2012年2月29日水曜日

Eスポーツと4つの視点。

Eスポーツには4つの見方がある。


・動画中継
以前から存在してこそいたものの、StarCraft2あたりで一気に大衆化した動画ストリームによる中継。ストリームによる中継は、かつては画質の面で大きく劣り、「経験者ならば何を起きているかはわかるけれど、細かい数字などは見えない」というものだった。けれどもそれも今は昔。ドッグイヤーの進歩により、「自分のパソコンでプレイするよりも動画中継の方が高画質」という時代が訪れてしまい、ストリーム中継サイトの隆盛と共に一気にメジャーに躍り出た。



・ゲーム内中継
ゲームクライアントを使って見る、リアルタイム観戦。
最大のメリットは、各視聴者が好きな時に好きな場面を見られるという点。


game_tyukei

たとえば、対戦格闘ゲームだと上のような感じで、誰が見ても同じ画面なので、ゲーム内中継は、「実況解説付きの動画中継に劣る」という事になってしまう。(あの実況者嫌い!大嫌い!とかを抜きにすれば。)



game3 game

けれども、他のジャンル(FPSやRTS)では「誰が見ても同じ」ではない。たとえばdota allstarsだと、画面に映しだされるのは白い枠で囲まれた画面。それ以外の広大な部分は、画面に映らない。その為に、動画中継では動画配信者が見ていない部分は決して見る事が出来ない。ゲーム内中継では、そのデメリットは完全に消える。好きな時に好きな場所を見る事が出来るってわけ。また、配信者のトラブルや私用で見られなくなる、という事も無い。



・リプレイ
リプレイファイルをダウンロードして、ゲームクライアントで見る方法。リプレイサイトというものがあって、リプレイファイル毎にレーティング機能やコメント欄が有り、人気の試合や評判の試合が一発で分かる。おまけに、クライアントの側で再生速度を自由に変えられる。WarCraft3だと1/2倍速から8倍速まで。どうでも良い場面は8倍で見て、盛り上がってきたら2倍、決戦は等速、正念場は1/2倍速など、視聴者の側で自由に再生速度を変更出来る。



・ハイライト動画。
たとえばイングランドのサッカーなんかだと、実際の試合よりもハイライト番組の方が視聴者数が多い。日本のスポーツでもそれは同じ。ニュースのスポーツコーナーは今も存在しているけれど、野球中継やサッカー中継はテレビから消えて久しい。長くて大量に存在するものを、1人1人の視聴者が自分の力で見る、というのはとても大変で、決して普遍的な娯楽ではない。それはEスポーツでも同じこと。そこで誰かがハイライト動画を作って、それをアップロードする。youtubeならば広告で稼げるので、インセンティブは働いているので結構作られる。



たとえばこれは、iG 対 LGDのFerrari430ハイライト。動画中継で見れば30分以上かかるものが、これだと5分50秒。しかもハイライト動画は人気のリプレイしか作られないので外れがない。普及するのは当然の成り行き。



esportsHyou
こんな感じ。

で、どの視聴環境が一番素晴らしいのか、という事。それはもう、リプレイに決まってる。リプレイ以外にあり得ない。たとえば、先日のcol対Lodaの2本先取。開始予定時間から終了までに4時間。冗談抜きで4時間。ありえないでしょう。たかが3ゲームを見る為に4時間。とてもじゃないけど見られません。

しかも、ビデオゲームシーンというものは、5~10チーム程度の試合を全て、網羅的に見ていないと何が起こってるのかわからないものなのです。「誰かが凄い戦法で圧勝した」「それを阻止する為に特別な戦法を編み出された」「その戦法は秘する為にグランドファイナルまで温存された」「特別な戦法は特異すぎてど壺に嵌り、自滅する形で負けた」という展開があったとします。このような展開を知らずに1試合だけを見たら、「グランドファイナルの大事な舞台で意味不明な事をやって自滅した」という事しか見えてこないわけです。「意味不明な事をやって負けたつまらない試合」にしか見えないのです。メタや流行、流れなどがあって、始めてシーンとして意味があるのです。サッカーなどでは数年スパンで起こるメタ変りや戦術の変異が、ビデオゲームでは数日スパンで起こる。それ故に網羅的に見ていないと何が起こってるのかわからない。



よって、「ビデオゲームシーンを見る」方法はただ1つ。
上位20人の対戦を全て見る。それ以外に方法は存在しない。



今のDOTA2シーンならば、上位5チーム程度の対戦を全て見る、という事になると思う。NaVi、Loda、ミゲルアンゲル、EGくらいまで。col、aL、mouz、moscow5、mTw、next.kzなどは対戦相手として登場するのでそこまでは追わなくても大丈夫。たとえばprodota.ruで先週のdota2シーンを遡って見ると、4チームの試合は14カード32試合。つまり、今現在のdota2の場合は週に35試合も見れば「dota2シーンを見ている」という状況に辿り着けるわけです。

