2007年9月26日水曜日

夢に伊藤直也が出てきた。



夢に伊藤直也が出てきた。今月一番の悪夢だった。殺される!とか潰される!とかじゃなくて、消される!抹消される!って感じだった。事あるごとに存在そのものを全否定された。物凄い怖かった。最初の方の記憶は曖昧なのだけれど、今日も一日頑張ろうとポジティブに自分を目覚めさせている時に「おまえは寝てろよ」みたいな事を言われて、恐怖でがくがく震えたのを覚えている。発言とか抜きで空気が恐ろしかった。それから、連れだって汽車に乗ったんだけれど、席順まで伊藤直也が決めていた。僕はドア際の隅っこの席で、横はしかまこという人だった(それ誰?と思って調べたらFFフラッシュの人だった。)。汽車の窓から見えたピンク色の花が異様なまでに綺麗だった。(桜みたいな感じ。伊藤直也は「あれはキンモクセイだ」って言ってたけれど、僕はどう見てもキンモクセイじゃないだろーって思った。花びらが8センチくらいあったし、ピンク色だったので。)。綺麗だなーと思って見ていたら、「おまえ何見てんの?」って僕の席だけ黒いカーテンで閉められた。祈るような思いで発車を待っていたら、カーテンの下から伊藤直也が素敵な笑顔で現れて、「おまえいらないから」「ううん、いらないから、うん。」とか言いってきて、無理矢理(肉体的にではなく精神的に)列車から降ろされた。汽車は右へと走っていった。僕は駅を出てそちらの方へ懸命に駈けていたら目が覚めた。二夜連続で夢精して体力思いっきり消耗した。理不尽だな、と思った。


2007年9月25日火曜日

ごめんね。ここには何もないんだ。



こんなくだらないブログに未だにアクセスしている人がもしも仮に一人でもいるならば、そんなことはもうやめてほしい。だって、ここにはもう何もないから。

違う。そうじゃなくて、最初から何もなかったんだ。だってそうじゃないか。考えなくたって分かる。これまで何もしたことがないし、これからもそうやって生きていくんだ。時間切れまで。そんな僕に一体何が書けるっていうんだ。何が出来るっていうんだ。簡単な話さ。何も出来ない。

だから最初からここには何もなかったし、これから先も何もない。あなた方が期待しているようなものが、ここに書き入れられる事なんてないし、あなた方の期待を裏切るようなものすらも、僕には書けない。だって、何もないんだよ。無から生まれる何かはあれど、僕からは何も生まれない。一生。死ぬまでずっとね。

僕には最初から最後まで何もなかったのと同じように、真性引き篭もりhankakueisuuなんてものは最初からいなかったってことになるんだ。それで全てが上手く回る。みんな少しずつ時間が出来て、みんな少しずつ豊かになる。だから、こんなくだらないブログにアクセスするのは、もうやめるんだ。

いや、決して、僕にとって何一つメリットをもたらさない読者をやっかい払いしよう、なんて魂胆じゃない。素直な気持ちを書いているだけだ。

確かに、ブログの読者からメリット得た事なんでただの一度もない、というのは事実だ。うんざりするフィードバックに衰弱させられ続けてきたし、何を言われても疲れるばかりだった。

誰かの笑い声を聞いて人を殺したくなるような人間はブログなんて書いちゃいけなんだ。わかっていたんだけれど、こうして書くと悲しくなるね。なんで僕はブロガーなんかになったんだろう。もっとちゃんとした人だけがブロガーになればいいのに。僕なんかがなっちゃいけなかったんだ。

だいたい、僕は、寂しかっただけなんだよ。正直なところ。誰からもまともに認められたことなんて無かったし、人として扱われた記憶もない。だから、誰かに認められたいとか、人として扱われたいとか思っていたんだろう。

けれども、たとえばもし仮に僕が誰かに認められた所で、たとえば僕が誰かに人として扱われた所で、何一ついいことなんて無いだろう。痩せ衰えてゆくだけだ。猫にタマネギを食べさせたり、下戸にビールを飲ませるようなもので、僕にはそれを受け止めて足しにする回路が備わっていないんだ。そんなことはじめからわかっていたはずなのに、何を勘違いしたのかな。

いや、もしかして、そうじゃなかったのかもしれない。少なくとも、そうじゃなかったのかもしれない、と考える事くらいは出来る。僕のブログを読んだ人が、いったい僕に何をした?自己顕示欲の提示とか、嫌がらせのメールとか、ブックマークレットのクリックとか。

