人として。



頭が痛い夜の三時にパソコンの電源を入れたままで机に打っ伏している。ウインドウズのアップデートがハードディスクを回す音と、雨音が、耳鳴りに混じって聞こえてくる。焦げた臭いが鼻をつくけれど、何も燃えてはいない。暑さにやられて草臥れて、五感が壊れてしまっているだけだ。

体の具合が悪くて、悪くて、椅子に座るもままならぬ日は、元気になれば何だって成し遂げられるような気がする。弱る体とは裏腹に、とても強い気持ちになれる。本当に辛いのは元気な日だ。どこも悪くないのに、何一つ成し遂げられない元気な日だ。そんな日は、自分に失望され、罵られ、うちひしがれて眠れなくなる。苦痛に歪む僕は無害だが、笑みをたたえた元気な自分は、これ以上なく有害だ。

僕という1人の人間は、自らから人間扱いされていない。人として見てもらえていない。何を思っても貶され、何を考えても馬鹿にされる。何かを主張しようものなら、罵詈雑言が降ってくる。それは、自分自身の些細な希望を踏みにじり続けた結果なのだから、自業自得というものだろう。僕は僕の最大の敵で有り続けたし、それはこれからも変わらぬだろう。

昔、ブロックブログで、セックスをしてくれない夫に土下座をして頼んだが駄目だった、という話を読んだ。その時はあまり理解出来なかったけれど、今なら少しは分かるような気がする。

たとえば、僕だって、もしも自分自身から、きちんと人として扱ってもらえるならば、どんな事でもするだろう。人間扱いしてもらえるなら、土下座でもなんでもするだろう。けれども、もう、手遅れなのだ。今では正しく有らんとすればする程、実直に未来を見据えれば見据える程、「何を今更」とより一層に、鼻で笑われ憎まれるのだ。

アスファルトを掘り起こす重機の音が遠くから聞こえる午前9時。今日一日で自分に対してついた嘘の数を数えてみるけど、一つの嘘も思い当たらない。ブログを書き続けて、僕は正直になった。美しく、そして正しくなった。you can do itとか、dreams come trueとか、そんな嘘すら聞こえなくなった。今では全てが正確である。僕は人として扱われていない。そして人として扱われない。