2005年1月28日金曜日

ブックマークが消える時



「ブックマークが消える時」という表題でMMOをやらない理由について書くべきか、「MMOをやらない理由」という表題でブックマークが消える時について書くべきかと散々迷った挙句に、「ブックマークが消える時」という表題でブックマークが消える時について書くことに決めたのは、今日までMMOを一秒たりともやらなかったという事実よりも、昨日ブックマークを1つ削除したという出来事の方が今日の僕にとって重く大きいからに他ならない。

つまり、僕は今からブックマークが消える時という表題でブックマークが消える時という事柄を書くわけで、それ即ち、この段落の次に来るのはMMOの話だという事になる。



MMOというゲームのジャンルがある。
1つの世界に500人やら1000人やらが同時にアクセスするゲームである。
ウルティマオンライン、エバークエスト、FF11、リネージュ、ラグナロクオンラインなどいったタイトルが発売されており、大きな市場を成している。

僕がMMOをやろうと考えたのは、1度や2度の事ではない。
今だってやってやろうという思いがあるのは確かであるし、あの時やっておれば良かったと思うポイントが何箇所も存在するのも事実だ。
しかし、僕は今日の今日までMMOというゲームを遊んだ事が無い。MMOの案内サイトを隅から隅まで読んだり、攻略サイトのデータに片っ端から目を通したり、スクリーンショットを大画面で眺めたり、デモムービーを見たり、パッケージソフトを購入したり、という所で止めてしまった。


どうしてか。
それは、単純な話だ。
同じ世界に他人がいるという事が耐えられなかったからだ。
僕にとってのゲームというのは、世界と離れる唯一の手段であり、一人になる為のツールであった。長くそれは変わらなかったし、これからも変わる事はないだろう。

それに対してMMOというのは、人ってやつがわんさかいて、世界と離れる事も出来なければ、一人になる事も出来ない。僕にとってそれはゲームとは呼べない代物である。ゲームの皮を被った、何か別の道具なのだ。



それに、MMOの周辺ではこういう話が常にあった。

「MMOの対人関係なんて、現実のそれと比べれば遥かにくだらないもの」
・・・だから、MMOなんてやるべきじゃない。
・・・だから、MMOなんて今すぐに止めるべきだ。

僕がMMOをプレイするべきかしまいべきかと何度も迷ったのは、ゲームではないMMOという道具に何か別の希望を見出し、もしかして、それならば、と思ったからだ。
けれども、上のような話を耳にするにいたり、それも消えた。
現実のそれよりもくだらないものなんて想像すら出来なかったから。
結局のところ、僕は一人になりたいんだ。

誰とも言葉を交わしたくなんか無いし、誰の言葉も聞きたくない。永遠の静寂に包まれたいんだ。誰にも顔を見られたくないし、誰の顔も見たくない。世界中の鏡という鏡を割って回りたいし、銅鏡という銅鏡をどうのつるぎに作り変えたい。酸素を吸って二酸化炭素を吐くのも嫌だ。アルミ箔を吸って胡麻豆腐を吐きたい。MMOなんてごめんだ。


失敗だったね。
完全に失敗だった。
一人になる手段として真性引き篭もりってやつを選んだのは、完全に失敗だった。夜から夜まで何かが圧し掛かり、Enterキーすら押せやしない。食事は喉を通らないし、うんこは肛門を通らない。しくじった、これは。もっと他の何かになるべきだった。ウルトラマンとか、デビルマンとか、デイビットシーマンとか。

失敗だったのはそれだけじゃない。
ブログってやつは、もっと失敗だった。
僕はただDOTA allstarsの文章が読みたかっただけなのに、もうDOTA allstarsの文章なんて書けやしないし、読めやしない。僕に求められるのはpushでもhelpでもrushでもbackでもroshanでもhealでもtimestopでもない。エントリーってやつだ。
読みたくないってわけではないし、書きたくないってわけでもないのだけれど、僕が求めていたのはDOTA allstarsとの接点であり、世界との距離だ。世界との接点じゃないし、DOTA allstarsとの決定的な距離でもない。なのに。

そして、MMOをやらない理由という題材から距離を置き、ブックマークが消える時について書くつもりだったこの序文で出来たのは、ブックマークが消える時という話しとの距離であり、MMOをやらない理由についてのくだらない文章だ。

うまくいかない、なにもかも。机にコンと打ち付けてから赤道に両手の親指を差し入れ、真っ二つにしてしまいたい気分だ。卵黄は捨ててしまい、卵白は卵白で灰汁取りに用いてから捨ててしまいたい気分だ。うまくいかない、なにひとつ。



1つ、ブックマークを削除した。
いきなりじゃないか、って言われたら反論のしようが無いわけで、そのような抗議は受け付けません。



一つ、ブックマークを削除した。
所謂、お気に入りというやつだ。

僕は出来る限りブックマークを減らそうと努力してきた。
他人の書いた文章なんて読みたくないし、目にしたくもないからだ。他人なんてろくなものではない事は経験から十二分に知っている。実にくだらない。無駄、ってのならまだいいけれど、それよりも悪い。ブログなんてくそっくらえだ。けれども、今も7つのウェブサイトがブックマークにある。このくらいが適切な距離なんだろうと思う、おそらくは。

僕がそのウェブサイトに出会ったのは、発売されたばかりのゲームソフトの評判を確かめようと、検索エンジンでヒットしたサイトをあらいざらいに読んでた時である。
目当てのゲームに関する文章は2行足らずであったのだが、僕はそれをブックマークに入れ、その日から彼のウェブサイトに通うようになった。

何を読みたかったのかはわからないが、とにかく通うようになった。
彼の過去ログにある日常の狭間から読めるものは、全て現実であり、誠実であった。僕がブックマークに入れた頃も、そうであった。しかし、少しずつ彼の文章は変わって行った。
少しずつ現実でなくなり、少しずつ誠実でなくなった。
日常であるという事は確かであろうし、文体も同じであり、彼が書いているのだという事は理解出来るのだけれど、狭間から見えるものは、まったく違ったものに変わってゆき、僕はその変化に失望した。興味を失った、ってだけかもしれないけれど。
そして、ブックマークを削除した。
もう二度と彼の文章を読むことは無いだろう。

1クリックで途絶える関係。
ブロガーとブログ読マーの間の関係はそういうものだ。
ちょうど、MMOにおける人間関係と同じくらいに薄くて軽い。
彼は僕が月に100アクセスもしていたという事は知らないし、僕が訪れなくなったという事にも気がつかない。彼のブログは好調であり、アクセス数も日々伸びており、ブロガー的には勝ち組であろう。読み手である僕の世界から彼は消えてしまったのだけれど、ブロガーである彼の世界には僕はいなかったのだ。こんにちはが無かったようにさよならも無く、僕という生き物も存在しなかったのだ。

MMOをいけないって言うなら、ブログだっていけないよ。人間なんていけないよ。もっと何かがあるはずだろって言うなら、なんにも無いよと答えてやるよ。そんなの、絵空事。


読み手マーである僕とブロガーである彼との元々無かった関係が途絶えた事によって、僕のブックマークは少し見やすくなり、整理され、綺麗になり、片付いた。小気味良い。それは丁度、今この瞬間も存在しない僕が消え行きつつあるのと同じように、良い事なんだろう。どんどん軽くなって、もうすぐ天井を突き抜けるのだ。



インターネットの向こう側には何か別の生き物がいて、それはとてもいいものだと思っていたのだけれど、結局いたのは人間であり、それは僕を


2005年1月27日木曜日

桃色キャベツを探す旅



書ける事柄が無いからといって、適当な表題を用意しては泥沼に陥るという実例を示すためだけのブログ投稿を行うというわけではない。今僕はむしょうに、むしょうに桃色キャベツを見つけたいのだ。あるいは、桃色キャベツを探したいのだ。

心労である。
ショックである。
マグネシウム不足である。

ここ数ヶ月間、よろしくやりたい、よろしくやりたい、出来ることならいますぐにでもよろしくやりたい、と思いながら必死になって過去ログ全てを読み、今か今かと更新されるのを待ち望み一日に40回くらい訪問していたブログの書き手がクリック募金派だった。

しかも、物凄く熱心だった。
しばらく立ち直れそうに無いので、桃色キャベツをクリックしてきます。


2005年1月26日水曜日

クリック募金を他人に勧める人はおかしい。



無駄な700行くらいを書いてしまって物凄くムカついたので、書かなくていい事まで書いてしまうに至ったわけだけれど、気にせず行くよ。最初は頭が、だったんだけれどなんとなく変えた。



僕はクリック募金を他人に勧める人は頭がおかしいと思っていて、引用部の筆者氏はクリック募金を他人に進めない人は頭がおかしいと思っているわけである。
だからして、読みときようがなく、このような非常に低俗でレベルの低い投稿をするに至ったわけである。



>hankakueisuu氏が高麗氏批判と平行して、
>「カンボジアのために募金したい人はこちらへ」みたいな
>誘導をやってれば、私は何も書いていなかったと思います。
するわけがない。
カンボジアのために募金しようと思う、おかしくないまともな人間は自分でカンボジアの事も調べるし、募金先の事も調べて募金する。

募金に関する考え方の違いとか脳内お気楽度の違いだとかそういう所にあるのかと思って色々書いたり読んだりしてたわけだが、根本から違うのだろう。90万中6万円の高麗資金が善でそれを叩く人は悪、ってまったくもって理解出来ない。1、何故。2、どうして。3、根拠。

ベターな寄付先の紹介ベターな寄付先の紹介ベターな寄付先の紹介って一つ覚えみたいに繰り返しているわけだが、まともな人間は自分で探して自分で寄付する。

募金を人に勧めるというのはおかしい人間のやる事である。
少なくとも、能天気にバナー貼るブロガーとか掲示板でクリックしましょう!とか書いている人はその類だ。募金というのは自発的に行うものであり、人に押されてやるものでもなければ人様に勧めるようなものでもない。さらに書いておくと、クリック募金などというのは募金ですらない。ただの欺瞞付きクリックだ。

それを人に勧めるなどというのは無責任だとか馬鹿だとか以前に、思考停止のレベルにも達していない思考能力が0の行動である。





ついでにもうひとつ。


>募金パーク叩きは妬みだ
もう、それこそまったくもって意味不明。
あなたは頭がおかしいとしか思えない。
お願いだからきちんと書いてくれってって感じだ。
というか真性引き篭もりが激昂するプロセスのようなものを自分自身で観察しながら書いていると何か楽しくなってきたわけだが、というか真性ムカつく。



マルチの親玉兼犯罪者の大嘘つきが善人ぶって嘘八百を並べ立て、善意を利用して金儲けしてたら普通はムカつくだろう。というか引用部の作者氏はそれをもってやっかみとするわけで、彼の言葉を借りればやっかむだろう。
見なかった事にする、という対応が最も正しいのであろうが、真性引き篭もりという短絡直下型ブロガーの行動としては、やっかまない方がおかしいだろう。
善だとか悪だとか三菱だとか、私は信じてます頑張ってくださいだか、思考停止、だか知らないが、完全に思考停止、というか脳みそが存在するのかどうかも怪しい文章を延々と書いておいてよく言えたもんだ。

真性引き篭もりがどういう立場、どういう内容の投稿を行ってきたかもまともに読めてないようであるからして、もう一度説明しておくと(高麗和男)消えろ。その一点だ。はっきりと、真性引き篭もりは(高麗和男)消えろです、と度々重ねて書いてきたわけだ。その程度の事も読めないんですか。



それでもって、貴方様の思考の上では、(高麗和男)消えろはイコールやっかみという事になるわけだ。

そのどこが悪いのか0から説明していただきたい。
はっきりいってあらゆる意味で理解出来ない。
もし理解出来るコメントがくるとして、その文章を僕が今想像して書いてみるとすれば「私が馬鹿でしたハイハイもう来ませんよかったねおめでとうクローズクローズ」くらいしか思い浮かばない。それくらいに、引用部の筆者が何を書いているのか、何を考えているのか、何を言いたいのか、そもそも何であるのかがまったくもって理解出来ない。
現時点では何も書いていないし、何も考えていないし、何も言ってないし、何でもないとしか読み解けないという事であり、ちゃんと何か書いてください。


2005年1月24日月曜日

かたびら鎧



化け物がいた。
いつからかそこに化け物がいて、僕はそれを見てしまった。

今は僕の目に化け物は映らない。
けれども、まだ化け物は僕を見ている。
僕の見えない所から、じっと僕を見ているんだ。
絶対そうだ。まだいるんだ。僕の視界の外ってだけで。

あの時、疲れ果てて倒れこんで目を閉じなければ、恐れおののくことも、怯える事も、震える事も、苦しみもがく事も無かったのだろう。けれども、もう遅い。
僕は化け物を見てしまった。
化け物は僕を見ている。
物凄く恐い。

こんな事を書くと、「また真性引き篭もりがおかしな事を書いているよ」なんて思われてしまうのかもしれない。そうじゃない。そうじゃないんだ。僕は本当に化け物を見たんだ。これだけは信じてくれ。確かに僕は善人じゃない。嘘だっていっぱいついた。自分にだって見抜けないくらいの巧妙な嘘だ。くだらない事もいっぱい書いた。エントリー、いや、カテゴリーごと削除してしまいたくなるくらいにくだらない事だ。悪いこともいっぱいした。人に言えないような悪いことだ。けれども、これは違うんだ。お願いだ。信じてくれ。僕は見たんだ。本当に見たんだ。化け物を見たんだ。


あれは、なんて遡る程昔の事じゃあない。
巨人も大鵬も玉子焼きもハレー彗星もY2Kも過ぎ去った今の今、ついさっき、今しがたの事なんだ。
それが何だったのかはもう覚えていないのだけれど、僕は何かに疲れて倒れこんだんだ。そこまではいつもと同じの平凡な日常だったんだ。満腹の時とか、空腹の時とか、ブログを書いた時とか、ブログが書けない時とか、僕はすぐに倒れこんでしまう。弱いんだ。物凄く。
倒れこむ気力が無い時は、PCの電源もそのままに少し丸くなる。猫背なんかじゃない。少し丸くなるだけで、しゃんとしようと思えばいつだって、ずっとずっとしゃんとしていられるのだけれど、猫背になるんだ。ちょうど、バーチャファイターでガードボタンを押しっぱなしにしたような状態だ。猫背なんかじゃない。ディフェンスだ。

つまり、僕が倒れこむ時というのは、ガードもディフェンスもする必要が無く、倒れこみたいと思った瞬間に倒れこめるくらいに、気力と体力が満ち溢れている時って事なんだ。
そして僕は倒れこもうという思いに満ち溢れて、満ち溢れて倒れこみ、目を閉じたんだ。

そしたら、見たんだ。
化け物を見たんだ。
そしたら、いたんだ。
化け物がいたんだ。

足があって、手があって、帷子鎧を身に着けた化け物が目の前にいたんだ。目の前だぞ!本当に。
物凄く恐かった。
だって、僕は今日まで化け物なんて見た事が無かったんだから。
それに、アトランティスもムー大陸も占星術も細木和子もチュパカブラスもネッシーもUFOもナチスもドイツもエルビスプレスリーも信じない、物凄く健全で健康的な人間なんだ。

わかってる。
そこはちゃんとわかっているんだ。
アトランティスもムー大陸も占星術も細木和子もチュパカブラスもヤッシーもUFOもナチスもドイツもリンドンBジョンソンも全部全部あんなの嘘だ。嘘っぱちのとんとんちきだ。
けれども、それらとこれは別問題だ。化け物はいる。
足があって、手があって、帷子鎧を身に着けた化け物はいるんだ。


それは、僕の中にいた。
いや、ごめん、間違った。
僕の外だ。

それは、僕の外にいたんだ。
だって、そうだろ。
中にいたら見られない。
外にいたから見えたんだ。
いや、やっぱり中かもしれない。
外だ。外だ。だって僕は化け物じゃない。
健康的で希望に満ち溢れた無限の可能性を秘めた健全な青春時代真っ盛りのブロガーだ。若者だ。僕のスーパーヒーローだ。外だ。外にいたんだ。

いや、やっぱり中か?
もういいよ。
化け物は僕の中か外にいたんだ。
どっちだっていいだろ、そんな事は。
重要なのは、僕の目の前に化け物がいたって事実なんだから。




目の前にいたんだ。
それは動いてた。
手が動いていて、足が動いていて、帷子鎧が動いてた。
驚いたよ。
化け物が僕の部屋にいるなんてね。
僕の部屋は僕だけのものだと思っていた。
今日の今日まで、一人で引き篭もってきたつもりだった。
誰とも言葉なんて交わしていないし、誰とも会っちゃいない。
僕はずっと一人でいて、それはとてもいい事だと思っていたんだ。もしくは、悪い事だと思っていたんだ。いい事か悪い事だ。あるいはその両方か、両方でも無いかだ。どっちだっていいだろ、そんな事は。重要なのは、僕の目の前に化け物がいて、それは随分と前から僕の部屋にいたらしいって事なんだ。
一人だと思っていたのに、一人じゃなかったんだ。
驚いたね。これには。