これ、即ち「dota2シーンを見る」という行為を動画中継やゲーム内中継で実現しようとすると、単純に計算すると35時間ほどモニタの前に居なければなりません。Eスポーツの対戦開始時刻は当てにならないものなので、週に50時間ほどモニタの前に張り付いていないといけません。しかも、シーンの中心線は大西洋にあるので日本時間なら真夜中です。動画を録画で見るならば、真夜中でなくても構わないのですが週に50時間というのはやってられません。その上に、「動画中継が存在しない試合」という要素も加わるので、「事実上不可能」な上に、純粋に「不可能」でもあるのです。




これがリプレイ観戦だとどうなるか。
リプレイならば1試合見るのに10分程度。
週に35試合見ようと思えば、週に7時間ほど。自分の好きな時間帯に、1日1時間。これなら誰でも見られます。特異な行為ではなく、普通の娯楽として「シーンを見る」という遊びが可能になるのです。



「Eスポーツシーンを見る」
という行為は、リプレイ再生によってのみ可能になる類の娯楽であって、それ以外の方法では物理的に不可能なものなんです。「Eスポーツを見る」ならば動画中継でも可能。「試合を見た」ならばゲーム内中継でも可能。けれども、「シーンを見よう」とするならば、取り得る手段はリプレイしか無いのです。ようするに、現在のDOTA2シーンというものは、「シーンを見る」という行為が不可能な環境なのです。

そういう糞環境がdota allstarsのプロを根こそぎ掻っ攫ってしまったのだから、かつてdota allstarsシーンを見ていた人達の中に、dota2アレルギーのようなものが存在するのは当然の事なのです。なぜ(dota2動画配信者である)オビワンが叩かれているのか、かつてdota allstarsを配信していた頃には全然叩かれていなかったのに、dota2ではアンチが生まれているのか、という事の奥底には、「dota2にはリプレイ視聴環境が無い」という致命的な欠点が存在しているのです。

そしてその「シーンを見る事が不可能」という致命的な欠点は、リプレイ再生用のクライアントが各個に行き渡り、リプレイサイトがきちんと機能するようになるまでは、決して解決しない問題なのです。なお、現時点でdota2のリプレイサイトは全て一切、機能していません。よって、dota2のベータクライアントを所持している人間にとっても、所持していない人間にとっても、dota2シーンを見るという行為は等しく実現不可能な夢物語なのです。







ならばdota allstarsシーン(即ち中国)は良いのかというと、こちらはこちらで大会主催者による囲い込みのせいでリプレイファイルがネット上にupされず、手に入るのは野試合のリプレイのみという散々な事態に陥りつつあり……。(WarCraft3シーンでも同じような囲い込みによるリプレイファイルの遮断はたまにあった)。

思い立ったら8時間以内に投稿ボタンに辿り着け。

それ以上かかると自分が何を書きたかったのか忘れてしまう。覚えていても理解が出来なくなる。おまけに複数日にわたってブログのエントリーを書いていると、ですます調とだある調が混在していたり、書いている人のテンションが全然違って意味不明だったりで、わけがわからなくなる。

それ以上に致命的なのは、「この主題は過去の自分と、今の自分と、未来の自分の共有財産」と思ってしまうこと。過去の自分が今の自分に託した、重くて尊い「この主題」を、こんな糞テキストの糞エントリーで消費してしまう事は許されないと思ってしまう。過去の自分の投稿しようという情熱が大きければ大きいほどに、もっと体調がよくてもっと元気でもっと頑張れる未来の自分にこそ消費されるべきだ、実在しないその完璧な「素晴らしい未来の自分」に託して今はただ祈り天を仰ごう、という後ろ向きの気持ちが肥大化してはもう二度と、投稿ボタンは彼方の彼方。

心と離ればなれになって。

憎しみを頭から浴びて
憎悪を募らせていると
憎しみの他はどうでもよくなる。

君はそうやって、逃げてきたんだ。
今を見つめる事から、逃げ続けてきたんだ。



苦しさを頭から浴びて
苦しさを堪えていると
苦しさの他はどうでもよくなる。

君はそうやって、逃げてきたんだ。
未来から今日まで、逃げ続けてきたんだ。



切なさを頭から浴びて
切なさに耐えていると
切なさ以外を忘れられる。

君はそうやって、逃げてきたんだ。
小さな希望や些細な夢を、覆い隠して逃げてきたんだ。



悲しさを頭から浴びて
悲しみを堪えていると
悲しさ以外を忘れられる

君はそうやって、逃げてきたんだ。
逃げ場のないところまで、逃げてきたんだ。




もう憎しみは、君を助けてはくれないよ。
もう苦しみは、君を救ってはくれないよ。
もう切なさは、君を守ってはくれないよ。
もう悲しさは、君を悲しませたりはしない。

これからは一人で生きていくんだ。
心と離ればなれになって、君1人だけで生きていくんだ。

2012年2月27日月曜日

もう僕には何も書けません。


「誰かをがっかりさせたくない」なんて思ってしまうと、ブログなんて、書けなくなります。そして僕はもう既に随分と前から「誰かをがっかりさせたくない」と思ってしまっています。もう、ブログなんて書けません。随分と前から書けません。そしてもう、二度と書けやしないでしょう。全ては妄想が悪いのです。全ては希望が悪いのです。

