2009年3月18日水曜日

幾らかは。



酷い夢を見て目が覚めた。おそろしい出来事は全て夢だった。突然としてほっとする。この現実ですら、あの夢よりは幾分かマシに思える。「良かった。良かった。」とうわごとのように呟く。今日一日は目一杯頑張って生きようと思う。WindowsXPが立ち上がる頃になって気がつく。何も良くなんか無い。腹だけが減る。

2009年3月13日金曜日

FIREFOXが突然クラッシュして書いてたエントリー飛んだモジラは死ね。



うおおおおおーーーーーーーーー、エントリー返せこらふざけんなーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
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ポジティブに考える事は可能だ。クラッシュして良かった。不本意なエントリーの投稿ボタンを押さずに済んだんだ、と。責められるべきなのは、残念なエントリーを書いていた僕なのか、クラッシュをむしろポジティブに捕らえようとしている僕なのか、クラッシュしたfirefoxそのものなのか。眠たくて朦朧とする。春が吹き荒れている。

2009年3月12日木曜日

三万回目の明日から頑張る。



もう、忘れてしまった。みんな忘れてしまった。頑張ろう、頑張ろうと漠然と思い続けてはいるが、何をどのように頑張るつもりなのか。進まねば、進まねばと思い続けてはいるけれど、どこへ行こうというのか。やりたくないこと、書きたくないこと、したくないこと、心底気分の悪いこと、そんなことばかりが山積みになっていて投稿ボタンの1つにも、辿り着けない。書きたくない事を書かないと前には進めない。やりたくない事をやらないと前には進めない。1つ、1つ、片付けていくしかない。だが僕はそんな事はしたくない。したくない事はしたくない。やりたくない事はやりたくない。胸くそ悪いだけの些事を片っ端から片付けたところで、その先にいったい何があるっていうんだ。どうなるっていうんだ。そんなくだらない事は無視して放置して、僕はただ頑張りたいんだ。純粋に頑張りたいんだ。必死になって、死にものぐるいで、ただ頑張りたいんだ。そんな風に毎秒思うが、今更頑張って何になる。今更努力して何になる。今更進んで何になる。僕には何もない。免許証も職歴も車も夢も人の心も良心もない。悲しくて不愉快なブログと頑張ろうと思う心だけ。そんなものはある内に入らないと蔑む声が壁から聞こえる。頑張らねば。頑張らないと。明日からじゃなくて今日から。明日じゃなく今日今すぐに。

2009年3月11日水曜日

さよならが別れの言葉でないなら



さよならが別れの言葉ではないならば、何が別れの言葉なのだろう。「出会いがなくて」なんて嘆いている暇があるのならば、別れが無い事を感謝すべきだ。突発的な疫病で七兆人ほど死ねばいい。

2009年3月6日金曜日

立ち直らなくてもいいんだよ。



以前の僕は焦っていた。毎日追い詰められていた。立ち直らなくてはいけない、真っ当にならなければいけない。そんな風に焦ってばかりいた。立ち直れない自分を責めたり、真っ当になれない自分を叱咤激励したりして、毎日を無駄に過ごしていた。「こんな事を言うのはあんたの為を思ってんねんで」なんて陳腐な台詞で、自らに対する罵詈雑言を正当化していた。それが正しい事だと思っていた。注意して、責め立てて、言い続けていれば、いつか真剣に自分の将来を考えて、頑張ってくれるのではないかという思惑が樸にはあった。けれども、今はもう違う。

立ち直らなくていい。そう考えるようになった。そう考えるようになったのだと、信じたい。立ち直らなくて良い。無理をしなくて良い。頑張らなくて良い。そんな台詞はどこにでも溢れている。学校に行って自殺をするよりは、学校に行かなくていい。会社に行って過労死するよりは、会社に行かなくていい。不正を告発して孤立するよりは、なあなあにしていればいい。無理をせずに、根を詰めずに、生きていれば良い事もある。そんな台詞は町中に溢れている。だが本当だろうか。戦わずに傍観している間にも、戦況は悪化し続ける。幾つもの人を失い、幾つもの都市を失い、幾年もの歳月を失う。僕らにはスターリングラードもモスクワも、広大な後背地も冬もない。そうやって何もかも失って行く。

