンジョンクロウルをやり尽くしていない人達は、それだけでも幸せであると言えるくらいにダンジョンクロウルは面白いのです。


それでも、僕は。



物事は二択ではない。
素晴らしいか素晴らしくないか、僕には判断が出来ない。
何を受け入れ、何を受け入れずに守り続けるべきなのか。
その判断が自分には出来ない。


自分がまだ正気を保っている事が既に狂気なのではないかと疑ってしまう。
例えば五稜郭を失って「まだやれる、我々には勝機がある」と人を鼓舞する事は勇気でも正気でも無ければ、蛮勇ですらない。それは純然たる狂気である。


僕がそこ、即ち五稜郭を逸したのは何時のことだったろうか。産まれた時には既に無かったようにも思えるし、未だに手の中にあるような気もする。
正常な判断が出来ていない。


昔から、頭のおかしい人、いわゆる気が触れた人を映画やドラマで目にする度に、自分はああなってしまうのではないかという、リアリティのある恐怖が頭に覆った。また、そうなってしまえればどれだけ楽だろうかと憧れ思い願った事も一度や二度ではない。


あいにく、あるいは幸いにも自分は理性を保っている。
終わる事の無い恐怖と戦い続けている。


ブログを書きたい。
心の底からそう思う。
自分が未だに正気を保てているかどうかを確認する方法は、ブログを書くというその1つしか残っていない。ブログを書きたい。心の底からそう思う。


小ネタブログ純情派のような、煮ても焼いても食えないような糞ブログを書きたい。書き続けたい。この先ずっと。永遠に。僕が正気である為に。


くだらない人生に、くだらないブログを。
くだらないブログに、くだらないエントリーを。
くだらないブロガーと、素晴らしい読者と。
もう少しだけ踊り続ける。


それでも僕は人間を愛している。
それでも僕は人生は素晴らしい。
それでも僕は夢を諦めていない。
それでも僕は未来を信じている。
それでも僕は希望に溢れている。
それでも僕は正気を保っている。


大丈夫、まだやれる。
力で満ちあふれている。


[2.06β]操作していたアプリケーションを記録して、横棒グラフに可視化するアプリケーション。[警告機能復活]



http://image5.photohighway.co.jp/j027/585/Photos/middle/6810391250f1.jpg
0:00~9:10分までパソコンを使用していた日のデータをjpgで出力したものです。
上段は時系列に従い表示、下段はアプリ毎に多い順から並び替えています。


毎日ブログにUPし続ければ、抜群に恥ずかしい思いが出来ます。
物凄くお勧めです。




●2.05→2.06履歴。
・日付を越えるとグラフの表示がバグる不具合を修正した。


・禁則アプリケーションを指定出来るようにした。


使用を抑制したいアプリケーション(ブラウザとか、ゲームとか)を指定することにより、それら禁止アプリケーションの使用時間が一定を越える毎に、警告音を発せられるようにしました。


メニューの「設定」→「オプション」→「禁則設定」で、使用を抑制したいアプリケーションのチェックボックスにチェックを入れ、下のスクロールバーで警告音を発する間隔を設定してください(初期設定では30秒毎になっています。)


パソコンの前での無駄な時間を無くす為にご利用頂ければ幸いです。




●注意事項。
βテスト中です。よろしくお願いします。大体出来上がっていますが、万が一不具合等が生じても責任を負いかねます。


●アンインストール方法
レジストリは使用していません。
フォルダごと削除してください。




●ダウンロード。
www.geocities.jp/dotahankakueisuu/mitei.zip


●使用方法。
起動して、最小化するとタスクトレイに収納されます。
そのまま放置して、普段どおりのパソコンライフをお楽しみください。


使用していたアプリケーションを、アプリケーション毎の指定色で横棒グラフに書き込んで、可視化します。


画面クリックで表示切り替え。再クリックで元に戻す。


●バージョンアップ方法。
フォルダごと上書きしてください。データは引き継がれます。
(「check.txtが見つかりません」と表示されますが、問題ありません。)
(バージョンアップを念頭に置いていなかったので、失敗しました。)




●頂いたご要望について。


「見た目綺麗にしてほしい」
色設定を上手い事やれば、ある程度はよくなります。指定色よりも濃い色か薄い色かで縁取りをするくらいならなんとか出来ますが、どうかご勘弁ください。


「カーソルを合わせるとアプリケーションの名前を表示する」
前向きに検討させていただきます。




不具合、ご要望等ございましたらよろしくお願いします。




●2.04→2.05履歴。


・デフォルト設定に存在しないアプリケーションは、名称未定.exeを再起動しない限りオプションに登録されなかった不具合を修正。


・オプションでの色設定が保存されなかった不具合を修正。


・Windows98/WindowsMEで出ていた不具合に、対応。
(確認できていません。)


・起動時間順に並び替えた際の背景色が、土曜や日曜であっても平日の色になってしまっていた不具合を修正。


・0:00から1ドットが塗られなかった不具合を修正。


雑記



っていうか投稿ボタンを押して今気がついたんだけれどこれ前にまったく同じ内容の話を書いたんじゃないかと思えてきた。あるいはどこかで読んだのかもしれない。正しく痴呆。