そんなもので、僕がよくなるわけがないよ。誰一人として世界を滅ぼしてくれなかったし、誰一人として僕を抱きしめてはくれなかった。其れが無理ならせめてもの、矢でも鉄砲でも核ミサイルでも撃ち込んでくれれば良かったのに。誰もそんなこと、しようとすらしなかった。みんな勝手なものだね。僕と同じくらい。

ううん、けれども、たとえば誰かが僕を抱きしめてくれていたとして、そんなの余計に悪くなるばかりさ。だって、もし誰かが僕を抱きしめたとしても、僕には誰かを抱きしめる器量がない。そんなもの、あるわけないじゃないか。臍で茶を沸かしたことすら無い引きこもりなのに。能なしなんだ。役立たず。

だから、たとえば誰かが僕を抱きしめてくれていたとして、僕は悪くなるばかりだろう。誰かが僕に優しくしてくれたところで、僕はその誰かを傷つける事しかできないんだ。つまらない人だね。つまらない人生だね。いや、そんな事はわかっている。わかっているからこそ、少しくらい安らかに生きたいんだ。安らかとはほど遠くても。

「僕の事なんて今すぐ忘れるんだ、僕は死んでも忘れないけどな。」という何よりも空虚なフレーズが定時を告げる教会の鐘のように規則的に頭の中で鳴り響き続けている。1年も、2年も、3年も。ずっと。

だから、そのフレーズが意味するところについて、僕はもう随分と考え続けてきた。たぶん、真逆の事を意味しているんだろう、という所までは分かった。つまり「僕の事なんて今すぐ忘れるんだ、僕は死んでも忘れないけどな。」というフレーズの意味するところは、「僕は今すぐ全てを忘れたい。僕が死んでも忘れないでくれ。」って事なんだろう。喰えねえ野郎だ。

ああ、もう勘弁だ。糞っくらえ。嫌がらせのメールしか届かないメールボックス。嫌がらせのコメントしかつかないコメント欄。嫌がらせのトラックバックしか送られてこないトラックバック欄。嫌がらせのブックマークしか付かないはてブ。嫌がらせの考えしか浮かばない脳髄。嫌がらせの夢しか見ない深層心理。嫌がらせのエントリーしか投稿されないブログ。もう、勘弁だ。こんなもの。

僕はもう誰一人として傷つけたくないし失望させたくない。だって、誰かを失望させたいとか、誰かを傷つけたいなんて、思ったことすらないから。火の無い所に夏の虫は飛んでこない。僕に出来るのは火を消すことくらい。大丈夫。それくらいなら僕にだって出来る。


3D酔い体質で無かったら遊びたかったソフト。



3D酔い体質で無かったら遊びたかったソフトランキング、というのを考えてたんだけれど、凄く楽しい。何が楽しいって、実際に遊べる可能性が全く無い分、好きなだけ夢想出来る。

1,大神
2,塊魂
3,Halo
4,障害物が無く、ジャンプとドリフトが出来るレースゲーム。
5,MGS

こうして見ると、ほとんど発売日順。大神以外は「遊びたい」の過去形としての「遊びたかった」といった感じだけれど。

Haloの格はFPSの中では断トツ。シングルの評判がよいロケランジャンプ出来る系のFPSを他に知らない。ジャンプできるレースゲーム、というのはエキサイトバイク以来人々が夢見続けてきたロマン。跳ねる、といったレベルではなくて、モーションブラーの中を無駄にぐわんぐわん飛びたい。ワイプアウトでもいいんだけれど、ちょっと違う感じがする。MGSは微妙なんだけれど、ムジュラとオカリナと空と海と大地と呪われし姫君とFF12とMGSの中から1つ選べ、って言われたらMGSしか無い。悪夢は足りすぎる程に足りているのでバイオは論外。ヘルゲートは順当にいけば首位なのだけれど、とりあえず発売前なので。

ピーター・モリニューの最高傑作、アーマードコア系列、CMR2、アリスインナイトメア辺りは流石に古くて押し流されてしまった。モリニューは格落ちさえしていなければ今でも秀夫より上だったろうけれど、今は秀夫の方に興味がある。体調がぼろぼろの時に生産性の無い夢想を繰り広げてぐだぐだなエントリーにする、というパターンは嫌いじゃない。むしろ好き。どうせ駄目なんだから夢くらいは楽しく見たい。けれども、やっぱり持ち直したいな。とりあえず頑張って寝ねば。


