2012年2月15日水曜日

眠たさの悲しさ。

眠たければ眠ればいいじゃない、というアントワネットの指摘は正しい。けれども、その正しさは限定的である。眠りたいと思っている眠たい人にとっての正しさでしかない。眠りたいなどと微塵も思っていない人間にとって、その正しさは機能しない。まったくの誤りである。眠たくて何をする気力も湧かない。眠りたいのではなく、他の何かをしたい。僕は眠る為に生まれてきたのではない。眠る為に生きているのではない。そしてまた、眠る為の気力も無い。精も根も尽き果てれば眠れるだろう。それを成し遂げる為には、精も根も尽き果てるまで、眠りたいわけではないのに眠たさのせいで何も出来ないという現実と、出口の見えない消耗戦を繰り返さねばならない。一昨日も、昨日も今日も眠たくて悲しい。息を吸えば悲しいので息を吐いてみるとこれもまた悲しい。それではと呼吸を止めてみればまた悲しい。何をするにも眠たさが立ちはだかり、全ての責任を眠たさに背負わせようとする自らの態度がまた悲しい。がっかりだ。本当にがっかりだ。君には失望させられっぱなしだよ。

泳ぐのに情熱はいらない。

泳ぐのに必要なものは、水と筋肉である。水と筋肉があれば人は自ずから泳ぎ出す。そこには意志も情熱もいらない。僕はこんな人生に陥って尚、少しでも前に進みたい。米を炊く体力を失って豆腐をすすり、シャワーを浴びる気力を失って汗を摘まむ。ここにあるのは死体だ。腐っていないだけの死体だ。異臭...