2009年10月30日金曜日

真性引き篭もり : hostファイルのバックアップが。

drivers/hsotファイルのバックアップが毎日、毎日、増えて行く。
見たくないものがある世界を憎んでいるのではなくて、今日も輝く両眼が憎い。
悔しくて泣いて、また悔しくて泣いて、そんな風にして僕は老いて心も朽ち果てる。

2009年10月29日木曜日

真性引き篭もり : 暑い。暑い。

暑い。暑い。なんでこんなに暑いか。10月も終わりなのになんでこんなに暑いか。

2009年10月28日水曜日

真性引き篭もり : しんどいならばしんどいなりに。

それはとても単純な話で、熱があって体調が優れないだけ。けれども、しんどいならばしんどいなりにベストを尽くさねばならないはず。それをやっていないから責められる。雨の日も風の日も夏も冬もおかまいなしに、自堕落を地で行っているだけ。具合が良かろうと、悪かろうと、何も変わらない。故に休息の許可は永遠に出ない。安息の日は訪れない。

2009年10月27日火曜日

真性引き篭もり : たったの3時間も頑張れないあなたに。

たったの3時間も頑張れないあなたに、一体何が出来ますか。
たったの30分すら頑張れないあなたに、一体何が出来ますか。

言い訳と泣き言と無責任とで埋め尽くされた3時間を5度繰り返してまた寝るのです。

3時間では何も出来ない。
30秒では何も出来ない。
出来ないんだから意味がない。
その努力には意味がない。

そう言って、そうやって、机に肘掛けまた眠るんです。
30年でも、300年でも、あなたには何も出来ません。
3000年でも三万年でも、同じ事言い愚痴たれて、涎垂らして眠るだけです。

真性引き篭もり : びっくりするくらい元気がない。

起きて、頭を抱えて、目を覆って、口で息吐く。遠い銀河を行く宇宙船の調子の悪い通信機のような頭痛がびりびりと漂う。その遙か上を行く失望感が両肩を押し下げる。具合が悪いなんてのは言い訳に過ぎない。焦点の合わない目で見たブラウン管は、街灯のようにちらついている。頑張らねば。他ならぬ僕が頑張らねば。僕が頑張らねば他に頑張る僕はいない。ため息をつく体力も残っていない。スコットならば死んでるだろう。自らの生ぬるさに嫌気が差す。頑張らないと。一心不乱に頑張らないと。びっくりするくらい元気がない。少し横になろう。今起きたばかりなのに少し横になろう。昨日と明日の存在を信じる事が出来ない。こんな今日だけが漠然と繰り返される。

真性引き篭もり : またこの人生の、またこの一日。

目が覚める。
肩が重い。
挫ける。

にやけながら涙を流す。
またこの人生の、またこの一日。

2009年10月26日月曜日

真性引き篭もり : pixivの検索エンジンスパムは酷い。

pixivは、開設当初(本当に当初)からニコニコ動画のタグで検索エンジンスパムをやっている。全く他のウェブサイトのユーザーが手動で入力したタグで検索エンジンスパムを行う、という非常識さには、「ああpixivってのはそういう所なんだな」と思わされるに十二分。一時はかなりの語でGoogle検索結果の一番上で、その度に辟易させられた。こういう「インターネット的感覚」には全く以て調子が合わない。

真性引き篭もり : それは良心じゃない。ただの邪心。

どうしてもうまくブログが書けない。逃げも隠れもせずテキストエディタの前で悪戦苦闘を続けているのに、どうしてもうまくいかない。たった1つのエントリーをただ1つ書こうとしているだけなのに、積もり積もった負債が雪崩のように次から次に伸し掛かり、重く、重く、身動きが取れなくなる。1つ書きたいだけなのに、全てが将棋倒しになって伸し掛かってきてしまう。紙が、文章が、ブログが、ただ重いだけの文鎮になってしまう。上手く書きたいわけでも、軽く書きたいわけでも、さっさと書いてしまいたいわけでもない。それでも、これは違う。これは違うと思い続けることしか出来ない文章しか出てこない。自分の弱さが憎い。善良でありたいと思う弱さが憎い。僕の心の中に残っている良心なんて全部邪心。全て邪心に他ならない。でも認めない。汚いな。つくづく汚い。違う。違う。全部違う。

真性引き篭もり : 衝撃的なものを見てしまい。

あまりにも衝撃的と呼ぶには衝撃的なものを見つけてしまい心が掻き乱され、焦燥感に追い回されて駆けづったけれど、発見できた日本語テキストはTwitter上のこれだけだった。