2007年9月23日日曜日

偽物です。



本物ですか?って垂れ込みがあったので答えておきますが、騙りです。

っていうかだいたい7-0っていう時点で僕には絶対に不可能な数字。200戦時点で勝率55%あった事は1回か2回くらいしかない典型的な行って来いプレイヤーなので。

他の出場者諸共偽物をぶっ飛ばすという意味で参加したい気持ちはなきにしもあらずなのだけれど、突然回らなくなって熱く燃え上がるメインマシンの電源を可能な限り温存しておきたいので、出られません。手回し式のエンジンみたいにドライバーで手動で勢いを付けないと回ってすらくれないし。

というか、手製のツールでWarCraft関連のウェブサイトを片っ端からアクセス禁止にしまくっていたので、僅か数週間で浦島状態。何度でも蘇る不敗神話sweetがプチ復活を遂げたのとか、stormが出戻ったのとか、justが解散したのとか、開始三分間の美しさだけなら誰にも負けない、序盤の組み方と負けっぷりで美という美を体現し続ける欧州の人間国宝saseがmoonをぶっ飛ばしたのとか、全然知りませんでした。

あと話変わるけれど僕のキャリアハイは、「ひょっとして僕強くなったんじゃない?」みたいにスーパーハイなルンルン気分で「このゲーム超面白い!」とか上機嫌で遊んでいたらいきなりsamuraiJapanが出現して木っ端微塵にされたゲームだと思う。あれはひどかった。ひどすぎる。ちなみにこれは思いっきり自慢だけれどMumakには一回だけ勝ってる。
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SoJu。戦慄のsojuRemindが復活するならFoV styleが席巻していた(見ていないけれど、数字だけ見ると今もしているみたいな感じがする)2v2が段違いに面白くなる。オフラインプレイオフの面子次第だけれど。MYMとSKは確定であとは団子なので、良い2v2を抱えるチームがオフラインに出てこれる可能性はそんなに高くないか。bet、4Kなら2vs2に限れば最高。というか、SKはまた一人ベンチなのか。次元が違う金満度。fnaは無敵のsatiniが一人気を吐くも終戦ムード。mouzは、MYM、SKと済んでいるので6位狙いで。たとえBeTが来ても十分に可能性有り。SKが何かの間違いで3位に沈んでオンラインプレイオフに回ってきたら無理だけど。


レインボーブリッジを、閉鎖しろ。



人々の儚い希望や、切ない心を飲み込んで、日中日夜の見境無しに、凄い速度でどこまでも巨大化し続ける、インターネットという夢の高未来テクノロジーこそが、私たちの生活を妨げ、私たちの日常を寸断し、私たちの営みそのものを阻害している、という事に人々が気がついてからというもの、インターネットを遮断する、というのは長く我々の夢だった。




誰もがインターネットの存在しない世界を夢想しながら、インターネットの波間を宛もなく漂い、全身に漂う疲労感と空腹感、あるいは腰の痛み偏頭痛といった類の郎党に追い立てられて隆起した、自ら己への失望と、諦めの狭間に、座る場所さえ失われ、朝を告げる目障りな雀の歌を聞くに及んだ。

それらが繰り返される度に、人はまた、インターネットを遮断せねばならぬとの思いを強くするのだ。朝が来る度に歌い、羽ばたき、恋をして、雀のように生きるには、インターネットから自らを隔離する以外に道はないと。事実、燕やら、雀やら、沖の太夫やTODOは、インターネットの無い世界で今日も夜明けを歌っているじゃないか。




けれども、僕らは、それなり人で、そんなうまくは回らない。

Googleも、excite翻訳も、goo辞書も、wikipediaも、Twitterもyoutubeもmixiもハンゲームも無い世界で、一体何が出来るというのか。いや、なにもできない。インターネットを遮断しようにも、インターネットが無ければ、何一つ始めることすら出来ないのだ。

だから僕らは仕方がなしに、インターネットに自分を繋げて、いろんなものを垂れ流す。時間、脳髄液、人間の心。どろどろに溶かして流し込んでゆく。そんなふうに、「このくらいならまだいいか」なんて少しずつ何かを捧げる度に、僕らは何かを得て、何かを失い、インターネットは肥えてゆく。