そもそも、「誰か」なんてものは存在しません。架空の存在です。がっかりさせたくない誰か、なんてものは、本当は居ないのです。誰も居ません。一人も居ません。ただの一人も存在しません。全ては妄想の産物なのです。もはやこのブログには、一人の誰かも存在しません。誰もいないのです。人間は居ないのです。生き物は死に絶えました。心は息絶えました。あるのは石です。石ころです。




「どうですか、この石を見てみなさい。」
仕方が無しに僕は見ます。

「ここが足で、ここが首ですよ、そしてこの辺りが角ですね。わかりますか、ムースです。あなた、ムース知りませんか?巨大な鹿ですよ。象やキリンよりも大きな、北極に住む巨大な鹿です。あなた、知りませんか。そうですか、ムース知りませんか。この石は、どこからどう見てもムースなんですけれどね。残念です。本当に残念なことです。誰が見てもムースなんですよ。普通の人ならばムースだとわかるんです。見ればわかるんです。この石は、ムースなんです。けれども、あなたの場合は、違うでしょう。そうは見えませんでしょう。これはムースなんですよ。知ってる人には見えるんです。あなたは知らないんですからね。ムースを知らない。知らないものが見えるわけがない。知ってるものだけが見えるんです。」
申し訳なさでいっぱいです。全て私が悪いのです。




「0人じゃない。」
そう言い聞かせて僕はブログを書き続けて来ました。ブログを開設してから、一日たりとも休むことなくブログを書き続けてきました。"ほんものの"読者というものが、広く荒涼で電脳なインターネット上には存在しない幻であったとしても、血と骨と肉で出来たこの僕だけは、"ほんものの"読者として存在し続けていました。少なくとも、0人じゃない。その事実は信ずるに値する物でした。勇気をくれる存在でした。書き続けるだけの根拠でした。けれども今は違います。人間は死ぬのです。簡単に死ぬのです。僕はもう人間ではありません。血と肉と骨で出来た、ただの石です。切れば血がでる小さな石です。石ころです。

人間はどこへ行ったのでしょう。かつてここに宿っていたものは、一体どこへ消えたのでしょう。それとも、はじめから何も無かったのでしょうか。生まれた時から石ころで、ブログを書き始めた時も石ころで、だからこそ今も石ころなのでしょうか。ただの石でしか無かったのでしょうか。悲しみはありません。喜びもありません。焦燥感もありません。心というものがありません。無論記憶もありません。思い出す事も出来ません。何も無いのです。石ころがあるだけなのです。石ころと呼ぶには大きすぎ、石ころにしては腹が減る、おそらく珍しい石ころです。けれどもひたすら醜いが為に、1円の価値もありません。まったく金にはなりません。ヤフオクで売り飛ばすことも、steamでトレードする事も出来ません。金を払って回収業者に引き取ってくれと頼んでも、全て断られる代物です。役に立たない石ころです。どこかの山の川岸に、不法投棄しかありません。けれどもそれは重すぎて、そう簡単にはいきません。




それまで役に立っていたものが、役に立たなくなる時代。
それが今です。2012です。あなたの学歴は役に立ちません。あなたの経験は役に立ちません。あなたの人脈は役に立ちません。時代遅れなんです。これからは違うんです。世界はもう既に変わったのです。世界は今正に変わろうとしているのです。世界はこれから変わるのです。これまで人が積み上げてきた、全てが崩壊してゆくのです。僕の場合は心です。心が役に立たなくなりました。脳味噌が死んだのです。にわかには信じられません。そんなはずはないと思うのです。しかし、脳味噌が死んだのです。これは驚くべき事態です。「これからの時代、これまでの経験は役に立たなくなる。」などというくだらないインターネットの煽り記事を見て、心の底から鼻で笑っていました。けれども、です。その鼻で笑っていた大本の、心が死ぬとは驚きです。そんなものまでが、まさか、本当に、まったく役に立たなくなるとは。心は死にました。僕はどうすればいいですか。




インターネットを見渡します。
ある人は職業をバックボーンにしてブログを書いています。
ある人は趣味をバックボーンにしてブログを書いています。
ある人は日常をバックボーンにしてブログを書いています。
ある人は興味をバックボーンにしてブログを書いています。
ある人は生活をバックボーンにしてブログを書いています。

誰もが何かを持っています。
核たる柱を持っています。だからブログを書けるのです。
そこには何かを持った人間が居て、それ故にブログを書いています。




かつては僕もそうでした。
僕にもそれがあったのです。
そして、それは、心でした。
僕には心がありました。
人間の心がありました。




学業では負けていても、仕事では負けていても、日常では負けていても、趣味では負けていても、興味では負けていても、知識では負けていても、生活では負けていても、悲しみや、苦しみや、喜びでは負けていても、全てで惨敗していても、僕には心があったのです。それだけが拠り所でした。僕にはあったのです。それは心ではありません。断じて心などではありません。心と呼ぶにはあまりにも苛烈で、あまりにも必死でした。魂と呼ぶべきものでした。ここには魂があったのです。魂が宿っていたのです。魂では負けていない。魂では負けない。そして魂においては未来永劫勝利し続ける。故にブログは不滅であると信じ続けて生きてきたのです。けれども、それは、幻でした。そんなものは、幻でした。消えたのです。魂が消えてしまったのです。何も無くなってしまったのです。どうすればいいのでしょうか。僕はこの先どうやってブログを書いていけばいいのでしょうか。




悲しみはありますか?
苦しみはありますか?
焦燥感はありますか?
絶望感はありますか?