本人確認テスト_sinsei




まあ、違うってことはわかってるので誰だっていいんだけど。




あと、TUMIKIの画像が消えている(サービス終了につき)ので、要再UP。




6日、7日、8日の3dayで書く予定。
うち5つは最低でもUPまで漕ぎ着ける。
「ネット
「本物の
「過去を
「喪失を
「匿名は
「コミニ
「もしも
「もしも
「もう二
「数字を
「タギン




↓返信遅れてすみません。悪意は全く無かったですし、むしろ嬉しかったという肯定的に受け止めています。メールでも書きましたが一応ここにも。




「真性引き篭もりの記事を取り上げました」という報告はメールよりも、トラックバックが適当だと思いました。とはいえ、案外メールの方がよいのかもしれませんがとりあえず今はスルー、というわけではありませんが、一応、スルーということで。追って対応したいとは思っていますが、今色々とイッパイイッパイなのでご勘弁下さい。




   今テメェが目の前の一汁一菜に払った金額は
   その一汁一菜をありがたく胃の腑に収める権利を得るための額であり
   その一汁一菜を提供してくれた人の努力を踏みにじるための額には程遠い



という理屈じゃダメなんだろうか。



駄目です。何故ならば僕は「これは食用ではありません」と注意書きされたパイを顔面にぶつける事すら許せない人間だからです。もちろん、賞味期限切れの卵を王貞治めがけて投げるのも駄目です。よって、駄目です。



2005年10月5日水曜日

人力検索の歴史上最も痛い質問者の最もイタイ質問



人力検索はてなには素晴らしい質問者や優れた質問者、あるいは素晴らしい回答者や優れた回答者といったような、素晴らしい優れた人達が大勢いらっしゃるのであるが、そうでは無い人も中にはいる。その、そうではない素晴らしくも優れてもいない人力検索はてな住人の中でもとびっきりにずば抜けてイタイ奴を発見してしまった。




その、人力検索の歴史上最もイタイ質問者の最もイタイ質問がこれである。

何がイタイかというと、質問に見せかけて実は質問じゃない点である。
ではなにであるかというと、自分のブログのエントリーの宣伝である。

人力検索で質問を行うのは有料であるからしてつまり、自分のエントリーを人に読ませる為だけに金を払っているという、物凄くかっこ悪い尚かつ兼イタイ質問なのである。恥ずかしくて見てられないくらいの勢いで頭が悪いのである。これはおそらくであるが、この人は間違いなくブログのエントリーだけがアイデンティティなのである。他にやることがない可哀相な人なのである。気に入らないブロガーのエントリーがはてなブックマークの最近の人気エントリーに入りそうになっていたら、無関係の適当なURLを多重に取得したアカウントでブックマークしまくって、気に入らないブロガーのエントリーが最近の人気エントリーに表示される事を阻止したりしているくらいに、ブログだけが生き甲斐の恥ずかしい質問者なのである。






















「えー、はんかくさんがそんな小物を個人叩きするなんてー、似合わないよー」
とか、そういう風に思った人はちょっと残念でした!はっずれーー!!



実は、ID:catfrogは僕のIDなんですよ。皆さん、お気づきでしたか?カミングアウトです。だから、つまりこの投稿の前半部はただの自虐ネタだったんですよ。他人の悪口とかそういうのでは、全然無いです。



つまり、ID:catfrogは僕のIDなので、「投げ銭したい!」と常日頃から思ってらっしゃる方がいらっしゃいましたらこの機会に是非どうぞ。実はちょっと最近色々あって落ち込んだりしていて、あまりブログを書く勇気、みたいなものが失われつつあり、もうなんというか物凄い不安な気分になったりして揺れ動いていたりしるので、はてな投げ銭!を、1ポイントでも、2ポイントでも、そういうちょっとした、ほんの気持ちの金額でもいいので、はてな投げ銭をしていただけると、ID:catfrogは僕のIDなので、そちら宛にはてな投げ銭をしてもらえると、こう、「また真性引き篭もりを頑張って更新しよう!」みたいな勇気みたいなものが芽生えるので、投げ銭してもらえれば嬉しいです。



それは、全然100ポイントとか1000ポイントとかそういう金額の問題じゃなくて、1ポイントとかで全然構わないし、どちらかというと1000ポイントを1回投げられるよりも、1ポイントを1000回投げられた方が、こちらとしては凄く嬉しくて、頑張る!みたいな気分になるので、1ポイントとかそういう小さな気持ち、そう、ほんの気持ちのポイントでいいので、投げて貰えると嬉しいです。



だから、ちょっとほんの、気持ち?みたいなのでいいし、匿名でも、コメント無しとか、もちろんコメント有りとかでもいいし、日頃の感謝の気持ち、ってそりゃあ、感謝されるような事はしてないけれど、やっぱり一応僕の方も頑張ってブログ書かせてもらっているので、こうリターン?というか、そういう何気ないレスポンスみたいなものをいただけると、凄い力、みたいな勇気、というか元気みたいなのが湧いてくるので、ほんと投げ銭でいいので、気楽な気持ちで1ポイントとかそういう小さくてもいいのでください。というか、くれたら嬉しいな、みたいな気分です。



