もう僕には何も書けません。


「誰かをがっかりさせたくない」なんて思ってしまうと、ブログなんて、書けなくなります。そして僕はもう既に随分と前から「誰かをがっかりさせたくない」と思ってしまっています。もう、ブログなんて書けません。随分と前から書けません。そしてもう、二度と書けやしないでしょう。全ては妄想が悪いのです。全ては希望が悪いのです。

そもそも、「誰か」なんてものは存在しません。架空の存在です。がっかりさせたくない誰か、なんてものは、本当は居ないのです。誰も居ません。一人も居ません。ただの一人も存在しません。全ては妄想の産物なのです。もはやこのブログには、一人の誰かも存在しません。誰もいないのです。人間は居ないのです。生き物は死に絶えました。心は息絶えました。あるのは石です。石ころです。




「どうですか、この石を見てみなさい。」
仕方が無しに僕は見ます。

「ここが足で、ここが首ですよ、そしてこの辺りが角ですね。わかりますか、ムースです。あなた、ムース知りませんか?巨大な鹿ですよ。象やキリンよりも大きな、北極に住む巨大な鹿です。あなた、知りませんか。そうですか、ムース知りませんか。この石は、どこからどう見てもムースなんですけれどね。残念です。本当に残念なことです。誰が見てもムースなんですよ。普通の人ならばムースだとわかるんです。見ればわかるんです。この石は、ムースなんです。けれども、あなたの場合は、違うでしょう。そうは見えませんでしょう。これはムースなんですよ。知ってる人には見えるんです。あなたは知らないんですからね。ムースを知らない。知らないものが見えるわけがない。知ってるものだけが見えるんです。」
申し訳なさでいっぱいです。全て私が悪いのです。




「0人じゃない。」
そう言い聞かせて僕はブログを書き続けて来ました。ブログを開設してから、一日たりとも休むことなくブログを書き続けてきました。"ほんものの"読者というものが、広く荒涼で電脳なインターネット上には存在しない幻であったとしても、血と骨と肉で出来たこの僕だけは、"ほんものの"読者として存在し続けていました。少なくとも、0人じゃない。その事実は信ずるに値する物でした。勇気をくれる存在でした。書き続けるだけの根拠でした。けれども今は違います。人間は死ぬのです。簡単に死ぬのです。僕はもう人間ではありません。血と肉と骨で出来た、ただの石です。切れば血がでる小さな石です。石ころです。

人間はどこへ行ったのでしょう。かつてここに宿っていたものは、一体どこへ消えたのでしょう。それとも、はじめから何も無かったのでしょうか。生まれた時から石ころで、ブログを書き始めた時も石ころで、だからこそ今も石ころなのでしょうか。ただの石でしか無かったのでしょうか。悲しみはありません。喜びもありません。焦燥感もありません。心というものがありません。無論記憶もありません。思い出す事も出来ません。何も無いのです。石ころがあるだけなのです。石ころと呼ぶには大きすぎ、石ころにしては腹が減る、おそらく珍しい石ころです。けれどもひたすら醜いが為に、1円の価値もありません。まったく金にはなりません。ヤフオクで売り飛ばすことも、steamでトレードする事も出来ません。金を払って回収業者に引き取ってくれと頼んでも、全て断られる代物です。役に立たない石ころです。どこかの山の川岸に、不法投棄しかありません。けれどもそれは重すぎて、そう簡単にはいきません。




それまで役に立っていたものが、役に立たなくなる時代。
それが今です。2012です。あなたの学歴は役に立ちません。あなたの経験は役に立ちません。あなたの人脈は役に立ちません。時代遅れなんです。これからは違うんです。世界はもう既に変わったのです。世界は今正に変わろうとしているのです。世界はこれから変わるのです。これまで人が積み上げてきた、全てが崩壊してゆくのです。僕の場合は心です。心が役に立たなくなりました。脳味噌が死んだのです。にわかには信じられません。そんなはずはないと思うのです。しかし、脳味噌が死んだのです。これは驚くべき事態です。「これからの時代、これまでの経験は役に立たなくなる。」などというくだらないインターネットの煽り記事を見て、心の底から鼻で笑っていました。けれども、です。その鼻で笑っていた大本の、心が死ぬとは驚きです。そんなものまでが、まさか、本当に、まったく役に立たなくなるとは。心は死にました。僕はどうすればいいですか。




インターネットを見渡します。
ある人は職業をバックボーンにしてブログを書いています。
ある人は趣味をバックボーンにしてブログを書いています。
ある人は日常をバックボーンにしてブログを書いています。
ある人は興味をバックボーンにしてブログを書いています。
ある人は生活をバックボーンにしてブログを書いています。

誰もが何かを持っています。
核たる柱を持っています。だからブログを書けるのです。
そこには何かを持った人間が居て、それ故にブログを書いています。




かつては僕もそうでした。
僕にもそれがあったのです。
そして、それは、心でした。
僕には心がありました。
人間の心がありました。




学業では負けていても、仕事では負けていても、日常では負けていても、趣味では負けていても、興味では負けていても、知識では負けていても、生活では負けていても、悲しみや、苦しみや、喜びでは負けていても、全てで惨敗していても、僕には心があったのです。それだけが拠り所でした。僕にはあったのです。それは心ではありません。断じて心などではありません。心と呼ぶにはあまりにも苛烈で、あまりにも必死でした。魂と呼ぶべきものでした。ここには魂があったのです。魂が宿っていたのです。魂では負けていない。魂では負けない。そして魂においては未来永劫勝利し続ける。故にブログは不滅であると信じ続けて生きてきたのです。けれども、それは、幻でした。そんなものは、幻でした。消えたのです。魂が消えてしまったのです。何も無くなってしまったのです。どうすればいいのでしょうか。僕はこの先どうやってブログを書いていけばいいのでしょうか。




悲しみはありますか?
苦しみはありますか?
焦燥感はありますか?
絶望感はありますか?

僕にはもうありません。
かつてはあったのです。
今はもう、無いのです。

そして、その事実が理解出来ません。かつて存在していたものが、無くなったという事すらわからないのです。たとえば富士山が無くなったとしましょう。そしたら、そこには広大な空間が出来ます。広大な空間を見た私達は、そこに「何かがあった」という事を理解する事が出来ます。今の僕にはそれが出来ないのです。何かがあったという事を理解することも出来ないし、何かが無くなったという事を把握する事も出来ないのです。僕はもう駄目です。そして僕はもう駄目だなんて微塵も思っていないのです。それが問題なのです。魂が無いのです。そしてそれ以上に問題なのは、魂が無いという事すら無いのです。一切を感知できないのです。ただ一つ、石だけがあります。横になって休もうにも、巨石が邪魔で休めません。座ってブログを書こうにも、石ころが邪魔で書けません。