2005年10月27日木曜日

インターネットをどれだけやっても賢い人にはなれない。



インターネットには賢い人の賢いウェブサイトや、賢い人の賢いブログが多数存在していて、それらを読めば少しは賢くなれるんだと思いこんだ人達が毎日毎日躍起になって、取り憑かれたかのように賢いサイトを読み続けている。けれども、それは大きな間違いである。


インターネットをどれだけやっても賢い人にはなれやしない。
それどころか、馬鹿になる一方なのだ。




まず絶対に覚えておかねばならぬのは、賢い人はインターネットを読んで賢くなったのでは無いということだ。賢い人が賢い人になれたのは、全く逆の理由、即ちインターネットをしなかったからなのである。毎日毎日20あるいは30もの賢いブログを読み続け、2ちゃんねるや動画ファイルナビゲーターなど1秒も見ずにwikipediaを延々読み漁り続けた所で、賢い人には決してなれやしないのである。




次に知っておかねばならぬのは、それらインターネットをせずに賢さを手に入れた人達がインターネットで文章を書き続ける理由である。

彼らはインターネットで文章を書き続ける事により、人々をインターネット中毒者化している。それは、人々をインターネット中毒者化させる事により若人の可能性という芽を摘み取ってインターネット上に馬鹿を増やし、自らが「賢い人」という特権階級に居続けられるようにする為なのである。

即ち、賢い人が人々を惹きつけるようなブログを書き続ける動機はただ1つ、スターリンが優秀な人材を片っ端から粛正して自分自身の地位を守ったのと同じように、若者達をインターネット中毒者化する事で、自らの特権的賢いインターネッターな地位を守っているのである。




さらに、賢いインターネッターというものが存在している理由についても知っておかねばならない。奴らはただ単に寂しくて構って欲しいだけなのである。言うならばちやほやされたくてインターネットに裸体を晒すエロ女のようなものであり、ある意味では可哀相な人達なのである。仮に賢い人達というものがインターネットに存在しているとするならば、彼らに差し向ける正しい視線は敬意ではなくて哀れみなのである。

つまり、ウェブ上の全ての文章というものは馬鹿に合わせて書かれている。なぜならば書き手は1人にでも多く読み手を感化させ同調してもらいたいと考えており、世の中の大半は馬鹿であるからして、彼ら賢い人達は巧妙に、馬鹿でも同調してくれるようなコンテンツを延々書いては垂れ流し続けている。つまりは賢い人による馬鹿向けコンテンツなのだ。そのようなものを読んでどれだけ頷き理解したところで、馬鹿は馬鹿のままなのである。それどころかより馬鹿になる一方なのだ。




どのようなインターネットも、主婦の奥様方の井戸端会議のくだらなさのさらに下である。つまり、賢くなりたくなければまず最初にインターネットを止めるべきなのだ。

即ち、インターネットをどれだけやっても賢い人にはなれないのである。
それどころかどんどん馬鹿になってゆくのだ。






インターネットを捨てよ。
そうなりたいと願うなら。