やっぱり、こう、投げ銭とかしていただけると、「頑張って面白いブログ書くよ!」みたいな気分になるし、物凄く幸せに感じるので、投げ銭とかしてくれると凄く嬉しいです。ほんと、気持ち?くらいの1ポイントとかでいいので、それでいいので僕のID、即ちID:catfrog宛にID投げ銭とかしてもらえると、凄く嬉しいな、みたいなブロガー冥利に尽きます。



コメントは、「いつも楽しみにしてます!頑張ってください!」とかそういうコメントを頂ければありがたいのですが、別に罵倒とかでもかまいません。「おまえのブログおもんないんじゃ」とかじゃなくて、もっと本格的にへこむような、壮絶な罵倒とかでも全然構いません。出来れば、出来る限り壮絶に読んだ人間がへこむような落ち込みワードをコメントで入れていただけると、嬉しいような気もします。ので、そういうのでも全然構わないので、投げ銭下さい。1ポイントとかでもいいので。


あと、ID:catfrogは僕のIDなんだけれど、catfrog名義でブログを書いていたりもしていたんだけれど、最近ちょっと真性引き篭もりを更新しながらcatfrog名義の方を更新するという作業に疲れてきたので、catfrog名義でやってる方のブログは、もう二度と更新しません!あ、更新はするかもしれないけれど、すっげーえーえーえーえーえーえーえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーくだらない内容の更新しかしないので、catfrog名義の方をアンテナ登録している人は、今すぐアンテナから削除してください。あと、catfrog名義の方は、はてなブックマークとかもしないでください、最近の人気エントリーとか表示されると恥ずかしくて困るので。もう一度言いますよ。ID:catfrogは僕のIDで、尚かつ読む価値はまったく無いので、catfrog名義の方のブログをアンテナ登録している人は、今すぐアンテナから削除してください。お気に入りに入れている人はお気に入りから削除してください。RSSリーダーに登録している人はRSSリーダーから削除してください。代わりに、このブログ即ち「真性引き篭もり」を登録して、継続講読してください。



わかりましたか?



要点だけもう一度言いますよ。



catfrog名義のブログをはてなアンテナに登録している人は、今すぐはてなアンテナ登録を解除して、代わりに当ブログ、即ち真性引き篭もりをアンテナ登録してください。



catfrogの方の方が被アンテナ登録数が多いのとか物凄くムカつくし、腹立たしいので、今すぐあちらをアンテナから削除して、こちら即ち真性引き篭もりをアンテナ登録してください。

A!ボタンとかを付けるとかそういう事はプライドが許さないので手動でやって下さい。


実は、ID:catfrogは僕のIDなので。


goo検索が凄い事になっている。




「goo」ウェブ検索サービスにおける
日本語自然文検索機能の提供開始について



これにより、キーワードの羅列ではなく質問文をそのまま入力できることから、初心者の方でも気軽に検索サービスを使いこなせるようになります。
なお、日本語自然文検索機能を提供するのは国内ポータルサイトで初となります。



物は試し、と色々検索してみたのだけれど、これがなかなか凄い。



「地球を爆発させるスイッチはどこに売っていますか?」で931件もhitする。
まあ、だからといって地球を爆発させるスイッチの売っている場所が判明するわけではないのだけれど、931件もhitするという事実が闘争心をメラメラぱっぱ、すわ一大事。goo検索エンジンを持ってしても0件しかhitしない質問文章を作り出すという人生における一大目標を手に入れて僕は立ち向かうことを決めたのである。





そこで編み出したキーワードが「頭が、頭が、頭が割れるように痛いのら!胸が、胸が、胸がすかすか痛いのら!助けてへるぺっちょ!」である。これは、これは0件だろう、いきなり目標達成だろう、と自信を持って検索ボタンをクリックすると189件もhitする。完敗、である。叩きのめされた。googleで検索しても1件もhitしないキーワードである「助けてへるぺっちょ!」もgooの前では赤子同然。恐るべしgoo、goo恐るべし。gooフィアーべし。







「カンブリア紀が再び訪れるくらいの激しいセックスがしたいです。」よし、ならば、と本気で生み出したキーワードがこれ。完璧だな。だって、カンブリア紀が再び訪れたら困るだろうし。俺のバズーカーがカンブリア爆発だぜ!と叫びながら検索ボタンをクリックすると14件hit。物凄く、負けた気分。







「地中を自由に飛びたいな、というか、そりゃあ俺だって恋とかしたいし。なんか、こう、解り合われたい。やっぱり人間は1人でいると頭とかおかしくなったりすると思うし。どうしても辛いみたいなところもあるし。まあ、贅沢は言わないからせめて頭痛薬の備蓄くらいはなんとかしたいなとか思ったりはしているし。」切り札。最強。大丈夫。gooの終焉。gooは終わった。


真性引き篭もりhankakueisuuに勝負を挑んだ時点でgooの負け。まあ、相手が悪かったってことで、と、勝利を確信しながら検索ボタンをクリックすると、1,460件もhitする。。












