2005年10月12日水曜日

イングランドは素晴らしい。



イングランドは素晴らしい。まず第一に飯が旨い。

という書き出しのエントリーを書き出したのは、一度や二度の事ではない。それ程までに、イングランドが好きだ。あるいは、その程度にはイングランドが好きだ。





ときたま、ブログの書き方というものがわからなくなる事がある。
書きたいことは幾らでもあって、出来ている文章も頭の中に山ほどあるのに、テキストエディタを立ち上げたままで身動き取れずに息をしている。丁度、今がそうであるように。

同じように、生き方というものがわからなくなる事がある。
誰もが生き方というものを知ったつもりで生きている。人は皆物心が付く以前から生きていたし、物心が付いてからも生きてきた。だから、それは当たり前の事なのだと思っている。けれども、生きる理由だとか人生の意味だとかそういうものではなく、生き方そのものがわからなくなる事があるのだ。

この先僕が長く冥王星に届くくらいまで生き長らえたとしても、心臓の動かし方一つ身に付けることが出来ない。おそらく、命はそこにあるのに。同じように、脳の動かし方一つ身に付ける事が出来ない。おそらく、心はそこにあるのに。あるとすれば、魂も。

そのような無力感を取り払ってくれるのはいつも、苦しさ悲しさ罪悪感、湿度ある痛み頭痛の類。そしてそこから僕を救い出してくれたものが例えばDOTA allstarsだった。





イングランドは素晴らしい。何よりも良いのは元旦構わずフットボールをやる点だ。日本のテレビ番組や日本のスポーツをまともに見ることが出来ない自分にとって、これまでの生きた元旦の中の最も苦しい元旦の、TVの中のイングランドのフットボールは唯一の救いであったし、それだけがあの日の僕を支えてくれた。

同じように、どうしようも無い時の変愚蛮怒やディアブロ2、あるいはWarCraft3といったゲームは確かに「生き方」と呼ぶに相応しいだけの自分にとっての確かな支柱。

あの頃あの日のそれよりも、遙かに強靱な不可能性を伴う月日であったこの1年、半年、三月、二月、一月、昨日、あるいはこれから幾らか少し、丁度、今、ゲームもフットボールも完全に失ってしまった自分を唯一支えてくれていたものは、このブログの読者の皆様方に他ならず、それが一つだったのだと強く思う。

即ち僕は、シドマイヤーや堀井雄二、ホットショットに感謝したそれよりも遙かに強く誠実に、このブログの読者の方々の1人1人に感謝せねばならぬのだろう。

故に、感謝しようと思う。
思うだけであり、感謝はしない。