そりゃあ、その瞬間は恐かったよ。
基本的には今でも恐い。
震えてる。
恐い。
なんたって化け物なんだから。
奴は人間じゃあない。
血も涙も無いね。
おそろしい。

けれども、化け物を目の前にすると、化け物もそんなに悪いもんじゃないなって気がしてきたんだ。
なにしろ、奴は手がある。
おまけに足があって、帷子鎧をつけている。
おまけに、僕がどれだけ醜くても僕を醜いと責めないし、僕がどれだけのろまでも僕がのろまだと責めない。割り切った関係といえば割り切った関係だし、適切な距離だといえば適切な距離だ。

僕と化け物の間には随分の開きがあり、けれども僕と化け物の距離は0だった。
それは心地のよいものではなかった。途方も無く恐かったし、正直途方にくれていた。恐ろしかったし痛かった。けれども5分か10分かして、恐怖を伴う驚きが過ぎ去ってからもじっと化け物を見つめていたら、化け物もそう悪くはないなって気がしてきたんだ。
これはいいぞ、って。

だって、足があって、手があって、帷子鎧を着けていて、僕なんかよりずっと立派だ。そりゃあ僕にも足があって、手があって、冴えない衣服を着ているけれど、冴えない足と冴えない手に冴えない衣服ってのは足手足手に帷子鎧と比べれば、随分と貧相だ。
僕は人間だしね。


冷静に化け物を見続けていると、ふと「これだ!」ってひらめいた。
犬の顔をした白い龍とか、緑色の飛ぶ人とかライオンとか、そういうのだと。
足があって、手があって、帷子鎧の化け物ってのは、それらと比べると随分とへんてこで無力で平凡でありきたりだ。けれども、足があって手があって帷子鎧の化け物が目の前にいるってのは凄い事であり、僕は特別な僕で、足がって手があって帷子鎧の化け物は特別な足があって手があって帷子鎧の化け物であるように思えてきたんだ。事実今でもそうだと思ってる。僕が倒れこんだのは、古びた本か出窓か洋だんすだったんだって。

特別な僕と特別な足があって手があって帷子鎧の化け物の接点のある関係というのは、この世界で自分は無力で平凡で何一つ成し遂げる事なんて出来ないんじゃないか、って思っているような頃合の人にとっては物凄く特別なものだろう。
僕はそうではないのだけれど、そうじゃない僕にとっても特別な関係だった。だから化け物がいとおしくなってきたし、もっと化け物に近づきたいと思った。
きっと傷つける事無しに化け物との適切な関係を築けると思ったし、僕が傷つけられるような事もない適切な距離を保った健全な関係ってものを手に入れられると思ったのだ。けど、それは幻だった。


僕がもっとしっかり見ようと目を開けたら、化け物は跡形も無く消え去った。
いや、違う。
僕の前から姿を消した。
さきほどまでは、足があって手があって帷子鎧の化け物が僕の視界の全てだったのに、僕の世界から完全に姿を消え去ってしまったんだ。

物凄く悲しかった。
僕は特別な僕で、化け物は特別な化け物で、僕と化け物の関係は特別な関係。
ひもとくと、僕が特別である根拠は化け物の存在だけだったんだから。
それが姿を消してしまい、僕は激しくうろたえた。

もしかして、鏡があれば化け物を見つけられるのかもしれないとかも思ったりもしたのだけれど、僕は真性引き篭もりであるからしてどうしようもなかったし、もう一度目を閉じたら化け物が再び現れてくれるんじゃないかって思って目を閉じてしばらくじっとしてみたけれど、遂に化け物は現れなかった。もう二度と。
それっきりだ。

物凄く悲しい。
僕はきっと特別な僕で、化け物はきっと特別な化け物だったのに。
もっと広い所で縦横無尽にやれたのに。
もう手遅れなんだ。
おそらくは。

僕が化け物を目にすることはもう無いし、多分化け物はもう僕を見ていない。特別な関係はあの一瞬だけ。いや、そんなものが本当に存在したのかどうかも疑わしい。
1人ってのは少なすぎる。
物凄く寂しいんだ。
朝も夜も春も夏もTVも携帯電話もDOTA allstarsも無い。
糸くずにでもしがみつきたくなるくらいに、ずっと一人っきりなんだ。
けれども、2人ってのは多すぎる。
物凄く煩わしいんだ。
朝も夜も春も夏もTVも携帯電話もDOTA allstarsもまっぴらごめんだ。

だからこそ、僕と化け物ってのは最高の、ちょうどいい塩梅だってピンときたんだ。特別な足と帷子鎧の化け物との間なら特別な関係を築けるだろうし、健全なコミニケーションを取れると思った。特別な世界が待っていると思ったんだ。けれども、そんなの全部なかったんだ。はじめから。
一人っきり、物凄く悲しい。
全部涙で流れてった。


コメント欄へのコメントのような投稿



真性引き篭もりに聞いてみたい。
とか書いてあって物凄く困る。


ここで僕がとれる選択枝としては、
・コメント欄にコメントしないのですと再び書く。
・コメント欄にコメントしないので一切触れない。
・コメント欄にコメントしないけどコメントする。
の3つであり、当然のように3番目を選んでしまうのが真性引き篭もりhan矛kaku盾eisuu。


なんだか、誰が誰だかわからないので物凄く書きにくいのだけれど、今23時49分なので、残り11分で書きあげます、ってそんなの無茶だけど書きます。


募金をピンはねすると、カンボジアに届く募金が減るので、
それは「悪」だ。
募金パークを潰すと、最終的にカンボジアに届く募金がもっと減るので、それは更に「悪」だ。



わけがわかんない。
そのような悪どうこうという事は一切書いていません。
そのような趣旨趣向では書いておりません。
そもそも真性引き篭もりが募金パークに触れたのはあくまでも衝動的なもの、あるいは見てしまったら書いてしまわずにはおれない、という真性引き篭もりというものの時間の持て余しっぷりのようなもので、物凄く忙しそうなのに同じテーマで8連続投稿とかしている[[全然藤沢じゃない。>
http://fujisawa.bblog.jp/category/asahi/]]さんなんかとはまったく種類が違う。
だからといっていい加減な気持ちで適当に書いていたわけでは無いので、その辺りは適当に汲み取ってもらえれば幸いなのだけれど。っていうかもう54分だ。



それで、せっかく真性引き篭もりのコメント欄で悪や募金についていっぱい書いてくれたので、僕も読ませていただいて物凄く嬉しいというか、ありがたかったというか、非常に感謝しているので、よそでやらないでくださいというのもあるし、とりあえずもう56分なんで投稿だけしてしまって今日の分の投稿を埋めた所で再開しようと思うのだけれど寒くて凍えています。




とりあえず前提。
・コメント欄にはコメントしません。
・トラックバックには対応します。
・トラックバック来てなくてもやってくれれば同上。
という所で、書こうと思ったのだけれど、多分あれはカーリー助けてないね。カーリー助けてたら裏面の事書くだろうし。カーリー助けているのと助けていないのとでは、難易度が変わるらしいから絶対あれはぬるい方でやっていい気になってるだけだろうね。まず間違いなく。


あと、OJなんて読んでいない。
というかそもそもその存在自体を知らない。
だいたいからして、僕が読んだ事のあるマンガ本は漫画で知る世界の不思議とかなんかそういうタイトルの奴で、ライオンを食べる草だとかプテラノドンは生きているだとかそういう非常にくだらなくてつまらないやつと紫電改の鷹くらいであるからして、今時の漫画など読んでるわけがないし、そりゃあオタクになれないわけだ、といったような感じもする。
それとは別に、無菌状態で育ってきた人間が突然にゲームに触れる、あるいはオタクに触れる、あるいは酒や女や涙やギャンブルなどといったものに触れるとありったけをそれにつぎ込んで一気にLv99まで達してしまう場合もあると思うのだけれど、僕の場合は真性引き篭もりであるからしてそれも無いわけで、やはりオタクになれないわけであり。別にオタクになりたいわけではないのだけれど、微妙なものがある。


「ずるいことをして儲けてる人間が許せない(高麗氏が本当に詐欺師かどうかはまだわからないけど)」というのはもっともなんだけど、そこで思考停止せずに、人々の善意をより有効活用するにはどうすれば、というところまで考える必要があるんじゃないかな。じゃないと、結局それは「ネットで金儲けしてよろしくやっている」連中への妬みというレベルにとどまってしまうんだと思うんだけど、どうだろう。



多分ここらからだと思うのだけれど、人々の善意をより有効活用するにはどうすれば、というところまで考える必要があるんじゃないかな。なんか言われてもコメントのしようがない。
始皇帝氏などと呼ばれてしまったので、一応その辺りへの文章を書いておくと、それはもう「貧富の格差をなくす、以上。」で終わり。



僕は別に物凄い左とか真っ赤とかではないのだけれど、おそらくは左寄り、もしくは極右?というかその辺りはよくわからないので、そういう背景としてのものではないという事の説明として一応政治的、あるいは思想的立場からの物言いではないと弁明しておく。


そんなもの、全ての問題は貧富の格差が原因だ。
他の善意がどうとか解決がどうとか募金がどうとか人権がどうとか政治体系がどうとか支援がどうとかいうのは、真性引き篭もりからしてればちゃんちゃらおかしい。
貧困やら人権やらなどというのは言うに及ばず、紛争だとか戦争だとかいうのも全て貧富の格差、あるいは言い換えると富の集中に原因があり、また、その方がいいと思っている人間が一方にいるからそのままなのだ。その方が都合がよい。


あまりケチをつけるというのは非常に気がとがめるのだけれど、ケチをつけると、募金で学校が3つ4つ建てる、あるいは建てないが悪だどうこうなどというのは物凄く笑える。そんな事をしても学校へ行けた人間が得をするだけだ。きちんと上から下まで全てをやれる組織(政府と読んでもよい)がやらないと格差が広がるだけ。機会の不平等をより一層深刻なものにしてなんの解決になるのかまったく想像がつかない。それこそ思考停止。
そんな馬鹿な事やってないで、全域小中高+αのODAをすればよい。別に政府でなくてもビルゲイツでも堤でも孫でもカンボジアスクールNGOでもいいけれど。それが無理ならユニクロでも背広でも無印でもなんでもしっちゃかめっちゃかに工場を建てまくればよい。あー、国内の修学旅行全部アンコールワット、とかでもいい。ディズニーランドや金閣寺よりはずっといいだろう。とにかく金を回させろ。


なんか少しずれたような気がしなくも無いけれど、ユニセフや赤十字や国境なき医師団や、あるいはWWEやらといったものでどうにかなるってのは大間違い。資本主義でも共産主義でも軍事政権でもなんでもいいから、格差を減らせばよい。


どこかでプロとプロ組織を育てろとかそういう話があったが、ユニセフやら赤十字やらが育った姿なら、全然機能してないじゃんって話である。ユニセフとか赤十字などというのは糞も糞のいいところであり、あんなものをしてプロだとか人材育成だとかいうなら終わってる。
育てるなら、国を育てるべきである。格差を少なく出来る国を。トルコやメキシコから移民が押し寄せたりしない識字率100%の国はその点で完璧なのである。


別に寄付というものを否定しているわけではない。
緊急時の寄付が持つ意味はようく理解しているつもりである。


しかし、例えば新潟の震災という緊急時に国内の寄付金が0円、海外からの支援金が0円であったとして、何か問題になったとは思わない。
それは我が国が富んでおり、格差が少ないからである。
ならば、比較的そのレベルに近い国を作ろうとするのが正しい道筋である。


なんか余計にまとまらなくなってきたけれど、それは全員が誰が誰だかわからないコメント欄を読みながら書いているからであり、コメントvsコメントにあとから突っ込んでって綺麗にまとめて書くというのは真性引き篭もりの力量では無理である。


>三菱
こういう類のたとえ話はコメントするに値しない。
真性引き篭もりを批判する、あるいは無理やりに働かせるならば、代わりに貴方がより素晴らしい真性引き篭もりになるべきだ!とかそんな事馬鹿馬鹿しくて書く気にもならないのである。
思考停止に陥らずになんか書けというなら、まずそう言う人間が第一に書くべきであろう。もしも「書いています」というのならごめんなさい。


社会正義とユニセフとか赤十字とか論理のすり替えだとか建設的だとかよそでやってくれだとかなんか物凄くこんがらがって、意味不明であり、もうなにがなんだかわからない。


無理やりに真性引き篭もりをまとめる。


・募金についてはなんの意見も感情も無いに等しい。
・善とか悪とか言ってる人間こそ思考停止。
・貧富の格差を無くせばよい(あるいは少なく、または機会格差を)


これくらいかな、という感じだけれどこれでいいのだろうか。
だいたい、そもそも、真性引き篭もりはゲーム真性引き篭もり系のブログであり、そういうのやられても困るのだけれど、せっかくやってくれているのならばここでやってくれて結構です。


2005年1月23日日曜日

糞ブロガーR30を糾弾する。



物凄くムカついた。
つまり一言で言うと物凄くムカついたという事だ。
真性引き篭もり風に言うと、激昂しているのである。


だいたいからして、なんか赤鬼みたいなのが倒せない。
多分200回くらいトライしたけれど、倒せたのは3回だけ。
5回に1回は赤鬼までたどり着けるくらいまで上手くはなったのだけれど、たどり着いた時の平均HPが5であるからして、倒せるわけがない。
というか倒せてもセーブポイントまでたどり着けない。3回全部127ダメージ食らって死んだ。呪われたトランプが暴発した瞬間に影のジャックに暗黒の嵐2連発食らって死ぬよりも理不尽だ。あんなもの絶対に認めない。
それ以前に腹立たしいのが、以前「カーリー死んだから」という理由で2度アンインストールしたのだけれど、あれは生きているという演出であり実は死んでなかったという事実が物凄く腹立たしい。生きているのか死んでいるのかわからない演出などというものはあまりにも不条理すぎる。不親切にもほどがある。サイズ19くらいのゴシックフォントでデカデカと「おめでとう!カーリーは生きてます!」とか書いておくべきだ。おめでとう!
というかそれ以前の問題として、カーリーが生きていると裏面にいけます!しかも裏面をクリアしたらパーフェクトエンディングが見れます!おめでとう!とかそういう情報を掴んでいるのだけれど、裏面どころか表面もクリア出来ない。というかラスボスの姿も見られない。もう赤鬼がラスボスでいいやん、って思うくらいに絶望的な戦力差である。だいたいからして赤鬼は無茶苦茶卑怯だ。なんか要塞の中みたいな所にいる。正々堂々と戦えばいいのに、要塞ダンジョンみたいな所に入った瞬間に「全ての武器レベルが0になりました」とか言われて卑怯極まりない。やるさかない。ふしだらだ。不埒だ。おのれ。
というか本当に赤鬼が倒せない。回復薬を使えばほぼ確実に倒せそうな気がするのだけれど、おそらくここで回復薬を使ってしまうとラスボス(あるいは次のボス)が倒せないであろうというのは想像するに容易く、ここで使うわけにはいかないわけで、物凄く苦しい。
僕はどちらかというと努力型、というか延々とプレイし続けている間に少しずつ上手くなる型のプレイヤーであるからして、普通のゲームであればこれだけやればクリア出来そうな予感というものがしてくるのだけれど、なんかそういうのが全然無い。こんなもの100%不可能だ。大阪城の石垣を渡されて、「はい、これで石切り5回跳ねさせて」とか頼まれているようなものである。石切りだか水切りだか知らないけど、もうそんな事はどうでもいいくらいに腹が立ったので、今アンインストールしてゴミ箱を空にしたので、僕はもう永遠に赤鬼などという糞モンスターに殺される事は無いわけで物凄く幸せなのだけれど物凄くムカつくのでブログでも書こうと思うのだけれど、アンインストールしてしまった後悔と興奮で肩が震えているのだけれどこれはどうしたものか。せめて回復薬を使ってでもラスボスを見てからアンインストールするべきだった。また失敗してしまった。だいたいからしてインターネットエクスプローラでブログの投稿画面を開き、表題と書き出しの3行くらいを書いてからあとはテキストエディタで本文を書いているのだけれど、テキストエディタなのに五目並べとかがついているわけで、なんか文章が行き詰って単語が出てこなくなったからとふと出来心で五目並べをやっているわけだけれど全然勝てない。100戦100敗の勢いで負け続ける。真性引き篭もりというのはテキストエディタよりも馬鹿なのかと思うと物凄く腹が立つ。
だいたいからしてDOTA allsatarsのCDキーを咀嚼して飲み込んでから何かがおかしくなったのであり、物凄くDOTA allsatarsがやりたい。もう、スペルクラフトとかエアーストライクタワーディフェンスとかフットマンウォーズとかエックスヒーローサバイバルとかサモナースとかニンテンドウタワーディフェンスとかそういう糞UMSでもいいからやりたい。このさいザグレートストラテジーでもいいからやりたい。2vs2のチームバトルでプロゲーマーを真似して建物を配置していると「なんでそんな所に建物を建てるんだ?おまえnoob!死ね!一生ウォークラフトやるな!」「for all : ちきしょう!俺のチームメイト無茶苦茶noob!やってられん。落ちるわ。物凄く腹が立つ。糞、死ね、じゃあな、あばよ!」とか言われて落ちられてもいいからそれくらいの勢いで物凄くやりたい。


