2016年1月25日月曜日

凍りそうに寒い

さむいさむいさむい、びっくりするくらいさむいね。ブログを書き始めてから記憶が無いくらい寒い。どうしてこんなに寒いんでしょう。もう頭も凍ってしまった。正座してるわけでもないのに寒すぎて足が痺れた。凍っている。凍っている。心が凍っている。

2016年1月24日日曜日

インターネットで作業配信を漁っていると、

インターネットは間違い無くおもしろいもので、探したい物がすぐに見つかり、見つけたいものは絶対に見つからないシステムになっている。たとえば、僕以外の誰かの作業というものは、どのようなものだろうかと興味が出て、作業配信というものを探してみた。インターネットの配信サイトで、何らかの作業を垂れ流しにしている類いの配信である。とは言っても、livecoding.tvは英語ばかりで肉感が無いので、日本人が日本語で作業を垂れ流している配信を探してみたのである。すると、すぐに見つかった、流石はインターネットである。

さてその作業配信、月曜までにやらなければならない作業があるらしい。今日は土曜日である。切羽詰まっている事が見て取れる。ああ、誰しも作業というのはなかなか思い通りに行かないものなのだなあと思いつつ見ていると、突然にうたいはじめた。生歌である。かなり壊れている。ああ、この人も追い詰められて作業が捗らず、ついにあたまがおかしくなりつつあるのだと、かなしい目でそれを聞いていた。作業というものは常に捗らないものなのである。ひとしきりうたいおえると、水を飲むと高らかに宣言したあと、おそらくは水を飲み、念仏を唱え始めた。「天才だ、天才だ、俺は天才だ、ああ作業が捗り始めた、天才だ、天才だ、俺は天才だ、ああ作業が捗り始めた」。

一度や二度ではない。延々と唱え続けている。思わず「おまえはアミバか!」とモニタの前で突っ込んでしまったが、天才だ天才だ俺は天才だの念仏は止まる気配がない。時々漏れ聞こえてくるうめき声からは、作業が捗っている気配はない。こわい。この世界はこわい。インターネットはこわい。気になったのでググってみると、作業が捗り始めた自称天才さんは、仕事でも趣味でも相当な実績があるようだ。天才かどうかは知らないが、それから2時間も天才だとインターネット上で主張し続けたからには、間違い無く天才なのだろう。途中、「天才だ、天才だ、俺は天才だ、進まない作業進まない」などとフレーズを変えてくるあたり、本当は作業などしていなくて、ウケ狙いで配信しているのではないかと疑いたくなったりもしたが、結局それから天才さんは、天才だ天才だ俺は天才だ、ああ作業が捗り始めたと2時間も唱え続けて、僕らのインターネットの夜は終わり、寒い寒い日曜日の朝が訪れてしまったのである。僕は天才ではないので、作業が捗らないのは仕方が無いと思った。作業とは天才が行うものであり、私達のような凡人は、何もせず寝て起きて死を待つのみである。

目が覚めて思う事は心臓が痛いくらいのもので、目を覚ます必要性は感じない。

目が覚めて思う事は心臓が痛いくらいのもので、目を覚ます必要性は感じない。

2016年1月20日水曜日

首から上

明日から頑張ろうと自らに強く言い聞かせて眠れば、待ち望んだ明日が完璧な形で訪れたものの頭が痛い。どんな言い訳もしないで一日を過ごそうと昨日誓った内容は、緩い頭痛に飛ばされて、これは僕の問題ではない、頭が痛いという問題なのだとまるで人ごと。首から上が存在せねば、もっとうまく生きられたんだ。僕の未来の一日を阻んだのはまたしても、自ら自信の首から上。

2016年1月7日木曜日

肩が呪われた。

呪われてるんじゃないかというくらい肩が凝っててびっくりした。凝ってるっていう話じゃなくて両肩と両首を寝違えた感じ。いや、両首ったって首は一本だけど、とにかく痛い。これはもう肩こりなどというレベルではない。あと、わけもなく眠たい。よくわからない。

2016年1月5日火曜日

言葉を愛する人へ。

言葉は体のようなものであり、力だ。言葉というのは体のようなものであり力なので、言葉を続けなければ力は衰える。同じく言葉というのは体のようなものであり力なので、どこかで休まなければ壊れてしまう。だから休息が必要だと考えるのは間違いである。24時間言葉を発し続ける人は存在しない。一日中こころの中を言葉が騒がしく巡り続けていたとしても、きっとどこかで眠っているだろう。眠っている間中むねの中を言葉になりそこねた言葉が吹き荒れていても、どこかで休息がもたらされているだろう。言葉をつなぎ続けることに、安息日はいらない。言葉を愛するのであれば、言葉を休む必要はない。言葉を必要としているならば、休息や息抜きは不要なのだ。それでも休息が必要だというならば、疲れたというならば、それはもう、言葉があなたを愛していないということなのだ。あなたは言葉に愛されていないし、もはや言葉を必要としていないのだ。

2016年1月4日月曜日

ブログが待っている。

ブロガーはブログを書くものであるとか、そういった勝手な思い込みが僕の人生を支配していて目が覚める度に、ああブログを書かねばと思うけれど僕の人生はあまりにも軽薄であり、ブログに値する出来事など起こるはずもなく、ああブログを書かねばと思うばかりで時間が過ぎていく。ひとフレーズのノイズも無い真っ白なブログの投稿画面の液晶モニタのバックライトは僕の目をじりじりと眩しさで焼くばかり、少し左の頭に頭痛がするような気がして、思わず眩しさに目をつぐむ。

2016年1月3日日曜日

いない人の夢を見た。

いない人の夢を見て、いるのかと思って起きたらいなかった。寝てもいいことはないし、起きてもいいことはない。ただひたすらにおなかがすくけど、何を食べてもいいことはない。いいことはない。

2016年1月2日土曜日

海の裏側

両手の指を絡み合わせて唇に曲がった親指の山を当てていると、右手と左手のどちらかの指が自分のものではないように感じる。どちらが自分のものではないの か確かめるためにそっと指をほどいてみれば、右も左も全ての指が僕自身のものである事だけが確かめられ、触れる事も叶わず消えた昨日の夢に似た何かがする すると絹で出来た砂のようにそっと指先をぬぐいながら落ちてゆく。その感覚が忘れられず、左の親指で右の指先を、右の親指で左の指先を、交互にそっとなぞ ることを繰り返す。その感覚は蘇っても、地に落ちた砂は水に流れて海に溶けた。

2016年1月1日金曜日

概ね言葉など無い。

脳みそが腫れてゆくのを感じながら、体のどこかが腫れていくことには気がつかない。痛みは常に血の味をしている。今日もどこからともなく眠たい。仕方が無いので、鼻で息を吸い、胃を曲げて胃に胃を食べさせる。いずれ何もかも無くなる。言葉は概ねもう無い。