「ここに"bloody"viggosが居たならば、血みどろviggosが居る方を単純に応援することが出来るのに」という、自力ではどうにもならないやるせなさを抱えたままで、「Angelは好き。miGGelも好き。でもKuroKyアンチ。」という気持ちと「SK.Lodaは好きだったけれど、deadman事件以降のSKは嫌い。」「でももうLodaはSKじゃないから応援できる」「けれども、Lodaを好きになったのは元を辿れば"SK孤高の一枚看板"だったからに他ならず、彼の(トッププレイヤーの中では最も動きが重く、動き出すのが遅いファーマー寄りの)、重戦車型プレイヤーとしての挙動は好みじゃない」という中で、消えてしまいたい、消えてしまいたいとただ頑なに願い続けながら居場所の無い時間を過ごさせられてしまった。

「Fnatic強すぎ」というのはまったく違うように見えた。1戦目はvisage潰しが完全にハマった。スカージのvisage、しかもLodaとなれば、トップに行くのは見えていたので、それをスタナーで潰されたらああなるのは仕方がない。かつてmiggel とAngelが所属していたmetは、MiggelとAngelの2人だけでトップチームの地位を維持していたのに、それがMYMに入り、おまけにKuroKyまで居るとなれば、これはかなり難しい。特にangelは、ファーストピックでpotmを取り、1人で全ゲームを支配下に置き、レンジならばviggosかangelか、というくらいのチームプレイヤーにして、世界一のpotm使いだっただけに、チームの総合力では、少しだけれども決定的な差があると思う。これは順当な結果。

問題は2ゲーム目で、「ラストピックのKuroKyのTinker(or meepo)にいつの間にかぐちゃぐちゃにされる」というのは2006年のDreamHackと同じ。まったく同じ。「Kuroky相手にはTinkerとmeepoをbanする」というのがKurokyと対戦する際の必須事項だったはずなのに、そのKuroKyがこともあろうかMYMに入ってしまったせいで、完全にBAN枠が足りなくなってしまっていた。元々KuroKyはたった1人でBAN枠を食い尽くし、まだ足りないのでpickしてKuroKyの持ちキャラを潰さなければならないくらいのプレイヤーだったのに、これだけのチームメイトが揃ってしまうと、KuroKy対策なんてやってる場合じゃなくなってしまっている。

"小賢しいheroでこそ真に輝くKuroKy"はLodaとは対称的なプレイヤーだと思った。あのトーナメントで「KuroKyの器用さと嗅覚と勇気は狂ってる」という事を世界中が知ったのに、今また再び世界は「KuroKyの器用さと嗅覚と勇気は狂っている」という事実をまざまざと見せつけられる羽目に陥るとは。それも、あの時とほとんど全く変わらない「ぐちゃぐちゃ」「途中までは良かったのにぐちゃぐちゃ」を見せつけられてしまうとは。それもグランドファイナルで。

おまけに、その遠因がAegis持ったLodaと、full pumpしたmiracleの合計4度にわたる夢見がちで遊びすぎなchaseとなればもう、2人のエースの倒れ行く様を呆れながら見守るしか他はなかった。特にLodaは、あれさえなければ間違いなく勝ててただけに、もうなんか「世界中が束になってかかってきても1人で全てrape出来た」時代の記憶が脳幹に間違った形で染みついてしまっているとしか思えない。ただ、LodaはSGが今も好きで、未だにハマればimba的な振る舞いが出来るんだということを、断片的にでも確認できたのは良かった。悪くはなかった。幸せだった。あの頃はもう少し幸せだった。あの頃に戻りたいとは思えないけれど、あの頃はまだマシだった。幾分かマシだった。

「KuroKyか」「チーム力か」「Lodaのmissか」といった感じのこのゲームでも、angelの「チームに優しい立ち回り」「有り難いプレイヤー」「間違いの無さ」っぷりは一際目に付いた。これにKuroKyとなれば、ハメ殺すか、pick勝ちか、さらなる補強を行うしか、道はない気がする。補強ったって、あと補強と呼べそうな人材はシンガポールとロシアにしか残ってないから難しそうだけれど。KuroKyの小賢しさとangelの優しさが組み合わさったMYMは、dota allstarsの一つの到達点だと思う。これだけ面子が変わっても在りし日の「MYMっぽさ」は未だに健在だったし。「youtubeインポート阻害につき削除」1つ、1つだけ夢を語る事を許していただけるならば、viggosがmidをして、miracleとLodaが両サイドに張れば……。もうviggosなんて過去の人なのかもしれないけれど。それでもviggosこそがDota Allstars playerの完全形態だとの思いは今も消えない。見るに値するDota allstarsのリプレイはviggosだけだとの信念は、今も全く色褪せていない。「Dota Allstarsのリプレイなんて」「DOTA allstarsシーンなんて」に対する反論は「viggos」の一語しかありえない。このfunatic vs MYMを見た今ですら、そう思う。