僕にはもうありません。
かつてはあったのです。
今はもう、無いのです。

そして、その事実が理解出来ません。かつて存在していたものが、無くなったという事すらわからないのです。たとえば富士山が無くなったとしましょう。そしたら、そこには広大な空間が出来ます。広大な空間を見た私達は、そこに「何かがあった」という事を理解する事が出来ます。今の僕にはそれが出来ないのです。何かがあったという事を理解することも出来ないし、何かが無くなったという事を把握する事も出来ないのです。僕はもう駄目です。そして僕はもう駄目だなんて微塵も思っていないのです。それが問題なのです。魂が無いのです。そしてそれ以上に問題なのは、魂が無いという事すら無いのです。一切を感知できないのです。ただ一つ、石だけがあります。横になって休もうにも、巨石が邪魔で休めません。座ってブログを書こうにも、石ころが邪魔で書けません。

2月のdota2シーンを全て回収したNaVi。

この一ヶ月、破竹の勢いで勝ち続けたcol(旧fire)。もしも今日NaViに勝てば、遂に世界ランク一位というところまで来ていた。けれども、よりによってそんな日に憎たらしいNaViが完全復活。colとの決戦を2-0で切り抜けた上に、返す刀でEGに2-0。ソビエト 4-0 USA。

colが10連勝して積み上げた貯金と、EGがミゲルアンゲルに2-0で完勝して作った泡銭を一晩で全て強奪するNaVi。首位転落どころか、黄金時代の再到来が見えてきた。この2月は、Loda、ミゲルアンゲル、col(fire)に首位奪取のチャンスがあったものの、EGやaL含めてつぶし合い、その全てをNaViが綺麗に回収。アートスタイル脱退後の停滞期から完全に立ち直り、時計の針は左に回る。

その裏で行われたミゲルアンゲル対aL(オーストラリア)の2連戦は、大事な方をミゲルアンゲルが2-1で取り、プライオリティの低い方をaLが2-0で取る痛み分け。aLは嫌い。hyhyはもっと嫌い。iceiceiceはそれにもまして嫌い。

2012年2月24日金曜日

明日から頑張る。

明日も頑張らないと思うよりは、明日から頑張ると思う方が「よいこと」だと思うので、明日から頑張る。頑張って手に入れたい何かがあるわけではないし、頑張って成し遂げたい何かがあるわけでもない。明日から、いや今すぐにでも頑張らなければならないという焦燥感もない。頑張って辿り着きたい夢もない。頑張って達成したい目標もない。何も無いんだ。焦りもなく、諦めもない。本当に何も無いんだ。にも拘わらず、ただ頑張ろうという気だけがある。本当にそれがよいことなのか。それでいいのか。わからないけれど、明日からは努力を尽くそう。明日からは頑張ろう。今日はもう、夜も更けたのでとにかく寝よう。おやすみなさい。

インターネットと夢は見分けが付かない。

「potmには絶対phase boots。それ以外の選択肢は存在しません!」「なにをアホな事を・・・」みたいな感じで叩かれていたやりとりをインターネットで見た記憶があって、2011年度のdotaシーンの調べ物のついでに、トッププロがpotmでどちらの靴を選択しているのか軽く目を通してみたのだけれど、そのきっかけとなった「potmには絶対phase(略」というやり取りが見つからない。ググってもググっても発見出来ない。狐につままれたような気分で英語圏のインターネットまで探しに探し続けたけれど、遂に見つからず心が折れる。

「ひょっとしてあれは夢だったのでは」という不安が芽生える。あれは本当にインターネットで見た物だったのか、それとも夢で見た出来事だったのか……。インターネットでもありそうだし、夢でもありそうな出来事だけに、区別が付かず酷く困惑する。インターネットは広大で、どんな事でもあり得るが故に、夢とまったく見分けが付かない。





トッププロはphaseなのかtreadなのかだけれど、データ自体が存在しなかった。世界4強(中国4強)はpotmをpickしない。4強だけではなく中国にはpotmのデータが存在しない。一番最後に公式戦的なものでpotmがpickされたのは昨年の9月、プレイヤーはZhouで靴はphase。ただしそのリプレイはショーマッチで、ガチのリプレイとなると昨年の4月、プレイヤーはDKのバーニングで靴はtread。tyloonとMoscow5がやった時なんて、M5.Godは3戦ともpotmだったし、今もLoda、AngeL、Xboct、ミザリー等がpotmを使いまくっている。一方中国は別次元、別世界。