なるほど、本気を出さねば成るまいな、という事で本気キーワード考慮、考案、準備、ひらめき、改良、完成!「おまんこおまんこおまんこっこっこ」。


「おまんこおまんこおまんこっこっこ」、これ。完璧。少し悲しい気分になりながらも、勝利を確信して検索ボタンをクリックすると、1件hitしてしまう果てしない敗北感。もう、いいです。僕の負けで。はいはい、gooの勝ち。おめでとうgoo。よかったねgoo。















で、負けは負けでいいのだけれど、「DOTA allstarsは面白いですか?」の検索結果が0件なのは、嫌がらせですか?それとも、何かの陰謀ですか?DOTA allstarsはゲームですらないのですか?物凄く悲しい気分になった所で、物凄く悲しい気分になりました。


健全なブログを



健全なブログを健全なブロガーを健全なエントリーを健全な更新を。
健全な人生を。
実情とかけ離れた夢の世界を。

健全なエントリーを例えば僕が書き続けたとしてそれは不健全である。
不健全なエントリーを例えば僕が書き続ければそれは当然不健全。
即ち不健全さとはナチュラルにしてボーンであり、不動。

健全な人間になり健全な人生を手に入れ健全なエントリーを書いて健全なブログにアップして健全なブロガーとなる。不健全な理想。健全な人生。

偽れ、偽りの不健全を。
偽れ、偽りの健全を。

健全に、健全に、健全に、人並みの健全さを。
出来うる限り素晴らしく、出来うる限り爽やかに。

負けない。逃げない。がんばり続ける。
不健全に。
不自然に。

何もかもうまくいっている。
全てがうまくいっている。
今日も元気だ空気が旨い。


2005年10月4日火曜日

人は皆、醜い。



人間は醜いものである、という大前提をブログ読者は忘れているのではなかろうか。













ブロガーは皆、美しい。
いうまでもなく、美しい。
とてものすごく、美しい。


美しさとは何であるか。
それは、感情である。
喜怒哀楽の中の1つに、美というものがあるのである。


感情であるが故に美は多様なのだ。
人の数だけ美しさがあるのである。






そしてブロガーは皆、美しい。
何故ならば、ブロガーは自由だからである。

ブログという空間は自由そのものである。
性別を偽る自由。
年齢を偽る自由。
学歴を偽る自由。
職業を偽る自由。

ブロガーは絶対的に自由である。
削除する自由。
投げ出す自由。
逃げ出す自由。
閉鎖する自由。

一切の制約は受けない。
書く自由。
書かぬ自由。
正確に書く自由。
曖昧に書く自由。


全てが大本営発表である。
故にブロガーは美しい。

自由に振る舞える事がイコール美しさであるのは当然である。
人は誰しもが美しくありたいという根源的欲求を持っている。
何人たりともその根源的欲求、即ち美えの執念から逃れる事は出来ない。

「私は美しさを偽ってなどいない」主張するブロガーもいるだろう。しかしそれとて偽り美である。美しさを偽らないという、偽りの美しさである。

自由に振る舞えるという事は、自由に振る舞えてしまうという不自由なのである。
ブログという自由を手に入れた人間は皆平等に、美しさを手に入れたのである。
ブログという不自由に囚われた人は皆、逃れ得ぬ美を手に入れたのである。


ブログという自由が完全に保証された空間は、美しくありたいという人間の根源的欲求、言い換えれば最も醜き欲望の爆発する場所なのである。"ブログ"という部位を"インターネット"と書き換える事も可能なのだが、ホームページに存在していた敷居の高さを取り払い、かつ一般市民にまで滲透したブログというツールこそが、2005年というネット時代の美の神器であると言えるだろう。




人々は、忘れている。
人は皆醜く、その醜さの最も醜き欲望が爆発し噴煙舞い飛ぶ場所こそがブログである。対して、ブログ読者はあまりにも無垢だ。いたいけな子羊だ。1人残らず食べちゃいたい。脚の付け根を嘗め回したい。腋の下まで嘗め回したい。














即ち、人間とは醜い生き物である。
けれども僕は、美しい。


[2.08β]操作していたアプリケーションを記録して、横棒グラフに可視化するアプリケーション。



●使用していたアプリケーションを記録して可視化します。
自己管理や、ブログのネタ等にご利用頂ければ是幸いです。




http://image5.photohighway.co.jp/j027/585/Photos/middle/118107235755f1.jpg
上段は時系列に従い表示、下段はアプリ毎に多い順から並び替えています。
ログは30日分保存され、jpgで出力可能です。


●使用を抑制したいアプリケーション(ブラウザ, ゲーム等)を指定することにより、それら禁止アプリケーションの使用時間が一定を越える毎に、警告音を発せられます。


メニューの「設定」→「オプション」→「禁則設定」で、使用を抑制したいアプリケーションのチェックボックスにチェックを入れ、下のスクロールバーで警告音を発する間隔を設定してください(初期設定では30秒毎になっています。)




●注意事項。
万が一不具合等が生じても責任を負いかねます。


●アンインストール方法
レジストリは使用していません。
フォルダごと削除してください。


●ダウンロード。
www.geocities.jp/dotahankakueisuu/mitei.zip


●使用方法。
起動して、最小化するとタスクトレイに収納されます。
そのまま放置して、普段どおりのパソコンライフをお楽しみください。


●バージョンアップ方法。
フォルダごと上書きしてください。


●不具合が生じることが確認されているアプリケーション一覧
WarCraft3TFT(Blizzard Entertainment)