自分はどうして、焦ることをやめたのだろう。追い詰めることを、あるいは追い詰められることをやめたのだろう。それは、おそらくだけれど、やめたのではない。現実を正しく認識したのだ。そしてやめざるを得なかったのだ。僕はもう立ち直れない。真っ当にはなれない。未来はない。将来はない。一切ない。合切ない。もはや僕は消毒される価値すらない汚物に過ぎない。将来の事なんて考えなくていい。未来の事なんて考えなくていい。立ち直るだなんて、真っ当だなんて、もうそんな事気にしなくていい。そんなありふれた苦しみに、そんなありふれた結論が出た。もう随分と前に。

もしも未来まで歩いて行けるのならば、歩くよ僕は。



夜通し歩いてみた。何故そんなことをしたのか、自分でも解らない。夜通し歩いてみようと思った。だから夜通し歩いてみた。いつもそんな風だ。町は何も変わっていなかった。信号機があった場所には信号機が有り、横断歩道があった場所には横断歩道があった。建物があった場所は更地に、見窄らしかった木造家屋は立派な屋敷になっていた。自分は手術で脳と睾丸を取り除かれたティッシュペーパーのように、馬鹿でふぬけになっていた。漠然と何かを夢見て、漠然と何かを期待していたのだと思う。これまでずっとそうだったように、夜通し何かを求めることで現実から逃げ続けていた。これまでずっとそうだったように、夜を通じてなんの努力もしなかった。ただ歩いていただけだった。昔の出来事を思い出し、辛く感じるのを期待していたのかもしれない。けれども、浮かぶのは今日のこと、そしてこれからのことばかりだった。「逃げ出したい」と思ったけれど、逃げている途中にそう思うのだから救いがたかった。仮に逃げ出す事から逃げ出したいのだとすれば、即ち立ち向かわねばならない。この家には誰が、あそこの家には誰が、という事を時々思い出した。そういった人達は、どんな風にして過ごしているのだろう。想像すれば情けなくなったが、そんな情けなさよりも、自分の不甲斐なさが憎かった。僕より少し年上の人は、結婚もするだろうし、あるいは子供もいるかもしれない。家も車もあるだろうし、少なくともブログなんてものを書いていたりはしない。暖かい部屋に済み、熱い風呂に入り、人間らしいものを食べて、分厚い布団で寝ているのだろう。僕より年長の人達は、もうゲームに希望を託したりなどは1秒たりともしていないだろう。なのに僕は未だにDOTA allstarsが自分を救ってくれるのではないかという妄想に取り憑かれている。そんなわけがない。そんな事があろうはずもない。言葉の意味もわからずに「愛してる愛してる」と盲人のように手当たり次第に繰り返したが、有史以来愛などというものが役に立った事は一度も無い。世は金だ。役に立つのは金だけだ。そして僕にはそれが無い。そんなものは無かった。必要なのは歩くことなんかじゃない。ましてやブログを書くことでもない。そう自分に何度も言い聞かせてみたが、その言葉自体が嘘くさくて絶句した。僕にはもう必要な事なんてない。やるべき事も、成すべき事もない。そんなものはじめからなかった?そうかもしれない。やりたい事も、行きたい場所もない。そんなものはじめからなかった?そうかもしれない。でも幻はあった。そんな幻は漠然とあった。今はもう無い。くだらない無邪気さは突如として失われてしまった。僕はもう死ぬまで一人で、これから先なんの楽しみもない。確かなのは、自業自得だという事だ。他人の事は知らないけれど、少なくとも自分自身に関しては、全て己の責任、自業自得であるという事だ。雲に覆われた空を見上げて誰でも良いからビッグバンを止めてはくれないだろうかと心の底から願ったが、時既に遅し。もう手遅れだ。星の一つも見あたらなかった。

2009年3月4日水曜日

秋刀魚の気持ち。



秋刀魚は七輪で焼かれて不憫だなと、秋刀魚の気持ちをおもんばかっていると、七輪で焼かれる際には秋刀魚は既に死亡しているという事に気がついた。であれば即ち秋刀魚は不憫に非ずかと言うと、それも違う。秋刀魚は網に掛かるとパニックになって他人の鱗を飲み込みまくって死ぬと言う。惚れたあの娘の鱗ならば良かろうが、秋刀魚に選択の余地はない。見ず知らずの赤の他人の鱗を喉に詰まらせ、息も出来ずに死んで行くのである。知らない誰かの体毛を喉に詰まらせて死ぬ自分を想像して、この時ばかりは「ああ、人間で良かった。」と思ったものの、そんな気持ちも長くは続かず。