似たヒーローだとwrは誰もがphaseだけれど、実績的には最強のWR専であるiGのChuenがある時期から徹底してtreadを選択しだした。というか、Chuenがtreadを選択しているというよりも、iGのWRはChuenに限らず(yyfや430がwrを使っても)全てをすっ飛ばして一番最初にmekaを作る。なので、treadかphaseかという選択ではなく、phaseかmekaかという選択を経た上で、phaseが切り捨てられている。

一時期のMYMは全員がノーマルブーツで行く行くは全員Travel靴という選択をしていたし、LGD.SGtyも4人ノーマルブーツという選択をしていた。変わった選択をしているプレイヤーは、チームの作戦や仲間内での一定の合意があって、それに従って靴を買っている感じがするので、一般レベルではあまり参考にならないと思う。1プレイヤーとしてはpotmにphaseは有り。





あの、「potmにはphaseです!」「アホか・・・」というやり取りは本当に夢だったんだろうか。それとも、グーグルでは見つけ出すことの出来ないインターネット上での出来事だったんだろうか。夢と現実の区別が付かない自分に嫌気が差して気が滅入る。"窮地"という単語が頭に浮かんで重く漂う。僕はまだ大丈夫、何も悪くないし、何も悪くなんかなっちゃいない。ただ夢と現実の区別が付かないだけだ。夢と現実の区別が付かないだけ。

2012年2月21日火曜日

鉄になりたい。

鉄になりたい。
巨大な鉄の塊になりたい。



悲しみも、苦しみも
転がるだけで乗り越えられる球体の、
巨大な鉄の塊になりたい。



誰かの幸せにも、自らの喜びにも
動じることなく先を急げる真円の、
巨大な鉄の塊になりたい。



太陽とアルタイルの重力に
それぞれ弱く捕らわれながら
虚空を一人で進んで行ける
巨大な鉄の塊になりたい。



未来に対する情熱もなく
将来に対する不安もない
暗く冷たく大きく丸い、
巨大な鉄の塊になりたい。



他人の姿を蔑まず、
自分の心も嘲り笑わぬ
巨大な鉄の塊になりたい。



情熱も葛藤も苦悩も持たず、
翼も無しに飛び続けられる
巨大な鉄の塊になりたい。
巨大な鉄の塊になりたい。

2012年2月16日木曜日

4690万ドルもの広告費をgoogleアドセンスで散蒔いた大学の卒業率は、4%~5%。

46.9 Million   University of Phoenix
29.9 Million   ITT Technical instltute
19.7 Million   DeVry University
16.3 Million   CAPELLA University
昨年度に、Googleアドセンスに広告を出した教育機関。
一位のフェニックス大学の卒業率が凄まじい数字だった。



Overall Graduation Rate 4.0%
Education Detabaseによると、4%。

-- University of Phoenix (Online) graduation rate: 5%
The Education Trustでは5%

「詐欺的な手法で卒業率を高く見せている」という指摘もあったので、5%という数字が詐欺的な手法で高く見せられた卒業率で、4%という数字が本当の卒業率なのかもしれない。




フェニックス大学は42ものキャンパスに6万人、さらにオンライン大学として18万人もの学生を抱える巨大な営利企業で、検索するとアフィサイトと悪評がずらりと並ぶ。学生の6割が入学から1年以内に中退。4年間での卒業率は0.8%。そして学費は年間2万5000ドル。卒業と退学を別けるのは金との事。


「日本の大学は入るのが難しく、アメリカの大学は出るのが難しい」
といった話をインターネットで目にした事があるけれど、株式会社化され巨大化した大学運営企業が金儲け原理主義的な行為で低卒業率の大学を乱造し、卒業率を下げてるだけではないかとの疑惑が浮かんだので調べてみた。すると、非営利の大学(公立大学、私立大学)であっても卒業率が低い大学は多数有り、50校(50キャンパス)が20%以下の卒業率だった。傾向として、かつて黒人専用大学であった大学の卒業率の低さが目立った。

なお、フェニックス大学はオンライン大学に限らず、キャンパスを持つ普通の大学としても卒業率が異常に低い。最も高いニューメキシコキャンパスでも33%しかなく、全てのキャンパスを合計すると11%という凄まじい低さである。



*****追記
この記事は、たいへんよく読まれているので、その後の流れについて、ひとこと追記します。フェニックス大学は、よくあるこのような逆風にまけずに、その後さらにたくましく発展し、より大きな役割をはたしています。
2007年度に投稿されたブログにあった追記

コメント欄で「フェニックス大学で頑張りたいのですが」などとコメントした人を気遣ったのか、それとも自らがオンライン大学を肯定べき仕事をしているかは知らないけれど、「その後さらにたくましく発展し」とか、「より大きな役割を」などと最大限のフォローを入れている。しかしながら実態は悪化の一途を辿り、懸命にロビー活動をして国から金を引き出しながら学生を騙す悪質な政商であると散々に叩かれている。

