ウィルスミスは天才っすよ!!!



ブログ魔王と思わしき人相手に、シムアント(SFC版)の良さを力説している夢を見た。




「シムアントは、ほんっと、もう、最高っすよ。」「え、どんなゲームなの?」「基本、基本蟻なんですけど、働くんですよ。もう、ひたすら働く。もう、それだけっ。それだけっ。」「へぇ。」「ただぁ、凄いのはぁ、シムアントには自由があるんですよ。凄く、プレイヤー自身は、自由なんですよ。何が自由かって言うと、働くも自由、働かないも自由なんですよ。好きな方を選べて、それでいて、もしですよ。もし先生が働いたらぁ、働いたらぁ、味方の蟻、味方の蟻、(親兄弟なんですけどぉ、)、凄い、発展するんですよ。栄華を手に入れられるんですよ。でえ、でもぉ、働かなくても別にいいんですけど、働かないと、働かないとね、味方の蟻は、全部死んじゃうんですね、滅んじゃうんですよ。みんなアンハッピーになってしまう。蜘蛛とかにね、食べられてね、死んでしまう、死んでしまう。でもぉ、働くと、働くとね、働けば、働けばね、みんな幸せになって、よかったねえ、よかったねえ、って言ってくれるんですよ。なんかそういう、世界が回っていくんですよ。凄い、評価してくれるんですよ。自分だけじゃなく、まあ、というか、自分が幸せかどうかは別として、みんなは幸せになるんですよ。生きていけるんですよ。」「へぇ。」「だから、シムアント、っていうゲームの凄いのはぁ、自分がね、自分がね、ただの働き蟻でありながら、自分が働くか、あるいは働かないかという、その自由な自由な決断1つが世界の命運に直結してる事にあるんですよ。そのアジテーション、ね、主張ですよ、メッセージですよ、それをね、それを、ゲームデザインというレベルで、直にですよ、ダイレクトに、物凄いニアに、実現してしまっているのが凄いんですよ。文章とか活字とか、一切なしですよ。説明もストーリーも何もない。蟻なだけですよ。ほんっと、蟻がいて、自由な蟻がいて、自由が提示される。それだけなのに、一文字のテクストもないのに、それがね、ちゃんとね、ケネディとか、リンカーンとか、そういう次元で実現されてしまっているところにあるんですよ。あれですよ。テクストに頼るゲームっていうのはね、糞ゲーですよ。クリエイターとしての敗北ですよ。ね。ほんとに。でもね、シムアントは違うんですよ。そこにあるのは自由だけなんですよ。究極的にね、フリーダムなんです。英雄的に蜘蛛に立ち向かってね、それで死んでゲームオーバーでも全然かまわないんですよ。でもね、巣穴を掘ってね、食べ物探してね、卵並べてね、孵化させますよね、孵化ってわかりますか、孵化わかります、孵化。孵化させますよね、そしたらね、蜘蛛とかもね、みんなやっつけてくれるんですよ。どこにでもいける。どこにでもいけるようになる。もうね、前は蜘蛛に襲われていけなかった所にも、自由に、自由に行けるようになる。つまりね、シムアントっていうのは、自由な決断が自由を導くゲームなんですよ。働くか、働かないか、それだけなんっすよ。ここではね、この世界では、戦うか戦わないかとか、生きるか生きないかとか、考えるか考えないかとか、そういう事は二の次三の次で、働くか働かないかだけなんですよ。それでいてね、それでいて、それこそが、自由なんですよ。」「3はやったことあるんだけどね、スーパーファミコン版の1が良かったのか。」「あー、3はちょっと駄目なんですよ。風車とか時計台とか観覧車とかあるじゃないですかあ、ちょっとごちゃごちゃしすぎてぼやけてるんっすよね。時代的背景とか、パブリッシャーからのプレッシャーみたいなのもあったんでしょうけど、3は詰め込みすぎです。詰め込みすぎですよ。ごちゃごちゃしすぎというか。駄目ですね。やっぱり1ですよ。シムアントは1に限りますよ。」








「そうかあ、一度やってみようかなあ」

とブログ魔王はシムアントのカードリッチを手にとって、裏側の文字を読みながら、僕に聞こえるくらいの声で、棒読みで呟いた。「ほんとやってみた方がいいっすよ。絶対やってみた方がいいっすよ。ウィルスミスは天才っすよ!」飛び起きずにはいられなかった。