●既知の取り上げてくださったウェブサイト。
・DotA 3.7 is The Asshole World
・俺暇
・everything is gone
ありがとうございました。


ブロガーが「このエントリーは10時間かけて書きました」とか言い出したら、引くよなぁ。



引く。
それは、引く。
内容如何に関わらず引く。
10時間でなくて、2時間であっても引く。
ブログのエントリーに2時間は、引いてしまう。
中身がどれだけ素晴らしくても、壮絶にドン引き。





例えば「ゲームを2時間やってました」という話を聞いても引かない。「アニメを2時間」「漫画を2時間」「読書を2時間」といった話も同じように、全然引かない。好きなんですね、くらいで終わる話である。それが例え4時間であっても、8時間であっても引きはしない。けれども「ブログを書くのに2時間」というのは引く。




これがもし、「インターネットを2時間」というのなら引かない。
好きなんですね、趣味なんですね、くらいで終わる。

「他にやること無いんですね」なんて煽ろうとは思わない。
だって、それは人の好みはそれぞれであり、趣味というのは多様だから。




子煩悩と呼ばれる子供ヲタクや、愛妻家と呼ばれる嫁ヲタクが尊敬されるのと同じように、インターネットを趣味生き甲斐にしている人がネットサーフィンを4時間するという行為は尊敬されて然るべきであるし、僕は大いに尊敬する。素晴らしい事素敵な事。




けれども「ブログのエントリーを4時間書いてました」ってのはそれとはまったく話が違う。ブログのエントリーは単独では完成しない。人は何故ブログを書くのかというと、それは誰かに読ませる為である。自己との対話とか自分の為の道具だとかそういう事を言っている奴は全部嘘つきである。

ブログを書くという趣味は他者が存在していないと成立しない趣味であり、尚かつ顔の見えないインターネットの見ず知らずの誰かを利用して成立する趣味であるからして、気持ちが悪い。道行く女を視姦して喜ぶ童貞NEET30歳と同じくらいの変態、変態である。ブロガーとは変態である。故に引く。ブロガーは皆変態である。




それが、例えば、10分でれば、まあ許せる。15分でも、まあ許容範囲。
けれども1時間となると引く。2時間ともなろうものならばドン引きである。




ところが、である。
例えばそれがブログではなくて、他のものであったならば引かない。


「2時間かけてゲームを作ったので遊んでください」
という話であれば、引かない。引かないどころか、萌える。なんとなく萌える。

「5時間かけてプログラム作りましたので使ってください」
とかも、引かない。全然引かない。引かないどころか、萌える。なんとなく、萌える。

「10時間かけて芋煮を作りましたので食べてください」
とかも、引かない。全然引かない。引かないどころか、腹一杯になる。なんとなく、腹一杯になる。





ところが、やはり、ところがである。
例えばそれがブログであったならば、やっぱり、引く。ドン引きである。

どう違うのだ。
いったい、どう違うのだ。
同じではないか、同じではないか。
これはただの偏見である。
「このエントリーは10時間かけて書きました」
というのを読んで引くというのは、それは純然たる偏見である。

即ち、全ての全人類は「このエントリーは10時間かけて書きました」といった文章を読んでも、絶対に引いてはならない。ドン引きなどはもっての他である。「他にやることないんですね。」などとさらりと煽るのも禁止である。

そのようなエントリーをアップロードしたブロガーに対する正しい対応は、尊敬の眼差し、それ唯一である。世の中一般のインターネッターはブロガーに対する敬意というものが足りておらぬのだえる。





まあ、個人的な話で言うと、ブロガーに対する偏見を捨てるつもりはない。
ブログを書いている奴なんて、どいつもこいつも糞ばかりだ。暇持てあました馬鹿ばかりだ。まともな人間はブログなんて書かない。それは偏見などではなく事実だ。事実を超えた真実だ。まったくもってくだらない。読むに値するブログなど世界中探した所で1つとて存在しないのである。全てのブログはゴミである。全てのブロガーはゴミ人間だ。歩く粗大ゴミだ。あと、このエントリーは10時間かけて書きました。尊敬してください。よろしくお願いします。


2005年10月3日月曜日

俺にからめよジョージ・W・ブッシュ



なんでフセインだとかビンラディンだとかにからむんだジョージ・W・ブッシュ。俺にからめよ俺に。それともあれか、俺には勝てないとか、英語しかできない英語バカを洗脳して選挙に勝とうとか、そういう意図か。(それとも日本語が喋れないとかなにかか?)