ブログを書くために立ち上げたWarCraft3で、余計なことをしてしまったけれど、結果的にブログを書いてしまっているのだから、「まるで本意であるかのような不本意な人生」がどのようにして生成されるのかを改めて知る。もう望むものは何もない。
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で、、、さ。。。
今の今気がついたんだけどさ。。。

今更なんだけれど、本当に今更なんだけれど、この「MYM頑張ってたけどFnatic強すぎですわ」って、明らかに違うよね。「Fnatic頑張ってたけどMYM強すぎですわ」ならわかるけれど、全く逆だもんね。なんで気がつかなかったんだろう。極度の興奮状態って怖いね。これ。おそらくCSだね。まったくのお門違いだね。お門違いも良いところだね。「FPSプレイヤーなのにDOTA allstarsシーン見るんだこの人~」とか思ってのほほん受け流してたよ。ほんといい夢だったよ。僕は幸せ者だった。ほんの僅か数時間とはいえ、「あの試合について日本語で書かれたテキスト」を確かにこの目で読む事が出来たんだから。

って事は、あれだけのものがこの広い世界のインターネット上で繰り広げられたにもかかわらず、日本語で書き綴られたテキストは正真正銘0バイトなのか。僕のブログと同じじゃないか。明日からは堂々としよう。胸を張って生きよう。今日まで頑張ってブログを書き続けてきた甲斐があった。僕は遂にあのKuroKyに匹敵する次元にまで到達したんだ。明日からは胸を張って生きよう。明日こそは青空を見上げて笑おう。

真性引き篭もり : 画像貼り付けのテスト


この画像だけはいつ見てもそんなには、悪い気分にはならないな。嬉しかった事も、楽しかった事も、面白かった事も、好きだったものも、今では全て苦痛でしかないけど、これだけは今でもそんなに辛くない。一日迷わず、一心不乱に本気で頑張ったからだろう。一日だけでもいいから、一心不乱に頑張らなければならない。頑張らなければならない。

真性引き篭もり : 手の届くところに。

前へ進まなきゃ、前へ進まなきゃと毎朝思う。毎晩思う。飽くなき向上心は尽きることがない。けれども、手の届くところは堕落で埋め尽くされている。引き出しを開ければ満杯のWarCraft3。電源を入れればインターネット。そんな環境を作り上げたのは自分である。扉を開けても向こうには何もない。扉の向こうには何もない。

2009年10月25日日曜日

真性引き篭もり : 未来へGOGO。明日へRUN。

ブロックブログでも、さくらのブログでも、「下書き(非公開)」の状態で書き進めていた(書き上げてはいたけれど、内容に満足がいかないとか、公開するのは間違いであるとかの判断により下書き状態で保存していた)エントリーが山のように、どう少なく見積もっても300くらいあって、それら全てが失われてしまったのは、つくづく「惜しいなあ」と悔しく思うけれど、惜しいのか惜しくないのか、あるいは惜しいとすれば何が惜しいのかがわからない。死んだらまた産めばいいくらいの安直さで、未来へGOGO。明日へRUN。

2009年10月24日土曜日

真性引き篭もり : 仕事は沢山ある。けれどもハウルがいない。

同じ大きさに丁寧にちぎられたノートの切れ端には、僕がかつて書こうと思っていたブログと、いずれ書こうとしているブログ、そして今日今正に書くべきブログの断片が、それを読めばすぐに始文と終文が頭に蘇りキーボードがカタカタと音をたてんといきり立つくらいの明確さで書き記されている。それが何枚かごとに重ねられ、150個で100円だかのクリップで止められている。あるクリップには2行詩の完全な断片。あるクリップにはゲームの話。あるクリップにはくだらない悩み。あるクリップには不相応な義憤。1つのクリップ、クリップに、10も20もの書くべき事が詰まっている。それだけには飽きたらず、あるクリップには今日行うべき事が、また別のクリップには朝目が覚めて10分以内にすべき幾つもの事柄が、また別のクリップには就寝前の一時に必ず行うべきであると心に決めたものものが、あるクリップには今すぐにでもせねばならぬ、30秒もあれば済んでしまう些細な事柄が束ねられている。僕にはすべき事がある。クリップはもう残り少ない。新しいクリップを買わねばならない。行うべき事はまだまだある。書きたいこともまだまだある。山のようにある。明日もまた生まれるだろう。僕にはある。進む道がある。目標が、未来が、夢がある。仕事は沢山ある。けれどもハウルはもういない。





