2008年8月29日金曜日

セガサミーはセガではない。脳が作った幻想である。



セガサミーはセガではない。
脳が作った幻想である。


    ~ジャン=リュック・ゴダール(2007年ソルボンヌ大学大講堂にて)

2008年8月28日木曜日

ウィルスミスは天才っすよ!!!



ブログ魔王と思わしき人相手に、シムアント(SFC版)の良さを力説している夢を見た。




「シムアントは、ほんっと、もう、最高っすよ。」「え、どんなゲームなの?」「基本、基本蟻なんですけど、働くんですよ。もう、ひたすら働く。もう、それだけっ。それだけっ。」「へぇ。」「ただぁ、凄いのはぁ、シムアントには自由があるんですよ。凄く、プレイヤー自身は、自由なんですよ。何が自由かって言うと、働くも自由、働かないも自由なんですよ。好きな方を選べて、それでいて、もしですよ。もし先生が働いたらぁ、働いたらぁ、味方の蟻、味方の蟻、(親兄弟なんですけどぉ、)、凄い、発展するんですよ。栄華を手に入れられるんですよ。でえ、でもぉ、働かなくても別にいいんですけど、働かないと、働かないとね、味方の蟻は、全部死んじゃうんですね、滅んじゃうんですよ。みんなアンハッピーになってしまう。蜘蛛とかにね、食べられてね、死んでしまう、死んでしまう。でもぉ、働くと、働くとね、働けば、働けばね、みんな幸せになって、よかったねえ、よかったねえ、って言ってくれるんですよ。なんかそういう、世界が回っていくんですよ。凄い、評価してくれるんですよ。自分だけじゃなく、まあ、というか、自分が幸せかどうかは別として、みんなは幸せになるんですよ。生きていけるんですよ。」「へぇ。」「だから、シムアント、っていうゲームの凄いのはぁ、自分がね、自分がね、ただの働き蟻でありながら、自分が働くか、あるいは働かないかという、その自由な自由な決断1つが世界の命運に直結してる事にあるんですよ。そのアジテーション、ね、主張ですよ、メッセージですよ、それをね、それを、ゲームデザインというレベルで、直にですよ、ダイレクトに、物凄いニアに、実現してしまっているのが凄いんですよ。文章とか活字とか、一切なしですよ。説明もストーリーも何もない。蟻なだけですよ。ほんっと、蟻がいて、自由な蟻がいて、自由が提示される。それだけなのに、一文字のテクストもないのに、それがね、ちゃんとね、ケネディとか、リンカーンとか、そういう次元で実現されてしまっているところにあるんですよ。あれですよ。テクストに頼るゲームっていうのはね、糞ゲーですよ。クリエイターとしての敗北ですよ。ね。ほんとに。でもね、シムアントは違うんですよ。そこにあるのは自由だけなんですよ。究極的にね、フリーダムなんです。英雄的に蜘蛛に立ち向かってね、それで死んでゲームオーバーでも全然かまわないんですよ。でもね、巣穴を掘ってね、食べ物探してね、卵並べてね、孵化させますよね、孵化ってわかりますか、孵化わかります、孵化。孵化させますよね、そしたらね、蜘蛛とかもね、みんなやっつけてくれるんですよ。どこにでもいける。どこにでもいけるようになる。もうね、前は蜘蛛に襲われていけなかった所にも、自由に、自由に行けるようになる。つまりね、シムアントっていうのは、自由な決断が自由を導くゲームなんですよ。働くか、働かないか、それだけなんっすよ。ここではね、この世界では、戦うか戦わないかとか、生きるか生きないかとか、考えるか考えないかとか、そういう事は二の次三の次で、働くか働かないかだけなんですよ。それでいてね、それでいて、それこそが、自由なんですよ。」「3はやったことあるんだけどね、スーパーファミコン版の1が良かったのか。」「あー、3はちょっと駄目なんですよ。風車とか時計台とか観覧車とかあるじゃないですかあ、ちょっとごちゃごちゃしすぎてぼやけてるんっすよね。時代的背景とか、パブリッシャーからのプレッシャーみたいなのもあったんでしょうけど、3は詰め込みすぎです。詰め込みすぎですよ。ごちゃごちゃしすぎというか。駄目ですね。やっぱり1ですよ。シムアントは1に限りますよ。」








「そうかあ、一度やってみようかなあ」

とブログ魔王はシムアントのカードリッチを手にとって、裏側の文字を読みながら、僕に聞こえるくらいの声で、棒読みで呟いた。「ほんとやってみた方がいいっすよ。絶対やってみた方がいいっすよ。ウィルスミスは天才っすよ!」飛び起きずにはいられなかった。

