2005年1月4日火曜日

ウスバカゲロウ



一匹のゴキブリを見たら100匹のゴキブリがいるという。
しかし、一匹のアリジゴクを見たら100匹のアリジゴクがいるという話は聞かない。また、一匹のアリを見たら100匹のアリジゴクがいるという話も聞かない。なぜだ。どうしてだ。


ゴキブリが生きてゆくには、ゴキブリであればいい。
99匹のゴキブリが慎ましやかに暮らしている中で、そのルールを破って人の目に触れんと飛び出すもよし、残飯を漁るもよし、地下を這うもよし、樹液などを啜るのもまたよいであろう。

しかし、アリジゴクが生きてゆくにはアリジゴクであるだけでは駄目だ。
アリジゴクがアリジゴクとして生きるには他に色々なものが必要なので、1匹見たら100匹、などというような気楽なものではないのであろう。

では、という話である。
アリジゴクに必要なものとはなんであろうか。
「アリ」という回答がもっともシンプルであろう。しかし、アリはいけない。
地球上のありとあらゆる場所にアリはいるわけで、それを条件などとしてはいけない。

「無人島に1つだけ持っていけるとしたら何を持っていく?」
と話しかけられて
「酸素」
と答えるようなものであり、物凄くさぶい。まだ、どこでもドアとかの方がマシだ。

では、という話になる。
アリジゴクに必要なものは砂である。砂が必要なのである。
砂さえあればアリジゴクはアリジゴクでいられるし、砂さえあればアリジゴクはアリジゴクになれるのである。砂の無い所ではそうはいかない。アリジゴクはアリジゴクでいられないし、アリジゴクはアリジゴクになれないのである。

「え、砂?(笑)」
みたいな空気を感じるのも確かである。
しかしあなどるなかれ、砂。
砂を侮っては成らない。

昔、昔、そのまた昔、地球というものは一つの大きな塊だったのだろうと思う。よく知らないが。とてもつるんつるんとしていて、フランス産のチョコレートのようにとっかかりの無い、一つの均質な塊であったに違いない。
それが今では砕けに砕けてしまっており、あちらでは白く、あちらでは黒く、あちらでは赤くと均質とは程遠い。その一つの均質な塊が砕け行く中で生まれた副産物こそが砂であり、地球のかけらなのであり地球そのものなのだ。

その砂が無くなると聞く。
いや、砂がなくなるのではなく、砂浜が無くなるという。
砂浜から砂が流れ出して、砂浜がなくなるという。いや、砂から砂浜が流れ出して砂がなくなるのかもしれない。その辺りはよくわからないが、とにかくなくなりつつあるそうだ。

これは、一大事である。
真性引き篭もりにとって砂というのは必要なものではない。
砂を有り難いと感じた事など無いし、砂がなければ生きていけないなどと思った事も無く、砂を欲した事もないし、「砂さえあれば・・・」などと目を閉じた事も無い。
しかし、アリジゴクにとっては砂がなくなるというのは一大事である。

僕はアリジゴクではないからして、何も砂がなくなるという事についてブログに書く必要などは無いのかもしれない。しかし、袖触れ合うも多少の縁である。一見、真性引き篭もりとアリジゴクは遠く離れた間柄であるかのように見える。しかし、実はそうではない。似通っている。僕は下がってばかりで一歩も進めぬし、ずっとずっと伏せている。僕は僕であるだけでは生きていけぬ所まで来ているし、他に99人の僕などというものは存在せず、寂しさに自棄になれば10日くらいは飛べるだろう。それぐらいなら。1430件くらいヒットした。

僕と少しだけ似通ったアリジゴクというものに成り代わり、アリジゴクの前に横たわる砂の喪失という問題について語ろうというのがこのブログ投稿の目的であり、対にたどり着いた本題である。

買えばよい。
いや、一行で結論に達してしまった。
一行で済むならば一行目に書けばよかった。くそう。めちゃくちゃ腹立たしい。なにがムカつくって、この調子で書いていたら多分2日連続ブログ投稿無しという記録が残ってしまうだろうという事であり、物凄く悔しい。はやく砂の話に戻さないと本当にやばそうなので戻す。

買えばよい。
事は単純である。
砂が無くなるのならばそれと同じだけの量の砂を買えばよいのだ。
必要であると思うもの、欲しいと思うものを買うというのはお金の使い方としては最も正しい。砂が必要なら砂を、砂浜が必要なら砂浜を買えばよいのである。


しかしながら、事は単純ではない。
まことに残念な事に、僕はアリジゴクではない。真性引き篭もりである。
真性引き篭もりには砂など必要ではないし、欲しいと思った事は無い。
欲しいと思うものが砂であるならば、金を払えば済む話である。


「1億あれば全部解決するっしょ」
などと言う人もいるだろう。
無理だ、というと「100億なら解決するでしょう」というかもしれない。しかし、そういう事ではないのである。世界は金で買えないもので満ち溢れている。

世界が一秒、一秒と進む度に、金と借金と金で買えないものの3つだけが増え続けているのが実情であり、タイムイズマネー時は金成りという言葉に真があるとしたら、時間というものが金と借金と金で買えないものというその3つだけを生み続けているという事を指し示しての事なのだろうと思う。


ならば、と僕に問う。
金で買える欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。

ならば、と僕に問う。
金で買えぬ欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。

なにもいらない。
朝も昼も夜も納豆もヨーグルトも梅干もカマンベールもチェダーもギュネイもネイもダクールも夏の寒さも冬の暑さも捨てるコンタクトレンズも捨てないコンタクトレンズも学生証も美術館も消防署も図書館カードも銅像も物凄く効く頭痛薬も鼻紙も豪邸とか宮殿とかもブログを書いている最中に突然電源が切れて動かなくなるパーソナルコンピュータも光るスピアで殴りかかってくるノールの群れの最後の一匹のノールとか物凄く長い一本道でいきなり向かうから歩み寄ってきて光る弓でばきゅんばきゅんしてくるセントールなども剥こうとしたら目に飛び散るミカンの皮もブログもコメントもトラックバックもインターネットも恋も愛も友も夢も衣も食も住も目も耳も花も団子も朝も昼も夜もその他の諸々も全部いらない。一握の砂もいらない。
なにもいらない。
全部、全部いらない。