僕らが歌うはずだった空はもう、嘴までも黒色の漆黒のフラミンゴの群れで埋め尽くされている。絶え間なく降り注ぎ舞い飛ぶ抜け落ちた暗闇色の羽毛綿毛の嵐の前に息も絶え絶え瞼など、持ち上げる事すら出来やしない。眼に光はついぞ差さない。




それでも、やはり、インターネットを遮断するという夢は、けして、僕らを、とらえて放さず、今日も誰かが立ち上がる。たとえば、考え得る限りの最悪のブログを書いて、インターネットをトラウマにして、精神的にインターネットを不可能にするという試み。

もちろん成功したよ。大成功だった。魔王物語物語クリアしたよ。中盤で成長が頭打ちになり、以降は敵ばかり強くなってゆくというのは、明らかにしんどい。中盤までは逆にスキップできすぎなのに、突然プレイヤーがゲームの都合に回収されてしまうような無理強い感を感じてしまう。一応出口抜け道その類もあると言えばあるのだけれど、頭打ち期間は事実上ラスボスまで続いてしまう。とりあえず、成功だったよ。大成功だった。攻略サイトを探しにGoogleにアクセスする勇気すら生まれなかった。

これは、行けると思う。物理的にインターネットを遮断するのが不可能ならば、精神的に負荷を与えて、インターネットをトラウマにして、インターネットへの接続を不可能にしてしまう、という作戦は大変に有効だと思う。このインテリジェンス溢れる戦略的な勝利をさらに決定的なものとするにはどうすればよいのか、という事を考えた。考えに、考えた。

結論としては、やはり、Winnyでウイルスに感染し、恥ずかしいデスクトップやら、書きかけのブログの草案やらといったものを、全て流出させて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、もう生きていられませんというくらいになれば、きっとインターネットを完全に遮断出来るだろうと、僕は思った。




だから、加速的速やかにウイルスに感染するべく、取り急ぎWinnyをダウンロードして、The Elder Scrolls IV:Oblivionと、Bullet Butlersと、この青空に約束をと、巣作りドラゴンと、絶対幸せ宣言と、遥かに仰ぎ麗しのと、Quake4を落として、alcoholで焼いて、インストールして、明けぬ夜明けまで遊んできます。それでは、皆様、ごきげんよう。また会う日まで、愛しい人よ。


2007年9月21日金曜日

ライブドアリーダーの注目度ランキングが酷い件



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ランキング1位が182users、2位が30users、3位が29usersって、これ100%自作自演のランキング操作スパムだろ。まったく、どこもかしこもアフィアド蠢くスパム天国まったくもってモラルハザード正義も糞もへったくれである。(※画像はイメージです)


小志、小願、小夢を捨てる。



まず、最初に、夢とか、希望とか、やりたいこととか、成し遂げたいこととか、行きたい場所とか、結婚したい相手とか、そういった類のものを、列挙して、精も根も尽き果てるまで書きまくる。道具は何を使っても構わないので、徹底的に書き尽くしてゆく。筆記用具と単語カードでもよいし、check*padでもよいし。肝心なのは、羞恥心とか、体裁とか、そういった類のものを完全に捨て去って、徹底的に書き出すこと。「誰某とキス」とか「休暇を取ってプラハに旅行」とか「id:ululunさんみたいな知的でウィットに富んだ価値あるブログのエントリーを書けるようになる」とか、そんな感じで具体的に。




次に、そうやって書き出したものを並び替える。

純粋に「一番やりたい」と思うもの、純粋に「一番成し遂げたい」と思うものから順番に、並び替える。100個あるなら、100個それぞれ比較して、1位から、100位まで、並び替える。




ここまで来れば、もう勝ったも同然である。
並び替えたリストの、2位から20位までを、捨てればよい。

1位と、21位~100位(100個なら)だけを残す。2位から20位までの項目に関しては、もう、完全に、綺麗さっぱり捨ててしまう。脳内から消し去る。いらないもの、必要のないものとしてタグ付けし、ゴミとして分類し、燃やしてしまう。思考から、脳裏から、人生から、完全に消し去る。万が一、何かの機会にそれらが目に入ったとしても、一切関知しない。存在しないものとして扱う。




たったそれだけで、純粋に「一番やりたいこと」までの距離が、ぐっと近づく。純粋に「一番成し遂げたいこと」までの距離が、ぐっと近づく。たとえば一位に位置するものが思考やら、行動やら、意志決定やら、生活といったリソースの中で「100ポイント」を占有していて、二位以下は順位が1つ下がる毎に5%ずつ減ってゆくとする。そうした場合、2位から20位までの総計は、1100ポイントにもなる。「一番やりたいこと」の十倍である。