「綺麗なスプーンはこれだけしかない。」
年老いたソフィーに三本の汚れたスプーンが差し出される。
ソフィーは言う。「仕事は沢山ありそうね。」と。


事実仕事は沢山ある。ソフィーは仕事をする。卵を割り、ベーコンを焼き、フロを掃除し、床を掃く。灰をかき、芋を買い、爆弾からは逃げ惑う。ソフィーは真面目である。生真面目である。故にソフィーは若い頃からそうしてきたように、沢山ある仕事をひたすらこなす。片っ端から順繰りに、1つ、1つ、片付けて行く。当然仕事は片付いて行くが、片付ければ片付けるだけ、新たな仕事が増えて行く。人間生きれば腹が減る。汗をかく。眠くなる。腹が減れば仕事が増え、飯を食えば仕事が増える。汗をかけば仕事が増え、眠たくなれば仕事が増える。「あれをせねば」「これをせねば」と、仕事は無限に増えて行く。誰にだって同じである。ソフィーにしたって同じである。仕事は増えて行くのである。洗濯をし、階段を登り、空を飛ぶ。ソフィーは仕事をただこなす。

ソフィーは問題を抱えている。大きな問題を抱えている。けれどもソフィーは仕事をする。パンを切り、スプーンを洗い、戸を閉める。ある人はソフィーを指差して、このように言うかもしれない。ソフィーという人はは、大きな問題を抱えながらも、仕事をこなし続ける勤勉な人だと言うかもしれない。けれどもそれは事実と違う。ソフィーという人は、ただ、仕事をしているだけである。言うならば逃げているだけである。

どれだけ卵を割っても、ソフィーの問題は解決しない。
どれだけ床を掃いても、ソフィーの問題は解決しない。
どれだけ空を飛んでも、ソフィーの問題は解決しない。

ソフィーという人は、ただ逃げているだけである。若い頃からそうであったように、ソフィーというのはただ逃げるだけの人である。現実から無責任に逃げるだけの人である。問題を解決しようという意志無しに、カルタゴを滅ぼさんとする意志無しに、八紘一宇の意志無しに、ただ現実から目をそらし、ぐちぐち小言を言いながら、臆病に逃げているだけである。ソフィーという人は、ただの卑怯者である。喰っちゃ寝仕事をするだけの、人にあらざる人である。言うならばあれは土手沿いの、イタドリにも劣る代物である。






クリップで束ねられた紙の山と、それを遙かに上回る量のテキストエディタの中のタスク。それら全てが思い起こされ大きく一つ息吐いて、「ソフィーにはハウルが居る。僕にはハウルが居ない。この違いは大きい。」と結論に達し動かない。無論、逃げてるだけである。

真性引き篭もり : 頭痛も一段落して。

頭痛も一段落して、時計を見ると10月ももう、一週間。
明日から頑張ろう、明日は頑張ろう、と今はまだ思える。
いつまでも続くわけがない。けれども今日はまだ思える。

2009年10月23日金曜日

真性引き篭もり : なまけもの、ローマ字で打つ。

ものの数分で親指の側面が痛くなり、自らの怠慢の大きさを知る。さよなら小梅配列。

2009年10月14日水曜日

真性引き篭もり : そうするには、そうするしかない。

毎日毎日念仏のようにブログを書かねばブログを書かねばと思い続けて追い詰められる。今の僕にはその自信がない。誇大妄想に取り憑かれた夢想家が夢に見た純真無垢な夢想家のように、本当の素晴らしい良いブログさえ書ければ全てが美しく和になって光り輝き回るのだと信じていた日はもう来ない。今更ブログなんて書いてなんになる、今更ブログなんて書いてなんになる、と譫言のように繰り返すのは、自信の無い自分自身を慰めるため、ただそれだけ。逃げているだけ。時々思いついては取り憑かれたように、ブログは体力であると腕立て伏せをしてみたり、水分が足りていないのだと水を飲んでみたり、お腹が空いているだけだとご飯に塩して無理矢理食べたりするけれど、全て徒労。ブログを書くにはブログを書くしか道はなく、殺害するには刺し殺す他道はない。