真性引き篭もり : 仕事は沢山ある。けれどもハウルがいない。

同じ大きさに丁寧にちぎられたノートの切れ端には、僕がかつて書こうと思っていたブログと、いずれ書こうとしているブログ、そして今日今正に書くべきブログの断片が、それを読めばすぐに始文と終文が頭に蘇りキーボードがカタカタと音をたてんといきり立つくらいの明確さで書き記されている。それが何枚かごとに重ねられ、150個で100円だかのクリップで止められている。あるクリップには2行詩の完全な断片。あるクリップにはゲームの話。あるクリップにはくだらない悩み。あるクリップには不相応な義憤。1つのクリップ、クリップに、10も20もの書くべき事が詰まっている。それだけには飽きたらず、あるクリップには今日行うべき事が、また別のクリップには朝目が覚めて10分以内にすべき幾つもの事柄が、また別のクリップには就寝前の一時に必ず行うべきであると心に決めたものものが、あるクリップには今すぐにでもせねばならぬ、30秒もあれば済んでしまう些細な事柄が束ねられている。僕にはすべき事がある。クリップはもう残り少ない。新しいクリップを買わねばならない。行うべき事はまだまだある。書きたいこともまだまだある。山のようにある。明日もまた生まれるだろう。僕にはある。進む道がある。目標が、未来が、夢がある。仕事は沢山ある。けれどもハウルはもういない。





「綺麗なスプーンはこれだけしかない。」
年老いたソフィーに三本の汚れたスプーンが差し出される。
ソフィーは言う。「仕事は沢山ありそうね。」と。


事実仕事は沢山ある。ソフィーは仕事をする。卵を割り、ベーコンを焼き、フロを掃除し、床を掃く。灰をかき、芋を買い、爆弾からは逃げ惑う。ソフィーは真面目である。生真面目である。故にソフィーは若い頃からそうしてきたように、沢山ある仕事をひたすらこなす。片っ端から順繰りに、1つ、1つ、片付けて行く。当然仕事は片付いて行くが、片付ければ片付けるだけ、新たな仕事が増えて行く。人間生きれば腹が減る。汗をかく。眠くなる。腹が減れば仕事が増え、飯を食えば仕事が増える。汗をかけば仕事が増え、眠たくなれば仕事が増える。「あれをせねば」「これをせねば」と、仕事は無限に増えて行く。誰にだって同じである。ソフィーにしたって同じである。仕事は増えて行くのである。洗濯をし、階段を登り、空を飛ぶ。ソフィーは仕事をただこなす。

ソフィーは問題を抱えている。大きな問題を抱えている。けれどもソフィーは仕事をする。パンを切り、スプーンを洗い、戸を閉める。ある人はソフィーを指差して、このように言うかもしれない。ソフィーという人はは、大きな問題を抱えながらも、仕事をこなし続ける勤勉な人だと言うかもしれない。けれどもそれは事実と違う。ソフィーという人は、ただ、仕事をしているだけである。言うならば逃げているだけである。

どれだけ卵を割っても、ソフィーの問題は解決しない。
どれだけ床を掃いても、ソフィーの問題は解決しない。
どれだけ空を飛んでも、ソフィーの問題は解決しない。

ソフィーという人は、ただ逃げているだけである。若い頃からそうであったように、ソフィーというのはただ逃げるだけの人である。現実から無責任に逃げるだけの人である。問題を解決しようという意志無しに、カルタゴを滅ぼさんとする意志無しに、八紘一宇の意志無しに、ただ現実から目をそらし、ぐちぐち小言を言いながら、臆病に逃げているだけである。ソフィーという人は、ただの卑怯者である。喰っちゃ寝仕事をするだけの、人にあらざる人である。言うならばあれは土手沿いの、イタドリにも劣る代物である。






クリップで束ねられた紙の山と、それを遙かに上回る量のテキストエディタの中のタスク。それら全てが思い起こされ大きく一つ息吐いて、「ソフィーにはハウルが居る。僕にはハウルが居ない。この違いは大きい。」と結論に達し動かない。無論、逃げてるだけである。