それら、小志、小願、小夢が、思考や、行動や、意志決定や、生活といった、人生のありとあらゆる局面において、迷いとか無駄とかを発生させる。20位以下の物事に関しても、当然そういう要素がいくらかあるのは事実だけれど、2位~20位の巨大さに比べれば、取るに足らない。




2位から20位までの楽しみやら喜びを切り捨てると人生が味気ないもになる、などという懸念は間違い。そういったものは、20位より下に無限に並ぶ幾多の些細なちょっとした幸せが満たしてくれる。


夢や希望を妨げているものは夢や希望そのもの。
小志、小願、小夢を捨てろ。
すれば叶わん。
















僕は、最初の、リストを書き出すところで躓いた。今はもう、ただの1つも浮かばない。煩悩の粗野な欲求は過ぎ去り、もはや何も思わず。願いすらなく。皆が笑って暮らせますように世界が平和でありますように太陽が燃え尽きてしまいませんように。


2007年9月20日木曜日

何もかも過ぎ去ってゆく



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「2.0、って何2.0?」


   「言わなくたって、わかるだろ。」





小細工は一切無し。圧倒的なアイコン。
そこに描かれているものは2つの数字とコンマだけ。
WINDOWSで多様される凡庸なデフォルトカラーに白抜き文字。







世界中が待ちわびた伝説のゲームの続編。名作傑作多々あれど、PCゲームの歴史の中で「レースゲーム」が最大の領土を誇ったのはこの瞬間だった。たぶん。たぶん未来永劫。そうだろ?違うか?なあ、答えてくれよ、マイスイートハニー!





「コレハ デンセツノ ゲームノ ゾクヘン デス」


    「OH YES!YES!OH YES!」




「ソシテ デンセツノ ゲーム デス」


    「OH YES!YES!SHIT!OH YES!」










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起動と同時に出現するハリガネムシ。
ありとあらゆるものを切り捨て、極限まで特化し、
伝説のゲームソフトの為だけに完成させられたユーザーインターフェース。







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うねうね、うねうね、最高にCOOLだ!
ここでも使用カラーは一色のみ。





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シャキーン!







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ピッキーン!







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ギュイーン!







網膜を通じて脳へと直通でフィードバックされるキー入力。
こんなにもCOOLなユーザーインターフェースが他にあっただろうか?
いや、無い。断じてない。金輪際、そして金輪際。


2007年9月19日水曜日

貧民は、人を好きになってはいけない。



あなたが、良識有る、健全な、日本人であろうとするならば、スターバックスで買ったばかりの本日のコーヒーを、道行く人にぶっかけてはいけない。

なぜならば、道を歩いていて、いきなり、コーヒーをぶっかけられると、迷惑だからである。それも、ただの迷惑ではない。大変迷惑なのである。コーヒーの染みは中々落ちないのである。故に、スターバックスで買ったばかりの本日のコーヒーを、道行く人に向かって、ぶちまけてはならないのである。
















僕は、何一つ、おかしなことなど言ってはいない。僕が今ここで主張しているのは、人として、至極、当然、当たり前のことである。より正確に書き示すならば、これは主張ですらない。何一つ、主張などしていないし、主張しようともしていない。現実に従い、ただ、淡々と、事実を述べているだけである。




世界は、不心得者で満ちているからして、今し方この場に置いて行われた事実の羅列に対して、懸命至極必死になって、反論してくる人が存在するかもしれない。「スターバックスで買ったばかりの本日のコーヒーを、道行く人にぶっかけても構わない。」と、反論してくる人がいるかもしれない。

「本日のコーヒーは、私が自ら代価を支払って購入した物だから、それを飲むのも自由であるし、飲み残すのも自由であり、道行く人に向かってぶちまけるのも自由である。」と、反論してくる人がいるかもしれない。

「本日のコーヒーをぶっかけられると迷惑であるというのは、<あなたの個人的な見解>でしかありません。広い世界は十人十色、本日のコーヒーをぶっかけられる事を夢見ながら道を歩いている人だっているわけです。もしも、本日のコーヒーをぶかっけられた人間が迷惑だと思ったならば、我が国は法治国家なのですから、法的な手続きを踏んで、私を告訴して、賠償金を奪えば良いのです。」と、反論してくる人がいるかもしれない。