アメリカの所謂Fラン的な州立大学の卒業率は20%~40%で、出来の悪い人間が再チャレンジする為の教育機関として意味があるが、フェニックス大学は再チャレンジしようという志を持つ人間を騙して利用し、"政府から"金を引き出す組織である、というのが批判者達の主張のようだ。


deriving over 90 percent of its revenues from federal financial aid
(フェニックス大学の)収入の9割以上が政府の補助金です。
翻訳に自信がなくなる数字だけれど、おそらくはあってると思う。。。多分。
入学者数を増やせば増やすほど、政府から金を引き出せる。googleアドセンスに広告費を支払えば支払うほど政府から金を引き出せる。そしてグーグラーはおもしろオフィスでのんびりお仕事。酷い商売だ。




46.9 Million   4%  University of Phoenix
29.9 Million  55%  ITT Technical instltute
19.7 Million  31%  DeVry University
16.3 Million   6%  CAPELLA University

参考までに、他のGoogleアドセンス枠購入者。全て営利目的の教育企業。
ITT Technical instltuteは100以上のキャンパスを持ち、専門学校や2年制大学の運営が主なようで、4年制大学を運営する他の企業とは方向性が少し違うようだ。卒業者の就職率も他の高等教育機関より高く、比較的ホワイトなのかもしれない。(ただし、wikipediaには政府の補助金がらみの不祥事が並んでいる)

#who buys all those google ads
#The Education Trast
#Online Education Database

2012年2月15日水曜日

眠たさの悲しさ。

眠たければ眠ればいいじゃない、というアントワネットの指摘は正しい。けれども、その正しさは限定的である。眠りたいと思っている眠たい人にとっての正しさでしかない。眠りたいなどと微塵も思っていない人間にとって、その正しさは機能しない。まったくの誤りである。眠たくて何をする気力も湧かない。眠りたいのではなく、他の何かをしたい。僕は眠る為に生まれてきたのではない。眠る為に生きているのではない。そしてまた、眠る為の気力も無い。精も根も尽き果てれば眠れるだろう。それを成し遂げる為には、精も根も尽き果てるまで、眠りたいわけではないのに眠たさのせいで何も出来ないという現実と、出口の見えない消耗戦を繰り返さねばならない。一昨日も、昨日も今日も眠たくて悲しい。息を吸えば悲しいので息を吐いてみるとこれもまた悲しい。それではと呼吸を止めてみればまた悲しい。何をするにも眠たさが立ちはだかり、全ての責任を眠たさに背負わせようとする自らの態度がまた悲しい。がっかりだ。本当にがっかりだ。君には失望させられっぱなしだよ。

意識朦朧力。

ポジティブな力が身に宿ると、心が乱れて何も出来なくなる。気力、体力、活力、全てが充実すると、心が乱れに乱れて、一切の事が行えなくなる。そして自分を責める。こんなにも元気な貴重な時間を心の乱れで無駄にしたおまえの一日の愚かさよと、自らに口汚く罵られる。か弱い心はしなびれ折れる。自信を喪失し、尊厳は失われる。高く志した何かが気高ければ気高いほどに、自らは叩きのめされる。すべては悪化の一途を辿る。その元凶は元気さである。健気さであり、活力である。何かをしようという健気で賢明な心の動きの風と桶により、一切の事が出来なくなるのである。

では僕がもはやこの人生において一切の事が出来ないかというと、決してそんなことはない。気力も、体力も、活力も失われ、向上心も夢も希望も跡形もなく消え去った意識朦朧の朦朧の果てに、全ての物事が理解出来なくなり、なに一つ考える事の出来ない所にまで前後不覚に陥れば、僕はまるで気力、体力、活力、全てが充実し一心不乱にバスコダガマへと突き進む勇猛果敢な帆船のように先を、先へと進むことが出来る。全ての物事を成し遂げる事が出来る。たとえそれが幻だとしても、朦朧とする意識はそれすらも理解出来ず幻の先、後悔も恐怖も打算も忘れ、決して挫けることなど無しに、死んだ心の屍の上を骨に跨る血と肉で丑三つ時に突き進むのだ。前後不覚だけが我が剣、意識朦朧の思し召し。

2012年2月10日金曜日

不愉快さに支配されて

不愉快さで目が覚めるから、目が覚めると不愉快で、最も心がリセットされるべき時間帯である起床時に不愉快という事は、一日中不愉快であるということ。脳が焼けつく不愉快さに支配された日常に埋没すると、身も心も不愉快さに染められて行き、不愉快さが日に日に深く暗く勢いを増し、一秒一秒より不愉快な人間になってゆく。不愉快さを感じる為に生きているわけではなく、不愉快さを感じる為に賢明に何かを頑張っているわけでもない。不愉快さの為の夢や目標ではなく、不愉快さのための向上心でもない。しかしながら全てが不愉快さによって回収されてゆき、僕の日常は、僕の人生は、不愉快さの一言によって片付けられてしまう。心もなく、感情もなく、不機嫌な肉と骨だけが私自身を形作っている。それが悲しい、とでも言いたげだけれど悲しさすら感じない。悲しさなどというものは簡単に死ぬ。ただの屍になる。死体はある。悲しさはない。心もない。何も無い。がっかりだ。毎日が失望で満たされる。