どうして食べ物を粗末にしてはいけないのかが、まったくもってわからない。




前回のブログにたいして気になるコメントがあったので、今回はちょっとそれについて書こうかな。


とっても下らない話ではあるけど、俺はよく食べ物を残す。
多分これからも沢山の物を残していくと思うのね。
例えば、ファミレスでハンバーグが食べたい。
だけど、その脇にはグラッセやらグリーンピースやらもう色々俺の嫌いな物が並ぶ。
でもハンバーグは食べたい。
当然頼んでもそれらは残す。


今回もロースを食べたい。
でもカルビも食べたい。
タン塩も食べたい。
色々頼んだ。
その結果、自分で頼んだ物なのに残した。
スタッフがそれを食べてくれた。
最終的に残ったのはサラダが少々。
でも残したのは確か。


これを、ホワイトバンドを身に付けてる人だからと言う理由で不快に感じる人がいる。理由は「ホワイトバンドを付ける=貧困を救いたい人なのに残した=食べ残しゼロ」と繋がるらしい。



ここは日本なのか?
いや、いや、いや。
我が国を破壊しようとするロシアの秘密組織の陰謀か何かではないのかとすら思えてしまう。到底理解の及ばぬ所だ。これは、もういいや。













僕にとって唯一のものがあるとすれば、それは食べ物を粗末にするという事である。




例えば誰かが突然に、「神に祈りました」と言いだしても、別に何も変わらない。
人間生きていれば苦しい日や、辛い日、あるいは退屈な日もあろうからして、神に祈りたくなる事だってあるというのは理解の出来る所である、それくらいでその人の全てまでを否定したりはしない。


例えば誰かが突然に、「賭け事をしました」と言いだしても、別に何も変わらない。
人間生きていれば苦しい日や、辛い日、あるいは退屈な日もあろうからして、賭け事をしたくなる事だってあるというのは理解の出来る所である、それくらいでその人の全てまでを否定したりはしない。


例えば誰かが突然に、「酒を飲みました」と言いだしても、別に何も変わらない。
人間生きていれば苦しい日や、辛い日、あるいは退屈な日もあろうからして、酒を飲みたくなる事だってあるというのは理解の出来る所である、それくらいでその人の全てまでを否定したりはしない。


例えば誰かが突然に、「人を殺しました」と言いだしても、別に何も変わらない。
人間生きていれば苦しい日や、辛い日、あるいは退屈な日もあろうからして、人を殺したくなる事だってあるというのは理解の出来る所である、それくらいでその人の全てまでを否定したりはしない。




けれども「食べ物を粗末にしました」と言ったなら、例えそれがeulだろうがABAだろうがpixelだろうがitaだろうが堀井雄二だろうがシドマイヤーだろうが、全人格を含む全てのものを完全に、なんの躊躇も葛藤もなく否定する自信がある。自信がある、というよりも間違いなくやるだろう。


それどころか、こしらえたばかりのみそ汁を笑いながら流しにぶちまけるような真似を今、目の前で何者かが行ったならば、例えそれがマルセロガッシアであっても撲殺出来る自信がある。自信がある、というよりも間違いなくやるだろう。


つまり、フリーザを倒すのにクリリンは必要ないのである。一汁一菜あればよいのだ。







それは僕にとって当たり前の事である。


ところが、「当たり前だろ」というのは非常に危険な主張である。危険即ちデンジャラスであるからして、それから逃れる為にその訳をきちんと活字化しようと5時間ほど悩み続けているのだけれど、まったく手がかりすら掴めない。


正直、ギブアップであり諦めた。




「どうして食べ物を粗末にしてはいけないのか?」
と問われても、「当たり前のこと」以上の説明は見つかりそうにない。
自分の中にこれ程までに曖昧な規範が存在しているという事実に驚いている。
実に、困った。誰か教えてくれ。アルルでも籾殻でもなんでもいいから、教えてくれ。










仕方がないので、少しだけぐだぐだ書いて終わりにして適当に切り上げようと思う。


自分は非常に食が細い人間であったから、よく放課後まで給食を食べていた。
けれども一度も食べ物を残した事などなかったし、それが当然であると考えていた。
いや、考えていたのではない。
当然のことなのだ。


今現在の話で言うと、自分は一日1.5食くらいの割合で食事をとっているのだけれど、これが2~3日何も食べないでいると、体が明らかにおかしくなり、普段通りではなくなる。「食べないと」という強烈な欲求だけが脳みその中を満たすのである。それは実に奇妙な感覚で、真性引き篭もりだから食事もろくに確保できないという原因を責めたり、自らの危機管理の無さを責めたりという事は一切なく、また他の苦しみや悩みといったものも全てが消え去り、ただ「食べないと」という純然たる感情だけが揺るぎなく、脳の中を満たすのである。真性引き篭もりになってからそういう事が、連休や盆暮れ正月を中心に度々あったが故に、「食べ物を粗末にしてはいけない」という絶対律は以前にも増して強固なものになっている。本当に、当たり前としか説明のしようがない。


あと、記憶にある所で言うと、卵焼きを作る際に、器の洗剤をゆすぎ忘れて卵を割り入れてしまった事がある。それは酷い味、というよりも洗剤の味しかしなかったわけだけれど、きちんと全部平らげた。なぜならば、それは当たり前の事だったからである。たとえ青酸カリが入っていようと、リシンが入っていようと、それが食べ物であるならば迷わず食べるし、食べるのが当然の事柄である。


少しおかしいような気はするが、これは全然おかしくない。当たり前なのである。説明しろと言われてもこれは無理である。理解が出来ない奴は頭がおかしいのである。いや、まあ本当に言語化するのは不可能なのだけれど、事実そうなのだから仕方がない。