というか、やっと本題を思い出した。
R30マーケティング社会時評というブログがあるのだけれど、これが物凄く腹立たしい。マーケティング社会時評というブログ自体ではなく、R30というそれを書いている男が物凄く腹立たしい。
だいたいからして年齢どうこうというものをタイトルに持ってくるようなのは卑怯だ。年齢といのはそれだけで免罪符というか手形のようなものであり、


30を超えた大人のための子供ニュース(木曜休刊)



などというサブタイトルは物凄く卑怯で虫が好かない。
木曜日も働け。
休まず書け。
それ以前に、木曜日以外も休刊しまくりだろ。
そのくせ偉そうに休刊とか書いているのが腹立たしい。しかも、このR30という男は平然と木曜日に投稿している。大嘘つきだ。
木曜休刊と書いておきながら木曜以外の曜日に休刊して木曜に投稿するというのは、月曜から土曜まで登校せずに引き篭もっておきながら、日曜の運動会にだけは笑顔でエビフライをむしゃぼる餓鬼のようなものであり、絶対に許すことは出来ない。エビフライをむしゃぼる餓鬼みたいな論理が世間で通用すると思うな。甘ったれにも程がある。
少しそれたから戻しておくと、年齢というものは卑怯だ。



例えばブログにおける紛争やネットゲームにおける戦いなどで対戦相手が「私は今年で95歳になります」などと言ったら、もうその時点でこちら側に勝ち目は無い。
どう頑張っても無理だ。齢30だとかいうのはそれに比べればだいぶマシではあるものの、やはり卑怯だ。僕がどれだけ激昂して書いても「いやー三十路だし(笑)」みたいな感じで終わる事は目に見えている。なんかたまに「貴方はまだ若いんだから」みたいな希望に満ち溢れてるんだよ君は無限の可能性があるんだよ君は物凄く幸せ者なんだよみたいな海綿体コメントがついているのだけれど、僕の最強の持ち札は若さ、第二の持ち札はDOTA allstars、第三の持ち札は真性引き篭もりであるからして、それらは1秒1秒失われていきつつあるわけであり、それらは僕を傷つけるだけであり、アドバンテージでもなんでもない。どちらかというとハンデキャップである。もしも僕が明日で齢96になるのであれば、僕は幸せに満ち溢れ、未来人生将来希望、あるいは人間というものを希望の眼差しでまんじりともせずに微笑みながら見つめ続ける事が出来るであろう。


そういうわけで、つまり、齢30などという年齢は卑怯だ。
見るもの誰もが「もしかしてこの人って小学生?くらい?」みたいに勘違いさせるくらいの投稿をたまに行ったり、なんか突然「Jリーガーになりたい」とかプロフィールに書いたりしてみるもの全てを戸惑わせるくらいにやるべきだ。話を戻そうと思って改行したのにまたそれた。それもこれも全部R30がムカついて激昂しているからである。本来の僕はもっと理路整然とした物凄いパーフェクトな文章を書けるスーパーブロガーであり、冷静沈着な人間なのであるというのにそのような姿をお見せできずに悲しい。


だいたいからして今日のブログ投稿を行おうと7割くらいまで書いていたものがうまくまとまらず、読み返しても涙が出そうなくらいに意味不明な文章になってしまっていたのでCtrl+Aで全選択したあとでDeletキーをえんや!と押して削除し、「今日はコメント欄の騒動に首を突っ込んで終わりにするか」と思ってコメント欄を見て、ついでたからとR30を見に行ったら、僕が送ったトラックバックがものの見事に跡形もなく綺麗さっぱり削除されており、物凄く腹が立つ。R30死ね。あるいは結婚して子供作って海外旅行とかして週に5回の割合で定年までよろしくやれ。


だいたい、R30は卑怯だ。
こちらにはトラックバックを送っておきながら本文を削除し、1日80000アクセス強の超絶メガヒットサイトに「from R30::マーケティング社会時評 」なる宣伝広告文章を紛れ込ませておきながら1円も払わず何のコンタクトもない。だいたいそういう場合は「ごめんなさい、ちょっと削除しましたので、お詫びにDOTA allsatarsのCDキーをお送りします。CDキーはdahos-dahid-danof-djao-dahiです。あとTFTの方のCDキーはfhoas-fhiue-fheao-fahou-dahi-dheo-です。じゃ、よろしくー。」とかそういう物凄くフレンドリーなメールを送りつけてくるのが礼儀というもので、問答無用で削除しておきながら問答無用で削除するというのは物凄く不愉快だ。


一度投稿した本文を削除するという事自体にはなんの問題もないし、構わない。書いた人間の勝手である。それに一度書いた文章を削除するというその気持ちというのは物凄くよくわかる。僕なども過去に投稿したものを削除してもう一度書き直したい気分になったり、綺麗さっぱり跡形もなく無かった事にしてしまいたくなったりするわけで、何かを書くという事は髪の毛やら汗やらうんこやら涙やら罵声やらといった物凄く醜いものを撒き散らしながら歩くのと同じであり、歩いている時はそれなりに何も感じないものの、振り返ると物凄く後悔、あるいは物凄く満足するものである。どちらに転ぶかは書いている間にはわからない。しかしながら僕は投稿というものを削除しないという方向でやって行きたいと思っているわけであり、そのようにしている。というか激昂のあまり物凄くいっぱい支離滅裂な事柄を書きすぎて最初書こうと思っていた事を全部書き忘れており、慌てて書き入れようとしてもあまりに書き入れようと思う事が多すぎて文章の繋げようがなくなってしまい、もうどうする事も出来ないくらいに滅茶苦茶になってしまったのはいったいどうすればいいんだ。このような言い訳をしているという事は、この文章自体が後に書き入れられたものであり、次に3行くらいあけて物凄い話題とテンションと文体の変化が訪れるので覚悟してくださいという警告であるのだけれど、こんなもの真面目に読んでいる人間などおらぬような気もしてこの文章自体が徒労の象徴であるように思えて物凄く赤鬼が憎い。


 &br; &br;

というかなんでこれが改行に変換されないんだ?
ちゃんとWikiStyleを選択して、万事ぬかりないはずなのに。
なんか全てが上手く回らない。


というかR30。
あの空トラックバックにはどれだけの労力がかかっているのか想像した事があるのか!まず、ライブドアのIDを本名で取得してしまい、「あ、ブロックブログはいいけれどライブドアに本名を渡すのはやだ」と思い直し、一度IDを削除し、新たに偽名で登録しなおし(鈴木一郎)、やっとの事でブログ作成画面までたどり着いてはブログタイトルをどうすべきか悩みに悩み、ああでもない、こうでもないと各地を飛び回ってそれっぽいものをかき集めて繋ぎ合わせて捻り出してブログを開設し、さて本文を投稿しようという段階になってはその本文の文章で悩みに悩み、ああでもないこうでもないとうんうん唸って書き上げて、投稿文章を即削除出来るように2つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、尚且つブログ自体を削除出来るように3つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、4つめのインターネットエクスプローラを立ち上げてF5キーを小刻みに叩いて更新チェックを行いながら「行け!」と無音で大声で叫んで投稿ボタンを押したら1分20秒くらいの間を置いて404


404
404?
え?
404。
物凄く嫌な汗が体中を駆け巡って、僕の投稿した文章とトラックバックがどこへ行ってしまったのか悩みに悩み、自分の書いた文章が失われてしまった事とか、僕の人生というものが失われてしまった事とか、カーリーが死んでしまった事とかが物凄く悲しく僕の上に圧し掛かってきたので椅子に座っておられずに床に倒れこみ、硬く泡立てすぎたホイップクリームのようなものの上に倒れこんで無理やりに眠ろうとしたのだけれど興奮で眠れず、「今頃、野茂英雄は何をしているのだろうか」などとまったく意味不明な事を思いついてしまったので、僕が野茂英雄だったら今何をしていたのであろうか、と想像してはみたものの、僕は野茂英雄ではないから何も思い浮かばない、という状態がしばらく続いてトルネード


それから一晩横になって、朝方やっとこさ立ち直って、日曜の朝という物凄い静寂、あるいは喧騒の中で赤鬼に延々と殺され続けていたらかなり眠たくなったので横になって無理やりに眠り、起きては一頻り赤鬼に殺され殺されしてからライブドアが404にならなさそうな時間帯を狙い図っては、さてブログだ、さて本文だという事になったのだけれど、昨日書いた文章は404とともに全てが失われてしまっており、物凄い中身の無い薀蓄のつまった長文をもう一度書き直そうとしたものの、昨日のようには上手くはいかず、わずか30時間かそれくらいの間に僕の物凄く中身の無い薀蓄のつまった長文を書きあげるという才能、というよりは情熱、あるいは若さというものが失われてしまった事に絶望し、何故たかだか空トラックバックを送るという事に是ほどまでの時間と労力と熱意というよりは、少し恐ろしいくらいの執念を持てるのか自分でも不思議になりながら、適当な投稿をでっちあげ、投稿文章を即削除出来るように2つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、尚且つブログ自体を削除出来るように3つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、尚且つライブドアIDを即削除出来るように4つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、5つめのインターネットエクスプローラを立ち上げて更新チェックを行いながらトラックバックつきのブログを投稿し、トラックバックが届いた事を確認した瞬間に、投稿削除→ブログ削除→ID削除を見事な手さばきでこなし、全てが上手くいった事に物凄く満足し、幸せにつつまれ、久々の充足、やり遂げ成し遂げたという満足感を得て「これでE-VENだぜ!」と心も新に打倒赤鬼!


ところが、で、あるからして、これだ。
空トラックバックを送っておきながら空トラックバックを削除するとは何事だ。物凄く腹が立つ。たぶん労力的にはe-vene-venくらいなのに削除されて物凄く悔しい。これでは一方的ではないか。そんなのは卑怯だ。おとなってやつはいっつもこうだ。もう30代は信じない。絶対にだ。ニフテココログの手先め。絶対にニフティココログの回し者だ。そうとしか思えん。これはワナだ。クリックしたら入会案内とかあるし。入会無料!とか書いておきながらクリックしたら下の方にちっさく「@nifty IDをお持ちでない方は、月額263円(※)で取得できます」とか書いてるし。卑怯者め。そこまでして採算が成り立っていない末端ブログサービス筆頭であるブロックブログを滅ぼしたいのか。ちくしょう。絶対にちくしょう


赤鬼が倒せなかったのも、あれもこれも、全部R30のせいであり物凄くムカつくのであり、真性引き篭もり風に言うと激昂しておるのであり、激昂しておるのであり、激昂し、激昂したという内容のブログを投稿しようとインターネットエクスプローラを開き、ブロックブログから投稿画面へとたどり着いて表題を入力しようとしたら操作ミスでエンターキーを押してしまい「R」という本文無しの無意味な投稿をしてしまい落ち込み、さらに「R30マーケティング社会時評を糾弾する!」という表題を書こうとして、「R30マーケティング社会時評を教壇する!」と書いてしまい、慌てて「R30マーケティング社会時評をだんきょうする!」と書いたのだけれど変換すら行われずこれも違うとなり、集団、団集、談笑、商談、いや違うと驚愕とか小額とか一通りやり終えた後にやっとの事でシークレット糾ボーナス弾フレーズを見つけ出しては小躍りしておる所であり、僕は物凄く満足しているのである。


2005年1月22日土曜日

[酉年専用!!]トラックバック年賀状受付用投稿



年賀状などというものは随分ご無沙汰である。
引き篭もるに至り、お年玉の受け取りを拒否というか黄土色の封筒を文具店で買って切手まで貼って丁寧に一生いらないのでもう僕に関わらないで下さい、と書き添えて送り返した頃から、あるいはそれより以前からぽつりぽつりと減り始めていつしか途絶えた、だいたいからして僕はそれ以前から真性引き篭もりのようなものであったからして、年賀状をくれるような知り合いは他にいないわけであり、そのようなものはまったくもって不要であり、別に欲しいとかまったく思っていないのだけれど、社長でございのエントリーを見て物凄くせつなくなったのでトラックバック年賀状を広く募集する事にした。



社長でございの元旦のブログ投稿には、

>(この挨拶は、「トラックバック年賀状」とさせていただきます。)
とかあって、ブロックブログ内の複数のブログにトラックバックがあったようであり、それらでは「うわーい、シャチョさんからトラックバクきたー」などと能天気に浮れており、物凄く幸せそうなのに対し、当ブログ、真性引き篭もりにはそのようなものが来ておらず、ブログで取り上げようのないトラックバックばかりくるので、絡む事が出来ずに申し訳ないと思うような、寂しいような、寂しいし、物凄く悔しいので断固抗議すると同時に、トラックバック年賀状を酉年に限定して広く募集致します。

だいたいからして、僕は物凄く堅固なブロックブログの信徒であり、先日はちょっと事情があってライブドアのブログを取得したのであるけれど、投稿したらいきなり404エラーになって物凄く焦った。ライブドアのユーザーはあんなもので満足しているのか?と、物凄く疑問に思った。重いとかどうこうより、夜の9時半頃に投稿ボタンを押したのにいきなり404エラーなんて、明らかに使えない度NO1じゃあないか。というか、本当に何がおきたのか10分程理解出来ずにかなり焦った。リロードを繰り返した。ほんと、心臓に悪いったらありゃしないのである。

それに関連して、あるいはまったく関係無いのだけれど、ブロックブログ内に開設されたブログの重さの8割を占めると評判のカウンターを外してみた。
少し軽くなったようで、物凄く満足している。
また後程、眠たくて体が動かなくなった頃合を見計らって他の軽いカウンターをつけてみようと思っているので、それまでは当ブログへアクセスしないで下さい。カウントし漏れたアクセスがあると物凄く悲しいので、カウンターを付け直すまでは絶対にアクセスしないでください!
どうか、よろしくお願いします。






ということで、12年後に皆様の暖かいトラックバックがはちきれんばかりに殺到する事を説に願っておりますので、トラックバッカーの皆様にはどうかよろしく御殺到下さい。尚、募集は酉年の西暦1月1日のみとさせていただきますので、それ以外の日時に来た場合はスパム扱いして荒らしに行く覚悟でおりますので、どうかその旨ご了承下さい。


2005年1月20日木曜日

カーリーが死んだから激昂してアンインストールしたんだけれどもう一回ダウンロードして進めていたら、またカーリーを助けられない所まで



幸いにも書きたい序文のストックがいくつかあって、書こうと思えば書けるのだろうけれど、もしもそれらを書くという作業に手をつけてしまうと、書いている内におかしなペースになってしまい、本文が埋もれてしまうおそれがあるという単純な理由から、なにも書かずに何も書かない事にする。


盛り上がり、というには少し小ぢんまりとしている状況については不本意というわけではなく、むしろ嬉しいものなのだけれど、ほら、やってる!やってる!みたいな空気には物凄く不満がある。


事の始まりはそもそもpdf(笑)で当該ブログにご掲載下さいとか命令されたので、やむなく載せたものであり、ブログに書く気はまったく無かったのである。というか無かったし無いと書いてるんだから無かったって読んでください。みたいな気もするのだけれど、混ぜるな危険と書いた潜在を混ぜて売ってるようなもので、書いた僕が悪いのだろうとも思う。


となると、ブログで書くつもりは無かったのならどうするつもりだったのか、という話なのだけれど、それも既に書いたつもりである。


・対募金パーク(高麗和男)
これは一応、やる気満々だった。
警察に門前払いされた事を材料に脅迫する人間と触れ合う貴重な機会をみすみす逃すのはもったいないなというような、その程度のもの。あくまでも、メールでやるつもりでありブログで書く気は全く無かった。


・対募金パーク問題コミニティ
こちらに関しては、募金パーク問題メーリングリスト(あるいは系列の掲示板)で謝罪文なりそれなりの対応なりをするつもりであった。こちらがメインである。
(注)僕は募金パーク問題メーリングリストというものに入っていないので、メーリングリストで流すなら加入謝罪文即抜け、とういのをやるつもりであった。