「道を歩いていて本日のコーヒーをぶっかけられたくないというのはゆとり世代特有の甘えだ。そんな軟弱な人間は道を歩くべきではない。」と、反論してくる人もいるかもしれない。

「道を歩いていて本日のコーヒーをぶっかけられた事すらないような人なんて、底が知れている。何事も経験。経験無くして成長無し。」などと、反論してくる人が居るかも知れない。




けれども、それらの主張は、今更僕が書くまでもなく、全て間違いである。
何よりも明らかな誤りであり、詭弁ですらない。


















自由は、何よりも肝心である。人は、元来自由である。その本来の姿、即ち自由を妨げようとする物があるならば、それは悪である。明確なる悪である。即ち、「スターバックスで買ったばかりの本日のコーヒーを、道行く人にぶっかけてはいけない」という主張は悪の主張であり、そのような主張を行う人間は、疑う余地無く悪の人間である。何らかの思想に基づいて、人が人として生きることを妨げようとする、悪の根源の手先である。

人は自由であり、世界は自由であらねばならない。







自由は、大事である。
何よりも、肝心なことである。
だからこそ、用心せねばならない。


肝心要の事柄というのは、肝心要であるが故に、必ず悪用される。
それは、必然である。何故ならば、悪とはそういうものだからである。

取るに足らない物を利用して、取るに足らない物を奪うのは悪ではない。
肝心要大切な物を利用して、肝心要大切な物を奪って行くのが悪なのである。













たとえば、命は大事である。

命は大事であるが故に、悪用される。「癌が治る」とか、「アトピーが消えた」といった類のでたらめで、藁をもすがる思いの純朴なる人民から、金やら、尊敬やら、崇拝やら、そういった類のものを得ている人が、大勢いる。命は大事であるが故に、命は悪用される。




たとえば、現金は大事である。

現金は大事であるが故に、悪用される。「5年で2倍」とか、「年間利回り20%」といった類のでたらめで、老後の足しにと算段した善良で夢見がちな純朴なる人民から、金を巻き上げ、あるいは働かせ、欺き、騙し、釣り上げて、利している人が、大勢いる。現金は大事であるが故に、現金は悪用されるのである。




たとえば、平和は大事である。

平和は大事であるが故に、悪用される。「悪の枢軸」とか、「大量破壊兵器」といった類のでたらめで、平和と平等を愛し、戦争と人権侵害を憎む人民を欺き、騙し、負担を強い、戦場へと赴かせ、それにより、利を得ている人が、大勢いる。平和は大事であるが故に、平和は悪用されるのである。








即ち、警戒せねばならない。
己の利のために、自由を騙る輩。
己の利のために、自由を利用とする輩。
己の利のために、自由を名乗り自由を破壊する輩。
我々は、立ち上がり、それらと闘い、そして滅ぼさねばならない。


「スターバックスで買ったばかりの本日のコーヒーを、道行く人に向かってぶちまけても構わない。」と主張する者を、炙り出し、追い詰め、一人残らず引っ捕らえ、縛り上げ、スターバックスで買ったばかりの本日のコーヒーをぶかっけねばならないのである。















不自由とは何か。
それは、自由の総体である。


不自由とは、自由の積み重ねであり、自由の集合体である。
即ち、純然たる不自由とは、純然たる自由のスフィアである。




自由とは何か。
それは、不自由の総体である。

自由とは、不自由の積み重ねであり、不自由の集合体である。
即ち、純然たる自由とは、純然たる不自由のスフィアである。










「スターバックスで買ったばかりの本日のコーヒーを、道行く人に向かってぶちまける自由」といった類の、数々の、無限に等しい自由が積み重なり、結びつき、巨大化して出来上がる物が、不自由である。たとえば、<何不自由ない暮らし>の総体は不自由である一方で、<自由な半生>の総体は不自由である。

即ち、自由を主張し、自由を叫び、自由の御旗の元で、自由を広めようとする人達が招くのは、自由ではない。彼らの言う自由によってもたらされるものはただ一つ、不自由即ち悪である。

それらの悪から、我々は守らねばならない。自由を守る光の戦士として立ち上がり、彼ら、即ち本日のコーヒー派と呼ばれる一派と戦わねばならない。そして、滅ぼさねばならない。二度と立ち上がれぬように叩きのめさねばならない。それらが繰り返されぬように、彼らを根絶せねばならない。