だらだらやっていてもきりがないので、無理矢理にまとめに入る。





「人間は1人では生きてはいけない」
などとしたり顔で言う輩がいるが、そいつは単なる嘘つきである。


人間は1人で生きてゆけるのである。
食べ物さえあれば生きられるのである。


1人で出来ぬのは、せいぜい子を産む事くらいである。
決して、1人では生きてゆけぬわけではないのである。




即ち、仮に人間というものが存在するならば、それは物を食べるということである。
よって、僕は食べ物を粗末にするような輩を人間であるとは認められぬのである。


いや、全然言っている意味が自分でもよくわからない。
よくわからないのであるが、当然のことなのである。


言及リンク無しのトラックバックをはじくプラグインのなにがいけないか。



それ、即ち言及リンク無しのトラックバックをはじくプラグイン自体がいけないとは思わない。ただ「言及リンク無しのトラックバックは弾かれますよ」という説明が十分に為されていないのは、いけないと思う。

例えばはてなダイアリーは言及リンク無しのトラックバックは弾かれるようになっているが、そんなの誰も知らないし、説明されているとも言えない。

普通のインターネッターはエラーログ洗って原因を究明するなんて事は出来ないし、出来たとしてもべらぼうに時間がかかる。またインターネット慣れした人間でもはてなのマニュアルの該当部に辿り着くのは相当に大変な事だろうと思う。はっきり言って、不可能に近い。

「調べればわかる」「探せば見つかる」と言われてしまえば、確かに仰せの通りその通りなのだが、それは物凄くLinuxコミュニティ的な自分で調べろマニュアル読めnoobは帰れ的な主張であり、受け入れがたい。

任天堂の優れた技術者がゲームに初心者を取り込もうと頑張っているのに対し、インターネットの優れた技術者は初心者お断りのシステミングをするのかな、みたいな違和感がある。

これは推測なのだけれど、はてなダイアリーへのトラックバックが通らずに調べたり再度撃ったりしたけれど原因がわからずに泣き寝入りしているって人はかなり多いと思う。

それと同様に、言及リンク無しのトラックバックをはじくプラグインを導入されているブログへのトラックバックが通らずに、調べたけれど徒労に終わり時間を無駄にし泣き寝入りしている人もかなりいると思うし、これからも増え続けるだろう。

その不説明性、不親切さという明確にして確固たる障壁を作り上げておきながら、インフォームドコンセプトが為されていない、というのがどうも納得のいかない点である。


2005年10月2日日曜日

参考リンクは危うい。



関連リンクは危うい。

エントリーの最後に、「参考リンク」とか、「関連リンク」などと書いて、関連性のあるウェブサイトへのリンクを張っている人がよくいる。しかし、あれはかなり危うい。






参考リンクというのは実は参考リンクではない。
関連リンクというのは実は関連リンクではない。
それらは、好都合リンクでしかない。

都合の悪いウェブサイトへのリンクを「関連リンク」と称して貼る人はいない。
自らのエントリーと統合の取れないウェブサイトへのリンクを貼る人はいない。
つまり、「参考リンク」や「関連リンク」が貼られるのは決して読者の為などではなく、自らのエントリーを権威付けする為なのである。

関連リンクだとか、参考リンクだとか書いて、いかにも真面目そうな権威のありそうな中身の詰まってそうなウェブサイトへのリンクを張られていれば、リンク先を読むのはめんどくさいという読者でも「ああ、なんか凄いんだろうな」という印象を受ける。

それ。
それが目的なのである。
関連リンクとか参考リンクとは貼る輩は、それを目当てにやっているのである。






本物の心を持つブロガーは、関連リンクなど絶対に貼らない。
本当の心を持つブロガーは、参考リンクなど絶対に貼らない。
なぜならば、インターネット全てが関連リンクだからだ。
お前で探せの放任主義だ。






さらに、である。
インターネットの情報など、たかが知れている。
どいつもこいつも糞サイトだ。
どれもこれも適当である。
ろくなもんじゃない。

故に、関連リンクなど糞だ。
同じく、参考リンクもゴミだ。






インターネットなんかじゃない。
世界が君の、ディクショナリィ!
世界は君の、ディクショナリィなんだ。




さあ、パソコンなんてぶっ壊して、今すぐ街に飛び出そう!
幸せは今、そこにある!




レッツ!
エンジョイ!
あばよ、インターネット!
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関連リンク
・リンクに関する興味深いデータ
・インターネットの情報精度に関する参考資料

参考リンク
・ブログ読者はブログを読んでいないという事実[その他]/真性引き篭もり
・ブログリテラシーとは何か。


2005年10月1日土曜日

おもしれえなあ、内田樹ってのはよお。



あー、汚ねえ。
汚すぎて反吐が出る。
というか、真性の馬鹿か電波なだけじゃねえか、とすら思えてしまう。





左翼の政論家がよく理想として語る高福祉国家北欧諸国の人口はそのような規模ではない。
スウェーデン898万人、フィンランド521万人、デンマーク512万人、ノルウェー457万人である。
つまりスウェーデンが神奈川県、フィンランド、デンマークが福岡県、ノルウェーは静岡県(380万)と世田谷(80万)を足したくらいの人口サイズなのである。