というか今回書いたのは、あくまでも募金パーク問題周辺への謝罪文である。
そりゃあさ、それならば「ごめんなさい」の一言を書いて投稿すればいいじゃん、って事になるのだろうし、それはまことにごもっともなご意見だと思うのだけれど、あいにく僕は書き始めると徹底的に書かなければ気がすまないたちであり、書いているうちにトーンが変わってしまったり、書きたい主題が変更されてしまったりと色々大変なので、そこは勘弁していただきたいのである。


また、pdfをブログに載せろと言われて載せざるを得なくなったからには対になる文を書いて一段落つけなければ居心地が悪いので対になる文章を書いた、というのが質問状の趣旨である。だいたいからして引き篭もり相手に質問をしてもリアクションが返ってくるはずがないわけで、それなりに頑張った対になる文章としての投稿、という以上の意味は無い。そりゃあ、物凄く丁寧には書いたのだけれど、それは僕の気質上の問題であり、真面目に質問がどうとか募金パークがどうとか思って書いたわけではない。


ということで、今回の事を僕の投稿から引用してまとめる。
引用のやり方がわかったので、物凄く使いたい年頃なのだ。


書くつもりはなかったし、今も、また今後とも書くつもりは無い事を書くのにはそれなりの理由があるわけで、



過去から未来にわたって書くつもりはないと物凄く目立つところで書いている。



よって、関係者の皆様には深くお詫び申し上げます。



あくまでも、そういう事である。
募金パーク(高麗和男)の個人情報侵害問題によりご迷惑をおかけした人にはそれに対する謝罪。
今もやる気満々な方々には、高麗和男を引き篭もらせてしまった事、また引き篭もらせておきながら引き篭もりを相手にするのはつまらないから(要約)という極めて真性引き篭もり的な理由で立ち去った事への謝罪である。



参戦したみたいだとか、また憤慨してるよとか、また激昂してるよとかそういう読まれ方は物凄く不本意であり、あくまでも謝罪文メインなのでその辺りよろしくお願いします。と、珍しく自分の文章についての要約、意図を文章にして大変に疲れた。外の事柄を見て適当に書くというのは楽なのだけれど、自分自身の事を書くというのは真性引き篭もりにとっては物凄く骨のある作業である。なにしろ、自分自身というものが存在しないのだから。
とりあえず、物凄く眠たいので今日の所はこれくらいで勘弁してやる。


2005年1月18日火曜日

募金パーク(高麗和男)へのご質問



pdfより


http://bokinpark.com/z/mess_higai.html
こちらで当方のブログについて記述されていたのを読み、ご連絡させていただきました。


上記によると、僕が虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて人の信用を毀損し、又はその業務を妨害したとされておりますが、それは真性引き篭もりブログのどの部分なのか、該当部を全文引用してご返信下さい。


下記のメールをお送り頂いた方が「真性 引き篭もり」サイトの管理者殿であるとの確認がとれましたので、要求をお伝えいたします。


1,当該ブログから募金パーク及びカンボジアスクールNGO及び高麗和男またそれらに関連するすべての記述の削除
2,当該ブログに謝罪文の掲載 以上




ご質問をしました。
要求をお伝えされました。
まったく噛みあっていません。



要求を伝えるならば、そちらからメールを送るのが筋です。
募金パーク(高麗和男)がフィードバックの受け入れを完全に遮断してから募金パーク(高麗和男)による個人情報侵害事件に至るまでに高麗和男氏が僕との間で行った行為は、こちらから送ったメール1通の無視のみです。






・当ブログの募金パーク及びカンボジアスクールNGO及び高麗和男またそれらに関連する記述について。


・高麗和男氏の趣味は「海外旅行」。



例えば、当ブログには上のような募金パーク及びカンボジアスクールNGO及び高麗和男に関連する記述がありますが、これは紛れも無き事実であります。
このブログを書いた直後に「海外渡航」へと改変された為、現在では上の記述はございませんが、紛れも無き事実であり、虚偽の風説を流布してもいなければ、偽計を用いているわけでもありません。



・高麗和男氏は寄付名目で70万以上の金をかき集めており、それらが放出されたように伺える記述は、本人の旅費、生活費と3万円のみ。



例えばこちらは客観的事実を記述しただけであります。
同じように、虚偽の風説を流布してはいません。



>ご支援をして頂いた皆様のご芳名
という欄に、


>カンボジアスクール代表 大阪市生野区 500,000
自分で自分に寄付?しかも、


>事務・送金経費の費用は、ご支援いただいた
>金額の10%を計上しています
どうなってんの?



こちらも、事実のみを記述しています。
どうなっているのだろうか。という事であります。



>通学の為の募金金額  429,000 円
429000円の寄付を受けて、教師はボランティアのアンコール・トム日本語センターに生徒を通わす事に成功したのは3名。カンボジア平均年収の10年分で13人を無料学校に通わせたのみ。



これも事実であります。
日本に置き換えると、5000万円ほどでしょうか。
カンボジアスクールNGO(高麗和男)は5000万円を集め、その5000万円で13人を無料学校に通わせたのみ、という事実を書いただけで、虚偽、偽計ではありません。



当ブログの批判記事を読んでその批判を逃れられるようにカンボジアスクールNGOウェブサイト、及びに募金パークウェブサイトを大幅に改変したのは存じておりますので、それについての記述は一切不要です。





では、改めてご質問です。
念のためもう一度書いておきますが、当ブログの批判記事を読んでその批判を逃れられるようにカンボジアスクールNGOウェブサイト、及びに募金パークウェブサイトを大幅に改変したのは存じておりますので、それについての記述は一切不要です。


3つに絞ります。


私は決して善人ではありません。
以前悪いこともしました。人には言えない悪いことです。



高麗和男が善人で無い事はわかりました。
また、以前悪いことをした事もわかりました。
それが人に言えないくらい悪いことであるのも理解しました。
問1、一体なにをなさったんですか?




通学出来た子供の数 13人 ・・429,000 円


通学出来た子供の数 16人 ・・ 510,000 円



子供一人の2年度目以降の学費 15,000円
(79000円で3名)



問2、無料学校であると記述されていたのに、指摘後に有料であると改変されたアン・コールトム日本語学校の学費をお教え下さい。




虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて人の信用を毀損し、又はその業務を妨害



問3、僕が虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いたのはどの部分ですか?
当ブログには上で書いたように事実、客観的事実についての記述が多数あり、どの部分であるのかこちら側はわかりません。該当部をご指摘下さい。





重ねて問います。



私は決して善人ではありません。
以前悪いこともしました。人には言えない悪いことです。



問1、何をなさったんですか?
問2、アン・コールトム日本語学校の学費をお教え下さい。
問3、僕が虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いたのはどの部分であるのか、該当部を全て引用してお答え下さい。



事の顛末と謝罪文。



書くつもりはなかったし、今も、また今後とも書くつもりは無い事を書くのにはそれなりの理由があるわけで、その理由のような事の全容をまず書いてから、本題に入る。


こちらのサイト(http://www.takahara.gr.jp/)によると募金パーク(高麗和男)の行った事は犯罪行為であり、彼は犯罪者であるという事になる。


・プライバシーの侵害は犯罪である。
・プライバシーとは「個人情報のうち他人に知られたくないもの」
・刑事的には、名誉毀損罪
[刑法第230条=3年以下の懲役、禁錮または50万円以下の罰金]
・または侮辱罪
[刑法第231条=勾留または科料
・民事的には、それが不法行為にあたる場合、損害賠償請求ないし慰謝料請求の対象となる。
[民法第709条、710条]




僕が募金パーク(http://bokinpark.com/)を知ったのは、
( ゚д゚) …(http://pokan.bblog.jp/)というブログを
ブロックブログの新着一覧で見つけてたまたまクリックしたからであり、僕が顔を突っ込んだ時にはもう既にかなりの問題となっており、一通り盛り上がってはいたようである。


事の経緯はこうだ。


1、新潟中越地震後、募金パークが有名になる。
2、募金パーク運営者の高麗和男氏がニュージーランドへ。


また私が日本を離れるというなんと無責任な行動を
取らなければならならないという現実もありました。



3、高麗和男氏がニュージーランドへ趣味の海外旅行中に、
  募金パークヘルパー(原文まま。運営協力者)の発言が問題視される。
  ※ここまでは高麗氏を問題視する人は少なかった。
  (システムを問題とした方あり)
4、高麗和男氏がニュージーランドから帰国。
  ※ここでも高麗氏の対応は「知識不足によるもの」とする意見がまだ多数。
  (カンボジアスクールNGOに疑惑を投げかけた方あり)



そして、このカッコの内部、カンボジアスクールNGOに疑惑を投げかけた方というのが、僕であるらしい。その際のやり取りで代表的なものがこれ。


カンボジアスクールNGOでは、寄付金により
数人の子供を就学させたとあります。
にもかかわらず、収支明細が
一切記載されていないのはなぜですか?<


全ての会社が収支報告を開示記載していますか。
例えばどこかのネットショップさん
例えばどこかの個人経営の事業者さん。
これは開示義務はありません。
当然寄付を頂いた方からの要請にも開示義務はありません。





さて。
募金パーク(高麗和男)から出るコメントがこのようなものばかりであったから、それに批判的なコメントがついたり、トラックバックが来たりするに至り、募金パーク(高麗和男)は運営するブログのコメントとトラックバックを削除し、コメントとトラックバックの受け入れを停止する。


ここまでは、真性引き篭もり上でご存知の方もあろうと思う。
ここからが、その後の展開である。




募金パーク(高麗和男)による個人情報侵害事件。


募金パーク(高麗和男)は、疑惑を投げかけていたブロガーの姓名と当ブログを晒して、問題を警察に持ち込んだ事を募金パークに書いた。


下の全文を読んでもらえればわかるのだけれど、募金パーク(高麗和男)は警察に完全に門前払いされている。それを題材にして、ブロガーの個人情報を晒したのである。
全文を読むのとかは時間の無駄なので、ちょっとだけ引く。


重要なのは、警察に完全に門前払いされた事を題材にして、個人情報を晒したという点である。


最初、刑事に、ある程度の被害状況を説明し、是非カンボジアスクールや募金パークを含めて私自身を調べて欲しいと言うと「そんなもんは調べない!」と少々荒い口調で回答してきました。私も少しむっとなり「なんやその言い方は」と多少大きな声を出すという場面があり、ちょっとまずい雰囲気を感じました。



私自身を調べて欲しい(笑)



刑事は「そんなサイトはやめたらええやんか」とも言ってました。おっしゃる通りです。やめれば騒ぎも静まります。しかし二時間後、彼の意見は変わってました。



2時間後(笑)



そして、その2時間後というのが、


「そんなもんは調べない!」という理由は簡単で、「犯罪者がわざわざ警察にはこない」とのこと・・なるほど、それはそうかもしれないけれど、これでは募金詐欺師という私の汚名は晴れることは有りません。いずれにせよ、ネズミ講、マルチ商法をしているということに関しても「そんな犯罪商法とネットワークビジネスとは違うんだけどなーー」



これである。



「そんな犯罪商法とネットワークビジネスとは違うんだけどなーー」
刑事が(笑)
そんな犯罪商法と(笑)
違うんだけどなーー(笑)


いちいち書くのも馬鹿らしい。
と書きながら丁寧に書くのが真性引き篭もりhankakueisuu。


1.僕はネズミ講という単語を一度も使っていない。
2.マルチ商法を犯罪であると書いた事はない。
3.高麗和男はマルチ商法をしていた事を認めた。


ネットワークビジネス(NB)とは、マルチ商法(MLM)の同義語であり、まったく同じものである。もう少し正確に言うと、マルチ商法という言葉のマイナスイメージが強くなり、世間で通用しなくなった為に企業側が使うようになった言葉がネットワークビジネスである。
法的にはがんじがらめに規制されているが、その中でやるのは合法である。
しかしながら、マルチ商法をやる人間はマルチ商法をやる人間であるという事は世間一般に広く知られており、マルチ商法の親玉(高麗和男)はマルチ商法の親玉であるという事を、僕は指摘しただけである。
重ねておく。
高麗和男氏はマルチ商法の親玉である事を認めた。


最初は少しむっと感じた熱血刑事のA刑事は、私のホームページや犯罪者達のホームページを見た後、個人的な意見ですが・・と前置きをされ、



真性引き篭もり(犯罪者のホームページ)



「高麗さん、絶対に募金パークを続けて下さい。しんどいでしょうが頑張って下さい。募金パークは多分99%の善意の人とと1%の悪意の人が集まっているホームページです。高麗さんを信用している人がいる以上絶対に頑張って下さい。このホームページのお陰で助かっている人もいるはずです。負けないで下さい」と拳を握りながら力説して下さいました。なんか胸が熱くなりました。



拳を握りながら力説して下さいました(笑)
なんか胸が熱くなりました。(笑)



上のような警察に門前払いされた事を材料にして、募金パーク問題を書いたブロガーの本名とメールアドレスをウェブサイト上で公開、個人情報を侵害するという犯罪行為に及んだ。



長くなった。
申し訳ない。
本題に入る。


大前研一以降、相手を見極めて文章を書いてきたつもりであった。
例えば大前研一氏などは、一定の人たちから一定の評価を得た大人物であり、逃げも隠れもしなければ、そもそも真性引き篭もりなど相手にしない。海外ボツニュースのラプター氏にしても、逃げも隠れもせずきちんと最後まで書ききった正々堂々としたもので、一方的コメント祭りになったはちょっと焦ったものの、見事なものである。
他にもかなりの人物に対しての文章を書いたが、問題にはならなかった。


しかし、募金パーク(高麗和男)の対応は違った。
気に入らないコメントが来たら、引き篭もったのである。
コメントを打ち切り、トラックバックを打ち切り、ブログへのリンクを削除した。
そうなると質問を投げる方法は無く、メールを投げても返ってこない。
しかしながらそれからも犯罪者達のホームページ(笑)は欠かさず見ていたようで、問題があるとされた文章を片っ端から改変し、問題があるとされた画像を削除した。正直、驚いた。
あのようなサイトを運営している人間がその運営を継続したままで引き篭もるというのは予想外の出来事であった。


批判を受けた人間が全てを遮断して引き篭もったり、暴言を吐いて失踪したりというのはウェブ上ではよく見られる光景であり、募金パークもそうなってしまったわけで、こうなってしまうと、全てがおしまいである。


一言で言うと、引き篭もったもん勝ちである。
付け加えると、引き篭もらせたら負けである。





では、高麗和男を引き篭もらせたのは誰か。という事である。
それは僕である。
この点については、全ての責任が僕にある。


普通の人よりも尖った文章(とはいってももっと過激な文章を書いていた方もいたにはいたのだけれど)を書き、それをトラックバックした。
それにより、高麗和男は完全に引き篭もるに至った。





やがて高麗和男は警察に門前払いされた事を題材にして、募金パークについて書いていたブロガーの個人情報を晒した。
起がなければ承が無いように、承がなければ転は無い。
引き金を引いたのは僕であるからして、募金パーク(高麗和男)による個人情報侵害事件、及びに今回の騒動の責任が僕にある事は明らかである。




よって、関係者の皆様には深くお詫び申し上げます。


まず、真綿で締めずに針で突き、高麗和男を引き篭もらせるに至った文章を書いてしまった事を募金パークに関わった全ての人と、募金パーク問題に関わった全ての人に深く謝罪します。


それにより高麗和男を警察に門前払いをされた事を材料にして数名のウェブサイト運営者を脅迫するに至らしめ、関係者各位に多大なるご迷惑をおかけした事を深くお詫びし、謝罪します。


全ての責任は僕にあり、矢でも鉄砲でも批判でも全て受け止めるつもりであるし、罵倒されるに値するだけの事をしてしまったと考えているので、深く反省し、謝罪し、重ねて深く謝罪申し上げます。募金パーク問題関係者様に取り返しの付かないご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございませんでした。


今回の件に関しては全ての責任が引き金を引いた僕にある事は明らかであり、件により迷惑を被った関係者各位には、深くお詫びし、反省するところであります。
真性引き篭もりhankakueisuu


募金パーク(高麗和男)による個人情報侵害ページの引用

こちらのサイト(http://www.takahara.gr.jp/)によると募金パーク(高麗和男)の行った事は犯罪行為であり、彼は犯罪者であるという事になる。

・プライバシーの侵害は犯罪である。
・プライバシーとは「個人情報のうち他人に知られたくないもの」
・刑事的には、名誉毀損罪
[刑法第230条=3年以下の懲役、禁錮または50万円以下の罰金]
・または侮辱罪
[刑法第231条=勾留または科料]となりうるだろう。
・民事的には、それが不法行為にあたる場合、損害賠償請求ないし慰謝料請求の対象となる。
[民法第709条、710条]