dotaで自分がnoobなのか初級者なのかを識別する為の簡単なベンチマーク方法。

5分でcsを30取れるかどうか。

dota allstarsをアンインストールする際の決り文句が「dotaはラストヒットゲーム」であり、パブでもシーンでも、ラストヒットの重要性が異常なまでに高いのがdota allstars。なので、dota allstarsにおける普通のプレイヤーは、相手の妨害が無ければ100%、5分でcsを30取れる。それが出来ない人は「違うゲームをやっている」という状態なので、dota allstarsのあれこれを語る資格は無い。最低限「俺は波動拳もまともに出せないし昇龍拳は滅多に出ないリュウ使いだけどザンギ強すぎカプコン糞」的なムードで「俺はラストヒットもまともに取れないプレイヤーだけど」という前口上を必ず書いて欲しい。

条件は、スキル無し、アイテム無し、ステータスアップ無しで、ちょうど5分でcsが30あるかどうか。使用ヒーローは攻撃モーションが微妙なヒーロー、meleeならslark、rangeならcmやnwなど。試しに先ほど全てcmでやってみたところ、1回目29、2回目はタワーも割ろうとして二度死んで20、3回目27だったので、とても悲しい現実だけが残りました。もう少しめんどくさくいけれどdota2のkeyコンテストに利用された有名なものに同条件のGoblin Techiesで10分、50/30というのもある。こちらは46/19でどの道、駄目だった。今年に入って全然やってないからだと言い訳をしながら4度目をやると28でせつなさと徒労感だけが残った。

2012年2月9日木曜日

google news 右カラム部分の表示地域を変更する方法。

何時からか、google news 右カラム部分に都道府県のニュースが自動的に表示されるようになった。地縁や地元にトラウマを持ち、「俺は電脳社会の住人だ」などと意味不明な供述をするような類の人にとっては居住都道府県名を目にするだけで気が滅入るだろうし、小笠原諸島や奥多摩に住んでいる人にとって東京都のニュースは不用だ。広すぎるだけで寒すぎる北海道なんかも同じ事が言える。

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/10(土) 23:42:56.29 ID:9qwj3Fa0
Googleニュースのローカルニュース
「都道府県あるいは都市名」に都市名を入れ、下の「自動的に表示する地域を決定する」のチェックボックスを外しても 「変更を保存」をクリックしても、チェックボックスがチェック状態に戻っちゃう
そして、表示地域の手動変更は、バグのせいで機能しない。choromeとfirefoxとIEで試したけれど全て駄目。けれども、表示地域を変更する方法を見つけた。




google_news3
赤丸で囲まれた部分、「ニュースをカスタマイズ」をクリック。




google_news4
次に、「詳細設定」をクリック。




google_news5
地域セクションの追加欄に、好きな地域を記入して追加する。




google_news1
地域が単独の時は存在しなかった削除ボタンが現れるので、不用な地域を削除していく。(地域が単独になると削除ボタンは再び消滅するので、最後の1地域は削除出来ない。)




google_news6
これで、好きな地域を選択できる。ニューカレドニアは暖かいらしいから明日あたり遊びに行こうかと思ったけれど、サメが怖いからやめておく事にした。

2012年2月8日水曜日

ベルク「銀の弾丸などない」

(Jonathan Berg, “IT JUST DOESNT PROVE ENOUGH. ” February 7, 2012)



Evil Geniusesを大会から蹴り出すってのは,よい決断だね.

もしも試合の当日にスカンジナヴィアから新大陸に連れ去られたっていうのならば同情の余地はある.けれども,彼らは大会にエントリーする段階で,ディレイが存在するって事を知っていた.にもかかわらず「俺達はディレイを抱えている」ってやいのやいの言いだしたんだ.これは一体,どうしたもんだろうね.

ディレイやラグがプレイの質を低下させる,ってのは確かな事だ.時としてゲームを破壊してしまう事だってある.だからと言って,それを理由にして大会のスムーズな進行を妨げるEGのやり方には関心しないな.彼らがいけすかない奴らなんかじゃないって事は分かっている.いい人達なんだ,でも振る舞いが悪かった.

ディレイが予想されるならば,それを前提とした作戦を立ててベストを尽すのがプロフェッショナルというものだ.大西洋を消し去り埋める魔法が存在しない以上は,どれだけ待ってもリメイクしても何も解決しないんだよ.問われているのはディレイでも勝ち負けでもない.戦うか戦わないかだけなんだ.euroサーバーもしくはUS EASTサーバーでのディレイを許容出来ないチームは,この大会に参加するべきじゃない.


今度の試合でおいらがWEに2-0で勝てば俺達が中国より優れている,って証明になると思うかい?そりゃあそんな結果になったら俺だってそれを誇るだろう,得意気にはするよ.けれども彼らだってそれを誇りにするべきだ.ping350から逃げなかった,ディレイから逃げずに戦ったんだって.そして彼らの強さ自体は中国に招待されて戦った俺達が一番よく知っている.君たちがどう思おうとね.