2008年8月27日水曜日

回答まで辿り着けなかった本日の自問。



「あれなんだっけ。」

      「なに?」

「あのー、ほら、57577の。」

      「ヒントが足りなさすぎです。」

2008年8月26日火曜日

人として。



頭が痛い夜の三時にパソコンの電源を入れたままで机に打っ伏している。ウインドウズのアップデートがハードディスクを回す音と、雨音が、耳鳴りに混じって聞こえてくる。焦げた臭いが鼻をつくけれど、何も燃えてはいない。暑さにやられて草臥れて、五感が壊れてしまっているだけだ。

体の具合が悪くて、悪くて、椅子に座るもままならぬ日は、元気になれば何だって成し遂げられるような気がする。弱る体とは裏腹に、とても強い気持ちになれる。本当に辛いのは元気な日だ。どこも悪くないのに、何一つ成し遂げられない元気な日だ。そんな日は、自分に失望され、罵られ、うちひしがれて眠れなくなる。苦痛に歪む僕は無害だが、笑みをたたえた元気な自分は、これ以上なく有害だ。

僕という1人の人間は、自らから人間扱いされていない。人として見てもらえていない。何を思っても貶され、何を考えても馬鹿にされる。何かを主張しようものなら、罵詈雑言が降ってくる。それは、自分自身の些細な希望を踏みにじり続けた結果なのだから、自業自得というものだろう。僕は僕の最大の敵で有り続けたし、それはこれからも変わらぬだろう。

昔、ブロックブログで、セックスをしてくれない夫に土下座をして頼んだが駄目だった、という話を読んだ。その時はあまり理解出来なかったけれど、今なら少しは分かるような気がする。

たとえば、僕だって、もしも自分自身から、きちんと人として扱ってもらえるならば、どんな事でもするだろう。人間扱いしてもらえるなら、土下座でもなんでもするだろう。けれども、もう、手遅れなのだ。今では正しく有らんとすればする程、実直に未来を見据えれば見据える程、「何を今更」とより一層に、鼻で笑われ憎まれるのだ。

アスファルトを掘り起こす重機の音が遠くから聞こえる午前9時。今日一日で自分に対してついた嘘の数を数えてみるけど、一つの嘘も思い当たらない。ブログを書き続けて、僕は正直になった。美しく、そして正しくなった。you can do itとか、dreams come trueとか、そんな嘘すら聞こえなくなった。今では全てが正確である。僕は人として扱われていない。そして人として扱われない。

2008年8月20日水曜日

初秋。



XBOX360を買う夢を見た。
ツクツクボウシが鳴いている。

女が出来たゲーオタは。



女が出来たゲーオタは、ゲイツポイントをMSPと書くようになる。
女が出来たゲーオタは、唐突に少女漫画を読み始める。
女が出来たゲーオタは、古い車を買い換える。
女が出来たゲーオタは、引っ越す。
女が出来たゲーオタに、死を。

2008年8月8日金曜日

記念スクショ



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遂に三日間目突入!視界の左右が点滅するのが無くなった。猛烈な速度で人生が良くなっている実感がある。最近の僕は輝いていると思う。凄い素晴らしいと思う。この調子で健やかな自分を取り戻したい。

2008年8月4日月曜日

シェンムーオ



十章もねえよ!

2008年8月3日日曜日

おまえなあ、おまえなあいい加減。



おまえなあ、おまえなあ、いい加減一日に5回も6回も同じゲームをインストールしてはアンインストールするのやめろよ。って説教をする胸糞悪い輩への反発だか何か知らないけれど「うっせえ、これが俺のサンズオブリバティだ!」とかなんとか言ってインストールするのいい加減にやめろよ。CDドライブがおんおん泣いてるじゃねえか。「だって、とても元気が無いんだからゲームくらいしか出来ないじゃん。」って、おまえなあ、おまえなあ。それはおまえが一日に何度も何度もインストールしたりアンインストールしたりしてぐだぐだやっているから、具合が悪くなるんだろ。頭が痛くなるんだろ。額が迫り出してくるんだろ。視界が点滅するんだろ。心臓が痛くなるんだろ。ああ、うぜえ。うざいよお。あんた、人様に説教できるような身分かよ。おまえはあれだろ。自分がもう駄目だからって、そうやって人様に説教して、押しつけて、俺にばかり苦労させようって魂胆だろ。自分の人生が退屈だからって、人が楽しそうにゲームをしているのが我慢ならないんだろう。僻んでるんだろう。ちっちぇえなあ、てめえはよお。人が好きでやっていることにケチつけて何が楽しいんだ。てめえ。うぜえ。説教すんじゃねえよ。てめえは何もしねえくせに説教すんじゃねえよ。あー、そうですか。そうですか。「なら、もう知りません。好きにしなさい」と来ましたか。やっぱりあんたもその口か。そうやって人のやる事なす事ケチつけて、文句ばっかり言って、人の心を踏みにじって、傷つけて、せっかく助言してやったのにだとかなんだとか、人を散々見下していい気になって、ひとしきり満足したらもう知りません関わりませんでさようならか。いい気なもんだね。糞が。糞が。ちくしょう。糞が。