「信用毀損及び業務妨害」事件について

1/15 1/13日の私の行動及び、1/13日の私の書き込みに対して、本当にたくさんの方からメールを頂戴しました。激励のメールを頂いたり、いろいろな情報をお送り頂いた方々には改めてお礼を申し上げます。また、激励と共に、個人の名前を出したことに対して行き過ぎではないかというメールも数通頂いています。その方のブログを探されて、閲覧された方でしょう・・、そんなにひどいことは書いてないのに・・というご意見でした。確かにそのブログは全然過激な物ではありません。ブログについては「真性引き籠もり」というものを含めた5カ所です。その方の送られたメールに問題が有るのです。直接私に送ってこられたメールも6~7通ほど有りますし、その方がたまたま私の友人の息子に送ってしまった今回の重要証拠となるメールに問題があるのです。もしそのメールをここで開示し、それをお読みになれば、私が警察に出向いた理由はよくご理解頂けるでしょう。もしそのメールの開示をそのご本人が許可して下さるので有れば、その方から私に送られたメールも含めてすべて開示させて頂きます。
妨害をする方は様々な方法で妨害をしてきます。訳の分からない理由をつけて誹謗してきます。許されざる行為です。当然自分の運営しているブログに自分の不利になる情報は掲載しないでしょう。昨夜その方から「15日9時までに名前、メールアドレスをネット上での公開を中止して頂きたいと思います。受け入れて頂けない場合、刑事、民事の両方で法的措置を検討致します。」というメールが届きました。これはその方のブログで公開されていますから、あえてお知らせしましたが、私を告訴する方針のようです。とてもありがたいことです。しっかりと現実の世界で争わなければならない段階まで来ています。しかし和解を希望しているようにもとれる内容も掲載しています。和解でもいっこうに差し支え有りません。しかしそれは「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した」という犯罪を犯したことをしっかりと認識をして謝罪文をご自身のブログに掲載することが人間として必要なことですし最低の条件です。万が一その方が未成年者であれば、全て削除をして謝罪を致します。しかし現在それは不明です。私は、その人物を罰したい思っているわけではありません。このような妨害行為をやめて頂きたいのです。募金パークは善意の集まりです。その運営者が募金詐欺疑惑があったりネズミ講の元締めをしていたらシャレになりません。この方はカンボジアスクールの決算内容も公開する義務があるとも言っています。目的は何ですか??募金パークでも「収支報告書」を掲載していますが、掲載した途端そのバッシング記事がどこかのブログで掲載され、やっぱり犯罪者だと騒ぎまくる。開示要求はあら探しですか??カンボジアスクールの定款を送って欲しいという請求も別の方からありました。最近多いのですが・・当初定款は完全に開示をしていました。しかし、ある時期からパスワードの請求をして頂くようにしました。また現在では住所氏名電話番号を教えて頂いて、電話で本人確認をして、郵送でお送りするようにしています。非常に面倒な作業です。理由は簡単です。あら探しをして、あらが無ければ勝手な解釈に改ざんして、ブログに掲載して騒ぐ人がいるからです。またそのブログのURLをメールや募金パークのご協力者のホームページのBBS、ブログのコメント欄に書き込みをする人に受け継がれていくからです。
私はこの二ヶ月間いろいろな攻撃にさらされてきました。夜眠れず、体重も減り、体を壊し、精神的な打撃は想像を遙かに超越しています。今回の私の行動はあくまで防御が目的です。反撃ではありません。もっともインターネットでの防御なんて出来ないと言うこともある意味理解はしています。しかし最重要目的は募金パークを訪れて、善意でクリック募金や、ご協力金をお送り頂いている方々また、リンクバナーを張って頂いて下さっている、たくさんの方々に対する私のしなければならない責務なんです。募金詐欺疑惑のある所に募金をしてしまったら、また募金パークのリンク用バナーを自分の大切なホームページやブログに張ってしまったら、あまりにも悲しすぎますから・・
一般の警察ではインターネットの犯罪は対応ができないことも今回初めて知りました。できない訳ではないのでしょうが、やりたくないという雰囲気です。中規模の警察署ではインターネットに接続する設備すらないのが現状です。これでは捜査なんて無理でしょう・・インターネットの犯罪は、別の組織で動いているようです。仕事を休んで行くしかないです。本当に面倒な話しです。しかし、頑張ります。
インターネットは21世紀の文化です。使う方の気持ち次第で素晴らしい道具にもなる反面、人を傷つけたり犯罪に使われたりされます。日本のインターネット文化はいいね・・と言われるような文化になることを切に望みます。

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本日2005/1/13に、募金パーク及びカンボジアスクールNGOまた高麗和男に関する風評を流しているサイト運営者及びそのようなメールを送っている人物に対して「信用毀損及び業務妨害」(刑法第二百三十三条:虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する)の刑法が適用できるかどうかということについて大阪市の生野警察に相談に行ってきました。

持参した資料は、
1.セブンネットという私が非常勤役員をしている会社の資料。
2.私が6年ほど前に1年ほど会員としてやっていたフォーモアというネットワーク販売方法にて、アメリカからの個人輸入を行っている会社とシステムのプリントアウト資料。
3.A(注1)またはluna_lulnaと名乗る meeru@adores.com のメールアドレスを持つ個人が私の友人の息子に送付した「高麗和男という人物がネズミ講をしていて、また詐欺の疑惑もあるから気をつけろ」という内容のeメールのプリントアウト資料。
4.「真性引き籠もり」というタイトルで http://sinseihikikomori.bblog.jp/ のURLのブログを筆頭とし、著しく信用毀損と業務妨害を行っている5つのホームページまたはブログのURL及びプリントアウトしたそれらのホームページ資料。
5.実際の現状を閲覧してもらうためのノートパソコン。


対応して下さった刑事さんは、大阪市の生野警察、刑事課、A刑事とB刑事。

以下、2人の刑事さんと話した内容について、出来るだけ忠実に文章にしようと思います。

最初、増満(注2)刑事に、ある程度の被害状況を説明し、是非カンボジアスクールや募金パークを含めて私自身を調べて欲しいと言うと「そんなもんは調べない!」と少々荒い口調で回答してきました。私も少しむっとなり「なんやその言い方は」と多少大きな声を出すという場面があり、ちょっとまずい雰囲気を感じました。増満(注2)刑事は「そんなサイトはやめたらええやんか」とも言ってました。おっしゃる通りです。やめれば騒ぎも静まります。しかし二時間後、彼の意見は変わってました。
「そんなもんは調べない!」という理由は簡単で、「犯罪者がわざわざ警察にはこない」とのこと・・なるほど、それはそうかもしれないけれど、これでは募金詐欺師という私の汚名は晴れることは有りません。いずれにせよ、ネズミ講、マルチ商法をしているということに関しても「そんな犯罪商法とネットワークビジネスとは違うんだけどなーー」と水田(注2)刑事がつぶやき、つづけて「インターネットの問題はとても難しい、業務妨害や信用毀損というのは、特定の人間に対して罰則を与えるもので、このような妨害をする人は巧みに人物が特定できないように隠れてるから、その人間を見つけることが非常に難しい。まずほぼ無理と思った方がいい・・人物が特定できない限り、刑事罰を適用することもできない。しかし人物が特定出来れば名誉毀損罪として処罰される可能性は充分にあるけどな・・ネットオークションで詐欺被害に遭ってもほぼ詐欺師を特定することができないのが現状だから・・」とのこと。ネズミ講をしているということ自体が、虚偽の風説を流布し、人の信用を毀損してかつ業務妨害をしている。ということのようだ・・ネズミ講は確かに犯罪ですからね・・。増満(注2)刑事は「このような犯罪は愉快犯といって、人が困ることに対して喜びを感じ、相手にすればするほど喜ぶ、どうにもならない馬鹿としかいいようがない・・また、インターネットである以上、人物を特定することは非常に難しく、まず無理と思った方がいい、また警察に行ったということについてもきっと楽しく書き立てて、得意になる馬鹿だから、くやしくても、ほっておくしかない。ただ目立ちたいだけの人物でしょう」とのこと・・残念なことに、このような犯罪を含めてインターネットの犯罪は、野放し状態のようです・・もっと悲惨な犯罪でも、本人の特定ができないとのこと・・まさに犯罪天国状態・・被害に遭った者は泣き寝入り以外に方法がない・・

市民オンブズマス等、実際に企業や地方団体を監視している人たちは、実際に身分を明らかにして、ちゃんと不正をただすことを目的としています。しかしインターネットの世界では勝手な言い分を身分を隠して好き勝手に誹謗中傷をすることができます。しかしそこには何の責任も無ければ何の真実性も有りません。それこそが犯罪者のたわごとです。万が一私が不正を行っていて、本当に私の行いについて正そうという意志があるのならば、身分をしっかりと明かして、現実の世界で対応するべきです。当然のことながら、インターネットには現実の世界とバーチャルの世界が混在します。募金パークは私が身分を明らかにし、募金を振り込んでくださる方がいるという現実の世界です。振込をして下さる方の半分は、住所・氏名・電話番号を明記してくれています。当然ですが、現実の世界だからです。カンボジアスクールについても同様に現実の世界です。しかし私を非難している人たちは卑怯にもバーチャルの世界で”こそこそ”と犯罪を犯しています。私は、胸をはって業務をしています。ですから、本名を名乗り、住所も明記しています。警察でも税務署でも正々堂々と行くことが出来ます。”こそこそ”と卑怯なホームページやブログを運営し私を誹謗中傷している方々は警察に行くことが出来るでしょうか??行けるものなら是非行って下さい。疑惑があるのであれば疑惑をただすべきです。正すつもりもなく、目立ちたいだけの理由で、いたずらに風説を流すことは犯罪そのものです。本当に正義感に燃えて不正をなくそうと思うのであれば、現実の世界で行動するべきです。警察ではまず身分を明らかにしないと対応はしてくれません。そこはバーチャルの世界ではなく現実の世界だからです。

私は、このようなホームページが有ることは約2ヶ月程前から知っていました。しかし、基本的には無視をしていました。今回、被害届を出す為に警察に行ったのは、募金して下さった方のホームページやブログを募金パークで紹介すると、これらの卑怯な犯罪者の誰かが、寄付をして下さった方のホームページに行ってあたかも募金パークが悪であるかのような書き込みをしたり、メールを送ったりと、本当に言葉では言い表せない悲しい犯罪を犯し始め、募金をして下さった方から、「とても残念です。でも信じています」といった内容のメールを頂き、不本意ではありましたが、ここで警察に動いて頂くことが、募金パークにご協力金を振り込んで下さった方やクリック募金をして下さっている方々またリンクを張って頂いている方々に対する私の責任だと考えたからです。最初は少しむっと感じた熱血刑事のA刑事は、私のホームページや犯罪者達のホームページを見た後、個人的な意見ですが・・と前置きをされ、「高麗さん、絶対に募金パークを続けて下さい。しんどいでしょうが頑張って下さい。募金パークは多分99%の善意の人とと1%の悪意の人が集まっているホームページです。高麗さんを信用している人がいる以上絶対に頑張って下さい。このホームページのお陰で助かっている人もいるはずです。負けないで下さい」と拳を握りながら力説して下さいました。なんか胸が熱くなりました。クリック募金もして下さるとのことで、約2時間の打ち合わせの後資料を置いて、警察を後にしました。今後何度も警察には足を運ばなければならないでしょう、私は仕事にも支障をきたしそうです。本当に迷惑なことです。

また、今後協力金をお送り頂く方にお願いですが、google等で募金パークというキーワードで検索をしてみて下さい。検索の上位には、上記のように私及び募金パークまたカンボジアスクールに対する中傷のブログが軒を並べています。それでも高麗を信用してみようという方はご協力下さい。信頼を裏切ることは決してありません。しかしあやしいなと思ったら、ためらわず中止して下さい。また募金パークのバーナーを張ってリンク頂いている本当にたくさんのホームページ管理人の方々も、もし、このようなことでご迷惑がかかるようで有れば、ためらわずバナーを削除して下さい。どのような中傷誹謗があっても、私は募金パークとカンボジアスクールNGOを胸を張って運営していきます。誰からも後ろ指を指されることはしていないと私自身が一番知っているからです。たとえクリック募金をしてくれる方が一人になっても、一人でもいる限り続けます。それは、カンボジアで助けを待っている人を助け、災害の被災者の方々にたとえ一円でも送ることが出来れば、私の目的を達成するための助けになるからです。私のホームページに対して犯罪を犯している方々は「信用毀損及び業務妨害」という犯罪をしているということを是非認識して下さい。あなた達を処罰したいのではありません。つまらない行為はやめて頂きたいだけです。取り返しがつかなくなる前に自粛頂ければ幸いです。

とても悲しい報告でしたが、賽は投げられました。しかし募金パーク、カンボジアスクールの運営は何一つ変わらず続けて行きます。出来ることであれば、是非激励のメールを送って下さい。頑張れ!の一言でも嬉しいものです。誹謗や中傷のメールは正直なところガックリきます。まあガックリさせることを目的に送ってくるのでしょうが、そのたくらみに、しっかりとはまってしまいます。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。いやな気分になられた方もいらっしゃるでしょうが、ご容赦頂ければ幸いです。私も夢に見るほど嫌な気分の二ヶ月でした。

            募金パーク管理人 カンボジアスクールNGO代表   高麗和男

以上、http://bokinpark.com/z/mess_higai.html より。
注1、姓名。メールアドレス。
注2、当初刑事の本名。後にA、B表記。




01/18 08:44 1/13に掲載した「信用毀損及び業務妨害」事件についてという記載につきましては関係各位に伝達する目的が達成出来たと判断致しましたので、サイトから削除いたしました。しかし引き続き係争の方針で準備を進めていますことを関係各位にお伝え致します。本人特定の難しいネット犯罪においてどこまでのことが出来るかは現時点では分かりませんが、結果が出ましたらお知らせ致します。時間はかかるとは思いますが・・

以上、http://www1.interq.or.jp/soho/N_top.htm より。

2005年1月15日土曜日

for spamer



せめて1つにしてくれよ!
1つなら削除しないしさ!
外人さんも日本人さんもどうして真性引き篭もりばっか対象にするんだよ。以前削除したエントリーでも書いたけれど、真性引き篭もりの読者層はエロ業者やら賭け事やらといった低俗なコメントスパムに反応するくらいにレベルの低い物ばかりというように世間には見られているような感じがして物凄く腹が立つ。むしょうに腹が立つ。もう。もう!愚弄するな!細木和子行けよ細木和子。あちら様の方が圧倒的アクセス数とか誇るし、ブロックブログの顔なんだから!細木和子じゃなくてもたなかさんとこでもふじさわさんとこでもいいからとにかく他へ行け!この重いブロックブログでコメントを9つ削除するってのは物凄い大変な作業だってのをわかってやってるのかよ!真面目に働いていて週末の午前をゆっくりと過ごしたいと思っている人なら気が狂うぞ!もうちょっと優しさってものを意識してくれ!そんなにあれか!そりゃ頑張って投稿した投稿とかじゃなくてRSSリーダーのあとというタイミングには感謝してるけれども!いや、なんで僕が貴方に感謝せにゃならんのだ。というかおまえらちゃんと社会に出て真面目に働け!それだけのスパム出来るんだったら今すぐ履歴書持って樹海で首吊れ!oh fujiyama fujiyamaとかいって死ね!働かざるもの食うべからずって諺知らないのかよ!いい年こいて引き篭もってんじゃねえよ!わきまえろ!noob!!noob!!lame!!lame!!stfu!!stfu!!lol!!lol!!ez!!ez!!lolololololololol!!こっちは、ブログ読んだりブログ読んだり、ブログ読んだりとか、そういうのあって色々忙しいわけ!週末の空気とDOTA allstarsに押されて久しぶりに呼吸するのも躊躇われるくらいに重くなってるってのにスパムスパムしてんじゃねえ!22-1ってそのゲーム物凄く覚えてるけれど、DOOMくらって死にそうだった時に味方がヒールウォーターかけてくれたなぁ、とか色々思い出してまた落ち込むわ。どうせならもっと一生DOTA allsatarsをやりたくなくなるくらいのバッドゲームにスパム頼むわ!とりあえずだいたい一通り巡り終えてなにかブログを書こうと思ったんだけれど、思いついたことが「よろしくやりたい」と「三國志Xやりたい」の2つだけだからどうしたものかと悩んでたりするってのに!んぅ、もぅ!