無論の事、それは、達しがたい困難な事柄である。
この世界において、悪ほどに、たやすい事柄は他にない。








例えば、この中にNEET、ワーキングプア、チビ、デブ、ぶさいく、がいたならば、あなた方は、恵まれている。悪の素質に恵まれている。悪の才能があると言ってよい。

たとえば、NEETでも、ワーキングプアでも、チビでも、デブでも、ぶさいくでも無い何者かが、「我、悪たらん」と志したならば、それは成しがたく、達しがたい、極めて困難な道のりである。

NEETでも、ワーキングプアでも、チビでも、デブでも、ぶさいくでも、ライブドア社員でも無い何者かが、「我、悪たらん」と志したならば、彼らが取り得る選択肢は、「自由を主張する事」だけである。自由を主張し、自由の為に立ち上がり、自由の為に闘い、自由を体現する事だけである。世界100億の不自由に立ち向かい、一寸たりとも抜かることなく戦い続ける事だけである。





しかし、あなたが貧民であったならば、そのような、困難な闘いに身を投じる必要はない。貧民が「我、悪たらん」と志したならば、誰かを好きになるだけでよい。貧民、即ち、経済的困窮者ではなく所謂<まずしいもの>に好かれるという事は、道を歩いていて、本日のコーヒーをぶっかけられる事よりも、遙かに迷惑な事である。上着についた本日のコーヒーは、クリーニングに出せば綺麗になるし、万が一落ちなくても、また再び上着を買い直せば済む。しかし、貧民即ち<まずしいもの>に好かれてしまうと、それはもう、人生おしまいである。人生に傷が付き、それはもう二度ともとの姿には戻らない。

つまり、世界を恨み、世界を憎み、世界を破壊せんと企む貧民は、適当な誰かを好きになればよい。簡単な事である。ただそれだけでよいのだ。大学に、爆弾を送りつける必要もなければ、給油に訪れる人をロングライフルで狙撃する必要もない。ジャンボジェットをハイジャックしてビルディングに突っ込む必要もなければ、高層ビルの地下駐車場に時限爆弾を仕掛ける必要もない。

ただ、誰かを、好きになり、身を賭して思うだけで、盤石に思えたる鉄壁の兄弟で絶対なる世界に、痛恨の一打を加える事が出来るのである。







即ち、世界を愛し、世界を尊ぶ我々には、本日のコーヒーを道行く人に向かってぶちまける自由は無く、本日のコーヒーを道行く人に向かってぶちまける自由も決して訪れない。それら不自由の総体こそが、世界人類一人一人が手にするべき人間本来の姿である自由そのものであり、同様に、人として、一人の人間として、世界を愛し、世界を尊ぶならば、芳情を持たざる貧民は、決して、人を好きになってはならない。この秋新作の青林檎フラペチーノのように。




悪を憎み、悪を嫌う。
do、not evil。


2007年9月9日日曜日

線路に挟まって動けなくなった電車を押す仕事



線路に挟まって動けなくなった電車を押すアルバイトをする、というあまりにも怪奇なプロットの夢を見てしまい、これは一体何なんだろう、と少し悩んだのだけれど、元ネタは別に怪奇でも異様でも僕の労働というものに対する意識のおかしさでもなくて、これだった。非常にインパクトが強かったこともあり、元ネタに気がつくまでは相当混乱したけれど、気がつけばなんてことはなかった。amazonでは、ついてる8つのユーザーレビューが全て星5つのマンセーコメントなのだけれど、ああ、この人達の子供もゆくゆくは立派な一人前の引きこもりになって悪夢で飛び起きたりするようになるのか、と思うと、何か清々しさのようなものを感じて、少しだけだけれど癒された。


2007年9月8日土曜日

一時間毎に日記メモを自動で立ち上げ、自分が何をしていたのかを可視化する。



TClock Lightxyzzyhowm-wrap窓使いの憂鬱を使って、自分が何をしていたのかを可視化する。一時間毎(30分毎)に自動でメモ取り環境を立ち上がるようにし、1キーでセーブ&終了させられるようにする。取り込み中でも、1秒で元の作業に戻れるので、便利で快適。


もちろん「超ノリノリで作業中にメモが立ち上がって思考が(作業が)途切れてしまう」みたいなデメリットはあると思うのだけれど、そういう時でも1キーで元の作業に戻れるようにしておけば「絶好調時に水を差される」事による被害はほとんど無いと思う。長い目で見れば、一時間毎のメモが残る事により得られるメリットの方が遙かに大きい。