いや、だから、徳保も内田もなんでフランスを第一に書かないんだよ。
最も成功していると言える国は、北欧じゃ無いだろ。フランスだろ。
都合の悪いデータはごっそり放置か、どいつもこいつも流石だな。


しかも「左」という現代日本において最も反感同意を得られるキーワードを使ってレッテル貼って印象操作。やってくれるね、まったくもって。ただのDQNのやり口じゃねえか。






はっきり申し上げるが、高負担高福祉というような社会政策は「おたがいの顔が見えるサイズの社会」でしか実現できないのである。私の払う高額の税金は「この人たち」を支えるために費消されているのだということが実感される規模の共同体でなければ、高負担高福祉のようなことはできない。
そういうことは国の規模が小さいからこそ可能なのである。
日本のような大きな社会であれば、いくら税金を払っても、それが「困っている人たち」の手元に届く前に、介在する無数の官僚機構や特殊法人や中間組織によって費消されてしまう。
その不合理に日本人はうんざりし始めている。



おお、おお、おお、面白いな。
じゃあ、韓国は、シンガポールは、台湾は、どうなんだよ(笑)
北欧で最も出生率の高いノルウェーと、我が国よりも出生率の低いシンガポールの人口はほぼ同規模だぞ、おい。どうなってんだ。説明しろよ。出生率の高い国は人口の少ないところばかり取り出して、出生率の低い国は唯一1億2000万の我が国のみか。



6000万の仏国は「国の規模が小さいからこそ可能」なんだよな。
おもしれえなあ、一体境界線は何千万人なんだ?6500万か?7000万か?







日本のような大きな社会であれば、いくら税金を払っても、それが「困っている人たち」の手元に届く前に、介在する無数の官僚機構や特殊法人や中間組織によって費消されてしまう。



いやー、凄いな。
ここまでやられると呆れるを通り越す。



我が国にだって、「困っている人たち」にきちんと届けた偉大な政治家が大勢いるじゃねえか。関越自動車道は困っている人達にきちんと届いただろう。上越新幹線は困っている人達にきちんと届いたじゃねえか。空港だらけ、道だらけになっただろ。きちんと届いてるじゃねえか。


我が国のGDPにおける土木事業の占める割合は知ってるよな?
他国と比して異常なまでに高いってのは万人衆知の事実だよな。


それを選んだのが日本人だろ。
それに乗っかって成長してきたのが日本だろ。


その事実は無視か。
功どころか、罪まで無視か。
コンピューター付きブルドーザーは初めから無かったってか。めでてえな。







仮に土木予算が仏国と同規模であったなら、大学卒業までにかかる学費は1/10に出来たわけだ。保育も育児休業も浸透させられたわけだ。そのような政治家は支持されなかったどころか存在すらも許されず、道路を敷き巡らす目に見える箱物利益誘導の政治家ばかりを50年間当選させ続けてきた、それだけの話だろ。たかだが400万の人口しか持たない四国に橋が何本架かったか数えてみろよ。お前の論で行くと、「四国三橋を支えるための費用を日本人は支持した」って事になるんだよな。あー、毒電波。おてんとさまがないてらあ。





我が国の子育て支援予算はGNP比で0.5%。
米国でも3倍、仏国フランスは5倍だ。


我が国の教育関連予算は3%強。
フランスは5%強、フィンランドは6%だ。
ご存じの通り大学卒業までに必要な学費は日本の場合全て国公立でも700万。対して2倍規模の予算を投じているフィンランドは学費は無料、教科書なども無料貸与だ。




じゃあ、我が国は土木にどれくらい使ってきたかって話だよな。
数え方にもよるが、20~30%。
先進諸外国の倍、あるいはそれ以上だ。







日本人は少子化を支持も不支持もしてねーよ。
そもそも少子化を論点化した政治家がいないに等しかったってだけだ。





だからこそ、「大きい政府にノー」という決断をこのたびの総選挙で有権者は下した。
どの評論家もそう評価している。
私も同感である。
ではなぜ少子化という趨勢が「大きな国にノー」という国民の審判であるとはお考えになれないのか?
それが私にはわからない。
民意というのは投票によってのみ示されるものではない。
日常の生活態度そのものを通じて民意は日々示されている。
日本国民は総意として「ダウン・サイジング」を選択した。
私はそう理解している。
少子化は「問題」ではなく「民意」である。
どうしてフランスやドイツ程度のサイズの国になることが未曾有の国難のように騒がれるのか、私には理解が届かないのである。



おいおいおい。
大きい政府vs小さい政府なんて選挙がいつあったんだよ(笑)
何年何月何日何時何秒にそんな選挙があったんだ。
何年何月何日何時何秒に小さな政府を主張する政党が勝利したんだ。
教えてクレヨン。





そもそも、我が国には少子化なんて問題も民意も存在していない。
少子化という事象は未だ国民と政治家に発見されていないのだから。














私の払う高額の税金は



何かと思えば高額納税自慢と、その愚痴か。
それでよくぞ、ここまでの糞文章を垂れ流せたもんだな。褒めてやるよ。