いや、というか、このスパムすらも1つを残す思いやりというかそういうのじゃないけど、なんか削除するというのは汚いなあというか、悪いなあという後ろめたさを抱くというのは僕が1人で先へ先へと行き過ぎているからなのだろうけれど、和む。


RSSリーダーno



「RSSリーダーの便利な点がまったく理解できず物凄く悲しい。」

という表題で投稿しようとタイトルを入力していると、操作ミスでエンターキーを押してしまい、「RSSリーダーno」という表題で投稿が受理されてしまって物凄く悲しい。


手当たり次第にいくつか使ってみたんだけれど、全部駄目だった。

駄目な所は山ほどある。
微妙に使いにくいとか、
使い慣れてないから使いにくいとか、
微妙に操作がわからないとか、
微妙にどこになにがあるかわからないとか、
微妙にオプション設定に意味不明な日本語が並んでてムカつくとか、
微妙に使いこなせないとか、
微妙に疲れたから、もうインターネットエクスプローラでいいや、
とか。微妙に深刻な問題が山のようにある。

いや、上記のものは微妙な問題だが、深刻な問題もある。
RSSリーダーというものを使えば、ブログの巡回を効率化する事が出来るらしいというのが、まず問題である。
だいたい僕が巡回しているブログはたったの7つであるからして、効率化もなにもない。というか、効率化などされてしまったら時間をもてあまして、またDOTA allsatarsの衝動に襲われて寝込んでしまう事態になりかねない。
かといって、巡回サイトを増やして世界との接触部分を増やしてしまうと、尾てい骨が臍の上に突き刺さるような不快感で伏せってしまうのが目に見えている。
つまり、真性引き篭もりにRSSリーダーというのは船頭に船山、馬の耳に東風、豚に木といった感じで物凄く意味の無いものである、という結論に達した。だいたい、365日24時間引き篭もっているわけだから、効率化する必要性が感じられない。けれども、インストールにかけた時間を考えると、そのままアンインストールしてしまうのはもったいないような気がして、とりあえず巡回している7つのブログを全てRSSリーダーに登録してみた。


登録してみて気がついたブロックブログの駄目さ。
真性引き篭もりのRSSを登録してみると、

>轢死している猫を見て「知ってる?猫はバック出来な
>いんだよ。馬鹿だねえ」としたり顔で言う。 うんや、
>それは違うと、横の男。「猫は車が迫ると屈みこんで
>じっとライトを見つめるんだ。馬鹿だから」 なるほど
>、馬...
、馬...じゃないよ。
わざわざRSSリーダーというソフトウェアを導入しているのに、クリックしてインターネットエクスプローラーを開かなければ全文を読めない。入れた意味がまったく無い。


いや、これはブロックブログが特別駄目だというわけではなかった。
はてなダイアリーでもまったく同じ事が起こる。
「もしかしてRSSリーダーってのを使えばコメントが読みやすくなるのかも」とかそういう淡い希望を抱いてた自分自身が物凄く悲しい。本文すらまともに読めないなんて。

今現在僕が巡回しているブログの内訳は、
ブロックブログ4つ
はてなダイアリー2つ
rNote1つ
であるからして、全滅だ。

ついでだからという事で調べてみると、海外ボツニュースさんとミッドナイトキングダムさんはRSS用のファイル無し、賢治さんは「300万」の書置きを残して行方不明、検事さんはブロックブログと同じで上の2行くらい。

全滅だ。
インストールに時間と手間と再起動を強いられてこの結果というのは悲しいので、適当に検索して片っ端からRSSリーダーに登録してみたら、ライブドアのブログはRSSリーダーでも綺麗に見る事が出来た。だからライブドアブログは売れているのか?などと少し納得したりもした。

というか、RSSリーダーを良いと思って使っている人は本当にいるのだろうか?という疑問を抱かずにはいられない。グーブログやニフティココログもまともに読めない現状では、ライブドアの内側に住んでいるライブドアユーザーしか利益を受けられないのではないかと思う。

是ほどまでに使い勝手の悪い、環境の整っていないソフトウェアを1500円やら3000円やらも出して買う人間がいるという事が信じられない。なんでだよ。そんなお金あったら、他に買うべきものあるだろ。シドマイヤーズアルファケンタウリとか、シドマイヤーズアルファケンタウリとか、シドマイヤーズアルファケンタウリとか。2079円だぞ、2079円。
以前ならここで貼っていたのだろうけど、今はゲームに対するマイナスの感情が強くて、貼れる精神状態にない。バグとか、人を選ぶとか、ムービーがグロいとか、時間が無くなるとか、ハマると日常に支障を来すとか、色々と問題点の多いゲームだし。僕のランキングの中で不動の1位を保ち続けているシドマイヤーズアルファケンタウリすらをも駄目ソフト呼ばわりできるという事は、精神的健康が保たれているという事で、それは喜ばしい事であるのだけれど、少し悲しくもある。

結論としては、RSSリーダーはまだ導入するような時期に来ていない。
また、僕のような健やかに育った模範的日本人にとっては永遠に来ないと思うので、真性引き篭もりをご覧になっている健やかに育った模範的日本人の方や、不良インターネッターの方なども、RSSリーダーなどというものに興味を持ってはいけないし、ダウンロードしてはいけないし、インストールするべきではないと思うのである。


RSSリーダーという横文字の響き、触った事の無いソフトウェアに対しては過剰な期待を抱いていた失望というのもあるけれど、そういうのを抜きにしても物凄くがっかしきた。
僕の使い方が間違っているのではないかという不安もあるにはあるのだけれど、これはまだなんか特別な人の、RSSフェチとかリーダーフェチとかそのようなフェチズムを持つ人の為のツールなのであろうなあ、と思ったので、思った事、起こった出来事をそのまま文字にするという物凄く素直な、真性引き篭もりに似つかわしくないブログを投稿して、投稿して、、、、なにをしよう、、、、なんか、今、RSSリーダーに過去に読んだ事のあるブログを手当たり次第に登録していたら、DOTA allstarsのニューバージョンが出るらしいというのが目に付いた。物凄く悲しい。ヒーローが追加されるらしい。オフィシャルサイトにはスクリーンショットなどもあった。


スクーンョットとかあって、物凄く複雑な気分になってきた。不世出の怪盗に胃を盗まれたような気分だ。生き馬に目を抜かれた気分だ。なんでCDキーまで捨ててしまったんだろう。ああああ、あああ。1つ気がついた事としては、ストーンジャイアントのインテリジェンスが高すぎる気がする。インテリジェンスの高いStrヒーローにルーンを取られるとどんだけ注意していても詰むから嫌いだ。いや、まあ、こんなもんかなあ。というか、プレイ出来ないゲームのスクリーンショットを見てニヤニヤしている時点で絶望的である。また、「DOTA allstars」をグーグルで検索すると、このブログが公式の次に来るというのはいくらなんでもおかしいのではないかと思う。やるせない。やってらんない。世界中のドタオールスタープレイヤーというドタオールスタープレイヤーが真性引き篭もりを横目で見ながら公式サイトで最新バージョンをダウロードしているのかと思うと、吐き気がするくらいの飢えに襲われる。なんで何時間も読めないフォーラムを読んでいるんだ。まったくもって無意味なのに。くそう、こんな事なら貼っておくんだった。
それもこれもRSSリーダーのせいだ。
ろくなもんじゃねえ。
もういやだ


2005年1月14日金曜日

猫のいない世界



轢死している猫を見て
「知ってる?猫はバック出来ないんだよ。馬鹿だねえ」
としたり顔で言う。

うんや、それは違うと、横の男。
「猫は車が迫ると屈みこんでじっとライトを見つめるんだ。馬鹿だから」

なるほど、馬鹿だ。
ああ、猫は馬鹿だ。
馬鹿だ、うん。
うん、馬鹿だ。
ははは。
ははは。
と、全てが丸く収まる訳である。


そういうのは、どうかと思う。
バック出来ないから馬鹿なのか、車が迫るに及んでライトを見つめるから馬鹿なのかはっきりさせるべきだ。その場ではっきりさせないと、二度とはっきりさせる機会は訪れない。それはよくない。はっきりするまで、やりあうべきだ。


「2人とも答は同じなんで、争いは不毛っすね~」だとか、
「考え方は少し違うけど結論は同じだって事で。」とか、
そういうのが多すぎる。実によくない。これはいけない。

やりあうべきだ。
徹底的にやりあうべきだ。

顔を殴り、腹を殴り、足を蹴り、つま先を踏みあうべきだ。
電気アンマをかけては電気アンマをかけかえされるべきだ。
右の目の玉をえぐり出して左の耳に押し込むべきだ。左の耳に押し込んだ右の目の玉に押し出されて飛び出た左の目の玉を、右目の場所にはめこむべきだ。
たんこぶが出来るまで殴りつけて、そのたんこぶをまたなぐってたんこぶにたんこぶが出来るくらいまでやりあうべきだ。徹底的にやりあうべきだ。
一族郎党まで巻き込んで、皆を破滅に追い込むべきだ。
やりあうべきだ。やりあうべきだ。やりあうべきだ。
徹底的にやりあうべきだ。

はは、はははじゃない。
また、今度呑みにでも、うん、あはは、じゃあ、お先、じゃない。
やりあうべきだ。やりあうべきだ。徹底的にやりあうべきだ。

だいたいからしてそいつは敵だ。
敵じゃないなら敵にしろ。
敵に出来ぬなら敵だと思え。
敵だ。敵だ。そいつは敵だ。

自分が1だと思っていても、相手も1と言うならば、
「違う!2だ!」と言い張るべきだ。徹底的に言い張るべきだ。
そいつを否定する事だけが、今日から君のアイデンティティだ。
1じゃなくて2である根拠をでっちあげ、徹底的にやりあうべきだ。

でっちあげであるからして、まともにやりあったら負ける。
そういう場合は味方を呼ぶのだ。
100人200人300人と呼び寄せて、全員に「2だ!」と叫ばせるのだ。
だいたい世界は多数決だ。多い方が勝つ。

相手が、「ああ、もーじゃあ2でいいよ。ハイハイわかったわかった」
などと根を上げたなら、徹底的にやる時期だ。
顔を!体型を!衣服を髪を!人格を!性別を!素肌を趣味を!相手の全てを否定しろ!笑え!罵れ!嘲笑え!徹底的にやれ。徹底的にだ。

はいはい、よかったね。おめでとう。
などと立ち去ったならば、すぐに追え!。追いかけろ。
地の果てまでも追い詰めて、徹底的にやるべきだ。
100人200人300人を引き連れて、追いかけ追いつきまわり込み、相手を囲んでやるべきだ。徹底的にやるべきだ。なあなあはよくない。やるべきだ。立ち直れないように相手の全てを奪うべきだ。やりつくせ!焼き尽くせ!徹底的にやるべきだ。
やったもん勝ちだ。最後に立っていた奴の勝ちだ。
引き篭もらせろ。社会的に抹殺しろ。
消し去れ。消し去れ。やるべきだ。徹底的にやるべきだ。
徹底的にやらないと、いつかそいつは立ち上がって徹底的にやりにくるぞ。叩きのめしておけ。勝てる時に全部取るのだ。奪い取れ。徹底的に奪い取れ。叩きのめしてしまえ。徹底的に叩きのめしちまえ。



と思うのだけれど、僕は真性引き篭もりであるからして、轢死した猫を見て「知ってる?猫はバック出来ないんだよ。馬鹿だねえ」などとしたり顔で言う連れ合いはいないので、徹底的にやりあう機会などなく、徹底的にやるべきだ!などと言いつつ、徹底的にやっているのは引き篭もる事くらいであり、ちゃんちゃらおかしい。

ここで、'おかしくもあり悲しくもあり。'などと締めてしまうと、悲しくなるので、書かないし締めない。
それにしても、この所パソコンがよく動かなくなる。3時間も動かしていればかならず動かなくなるにも関わらず、ブログを書いている最中に限って物凄く好調なのはどうしてだ。
「ブログを書いているとパソコンが落ちて文章が飛んだから今日の投稿は無し。うわー、ショックで物凄い落ち込んでるよ。誰かなぐさめて。ついでによろしくやろうよ」などと書きたくてうずうずしているのに、どうしてだ。まったくもって理不尽だ。突然電源が落ちて再度スイッチを入れてもうんともすんとも言わなくなるべきだ。ブログを書いている最中にそうなるべきだ。出来損ないのパソコンめ。僕にそこまでしてブログを書かせたいか。というか、いや、待てよ。ははーん、このパソコンも僕のブログを読みたくて読みたくて仕方が無いのか、などと想像したらいい気分になってきた。凄いぞ僕は。僕は凄いぞ。物凄い。パソコンまでを虜にするスーパーブロガーだ。古畑広之進もびっくりだ。



あの男が言っていた事が正しいならば、つまり、バック出来ない事が馬鹿であるならば、「ちゃちゃっとシンプルに書こう」と心に決めたにも関わらず、やりたい放題やっているともはやバック出来ない所まで書き進めてしまった僕も馬鹿だという事になる。
しかし僕は馬鹿ではない。
スーパーブロガーだ。
よって、あの男が言っていた事は間違いである。

人間はバックというやつが出来ない。
バックするように見せかけて、そいつは踵を返しているだけだ。
自分が進んできた道を間違いあったと認めずに、「いやー、寄り道寄り道、はは、いい経験になった。うん、とても楽しかった。これは今後に活きてきそうだぞ~。」などと前へ進んでいるふりをしているだけだ。経験になどなるものか。
「いい経験だった、いい経験だった、俺は物事ってものがわかっているんだ」などと達観ぶって棺桶だ。直行だぞ。「死ってのはね、」などとその段階に及んでも語ってろ。語ってればいいさ。語っていれば。


では、という事である。
迫る光を屈み込んで見つめるから馬鹿だ、というのが一見すると正解であるかのように思えるのだが、僕はそれも違うような気がする。

巨大で眩しいものが身に迫れば、その正体が何であるのかを確かめようとするのが生き物というものである。「はいはい、どうせ車でしょ。車、車」などと澄ました顔で足早に立ち去るのが正しいのかもしれない。
しかし、物事を直視せずに決め付けて通り過ぎてばかりでは、大事な事にも気がつかず通り過ぎ、全部通り過ぎたあとで、「人生ってのは退屈だ」という事になってしまう。足早に駆けておいてその言い草は無い。


これは、即ち。
猫というやつは馬鹿ではないような気がする。

その全てをしゃんとして、バックはせずに、言い訳をして下がる事もせずに、迫り来る現実の大きさに驚く事もなく、しっかりと目を見開いてそれを見つめ、まあ時として轢死するというのは、馬鹿というよりは'美しい'という言葉が相応しいものである。
つまり、猫というのは美しいのである。

なるほど、これで筋が通った。
ブログに猫の画像を載せるとアクセス数が倍になるとかいう逸話なども、美しさというものに惹かれる人間の性からすれば当然であろう。世間的には猫は馬鹿な生き物としてではなく、美しい生き物として知られているのである。

しかし、それも正しいとはいえない。
美しいのは猫ではなくて、猫の轢死した姿であり、その生き様である。
たった一度しかない人生の中で、退かず下がらず目を背けぬを貫いたその死に様である。101回死んだ猫などは、醜くて醜くて仕方が無い。「また生き返るのかよ!」などと下衆な突っ込みが関の山であり、美しきには程遠い。


バックせず、見過ごさず、巨大な光に立ち会っても逃げる事無く引く事なく、その美しさの美しさが繰り返され、日本中の猫という猫が轢死し、国中が轢死体に埋め尽くされたならば、この国も少しは美しく、住み良くなるのであろうと思い、猫という猫が轢死して猫のいなくなった世界に思いをはせて、少し望んで筆を置く。


2005年1月12日水曜日

削除したエントリーの話。



なんでブロックブログの中で当ブログにだけ宣伝コメントやら宣伝トラックバックが来るんだろう、ムカつく。って話。

最初は気合入れて書いてたんだけれど、書いている途中に力が抜けてきて、しまいには話が脱線してウォークラフト3の事を延々書いていたら、だんだんウォークラフト3の事を書きたくなってきて、書いている段階で当初と違う文章になった場合は投稿しない方がよいくらいに支離滅裂になるという過去の経験から、削除した。

改めてウォークラフト3について書こうと思ったのだけれど、「え、ウォークラフト3?」みたいな空気が僕の中で増してきて、今日のブログ更新は無しかな、という少し悔しさというか自分に対する失望を抱えて無理やりにブログを書いてみた。
13日分のカレンダーをこのような投稿で埋めるのはいやなので、速攻で投稿ボタンを押す事にする。内容はまったくない。ごめんなさい。


[[ブロックブログ公式発表<http://announce.bblog.jp/]]ブログ
がコメントとトラックバックの受付を停止した。
どういう意図かはわかんないけれど、なんか、やだなあ


生きる喜び。



生きる喜び、などという言葉はまったくもって馬鹿げたものだ。
生きるとは喜びそのものであり、喜びとは生きる事そのものである。

起きては顔を洗い喜び、椅子を引いて味噌汁を啜り喜び、鏡を見て瞳が濁っていないのを確認して喜ぶ。もちろん、その喜びを感じない事もあるのだろうけれど、それは喜びが存在しないのではなく、人間の鈍感さが悪いのである。人は往々にして繊細さを失くして繊細さを自称する。生きる喜びを感じない人間とは、その鈍感さの頂点に立つ存在であり、不幸せであると言える。