2012年2月4日土曜日

肉、肉、肉。

寒さに少しでも抵抗しようと、似たような服を気嵩ねして寝ると、気恥ずかしさから体が火照り、灼熱の業火に焼かれて眠り、遠くで聞こえる週末の、土曜特有の小さな音に怯え苛立ち目が覚めると、疲労と目脂で震える目蓋に、微睡む事も許されず、ドーハの悲劇の誰かのように、悲しく両目を手で覆うと、元気とか活力といった明るい文字が、頭の中で目覚めて暴れ、汚れた心を打ち拉がせる。




夢はありますか?
どんな夢ですか?

希望はありますか?
どんな希望ですか?




低俗なニュース番組の制作スタッフのテレビ局の社員が無理からに世相を写し出そうとしたくだらないフレーズのような何かがインターネットの細い絆を巡り巡ってテレビを持たない私に刺さる。刺さるといってもいつかどこかで誰かが夢見た人畜無害な刺さり方でなく、吐き気を催す原彩色の有毒有害として体に刺さる。痛む、痛む、苦しくて眠れぬ。本来ならばその切っ先を我が身を挺して受け止め守る、心というものが有るはずだけれど、無念にもそれは遠い日に死に、今ではそのようなものが存在していたという事実すら信じる事が出来やしない。私には夢がない。希望がない。職がない。自分の人生を良くしようという意志がない。自らに対する肯定的な感情がない。私にはおなかすいた、おなかすいた、眠たい、寒い、おなかがすいた。ピザ、がんもどき、寿司、天ぷら、湯葉、肉、肉、肉。

2012年2月2日木曜日

ちきりんのでたらめを毎度毎度へーへー言って関心してる馬鹿共。

普通自動車はどんどん売れなくなっているのに、軽自動車の販売台数は(車離れが言われる今でも)伸び続けています。

そんなものなのか、と思って調べてみたら、とんだでたらめだった。

1970  123万4737
1971  104万3673
1972  98万9638
1973  90万2913
1974  69万2552
1975  56万5581
1976  67万0940
1977  67万4358
1978  75万6715
1979  88万8531
1980  106万1233
1981  125万5915
1982  137万9641
1983  141万9788
1984  148万9934
1985  155万1179
1986  163万2035
1987  168万4605
1988  177万1879
1989  160万6387
1990  190万2721
1991  175万0297
1992  161万0418
1993  158万2127
1994  164万3036
1995  172万6849
1996  172万9990
1997  153万3077
1998  166万0689
1999  190万8701
2000  186万1016
2001  184万4940
2002  182万4748
2003  186万1231
2004  188万0989
2005  194万8362
2006  203万0616
2007  189万3043
2008  180万8877
2009  169万8191
2010  162万8788
2011  152万1146

全然増えてない。
2011年は震災で無視するとしても、2010年の段階で全然増えてない。括弧付きで(車離れが言われる今でも)とか強調して伸びつつけています、って書いてるのに全然増えてない。




全国軽自動車協会連合会が発表した1月の軽自動車新車販売台数は、前年同月比29.0%増の15万2664台となり、1月として過去最高となった。
こんなでたらめをどうして平気で書けるのかと気になって調べてみたら、ちょうど半日前に「過去最高」という文字列が入ったニュースが流れてた。「エコカー補助金復活で軽自動車が一月としては過去最高」というニュースがいんちきりんの手にかかると「普通自動車はどんどん売れなくなっているのに、軽自動車の販売台数は(車離れが言われる今でも)伸び続けています。」になるのか。こういう口から出任せの妄想を垂れ流すゴミブログと、それをへーへー言って関心してる馬鹿共が大手を振ってまかり通ってるのが2012年のインターネットか。いい世の中だね。カルトのミサは余所でやってくれよ。目障りだから。

2012年2月1日水曜日

元SK対元SKは元SKの勝利。

D2EはNaViがエントリーしていない大会なので、Lodaかミゲルアンゲルのどちらかが絶対に優勝しなければならない大会であり、この準決勝が事実上の決勝戦。その明暗を分けたのはpickerの差だった。最強のツーマンチームとして、所詮はツーマンチームという苦しさをpickで凌いでアップセットを起こし続けた経験を持つミゲルアンゲルと、無敵期とモチベーションクライシス期のどちらかしか経験の無いLodaとでは、戦前構築力、pick能力が違いすぎた。1-1で迎えた3ゲーム目はミゲルアンゲル待望の新戦力であるmaniaのtideが2度の決戦を完璧にハンドリングして詰めろをかけると、最後通牒を突き付けられたLodaのfvは、最終決戦で誰も居ない空間に向けて必殺のChronoを撃ち放ち終了。今のLodaはNaViやミゲルアンゲルから綺麗に1本取れる強さはある。問題はここから先か。心情的に中立で見ていたけれど、気がついたらミゲルアンゲル側視点で見ていたので、とりあえずグッドエンディング。なお、SK gamingはdota2発売を前にしてdota2から撤退wwwシーンに漂う場末感www