「TClockのプロバディ」→「アラーム」→アラーム「ファイル」に、「C:\xyzzy\xyzzy.exe -e "(howm-create)"」を指定し、「TClockの起動時に実行」と「一定間隔で実行」にチェックを入れ、一定間隔で実行の時間指定欄に、任意の数字を入れる。30分なら30、60分なら60。


これで、OS起動時に自動でxyzzy + howmが立ち上がり、そこから60分毎にxyzzy + howmが自動で起動する。





= _
[2007-09-08 20:21]



「_」はカーソル位置なので、そのまま気合いでメモを取る。



= 起床。4時間寝。汗だく。頭痛レベル2。
ブログ書くのは少し厳しいから○△□の下調べの続きやる。mkd、cococ、ウェブサーフィン禁止。他はOK。射撃せずに前進した方が安全に進める。無理に撃とうとしない気楽さを持って頑張ること。過剰にネガティブにならないように注意する。一秒一分を大切に楽しく。
[2007-09-08 20:21]



とか。だいたいこんな感じ。






= 起床。4時間寝。汗だく。頭痛レベル2。
ブログ書くのは少し厳しいから○△□の下調べの続きやる。mkd、cococ、ウェブサーフィン禁止。他はOK。射撃せずに前進した方が安全に進める。無理に撃とうとしない気楽さを持って頑張ること。過剰にネガティブにならないように注意する。一秒一分を大切に楽しく。
[2007-09-08 20:21]


= なにがしたいんだ。超時間の無駄。
[2007-09-08 20:51]


= 終わってる
[2007-09-08 21:21]


= あーあ。糞が。
[2007-09-08 21:51]


= tanosiika?
[2007-09-08 22:21]


=
[2007-09-08 22:51]


=
[2007-09-08 23:21]



だいたいこんな感じ。超楽しい!ひゃっほう!、みたいな。



メモを書かずに終了しても、上のような感じで時間の部分だけは残るので、PCを立ち上げていた時間はわかる&メモを書く暇も惜しかったか、書く気力すら無かった、ということが記録出来る。





次に、xyzzyはセーブ&終了がめんどくさいので、窓使いの憂鬱で適当なモデファイアキーに「C-x s C-x C-c」を設定する。
key M4-*IC-Enter = C-x s C-x C-c
僕の場合はこんな感じ。無変換+Enterキー。
メモ取り用途に立ち上がった新規のxyzzyをセーブして終了。


(setq howm-file-name-format "%Y/%m/%Y_%m_%d.howm")
howmは1メモ1ファイルが基本だけれど、「howm-init.l」に書いてバイトコンパイルすれば1日1ファイルになる。メモが立ち上がった時に1時間前の行動を見られた方が便利だし、1日1ファイルならウェブブラウザからでも見る事が出来るので便利。





howmを既に1メモ1ファイルでメモ取り用途で使っているならば、1日1ファイルにすると支障が出る。その場合は、xyzzyをもう1つインストールしてしまえばOK。一時間毎のメモ取りだけ、2つめのxyzzyで行う。





色々試したけれど今のところこれが最強。NEETとか引きこもりとかスーパーハッカーとか、そういった一日中PCの前にいる人で、既にTClockとxyzzyとhowmと窓使いの憂鬱を使用中の人には、冗談抜きで本当に物凄く超お勧め。


僕はこれで9日で127エントリーというブログ開始時のブログ的環境を完全に再現する事が出来た。まあ、再現出来たからって過ぎ去った日は戻らず罪悪感は増すばかりで何もかも不可逆全てが奈落へ超特急なのだけれども。









key ○△□ = &Sync &SetImeStatus(off) C-x s C-x C-c
僕はIMEのON OFFは手動が好みなのでやっていないけれど、窓使いの憂鬱で上のようにすると、IMEを自動でOFFにしてくれるので、IMEがONでもC-xが通り、xyzzyを閉じられれる。


2007年9月2日日曜日

よーし、9月からがんばるぞ!と思ってたらいつの間にか九月二日だった。



来世から頑張ろう、とでも思えば再来世になってたりするのかな。
どうせ来世は今生の必罰にて端からから駄目で真面目にやるだけ無駄だし。
暑くなれば暑くなったで、涼しくなれば涼しくなったで誰かが幸せになったりするんだろうけれど秋風邪にうなされて悪夢。僕は誰かではない。ずっと。