「ただいま」と言っては「ただいま」を聞いて喜び、手を洗い顔を洗って喜び、椅子を引いて味噌汁を啜り喜び、鏡を見て瞳が濁っていないのを確認して喜び、布団に入る。温もりが肌を介して布団に伝わりそれが肌へと跳ねっ返ってきたのを受け止めて喜び、生暖かさの中でまどろんで喜ぶ。
つまるところ、人間の一日は喜びに満ちているわけである。

僕は真性引き篭もりであるからして、そのような所謂一般的なものとは無縁であるのだけれど、その一日が喜びに満ち溢れたものであるという点については一般人とまったく同じである。
起きては童の嬌声に眠りを妨げられなかった事に喜び、頭痛薬を飲む程の頭痛が来ていない事に喜び、DOTA allstarsを卒業した悲しみに喜び、パソコンを立ち上げては行き着けのブログが更新され、そのブログ主の人生が不平不満に満ち溢れているものである事を確認して不幸の蜜蝋をしゃぶって半日喜ぶ。また、パソコンのファンから漂っていた金属質な異音が突如収まった事に喜び、塊魂のデモムービーを見てそれほど酔わなかった事に喜び、エイジオブエンパイアのスクリーンショットを嘗め回して喜ぶ。
目覚めて数時間しか経過していないのに深刻な眠気が襲ってきた事に喜び、パソコンの電源を落として訪れた静寂に喜び、硬く泡立てたホイップクリームの表面のようにびりびりに破れた木綿の敷布団にうまく包まる事が出来たという少しの、ほんの少しの暖かさに喜ぶ。そうして、いつもよりほんの少し悪いだけの未来を思い描けた事に喜ぶ。

生きるとは喜びであり、人生とはその喜びの積み重ねである。
一言で申し上げると、人生は加算。
喜びと喜びの足し算である。

人生と人生が交差した際などは時として乗算になってしまうくらいの、猛烈な足し算である。

出合って喜び、生まれて喜び、育って喜び、就学に、また卒業に喜ぶ。やがて出会いて喜び、生まれて喜び、育って喜び、就学に、また卒業に喜ぶ。やがて出会いて喜び、生まれて喜び、育って喜び、就学に、また卒業に喜び、就職に喜び、やがては退職に喜ぶ。それ即ち人生であり、喜びの際限なき鼠算である。

「喜べぬ日常だってあるだろう」
といった反論が存在する事は承知している。
しかし、それはそれである。

全知全能に近いかと思われるくらいの恐るべき才覚を持った人間であっても、それを喜びであると理解出来ぬくらいに人生とは複雑なものだ、というだけの事である。
それは喜びでないから不幸なのではなく、喜びであると認識できぬから不幸なのである。
国を失いカルフォルニアへ向かう道すがら喜びを認識するのは困難である。しかし、しかしながら人は生きておらねば挫折も苦悩も味わえぬわけであり、それらマーブル状のドロドロの全てが喜びの積み重ね、人生の足し算であり、やがて一段落、あるいは終止符を打つに至り「あれは、喜びであった」と回顧するものである。あるいは、その段に及んでも人生、生きるという事に対する的確な評価を下せずに「これは、絶望であった」などと、回顧するものである。
どちらにしろ、生きるとは喜びであるという事実が揺らぐ事は無い。



その足し算の一要素一要素、人の一生における一秒一秒が喜び、あるいはやがて喜びであり、人生とは一歩一歩の積み重ね、足し算であると言える。

「俺には何も無い」
などと絶望している男であっても、その日、その一瞬、思い立ったその時から一歩一歩を踏み固めて歩き、日に日を積み重ねて行けば、やがては頂に立って「絶景かな」と喜びを噛締める事の出来る時が訪れるわけであり、人生とは緩やかで生暖かい、非常にEZで簡単なものである。
つまりは、つまり。重ねて。
生きるとは喜びであり、人生とは喜びの積み重ね、猛烈な足し算である。



しかし。
足し算である人生というものに、たった一つだけ引き算が存在する。
それは信頼である。

人が生まれておぎゃあと一言泣いた段階では、誰1人として疑うものはいない。器にすりきり満杯の信頼が注がれた状態である。
人はその信頼を少しずつ、少しずつ失っていく。
速く駆ければ駆ける程、こぼれる水は多くなり、やがて涸れはて干乾びたその器には、何を注いでも何を注いでも信頼というものが戻る事は無い。かといって、立ち止まったまま器を大事に抱えていては、喜びを積み重ねる事は出来ない。

一つの言葉で人は人を失うし、一夜の咎で恋は愛を失う。メグミルクは永遠に雪印であるし、タイ米は永遠にインディカ米であり、三菱は永遠に火の車である。一度失われた信頼というものは二度と戻らないのである。

つまり、人が生きる上で最も重要なのは信頼を失わぬ事である。
信頼を失わずにしっかりと足し算を繰り返せば、やがては全て思いのままに、どこにだってたどり着けるのである。


なるほど、人生とは喜びに満ち溢れており、今日、今宵からは僕は信頼を少しも失わぬように、やろうと決めた事はしっかりとやると決めた。

ブログも毎日書くし、三食しっかり食べるし、目が覚めたその瞬間に起き上がるし、PCの電源だってすぐ入れるし、DOTA allsatarsなんて綺麗さっぱり忘れるし、ゲームサイトのウェブサーフィンなんてしないし、ゲームなんてしないし、机に散乱したお茶碗とかちゃんと洗うし、真夜中に昼間こっそり部屋に持ち込んでおいたフルーツグラノーラを飲み物無しで齧ったりしないし、朝起きるし、夜寝るし、もう一度全部最初からやり直すし、一歩一歩踏みしめて積み重ねる。
もう、誰1人として疑いを抱かぬ位の完璧な人間になる!
完全無欠の真性引き篭もりへと進化するのだ。そう決めたのだ。


と、書いてみたのであるが、既にこれまでの少しばかり長く短い日々の積み重ねにおいて、僕は僕の信頼を完全に失ってしまっており、僕が「生きるとは喜びである」などと大声で大上段から書き綴っても、成りすまし電話のオレオレを見るような眼差しが一瞬向けられるだけであり、僕は微動だにせず、「またなにか言ってるよ」と疑いのデフレスパイラルへとその身を投じ、DOTA allsatarsをやりたいやりたいと願い、僕を救ってくれるのはDOTA allsatarsだけであると頑なに信じて、虚ろな目に映るその全てを怨み、疑い疑われて信頼失墜の一歩をマイナスに重ね続けるのである。


2005年1月9日日曜日

BLOCK BLOGはもう駄目だ。



繋がらない。
明日には直るだろう。
明日にならないと直らないのだろう。

けれども、投稿は出来る。


諦めた。



パソコンの電源を入れるという事が僕にとってとてつもない重労働であると知ったのは、つい最近、DOTA allsatarsが無くなってからの事である。

あの頃の僕は今思えばスーパーマンのようであった。
僕が目を覚ます寸前にパソコンの電源を入れ、ウインドウズが安定する前にウォークラフト3をダブルクリックしてちぎっては投げ、ちぎっては投げと30時間くらい寝なくてもへっちゃらでkillしまくっていた。物凄く長いロード時間には柔軟やら筋肉やらをやっていたし、時には10人集まるまでの一瞬の間や、死亡して生き返るまでのペナルティタイム中にAlt+Tabで画面を切り替えてブログを書いたりもしていた。
それが今では、横になった体を縦にするだけで何時間もかかる。

「父は退職と同時に一気に老け込み・・・」
などという相談文を目にした事があるが、それかもしれない。
塩風に触られた自転車は瞬く間に錆付くのとは正反対に、人間は風に触れていないと一気に錆付く。自らで風を興せるくらいの強い人ならばなんともないのだけれど、僕はあいにくそこまで強くは無いし、ひょうたんも持っていない。

都合の悪い風から身を隠し、都合の良い風のみを取捨選択しぬるま湯としての風車を回し続けるのが真性引き篭もりというものである。
その取捨選択した末の都合の良い風をも断ち切ってしまった真性引き篭もりというのは、何へとなるのだろうか。DOTA allstarsが都合の良いものであった、というのはかなり事実と違うのだけれど。

昔の僕が生ぬるい風というものを投げ捨てる時は、突き刺し覆い被すような潮風があったのだけれど、今はそれもない。無風、である。


その無風の中で、僕は立ち上がる事すら出来ず伏せている。頭痛薬はあっても水は無いし、水はあっても飲み込む気力が無い。額の裏のもやもやを抱えたままで目を閉じると、苦痛の中に時間が飲み込まれて粉々に砕けて消えて行く。
今ではそれが心地よい。

何かをしたいのだけれど、頭痛と吐き気のせいで出来ないんだ。
これは僕が悪いんじゃない、僕が悪いんじゃない。
頭痛のせいだ、この頭痛さえ冷めれば僕はやれる。
やれる。


そう信じて歯を食いしばる。
頭痛がそこにいる限りパソコンの電源を入れなくてもいいし、DOTA allstarsを再インストールしたいという衝動に呼吸を止められる事も無い。よろしくやりたいとも思わないし、寂しいとも思わない。罪悪感も虚しさも悲しさも、痛みの全てを感じない。謝罪の言葉も頭に無い。痛みがそこにあるうちは。僕がやれないのは頭痛のせいで、それさえ冷めれば僕はやれる。
やれる。


頭痛は冷めた。
まだ左の耳の北北東には少し残っているけれど、こんなのは頭痛のうちに入らない。そして、わかった事が一つ。
僕はやれない。
何一つ。

物凄く体が重たかったのは頭痛のせいではなく、物凄く体が重いんだ。心は合金製のとりもちのように押しようも引きようもなく、底なし沼の底から動こうとしない。指が動かないのや、足首から先の感覚が無いのも、寒さや正座のせいではなく、僕のせいだ。

駄目な奴は何をしても駄目、というのがあるが、あれは嘘だ。
駄目な奴は何も出来ない。
あるいは、駄目な奴よりもっと下の奴は何も出来ない。
真性引き篭もり、それ、僕。


けれども、僕はまた頭痛に押されて目を閉じる。
そして、こう思うんだ。
「頭痛さえ冷めれば僕はやれる」って。
そう、本当はやれるんだよ。
ブログなんて40秒で書けるし、趣味だって、娯楽だって、労働だって、学業だって、友達との談笑だって、よろしくだってなんだって、無呼吸で峠を駆け上って無寄航で世界をぐるり。昨日まではちょっと駄目だったけれど、今日からはやれるんだ。JFKが尻尾を巻いて逃げ出すくらいに。
物凄くやれるんだ。そして、立ち上がって沈んでいくんだ。

沈みきって、またやれるって思うんだ。
用水路のおたまじゃくしのように、沈んでは浮き、浮いては沈み、沈んでは浮くんだ。昨日までは少ししくじった不本意なものだったけれど、それは昨日までの僕が少し愚かだったからで、今はもう、なんだって。


駄目だ。
ブログもまともに書けない。
もう、諦めた。諦めた。

諦める事を諦めた。
僕は諦めない。
そう決めた。
決めなくても、諦められない。
幸せなんて馬鹿げていると思うけれど、僕は幸せになりたい。
人並みを見下して、人並みに憧れてやる。
一生、これから先、ずっとそうだ。
そして僕はきっとやれる。
幸せにも人並みにもなれる。
諦めない。
諦めた。

やるぞ。やれるぞ。起きろ。頑張れ。目覚めよ。駆けよ。行け。進め。立ち上がれ。眠れる獅子よ。ネバーギブアップ。もう駄目だ。


2005年1月7日金曜日

この、臆病者!



なんと臆病者であることか。

昨日のブログ投稿を行ってから、怖くて仕方が無かった。
なにが怖いのかというと、自分の投稿を読むのが怖かった。


僕には書きたかった事がいくつもあり、それを書こうとしたのだけれど、書いているうちに書きたかった事と正反対の事が浮かんだり消えたりというのを繰り返し、その内に「もう駄目であろうな」と思うようになった。
その時点で、一度ブログ投稿を諦めてお蔵入りにしてしまうべきであったのかもしれない。これまで何度か行ってきたように。

しかしだ。
しかし。
僕は敗北を認めるのがいやだったのである。
ここで敗北を認めてしまうと、他の全ての敗北をも認めさせられてしまう事態に陥りそうな気がしたのである。これさえ書いてしまえば、他のなんだって出来るような気がしたのである。

外苑を走る黒地に青のズックを履いた肩で息する男が、
「あの信号が赤に変わる前に」
と人生に希望を抱くようなものである。
外苑も、信号も、赤も青も、人生とは程遠い場所に存在するものであり、それを為し遂げた所で、一時の安らぎ、一時の快楽すら得る事など出来ぬのに。出来ぬのに、気がするのであり、したのである。ブログなんて僕とは程遠い場所にあるものなのに。
くだらないよ、これは。本当に、本当のくだらなさだ。


愛であると思っている人間が「愛じゃないよ」と言うように、
金であると思っている人間が「お金じゃないよ」と言うように、
地位であると思っている人間が「地位じゃないよ」と言うように、
そのくだらなさ、そのくだらなさの、全てを。


なら、と、ふと思った。
僕は何を「そうじゃないよ」と言っているのだろう。
何を隠して虚勢を張っているのだろうかと。

かなり無理のある道を少し無理をして歩いてきた。
その中で何かを否定し、何かを隠してきたはずだ。
それが、もう今では完全に見えない。

その時僕が否定してしまったものは、少しの鱗粉だけを残して消え去ってしまった。もう、そこに何がいたのかすら思い出せない。その際、僕が隠したものはもうどこに埋めたのかもわからない。掘り返しても、掘り返しても。悔しい。

過去に僕が手にしていたもの今も全て抱えていたなら、僕はなんだって出来たのに。どうして埋めてしまったんだろう。どうして捨ててしまったんだろう。あれも、これも、ウォークラフト3のCDキーも。
もう一度一つずつ掘り返して全部あつめればまだやれそうな気もするのだけれど、もう全部腐ってしまっていることだろう。それ以前に、見つからない。また、僕はそんなものとは遠い場所にある。

もっとしっかりしないと。しっかり。
なにも否定しないし何も隠さない。
くだらなくないと信じてくだらない事を書くし、
くだらない文章を面白いと思って読み返してやる。
負けちゃあいないし、臆病者でもない。勇敢だぞ。とても。
下書きも推敲も、考えを寝かせるのとかも全部くそっくらえだ。

きちんと、なにもかも、全て、認めないぞ。
僕はhankakueisuuなんかじゃない。
しっかり、認めない。
SUPER!!


