立ち直らなくてもいいんだよ。



以前の僕は焦っていた。毎日追い詰められていた。立ち直らなくてはいけない、真っ当にならなければいけない。そんな風に焦ってばかりいた。立ち直れない自分を責めたり、真っ当になれない自分を叱咤激励したりして、毎日を無駄に過ごしていた。「こんな事を言うのはあんたの為を思ってんねんで」なんて陳腐な台詞で、自らに対する罵詈雑言を正当化していた。それが正しい事だと思っていた。注意して、責め立てて、言い続けていれば、いつか真剣に自分の将来を考えて、頑張ってくれるのではないかという思惑が樸にはあった。けれども、今はもう違う。

立ち直らなくていい。そう考えるようになった。そう考えるようになったのだと、信じたい。立ち直らなくて良い。無理をしなくて良い。頑張らなくて良い。そんな台詞はどこにでも溢れている。学校に行って自殺をするよりは、学校に行かなくていい。会社に行って過労死するよりは、会社に行かなくていい。不正を告発して孤立するよりは、なあなあにしていればいい。無理をせずに、根を詰めずに、生きていれば良い事もある。そんな台詞は町中に溢れている。だが本当だろうか。戦わずに傍観している間にも、戦況は悪化し続ける。幾つもの人を失い、幾つもの都市を失い、幾年もの歳月を失う。僕らにはスターリングラードもモスクワも、広大な後背地も冬もない。そうやって何もかも失って行く。

自分はどうして、焦ることをやめたのだろう。追い詰めることを、あるいは追い詰められることをやめたのだろう。それは、おそらくだけれど、やめたのではない。現実を正しく認識したのだ。そしてやめざるを得なかったのだ。僕はもう立ち直れない。真っ当にはなれない。未来はない。将来はない。一切ない。合切ない。もはや僕は消毒される価値すらない汚物に過ぎない。将来の事なんて考えなくていい。未来の事なんて考えなくていい。立ち直るだなんて、真っ当だなんて、もうそんな事気にしなくていい。そんなありふれた苦しみに、そんなありふれた結論が出た。もう随分と前に。