2005年1月5日水曜日

海水浴



「泳ぎに行こう」
と誘われたので、山の麓で立っていた。

「オーデコロンだ。」
と、僕は思った。
山臭さと蝉の声とオーデコロンだと思った。
しかし、それは山臭さと蝉の声とオーデコロンではなく、山臭さと蝉の声とサンオイルであった。オーデコロンとサンオイルの区別が理解出来るにはそれからかなりの月日が過ぎてからである。相当の馬鹿である。オーデコロンとサンオイルの違いは理解出来るようになったが、オートクチュールとオーデコロンの違いは未だに理解できない。多分、手作りの天然香水と合成香水の違いかなにかであろうと思うので、そういう事にしておこうと思って検索エンジンで調べてみた所全然違っていたので非常に、非常に。やるせない。


オーデコロンだと思いながら7個で200円くらいのたこ焼きや少し廃れたスト2に人が列成す様を眺めていたら日が暮れた。

誘われた事実自体が無かったのか、フェイント属性のワナであったのか、「友達とうまくいってるの?」などと顔をあわせる度に問われて見栄を張りたかったのかは忘れた。その全てであったような気もするのだが、思い出したくないので思い出さないでおく。

あの日の僕は希望に満ち溢れて待っていた事だけは確かである。
なぜあのように確信を持って待ち続けていられたのかは今でもよくわからないのだけれど、僕は必ず来るものであると信じて待っていた。人ではなく、自分自身を待っていたのであろう。夏の暑さに直立不動で。それが僕であるのかと思うと胸が痛む。自業自得という言葉が似合うようになるのは、それからだいぶの後の事である。

炎天下と呼ぶには少し遅い太陽の下で僕は何を考えていたのだろうかと必死に思い出してみたのだけれど、まったく思い出せない。
思い出したいのに思い出せないというのは辛く苦しい。
思い出したい事柄を思い出せないという事が辛く苦しいのではなく、その時その事を確かに覚え思っていた自分自身が失われてしまったのだという事実が、辛く苦しく、また、悲しい。

例えば、今しがたふと頭を過ぎった
「砂浜に打ち上げられた鯨を海に押し返した野球選手がいた」
という事実を確認するべく、必死に検索エンジンの検索ボタンを叩いてみたのだけれど、見つからずにむかつく。鯨を殺して野球選手だばんばばんとかそういうゴミばっかりひっかかる。侍ってのはな、けちんぼでずるくて卑怯で意気地なしで人殺しだ。野球なんぞやらん。多分、横浜の外野手だったと思うのだけれど、まあ、そんな事はどうでもいいので話を久遠の絆に戻す。


久遠の絆というゲームを僕は知らない。
また、台湾というものを僕は知らない。
バナナ、マンゴー、鉄観音、エロいのは男の罪、それお許さないのは女の罪!(挨拶)くらいは知っているけど、それ以上の物は知らない。あとはかっこ悪い戦闘機を持ってるらしいという事と、なんか凄い無法地帯でマフィアが牛耳っているらしいという事と、アルマジロみたいなのがいるって事と、高砂くらいしか知しらない。多分、色々間違っているのだろうけれど、それくらいしか知らない。

僕と台湾というものの関係を簡潔に述べると、DOTA allsatarsの台湾人限定部屋に入り、

「お前台湾人あるか?」
「ここ台湾人オンリーあるよ。台湾人じゃなかたらでてけ!」
とか言われた時に、
「走!!」
と返す程度の間柄である。あるいは、そのように問い詰められる前に「安安」などと先手を打つ程度の間柄である。何故わざわざ台湾というものについて5行6行書いたかというと、台湾人の作った面白いホームページを発見したのである。

久遠の絆ファンサイト IN 台湾
というホームページであり、久遠の絆というプレイステーションのマイナーなアドベンチャーゲームを扱った攻略サイトのようであるのだけれど、内容がおかしい。物凄くおかしい。狂気に満ちている。

「貴方は皇紀2662年4月17日から第105116人目の久遠の絆ファンでございます」
とか書いてあって物凄く古い。しかも、ゲームのファンサイトであると自称しているのに、突然日本書紀についての資料があったりする。

>大日本?耜友天皇 懿?天皇

>大日本?耜友天皇,磯城津?玉手看天皇第二子也
>母曰-渟名底仲媛命,事代主神孫-鴨王女也.
とか、この調子で延々続く。
もう、何がなんだかわからず物凄く面白い。
多分、普通の人はこのようなものを目にしても吹き出したりはせぬと思うので、「面白いだろ!」などと押し付けるような文章は書けぬのだけれど、とにかく笑えて仕方が無い。
なんか、すさのおのみことがやまたのおろちを退治しました!とか書いていて全然ギャルゲーファンサイトじゃない。表題に偽りがありまくりである。偽藤沢とか書いてあるのにもろに藤沢、くらいの勢いで表題に偽りがある。しかも、なんか自己紹介欄に「妻」とかあって妻帯者かと思って驚いたらその妻自体がゲームのキャラクターだったりする。末世だ。台湾はもう駄目だ。


僕はこのウェブサイトを見て滑稽だと思うと同時に、趣味というものに憧れる。僕には趣味と呼べるものが無い。

他人は興味、探究心というもので自らを突き動かしているのに、僕は恐怖で無理やりに動いている。なにを恐れてなにに怯えているのかは自分自身でもよくわからないのだけれど、とにかく怖い。他の人が趣味、娯楽、日常としてそれを行っているのに、僕が同じ事を行うと、コンテナを改造して作られた拷問部屋に放り込まれてクレーンでぶらぶらされているかのような気分になる。どうしてだろう。僕だって少しくらいは楽しみたいのに。

他の誰かは趣味として、娯楽として浮き輪とおむすびを持って砂浜へ向かうのだけれど、僕にとってそこはとてつもない場所であり、例えて言うならば鯨が砂浜へと突進して列成し死ぬようなものである。オタクになり損ねたのかな、などとも思わぬでもない。

ああ、鯨か、などと考えていたら、自分がなにかとてつもなく大きな存在であり、人や丘や海水浴などはちっぽけでつまらぬ世界の事だと思えてきて、少し落ち着いたので、もう一度潜る。
息継ぎなしで。


2005年1月4日火曜日

ウスバカゲロウ



一匹のゴキブリを見たら100匹のゴキブリがいるという。
しかし、一匹のアリジゴクを見たら100匹のアリジゴクがいるという話は聞かない。また、一匹のアリを見たら100匹のアリジゴクがいるという話も聞かない。なぜだ。どうしてだ。


ゴキブリが生きてゆくには、ゴキブリであればいい。
99匹のゴキブリが慎ましやかに暮らしている中で、そのルールを破って人の目に触れんと飛び出すもよし、残飯を漁るもよし、地下を這うもよし、樹液などを啜るのもまたよいであろう。

しかし、アリジゴクが生きてゆくにはアリジゴクであるだけでは駄目だ。
アリジゴクがアリジゴクとして生きるには他に色々なものが必要なので、1匹見たら100匹、などというような気楽なものではないのであろう。

では、という話である。
アリジゴクに必要なものとはなんであろうか。
「アリ」という回答がもっともシンプルであろう。しかし、アリはいけない。
地球上のありとあらゆる場所にアリはいるわけで、それを条件などとしてはいけない。

「無人島に1つだけ持っていけるとしたら何を持っていく?」
と話しかけられて
「酸素」
と答えるようなものであり、物凄くさぶい。まだ、どこでもドアとかの方がマシだ。

では、という話になる。
アリジゴクに必要なものは砂である。砂が必要なのである。
砂さえあればアリジゴクはアリジゴクでいられるし、砂さえあればアリジゴクはアリジゴクになれるのである。砂の無い所ではそうはいかない。アリジゴクはアリジゴクでいられないし、アリジゴクはアリジゴクになれないのである。

「え、砂?(笑)」
みたいな空気を感じるのも確かである。
しかしあなどるなかれ、砂。
砂を侮っては成らない。

昔、昔、そのまた昔、地球というものは一つの大きな塊だったのだろうと思う。よく知らないが。とてもつるんつるんとしていて、フランス産のチョコレートのようにとっかかりの無い、一つの均質な塊であったに違いない。
それが今では砕けに砕けてしまっており、あちらでは白く、あちらでは黒く、あちらでは赤くと均質とは程遠い。その一つの均質な塊が砕け行く中で生まれた副産物こそが砂であり、地球のかけらなのであり地球そのものなのだ。

その砂が無くなると聞く。
いや、砂がなくなるのではなく、砂浜が無くなるという。
砂浜から砂が流れ出して、砂浜がなくなるという。いや、砂から砂浜が流れ出して砂がなくなるのかもしれない。その辺りはよくわからないが、とにかくなくなりつつあるそうだ。

これは、一大事である。
真性引き篭もりにとって砂というのは必要なものではない。
砂を有り難いと感じた事など無いし、砂がなければ生きていけないなどと思った事も無く、砂を欲した事もないし、「砂さえあれば・・・」などと目を閉じた事も無い。
しかし、アリジゴクにとっては砂がなくなるというのは一大事である。

僕はアリジゴクではないからして、何も砂がなくなるという事についてブログに書く必要などは無いのかもしれない。しかし、袖触れ合うも多少の縁である。一見、真性引き篭もりとアリジゴクは遠く離れた間柄であるかのように見える。しかし、実はそうではない。似通っている。僕は下がってばかりで一歩も進めぬし、ずっとずっと伏せている。僕は僕であるだけでは生きていけぬ所まで来ているし、他に99人の僕などというものは存在せず、寂しさに自棄になれば10日くらいは飛べるだろう。それぐらいなら。1430件くらいヒットした。

僕と少しだけ似通ったアリジゴクというものに成り代わり、アリジゴクの前に横たわる砂の喪失という問題について語ろうというのがこのブログ投稿の目的であり、対にたどり着いた本題である。

買えばよい。
いや、一行で結論に達してしまった。
一行で済むならば一行目に書けばよかった。くそう。めちゃくちゃ腹立たしい。なにがムカつくって、この調子で書いていたら多分2日連続ブログ投稿無しという記録が残ってしまうだろうという事であり、物凄く悔しい。はやく砂の話に戻さないと本当にやばそうなので戻す。

買えばよい。
事は単純である。
砂が無くなるのならばそれと同じだけの量の砂を買えばよいのだ。
必要であると思うもの、欲しいと思うものを買うというのはお金の使い方としては最も正しい。砂が必要なら砂を、砂浜が必要なら砂浜を買えばよいのである。


しかしながら、事は単純ではない。
まことに残念な事に、僕はアリジゴクではない。真性引き篭もりである。
真性引き篭もりには砂など必要ではないし、欲しいと思った事は無い。
欲しいと思うものが砂であるならば、金を払えば済む話である。


「1億あれば全部解決するっしょ」
などと言う人もいるだろう。
無理だ、というと「100億なら解決するでしょう」というかもしれない。しかし、そういう事ではないのである。世界は金で買えないもので満ち溢れている。

世界が一秒、一秒と進む度に、金と借金と金で買えないものの3つだけが増え続けているのが実情であり、タイムイズマネー時は金成りという言葉に真があるとしたら、時間というものが金と借金と金で買えないものというその3つだけを生み続けているという事を指し示しての事なのだろうと思う。


ならば、と僕に問う。
金で買える欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。

ならば、と僕に問う。
金で買えぬ欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。

なにもいらない。
朝も昼も夜も納豆もヨーグルトも梅干もカマンベールもチェダーもギュネイもネイもダクールも夏の寒さも冬の暑さも捨てるコンタクトレンズも捨てないコンタクトレンズも学生証も美術館も消防署も図書館カードも銅像も物凄く効く頭痛薬も鼻紙も豪邸とか宮殿とかもブログを書いている最中に突然電源が切れて動かなくなるパーソナルコンピュータも光るスピアで殴りかかってくるノールの群れの最後の一匹のノールとか物凄く長い一本道でいきなり向かうから歩み寄ってきて光る弓でばきゅんばきゅんしてくるセントールなども剥こうとしたら目に飛び散るミカンの皮もブログもコメントもトラックバックもインターネットも恋も愛も友も夢も衣も食も住も目も耳も花も団子も朝も昼も夜もその他の諸々も全部いらない。一握の砂もいらない。
なにもいらない。
全部、全部いらない。


2005年1月1日土曜日

アバカム



////アバカム
////
////ドラゴンクエストシリーズに登場する呪文。
////この世のあらゆる扉のカギを開ける呪文。
////はてなダイアリーより。



日が明けた。あるいは暮れようとしている。
それとは無関係に僕の一日が始まり、あるいは終わろうとしている。

なんとなく、ふと、さいなまれ、ブロックブログのトップページにアクセスし、更新されたブログ一覧にあるタイトルを眺め、そこから3つ4つを適当にクリックして読んでみた。
曙が負けたとか、バイクが走ったとか、マツケンがサンバしたとか書いている。そのような事柄に興味が無いと言えば嘘になるが、興味が無い。どうしてか悲しい。


それでもめげずにウェブサーフィンを続けていると、
「今年は変化の年だ」とか
「守りから攻めに転じる」とか、
「今年こそは生まれ変わる」とか、
「去年は探す年今年は掴む年」とか、
「頑張る年ではなく結果を出す年」だとか書いているのに行き当たった。

彼らは変化というものを、宣言するだけで起こせると思っている。
変わるという事はそんな簡単なものではない。
甘い。甘すぎる。

変化というものは目に見えないものであり、文章にも出来ないものなのである。それをブログに書くなどというのは、ブログでしかない。
心に誓うなどというのは、誓いでしかない。


変化とは目に見えず、音も立てず、ゆっくりとゆっくりとにじり寄り、それが人の目に触れた時は変化などではなく、そのものとなっているのである。

人は黒雲が雷雲と化して稲光を発する一瞬を持って変化と呼ぶかもしれない。
しかし、それは間違っている。
水滴がベランダの鉄窓に生まれ、夜明けと共に蒸発し、それがふわふわと居場所を見つけられないままに空気中を漂い、やがては白雲に居場所を見つけ、その白雲が黒雲へと変わる様が変化というものであり、雷雲がゴロゴロと音を立てて稲光を発するのは変化でもなんでもない、ただの雷である。
一滴の水が稲光になるまでの道というのは、細く長く何の遮りも無い平凡で平坦な道として続いており、その様は見えない。それが、変化の正体である。

ドラゴンクエストに、アバカムという呪文がある。
と書くと、あまりにも唐突で繋ぎ文章に失敗したかのように見えてしまうので、書かない。

ドラゴンクエストに、モシャスという呪文がある。
あ、やっぱり



ドラゴンクエストに、アバカムという呪文がある。
扉を開ける呪文である。鍵のかかった扉を開けて世界へと飛び出す事が可能となる呪文である。どうしてか悲しい。
これさえ覚えてしまえば、勇者が鍵を順番に手に入れて一歩一歩階段を進み、やがては魔王を倒すなどというストーリー筋書き、過去のしがらみの全てを無視して好き放題に世界を飛び回る事が出来る、魔法の呪文である。

しかしながら、鍵を手に入れるまでにこの呪文を覚えるというのは物凄く大変である。
鍵が無いからして、いける場所がほとんどない。ほとんどない狭い狭い行動範囲の中で、延々と敵を殺し続けてレベルを上げるという行為をアバカムを覚えるその日まで繰り返さねばならぬ。
その、アバカムを覚える為にスライムをおおがらすをキャタピラーをアルミラージを殺し続ける作業こそが変化である。

「世界を好き放題に飛び回ってやる」
との強い信念の元で、1時間10時間100時間、あるいは1000時間を耐え抜いたものだけが、その手で変化を掴み取った者であると言えよう。



それがアバカムであるならば楽だ。
アバカムは魔法使いであれば必ず覚える。
Lvが47か45か、あるいは48になれば覚える。

しかし、人間が望む変化とはアバカムではない。
学業であり、色情であり、金であり地位であり名誉であり、自分自身である。

それらを追い求めて変化という長くて平坦な道のりを歩いたとしても、アバカムを覚える事が出来るとは限らない。アバカムを覚える事が出来るのは魔法使いのみであり、戦士や武道家や勇者や僧侶や遊び人やクリフトやものまねしなどはアバカムを覚える事は出来ない。
そして、人は自らが魔法使いであるのか、そうでないのかを知る術を持たない。



僕はアバカムを覚えたいと強く思う。
家人が出払わないと灯油を入れられないのとか、弟と弟の友人の声を階下に聞きながら体調管理に失敗してビニール袋にしゃがんだりとか、18時間09分で黒くなったバナナの半分とか、ウォークラフト3TFTのCDキーが通らずに何度も何度もCDトレイを開閉して過ごすのとか、それら一切そんなのはもうごめんである。
つまりは変わりたいと強く思っているわけであり、変わるのだ。

鍵のかかった扉の向こうにある全てを見たい。
鍵がかかっている扉の前、その全てに立ち、ガチャリと回したいのだ。
レゴとゾイドと舶来船の並んだ廊下を抜けて掘り炬燵へとたどり着いてモノポリーに興じたり、「初夢は君の夢だった」などと愛人に嘘をついたりもしたい。酒に酔って数の子の粒を数えたり、栗金時を目の前に合衆国大統領!などと笑えないギャグを飛ばしたりもしたい。サイクリングをしては自動車に文句をいい、ドライブをしては自転車に物申したい。曙だってマツケンサンバだって戦乙女ヴァルキリーだって見てみたいし、ニュースステーションのオープニングムービーが今はどんなものになってるのかとかも物凄く知りたい。音信不通の相手から来た年賀状に潤んで「俺も歳を取ったもんだ」とか思いたいし、来るお歳暮来るお歳暮全てがハムでうんざりとかもしたい。誰かと日が暮れるまで昔の事を笑ってみたいし誰かに好きだと言ってもらいたいし誰かを想いたいし誰かに認められたい。自分自身と昔の事を語り明かしたいし自分自身に好きだと言ってもらいたいし自分自身を愛したいし自分自身に認められたい。

つまり僕は変わりたいと思い変わろうと思っているわけで、その為に、幾億のスライムやおおがらすやドラキーやバブルスライムなどを殺し続ける只管の、単調で退屈で憤懣やるかたない日々を耐え抜く覚悟であり、耐え抜く決意であり、耐え抜く。


僕自身は真性引き篭もりであり、魔法使いでは無い。
然り、アバカムを覚えられぬかもしれぬ。
しかしながら、それは重要ではない。
信じて思い希望を抱くのが人間というものであり、僕は変わる事が出来ると信じて思い強い希望を抱いて変わるのだ。1年先10年先100年先、あるいは1000年先かもしれぬその時に、人生というもの青春というもの人間というものの全ての幸せがそこにある事を信じて。